歴史はこうして作られる(2)

新ワシントン・コンセンサス

21世紀の戦争

 アメリカはロシアと中国に対し二正面の戦争を始めた。(「世界で進行中の事態(後編)」参照)但し、武器を使わない21世紀の戦争であり、20世紀の定義からすれば戦争とは呼ばれない。英語にWeaponizeという言葉がある。「武器化する」という意味だ。21世紀の戦争は武器以外の手段を動員する、経済も金融もサプライチェーンをも武器化して行う戦争である。

 今回対中戦争の強力な武器として用意されたのは「新しいワシントン・コンセンサス(新WC)」である。

 アメリカは1990年代以降およそ30年にわたって世界にグローバリゼーションを布教してきた。布教のバイブルとなったのが「ワシントン・コンセンサス(WC)」である。アメリカは「サプライチェーンをグローバルにし、規制を緩和して、競争を市場の知恵に委ねれば万事巧くいく」と信じていたのである。そして現在、安全保障面でも経済面でも中国から前例のない挑戦を受けて、今までのWCでは対抗できないことが明らかになった。

グローバリゼーションの軌跡

 現在まで運用されてきたWCは、アメリカが1980年代末に、国家の政治経済の運営に係る政策パッケージとして発表したものである。当時は債務に苦しんでいた南米諸国のための政策指針として提唱されたが、やがて「グローバリゼーション、規制緩和、市場の知恵」政策(以降「グローバリゼーション政策」)を推進するバイブルとなった。

 冷戦が終わると「歴史の終わり、フラットな世界」を象徴する「錦の旗」となった。アメリカはグローバリゼーションを推進し、中国のWTO加盟にも尽力した。そしてグローバリゼーションは世界の潮流となった。

 しかしながら21世紀になって、あたかも地球の磁極が反転するかのように、世界の風向きが変わり始めた。リーマンショック、パンデミック、気候変動、ウクライナ戦争が相次いで起き、グローバリゼーション政策の欠陥が次々に明らかになった。要約すれば次のとおりである。

 ①パンデミックとウクライナ戦争が起き、サプライチェーンの脆弱性のみならず、過渡の外国依存は安全保障上の危機を招くという認識が共有された。

 ②グローバリゼーションは結局、国際ルールを無視してきた中国の軍事的野心も、またロシアの軍事侵攻も止められなかった。結局両国はアメリカが期待した責任ある協力的なプレイヤーにはならなかった。

 ③グローバリゼーションの進展とともにアメリカ国内の産業基盤の空洞化が進み、中流階級の貧困化を招いた。

台頭した中国への対抗

 トランプ政権は、中国に対する宣戦布告と称されたペンス副大統領演説を転機とし、懲罰的な関税をかける措置を矢継ぎ早に講じた。バイデン政権はこの関税政策を継承すると同時に、輸出管理規定を厳格化して、半導体やスパコン等、アメリカ製の技術・ソフトウェア・機器などを使って製造した機器の中国への輸出を実質的に禁輸とした。(詳しくは「世界で進行中の事態(前編)」参照)

 バイデン政権はさらに、2021年にCHIPS法を成立させて米国内での半導体の開発製造に527億ドル(約7兆円)の助成金を支給することを決め、続いてインフレ抑制法(IRA法)を成立させて電気自動車や再生エネルギーの普及等に10年間で3910億ドル(約54兆円)を投入することを決めて、国内の産業基盤の再構築に乗り出した。

新しいワシントン・コンセンサス

 しかしながら、従来とってきた政策はパッチワーク的で中国に有効に対抗できていないと判断したバイデン政権は、経済・産業政策の基盤となってきたWC自体を刷新することを決めた。そしてサリバン大統領補佐官は、4月20日にブルッキングス研究所(the Brookings Institution)で新WCに関する講演を行った。講演の全文はホワイトハウスからダウンロードできる。(資料2参照)以下に要点を整理する。

 初めに現在アメリカが直面している四つの課題について定義している。

 第1に、アメリカの産業基盤が空洞化した。「市場の知恵に委ねれば巧くいく」と言っていたが、グローバリゼーションが進み企業も雇用も国外に出て行ってしまった。

 第2に、アメリカは中国からの地政学的・安全保障の脅威と同時に、重大な経済インパクトに直面している。グローバルな経済統合は幻想だった。

 第3に、加速する気候変動の危機に直面している。正しく、効率的なエネルギーの移行が待ったなしとなった。

 第4に、中国による不公平な挑戦が民主主義にダメージを与えている。

 以上のように課題を整理した上で、サリバン補佐官は対処方針について次のように述べている。

 「大事なことは造ることだ。キャパシティを造り、レジリエンスを造り、そして包括性を造ること。つまり強い物理的なインフラ、ディジタル・インフラ、クリーン・エネルギーのような公共財をこれまでにない規模で生産し革新し提供するキャパシティであり、自然災害や地政学的なショックに耐えるレジリエンスであり、強く活力のあるアメリカの中流階級と世界中の労働者に対しさらに大きな機会を保障する包括性である。それをまず国内で造り、次いでパートナーと協力して国外でも造る。」

 これは「中流階級のための外交政策」と呼んできたものの一つであり、次の4つのステップで推進するという。

 第1に、アメリカの新しい産業戦略として国内に基盤を造ること。第2に、パートナーに協力してキャパシティ、レジリエンス、包括性を造ることを確実にすること。第3に、革新的な国際経済協力体制を造ること。そして第4に、数兆ドルの資金を、今出現しつつある経済への投資としてかき集めること。

 ちなみに今日解決しなければならない問題は7つあり、それは、①多様性と耐力を備えたサプライチェーンの構築、②クリーン・エネルギーへの移行と持続的な経済成長のための官民による投資、③その過程での良質なジョブの創出、④公正で安全で透明性のあるディジタル・インフラの保証、⑤法人税の低減競争の停止、⑥雇用と環境のさらなる保護、そして⑦汚職の根絶である。

 究極の目的は、強力で耐力を備えた最先端の技術産業基盤にある。

中国への配慮

 要するに、WCを刷新する理由を俯瞰して言えば、「アメリカはおよそ30年間、グローバリゼーション政策を推進してきたが、その結果、中国が安全保障面でも経済面でもアメリカを脅かすモンスターになった。グローバリゼーション政策は失敗だった。」ことに集約される。

 このように新WCが中国への対抗手段であることは明明白白なのだが、サリバン氏は、次のように中国に対する配慮を加えている。

 1)中国との関係はデリスキング、多様化であってデカップリングではない。(we are for de-risking and diversifying, not decoupling.)

 2)中国に対する輸出規制は軍事バランスを崩す技術(technology that could tilt the military balance)に限定する。

 3)中国とは複数の領域で競争しているが、我々は敵対を望んではいない。責任をもって競争を管理することを追求するものであり、気候変動やマクロ経済の安定性、健康や食糧のセキュリティ等のグローバルな課題に対しては協力して対処すべきだと考える。

戦略に潜むナイーブさ

 アメリカは歴史的に戦略志向の国なのだが、どこかにナイーブさが同居している国でもある。第二次世界大戦では共産主義ソ連に憧憬を抱き、南下するソ連軍と戦ってきた日本とドイツを敵とした。真の敵が共産主義だったことは、その後の歴史が証明している。また建国後の中国に対し手厚い支援を行ってきたが、中国は今やアメリカの前に立ち塞がる史上最強のモンスターとなった。何れもアメリカの片思いに終わったのである。

 イエレン財務長官は「ワシントンは経済的なコストを伴うものであっても、中国との関係では安全保障を優先する。競争優位を堅牢にするのでも中国の近代化を抑制するのでもなく、米国は安全保障上の利益を防衛することに集中する。両国は健全な経済関係を構築すべきだ。中国の経済成長はアメリカの経済リーダーシップと競合する必要はない。我々は中国経済とのデカップリングを追求しない。両国経済の完全な切り離しは、両国に破滅をもたらすからだ。」と述べている。

 デカップリングをデリスキングと言い換えて、気候変動では協力して取り組みたいと言ったところで中国が態度を変えるとは思えない。グローバリゼーション政策の失敗を反省し、戦略を刷新する一方で環境問題等では中国の協力を期待するというところに、アメリカのナイーブさとそれ故の危うさが垣間見える。

異質なものが混在する新WC

 このように、新WCは安全保障面での中国対策と国内の産業戦略に、気候変動危機に対処するクリーン・エネルギー改革を加えたものを目指している。しかし、経済を含めた国家安全保障の問題と、気候変動とクリーン・エネルギー問題は本来別テーマであり、対策を統合するには無理がある。リベラルな政党であるアメリカ民主党故の勇み足に思える。

 グローバリゼーションが中国独り勝ちに終わったからと言って、グローバリゼーションは幻想だったから放棄するとなれば、世界に、特にグローバルサウスの国々に少なからぬ影響を及ぼすだろう。サマーズ元財務長官がこの点を指摘している。「安価な製品を輸入する重要性を強調しなかった点は失望だ。それはアメリカの生活水準と製造業の生産性を決める重要な部分だ。」と。先進国は難易度が高く付加価値が高い製品へシフトし、安価な日用品等はグローバルサウスから輸入するというウィンーウィンの関係を維持することが、世界経済の観点からグローバリゼーションが目指した狙いだった筈だ。

 また、気候変動とクリーン・エネルギーへの移行は本来グローバルな命題だが、地球温暖化対策に不熱心な中国と、化石燃料輸出大国のロシアの協力を得ることは困難という他ない。それどころか、アメリカ国内のレガシーの産業界からの賛同すら得られないだろう。既に全米自動車労働組合(UAW)がバイデン再選を支持しないことを宣言している。

欧州からの不協和音

 新WCに対しては欧州からも批判が相次いだ。イギリスのフィナンシャルタイムズは「旧WCは世界各国にとってプラスサムの世界標準であったが、新WCはある国が成長すれば他国が犠牲になるゼロサムだ。」と批判した。その通りだろう。何と言おうが、主目的が中国に対する安全保障上の対抗措置であり、新WCは世界標準から対中戦略としての国益最優先へのパラダイムシフトに他ならないからだ。

 4月に北京を訪問したマクロン仏大統領による、それ以降の一連の発言が「欧州は無制限にアメリカに追随しない」トーンとなっていることに注意が必要だ。欧州はウクライナ戦争が起きた結果、エネルギーのロシア依存からの離脱とウクライナ支援で疲弊している。台湾問題は欧州の問題ではなく、「ロシアに続き中国とのデカップリングは御免だ」という本音が見え隠れする。公然と異論を唱えているのはマクロン氏だけだが、今後欧州とアメリカの間で対中政策を巡る軋轢となる可能性がある。

「未来の歴史を造る」新WC

 新WCは間違いなく「未来の歴史」の方向性に影響を与えるものとなるだろう。問題は亀裂が入った国際秩序を再び縫合する貢献をするのか、それとも亀裂を拡大させて世界が多極化に向う原因となるのか、何れの道を辿るのだろうかにある。

 「世界で進行中の事態(後編)」で、「ディープ・ステートの代表者と言われるジョージ・ソロスは、2019年1月に開催されたダボス会議で中国に対する宣戦布告ととれる発言を行った。」ことを紹介した。サリバン講演には「グローバリゼーションは幻想だったから是正する」ということと、「中国に対抗する政策を総動員する」という、本来は異質な二つのメッセージが含まれている。

 冒頭述べたように、バイデン政権がロシアと中国に対し同時二正面戦争を仕掛けたことは事実である。「まずウクライナ戦争でロシアを弱体化させ、次に新WCによって中国を弱体化させる。」単刀直入に言えば、それが新WCの本質であると思われる。つまりソロス発言とサリバン講演は呼応しているのである。

 ここで一つの疑問が生じる。次の大統領選挙まで残り1年余という時点でバイデン政権はなぜ同時二正面戦争を仕掛けたのかということだ。

 世界情勢は現在混乱の極みにある。しかも経済情勢の悪化が同時に進行していて、アメリカの金融危機、中国の経済危機、欧州の不動産危機のどれがいつ発生してもおかしくない状況にある。しかも経済危機がどこかで起きれば、発生源がどこであれ、危機は連鎖し容易に世界同時不況に発展する危険性が高い。

 つまり現在は、台湾有事の前夜であるばかりか、2024年の米大統領選前夜でもあり、世界規模の経済危機の前夜でもあるのだ。パンデミックとウクライナ侵攻の後で次の有事の前夜というタイミングで、バイデン政権が同時二正面戦争を始め、新WCを提唱した背景には、計算された相当の理由があると考えられる。

日本との関係

 最後に日本との関係を考えておきたい。

 「年次改革要望書」というものがある。1994年~2008年まで、毎年アメリカ政府が日本政府に対して送り付けてきた、制度改革に関する要求リストである。その代表的事例は小泉政権が強行した「郵政民営化」である。そもそも郵政民営化が日本の国益にどう貢献したのかさえ疑問だが、日本にとってさらに重大な影響を与えたものは「財政規律」という縛りである。「プライマリー・バランス」という呪文は、デフレからの脱却に必要な財政出動を抑制したため、「失われた30年」の長期低迷を招いた原因の一つとなったことは間違いない。

 旧WCには、財政規律の維持、政府事業の民営化、税制改革、規制緩和、貿易自由化という項目が並んでいる。WCの項目と年次改革要望書の項目は見事に符合しており、年次改革要望書の根拠がWCだったことは明白である。

 WCの刷新は日本の政治を拘束してきたアメリカからの要求が一変することを意味している。

 折しもサリバン米大統領補佐官が来日して6月15日に、岸田総理を表敬訪問している。ブリンケン国務長官が18日から2日間北京を訪問する直前であり、新WCについて講演したばかりのサリバン補佐官が急遽来日した理由は何だったのだろうか。日本は既にアメリカが始めた同時二正面戦争にしっかりと組み込まれていることは確かだろう。地政学的に考えて、台湾有事と北朝鮮の核脅威の最前線に位置するのは日本なのだとの覚悟を新たにして、自律的に必要十分な対策を講じなければならない。

危機前夜にあって「東京コンセンサス」を示せ

 時間軸で現在位置を確認すると、今はパンデミックとウクライナ侵攻の後で、台湾有事、世界規模の経済危機の前夜にあり、しかもバイデン政権は残り1年余というタイミングにある。アメリカ自身が混乱の渦中にあり、次は共和党政権が誕生する可能性が高まっている。

 今まさにカオスのような世界情勢の中をどうやって生き延びるのかが問われているのである。風見鶏政権では国を危うくする。誰のための法案なのかも何故今なのかも全く分からないLGBT法案に賛成票を投じるような保守政党には、危機に対処する指導力は期待できないという他ない。

 有事に臨み何よりも重要なことは、「そのとき日本はどう動くべきか」を明文化する行動規範(Code of Conduct)を用意することである。それを例えば「東京コンセンサス」として明文化して、国民にかつ世界に対し宣言することが何よりも大事だと考える。バイデン政権が「グローバリゼーションは幻想だった。然るに外交・経済・産業政策の要であったWCを刷新する。」と宣言したように。

 そして「東京コンセンサス」の冒頭に明記すべきキーメッセージは、「強い国力を取り戻す」ことである。パンデミックやウクライナ戦争の教訓の一つは、有事を克服するために最も必要なものは国力であるという事実だ。「失われた30年」を「再び成長する日本」に大転換させる強い意思表明こそが、有事前夜の喫緊にして最大の命題である筈だ。国力を取り戻すことなくしては、防衛力増強も少子化対策も「財源をどうするのか」という一喝の前に画餅に終わるだろう。

 「未来の歴史」はリーダーの強い意思表明が切り開くものであることを強調しておきたい。

 6月15日から2日間開かれている日銀政策決定会合において、プリンストン大学の清滝信宏教授が、「金融緩和を当面継続する」と述べた植田総裁に対し、「1%以下の金利でなければ採算がとれないような投資を幾らしても、経済は成長しない。量的緩和による低金利は、生産性の低い投資を企業に促し、逆に収益体質を脆弱化している。量的緩和と低金利を続けてきたことが、30年間成長してこなかった日本低迷の根源だ」と厳しい指摘している。本質を突いた指摘だと思う。(資料3参照)

参照資料:

1)「世界経済の無法者中国に、とうとうアメリカが「本気の怒り」を見せ始めた」、長谷川幸洋、現代ビジネス、5/12

2)「Remarks by National Security Advisor Jake Sullivan on Renewing American Economic Leadership at the Brookings Institution」, the White House, 4/27

3)「ノーベル経済学賞候補が日銀植田総裁に嚙みついた!」、鷲尾香一、現代ビジネス、6/15

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