アガサ・クリスティ『カーテン』

 「ミステリーの女王」と評されたアガサ・クリスティ(Agatha Mary Clarissa Christie)は、1890年にイギリスで生まれた。19歳の時に小説家としてデビューしてから66年間、満85歳で人生の「幕」を閉じるまで、彼女は推理小説を書き続けた。書いた作品は66冊の長編ミステリー小説と多数の短編集に及ぶ。

 中でも第二次世界大戦が勃発した1939年(49歳)に書いた、『そして誰もいなくなった(And Then There Were None)』は約1億部を売り上げ、人類史上最も売れた本の一つとなった。

 ベルギー人の探偵が巧妙に仕組まれた殺人事件を次々に解決してゆく『エルキュール・ポアロ(Hercule Poirot)』シリーズは、長編小説66冊の内33冊と短編小説54冊を占めている。シリーズ作品となったのは『名探偵ポアロ』の他に、『ミス・マープル(Miss Marple’s)』があり、長編12冊と短編20冊が書かれた。

 アガサ・クリスティの第1作は、第一次世界大戦(1914~18)終戦後の1920年に書かれた『スタイルズ荘の怪事件』で、『エルキュール・ポアロ』シリーズの第1作となった。

 図1に示すように、アガサ・クリスティは第二次世界大戦(1939~45)中の1943年(53歳)に、『カーテン』と『スリーピング・マーダー』を執筆しているが、何れも公開は自分の死後とする契約を結んでいる。『カーテン』はポアロ・シリーズの最終作で1975年に完結した65作目であり、『スリーピング・マーダー(Sleeping Murder)』は1976年に完結した66作目、文字通りアガサ・クリスティの最終作品となった。『カーテン』の舞台として選んだのは、第一作の舞台となったスタイルズ荘だった。

 『そして誰もいなくなった』を書いた頃がミステリー作家としての絶頂期であったと考えれば、その最高に研ぎ澄まされたときにポアロ・シリーズ最終作の『カーテン』を書き上げたことになる。しかも1943年という年は、ドイツがスターリングラード攻防戦で歴史的惨敗を喫しただけでなくイタリアが降伏するなど、ドイツの敗色が濃くなった第二次世界大戦の転換点となった年だった。

 自分の死後まで公開を封印した事実には、一体どのような心境が隠されていたのだろうか?この時点までで、アガサ・クリスティはポアロ・シリーズ長編全33冊中21冊を書き上げており、ポアロ・シリーズに共通する構図は既に出来上がっていたと思われる。このまま書き進めてゆくと「ポアロ・シリーズの最終章のシナリオはどうなるか」についても既に構想ができていたのだろう。その構想に基づいて一気に書き上げて、「果たしてそうなるかどうかをみてみよう」と封印したのかもしれない。

 もう一つ注目すべきは、アガサ・クリスティの人生が二つの世界大戦と重なっている事実である。図1から明らかなように、第1作の『スタイルズ荘の怪事件』は第一次世界大戦が終結した二年後に、第26作目に書かれた『そして誰もいなくなった』は第二次世界大戦が勃発した年に、そして『カーテン』は第二次大戦中の1943年に書かれている。

 さらに二つの世界大戦の戦間期(1918~1939)がポアロ・シリーズの時代背景となっている。二つの戦争がアガサ・クリスティの作品に少なからぬ影響を及ぼしたであろうことは容易に想像できる。

 ミステリー作家としてペンを置く前年の1975年に『カーテン』は公開されている。当然公開するにあたっては、自分自身の人生の幕が降りるときの心境で『カーテン』のシナリオを再検証したに違いない。その上で、主人公ポアロの事件簿としての「幕」と、ミステリー作家としての自分の人生の「幕」を重ねて、『カーテン、ポアロ最後の事件』を公開したのではないだろうか。

 ミステリー小説を書き続けてきた絶頂期にあったアガサ・クリスティにとって、「世界最高峰の探偵に相応しい最後の事件簿のシナリオは何か」という問いを考えることは比較的容易であったように思われる。

 しかし「事実は小説よりも奇なり」という。たとえ名探偵ポアロの「幕」を完璧なシナリオで描くことはできても、自分の人生の幕を人生の途中でイメージすることは、アガサ・クリスティに限らず誰にでも殆ど不可能だ。何故なら、人生において年齢とともに蓄積してゆく経験知を予測することは困難だからだ。単純に言えば、若い時に晩年の人生をイメージすることはできないのである。

 ポアロ・シリーズはロンドンのLondon Weekend TelevisionがTVドラマとして作品を一つずつ収録し、延べ24年の歳月をかけて全33作品の映像化を完遂している。また原作は第一次世界大戦直後の1920年代から時代が進んでいくが、TVドラマ『名探偵ポワロ』の時代設定は1930年代に置かれたという。

 TVドラマの舞台となったのはイギリス1930年代の歴史ある城館、「世界で最も美しい」と称されるコッツウォルズを連想させる村、ロンドンの街並みに加えて、当時ロンドンの街を走っていたと思われるクラシックカーが惜しげもなく登場する等、原作の持つ情景が丁寧に再現されている。

 日本では、NHKがBSプレミアムで1990年から日本語版の放映を開始していて、再放送も行われた。最近ではBS11で字幕版が放送され10月末をもって完結している。

 TVドラマ化された『名探偵エルキュール・ポアロ』は殆ど観たが、それも複数回楽しませてもらったが、ポアロ・シリーズが秀逸なのは、単に名探偵が難解な事件のパズルを解いてゆくミステリー小説の醍醐味だけにあるのではない。事件を解決した直後に、ポアロと登場人物が人生の深みを述懐するシーンがさりげなく挿入されているが、この場面にはホロリとさせられるものが多い。ドラマの主人公ポアロを通じてアガサ・クリスティの人生観がさりげなく表現されているといっていい。

 TVドラマの最終回『カーテン(Curtain: Poirot’s Last Case)』は、ポアロ・シリーズの完結編で、数々の殺人の真実を暴いてきた名探偵ポアロの役割の「幕」として、ポアロが連続殺人鬼を突き止めて「一殺多生」の決断をして連続殺人に終止符を打つという「幕」に、ポアロ自身が老衰で死亡するという「幕」が重なるシナリオになっている。さらに『カーテン』は、半世紀(1924-1975)にわたって書き続けてきたアガサ・クリスティのミステリー小説の「幕」として綴られたのである。

 二つの世界大戦の時代を生き抜いたアガサ・クリスティの人生の幕がどういうものであったのかは、本人以外には知る由もないが、ポアロ・シリーズの読者、ドラマの視聴者は、自分の人生と重ねて「ポアロの幕」を吟味することができ、余韻を味わうのである。

祝高市首相誕生、歴史的意義と期待

プロローグ

 戦後に日本自由党と日本民主党が合体し、日本社会党との間で「55年体制」が始まった1955年から70年が経過した2025年10月21日、第104代首相に高市早苗氏が選出され、22日に高市内閣が発足した。70年に及ぶ戦後の政治体制に決別し、「失われた30年」から脱出して、「ポスト戦後80年」の時代に相応しい新体制構築に向けて力強い第一歩を踏み出したことになる。文字どおり外患内憂の難題に囲まれた船出ではあるが、日本の戦後が終わる大転換が始動したことをまずは素直に喜びたい。

戦後政治終焉のドラマ(ファクトの整理)

 この歴史的大転換はどのようにして起きたのか、最初に総括しておこう。

1)昨年9月28日に自由民主党総裁選が行われ石破茂氏が新総裁に選出された。第1回投票では、高市早苗氏が181票で石破茂氏154票を27票上回ったが、決選投票では「悪しき永田町の力学」が働いて、石破茂氏215票、高市早苗194票となり21票差で逆転された。

2)同年10月9日に石破茂首相は衆議院を解散した。同28日に第50回の衆議院議員選挙が行われたが、石破首相の期待に反して自公与党が惨敗した。以下に要約するように記録的な惨敗だった。

・自由民主党は256→190(66減)、公明党は32→24(8減)、両党とも議席を1/4 失い、自公与党で74票減少

・立憲民主党は98→145(48%増)、国民は7→28(4倍増)、両党で68票増加

3)今年7月22日には参議院議員選挙が行われ自公は参院でも過半数割れを喫した。

・自由民主党は114→101(13減)、公明党27→21(6減)、自公で19票減少

・一方、国民は9→22(13増)、参政党は2→15(13増)、両党で26票増加

4)翌23日、国政選挙で連続して惨敗したにも拘わらず石破首相は続投を表明した。一方、世論調査では52%が辞任すべきという結果だった。9月7日になって石破首相は「党内に決定的な分断を生みかねない」として辞任を表明した。

5)10月5日に行われた自由民主党総裁選で高市早苗氏が新総裁に選出された。

・第1回投票では高市早苗183(議員64、党員・党友119)、小泉進次郎164(同80、84)となった。党員の40%が高市氏を支持しており、二位の小泉進次郎氏に対する支持は28%に留まった。

・決選投票では高市早苗185(都道府県36、議員149)、小泉進次郎156(同11、145)で高市氏が完勝した。勝因は、党員の多数が高市氏を支持した結果、国会議員もその動向を無視できなくなったことにある。

6)10月10日、公明党が自由民主党に対し自公連立の解消を通告した。「保守のエース」である高市新総裁が誕生したことを受けて、公明党が連立解消の潮時と判断した結果だった。公明党の決断は青天の霹靂と受け止められた。この瞬間に戦後政治のタガとなっていた自公連立が突然に消滅し、これを転換点として戦後政治の枠組みが一気に瓦解を始めた。ポスト戦後80年の新体制に向けて大きく一歩を踏み出したといっていい。連鎖反応的に起きた一連の変化を列挙すれば、次のとおりである。

 ①自由民主党総裁選で党員の多数が高市氏支持を表明

 ②圧倒的な党員の勢いを受けて、自由民主党が新総裁に高市早苗氏を選出した

 ③参議院選では参政党と国民民主党が保守に軸足を置いた、基本方針を発表した

 ④以上の変化に追い詰められるように、公明党が連立を離脱した

7)10月21日、自由民主党と日本維新の会が連立体制を作ることで合意した。同日、高市早苗氏は衆参両院本会議の首相指名選挙で第104代首相に選出され、自民・維新による連立政権が発足した。10月22日、高市内閣が発足した。

 総裁選で党員票に込められた民意は、①自由民主党の維持ではなく変化を、②リベラルから保守へ復帰を、③党益ではなく国益を求めるものだった。

 元内閣官房参与だった谷口智彦氏が産経新聞正論に『自民「大テント党」瓦解のその先』と題した記事を寄稿している。22日に行われた参議院選挙の結果を踏まえた分析である。石破政権誕生から高市政権誕生に至る1年間に起きた政治体制の変化について、本質を抉り出す描写となっているので、以下に紹介する。(7月24日産経)

<自由民主党は英語なら大テント党とでも呼ぶべき大きな幕屋であって、中では何でもござれだった。右であれ多少の左であれ。但し、天幕を支持したのは保守の柱一本で、近年は故安倍晋三元首相が両の腕でこれを支えた。・・・安倍氏がいなくなった。柱からは(旧安倍派という)針金様のステーが何本も延び地面に刺さっていたけれど、これは岸田文雄前首相が根こそぎ外した。・・・われわれは7月20日、参院選挙の開票とともに、天幕は吹き飛び幕屋が倒れる音を確かに聞いたのである。・・・(自民党の)立党はちょうど70年前だ。・・・私有財産制と日米安保の護持にさえ誓いを立てるなら後は委細構わず、自民党は大テント党になった。>

<全政党が福祉充実を主張し、戦争にまつわる怖そうな話は当面箱にしまっておくことにした時期が、かくして生じた。・・・共産党の隣国が超大国化し、人類史に超絶する軍拡を続けて世界秩序を振り回すだろうなどと、誰ひとり思わない無邪気な頃だった。>

<箱の封印を開いて自尊自立と自衛の道に日本を導こうとした安倍氏の同志たちは、これからという時に追放の憂き目にあう。しかして自民党の、終わりの始まりだ。・・・自民党から保守主義を奉じる人々が去ったか去ろうとしている今、天幕のないかつての大テント党はどこに行こうというのか。往時、日本政治にあったかもしれない定常状態はもうない。事態はつとに流動している。ここに行くのだと明確に声を挙げる政治家が一人また一人と現れない限り、有権者の不満は鬱積する。>

石破茂前首相から高市早苗首相へ、ドラマの解釈

 谷口智彦氏によるこの描写は、高市首相誕生に至る政治体制の変化の本質を理解する上で、とても示唆的である。この認識を踏まえて、上述した「戦後の政治体制崩壊のドラマ」に解釈を加えたい。

 まず戦後政治体制を瓦解させるドラマの指揮を執ったのは石破茂前首相である。彼の言動は国民、特に自由民主党を支持してきた保守層に徹底的に嫌われた。それでもそんなことは無視して居座りを決め込んだため、自由民主党支持を放擲する動きが顕在化し拡大した。

 その動向は衆議院議員選挙で確定的となった。自由民主党は256→190へ66票も議席を失った。何と1/4の議席を失う壊滅的な惨敗だった。特に注目すべきは、参政党と国民の大躍進であり、これまで自由民主党を支持してきた若い世代が<大脱走>した結果と考えられる。それでも石破総理は居座った。9ヵ月後に行われた参議院選挙でも自由民主党は惨敗し、衆議院に続き参議院でも少数与党に転落した。ここまで追い詰められて石破茂首相はようやく辞任を表明した。

 次の新総裁には、党員からの圧倒的な支持を得て高市早苗氏が就任した。これをもって戦後自由民主党を形作ってきた枠組みの崩壊が決定的となった。高市新総裁に期待されたのは、自由民主党の解党的出直しだった。彼女が総裁選を制した理由は、他の候補では解党的出直しという荒業は断行できないと評価されたからである。

 そして戦後政治体制の瓦解を決定的にした事件は、公明党からの連立離脱通告だった。これで名実ともに戦後政治の枠組みが消滅した。石破茂氏が戦後政治を形成する自由民主党を瓦解させ、斉藤鉄夫氏が自公連立を葬ったのだ。

 自由民主党に籍をおく大方の政治家にとって、自公連立の解消はショッキングな事件であったに違いない。誕生したばかりの高市体制にとっても、衝撃的な逆風だと受け止める意見が少なくなかった。

 しかしこれは「評価関数」の問題でしかない。どういうことか。まず「戦後体制を維持する」ことに評価点を置けば、とんでもない逆風であったことは事実に違いない。しかし外患内憂の情勢に対処するために「戦後体制を刷新する」ことに評価点を移せば、自公連立解消は必須条件となり、願ってもない天祐となったのである。

 こうして自らの信念に基づく政策を断行しようとする高市早苗首相の前に立ち塞がる障壁が一瞬にして消滅した。そう断言する理由は三つある。第一に、連続した惨敗を喫した自由民主党は「解党的出直し」を高市氏に一任する他ないことだ。第二に、思い切った行動に対してブレーキとなる自公連立が解消したことだ。そして第三に、基本政策を同じくする日本維新の会との連立が実現したことである。公明党から日本維新の会へ、連携のパートナーが僅か11日で移行を完了したことが、歴史的変化を象徴している。

 振り返ってみると、ドラマを演じた立役者は4人いる。第一は、本人にその自覚はないに違いないが石破茂氏である。2024年の衆議院議員選挙と2025年の参議院議員選挙で解党的惨敗を招き、その責任をとって辞任し、この状況を打破できる後継者は高市早苗氏以外にいないという情勢を作った功績は、日本国にとって僥倖であった。

  第二の立役者は、自公連立の解消に踏み切った斉藤鉄夫氏である。この決断によって戦後の政治体制が氷解した。最も忌避する高市早苗氏が自由民主党新総裁に選出されたことから、「もはやこれまで」という決断が促されたように思える。しかし問題の本質は自民党の変化にあるのではない。衆議院議員選挙で25%、参議院議員選挙で22%の議席を失った公明党自身にある。自民党は高市新総裁の下に解党的出直しに挑戦することが決まったが、公明党はどうするのか?

 第三の立役者は、日本維新の会代表の吉村洋文氏と、共同代表の藤田文武氏である。彼らは基本的な歴史観と政策が一致すると判断し、自由民主党との連立を決断したのだった。

 そして第四の立役者は、言わずもがな高市早苗首相その人である。単純化して言えば、自由民主党内の反高市派議員、反高市の野党、更には公明党との連立解消という逆境の中を強かに生き抜いて首相の座を掴み、自民・維新連立を取りまとめたことは、高市早苗氏持ち前の熱意と覚悟がもたらした賜物である。

現状維持かそれとも変化か

 今後自民・維新連立の合意に基づく政策の実行に反対する野党の抵抗が予想される中で、どこまで実行できるのか不透明な部分があるものの、自民・維新連立の合意文書は驚嘆に値するものだ。そこには国際情勢が激変した中で、戦後70年の安眠を打破するのだという不断の意思が、リアルポリティクスとして直截簡明に表現されている。

元外交官の宮家邦彦氏が次のように評価している。(10月23日産経)

<自民・維新合意は内容も極めて具体的だ。・・・長年日本の安保政策を学んできた者にとって、今回の政策合意は夢のような話、にわかには信じられない内容である。・・・もし本当にこれらを実行するならば、日本の安保政策は飛躍的に向上する。本来なら冷戦時代に全て実施しておくべきだった政策ばかりだが、冷戦後は根拠のない楽観主義が蔓延し、必要な改革は棚上げされた。その状況は過去26年の自公協力時代も継承された。これら政策の実現は容易ではないが、今こそ本気で取り組むべき時だ。>

 宮家邦彦氏は、別の投稿では高市首相に対してエールを送っている。(10月9日産経)

<選挙に勝つ戦術と統治を行う戦略は異なる。高市総裁は統治にギアシフトし、現実に応じて、必要であれば、君子豹変すべきではないか。高市氏を支持してきた人も、そうした豹変を統治に不可欠として受け止めて欲しい。今の日本の保守政治を守る首相は彼女しかいないのだから。>

 政治家の立ち位置を政党によってではなく、「戦後体制の維持か変化か」何れを求めるかで分類するならば、石破政権までの自公両党は明らかに現状維持に陣取っていた。それに対して参議院選挙で大躍進を成し遂げた参政党と国民民主党は、変化を求める立場を鮮明に打ち出した。公明党の離脱と維新との連立いう天祐を得て、高市早苗氏は信念をもって大胆な変化を起こすフリーハンドを手に入れたことになる。

 「維持ではなく変化だ」という流れに先鞭をつけたのは国民である。ズバリ言えば、リベラルや中道の政治家よりも、国民の方が敏感に外患内憂の現状に危機感や恐怖感を感じていたのである。その目線で政治家の言動を評価するならば、解説を饒舌に述べるものの、結局何をするのか最後まで曖昧な石破茂氏よりも、やるべきことを直截簡明に表明する高市早苗氏の方が有事のリーダーとして遥かに信頼できることは明らかだった。

 振り返れば、総裁選で繰り広げられた候補者の発言も同じで、抽象的な美辞麗句の羅列で具体的に何をするのか、どう対処するのかを明言しない政治家が嫌われたことは明らかだ。それと比べて高市早苗氏の発言には無駄な言葉がない。言い換えれば、高市氏とその他の候補者を決定的に分けたのは、外患内憂の現代において、明確な世界観、歴史観、国家観を持っているかどうかにある。それがない政治家の言葉には具体性と説得力が欠落しているのだ。政治家が備えるべき資質として、そのことを如実に物語っているのが、連立に向けて高市氏と対面で意見交換を行った日本維新の会共同代表の藤田文武氏が発した以下の言葉である。

<高市さん、狂ってください。これからあらゆる抵抗があります。それを押し切って日本の大改革のためにはある種の狂気が必要です。そのために私たちは国民に覚悟を示すんです>

<わかった!やるかっ!>

 自民・維新連立を成し遂げたのは、この会話に象徴されるように、双方の熱意と覚悟だったということだ。国民目線で眺めていると、他の政党の代表の発言には、この時の二人が見せた熱意と覚悟に匹敵するものを感じられなかったのである。

 国民民主党の玉木雄一郎代表が、自民・維新連立の動きが顕在化した10月15日、野党三党が首相指名選挙での対応について協議した折に、日本維新の会が自由民主党との連立を見据えた政策協議に入る方針を示したことを聞いて、「自由民主党とやるなら『最初から言ってよ』という感じだ」と愚痴をこぼしたという。

 当事者としてもっともな言い分だが、他人を非難する前に自分の未熟さを恥じた方がいい。何故なら、自由民主党と日本維新の会が「熱意と覚悟」の話をしていた時に、国民民主党と立憲民主党は「打算的な数合わせの話」を協議していたからだ。日和見をしていたのは玉木氏の方で、日本維新の会ではない。

本格政権の始まり

 10月24日の産経新聞は、高市氏が政治家2年目のときにまとめた『高市内閣成立』と題した持論について紹介記事を掲載している。それは「2010年10月に高市早苗自民党総裁が内閣総理大臣となった」という書き出しに始まり、高市政権の方向性として、以下の5つの柱を掲げている。今から15年以上前に書かれたものだが、高市氏の人となりが良く分かるだけでなく、彼女が並みの政治家ではないことを物語っている。以下に引用する。

①「国家の主権と名誉」、「国民の生命と財産」を確実に守り抜く政治を実現する

②「国益」の追求を明確な目標として打ち出す

③行き過ぎた結果平等を廃し、「機会平等」が保障される社会を創る

④国民の「自由と権利」を守ると同時に「責任と義務」の大切さを訴え社会秩序を再構築する

⑤「私たちの時代の私たちの憲法」を作り上げる

 産経の記事は続けて、当時の高市氏の心境を紹介している。

<現在の私は常に、自分が総理だったらこの件にはどう対応するかと考えながら、その時々の政治課題に取り組むことが習慣になっている。>

<先輩たちから受け継いだ素晴らしい国、大切な日本。もう一度この国の活力を取り戻し、希望と安心に満ちた社会を次の世代に贈りたい!社会に長く貢献された先輩たちには、自らの努力の果実としての豊かな老後をうんと楽しんでいただきたい!それが私の夢だ。一度っきりの人生、そのために全てを賭ける覚悟だ。志と勇気と行動をもって・・・>

 戦後政治からポスト戦後80年の政治へ、日本は大きく転換する千載一遇の機会に恵まれた。文字どおり現在の政治情勢は外患内憂で難題が山積している。その中で日本は戦後70年の政治的停滞と30年の経済的低迷を経て、歴史的な大転換の時機を迎えたのだ。大きく俯瞰すれば、石破茂氏が演じた役回りは戦後政治体制を終わらせることであり、高市早苗氏に期待される役割は、大転換を成し遂げて新たな未来像を示し、それに向かって日本が活力と自信を取り戻して外患内憂の諸問題に立ち向かってゆくリーダーシップである。

 こういう難題に立ち向かう政治家の登場に心から拍手を送りたい。

エピローグ

 さまざまな逆風の中で、高市政権を誕生させたのは、高市氏ご本人の熱意と覚悟であったことは間違いないが、同時に忘れてならないのは、このドラマの展開に少なからぬ影響を与えたのは、保守に軸足を置く国民の強い支持が明白に打ち出されたことだった。昨年9月に石破政権を誕生させた自民党に対し、はっきりとノーを意思表明したのは国民だった。それがなかったら今回の総裁選で高市氏が選出されたかどうかは分からない。

 バブル崩壊以降30年余に及び停滞感が日本全体を覆ってきたが、議会制民主主義における有権者の責任がはっきりと行使されたことが、戦後政治の終焉というドラマを起こし、政治体制の大転換を起こしたのである。戦後政治の終焉と同時に、政治を政治家に丸投げしてきた戦後の民主主義も終わった事実を、我々国民は肝に銘じる必要がある。

 もう一つ大事なことがある。「戦後政治の終焉」というドラマの第一幕はなんとか終わったのだが、ドラマは既に「ポスト戦後80年の政治体制の構築」という第二幕へ移行している。高市政権はこれからさまざまな難題と反対に直面するだろう。戦後政治の終焉と転換を支持した有権者は、「高市さん、あとは宜しく」と高みの見物を決め込むことなく、新政権に対する強い支持を続けなければならない。議会制民主主義を成熟化させることなく、政治体制を刷新することはできないということだ。

参照資料:

1)「自民大テント党瓦解のその先」、谷口智彦、産経2025.7.24

2)「外交安保、こうも違うのか」、宮家邦彦、産経2025.10.23

3)「高市新総裁、君子豹変せよ」、宮家邦彦、産経2025.10.9

4)「四半世紀前描いた5本柱」、村上智博、産経2025.10.24

戦後政治脱却の時機

7/20参議院議員選挙(総括)

 7月20日に参議院議員選挙が行われた。自民党は大敗した。戦後政党である自民党、公明党、共産党が大きく議席を減らし、国民民主党、参政党が躍進した。自公与党の議席は、選挙前の141から122に大幅に減少し、過半数125を割り込んで少数与党となった。

 選挙前と選挙後の議席の推移をみると、政党が見事に三つのグループに分かれたことが注目される。即ち、衰退した党、躍進した党、低迷した党の三つである。

  ・衰退した党:自民党(-13)、公明党(-6)、共産党(-4)

  ・躍進した党:国民民主党(+13)、参政党(+13)

  ・低迷した党:立憲民主党(±0)、維新の会(+1)、他

 この事実はどう理解すればいいのだろうか。以下に順を追って考察する。まず国民の審判は、以下の三点に要約できる。

 第一は、石破政権及び自民党に対する失望である。参議院選挙で衆目を集めたのは消費税減税を巡る与野党の対立だったのだが、実体は石破政権に対する信任/不信任だった。石破総理に対する国民の失望と怒りが沸騰していたからだ。しかし石破茂という人物を総理大臣に選んだのは自民党であるから、好き嫌いによる反射的な投票を無視すれば、真の争点は自民党政治に対する信認/不信任の選挙だったことになる。

 第二は、自民党、公明党、共産党という戦後政治に長く関与してきた古い政党に対する審判である。つまり国際環境が激変しているというのに、戦後政治を引きずったまま現状維持を続けてきた古い政党の怠慢に対する拒否反応があった。

 そして第三は、二つの失望に対する反動としての、新しい政党に対する期待の現われである。以下に掘り下げて論じる。

自民党の敗因

 自民党並びに戦後政党の敗因を具体的に整理すると、次のとおりである。

 第一に、「国民の不安」を払拭できなかったことだ。ここで「国民の不安」は四点に集約できる。即ち、①物価高による生活不安、②少子化・年金に対する将来不安、③外国人に対する不安、④国際情勢の激変を踏まえた安全保障不安だ。(産経7/21参照)

 第二に、重要なテーマについて保守層の期待に応えなかったことだ。即ち、①憲法改正は何ら進展がなかった、②安定的皇位継承については結論を先送りした、その一方で、③選択的夫婦別姓を推進するような姿勢を見せた。これで自民党がもはや保守政党ではないことが明らかになった。

 保守系の民間団体である日本会議(谷口智彦会長)は、7月24日に参議院選挙について見解を発表している。それによると、「自民党は近年、憲法改正や男系の皇統護持など国柄に関わる重大事件に対してすら、支持層に明確な姿勢を示すことができなかった」として、「与党の過半数割れは現在のリベラル化した自民党に対し保守層がノーを突き付けた結果だ」と指摘している。(産経7/25参照)

 敗因について更に考察を加えよう。敗因は石破首相の言動に対する国民の怒りと、自民党の政策に対する失望の二層として捉えると分かり易い。象徴的な例を四つ挙げて説明する。

 第一は、消費税減税を巡る答弁である。「失われた30年」にはさまざまな原因があるが、主たる責任は経済成長よりも財政健全化を優先してきた自民党にある。その象徴が「失われた30年」の間に実施された消費税の増税(5%→8%→10%)だった。「増税は好景気の時に実施し、不景気になったら減税する」のは先進国に共通する経済政策の基本である筈だが、自民党は減税らしい減税をしたことがない。その結果が「失われた30年」だったのだ。(資料1参照)

 野党が異口同音に「消費税減税」を主張したにも拘わらず、石破首相と森山幹事長が断固としてそれを拒否した姿勢は、「失われた30年を40年にするつもりか」という程の国民の怒りを招いたと言ってよい。

 第二は、戦後80年間全く進展しなかった憲法改正に対する責任である。自民党にとって憲法改正は結党以来の党是だった筈だが、現実はいつの間にか自民党こそが憲法改正を足踏みさせている最大勢力となった。安倍総理が主張していた「戦後レジームからの脱却」を推進するのが自民党の使命だと期待してきたが、実際には自民党は現状維持の政党となって、「進化を忘れたゾンビ政党」と化した。(資料2参照)

 そして第三は、応援演説で飛び出した石破首相のトランプ政権に対する「なめられてたまるか」発言である。この一言で、「この人物はガキ大将レベルなのだ」という失望が確定的になった。(資料3参照)

 第四は、中国が如何に挑発的な行動をしようとも、「黙して抗議せず」の対中姿勢である。国民目線からみれば、「高圧的ではあれ、交渉をしているに過ぎないトランプ大統領に対して啖呵を切るのであれば、理不尽な行動オンパレードの中国に対して毅然と対処してみせよ」という心理が投票に少なからぬ影響を与えたことを軽視すべきではない。保守層からすれば、「親中トリオ」と称される石破首相、林官房長官、岩屋外務大臣の対中姿勢は看過できないものであった。(資料4参照)

 前中国大使を務め、中国に対し毅然と対処してきた垂秀夫氏が自民党で議員を前に講演し、次のように述べたという。誠にその通りだと思う。

 <国家の外交上、一番大事なことは米国と中国だ。米国は言うまでもないが、なぜ中国に行かないのですか。中国を良く視察した上で、日本の主張をしっかり伝えるべきだ。遠く離れた日本で、中国はけしからんと吠えても、中国は何も変わらない。もちろん中国の主張を唯々諾々と受け入れるだけなら訪中しない方がいい。>(資料5参照)

石破首相vs自民党vs国民、問題の構図

 7月23日に自民党本部で石破首相と三人の首相経験者の会談が行われた。石破首相は会談後の記者会見で「私の出処進退について一切話は出ていない」と言い切ったが、25日の産経紙面によれば、三人の首相経験者はそれぞれ次のように発言していたことが明らかとなった。

  ・麻生氏:「石破自民党では選挙に勝てないことが明らかとなった」

  ・岸田氏:「政権をどうするのかをハッキリ言わないと党はもたない」

  ・菅氏:「党の分裂はまずいよね」

 三人の発言は何れもが、問題を「石破首相vs自民党」の構図として捉えている点に注目してほしい。自民党に陣取ってお手並み拝見をしてきた領袖が、現役首相の責任を追及している構図である。

 しかし「現在世界は歴史の転換点に立っている」という視座から眺めれば、三人の発言は問題の本質を外していることが明らかだ。それだけでなく自民党が抱える深刻な病巣を浮かび上がらせている。つまり国民目線から眺めれば、問題の本質は「石破首相vs自民党」の構図に潜むのではなく、「自民党vs国民」の構図にあるからだ。

 補足しよう。激変している国際情勢の波がやがて東アジアにも押し寄せようとしているにも関わらず、自民党は未だに抜本的な対策を講じていない。昨年の衆議院選挙、都議会選挙、今回の参議院選挙において、自民党を支持してきた保守層が自民党に決別したことの意味は、自民党は既に保守政党ではなく、今後も保守に戻ることはないと見切ったことを意味している。明日起きるかもしれない有事事態に対して何も行動を起こさない「ゾンビ政党」となったことを見抜いたのである。

戦後政治のまま進化を怠った自民党

 元内閣官房参与で安倍元首相のスピーチライターを務めた谷口智彦氏が、戦後から現在に至る自民党政治を俯瞰した示唆に富んだ記事を書いている。以下に要点を紹介する。(資料6参照)

<自民党は「大テント党」だった。右も多少の左も同居していた。ただしテントを支えていたのは安倍晋三という一つの柱だった。そして安倍氏が居なくなった。(安倍派の幹部という)細いステーが辛うじて支えていたのだが、岸田が根こそぎ取っ払った。そして7月20日の参院選の開票と共に、テントが吹き飛び幕屋が倒れる音を聞いた。>

 とてもリアルな描写である。続いて戦後政治において自民党が果たした役割については、次のように描写している。

<自民党は70年前に誕生した。ソ連の工作による共産化の中、自民党だけは反共を掲げた。日米安保体制堅持を主張するのがいかほど不体裁でも、岸信介が奮闘した。私有財産制と日米安保護持にさえ誓いを立てれば、一切構わず自民党は受け容れて大テント党になった。全政党が福祉充実を主張し、戦争にまつわる話は当面封印しておくことにした。かくして全国民が総自民党になったような時代となった。後に露中の共産主義独裁の隣国が超大国となり軍拡を続ける事態が到来することなど、誰も想定しない無邪気な時代だった。>

 更に左派に対しては、次のようにその欺瞞性を指摘している。

<左派は往時と違って資本制を否定せず、日米安保も渋々受け入れる一方で、凡そナショナルなものは憎悪の対象とする。従って、軍備増強を急ぐ中国に対しては文句を言わない。何故なら真剣に対峙しようとすれば、自らをナショナルな存在に変えなければならないからだ。>

 最後に参議院選挙後の自民党については、次のように展望する。

<参議院選挙をもって自民党から保守主義を奉じる人々が去ったか、去ろうとしている今、大テント党はどこに向かうのか?国際情勢は激動しており、日本の進路を明確に示す政治家が出現しない限り、有権者の不満は鬱積する。>

 自民党が安倍氏が辛うじて支えてきた大テント党だったことに思考が及ばない岸田・石破両首相は、その自覚がないままに大テント党を潰す役割を演じている。「このままでは自民党が持たない」と憂う政治家諸氏は、大テント党が崩壊する宿命にあることを理解しておらず、崩壊が既に始まっていることに気付いていない。戦後80年を迎え大テント党の役割は終わったのだ。本質原因は石破氏個人にあらず、保守の矜持を忘れ進化を拒んできた自民党にある。

戦後政治の終焉

 このように俯瞰してみると、自民党の大敗は必然の帰結だったことが分かる。カーチス名誉教授が述べたように、「トランプ大統領が就任した今年1月20日は、米国中心の世界秩序も日本の戦後も終わった」のであり、現代の政治には「世界は今歴史の転換点に立っている」という認識が不可欠となったのである。では「日本の戦後が終わる」とは、一体どういうことだろうか?

 アメリカ覇権の時代が終わりつつある国際動向の中で、トランプ大統領は、MAGAと関係が薄い戦争や紛争から手を引こうとしている。ロシアの脅威増大に対しNATOが結束を強め、アメリカの支援を何とかつなぎ留めようとする一方で、防衛費をGDP比5%にまで高めることで合意したことはその証左である。アメリカのこの動向は東アジアとて例外にはならない。中国や北朝鮮の脅威増大に対し、日本はアメリカとの同盟関係を維持する努力を怠らない一方で、「自分の国は自分で守る」防衛能力を強化し自立を高めてゆく他ない。「日本の戦後が終わる」とはそういうことである筈だ。

 7月に来日したアメリカのコルビー防衛次官からGDP比3.5%の防衛費増強を要求されたことに対して、「日本の防衛費は日本が決める」と大見えを切った石破首相だったが、選挙を直前に控えた故の演技で済ますことはできない。

 進化を忘れた政党は自民党だけではない。公明党、立憲民主党、共産党は自民党に負けず劣らず進化から取り残された政党である。今年は戦後80年であるというのに、進化を忘れた政党の議論には、「国際情勢の激変をどう認識するか、それに対し日本はどう対処するのか」についての論点がすっぽりと欠落している。

 二つの国政選挙で保守層が訴えた声なき声は、一言で表現すれば、「戦後政治に終止符を打て。激変する国際情勢を生き残り、国益を追求し実行する政党に進化せよ。」ということだろう。難しい理屈は分からずとも、ウクライナ戦争が起き、イスラエル対イラン戦争が起き、アメリカと中国の間で既に冷戦が始まっていて、トランプ政権は世界を相手に高関税というディールを仕掛けている緊迫した情勢は、肌で感じることができるものだ。その情勢下で日本は如何に生き延びてゆくのかについて、「なめられてたまるか」と啖呵を切る気概があったなら、「その強い意思と強かな戦略を語ってみよ」というのが保守層の本音だった筈だ。

 既に他の記事で述べてきたように、凡そ変化には、線形変化(Improvement)、非線形変化(Innovation)、不連続変化(Revolution)があるが、戦後政治が終わるという変化は、不連続な変化とならざるを得ないだろう。国際情勢が激変してゆくのに対して、自民党政権は憲法改正は固より、防衛費増強、核抑止力の保持などの重要テーマについて、何も手を打ってこなかったからだ。あるべき姿に対する現実のギャップは拡大の一途にあり、やがて革命的な変化が避けられない。

 自民党内部にはこの危機を乗り越えるために一度下野したらという意見があるという。野党連合は早晩失敗するからまた出番が来るという戦術論だ。自民党にノーを突き付けた保守層が希求するのは戦後政治体制の解体であり、真の保守政党の登場である。いつぞやの民主党政権の誕生と崩壊と同じプロセスを辿ることはないと断言しておきたい。

明治維新に酷似する令和の維新

 既成政党の凋落とは対照的に、今回の選挙で躍進を遂げたのは参政党と国民民主党だった。選挙に勝って議席を増やしたことは誠に喜ばしいことではあるが、自民党の凋落が深刻となった現在、これらの党に求められる最優先の使命は、ポスト戦後80年時代の政治を担う「国益ファースト」の保守の集団を結成することにある。

 新しい歴史教科書をつくる会の顧問を務める藤岡信勝氏が、参政党躍進の勝因について以下のように解説していることは興味深い。(資料7参照)

<参政党が躍進した背景には、参政党候補者が共有する歴史観がある。参政党は「日本人ファースト」をスローガンに掲げたが、草の根の地域組織を持ち、他党とは比較にならない程、党員向けの勉強会を充実させている。日本の歴史に誇りを持つ歴史観をバックボーンとしているが故に、候補者の演説には単なる話術ではない真実さと深さが伴っている。>

 振り返ってみると明治維新は、日本が中世から近代に向かう大転換だった。明治維新で起きた変化を簡潔に描写してみれば、例えば次のようになるだろう。

  ①当時の国際情勢は、植民地化を争う西欧列強が日本に押し寄せた時代であり、

  ②未だ封建社会にあって、情勢の激変に巧く対応できない徳川幕府に対し、

  ③危機感を抱いた西国雄藩の下級武士たちが決起して市民革命を起こし、

  ④封建社会から議会制民主主義・資本主義へと政治形態の大転換が起きた。

 昨年の衆議院選挙、今回の参議院選挙を同じ文脈で描写すれば、以下のように明治維新と酷似していることが分かる。

  ①現在の国際情勢は、アメリカ覇権体制から多極化へと向かう激変の時代であり、

  ②未だ戦後政治のままで、情勢の激変に巧く対応できない自民党政権に対し、

  ③危機感を抱いた保守層が不支持を表明し、参政党に象徴される若い政党が台頭し、

  ④戦後政治から「ポスト戦後80年時代」の政治への大転換が始まった。

 政権をとれない小規模の政党が乱立する余裕は今の日本にはない。一方で短期間で急成長した政党には経験知がない。昨年の総裁選で石破茂氏に投票しなかった反リベラルの自民党議員が持つ経験知を取り込んで、幕末の薩長同盟のように一日も早いリアル・ポリティクスを担う保守政党が大同団結して真の保守政党となることを願いたい。

参照資料:

1.「森山裕自民党幹事長の≪消費税を守り抜くは国民にケンカを売っている、減税をポピュリズムと言う政治家たちの傲慢すぎる思考回路」、藤井聡、現代ビジネス、2025.7.2

2.「“護憲”に転じた自民vs不満爆発の高市氏」、尾中香尚里、JBPress、2025.5.22

3.「石破茂総理の≪なめられてたまるか≫発言が、トランプとの関税交渉をぶち壊す、これは日本外交史上に残る最大級の失言だ」、藤井聡、現代ビジネス、2025.7.12

4.「対中姿勢で国益損なうな」、産経「主張」、2025.7.15

5.「議員よ、中国で国益示せ」、垂秀夫、産経、2025.7.13

6.「参政党躍進の背景にある歴史観」、藤岡信勝、産経「正論」、2025.7.25

7.「自民≪大テント党≫瓦解のその先」、谷口智彦、産経「正論」、2025.7.24

 トランプ大統領の発言

 

 ジェラルド・カーチス、コロンビア大学名誉教授が「トランプ大統領が就任した今年1月20日をもって、米国中心の世界秩序は名実ともに終わった。同時に日本の戦後も終わった。日本の政治家はその事実を正面から受け止めていない。」と指摘した。(https://kobosikosaho.com/world/1392/) 

 政治家が戦後を終わらせるのを待つのではなく、国民が戦後を終わらせる政治家を選ぶ行動を起こさなければならない。政治を政治家に丸投げしてきた時代は終わったのだ。

NATO首脳会議

 トランプ大統領は6月25日にオランダで開催されたNATO(北大西洋条約機構)首脳会議に出席した。この際、アメリカ軍がイランの核施設を攻撃したことについて、第2次世界大戦での広島と長崎への原爆投下になぞらえる発言を、1回目はルッテ事務総長との会談で、2回目は記者会見の場で繰り返した。トランプ大統領の発言は次のとおりである。

Trump on his strikes of Iran: “I don’t want to use an example of Hiroshima. I don’t want to use an example of Nagasaki, but that was essentially the same thing. That ended that war, this ended the war.”

 忠実に和訳すれば、次のとおりである。

 <広島や長崎の例を使いたくはないが、本質的に同じことだ。(広島・長崎への原爆投下)があの戦争を終わらせたように、(今回のイラン核施設への攻撃)が今回の戦争を終わらせたのだ。>

 トランプ大統領の発言はイランの核施設への攻撃を正当化するものだが、発言が問題なのは、広島・長崎に対するアメリカの原爆投下を改めて正当化することになる点だ。先の大戦において、「アメリカは戦争を終わらせるために核兵器を投下した」というのがアメリカの政治家に共通する<歴史認識>なのかもしれないが、そこには核兵器の使用を正当化しようとする意図と後ろめたさが見え隠れするのである。

 多数の無垢の市民を殺戮し生存者に対しても生涯にわたって塗炭の苦しみを与えた核兵器の使用は断じて正当化できるものではない。ルーズベルト大統領による執拗な挑発の結果、真珠湾攻撃に踏み切ったことが日本が犯した重大な歴史的誤りであったと同時に、原爆投下はアメリカが犯した歴史上の重大な誤りであり、かつ人道上の犯罪でさえある。しかもウクライナ戦争においてプーチン大統領が繰り返し核兵器の使用に言及したことを踏まえると、今回のトランプ大統領の発言が如何に軽率なものであったかは言うまでもない。

 「如何なる理由であれ、核兵器を二度と使用することがあってはならない」というのが日本政府の立場であり、そのメッセージを世界に繰り返し発信し続けることが歴史において日本が背負った役割である筈だ。そうであるならば、日本政府には「トランプ大統領の発言は不適切である」と明確に打ち消しておく責任がある。これは日本の戦後を巡る日米の外交戦であるだけでなく、ウクライナ戦争におけるロシアに対する外交戦の一環でもある。

 トランプ大統領の発言に対し、林芳正官房長官は「歴史的な事象に関する評価は専門家により議論されるべきものだ」として論評を避けた。政治の領域の問題を、歴史の評価の問題としてすり替えて政治家の責任から逃げたとしか言いようがない。政治家による誤った発言を打ち消すことができるのは政治家でしかない。これが大統領の発言である以上、国家と国民を代表して石破首相が是々非々で反論し、訂正しておかなければならない。

 もし同様の発言をロシアや中国及び北朝鮮の指導者がしたとしたら、果たして林官房長官は何とコメントしただろうか?「日本政府として、唯一の被爆国として大変遺憾である」という主旨の発言をしたのではないだろうか?もし相手によって対応がブレるとしたら、プリンシプル(行動原則・規範)がないことになる。政治家たるものは、相手が誰であれ、プリンシプルに従って是々非々に政府としてのコメントを出し抗議しなければならない。

「政界十六夜」、世界に背を向ける首相は退場せよ

 産経新聞特別記者の石井聡氏は、6月26日の紙面で、アメリカによるイラン攻撃に関する石破政権の対応に疑問を呈している。要点を以下に紹介しよう。

 中東情勢で世界が緊迫している。それに対する日本政府の対応には不可解な点が多い。その一つを挙げれば、アメリカによるイランの核施設攻撃に対して見解を求められた石破首相は、「これから政府内で議論する」と先送りを認めたことだ。

 もう一つは、7月1日に予定されていた「日米の2+2」を日本側が見送っただけでなく、首相がNATO首脳会議への出席を見合わせるという、後ろ向きな外交判断が相次いだことだ。何よりも中東情勢で世界が緊迫しているときに、欧米首脳と直接意思疎通を図る機会を自ら放棄するなど、目が点になる思いだ。外交が不得手なために逃げ回っているのだとすれば、参院選の結果を待たずに職を辞してもらうことが日本の国益だ。誠にその通りである。

「正論」、核不拡散妨げる現実に目向けよ

 内閣官房副長官補として安倍政権を支えた兼原信克氏が、6月26日の産経紙面にアメリカが行ったイランの核施設攻撃について寄稿している。とても重要な点を指摘しているので、要点を紹介したい。

 今回イスラエルとアメリカはイランの核保有を容認しないとの姿勢を貫いて、軍事力を行使してイランの核施設を破壊した。一方第一次政権のとき、トランプ政権は同様に核兵器開発を急ぐ北朝鮮に対しては融和政策をとった。「核兵器の拡散阻止という評価軸で考えたとき、果たして北朝鮮とイランに対するアメリカの対処の何れが正しかったのか」と兼原氏は問題提起している。

 イランの核施設攻撃に対する政府見解と同じ重みで、日本はこの問いにプリンシプルをもって答える必要がある。何故なら、日本は北朝鮮の核保有阻止をアメリカに一任してきたのであり、その結果北朝鮮の核保有阻止に失敗し、日本は日本海を挟んで露中に加えて北朝鮮という核保有国と向かい合うことになったからだ。

検証:戦後80年の予算案

プロローグ

 昨年末に、令和7年度予算案が閣議決定された。R7年は戦後80年、昭和100年の大きな節目の年である。特にトランプ氏が1月20日に再び大統領に就任すると、膠着状態にある国際情勢が一斉に動き出す展開になることが予想される。

 『トランプ氏は誰と何と戦っているのか?』で書いたように、トランプ次期大統領は4年の間に次の三つの戦いを挑もうとしている。

 第一(国内)の戦い:民主党・左派・DS集団に対して「行き過ぎたイデオロギーを是正して、本来のアメリカを取り戻す」戦い (※DS: Deep State)

 第二(国際社会)の戦い:グローバリズム、中露イラン等の専制主義、地球温暖化というプロパガンダ、それとマイノリティが権利を声高に要求する場と化したさまざまな国連機関等に対して、アメリカのナショナリズムと国益を取り戻す戦い

 第三(NATO及び同盟国)の戦い:アメリカ1強の時代に、世界の「3K」の任務をアメリカに委ねてきたNATOや日本等の同盟国に対して、「平和と繁栄を望むのであれば応分の負担をし役割を担え、それが嫌ならNATOから脱退し米軍基地を引き払う」という戦い (※3K:きつい、汚い、危険)

 政治家は幾ら美しい言葉で未来を語っても、それを本気で実現しようとすれば予算に盛り込まなければならない。果たしてR7予算には、戦後80年以降日本はどういう国を目指すのか、国際社会が抱える課題に対し日本はどのような役割を担うのかという、大きな命題に対する布石が盛り込まれているだろうか。

 R7予算案が閣議決定されたのは12月27日のことである。予算案に対する評価は大手新聞が報じているので、それを参照していただくとして、ここでは主として12月29日の産経新聞記事を参照して、大局的な視点から予算案を検証してみたい。

編成方針について

 はじめに財務省が「R7年度予算のポイント」を公表しているのでそこから始めよう。(資料1参照)  

 資料1の冒頭には「R6経済対策・補正予算と合わせて、賃上げと投資がけん引する成長型経済へ移行するための予算」と明記されている。一方「経済再生と財政健全化の両立」という項目には、「経済・物価動向に配慮しつつ、重要政策課題に対応する中で、財政健全化を着実に推進」と明記されている。

 細部の数値を見ずとも、この文言を読むだけで「これでは強力な外部要因が働かない限り、2025年度に日本がデフレ脱却を高らかに宣言する日は到来しない」ことを確信する。そう断言する理由は二つある。

 第一は、経済成長を取り戻すことと財政再建は二律背反の関係にあり、同時には実現できないということだ。「二兎を追うもの一兎をも得ず」の喩えどおり、二兎を追えば何れもが中途半端な結果となる。正しい認識は、経済成長を取り戻すことが最優先命題であり、財政健全化は経済成長が力強く動き出した後の命題だということだ。つまり編成方針には「経済成長を最優先で実現するため、その目途が立つまで財政健全化は棚上げする。」と明記すべきだったのだ。

 第二は、歴代の政権が「経済成長と財政再建」の二兎を追ってきた結果が「失われた30年」だったのであり、石破政権もまたこの本質を理解しないまま悪しき前例を繰り返す愚を犯そうとしていることだ。

予算規模と国債費の関係

 一般会計の総額と税収、国債費の数値を抜き出すと、次のとおりである。(☆過去最大)

 この表が示す要点を列挙すると次のとおりである。

  ①一般会計総額は前年度より3兆円増えて過去最大となった

  ②税収は前年度より大幅に8.8兆円(12.7%)増えて過去最大となった

  ③国債費は税収が増えたため、前年度より1.2兆円の増加に留まった

 産経は閣議決定したR7予算案について、12月28日に特集記事を組んで解説している。その中で、予算規模と国債費の関係について以下のように分析している。

 <R7予算案の規模を拡大させた要因の一つが国債費の膨張だ。金利のある世界が戻り、利払い負担が重くなっていることが響いている。・・・日銀の金融政策の正常化に伴い、財政運営も転換点を迎えている。>

これでは日本経済は2025年も復活できない

 エコノミストの村上尚巳氏は『石破政権では日本経済は2025年も復活できない』と題した12月24日の記事で、次のように分析している。(資料2参照)

 <改めて2024年を振り返ると、世界経済・金融市場の状況は悪くなかった。だが複数の主要先進国で政権交代が起きて、政治情勢は大きく変化した。多くの国で家計の生活水準が高まっていないことへの不満が、政権交代などの政治変革をもたらした大きな要因だった。>

 <日本経済の復活を妨げている大きな要因は、保守的な財政政策が続いていることである。このため財政政策が不十分だったが故に世論の支持を失い、岸田政権は退陣を余儀なくされた。石破政権は同様の財政政策を続けるとみられ、このままでは2025年の日本経済には引き続き期待できないだろう。>

 石破政権が如何に自画自賛しようとも、R7年度予算案には目立ったトップダウンによる戦略の反映というべきものが見当たらない。政府や与党が幾ら成果を主張しても、「従来の枠組みの中で作られ、従来の利害関係者の中で調整を重ねた妥協の産物である」ことが明白である。これでは変わりようがない。

 日経は12月30日の記事で、先進国における国債費の増大動向について紹介している。

 <先進国の政府債務が拡大してきた。日米英やユーロ圏など7ヵ国・地域による2024年の国債の純発行額は2.8兆ドル(約440兆円)と前年より6割増加する。2025年もほぼ同水準の見込み。先進国による国債純発行額の拡大は財政支出の膨張と、中央銀行の買い入れ縮小によるものだ。>

 産経は12月28日の『G7不安な越年』と題した記事で、主要先進国の政情不安について次のように解説している。

 <G7は今年、欧州、カナダで各国政権が弱体化し不安な年越しを迎えることとなった。カナダではトルドー首相が退陣の危機に直面している。フランスではマクロン大統領の指導力低下が止まらない。ドイツは2月に総選挙を控えており、ショルツ首相の中道左派、社会民主党は支持率が14%に落ち込み、政権交代が確実視される。>

 これらの記事が指摘していることは、経済成長が低迷すれば国民生活は貧しくなり、国民生活が貧しくなればやがて政権が潰れるということだ。石破政権は大丈夫かという懸念の表明と見て取れる。

日本経済は歴史的に見て異常(ジム・ロジャーズの視点)

 世界三大投資家の一人と称されるジム・ロジャーズが、『日本経済は歴史的に見て異常』と題した記事の中で、次のように指摘している。(資料3参照)

 <日銀の金融政策が間違っていたのは、(超低金利政策を)長期間にわたって続けてきた点である。・・・特にお金を生み出す生産年齢が減っていることに加え、財政赤字は増え続けている。この二つが同時に起きている日本は致命的としか言いようがない。>

 ジム・ロジャーズの指摘は、日本は「失われた30年」と人口減少というダブルパンチで衰退モードに入っているという現実である。但し移民によって人口が増加しているアメリカを例外とすれば、人口減少は先進国共通の動向である。従って、問題の本質は「30年以上もの長期にわたって経済が低迷してきた」ことに帰着する。しかも経済の長期低迷の結果、国民の貧困化が進んだことが人口減少を促進した要因でもあることだ。

 では「失われた30年」の原因は何だったのか?前項の村上尚巳氏の言葉を借りれば、「保守的な財政政策が続いている」ことにある。ハッキリ言えば「経済成長を促進する財政出動と、財政規律を取り戻す緊縮財政」という二律背反の命題を予算案に併記し続けてきた財政政策にある。かつて安倍元総理が片方ではアベノミクスを推進しながら、二度にわたって消費税を増税したことがその象徴的な事例である。消費税増税が野田政権の時の与野党合意であったとしても、国民目線からみれば、そんな理不尽な合意は堂々と撤回して欲しかったのだ。

 つまり「失われた30年」は、長期間に及ぶ財政政策の失敗がもたらした結果であって、国家の貧困化を招いた政治家の責任は極めて重大という他ない。何故そういう失敗を犯したのか、その理由は政治家の二つの大きな理解不足に由来していると思われる。

 その一つは、政治家の大多数が、予算編成における達成命題として「経済成長と財政健全化」が二律背反の関係にあることを理解していないと思われることだ。

 もう一つは、国際社会における国力の源は偏に経済力であり、安全保障、社会保障、人口減少等のあらゆる国の課題を解決するためには、強い経済力を保持していることが何よりも重要なのだという認識が薄弱と思われることだ。

 さらに政治家の理解以上に重要な問題点があることを指摘しておきたい。それは長期間にわたって財政政策を転換できなかったのは何故かということだ。それは予算編成の枠組みとプロセスが旧態依然で時代のニーズに適っていないことにある。どういうことか。官僚側と政治家側の二つの側面から考えてみたい。

 まず官僚側の問題は、財務省が「骨太の方針」のシナリオを作り、それを踏まえて各省庁が概算要求を作成し、財務省と個別折衝して予算案を作り込んでゆくプロセスにある。次に政治家側の問題は、自民党の税制調査会が主導権を握って、党内調整、大臣折衝、野党調整を重ねてゆくプロセスにある。

 この予算編成のプロセスを踏む限り、予算は前年度実績を下敷きとする各省案の積み上げとなり、財務省主導となることが避けられない。一言で評すれば「ボトムアップの調整型」方式であり、これでは前年度実績の延長線での予算しか生まれようがない。

 これに対してアメリカでは、トランプ氏一流のディール(取引)という側面があるものの、トランプ氏は大統領選の段階から、「中国製品の流入を止める一方で、エネルギーはどんどん掘り出し、国内に産業を取り戻す」という戦略的な方針を打ち出しており、それを評価し支持した有権者が次の大統領として選任し、それに基づいて予算が作られるという手順を踏んでいる。

 日米の違いを一言で評すれば、アメリカはトップダウンの戦略型であるのに対して、日本は誰が総理大臣になろうが、財務省主導のボトムアップの調整型であることは変わらない。「日本にも強力なDSが存在する、それは財務省だ」と言われるようになった理由がここにある。戦後80年という歴史的な転換点において戦略発想の政策が必要なのだが、終始調整型でやってきた自公連立政権には望むべくもない。

財政赤字の問題

 ジム・ロジャーズに指摘されるまでもなく、財政赤字が増大した背景にはグローバリズムと少子高齢化社会が進んだことがある。まずグローバリズムの進展によって企業が生産拠点を中国他へ移したこと、日用品や家電製品などの大半が中国製品となったこと、付加価値の高い商品を除き世界との低価格競争を強いられたことだ。これらは全てGDP抑制圧力として作用した。

 他一つは少子高齢化社会が到来して、少子化対策を含めて社会保障費が年々増大(即ち歳出の増加)したことだ。つまりGDPが低迷し税収が減少する一方で、歳出は増大することが同時進行したのだった。グローバリズムという世界の動向、少子高齢化という日本の動向に「失われた30年」という政策ミスが重なり、日本はデフレ脱却に失敗しGDPが低迷したのである。

 トランプ次期大統領は民主党政権が推進してきたグローバリズムの流れを反転させて、アメリカに産業を取り戻そうとしている。アメリカには豊富なエネルギー資源があり、安価なエネルギーをいつでも実現できる強みがある。日本はそのような魔法のカードは持ち合わせていない。それ故に、トランプ第二期政権の4年間に起きるであろう国際情勢の変化に対処するために、「失われた30年」からの一日でも早い脱却が最重要命題となるのである。

 経済評論家の塚崎公義氏が『日本の財政赤字1100兆円超えの現状に戦慄も』の中で、巨額の財政赤字について次のように書いている。(資料4参照)

 <(財政赤字が巨額だからと言って)、日本政府が破産する可能性は低い。政府でも企業でも、破産するのは借金が多いからではなく、資金繰りがつかなくなるからだ。投資家にとっては日本国債が最も安全な資産であるに変わりはない。>

 <もう一つは、財政赤字は子孫に借金を払わせる世代間不公平だというのは視野が狭い考え方だ。>

 補足すれば次のとおりである。米国と異なり日本国債の大半は国内の投資家が保有していて、政府の債務=国民の資産であるから、貸借対照表としてみれば何も問題はないということだ。同様に子孫には財政赤字という負債だけでなく、ほぼ同額の国債という資産を遺産として申し送るのであるから、世代間不公平にはならないということだ。

 <少子高齢化による労働力希少が進んで、景気が良い時は労働力が超希少に、景気が悪くても労働力が少し希少という時代になれば失業を気にせずに増税できる。さらに少子高齢化の結果、労働力希少によって賃金が上がるとインフレのリスクが高まるので、増税は財政再建とインフレ予防の一石二鳥の政策として歓迎される。>

 つまり政府には負債だけに眼を奪われて右往左往せずに、堂々と戦略指向に立って大きな政策を打って経済の流れを転換し、戦後体制からの転換を大胆に推進してもらいたいということだ。これこそが石破政権に対し国民が希求していることであり、そのためには財務省主導の「ボトムアップの調整型」の予算編成という旧態依然の枠組みとプロセスを正さなければならない。

財政再建

 同時にジム・ロジャーズは資料3の末尾で、マーガレット・サッチャーが英国病から英国を救い出したエピソードを紹介している。

 <WW2後の1960-70年代にかけて、長期間経済が停滞したイギリスは英国病と言われた。この危機を救ったのが1979年に首相に就任したマーガレット・サッチャーだった。サッチャーは政策を転換し、小さな政府を掲げ、国営企業を民営化するなどして歳出を削減し、さらに北海油田を開発して復活を遂げていった。>

 人口減少・高齢化社会の動向下で、社会保障費の増加が不可避である以上、財政赤字をGDP比で減少させるには、経済成長路線に戻して、経済成長による税収を増やして国債費を減少させる他ない。そして経済成長を取り戻すには、賃金を上げるだけでは不十分で、次世代の成長産業の創出を含めて産業の国内回帰を推進しなければならない。これはサプライチェーンの安全保障問題でもある。

 日本はゼロ金利政策を30年間も続けたが、円キャリー・トレードによって円売りドル買いが進み、潤沢なドル資金が中国とアメリカに流れ込んだ。そして両国のGDP増大に貢献しバブル膨張の一因にもなった。つまり日銀が金融緩和策で生み題した資金は日本に投資されなかったためにデフレ脱却は実現しなかったのである。政策の評価はそれがもたらした現実が如実に物語っているとすれば、金融政策の失敗だったという他ない。

 簡単な数学を駆使するだけで分かることだが、もし年2%のGDP成長が35年間継続していたなら、1.02×1.02×・・・(35回かける)=1.02の35乗=1.9999となり、GDPは2倍になっていたことが分かる。年1% の経済成長でもGDPは42%増大していたのである。

 もしGDPが2倍になっていたなら、単純計算でも税収は2倍相当になり、債務残高のGDP比は半減していたことになる。それだけではない。税収が増えれば新規国債発行は自ずと減少した筈だ。さらに堅調な経済成長があれば国民生活は豊かになり、可処分所得が増えた結果、税収はさらに増大が見込めた筈である。

 「失われた30年」を経済の負(貧困化)のループとするなら、「失われた30年」からの脱出は、経済の正(繁栄)のループへ財政政策を転換することに他ならない。

 サッチャーはこの大転換をやってみせたのだった。歴代の総理大臣は予算編成を自画自賛するが、「失われた30年」という現実こそが、その客観的な評価である筈だ。R7予算案に国民が希求することは、負のループを正のループへ転換する強い意思と施策を反映して欲しいということである。

 そのためには現在の予算編成の枠組みとプロセスを正さなければならない。このプロセスを経る限り、戦略的な発想は登場しない。否、戦略発想がないから、財務省ベースの代わり映えのしない予算編成にしかならないというのが現実なのだろう。財務省が主導権を握る限り、何か新しい戦略的な予算を組もうとすれば、財務省や税制調査会は「財源はどうするのだ」というお決まりの脅し文句を突き付けることになり、新規の投資はどんどん削減されてゆくからだ。

 政策の評価は、その政策がもたらした結果を見れば一目瞭然である。同様に、日本が直面する危機と課題に対する政権の本気度は、予算案に戦略思考の意思と決意が反映されているかどうかを見れば分かる。そして言うまでもなく、戦後80年の最重要課題の一つは、安倍元総理が掲げた「戦後レジームからの脱却」以外にない。しかもトランプ第二期政権4年間の間に方向付けする必要があるのだ。

参照資料:

資料1:R7予算のポイント(内閣府公表)https://www.mof.go.jp/policy/budget/budger_workflow/budget/fy2025/seifuan2025/01.pdf

資料2:「石破政権では日本経済は2025年も復活できない」、村上尚巳、東洋経済OL、12/24

資料3:「日本経済は歴史的に見て異常」、ジム・ロジャーズ、東洋経済OL、12/15

資料4:「日本の財政赤字1,100兆円超えの現状に戦慄も」、篠崎公義、The Gold OL、12/14

総裁選の彼方にある未来

総裁選を考える

 8月14日に岸田総理大臣が任期満了後の退陣を表明した。ここぞとばかりにマスコミは「次は誰か」の話題に飛びついた。名前が挙がった政治家は8月19日現在で11名となり、総裁選という喧噪が始まった。

 喧噪の主題が「自民党総裁の選出」に留まるのなら何も違和感はない。しかし真の主題が「総理大臣の選出」であるとすると、選出プロセスに国民の関与がなく果たして民主主義国家として健全な姿なのかという疑問が生じる。

 アメリカ大統領選が同時並行で進行している。大統領制と立憲君主制の違いがあるが、国の次のリーダーを選ぶプロセスとして、どちらがより民主主義の理念に適っているかを比較する価値はある。アメリカの場合、二大政党である共和党と民主党が党としての大統領候補を選出して州に候補者を届け出て、州ごとに有権者による選挙を行って最多の票を獲得した候補者が予め州に割り当てられた代理人を獲得する仕組みになっている。そして全米50州及びワシントンDCの合計で最多の代理人を獲得した候補者が大統領に選出される。

 候補者は数カ月をかけて激戦州を中心に各州を遊説してキャンペーンを行い、政策をアピールする。両党の候補者同士の討論も行われて、候補者が国民に政策を説明し支持を訴える。アメリカ方式がベストとは言えないが、候補者が国民に対し直接政策を語った上で投票を経て選出されるという点で民主主義に則っている。

 これに対して日本では、与党の総裁候補が出そろうと、国会議員と党員による投票が行われて総裁が選出される。自民党は国会で最大多数を有するから、衆参両院での投票を経て自民党総裁が総理大臣に就任する。この選出プロセスに国民の関与はない。

 後段で論じるように来年は第二次世界大戦終結から80年の転換点を迎えるが、「次の80年」を展望する時、国民投票によって総理大臣を選出する方式が望ましいことは明らかである。主な理由は二つある。一つはそもそも民主主義国である以上、憲法改正を含めて重要事項は国民投票という手順を踏むことが望ましいという原則に基づくものだ。他一つは今回の自民党の惨状が、「総理大臣の選出をこの人たちに一任していいのだろうか」という疑問を提起していることだ。

 国民投票を取り入れることは、政治に対する国民の関心と責任意識を高めることになり、結果として民主主義のレベルを向上させることは間違いない。何故なら、まず国民は次のQ1とQ2の問いを考えることを余儀なくされ、次に候補者は国民に対してQ3とQ4の二点について存念を語ることを余儀なくされるからだ。

 Q1:激変する時代に国の舵取りを委ねる首相が備えるべき資質・能力は何か?

 Q2:候補者の中で、その資質・能力を最も備えた人物は誰か?

 Q3:現在の情勢(国内及び国際社会)をどう認識しているか?

 Q4:その上で、優先的に取り組む政策は何か?

第二次世界大戦終結から80年

 今年8月15日に日本は79年目の終戦の日を迎えた。1年後に世界は第二次世界大戦終結から80年の節目を迎えるが、大戦後の国際秩序は一足先に瓦解してしまった。安保理常任理事国のロシアがウクライナに軍事侵攻したからだ。ウクライナ戦争の終結目途は立っておらず、さらにタイミングを見計ったかのように中東危機が起きて拡大しつつある。

 同時に世界経済の不安定さが増大している。原因は主に三つある。第一にウクライナ戦争を契機として世界経済のブロック化が進み、エネルギーと食料の高騰を招いて世界にインフレをもたらしたこと。第二に不動産バブル崩壊のソフトランディングに失敗した中国で、地方政府の財政破綻が深刻化し、社会的な騒乱が拡大していること。そして第三に、「崩壊が起きるまでバブルだったと判断できない」というグリーン・スパン元FRB議長の名言があるが、アメリカが現在バブル崩壊前夜にある可能性が高いことだ。

 このように、安全保障でも世界経済においても、世界は大戦後最大の危機に直面している。アメリカの次期大統領は、国内の分断を克服して安全保障と経済の両面において国際秩序を回復に向かわせることができるのか、それとも分断が深刻化して内戦へと向かい、世界の危機を悪化させてしまうのか、残念ながら現状では予測できない。

「次の80年」を担う総理大臣

 第二次世界大戦後の世界はアメリカが圧倒的なパワーの持ち主として君臨した時代だった。しかしながら、バイデン政権が断行したアフガニスタンからの拙速な撤退を契機として、国際秩序は崩壊し始めた。現在世界情勢が混迷を深めている背景にアメリカの衰退の進行があることは明らかだ。

 現在の世界情勢は世界大戦前夜もしくは世界大恐慌前夜に勝るとも劣らない危機的な状況にある。その状況の中で「次の80年」を展望するためには、「アメリカの衰退」を前提条件として考慮する必要がある。

 視点を変えて考えれば、世界情勢の動向は日本に対し「思考停止の80年」と決別する絶好の機会をもたらすだろう。否応なしにアメリカ従属の外交姿勢を改め、日本が本来果たすべき役割を自律的に定めて主体的に行動することを余儀なくされる。この結果、より対等な役割分担として日米同盟を再定義・再構築することになる。

 激変の時代の舵取りを担う次期総理大臣には、このような大局的な世界観と、明治維新以降の近代史を俯瞰する歴史観をもとに、「次の80年」を見据えてもらいたいものだ。

戦略思考(VWSG思考)への転換

 「次の80年」の時代を切り開くリーダーは、端的に言えば、次の資質を備えた人物であることが望ましい。

  ①世界史の潮流の中で日本の近代史を俯瞰する視座をもち、

  ②その上で、日本の将来像についてヴィジョンを描き、

  ③それを実現する確固たる意思を持ち、

  ④立ち塞がる障壁や困難を克服する戦略を組み立てて、

  ⑤国内外の敵対者を相手にゲームを挑む

 これをVision、Will、Strategy、Gameの頭文字をとって「VWSG思考」と呼ぶこととする。

 外交とは国家間で繰り広げられるゲームである。各国のリーダーは皆自国の国益最大化を目論み、相手の意図と動静を読み必要なカードを用意して外交に臨む。同様にビジネスは企業間で行われるゲームに他ならない。ここで重要なことを一つ指摘しておきたい。それは生真面目すぎる日本人には、外交もビジネスもゲームなのだと達観する胆力が欠落していることだ。

 ヴィジョンとは実現したい将来像である。政治であれば、10年後、20年後、或いは100年後に日本をどういう国にしたいのかを明確に描くものである。従ってヴィジョンには、国益最大化という命題に加えて、国際社会が直面する課題や危機に対して日本はどういう役割を担うのか、どういう貢献をするのかが盛り込まれなければならない。

 ヴィジョンを明確にしたなら、次にそれを実現する意思を明確にする必要がある。一般にヴィジョンが壮大なものであるほど、進路には巨大な障壁が立ち塞がることを覚悟しなければならない。その障壁を克服もしくは消滅させる方法と手順を明らかにすることを戦略という。

 そしてゲームとは、他のプレイヤーと知略を尽して戦う真剣勝負である。

政治システムの制度疲労

 ここまでの認識に立って再び日本の政治の現状に眼を転じると、まずパーティ券収入不記載という旧態依然の事件を起こした自民党に、「次の80年」を託せるのだろうかという疑問が浮かぶ。さらに重要な事例を挙げれば、戦後79年が過ぎたというのに、憲法改正は進展がなく、一方では問題だらけのLGBT法案を拙速で通すなど、自民党はもはや日本の国益を守る保守政党ではないという疑念が噴出している。

 一方自民党の不祥事を恰好の攻撃材料として追及する野党には、「10年後、100年後に日本をどういう国にするのか」というヴィジョンも、国際社会に対して意思と戦略を掲げて真剣勝負のゲームを挑む姿勢も見当たらない。かくして国際情勢が極度に緊迫化しているというのに、与党も野党もさして重要ではない話題に時間を浪費している現状に国民は溜息をつかざるを得ないのである。

 今回の事件は一自民党の問題ではなく、「戦後の政治システムの制度疲労」と捉えるべきなのだろう。従って、トップが交替し人事を刷新するだけで解決できはしない。政治システムのイノベーションが避けて通れない。そう理解すべきなのだと思う。

日本の課題は「戦略観とゲーム志向」の欠如

 『思考停止の80年との決別』を踏まえて、「明治維新から敗戦までの77年の失敗の原因と教訓」を簡潔に整理すれば次のとおりだ。

①日清日露戦争に勝って英米に並んだという自負が慢心を生んだ。

②軍の暴走を統制する政治システムを確立できなかった。

③英米と肩を並べた時点で次の目標を見失った。「フォロワーから開拓者へ」の発想の転換が必要だったにも拘わらず、次の目標を描かなかった。そして現在に至るまで、我が国は未だにフォロワーのマインドから脱却できていない。

 「次の80年」の政治の舵取りを考えるには、まず世界情勢を展望し、日本の立ち位置を確認して進路を見極める必要がある。同時に世界が抱える課題に対して、日本が果たすべき役割を明らかにする必要がある。

 そのためには「近代史の失敗と教訓」を踏まえて、日本の強みと弱みと、日本人が持つユニークさを再認識することが重要だ。「欧米にあって日本に欠落しているもの」と、逆に「日本には当たり前のようにあるが欧米に欠落しているもの」を再認識することから始めるべきだ。一言で言えば、前者は「戦略観とゲーム志向」であり、後者は「地球環境と共生・共存する文化」だろう。

靖国参拝は解決意思の問題

 今年も鎮魂の夏が終わった。先の大戦で軍人・民間人合わせて310万人が亡くなった。英霊を靖国神社に祀ることは、国の約束であり責務である。安倍元首相は在任中に一度だけ参拝したが、その後の首相は誰一人参拝していない。況や天皇陛下は一度も参拝を果たせていない。この状況は尋常ではない。

 靖国神社参拝は政治問題化されたまま放置されてきた。首相には国の歴史を背負う責任が伴う。他国におもねて310万人もの犠牲者から眼を逸らす人物に、国のリーダーを担う資格はないと断言したい。

 首相の靖国参拝と言うと、そんなことは出来ないと多くの人は言うかもしれない。しかしそれが国益に直結することであるならば、「出来ない」は「やらない言い訳」と同義である。VWSG思考で述べたように、大きなヴィジョンに基づいて実行する意思を固めたなら、次にやるべきことは立ち塞がる障壁や困難を克服する方法と手順を明らかにすることだ。誰からどのようなリアクションが起きるかを予測した上で、カウンター・リアクションを用意して臨めばいい。

 「日本は本気だ。全てを承知の上でゲームを仕掛けてきた」と相手に思わせるゲームを挑めばよい。参拝の是非について堂々と正論を語り、論理的なリアクションに対しては毅然と論破し、政治的で非論理的リアクションに対しては取り合わずに無視すればいい。

 このゲーム、深入りは損だと思わせる戦略を練ることが重要だ。政治家にはそうした一つ一つの攻めの行動が歴史を作ってゆくという自負を持って臨んでもらいたい。さすれば道は拓ける。逆に言えば意思なきところに道は拓けないということだ。靖国問題は意思の問題に帰着する。

フォロワーのマインドに決別せよ

 日本の近代史は、明治維新、太平洋戦争敗戦とほぼ80年毎に大きな歴史的転換点を迎えてきた。そして来年の戦後80年は次の転換点となる。明治維新から始まった近代史の第一ステージは、先行した欧米にキャッチアップする時代だった。司馬遼太郎が『坂の上の雲』として描いてみせた意気揚々とした上り坂の時代だった。

 同時に第一ステージ、特に20世紀前半は世界レベルの戦争の時代でもあった。日本もその大きな潮流に巻き込まれ、軍事力において欧米と肩を並べた後は、チャーチル、ルーズベルト、スターリンの企みに翻弄され太平洋戦争に引き摺り込まれて完膚なきままに叩きのめされた。

 近代史の第二ステージは「アメリカによる占領」から始まった。都市は廃墟と化し、戦争の犠牲者は310万人に及んだ。そのどん底にありながら、日本は経済優先で史上最大の国難を見事に克服して、半世紀後には経済大国の地位を獲得した。

 その一方で敗戦を含む近代史の総括は棚上げされ、戦争の教訓も占領体制の払拭も未完のまま放置されてきた。そして憲法改正と靖国神社参拝が象徴するように、日本は未だに名誉を回復できていない。そして明治維新以降は欧米にキャッチアップすることを目標とし、戦後はアメリカの傘の中に身を置いてアメリカに従属してやってきた故に、日本は未だにフォロワーのマインドから脱却できていない。

開拓者(エクスプローラー)スピリットを取り戻せ

 来年は戦後80年の転換点を迎える。「次の80年」、つまり近代史の第三ステージは「自律」の時代となるだろう。「思考停止の80年」と決別し、フォロワーのマインドを捨て去って、開拓者(エクスプロ-ラー)のスピリットを取り戻してVWSG思考で「次の時代」を切り開いていく。次期総理大臣がその一歩を踏み出すことを心から願いたい。

 そのためには政治システムのイノベーションが避けて通れない。既に述べたように、欧米と比較した日本の弱みは「戦略観とゲーム志向」の欠如であり、逆に日本の強みは「地球環境と共存・共生する文化」にある。

 「戦略観とゲーム志向」のスピリットを取り戻すためには、政治システムにシンクタンク機能を組み込むことが必要だ。日本には官僚機構は極めて優秀だという思い込みがあり、現在に至るまで政治は永田町と霞が関のタッグで行われてきた。しかし官僚システムは行政機構であって戦略を練る機関ではない。凡そ戦略は国家横断の視点に立って国益最大化を追求するのに対して、行政機関は縦割りで省益を優先しようとするからだ。

 その代表的な事例を一つ挙げよう。それは「骨太の方針」である。本来なら「骨太の方針」は次年度の予算編成に先立って示される国家戦略であるべきだ。だが財務省が中心になって策定される従来の「骨太の方針」は、専ら予算の支出に係る制約条件を規定するだけで、国富を増加させるための戦略が欠落している。日本が「失われた30年」に喘いできた元凶が、「国富の増大」ではなく「財政支出の削減」を最優先課題としてきた「骨太の方針」にあると言ったら言い過ぎだろうか。

 アメリカでは有能な政治家や官僚は、公職を離れた後はシンクタンクに移籍して国家戦略を担う仕組みが定着している。新しい大統領が就任するときには新政権が推進する戦略と政策のパッケージをシンクタンクが用意して、大統領就任とともにキーパーソンが新政権に移籍して戦略を直ちに発動する態勢が整備されている。

 繰り返しになるが、日本が誰かの後を追い、誰かに従属してきた第二ステージはやがて終わる。このフォロワーのマインドが生き残ってきた原因の一つは、政治家と官僚だけの閉じた世界で政治を担ってきたシステムにある。そこには「戦略観とゲーム志向」に基づくヴィジョンを作る機能が欠落している。

 フォロワーからエクスプローラーへ転換するためには、国際情勢を踏まえて日本の国益を追求し戦略を練る機能がどうしても必要である。その資質・能力及び豊富な経験を備えた有識者が、公職を退いた後にVWSG思考の担い手として活躍するシンクタンクを社会インフラとして整備することが肝要である。

おわりに

 「次の80年」において、地球環境との共存・共生は大きなテーマとなる。但し欧米が主導してきた太陽光発電やEVの促進は、消費国にとって脱炭素になっても、ソーラーパネルやEVの電池に不可欠な鉱物資源の採掘現場や製造工程で発生される炭素の増加には目をつむってきた。鉱物資源の採掘からソーラーパネルやEV電池を廃棄するまでのライフサイクル全体で捉えた脱炭素にはなっていない。

 ここに日本の出番がある。採掘、製造、消費を経て廃棄に至るライフサイクル全体での脱炭素を推進する役割がある。「次の80年」では「地球環境との共存・共生」を文化としてきた日本の出番がやってくる。

 

日本を取り戻す千載一遇の好機到来

 アメリカ大統領選は、共和党の予備選挙で既にトランプ元大統領が33州の内31州で勝利して指名を獲得した。ロバード・ケネディ・ジュニア氏が無所属で出馬して3月26日に副大統領候補を発表するというニュースがあり、波乱要因となる可能性があるが、実質トランプ対バイデンの一騎打ちの構図となりそうだ。

トランプ第2次政権の政策

 3月22日の産経新聞紙面に、トランプ陣営の政策研究機関である「米国第一政策研究所(AFPI)」で外交政策を統括するフレッド・フライツ氏に対する古森義久氏のインタビュー記事が掲載された。トランプ第2次政権が誕生すれば、フライツ氏は安全保障政策を担う政権の要職に就任する可能性が高い。はじめに発言の要点を以下に紹介する。

安全保障政策全般

 トランプ氏の安全保障政策は「力による平和」であり、抑止のための軍事力の選別的な行使だ。軍事力の行使には慎重に同盟諸国と協力するが、同盟国側にも相当の役割を期待する。「強い米国」の再現を目指し、国防予算を大幅に増加すると同時に、同盟諸国の防衛負担を求める。

アジア太平洋政策

 トランプ次期政権はバイデン政権が軽視してきたアジア太平洋への政策を再強化する。中国を米国にとって最大の脅威であるとみなし、十分な軍事抑止力の保持と対話の両面の姿勢をとり、台湾への攻撃を抑制する方針だ。バイデン政権が放置してきた北朝鮮の核やミサイルの増強に対しては、軍事オプションを含めて強固な措置をとる。ロシアへの兵器供与を止め、一時は合意した核開発の停止を履行させる。

対日認識

 米国益優先という米国第一外交にとっても、アジア全域での経済や安保面の利益保持には日本との絆が決定的に重要と考えている。防衛面での絆の強化を基本とし、日本側とともに尖閣諸島に対する中国の軍事攻勢に共同で対処する誓約を明確にする。国務長官や駐日大使にも日本重視を認識する人材を充て、特に駐日大使は日本の内政に干渉などしない人物を任命するだろう。

NATOとの関係

 トランプ氏の米国内での人気を恐れる欧州のエリートやグローバリストが、最近NATO離脱などというネガティブな予測を語り始めたが、根拠はない。トランプ氏は在任中からNATO諸国の国防費の公正な負担(GDP比2%以上)を求めているだけだ。

 極めて明快である。トランプ氏の言動は短絡的に捉えられがちで物議を醸しているが、トランプ氏はリアリストでプロのディールを自認していることを考えると、フライツ氏が言うように、政策の基本にあるのは「強いアメリカを目指し軍事力を強化する。その行使には同盟国と慎重に協議し、同盟国に応分の負担を求める」というプリンシプルだ。

自民党の凋落と本来の使命

 翻って日本では、パーティ券収入の未計上という激震が自民党を襲っている。他方脅し文句にせよプーチン大統領が第三次世界大戦に言及するなど、国際情勢は第二次世界大戦以降で最大の危機に直面している。この国際情勢において、いつまでもスキャンダルな話題に埋没していれば、「自民党という政党は結局、終始『内向きの似非保守』だった。もはやゾンビ政党でしかない。」とみなされて、岩盤支持層からも見放されるだろう。

 ここで断言しておきたいことは、自民党を崩壊の淵に追い込んでいる主因は、「自民党は本当に保守政党か」という疑念だということだ。このままでは「保守政党としての自民党は安倍元首相が銃弾に倒れた時点をもって終わった」として歴史に記録されることになりかねない。

 視点を変えれば、崩壊の危機から復活するための唯一の道は、本来の保守政党に戻ること以外にはないということだ。その文脈で考えると、トランプ第2次政権の誕生は願ってもない千載一遇のチャンス到来となるだろう。そう考える理由を以下に述べる。

 日本経済はデフレからの脱却に向けてようやく一歩を踏み出したところであり、「失われた30年」と決別する光明が見えてきた感がある。同時に「戦後レジームからの脱却」を一気呵成に推進できる好機が到来する。フライツ氏が示唆するように、トランプ大統領は強いアメリカを志向しつつ国際秩序の再構築に取り組むだろう。

 但し、長期的な動向としてアメリカの覇権力は弱体化しつつある。ロシアのウクライナ軍事侵攻が象徴するように、アメリカの力が弱まれば専制主義国家による国際秩序を無視する行動が増加するだろう。ロシアや中国と対峙するために、アメリカは日欧との強い同盟関係を必要としている。

 一方、現在の日本には、戦後のGHQによる占領政策に起因する、凡そ独立国とは言えない不合理な制約が随所に残っている。戦後の政治家は当然その事実を知りながら黙認し棚上げしてきた。例を挙げれば、必要以上に多くの米軍基地があること、不平等な日米地位協定が残っていること、思いやり予算、横田基地との関係から羽田空港周辺に日本の管制権が及ばない空域が存在すること、アメリカ従属の外交政策等々だ。

 ここでトランプ第2次政権が抱える課題と、日本が歴史的に抱えている未解決な課題を同時に解決する道が拓けるのである。以下に説明しよう。

トランプ第2次政権において日本が果たすべき役割

 トランプ氏が進めようとするシナリオを実現させるには、日本が従来とは次元の異なる、一段と大きな役割を担う必要がある。そのためにはこれまで「支配-従属」だった日米関係を、「兄貴分-弟分」の関係にレベルアップすることが必須要件となる。トランプ氏は取引の達人を自負しているのであるから、彼の期待に応えつつ、現在も日米間に残る不平等な関係をまとめて解決するというディールを行えばいい。

 トランプ氏は日本がレベルをアップした役割を担うことを歓迎する筈である。またトランプ氏は戦後の「異形で不平等な日米関係」に対して、歴代アメリカ大統領の中で最もビジネスライクに考える人物と思われるので、現在も残るGHQの置き土産を一掃することに難色を示すことはない筈だ。成否は日本側のアプローチ次第だが、戦後レジームを一気呵成に解決する好機が到来する。

 日本は安全保障でのアメリカの同盟国に留まらず、経済・技術分野では強い協力関係にあり、さらに世界最大の債権国日本と最大の債務国アメリカという特別な関係にある。弱体化するアメリカを補完することは日本の国益にかなうばかりか、国際秩序を再構築するためにも、日本が担うべき役割である筈だ。

 トランプ氏が同盟国がより自立的に応分の役割を担うことを要求するのであれば、「相分かった。そのためにも戦後の異形な日米関係を正すことがお互いの利益となる。」と、トランプ氏とディールを行えばいい。ポスト岸田に求められる最優先かつ最重要の役割がここにある。

歴史を造るリーダーの要件

 問題はその大きな役割を担うことができる政治のリーダーは誰かということになる。岸田総理の次のリーダーには、その大役を担う資質と能力、加えて胆力が求められる。現状の危機から何とか抜け出して自民党の存続を図るというような、矮小な動機から次のリーダーを選ばれては迷惑極まりないことを一国民の立場から述べておきたい。

 ここでリーダーの資質を考える格好の事例として、トランプ氏とバイデン氏、二人の決定的な違いについて述べておきたい。鍵は『プリンシプルの有無』である。トランプ氏が目指すのは強いアメリカを実現することであり、思考はビジネス流儀で外交はディールを基本とする。

 フライツ氏のインタビューの中で興味深いのは、バイデン政策の失敗に関する分析である。「バイデン政権は軍事力を軽視し、気候変動への対処に重点をおく。その結果、アフガニスタンからの撤退の大失態に始まり、ロシアのウクライナ侵略、ハマスのイスラエル攻撃、中国の台湾への軍事威嚇など米国の力の弱体化を誘因とする騒乱が起きた。」と評している。的確な指摘であると思う。バイデン氏の政策にはブレがあり、相手の威嚇に躊躇して行動を一歩引いてしまう弱さがある。一言で評すれば、プリンシプルを持ち合わせていない政治家だということだ。その弱さが力を信奉するロシアや中国等の専制主義のリーダーに見透かされる。

 この構図は安倍元総理と岸田総理にもそのまま当てはまる。安倍元総理はプリンシプルを持ち合わせていたから、相手がトランプだろうがプーチンだろうが習近平だろうが、言うべきことは言い、相手を説得する強さを持ち合わせていた。「猛獣使い」と評された所以である。その資質こそがトランプ元大統領から一目置かれる信頼を勝ち取った理由でもある。残念ながら岸田総理にはそれがない。

 歴史観、世界観、国家観というものを持ち合わせていないのである。リーダーには二つのタイプがある。第一は絶対座標系で自己位置を認識し、進路を見定めて意思を持って対策を講じるリーダーであり、第二は相対座標系で周囲の人との間合いをとりながら応手を模索するリーダーである。

 絶対座標系で思考するリーダーは、歴史観、世界観、国家観を羅針盤とするが故に思考がブレないし、相手の脅しや駆け引きにも動じない強さを持っている。それに対して相対座標系で思考するリーダーは、相手に対する斟酌や忖度を優先するから、打つ手に一貫性がなくなりぶれて妥協的になる弱点がある。

戦うことを忌避しない

 戦略家エドワード・ルトワックは、3月23日の産経新聞に『欧州は戦いの文化取り戻せ』と題して寄稿している。重要な論点が含まれているので要点を引用したい。

 ≪欧州では昔から戦争が頻発し、濃密な「戦いの文化」があったが、こうした文化は欧州の多くの国々で今や完全に死滅した。それでもロシアに近接する北欧諸国は「戦いの文化」を失わず、徴兵制を維持してロシアとにらみ合う。英国もロシアへの強硬姿勢を堅持し、既に少人数の英軍要員をウクライナに派遣している。

 一方で、ドイツやイタリア、スペインといった欧州の大国では誰も徴兵制について語らず、ウクライナ派兵にも否定的だ。何故ウクライナに軍を派遣しないのかとイタリアのクロセット国防相に訪ねたところ、「そんなことをすれば与党内で反発が出て政権は倒れる」と反論したという。

 「戦いの文化」を維持するプーチン体制の攻勢に晒されるウクライナに残された時間は少ない。そして欧州も目を覚ます必要がある。第一次世界大戦後の間違った戦争忌避志向がヒトラー率いるナチス・ドイツの台頭を許した歴史を繰り返してはならない。≫

 この指摘は、現代の西欧諸国を蝕んでいる二つの深刻な課題の存在を示唆している。一つは平和が脅かされている状況にありながら、戦争を忌避する政治リーダーであり、他一つは西欧社会を覆うポピュリズムである。スキャンダルな事件で右往左往している日本はさらに深刻な状況にあるという他ない。

 ウクライナとポスト・ウクライナの欧州情勢を展望すると、専制主義のプーチン大統領のウクライナ侵攻を成功させないために西側諸国がとるべき行動は、戦争をも辞さない断固たる姿勢をプーチンに示すことに尽きる。現状を米欧日のリーダー対プーチンの心理戦として捉えれば、「どうせ西側にはロシアに戦争を挑む度胸はない」とプーチンは腹を括ってきた。「核兵器を使うことも辞さない」という脅し文句を繰り返して、欧米日のリーダーをたじろがせる戦術をとってきた。即ちこの心理戦ではプーチンが明らかに優位に立っていると言わざるを得ない。

 この構図を反転させない限り、国際法を無視し国際秩序を瓦解させたプーチンの暴走を止めることはできないだろう。現在までの状況は、専制主義対民主主義の戦いにおいて、民主主義であることが弱さになる危険性を物語っている。言い換えれば、国際秩序を回復するために西側諸国がとるべき行動は、米欧日の一層の団結など、民主主義であることの強さを示すことに他ならない。

マクロン大統領が示した矜持

 マクロン大統領は2月26日に「ウクライナでロシアを倒すことは欧州の安全保障にとって不可欠だ」と述べ、西側の地上部隊をウクライナに派遣する可能性について「合意はないものの、何も排除すべきではない」と述べた。さらに「今日は、地上部隊の派遣について、公式に了解され承認されている形での合意はなかったものの、その動きについては、何も排除するべきではない。ロシアがこの戦争に勝てないよう、我々はあらゆることをする」と発言した。

 ショルツ首相が翌日慌てて「欧州諸国やNATOが派兵することはない」と明確に否定すると、マクロン大統領は3月5日にプラハでウクライナ支援について「臆病者にならないことが必要な時期が近づいている」と強調し、部隊派遣を巡る自身の発言についても取り下げなかった。マクロン大統領の頭にあるのは、「この戦争、ロシアを勝利者にしてはならない」という信念である。実際に派兵するかどうかは別として、専制主義者に対して一歩も引かない姿勢こそが、有事に臨む政治リーダーに求められる資質であることを物語るエピソードである。

エピローグ

 今国際社会は秩序のタガが吹き飛んでしまった状態にあり、このカオス状態を収める方法と実行するリーダーが不在のまま漂流している。この状況で、もしトランプ第2次政権が誕生すれば、世界がその一挙手一投足に注目して一旦行動を停止する状況が生まれる可能性が高い。好きか嫌いかは別として、このカオス状態の中で秩序を再構築できる一つの可能性として、トランプ再登板が期待されることは間違いない。

 ロシアのウクライナ軍事侵攻が起きた理由の一つは、アメリカ覇権の力が弱体化したからだ。国際秩序を保持するために、アメリカの力が今少し必要であることを世界は認識を新たにした筈だ。専制主義に立って武力を行使する国家が存在する以上、それを抑止できる力を保持する国家がリアルポリティクスとして必要なのだ。アメリカ第一主義を掲げるトランプ氏がアメリカの力を強化して国際秩序の再構築に挑むとすれば、同盟国として欧州と日本はそれを全力で支えなければならないだろう。

 日本にとってそれが死活的に重要な理由は、その役割を担うことこそが「戦後レジームからの脱却」を一気呵成に推進できる道であることだ。そのために今日本が必要としているのは、そうした本来の保守としての任務を断固として推進してゆく信頼に足る政党の出現であり、有事のリーダーの登場に他ならない。 結党以来の危機に直面して、もし自民党首脳部が古色蒼然たる人事で乗り切ろうとするのであれば、志ある政治家にはさっさと自民党に見切りをつけて本来の保守政党を結成するくらいの気概を見せてもらいたいと思う。これは自民党にとっての正念場ではなく、尊厳ある日本を取り戻せるかどうかの正念場であることを政治家にはよくよく考えて欲しいものだ。

怒りを取り戻す:GDP4位転落

 2月15日に内閣府が2023年の国内総生産(GDP)の速報値を発表した。経済規模をそのまま表す名目GDP値(ドル換算)でドイツに抜かれて世界第4位に転落したニュースが日本を駆け巡った。内閣府が公表した主要なデータは以下のとおりである。

本稿を書くにあたり、参照した資料は以下のとおりである。

資料1:産経新聞、2月16日記事

資料2:「GDPがドイツに敗れて世界4位に転落したワケ」、高橋洋一、現代ビジネス、2024.2.19

 ・日本のGDP(2023年) :名目591兆4820億円、実質558兆7156億円

 ・日独比較(名目、ドル換算) :日4.21兆ドル⇔独4.46兆ドル

 ・同(人口)                                         :日1億2443万人⇔独8482万人(日本の68.1%)

 ・同(GDP/人、名目)           :独4.87万ドル⇔日3.41万ドル(ドイツの69.9%)

 「GDP世界4位に転落」に関する報道は、その他のニュースにかき消されて、「大変だ、大変だ」と連呼しただけで、直ぐに忘れ去られていった感がある。「今後の為替レート如何で直ぐに再逆転する可能性もある」という楽観論もある。何れも的を外していると言わざるを得ない。この事件の背景には戦後政治に係る非常に重要なポイントが隠れているからだ。

 はじめに政府や産業界の反応を見ていると、「今年の春闘でどこまで賃上げできるかが大事だ」と問題のすり替えが行われている。これは自民党のパーティ券問題が、本質は政治資金の問題であるにも拘わらず、いつの間にか「派閥解消」へ見事にすり替えられた構図と同じである。

 結論を先に書くと、「GDP転落」事件の本質は次の2点に要約される。以下に順次説明する。

1)春闘の賃上げに矮小化される問題ではなく「失われた30年」以降今も続く経済政策の失敗の問題である

2)背景に「我慢強く怒らない日本人」の文化があり、それが日本の弱体化を抑止できなかった原因に一つである

「GDP転落」を物語るデータ

 ここでは細部構造に立ち入らずに俯瞰的な分析を試みる。はじめに日独GDP(名目値)の推移を図1に示す。

<日本経済の推移の全景>

 日本のGDPの推移をみると、1980年~1995年~2012年~現在の3区間で動向が明らかに変化していることが分かる。つまり1980年~1995年が高度成長期で、1995年をピークとして「失われた30年」が始まり、2012年に歴史上のピークを記録した後、急激に失速して現在に至る変化である。

<日独比較>

 まず1995年と2012年の二つのピークを基準として、ドイツのGDPと比較してみよう。1995年に日本のGDPはドイツの2.14倍の規模があった。2012年にはそれが1.78倍にまで縮小したものの、両国のGDPにはまだ大きな開きがあった。

 それを1995年から2023年に至る変化でみると、日本のGDPが23.7%減少しているのに対して、ドイツは逆に71.1%増大している。この結果2倍強の圧倒的な開きがあったGDPが28年間で逆転したのである。問題は何故そんな逆転劇が起きたのかだ。

<円安の影響>

 第一に疑われるのは円安である。GDPの国際比較はドルベースで行われるので、為替レートに直結して変動する。図2に円とドルの為替レートの推移を示した。

 図2から明らかなように、円高のピークは二つある。1995年と2012年であり、GDPのピークと一致している。GDPがドル換算されるので当然の結果である。

 次に、二つのピークから現在に至る為替レートの推移をみると、1995年→2023年では46.4円、2012年→2023年では60.7円もの急激な円安が進んだことが分かる。この結果2023年のドル換算のGDP値は、1995年比で67.0%に、2012年比では何と56.8%に縮小したのである。

<経済成長の実相>

 図3は経済成長の実勢をみるために、ドル換算前の実質GDP(円)の推移を描いたものだ。実質値は名目値に対して物価変動の影響を補正した値である。

 マクロな推移としてみると、1994年~2023年の間にGDPは年3.4兆円ずつ直線的にかつ緩やかに増加してきたことが分かる(オレンジ色の直線、最小二乗法近似)。但し成長率でみると、これは年0.6~0.7%程度で、決して褒められた数値ではない。

 参考までに2022年の世界の実質GDP伸び率を示すと、アメリカ2.1%、イギリス4.1%、ユーロ圏3.3%、先進国2.6%、世界3.5%だった。ザクっといえば日本の経済成長はアメリカの1/3、ユーロ圏の1/5、先進国平均の1/4程度だったということだ。「失われた30年」と言われる理由がここにある。

<失われた30年の原因>

 では図3で経済成長が低迷した要因は何だったろうか。外的要因と内的要因を分けて考える。まず外的要因では世界規模の重大事件が二つ発生している。第1は2009年9月に発生したリーマンショックであり、第2は2020年初から始まったコロナパンデミックである。何れも図3の二つの大きな落ち込みと合致しており、その原因となったことは明らかである。但しこの事件は世界レベルの事件であり、日本が直撃を受けたものではない。従って長期に及んだ「失われた30年」の原因ではない。

 一方、内的要因としては三度実施された消費税増税がある。増税は次のように行われた。第1弾は1997年4月に実施された3%→5%へ、第2弾は2014年4月に実施された5%→8%へ、そして第3弾は2019年10月に実施された8%→10%への引き上げである。図3が示すように、増税は急激な落ち込みをもたらしてはいないが、経常的に内需が不足しているデフレ下で、国民の可処分所得を強制的に削減させたことから、長期的かつ慢性的な悪影響を与えたことは明らかである。

 大蔵省OBで『官僚国家日本を変える元官僚の会』の幹事長を務める嘉悦大学大学院の高橋洋一教授は、「失われた30年」をもたらしたもう一つの原因として「デフレ下での慢性的な公共投資の過少」を挙げている。「毎年の公共部門の過少投資は、民間投資の呼び水としての役割を果たさず、国土強靭化も進まず、低金利という絶好の投資機会を逃した。」と手厳しく指摘する。

GDP4位転落問題の本質

 高橋教授は、GDP転落の本質的な原因について、次のように総括している。

・大恐慌以降、金本位制に代わって管理通貨制度が構築され、ケインズ経済学による有効需要創出が普及した結果、インフ レは多いがデフレはなくなった。唯一の例外が「日本の失われた20年」である。

・(失われた20年は)財務省と日銀という強い権限を持つ官僚機構、マクロ経済の専門知識の欠落、それに官僚の無謬性によって、誤った政策を長期間続けた結果である。

 難しいことは言わずとも、以下の二つの事実から、日本が長期にわたって、そして現在もなお誤った経済政策を続けてきたことは明白である。

・30年経ってもデフレからの脱却を果たしていない。

・長期デフレ状態に埋没しているのは、大恐慌以来世界で日本のみである。

 では具体的に、どこをどう誤ったのかを指摘しておきたい。

1)デフレは民間需要の減少であり、デフレから脱却するためには内需を喚起する必要がある。そのためには可処分所得を増やす減税こそ有効な政策であるにも拘らず、また欧米はマクロ経済の原理原則に従って躊躇なく減税を行うのに対して、日本政府は消費税増税を繰り返した。これは致命的な自滅行為だった。

2)民間消費・投資が減少する状況下で経済成長を実現するためには、<GDPの定義に従って>積極的な公共投資を行い、政府消費を増大させることが正しい政策である。ところが政府はプライマリーバランス(PB)の追求を優先して終始積極財政政策をとらなかった。経済成長とPBは同時に実現できない二律背反の命題であり、経済成長を軌道に乗せるまでPBは棚上げすべきだったにも拘わらず、政府は「二兎を追うもの一兎をも得ず」の誤った政策を繰り返してきた。

3)もう一つ忘れてならないのは、戦略なきエネルギー政策が国民のエネルギー負担を重くしたことだ。要点は二つある。一つは急ぎ過ぎた「発電の脱炭素化」であり、他一つは「原発」忌避である。前者は世界の潮流におもねり、後者は国民感情に忖度した結果であることは言うまでもない。その結果年間2.4兆円もの賦課金を国民に課した。これは国民一人当たり2万円/年の増税と同じであり、今も続いている。

4)最後に挙げる理由は、日本固有の文化に係る問題である。一つは日本が「誰も責任を取らない」社会であること、他一つは日本人が「我慢強く怒りの声をあげない」気質であることだ。

総括

 世界にあるのが日本一国で、かつ日本が社会主義の国であるならば、経済成長は必ずしも必要ないだろう。しかし現実は世界が競争の場であることと、国力の要素が国土と人口、経済力と軍事力であることを勘案すれば、力強い経済成長は国家にとって最優先かつ最重要の必達命題であることは自明の理だ。現実はどうだったか。図1及び図2が如実に示すように、結果から判断する限り、政治家においてこの認識が充分ではなく、官僚は国益よりも省益を優先してきたことが明白である。高橋教授が指摘するように、政治家も官僚もマクロ経済を正しく理解していないという他ない。

 「GDP転落」のニュースが国民にとって衝撃的だったのは、日本が1995年以降、世界との競争においてじり貧となってきた現実を再認識させられたことだ。この期間に三重の意味で「日本の弱体化」が進んでいる。第一に他の先進国に先んじて人口減少が顕在化した。第二に日本だけが「失われた30年」で経済力を弱体化させた。そして第三に、トドメを刺すかのように、2012年以降11年間で1ドル=約80円から60円も、率にして実に76%も急激に円安が進んだ。

 円安は輸出等、業種によって国際競争において有利に作用することは事実だが、ドル換算の世界では国力低下以外の何物でもない。「国力が強い国の通貨は強い」ことを忘れるべきではない。既に分析してきたように、ドイツとのGDP逆転の第一の要因は行き過ぎた円安にあることは明らかだが、急激な円安をもたらした主要因が「失われた30年」にあることも自明である。

 そして「失われた30年」の原因は誤った経済政策を続けてきたことにある。では誤った経済政策を続けてきた原因は何処にあるのか。ここを正さない限り、日本が強い経済を取り戻すことは困難と言わざるを得ない。マクロ経済を理解しない政治家、国力最大化を追求しない官僚、減税を拒否し「隙あらば増税」を画策してきた財務省の責任は極めて重いと言わざるを得ない。

 もう一つ根深い問題がある。それは「怒りを忘れた日本人」である。「日本の弱体化と国民の貧困化」をもたらした政治責任を追及する怒りの発露がない。日本は民主主義の国であり、政治家や官僚の責任を追及するのは国民の役割でもあるのだが、他の先進国と比べて日本では政治を政治家と官僚に丸投げしてこなかっただろうか。我慢強い国民性が「失われた30年」を黙認してきたとも言える。国民が沈黙しているが故に、マスコミも官製報道に終始してきた側面がありそうだ。

 現在メディアを賑わしているのは、自民党のパーティ券を巡る政治資金問題である。与党も野党も、盛んに「国民の納得が得られない」と言うが、国民の一人として国民の真の怒りはそんなところにはないと断言しよう。そのようなスキャンダルの話題など、議事堂の片隅の部屋でさっさと解決してくれればいいのであって、激変する国際情勢の中で、連日大騒ぎする重大事では断じてない。

 この資料で取り上げたのは「日本の弱体化と国民の貧困化」に関わる問題である。単純に金額で比較すれば、パーティ券の事件よりも優に5桁以上も大きな日本国の富の損失に係る問題である。このことを肝に銘じた上で、与党も野党も「GDP転落」問題の本質を追究して、是正策について国民の前で論戦を戦わせてもらいたいものである。それこそが政治家の使命である筈だ。

 この記事を書いている2月22日、日経平均株価が史上最高値を更新したというニュースが流れた。そのこと自体は悪いニュースではないが、たった1週間の内に流れた二つのニュース、「GDP転落」と「株価史上最高値」には大きな乖離を感じざるを得ない。

 GDP転落は長期動向であり、現在に至る日本経済の実力を反映したものだ。それに対して株価高騰は「株価は期待先行で動く」の格言通り、中国市場から資金を引き揚げた国際投資家が資金を日本に投入した結果である。日本経済の実力を反映したものではないから、バブル期のような高揚感がないのである。それが乖離の正体である。

 デフレからの完全脱却を果たし、「失われた30年」にピリオドを打ち、円高を取り戻すまでの道のりはこれからが正念場である。GDPを押し上げる大きな潮流を作り出すことが出来なければ、株価高騰はマネーゲームで終わる。「日本弱体化と国民の貧困化」の現実は相当深刻と認識すべきである。

歴史はこうして作られる(3)

リーダーシップとガバナンス

混沌化した世界

 コロナ・パンデミックが発生して以降、複数の重大事件が相次いで起き、世界情勢は一気に混沌化した。代表的な事件は以下のとおりである。

 <2020年、コロナ・パンデミック>2020年頭にコロナウィルスによるパンデミックが起きた。世界規模で人の流れが止まり、マスクなどの医療品が世界規模で枯渇し、サプライチェーンの脆弱性が大きな社会問題となった。それから3年半が過ぎた。日米欧ではコロナ以前の水準に経済が回復してきたが、中国では誤ったゼロコロナ政策を3年続けた結果、経済は失速したままで明暗が分かれた。それ以前から進行していた不動産バブル崩壊と重なって、中国経済は危機に直面している。

 <2022年、ロシアによるウクライナ侵攻>2月にロシアがウクライナに軍事侵攻した。戦争とロシアに対する経済制裁の結果、エネルギーと食料を中心にサプライチェーンの大混乱が起きた。資源不足はインフレをもたらし、米欧はインフレを鎮静化するために矢継ぎ早に政策金利を引き上げた。この結果ドルが高騰し、世界各地に投資されてきたドル資金が還流を始めた。さらにロシアを国際銀行間通信協会(SWIFT)から締め出した結果、主にエネルギー取引においてドル離れが加速した。

 <米中対立の激化>トランプ政権下で2018年10月に行われたペンス副大統領の講演と、バイデン政権下で2022年9月に行われたサリバン大統領補佐官の講演は、中国に対する実質的な宣戦布告と言われている。この場合の戦争は「兵器を使わない代わりにあらゆるものを武器化する」21世紀型の戦争である。サリバン氏は約30年間続けてきたグローバリゼーション政策を大転換して、中国に対するアメリカの力を抜本的に強化する新たなワシントン・コンセンサス構想を発表した。(https://kobosikosaho.com/daily/928/)

混沌化させた要因:ロシア

 このように2020年代になって世界秩序は一気に混沌化したが、こうした世界情勢の激変は当事国であるアメリカ、ロシア、中国の指導者がとってきた政策がもたらした結果に他ならない。直言すれば、リーダーシップの誤りとガバナンスの欠如がもたらした人為的な歴史である。

 如何なる事情があったにせよウクライナ戦争を起こしたプーチン氏の責任は重大である。アメリカの戦略国際問題研究所(CSIS)が第二次世界大戦後に発生した国家間の戦争を調査した結果によれば、1年以内で終結した戦争が51%ある一方で、1年以上続いた戦争は、終結までに10年以上かかったことが判明している。(湯浅博、産経6/30)ちなみに、ウクライナ戦争は既に16ヵ月に及んでいて長期化が懸念される。

 今年6月24日に起きた「プリゴジンの乱」は1日で沈静化したが、ロシア軍内部に複数の支持者がいることが明らかになった。このため、プーチン大統領は「反乱軍」を軍事力で制圧することも、首謀者プリゴジン氏を処分することもできずに、自らの権威が時間と共に失墜してゆく苦境に立たされている。恐らく「プリゴジンの乱」は、プーチン政権が崩壊する第一幕として歴史に記録されることだろう。

 ロシア情勢は今後ますます混迷を極めるだろう。まだ断定することは時期尚早だが、ウクライナを短期間に併合するつもりだったプーチン氏の目論見は完全に外れ、逆にロシアが弱体化する危機を招いた。ウクライナを焦土に変え、双方に多数の死傷者を出したプーチン氏の判断ミスは甚大である。ウクライナ侵攻は「リーダーの判断ミスは、甚大な被害をもたらす」という貴重な教訓として歴史に刻まれなければならない。

混沌化した要因:中国

 アメリカが約30年間推進してきたグローバリゼーション政策の最大の受益者は中国だった。鄧小平が推進した「改革開放」政策の結果、中国は「世界の工場」の地位を獲得し、2010年にはGDPで日本を抜いて世界第二位の経済大国となった。そして江沢民、胡錦涛の後に2012年11月に総書記に就任した習近平氏は、歴代政権が踏襲してきた「韜光養晦(とうこうようかい)」政策を大転換して「戦狼外交」を展開した。

 しかしながら2020年以降に習近平氏が相次いで実施した政策は、失敗に失敗を重ねる展開となった。トランプ政権が始めた高関税措置とバイデン政権にも継承された半導体の禁輸制裁に加えて、オウンゴールともいうべきゼロコロナ政策の大失敗によって経済は急失速し、未だに回復の兆しがない。

 現在、パンデミックを制圧して経済が回復過程にある日米欧とは対照的に、中国経済は深刻である。深刻さを物語る代表的な指標は以下のとおりである。

①2016年に新華社通信は、中国の人口が約14億人に対して、鬼城(住人のいないマンション)は34億人分に上ることを発表した。(現代ビジネス7/6)

②中国経済は2021年以降不況に突入した。2021年、2022年の経済成長率は公式発表で8.4%、3.0%だが、実態は2021年に急減速し、2022年にはマイナス成長となったことが明らかだ。(同上)

③当局が発表した16歳~24歳の失業率は20%超に達する。(同上)

④中国財政省の公式発表では、昨年末時点での地方政府の債務残高は約35兆元(約700兆円)で、昨年の利子負担は初めて1兆元(約20兆円)を超えて3年で2倍に増えた。(東京新聞6/5)

⑤2022年度の不動産価格は前年比で26%減少した。不動産価格がこれ以上下落すれば、1100兆円とも言われる隠れ債務が表面化して地方財政は破綻する。(現代ビジネス6/28)

⑥中国の未来に見切りをつけて、米国へ亡命する中国人が急増している。米国土安全保障省によれば、昨年10月以降に中国人からの密入国者は6500人を超え、前年同期比で約15倍に跳ね上がった。(週刊現代6/28)

⑦「一帯一路」は、7481億ドル(約104兆円)を投じた習近平の目玉政策で、対象国は150カ国に及ぶ。アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)によると、中国は大躍進時代に毎年1000億ドル(約14兆円)を注ぎ込んだが、現在では年間600億ドル(約8兆円)台に減少している。一方で不良債権は768億ドル(約11兆円)に達している。(ZAKZAK6/19)

⑧東南アジアに対する中国の政府開発融資は、2015年の76億ドルから2021年には39億ドルになり、6年間で半減した。この結果東南アジア投資に占める中国のシェアは全体の1/4から1/7に減少した。この事実は中国が経済と金融の問題を抱え込んでいることを示している。(北野幸伯メルマガ7/6)

 パンデミックが起きて日米欧の中央銀行は実体経済を支えるために、超低金利、量的緩和、さらには民間が発行した証券の購入などを大胆に実施した。それとは対照的に中国はゼロコロナ政策をとって都市の封鎖に踏み切った。先進国がコロナの制圧と経済の回復の両方を睨みながら政策を行ったのに対して、中国は習近平自身の面子に拘った誤ったゼロコロナ政策を今年1月まで約3年間頑なに維持した。ゼロコロナ政策が中国経済の息の根を止める悪手だったことは明白である。

混沌化した要因:アメリカ

 バイデン政権の任期は残り1年半余となった。バイデン大統領は現在ロシアと中国に対し二正面戦争を進めているが、一方で民主党政権下にあってアメリカの国内情勢は混乱の極みに向かっていると言わざるを得ない。ズバリ言えば、民主主義と法治制度の崩壊が進んでいる。崩壊プロセスは2020年大統領選挙において行われた組織的な不正に始まり、2024年大統領選に向けて正念場を迎えるだろう。

 <民主党がでっち上げたロシア疑惑>6月21日に開かれた下院本会議において、ロシア疑惑をでっち上げた民主党シフ議員に対する問責決議案が可決された。そもそもロシア疑惑は2016年10月、大統領選挙の1か月前に、国土安全保障省が「民主党の全国委員会のコンピューターがサイバー攻撃を受けた。ロシア政府の指示で実行されたと確信している」という声明を発表したことから始まった。それ以降トランプ大統領を揺さぶり続ける“ロシア疑惑”となった。

 その後モラー特別検察官、ホロウィッツ司法省検察官、ダーラム特別検察官による、個別の捜査が2年にわたって行われ、トランプ氏とロシア政府との共謀の事実はなかったという総括が行われて疑惑は消滅した。シフ議員は英政府の元諜報員がアメリカ民主党筋の委託で作成した「スティール文書」中にあるトランプ氏に関する虚偽の記述に基づいて、トランプ氏を糾弾する民主党の情報特別委員会の委員長としてロシア疑惑の先頭に立っていた。(古森義久、産経6/30)

 <バイデン・ファミリーに係る疑惑>トランプ大統領に対するロシア疑惑とほぼ同時期に、バイデン大統領に係る疑惑が進んでいた。主なものは次のとおりである。(参照、カナダ人ニュースhttps://www.youtube.com/@canadiannews_yt)

①バイデン大統領の次男、ハンター・バイデンを巡る疑惑で、当人が使用していたPCデータがFBIによって解読され、459件の犯罪容疑(ビジネス犯罪140件、性犯罪191件、薬物犯罪128件)が明らかになった。

②ハンター・バイデンには、ウクライナのブリスマ社からの賄賂と捜査揉み消しの他、ロシア、中国他からのマネーロンダリング疑惑もある。

③バイデン大統領本人の収賄容疑もある。

④バイデン・ファミリーに係る疑惑については、2018年以降に歳入庁(IRS)やFBIによる捜査が行われ、州の連邦検察に起訴勧告が提出されたが、司法省や連邦検事などによる妨害工作があり、以降今日まで司法も大手メディアも無視してきた。

⑤2022年11月に行われた中間選挙で、連邦議会下院の多数を共和党が奪還したことから、バイデン・ファミリーに係る疑惑に対して捜査が再開されるようになった。

⑥2021年1月6日に起きた連邦議事堂暴徒乱入事件は、FBIが作り上げた物語だった可能性が濃厚となっている。当時のFBI副長官が「トランプ大統領支持者による暴徒乱入」仮説を疑問視する捜査員に対し、自分の指示に疑問を呈する捜査員は不要だと恫喝発言を行っていたことが、FBI支部のトップによる内部告発で明らかになっている。内部告発内容は司法省監査長官室、議会上院下院の司法委員会に報告された。

⑦中国から多額の寄付が民主党に対し行われていた事実が明らかになっている。ActBlueという団体が2004年から約1.2兆円の資金を集めて民主党の候補・団体に配分してきたという。資金の60%以上が中国からの献金だった事実が解明されている。

 以上は混迷を極めるアメリカ社会の一面に過ぎない。アメリカ国内では民主主義と法治制度の崩壊が進んでいる。

 米国の外交問題評議会(CFR)のリチャード・ハース会長が、重要な発言をしているので紹介する。「現在の世界の安全保障が直面している最も深刻な脅威は米国そのものだ。・・・米国が直面する自国内部の脅威はすでに外部からの脅威より一層深刻である。米国内の政治情勢は世界に予測不可能性をもたらし、世界にとって有害である。・・・その理由は米国内の不確実性にあり、外国の指導者が米国にとって何が常態で何が例外なのか、そして米政府が理性を取り戻すかどうかが分からなくなっている。」(https://www.afpbb.com/articles/-/3471655、AFPBB、7/7)正にそのとおりなのである。

世界を混沌化させた真因

 世界情勢が混沌化している原因を断定的に論じることは無謀だが、世界秩序を左右する米露中三大国のリーダーシップに最大の原因がある。その理由を述べる。

 まずウクライナ戦争は何故起きたのか?それは、英米がロシアを挑発し、それを承知でプーチン大統領が軍事侵攻の命令を下したからだ。ではプーチン大統領の暴走を止められなかったのは何故か?その答えは、恐らく「世界情勢と相手国の動静と意図を客観的に分析する組織と、ありのままの分析情報がトップに届く仕組みがなかった」ことにある。

 いつの時代においても、「暴走する殿」を抑止するためには、世界の情勢と相手の意図と戦略を読み解くインテリジェンスと、それに基づいて行動のオプションと利害得失を考える戦略思考が不可欠だ。これは、真珠湾攻撃に踏み切った日本を含め、多くの戦争に当て嵌まる普遍的な教訓である。

 歴史にIFはないが、もしルーズベルト大統領が日本にアメリカを先制攻撃させるべく執拗に挑発していた事実と、その意図を事前に察知し解読するインテリジェンスが日本にあったなら、さらにその情報が政治の意思決定に活用されるメカニズムがあったなら、300万人に及ぶ戦死者も出さず、アメリカ軍による戦後の統治もなかった可能性が高い。先の大戦から学ぶべき最大の教訓はここにある。どこでどう誤ったのかを教訓とせずに、単に「二度と過ちは繰り返しませんから」と誓うだけでは、未来の悲劇を抑止することは出来ないことを我々は肝に銘じなければならない。

 バイデン大統領は6月10日に開催された自らの政治資金パーティで次のように述べたという。「(中国の観測気球がルートを外れて1月末~2月初めにかけて米本土を飛行したことを)習近平氏は知らなかった。何が起きているか知らないことは独裁者には大きな恥となる。」と。これに対して中国は猛反発した。

 但し、中国政府が猛反発した理由は「独裁者」呼ばわりされたからではなく、習近平が気球の動きを知らなかったことを指摘された点にあるようだ。その背景には経済が失速し、若年層の失業問題が深刻になり、地方政府の財政が破綻しかねない最悪の状況に中国が陥っている現実がある。つまり鄧小平が「改革開放」を唱えて以来、中国は高い経済成長を実現してきたが、習近平政権になって経済が急失速し、中国共産党の一党独裁体制が危うくなってきたことを肌身に感じている時に、その急所を指摘された発言だったので激怒したのだと藤和彦氏は指摘する。(「習近平がバイデンに独裁と言われて激怒」、JBPress、6/28)

 要約すれば、中国経済が急失速した原因は二つある。アメリカによる制裁とゼロコロナ政策だ。アメリカが中国に強力な制裁を科した理由は、習近平がとってきた国際法を無視した「戦狼外交」にあり、ゼロコロナ政策は習近平の面子を優先した産物だった。言い換えれば、中国を経済大国に押し上げた功績は鄧小平の慧眼であり、経済の大失速をもたらした責任は習近平の面子だったということになる。

 そしてその「殿の暴走」を誰も止められなかったのは、いみじくもバイデン大統領が指摘したように、習近平が独裁者だったからであり、指導部をイエスマンで固めた結果であるだろう。

 ではそのアメリカはどうか。既に書いたように、プーチン大統領にウクライナ侵攻を挑発したのはバイデン政権であり、戦争が始まるとアメリカはウクライナに数兆円を上回る軍事支援を行ってきた。さらにドイツとロシアが作り上げた天然ガスパイプラインを海底で爆破したのもバイデン政権の工作であることが濃厚である。但し歴史が証明するように、このような大事件の真相は解明されないまま、限りなくグレーのまま封印されてきた。

 何故このような横暴がまかり通るのだろうか?同時にバイデン政権は既に述べたように、アメリカ社会の民主主義と司法制度を破壊する暴挙を進めてきた。結果から評価すれば、バイデン政権は国際社会及び国内において混沌状況を作為的に推し進めてきたことになる。ハース会長が指摘したとおりである。連邦議会下院で過半数を奪回した共和党と、アメリカ市民の良識ある行動に期待したい。

21世紀のガバナンスが必要

 以上述べてきたように、2020年のコロナ・パンデミック以降、世界情勢は混沌の度合いを強めている。その第一義的な責任は、アメリカ、ロシア、中国のリーダーシップにある。そして混沌化を食い止めて秩序を取り戻すためには、「殿の暴走」を抑制するガバナンスの再構築が必要である。

 国連安全保障理事会の常任理事国であるロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めたことによって、国際秩序を維持するメカニズムは機能不全に陥った。また、アメリカ国内では大規模な選挙不正が起きて、本来政治から独立している司法や、それらを監視する立場の大手メディアが政争の一翼を担っているという、民主主義の存亡にかかわる混沌が進行している。

 2022年10月に天然ガスパイプライン爆破事件が起きた時、ドイツはアメリカに抗議せずアメリカに屈する行動をとった。一方マクロン大統領は「これ以上アメリカにはついてゆけない」とばかりに距離を置く発言を繰り返した。ドイツの対応は堂々と抗議しなかったが故に、今後の米独関係に暗い影を残すことになることが懸念される。

 このように国際社会の現実を俯瞰する視点で考えると、「米露中の暴走を抑止する役割は日本と欧州にある」という未来の姿が浮かび上がってくる。その自覚に立ってアメリカと是々非々の間合いを取ったところに立って考え行動することが、日本のみならず世界が「戦後レジーム」から脱却し、21世紀のガバナンスを構築することになると信じる。

 今年日本はG7の議長国を務めているが、上記理解が真実の一面を捉えているとすれば、米露中が繰り広げる21世紀の戦争に対して、G7議長国に相応しい独自のガバナンス哲学をもって臨むことが日本の役割であると確信する。

 現在からちょうど1年前、安倍晋三元首相が銃弾に倒れた。歴史を大きく回顧すれば、安倍晋三という政治家は、時にトランプ大統領を諫め、時に習近平国家主席に対し毅然と警告し、さらに欧米間や米印間の調整役を担うなど、本来日本が果たすべき役割を演じてこられたように思う。

歴史はこうして作られる(2)

新ワシントン・コンセンサス

21世紀の戦争

 アメリカはロシアと中国に対し二正面の戦争を始めた。(「世界で進行中の事態(後編)」参照)但し、武器を使わない21世紀の戦争であり、20世紀の定義からすれば戦争とは呼ばれない。英語にWeaponizeという言葉がある。「武器化する」という意味だ。21世紀の戦争は武器以外の手段を動員する、経済も金融もサプライチェーンをも武器化して行う戦争である。

 今回対中戦争の強力な武器として用意されたのは「新しいワシントン・コンセンサス(新WC)」である。

 アメリカは1990年代以降およそ30年にわたって世界にグローバリゼーションを布教してきた。布教のバイブルとなったのが「ワシントン・コンセンサス(WC)」である。アメリカは「サプライチェーンをグローバルにし、規制を緩和して、競争を市場の知恵に委ねれば万事巧くいく」と信じていたのである。そして現在、安全保障面でも経済面でも中国から前例のない挑戦を受けて、今までのWCでは対抗できないことが明らかになった。

グローバリゼーションの軌跡

 現在まで運用されてきたWCは、アメリカが1980年代末に、国家の政治経済の運営に係る政策パッケージとして発表したものである。当時は債務に苦しんでいた南米諸国のための政策指針として提唱されたが、やがて「グローバリゼーション、規制緩和、市場の知恵」政策(以降「グローバリゼーション政策」)を推進するバイブルとなった。

 冷戦が終わると「歴史の終わり、フラットな世界」を象徴する「錦の旗」となった。アメリカはグローバリゼーションを推進し、中国のWTO加盟にも尽力した。そしてグローバリゼーションは世界の潮流となった。

 しかしながら21世紀になって、あたかも地球の磁極が反転するかのように、世界の風向きが変わり始めた。リーマンショック、パンデミック、気候変動、ウクライナ戦争が相次いで起き、グローバリゼーション政策の欠陥が次々に明らかになった。要約すれば次のとおりである。

 ①パンデミックとウクライナ戦争が起き、サプライチェーンの脆弱性のみならず、過渡の外国依存は安全保障上の危機を招くという認識が共有された。

 ②グローバリゼーションは結局、国際ルールを無視してきた中国の軍事的野心も、またロシアの軍事侵攻も止められなかった。結局両国はアメリカが期待した責任ある協力的なプレイヤーにはならなかった。

 ③グローバリゼーションの進展とともにアメリカ国内の産業基盤の空洞化が進み、中流階級の貧困化を招いた。

台頭した中国への対抗

 トランプ政権は、中国に対する宣戦布告と称されたペンス副大統領演説を転機とし、懲罰的な関税をかける措置を矢継ぎ早に講じた。バイデン政権はこの関税政策を継承すると同時に、輸出管理規定を厳格化して、半導体やスパコン等、アメリカ製の技術・ソフトウェア・機器などを使って製造した機器の中国への輸出を実質的に禁輸とした。(詳しくは「世界で進行中の事態(前編)」参照)

 バイデン政権はさらに、2021年にCHIPS法を成立させて米国内での半導体の開発製造に527億ドル(約7兆円)の助成金を支給することを決め、続いてインフレ抑制法(IRA法)を成立させて電気自動車や再生エネルギーの普及等に10年間で3910億ドル(約54兆円)を投入することを決めて、国内の産業基盤の再構築に乗り出した。

新しいワシントン・コンセンサス

 しかしながら、従来とってきた政策はパッチワーク的で中国に有効に対抗できていないと判断したバイデン政権は、経済・産業政策の基盤となってきたWC自体を刷新することを決めた。そしてサリバン大統領補佐官は、4月20日にブルッキングス研究所(the Brookings Institution)で新WCに関する講演を行った。講演の全文はホワイトハウスからダウンロードできる。(資料2参照)以下に要点を整理する。

 初めに現在アメリカが直面している四つの課題について定義している。

 第1に、アメリカの産業基盤が空洞化した。「市場の知恵に委ねれば巧くいく」と言っていたが、グローバリゼーションが進み企業も雇用も国外に出て行ってしまった。

 第2に、アメリカは中国からの地政学的・安全保障の脅威と同時に、重大な経済インパクトに直面している。グローバルな経済統合は幻想だった。

 第3に、加速する気候変動の危機に直面している。正しく、効率的なエネルギーの移行が待ったなしとなった。

 第4に、中国による不公平な挑戦が民主主義にダメージを与えている。

 以上のように課題を整理した上で、サリバン補佐官は対処方針について次のように述べている。

 「大事なことは造ることだ。キャパシティを造り、レジリエンスを造り、そして包括性を造ること。つまり強い物理的なインフラ、ディジタル・インフラ、クリーン・エネルギーのような公共財をこれまでにない規模で生産し革新し提供するキャパシティであり、自然災害や地政学的なショックに耐えるレジリエンスであり、強く活力のあるアメリカの中流階級と世界中の労働者に対しさらに大きな機会を保障する包括性である。それをまず国内で造り、次いでパートナーと協力して国外でも造る。」

 これは「中流階級のための外交政策」と呼んできたものの一つであり、次の4つのステップで推進するという。

 第1に、アメリカの新しい産業戦略として国内に基盤を造ること。第2に、パートナーに協力してキャパシティ、レジリエンス、包括性を造ることを確実にすること。第3に、革新的な国際経済協力体制を造ること。そして第4に、数兆ドルの資金を、今出現しつつある経済への投資としてかき集めること。

 ちなみに今日解決しなければならない問題は7つあり、それは、①多様性と耐力を備えたサプライチェーンの構築、②クリーン・エネルギーへの移行と持続的な経済成長のための官民による投資、③その過程での良質なジョブの創出、④公正で安全で透明性のあるディジタル・インフラの保証、⑤法人税の低減競争の停止、⑥雇用と環境のさらなる保護、そして⑦汚職の根絶である。

 究極の目的は、強力で耐力を備えた最先端の技術産業基盤にある。

中国への配慮

 要するに、WCを刷新する理由を俯瞰して言えば、「アメリカはおよそ30年間、グローバリゼーション政策を推進してきたが、その結果、中国が安全保障面でも経済面でもアメリカを脅かすモンスターになった。グローバリゼーション政策は失敗だった。」ことに集約される。

 このように新WCが中国への対抗手段であることは明明白白なのだが、サリバン氏は、次のように中国に対する配慮を加えている。

 1)中国との関係はデリスキング、多様化であってデカップリングではない。(we are for de-risking and diversifying, not decoupling.)

 2)中国に対する輸出規制は軍事バランスを崩す技術(technology that could tilt the military balance)に限定する。

 3)中国とは複数の領域で競争しているが、我々は敵対を望んではいない。責任をもって競争を管理することを追求するものであり、気候変動やマクロ経済の安定性、健康や食糧のセキュリティ等のグローバルな課題に対しては協力して対処すべきだと考える。

戦略に潜むナイーブさ

 アメリカは歴史的に戦略志向の国なのだが、どこかにナイーブさが同居している国でもある。第二次世界大戦では共産主義ソ連に憧憬を抱き、南下するソ連軍と戦ってきた日本とドイツを敵とした。真の敵が共産主義だったことは、その後の歴史が証明している。また建国後の中国に対し手厚い支援を行ってきたが、中国は今やアメリカの前に立ち塞がる史上最強のモンスターとなった。何れもアメリカの片思いに終わったのである。

 イエレン財務長官は「ワシントンは経済的なコストを伴うものであっても、中国との関係では安全保障を優先する。競争優位を堅牢にするのでも中国の近代化を抑制するのでもなく、米国は安全保障上の利益を防衛することに集中する。両国は健全な経済関係を構築すべきだ。中国の経済成長はアメリカの経済リーダーシップと競合する必要はない。我々は中国経済とのデカップリングを追求しない。両国経済の完全な切り離しは、両国に破滅をもたらすからだ。」と述べている。

 デカップリングをデリスキングと言い換えて、気候変動では協力して取り組みたいと言ったところで中国が態度を変えるとは思えない。グローバリゼーション政策の失敗を反省し、戦略を刷新する一方で環境問題等では中国の協力を期待するというところに、アメリカのナイーブさとそれ故の危うさが垣間見える。

異質なものが混在する新WC

 このように、新WCは安全保障面での中国対策と国内の産業戦略に、気候変動危機に対処するクリーン・エネルギー改革を加えたものを目指している。しかし、経済を含めた国家安全保障の問題と、気候変動とクリーン・エネルギー問題は本来別テーマであり、対策を統合するには無理がある。リベラルな政党であるアメリカ民主党故の勇み足に思える。

 グローバリゼーションが中国独り勝ちに終わったからと言って、グローバリゼーションは幻想だったから放棄するとなれば、世界に、特にグローバルサウスの国々に少なからぬ影響を及ぼすだろう。サマーズ元財務長官がこの点を指摘している。「安価な製品を輸入する重要性を強調しなかった点は失望だ。それはアメリカの生活水準と製造業の生産性を決める重要な部分だ。」と。先進国は難易度が高く付加価値が高い製品へシフトし、安価な日用品等はグローバルサウスから輸入するというウィンーウィンの関係を維持することが、世界経済の観点からグローバリゼーションが目指した狙いだった筈だ。

 また、気候変動とクリーン・エネルギーへの移行は本来グローバルな命題だが、地球温暖化対策に不熱心な中国と、化石燃料輸出大国のロシアの協力を得ることは困難という他ない。それどころか、アメリカ国内のレガシーの産業界からの賛同すら得られないだろう。既に全米自動車労働組合(UAW)がバイデン再選を支持しないことを宣言している。

欧州からの不協和音

 新WCに対しては欧州からも批判が相次いだ。イギリスのフィナンシャルタイムズは「旧WCは世界各国にとってプラスサムの世界標準であったが、新WCはある国が成長すれば他国が犠牲になるゼロサムだ。」と批判した。その通りだろう。何と言おうが、主目的が中国に対する安全保障上の対抗措置であり、新WCは世界標準から対中戦略としての国益最優先へのパラダイムシフトに他ならないからだ。

 4月に北京を訪問したマクロン仏大統領による、それ以降の一連の発言が「欧州は無制限にアメリカに追随しない」トーンとなっていることに注意が必要だ。欧州はウクライナ戦争が起きた結果、エネルギーのロシア依存からの離脱とウクライナ支援で疲弊している。台湾問題は欧州の問題ではなく、「ロシアに続き中国とのデカップリングは御免だ」という本音が見え隠れする。公然と異論を唱えているのはマクロン氏だけだが、今後欧州とアメリカの間で対中政策を巡る軋轢となる可能性がある。

「未来の歴史を造る」新WC

 新WCは間違いなく「未来の歴史」の方向性に影響を与えるものとなるだろう。問題は亀裂が入った国際秩序を再び縫合する貢献をするのか、それとも亀裂を拡大させて世界が多極化に向う原因となるのか、何れの道を辿るのだろうかにある。

 「世界で進行中の事態(後編)」で、「ディープ・ステートの代表者と言われるジョージ・ソロスは、2019年1月に開催されたダボス会議で中国に対する宣戦布告ととれる発言を行った。」ことを紹介した。サリバン講演には「グローバリゼーションは幻想だったから是正する」ということと、「中国に対抗する政策を総動員する」という、本来は異質な二つのメッセージが含まれている。

 冒頭述べたように、バイデン政権がロシアと中国に対し同時二正面戦争を仕掛けたことは事実である。「まずウクライナ戦争でロシアを弱体化させ、次に新WCによって中国を弱体化させる。」単刀直入に言えば、それが新WCの本質であると思われる。つまりソロス発言とサリバン講演は呼応しているのである。

 ここで一つの疑問が生じる。次の大統領選挙まで残り1年余という時点でバイデン政権はなぜ同時二正面戦争を仕掛けたのかということだ。

 世界情勢は現在混乱の極みにある。しかも経済情勢の悪化が同時に進行していて、アメリカの金融危機、中国の経済危機、欧州の不動産危機のどれがいつ発生してもおかしくない状況にある。しかも経済危機がどこかで起きれば、発生源がどこであれ、危機は連鎖し容易に世界同時不況に発展する危険性が高い。

 つまり現在は、台湾有事の前夜であるばかりか、2024年の米大統領選前夜でもあり、世界規模の経済危機の前夜でもあるのだ。パンデミックとウクライナ侵攻の後で次の有事の前夜というタイミングで、バイデン政権が同時二正面戦争を始め、新WCを提唱した背景には、計算された相当の理由があると考えられる。

日本との関係

 最後に日本との関係を考えておきたい。

 「年次改革要望書」というものがある。1994年~2008年まで、毎年アメリカ政府が日本政府に対して送り付けてきた、制度改革に関する要求リストである。その代表的事例は小泉政権が強行した「郵政民営化」である。そもそも郵政民営化が日本の国益にどう貢献したのかさえ疑問だが、日本にとってさらに重大な影響を与えたものは「財政規律」という縛りである。「プライマリー・バランス」という呪文は、デフレからの脱却に必要な財政出動を抑制したため、「失われた30年」の長期低迷を招いた原因の一つとなったことは間違いない。

 旧WCには、財政規律の維持、政府事業の民営化、税制改革、規制緩和、貿易自由化という項目が並んでいる。WCの項目と年次改革要望書の項目は見事に符合しており、年次改革要望書の根拠がWCだったことは明白である。

 WCの刷新は日本の政治を拘束してきたアメリカからの要求が一変することを意味している。

 折しもサリバン米大統領補佐官が来日して6月15日に、岸田総理を表敬訪問している。ブリンケン国務長官が18日から2日間北京を訪問する直前であり、新WCについて講演したばかりのサリバン補佐官が急遽来日した理由は何だったのだろうか。日本は既にアメリカが始めた同時二正面戦争にしっかりと組み込まれていることは確かだろう。地政学的に考えて、台湾有事と北朝鮮の核脅威の最前線に位置するのは日本なのだとの覚悟を新たにして、自律的に必要十分な対策を講じなければならない。

危機前夜にあって「東京コンセンサス」を示せ

 時間軸で現在位置を確認すると、今はパンデミックとウクライナ侵攻の後で、台湾有事、世界規模の経済危機の前夜にあり、しかもバイデン政権は残り1年余というタイミングにある。アメリカ自身が混乱の渦中にあり、次は共和党政権が誕生する可能性が高まっている。

 今まさにカオスのような世界情勢の中をどうやって生き延びるのかが問われているのである。風見鶏政権では国を危うくする。誰のための法案なのかも何故今なのかも全く分からないLGBT法案に賛成票を投じるような保守政党には、危機に対処する指導力は期待できないという他ない。

 有事に臨み何よりも重要なことは、「そのとき日本はどう動くべきか」を明文化する行動規範(Code of Conduct)を用意することである。それを例えば「東京コンセンサス」として明文化して、国民にかつ世界に対し宣言することが何よりも大事だと考える。バイデン政権が「グローバリゼーションは幻想だった。然るに外交・経済・産業政策の要であったWCを刷新する。」と宣言したように。

 そして「東京コンセンサス」の冒頭に明記すべきキーメッセージは、「強い国力を取り戻す」ことである。パンデミックやウクライナ戦争の教訓の一つは、有事を克服するために最も必要なものは国力であるという事実だ。「失われた30年」を「再び成長する日本」に大転換させる強い意思表明こそが、有事前夜の喫緊にして最大の命題である筈だ。国力を取り戻すことなくしては、防衛力増強も少子化対策も「財源をどうするのか」という一喝の前に画餅に終わるだろう。

 「未来の歴史」はリーダーの強い意思表明が切り開くものであることを強調しておきたい。

 6月15日から2日間開かれている日銀政策決定会合において、プリンストン大学の清滝信宏教授が、「金融緩和を当面継続する」と述べた植田総裁に対し、「1%以下の金利でなければ採算がとれないような投資を幾らしても、経済は成長しない。量的緩和による低金利は、生産性の低い投資を企業に促し、逆に収益体質を脆弱化している。量的緩和と低金利を続けてきたことが、30年間成長してこなかった日本低迷の根源だ」と厳しい指摘している。本質を突いた指摘だと思う。(資料3参照)

参照資料:

1)「世界経済の無法者中国に、とうとうアメリカが「本気の怒り」を見せ始めた」、長谷川幸洋、現代ビジネス、5/12

2)「Remarks by National Security Advisor Jake Sullivan on Renewing American Economic Leadership at the Brookings Institution」, the White House, 4/27

3)「ノーベル経済学賞候補が日銀植田総裁に嚙みついた!」、鷲尾香一、現代ビジネス、6/15