エイジングギフト

老後という贈り物

プロローグ

 別稿の『VWSG思考』に、次のメッセージを書いた。(https://kobosikosaho.com/daily/1242/

 昼のひと時に公園のベンチに座って虫や鳥の鳴き声に耳を傾けながら、壮大な生物の物語に思いを巡らせてみて欲しい。次に晴れた夜に同じベンチに座って満天の星が輝く宇宙を眺めて、無限に広がる宇宙に想いを巡らせてみて欲しい。その上で想像力を逞しく働かせて欲しい。例えば次のように。

 漆黒の宇宙にポツンと浮かぶ地球がある。宇宙船地球号は超高速で宇宙空間を飛翔している。その地球を舞台として、壮絶な生物進化の物語が30数億年にわたって繰り広げられた。その物語のライブステージが現代であり、「現役」の俳優の一人として今自分の人生がある。人生には恐らくこの荘厳な事実に勝る感動はないだろう。

 本資料を書くにあたって、全般にわたり下記資料を参照させていただいた。

・資料1:「なぜヒトだけが老いるのか」、小林武彦、講談社現代新書、2023.6

生物の進化と淘汰、生と死

 現在生存している全ての生物は、凡そ38億年前に起動した生物進化のプログラムによって、現在の形質を獲得した。この生物進化のドラマには二つの物語が同時進行の形で織り込まれている。

 第一の物語は、生物の種が進化と淘汰を繰り広げてきた巨視的に俯瞰した物語である。進化とは「新たな種の登場」であり、淘汰とは「進化に失敗した種の消滅」である。

 第二の物語は、個体の生死が繰り返されてきた微視的に俯瞰した物語である。物語の中で個体に与えられる命は、ほんのひととき或いは一瞬でしかないのだが、個体にとってはそれが与えられた時間の全てである。

 生物の種の物語が縦糸となり、個体の生死の物語が横糸となってタペストリーのように織り込まれて、38億年にわたる生物の歴史が綴られてきた。現代の生物が繰り広げている営みはそのドラマの「現在の姿」に他ならない。ドラマに登場するアクターは次々に交代し、ホモ・サピエンスは哺乳類の中で最後に登場したアクターである。

生物の仕組み

 生物は動物も植物も細菌もウィルスも、皆固有のDNA(遺伝情報)を持っている。DNAは種を規定すると同時に個体の多様性を規定している。具体的に言えば、同じ種に属する個体は共通のDNA構造を持っていると同時に、個体ごとに固有なDNA情報を持っている。

 個人毎に固有のマイナンバーカードが交付されるように、全生物の個体は全て唯一無二のDNAを持って生まれてくる。ヒトのDNAについて最新の科学が明らかにした驚嘆に値する事実の一端を、資料1から引用して紹介しよう。

 1)ヒトの細胞は約37兆個ある。その一つ一つに父母由来のDNAがそれぞれ約30億の塩基対として、合計で2組60億の塩基対がコピーされて1/100ミリほどの細胞膜の中に折り畳まれて格納されている。塩基には〔グアニン、シトシン、アデニン、チミン〕の4種類があって、記号で〔G、C、A、T〕と表現されている。この内AとT、CとGがそれぞれ結合して塩基対となり、DNAを形成している。この四種類の塩基が遺伝子情報を記述する最小単位(ビット)を形成している。

 2)細胞には寿命(耐久限界)がある。古くなった細胞は所定の時間が経過すると新しい細胞に置き換えられる。置換の周期は細胞の部位によって異なり、ヒトの場合最短は血液の細胞で約4カ月、最長は骨の細胞で約4年である。古くなった細胞は分解されたり、免疫細胞に食べられたり、或いは老廃物として廃棄される。

老化のメカニズム

 細胞は大別して体細胞と生殖細胞に分けられる。さらに体細胞には、体のどこの部位になるのかが定まっている細胞と、定まっていない細胞の二種類がある。後者は「幹細胞」と呼ばれ古くなった細胞に代わる新しい細胞を作り出す役割を担っている。

 幹細胞が新しい細胞を作り出すとき、約30億✖2組の塩基対の全て(すなわちDNAの全情報)がコピーされるが、所定の確率でコピーエラーが生じる。エラーを修復するメカニズムが備わっているものの、年齢とともに修復が不完全となりエラーが蓄積してゆく。

 細胞が老化する原因は『エラー蓄積仮説』と呼ばれる。DNAのエラーが蓄積することによって、細胞の機能が徐々に低下するというものだ。細胞の機能低下が進むと、やがて臓器などの器官が正常に機能しなくなる。これが老化症状となる。

 老化は人体のあらゆるところで起きるが、致命的な老化が二つあるという。一つは新しい細胞を作り出す幹細胞の老化であり、他一つは人体の中で新しい細胞に置き換わることがない脳と心臓の老化である。

 ヒトの死因の上位は、癌、心疾患、老衰、脳疾患の順である。また老衰の原因の大半が心不全であるので、癌を除く死因の上位は、細胞が新しいものに置換されない脳と心臓が耐久限界に到達したことによって起きると考えられる。

 一方、癌は幹細胞が老化して新しい細胞を供給できなくなり、老化細胞が排除されなくなって「炎症性サイトカイン」と呼ばれる物質が増えることによって起きる。

ヒトの寿命

 一般に体の大きな動物は寿命が長く、小さな動物は短い。資料2の中で東京工業大学名誉教授の本川達雄氏は、さまざまなデータを分析して動物では「時間が体重の1/4乗に比例する」という法則を導いた。この法則は、体重が1kgの動物の時間を1とすれば、10kg、100kg、1トンと大型になるに従って、動物の時間は1.8、3.2、5.6と長くなってゆくことを示している。小型になる場合には同じ割合で時間が短くなる。

 本川達雄氏がいう哺乳類の時間とは、寿命はもとより、成熟するまでの期間、呼吸や心拍の間隔、血液が体内を一巡する時間など、生命活動に係る様々な時間を指している。

 さてここでヒトの寿命について考えたい。始めにヒトの生物学的な寿命は推定50歳前後であるという。資料1で小林武彦氏は、三つの根拠を挙げている。第一にDNAがかなり似ているゴリラやチンパンジーの寿命が50歳前後であること、第二に哺乳類の総心拍数は約20億回(哺乳類の種によらずに同一)で、ヒトの場合約50歳で到達すること、そして第三に55歳頃から癌で死亡する人が急増することである。

 一方現代の日本人は、健康に恵まれると90~100歳の長寿を得ている。生物学的寿命とのギャップ(要するに老後)は約40年前後に及ぶ。この現実をどう理解したらいいのだろうか。

動物の老化

 ヒトには「長い老後」が約30~40年もあるのに対して、資料1によれば<ヒト以外の生物の老化期間は短いか殆どなく、老化と死がほぼ同時に訪れる>という。これは何故だろうか。

 老化に関して興味深いのはサケだ。サケは自分が生まれた場所が産卵に適した場所であることを知っている。サケは激流をも落差のある滝でさえも遡って、ようやく生まれた場所に辿り着いて、産卵・放精という最後の使命を果たすと間もなく寿命を迎える。ここで驚嘆するのは、遡上過程では老化が起きず、子孫を残すことができると急激に脳が委縮して死亡する事実である。

 生態系は基本的に「食べるか、食べられるか」の関係で維持されているので、野生生物には老化がない。体の小さい動物は食べられて死ぬことが多いのでそもそも長寿化の意味がない。肉食動物の場合には餌を獲れなくなれば死に至る。またゾウは老化症状を示さず、癌にも罹らず、心筋梗塞などの循環器系の不具合が原因でピンピンコロリと死ぬ。

 老後があるのはヒト、シャチ、ゴンドウクジラのみで、それ以外の哺乳類に老後はないという。三つの種の共通点は「子育て」にある。

ヒトの「長い老後」

 ではヒトに長い老後があるのは何故だろうか。それを説明する理由として「おばあちゃん仮説」と「おじいちゃん仮説」と呼ばれるものがある。どういうものかというと、我々の祖先は肉食動物を狩るために、或いは他の集団に対して優位に立つために集団生活をしていた。集団生活では子育てを分担するおばちゃんと、集団を束ねる長老としてのおじいちゃんの存在が重要となり、その社会的ニーズが長寿を促進したという仮説である。

 冒頭に「個体の生と死は生物の進化と淘汰という長編物語を構成する一コマである」と書いた。個体と集団の関係、さらには種との関係を因果関係として捉えると、ホモ・サピエンスという種が進化してゆく過程で、集団の存続と繁栄にとって「老後の存在」が有益だったために、ヒトの長寿化が促進されたという解釈が成り立つということだ。

 ヒトは他の哺乳類と比べて格段に高い免疫力を持っているという。ヒトは免疫力を高めることによって長寿を実現してきたと解釈される。

 小林武彦氏は書籍の末尾を次のように結んでいる。

 <現役を引退する60~70代には、老後に対する不安が募り鬱々とした気持ちが高まる。ところが85歳を過ぎる頃になるとその不安が減り、あるがままの状態を受け入れるようになる。このネガティブからポジティブへの転換は、大病や配偶者との死別などつらい経験をした人ではさらに強くなる。この境地は『老年的超越』と呼ばれる。>

エイジングギフト

 1955年に東京都八王子市で生まれ、若くして北海道礼文島に移住した植物写真家でエッセイストの杣田(そまだ)美野里さんは、遺作となった『キャンサーギフト』(資料3)に次の二句を残している。

 ・現(うつつ)とは死を意識して輝くと、母の愛した言葉の一つ

 ・咲きながら一世(ひとよ)のおわりに降るものを、キャンサーギフトとわたしは呼ぼう

 「キャンサーギフト」というのは、「癌がくれた贈り物」という意味である。この境地こそ『老年的超越』ではないだろうか。仏教でいう「悟り」の境地である。

 振り返ってみれば、現代人は時間に追い立てられるように人生の大半を過ごしている。その持ち時間は最長でも100年、健康寿命に恵まれたとしても社会の現役を退いた後せいぜい30年しかない。老後から振り返れば、人生100年は駆け足で過ぎてゆく。

 老後の30年余という期間、しかもヒトが進化の結果手に入れた時間は、「エイジングギフト」、即ち「老後という贈り物」、そう捉えることが相応しいように思う。但しそのためには杣田美野里さんの心境に到達する必要がある。

エピローグ

 ヒトは70歳を過ぎる頃から老化の進行を実感するようになる。体力や記憶、気力が衰えてゆき、年々歳々それが徐々に進行してゆく。老後は今まで出来ていたことが思うようにできなくなるために、気持ちが落ち込み気味になるものだ。減ってゆくもの、或いは失ってゆくものに注目すれば、暗い老後というイメージに支配されるに違いない。

 しかし視点を転じれば、老後の人生には増えてゆくものがある。代表的なものは自由である。時間やお金、さまざまな束縛からの自由がある。もう一つ重要なものは豊富な蓄積である。「おじいちゃん仮説」が示唆しているように、知識、経験、知恵、洞察力など、老人は豊富な知的財産を持っている。ここに注目すれば、老後は人生における至福の時間なのだということに気付かされる。

 東北大学名誉教授で歴史家の田中英道氏は、資料4で「老後賛歌」を綴っているので紹介しよう。

 『富岳百景』初編の末尾に「七十前描く所は実に取るに足るものなし(70歳以前に描いたものは駄作ばかりだった)」と葛飾北斎は書き残している。これは「老人には創造性がある、老人の域に入って年齢を重ねるにつれて若い時以上に深い表現力をもっている」ことを示唆するものだ。

 記憶をただの思い出話にするのではなく、思い出話の中に普遍的なものや教訓的なものを見出して整理する。そこから始めて文学や思想といったものに結晶させる、そういったことは老人にしかできない。この重要性に気が付くことこそが、老人の生き方において最も重要なことである。

 85歳で没した杉田玄白が、最晩年に日常生活を赤裸々に綴った『耄耋(ぼうてつ)独語』という随筆を書き残している。これは「長生きにはさまざまな苦しみがあるが、そこに創造するということがなければ、或いはそこから何かを得るということがなければ意味はない。一日一日を生きていくということを意識してはじめて、人の自然の生き方というものが刻まれていく。」ことを物語っている。

 日本には四季があり、春夏秋冬として老年にあたる冬の季節がある。人間にあっては、冬の時期こそが一番余裕のある時期であり、ものを一番生み出す創造的な時期である。

参照した資料

1.「なぜヒトだけが老いるのか」、小林武彦、講談社現代新書、2023.6

2.「ゾウの時間ネズミの時間」、本川達雄、中公新書1992.8

3.「キャンサーギフト」、杣田美野里、北海道新聞社、2021.8

4.「老年こそ創造の時代」、田中英道、勉誠出版、2020.2

VWSG思考

生物進化から託された「現役」というバトン

 地球に最初の生命が誕生したのは35~38億年前のことである。それから進化を重ねて約2億年前に哺乳類が登場した。約700万年前には人類の祖先が、約20万年前には現代人の祖先であるホモ・サピエンスがアフリカに出現した。そして約7万年前に我々の祖先集団はアフリカを出て数万年をかけて世界に拡散した(グレート・ジャーニー)。こうして現代人の歴史が始まった。

 日本人の祖先集団が日本列島に辿り着いたのは約4万年前のことである。そこから2,000世代(20年/世代を仮定)を超える世代交代が繰り返されて現代に到達した。地球を舞台として繰り広げられたこの生物進化の壮大な物語を俯瞰すると、現代が進化の最前線であり、現在を生きている動植物の全てが進化の「現役」なのだという事実に思い至る。

 医学が目覚ましい進歩を遂げて寿命が延び、人生百年時代が到来した。しかし物心ついてから老化が進むまでの期間を「現役」と考えれば、我々に与えられた持ち時間は長くても70年程である。しかもその持ち時間は日々容赦なくカウントダウンしている。

 現代社会には様々な喧噪があり、現代人はそれに忙殺されて毎日を生きている。もう少し正確に描写すれば、時間軸に綴られた生物進化の物語の存在を忘れて、空間軸の世界に閉じこもるようにせわしなく生きている。ここで生物が綴ってきた悠久の物語に眼を向けてみれば、現代に至るまでに壮絶な絶滅と自然淘汰、無数の生死の物語が繰り広げられて、次々に「現役」が交替して、今我々に「現役」のバトンが託されたのだという真相を知ることになる。

 昼のひと時に公園のベンチに座って、虫や鳥の鳴き声に耳を傾けながら荘大な生物の物語に思いを巡らせてみて欲しい。次に晴れた夜に同じベンチに座って満天の星が輝く宇宙を眺めて、無限に広がる宇宙に想いを巡らせてみて欲しい。その上で想像力を逞しく働かせて欲しい。例えば次のようにだ。

(1)漆黒の宇宙にポツンと浮かぶ地球がある。宇宙船地球号は超高速で宇宙空間を飛翔している。

(2)その地球を舞台として、壮絶な生物進化の物語が30数億年にわたって繰り広げられた。

(3)その物語のライブステージが現代であり、「現役」の俳優の一人として今自分の人生がある。

 人生には恐らくこの荘厳な事実に勝る感動はないだろう。

人生は思考法次第

 人生は一度きりであり「現役」に与えられた時間は余りにも短い。そう認識できるなら、誰にも遠慮することなく精一杯思い切った生き方をすればいいのだが、それはなかなか容易ではない。何故なら自分自身を自覚するようになった頃を回顧してみればいい。

 第一に、人は誰もが多くのしがらみに囲まれて生まれてくる。時代や国は無論のこと、地域も家庭も健康状態すらも全てが与えられたものであって、何一つ自分で選んだものはない。これが人生の境界条件である。

 第二に、人は生きてゆく上で必要な知識も経験も、何も持たずに生まれてくる。そしてやがて成人する頃には、さあ進路を選択して海に漕ぎ出せと、生まれ育った環境から追い出される時がやってくる。ここが人生の出発点である。ここから先一体どのように考えればいいのだろうか。

 このように白紙で生まれてくることの裏返しとして、人生には大きな多様性が用意されている。但し選択を一つするたびに一つずつ進路が確定してゆき、一歩進めばその先にまた次の多様性が広がってゆく。それ故に様々な事件や課題に直面する時に、それをどう捉えどう考えどう選択するかが極めて重要となる。

 多様性を平たく言えば「思考次第で人生はどのようにも変わる」ということなのだが、その肝心の思考について教えてくれる人は誰もない。私が提唱するVWSGサイクルは、人生を逞しく生きてゆくために役立つ思考法として体系化したものである。

VWSGサイクル

 VWSGサイクルを通して説明しよう。始めに人生をどう生きるか、その結果何を手にするのかは思考法によって決まると言っても過言ではない。そして成功をもたらす思考には法則がある。

 思考法を体得するには、技法(テクニック)の前に作法(マナー)を身に着ける必要がある。作法とは、茶道、華道、書道、武道、・・・というように、「道」が付く修行に不可欠な、最初に身に着けるべき「型」である。

 そんな難しいことは言わずに、目の前にある道を一歩一歩と歩いてゆくのもいいだろう。その場合、特段の思考法は必要ではない。何が起きようとも物事に動ずることなく悠然と歩いてゆくことができれば、それはそれで立派なことだからだ。

 一方、大きな目標を立てて挑戦する道を選ぶとしたら、「コツコツ・アプローチ」では目標に到達できない可能性が高い。何故なら目標が大きいほど課題は多くなり難易度は高くなるからだ。それを乗り越えるためには飛躍した発想とアプローチが必要となる。

 図にVWSGサイクルを図解して示す。このサイクルは人生、ビジネス、外交に共通の思考法もしくは処世法を描いたものであり、以下に要点を整理する。

 VWSGサイクルの第一ステップは<ヴィジョン(V)>から始まる。

①最初にやるべきことは、将来実現したい姿(ヴィジョン)を大胆に描くことだ

②ここで大事なことは、「それは無理だ」というネガティブな邪念を全て排除することだ

③一方で、もし努力を重ねれば実現できる将来像であるならば、必ずしもヴィジョンは必要ではなく、「コツコツ・アアプローチ」で行動すればいい

 第二のステップは<意思(W)>である。

①意思あるところに道は必ず拓けるという信念をもつことが肝要だ

②次に状況がどう変化しようとも、揺るがない意思を持つことだ

 第三のステップは、<戦略(S)>である。

①ヴィジョンが大きい程、乗り越えなければならない課題は困難になる

②課題に直面したら出来ない理由を挙げて撤退するか、乗り越える方法を発見して挑戦するか、道は常に二つある

③大事なことは成功は困難の先にあると信じて、迷うことなく困難な道を選ぶことだ

④但し課題を乗り越えるためには、ブレイクスルーの発想とそれに基づく戦略が必要だ

 そして第四のステップは<ゲーム(G)>である。

①ビジネスも政治も、そして人生もすべからくゲームなのだと達観することだ

②視野を高いところにおいて全体像を俯瞰し、自分を客観視して最善の一手を考える

③人生は一度きりだと腹を括って、真剣勝負のゲームを挑む

ゲームはヴィジョンから始まる

 喩え話として、港からヨットに乗って海に出ることを考えよう。水や食料など航海に必要なものを積み込んで、さあ船出だ。ここでハタと直面する問いがある。一体どこを目指すのか、そこに行って何をするのかだ。

 人生の航海にはヴィジョンが必要である。与えられた持ち時間は有限であり、しかも誕生と同時にカウントダウンを続けている。「現役」として命が与えられている間に一体何を実現したいのか、または極めたいのか、将来像を描かない限り人生の航海を始めることは出来ない。ヴィジョンを掲げて勇気をもって進むことだ。

意思、アインシュタインの名言

 簡単に諦めてしまう人に大きなヴィジョンを実現することは出来ない。大きな目標をもって諦めずに挑戦した人々の代表例はオリンピック選手だろう。メダルを目指して戦った人達の顔を見ればいい。そこには最後まで諦めなかった清々しい顔がある。

 では成功する人に共通している資質は何だろうか?その答えは「成功するまで諦めない」である。かのアルバート・アインシュタインは次の名言を残している。

・失敗とは道半ばの成功である(Failure is success in progress.

・取り組みを止めない限り失敗はない(You never fail until you stop trying.

・人類が直面している重大な問題は、それを生み出した時のレベルの思考で解くことは出来ない。人類にとって最も重要な課題は新しい思考を発見することである。(The significant problems we have cannot be solved at the same level of thinking with which we created them. The most important task for humanity is to discover new ways of thinking.

 アインシュタインの言葉は処世訓そのものである。さまざまな課題に直面した時に、課題とどう向き合うかによってその先の人生は大きく変わる。大事なことは「逃げない、ブレない、たじろがない」意思である。

戦略とブレイクスルー発想

 戦略とは大きなヴィジョンを達成するためのシナリオ、不可能を可能に換える方策と手順のパッケージである。

 人類の歴史はイノベーションの歴史である。紀元前の農耕革命、石器や土器の発明以降、人類は新しい技術を相次いで発見し、新しいモノやシステムを次々に発明してきた。ノーベル賞を持ち出すまでもなく、人類社会の進化がイノベーションによってもたらされたことは明らかだ。ここで注目すべきは、イノベーションの大半が過去の経験や常識に囚われない柔軟な発想から生み出されたことだ。

 一般に人が行動する動機は三つある。やりたいこと、できること、やるべきことの三つだ。英語で言えば、WouldCouldShouldである。この内やりたいことをやるのであれば戦略は不要である。またできることをコツコツと積み重ねることは戦略とは言わない。

 戦略的なアプローチが必要となるのは「やるべきこと」に挑戦する場合である。どうすればそれを実現できるかを目的思考で考える。初めに到達点を明確にして、そこに辿り着くルートと手段を現在位置から仰ぎ見るのではなく、到達点から振り返るように考えることが重要だ。何故なら現在位置から考えればできることを積み上げるアプローチを選ぶことになり、到達点から考えれば経験や知識を超えたブレイクスルー発想を促すことになるからだ。

 ブレイクスルー発想とは例えば次のようなものだ。地球上のどこか未知の土地に行くことを考える。目的地に到達する方法は幾つもあるだろう。歩いてゆく、自動車を使う、ヘリをチャーターして飛ぶ、或いは地理や土地の事情に明るい人物に代わりに行ってもらう・・・。方法は幾らでもあるのだが、自由奔放な発想ほど「そんなことは無理だ」という理由から、暗黙のうちに排除されてしまう可能性が高い。

 ブレイクスルー発想がなければ大半のイノベーションは生まれなかったことを肝に銘じるべきだ。イノベーションとは生物の進化に匹敵する人類が成し遂げた革命に他ならない。

ゲーム

 単純化して言えば、人生には常に選択肢が二つある。楽な道と、困難な道の二つである。一般に「できること」を選択すれば楽な道に通じ、「やるべきこと」を選択すれば困難な道に通じる。後者の場合困難を乗り越える心構えが必要になる。それは次のようなものだ。

(1)人生というドラマの主役は自分であることを肝に銘じる

(2)人生とは目の前に次々に現れる課題を解決してゆくゲームである

 どんな課題でも必ず解決できるという信念を持ってゲームに挑み、楽しみながら謎解きをする心構えで行動すれば、ヴィジョンは一つずつ引き寄せられてゆくことだろう。

 「引き寄せの法則」というのは、真剣に謎解きゲームに挑んでいれば、やがて機が熟した時に向こうから謎を解くためのヒントがやってくることを言う。脳は解けていない謎があると、睡眠中を含めて記憶された情報の中から関連情報を引っ張り出して関係づける作業を繰り返していると言われる。即ち「引き寄せの法則」とは、寝ている間も謎解きに挑んでいる脳の働きの賜物なのだ。

 外交もビジネスもゲームであると捉えて臨むことが賢明である。概して日本人は正直すぎるというか、性善説に立って思考するために、ゲームを挑むことが苦手な民族である。むしろ性悪説に立って、最悪の展開を想定した準備を整えてゲームに臨むくらいがちょうどよい。

 ズバリ言えば、相手が嫌がるカードを用意してゲームに臨む非情さというか、ゲームを楽しむ余裕が必要だ。このことは将棋や囲碁を考えれば明らかだ。棋士は自分が優勢になって、相手を投了に追い詰めてゆく最強の一手を常に考えている。将棋や囲碁は典型的なゲームである。外交もビジネスも人生もこれと変わらない。

総裁選の彼方にある未来

総裁選を考える

 8月14日に岸田総理大臣が任期満了後の退陣を表明した。ここぞとばかりにマスコミは「次は誰か」の話題に飛びついた。名前が挙がった政治家は8月19日現在で11名となり、総裁選という喧噪が始まった。

 喧噪の主題が「自民党総裁の選出」に留まるのなら何も違和感はない。しかし真の主題が「総理大臣の選出」であるとすると、選出プロセスに国民の関与がなく果たして民主主義国家として健全な姿なのかという疑問が生じる。

 アメリカ大統領選が同時並行で進行している。大統領制と立憲君主制の違いがあるが、国の次のリーダーを選ぶプロセスとして、どちらがより民主主義の理念に適っているかを比較する価値はある。アメリカの場合、二大政党である共和党と民主党が党としての大統領候補を選出して州に候補者を届け出て、州ごとに有権者による選挙を行って最多の票を獲得した候補者が予め州に割り当てられた代理人を獲得する仕組みになっている。そして全米50州及びワシントンDCの合計で最多の代理人を獲得した候補者が大統領に選出される。

 候補者は数カ月をかけて激戦州を中心に各州を遊説してキャンペーンを行い、政策をアピールする。両党の候補者同士の討論も行われて、候補者が国民に政策を説明し支持を訴える。アメリカ方式がベストとは言えないが、候補者が国民に対し直接政策を語った上で投票を経て選出されるという点で民主主義に則っている。

 これに対して日本では、与党の総裁候補が出そろうと、国会議員と党員による投票が行われて総裁が選出される。自民党は国会で最大多数を有するから、衆参両院での投票を経て自民党総裁が総理大臣に就任する。この選出プロセスに国民の関与はない。

 後段で論じるように来年は第二次世界大戦終結から80年の転換点を迎えるが、「次の80年」を展望する時、国民投票によって総理大臣を選出する方式が望ましいことは明らかである。主な理由は二つある。一つはそもそも民主主義国である以上、憲法改正を含めて重要事項は国民投票という手順を踏むことが望ましいという原則に基づくものだ。他一つは今回の自民党の惨状が、「総理大臣の選出をこの人たちに一任していいのだろうか」という疑問を提起していることだ。

 国民投票を取り入れることは、政治に対する国民の関心と責任意識を高めることになり、結果として民主主義のレベルを向上させることは間違いない。何故なら、まず国民は次のQ1とQ2の問いを考えることを余儀なくされ、次に候補者は国民に対してQ3とQ4の二点について存念を語ることを余儀なくされるからだ。

 Q1:激変する時代に国の舵取りを委ねる首相が備えるべき資質・能力は何か?

 Q2:候補者の中で、その資質・能力を最も備えた人物は誰か?

 Q3:現在の情勢(国内及び国際社会)をどう認識しているか?

 Q4:その上で、優先的に取り組む政策は何か?

第二次世界大戦終結から80年

 今年8月15日に日本は79年目の終戦の日を迎えた。1年後に世界は第二次世界大戦終結から80年の節目を迎えるが、大戦後の国際秩序は一足先に瓦解してしまった。安保理常任理事国のロシアがウクライナに軍事侵攻したからだ。ウクライナ戦争の終結目途は立っておらず、さらにタイミングを見計ったかのように中東危機が起きて拡大しつつある。

 同時に世界経済の不安定さが増大している。原因は主に三つある。第一にウクライナ戦争を契機として世界経済のブロック化が進み、エネルギーと食料の高騰を招いて世界にインフレをもたらしたこと。第二に不動産バブル崩壊のソフトランディングに失敗した中国で、地方政府の財政破綻が深刻化し、社会的な騒乱が拡大していること。そして第三に、「崩壊が起きるまでバブルだったと判断できない」というグリーン・スパン元FRB議長の名言があるが、アメリカが現在バブル崩壊前夜にある可能性が高いことだ。

 このように、安全保障でも世界経済においても、世界は大戦後最大の危機に直面している。アメリカの次期大統領は、国内の分断を克服して安全保障と経済の両面において国際秩序を回復に向かわせることができるのか、それとも分断が深刻化して内戦へと向かい、世界の危機を悪化させてしまうのか、残念ながら現状では予測できない。

「次の80年」を担う総理大臣

 第二次世界大戦後の世界はアメリカが圧倒的なパワーの持ち主として君臨した時代だった。しかしながら、バイデン政権が断行したアフガニスタンからの拙速な撤退を契機として、国際秩序は崩壊し始めた。現在世界情勢が混迷を深めている背景にアメリカの衰退の進行があることは明らかだ。

 現在の世界情勢は世界大戦前夜もしくは世界大恐慌前夜に勝るとも劣らない危機的な状況にある。その状況の中で「次の80年」を展望するためには、「アメリカの衰退」を前提条件として考慮する必要がある。

 視点を変えて考えれば、世界情勢の動向は日本に対し「思考停止の80年」と決別する絶好の機会をもたらすだろう。否応なしにアメリカ従属の外交姿勢を改め、日本が本来果たすべき役割を自律的に定めて主体的に行動することを余儀なくされる。この結果、より対等な役割分担として日米同盟を再定義・再構築することになる。

 激変の時代の舵取りを担う次期総理大臣には、このような大局的な世界観と、明治維新以降の近代史を俯瞰する歴史観をもとに、「次の80年」を見据えてもらいたいものだ。

戦略思考(VWSG思考)への転換

 「次の80年」の時代を切り開くリーダーは、端的に言えば、次の資質を備えた人物であることが望ましい。

  ①世界史の潮流の中で日本の近代史を俯瞰する視座をもち、

  ②その上で、日本の将来像についてヴィジョンを描き、

  ③それを実現する確固たる意思を持ち、

  ④立ち塞がる障壁や困難を克服する戦略を組み立てて、

  ⑤国内外の敵対者を相手にゲームを挑む

 これをVision、Will、Strategy、Gameの頭文字をとって「VWSG思考」と呼ぶこととする。

 外交とは国家間で繰り広げられるゲームである。各国のリーダーは皆自国の国益最大化を目論み、相手の意図と動静を読み必要なカードを用意して外交に臨む。同様にビジネスは企業間で行われるゲームに他ならない。ここで重要なことを一つ指摘しておきたい。それは生真面目すぎる日本人には、外交もビジネスもゲームなのだと達観する胆力が欠落していることだ。

 ヴィジョンとは実現したい将来像である。政治であれば、10年後、20年後、或いは100年後に日本をどういう国にしたいのかを明確に描くものである。従ってヴィジョンには、国益最大化という命題に加えて、国際社会が直面する課題や危機に対して日本はどういう役割を担うのか、どういう貢献をするのかが盛り込まれなければならない。

 ヴィジョンを明確にしたなら、次にそれを実現する意思を明確にする必要がある。一般にヴィジョンが壮大なものであるほど、進路には巨大な障壁が立ち塞がることを覚悟しなければならない。その障壁を克服もしくは消滅させる方法と手順を明らかにすることを戦略という。

 そしてゲームとは、他のプレイヤーと知略を尽して戦う真剣勝負である。

政治システムの制度疲労

 ここまでの認識に立って再び日本の政治の現状に眼を転じると、まずパーティ券収入不記載という旧態依然の事件を起こした自民党に、「次の80年」を託せるのだろうかという疑問が浮かぶ。さらに重要な事例を挙げれば、戦後79年が過ぎたというのに、憲法改正は進展がなく、一方では問題だらけのLGBT法案を拙速で通すなど、自民党はもはや日本の国益を守る保守政党ではないという疑念が噴出している。

 一方自民党の不祥事を恰好の攻撃材料として追及する野党には、「10年後、100年後に日本をどういう国にするのか」というヴィジョンも、国際社会に対して意思と戦略を掲げて真剣勝負のゲームを挑む姿勢も見当たらない。かくして国際情勢が極度に緊迫化しているというのに、与党も野党もさして重要ではない話題に時間を浪費している現状に国民は溜息をつかざるを得ないのである。

 今回の事件は一自民党の問題ではなく、「戦後の政治システムの制度疲労」と捉えるべきなのだろう。従って、トップが交替し人事を刷新するだけで解決できはしない。政治システムのイノベーションが避けて通れない。そう理解すべきなのだと思う。

日本の課題は「戦略観とゲーム志向」の欠如

 『思考停止の80年との決別』を踏まえて、「明治維新から敗戦までの77年の失敗の原因と教訓」を簡潔に整理すれば次のとおりだ。

①日清日露戦争に勝って英米に並んだという自負が慢心を生んだ。

②軍の暴走を統制する政治システムを確立できなかった。

③英米と肩を並べた時点で次の目標を見失った。「フォロワーから開拓者へ」の発想の転換が必要だったにも拘わらず、次の目標を描かなかった。そして現在に至るまで、我が国は未だにフォロワーのマインドから脱却できていない。

 「次の80年」の政治の舵取りを考えるには、まず世界情勢を展望し、日本の立ち位置を確認して進路を見極める必要がある。同時に世界が抱える課題に対して、日本が果たすべき役割を明らかにする必要がある。

 そのためには「近代史の失敗と教訓」を踏まえて、日本の強みと弱みと、日本人が持つユニークさを再認識することが重要だ。「欧米にあって日本に欠落しているもの」と、逆に「日本には当たり前のようにあるが欧米に欠落しているもの」を再認識することから始めるべきだ。一言で言えば、前者は「戦略観とゲーム志向」であり、後者は「地球環境と共生・共存する文化」だろう。

靖国参拝は解決意思の問題

 今年も鎮魂の夏が終わった。先の大戦で軍人・民間人合わせて310万人が亡くなった。英霊を靖国神社に祀ることは、国の約束であり責務である。安倍元首相は在任中に一度だけ参拝したが、その後の首相は誰一人参拝していない。況や天皇陛下は一度も参拝を果たせていない。この状況は尋常ではない。

 靖国神社参拝は政治問題化されたまま放置されてきた。首相には国の歴史を背負う責任が伴う。他国におもねて310万人もの犠牲者から眼を逸らす人物に、国のリーダーを担う資格はないと断言したい。

 首相の靖国参拝と言うと、そんなことは出来ないと多くの人は言うかもしれない。しかしそれが国益に直結することであるならば、「出来ない」は「やらない言い訳」と同義である。VWSG思考で述べたように、大きなヴィジョンに基づいて実行する意思を固めたなら、次にやるべきことは立ち塞がる障壁や困難を克服する方法と手順を明らかにすることだ。誰からどのようなリアクションが起きるかを予測した上で、カウンター・リアクションを用意して臨めばいい。

 「日本は本気だ。全てを承知の上でゲームを仕掛けてきた」と相手に思わせるゲームを挑めばよい。参拝の是非について堂々と正論を語り、論理的なリアクションに対しては毅然と論破し、政治的で非論理的リアクションに対しては取り合わずに無視すればいい。

 このゲーム、深入りは損だと思わせる戦略を練ることが重要だ。政治家にはそうした一つ一つの攻めの行動が歴史を作ってゆくという自負を持って臨んでもらいたい。さすれば道は拓ける。逆に言えば意思なきところに道は拓けないということだ。靖国問題は意思の問題に帰着する。

フォロワーのマインドに決別せよ

 日本の近代史は、明治維新、太平洋戦争敗戦とほぼ80年毎に大きな歴史的転換点を迎えてきた。そして来年の戦後80年は次の転換点となる。明治維新から始まった近代史の第一ステージは、先行した欧米にキャッチアップする時代だった。司馬遼太郎が『坂の上の雲』として描いてみせた意気揚々とした上り坂の時代だった。

 同時に第一ステージ、特に20世紀前半は世界レベルの戦争の時代でもあった。日本もその大きな潮流に巻き込まれ、軍事力において欧米と肩を並べた後は、チャーチル、ルーズベルト、スターリンの企みに翻弄され太平洋戦争に引き摺り込まれて完膚なきままに叩きのめされた。

 近代史の第二ステージは「アメリカによる占領」から始まった。都市は廃墟と化し、戦争の犠牲者は310万人に及んだ。そのどん底にありながら、日本は経済優先で史上最大の国難を見事に克服して、半世紀後には経済大国の地位を獲得した。

 その一方で敗戦を含む近代史の総括は棚上げされ、戦争の教訓も占領体制の払拭も未完のまま放置されてきた。そして憲法改正と靖国神社参拝が象徴するように、日本は未だに名誉を回復できていない。そして明治維新以降は欧米にキャッチアップすることを目標とし、戦後はアメリカの傘の中に身を置いてアメリカに従属してやってきた故に、日本は未だにフォロワーのマインドから脱却できていない。

開拓者(エクスプローラー)スピリットを取り戻せ

 来年は戦後80年の転換点を迎える。「次の80年」、つまり近代史の第三ステージは「自律」の時代となるだろう。「思考停止の80年」と決別し、フォロワーのマインドを捨て去って、開拓者(エクスプロ-ラー)のスピリットを取り戻してVWSG思考で「次の時代」を切り開いていく。次期総理大臣がその一歩を踏み出すことを心から願いたい。

 そのためには政治システムのイノベーションが避けて通れない。既に述べたように、欧米と比較した日本の弱みは「戦略観とゲーム志向」の欠如であり、逆に日本の強みは「地球環境と共存・共生する文化」にある。

 「戦略観とゲーム志向」のスピリットを取り戻すためには、政治システムにシンクタンク機能を組み込むことが必要だ。日本には官僚機構は極めて優秀だという思い込みがあり、現在に至るまで政治は永田町と霞が関のタッグで行われてきた。しかし官僚システムは行政機構であって戦略を練る機関ではない。凡そ戦略は国家横断の視点に立って国益最大化を追求するのに対して、行政機関は縦割りで省益を優先しようとするからだ。

 その代表的な事例を一つ挙げよう。それは「骨太の方針」である。本来なら「骨太の方針」は次年度の予算編成に先立って示される国家戦略であるべきだ。だが財務省が中心になって策定される従来の「骨太の方針」は、専ら予算の支出に係る制約条件を規定するだけで、国富を増加させるための戦略が欠落している。日本が「失われた30年」に喘いできた元凶が、「国富の増大」ではなく「財政支出の削減」を最優先課題としてきた「骨太の方針」にあると言ったら言い過ぎだろうか。

 アメリカでは有能な政治家や官僚は、公職を離れた後はシンクタンクに移籍して国家戦略を担う仕組みが定着している。新しい大統領が就任するときには新政権が推進する戦略と政策のパッケージをシンクタンクが用意して、大統領就任とともにキーパーソンが新政権に移籍して戦略を直ちに発動する態勢が整備されている。

 繰り返しになるが、日本が誰かの後を追い、誰かに従属してきた第二ステージはやがて終わる。このフォロワーのマインドが生き残ってきた原因の一つは、政治家と官僚だけの閉じた世界で政治を担ってきたシステムにある。そこには「戦略観とゲーム志向」に基づくヴィジョンを作る機能が欠落している。

 フォロワーからエクスプローラーへ転換するためには、国際情勢を踏まえて日本の国益を追求し戦略を練る機能がどうしても必要である。その資質・能力及び豊富な経験を備えた有識者が、公職を退いた後にVWSG思考の担い手として活躍するシンクタンクを社会インフラとして整備することが肝要である。

おわりに

 「次の80年」において、地球環境との共存・共生は大きなテーマとなる。但し欧米が主導してきた太陽光発電やEVの促進は、消費国にとって脱炭素になっても、ソーラーパネルやEVの電池に不可欠な鉱物資源の採掘現場や製造工程で発生される炭素の増加には目をつむってきた。鉱物資源の採掘からソーラーパネルやEV電池を廃棄するまでのライフサイクル全体で捉えた脱炭素にはなっていない。

 ここに日本の出番がある。採掘、製造、消費を経て廃棄に至るライフサイクル全体での脱炭素を推進する役割がある。「次の80年」では「地球環境との共存・共生」を文化としてきた日本の出番がやってくる。

 

トランプ演説を読み解く

はじめに

 以下の事件が相次いで起きて、アメリカ大統領選の流れが激変した。

 ①6/27にジョージア州でバイデン、トランプの討論会が開催され、バイデン大統領の老化ぶりが明らかになった

 ②7/13にトランプ氏に対する暗殺未遂事件が起きた

 ③7/15にトランプ氏が正式に共和党の大統領候補指名を受けた

 ④7/21にバイデン大統領が大統領選撤退を表明した

 ⑤カマラ・ハリス氏が民主党の大統領候補として指名される公算が高まった

 トランプ氏は7月15日に開催された共和党大会で公式に指名を受けて受諾演説を行った。多分に誇張や演出が含まれているものの、大統領になった時の公約となるものであり、丁寧に読み解いてみたい。講演の全文が以下に掲載されているので、これを参照した。

Read the Transcript of Donald J. Trump’s Convention Speech」, the New York Times, 2024.7.27

トランプ氏に対する暗殺未遂事件

 この事件については演説の冒頭でトランプ氏自身が状況を説明しているので、簡潔に紹介する。

・狙撃犯の銃弾があと1/4インチ(約6ミリ)ズレていたら命はなかった

・射撃の直前に頭を少し右に回転させたことによって、弾丸は右の耳を貫通しただけで頭を直撃する致命傷を回避する ことができた。奇跡的だった。

 狙撃犯からトランプ氏までの距離は約130mで、銃弾は極めて正確にトランプ氏の頭を捉えて発射されていた。トランプ氏が軽症で済んだのは神がかりという程に、極めて幸運だったという他ない。

 この暗殺未遂事件については、以下の資料がアメリカで行われている真相解明の動きを報道している。

 資料1:「トランプ暗殺未遂事件の続報」、朝香豊、現代ビジネス、7/22、8/5

 資料2:やまたつカナダ人ニュース、7/15、7/17、7/23、8/4

 資料3:「米上院、トランプ氏暗殺未遂事件巡り公聴会 主なポイント」、CNN、7/31

 この事件に関する重要なポイントは、バイデン政権が関与した可能性だ。シークレットサービス(SS)のチートル長官、ロウ長官代理、アバテFBI副長官らが上院の公聴会で相次いで証言しているが、これにより明らかになった事実は以下のとおりである。なおチートル長官は公聴会の翌日に辞任を表明した。

1)狙撃犯のクルックス(Thomas M. Crooks)がAGRビルの屋上にライフルを構えている姿を銃撃の20分ほど前に地元警察のSWATが確認していたが、事前に無力化する行動をとらなかった。SSは指示を待たずに狙撃犯を射殺することが許可されているが、SWATは地元警察(背中にPOLICEの表示)であり、指示がなかったので発砲しなかった可能性がある。

2)クルックスは警備区域を出入りしていたが、終始ノーマークだった。演説会場上空にドローンを飛ばしたり、演説台までの距離をレーザー測距機で測定していたり、AR-15ライフルをカバンに入れて持ち込んだりしたことが分かっているが、誰にも制止されていない。

3)さらにSSと地元警察の連携に重大な問題があった。SSの認識では演説会場内がSSの分担で、狙撃場所を含む会場の外は地元警察の分担だった。しかしSSは当日朝行われた地元警察との調整会議を含め、事前調整を全て欠席していた。通常ならSSからSWATに対し事前にブリーフィングが行われるが、この日は行われなかった。さらにSS、SWAT、その他警備担当が使用する通信手段がバラバラだった。このため地元警察がSSに危険を伝達することができなかった。

 この事件の核心は、これが幾つもの不備が重なった「杜撰な警備」だったのか、それとも敢えてクルックス容疑者を泳がせて容疑者の発砲を放置したのかという点にある。当日のSSの行動については、SWATから疑問の声が上がっているだけでなく、SSの狙撃者対処部門からの内部告発メールがSS内に配信されている。このように一連のSSの不可解な行動の裏にバイデン政権から何らかの指示があったのではないかという疑惑が現実味を帯びている。

司法の武器化

 3月に行われた募金活動において、バイデン大統領はトランプ氏を指して、「実存する脅威(existential threat)が一つある。それはドナルド・トランプだ」と述べている。また6月27日の討論会では「人類に対する唯一の実存的脅威は気候変動であり、トランプの勝利は地球にとって壊滅的なものになるだろう。」と述べている。

 資料4:「Democrats say Trump is an existential threat」, Vox newsletter 7/1

 これに対してトランプ氏は指名受諾演説の中で「民主党は直ちに司法の武器化と政治上の敵対勢力を民主主義の敵とレッテル張りすることを止めるべきだ。」と述べ、「司法の武器化」に言及している。

The Democrat party should immediately stop weaponizing the justice system and labeling their political opponent as an enemy of democracy. >

 バイデン政権はトランプ氏の再選を阻止するために、執拗に司法を悪用してきた。「司法の武器化」とは、トランプ氏を強引に起訴して裁判で拘束し、高額な裁判費用を使わせて大統領選を有利にする行為を指している。「やまたつカナダ人ニュース」が7月15日のユーチューブの動画で、「司法の武器化」の現状を整理して報じている。

 それによると、まずトランプ氏に対する「司法の武器化」は四つある。①ニューヨーク州:ポルノ女優口止め料問題、②フロリダ州:自宅に機密文書を保持していた問題、③ワシントンDC:2020年1月6日の連邦議事堂への暴徒乱入事件、④ジョージア州:2020大統領選挙への介入問題である。

①については、既に34件の重犯罪で有罪評決が出ているが、大統領免責特権に係る要素があるとして控訴中である。量刑の言い渡しは9月に予定されていたが、大統領免責特権との関係が浮上して延期となった。(8月1日公表)

②については、トランプ氏を起訴したジャック・スミス特別検察官が資格のない一般人で、「ガーランド司法長官による特別検察官の任命は憲法違反であり、その人物が行った起訴は無効である」という連邦地裁の判断が出て消滅した。

③についても、②と同じ理由で起訴が無効となる可能性が高い。

④については、検察官を巡る疑惑が浮上したため審議が10月まで延期となった。大統領選には間に合わないことが確実となった。

 以上から明白なように、総じて起訴そのものが相当に強引であり粗雑である。そもそも①の事案が「34件の重犯罪に相当する」と言うだけでも常軌を逸している。トランプ再選を阻止するために、民主党側が「選挙不正、司法の武器化、そして暗殺(未遂)」という違法な手段をなりふり構わずに行使してきた可能性が高い。

 政府が絡む事件の真相が解明されることは期待できないため、仮説の域を出ることはなく、陰謀論として一蹴される可能性すらある。しかしケネディ大統領暗殺やレーガン大統領暗殺未遂事件を挙げるまでもなく、アメリカという国は、歴史の要所で同じような違法な手段を容赦なく行使してきた国なのだということを肝に銘じておくべきだ。

アメリカが直面する四つの危機

 トランプ氏は、現在アメリカはインフレ、不法移民、国際問題の三つの危機に直面していると述べている。しかし客観的にアメリカの現状を眺めると、次のように整理するのが分かり易い。

・アメリカの国内問題-分断、インフレ、不法移民

・覇権国としての問題-国際問題(ウクライナ戦争、イスラエル-ハマス戦争等)

 まず国内問題の内、インフレと不法移民問題は短期間で解決・改善が期待できるが、分断はそうはいかない。大統領選を誰が制しようとも、分断問題を解決することは至難の業だ。むしろ11月の大統領選によってさらに深刻化する可能性の方が高い。

 国内問題に関して、トランプ氏は第1期トランプ政権を次のように自己評価している。「自分は近代において新たな戦争を始めなかった最初の大統領だった。ブッシュ政権時、ロシアはジョージアに侵攻した。オバマ政権ではクリミア半島を併合した。そして現政権下ではウクライナ全土を狙っている。しかしトランプ政権時にロシアは何も取らなかった。」

I was the first president in modern times to start no new war. Under President Bush, Russia invaded Geogia. Under President Obama, Russia tool Crimea. Under the current administration, Russia is after all of Ukraine. Under President Trump, Russia took nothing.

 続けてトランプ氏はバイデン政権を次のように酷評している。「我々の敵対者たち(つまりバイデン政権)は、(トランプ政権時の)平和な世界を受け継ぎ、それを戦争の惑星に変えた。(平和だった世界は)アフガニスタンからの悲惨な撤退によって崩壊し始めた。それはアメリカにとって史上最悪の屈辱だった。その時多くのアメリカ市民とともに850億ドルもの兵器が置き去りにされた。そして今やアフガニスタンは米軍が現地に残した最新兵器を売る世界最大規模の売り手となった。」

Our opponents inherited a world at peace and turned it into a planet of war. It began to unravel with the disastrous withdrawal from Afghanistan, the worst humiliation in the history of our country. We also left behind $85 billion dollars’ worth of military equipment, along with many American citizens were left behind. You know that right now Afghanistan is one of the largest sellers of weapons in the world? They’re selling the brand-new, beautiful weapons that we gave them.

 表現に誇張はあるが、トランプ氏の指摘することは事実である。

第一の危機:分断

 トランプ氏は指名受諾演説の中で、分断について「今こそ我々は皆良き市民であり、神の下に全ての人が自由と正義を有する、一つの国で不可分であることを思い出す時だ。」と呼び掛けている。誠にその通りなのだが、現実は極めて深刻と言わざるを得ない。

Now is the time to remember that we are all fellow citizens — we are one nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

 そもそもアメリカの分断はどこから始まったのか。ハーバード大学のスティーブン・レビツキー教授が2020年に分析記事を書いている。要点を以下に紹介しよう。

・ここまで分断が進んだ背景には三つの「巨大なうねり」がある。第一に、民主主義を支えるにはルール(憲法)、審判(裁判所)、「規範」が必要だが、米国では規範が崩れた。1970~80年代には、両党の支持者は何れも白人のキリスト教徒が大半を占め、文化的に似ていて、政策に違いはあっても双方が嫌い合うことはなかった。

・それが1990年代になると、共和党は民主党を「裏切り者」「非愛国者」「反米」と呼ぶ論法を広め、相互寛容を放棄した。オバマ政権のときには、オバマを「非米国人」「社会主義者」などと呼ぶようになり、規範破りが顕著になった。

・第二に、この半世紀に二大政党の支持基盤に巨大な変化が起きた。即ち、公民権運動で選挙権を得た黒人の大半が民主党員になり、最近では中南米やアジアからの移民の大半が加わった。この結果、民主党は都市で暮らす教育を受けた白人と、人種的な少数派、性的少数派の混合体となった。これに対して、レーガン政権以来両党に支持が分かれていたキリスト教福音派の大半が共和党支持になった。

・そして第三に、選挙権に占める白人層の地位の低下がある。共和党を支持する白人層は1992年には有権者の73%を占めていたが、(移民の増加により)有権者が増加して、2024年には50%を割り支配的な地位を失った。多くの共和党支持層が「生まれ育った頃のアメリカが奪われた」と認識しており、これが共和党の過激化を煽り、分極化を引き起こした。トランプ氏が分断を煽ったのではなく、規範が既に壊されていた中で政権を獲得したに過ぎない。

 資料5:朝日新聞グローブ, 2020.10.6, https://globe. Asahi.com/

 この歴史を踏まえると、バイデン政権が不法移民の流入危機を黙認し、トランプ政権が侵略だと非難する理由を理解することができる。

第二の危機:インフレ

 トランプ氏は「インフレ危機を終わらせる」と宣言して、次のように述べている。「ほんの数年前、私の政権の時、我々は歴史上、世界史においても、最も安全な国境と最高の経済を保持していた。しかし4年も経たない内に敵対者(つまり現政権)は、類のない成功を前代未聞の悲劇と失敗に変えてしまった。・・・インフレは国民の貯蓄を空にし、中産階級を不況と絶望に追いやった。・・・私は壊滅的なインフレ危機を直ちに終わらせ、金利を引き下げ、エネルギーコストを引き下げてみせる。(国の)借金の返済に着手し、前回を上回る規模の減税を実施する。」

Just a few short years ago under my presidency, we had the most secure border and the best economy in the history of our country, in the history of the world. But in less than four years, our opponents have turned incredible success into unparalleled tragedy and failure. Inflation has wiped out the life savings of our citizens, and forced the middle class into a state of depression and despair. I will end the devastating inflation crisis immediately, bring down interest rates and lower the cost of energy. We’ll start paying off debt and start lowering taxes even further. We gave you the largest tax cut. We’ll do it more.

 「我々はまず市民に経済的救済を提供しなければならない。経済的救済プランの中核に据えるのは労働者に対する大規模な減税だ。物価を引き下げて手頃な価格でモノが買える国にする。現政権下で食料品が57%、ガソリンが60~70%上昇し、住宅ローン金利は4倍になった。合計すると家計費は家庭あたり平均28,000ドル増加した。」

First, we must get economic relief to our citizens. At the center of our plan for economic relief are massive tax cuts for workers. We will drive down prices and make America affordable again. Under this administration, groceries are up 57 percent, gasoline is up 60 and 70 percent, mortgage rates have quadrupled. The total household costs have increased an average of $28,000 per family.

 そしてトランプ氏は「アメリカで製品を売りたければアメリカで製造する。とても単純な公式だ。この公式を実践すれば巨大な雇用を創造できる。」と述べて、製造業の国内回帰に言及している。

The way they will sell their product in America is to build it in America, very simple. This very simple formula will create massive numbers of jobs.

 特に自動車産業に言及して「自動車産業を取り戻す。工場が国内に建設され、アメリカ人がそれをマネージメントすることになる。もし(外国企業が)同意しないなら、100~200%の関税をかける。そうなれば彼らはアメリカ国内で売ることができなくなるだろう。」

We will take over the auto industry again. We don’t mind it happening but plants will be built in the United States and our people are going to man those plants. And if they don’t agree with us, we’ll put a tariff of approximately 100 to 200 percent on each car and they will be unsellable in the United States.

 さらに財政赤字削減について、トランプ氏は大胆な発言をしている。「我々は途方もない36兆ドルもの財政赤字を減少させる。同時にさらなる減税を行う。ちなみに現政権は税金を4倍に引き上げることを目論んでいる。」

We will reduce our debt, $36 trillion. And we will also reduce your taxes still further. Next, and by the way they want to raise your taxes four times.

 そのためのお金をどこから調達するのかについては、こう述べている。「我々はインフレ危機を煽っている馬鹿げた税金の無駄使いを終わらせる。気候変動対策という詐欺(the Green new Scam)に民主党政権は数兆ドルもの金を使ってきたが、これは詐欺であり、エネルギーコストを高騰させただけでなく強烈なインフレ圧力をもたらした。」

We will end the ridiculous and actually incredible waste of taxpayer dollars that is fueling the inflation crisis. They’ve spent trillions of dollars of things having to do with the Green New Scam. It’s a scam. And that has caused tremendous inflationary pressures in addition to the cost of energy.

 さらに続けて「数兆ドルに及ぶ未だ使われていない資金がある。我々はそれを道路や橋やダムなどの重要なプロジェクトに使うよう改めて指示する。EVは即日終わらせる。それによってアメリカの自動車産業が抹殺されるのを救済し、車一台当たり数千ドルに及ぶ消費者の負担を節約させる。」と述べている。

And all of the trillions of dollars that are sitting there not yet spent, we will redirect that money for important projects like roads, bridges, dams and we will not allow it to be spent on the meaningless Green New scam ideas. ・・・ And I will end the electric vehicle mandate on day one. Thereby saving the U.S. auto industry from complete obliteration, which is happening right now and saving U.S. customers thousands and thousands of dollars per car.

 以上の発言から明らかなことは、民主党陣営が気候変動対策などを積極的に推進してきたのに対して、リアリストのトランプ氏はそのような物語には全く興味がなく、実物経済にお金を投じてアメリカの産業を再興させようとしていることだ。この両者の立場は決して折り合うことがない。正にアメリカの分断の一つの側面を象徴している。

 ところで、減税とインフレ退治を推進すると同時に巨額の財政赤字を削減するとトランプ氏は主張しているが、果たしてそんなことができるだろうか。現在西側先進国は皆財政赤字増大に悩んでいる。少子高齢化と安全保障強化がそれに拍車をかける。先進国における財政赤字の増大は必然の帰結である。

 『政治経済のトリレンマ(the Political-Economy Trilemma)』と呼ばれる仮説がある。国家主権、グローバル化、民主主義の内、何れか二つを実行することはできるが、三つ全てを実行することはできないというものだ。

 トランプ氏の主張は、国家主権と民主主義を守る代わりにグローバル化を止めるというものだ。しかし覇権国で世界最大の経済大国が、MAGA(Make America Great Again)を貫くと世界はどうなるだろうか。世界中から安い商品を調達してきたのを改め、国産(メイド・バイ・アメリカまたは国内製造)に転換すれば、原価が上がり供給不足が起きるため、むしろ物価上昇圧力となるのではないだろうか。

 しかも今までのグローバル経済の潮流を無視して、アメリカが強引にMAGA政策を実行すれば、世界の物流が減り、ドル資金がアメリカに回帰する結果、世界経済は縮小し不安定になるだろう。言わば世界最大の財政赤字も高金利も覇権国故の宿命である。世界最大の消費国が世界中からモノを買うから世界経済が回る。エネルギーや食糧の取引に世界がドルを必要とするからドル高となるのだ。

 さらに、アメリカの巨額の財政赤字をファイナンスするために、アメリカは海外からのマネーを呼び込む必要があり、それがドル高要因となっている。田村秀男氏は7月23日の産経の紙面で「超円安の深層構造」と題した記事を書いている。日本の対外投融資とアメリカの経常収支赤字の関係、さらに経常収支赤字と為替レートとの関係について考察している。

 それによると、2012~19年は日本の対外投融資がアメリカの経常収支赤字を上回っていて、為替レートも1ドル110円前後で安定していたが、2020年以降にアメリカの経常収支赤字が約2.8倍に急増していて、ジャパンマネーだけでファイナンスすることが困難になり、急速なドル高(即ち円安)が進んだと分析している。

 もう一つ加えれば、中国のように安い商品を大量に輸出してきた国は大きな打撃を受けることになり、MAGAを実行すれば、低迷する中国経済にトドメを刺すことになるだろう。中国発の世界不況が起きる可能性が高まる。

第三の危機:不法移民による侵略

 トランプ氏は「アメリカ史上最大の侵略(invasion)だ。彼らは世界中のあらゆるところからやってくる。そこにはテロリスト等の非常識な亡命(insane asylums)が多数含まれている。正に侵略と呼ぶ事態であるにも関わらず、現政権は国境を世界に開放して、侵略を阻止するために完全に何もしなかった。」と述べている。

The greatest invasion in history is taking place right here in our country. They’re coming from everywhere. It is an invasion indeed, and this administration does absolutely nothing to stop them. The entire world is pouring into our country because of this very foolish administration.

 トランプ氏は侵略を止めるために、国境の壁の建設を完遂させるとともに、侵略に対処するために軍事費8,000億ドルの一部を使うつもりだと述べている。

I will end the illegal immigration crisis by closing our border and finishing the wall, most of which I’ve already built. We gave our military almost $800 billion. I’m going to take a little of that money, because this is an invasion.

 ところで、不法移民の実態がどれほど深刻なのか我々には分かりにくいが、第一生命経済研究所主任エコノミストの前田和馬氏が定量的な分析結果をまとめているので、要点を紹介する。

・米議会予算局の試算によると、不法移民の純流入は2023年に240万人となり、2年連続で200万人を超えた。バイデン政権下の4年間では総計730万人となり、米国内に滞在する不法移民の総数は2021年に1,050万人となった。

・そもそも不法移民が急増する要因には、①中南米諸国の情勢不安、②堅調な米国経済と労働市場、③バイデン政権の寛容な移民政策と米国外に与える移民政策の印象がある。

・アメリカ人の45%がこの現状を危機とみなし、32%が大問題とみなしている。

・政府の取り組みに対する評価は「非常に悪い」と「悪い」とみなす人の割合は、共和党支持者で89%、民主党支持者で73%(バイデン政権発足時は、56%)に上る。そして共和党支持者の77%が強制送還、国境の壁の建設対策を支持している。

・トランプ氏は米国内に滞在する不法移民を年間数百万人単位で国外へ強制送還する「史上最大の作戦」を掲げているが、移民裁判所の未処理案件は344万人もあり、現行法に基づく強制送還は困難である。

 資料6:「バイデン政権下で流入する730万人の不法移民」、前田和馬、第一生命経済研究所、2024.4.15

第四の危機:国際危機

 国際危機への対処は、アメリカの国内問題ではなく覇権国アメリカとしての役割と能力に係る問題である。トランプ氏は「現政権が作り出した国際危機、おぞましいロシアとウクライナ戦争、イスラエルに対するハマスの攻撃から始まった戦争を含めて全て終わらせよう。電話一本で終わらせることができる。」と述べている。

I will end every single international crisis that the current administration has created, including the horrible war with Russia and Ukraine, which would have never happened if I was president. And the war caused by the attack on Israel, which would never have happened if I was president. I could stop wars with just a telephone call.

 これが誇張かどうかではなく、この発言からくみ取るべきことは、覇権国アメリカの大統領が備えるべき要件について重要な示唆を与えている点にある。トランプ氏自身が述べているように、以下①~③は歴史上の事実である。

①ウクライナ戦争もハマスとイスラエル戦争も、バイデン政権下で起きた。

②トランプ政権下ではそのレベルの戦争は起きなかった。

③バイデン氏は大統領に就任した直後にアフガニスタンから(屈辱的な)撤退をした。

 そしてこの事実が物語っている仮説が二つある。

④トランプ氏が大統領職にあったことが、戦争に対する強力な抑止力となっていた。

⑤アフガニスタン撤退は、ウクライナ戦争やイスラエル-ハマス戦争の誘発要因となった。

 世界は強力な仲裁者を必要としている。結局ロシアや中国による力を背景とした現状変更の行動を抑止できるのは、もっと強大な力を保有し、必要時にはそれを行使する断固とした意思を持ったアメリカ以外にはない。セオドア・ルーズベルトの名言として知られる「穏やかに話せ、棍棒は手放さず」という言葉は、どの国の外交にも当てはまるが、とりわけ覇権国アメリカの大統領こそ備えるべき資質である。

 これを踏まえて、仮説を二つ付け加えよう。

⑥トランプ氏が予測不能として各国のリーダーから一目置かれ警戒される理由は、棍棒外交の継承者であるからだ。

⑦一方のバイデン氏は、アフガン撤退、ウクライナ戦争への対処において、時に狼狽し時に躊躇して打つ手が中途半端なものとなる弱さがあった。それが危機を招いた。

 資料7:「トランプ流棍棒外交、日の目見るか」、渡辺浩生(ワシントン支局長)、産経、7/30

まとめ

 トランプ氏の政権構想はとても分かり易いが、率直な疑問点が二つある。それを整理して筆をおきたい。

 第一に、世界の戦争を終わらせることはできても。国内の分断を修復することはできないだろう。一昔前の共和党と民主党の間には、「小さな政府」か「大きな政府」か、という小さな相違しかなかった。それに対して、民主党は支持基盤を非白人層と移民に大胆に移して、PC(Political Correctness)、LGBT(性的マイノリティ)、BLM(Black Lives Matter)、脱炭素、EV等、極端にリベラルな政策をとってきた。

 さらに、大規模な選挙不正、司法の武器化、暗殺未遂と違法な手段を連発してトランプ氏再選を阻止してきた民主党陣営は、民主主義と、三権分立というアメリカの存立基盤を修復が困難なレベルで破壊してしまった。振り返れば、アメリカの歴史には、ケネディ暗殺やレーガン暗殺未遂事件に象徴されるような暗部が織り込まれてきたのだが、ここまで深刻化した分断は修復することは殆ど不可能という他ない。どういう形でかは予測できないが、どこかで破断を迎えるのではないかとさえ思う。

 第二に、インフレ退治と大幅な減税は実現できても、同時に財政赤字を削減することはかなり困難だ。世界の戦争を終わらせると同時に巨額の軍事費を削減するという政策を実行すれば、その可能性も出てくると思われるが、演説の中でその言及はない。

 失念しているのではないかと思われる重要な前提事項がある。それはアメリカが世界一の経済大国であり、通貨と安全保障の覇権国であることだ。インフレも減税も財政赤字削減も基本的にはアメリカの国内問題だが、ドル覇権国で世界最大の経済大国であるアメリカが、なりふり構わずにMAGA政策を実行すれば、世界経済を大混乱に陥れるだろう。そして世界経済に影響が及べば、それはブーメランとしてアメリカ国内問題に戻ってくる。

「思考停止の80年」との決別 第4部

(9)敗戦と占領で喪失したものを取り戻すとき

「専守防衛」の前提が崩れる事態に備えよ

 ウクライナ戦争で認識され現在進行中の危機事態が二つある。国際秩序の崩壊とアメリカの弱体化である。ウクライナ戦争が長期化するにつれて、国際社会は〔NATO+G7〕、〔ロシア+ロシア支援国〕、模様眺めの諸国(GS他)という三つのグループに分かれた。

 アメリカの弱体化を象徴する変化がドル覇権の低下である。アメリカがロシアに対して発動した「SWIFT(国際銀行間通信協会)からの排除」という制裁措置は、ロシアとその支援国を中心に世界のドル離れを加速させた。

 振り返れば、戦後約80年の間に国際情勢は大きく変化した。安全保障面では米ソ冷戦が終わり、ポスト冷戦も終わり、今や米中冷戦となった。国連安保理という秩序を守る仕組みもウクライナ戦争が起きて機能不全に陥った。経済面ではニクソンショックによってドル覇権の体制が金本位制からPDS(ドルによる原油取引システム)に移行したが、現在ではドル覇権自体が揺らいでいる。

 現在アメリカでは、11月の大統領選挙に向けて民主党・共和党両陣営の対立が激化している。6月27日にジョージア州アトランタで開催されたバイデン対トランプの討論会では、バイデン大統領の認知機能の低下がクローズアップされ全世界を駆け巡った。

 大統領選の最大の争点となっているのが不法移民の流入であり。テキサス州では不法移民の流入が史上最多となっていて、共和党のアボット知事は「バイデン大統領の無策がこの危機を招いた」として、州が不法移民を不法入国で逮捕できる州法を成立させて、州兵を動員して対策を講じている。

 州法を違憲とした連邦地裁の差し止め命令が出ると、テキサス州は憲法が州に独自の戦争行為を認めている「侵略」事態に相当するとして連邦最高裁で争う構えを見せている。保守系判事が多数派を占める連邦最高裁が合憲判断を下せば、メキシコと国境を接する南部の他州に広がる可能性があり、第二の南北戦争を想起させる国を二分する事態に発展する可能性が大きい。(参照:6月25日産経)

 このように国際社会におけるアメリカの弱体化に加えて、アメリカ国内では分断、不法移民の急増と治安の悪化等々、複数の深刻な事態が同時に進行していて、11月の大統領選で臨界点に到達する可能性が高い。

 ウクライナ戦争、イスラエル-ハマス戦争の終結が見えない中で、アメリカ大統領選が世界の注目を集めている。注目のポイントは、国際秩序を守るためにアメリカが保有する力を国際公共財として提供するかどうかにある。

 この視点で歴代大統領を評価すると、レーガンは「アメリカには自由主義秩序を擁護する特別な責任がある」との立場に立って、同盟を重視しつつ国際公共財を提供した。オバマとバイデンは「アメリカは世界の警察官ではない」としてロシアと中国による無法な行動を黙認した。

 そして次の大統領だが、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプが再選される場合、国際秩序を再び取り戻すためにトランプがアメリカの持つ国際公共財を提供するかどうかに世界の注目が集まる。(参照:6月27日産経、湯浅博の世界読解)

 一方日本は核の傘と打撃力をアメリカに依存し、日本は防御を分担するという「専守防衛」の方針に基づいて戦後の安全保障体制を保持してきた。日本周辺において有事が顕在化しない状況では、専守防衛は日米双方にとって都合のいい体制だったが、今やその状況が一変しつつある。台湾有事や朝鮮半島有事の蓋然性が高まっている現状で、アメリカの弱体化が進行し、国内回帰志向が強まれば、専守防衛のままでは日本の安全保障体制が危うくなる。

 安全保障の要諦は、最悪の事態を想定してそれに対する備えを万全にすることである。その認識に立って考えれば、日本は専守防衛の前提が崩れる事態を想定し、日本の役割と能力を増強させて、アメリカの弱体化を段階的に補強する対策を速やかに講じなければならない。それは戦後の日米関係をヴァージョン2.0に更新することを意味する。

はじめに日本近代史の総括が必要

 明治維新を起源とする日本近代史の前半は、日清戦争(1894)から太平洋戦争敗戦(1945)に至る「戦争の半世紀」だった。しかも戦争史の中核テーマは中国との関係にあったと言って良い。ズバリ言えば、中国の近代化に日本が深く関与した歴史だった。

 一方、近代史の後半(1945~現在の79年)は「思考停止の80年」だった。前半は意気揚々とした時代であり、後半は自己を喪失した時代だった。前半から後半への転換点となった事件は、言うまでもなく太平洋戦争の敗戦であり、GHQによる占領だった。

 「思考停止」とは、この転換点において「戦争の半世紀」を総括しないまま、現在に至るまで封印してきた事実を指している。近代史の前半には「富国強兵」という明確な目標があったのだが、後半は日本が目指す目標がないままにやり過ごしてきた。

 戦後吉田茂首相と池田隼人首相は、敗戦によって日本が喪失したものを取り戻すことよりも経済復興を優先させた。「所得倍増」政策は見事に功を奏して、日本は世界第二の経済大国の地位を獲得した。しかし1991年にバブル崩壊が起きて、それから30年以上もデフレ経済に苦しみ、そこに少子化・人口減少が加わって、日本は未だに経済成長を取り戻すことができずに低迷している。

 戦後の両首相は「国民が食えるようにすることが最優先だ」という判断に立ったのであり、敗戦直後の状況において正しい判断だったと評価される。しかしながら、安倍元首相が「戦後レジームからの脱却」という言葉に含めた、「敗戦と占領で喪失しったものを取り戻す」意思と道筋を明示しないまま「戦争の半世紀」を封印してしまった責任は極めて大きいと言わざるを得ない。

 明治維新から既に156年が過ぎた。国際社会を再び戦争の影が覆うようになり、東アジアの安全保障環境は危機前夜という程に悪化している。加えて日本は経済成長から30年以上も取り残されて、未だにじり貧状態から脱却できずにもがいている。

 現在の日本は、明治維新を第1回とする80年周期の三回目の転換点に立っているように見える。再び日本を輝かしい国とするために必要なことは、次の80年に目指すべき目標と進路を明示することである。そのためには「戦争の半世紀」を総括して画竜点睛を欠いたままの戦後史に魂を吹き込み、教訓を明らかにして後世に継承してゆかなければならない。

危機に対処するために

 日本は太平洋戦争に敗れて、「戦争と平和」に関して思考停止状態に陥った。「平和を希求し戦争を忌避する」戦後の時代が始まったと言うと正しい選択をしたように聞こえるが、それは偽善でしかない。

 何故なら、戦争に対して日本は「見ざる言わざる聞かざる」状態にあるからだ。ウクライナがロシアから侵略を受けて一般市民の多大な犠牲者を出して防衛戦争を戦っているにも拘らず、日本は戦うための武器の提供を拒否してきた。その理由が「日本は平和国家だから」というのであれば、それも偽善と断定する他ない。

 戦後日本の言論は、「平和は善、戦争は悪」という単純すぎる二元論に終始してきた。しかしながら平和とは結果であり、戦争とは外交の一手段であることを考えると、本来同列に並べて論じるべき概念ではない。「平和を守るために戦う」という現実的なオプションを排除しているという意味で、「平和か戦争かという二者択一」思考は誤りである。隣国が軍事侵攻してくるときに武器をとって戦おうとしない国は侵略され、平和も秩序も社会インフラも悉く破壊されてしまうことをウクライナ戦争は世界に知らしめ、覚醒させた。

 中国は1964年の東京オリンピックの最中に原爆実験を行い、今や米露に次ぐ核兵器大国となった。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は、今年6月17日に公表した年次報告書の中で、中国が保有する核弾頭数は昨年より90発増加して推計で500発となったと報告している。しかもこれまでは核弾頭をミサイルとは別に保管してきたが、現在では推定で24発の核ミサイルが実戦配備されたという。北朝鮮も戦術核兵器の開発に重点を置きつつあり、約90発分の核分裂物質を保有していると分析している。

 ロシア、中国、北朝鮮に対して、「日本は戦争を忌避する平和国家です」と幾ら主張しても何ら抑止力にはならないばかりか、むしろ逆効果にしかならない。戦後の日本の平和が維持されてきたのは、偏に世界最強の軍事力を持つアメリカの傘によって守られてきたからである。安全保障環境が深刻化し、台湾有事や朝鮮半島有事の蓋然性が高まっている現在、これら隣国の脅威から日本を守るためには、日本が自律的に「平和を守るためには戦争をも辞さない」姿勢を明確にして、国際情勢の変化に対応して日米同盟を常に進化させ、新たな脅威の出現に対し常に強固な抑止力を保持してゆく以外にはない。

 ここで問題になるのが、冒頭で述べたウクライナ戦争で顕在化した二つの危機事態である。日本は終始、アメリカの核の傘と打撃力を前提として専守防衛路線を歩んできた。アメリカは武器を供与しロシアに対する制裁を発動してウクライナを支援してきたが、ウクライナの社会インフラはロシアの攻撃によって焦土となった。ウクライナはアメリカの同盟国ではないが、バイデン政権はロシアによる軍事侵攻を阻止しなかったばかりか、ロシアによる侵略を早期に終わらせるために万全を尽くしたとは言い難い。

 現在、トランプ大統領が再任される可能性が高まっているが、もし再選が現実のものとなれば、トランプ氏はNATOや日本に一層の防衛負担を要求してくる可能性が高い。来年に戦後80年を迎える日本は、自分の国をより自己完結的に守る体制の構築を余儀なくされるだろう。アメリカの弱体化に臨み、将来の日米関係のためにも、敗戦と占領で封印してきたものを取り戻さなければならない。アメリカとの従属関係を清算して、核の傘を残したまま、専守防衛に代わる防衛力(ヴァージョン2.0)を構築しなければならない。

 そのためには何よりもまず戦後の「思考停止」の封印を解除しなければならない。さてどこから着手すべきだろうか?まず広島原爆記念碑の文言を改訂することから始めるのが適当と考える。何故なら現在の文言が、アメリカによる、民間人を標的とした、原爆投下という非人道的な重大犯罪に対し、「黙して追及せず」の姿勢をとっているからだ。そればかりか、広島を訪れる多くの日本人に対し、「この戦争の責任は戦争を始めた日本にある」と巧妙に洗脳しているからだ。終戦から80年の節目に臨み、日本の新たな決意を世界に示すためにも、広島原爆記念碑のヴァージョン2.0への更新が望ましい。 

(10)「戦争の半世紀」の総括

はじめに、戦争の二つの戒め

 一般論として、戦争の教訓として二つの戒めがある。一つは、戦争はひとたび始めてしまうと途中で引き返すことが難しいことであり、もう一つは一つの戦争の終結が次の戦争の原因となることだ。実際に日清・日露戦争の中に、この戒めを見て取ることができる。

 日露戦争が起きた背景には日清戦争がもたらした地政学的な変化があった。満州及び朝鮮半島における清の影響力が減少し、逆に日本の影響力が増大したことだ。日清・日露戦争は、戦争の終結が次の戦争の原因となることを示している。実際に日清戦争で多大な賠償金と領土を得ることができたことから、日本は日露戦争に前のめりになり、逆に日露戦争では賠償金がとれなかったために次の満州事変を招いている。

 満州事変は1931年に始まり1933年に終結した。満州進出の第一の目的が、人口増大に対する食料安全保障だったのであり、満州国建国を果たした1933年にこの目途はついている。その後の歴史を考えると、日本にとって満州事変の終結は、満州以南の中国大陸には関わらないと踏み止まるべき歴史的に重要な分岐点だったことになる。

 しかしながらひとたび戦端を開いてしまうと、途中で止めることが難しい。踏み止まるためには、慣性力で突き進もうとする軍部を統制する強い政治のリーダーシップが不可欠となる。実際に日本はそうしなかった。この判断ミスが太平洋戦争を招いたことは歴史が証明している。

日本の掌中にあった切り札の選択肢

 日本が朝鮮半島、中国大陸に進出した動機は、西洋列強による侵略・支配を受けないアジア独自の平和な世界秩序を建設することだった。崇高な理想を掲げたのだが、中国人同士の三つ巴の内戦を招き、中国を味方に引き入れることに失敗した。結局、日本が中国大陸に介入したことにより清国は滅び、中国は再び内戦と内乱の大陸に回帰した。

 そもそも中国に明治維新と同等の近代化を求めたことに無理があったと言わざるを得ない。日本には鎌倉時代以降継承されてきた武家による中央集権・封建体制の蓄積があり、薩長土に代表される近代化志向の雄藩の存在があった。高い志を持った若い武士階級が残っていたからこそ明治維新という革命を成し遂げることができたのだった。一方中国にはそのような歴史遺産も担い手も存在しなかった。

 そして支那事変後半には、日本が支援する汪兆銘の南京政府、アメリカが支援する蒋介石の長慶政府、ソ連が支援する延安政府による三つ巴の内戦となった。この内日本だけが中国人同士の内戦に深く引きずり込まれ、アメリカとソ連は反日ナショナリズムをけしかけて日中戦争で双方が疲弊するように、老獪な外交を展開した。

 結果から評価すれば、日本が支那事変に引きずり込まれずに踏み止まっていれば、日中戦争は起こらず、従って太平洋戦争も起きなかったに違いない。

日本の実力を超えた無謀な戦いだった

 「戦争の半世紀」を考える場合、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1914-18年の第一次世界大戦、1931-33年の満州事変、1937年の支那事変、1941-45年の太平洋戦争は、日本の近代史前半の中核を為す物語を構成する一連の事件として捉える必要がある。

 支那事変から始まった日中戦争は、中国大陸を舞台とする実質的にアメリカ、ソ連を加えた四ヵ国間の戦争に拡大した。当時の失敗の教訓を要約すれば、次のとおりである。

 第一は「戦闘に勝って戦争に負けた」日清・日露戦争の分析と教訓が不可欠だったことだ。日本に欠落していたのは、最終的に戦争に勝つための能力だった。それを獲得し磨くためにも、日清・日露戦争において欧米列強がとった外交と、第一次世界大戦において欧米列強がとった外交と戦争行動について徹底的に学ぶべきだったのだ。

 第二は米ソという老獪な二大国に加えて、日本とは異質な文明を持ち、広大な中国大陸を舞台として行われた中国人どうしの三つ巴の内戦に介入してはならなかったことだ。中国の内戦に巻き込まれずに、米英ソとの外交戦に専念すべきだった。

 「戦争の半世紀」の中核テーマは中国との関係だった。歴史を俯瞰する時、日本が犯した決定的なミスは、中国大陸に関与し過ぎたことに尽きる。この国とは適当な距離をとって付き合うべしというのは、現在も通じる教訓である。総じて日本にはそのような外交を演じる強かさと老獪さが欠落している。

(11)欧米との共通性と日本の個性を再認識せよ

同時期に近代国家となった欧米と日本

 15世紀から始まった大航海時代の潮流は、欧州を起点に東回りと西回りで地球を一周して、大陸を結ぶ海上航路を開拓し、大陸間の貿易と人の交流を活発化させ、そして世界を植民地化していった。そして大航海時代と植民地化という大波が東アジアに本格的到達したことを象徴する事件が1840年のアヘン戦争と1853年のペリー来航だった。

 1868年の明治維新は、この二つの事件に強い危機感を抱いた長州や薩摩の下級武士たちが決起して起きたものであり、日本における近代化の始まりとなった。そして1871年には岩倉具視を団長とする総勢100名余の岩倉使節団が20ヵ月余にわたって、米欧の12ヵ国を公式訪問して、近代国家の現状をつぶさに視察している。

 この事実が物語るのは、発足して間もない明治政府が時間と資金と人材を惜しみなく投じて、近代化を一気呵成に進めた英断である。欧米の近代化を直接見聞した政府高官たちは「富国強兵」政策を強力に推進して、日清・日露戦争の勝利をもたらした。

 近代化を成し遂げた時期で比較すると、一足早かったイギリスと一足遅れたロシアを除くと、アメリカ南北戦争終結が1865年、明治維新が1868年、ドイツ帝国誕生が1871年、フランス共和国誕生は1874年というように、日本は欧米主要国と同時期に近代国家となっている。

 さらに歴史を遡れば、西暦604年に聖徳太子が十七条の憲法を制定した時点で世界に先駆けて立憲君主制となったのであり、議会制民主主義は1890年に帝国憲法が成立したことによって導入されている。日本は近代化において世界の先進国だったことが分かる。

欧米との共通性と決定的な違い

 日本とイギリスは世界の国々の中で最も似た者同士である。ユーラシア大陸の両端に位置する島国で海洋国家であり、立憲君主制の議会制民主主義国である。封建制の歴史を持ち、武士道と騎士道の文化を継承している。一方で、両国には決定的な違いが二つある。

 一つは隣接する大陸国家の違いである。イギリスがタフな競争相手と数世紀に及ぶ戦争と競争を繰り広げてきたのに対して、中国と朝鮮が近代化から取り残されていたために、日本は四半世紀にわたって鎖国と太平の時代を享受することができた。

 もう一つの違いは宗教である。神と自然に対する姿勢においてキリスト教と神道は対極にある。

 この二つの違いが日本とイギリスの運命を分けた一因となっている。戦争に明け暮れたイギリスが戦略観を磨いて世界の覇権国となったのに対して、日清・日露戦争で外交と戦略の重要性を学び取らなかった日本は、中国大陸での内戦に引きずり込まれていったのだった。

 一方日本とアメリカには、同時期に内戦を戦って(戊辰戦争と南北戦争)国家を平定したことを除けば、共通性は殆どない。とりわけエドワード・ルトワックがいう「戦う文化」において日米は対極にある。アメリカは自らを脅かす勢力の台頭を決して容認しない国家である。南北戦争の戦死者数が戊辰戦争の25倍に達したことがそれを物語っている。片や日本は、近代史の前半では危機に臨んで「戦う文化」が発動されたものの、敗戦と同時にそれを封印して現在に至る。

独自の文明を継承する日本のアイデンティティ

 もう少し歴史を大きく俯瞰してみよう。日本は縄文の古代から、火山や地震などの天変地異に翻弄されてきた。日本にとっての脅威とは自然災害や飢饉であり、日本は自然を畏怖すると同時に自然の恵みに感謝しながら2000年以上の歴史を紡いできた。

 日本は歴史の大半において、天皇の権威を守りつつ武家が政権を担う統治制度を維持してきた。武家が台頭した以降では国家統一を巡る戦争が幾度も繰り返されてきたが、隣国との戦争に明け暮れてきた欧州とは全く異質の文明を継承してきた。

 富国強兵政策の結果、日本は欧米に追い付いたという自信と欧米に対する親近感を実感したと推測されるが、もしそれと同時に日本のアイデンティティを自覚して、欧米との違いをきちんと認識していたら、日本の近代史は違う展開となった可能性が高い。

 既に述べてきたように、太平洋戦争の遠因にはアメリカと日本の宗教観と文明の違いがあった。もし日本がアメリカの思考過程と行動様式を的確に認識していたなら、アメリカによる敵視自体を緩和ないし消滅することができた可能性がある。

世界の近代史で日本が果たした役割、払った犠牲

 日本は東アジアに押し寄せた欧米列強による植民地化の大波に立ち向かった。孤軍奮闘したのだが、中国大陸に深入り過ぎ無謀な戦いを強いられて敗北した。太平洋戦争で日本が未曽有の損失を被った一方で、日本が支援した東南アジア諸国が独立を勝ち取ったことは、歴史上公知の事実である。

 RMC(役割、使命、能力)というアメリカの軍事用語があるが、そういう結末に至った原因は、前項で論じたように、担おうとした役割に対しそれを実行する能力が伴っていなかったことにあった。

エピローグ:戦後80年からの展望

 日本の近代史は、明治維新以降は「富国強兵」を目標とし、敗戦後は「所得倍増」を目標として綴られた。富国強兵という目標は日露戦争の勝利をもって達成されたと見なされるが、そうであるなら日露戦争後に富国強兵に代わる新しい国家目標を打ち立てるべきだった。しかし実際は目標を見失ったまま、欧米列強と同じように振舞って「戦争の半世紀」の後半を戦っている。

 この本来の姿と現実の違いが日本の失敗を招いたと言える。日本は明治維新において議会制民主主義を定着させ、帝国憲法を制定し、岩倉使節団が20ヵ国を訪問した欧米諸国からさまざまな専門家を招聘して、国家のインフラを短期間で整備していった。そうして日清・日露戦争を戦って勝利した。

 この時点で「ここから先、日本は新たに何を目指すのか」という問いに立ち返り、敢えて足踏みをしてでも、新たな国家目標を明確にすべきだったのだ。欧米キリスト教国とは異なる日本独自のアイデンティティを再認識して、それに相応しい国家像を明示すべきだったのだ。

 これは現代も当てはまる日本の課題である。現在国際社会の秩序を崩壊させている大きな原因は、国際社会のルールを公然と無視するロシアと中国の行動にある。ポスト冷戦後、アメリカの覇権体制が続いてきたが、アメリカが弱体化するのと入れ替わるように、ロシアと中国が挑戦的な行動をとるようになった。

 そして現在の危機を地政学的に俯瞰すると、大陸国家対海洋国家の対立の構図でもある。ウクライナ戦争で隠してきた牙を現したロシアと、国力を増強した中国の台頭が国際秩序を脅かす存在となり、両大陸国家の行動を抑制するために海洋国家が団結する必要が高まってきた。

 日本とイギリスはともに大陸沖に浮かぶ島国であり、海洋国家である。アメリカもオーストラリアも海洋国家である。「戦争の半世紀」では日本は世界から孤立して戦ってきたが、現在はG7の一員として、さらには海洋国家連合の一員として、国際秩序の再構築に向けて日本の役割が増大しており、同時に世界から期待されていることでもある。

 さらに地球温暖化や脱炭素等、人類が現在直面している地球規模の課題は、「自然と共存・共生する文明」の継承者である日本がリーダーシップをとって立ち向かうべきであることは言うまでもない。

 このように大きく展望すれば、日本が敗戦と占領で封印したものを取り戻し、アメリカに対する従属関係を清算し、日本のアイデンティティを発動させて、国際社会の課題や地球規模の課題に本気で取り組む時機が到来していることが分かる。そのためには、明治維新以降80年周期で展開してきた「戦争の半世紀」と「思考停止の80年」に代わる、次の80年の行動規範となるべき新たな国家目標を打ち立てなければならない。

「思考停止の80年」との決別 第3部

(5)「戦争の半世紀」だった日本近代史前半

日本の近代史概観

 図1に明治維新を起点とする日本の近代史における、日本が関わった戦争の歴史をプロットした。明治維新から現在に至るまで156年が経過したが、その前半は戦争に明け暮れてきたことを図1が明示している。

 第2部で書いたように大航海時代は日本の近代史に少なからぬ影響を与えた。第1波としてやってきたのはポルトガルとスペインの宣教師で、とりわけ1544年に種子島に火縄銃が伝来した事件は織田信長の天下統一に大きな影響を与えた。そして第2波のオランダ、イギリス、フランスに加えてアメリカとロシアが幕末に相次いでやってきて、日本に開国を迫った。1840年に起きたアヘン戦争が討幕運動に火をつけて、日本は一気呵成に明治維新を成し遂げた。

 日本は江戸時代が長くしかも鎖国をしていたので、欧米列強よりも遅れて近代国家の仲間入りをした感があるが、一足早かったイギリスと、逆に一足遅かったロシアを除くと、他の主要欧米諸国と日本は、殆ど同時期に近代国家となっている。(『思考停止の80年』との決別、第2部参照)

 但し、両者には決定的な違いが二つあった。第一は日本が江戸時代という平穏な時代だったのとは対照的に、欧米列強は数世紀にわたって戦争と革命を繰り返してきたことである。欧米諸国と日本のこの違いは、日本の近代史を方向付ける重要な要因として作用してきたように思われる。

 第二は世界に先駆けてイギリスで産業革命が起きて、重工業が発達しそれが軍事力にも反映されて軍事革命が起きたことである。幕末に欧米列強と接した日本が急速に富国強兵政策を進めた理由がここにある。

 図1から明らかなように、西南戦争を終えて国内を平定した日本は、日清戦争を皮切りに対外戦争に向かった。日清戦争から太平洋戦争の敗戦に至る約50年間は、文字どおり「戦争の半世紀」だった。さらに支那事変を契機として太平洋戦争が起きたことを考慮すると、半世紀に及ぶ日本の戦争史の中核を成したテーマが中国との関係にあったことが分かる。

日本はなぜ日清戦争を始めたのか

 以下、近代史における日中関係については、台湾出身で日本在住の作家、評論家である黄文雄氏が書いた資料①を主に参照した。

 言うまでもなく、日本が明治維新を断行し近代国民国家の建設に邁進したのは、西欧列強による「アジア植民地化の波」から自国を防衛するためだった。そして明治維新を成し遂げて欧米列強による侵略を阻止することに成功した日本は、日本の防衛を更に強化するために、隣国である清国と朝鮮を加えたアジア共同防衛を構想した。日本が目指したのは、西洋列強による侵略も支配も蒙ることのない、アジア独自の平和な世界秩序の建設だった。

 日本はまず朝鮮に明治維新と同様の近代改革を要求したが、宗主国だった清国の体制は旧態依然であり、むしろ維新後の日本を敵視する有様だった。このため日本は1894年に朝鮮独立を要求して清国に宣戦布告した。清は前近代的な老大国だったため、あっけなく惨敗した。

 日清戦争で勝利した日本は戦勝国として三つの戦果を獲得した。国家予算の約4倍の賠償金、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、そして朝鮮の独立である。この勝ちによって、日本は勝てば賠償金や領土を取れることを学び取った。

 ノンフィクション作家の保阪正康氏は、日清戦争の総括について、資料②の中で次のように述べている。

 <結局、日清戦争とは、帝国主義の現実を日本がはじめて体験した戦争だった。当時はまだ帝国主義的な時代だったが、戦争における原価計算意識がかなりシビアになっていた。西洋列強は歴史や国力から中国を眠れる獅子とみなし、大がかりな戦争を仕掛けて支配しても原価計算が合わないと判断した結果、中国には深入りしなかった。>

 <こう考えると、日清戦争で日本が勝ったと単純には言えなくなる、むしろ日本は西洋列強に利用されていた。日清戦争は「中国の罠に嵌まった」ということができる。「日本対旧中国(清朝)」の構図では勝ったが、「日本対新中国(革命政権)」の構図で見れば、孫文が日本を多面的に利用して戦争に勝ったことになる。> 

日露戦争とは何だったのか

 以下日露戦争に関しては主に保阪氏による資料②を参照した。

 日露戦争が起きた背景には日清戦争がもたらした地政学的な変化があった。即ち、満州及び朝鮮半島における清の影響力が弱体化し、逆に日本の影響力が増大し、朝鮮では清による冊封体制が消滅した。ロシアは満州及び朝鮮半島における日本の影響力の増大を阻止するために南下政策を進めようとし、日本は逆にロシアの南下を阻止しようとした。

 それにしても当時のロシア帝国は強大であり、欧州でもロシアと戦争しようとする国は存在しなかった。日本は日ソ間の力学を変えるために、当時の覇権国だったイギリスと日英同盟を結んで戦争に臨んだ。従来日英同盟が日本の勝利をもたらした要因だと言われてきたが、イギリス側から見ると、日英同盟はボーア戦争に忙殺され余力のなかったイギリスが、東アジアにおけるロシア帝国の南下阻止は日本に任せようと判断した結果だったことが分かる。

 日露戦争(1904~05)は、第一次世界大戦(1914~18)とロシア革命(1917)の前夜のタイミングで起きた事件だった。世界史における因果関係として眺めると、日露戦争が欧州の戦争に与えた影響が見えてくる。

 それはこういうことだ。日露戦争で日本が勝利したことにより、イギリスはロシアに接近し既存の露仏同盟と合わせて英仏露によるドイツ包囲網を作り上げた。一方ドイツやオーストリアは弱体化したロシアを横目で睨みつつ、バルカン半島への圧力を強めていった。それが英仏露と独墺(オーストリア)とが雌雄を決した第一次世界大戦へとつながった。

 日露戦争はさらにロシア革命を引き起こした。こう考えると日露戦争は20世紀の世界情勢を動かした大事件だったことになる。日本の勝利は、それほど世界に大きなインパクトを与えたのである。

 一方で、日本は日露戦争を優位に進めたものの、国力を殆ど使い果たして青色吐息だった。ロシアも君主制が崩壊しようとしていた。そうした状況で1905年にアメリカによる和睦仲介という形で日露戦争は終結した。ポーツマス条約が結ばれ、ロシアが満州や朝鮮から撤兵し、遼東半島の租借権とロシアが満州に敷設した東清鉄道を日本に譲渡し、樺太の南部を日本に割譲することとなった。但し賠償金はとれなかった。日本は、日露戦争を痛み分けの形で終わらせようとしたアメリカに救われた一方で、アメリカはアジア進出の足掛かりを得た。

 日露戦争の勝利に国民が沸いたことは事実だが、この勝利がその後の日本の足を引っ張る原因となった。日清・日露戦争は、戦争の終結が次の戦争の原因となる典型的な事例でもあった。つまり日清戦争で多大な賠償金と領土を得ることができたことから、日本は日露戦争に前のめりになり、逆に日露戦争では賠償金がとれなかったために次の満州事変を招いた。

 第一次世界大戦で敗戦し巨額の賠償金を抱えたドイツで、ヒトラーが登場し第二次世界大戦を起こしたのと似た構図が見て取れる。暴走を始める「軍事のサイクル」の姿をここに見ることができる。

日本はなぜ満州国を建国したのか

 1931年に柳条湖事件が起きた。これは大日本帝国の関東軍が南満洲鉄道の線路を爆破した事件で、関東軍はこれを中国軍による犯行と発表して満州事変が勃発した。満州の軍閥だった張学良軍は関東軍によって総崩れとなり満州から駆逐された。1933年に満州事変は終結し、満州国が建国された。

 ところで、なぜ日本は満州国という傀儡国家を作ったのだろうか?二つの理由が存在したと思われる。第一は日本の国内事情によるもので、現代風に言えば食料安全保障である。資料②によれば、日本の耕地面積は国土の約13%で、米の収穫量は3千万人を養える規模だった。江戸時代の人口は3千万人前後だったが、明治以降人口が急増し昭和に入ると7千万人前後に増加した。その食料対策として満州の広大な土地を利用しようという計画が作られて、1932年から「満蒙開拓団」が送り出された。その数は敗戦までに約27万人に達したという。そのために軍事的な収奪と支配が必要となり、その支配を恒常化させるために傀儡国家が必要だった。

 第二の理由は、東アジアの秩序という崇高な目的のために、日本が軍事介入したという大義名分である。ここで日本が期待したことは、中国が日本と提携できる近代国家となれば、東亜諸民族による共同体が形成され、欧米諸国に蚕食され続けてきた東アジアの秩序を盤石にできるというものだった。

 これについて資料①は、「満州の民衆は快哉を叫び、日本に感謝したという。満州建国のスローガン『王道楽土・五族協和』は、日本が一方的に陰謀論的に企んだものだとは言えない。満州は法治も人治もない、軍閥や匪賊が跋扈する無法地帯だったのであり、建国は民衆の意を体した現地の政治勢力の方から主張されたものだった。」と分析する。

 1933年に日中間で停戦協定が結ばれ、満州事変は終結した。この結果、蒋介石は中断していた共産党に対する包囲殲滅作戦に全力を傾けることになった。

(6)革命と内戦・内乱に明け暮れた中国の近代史

中国の近代史概観

 図2に日米欧と中国との間で起きた戦争や事件を中心にプロットして、中国の近代史の概観を示した。清朝が滅んで中華民国が建国されたが、実力者の間で内戦が繰り返され、北京、重慶、南京に相次いで政府が設立された。

 中国の歴史を考える上で重要なキーワードが二つある。第一は「易姓革命」であり、第二は「内戦と内乱」である。資料①は以下のように説明している。

 <『三国史演義』の冒頭に、「天下久しく分すれば必ず合し、久しく合すれば必ず分す」とある。中国の歴代王朝は、何れも『易姓革命』という暴力革命によって誕生している。易姓革命とは中華世界の歴史法則のようなものだ。>

 <18~20世紀に中国人民を本当に苦しませ続けたのは、繰り返される内戦、内乱であり、中国人同士の殺し合いだった。それに人口過剰による自然環境と社会環境の崩壊が重なり秩序が崩壊していた。>

 <中国の長期内戦が始まったのはアヘン戦争よりももっと早い18世紀末のことだった。しかも原因は外的なものではなく、内因によるものだった。18世紀末に白蓮教徒の乱が起こり、続いて教匪の乱、会匪の乱へと内乱が延々と続き、やがて千万人単位の死者を出す太平天国の乱や回乱が発生した。>

辛亥革命の背景

 中国の近代化は、1911年の辛亥革命を起点として始まった。辛亥革命を起こした主役は、当時日本に来ていた清国からの留学生だった。日露戦争に勝利した日本のナショナリズムに刺激された清国留学生が日本に殺到し、革命団体の三派が東京で中国同盟会を結成した。孫文はその指導者となり、中国版の明治維新と新中国を目指していた。

 1912年の中華民国臨時政府の発足直後、革命の指導者だった孫文と北京政府の実権を握る袁世凱が提携し、孫文は統一政府を作るために権力の座を袁世凱に譲った。袁世凱は革命派に対する日本の影響力を削ぐため、「日本は満州を占領しようとしている」という反日宣伝を展開した。背後で英米が袁世凱を支援しており、反日という形で中国のナショナリズムが高揚していくよう工作を行っていた。

 1915年に日本は中国に対し「二十一ヵ条要求」を提示した。内容は西洋列強並みの政治経済活動の容認を求めたもので、列強が第一次世界大戦に忙殺されている間に日本の既得権益を整理して中国に容認させようと考えた行動だった。これに袁世凱が反発して策略を巡らし、「中華民国+英米」対日本という対立の構図を形成していった。これに対して袁世凱を宿敵と捉えていた孫文は、日本政府の態度は東洋の平和を確保し、日中の親善を図る上で妥当なものだとの理解を示していた。

三つ巴の内戦

 台湾には「国慶節」という中華民国の建国記念日がある。辛亥革命の発端となった1911年10月10日の「武昌起義」に由来する。その2か月後には中国各地で革命運動が続発して清朝が崩壊し、孫文は南京に中華民国臨時政府を樹立した。

 辛亥革命を契機に相次いで政府が樹立されていったが、黄文雄氏は「何れも全中国を代表する正統政府だと主張していたものの、国を代表する政府として対外的に責任を負えるものではなかった。当時の中国は、国家としての体を成していなかった。」と評している。

 資料①によれば、中華民国の内戦には三つの時期があった。第1期は袁世凱が率いる北洋軍閥と地方軍閥間の北京政府を巡る内戦、第2期は孫文が1919年に創設した国民党の内戦、第3期が国民党と共産党の間の「国共内戦」である。孫文が1925年に死去し、後継者となった蒋介石は日本よりも共産党の方が脅威であると認識していて、抗日政策よりも掃共作戦(共産党包囲討伐作戦)を優先した。1930年末から第1次掃共戦を実施し、その後満州事変中の中断を経て、1933年の第5次掃共戦で共産党を風前の灯火にまで追い詰めた。

 ここで、共産党万事休すの事態が茶番劇によって逆転する西安事件が起きた。資料①は次のように描写している。

 <満州を追われた張学良が蒋介石を西安で監禁し、抗日への政策転換を迫るという「西安事件」が起きた。そこへ共産党を代表して駆けつけた周恩来が挙国抗日を条件に蒋介石を釈放するように調停した。この事件によって、日中提携の流れも共産党滅亡の流れも、全て断ち切られてしまった。そうして支那事変が勃発した。支那事変の発端となった盧溝橋事件も共産党の陰謀だったという論証は、現在ではむしろ常識となりつつある。>

 <日本との戦争を最も望んでいたのは中国共産党だった。実際に日本を挑発して国民党と争わせることに成功し、その結果、共産党は生き残り、戦後、疲弊した国民党を打ち破って国共内戦に勝利することができたというのが史実である。>

(7)大東亜戦争の真相

かみ合わなかった日本と中国

 前項『中国の近代史概観』で述べたように、そもそも日本が朝鮮半島、中国大陸に進出していった動機は、朝鮮や清国にも明治維新に相当する近代化を成し遂げてもらい、西洋列強による侵略・支配を受けないアジア独自の平和な世界秩序を建設することだった。しかしながら崇高な理想を掲げたものの、両国と危機感と理想を共有することはできなかった。その原因として以下の三つが考えられる。

 第一は、朝鮮や清国に対し日本と同じことを期待しても無理だったことだ。そもそも日本で明治維新が成功した理由は、250年に及ぶ江戸幕府による封建制の歴史があり、危機に直面して決起する武士が残っていたからだった。一方両国にはそのような歴史的遺産がなかった。

 第二は、欧米列強からの独立という高い理想=大アジア主義を掲げて戦争を始めたものの、戦争を続ける間に日本自身が欧米列強と同じように帝国主義として振舞うようになってしまったことだ。

 そして第三は、両国において反日ナショナリズムが形成されていったことだ。歴史的な理由から日本から指示されたくないという思いがあり、欧米列強と同じように振舞う日本に対する反感もあったと思われる。

 両国に対し当時の日本が期待した思いは純粋で直線的だったが、「日本がそのように行動すれば、中国人はどう考えどう行動するだろうか」と、中国人の民族性とリアルポリティクスに対する配慮が欠落していたように思われる。結局日本のお節介と片思いで終わった。

三つ巴の内戦に巻き込まれた日本

 さらに黄文雄氏は資料①で、日中戦争の本質について次のように分析している。

 <1940年に汪兆銘が誕生させた南京政府は日本と和平を結んだ親日政権だった。日本軍による武漢攻略によって日中全面対決が終結していたこの時点で、戦争は日本が支援する南京政府(汪兆銘)、アメリカが支援する重慶政府(蒋介石)、そしてソ連が指導し支援する延安政府(毛沢東)の三つ巴内戦の局面を迎えた。この三つ巴戦こそ日中戦争と言われるものの本質と言って過言ではない。>

 1937年に日本軍のキャンプに一発の銃弾が撃ち込まれた。盧溝橋事件の勃発である。この事件をキッカケに日中の全面戦争に拡大し、やがて太平洋戦争へと繋がっていった。

 ここで注目すべきことが二つある。第一に戦争の構図としてみると、中国大陸という舞台上で蒋介石と汪兆銘と毛沢東が戦い、舞台の外側には日本と英米、ソ連が陣取るという三つ巴戦の二重構造が存在していた。そして第二に、中国大陸に大規模な軍隊を送り込んで戦争を行っていたのは日本だけで、英米ソも中国大陸に深入りしていなかった。

内戦に翻弄された日本

 図2に示したように、清朝が滅亡した1911年から太平洋戦争終結後の1949年に中華人民共和国が建国するまで、中国は内戦に明け暮れた。三つ巴戦を率いた三人の指導者について資料①は次のように評している。

 <汪兆銘は日本との戦争を回避するため、日本と和平を結んだ政治指導者である。一方の毛沢東と蒋介石は、日本との戦争を惹き起こし、おびただしい数の同胞を犠牲にし、国土を荒廃させたものの、運よく日本が米軍に敗れたため、抗日戦争で中国に勝利をもたらしたとして英雄になった。>

 <汪兆銘はもともと蒋介石と違い、強硬な対日主戦派だった。だが戦争が続くにつれ、中国軍に対日戦争遂行の実力がなく、また国内経済が疲弊し、共産党の跋扈も収まらないなど、中国を守るには日本との和平を結ぶしかないことに気づいたのだった。汪兆銘によれば、中国には共産党を例外として、和平を希望しないものはいないが、多くは日中両国の共存は不可能と考えるので和平に反対するのだという。汪兆銘はこうも語った。「日本に通じたのが漢奸なら、国民党はアメリカと、共産党はソ連と通牒したではないか、我々の志が間違っていたのではない。単に日本が負けただけだ。」と。>

 <当時蒋介石ら国民党主流派は抗日には消極的だった。彼らは日本及び日中関係を現実的に見ていたからだ。蒋介石自身は大変な知日派だった。中国が遠大な将来を考えるなら、日本と提携すべきであって、日本を恨む必要はない、日本は隣邦であり同文の民族であって決して敵対すべき相手ではないと訴えていた。>

 <蒋介石による北伐完了と中国統一後、米英は真っ先に蒋介石政府を承認し、関税自主権を認めるなど、旧来の植民地政策から政府支援政策へと転換した。この結果、中国にとって反帝国主義政策の対象は日本だけとなった。中国は国家統一を強固なものとするため、対日外交で強硬路線に転じ、漢口租界からの即時撤廃を日本に要求した。それが満州事変から支那事変に至る戦争の原因になっていった。中国内戦に翻弄、愚弄された当時の日本の姿がここにある。>

ソ連コミンテルンの世界戦略と中国共産党

 三勢力による内戦を最終的に制したのは、最も弱体な勢力だった中国共産党である。ソ連から巧みな支援を受けて、西安事件という茶番劇を含めて国民党との「国共内戦」を制したのだった。黄文雄氏は資料①の中で次のように論じている。

 <西安事件によって日中提携の流れも共産党滅亡の流れも全て断ち切られてしまった。そしてその翌年の1937年に支那事変が起きた。発端となった盧溝橋事件の「一発の銃弾」も共産党の陰謀だったという論証は現在では常識となりつつある。>

 <日本との戦争を最も望んでいたのは中国共産党だった。実際に日本を挑発して国民党と争わせることに成功し、その結果共産党は生き残り、戦後疲弊した国民党を打ち破って国共内戦に勝利したというのが史実である。>

 <ソ連の南下を何よりも懸念し、不拡大方針を採用した日本に対し、南下を目指すソ連は、全く逆の戦略を立てていた。1937年盧溝橋事件の直後にコミンテルンの幹部会議は中国共産党へ次のような命令を下していた。「局地解決を避け、日中全面戦争に導け。国民政府に開戦を迫れ。対日ボイコットを全土に拡大しろ・・・。」>

 <つまり長期的な日中全面対決に持って行き、ソ連に対する日本の攻撃を不可能にし、両軍を徹底的に消耗させて共産党政権を樹立し、仮に日本が敗北したら、日本革命を達成するという戦略だった。中国での共産党政権樹立はソ連の傀儡政権であるから、日本を共産化できれば東アジア制覇を達成できる。つまり日露戦争によって阻止されたロシアの南下を、日中戦争によって一気に達成しようとするコミンテルンの世界革命戦略だった。>

 <もちろんこの謀略は、日本にとって最も警戒するものだった。そのような事態を防ぐために、何としてでも日中全面戦争を避け中国との提携を実現して共同で防共体制を築きたかったのだ。だが、共産党など中国の反日勢力はそのようには考えなかった。飽くまでも自勢力の存亡をかけ、日本軍を中国内戦に引きずりこもうとしていたのである。>

 このように俯瞰すると、日中戦争とは中国大陸を舞台とし、リング外で繰り広げられた列強間の戦略ゲームに他ならなかった。日露戦争に勝って軍事力では欧米列強と肩を並べた日本が満を持して中国大陸に進出したのだったが、アメリカ、ソ連という老獪な二大国に加えて、異質な文明をもち内戦に明け暮れてきた中国人を相手に、戦略ゲームを挑むのは余りにも無謀だったという他ない。

(8)太平洋戦争の真相

アメリカはなぜ日本と戦ったのか

 「アメリカはなぜ日本と戦ったのか」という問いは、今でも解明されていない謎である。なぜならアメリカが未だに日米戦争に係る資料を公開していないからだ。西尾幹二氏は、既にアメリカはナチスドイツとの戦いに関する殆ど全ての書類や文献を公表しているが、日米戦争に関するものは百年間公表しないとして隠しているという。

 この事実が物語ることは、アメリカは不当な戦争をしたということであり、逆に日本は根拠のない戦争を仕掛けられたということであり、そして日本が戦争を始めたのではないということである。(資料③参照)

 以下は資料③と④を参照して、太平洋戦争の真相について要点をまとめたものである。資料④の現代史研究会のメンバーは、西尾幹二氏(電気通信大学名誉教授)、福地惇氏(高知大学名誉教授)、福井雄三氏(東京国際大学教授)、柏原竜一氏(情報史研究家)である。

第一次世界大戦から第二次世界大戦へ、変質した戦争

 はじめに、西尾氏は資料③の中で、世界大戦の変質について次のように概観している。

 <第一次世界大戦までの戦争は、国家同士の戦争であり、少し広げて考えても、同盟対同盟の戦争だった。今までの戦争では終末において妥協が可能だったが、今や妥協が全くない戦争が始まっている。言い換えれば戦争は国家が戦い終わった後も続く。今までの戦争と非常に違う秩序と秩序の戦いであり、総力戦だ。世界観の展開の戦いであるから、当然その根底には思想戦というものがなければならない。>

 <アメリカは第一次世界大戦においてドイツという国家を倒し、第二次世界大戦ではナチスの世界観と戦い、第三次世界大戦(米ソ冷戦)ではソ連の共産主義という思想体系と戦い、そして第四次世界大戦(現在)ではイスラムという宗教秩序と戦っている。>

日米戦争はなぜ起きたのか

 アメリカはなぜ日本と戦争をしたのだろうか。上記「思想戦」という意味において、アメリカには日本と戦う大義名分も、開戦理由もなかった。結局アメリカにとって日本が列強の仲間入りをしたこと自体が想定外であり、折あらば排除したい存在となっていたと推察される。結論を先に書けば、ルーズベルトという狂人と、それを操ったスターリンと、ルーズベルトを大統領に担ぎ上げた組織(後述)の存在がなければ太平洋戦争は起きなかった可能性が高い。

 西尾氏は次のように述べている。<多くの昭和史論者たちは、日本がアメリカを激発させ、虎の尾を踏んだというようなことを前提として議論を始めるが、そうではなく、最初からアメリカには対日攻略意図があり、どうしても譲れない国益護持の一線があり、そこを越えたら攻略すると考えていた。その一線が中国問題や満州問題だったのだ。つまりどのような道筋を辿っても、日本にとって戦争は避けられなかったのではないか。>

 また資料④の中で現代史研究会の識者はそれぞれ次のように論じている。<日米戦争は宗教戦争だった。米国が日本文明を殲滅しようと考えた背景には宗教的動機があった。簡単に言えば、先の戦争はアメリカのキリスト教原理主義と我が国の国体論の激突だった。>(西尾氏)

 <皇室を含めて日本文明を殲滅しようという壮大な戦略戦術の下にあの戦争はあったと考えられる。確かにあの戦争は宗教戦争の色彩が濃厚だが、それを「文明の衝突」と呼びたい。ユダヤ・キリスト教の「自然を征服」しようとする一神教を土台にした欧米の文明と、八百万の神々と山川草木悉皆仏性の「人間と自然が宥和」する日本文明との衝突だ。>(福地氏)

 <そもそも第二次世界大戦そのものが、宗教にも似たイデオロギーのぶつかり合った宗教戦争だったと言えなくもない。>(福井氏)

支離滅裂だったアメリカ

 結局、第一次世界大戦から第二次世界大戦を通してアメリカは覇権以外に何を得たのだろうか?「米国の行動は終始支離滅裂だった」そう断定する根拠として、福井氏は次の四点を挙げている。

・第二次世界大戦が終ったとき、アメリカは東欧を全部ソ連にタダで譲り渡している

・日本との最大の争点だった中国大陸の門戸開放・機会均等を達成できていない

・蒋介石の国民党政権に対して天真爛漫な幻想を抱き莫大な援助を行って対日戦を煽ったが、戦争末期にはデタラメな実態に愛想をつかし、今度は毛沢東を美化し始めた

・大戦後4年間(1945~1949)に及んだ中国大陸の国共内戦にも介入せずに放置して中国大陸の共産化を黙認した

ルーズベルトタブー

 <戦争をしないと公約して大統領になったルーズベルトがなぜ戦争に走ったのか。その謎解きはアメリカ人研究家の間で「ルーズベルトタブー」と呼ばれている。その結論は、ルーズベルトが国際金融巨大財閥(現在のディープステート)の使い走りをさせられていたというものだ。>(福地氏)

 <ルーズベルトはアメリカの覇権を目指したけれども、そこには親ソという矛盾があった。ルーズベルト政権の中にも「ソ連とアメリカの未来は一つだ」という考えがあった。ソ連に対しても中国に対しても全く無警戒だった。>(西尾氏)

 <米国を一つのイメージで捉えることは非常に危険である。結局米国は大統領独裁国で、日本が嫌いで中国が好きだという大統領がフランクリン・ルーズベルトだったということだ。アメリカでは既に1918年から共産主義者による情報活動が始まっていた。1920年代にはプロパガンダはアメリカ全土に広がっていて、大恐慌の時にはソ連が理想郷に見えた。ルーズベルトは中国と日本、アメリカと日本の戦争を望んでいた。>(柏原氏)

まとめ

 冒頭の図1に示したように、日本の近代史の前半は「戦争の半世紀」だった。戦争の相手国となったのは、最初に中国、次にソ連、そしてアメリカだった。そして「戦争の半世紀」は太平洋戦争の敗戦をもって終わった。「一つの戦争の終結は、次の戦争の原因になる」という、日清戦争以来続いた戦争の因果関係に、敗戦をもって終止符が打たれた。

 この半世紀の間に、世界の近代化の潮流から取り残されていた清国は崩壊して中華人民共和国が誕生し、ロシア帝国も崩壊してソヴィエト連邦が誕生した。そのソヴィエト連邦も既に分裂して存在しない。一方、明治維新とほぼ同時期に勃発した南北戦争を乗り越えたアメリカは世界の覇権国となった。

 このように日本の「戦争の半世紀」は、世界の激動の一環としての、東アジアにおける激動の中核的事件だったのである。

 私は歴史の専門家ではないし研究者でもないとお断りをした上で、太平洋戦争敗戦に至る日本の近代史について、全体像を俯瞰し歴史の真相を探究してきた。さらに「戦争の半世紀」における日本の勝利と敗北について、その結末に至った原因について考察を加えた。作業にあたって、黄文雄氏、保阪正康氏、西尾幹二氏の4つの資料を主に参照させていただいた。

 第1部、第2部、第3部と書いてきて、極めておおざっぱではあるが、明治維新以降の日本の近代史を、その背景となった激動の世界史の中で概観できたように思う。

 既に明治維新から現在まで156年が経過した。前半(明治維新~太平洋戦争敗戦)は77年、後半(敗戦~現在)は79年になる。『思考停止の80年との決別』と題して連載で書いてきた理由は、戦後約80年が経つにも拘わらず、日本は「戦争の世紀」を総括しておらず、その成功と失敗から学ぶべき教訓を明らかにしてこなかったと考えたからである。歴史を総括せずウヤムヤのまま封印してきた現状を正さない限り、日本は政治的にも経済的に現在の低迷から脱出することはできないという危機感があったからである。

 第4部では、第1部から第3部を踏まえて、『思考停止の80年との決別』を締め括りたい。

参照資料:

資料①:『日中戦争真実の歴史』、黄文雄、徳間書店、2005.7

資料②:『歴史の定説を破る』、保阪正康、朝日新書、2023.4

資料③:『憂国のリアリズム』、西尾幹二、ビジネス社、2013,7

資料④:『自ら歴史を貶める日本人』、西尾幹二と現代史研究会、徳間書店、2021.10

「思考停止の80年」との決別 第2部

(3)欧米列強の近代史俯瞰

 欧州の歴史は多くの国と民族が複雑に相互作用しながら、戦争や革命を幾度も繰り返して綴られてきた。その複雑怪奇な歴史を、二つの大きな潮流である欧州大陸国家の変遷と、大航海時代から植民地開拓競争に至る5世紀に及ぶ変遷を概観した上で俯瞰してみたい。

 第2部で参照した資料は、次のとおりである。

  ・資料①:『情報の歴史』、松岡正剛、編集工学研究所、NTT出版、2001年

  ・資料②:『自ら歴史を貶める日本人』、西尾幹二と現代史研究会、徳間書店、2021年

  ・資料③:『戦争と財政の世界史』、玉木俊明、東洋経済新聞社、2023年

欧州大陸の近代史

 はじめに、欧州の時代区分は中世、近世、近代の三つに分けられる。まず中世の欧州は、紀元476年に滅亡した西ローマ帝国を継承する形で、紀元800年にカール大帝が即位して誕生した「神聖ローマ帝国」と、各地方の領主が収める「領邦」からなる封建体制だった。そして15~16世紀前半に起きたルネサンス、宗教改革、大航海時代の幕開け以降は近世と区分され、市民革命や産業革命が始まった18~19世紀初頭以降は近代と区分されている。

 欧州の近代史を俯瞰するためには、近世から近代に流れ込む歴史の本流を理解する必要がある。はじめに近世以降の歴史の転換点となった出来事を図1に線表としてプロットしてみた。歴史の転換点になった大事件は四つある。

 <第一の事件>は1618年に起きた「三十年戦争」である。これは神聖ローマ帝国を舞台に起きたカトリック対プロテスタントの宗教戦争だった。30年に及ぶ戦争はカトリックのハプスブルク家が敗北して終結した。終結した1648年に関係国の首脳が集まって「ウェストファリア条約」が締結され、欧州大陸に新たな体制(ウェストファリア体制)が形成された。

 三十年戦争は以下に代表される大きな変化をもたらし、ウェストファリア体制の確立は欧州大陸に新たな力の均衡をもたらした。

 ①神聖ローマ帝国が瓦解し、支配下にあった諸国が独立した

 ②領地を拡大したブルボン朝フランス王国は大陸最強国家となり、神聖ローマ帝国から離脱した

 ③ドイツでは各諸侯の主権が認められ、300に及ぶ領邦国家が誕生した

 ④スウェーデンも領土を拡大して強国となり、ネーデルランド連邦共和国(オランダ)やスイス連邦が神聖ローマ帝国から独立した

 ⑤これを契機としてオランダは黄金期を迎え、イギリスが覇権を握るまでの間、欧州海運の主導権を握った

 ⑥この条約の成立によって、教皇や皇帝という超国家的な権威が欧州を単一のものとして統治する体制が消滅した

 <第二の事件>は1756~63年に起きた「七年戦争」である。戦争の発端は神聖ローマ帝国の瓦解によって失った領土をプロイセン王国から取り戻すことを目論んでハプスブルク家が仕掛けたものだった。ここにイギリスとフランスによる植民地開拓の主導権争いが加わって、欧州の広域で大戦争が展開された。

 <第三の事件>はルイ16世の治世下の1789年に起きた「フランス革命」であり、ウェストファリア体制を揺るがす大事件となった。1792~1802年にはフランス革命を巡ってフランスと欧州諸国との間で戦争が勃発した。フランス革命に対して諸国が干渉する形で起きた戦争だったが、フランスは戦争に勝利して共和制となった新政府を国際的に承認させることに成功した。

 そして1804~1815年に「ナポレオン戦争」が起きた。ナポレオン・ボナパルトはフランス軍を率いて一時欧州の大半を征服したが、スペイン独立戦争とロシア遠征で敗退し、ワーテルローの戦いで決定的な敗北を喫して、1815年に戦争は終結しナポレオンは失脚した。

 ナポレオン軍が圧倒的な強さを見せた理由は、ナポレオン戦争以前の欧州諸国の軍隊が傭兵主体だったのに対して、フランス軍は革命で実現した共和国の防衛意識に燃えた国民軍だったことにある。軍隊も大規模化して、七年戦争期には20万人を超える軍隊をもつ国は僅かだったが、フランス軍は150万人規模になり、ナポレオン戦争期には300万人に達したという。

 1815年にナポレオン戦争後の秩序形成をテーマとして「ウィーン会議」が開催された。オスマントルコを除く全欧州諸国が結集した。「会議は踊る」と揶揄されたように会議は遅々として進展しなかったが、最終的に「基本的に1792年以前の体制に回帰する」という合意に達した。こうして作られた王政復古の体制を「ウィーン体制」と呼ぶ。

 こうして平穏を取り戻したかに見えた欧州だったが、<第四の事件>が1848年に市民革命の連鎖という形で起きた。まず多数の王国や公国が割拠し、復古体制に対する民衆の不満が高まっていたイタリアのシチリアで、1月に王国からの分離独立と憲法制定を要求する暴動が起きた。これは「一月革命」と呼ばれイタリア各地へ伝搬した。

 そして2月にはフランスで、政府が政治集会に対する解散命令を出したことを契機に、これに激怒した労働者・農民・学生によるデモやストライキが起きた。翌日首相が辞任し、2日後には武装蜂起が起きて国王が退位する事態に発展した。このフランスの「二月革命」はオーストリア帝国、ハンガリー王国、ボヘミア王国、プロイセン王国へと拡大し、欧州諸国に伝搬していった。

 こうしてウィーン体制は崩壊した。1871年にはドイツ帝国が誕生し、フランスは1874年に三度目の共和制に移行した。

大航海時代から植民地開拓へ

 15世紀から始まった「大航海時代」が世界の近世・近代史に与えた影響は、次の三点に要約できる。第一は大陸を結ぶ海上航路の開拓であり、第二は大陸間の貿易と人の交流(奴隷を含む)であり、そして第三は世界の植民地化である。

 図2に大航海時代における歴史の転換点となった出来事を図解して示した。図から一目瞭然のように、大航海時代の第1陣の主役はポルトガルとスペインだった。1世紀以上遅れてイギリス、フランス、オランダ他が第2陣として登場した。

 ポルトガルはまずアフリカ航路とインド航路(東回り)を開拓した。次にスペインが西回りでアメリカ大陸への航路を開拓した。15~16世紀はポルトガルとスペインの独壇場だった。第2陣が第1陣に大きく遅れた理由は、国が安定しておらず外に向かう体制が整わなかったからだった。

 日本に最初にやってきたのは1543年に種子島に漂着したポルトガル人だった。このとき鉄砲に注目した西村時貫が火縄銃2丁を買い求め、家臣に火薬の調合を学ばせると同時に刀鍛冶を集めて数十挺の複製を造り、さらに堺の商人もやってきて、日本は数年で銃の製法を学び取ったと言われる。織田信長が天下を統一したのは1573年であり、1575年の長篠の戦いで織田・徳川連合軍が武田勢を迎え撃ったときに、織田勢は鉄砲三千挺を用意して新戦法三段撃ちを行ったと言われる。

 1550年にはイエズス会の宣教師だったスペインのフランシスコ・ザビエルがやってきて山口で布教を始めている。1600年にはオランダ船リーフデ号で豊後の黒島に漂着したイギリス人ウィリアム・アダムズは家康に謁見し、引き留められて家康に世界情勢を伝えている。1603年には徳川家康が江戸幕府を開いたが、1609年には平戸に商館を建ててオランダに通商許可を与えている。

 このように戦国時代から江戸幕府成立の時期に、大航海時代の第1波が日本に到達したのだった。

イギリスの近代史

 欧州列強の中でイギリスは他の諸国とは異なる変遷を経て、しかも他国よりも早く近代国家を実現している。イギリスの変遷には三つの大きな出来事があった。第一は早い段階での立憲君主制の確立であり、第二は大英帝国の成立であり、そして第三は海洋開発と産業振興の推進である。図3にイギリスの近世以降の歴史の転換点となった出来事を図解して示した。

 イギリスは1642年の清教徒革命、1649年のクロムウェルによる共和制、1688年の名誉革命を経て、世界に先駆けて立憲君主制を確立した。イギリスと対照的に、大陸諸国が王政、帝政、共和政の間で揺れ動いて戦争と革命を繰り返して、最終的に議会制民主主義を基本とする国家体制を築いたのは、1848年に起きた欧州革命以降のことである。イギリスは国家の骨格を固めるのが他の欧州国家よりも160年も早かったことに注目すべきである。

 イギリスの場合、大陸国家と国境を持たないことが幸いしている。大陸国家が周辺国との領土紛争に明け暮れて、国境を画定するのに数世紀もの歳月を要したのに対して、イギリスは近代以前の三つの王国(イングランド、スコットランド、アイルランド)が統合してできた。1707年にまずイングランドとスコットランドが統合して大ブリテン王国となり、1801年にはアイルランドが加わって大英帝国の枠組みが完成している。

 欧米列強による植民地開拓競争の結果は、1936年の時点で世界の全植民地の約6割をイギリス、ロシア、フランス、アメリカの四ヵ国が所有していて、イギリスはトップで約27%だった。植民地開拓競争でイギリスが最強の地位を獲得した理由は何だったのか。三つの理由が考えられる。

 第一は清教徒革命では軍人として戦い、イングランド共和国の護国卿となったオリバー・クロムウェルが1651年に航海法を制定し、海運業、造船を国策として推進したことである。イギリス以前に欧州の海運を制していたのはオランダで、当時オランダは欧州の船舶の1/3~1/2を支配していたが、その主役は商人だった。それを国家が推進するシステムに転換することで、イギリスはオランダを駆逐して欧州物流を掌握したのである。

 第二は世界に先駆けて1768年から産業革命がイギリスで始まったことである。19世紀は「蒸気の時代」と呼ばれ、20世紀初頭には世界の船舶の半分(トン数ベース)がイギリス製になった。

 第三は海上輸送の保険をビジネスとする保険会社ロイズの登場と、イギリスが世界の電信の大半を敷設したことである。当時、電信のインフラは海底ケーブルの敷設を含めて民間には手に負えない国家事業だった。しかも海底ケーブルの敷設には蒸気船が不可欠だった。イギリスはこうして、現代で言えば通信と情報、通信サービスとその決済システムを国家事業として推進したのだった。(参照:資料③)

アメリカの近代史

 次にアメリカの近世以降の歴史の転換点となった出来事を図解して図4に示す。図から読み取れるように大事件は三つある。第一は欧州からの入植、第二は独立戦争、第三は南北戦争である。

 「大航海時代」の潮流が北米大陸に到達し、17世紀初頭に欧州諸国から北米大陸の東海岸への入植が始まった。具体例を挙げると、1606年にイギリスからバージニア州のジェームズタウンへ、1608年にはフランスからカナダのケベック州へ、そして1620~91年にはイギリスからニューイングランド(現在のボストン周辺)へ大規模な入植が行われた。

 前述したように、1756~63年に欧州で七年戦争が起きた。この戦争には神聖ローマ帝国の領地を巡る戦争の他に、イギリスとフランスが戦った植民地開拓の主導権争いが含まれている。後者の戦場は北米大陸に飛び火して、「フレンチ・インディアン戦争」が起きた。つまりフランス軍とフランスに味方したインディアンを相手としてイギリス軍が戦った戦争である。イギリスが勝利してイギリスが北米大陸の主要な植民地を管理下においた。

 こうして北米大陸における対立はアメリカ対イギリスの構図になっていった。1773年にボストンの急進派がイギリスに対する抗議として、停泊中の船舶から積荷の茶箱を海に大量投棄するという「ボストン茶会事件」が起きた。この2年後にはボストン近郊のレキシントンとコンコードで戦闘が起きて、アメリカ独立戦争の幕が開いた。

 1775~83年にアメリカ独立戦争が起きた。1776年7月4日には北米の13州が独立を宣言してアメリカ合衆国が誕生し、1783年のパリ条約で、大英帝国はアメリカの独立を承認した。ちなみにジョージ・ワシントンが最初の大統領選挙によって初代大統領に就任したのは1789年のことである。

 1823年になると第5代大統領ジェームズ・モンローが、アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱している。アメリカの「モンロー主義」は現在においても世界の出来事にアメリカは関与しないという場面で繰り返し登場している。

 そして1861~65年に南北戦争が起きた。独立した南部11州と残留した北部23州が戦った内戦であり、双方合わせて戦死者20万人、総死者65万人に及ぶ途方もない損害を出して戦争は終結した。

 独立宣言以降、1791年から1959年に至る168年の間に、アメリカ合衆国はバーモント州(14番目)からハワイ州(50番目)に至るまで、新たな州を一つずつ加える形で領土を拡大していった。その中にはロシアから購入したアラスカも含まれている。そして1890年以降にアメリカは帝国主義となった。

ロシアの近代史

 最後にロシアの近世以降の歴史の転換点となった出来事を図解して図5に示す。17世紀初頭にロシアには「ツアーリ」と呼ぶ国王が統治する国家が存在した。ミハイル・ロマノフが1613年にロシア国のツァーリに即位し、ロマノフ朝が成立した。1682年に即位したミハイルの孫にあたるピョートル1世は西洋化・近代化を急速に進めて、1721年にはピョートル大帝を名乗りロシア帝国が誕生した。ロシア帝国は勢力を欧州から沿海州まで拡大して欧米列強と肩を並ぶ存在となり、1917年にロシア革命によって滅ぶまで続いた。

 マルクスに言及せずにロシアの近代史を論じることはできないだろう。欧州で市民革命が相次いだ1848年に、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが共同で書籍『共産党宣言』を発表した。マルクスは人類の歴史は領主対農奴、資本家対労働者などの階級闘争の歴史であるとし、プロレタリアート(労働者)がブルジョワジー(資産階級)から政治権力を奪取し、生産手段などの資本を社会の共有資産に変えることによって社会が発展し、階級が消滅する共同社会が訪れると考えた。

 日露戦争が起きた20世紀初頭、ロシアは帝国だった。日露戦争で日本に敗れ、第一次世界大戦でドイツに対し劣勢となるにつれて、ロシア国内では労働者のデモやストが起きて革命の機運が高まった。

 当時革命を目論む集団が二つ存在していた。一つは穏健な民主主義的革命を目指した社会主義右派の「メンシェヴィキ」で、他一つは軍事革命を目指したウラジーミル・レーニンが率いた「ボリシェヴィキ」である。1917年に起きた二つの革命を経てボリシェヴィキが優勢になり、1922年には人類史上初の社会主義国家となるソヴィエト社会主義共和国連邦が樹立された。

 マルクス主義では、労働者階級による共産主義革命と資本主義の廃止は、世界規模で起きる歴史的必然であると考えられていた。それを踏まえてレーニンはロシア革命を「世界革命の一環」と位置付けたが、他の欧州諸国では革命は起きなかった。このため世界における共産主義革命をどこまで追求するかが論点となり、最終的にスターリンが主張した「一国社会主義論」に収束していった。

 結局ソヴィエト型の社会主義は世界に波及せず、ソ連はアメリカとの軍拡競争についてゆけずに1991年に崩壊した。ソ連はロシア連邦を含む15ヵ国に分裂し、それぞれが独立して今日に至っている。2022年2月にプーチン大統領がウクライナに軍事侵攻した遠因として、ソ連崩壊時のウクライナとの関係があることは言うまでもない。 

(4)近代史における欧米列強と日本の相互作用

 以上、歴史の本流を辿りながら、極めて簡潔に欧米列強の近代史を概観してきたが、ここからはその理解を踏まえて、欧米列強と日本との近代史における相互作用について考えてみたい。

近代国家の成立

 まず始めに、欧米列強5ヵ国と日本が近代国家となった時期を比較してみよう。時系列に並べると、イギリス統合が1801年、アメリカ南北戦争終結が1865年、明治維新が1868年、ドイツ帝国の誕生が1871年、フランス共和国の誕生は1874年だった。そしてソヴィエト社会主義共和国連邦は1922年に誕生した。 イギリスが一足早く、ロシアは一足遅かったが、アメリカ・日本・ドイツ・フランスは19世紀後半に近代国家となった。日本は江戸時代が長く、しかも鎖国をしていたので、欧米列強よりも遅れて近代国家の仲間入りをした感があるが、イギリスとロシアを除く他の諸国と殆ど同時期に近代国家となったのだった。

大航海時代が日本に与えた影響

 既に述べたように、大航海時代が世界の近世・近代史に与えた大きな影響は、第一に大陸間航路の開拓、第二に大陸間の貿易と人の交流、第三に世界の植民地化だった。その中で大航海時代が日本の近代史に与えた影響は三点に要約できる。第一は鉄砲伝来、第二はキリスト教の布教、そして第三は明治維新と文明開化の促進である。

 既に述べたように、1544年に種子島に火縄銃が伝来した事件は、織田信長の天下統一に大きな影響を与えた。しかも鉄砲伝来から僅か数年の内に日本は鉄砲を量産していた。こうして第1陣として日本にやってきた宣教師たちは、日本を植民地化することを早い段階で諦めたのだった。

 そして第2陣が日本にやってきたのは幕末だった。1840年に起きたアヘン戦争が警鐘となって討幕運動に火がついて、日本は一気呵成に明治維新を推し進めた。

日本とイギリスの類似性と対照性

 ここで日本とイギリスの類似性を見ておきたい。両国はユーラシア大陸の両端に位置する島国であり、共に立憲君主制の議会制民主主義国家である。イギリスで立憲君主制が確定したのは1688年の名誉革命であり、一方日本では歴史の初めから「万世一系の天皇制」であり、最初の憲法は604年に聖徳太子が定めた「十七条の憲法」である。

 単純に比較することはできないが、立憲君主制の成立は日本の方が約1,000年も早いという解釈も成り立つ。ちなみにイギリスの最古の憲法は1225年に改正されたマグナ・カルタであり、その一部は現在のイギリスにおいても憲法を構成する法典の一つを成している。

 鎌倉時代以降明治維新に至るまで、日本は天皇の権威のもとに武士が政治を行う封建社会だった。一方イギリスは国王のもとに国が統一されるまでは地方領主が統治する多数の領邦から構成される国だった。日本が君主中心ではなく議会中心の立憲君主制となったのは1868年の明治維新であり、イギリスが180年程先行していたことになる。

 一方、国家が統一されたのは日本では1603年の江戸幕府誕生であり、戦国時代に信長、秀吉、家康がそれぞれの役割を果たしてバトンを渡し、比較的短期間で天下統一が成し遂げられた。一方イギリスでは1801年に大ブリテン王国にアイルランドが加わった時に国家が統一されており、日本が約200年先行したことになる。

 また両国は共に近代化の前に封建制を経験しており、武士道と騎士道という文化の共通性もある。このように、大陸の両端の島国である日本とイギリスには、他のどの国よりも類似点が多い。地理的な立地条件が同じことがその類似性の背景にあるように思われる。

 一方で日本とイギリスが対照的であるのは、イギリスが世界に打って出て欧州列強との間で戦争を繰り返し、海上の覇権を争った末に世界最強の海洋国家となったのに対して、日本は来航した欧米列強の圧力に対し必死に防戦する過程で列強の仲間入りを果たしたことである。

 この対照性はどうして生まれたのだろうか。理由の一つは周辺国との関係にある。イギリスが強力な大陸国家と近代化を競いつつ発展してきたのに対して、日本の隣国である中国と朝鮮は、日本が必死に明治維新を成し遂げた1868年時点においても、欧米列強による植民地化という危機に対して、近代化から取り残されたままだったのである。

 第三部で詳しく述べるが、この事実が日本が大東亜戦争へ突入していった大きな原因となったのだった。

日本とアメリカの類似性と対照性

 ペリー率いる船団が日本に来航したのは南北戦争の直前であり、明治維新が起きたのは南北戦争直後だった。日米両国には、ほぼ同時期に内戦を経て近代国家となったという類似性がある。

 一方、対照的な事実は二つある。第一は日本が単一民族による国家であるのに対して、アメリカは欧米列強からの移民が移住して建国された点だ。言い換えると、単一性と多様性という点で日米は対照的であり、これは現在にも当てはまる。

 第二は内戦における戦死者の数である。アメリカは南北戦争で戦死者20万人の犠牲を出したのに対して、日本では戊辰戦争の総死者は両軍合わせて約8千人強だった。同じ内戦でありながら戦死者に25倍の開きがあるのは尋常ではない。

 一体その違いはどこから生まれたのだろうか。それを考えるヒントが戦争に対する両国の立ち位置の違いにあるように思える。日本は太平洋戦争での敗戦以降は如何なる戦争にも直接的に関与しなかったが、アメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争など、世界の各地で間断なく戦争に関与してきた。 ここで「アメリカは覇権国だから当然だ」という解釈は、原因と結果を取り違えているように思える。むしろアメリカがDNAとして内面に保有する資質が、アメリカを覇権国にしたと考える方が真実に近いのではないだろうか。

日本がロシアに与えた影響

 既に述べたように、日露戦争は日英同盟対露仏同盟の戦いだった。日英同盟を結んだイギリスの狙いは、ボーア戦争に多くの資源を投入せざるを得なかった状況下で、露仏同盟、特にロシアに対抗する手段として日本を利用することにあった。結果論になるが、日本はイギリスの代理戦争としてロシアと戦争を行ったことになる。

 そして日露戦争に勝利したことで、日本は欧米列強のパワーゲームに否応なしに巻き込まれていった。日露戦争における勝利が世界の近代史に及ぼした影響について、資料②は次のように論じている。

≪日本は日清戦争の時代から国際秩序に大きな影響を与えていた。二十世紀を動かした大きな要因の一つが、日露戦争における日本の勝利だった。問題は(国際情勢に与えた)日露戦争の影響について、日本自身が正確に評価できなかったことだ。≫

≪日本がギリギリのところで勝利を収めると、イギリスはインドを確保できて安堵し、ドイツやオーストリアは弱体化したロシアを横目で睨みつつ、バルカン半島への圧力を一層強めていった。その帰結が英仏ロと独オーストリアとが雌雄を決した第一世界大戦だった。≫

≪日露戦争は、第一次世界大戦を引き起こしたと同時に、ロシア革命も引き起こした。二十世紀を動かしたのは日露戦争だと言っても過言ではない。≫

エピローグ

 複雑怪奇な国際情勢を、極めて単純化して俯瞰し、近代史における日本と欧米列強との相互作用について考察を加えてきた。専門家から見れば、極めて荒っぽいと批判されるかもしれない。しかし本資では歴史の正確さよりも大きな流れを捉えることを重要視したので、ご容赦願いたい。第三部では、近代史の後半として、世界大戦期の日本と欧米列強との相互作用について考察を加えたい。

「思考停止の80年」との決別 第1部

(1)歴史を総括するということ

秩序崩壊しつつある国際情勢

 戦後国際社会の秩序を維持してきた枠組みが、ロシアによるウクライナ軍事侵攻によって瓦解しつつある。ウクライナ戦争がどういう形で終結するのか、現時点では何も予測できない。また中国経済が失速しており、今後社会の混乱がどこまで拡大するか、さらに台湾有事がどうなるか、これも予測できない。

 但し確実なことが一つある。それはウクライナ戦争を契機としてアメリカの弱体化が加速していることだ。それを象徴する事件がアメリカがロシアに対して科した制裁である。アメリカはロシアに対してドル決済を制限する制裁を科したが、ロシアはドルに依存しない二国間決済を拡大して対抗した。ロシアの動きに同調するように、BRICSやグローバルサウス諸国はドルに依存しない貿易決済を拡大しつつあり、制裁はドル覇権が揺らぐ結果を招いたのである。

 この国際情勢の変化は、日本に二つの課題を突き付けている。一つは、戦後ずっと日本は安全保障の要衝部分を「アメリカの傘」に依存してきたのだが、それを再検証する必要が出てきたことだ。他一つはこれから国際秩序をどうやって回復させるのか、そのために日本はどのような役割を果たすのかだ。

 戦後の日米関係は、安全保障の機能の内、核抑止と攻撃をアメリカに委ねて、日本は専守防衛に徹するという取り決めで維持されてきた。一方ウクライナ戦争ではアメリカはロシアとの直接衝突を避けて、ウクライナに対し武器を供与しただけで米軍を動員しなかった。このため、極東有事においてもアメリカは中国との直接衝突を避けて同様の対応をとるのではないかという疑念が生まれた。それは日本が前提としてきた「日本は専守防衛で攻撃はアメリカの役割」という前提が崩れることを意味している。

 有事に備える根本が最悪の事態に備えることであるとすれば、アメリカ依存を局限化し、基本的に自己完結で対処できる体制に大急ぎで転換しなければならない。何故ならアメリカが世界に冠たる1強だった時代が終ろうとしているからであり、過渡なアメリカ依存はむしろ危険な時代となったからだ。

 ウクライナ戦争では、安全保障理事会の常任理事国であるロシアが軍事侵攻の当事国だったため、ロシアの拒否権発動によって何も決められない事態を招いた。もしウクライナ戦争がロシア敗退の形で終結しなければ、国際秩序を無視したロシアの行動が既成事実として残ってしまうだろう。そうなれば同じく常任理事国である中国もまた、ロシアと同様の行動をとるのではないかという疑念が高まり、国際秩序のスキームが崩壊してしまうだろう。この危機に臨んで、国際秩序を再構築するために、日本の役割は何か、アメリカをどう補完するのか、日米関係はどうあるべきかについて、未来の姿を本気で考えなければならなくなったのである。

戦争の総括

 日本は太平洋戦争の敗戦を総括しないまま現在に至っている。敗戦後に「戦争の総括」に着手できなかったのはGHQによる占領体制があったからだ。しかし1951年9月8日にサンフランシスコ平和条約が締結され、国会承認を経て1952年4月28日に公布されて、GHQによる占領体制は終了した。それから現在まで72年の歳月が流れたが、戦争の総括は未完のままである。

 占領体制は現在でも随所に残っている。余りにも現代の日本社会と一体化しているために、大半の日本人は気付いてさえいない。一例を挙げると、米軍横田基地周辺の空域は今でも米軍の管制下にあり、羽田空港を離発着する航空機は、横田空域を避けて飛ぶことを余儀なくされている。首都に米軍基地があり、世界でも超過密な羽田空港の周辺空域に、日本の航空管制権が及ばない横田基地という治外法権の空域が存在する現実は異常という他ない。

 かつて石原慎太郎都知事が精力的に取り組んだことがあったが、具体的な進展はなかった。また明治の時代に不平等条約と呼ばれた、『安政の五ヶ国条約』(領事裁判権、関税自主権)は、明治政府が周到で粘り強い手順を踏んで改定されたが、米英露仏蘭の五ヶ国と条約が締結されたのは明治維新10年前の1858年であり、それから領事裁判権を撤廃するまでに36年、関税自主権に至っては53年もの歳月を要している。

 サンフランシスコ平和条約から既に73年が経過しているが、日米同盟に係る不平等な取り決めは未だに撤廃されていない。これは日本側が精力的に行動しない限り一歩も進まない問題であり、政治家の不作為に他ならない。

 日本は太平洋戦争の敗戦という歴史的重大事件を総括し、教訓を明らかにして、それを現在の政治に活用するという当たり前のことができていない。GHQが去った後も現在に至るまで「GHQの洗脳」を受けた日本人が多く存在する。一例を挙げると、天皇陛下や総理大臣が靖国神社を参拝することに反対のキャンペーンを張る団体やマスコミが存在する。国家元首が戦争の犠牲者となった戦没者を慰霊することはどこの国においても至極当然の行為である筈だが、日本ではその論理が今でも通らない。これも異常という他ない。

 安倍元総理が言及していた「戦後レジームからの脱却」という言葉には、狭義と広義さまざまな解釈があるに違いない。いずれにせよ今も残る占領の遺構と洗脳を一掃して、真に独立した日本に相応しい、かつ現代社会に適合するものに作り換えない限り、「アメリカ弱体化の時代」に起きる危機に対処することは困難になるだろう。具体的には、占領政策によって作られた戦後体制、安全保障条約や地位協定などの日米同盟に係る取り決め、GHQが悪意をもって作り日本に押し付けた憲法、国内に多くある米軍基地、日本の文化・学校教育や精神に与えた影響などだ。

近代史を総括するということ

 歴史を総括することは容易ではない。日本の近代史を総括しようと思えば、図に示すように、時間軸での過去との因果関係、空間軸での国際社会との相互作用を考慮しなければならない。

 明治維新以降の近代史を論じるためには、幕末以前の歴史と明治以降の出来事との因果関係と、日本人が継承してきた資質や文化を境界条件とし、当時の国際社会との間で繰り広げられた相互作用を解読しなければならない。また当時の国際社会もまた歴史との因果関係の結果として存在していたことを無視することはできない。

 歴史の総括は本来歴史家の仕事である。私は専門家でも研究者でもないとお断りした上で、現在のリアルポリティクスを考えるために、可能な限りその全体像と変化を見る視点から、日本の近代史を俯瞰的に捉えてみたい。激変する国際情勢の中で、日本がどこに立ち、どこに向かうべきかを考えるためには、どうしても日本の近代史の総括が避けて通れないのである。

 総括するにあたって参照した資料は次の二つである。

   資料①:『憂国のリアリズム』、西尾幹二、ビジネス社,2013年

   資料②:『自ら歴史を貶める日本人』、西尾幹二と現代史研究会、徳間書店、2021年

高い視座からの俯瞰

 本題に入る前に、視座について触れておきたい。そもそも人類は宇宙船地球号の表面で活動している誠にちっぽけな存在に過ぎない。簡単な数値をもとに、その現実をイメージしてみたい。地球は秒速460m(赤道上)、つまり音速の2倍で自転しながら、秒速30kmで太陽の周りを公転している。さらに太陽系は秒速230kmで銀河系の淵を周回し、銀河系は秒速600kmで宇宙空間を飛翔している。ちなみに音速は秒速340m(気温15℃)である。

 我々人類は、この途方もない超高速で宇宙空間を飛翔する宇宙船地球号の表面で右往左往している存在に過ぎない。如何なる問題も、一度この認識に立って全体を捉え直すのがいい。何故なら、どれほど大きな問題だと思えるものも、なんと小さなことかと俯瞰して捉えることができるからだ。

 万物は流転するというが、日本も世界も地球さえも休まずに変化している。時間とは諸事が物理的に変化することと同義であり、歴史とは変化の軌跡が綴られた記録である。そして現在とは過去からの因果関係の連鎖の結果として存在し、今まさに変化が起きている現場に他ならない。歴史を総括するためには、この「時間、歴史、そして現在」という概念を念頭において考えるのがいい。何故なら観測者としての自分の視座を、観測される舞台から遠く離れたところにおくことによって、状況をより客観的に認識することができるからである。

 歴史は時間と空間を二軸とする座標系で、連続した変化として綴られている記録であるから、そこから特定の部分を切り取って論じることは意味がない。日本の近代は明治維新から始まったが、だからと言って時間軸で1868年以降を切り取り、空間軸で世界の中から日本だけを切り取って幾ら眺めてみても、本質は何も分からない。

近代史を俯瞰するにあたって

 日本の近代史は王政復古と文明開化を同時に成し遂げた明治維新に始まる。さらに日本の近代史を揺るがした大事件は、明治維新、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争の4つである。そして明治維新(1868年)から日露戦争(1904年~1905年)を経て太平洋戦争(1941年~1945年)までを近代史の前半、太平洋戦争から現在までを後半と括ることとする。

 近代史の前半は、司馬遼太郎が描いた物語に象徴されるように、ひたすら困難な坂を登って歴史的かつ世界的な勝利を勝ち取った明るい時代であり、後半は敗戦とGHQによる占領という苦難と屈辱から始まった時代である。そして、近代史の前半と後半の間には「明から暗に」変化する大きな屈折点が存在している。

 もう一つ近代史を俯瞰するにあたって注目すべきことがある。それは日露戦争に勝利して列強の仲間入りを果たしたところまでの成功物語の裏面で展開された欧米列強との相互作用に関する部分こそが重要だということだ。何故なら、その中にこそ近代史後半の失敗の原因が隠れているからである。特に、欧米列強の歴史、その背景にある宗教の影響と、思考と行動様式についての分析と洞察が重要となる。

 ところで我々日本人は、この近代史をどのように理解しているだろうか。ワイングラスを片手に、国際的な懇親の場に参加している場面を想定して欲しい。語学力の問題が全くないと仮定する時、我々は日本の近代史を外国人に対してどのように語ることができるだろうか。堂々と歴史を語る知見を我々は持ち合わせているだろうか。そのことについて学校で習ったことはあっただろうか。或いはその近代史を一遍の物語として記述している本はあるだろうか。

 残念ながら、答えは何れもネガティブであるだろう。占領の遺構と洗脳が一掃されないまま、78年間「ダチョウの平和」の戦後が綴られて、近代史の総括は現在まで棚上げされてきたからだ。

 未来を展望するためには、人類の近代史の中で日本はどこに立ち、如何なる役割を演じてきたのか、それは正しかったのか、もし正しくないとすればどこが誤ったのか、何故誤ったのか、ではどうすべきだったのかについて、全体像を巨視的に把握することがどうしても必要となる。過去を総括することなしに、また過去から教訓を学び取らずに、これからの進路を見定めることはできないからだ。

(2)「思考停止の80年」

日本民族・文明の根幹に係る問題

 日本は戦後78年を「ダチョウの平和」でやり過ごしてきた。近代史を総括してこなかった事実から、これを「思考停止の80年」と呼ぶことにする。「失われた30年」は経済の問題だったが、「思考停止の80年」は日本民族・文明の根幹に係る問題である。そして言うまでもなく、思考停止の起源は太平洋戦争の敗戦にある。

 この資料では、大東亜戦争と太平洋戦争という用語を使い分けている。「大東亜」という呼称については、戦前の昭和の、日本思想界の象徴的存在だった大川周明氏が、昭和14年に書いた著書「日本二千六百年史」の末尾に、次のように説明しているので引用する。

 ≪日本出兵の目的は、畏くも昭和12年9月4日の勅語に煥乎たる如く、一に中華民国の反省を促し、速に東亜の平和を確立せんとする。・・・東亜新秩序の建設を実現するために、獅子奮迅の努力を長期にわたりて持続する覚悟を抱かねばならぬ。東亜新秩序の確立は、やがて全アジア復興の魁である。全アジア復興は、取りも直さず世界維新の実現である。≫

 これに対して太平洋戦争という呼称は、文字どおりアメリカが仕組み、日本が追い詰められるように突入していった、太平洋を舞台として日米が衝突した戦争をいう。

思考停止の起源

 「思考停止の80年」を論じる上で、無視できないことが一つある。それは広島にある「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれている原爆記念碑である。私には、この碑文は「思考停止」を肯定し助長する碑としか読めない。何故なら「繰り返しませぬ」の主語が誰なのか、「過ち」とは何を意味するのか、敢えて曖昧にしているからである。そうすることで読み手に考えさせる狙いがあると言えばそれまでだが、原爆投下とさらにはあの戦争について、誰に何の誤りがあったのかをウヤムヤにし、戦争の教訓をウヤムヤにしてしまうという意味で決定的に間違っていると思うのである。

 それだけではない。この碑文は、アメリカが実行した民間人を標的とした原爆投下という非人道的な重大犯罪に対して、「黙して追及せず」という形で封印する札になっていることを指摘しておきたい。

 電気通信大学名誉教授の西尾幹二氏は、資料①の中で、次のように想いを語っている。

≪そもそも原爆を落とされた国が落とした国に向かって縋りついて生きている、こんな妙な構図がいつまで続くのであろうか。世界が首をかしげ理解できなくても、この病理にどっぷり浸かってしまっていて、苦痛にも思わなくなっている、この日本人の姿を、痛さとして自覚し、はっきり知ることがすべての出発点、何とかして立ち上がる出発点ではないかと思うのである。≫

今も残る占領体制

 『日本を取り戻す千載一遇の好機到来』で述べたように、現在の日本にはGHQの占領政策に起因する、凡そ独立国とは言えない不合理な遺構が随所に残っている。この事実から日本の現状は未だアメリカの占領下にあると断言せざるを得ないのだ。

 エドワード・ルトワックがウクライナ戦争に対し支援疲れに陥っているヨーロッパの現状を憂いて、「戦う文化」を喪失していると指摘している。他国の理不尽な振る舞いに対して敢然と立ち向かう意思を、日本人は敗戦と同時に喪失して現在に至っている。

 占領の遺構の例を挙げれば、必要と思われる以上に多くの米軍基地があること、不平等な日米地位協定が残っていること、思いやり予算の存在、横田基地との関係から羽田空港周辺に日本の管制権が及ばない空域が存在すること、アメリカ従属の外交政策等、広範囲に及んでいる。

 昭和20年9月にトルーマン大統領からマッカーサー連合軍司令官に対して『降伏後における米国の初期の対日方針』が示された。そこには「究極の目的」として、「日本が再び米国の脅威となり、または世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」と明記されているという。

 誠に残念なことだが、この占領政策が暗雲のように戦後78年間日本を覆ってきた。何故未だに一掃できないのか。その原因は米国による占領政策が巧妙だったこともあるが、それだけでない。日本人自身が近代史を総括せず、暗雲を一掃する「戦う」行動を起こしてこなかったからだ。現代の日本人は日露戦争までは確かにあった武士道精神を喪失しているという他ない。

占領政策の呪縛からの開放

 西尾幹二氏は資料①で、「アメリカは欧米の暗い過去を隠すため、GHQの占領政策の中で『侵略したのは日本だ』というすり替えを行った。問題は、意図的に仕組まれた占領政策の呪縛から日本が未だに脱することができていないことだ。いい加減でこの状況から抜け出さない限り、日本という国家はいずれ消滅してしまう。」と警告している。

 戦後の日本人は、この事実を正しく認識せずに、「日本が悪うございました」と頭を垂れたまま78年が過ぎた。先に、広島原爆記念碑の碑文に対し異議を唱えたが、その理由はもう一つある。それは広島を訪れる多くの日本人に対し「この戦争の責任は戦争を始めた日本にある」と、さりげなくも巧妙に洗脳していると思うからである。極めて有害な碑と言わざるを得ない。

 高知大学名誉教授の福地惇氏は資料②で、「遅きに失した感があるが、ある目的のために歪められた歴史観を正道に糺さずしては、日本民族が独立主権国家として21世紀を毅然と生き抜くことはできないと、強く危惧せざるを得ない。」と指摘する。

 敗戦後、日本はいわゆる「空想的平和主義」に立ち、経済優先でやってきた。周囲のロシア、中国、そして北朝鮮までもが核兵器や長射程ミサイルを保有してきた現実には目をつむって、非核三原則の堅持を唱え、自衛隊が攻撃手段を持つことに頑迷に反対してきた。日本が性善説に立って物事を眺めようとする平和志向の民族であることは是非もないが、ロシアも中国も北朝鮮も、善意が通じる相手でないことは明らかだ。こうして相手には悪意があり、日本は善意に立つという矛盾に直面して、その先を理詰めで考えることを放棄する「思考停止」状態に陥ったと考えられる。

 しかし世界情勢は激変した。長期的な動向としてアメリカが弱体化の方向にある現在、このまま思考停止を続けることは致命的に危険であると認識を新たにしなければならない。日本は明治維新から戦後に至る近代史の全体の流れを、先入観に囚われることなく、客観的に総括することによって、占領の呪縛を解き放たなければならない。

日本を取り戻す千載一遇の好機到来

 アメリカ大統領選は、共和党の予備選挙で既にトランプ元大統領が33州の内31州で勝利して指名を獲得した。ロバード・ケネディ・ジュニア氏が無所属で出馬して3月26日に副大統領候補を発表するというニュースがあり、波乱要因となる可能性があるが、実質トランプ対バイデンの一騎打ちの構図となりそうだ。

トランプ第2次政権の政策

 3月22日の産経新聞紙面に、トランプ陣営の政策研究機関である「米国第一政策研究所(AFPI)」で外交政策を統括するフレッド・フライツ氏に対する古森義久氏のインタビュー記事が掲載された。トランプ第2次政権が誕生すれば、フライツ氏は安全保障政策を担う政権の要職に就任する可能性が高い。はじめに発言の要点を以下に紹介する。

安全保障政策全般

 トランプ氏の安全保障政策は「力による平和」であり、抑止のための軍事力の選別的な行使だ。軍事力の行使には慎重に同盟諸国と協力するが、同盟国側にも相当の役割を期待する。「強い米国」の再現を目指し、国防予算を大幅に増加すると同時に、同盟諸国の防衛負担を求める。

アジア太平洋政策

 トランプ次期政権はバイデン政権が軽視してきたアジア太平洋への政策を再強化する。中国を米国にとって最大の脅威であるとみなし、十分な軍事抑止力の保持と対話の両面の姿勢をとり、台湾への攻撃を抑制する方針だ。バイデン政権が放置してきた北朝鮮の核やミサイルの増強に対しては、軍事オプションを含めて強固な措置をとる。ロシアへの兵器供与を止め、一時は合意した核開発の停止を履行させる。

対日認識

 米国益優先という米国第一外交にとっても、アジア全域での経済や安保面の利益保持には日本との絆が決定的に重要と考えている。防衛面での絆の強化を基本とし、日本側とともに尖閣諸島に対する中国の軍事攻勢に共同で対処する誓約を明確にする。国務長官や駐日大使にも日本重視を認識する人材を充て、特に駐日大使は日本の内政に干渉などしない人物を任命するだろう。

NATOとの関係

 トランプ氏の米国内での人気を恐れる欧州のエリートやグローバリストが、最近NATO離脱などというネガティブな予測を語り始めたが、根拠はない。トランプ氏は在任中からNATO諸国の国防費の公正な負担(GDP比2%以上)を求めているだけだ。

 極めて明快である。トランプ氏の言動は短絡的に捉えられがちで物議を醸しているが、トランプ氏はリアリストでプロのディールを自認していることを考えると、フライツ氏が言うように、政策の基本にあるのは「強いアメリカを目指し軍事力を強化する。その行使には同盟国と慎重に協議し、同盟国に応分の負担を求める」というプリンシプルだ。

自民党の凋落と本来の使命

 翻って日本では、パーティ券収入の未計上という激震が自民党を襲っている。他方脅し文句にせよプーチン大統領が第三次世界大戦に言及するなど、国際情勢は第二次世界大戦以降で最大の危機に直面している。この国際情勢において、いつまでもスキャンダルな話題に埋没していれば、「自民党という政党は結局、終始『内向きの似非保守』だった。もはやゾンビ政党でしかない。」とみなされて、岩盤支持層からも見放されるだろう。

 ここで断言しておきたいことは、自民党を崩壊の淵に追い込んでいる主因は、「自民党は本当に保守政党か」という疑念だということだ。このままでは「保守政党としての自民党は安倍元首相が銃弾に倒れた時点をもって終わった」として歴史に記録されることになりかねない。

 視点を変えれば、崩壊の危機から復活するための唯一の道は、本来の保守政党に戻ること以外にはないということだ。その文脈で考えると、トランプ第2次政権の誕生は願ってもない千載一遇のチャンス到来となるだろう。そう考える理由を以下に述べる。

 日本経済はデフレからの脱却に向けてようやく一歩を踏み出したところであり、「失われた30年」と決別する光明が見えてきた感がある。同時に「戦後レジームからの脱却」を一気呵成に推進できる好機が到来する。フライツ氏が示唆するように、トランプ大統領は強いアメリカを志向しつつ国際秩序の再構築に取り組むだろう。

 但し、長期的な動向としてアメリカの覇権力は弱体化しつつある。ロシアのウクライナ軍事侵攻が象徴するように、アメリカの力が弱まれば専制主義国家による国際秩序を無視する行動が増加するだろう。ロシアや中国と対峙するために、アメリカは日欧との強い同盟関係を必要としている。

 一方、現在の日本には、戦後のGHQによる占領政策に起因する、凡そ独立国とは言えない不合理な制約が随所に残っている。戦後の政治家は当然その事実を知りながら黙認し棚上げしてきた。例を挙げれば、必要以上に多くの米軍基地があること、不平等な日米地位協定が残っていること、思いやり予算、横田基地との関係から羽田空港周辺に日本の管制権が及ばない空域が存在すること、アメリカ従属の外交政策等々だ。

 ここでトランプ第2次政権が抱える課題と、日本が歴史的に抱えている未解決な課題を同時に解決する道が拓けるのである。以下に説明しよう。

トランプ第2次政権において日本が果たすべき役割

 トランプ氏が進めようとするシナリオを実現させるには、日本が従来とは次元の異なる、一段と大きな役割を担う必要がある。そのためにはこれまで「支配-従属」だった日米関係を、「兄貴分-弟分」の関係にレベルアップすることが必須要件となる。トランプ氏は取引の達人を自負しているのであるから、彼の期待に応えつつ、現在も日米間に残る不平等な関係をまとめて解決するというディールを行えばいい。

 トランプ氏は日本がレベルをアップした役割を担うことを歓迎する筈である。またトランプ氏は戦後の「異形で不平等な日米関係」に対して、歴代アメリカ大統領の中で最もビジネスライクに考える人物と思われるので、現在も残るGHQの置き土産を一掃することに難色を示すことはない筈だ。成否は日本側のアプローチ次第だが、戦後レジームを一気呵成に解決する好機が到来する。

 日本は安全保障でのアメリカの同盟国に留まらず、経済・技術分野では強い協力関係にあり、さらに世界最大の債権国日本と最大の債務国アメリカという特別な関係にある。弱体化するアメリカを補完することは日本の国益にかなうばかりか、国際秩序を再構築するためにも、日本が担うべき役割である筈だ。

 トランプ氏が同盟国がより自立的に応分の役割を担うことを要求するのであれば、「相分かった。そのためにも戦後の異形な日米関係を正すことがお互いの利益となる。」と、トランプ氏とディールを行えばいい。ポスト岸田に求められる最優先かつ最重要の役割がここにある。

歴史を造るリーダーの要件

 問題はその大きな役割を担うことができる政治のリーダーは誰かということになる。岸田総理の次のリーダーには、その大役を担う資質と能力、加えて胆力が求められる。現状の危機から何とか抜け出して自民党の存続を図るというような、矮小な動機から次のリーダーを選ばれては迷惑極まりないことを一国民の立場から述べておきたい。

 ここでリーダーの資質を考える格好の事例として、トランプ氏とバイデン氏、二人の決定的な違いについて述べておきたい。鍵は『プリンシプルの有無』である。トランプ氏が目指すのは強いアメリカを実現することであり、思考はビジネス流儀で外交はディールを基本とする。

 フライツ氏のインタビューの中で興味深いのは、バイデン政策の失敗に関する分析である。「バイデン政権は軍事力を軽視し、気候変動への対処に重点をおく。その結果、アフガニスタンからの撤退の大失態に始まり、ロシアのウクライナ侵略、ハマスのイスラエル攻撃、中国の台湾への軍事威嚇など米国の力の弱体化を誘因とする騒乱が起きた。」と評している。的確な指摘であると思う。バイデン氏の政策にはブレがあり、相手の威嚇に躊躇して行動を一歩引いてしまう弱さがある。一言で評すれば、プリンシプルを持ち合わせていない政治家だということだ。その弱さが力を信奉するロシアや中国等の専制主義のリーダーに見透かされる。

 この構図は安倍元総理と岸田総理にもそのまま当てはまる。安倍元総理はプリンシプルを持ち合わせていたから、相手がトランプだろうがプーチンだろうが習近平だろうが、言うべきことは言い、相手を説得する強さを持ち合わせていた。「猛獣使い」と評された所以である。その資質こそがトランプ元大統領から一目置かれる信頼を勝ち取った理由でもある。残念ながら岸田総理にはそれがない。

 歴史観、世界観、国家観というものを持ち合わせていないのである。リーダーには二つのタイプがある。第一は絶対座標系で自己位置を認識し、進路を見定めて意思を持って対策を講じるリーダーであり、第二は相対座標系で周囲の人との間合いをとりながら応手を模索するリーダーである。

 絶対座標系で思考するリーダーは、歴史観、世界観、国家観を羅針盤とするが故に思考がブレないし、相手の脅しや駆け引きにも動じない強さを持っている。それに対して相対座標系で思考するリーダーは、相手に対する斟酌や忖度を優先するから、打つ手に一貫性がなくなりぶれて妥協的になる弱点がある。

戦うことを忌避しない

 戦略家エドワード・ルトワックは、3月23日の産経新聞に『欧州は戦いの文化取り戻せ』と題して寄稿している。重要な論点が含まれているので要点を引用したい。

 ≪欧州では昔から戦争が頻発し、濃密な「戦いの文化」があったが、こうした文化は欧州の多くの国々で今や完全に死滅した。それでもロシアに近接する北欧諸国は「戦いの文化」を失わず、徴兵制を維持してロシアとにらみ合う。英国もロシアへの強硬姿勢を堅持し、既に少人数の英軍要員をウクライナに派遣している。

 一方で、ドイツやイタリア、スペインといった欧州の大国では誰も徴兵制について語らず、ウクライナ派兵にも否定的だ。何故ウクライナに軍を派遣しないのかとイタリアのクロセット国防相に訪ねたところ、「そんなことをすれば与党内で反発が出て政権は倒れる」と反論したという。

 「戦いの文化」を維持するプーチン体制の攻勢に晒されるウクライナに残された時間は少ない。そして欧州も目を覚ます必要がある。第一次世界大戦後の間違った戦争忌避志向がヒトラー率いるナチス・ドイツの台頭を許した歴史を繰り返してはならない。≫

 この指摘は、現代の西欧諸国を蝕んでいる二つの深刻な課題の存在を示唆している。一つは平和が脅かされている状況にありながら、戦争を忌避する政治リーダーであり、他一つは西欧社会を覆うポピュリズムである。スキャンダルな事件で右往左往している日本はさらに深刻な状況にあるという他ない。

 ウクライナとポスト・ウクライナの欧州情勢を展望すると、専制主義のプーチン大統領のウクライナ侵攻を成功させないために西側諸国がとるべき行動は、戦争をも辞さない断固たる姿勢をプーチンに示すことに尽きる。現状を米欧日のリーダー対プーチンの心理戦として捉えれば、「どうせ西側にはロシアに戦争を挑む度胸はない」とプーチンは腹を括ってきた。「核兵器を使うことも辞さない」という脅し文句を繰り返して、欧米日のリーダーをたじろがせる戦術をとってきた。即ちこの心理戦ではプーチンが明らかに優位に立っていると言わざるを得ない。

 この構図を反転させない限り、国際法を無視し国際秩序を瓦解させたプーチンの暴走を止めることはできないだろう。現在までの状況は、専制主義対民主主義の戦いにおいて、民主主義であることが弱さになる危険性を物語っている。言い換えれば、国際秩序を回復するために西側諸国がとるべき行動は、米欧日の一層の団結など、民主主義であることの強さを示すことに他ならない。

マクロン大統領が示した矜持

 マクロン大統領は2月26日に「ウクライナでロシアを倒すことは欧州の安全保障にとって不可欠だ」と述べ、西側の地上部隊をウクライナに派遣する可能性について「合意はないものの、何も排除すべきではない」と述べた。さらに「今日は、地上部隊の派遣について、公式に了解され承認されている形での合意はなかったものの、その動きについては、何も排除するべきではない。ロシアがこの戦争に勝てないよう、我々はあらゆることをする」と発言した。

 ショルツ首相が翌日慌てて「欧州諸国やNATOが派兵することはない」と明確に否定すると、マクロン大統領は3月5日にプラハでウクライナ支援について「臆病者にならないことが必要な時期が近づいている」と強調し、部隊派遣を巡る自身の発言についても取り下げなかった。マクロン大統領の頭にあるのは、「この戦争、ロシアを勝利者にしてはならない」という信念である。実際に派兵するかどうかは別として、専制主義者に対して一歩も引かない姿勢こそが、有事に臨む政治リーダーに求められる資質であることを物語るエピソードである。

エピローグ

 今国際社会は秩序のタガが吹き飛んでしまった状態にあり、このカオス状態を収める方法と実行するリーダーが不在のまま漂流している。この状況で、もしトランプ第2次政権が誕生すれば、世界がその一挙手一投足に注目して一旦行動を停止する状況が生まれる可能性が高い。好きか嫌いかは別として、このカオス状態の中で秩序を再構築できる一つの可能性として、トランプ再登板が期待されることは間違いない。

 ロシアのウクライナ軍事侵攻が起きた理由の一つは、アメリカ覇権の力が弱体化したからだ。国際秩序を保持するために、アメリカの力が今少し必要であることを世界は認識を新たにした筈だ。専制主義に立って武力を行使する国家が存在する以上、それを抑止できる力を保持する国家がリアルポリティクスとして必要なのだ。アメリカ第一主義を掲げるトランプ氏がアメリカの力を強化して国際秩序の再構築に挑むとすれば、同盟国として欧州と日本はそれを全力で支えなければならないだろう。

 日本にとってそれが死活的に重要な理由は、その役割を担うことこそが「戦後レジームからの脱却」を一気呵成に推進できる道であることだ。そのために今日本が必要としているのは、そうした本来の保守としての任務を断固として推進してゆく信頼に足る政党の出現であり、有事のリーダーの登場に他ならない。 結党以来の危機に直面して、もし自民党首脳部が古色蒼然たる人事で乗り切ろうとするのであれば、志ある政治家にはさっさと自民党に見切りをつけて本来の保守政党を結成するくらいの気概を見せてもらいたいと思う。これは自民党にとっての正念場ではなく、尊厳ある日本を取り戻せるかどうかの正念場であることを政治家にはよくよく考えて欲しいものだ。

怒りを取り戻す:GDP4位転落

 2月15日に内閣府が2023年の国内総生産(GDP)の速報値を発表した。経済規模をそのまま表す名目GDP値(ドル換算)でドイツに抜かれて世界第4位に転落したニュースが日本を駆け巡った。内閣府が公表した主要なデータは以下のとおりである。

本稿を書くにあたり、参照した資料は以下のとおりである。

資料1:産経新聞、2月16日記事

資料2:「GDPがドイツに敗れて世界4位に転落したワケ」、高橋洋一、現代ビジネス、2024.2.19

 ・日本のGDP(2023年) :名目591兆4820億円、実質558兆7156億円

 ・日独比較(名目、ドル換算) :日4.21兆ドル⇔独4.46兆ドル

 ・同(人口)                                         :日1億2443万人⇔独8482万人(日本の68.1%)

 ・同(GDP/人、名目)           :独4.87万ドル⇔日3.41万ドル(ドイツの69.9%)

 「GDP世界4位に転落」に関する報道は、その他のニュースにかき消されて、「大変だ、大変だ」と連呼しただけで、直ぐに忘れ去られていった感がある。「今後の為替レート如何で直ぐに再逆転する可能性もある」という楽観論もある。何れも的を外していると言わざるを得ない。この事件の背景には戦後政治に係る非常に重要なポイントが隠れているからだ。

 はじめに政府や産業界の反応を見ていると、「今年の春闘でどこまで賃上げできるかが大事だ」と問題のすり替えが行われている。これは自民党のパーティ券問題が、本質は政治資金の問題であるにも拘わらず、いつの間にか「派閥解消」へ見事にすり替えられた構図と同じである。

 結論を先に書くと、「GDP転落」事件の本質は次の2点に要約される。以下に順次説明する。

1)春闘の賃上げに矮小化される問題ではなく「失われた30年」以降今も続く経済政策の失敗の問題である

2)背景に「我慢強く怒らない日本人」の文化があり、それが日本の弱体化を抑止できなかった原因に一つである

「GDP転落」を物語るデータ

 ここでは細部構造に立ち入らずに俯瞰的な分析を試みる。はじめに日独GDP(名目値)の推移を図1に示す。

<日本経済の推移の全景>

 日本のGDPの推移をみると、1980年~1995年~2012年~現在の3区間で動向が明らかに変化していることが分かる。つまり1980年~1995年が高度成長期で、1995年をピークとして「失われた30年」が始まり、2012年に歴史上のピークを記録した後、急激に失速して現在に至る変化である。

<日独比較>

 まず1995年と2012年の二つのピークを基準として、ドイツのGDPと比較してみよう。1995年に日本のGDPはドイツの2.14倍の規模があった。2012年にはそれが1.78倍にまで縮小したものの、両国のGDPにはまだ大きな開きがあった。

 それを1995年から2023年に至る変化でみると、日本のGDPが23.7%減少しているのに対して、ドイツは逆に71.1%増大している。この結果2倍強の圧倒的な開きがあったGDPが28年間で逆転したのである。問題は何故そんな逆転劇が起きたのかだ。

<円安の影響>

 第一に疑われるのは円安である。GDPの国際比較はドルベースで行われるので、為替レートに直結して変動する。図2に円とドルの為替レートの推移を示した。

 図2から明らかなように、円高のピークは二つある。1995年と2012年であり、GDPのピークと一致している。GDPがドル換算されるので当然の結果である。

 次に、二つのピークから現在に至る為替レートの推移をみると、1995年→2023年では46.4円、2012年→2023年では60.7円もの急激な円安が進んだことが分かる。この結果2023年のドル換算のGDP値は、1995年比で67.0%に、2012年比では何と56.8%に縮小したのである。

<経済成長の実相>

 図3は経済成長の実勢をみるために、ドル換算前の実質GDP(円)の推移を描いたものだ。実質値は名目値に対して物価変動の影響を補正した値である。

 マクロな推移としてみると、1994年~2023年の間にGDPは年3.4兆円ずつ直線的にかつ緩やかに増加してきたことが分かる(オレンジ色の直線、最小二乗法近似)。但し成長率でみると、これは年0.6~0.7%程度で、決して褒められた数値ではない。

 参考までに2022年の世界の実質GDP伸び率を示すと、アメリカ2.1%、イギリス4.1%、ユーロ圏3.3%、先進国2.6%、世界3.5%だった。ザクっといえば日本の経済成長はアメリカの1/3、ユーロ圏の1/5、先進国平均の1/4程度だったということだ。「失われた30年」と言われる理由がここにある。

<失われた30年の原因>

 では図3で経済成長が低迷した要因は何だったろうか。外的要因と内的要因を分けて考える。まず外的要因では世界規模の重大事件が二つ発生している。第1は2009年9月に発生したリーマンショックであり、第2は2020年初から始まったコロナパンデミックである。何れも図3の二つの大きな落ち込みと合致しており、その原因となったことは明らかである。但しこの事件は世界レベルの事件であり、日本が直撃を受けたものではない。従って長期に及んだ「失われた30年」の原因ではない。

 一方、内的要因としては三度実施された消費税増税がある。増税は次のように行われた。第1弾は1997年4月に実施された3%→5%へ、第2弾は2014年4月に実施された5%→8%へ、そして第3弾は2019年10月に実施された8%→10%への引き上げである。図3が示すように、増税は急激な落ち込みをもたらしてはいないが、経常的に内需が不足しているデフレ下で、国民の可処分所得を強制的に削減させたことから、長期的かつ慢性的な悪影響を与えたことは明らかである。

 大蔵省OBで『官僚国家日本を変える元官僚の会』の幹事長を務める嘉悦大学大学院の高橋洋一教授は、「失われた30年」をもたらしたもう一つの原因として「デフレ下での慢性的な公共投資の過少」を挙げている。「毎年の公共部門の過少投資は、民間投資の呼び水としての役割を果たさず、国土強靭化も進まず、低金利という絶好の投資機会を逃した。」と手厳しく指摘する。

GDP4位転落問題の本質

 高橋教授は、GDP転落の本質的な原因について、次のように総括している。

・大恐慌以降、金本位制に代わって管理通貨制度が構築され、ケインズ経済学による有効需要創出が普及した結果、インフ レは多いがデフレはなくなった。唯一の例外が「日本の失われた20年」である。

・(失われた20年は)財務省と日銀という強い権限を持つ官僚機構、マクロ経済の専門知識の欠落、それに官僚の無謬性によって、誤った政策を長期間続けた結果である。

 難しいことは言わずとも、以下の二つの事実から、日本が長期にわたって、そして現在もなお誤った経済政策を続けてきたことは明白である。

・30年経ってもデフレからの脱却を果たしていない。

・長期デフレ状態に埋没しているのは、大恐慌以来世界で日本のみである。

 では具体的に、どこをどう誤ったのかを指摘しておきたい。

1)デフレは民間需要の減少であり、デフレから脱却するためには内需を喚起する必要がある。そのためには可処分所得を増やす減税こそ有効な政策であるにも拘らず、また欧米はマクロ経済の原理原則に従って躊躇なく減税を行うのに対して、日本政府は消費税増税を繰り返した。これは致命的な自滅行為だった。

2)民間消費・投資が減少する状況下で経済成長を実現するためには、<GDPの定義に従って>積極的な公共投資を行い、政府消費を増大させることが正しい政策である。ところが政府はプライマリーバランス(PB)の追求を優先して終始積極財政政策をとらなかった。経済成長とPBは同時に実現できない二律背反の命題であり、経済成長を軌道に乗せるまでPBは棚上げすべきだったにも拘わらず、政府は「二兎を追うもの一兎をも得ず」の誤った政策を繰り返してきた。

3)もう一つ忘れてならないのは、戦略なきエネルギー政策が国民のエネルギー負担を重くしたことだ。要点は二つある。一つは急ぎ過ぎた「発電の脱炭素化」であり、他一つは「原発」忌避である。前者は世界の潮流におもねり、後者は国民感情に忖度した結果であることは言うまでもない。その結果年間2.4兆円もの賦課金を国民に課した。これは国民一人当たり2万円/年の増税と同じであり、今も続いている。

4)最後に挙げる理由は、日本固有の文化に係る問題である。一つは日本が「誰も責任を取らない」社会であること、他一つは日本人が「我慢強く怒りの声をあげない」気質であることだ。

総括

 世界にあるのが日本一国で、かつ日本が社会主義の国であるならば、経済成長は必ずしも必要ないだろう。しかし現実は世界が競争の場であることと、国力の要素が国土と人口、経済力と軍事力であることを勘案すれば、力強い経済成長は国家にとって最優先かつ最重要の必達命題であることは自明の理だ。現実はどうだったか。図1及び図2が如実に示すように、結果から判断する限り、政治家においてこの認識が充分ではなく、官僚は国益よりも省益を優先してきたことが明白である。高橋教授が指摘するように、政治家も官僚もマクロ経済を正しく理解していないという他ない。

 「GDP転落」のニュースが国民にとって衝撃的だったのは、日本が1995年以降、世界との競争においてじり貧となってきた現実を再認識させられたことだ。この期間に三重の意味で「日本の弱体化」が進んでいる。第一に他の先進国に先んじて人口減少が顕在化した。第二に日本だけが「失われた30年」で経済力を弱体化させた。そして第三に、トドメを刺すかのように、2012年以降11年間で1ドル=約80円から60円も、率にして実に76%も急激に円安が進んだ。

 円安は輸出等、業種によって国際競争において有利に作用することは事実だが、ドル換算の世界では国力低下以外の何物でもない。「国力が強い国の通貨は強い」ことを忘れるべきではない。既に分析してきたように、ドイツとのGDP逆転の第一の要因は行き過ぎた円安にあることは明らかだが、急激な円安をもたらした主要因が「失われた30年」にあることも自明である。

 そして「失われた30年」の原因は誤った経済政策を続けてきたことにある。では誤った経済政策を続けてきた原因は何処にあるのか。ここを正さない限り、日本が強い経済を取り戻すことは困難と言わざるを得ない。マクロ経済を理解しない政治家、国力最大化を追求しない官僚、減税を拒否し「隙あらば増税」を画策してきた財務省の責任は極めて重いと言わざるを得ない。

 もう一つ根深い問題がある。それは「怒りを忘れた日本人」である。「日本の弱体化と国民の貧困化」をもたらした政治責任を追及する怒りの発露がない。日本は民主主義の国であり、政治家や官僚の責任を追及するのは国民の役割でもあるのだが、他の先進国と比べて日本では政治を政治家と官僚に丸投げしてこなかっただろうか。我慢強い国民性が「失われた30年」を黙認してきたとも言える。国民が沈黙しているが故に、マスコミも官製報道に終始してきた側面がありそうだ。

 現在メディアを賑わしているのは、自民党のパーティ券を巡る政治資金問題である。与党も野党も、盛んに「国民の納得が得られない」と言うが、国民の一人として国民の真の怒りはそんなところにはないと断言しよう。そのようなスキャンダルの話題など、議事堂の片隅の部屋でさっさと解決してくれればいいのであって、激変する国際情勢の中で、連日大騒ぎする重大事では断じてない。

 この資料で取り上げたのは「日本の弱体化と国民の貧困化」に関わる問題である。単純に金額で比較すれば、パーティ券の事件よりも優に5桁以上も大きな日本国の富の損失に係る問題である。このことを肝に銘じた上で、与党も野党も「GDP転落」問題の本質を追究して、是正策について国民の前で論戦を戦わせてもらいたいものである。それこそが政治家の使命である筈だ。

 この記事を書いている2月22日、日経平均株価が史上最高値を更新したというニュースが流れた。そのこと自体は悪いニュースではないが、たった1週間の内に流れた二つのニュース、「GDP転落」と「株価史上最高値」には大きな乖離を感じざるを得ない。

 GDP転落は長期動向であり、現在に至る日本経済の実力を反映したものだ。それに対して株価高騰は「株価は期待先行で動く」の格言通り、中国市場から資金を引き揚げた国際投資家が資金を日本に投入した結果である。日本経済の実力を反映したものではないから、バブル期のような高揚感がないのである。それが乖離の正体である。

 デフレからの完全脱却を果たし、「失われた30年」にピリオドを打ち、円高を取り戻すまでの道のりはこれからが正念場である。GDPを押し上げる大きな潮流を作り出すことが出来なければ、株価高騰はマネーゲームで終わる。「日本弱体化と国民の貧困化」の現実は相当深刻と認識すべきである。