「思考停止の80年」との決別 第4部

(9)敗戦と占領で喪失したものを取り戻すとき

「専守防衛」の前提が崩れる事態に備えよ

 ウクライナ戦争で認識され現在進行中の危機事態が二つある。国際秩序の崩壊とアメリカの弱体化である。ウクライナ戦争が長期化するにつれて、国際社会は〔NATO+G7〕、〔ロシア+ロシア支援国〕、模様眺めの諸国(GS他)という三つのグループに分かれた。

 アメリカの弱体化を象徴する変化がドル覇権の低下である。アメリカがロシアに対して発動した「SWIFT(国際銀行間通信協会)からの排除」という制裁措置は、ロシアとその支援国を中心に世界のドル離れを加速させた。

 振り返れば、戦後約80年の間に国際情勢は大きく変化した。安全保障面では米ソ冷戦が終わり、ポスト冷戦も終わり、今や米中冷戦となった。国連安保理という秩序を守る仕組みもウクライナ戦争が起きて機能不全に陥った。経済面ではニクソンショックによってドル覇権の体制が金本位制からPDS(ドルによる原油取引システム)に移行したが、現在ではドル覇権自体が揺らいでいる。

 現在アメリカでは、11月の大統領選挙に向けて民主党・共和党両陣営の対立が激化している。6月27日にジョージア州アトランタで開催されたバイデン対トランプの討論会では、バイデン大統領の認知機能の低下がクローズアップされ全世界を駆け巡った。

 大統領選の最大の争点となっているのが不法移民の流入であり。テキサス州では不法移民の流入が史上最多となっていて、共和党のアボット知事は「バイデン大統領の無策がこの危機を招いた」として、州が不法移民を不法入国で逮捕できる州法を成立させて、州兵を動員して対策を講じている。

 州法を違憲とした連邦地裁の差し止め命令が出ると、テキサス州は憲法が州に独自の戦争行為を認めている「侵略」事態に相当するとして連邦最高裁で争う構えを見せている。保守系判事が多数派を占める連邦最高裁が合憲判断を下せば、メキシコと国境を接する南部の他州に広がる可能性があり、第二の南北戦争を想起させる国を二分する事態に発展する可能性が大きい。(参照:6月25日産経)

 このように国際社会におけるアメリカの弱体化に加えて、アメリカ国内では分断、不法移民の急増と治安の悪化等々、複数の深刻な事態が同時に進行していて、11月の大統領選で臨界点に到達する可能性が高い。

 ウクライナ戦争、イスラエル-ハマス戦争の終結が見えない中で、アメリカ大統領選が世界の注目を集めている。注目のポイントは、国際秩序を守るためにアメリカが保有する力を国際公共財として提供するかどうかにある。

 この視点で歴代大統領を評価すると、レーガンは「アメリカには自由主義秩序を擁護する特別な責任がある」との立場に立って、同盟を重視しつつ国際公共財を提供した。オバマとバイデンは「アメリカは世界の警察官ではない」としてロシアと中国による無法な行動を黙認した。

 そして次の大統領だが、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプが再選される場合、国際秩序を再び取り戻すためにトランプがアメリカの持つ国際公共財を提供するかどうかに世界の注目が集まる。(参照:6月27日産経、湯浅博の世界読解)

 一方日本は核の傘と打撃力をアメリカに依存し、日本は防御を分担するという「専守防衛」の方針に基づいて戦後の安全保障体制を保持してきた。日本周辺において有事が顕在化しない状況では、専守防衛は日米双方にとって都合のいい体制だったが、今やその状況が一変しつつある。台湾有事や朝鮮半島有事の蓋然性が高まっている現状で、アメリカの弱体化が進行し、国内回帰志向が強まれば、専守防衛のままでは日本の安全保障体制が危うくなる。

 安全保障の要諦は、最悪の事態を想定してそれに対する備えを万全にすることである。その認識に立って考えれば、日本は専守防衛の前提が崩れる事態を想定し、日本の役割と能力を増強させて、アメリカの弱体化を段階的に補強する対策を速やかに講じなければならない。それは戦後の日米関係をヴァージョン2.0に更新することを意味する。

はじめに日本近代史の総括が必要

 明治維新を起源とする日本近代史の前半は、日清戦争(1894)から太平洋戦争敗戦(1945)に至る「戦争の半世紀」だった。しかも戦争史の中核テーマは中国との関係にあったと言って良い。ズバリ言えば、中国の近代化に日本が深く関与した歴史だった。

 一方、近代史の後半(1945~現在の79年)は「思考停止の80年」だった。前半は意気揚々とした時代であり、後半は自己を喪失した時代だった。前半から後半への転換点となった事件は、言うまでもなく太平洋戦争の敗戦であり、GHQによる占領だった。

 「思考停止」とは、この転換点において「戦争の半世紀」を総括しないまま、現在に至るまで封印してきた事実を指している。近代史の前半には「富国強兵」という明確な目標があったのだが、後半は日本が目指す目標がないままにやり過ごしてきた。

 戦後吉田茂首相と池田隼人首相は、敗戦によって日本が喪失したものを取り戻すことよりも経済復興を優先させた。「所得倍増」政策は見事に功を奏して、日本は世界第二の経済大国の地位を獲得した。しかし1991年にバブル崩壊が起きて、それから30年以上もデフレ経済に苦しみ、そこに少子化・人口減少が加わって、日本は未だに経済成長を取り戻すことができずに低迷している。

 戦後の両首相は「国民が食えるようにすることが最優先だ」という判断に立ったのであり、敗戦直後の状況において正しい判断だったと評価される。しかしながら、安倍元首相が「戦後レジームからの脱却」という言葉に含めた、「敗戦と占領で喪失しったものを取り戻す」意思と道筋を明示しないまま「戦争の半世紀」を封印してしまった責任は極めて大きいと言わざるを得ない。

 明治維新から既に156年が過ぎた。国際社会を再び戦争の影が覆うようになり、東アジアの安全保障環境は危機前夜という程に悪化している。加えて日本は経済成長から30年以上も取り残されて、未だにじり貧状態から脱却できずにもがいている。

 現在の日本は、明治維新を第1回とする80年周期の三回目の転換点に立っているように見える。再び日本を輝かしい国とするために必要なことは、次の80年に目指すべき目標と進路を明示することである。そのためには「戦争の半世紀」を総括して画竜点睛を欠いたままの戦後史に魂を吹き込み、教訓を明らかにして後世に継承してゆかなければならない。

危機に対処するために

 日本は太平洋戦争に敗れて、「戦争と平和」に関して思考停止状態に陥った。「平和を希求し戦争を忌避する」戦後の時代が始まったと言うと正しい選択をしたように聞こえるが、それは偽善でしかない。

 何故なら、戦争に対して日本は「見ざる言わざる聞かざる」状態にあるからだ。ウクライナがロシアから侵略を受けて一般市民の多大な犠牲者を出して防衛戦争を戦っているにも拘らず、日本は戦うための武器の提供を拒否してきた。その理由が「日本は平和国家だから」というのであれば、それも偽善と断定する他ない。

 戦後日本の言論は、「平和は善、戦争は悪」という単純すぎる二元論に終始してきた。しかしながら平和とは結果であり、戦争とは外交の一手段であることを考えると、本来同列に並べて論じるべき概念ではない。「平和を守るために戦う」という現実的なオプションを排除しているという意味で、「平和か戦争かという二者択一」思考は誤りである。隣国が軍事侵攻してくるときに武器をとって戦おうとしない国は侵略され、平和も秩序も社会インフラも悉く破壊されてしまうことをウクライナ戦争は世界に知らしめ、覚醒させた。

 中国は1964年の東京オリンピックの最中に原爆実験を行い、今や米露に次ぐ核兵器大国となった。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は、今年6月17日に公表した年次報告書の中で、中国が保有する核弾頭数は昨年より90発増加して推計で500発となったと報告している。しかもこれまでは核弾頭をミサイルとは別に保管してきたが、現在では推定で24発の核ミサイルが実戦配備されたという。北朝鮮も戦術核兵器の開発に重点を置きつつあり、約90発分の核分裂物質を保有していると分析している。

 ロシア、中国、北朝鮮に対して、「日本は戦争を忌避する平和国家です」と幾ら主張しても何ら抑止力にはならないばかりか、むしろ逆効果にしかならない。戦後の日本の平和が維持されてきたのは、偏に世界最強の軍事力を持つアメリカの傘によって守られてきたからである。安全保障環境が深刻化し、台湾有事や朝鮮半島有事の蓋然性が高まっている現在、これら隣国の脅威から日本を守るためには、日本が自律的に「平和を守るためには戦争をも辞さない」姿勢を明確にして、国際情勢の変化に対応して日米同盟を常に進化させ、新たな脅威の出現に対し常に強固な抑止力を保持してゆく以外にはない。

 ここで問題になるのが、冒頭で述べたウクライナ戦争で顕在化した二つの危機事態である。日本は終始、アメリカの核の傘と打撃力を前提として専守防衛路線を歩んできた。アメリカは武器を供与しロシアに対する制裁を発動してウクライナを支援してきたが、ウクライナの社会インフラはロシアの攻撃によって焦土となった。ウクライナはアメリカの同盟国ではないが、バイデン政権はロシアによる軍事侵攻を阻止しなかったばかりか、ロシアによる侵略を早期に終わらせるために万全を尽くしたとは言い難い。

 現在、トランプ大統領が再任される可能性が高まっているが、もし再選が現実のものとなれば、トランプ氏はNATOや日本に一層の防衛負担を要求してくる可能性が高い。来年に戦後80年を迎える日本は、自分の国をより自己完結的に守る体制の構築を余儀なくされるだろう。アメリカの弱体化に臨み、将来の日米関係のためにも、敗戦と占領で封印してきたものを取り戻さなければならない。アメリカとの従属関係を清算して、核の傘を残したまま、専守防衛に代わる防衛力(ヴァージョン2.0)を構築しなければならない。

 そのためには何よりもまず戦後の「思考停止」の封印を解除しなければならない。さてどこから着手すべきだろうか?まず広島原爆記念碑の文言を改訂することから始めるのが適当と考える。何故なら現在の文言が、アメリカによる、民間人を標的とした、原爆投下という非人道的な重大犯罪に対し、「黙して追及せず」の姿勢をとっているからだ。そればかりか、広島を訪れる多くの日本人に対し、「この戦争の責任は戦争を始めた日本にある」と巧妙に洗脳しているからだ。終戦から80年の節目に臨み、日本の新たな決意を世界に示すためにも、広島原爆記念碑のヴァージョン2.0への更新が望ましい。 

(10)「戦争の半世紀」の総括

はじめに、戦争の二つの戒め

 一般論として、戦争の教訓として二つの戒めがある。一つは、戦争はひとたび始めてしまうと途中で引き返すことが難しいことであり、もう一つは一つの戦争の終結が次の戦争の原因となることだ。実際に日清・日露戦争の中に、この戒めを見て取ることができる。

 日露戦争が起きた背景には日清戦争がもたらした地政学的な変化があった。満州及び朝鮮半島における清の影響力が減少し、逆に日本の影響力が増大したことだ。日清・日露戦争は、戦争の終結が次の戦争の原因となることを示している。実際に日清戦争で多大な賠償金と領土を得ることができたことから、日本は日露戦争に前のめりになり、逆に日露戦争では賠償金がとれなかったために次の満州事変を招いている。

 満州事変は1931年に始まり1933年に終結した。満州進出の第一の目的が、人口増大に対する食料安全保障だったのであり、満州国建国を果たした1933年にこの目途はついている。その後の歴史を考えると、日本にとって満州事変の終結は、満州以南の中国大陸には関わらないと踏み止まるべき歴史的に重要な分岐点だったことになる。

 しかしながらひとたび戦端を開いてしまうと、途中で止めることが難しい。踏み止まるためには、慣性力で突き進もうとする軍部を統制する強い政治のリーダーシップが不可欠となる。実際に日本はそうしなかった。この判断ミスが太平洋戦争を招いたことは歴史が証明している。

日本の掌中にあった切り札の選択肢

 日本が朝鮮半島、中国大陸に進出した動機は、西洋列強による侵略・支配を受けないアジア独自の平和な世界秩序を建設することだった。崇高な理想を掲げたのだが、中国人同士の三つ巴の内戦を招き、中国を味方に引き入れることに失敗した。結局、日本が中国大陸に介入したことにより清国は滅び、中国は再び内戦と内乱の大陸に回帰した。

 そもそも中国に明治維新と同等の近代化を求めたことに無理があったと言わざるを得ない。日本には鎌倉時代以降継承されてきた武家による中央集権・封建体制の蓄積があり、薩長土に代表される近代化志向の雄藩の存在があった。高い志を持った若い武士階級が残っていたからこそ明治維新という革命を成し遂げることができたのだった。一方中国にはそのような歴史遺産も担い手も存在しなかった。

 そして支那事変後半には、日本が支援する汪兆銘の南京政府、アメリカが支援する蒋介石の長慶政府、ソ連が支援する延安政府による三つ巴の内戦となった。この内日本だけが中国人同士の内戦に深く引きずり込まれ、アメリカとソ連は反日ナショナリズムをけしかけて日中戦争で双方が疲弊するように、老獪な外交を展開した。

 結果から評価すれば、日本が支那事変に引きずり込まれずに踏み止まっていれば、日中戦争は起こらず、従って太平洋戦争も起きなかったに違いない。

日本の実力を超えた無謀な戦いだった

 「戦争の半世紀」を考える場合、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1914-18年の第一次世界大戦、1931-33年の満州事変、1937年の支那事変、1941-45年の太平洋戦争は、日本の近代史前半の中核を為す物語を構成する一連の事件として捉える必要がある。

 支那事変から始まった日中戦争は、中国大陸を舞台とする実質的にアメリカ、ソ連を加えた四ヵ国間の戦争に拡大した。当時の失敗の教訓を要約すれば、次のとおりである。

 第一は「戦闘に勝って戦争に負けた」日清・日露戦争の分析と教訓が不可欠だったことだ。日本に欠落していたのは、最終的に戦争に勝つための能力だった。それを獲得し磨くためにも、日清・日露戦争において欧米列強がとった外交と、第一次世界大戦において欧米列強がとった外交と戦争行動について徹底的に学ぶべきだったのだ。

 第二は米ソという老獪な二大国に加えて、日本とは異質な文明を持ち、広大な中国大陸を舞台として行われた中国人どうしの三つ巴の内戦に介入してはならなかったことだ。中国の内戦に巻き込まれずに、米英ソとの外交戦に専念すべきだった。

 「戦争の半世紀」の中核テーマは中国との関係だった。歴史を俯瞰する時、日本が犯した決定的なミスは、中国大陸に関与し過ぎたことに尽きる。この国とは適当な距離をとって付き合うべしというのは、現在も通じる教訓である。総じて日本にはそのような外交を演じる強かさと老獪さが欠落している。

(11)欧米との共通性と日本の個性を再認識せよ

同時期に近代国家となった欧米と日本

 15世紀から始まった大航海時代の潮流は、欧州を起点に東回りと西回りで地球を一周して、大陸を結ぶ海上航路を開拓し、大陸間の貿易と人の交流を活発化させ、そして世界を植民地化していった。そして大航海時代と植民地化という大波が東アジアに本格的到達したことを象徴する事件が1840年のアヘン戦争と1853年のペリー来航だった。

 1868年の明治維新は、この二つの事件に強い危機感を抱いた長州や薩摩の下級武士たちが決起して起きたものであり、日本における近代化の始まりとなった。そして1871年には岩倉具視を団長とする総勢100名余の岩倉使節団が20ヵ月余にわたって、米欧の12ヵ国を公式訪問して、近代国家の現状をつぶさに視察している。

 この事実が物語るのは、発足して間もない明治政府が時間と資金と人材を惜しみなく投じて、近代化を一気呵成に進めた英断である。欧米の近代化を直接見聞した政府高官たちは「富国強兵」政策を強力に推進して、日清・日露戦争の勝利をもたらした。

 近代化を成し遂げた時期で比較すると、一足早かったイギリスと一足遅れたロシアを除くと、アメリカ南北戦争終結が1865年、明治維新が1868年、ドイツ帝国誕生が1871年、フランス共和国誕生は1874年というように、日本は欧米主要国と同時期に近代国家となっている。

 さらに歴史を遡れば、西暦604年に聖徳太子が十七条の憲法を制定した時点で世界に先駆けて立憲君主制となったのであり、議会制民主主義は1890年に帝国憲法が成立したことによって導入されている。日本は近代化において世界の先進国だったことが分かる。

欧米との共通性と決定的な違い

 日本とイギリスは世界の国々の中で最も似た者同士である。ユーラシア大陸の両端に位置する島国で海洋国家であり、立憲君主制の議会制民主主義国である。封建制の歴史を持ち、武士道と騎士道の文化を継承している。一方で、両国には決定的な違いが二つある。

 一つは隣接する大陸国家の違いである。イギリスがタフな競争相手と数世紀に及ぶ戦争と競争を繰り広げてきたのに対して、中国と朝鮮が近代化から取り残されていたために、日本は四半世紀にわたって鎖国と太平の時代を享受することができた。

 もう一つの違いは宗教である。神と自然に対する姿勢においてキリスト教と神道は対極にある。

 この二つの違いが日本とイギリスの運命を分けた一因となっている。戦争に明け暮れたイギリスが戦略観を磨いて世界の覇権国となったのに対して、日清・日露戦争で外交と戦略の重要性を学び取らなかった日本は、中国大陸での内戦に引きずり込まれていったのだった。

 一方日本とアメリカには、同時期に内戦を戦って(戊辰戦争と南北戦争)国家を平定したことを除けば、共通性は殆どない。とりわけエドワード・ルトワックがいう「戦う文化」において日米は対極にある。アメリカは自らを脅かす勢力の台頭を決して容認しない国家である。南北戦争の戦死者数が戊辰戦争の25倍に達したことがそれを物語っている。片や日本は、近代史の前半では危機に臨んで「戦う文化」が発動されたものの、敗戦と同時にそれを封印して現在に至る。

独自の文明を継承する日本のアイデンティティ

 もう少し歴史を大きく俯瞰してみよう。日本は縄文の古代から、火山や地震などの天変地異に翻弄されてきた。日本にとっての脅威とは自然災害や飢饉であり、日本は自然を畏怖すると同時に自然の恵みに感謝しながら2000年以上の歴史を紡いできた。

 日本は歴史の大半において、天皇の権威を守りつつ武家が政権を担う統治制度を維持してきた。武家が台頭した以降では国家統一を巡る戦争が幾度も繰り返されてきたが、隣国との戦争に明け暮れてきた欧州とは全く異質の文明を継承してきた。

 富国強兵政策の結果、日本は欧米に追い付いたという自信と欧米に対する親近感を実感したと推測されるが、もしそれと同時に日本のアイデンティティを自覚して、欧米との違いをきちんと認識していたら、日本の近代史は違う展開となった可能性が高い。

 既に述べてきたように、太平洋戦争の遠因にはアメリカと日本の宗教観と文明の違いがあった。もし日本がアメリカの思考過程と行動様式を的確に認識していたなら、アメリカによる敵視自体を緩和ないし消滅することができた可能性がある。

世界の近代史で日本が果たした役割、払った犠牲

 日本は東アジアに押し寄せた欧米列強による植民地化の大波に立ち向かった。孤軍奮闘したのだが、中国大陸に深入り過ぎ無謀な戦いを強いられて敗北した。太平洋戦争で日本が未曽有の損失を被った一方で、日本が支援した東南アジア諸国が独立を勝ち取ったことは、歴史上公知の事実である。

 RMC(役割、使命、能力)というアメリカの軍事用語があるが、そういう結末に至った原因は、前項で論じたように、担おうとした役割に対しそれを実行する能力が伴っていなかったことにあった。

エピローグ:戦後80年からの展望

 日本の近代史は、明治維新以降は「富国強兵」を目標とし、敗戦後は「所得倍増」を目標として綴られた。富国強兵という目標は日露戦争の勝利をもって達成されたと見なされるが、そうであるなら日露戦争後に富国強兵に代わる新しい国家目標を打ち立てるべきだった。しかし実際は目標を見失ったまま、欧米列強と同じように振舞って「戦争の半世紀」の後半を戦っている。

 この本来の姿と現実の違いが日本の失敗を招いたと言える。日本は明治維新において議会制民主主義を定着させ、帝国憲法を制定し、岩倉使節団が20ヵ国を訪問した欧米諸国からさまざまな専門家を招聘して、国家のインフラを短期間で整備していった。そうして日清・日露戦争を戦って勝利した。

 この時点で「ここから先、日本は新たに何を目指すのか」という問いに立ち返り、敢えて足踏みをしてでも、新たな国家目標を明確にすべきだったのだ。欧米キリスト教国とは異なる日本独自のアイデンティティを再認識して、それに相応しい国家像を明示すべきだったのだ。

 これは現代も当てはまる日本の課題である。現在国際社会の秩序を崩壊させている大きな原因は、国際社会のルールを公然と無視するロシアと中国の行動にある。ポスト冷戦後、アメリカの覇権体制が続いてきたが、アメリカが弱体化するのと入れ替わるように、ロシアと中国が挑戦的な行動をとるようになった。

 そして現在の危機を地政学的に俯瞰すると、大陸国家対海洋国家の対立の構図でもある。ウクライナ戦争で隠してきた牙を現したロシアと、国力を増強した中国の台頭が国際秩序を脅かす存在となり、両大陸国家の行動を抑制するために海洋国家が団結する必要が高まってきた。

 日本とイギリスはともに大陸沖に浮かぶ島国であり、海洋国家である。アメリカもオーストラリアも海洋国家である。「戦争の半世紀」では日本は世界から孤立して戦ってきたが、現在はG7の一員として、さらには海洋国家連合の一員として、国際秩序の再構築に向けて日本の役割が増大しており、同時に世界から期待されていることでもある。

 さらに地球温暖化や脱炭素等、人類が現在直面している地球規模の課題は、「自然と共存・共生する文明」の継承者である日本がリーダーシップをとって立ち向かうべきであることは言うまでもない。

 このように大きく展望すれば、日本が敗戦と占領で封印したものを取り戻し、アメリカに対する従属関係を清算し、日本のアイデンティティを発動させて、国際社会の課題や地球規模の課題に本気で取り組む時機が到来していることが分かる。そのためには、明治維新以降80年周期で展開してきた「戦争の半世紀」と「思考停止の80年」に代わる、次の80年の行動規範となるべき新たな国家目標を打ち立てなければならない。

「思考停止の80年」との決別 第3部

(5)「戦争の半世紀」だった日本近代史前半

日本の近代史概観

 図1に明治維新を起点とする日本の近代史における、日本が関わった戦争の歴史をプロットした。明治維新から現在に至るまで156年が経過したが、その前半は戦争に明け暮れてきたことを図1が明示している。

 第2部で書いたように大航海時代は日本の近代史に少なからぬ影響を与えた。第1波としてやってきたのはポルトガルとスペインの宣教師で、とりわけ1544年に種子島に火縄銃が伝来した事件は織田信長の天下統一に大きな影響を与えた。そして第2波のオランダ、イギリス、フランスに加えてアメリカとロシアが幕末に相次いでやってきて、日本に開国を迫った。1840年に起きたアヘン戦争が討幕運動に火をつけて、日本は一気呵成に明治維新を成し遂げた。

 日本は江戸時代が長くしかも鎖国をしていたので、欧米列強よりも遅れて近代国家の仲間入りをした感があるが、一足早かったイギリスと、逆に一足遅かったロシアを除くと、他の主要欧米諸国と日本は、殆ど同時期に近代国家となっている。(『思考停止の80年』との決別、第2部参照)

 但し、両者には決定的な違いが二つあった。第一は日本が江戸時代という平穏な時代だったのとは対照的に、欧米列強は数世紀にわたって戦争と革命を繰り返してきたことである。欧米諸国と日本のこの違いは、日本の近代史を方向付ける重要な要因として作用してきたように思われる。

 第二は世界に先駆けてイギリスで産業革命が起きて、重工業が発達しそれが軍事力にも反映されて軍事革命が起きたことである。幕末に欧米列強と接した日本が急速に富国強兵政策を進めた理由がここにある。

 図1から明らかなように、西南戦争を終えて国内を平定した日本は、日清戦争を皮切りに対外戦争に向かった。日清戦争から太平洋戦争の敗戦に至る約50年間は、文字どおり「戦争の半世紀」だった。さらに支那事変を契機として太平洋戦争が起きたことを考慮すると、半世紀に及ぶ日本の戦争史の中核を成したテーマが中国との関係にあったことが分かる。

日本はなぜ日清戦争を始めたのか

 以下、近代史における日中関係については、台湾出身で日本在住の作家、評論家である黄文雄氏が書いた資料①を主に参照した。

 言うまでもなく、日本が明治維新を断行し近代国民国家の建設に邁進したのは、西欧列強による「アジア植民地化の波」から自国を防衛するためだった。そして明治維新を成し遂げて欧米列強による侵略を阻止することに成功した日本は、日本の防衛を更に強化するために、隣国である清国と朝鮮を加えたアジア共同防衛を構想した。日本が目指したのは、西洋列強による侵略も支配も蒙ることのない、アジア独自の平和な世界秩序の建設だった。

 日本はまず朝鮮に明治維新と同様の近代改革を要求したが、宗主国だった清国の体制は旧態依然であり、むしろ維新後の日本を敵視する有様だった。このため日本は1894年に朝鮮独立を要求して清国に宣戦布告した。清は前近代的な老大国だったため、あっけなく惨敗した。

 日清戦争で勝利した日本は戦勝国として三つの戦果を獲得した。国家予算の約4倍の賠償金、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、そして朝鮮の独立である。この勝ちによって、日本は勝てば賠償金や領土を取れることを学び取った。

 ノンフィクション作家の保阪正康氏は、日清戦争の総括について、資料②の中で次のように述べている。

 <結局、日清戦争とは、帝国主義の現実を日本がはじめて体験した戦争だった。当時はまだ帝国主義的な時代だったが、戦争における原価計算意識がかなりシビアになっていた。西洋列強は歴史や国力から中国を眠れる獅子とみなし、大がかりな戦争を仕掛けて支配しても原価計算が合わないと判断した結果、中国には深入りしなかった。>

 <こう考えると、日清戦争で日本が勝ったと単純には言えなくなる、むしろ日本は西洋列強に利用されていた。日清戦争は「中国の罠に嵌まった」ということができる。「日本対旧中国(清朝)」の構図では勝ったが、「日本対新中国(革命政権)」の構図で見れば、孫文が日本を多面的に利用して戦争に勝ったことになる。> 

日露戦争とは何だったのか

 以下日露戦争に関しては主に保阪氏による資料②を参照した。

 日露戦争が起きた背景には日清戦争がもたらした地政学的な変化があった。即ち、満州及び朝鮮半島における清の影響力が弱体化し、逆に日本の影響力が増大し、朝鮮では清による冊封体制が消滅した。ロシアは満州及び朝鮮半島における日本の影響力の増大を阻止するために南下政策を進めようとし、日本は逆にロシアの南下を阻止しようとした。

 それにしても当時のロシア帝国は強大であり、欧州でもロシアと戦争しようとする国は存在しなかった。日本は日ソ間の力学を変えるために、当時の覇権国だったイギリスと日英同盟を結んで戦争に臨んだ。従来日英同盟が日本の勝利をもたらした要因だと言われてきたが、イギリス側から見ると、日英同盟はボーア戦争に忙殺され余力のなかったイギリスが、東アジアにおけるロシア帝国の南下阻止は日本に任せようと判断した結果だったことが分かる。

 日露戦争(1904~05)は、第一次世界大戦(1914~18)とロシア革命(1917)の前夜のタイミングで起きた事件だった。世界史における因果関係として眺めると、日露戦争が欧州の戦争に与えた影響が見えてくる。

 それはこういうことだ。日露戦争で日本が勝利したことにより、イギリスはロシアに接近し既存の露仏同盟と合わせて英仏露によるドイツ包囲網を作り上げた。一方ドイツやオーストリアは弱体化したロシアを横目で睨みつつ、バルカン半島への圧力を強めていった。それが英仏露と独墺(オーストリア)とが雌雄を決した第一次世界大戦へとつながった。

 日露戦争はさらにロシア革命を引き起こした。こう考えると日露戦争は20世紀の世界情勢を動かした大事件だったことになる。日本の勝利は、それほど世界に大きなインパクトを与えたのである。

 一方で、日本は日露戦争を優位に進めたものの、国力を殆ど使い果たして青色吐息だった。ロシアも君主制が崩壊しようとしていた。そうした状況で1905年にアメリカによる和睦仲介という形で日露戦争は終結した。ポーツマス条約が結ばれ、ロシアが満州や朝鮮から撤兵し、遼東半島の租借権とロシアが満州に敷設した東清鉄道を日本に譲渡し、樺太の南部を日本に割譲することとなった。但し賠償金はとれなかった。日本は、日露戦争を痛み分けの形で終わらせようとしたアメリカに救われた一方で、アメリカはアジア進出の足掛かりを得た。

 日露戦争の勝利に国民が沸いたことは事実だが、この勝利がその後の日本の足を引っ張る原因となった。日清・日露戦争は、戦争の終結が次の戦争の原因となる典型的な事例でもあった。つまり日清戦争で多大な賠償金と領土を得ることができたことから、日本は日露戦争に前のめりになり、逆に日露戦争では賠償金がとれなかったために次の満州事変を招いた。

 第一次世界大戦で敗戦し巨額の賠償金を抱えたドイツで、ヒトラーが登場し第二次世界大戦を起こしたのと似た構図が見て取れる。暴走を始める「軍事のサイクル」の姿をここに見ることができる。

日本はなぜ満州国を建国したのか

 1931年に柳条湖事件が起きた。これは大日本帝国の関東軍が南満洲鉄道の線路を爆破した事件で、関東軍はこれを中国軍による犯行と発表して満州事変が勃発した。満州の軍閥だった張学良軍は関東軍によって総崩れとなり満州から駆逐された。1933年に満州事変は終結し、満州国が建国された。

 ところで、なぜ日本は満州国という傀儡国家を作ったのだろうか?二つの理由が存在したと思われる。第一は日本の国内事情によるもので、現代風に言えば食料安全保障である。資料②によれば、日本の耕地面積は国土の約13%で、米の収穫量は3千万人を養える規模だった。江戸時代の人口は3千万人前後だったが、明治以降人口が急増し昭和に入ると7千万人前後に増加した。その食料対策として満州の広大な土地を利用しようという計画が作られて、1932年から「満蒙開拓団」が送り出された。その数は敗戦までに約27万人に達したという。そのために軍事的な収奪と支配が必要となり、その支配を恒常化させるために傀儡国家が必要だった。

 第二の理由は、東アジアの秩序という崇高な目的のために、日本が軍事介入したという大義名分である。ここで日本が期待したことは、中国が日本と提携できる近代国家となれば、東亜諸民族による共同体が形成され、欧米諸国に蚕食され続けてきた東アジアの秩序を盤石にできるというものだった。

 これについて資料①は、「満州の民衆は快哉を叫び、日本に感謝したという。満州建国のスローガン『王道楽土・五族協和』は、日本が一方的に陰謀論的に企んだものだとは言えない。満州は法治も人治もない、軍閥や匪賊が跋扈する無法地帯だったのであり、建国は民衆の意を体した現地の政治勢力の方から主張されたものだった。」と分析する。

 1933年に日中間で停戦協定が結ばれ、満州事変は終結した。この結果、蒋介石は中断していた共産党に対する包囲殲滅作戦に全力を傾けることになった。

(6)革命と内戦・内乱に明け暮れた中国の近代史

中国の近代史概観

 図2に日米欧と中国との間で起きた戦争や事件を中心にプロットして、中国の近代史の概観を示した。清朝が滅んで中華民国が建国されたが、実力者の間で内戦が繰り返され、北京、重慶、南京に相次いで政府が設立された。

 中国の歴史を考える上で重要なキーワードが二つある。第一は「易姓革命」であり、第二は「内戦と内乱」である。資料①は以下のように説明している。

 <『三国史演義』の冒頭に、「天下久しく分すれば必ず合し、久しく合すれば必ず分す」とある。中国の歴代王朝は、何れも『易姓革命』という暴力革命によって誕生している。易姓革命とは中華世界の歴史法則のようなものだ。>

 <18~20世紀に中国人民を本当に苦しませ続けたのは、繰り返される内戦、内乱であり、中国人同士の殺し合いだった。それに人口過剰による自然環境と社会環境の崩壊が重なり秩序が崩壊していた。>

 <中国の長期内戦が始まったのはアヘン戦争よりももっと早い18世紀末のことだった。しかも原因は外的なものではなく、内因によるものだった。18世紀末に白蓮教徒の乱が起こり、続いて教匪の乱、会匪の乱へと内乱が延々と続き、やがて千万人単位の死者を出す太平天国の乱や回乱が発生した。>

辛亥革命の背景

 中国の近代化は、1911年の辛亥革命を起点として始まった。辛亥革命を起こした主役は、当時日本に来ていた清国からの留学生だった。日露戦争に勝利した日本のナショナリズムに刺激された清国留学生が日本に殺到し、革命団体の三派が東京で中国同盟会を結成した。孫文はその指導者となり、中国版の明治維新と新中国を目指していた。

 1912年の中華民国臨時政府の発足直後、革命の指導者だった孫文と北京政府の実権を握る袁世凱が提携し、孫文は統一政府を作るために権力の座を袁世凱に譲った。袁世凱は革命派に対する日本の影響力を削ぐため、「日本は満州を占領しようとしている」という反日宣伝を展開した。背後で英米が袁世凱を支援しており、反日という形で中国のナショナリズムが高揚していくよう工作を行っていた。

 1915年に日本は中国に対し「二十一ヵ条要求」を提示した。内容は西洋列強並みの政治経済活動の容認を求めたもので、列強が第一次世界大戦に忙殺されている間に日本の既得権益を整理して中国に容認させようと考えた行動だった。これに袁世凱が反発して策略を巡らし、「中華民国+英米」対日本という対立の構図を形成していった。これに対して袁世凱を宿敵と捉えていた孫文は、日本政府の態度は東洋の平和を確保し、日中の親善を図る上で妥当なものだとの理解を示していた。

三つ巴の内戦

 台湾には「国慶節」という中華民国の建国記念日がある。辛亥革命の発端となった1911年10月10日の「武昌起義」に由来する。その2か月後には中国各地で革命運動が続発して清朝が崩壊し、孫文は南京に中華民国臨時政府を樹立した。

 辛亥革命を契機に相次いで政府が樹立されていったが、黄文雄氏は「何れも全中国を代表する正統政府だと主張していたものの、国を代表する政府として対外的に責任を負えるものではなかった。当時の中国は、国家としての体を成していなかった。」と評している。

 資料①によれば、中華民国の内戦には三つの時期があった。第1期は袁世凱が率いる北洋軍閥と地方軍閥間の北京政府を巡る内戦、第2期は孫文が1919年に創設した国民党の内戦、第3期が国民党と共産党の間の「国共内戦」である。孫文が1925年に死去し、後継者となった蒋介石は日本よりも共産党の方が脅威であると認識していて、抗日政策よりも掃共作戦(共産党包囲討伐作戦)を優先した。1930年末から第1次掃共戦を実施し、その後満州事変中の中断を経て、1933年の第5次掃共戦で共産党を風前の灯火にまで追い詰めた。

 ここで、共産党万事休すの事態が茶番劇によって逆転する西安事件が起きた。資料①は次のように描写している。

 <満州を追われた張学良が蒋介石を西安で監禁し、抗日への政策転換を迫るという「西安事件」が起きた。そこへ共産党を代表して駆けつけた周恩来が挙国抗日を条件に蒋介石を釈放するように調停した。この事件によって、日中提携の流れも共産党滅亡の流れも、全て断ち切られてしまった。そうして支那事変が勃発した。支那事変の発端となった盧溝橋事件も共産党の陰謀だったという論証は、現在ではむしろ常識となりつつある。>

 <日本との戦争を最も望んでいたのは中国共産党だった。実際に日本を挑発して国民党と争わせることに成功し、その結果、共産党は生き残り、戦後、疲弊した国民党を打ち破って国共内戦に勝利することができたというのが史実である。>

(7)大東亜戦争の真相

かみ合わなかった日本と中国

 前項『中国の近代史概観』で述べたように、そもそも日本が朝鮮半島、中国大陸に進出していった動機は、朝鮮や清国にも明治維新に相当する近代化を成し遂げてもらい、西洋列強による侵略・支配を受けないアジア独自の平和な世界秩序を建設することだった。しかしながら崇高な理想を掲げたものの、両国と危機感と理想を共有することはできなかった。その原因として以下の三つが考えられる。

 第一は、朝鮮や清国に対し日本と同じことを期待しても無理だったことだ。そもそも日本で明治維新が成功した理由は、250年に及ぶ江戸幕府による封建制の歴史があり、危機に直面して決起する武士が残っていたからだった。一方両国にはそのような歴史的遺産がなかった。

 第二は、欧米列強からの独立という高い理想=大アジア主義を掲げて戦争を始めたものの、戦争を続ける間に日本自身が欧米列強と同じように帝国主義として振舞うようになってしまったことだ。

 そして第三は、両国において反日ナショナリズムが形成されていったことだ。歴史的な理由から日本から指示されたくないという思いがあり、欧米列強と同じように振舞う日本に対する反感もあったと思われる。

 両国に対し当時の日本が期待した思いは純粋で直線的だったが、「日本がそのように行動すれば、中国人はどう考えどう行動するだろうか」と、中国人の民族性とリアルポリティクスに対する配慮が欠落していたように思われる。結局日本のお節介と片思いで終わった。

三つ巴の内戦に巻き込まれた日本

 さらに黄文雄氏は資料①で、日中戦争の本質について次のように分析している。

 <1940年に汪兆銘が誕生させた南京政府は日本と和平を結んだ親日政権だった。日本軍による武漢攻略によって日中全面対決が終結していたこの時点で、戦争は日本が支援する南京政府(汪兆銘)、アメリカが支援する重慶政府(蒋介石)、そしてソ連が指導し支援する延安政府(毛沢東)の三つ巴内戦の局面を迎えた。この三つ巴戦こそ日中戦争と言われるものの本質と言って過言ではない。>

 1937年に日本軍のキャンプに一発の銃弾が撃ち込まれた。盧溝橋事件の勃発である。この事件をキッカケに日中の全面戦争に拡大し、やがて太平洋戦争へと繋がっていった。

 ここで注目すべきことが二つある。第一に戦争の構図としてみると、中国大陸という舞台上で蒋介石と汪兆銘と毛沢東が戦い、舞台の外側には日本と英米、ソ連が陣取るという三つ巴戦の二重構造が存在していた。そして第二に、中国大陸に大規模な軍隊を送り込んで戦争を行っていたのは日本だけで、英米ソも中国大陸に深入りしていなかった。

内戦に翻弄された日本

 図2に示したように、清朝が滅亡した1911年から太平洋戦争終結後の1949年に中華人民共和国が建国するまで、中国は内戦に明け暮れた。三つ巴戦を率いた三人の指導者について資料①は次のように評している。

 <汪兆銘は日本との戦争を回避するため、日本と和平を結んだ政治指導者である。一方の毛沢東と蒋介石は、日本との戦争を惹き起こし、おびただしい数の同胞を犠牲にし、国土を荒廃させたものの、運よく日本が米軍に敗れたため、抗日戦争で中国に勝利をもたらしたとして英雄になった。>

 <汪兆銘はもともと蒋介石と違い、強硬な対日主戦派だった。だが戦争が続くにつれ、中国軍に対日戦争遂行の実力がなく、また国内経済が疲弊し、共産党の跋扈も収まらないなど、中国を守るには日本との和平を結ぶしかないことに気づいたのだった。汪兆銘によれば、中国には共産党を例外として、和平を希望しないものはいないが、多くは日中両国の共存は不可能と考えるので和平に反対するのだという。汪兆銘はこうも語った。「日本に通じたのが漢奸なら、国民党はアメリカと、共産党はソ連と通牒したではないか、我々の志が間違っていたのではない。単に日本が負けただけだ。」と。>

 <当時蒋介石ら国民党主流派は抗日には消極的だった。彼らは日本及び日中関係を現実的に見ていたからだ。蒋介石自身は大変な知日派だった。中国が遠大な将来を考えるなら、日本と提携すべきであって、日本を恨む必要はない、日本は隣邦であり同文の民族であって決して敵対すべき相手ではないと訴えていた。>

 <蒋介石による北伐完了と中国統一後、米英は真っ先に蒋介石政府を承認し、関税自主権を認めるなど、旧来の植民地政策から政府支援政策へと転換した。この結果、中国にとって反帝国主義政策の対象は日本だけとなった。中国は国家統一を強固なものとするため、対日外交で強硬路線に転じ、漢口租界からの即時撤廃を日本に要求した。それが満州事変から支那事変に至る戦争の原因になっていった。中国内戦に翻弄、愚弄された当時の日本の姿がここにある。>

ソ連コミンテルンの世界戦略と中国共産党

 三勢力による内戦を最終的に制したのは、最も弱体な勢力だった中国共産党である。ソ連から巧みな支援を受けて、西安事件という茶番劇を含めて国民党との「国共内戦」を制したのだった。黄文雄氏は資料①の中で次のように論じている。

 <西安事件によって日中提携の流れも共産党滅亡の流れも全て断ち切られてしまった。そしてその翌年の1937年に支那事変が起きた。発端となった盧溝橋事件の「一発の銃弾」も共産党の陰謀だったという論証は現在では常識となりつつある。>

 <日本との戦争を最も望んでいたのは中国共産党だった。実際に日本を挑発して国民党と争わせることに成功し、その結果共産党は生き残り、戦後疲弊した国民党を打ち破って国共内戦に勝利したというのが史実である。>

 <ソ連の南下を何よりも懸念し、不拡大方針を採用した日本に対し、南下を目指すソ連は、全く逆の戦略を立てていた。1937年盧溝橋事件の直後にコミンテルンの幹部会議は中国共産党へ次のような命令を下していた。「局地解決を避け、日中全面戦争に導け。国民政府に開戦を迫れ。対日ボイコットを全土に拡大しろ・・・。」>

 <つまり長期的な日中全面対決に持って行き、ソ連に対する日本の攻撃を不可能にし、両軍を徹底的に消耗させて共産党政権を樹立し、仮に日本が敗北したら、日本革命を達成するという戦略だった。中国での共産党政権樹立はソ連の傀儡政権であるから、日本を共産化できれば東アジア制覇を達成できる。つまり日露戦争によって阻止されたロシアの南下を、日中戦争によって一気に達成しようとするコミンテルンの世界革命戦略だった。>

 <もちろんこの謀略は、日本にとって最も警戒するものだった。そのような事態を防ぐために、何としてでも日中全面戦争を避け中国との提携を実現して共同で防共体制を築きたかったのだ。だが、共産党など中国の反日勢力はそのようには考えなかった。飽くまでも自勢力の存亡をかけ、日本軍を中国内戦に引きずりこもうとしていたのである。>

 このように俯瞰すると、日中戦争とは中国大陸を舞台とし、リング外で繰り広げられた列強間の戦略ゲームに他ならなかった。日露戦争に勝って軍事力では欧米列強と肩を並べた日本が満を持して中国大陸に進出したのだったが、アメリカ、ソ連という老獪な二大国に加えて、異質な文明をもち内戦に明け暮れてきた中国人を相手に、戦略ゲームを挑むのは余りにも無謀だったという他ない。

(8)太平洋戦争の真相

アメリカはなぜ日本と戦ったのか

 「アメリカはなぜ日本と戦ったのか」という問いは、今でも解明されていない謎である。なぜならアメリカが未だに日米戦争に係る資料を公開していないからだ。西尾幹二氏は、既にアメリカはナチスドイツとの戦いに関する殆ど全ての書類や文献を公表しているが、日米戦争に関するものは百年間公表しないとして隠しているという。

 この事実が物語ることは、アメリカは不当な戦争をしたということであり、逆に日本は根拠のない戦争を仕掛けられたということであり、そして日本が戦争を始めたのではないということである。(資料③参照)

 以下は資料③と④を参照して、太平洋戦争の真相について要点をまとめたものである。資料④の現代史研究会のメンバーは、西尾幹二氏(電気通信大学名誉教授)、福地惇氏(高知大学名誉教授)、福井雄三氏(東京国際大学教授)、柏原竜一氏(情報史研究家)である。

第一次世界大戦から第二次世界大戦へ、変質した戦争

 はじめに、西尾氏は資料③の中で、世界大戦の変質について次のように概観している。

 <第一次世界大戦までの戦争は、国家同士の戦争であり、少し広げて考えても、同盟対同盟の戦争だった。今までの戦争では終末において妥協が可能だったが、今や妥協が全くない戦争が始まっている。言い換えれば戦争は国家が戦い終わった後も続く。今までの戦争と非常に違う秩序と秩序の戦いであり、総力戦だ。世界観の展開の戦いであるから、当然その根底には思想戦というものがなければならない。>

 <アメリカは第一次世界大戦においてドイツという国家を倒し、第二次世界大戦ではナチスの世界観と戦い、第三次世界大戦(米ソ冷戦)ではソ連の共産主義という思想体系と戦い、そして第四次世界大戦(現在)ではイスラムという宗教秩序と戦っている。>

日米戦争はなぜ起きたのか

 アメリカはなぜ日本と戦争をしたのだろうか。上記「思想戦」という意味において、アメリカには日本と戦う大義名分も、開戦理由もなかった。結局アメリカにとって日本が列強の仲間入りをしたこと自体が想定外であり、折あらば排除したい存在となっていたと推察される。結論を先に書けば、ルーズベルトという狂人と、それを操ったスターリンと、ルーズベルトを大統領に担ぎ上げた組織(後述)の存在がなければ太平洋戦争は起きなかった可能性が高い。

 西尾氏は次のように述べている。<多くの昭和史論者たちは、日本がアメリカを激発させ、虎の尾を踏んだというようなことを前提として議論を始めるが、そうではなく、最初からアメリカには対日攻略意図があり、どうしても譲れない国益護持の一線があり、そこを越えたら攻略すると考えていた。その一線が中国問題や満州問題だったのだ。つまりどのような道筋を辿っても、日本にとって戦争は避けられなかったのではないか。>

 また資料④の中で現代史研究会の識者はそれぞれ次のように論じている。<日米戦争は宗教戦争だった。米国が日本文明を殲滅しようと考えた背景には宗教的動機があった。簡単に言えば、先の戦争はアメリカのキリスト教原理主義と我が国の国体論の激突だった。>(西尾氏)

 <皇室を含めて日本文明を殲滅しようという壮大な戦略戦術の下にあの戦争はあったと考えられる。確かにあの戦争は宗教戦争の色彩が濃厚だが、それを「文明の衝突」と呼びたい。ユダヤ・キリスト教の「自然を征服」しようとする一神教を土台にした欧米の文明と、八百万の神々と山川草木悉皆仏性の「人間と自然が宥和」する日本文明との衝突だ。>(福地氏)

 <そもそも第二次世界大戦そのものが、宗教にも似たイデオロギーのぶつかり合った宗教戦争だったと言えなくもない。>(福井氏)

支離滅裂だったアメリカ

 結局、第一次世界大戦から第二次世界大戦を通してアメリカは覇権以外に何を得たのだろうか?「米国の行動は終始支離滅裂だった」そう断定する根拠として、福井氏は次の四点を挙げている。

・第二次世界大戦が終ったとき、アメリカは東欧を全部ソ連にタダで譲り渡している

・日本との最大の争点だった中国大陸の門戸開放・機会均等を達成できていない

・蒋介石の国民党政権に対して天真爛漫な幻想を抱き莫大な援助を行って対日戦を煽ったが、戦争末期にはデタラメな実態に愛想をつかし、今度は毛沢東を美化し始めた

・大戦後4年間(1945~1949)に及んだ中国大陸の国共内戦にも介入せずに放置して中国大陸の共産化を黙認した

ルーズベルトタブー

 <戦争をしないと公約して大統領になったルーズベルトがなぜ戦争に走ったのか。その謎解きはアメリカ人研究家の間で「ルーズベルトタブー」と呼ばれている。その結論は、ルーズベルトが国際金融巨大財閥(現在のディープステート)の使い走りをさせられていたというものだ。>(福地氏)

 <ルーズベルトはアメリカの覇権を目指したけれども、そこには親ソという矛盾があった。ルーズベルト政権の中にも「ソ連とアメリカの未来は一つだ」という考えがあった。ソ連に対しても中国に対しても全く無警戒だった。>(西尾氏)

 <米国を一つのイメージで捉えることは非常に危険である。結局米国は大統領独裁国で、日本が嫌いで中国が好きだという大統領がフランクリン・ルーズベルトだったということだ。アメリカでは既に1918年から共産主義者による情報活動が始まっていた。1920年代にはプロパガンダはアメリカ全土に広がっていて、大恐慌の時にはソ連が理想郷に見えた。ルーズベルトは中国と日本、アメリカと日本の戦争を望んでいた。>(柏原氏)

まとめ

 冒頭の図1に示したように、日本の近代史の前半は「戦争の半世紀」だった。戦争の相手国となったのは、最初に中国、次にソ連、そしてアメリカだった。そして「戦争の半世紀」は太平洋戦争の敗戦をもって終わった。「一つの戦争の終結は、次の戦争の原因になる」という、日清戦争以来続いた戦争の因果関係に、敗戦をもって終止符が打たれた。

 この半世紀の間に、世界の近代化の潮流から取り残されていた清国は崩壊して中華人民共和国が誕生し、ロシア帝国も崩壊してソヴィエト連邦が誕生した。そのソヴィエト連邦も既に分裂して存在しない。一方、明治維新とほぼ同時期に勃発した南北戦争を乗り越えたアメリカは世界の覇権国となった。

 このように日本の「戦争の半世紀」は、世界の激動の一環としての、東アジアにおける激動の中核的事件だったのである。

 私は歴史の専門家ではないし研究者でもないとお断りをした上で、太平洋戦争敗戦に至る日本の近代史について、全体像を俯瞰し歴史の真相を探究してきた。さらに「戦争の半世紀」における日本の勝利と敗北について、その結末に至った原因について考察を加えた。作業にあたって、黄文雄氏、保阪正康氏、西尾幹二氏の4つの資料を主に参照させていただいた。

 第1部、第2部、第3部と書いてきて、極めておおざっぱではあるが、明治維新以降の日本の近代史を、その背景となった激動の世界史の中で概観できたように思う。

 既に明治維新から現在まで156年が経過した。前半(明治維新~太平洋戦争敗戦)は77年、後半(敗戦~現在)は79年になる。『思考停止の80年との決別』と題して連載で書いてきた理由は、戦後約80年が経つにも拘わらず、日本は「戦争の世紀」を総括しておらず、その成功と失敗から学ぶべき教訓を明らかにしてこなかったと考えたからである。歴史を総括せずウヤムヤのまま封印してきた現状を正さない限り、日本は政治的にも経済的に現在の低迷から脱出することはできないという危機感があったからである。

 第4部では、第1部から第3部を踏まえて、『思考停止の80年との決別』を締め括りたい。

参照資料:

資料①:『日中戦争真実の歴史』、黄文雄、徳間書店、2005.7

資料②:『歴史の定説を破る』、保阪正康、朝日新書、2023.4

資料③:『憂国のリアリズム』、西尾幹二、ビジネス社、2013,7

資料④:『自ら歴史を貶める日本人』、西尾幹二と現代史研究会、徳間書店、2021.10

「思考停止の80年」との決別 第2部

(3)欧米列強の近代史俯瞰

 欧州の歴史は多くの国と民族が複雑に相互作用しながら、戦争や革命を幾度も繰り返して綴られてきた。その複雑怪奇な歴史を、二つの大きな潮流である欧州大陸国家の変遷と、大航海時代から植民地開拓競争に至る5世紀に及ぶ変遷を概観した上で俯瞰してみたい。

 第2部で参照した資料は、次のとおりである。

  ・資料①:『情報の歴史』、松岡正剛、編集工学研究所、NTT出版、2001年

  ・資料②:『自ら歴史を貶める日本人』、西尾幹二と現代史研究会、徳間書店、2021年

  ・資料③:『戦争と財政の世界史』、玉木俊明、東洋経済新聞社、2023年

欧州大陸の近代史

 はじめに、欧州の時代区分は中世、近世、近代の三つに分けられる。まず中世の欧州は、紀元476年に滅亡した西ローマ帝国を継承する形で、紀元800年にカール大帝が即位して誕生した「神聖ローマ帝国」と、各地方の領主が収める「領邦」からなる封建体制だった。そして15~16世紀前半に起きたルネサンス、宗教改革、大航海時代の幕開け以降は近世と区分され、市民革命や産業革命が始まった18~19世紀初頭以降は近代と区分されている。

 欧州の近代史を俯瞰するためには、近世から近代に流れ込む歴史の本流を理解する必要がある。はじめに近世以降の歴史の転換点となった出来事を図1に線表としてプロットしてみた。歴史の転換点になった大事件は四つある。

 <第一の事件>は1618年に起きた「三十年戦争」である。これは神聖ローマ帝国を舞台に起きたカトリック対プロテスタントの宗教戦争だった。30年に及ぶ戦争はカトリックのハプスブルク家が敗北して終結した。終結した1648年に関係国の首脳が集まって「ウェストファリア条約」が締結され、欧州大陸に新たな体制(ウェストファリア体制)が形成された。

 三十年戦争は以下に代表される大きな変化をもたらし、ウェストファリア体制の確立は欧州大陸に新たな力の均衡をもたらした。

 ①神聖ローマ帝国が瓦解し、支配下にあった諸国が独立した

 ②領地を拡大したブルボン朝フランス王国は大陸最強国家となり、神聖ローマ帝国から離脱した

 ③ドイツでは各諸侯の主権が認められ、300に及ぶ領邦国家が誕生した

 ④スウェーデンも領土を拡大して強国となり、ネーデルランド連邦共和国(オランダ)やスイス連邦が神聖ローマ帝国から独立した

 ⑤これを契機としてオランダは黄金期を迎え、イギリスが覇権を握るまでの間、欧州海運の主導権を握った

 ⑥この条約の成立によって、教皇や皇帝という超国家的な権威が欧州を単一のものとして統治する体制が消滅した

 <第二の事件>は1756~63年に起きた「七年戦争」である。戦争の発端は神聖ローマ帝国の瓦解によって失った領土をプロイセン王国から取り戻すことを目論んでハプスブルク家が仕掛けたものだった。ここにイギリスとフランスによる植民地開拓の主導権争いが加わって、欧州の広域で大戦争が展開された。

 <第三の事件>はルイ16世の治世下の1789年に起きた「フランス革命」であり、ウェストファリア体制を揺るがす大事件となった。1792~1802年にはフランス革命を巡ってフランスと欧州諸国との間で戦争が勃発した。フランス革命に対して諸国が干渉する形で起きた戦争だったが、フランスは戦争に勝利して共和制となった新政府を国際的に承認させることに成功した。

 そして1804~1815年に「ナポレオン戦争」が起きた。ナポレオン・ボナパルトはフランス軍を率いて一時欧州の大半を征服したが、スペイン独立戦争とロシア遠征で敗退し、ワーテルローの戦いで決定的な敗北を喫して、1815年に戦争は終結しナポレオンは失脚した。

 ナポレオン軍が圧倒的な強さを見せた理由は、ナポレオン戦争以前の欧州諸国の軍隊が傭兵主体だったのに対して、フランス軍は革命で実現した共和国の防衛意識に燃えた国民軍だったことにある。軍隊も大規模化して、七年戦争期には20万人を超える軍隊をもつ国は僅かだったが、フランス軍は150万人規模になり、ナポレオン戦争期には300万人に達したという。

 1815年にナポレオン戦争後の秩序形成をテーマとして「ウィーン会議」が開催された。オスマントルコを除く全欧州諸国が結集した。「会議は踊る」と揶揄されたように会議は遅々として進展しなかったが、最終的に「基本的に1792年以前の体制に回帰する」という合意に達した。こうして作られた王政復古の体制を「ウィーン体制」と呼ぶ。

 こうして平穏を取り戻したかに見えた欧州だったが、<第四の事件>が1848年に市民革命の連鎖という形で起きた。まず多数の王国や公国が割拠し、復古体制に対する民衆の不満が高まっていたイタリアのシチリアで、1月に王国からの分離独立と憲法制定を要求する暴動が起きた。これは「一月革命」と呼ばれイタリア各地へ伝搬した。

 そして2月にはフランスで、政府が政治集会に対する解散命令を出したことを契機に、これに激怒した労働者・農民・学生によるデモやストライキが起きた。翌日首相が辞任し、2日後には武装蜂起が起きて国王が退位する事態に発展した。このフランスの「二月革命」はオーストリア帝国、ハンガリー王国、ボヘミア王国、プロイセン王国へと拡大し、欧州諸国に伝搬していった。

 こうしてウィーン体制は崩壊した。1871年にはドイツ帝国が誕生し、フランスは1874年に三度目の共和制に移行した。

大航海時代から植民地開拓へ

 15世紀から始まった「大航海時代」が世界の近世・近代史に与えた影響は、次の三点に要約できる。第一は大陸を結ぶ海上航路の開拓であり、第二は大陸間の貿易と人の交流(奴隷を含む)であり、そして第三は世界の植民地化である。

 図2に大航海時代における歴史の転換点となった出来事を図解して示した。図から一目瞭然のように、大航海時代の第1陣の主役はポルトガルとスペインだった。1世紀以上遅れてイギリス、フランス、オランダ他が第2陣として登場した。

 ポルトガルはまずアフリカ航路とインド航路(東回り)を開拓した。次にスペインが西回りでアメリカ大陸への航路を開拓した。15~16世紀はポルトガルとスペインの独壇場だった。第2陣が第1陣に大きく遅れた理由は、国が安定しておらず外に向かう体制が整わなかったからだった。

 日本に最初にやってきたのは1543年に種子島に漂着したポルトガル人だった。このとき鉄砲に注目した西村時貫が火縄銃2丁を買い求め、家臣に火薬の調合を学ばせると同時に刀鍛冶を集めて数十挺の複製を造り、さらに堺の商人もやってきて、日本は数年で銃の製法を学び取ったと言われる。織田信長が天下を統一したのは1573年であり、1575年の長篠の戦いで織田・徳川連合軍が武田勢を迎え撃ったときに、織田勢は鉄砲三千挺を用意して新戦法三段撃ちを行ったと言われる。

 1550年にはイエズス会の宣教師だったスペインのフランシスコ・ザビエルがやってきて山口で布教を始めている。1600年にはオランダ船リーフデ号で豊後の黒島に漂着したイギリス人ウィリアム・アダムズは家康に謁見し、引き留められて家康に世界情勢を伝えている。1603年には徳川家康が江戸幕府を開いたが、1609年には平戸に商館を建ててオランダに通商許可を与えている。

 このように戦国時代から江戸幕府成立の時期に、大航海時代の第1波が日本に到達したのだった。

イギリスの近代史

 欧州列強の中でイギリスは他の諸国とは異なる変遷を経て、しかも他国よりも早く近代国家を実現している。イギリスの変遷には三つの大きな出来事があった。第一は早い段階での立憲君主制の確立であり、第二は大英帝国の成立であり、そして第三は海洋開発と産業振興の推進である。図3にイギリスの近世以降の歴史の転換点となった出来事を図解して示した。

 イギリスは1642年の清教徒革命、1649年のクロムウェルによる共和制、1688年の名誉革命を経て、世界に先駆けて立憲君主制を確立した。イギリスと対照的に、大陸諸国が王政、帝政、共和政の間で揺れ動いて戦争と革命を繰り返して、最終的に議会制民主主義を基本とする国家体制を築いたのは、1848年に起きた欧州革命以降のことである。イギリスは国家の骨格を固めるのが他の欧州国家よりも160年も早かったことに注目すべきである。

 イギリスの場合、大陸国家と国境を持たないことが幸いしている。大陸国家が周辺国との領土紛争に明け暮れて、国境を画定するのに数世紀もの歳月を要したのに対して、イギリスは近代以前の三つの王国(イングランド、スコットランド、アイルランド)が統合してできた。1707年にまずイングランドとスコットランドが統合して大ブリテン王国となり、1801年にはアイルランドが加わって大英帝国の枠組みが完成している。

 欧米列強による植民地開拓競争の結果は、1936年の時点で世界の全植民地の約6割をイギリス、ロシア、フランス、アメリカの四ヵ国が所有していて、イギリスはトップで約27%だった。植民地開拓競争でイギリスが最強の地位を獲得した理由は何だったのか。三つの理由が考えられる。

 第一は清教徒革命では軍人として戦い、イングランド共和国の護国卿となったオリバー・クロムウェルが1651年に航海法を制定し、海運業、造船を国策として推進したことである。イギリス以前に欧州の海運を制していたのはオランダで、当時オランダは欧州の船舶の1/3~1/2を支配していたが、その主役は商人だった。それを国家が推進するシステムに転換することで、イギリスはオランダを駆逐して欧州物流を掌握したのである。

 第二は世界に先駆けて1768年から産業革命がイギリスで始まったことである。19世紀は「蒸気の時代」と呼ばれ、20世紀初頭には世界の船舶の半分(トン数ベース)がイギリス製になった。

 第三は海上輸送の保険をビジネスとする保険会社ロイズの登場と、イギリスが世界の電信の大半を敷設したことである。当時、電信のインフラは海底ケーブルの敷設を含めて民間には手に負えない国家事業だった。しかも海底ケーブルの敷設には蒸気船が不可欠だった。イギリスはこうして、現代で言えば通信と情報、通信サービスとその決済システムを国家事業として推進したのだった。(参照:資料③)

アメリカの近代史

 次にアメリカの近世以降の歴史の転換点となった出来事を図解して図4に示す。図から読み取れるように大事件は三つある。第一は欧州からの入植、第二は独立戦争、第三は南北戦争である。

 「大航海時代」の潮流が北米大陸に到達し、17世紀初頭に欧州諸国から北米大陸の東海岸への入植が始まった。具体例を挙げると、1606年にイギリスからバージニア州のジェームズタウンへ、1608年にはフランスからカナダのケベック州へ、そして1620~91年にはイギリスからニューイングランド(現在のボストン周辺)へ大規模な入植が行われた。

 前述したように、1756~63年に欧州で七年戦争が起きた。この戦争には神聖ローマ帝国の領地を巡る戦争の他に、イギリスとフランスが戦った植民地開拓の主導権争いが含まれている。後者の戦場は北米大陸に飛び火して、「フレンチ・インディアン戦争」が起きた。つまりフランス軍とフランスに味方したインディアンを相手としてイギリス軍が戦った戦争である。イギリスが勝利してイギリスが北米大陸の主要な植民地を管理下においた。

 こうして北米大陸における対立はアメリカ対イギリスの構図になっていった。1773年にボストンの急進派がイギリスに対する抗議として、停泊中の船舶から積荷の茶箱を海に大量投棄するという「ボストン茶会事件」が起きた。この2年後にはボストン近郊のレキシントンとコンコードで戦闘が起きて、アメリカ独立戦争の幕が開いた。

 1775~83年にアメリカ独立戦争が起きた。1776年7月4日には北米の13州が独立を宣言してアメリカ合衆国が誕生し、1783年のパリ条約で、大英帝国はアメリカの独立を承認した。ちなみにジョージ・ワシントンが最初の大統領選挙によって初代大統領に就任したのは1789年のことである。

 1823年になると第5代大統領ジェームズ・モンローが、アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱している。アメリカの「モンロー主義」は現在においても世界の出来事にアメリカは関与しないという場面で繰り返し登場している。

 そして1861~65年に南北戦争が起きた。独立した南部11州と残留した北部23州が戦った内戦であり、双方合わせて戦死者20万人、総死者65万人に及ぶ途方もない損害を出して戦争は終結した。

 独立宣言以降、1791年から1959年に至る168年の間に、アメリカ合衆国はバーモント州(14番目)からハワイ州(50番目)に至るまで、新たな州を一つずつ加える形で領土を拡大していった。その中にはロシアから購入したアラスカも含まれている。そして1890年以降にアメリカは帝国主義となった。

ロシアの近代史

 最後にロシアの近世以降の歴史の転換点となった出来事を図解して図5に示す。17世紀初頭にロシアには「ツアーリ」と呼ぶ国王が統治する国家が存在した。ミハイル・ロマノフが1613年にロシア国のツァーリに即位し、ロマノフ朝が成立した。1682年に即位したミハイルの孫にあたるピョートル1世は西洋化・近代化を急速に進めて、1721年にはピョートル大帝を名乗りロシア帝国が誕生した。ロシア帝国は勢力を欧州から沿海州まで拡大して欧米列強と肩を並ぶ存在となり、1917年にロシア革命によって滅ぶまで続いた。

 マルクスに言及せずにロシアの近代史を論じることはできないだろう。欧州で市民革命が相次いだ1848年に、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが共同で書籍『共産党宣言』を発表した。マルクスは人類の歴史は領主対農奴、資本家対労働者などの階級闘争の歴史であるとし、プロレタリアート(労働者)がブルジョワジー(資産階級)から政治権力を奪取し、生産手段などの資本を社会の共有資産に変えることによって社会が発展し、階級が消滅する共同社会が訪れると考えた。

 日露戦争が起きた20世紀初頭、ロシアは帝国だった。日露戦争で日本に敗れ、第一次世界大戦でドイツに対し劣勢となるにつれて、ロシア国内では労働者のデモやストが起きて革命の機運が高まった。

 当時革命を目論む集団が二つ存在していた。一つは穏健な民主主義的革命を目指した社会主義右派の「メンシェヴィキ」で、他一つは軍事革命を目指したウラジーミル・レーニンが率いた「ボリシェヴィキ」である。1917年に起きた二つの革命を経てボリシェヴィキが優勢になり、1922年には人類史上初の社会主義国家となるソヴィエト社会主義共和国連邦が樹立された。

 マルクス主義では、労働者階級による共産主義革命と資本主義の廃止は、世界規模で起きる歴史的必然であると考えられていた。それを踏まえてレーニンはロシア革命を「世界革命の一環」と位置付けたが、他の欧州諸国では革命は起きなかった。このため世界における共産主義革命をどこまで追求するかが論点となり、最終的にスターリンが主張した「一国社会主義論」に収束していった。

 結局ソヴィエト型の社会主義は世界に波及せず、ソ連はアメリカとの軍拡競争についてゆけずに1991年に崩壊した。ソ連はロシア連邦を含む15ヵ国に分裂し、それぞれが独立して今日に至っている。2022年2月にプーチン大統領がウクライナに軍事侵攻した遠因として、ソ連崩壊時のウクライナとの関係があることは言うまでもない。 

(4)近代史における欧米列強と日本の相互作用

 以上、歴史の本流を辿りながら、極めて簡潔に欧米列強の近代史を概観してきたが、ここからはその理解を踏まえて、欧米列強と日本との近代史における相互作用について考えてみたい。

近代国家の成立

 まず始めに、欧米列強5ヵ国と日本が近代国家となった時期を比較してみよう。時系列に並べると、イギリス統合が1801年、アメリカ南北戦争終結が1865年、明治維新が1868年、ドイツ帝国の誕生が1871年、フランス共和国の誕生は1874年だった。そしてソヴィエト社会主義共和国連邦は1922年に誕生した。 イギリスが一足早く、ロシアは一足遅かったが、アメリカ・日本・ドイツ・フランスは19世紀後半に近代国家となった。日本は江戸時代が長く、しかも鎖国をしていたので、欧米列強よりも遅れて近代国家の仲間入りをした感があるが、イギリスとロシアを除く他の諸国と殆ど同時期に近代国家となったのだった。

大航海時代が日本に与えた影響

 既に述べたように、大航海時代が世界の近世・近代史に与えた大きな影響は、第一に大陸間航路の開拓、第二に大陸間の貿易と人の交流、第三に世界の植民地化だった。その中で大航海時代が日本の近代史に与えた影響は三点に要約できる。第一は鉄砲伝来、第二はキリスト教の布教、そして第三は明治維新と文明開化の促進である。

 既に述べたように、1544年に種子島に火縄銃が伝来した事件は、織田信長の天下統一に大きな影響を与えた。しかも鉄砲伝来から僅か数年の内に日本は鉄砲を量産していた。こうして第1陣として日本にやってきた宣教師たちは、日本を植民地化することを早い段階で諦めたのだった。

 そして第2陣が日本にやってきたのは幕末だった。1840年に起きたアヘン戦争が警鐘となって討幕運動に火がついて、日本は一気呵成に明治維新を推し進めた。

日本とイギリスの類似性と対照性

 ここで日本とイギリスの類似性を見ておきたい。両国はユーラシア大陸の両端に位置する島国であり、共に立憲君主制の議会制民主主義国家である。イギリスで立憲君主制が確定したのは1688年の名誉革命であり、一方日本では歴史の初めから「万世一系の天皇制」であり、最初の憲法は604年に聖徳太子が定めた「十七条の憲法」である。

 単純に比較することはできないが、立憲君主制の成立は日本の方が約1,000年も早いという解釈も成り立つ。ちなみにイギリスの最古の憲法は1225年に改正されたマグナ・カルタであり、その一部は現在のイギリスにおいても憲法を構成する法典の一つを成している。

 鎌倉時代以降明治維新に至るまで、日本は天皇の権威のもとに武士が政治を行う封建社会だった。一方イギリスは国王のもとに国が統一されるまでは地方領主が統治する多数の領邦から構成される国だった。日本が君主中心ではなく議会中心の立憲君主制となったのは1868年の明治維新であり、イギリスが180年程先行していたことになる。

 一方、国家が統一されたのは日本では1603年の江戸幕府誕生であり、戦国時代に信長、秀吉、家康がそれぞれの役割を果たしてバトンを渡し、比較的短期間で天下統一が成し遂げられた。一方イギリスでは1801年に大ブリテン王国にアイルランドが加わった時に国家が統一されており、日本が約200年先行したことになる。

 また両国は共に近代化の前に封建制を経験しており、武士道と騎士道という文化の共通性もある。このように、大陸の両端の島国である日本とイギリスには、他のどの国よりも類似点が多い。地理的な立地条件が同じことがその類似性の背景にあるように思われる。

 一方で日本とイギリスが対照的であるのは、イギリスが世界に打って出て欧州列強との間で戦争を繰り返し、海上の覇権を争った末に世界最強の海洋国家となったのに対して、日本は来航した欧米列強の圧力に対し必死に防戦する過程で列強の仲間入りを果たしたことである。

 この対照性はどうして生まれたのだろうか。理由の一つは周辺国との関係にある。イギリスが強力な大陸国家と近代化を競いつつ発展してきたのに対して、日本の隣国である中国と朝鮮は、日本が必死に明治維新を成し遂げた1868年時点においても、欧米列強による植民地化という危機に対して、近代化から取り残されたままだったのである。

 第三部で詳しく述べるが、この事実が日本が大東亜戦争へ突入していった大きな原因となったのだった。

日本とアメリカの類似性と対照性

 ペリー率いる船団が日本に来航したのは南北戦争の直前であり、明治維新が起きたのは南北戦争直後だった。日米両国には、ほぼ同時期に内戦を経て近代国家となったという類似性がある。

 一方、対照的な事実は二つある。第一は日本が単一民族による国家であるのに対して、アメリカは欧米列強からの移民が移住して建国された点だ。言い換えると、単一性と多様性という点で日米は対照的であり、これは現在にも当てはまる。

 第二は内戦における戦死者の数である。アメリカは南北戦争で戦死者20万人の犠牲を出したのに対して、日本では戊辰戦争の総死者は両軍合わせて約8千人強だった。同じ内戦でありながら戦死者に25倍の開きがあるのは尋常ではない。

 一体その違いはどこから生まれたのだろうか。それを考えるヒントが戦争に対する両国の立ち位置の違いにあるように思える。日本は太平洋戦争での敗戦以降は如何なる戦争にも直接的に関与しなかったが、アメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争など、世界の各地で間断なく戦争に関与してきた。 ここで「アメリカは覇権国だから当然だ」という解釈は、原因と結果を取り違えているように思える。むしろアメリカがDNAとして内面に保有する資質が、アメリカを覇権国にしたと考える方が真実に近いのではないだろうか。

日本がロシアに与えた影響

 既に述べたように、日露戦争は日英同盟対露仏同盟の戦いだった。日英同盟を結んだイギリスの狙いは、ボーア戦争に多くの資源を投入せざるを得なかった状況下で、露仏同盟、特にロシアに対抗する手段として日本を利用することにあった。結果論になるが、日本はイギリスの代理戦争としてロシアと戦争を行ったことになる。

 そして日露戦争に勝利したことで、日本は欧米列強のパワーゲームに否応なしに巻き込まれていった。日露戦争における勝利が世界の近代史に及ぼした影響について、資料②は次のように論じている。

≪日本は日清戦争の時代から国際秩序に大きな影響を与えていた。二十世紀を動かした大きな要因の一つが、日露戦争における日本の勝利だった。問題は(国際情勢に与えた)日露戦争の影響について、日本自身が正確に評価できなかったことだ。≫

≪日本がギリギリのところで勝利を収めると、イギリスはインドを確保できて安堵し、ドイツやオーストリアは弱体化したロシアを横目で睨みつつ、バルカン半島への圧力を一層強めていった。その帰結が英仏ロと独オーストリアとが雌雄を決した第一世界大戦だった。≫

≪日露戦争は、第一次世界大戦を引き起こしたと同時に、ロシア革命も引き起こした。二十世紀を動かしたのは日露戦争だと言っても過言ではない。≫

エピローグ

 複雑怪奇な国際情勢を、極めて単純化して俯瞰し、近代史における日本と欧米列強との相互作用について考察を加えてきた。専門家から見れば、極めて荒っぽいと批判されるかもしれない。しかし本資では歴史の正確さよりも大きな流れを捉えることを重要視したので、ご容赦願いたい。第三部では、近代史の後半として、世界大戦期の日本と欧米列強との相互作用について考察を加えたい。

「思考停止の80年」との決別 第1部

(1)歴史を総括するということ

秩序崩壊しつつある国際情勢

 戦後国際社会の秩序を維持してきた枠組みが、ロシアによるウクライナ軍事侵攻によって瓦解しつつある。ウクライナ戦争がどういう形で終結するのか、現時点では何も予測できない。また中国経済が失速しており、今後社会の混乱がどこまで拡大するか、さらに台湾有事がどうなるか、これも予測できない。

 但し確実なことが一つある。それはウクライナ戦争を契機としてアメリカの弱体化が加速していることだ。それを象徴する事件がアメリカがロシアに対して科した制裁である。アメリカはロシアに対してドル決済を制限する制裁を科したが、ロシアはドルに依存しない二国間決済を拡大して対抗した。ロシアの動きに同調するように、BRICSやグローバルサウス諸国はドルに依存しない貿易決済を拡大しつつあり、制裁はドル覇権が揺らぐ結果を招いたのである。

 この国際情勢の変化は、日本に二つの課題を突き付けている。一つは、戦後ずっと日本は安全保障の要衝部分を「アメリカの傘」に依存してきたのだが、それを再検証する必要が出てきたことだ。他一つはこれから国際秩序をどうやって回復させるのか、そのために日本はどのような役割を果たすのかだ。

 戦後の日米関係は、安全保障の機能の内、核抑止と攻撃をアメリカに委ねて、日本は専守防衛に徹するという取り決めで維持されてきた。一方ウクライナ戦争ではアメリカはロシアとの直接衝突を避けて、ウクライナに対し武器を供与しただけで米軍を動員しなかった。このため、極東有事においてもアメリカは中国との直接衝突を避けて同様の対応をとるのではないかという疑念が生まれた。それは日本が前提としてきた「日本は専守防衛で攻撃はアメリカの役割」という前提が崩れることを意味している。

 有事に備える根本が最悪の事態に備えることであるとすれば、アメリカ依存を局限化し、基本的に自己完結で対処できる体制に大急ぎで転換しなければならない。何故ならアメリカが世界に冠たる1強だった時代が終ろうとしているからであり、過渡なアメリカ依存はむしろ危険な時代となったからだ。

 ウクライナ戦争では、安全保障理事会の常任理事国であるロシアが軍事侵攻の当事国だったため、ロシアの拒否権発動によって何も決められない事態を招いた。もしウクライナ戦争がロシア敗退の形で終結しなければ、国際秩序を無視したロシアの行動が既成事実として残ってしまうだろう。そうなれば同じく常任理事国である中国もまた、ロシアと同様の行動をとるのではないかという疑念が高まり、国際秩序のスキームが崩壊してしまうだろう。この危機に臨んで、国際秩序を再構築するために、日本の役割は何か、アメリカをどう補完するのか、日米関係はどうあるべきかについて、未来の姿を本気で考えなければならなくなったのである。

戦争の総括

 日本は太平洋戦争の敗戦を総括しないまま現在に至っている。敗戦後に「戦争の総括」に着手できなかったのはGHQによる占領体制があったからだ。しかし1951年9月8日にサンフランシスコ平和条約が締結され、国会承認を経て1952年4月28日に公布されて、GHQによる占領体制は終了した。それから現在まで72年の歳月が流れたが、戦争の総括は未完のままである。

 占領体制は現在でも随所に残っている。余りにも現代の日本社会と一体化しているために、大半の日本人は気付いてさえいない。一例を挙げると、米軍横田基地周辺の空域は今でも米軍の管制下にあり、羽田空港を離発着する航空機は、横田空域を避けて飛ぶことを余儀なくされている。首都に米軍基地があり、世界でも超過密な羽田空港の周辺空域に、日本の航空管制権が及ばない横田基地という治外法権の空域が存在する現実は異常という他ない。

 かつて石原慎太郎都知事が精力的に取り組んだことがあったが、具体的な進展はなかった。また明治の時代に不平等条約と呼ばれた、『安政の五ヶ国条約』(領事裁判権、関税自主権)は、明治政府が周到で粘り強い手順を踏んで改定されたが、米英露仏蘭の五ヶ国と条約が締結されたのは明治維新10年前の1858年であり、それから領事裁判権を撤廃するまでに36年、関税自主権に至っては53年もの歳月を要している。

 サンフランシスコ平和条約から既に73年が経過しているが、日米同盟に係る不平等な取り決めは未だに撤廃されていない。これは日本側が精力的に行動しない限り一歩も進まない問題であり、政治家の不作為に他ならない。

 日本は太平洋戦争の敗戦という歴史的重大事件を総括し、教訓を明らかにして、それを現在の政治に活用するという当たり前のことができていない。GHQが去った後も現在に至るまで「GHQの洗脳」を受けた日本人が多く存在する。一例を挙げると、天皇陛下や総理大臣が靖国神社を参拝することに反対のキャンペーンを張る団体やマスコミが存在する。国家元首が戦争の犠牲者となった戦没者を慰霊することはどこの国においても至極当然の行為である筈だが、日本ではその論理が今でも通らない。これも異常という他ない。

 安倍元総理が言及していた「戦後レジームからの脱却」という言葉には、狭義と広義さまざまな解釈があるに違いない。いずれにせよ今も残る占領の遺構と洗脳を一掃して、真に独立した日本に相応しい、かつ現代社会に適合するものに作り換えない限り、「アメリカ弱体化の時代」に起きる危機に対処することは困難になるだろう。具体的には、占領政策によって作られた戦後体制、安全保障条約や地位協定などの日米同盟に係る取り決め、GHQが悪意をもって作り日本に押し付けた憲法、国内に多くある米軍基地、日本の文化・学校教育や精神に与えた影響などだ。

近代史を総括するということ

 歴史を総括することは容易ではない。日本の近代史を総括しようと思えば、図に示すように、時間軸での過去との因果関係、空間軸での国際社会との相互作用を考慮しなければならない。

 明治維新以降の近代史を論じるためには、幕末以前の歴史と明治以降の出来事との因果関係と、日本人が継承してきた資質や文化を境界条件とし、当時の国際社会との間で繰り広げられた相互作用を解読しなければならない。また当時の国際社会もまた歴史との因果関係の結果として存在していたことを無視することはできない。

 歴史の総括は本来歴史家の仕事である。私は専門家でも研究者でもないとお断りした上で、現在のリアルポリティクスを考えるために、可能な限りその全体像と変化を見る視点から、日本の近代史を俯瞰的に捉えてみたい。激変する国際情勢の中で、日本がどこに立ち、どこに向かうべきかを考えるためには、どうしても日本の近代史の総括が避けて通れないのである。

 総括するにあたって参照した資料は次の二つである。

   資料①:『憂国のリアリズム』、西尾幹二、ビジネス社,2013年

   資料②:『自ら歴史を貶める日本人』、西尾幹二と現代史研究会、徳間書店、2021年

高い視座からの俯瞰

 本題に入る前に、視座について触れておきたい。そもそも人類は宇宙船地球号の表面で活動している誠にちっぽけな存在に過ぎない。簡単な数値をもとに、その現実をイメージしてみたい。地球は秒速460m(赤道上)、つまり音速の2倍で自転しながら、秒速30kmで太陽の周りを公転している。さらに太陽系は秒速230kmで銀河系の淵を周回し、銀河系は秒速600kmで宇宙空間を飛翔している。ちなみに音速は秒速340m(気温15℃)である。

 我々人類は、この途方もない超高速で宇宙空間を飛翔する宇宙船地球号の表面で右往左往している存在に過ぎない。如何なる問題も、一度この認識に立って全体を捉え直すのがいい。何故なら、どれほど大きな問題だと思えるものも、なんと小さなことかと俯瞰して捉えることができるからだ。

 万物は流転するというが、日本も世界も地球さえも休まずに変化している。時間とは諸事が物理的に変化することと同義であり、歴史とは変化の軌跡が綴られた記録である。そして現在とは過去からの因果関係の連鎖の結果として存在し、今まさに変化が起きている現場に他ならない。歴史を総括するためには、この「時間、歴史、そして現在」という概念を念頭において考えるのがいい。何故なら観測者としての自分の視座を、観測される舞台から遠く離れたところにおくことによって、状況をより客観的に認識することができるからである。

 歴史は時間と空間を二軸とする座標系で、連続した変化として綴られている記録であるから、そこから特定の部分を切り取って論じることは意味がない。日本の近代は明治維新から始まったが、だからと言って時間軸で1868年以降を切り取り、空間軸で世界の中から日本だけを切り取って幾ら眺めてみても、本質は何も分からない。

近代史を俯瞰するにあたって

 日本の近代史は王政復古と文明開化を同時に成し遂げた明治維新に始まる。さらに日本の近代史を揺るがした大事件は、明治維新、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争の4つである。そして明治維新(1868年)から日露戦争(1904年~1905年)を経て太平洋戦争(1941年~1945年)までを近代史の前半、太平洋戦争から現在までを後半と括ることとする。

 近代史の前半は、司馬遼太郎が描いた物語に象徴されるように、ひたすら困難な坂を登って歴史的かつ世界的な勝利を勝ち取った明るい時代であり、後半は敗戦とGHQによる占領という苦難と屈辱から始まった時代である。そして、近代史の前半と後半の間には「明から暗に」変化する大きな屈折点が存在している。

 もう一つ近代史を俯瞰するにあたって注目すべきことがある。それは日露戦争に勝利して列強の仲間入りを果たしたところまでの成功物語の裏面で展開された欧米列強との相互作用に関する部分こそが重要だということだ。何故なら、その中にこそ近代史後半の失敗の原因が隠れているからである。特に、欧米列強の歴史、その背景にある宗教の影響と、思考と行動様式についての分析と洞察が重要となる。

 ところで我々日本人は、この近代史をどのように理解しているだろうか。ワイングラスを片手に、国際的な懇親の場に参加している場面を想定して欲しい。語学力の問題が全くないと仮定する時、我々は日本の近代史を外国人に対してどのように語ることができるだろうか。堂々と歴史を語る知見を我々は持ち合わせているだろうか。そのことについて学校で習ったことはあっただろうか。或いはその近代史を一遍の物語として記述している本はあるだろうか。

 残念ながら、答えは何れもネガティブであるだろう。占領の遺構と洗脳が一掃されないまま、78年間「ダチョウの平和」の戦後が綴られて、近代史の総括は現在まで棚上げされてきたからだ。

 未来を展望するためには、人類の近代史の中で日本はどこに立ち、如何なる役割を演じてきたのか、それは正しかったのか、もし正しくないとすればどこが誤ったのか、何故誤ったのか、ではどうすべきだったのかについて、全体像を巨視的に把握することがどうしても必要となる。過去を総括することなしに、また過去から教訓を学び取らずに、これからの進路を見定めることはできないからだ。

(2)「思考停止の80年」

日本民族・文明の根幹に係る問題

 日本は戦後78年を「ダチョウの平和」でやり過ごしてきた。近代史を総括してこなかった事実から、これを「思考停止の80年」と呼ぶことにする。「失われた30年」は経済の問題だったが、「思考停止の80年」は日本民族・文明の根幹に係る問題である。そして言うまでもなく、思考停止の起源は太平洋戦争の敗戦にある。

 この資料では、大東亜戦争と太平洋戦争という用語を使い分けている。「大東亜」という呼称については、戦前の昭和の、日本思想界の象徴的存在だった大川周明氏が、昭和14年に書いた著書「日本二千六百年史」の末尾に、次のように説明しているので引用する。

 ≪日本出兵の目的は、畏くも昭和12年9月4日の勅語に煥乎たる如く、一に中華民国の反省を促し、速に東亜の平和を確立せんとする。・・・東亜新秩序の建設を実現するために、獅子奮迅の努力を長期にわたりて持続する覚悟を抱かねばならぬ。東亜新秩序の確立は、やがて全アジア復興の魁である。全アジア復興は、取りも直さず世界維新の実現である。≫

 これに対して太平洋戦争という呼称は、文字どおりアメリカが仕組み、日本が追い詰められるように突入していった、太平洋を舞台として日米が衝突した戦争をいう。

思考停止の起源

 「思考停止の80年」を論じる上で、無視できないことが一つある。それは広島にある「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれている原爆記念碑である。私には、この碑文は「思考停止」を肯定し助長する碑としか読めない。何故なら「繰り返しませぬ」の主語が誰なのか、「過ち」とは何を意味するのか、敢えて曖昧にしているからである。そうすることで読み手に考えさせる狙いがあると言えばそれまでだが、原爆投下とさらにはあの戦争について、誰に何の誤りがあったのかをウヤムヤにし、戦争の教訓をウヤムヤにしてしまうという意味で決定的に間違っていると思うのである。

 それだけではない。この碑文は、アメリカが実行した民間人を標的とした原爆投下という非人道的な重大犯罪に対して、「黙して追及せず」という形で封印する札になっていることを指摘しておきたい。

 電気通信大学名誉教授の西尾幹二氏は、資料①の中で、次のように想いを語っている。

≪そもそも原爆を落とされた国が落とした国に向かって縋りついて生きている、こんな妙な構図がいつまで続くのであろうか。世界が首をかしげ理解できなくても、この病理にどっぷり浸かってしまっていて、苦痛にも思わなくなっている、この日本人の姿を、痛さとして自覚し、はっきり知ることがすべての出発点、何とかして立ち上がる出発点ではないかと思うのである。≫

今も残る占領体制

 『日本を取り戻す千載一遇の好機到来』で述べたように、現在の日本にはGHQの占領政策に起因する、凡そ独立国とは言えない不合理な遺構が随所に残っている。この事実から日本の現状は未だアメリカの占領下にあると断言せざるを得ないのだ。

 エドワード・ルトワックがウクライナ戦争に対し支援疲れに陥っているヨーロッパの現状を憂いて、「戦う文化」を喪失していると指摘している。他国の理不尽な振る舞いに対して敢然と立ち向かう意思を、日本人は敗戦と同時に喪失して現在に至っている。

 占領の遺構の例を挙げれば、必要と思われる以上に多くの米軍基地があること、不平等な日米地位協定が残っていること、思いやり予算の存在、横田基地との関係から羽田空港周辺に日本の管制権が及ばない空域が存在すること、アメリカ従属の外交政策等、広範囲に及んでいる。

 昭和20年9月にトルーマン大統領からマッカーサー連合軍司令官に対して『降伏後における米国の初期の対日方針』が示された。そこには「究極の目的」として、「日本が再び米国の脅威となり、または世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」と明記されているという。

 誠に残念なことだが、この占領政策が暗雲のように戦後78年間日本を覆ってきた。何故未だに一掃できないのか。その原因は米国による占領政策が巧妙だったこともあるが、それだけでない。日本人自身が近代史を総括せず、暗雲を一掃する「戦う」行動を起こしてこなかったからだ。現代の日本人は日露戦争までは確かにあった武士道精神を喪失しているという他ない。

占領政策の呪縛からの開放

 西尾幹二氏は資料①で、「アメリカは欧米の暗い過去を隠すため、GHQの占領政策の中で『侵略したのは日本だ』というすり替えを行った。問題は、意図的に仕組まれた占領政策の呪縛から日本が未だに脱することができていないことだ。いい加減でこの状況から抜け出さない限り、日本という国家はいずれ消滅してしまう。」と警告している。

 戦後の日本人は、この事実を正しく認識せずに、「日本が悪うございました」と頭を垂れたまま78年が過ぎた。先に、広島原爆記念碑の碑文に対し異議を唱えたが、その理由はもう一つある。それは広島を訪れる多くの日本人に対し「この戦争の責任は戦争を始めた日本にある」と、さりげなくも巧妙に洗脳していると思うからである。極めて有害な碑と言わざるを得ない。

 高知大学名誉教授の福地惇氏は資料②で、「遅きに失した感があるが、ある目的のために歪められた歴史観を正道に糺さずしては、日本民族が独立主権国家として21世紀を毅然と生き抜くことはできないと、強く危惧せざるを得ない。」と指摘する。

 敗戦後、日本はいわゆる「空想的平和主義」に立ち、経済優先でやってきた。周囲のロシア、中国、そして北朝鮮までもが核兵器や長射程ミサイルを保有してきた現実には目をつむって、非核三原則の堅持を唱え、自衛隊が攻撃手段を持つことに頑迷に反対してきた。日本が性善説に立って物事を眺めようとする平和志向の民族であることは是非もないが、ロシアも中国も北朝鮮も、善意が通じる相手でないことは明らかだ。こうして相手には悪意があり、日本は善意に立つという矛盾に直面して、その先を理詰めで考えることを放棄する「思考停止」状態に陥ったと考えられる。

 しかし世界情勢は激変した。長期的な動向としてアメリカが弱体化の方向にある現在、このまま思考停止を続けることは致命的に危険であると認識を新たにしなければならない。日本は明治維新から戦後に至る近代史の全体の流れを、先入観に囚われることなく、客観的に総括することによって、占領の呪縛を解き放たなければならない。

日本を取り戻す千載一遇の好機到来

 アメリカ大統領選は、共和党の予備選挙で既にトランプ元大統領が33州の内31州で勝利して指名を獲得した。ロバード・ケネディ・ジュニア氏が無所属で出馬して3月26日に副大統領候補を発表するというニュースがあり、波乱要因となる可能性があるが、実質トランプ対バイデンの一騎打ちの構図となりそうだ。

トランプ第2次政権の政策

 3月22日の産経新聞紙面に、トランプ陣営の政策研究機関である「米国第一政策研究所(AFPI)」で外交政策を統括するフレッド・フライツ氏に対する古森義久氏のインタビュー記事が掲載された。トランプ第2次政権が誕生すれば、フライツ氏は安全保障政策を担う政権の要職に就任する可能性が高い。はじめに発言の要点を以下に紹介する。

安全保障政策全般

 トランプ氏の安全保障政策は「力による平和」であり、抑止のための軍事力の選別的な行使だ。軍事力の行使には慎重に同盟諸国と協力するが、同盟国側にも相当の役割を期待する。「強い米国」の再現を目指し、国防予算を大幅に増加すると同時に、同盟諸国の防衛負担を求める。

アジア太平洋政策

 トランプ次期政権はバイデン政権が軽視してきたアジア太平洋への政策を再強化する。中国を米国にとって最大の脅威であるとみなし、十分な軍事抑止力の保持と対話の両面の姿勢をとり、台湾への攻撃を抑制する方針だ。バイデン政権が放置してきた北朝鮮の核やミサイルの増強に対しては、軍事オプションを含めて強固な措置をとる。ロシアへの兵器供与を止め、一時は合意した核開発の停止を履行させる。

対日認識

 米国益優先という米国第一外交にとっても、アジア全域での経済や安保面の利益保持には日本との絆が決定的に重要と考えている。防衛面での絆の強化を基本とし、日本側とともに尖閣諸島に対する中国の軍事攻勢に共同で対処する誓約を明確にする。国務長官や駐日大使にも日本重視を認識する人材を充て、特に駐日大使は日本の内政に干渉などしない人物を任命するだろう。

NATOとの関係

 トランプ氏の米国内での人気を恐れる欧州のエリートやグローバリストが、最近NATO離脱などというネガティブな予測を語り始めたが、根拠はない。トランプ氏は在任中からNATO諸国の国防費の公正な負担(GDP比2%以上)を求めているだけだ。

 極めて明快である。トランプ氏の言動は短絡的に捉えられがちで物議を醸しているが、トランプ氏はリアリストでプロのディールを自認していることを考えると、フライツ氏が言うように、政策の基本にあるのは「強いアメリカを目指し軍事力を強化する。その行使には同盟国と慎重に協議し、同盟国に応分の負担を求める」というプリンシプルだ。

自民党の凋落と本来の使命

 翻って日本では、パーティ券収入の未計上という激震が自民党を襲っている。他方脅し文句にせよプーチン大統領が第三次世界大戦に言及するなど、国際情勢は第二次世界大戦以降で最大の危機に直面している。この国際情勢において、いつまでもスキャンダルな話題に埋没していれば、「自民党という政党は結局、終始『内向きの似非保守』だった。もはやゾンビ政党でしかない。」とみなされて、岩盤支持層からも見放されるだろう。

 ここで断言しておきたいことは、自民党を崩壊の淵に追い込んでいる主因は、「自民党は本当に保守政党か」という疑念だということだ。このままでは「保守政党としての自民党は安倍元首相が銃弾に倒れた時点をもって終わった」として歴史に記録されることになりかねない。

 視点を変えれば、崩壊の危機から復活するための唯一の道は、本来の保守政党に戻ること以外にはないということだ。その文脈で考えると、トランプ第2次政権の誕生は願ってもない千載一遇のチャンス到来となるだろう。そう考える理由を以下に述べる。

 日本経済はデフレからの脱却に向けてようやく一歩を踏み出したところであり、「失われた30年」と決別する光明が見えてきた感がある。同時に「戦後レジームからの脱却」を一気呵成に推進できる好機が到来する。フライツ氏が示唆するように、トランプ大統領は強いアメリカを志向しつつ国際秩序の再構築に取り組むだろう。

 但し、長期的な動向としてアメリカの覇権力は弱体化しつつある。ロシアのウクライナ軍事侵攻が象徴するように、アメリカの力が弱まれば専制主義国家による国際秩序を無視する行動が増加するだろう。ロシアや中国と対峙するために、アメリカは日欧との強い同盟関係を必要としている。

 一方、現在の日本には、戦後のGHQによる占領政策に起因する、凡そ独立国とは言えない不合理な制約が随所に残っている。戦後の政治家は当然その事実を知りながら黙認し棚上げしてきた。例を挙げれば、必要以上に多くの米軍基地があること、不平等な日米地位協定が残っていること、思いやり予算、横田基地との関係から羽田空港周辺に日本の管制権が及ばない空域が存在すること、アメリカ従属の外交政策等々だ。

 ここでトランプ第2次政権が抱える課題と、日本が歴史的に抱えている未解決な課題を同時に解決する道が拓けるのである。以下に説明しよう。

トランプ第2次政権において日本が果たすべき役割

 トランプ氏が進めようとするシナリオを実現させるには、日本が従来とは次元の異なる、一段と大きな役割を担う必要がある。そのためにはこれまで「支配-従属」だった日米関係を、「兄貴分-弟分」の関係にレベルアップすることが必須要件となる。トランプ氏は取引の達人を自負しているのであるから、彼の期待に応えつつ、現在も日米間に残る不平等な関係をまとめて解決するというディールを行えばいい。

 トランプ氏は日本がレベルをアップした役割を担うことを歓迎する筈である。またトランプ氏は戦後の「異形で不平等な日米関係」に対して、歴代アメリカ大統領の中で最もビジネスライクに考える人物と思われるので、現在も残るGHQの置き土産を一掃することに難色を示すことはない筈だ。成否は日本側のアプローチ次第だが、戦後レジームを一気呵成に解決する好機が到来する。

 日本は安全保障でのアメリカの同盟国に留まらず、経済・技術分野では強い協力関係にあり、さらに世界最大の債権国日本と最大の債務国アメリカという特別な関係にある。弱体化するアメリカを補完することは日本の国益にかなうばかりか、国際秩序を再構築するためにも、日本が担うべき役割である筈だ。

 トランプ氏が同盟国がより自立的に応分の役割を担うことを要求するのであれば、「相分かった。そのためにも戦後の異形な日米関係を正すことがお互いの利益となる。」と、トランプ氏とディールを行えばいい。ポスト岸田に求められる最優先かつ最重要の役割がここにある。

歴史を造るリーダーの要件

 問題はその大きな役割を担うことができる政治のリーダーは誰かということになる。岸田総理の次のリーダーには、その大役を担う資質と能力、加えて胆力が求められる。現状の危機から何とか抜け出して自民党の存続を図るというような、矮小な動機から次のリーダーを選ばれては迷惑極まりないことを一国民の立場から述べておきたい。

 ここでリーダーの資質を考える格好の事例として、トランプ氏とバイデン氏、二人の決定的な違いについて述べておきたい。鍵は『プリンシプルの有無』である。トランプ氏が目指すのは強いアメリカを実現することであり、思考はビジネス流儀で外交はディールを基本とする。

 フライツ氏のインタビューの中で興味深いのは、バイデン政策の失敗に関する分析である。「バイデン政権は軍事力を軽視し、気候変動への対処に重点をおく。その結果、アフガニスタンからの撤退の大失態に始まり、ロシアのウクライナ侵略、ハマスのイスラエル攻撃、中国の台湾への軍事威嚇など米国の力の弱体化を誘因とする騒乱が起きた。」と評している。的確な指摘であると思う。バイデン氏の政策にはブレがあり、相手の威嚇に躊躇して行動を一歩引いてしまう弱さがある。一言で評すれば、プリンシプルを持ち合わせていない政治家だということだ。その弱さが力を信奉するロシアや中国等の専制主義のリーダーに見透かされる。

 この構図は安倍元総理と岸田総理にもそのまま当てはまる。安倍元総理はプリンシプルを持ち合わせていたから、相手がトランプだろうがプーチンだろうが習近平だろうが、言うべきことは言い、相手を説得する強さを持ち合わせていた。「猛獣使い」と評された所以である。その資質こそがトランプ元大統領から一目置かれる信頼を勝ち取った理由でもある。残念ながら岸田総理にはそれがない。

 歴史観、世界観、国家観というものを持ち合わせていないのである。リーダーには二つのタイプがある。第一は絶対座標系で自己位置を認識し、進路を見定めて意思を持って対策を講じるリーダーであり、第二は相対座標系で周囲の人との間合いをとりながら応手を模索するリーダーである。

 絶対座標系で思考するリーダーは、歴史観、世界観、国家観を羅針盤とするが故に思考がブレないし、相手の脅しや駆け引きにも動じない強さを持っている。それに対して相対座標系で思考するリーダーは、相手に対する斟酌や忖度を優先するから、打つ手に一貫性がなくなりぶれて妥協的になる弱点がある。

戦うことを忌避しない

 戦略家エドワード・ルトワックは、3月23日の産経新聞に『欧州は戦いの文化取り戻せ』と題して寄稿している。重要な論点が含まれているので要点を引用したい。

 ≪欧州では昔から戦争が頻発し、濃密な「戦いの文化」があったが、こうした文化は欧州の多くの国々で今や完全に死滅した。それでもロシアに近接する北欧諸国は「戦いの文化」を失わず、徴兵制を維持してロシアとにらみ合う。英国もロシアへの強硬姿勢を堅持し、既に少人数の英軍要員をウクライナに派遣している。

 一方で、ドイツやイタリア、スペインといった欧州の大国では誰も徴兵制について語らず、ウクライナ派兵にも否定的だ。何故ウクライナに軍を派遣しないのかとイタリアのクロセット国防相に訪ねたところ、「そんなことをすれば与党内で反発が出て政権は倒れる」と反論したという。

 「戦いの文化」を維持するプーチン体制の攻勢に晒されるウクライナに残された時間は少ない。そして欧州も目を覚ます必要がある。第一次世界大戦後の間違った戦争忌避志向がヒトラー率いるナチス・ドイツの台頭を許した歴史を繰り返してはならない。≫

 この指摘は、現代の西欧諸国を蝕んでいる二つの深刻な課題の存在を示唆している。一つは平和が脅かされている状況にありながら、戦争を忌避する政治リーダーであり、他一つは西欧社会を覆うポピュリズムである。スキャンダルな事件で右往左往している日本はさらに深刻な状況にあるという他ない。

 ウクライナとポスト・ウクライナの欧州情勢を展望すると、専制主義のプーチン大統領のウクライナ侵攻を成功させないために西側諸国がとるべき行動は、戦争をも辞さない断固たる姿勢をプーチンに示すことに尽きる。現状を米欧日のリーダー対プーチンの心理戦として捉えれば、「どうせ西側にはロシアに戦争を挑む度胸はない」とプーチンは腹を括ってきた。「核兵器を使うことも辞さない」という脅し文句を繰り返して、欧米日のリーダーをたじろがせる戦術をとってきた。即ちこの心理戦ではプーチンが明らかに優位に立っていると言わざるを得ない。

 この構図を反転させない限り、国際法を無視し国際秩序を瓦解させたプーチンの暴走を止めることはできないだろう。現在までの状況は、専制主義対民主主義の戦いにおいて、民主主義であることが弱さになる危険性を物語っている。言い換えれば、国際秩序を回復するために西側諸国がとるべき行動は、米欧日の一層の団結など、民主主義であることの強さを示すことに他ならない。

マクロン大統領が示した矜持

 マクロン大統領は2月26日に「ウクライナでロシアを倒すことは欧州の安全保障にとって不可欠だ」と述べ、西側の地上部隊をウクライナに派遣する可能性について「合意はないものの、何も排除すべきではない」と述べた。さらに「今日は、地上部隊の派遣について、公式に了解され承認されている形での合意はなかったものの、その動きについては、何も排除するべきではない。ロシアがこの戦争に勝てないよう、我々はあらゆることをする」と発言した。

 ショルツ首相が翌日慌てて「欧州諸国やNATOが派兵することはない」と明確に否定すると、マクロン大統領は3月5日にプラハでウクライナ支援について「臆病者にならないことが必要な時期が近づいている」と強調し、部隊派遣を巡る自身の発言についても取り下げなかった。マクロン大統領の頭にあるのは、「この戦争、ロシアを勝利者にしてはならない」という信念である。実際に派兵するかどうかは別として、専制主義者に対して一歩も引かない姿勢こそが、有事に臨む政治リーダーに求められる資質であることを物語るエピソードである。

エピローグ

 今国際社会は秩序のタガが吹き飛んでしまった状態にあり、このカオス状態を収める方法と実行するリーダーが不在のまま漂流している。この状況で、もしトランプ第2次政権が誕生すれば、世界がその一挙手一投足に注目して一旦行動を停止する状況が生まれる可能性が高い。好きか嫌いかは別として、このカオス状態の中で秩序を再構築できる一つの可能性として、トランプ再登板が期待されることは間違いない。

 ロシアのウクライナ軍事侵攻が起きた理由の一つは、アメリカ覇権の力が弱体化したからだ。国際秩序を保持するために、アメリカの力が今少し必要であることを世界は認識を新たにした筈だ。専制主義に立って武力を行使する国家が存在する以上、それを抑止できる力を保持する国家がリアルポリティクスとして必要なのだ。アメリカ第一主義を掲げるトランプ氏がアメリカの力を強化して国際秩序の再構築に挑むとすれば、同盟国として欧州と日本はそれを全力で支えなければならないだろう。

 日本にとってそれが死活的に重要な理由は、その役割を担うことこそが「戦後レジームからの脱却」を一気呵成に推進できる道であることだ。そのために今日本が必要としているのは、そうした本来の保守としての任務を断固として推進してゆく信頼に足る政党の出現であり、有事のリーダーの登場に他ならない。 結党以来の危機に直面して、もし自民党首脳部が古色蒼然たる人事で乗り切ろうとするのであれば、志ある政治家にはさっさと自民党に見切りをつけて本来の保守政党を結成するくらいの気概を見せてもらいたいと思う。これは自民党にとっての正念場ではなく、尊厳ある日本を取り戻せるかどうかの正念場であることを政治家にはよくよく考えて欲しいものだ。

怒りを取り戻す:GDP4位転落

 2月15日に内閣府が2023年の国内総生産(GDP)の速報値を発表した。経済規模をそのまま表す名目GDP値(ドル換算)でドイツに抜かれて世界第4位に転落したニュースが日本を駆け巡った。内閣府が公表した主要なデータは以下のとおりである。

本稿を書くにあたり、参照した資料は以下のとおりである。

資料1:産経新聞、2月16日記事

資料2:「GDPがドイツに敗れて世界4位に転落したワケ」、高橋洋一、現代ビジネス、2024.2.19

 ・日本のGDP(2023年) :名目591兆4820億円、実質558兆7156億円

 ・日独比較(名目、ドル換算) :日4.21兆ドル⇔独4.46兆ドル

 ・同(人口)                                         :日1億2443万人⇔独8482万人(日本の68.1%)

 ・同(GDP/人、名目)           :独4.87万ドル⇔日3.41万ドル(ドイツの69.9%)

 「GDP世界4位に転落」に関する報道は、その他のニュースにかき消されて、「大変だ、大変だ」と連呼しただけで、直ぐに忘れ去られていった感がある。「今後の為替レート如何で直ぐに再逆転する可能性もある」という楽観論もある。何れも的を外していると言わざるを得ない。この事件の背景には戦後政治に係る非常に重要なポイントが隠れているからだ。

 はじめに政府や産業界の反応を見ていると、「今年の春闘でどこまで賃上げできるかが大事だ」と問題のすり替えが行われている。これは自民党のパーティ券問題が、本質は政治資金の問題であるにも拘わらず、いつの間にか「派閥解消」へ見事にすり替えられた構図と同じである。

 結論を先に書くと、「GDP転落」事件の本質は次の2点に要約される。以下に順次説明する。

1)春闘の賃上げに矮小化される問題ではなく「失われた30年」以降今も続く経済政策の失敗の問題である

2)背景に「我慢強く怒らない日本人」の文化があり、それが日本の弱体化を抑止できなかった原因に一つである

「GDP転落」を物語るデータ

 ここでは細部構造に立ち入らずに俯瞰的な分析を試みる。はじめに日独GDP(名目値)の推移を図1に示す。

<日本経済の推移の全景>

 日本のGDPの推移をみると、1980年~1995年~2012年~現在の3区間で動向が明らかに変化していることが分かる。つまり1980年~1995年が高度成長期で、1995年をピークとして「失われた30年」が始まり、2012年に歴史上のピークを記録した後、急激に失速して現在に至る変化である。

<日独比較>

 まず1995年と2012年の二つのピークを基準として、ドイツのGDPと比較してみよう。1995年に日本のGDPはドイツの2.14倍の規模があった。2012年にはそれが1.78倍にまで縮小したものの、両国のGDPにはまだ大きな開きがあった。

 それを1995年から2023年に至る変化でみると、日本のGDPが23.7%減少しているのに対して、ドイツは逆に71.1%増大している。この結果2倍強の圧倒的な開きがあったGDPが28年間で逆転したのである。問題は何故そんな逆転劇が起きたのかだ。

<円安の影響>

 第一に疑われるのは円安である。GDPの国際比較はドルベースで行われるので、為替レートに直結して変動する。図2に円とドルの為替レートの推移を示した。

 図2から明らかなように、円高のピークは二つある。1995年と2012年であり、GDPのピークと一致している。GDPがドル換算されるので当然の結果である。

 次に、二つのピークから現在に至る為替レートの推移をみると、1995年→2023年では46.4円、2012年→2023年では60.7円もの急激な円安が進んだことが分かる。この結果2023年のドル換算のGDP値は、1995年比で67.0%に、2012年比では何と56.8%に縮小したのである。

<経済成長の実相>

 図3は経済成長の実勢をみるために、ドル換算前の実質GDP(円)の推移を描いたものだ。実質値は名目値に対して物価変動の影響を補正した値である。

 マクロな推移としてみると、1994年~2023年の間にGDPは年3.4兆円ずつ直線的にかつ緩やかに増加してきたことが分かる(オレンジ色の直線、最小二乗法近似)。但し成長率でみると、これは年0.6~0.7%程度で、決して褒められた数値ではない。

 参考までに2022年の世界の実質GDP伸び率を示すと、アメリカ2.1%、イギリス4.1%、ユーロ圏3.3%、先進国2.6%、世界3.5%だった。ザクっといえば日本の経済成長はアメリカの1/3、ユーロ圏の1/5、先進国平均の1/4程度だったということだ。「失われた30年」と言われる理由がここにある。

<失われた30年の原因>

 では図3で経済成長が低迷した要因は何だったろうか。外的要因と内的要因を分けて考える。まず外的要因では世界規模の重大事件が二つ発生している。第1は2009年9月に発生したリーマンショックであり、第2は2020年初から始まったコロナパンデミックである。何れも図3の二つの大きな落ち込みと合致しており、その原因となったことは明らかである。但しこの事件は世界レベルの事件であり、日本が直撃を受けたものではない。従って長期に及んだ「失われた30年」の原因ではない。

 一方、内的要因としては三度実施された消費税増税がある。増税は次のように行われた。第1弾は1997年4月に実施された3%→5%へ、第2弾は2014年4月に実施された5%→8%へ、そして第3弾は2019年10月に実施された8%→10%への引き上げである。図3が示すように、増税は急激な落ち込みをもたらしてはいないが、経常的に内需が不足しているデフレ下で、国民の可処分所得を強制的に削減させたことから、長期的かつ慢性的な悪影響を与えたことは明らかである。

 大蔵省OBで『官僚国家日本を変える元官僚の会』の幹事長を務める嘉悦大学大学院の高橋洋一教授は、「失われた30年」をもたらしたもう一つの原因として「デフレ下での慢性的な公共投資の過少」を挙げている。「毎年の公共部門の過少投資は、民間投資の呼び水としての役割を果たさず、国土強靭化も進まず、低金利という絶好の投資機会を逃した。」と手厳しく指摘する。

GDP4位転落問題の本質

 高橋教授は、GDP転落の本質的な原因について、次のように総括している。

・大恐慌以降、金本位制に代わって管理通貨制度が構築され、ケインズ経済学による有効需要創出が普及した結果、インフ レは多いがデフレはなくなった。唯一の例外が「日本の失われた20年」である。

・(失われた20年は)財務省と日銀という強い権限を持つ官僚機構、マクロ経済の専門知識の欠落、それに官僚の無謬性によって、誤った政策を長期間続けた結果である。

 難しいことは言わずとも、以下の二つの事実から、日本が長期にわたって、そして現在もなお誤った経済政策を続けてきたことは明白である。

・30年経ってもデフレからの脱却を果たしていない。

・長期デフレ状態に埋没しているのは、大恐慌以来世界で日本のみである。

 では具体的に、どこをどう誤ったのかを指摘しておきたい。

1)デフレは民間需要の減少であり、デフレから脱却するためには内需を喚起する必要がある。そのためには可処分所得を増やす減税こそ有効な政策であるにも拘らず、また欧米はマクロ経済の原理原則に従って躊躇なく減税を行うのに対して、日本政府は消費税増税を繰り返した。これは致命的な自滅行為だった。

2)民間消費・投資が減少する状況下で経済成長を実現するためには、<GDPの定義に従って>積極的な公共投資を行い、政府消費を増大させることが正しい政策である。ところが政府はプライマリーバランス(PB)の追求を優先して終始積極財政政策をとらなかった。経済成長とPBは同時に実現できない二律背反の命題であり、経済成長を軌道に乗せるまでPBは棚上げすべきだったにも拘わらず、政府は「二兎を追うもの一兎をも得ず」の誤った政策を繰り返してきた。

3)もう一つ忘れてならないのは、戦略なきエネルギー政策が国民のエネルギー負担を重くしたことだ。要点は二つある。一つは急ぎ過ぎた「発電の脱炭素化」であり、他一つは「原発」忌避である。前者は世界の潮流におもねり、後者は国民感情に忖度した結果であることは言うまでもない。その結果年間2.4兆円もの賦課金を国民に課した。これは国民一人当たり2万円/年の増税と同じであり、今も続いている。

4)最後に挙げる理由は、日本固有の文化に係る問題である。一つは日本が「誰も責任を取らない」社会であること、他一つは日本人が「我慢強く怒りの声をあげない」気質であることだ。

総括

 世界にあるのが日本一国で、かつ日本が社会主義の国であるならば、経済成長は必ずしも必要ないだろう。しかし現実は世界が競争の場であることと、国力の要素が国土と人口、経済力と軍事力であることを勘案すれば、力強い経済成長は国家にとって最優先かつ最重要の必達命題であることは自明の理だ。現実はどうだったか。図1及び図2が如実に示すように、結果から判断する限り、政治家においてこの認識が充分ではなく、官僚は国益よりも省益を優先してきたことが明白である。高橋教授が指摘するように、政治家も官僚もマクロ経済を正しく理解していないという他ない。

 「GDP転落」のニュースが国民にとって衝撃的だったのは、日本が1995年以降、世界との競争においてじり貧となってきた現実を再認識させられたことだ。この期間に三重の意味で「日本の弱体化」が進んでいる。第一に他の先進国に先んじて人口減少が顕在化した。第二に日本だけが「失われた30年」で経済力を弱体化させた。そして第三に、トドメを刺すかのように、2012年以降11年間で1ドル=約80円から60円も、率にして実に76%も急激に円安が進んだ。

 円安は輸出等、業種によって国際競争において有利に作用することは事実だが、ドル換算の世界では国力低下以外の何物でもない。「国力が強い国の通貨は強い」ことを忘れるべきではない。既に分析してきたように、ドイツとのGDP逆転の第一の要因は行き過ぎた円安にあることは明らかだが、急激な円安をもたらした主要因が「失われた30年」にあることも自明である。

 そして「失われた30年」の原因は誤った経済政策を続けてきたことにある。では誤った経済政策を続けてきた原因は何処にあるのか。ここを正さない限り、日本が強い経済を取り戻すことは困難と言わざるを得ない。マクロ経済を理解しない政治家、国力最大化を追求しない官僚、減税を拒否し「隙あらば増税」を画策してきた財務省の責任は極めて重いと言わざるを得ない。

 もう一つ根深い問題がある。それは「怒りを忘れた日本人」である。「日本の弱体化と国民の貧困化」をもたらした政治責任を追及する怒りの発露がない。日本は民主主義の国であり、政治家や官僚の責任を追及するのは国民の役割でもあるのだが、他の先進国と比べて日本では政治を政治家と官僚に丸投げしてこなかっただろうか。我慢強い国民性が「失われた30年」を黙認してきたとも言える。国民が沈黙しているが故に、マスコミも官製報道に終始してきた側面がありそうだ。

 現在メディアを賑わしているのは、自民党のパーティ券を巡る政治資金問題である。与党も野党も、盛んに「国民の納得が得られない」と言うが、国民の一人として国民の真の怒りはそんなところにはないと断言しよう。そのようなスキャンダルの話題など、議事堂の片隅の部屋でさっさと解決してくれればいいのであって、激変する国際情勢の中で、連日大騒ぎする重大事では断じてない。

 この資料で取り上げたのは「日本の弱体化と国民の貧困化」に関わる問題である。単純に金額で比較すれば、パーティ券の事件よりも優に5桁以上も大きな日本国の富の損失に係る問題である。このことを肝に銘じた上で、与党も野党も「GDP転落」問題の本質を追究して、是正策について国民の前で論戦を戦わせてもらいたいものである。それこそが政治家の使命である筈だ。

 この記事を書いている2月22日、日経平均株価が史上最高値を更新したというニュースが流れた。そのこと自体は悪いニュースではないが、たった1週間の内に流れた二つのニュース、「GDP転落」と「株価史上最高値」には大きな乖離を感じざるを得ない。

 GDP転落は長期動向であり、現在に至る日本経済の実力を反映したものだ。それに対して株価高騰は「株価は期待先行で動く」の格言通り、中国市場から資金を引き揚げた国際投資家が資金を日本に投入した結果である。日本経済の実力を反映したものではないから、バブル期のような高揚感がないのである。それが乖離の正体である。

 デフレからの完全脱却を果たし、「失われた30年」にピリオドを打ち、円高を取り戻すまでの道のりはこれからが正念場である。GDPを押し上げる大きな潮流を作り出すことが出来なければ、株価高騰はマネーゲームで終わる。「日本弱体化と国民の貧困化」の現実は相当深刻と認識すべきである。

終焉を迎えるバブル経済と資本主義

第3部:バブル経済と金融資本主義の終焉

本稿を書くにあたり、参照した文献は以下のとおりである。

 資料1:「2024年世界の株価が暴落すると読む7つの理由」、小幡績、東洋経済オンライン、2023.12.23

 資料2:「米財政赤字、金利上昇でいよいよ問題に」、the Wall Street Journal、2023.10.6

 資料3:「株、住宅、暗号資産等の巨大なバブルがまもなく崩壊」、Business Insider Japan、2023.12.28

 資料4:「中国余る住宅1.5億人分、バブル崩壊、摩擦は世界に」、日本経済新聞、2024.1.27

 資料5:「時価総額886兆円失った中国株、習指導部にとって問題の深刻さ露呈」、Bloomberg、2024.1.25

 資料6:「お金は知っている 実態はマイナス成長、嘘バレバレ中国GDP」、田村秀男、ZAKZAK、2024.1.26

バブルとは何か

 バブルとは新たなマネーが市場に流れ込んで起きる時価総額の膨張である。バブルは誰かが商品(モノ、金融、サービス)を、従来よりも高値で買うことで励起される。資本主義から現代の金融資本主義に至る移行過程で発明された二つのメカニズムがバブルを出現させ膨張させた。一つは<ネズミ講>メカニズムであり、他一つは終値の値付けが全体に及ぶ<時価主義>のメカニズムである。

 どういうことかというと、一般投資家が増加して買い手が増えれば、投資ゲームが過熱して価格が上昇する環境が作られる。これはネズミ講メカニズムと同じ構図である。次に株取引では終値が株価全体の価値を決める「時価」方式が採用されるので、経済の実態から乖離してバブルが発生し膨張しやすくなる。

 分かり易い例として、100万株を発行しているA社を想定する。ある日にA社の人気が急騰して、多数の個人投資家が一斉に買いに走ったとする。その結果、始値が1万円だった1株が終値に2万円を付けたとすると、A社の資産は1日で100億円から200億円に増えたことになる。またA社の株式を100株保有しているBさんの資産は、1日で100万円から200万円に倍増したことになる。この場合A社もBさんも傍観していただけで、何一つ資産を増やす行動をとっていないところに時価方式の問題が隠れている。そしてこのギャンブル性があるが故に、人々は投資というゲームに明け暮れるのだ。

バブルの起源と変遷

 1971年8月15日にアメリカはドルの金兌換の停止を宣言した。いわゆるニクソンショックである。これによってアメリカ政府は兌換という束縛から解放され、幾らでも紙幣を印刷できるようになった。実際に1970年代後半以降、国債の大量発行と金融の国際化が進み、金融市場は急速に拡大して金利の自由化も進んだ。こうしてバブル経済への扉が開かれた。

 その後のバブル形成と崩壊について、ウォールストリートジャーナルは、債権バブルの暴落が起きた2023年10月6日(後述)の記事で次のように要約している。

 <米国は長年、世界の最後の貸し手だった。1990年代の新興国市場のパニック、2007~2009年の世界金融危機、そして2020年の新型コロナウィルス流行による経済活動の停止に対し、米財務省の比類なき借り入れ能力が救いの手を差し伸べた。それが今では、財務省自身がリスクの源泉になっている。・・・米国の借り入れの規模と増加傾向、そして是正に向けた政治的取り組みの欠如は、少なくともここ数十年見られなかった形で市場と経済を脅かしている。それが、足元での突然の国債利回り急上昇から読み取れることだ。>と。

 2005年~2006年に米国の住宅バブルが崩壊した。そして2008年には住宅ローンの返済が滞った場合の担保として購入住宅に抵当権を設定した「サブプライムローン」が不良債権化した。バブルが崩壊してリーマンショックが起きた。各国は危機を回避するために量的緩和(QE)を行った。

 2011年にはギリシャの財政問題に端を発した債務危機が、南欧からユーロ圏、欧州へ拡大して、欧州の債務危機が深刻化した。アメリカでも量的緩和が段階的に行われて幾つかのバブルが起き、いよいよバブル崩壊というタイミングで2020年にコロナパンデミックが起きた。各国は再び大規模な金融緩和と財政出動を行い、バブル崩壊は回避された。

 2022年2月にはロシアがウクライナに軍事侵攻し、G7はロシアに対して強力な金融制裁を科した。ウクライナ戦争は世界にエネルギーと食料の資源インフレをもたらした。米国およびEUはインフレを抑制するために金利を急速に引き上げた結果、景気にブレーキがかかった。今度は金利引き下げ期待で再びバブル基調となった。

金融資本主義というバブル

 バブル経済において債権・債務は対を成して膨張する。そして債務残高はバブルの膨張を示す指標でもある。「The Daily Digest」が世界の債務残高について数値を整理しているので、以下に主要なものを紹介する。(1ドル=140円で単純換算した。)何れもが目がくらむような金額である。

 ①世界の債務総額(2022、国際金融協会):300兆ドル(4.2京円)

 ②同(2021、IMF):235兆ドル(3.3京円)

 ③世界のGDP合計:100兆ドル(1.4京円)

 ④世界の債務残高/GDP(2020):2.56%(1970年の100%から急増)

 ⑤アメリカの政府債務(2023):31.4兆ドル(4,400兆円)、法定上限に到達

 ⑥アメリカの個人債務(2022、第4四半期):16.9兆ドル(2,370兆円)

 ⑦世界の非金融企業900社の負債総額(2022):8.15兆ドル(1,100兆円)

 ⑧G7の中での公的債務/GDP:ドイツのみ100%以下(日本266%、仏113%)

MAGNIFICENT SEVEN

 専門家は2024年に株、住宅、暗号資産等の巨大バブルが崩壊すると予測する。次の暴落は調整ではなく、1929~1932年におきた世界大恐慌に匹敵する暴落になるとし、次のバブル崩壊は<Magnificent Seven(注)>と、金融市場の中枢である国債市場で起きるという。もしそうなれば崩壊は歴史上最大規模となり、実体経済を破壊する崩壊となる。(参照:資料3)

〔注〕2023年初頭からアメリカの株式市場を牽引してきた主要7銘柄グーグル、アップル、メタ(旧フェースブック)、アマゾン、マイクロソフト、テスラ、エヌビディアの7社で「荒野の七人」になぞらえてそう呼ばれる。

アメリカ債券バブルの暴落

 現在では国債市場が株式市場以上のバブルとなっている。実際にアメリカの債券市場で2023年10月6日に大きな暴落が起きたことをメディアが伝えている。

 ・Reuters、「世界で債券売り広がる、米30年債利回りが07年以来の高水準」

 ・Reuters、「債券急落で史上最大の弱気相場に」

 ・Bloomberg、「逆イールドの急速な縮小、米経済に危険な兆し」

 ・Business Insider Japan、「アメリカの長期国債、史上最悪の大暴落」

 ・the Wall Street Journal、「米財政赤字、金利上昇でいよいよ問題に」

 ブルームバーグは「満期10年国債の損失は2020年3月以降46%に達し、30年債は535%も急落した。」と報じた。ロイターは「世界の債券市場で4日売りに拍車がかかり、アメリカ30年債の利回りが2007年以降初めて5%を突破したほか、10年債の利回りは一時4.884%を付けた。ドイツ10年債の利回りも3%台に上昇した。」と報じた。

中国土地バブルの本格的崩壊

 次のバブル崩壊が起きる危険性が高いのはアメリカだけではない。中国の本格的な土地バブル崩壊も防ぐことができそうもない。中国では土地は国有であり、政府はデベロッパーに土地の使用権を与えて交通のインフラや超高層マンションなどを各地に整備させてきた。中国の高度経済成長は大規模な不動産開発がもたらしたもので、地方政府による土地の提供は資本投下と同じである。そして不動産価格の下落は既に始まっている。

 中国の不動産市場では、虎の子の資金をはたいて購入した多数の高層マンションが建設途中で放棄されている。日本のバブル崩壊と同じようにバランスシート不況が起きて国全体が資産縮小スパイラルに陥り、桁外れに巨大なバブル崩壊が起きることが予測される。

 資料4は「中国の建設ラッシュは2020年で沈静化し、2023年末で5,000万戸の住宅が在庫として残っている。主要な収入源を失った地方政府は、傘下でインフラ整備を手掛けてきた融資平台の過剰債務に苦しんでいる。」と報じている。また資料5は「中国本土株の過去三年間の下落率は40%に達している。中国本土と香港株は前回のピークから6兆ドル(約885兆円)相当の時価総額を失った。」と報じている。さらに資料6は「中国のGDP公表値によれば2023年は5.2%で目標を達成したとしているが、別の経済統計値から推定した実勢値は2022年がマイナス2%、2023年がマイナス3%だった。」と報じている。

 1月30日の産経新聞は「香港高等法院(高裁)は1月29日に、経営再建中の恒大集団に対して清算を命じる決定を下した。・・・また香港証券取引所は同日、恒大集団と傘下の2社の株式取引を停止した。・・・昨年6月末時点の負債総額は約2.4兆元(約50兆円)で債務超過状態にある。・・・不動産は中国GDPの3割程度を占める。」と報じている。

 また1月31日の紙面では「中国財務省は30日に昨年末時点の地方政府の債務残高が40兆元超だったと公表した。日本円で約840兆円に相当し、2022年末から約16%、コロナ前の2019年末から倍増した。」と報じた。途方もない金額である。

最終最大のバブル崩壊

 「そもそも金融資本主義における経済と市場は常にバブル状態にある。金融資本主義がバブルそのものであり崩壊する可能性がある。」と小幡教授は資料1で指摘する。「なぜ今、金融資本主義そのものが滅びるのかと言えば、それは2008年のリーマンショックのタイミングで崩壊させなかったために、制御不能なまでにバブルが膨張したからだ。その結果、金融市場だけでなく、政府や中央銀行をも巻き込んだ巨大バブル崩壊となるリスクが高まっている。」と解説する。

 一般に財政赤字は年々増大し、金融緩和(QE、Quantitative Easing)の規模も発動されるたびに増大してゆく。住宅や不動産など実物経済のバブルも、金融市場に流入するマネーの増加とともに巨大化してゆく。こうしてバブル→バブル崩壊→バブル・・・のサイクルは繰り返されるたびに、バブルは膨張してゆくことになる。

 しかしバブルの膨張には限界があり、このサイクルには終わりがくる。次に起きる債券バブル崩壊が最後で最大のバブルとなるだろう。何故なら債権市場でのバブル崩壊は中央銀行・政府を巻き込んだものとなるからだ。従ってひとたび債券バブル崩壊が起きれば金融システムを破壊し、社会をも破壊してゆく可能性が高い。

 しかも次に起きるバブル崩壊は、以下の三要件が重なって起きる点で従来のバブル崩壊とは別格なものになることが予測される。それは、第一に経済大国第1位と第2位のアメリカと中国で連動する形で起きること、第二に崩壊を食い止める外部が存在しないこと(米中市場に代わる新たなフロンティアは存在せず、中央銀行を巻き込んだ債券市場に代わる次の市場も存在しない)、そして第三に中央銀行・政府は既に救済手段を使い果たしていて、有効な対策が打てないことだ。

 そして1月27日現在、アメリカのダウ平均株価は38,000ドルを超えて過去最高値を更新している。日本も1990年のバブル時の最高値を更新している。この事実こそがバブル崩壊が間近であることを物語っている。

バブル経済と金融資本主義の終焉

政府・中央銀行の功罪

 金融市場に中央銀行・政府が巨額のマネーを提供するようになったことが、資本主義を大きく変質させた原因である。政府が国債を発行して財政出動を行う場合市中からマネーを回収することになるため、中央銀行はQEを行って市中にある国債を回収してマネーを供給する。コロナパンデミックが起きた時、各国政府は大規模なQEとゼロ金利政策を行った。しかし危機が収まると欧米はQEを止め、金利を上げると同時に金融引き締め(QT、Quantitative Tightening)に転じた。

 QTはQEによって拡大したバランスシートを段階的に圧縮して金融政策を正常化させるオペレーションである。QTの基本的な手順は、QE縮小→QE終了→バランスシートを維持(一定期間)→利上げ開始→バランスシートの縮小(QT開始)という流れになる。米国では前回の正常化ではQE終了から3年、利上げ開始から2年弱の期間をおいてからQTが実施されている。

 但し日本は例外で、長期にわたってデフレ基調が払拭されてこなかったために、植田新体制になっても未だにQEを解除できないでいる。

 一方で、政府が財政出動を行い、インフラ整備や次世代産業分野に重点投資して、実需を創造し次世代のイノベーションを推進することは健全な経済政策の一環であり、両者は分けて考える必要がある。

マネーパワーの強大化

 資本主義の初期における商取引の決済手段だった段階から、マネーの役割は大きく様変わりした。マネーは財政・金融の実行手段でもあり、通貨として貿易の決済手段であると同時に国際的な投資手段でもある。マネーの力を行使する主なアクターは投資家(個人、機関)、企業(特に貿易を行う企業)、中央銀行・政府、国際金融投資家である。

 商取引の売り手と買い手は取引手段としてマネーを使い、投資家は金融市場で投資手段としてマネーを動かし、企業は為替を利用して貿易決済を行い、中央銀行・政府は金融市場を介してマネーの流通量、金利、為替レートを制御する。国際金融資本家は国際情勢の変化を先取りしてマネーを国家間で移動させることで巨額の差益を稼ごうとする。儲けるためには戦争をも利用し、通貨の暴落をも仕掛ける。

 このように、商取引を円滑に行うための流通手段として誕生したマネーが、現代では国際経済や政治をも動かすパワーを持つようになった。これは本来の資本主義から乖離したものであることは言うまでもない。

バブル経済/金融資本主義の次に来る未来

資本主義の分岐点

 今までの論点を総括してみたい。政府が財政赤字を増加させてきたことがバブル経済を生んだ最大の原因だった。そして金融市場に供給された巨大なマネーがパワーを持って、政治経済や戦争にまで強大な力を行使してきたことが、資本主義の歪みを増大させてきた原因だった。

 この過程でバブル膨張と崩壊のサイクルが繰り返され、サイクルを繰り返すたびにバブルは膨張した。そして現在、アメリカと中国で連動してバブル崩壊が起きようとしており、さらに住宅や不動産市場のバブル崩壊を経て、次は債券市場でバブルが崩壊しようとしている。バブル崩壊の規模において、現在は最終かつ最大のバブル崩壊が起きる前夜にある。

 ここで資本主義の変遷を俯瞰すると、資本主義は先進国に豊かさをもたらした時点でその役割を終えたように思われる。資本主義の変遷の歴史を前半と後半に二分して俯瞰してみよう。資本主義の前半は先進国が豊かさを実現していった時期とし、後半はマネーがパワーを持ったことによって資本主義の歪みが蓄積していった時期と定義する。

 何処かに前半から後半に移る転換点があった筈であり、その転換点で先進国には二つの選択肢があったと考えられる。第一の選択肢はそのまま金融資本主義を続けることであり、実際に欧米主要国はその道を歩んできた。第二の選択肢はそこから社会主義の方向に舵を切るというものである。パワーゲーム化した金融資本主義から徐々に距離をとって、少子高齢化社会を睨んで社会保障を充実させてゆくという選択肢である。

 振り返って考えれば、そういう自覚も、恐らくは戦略もデザインもないまま、日本は少子高齢化圧力に押される形で、第二の選択肢に近い選択をしてきたのではなかっただろうか。

日本の選択肢

 今まではともかく、これからは次の三つの理由から、経済運営として今までの延長線上を行くことが困難となるに違いない。第一にGDP比で財政赤字が増加していること、第二に「荒野の七人」に象徴される投機性の高い株価や極端な貧富の格差等、バブル経済の歪みが増大していること、そして第三に巨大なバブル崩壊が早ければ今年中に起きる可能性が高いことだ。

 既に述べてきたように、先進国ではバブル経済に依存した経済運営が限界に到達しつつある。豊かさの実現という当初の目的を殆ど達成したという認識に立って、資本主義対社会主義の議論を現時点で評価し直して、今後の経済の在り方を再考する時が到来したのではないだろうか。

 個人レベルでは生活の豊かさを追求しつつ、国レベルではバブルに依存しない健全な経済成長を追求しつつ、かつ少子高齢化動向を踏まえた社会保障のあり方とそれを実現する経済の在り方を根本から問い直す時が来ているように思える。この命題は簡単に実現できるものではないが、バブル経済と金融資本主義が終焉を迎えようとしている現在、先進国の進路はその方向にあるように思える。

 世界を俯瞰してみれば、G7の中で日本だけが欧米諸国とは異なるポジションにいる。ウクライナ戦争では殺傷兵器を供与しない代わりに、否応なしに経済復興においてイニシアティブを発揮することになるだろう。イスラエル-ハマス戦争でもイスラエル支持の欧米諸国とは一線を画している。

 北欧等は別として、日本は恐らくG7の中で最も社会保障が手厚く、それ故にGDP比で最大の財政赤字を抱えている国である。但し日本は世界最大の債権国(2021年の経常収支は20兆円、2022年は9.2兆円の黒字)であり、国債の大半を日本の機関が保有している。政府の負債は民間の資産なのであって、日本の財政赤字は日本国のバランスシート上の問題でしかないという事実をきちんと理解しておく必要がある。

 2023年に日本にやってきた外国人は2500万人に達したという。日本にやってきて日本の地方や山里に暮らす外国人が増えている。彼らを引き付けるものが日本にはあるということだ。それはバブル経済と金融資本主義の社会に至る過程で喪失してきた文化や風景ではなかっただろうか。

 そのような認識に立てば、次のバブル崩壊でうろたえることなく、それを転換点として、日本の国の未来像とそのための経済の在り方を再考すべきと考える。

Details

終焉を迎えるバブル経済と資本主義

第2部:資本主義の変遷と変質

 本稿を書くにあたり、参照した文献は以下のとおりである。

 資料1:「戦争と財政の世界史、成長の世界システムが終わるとき」、玉木俊明、東洋経済新報社、2023.9.26

資本主義の始まり

 資本主義は欧州で始まった。資本主義の仕組みが形成されていった背景には、大航海時代の幕開けとそれがもたらした植民地化がある。15世紀半ばから17世紀半ばにかけて、先陣を切ったポルトガルとスペインはアフリカ・アジア・アメリカ大陸への航路を相次いで開拓した。大航海時代は海運の発達による物流の拡大と植民地化をもたらした。さらに16世紀には軍事革命が起きて、軍艦の舷側砲やマスケット銃(火縄銃)等が実用化され、植民地化に拍車をかけることとなった。

 資本主義の始まりについては諸説あるが、その一つは1531年にネーデルランド(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクを統合した地域)のアントウェルペンに取引所が開設されたことを起源とするものだ。アントウェルペンは後にイングランドから半製品の毛織物を輸入して、それを完成品にしてヨーロッパ各地に輸出するという貿易を行い、大航海時代にヨーロッパにおける商品集散地としてヨーロッパ経済の中心となった。

 当時スペイン帝国の統治下にあったネーデルランドは、1568年に独立戦争を開始した。スペインの無敵艦隊が1588年にアルマダの海戦でイギリスに敗れたことを転換点として、スペインに対しオランダが優勢になっていった。他国に先駆けて1602年に東インド会社を設立し、1609年にはアムステルダム銀行が創設されて欧州の商業決済を担うようになり、オランダは欧州の商業決済の中心となった。

 この時期のヨーロッパはカトリックに反発してプロテスタントが生まれた時代であり、神聖ローマ帝国(現在のドイツ他)を舞台に、欧州各国が介入して<三十年戦争>と呼ばれた宗教戦争が1618年に勃発した。戦争が終結した1648年にウェストファリア条約が締結され<ウェストファリア体制>と称する新たな国際秩序(主権国家体制)が形成された。

 オランダはヨーロッパで最初に金融を発達させ、近代的な財政制度を整備した国である。ウェストファリア条約で正式な独立を果たしたが、それ以前からヨーロッパ最大の経済大国だった。但し後のイギリスと異なり、オランダ共和国は一貫して地方分権の国であり、世界初の覇権国となったにも拘らず資本主義は商業ベースだった。オランダ覇権の時代の世界システムは、物流を中心とする商業ネットワークの時代だった。国家から独立した国際貿易商人が商品や、マネーや情報の流通を担う<重商主義の時代>だったのだ。

 重商主義とは国家の輸出を最大化し、輸入を最小化することを目指す国家的な経済政策であり、16世紀~18世紀のヨーロッパ地域で支配的な考えだった。

資本主義のシステム化

 商業活動の仕組みとしての資本主義、経済成長を担う民間の商業活動、国力を形成する経済力と軍事力、経済を運営するための財政、軍事力を強化するための軍事革命の推進等、これらバラバラの要素を関係づけることに最初に成功したのがイギリスだった。それがイギリスを覇権国とした原動力となった。言い換えると、イギリスは経済成長のために「資本主義をシステム化」したことになる。

 システム化というのは現代の用語だが、イギリスが行った「資本主義のシステム化」の本質は「マネーの流れの仕組みづくり」だった。具体的に言えば、民間が行う商業活動に大規模な公的資金投入を可能とする、財政や税の制度を整備することであり、商業活動を活発にするインフラを整備することであり、軍需を拡大して重工業を促進することであり、イギリスが他国に対して優位に立つための法律を整備することだった。

 実際にイギリスは1608年に東インド会社を設立した。1651年には、ピューリタン革命を指導し共和制を敷いたオリヴァー・クロムウェルが「航海法」を制定して、国家主導で海運業を促進した。クロムウェルは1654年には消費税を導入してイギリスの財政を安定化させることに成功している。1694年にはイングランド銀行が創設され、預金・貸付・商業手形・為替等の金融業務を開始した。

 イギリスが進めた政策の中で、「戦争中に借金をしてそれを平時に返却する」という近代的な財政システムを構築したことは特筆に値する。玉木俊明教授は著書の中で、「イギリスの国家財政には、重税に耐えながら経済成長を促す効果があった。これこそがイギリスが戦争に勝ち抜くための資金を提供できた決定的な要因だった。」と述べ、さらに「イギリスは他のヨーロッパ諸国とは異なり、18世紀の内に財政金融システムの中央集権化に成功していた。他国より1世紀も早く、政府の力によって経済を成長させようとしていた。」と指摘する。(参照:資料1)

 1815年6月のワーテルローの戦いで、イギリス・オランダ連合軍はナポレオン率いるフランス軍に勝利して、ナポレオン戦争が終結した。フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月にウィーン会議が開催された。これを契機として<ウィーン体制>と称する新たな国際秩序(国民国家体制)が形成された。そして英仏をモデルとする国民国家が相次いで誕生した。

 ウィーン体制成立と同時に重商主義の時代が終わり、<帝国の時代>となった。商人は国家による保護と国家が提供するインフラの上で商業活動を営むようになった。この時代にイギリスが覇権国家となった要因として、以下の三点を挙げることができる。

 その第一は既に述べてきたように、「資本主義のシステム化」だった。商業ベースだった活動を国家の経済に取り込んで、国家として資本主義を推進したのである。第二は世界最強の海運国家となったことだった。そして第三は世界で最初に産業革命を成し遂げたことだった。

 こうしてイギリスは情報と金融決済の中心となり世界経済システムを掌握したのだった。イギリスは19世紀初頭には世界一の海運国家となり、蒸気船による定期航路を整備して世界の商品輸送と、海上輸送保険(ロイズの前身)を担った。さらに蒸気船を使って世界中の電信網(海底ケーブルを含む)を敷設した。そして20世紀初頭には、世界のトン数の半分を所有するに至った。

 イギリスは18世紀後半に世界で最初の産業革命を実現している。1789年には蒸気機関を動力源とした紡績工場が稼働を開始した。19世紀は「蒸気の時代」と呼ばれ、それを牽引したのはイギリスだった。1806年にはそれまでの軽工業から軍需生産を可能とする重工業に転換して工業化を促進した。

 これらの政策を推進するには巨額の資金を必要としたが、イギリスはイングランド銀行が公債を発行し議会が返済を保証するシステムを構築してその課題を解決した。大英帝国を維持するには巨額の資金を必要としたことは間違いなく、実際に1700年から1800年のイギリスの公債発行額はGDP比で20%から160%に急増している。

 1820年には200%となりピークに達したが、その後経済成長を果たして1900年には約40%に縮小させている。但し「戦争の世紀」と言われた20世紀に入って再び上昇し、第二次世界大戦時には240%に達した。この結果、覇権を維持するコストを負担できなくなって、イギリスからアメリカに覇権が移行したのだった。 

資本主義の変質

 図1に示すように、資本主義の要素は、資金の貸し手としての銀行、新しい事業の担い手としての起業家、生産に従事する労働者、商品を購入すると同時に銀行に預金する消費者とで構成される。

 図1が明示するように、資本主義とはマネーの流れがイノベーションを推進する仕組みであり、言い換えれば、マネーを血流して経済を発展させる仕組みである。アントウェルペンでの取引所開設は商業の始まりで、アムステルダム銀行創設によって銀行の機能が社会に整備されたことによって資本主義経済の原型が創られた。

 スペインとポルトガルが先陣を切った航路開拓は、国際貿易を促進したと同時に欧州各国による海外植民地開拓をもたらした。そして重商主義の時代が始まり、国際貿易商人が商業の場を地域から国家へ、国家から海外の植民地へと拡大していった。

 産業革命は蒸気機関を実用化したことで、生産手段の機械化という革命を起こした。蒸気船の実用化は大航海時代に開拓された航路を定期便とし、植民地と本国の間の物流を活発にして経済の国際化を拡大した。

 銀行の発達は金融を事業化するとともに、マネーの流通を経済の血流とすることに貢献した。さらにイギリスが初めて実現させた中央銀行による公債発行は、政府の資金調達に道を開いた。イギリスは資本主義をシステム化し、商業ベースだった資本主義を国家の経済ベースに格上げしたのである。こうして資本主義というゲームのアクターに国家が加わった。

 現代に至る過程で、資本主義が大きく変質した最大の要因は、マネーの力が強大化したことによる。図2に資本主義の現代版の姿を図解して示す。図1と図2を比較すれば、資本主義がどう変質したのかが分かる。

 注目すべき要点が4つあるので、順に説明しよう。図2で破線で囲った部分は産業の領域を示す。資本主義が始まった16世紀の姿と比べれば、産業が成長して規模が大きくなり、多様化して複雑になり、グローバルになり、さらに時間の進み方が格段に速くなったことを除けば、基本構造は変わっていない。

 第1の要点は、金融市場が形成されたことだ。大きさをイメージする的確な指標が見当たらないが、現在世界のGDP総額が約100兆ドルであるのに対して、世界の債務総額は約300兆ドルと言われる。つまり世界にはGDPの約3倍の債務がある。日本円に換算すると1.4京円と4.2京円という途方もない金額だ。(1ドル=140円で単純計算)

 第2の要点は、金融市場のアクターとして実質的に政府と中央銀行が組み込まれたことだ。政府が国債を発行すれば金融市場から資金を回収することになり、その資金をもとに財政出動を行えば、或いは中央銀行が金融緩和を行えば金融市場に資金が供給される。

 第3の要点は、国際金融資本家の動きである。国際金融資本家は各国の金利差を巧みに利用して巨額の資金を調達して、その資金を将来の有望市場に半ば投機として投入してきた。さらに歴史を振り返れば、国際金融資本家は双方に戦費を用立てて戦争を画策し、高利で回収して大儲けをしてきた。また財務体質がぜい弱な国の通貨を売り浴びせて暴落させ、金融危機を起こすという通貨戦争をも仕掛けてきた。

 日露戦争の例を挙げよう。明治政府は日露戦争(1904~1905)の戦費を約4.5億円(当時のGDPの約2割に相当)と見積もり、この内約1億円(日本銀行が保有する外貨の約2倍)の外債を発行して海外から調達することを閣議決定した。当時イギリスとは同盟関係にあり、当時の高橋是清日銀副総裁が奔走して英米の国際金融資本から調達した。

 そして第4の要点は、ICTの活用が金融の世界を一変させたことだ。ICTを金融取引に最大活用することで、金融は光のスピードで世界中を駆け巡るようになった。株取引は組み込まれたアルゴリズムとAIを搭載したコンピュータどうしが1ミリ秒を争うようになった。さらに大きなレバレッジが利いたリスクある金融商品が次々に生み出された。そしてICTを開発する一握りの企業が、時価主義の金融市場で途方もない資産を独占するようになった。

 以上資本主義が大きく変質した四つの要因について説明したが、それらの総合的な結果として重要なことが二つある。一つはバブル経済が常態化したことであり、他一つはマネーが経済領域に止まらず、政治をも、戦争ですら動かす力を得たことだった。ウクライナ戦争にしても、イスラエル対ハマス戦争にしても、背後にはこの力が働いていることが明白である。

資本主義の起源、大航海時代、植民地、ウェストファリア体制、ウィーン体制、重商主義、覇権国家、資本主義のシステム化、蒸気の時代、資本主義の変質、金融市場、国際金融資本家、ICT、マネーの強大化

終焉を迎えるバブル経済と資本主義

第1部:資本主義とは何か

はじめに

 2020年以降、国際情勢は一変した。コロナ・パンデミックが起き、ロシアによるウクライナ侵攻が起き、イスラエル-ハマス戦争が連動するかのように起きた。さらに1月16日には、北朝鮮の金正恩総書記が突然「憲法を改正して韓国を第一の敵対国、不変の主敵とみなす・・・」と余りにも唐突の発言をした。中国、ロシア、ハマス、そして北朝鮮の行動には、背後に共通の要因(力の作用)が潜んでいるのではないだろうか。

 国際情勢が、今まで秩序を支えてきた構造が一つずつ崩壊する様相を示しているが、一方で経済情勢は次の巨大バブル崩壊を暗示しているようだ。もし最終的な巨大バブル崩壊が起きれば、それは資本主義の破綻または終焉を意味することになるだろう。バブル形成→バブル崩壊を繰り返してきた世界経済は、資本主義の変質と連動しているからである。

 1月17日の新聞はアメリカ大統領選の初戦であるアイオア州共和党集会でトランプ元大統領が圧勝したと報道している。このまま推移すればアメリカ大統領選はトランプ対バイデンの一騎打ちとなり、どちらが勝利するかに注目が集まっている。もう一つ重要な課題がある。それは分断され破壊されてきたアメリカの民主主義基盤を回復できるかどうかだ。

 このように世界では歴史的な大事件が相次いで連動して起きているというのに、日本は戦後何度も繰り返されてきた「政治とカネ」という、余りにも次元の低い事件に埋没している。「そんなことをやっている場合か、政治家よ、いい加減に眼を醒ませ。」と叫びたい国民の認識から、現実の政治は大きく乖離している。また自民党の醜態を野党の政治家は糾弾し揶揄する発言をしているが、この問題は緊迫した世界情勢を正視せず、危機を真っ当に語れない野党の政治家に対する失望を包含するものであることを指摘しておきたい。国民の政治に対する絶望感は、単に自民党に留まらず、自民党に代わる真っ当な野党が存在しないことにある。

 アメリカとは異なる意味で、日本の議会制民主主義は衰退しているという他ない。現在我々が目撃しているのは、国際秩序の崩壊であり、破綻に向かうバブル経済と資本主義の末期症状であり、自壊しつつある民主主義なのだ。

 話が発散してしまうので、本稿では「破綻に向かう資本主義」について取り上げたい。

 「歴史的大転換点に直面する世界②」で、<金融危機:資本主義の限界>と題して、次のように書いた。

1.アメリカは2022年3月以降、矢継ぎ早に政策金利を引き上げてきた。マネーの急激な移動自体が、世界金融危機を誘発させる引き金となる。長期金利の上昇が債券の暴落を誘発して世界金融危機を起こす危険性が高まっている。

2.歴史を振り返れば、世界経済はバブルとバブル崩壊を繰り返し、しかも繰り返すたびに規模を拡大させてきた。バブルが拡大する原因は、政府・中央銀行による金融緩和にあり、バブル崩壊の引き金となるのは金融引き締めにある。

3.中央銀行はパンデミックでカードを使い果たしていて、次の危機が起きても、従来のように強力な対策を打てない。バブル依存の経済成長が限界に近付いている。

4.アメリカを例外として、G7の多くの国は力強い経済成長を実現できないまま財政赤字の増大に直面している。バブル頼みではない堅実な経済成長のシナリオを新たに開発する時を迎えている。

 本稿では上記認識を踏まえて、巨大化したバブル経済と資本主義が共倒れの危機に瀕していることについて考察を加えたい。三部作で書いてゆく。第一部は「資本主義とは何か」、第二部は「資本主義の変遷と変質」、第三部は「バブル経済=近代資本主義の終焉」である。

 本稿を書くにあたり、参照した文献は以下のとおりである。

資料1:「戦争と財政の世界史、成長の世界システムが終わるとき」、玉木俊明、東洋経済新報社、2023.9.26

資料2:「日本は一人勝ちのチャンスを台なしにしている、資本主義の本質とは社会を破壊することにある」、小幡績、東洋経済オンライン、2023.11.11

資料3:「世界の株価が暴落する2024年」、小幡績、東洋経済ONLINE、2023.12.23

資料4:「2024年は3つのリスクが導く超弩級の波乱の年へ」、大原浩、ZAKZAK、2024.1.9

資料5:「軟着陸なるか米景気 続く高金利・・・展望2024世界経済」、日経、2023.12.26

資料6:「株・・・巨大なバブルが間もなく崩壊」、Business Insider Japan、2023.12.28

第一部では主として資料2を、第二部では資料1を、そして第三部では資料3を参照した。

資本主義とは何か

 はじめに、資本主義を論じるためには、ヨーゼフ・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter、1883~1950)に触れておかなければならない。シュンペーターは1883年にオーストリア・ハンガリー帝国(現在のチェコ共和国)に生まれた経済学者である。イノベーションの理論を中核とし、経済活動による社会の新陳代謝を<創造的破壊>と表現したことで知られている。イノベーションは今日では技術革新を指すことが多いが、シュンペーターは社会変革を起こすもっと大きな概念として捉えていた。

 シュンペーターによれば、資本主義とは「企業家と資本家が組んで<創造的破壊>を起こし、経済を新陳代謝させ社会を変えてゆく仕組み」である。

イノベーションと経済成長

 シュンペーターが言う<創造的破壊>は必ずしも経済成長を意味してはいない。そうではなくて、旧来の生産者が追放されて新しい生産者が登場するという新陳代謝によって経済が発展してゆくプロセスを意味している。シュンペーターは、「意欲的な投資家とイノベーションを起こす起業家が存在して、社会変化に臨機応変に移動する労働者が存在する社会では、資本主義のメカニズムが<正の循環>として働いて経済は成長する。」と考えた。

 言い換えれば、イノベーションが<正の循環>をもたらす場合には経済は成長し、企業家の交代と産業の進化が起きて「景気循環」がもたらされる。逆に、そのプロセスのどこかに脆弱点があって<正の循環>が起きない場合には、イノベーションによって生産性の低い企業と失業者が増加するため、経済が低迷して成長は鈍化することになる。

 産業革命以降、人類はさまざまなイノベーションを次々に起こして近代化を推進してきた。日本の歴史を振り返れば、概ね20世紀まではイノベーションは経済成長をもたらしてきたが、21世紀になる頃から必ずしも経済成長をもたらさなくなった。パソコンとインターネット、さらに携帯電話の登場及び進化は<デジタル革命>を起こして社会を大きく変化させたものの、<デジタル革命>が進む過程で昔ながらの多くの産業が消滅していったことは明らかである。

 視点を変えてみよう。果たして携帯電話の普及は国民生活を豊かにしてきただろうか。生活を便利にしたことは間違いないが、多くの庶民にとって携帯電話は支出を増やして可処分所得を減らしてきたのではなかっただろうか。

 国家においてもイノベーションが経済成長を牽引してきた国とそうでない国とで明暗が分かれた。旺盛な投資が株式市場のバブルを生みGDPを力強く押し上げてきたアメリカと、「失われた30年」に喘いできた日本はその対極にある。

 両国には前述した<正の循環>において決定的な相違があることは明らかだ。要点は三つある。第一に、イノベーションを起こす起業家と、ベンチャービジネスに潤沢な資金を投じる投資家の存在に大きな開きがある。第二に、資産を投資に振り向けるか貯金に回すかという国民性に大きな相違がある。

 そして第三に、<正の循環>を促進する政策と抑制する政策との違いである。アベノミクスを例にとれば、財政規律に縛られて財政出動が中途半端なものに留まる一方で、二度も消費税増税を実施したことは、<正の循環>を抑制する政策だったことは明らかだ。

資本主義と社会主義

 資本主義の対立概念は社会主義である。両者を対比して俯瞰すると、カール・マルクス(1818~1883)は理想の社会として、シュンペーターは絶望的な結末として、資本主義が潰れて社会主義が次に来ると考えた。しかし現実には社会主義がソヴィエト連邦の崩壊と共に先に潰れてしまった。

 しかしこの事実は資本主義の勝利を意味するものではない。何故ならマルクスが描いた社会主義の理想像とソ連が実践した社会主義の現実の姿には大きな乖離があったからだ。同様に資本主義もまたシュンペーターが描いた理想像とは異なり、バブル経済と共に大きく変質していったことは明白である。

 「資本が経済社会を動かす資本主義という時代は、社会秩序を壊すことによって発展する前半と、自由になり過ぎた経済主体どうしが資本を武器に破壊しあい、経済も社会も秩序を失い、安定均衡から次の均衡には移れずに、ただ崩壊してゆく後半へと推移する。」小幡績教授はそう指摘して、資本主義は既に崩壊過程にあると警告している。(参照:資料2)

 シュンペーターはイノベーションの本質は社会を破壊することにあり、資本主義の時代とは経済と社会を破壊しながら変化させ続ける時代なのだと看破していた。このことは、生物が進化する努力を怠れば生存競争においてたちまち淘汰されてしまうように、現代社会では変化を止めれば、競争社会においてたちまち敗者となることを意味している。つまり変化することは資本主義経済を生きる宿命なのである。

 しかも変化のスピードは、技術革新と競争の圧力によって増大の一途にある。変化のスピードが臨界点を超えると、社会はついてゆけずに停滞するか、或いは加速し過ぎてばらばらになるか、何れかの道を辿るだろう。何れにしても臨界点に到達して資本主義は終焉を迎えることになる。

 視点を変えると、資本主義の終焉は別の形で既に顕在化しているのかもしれない。それは政府の財成赤字と中央銀行による金融緩和と、バブル経済の規模の増大である。これについては後段で論じたい。

起源という難問(T=0問題)

まえおき

 約38億年前に地球に生命が自然発生した。生物は数億年の歳月をかけて進化を重ね、サピエンスを誕生させるに至った。サピエンスは次々にさまざまなツールを発明して文明を築いた。そして現代、最強のスーパーコンピュータと最新のAI(以下≪SC+AI≫と略す)を発明し、人類の知を超越するシンギュラリティという臨界点に到達しつつある。最強のツール≪SC+AI≫が「考える」能力を備えた最強のマシーンに変異すれば、次の進化段階においてサピエンスを消滅させる脅威となるだろう。

関連資料

 本稿では、宇宙の始まり、生命の起源と進化、サピエンス登場、兵器化されるAIとバイオなどを取り上げる。これらについては既に書いてきたので、併せて下記資料を参照いただければ幸いである。

  ①「宇宙の始まり」:インフレーション、ビッグバン等

  ②「地球に起きた重大事件(生物編)」:生命のアーキテクチャ、大量絶滅等

  ③「地球に起きた重大事件(サピエンス編)」:コロナパンデミックの教訓、生物兵器の出現、インフェルノ等

  ④「歴史的大転換にある世界(2)」:臨界点に向かう技術革新、兵器化されるAIとバイオテロ等

コロナウィルスの発生源に関する新たな動き

 本題に入る前に、コロナウィルスの起源について新たな動きがあったので触れておきたい。コロナパンデミックに関し、中国とアメリカの専門家が改めてウィルスの起源に言及した。(参照:現代ビジネス、2023年11月24日)

 一人はWHOがウィルス研究の権威として認定した香港大学公衆衛生学院の研究員で、2019年12月に武漢で感染者が急増した時にコロナの調査にあたった閻麗夢(イェン・レイム)博士(2019年4月にアメリカに亡命)である。もう一人は米国疾病予防管理センター(CDC)の第18代所長で、コロナパンデミックの現場を指揮したエイズウィルス研究の権威ロバート・レッドフィールドJr.博士である。

 レッドフィールド博士は2023年3月に米下院の特別小委員会で「武漢研究所から漏洩した結果である可能性が高い」と証言し、ウィルスを人為的に変異させる「機能獲得研究」に対する監視強化を訴えた。レッドフィールド博士は同時に、当時米国政府が武漢ウィルス研究所と共犯関係にあったと指摘している。

 イェン博士は「新型コロナの特徴と中国のプロパガンダ戦を告発する3つの論文」、いわゆる『イェンレポート』を2020年9月以降に相次いで公表した。機能獲得研究が感染症の治療法やワクチン、治療薬の開発に大きく貢献する一方で、生物兵器として国家テロに利用される危険性に警鐘を鳴らしている。イェン博士はさらに、「欧米先進国と比べて人権意識の低い中国はさまざまなウィルス研究のメインフィールドになってきた。」と証言している。

 米中の第一人者である二人の意見は、以下の四点で一致している。

①新型コロナウィルスには人間の細胞と結合しやすいスパイクタンパク質が含まれていて、自然発生説の中間宿主に関する理論や実験結果と一致しない。

②これらの部位には、人為的な改変の痕跡がはっきりとある。

③SARS及びMERSウィルスは人から人への感染力は弱いが、新型コロナは最初から強すぎる能力を持っていて、自然界で進化したコロナには見られない特徴である。

④アメリカCDCと武漢ウィルス研究所には協力関係があった。

≪生命の起源≫

 さて本題に移ろう。ダン・ブラウンは、映画「ダヴィンチコード」や「天使と悪魔」、「インフェルノ」の原作者として知られている。小説「オリジン」の中でダン・ブラウンは、天才科学者が最強のツール≪SC+AI≫ を使ったシミュレーションを仮想のタイムマシンとみなして、「生命進化の起源と未来」の謎に挑むというテーマを取り上げている。このテーマについて、『奇跡の物語』の視点から検証を加えてみたい。

 関連資料②で書いたように、科学は生命の起源について以下の事実を明らかにしてきた。第1に「生物の進化」については、約38億年前に単細胞生物が、約10億年前には多細胞生物が登場し、約6億年前には「カンブリア爆発」が起きて、さまざまな動物が一斉に誕生した。第2に、絶滅した生物を含む地球上に存在した全ての生物が単一の「アーキテクチャ」を共有している。一方、最初の生命がどうやって誕生したのかについては謎のままである。

 科学が解明したことは、最初に地球に誕生した単細胞生物の子孫として進化を繰り返し、全ての生命が誕生したという事実だった。ここで「生命のアーキテクチャ」は以下の三つである。

  ①遺伝情報の記録と伝達にDAN、RNAを用いていること

  ②エネルギーの授受にATP(アデノシン三リン酸)の酸化還元反応を用いていること

  ③タンパク質の合成に同一の20種類のアミノ酸が利用されていること

 小説でははじめに、最強のツール≪SC+AI≫に、今までに人類が明らかにしてきた科学の知見をインプットしてシミュレーションを行い、「生命誕生の起源」の謎に挑んでいる。小説の中で天才科学者が注目したのは、1950年代に二人の科学者が行った伝説的な実験だった。

 ユーリー博士(Harold. Urei)とミラー博士(Stanley. Miller)は1950年代に、原始の海洋と大気の組成を再現した「原始の海」を実験室に作り、落雷に代わる電気ショックを与えて、生物のアーキテクチャに係る有機物が生成されるかどうかを確かめる実験を行った。実験の結果、数種の有機化合物(アミノ酸)が無機物から生成されたものの、生命に繋がる物質は生成されなかった。

 ただし現代から眺めると、ユーリー/ミラーの実験には重大な誤りが二つあった。一つは原始の海の組成が現在の知識とは異なっていたこと、他一つは実際には数億年かかって起きた変化を短期間で確認しようとしたことだ。

 ならば現在までにサピエンスが解明し蓄積してきた最新の知識を境界条件として与え、数億年に及ぶ時間経過を模擬するシミュレーションを≪SC+AI≫にさせればいい。シンギュラリティの時代の最強ツールなら、「生命の起源」の謎を解明できる。そう考えた天才科学者がシミュレーションを実施した。・・・小説はそういう物語展開となっている。その結果、最初の生物は地球環境の中で十分な時間経過の後に自然発生したことが示される。

 「生命の起源」問題の答えは、科学か宗教かの二者択一を迫るものだ。即ち原始の地球環境で自然発生したとなればそれは科学の範疇であり、そうでなければ神が作り給うたという二つだ。シミュレーションの結果は自然発生だった。実際に原始の海で起きた変化も恐らくそういうことだったと思われる。

散逸構造とエントロピー

 この物語を科学的に解釈すると、「生命は地球環境における散逸構造の一つであり、原始の海で自己組織化メカニズムが働いて自然発生的に誕生した」ということになる。

 生物のみならず宇宙で進行中の変化は、以下の何れかに分類される。

  ・エネルギーの流入がある環境では、エネルギーを使って秩序が形成される

  ・エネルギーの流入がない環境では、エントロピーが増大する(混沌さが増す)

 そして生物という存在は以下の三点に集約して理解することができる。(参照:ダイヤモンドオンライン『私達の体の多くの部分はいつも入れ替わっている』、更科功、2019年12月21日)

 第1に物理現象として捉えると、生物はエネルギーを得て形成された秩序であり、エントロピー増大法則(熱力学第二法則)に反している。

 第2に地球環境と生態系の関係として捉えると、生物は地球環境におけるエネルギー散逸に貢献していて、生態系全体としてエントロピー増大法則に従っている。

 第3に進化という視点から眺めると、生物は子孫を残し世代交代して「生態系の進化」という大きな物語の小さな役割を演じている。

 参考までに散逸構造の分かり易い事例を挙げれば、落雷は空中に蓄積される電気エネルギーを散逸する自然現象であり、渦潮は流れ込む潮流のエネルギーを拡散させるために自然に形成される構造である。人間社会で言えば、都市は常に流れ込むエネルギーや資源を消費することで形成され維持される社会構造であり、人々がさまざまな活動を行って廃棄物(エントロピー)を吐き出している。

≪進化の未来≫

 小説は次に二つ目のテーマとして、生物進化が辿った歴史を≪SC+AI≫にインプットして、≪進化の未来≫を予測するという展開になる。シミュレーションの結果、近未来にはサピエンスに代わる「新しい種」が登場し、地球の主役が交代して、サピエンスは淘汰される未来が描かれる。これこそがシンギュラリティに到達したAIが人類の脅威として恐れられる理由である。

 前と同様に、この物語に科学的な考察を加えてみよう。そもそも未来を予測することは可能だろうか。

 確かにスーパーコンピュータ(SC)の能力は今後も指数関数的に能力が向上してゆくだろう。人工知能(AI)もこれからシンギュラリティを達成し、さらに飛躍的な進歩を遂げてゆくことは間違いない。さらに人類が積み上げてきた知(K)の体系も増加してゆくだろう。では近未来の≪SC+AI≫は最新の≪K≫を使って、次の予測を行うことができるだろうか。

  Q1:今後「生命の進化」の物語はどういう展開になるのだろうか

  Q2:生物の絶滅は過去に5回起きたが、次の絶滅はいつどういう形で起きるだろうか

 答えはネガティブであろう。シミュレーションの特性であり同時に限界でもあるのは、シミュレーションを行うためには「モデルの記述」と「パラメータの設定」が必須であって、これを誤ると全く異なる結果がもたらされることだ。今後幾ら≪SC+AI≫が進歩を遂げたとしても、現在から未来に至る変化をもたらすモデル(宇宙で言えば物理法則)の記述と、適切なパラメータの設定が可能となるとは思えない。

 分かり易い身近な例として天気予報を考えてみよう。天気予報に対する現状の評価は概ね次のようなものだろう。

  ・明日の予報は概ね当たるが、1週間先の予報は当たらない

  ・但し明日雨が降ると言っても、正確な地域と時刻を予告することは出来ない

 これは次のように説明できる。日本及び周辺海域の気象予報を正確に行うためには、気象衛星ひまわりの解像度を上げるだけでは不十分で、周辺海域のさらに外側の気象と海象に関するきめ細かな観測情報を境界条件として付与する必要がある。日本の気象に影響を及ぼす大きな因子として、大陸からは偏西風に乗って高気圧や低気圧が間断なくやってくるし、南方からは台風が、北方からは寒気がやってくる。同時に日本列島を挟むように黒潮と親潮が流れていて、その海水温は気象に大きな影響を及ぼしている。気象庁はこれらの刻々の観測データを境界条件として≪SC+AI≫に与えてシミュレーションを行い、天気予報を行っているのである。

 もう一つ例を挙げよう。生物進化の歴史には、5回の大量絶滅(ビッグファイブ)が起きたことが分かっている。では絶滅を起こした原因はどこまで解明されているだろうか?恐竜を絶滅させた5回目の絶滅(6600万年前)が、ユカタン半島に衝突した直径10km程の隕石によってもたらされたことを唯一の例外として、それ以外の絶滅については、地球内部由来(大規模火山噴火、巨大地震など)か、宇宙由来(物体の衝突)かすら特定できていない。

 その原因は、地球内部のダイナミズム(プレートやプルームの動き)が解明できていないので、巨大地震も巨大噴火も予兆現象が起きるまで予知できないことにある。同様に、小惑星や流星や隕石についても、次の地球衝突のXデーがいつになるかは、その物体が観測網によって探知されるまで予測できないのである。

 生物進化にせよ、宇宙膨張にせよ、未来を予測するためには、現在から未来に向かう変化をもたらす物理法則(シミュレーションにおけるモデル)と境界条件(パラメータ)を明らかにする必要がある。但しここに人知の限界が立ち塞がる。物理法則にも境界条件にも、現代の人類が解明できていない未知の要素が存在するのである。

 分かり易い例がダークマターとダークエネルギーだ。但しそういうファクタを考慮しなければ宇宙の振る舞いの辻褄が合わないということだけで、その正体は皆目分かっていない。仮説としての概念があるだけで、その振る舞いを記述する物理法則が分からないのだ。

 では最強のツール≪SC+AI≫が進化して、サピエンスに代わってAIが科学的知見を探究して、現状未発見・未解明の領域に踏み込んで科学を深耕してゆくということはあり得るだろうか?恐らくネガティブである。何故なら探究はサピエンスの知的好奇心に基づく行動であり、観測や実験などの作業が不可欠だからだ。≪SC+AI≫が言わば手足を持たない、頭だけの存在に留まる限り、言い換えれば≪SC+AI≫がツールに留まる限り、サピエンスに代わることはあり得ない。

≪宇宙の起源≫

 ダン・ブラウンが小説≪オリジン≫で提起したテーマがもう一つある。後段で主人公ラングドンに語らせた言葉が、三つ目のテーマを示唆している。それは「物理法則に生命を創造する力があるのなら、物理法則を創造したのは一体誰なのか?」という問いだった。この問いこそは「生命の起源からさらに遡り、宇宙の起源に係る」究極の問いに他ならない。

 生命の起源を辿るのと同じように、思考実験で宇宙の起源を遡るとしよう。現在予測されている宇宙の始まりの物語は凡そ次のようなものだ。(関連資料①参照)

  ・宇宙は凡そ138億年前に突然始まった

  ・直後にインフレーションが起きて空間が瞬間に大膨張した

  ・インフレーションを起こした「真空のエネルギー」が膨大な熱を発生した

  ・超高温となった結果、膨大なエネルギーによって物質が生成されビッグバンが起きた

 これは途方もない仮説であって、素人の理解を遥かに超えているのだが、一つはっきりしていることは「宇宙の起源」というのは現在の物理法則すら成り立たない特異点であることだ。

 つまり「生命の起源」と「宇宙の起源」には決定的な違いが存在する。「生命の起源」問題は、既に地球上にあった無機物質からどのようにして最初の生命が誕生したのかだった。そしてその解は科学か宗教かの二者択一、二律背反だった。

 これに対して「宇宙の起源」問題は、現在の宇宙に存在する物質構造とエネルギー、それに物理法則がどのようにして生まれたのかという究極の問いである。単刀直入に言えば「無から有がどのようにして生まれたのか」ということであり、現代の科学は全く歯が立たない難問なのである。科学で立ち向かうことが無理なのであるから、宇宙の起源をもたらしたものを「神」と呼ぶとしても何ら違和感は生じないだろう。この難問の解は唯一つしか存在しない。科学と宗教の二者択一ではなく二律背反でもない。科学も従来の宗教も無力なのだ。ここでいう「神」は宗教にみられる人間中心の神ではなく、宇宙の創造神としての「神」、即ち宗教すらも超越している「神」であることを付け加えておきたい。