戦後政治の課題
「有事の総理大臣」三部作から浮かび上がった、戦後政治の課題は三つに集約される。
- 課題1:日本は四半世紀にわたりデフレに喘ぎ、1995年~2020年の25年間に米国の1/3の規模にGDPが縮小した。致命的な政策の誤りは、プライマリーバランスを至上命題とした予算編成にあった。(https://kobosikosaho.com/daily/480/)
- 課題2:レイ・クラインの国力の方程式によれば、国力には「戦略目的+国家意思」が乗数項として働く。戦後の日本は専らアメリカに従属し中国に忖度する政治を行ってきたために、政治の命題として「国益を最大化する」という認識が希薄であった。その結果、戦略目的及び国家意思を明確にしない政治を続けてきた。(https://kobosikosaho.com/daily/485/)
国力=(人口・領土+経済力+軍事力)×(戦略目的+国家意思)
- 課題3:日本の戦後史は太平洋戦争の敗戦から始まっているが、日本は戦争を未だに総括しているとは言い難い。この結果、歴史観はウヤムヤのまま、国家観は曖昧のまま政治を行ってきたのではなかったか。歴史観・国家観が曖昧なために、国際社会において日本の本来の役割を果たす外交を必ずしも展開できていない。(https://kobosikosaho.com/daily/494/)
三つの課題は何れもが政治の在り方に関わる。これらの課題を打開するためには、戦後政治の転換が必要である。具体的にいえば次のとおりである。
- 対策1:プライマリーバランスを至上命題としてきた予算編成を、「国力・国益を最大化」する予算編成に転換する。
- 対策2:「できることをやる」政治を、「やるべきことをやる」政治に転換する。
- 対策3:まず産業革命以降の人類の近代史と、縄文以降の日本文明を俯瞰した歴史観と国家観を明確に描く必要がある。それをもとに国際社会における日本の立ち位置と進路を再確認し、国際社会において日本が担うべき役割を実践する国家へ転換する。
上記三つの対策は何れもが戦後政治の転換に関わるものであり。転換の第一歩は政策を考える思考法を改めることから始める必要がある。
現代では国家としての政策決定、企業としての経営戦略の決定等、意思決定はますます複雑になり、しかも一層の迅速さが求められている。高度な情報化社会にあって、物事が複雑に絡みあう複雑系と呼ばれる現代では、先例や経験と勘を中心とした意思決定手法はもはや通用しない。政治や経営に関わる情報を集めて分析した上で、工学的な手法を適用した意思決定が求められる。しかもそれをタイムリーに行わなければならないのだ。
システム思考
その基本となるのがシステム思考である。システム思考は政治や経営、あるいは個々の意思決定問題をシステムと捉えて論理的に思考する方法論である。システム思考の基本形は図1のように図解することができる。
システム思考では、命題、投入資源、制約条件、考慮事項に分類し て、関係する事項を整理することから始める。
手順としては第一に、命題は何か、つまり政治や経営において何を実現したいのかを明文化する。次に制約条件と考慮事項を洗い出す。ここで注意すべきは、制約条件と考慮事項の判別である。最後に、投入すべき資源を列挙する。命題、制約条件と考慮事項、投入資源を整理できた時点で、課題の全体像を図解できたことになる。
それを1枚の紙に表現して、ではどういう手段を講じれば命題を最も効果的かつ効率的に実現できるのかを考える。このようにシステム思考とは目的志向であり、工学的な思考法である。
事例1:政府の予算編成
具体的な事例を取り上げて説明しよう。事例1は、政府が行う予算編成である。次年度の予算編成に向けての「経済財政運営と改革の基本方針2021(骨太方針2021)」は6月18日に閣議決定されている。それによれば、「財政健全化の堅持」の項目に以下の記述がある。
「経済あっての財政」との考え方の下、デフレ脱却・経済再生に取り組むとともに、財政健全化に向けしっかりと取り組む。・・・こうした取組を通じ、600 兆円経済の早期実現と財政健全化目標の達成を目指す。
骨太の方針は、予算編成の基本方針であり、そこに「経済再生と財政健全化目標の達成を目指す」と書かれているのだ。図1にこれを当てはめれば、閣議決定は次年度予算編成方針を次のように設定したことになる。
・命題=デフレ脱却、600兆円経済の早期実現、財政健全化目標の達成
骨太の方針は予算案を作る各省庁に対する指示書であるから、それを受ける省庁の視点から見れば、以下の条件で予算案を作れということになる。
・命題=デフレ脱却、600兆円経済の早期実現
・制約条件=財政健全化目標を達成する
一般論として、経済再生のためには財政支出を大胆に増やす必要があり、一方財政健全化は財政支出を抑制することと等価である。つまり骨太の方針は、財政支出のアクセルとブレーキを同時に踏めという指針であり、これではデフレから脱却できる力強い推進力を持った経済政策が出てくるわけがない。
「日本は四半世紀にわたりデフレに喘ぎ、過去25年間でGDPが米国の1/3の規模に縮小した。」と9月3日のコラムに書いた(https://kobosikosaho.com/daily/480/)。骨太の方針がいみじくも「経済あっての財政」と書いているように、何よりも必要なのは力強い経済を取り戻すことである。そのためには、骨太の方針は、たとえば以下のように解釈されるものであるべきだ。財政健全化は考慮事項であって制約条件ではなく、況や命題ではありえない。
・命題=国力を最大化する、力強い経済を取り戻す、GDP成長率△%を達成する
・制約条件=なし
・考慮事項=財政健全化を考慮する
事例2:中国に対する人権侵害非難決議
事例2では、6月17日に自民党が最終的に見送った「中国共産党による深刻な人権侵害を非難する国会決議」を取り上げる。当時の自民党がとった思考過程を図1のシステム思考に当てはめれば、次のようになるだろう。
・命題=日本も非難決議を出し、民主主義の先進国としての役割を果たす
・制約条件=自公連立の選挙協力に影響を及ぼさないこと
これに対して本来の思考過程は、たとえば次のようなものである。
・命題=日本も非難決議を出し、民主主義の先進国としての役割を果たす
・制約条件=なし
・考慮事項=欧米主要国は既に決議を決めた、公明党の党内調整が終わっていない
中国に対する非難決議を巡る自民党の致命的な誤りは、国際社会において国益を守り役割を果たすことよりも、公明党への配慮を優先したことにある。次の選挙で公明党を窮地に立たせないことが制約条件として働いた結果である。これでは本末転倒という他ない。
「できることをやる」政治から、「やるべきことをやる」政治への転換
戦後の日本は専らアメリカに従属し、中国に忖度する政治を行ってきた。このために、政治に「国力・国益を最大化する」という使命感が希薄である。また、国際社会から日本の外交政策はNATO(No Action Talk Only)と揶揄されており、戦略目的、国家意思が感じられない。
総括的に言えば、戦後の日本は「できることをやる」政治に終始してきた。「できること」には「できない言い訳」が用意されており、憲法自体ができない理由の一つになってきた。
戦後76年が経ち、台湾有事が起こる可能性が高まり、日米同盟が発動される蓋然性が高まっている。中国による台湾侵攻事態が起きるか、それとも不動産バブル崩壊から中国発金融危機が起きるか、あるいは共産党内部の権力争い等により内部の騒乱が深刻化するか、何れの可能性が高いのかは予測困難である。
どういう展開になろうとも、有事事態へのカウントダウンは始まっており、台湾有事級の事態が起これば、国民の生命と領土を守るための政策を次々に発動しなければならなくなる。戦後ずっと「ダチョウの平和」に甘んじてきた戦後政治を転換して、「やるべきことを毅然とやる」政治を取り戻さなければならない。
端的な例を挙げれば、もし中国が台湾にサイバー戦やウィルス戦を含む武力侵攻を行った場合、台湾にいる日本人を短時間で国外退去させなければならない事態となる。小田原評定をしている余裕は全くないのである。このことは8月末にアフガニスタンからの米軍撤退時に現実のものとなった。但し、台湾とアフガニスタンとでは在留邦人の数は桁が違うことを忘れるべきではない。
我が国は、東日本大震災とコロナパンデミックという有事級の重大事態を経験してきたが、次にやってくるのは安全保障に関わる有事となる可能性が極めて高いのだ。
戦後レジームの超克
日本は現在一つのジレンマに直面して立ち往生しているように見える。それは「内なる怪物」を放置したままでは「外なる怪物」に対処することができず、「外なる怪物」に対処する有事モードの中でしか「内なる怪物」を退治できないというジレンマである。(https://kobosikosaho.com/daily/494/)
無論、内なる怪物とは戦後レジームであり、外なる怪物とは中国である。そして戦後レジームとは、「対米従属、対中忖度」に象徴される戦後政治の枠組みと、メディアの役割と責任、国民の理解を含む総体である。戦後、戦後レジームを是正せずにやってきた結果、できることをやればいいという政治形態が定着してしまった。図1に従い図解して示せば、それは次のようなものだった。
・命題=制約条件と考慮事項の範囲での国力・国益の最大化
・制約条件=憲法、関連法規定、日米同盟
・考慮事項=中国を怒らせない
ここで注目すべきは、「日米同盟があるから、それは日本の役割ではない。憲法の規定があるからそれはできない。」という、制約条件が「できない言い訳」となってきた事実である。
これに対して、「やるべきことをやる」政治形態は、たとえば次のように表現できる。
・命題=無条件での国力・国益の最大化と国際社会での役割の遂行
・制約条件=憲法、関係法規定、但し国民の生命と領土を守る障害となる場合を除く
・考慮事項=日米同盟関係を維持、中国を国際秩序に従わせる努力を継続
ここで注目すべきは、憲法を含む法律上の諸規定は、政策を考える上で制約条件として働くことは言うまでもないが、有事事態では、国民の生命と領土を守る上で障害となる場合には、制約事項をも躊躇なく見直すことを余儀なくされる。「憲法を守って国民の生命や領土を守れず」となっては本末転倒だからである。
まとめ
幾つかの事例を取り上げて、システム思考を説明した。システム思考の重要なことは、命題、制約条件、考慮事項を整理した上で、如何なる手段を講じたら命題を実現できるかを一切の先入観や前提条件なしに論理的に考え抜くことにある。
補足すれば、命題を達成するために必須であれば、外交を戦略ゲームと捉えて、ゲームの構図やルールを日本に有利なように作り替える努力も排除しないということだ。但しそのためには国際社会から期待されている役割を日本が毅然として果たす外交が必要となることは言うまでもない。
さらに、戦後レジーム=内なる怪物を退治し、如何なる国にも従属も忖度もしない自立した国家政治形態は、たとえば次のように表現できるだろう。
・命題=国力・国益の最大化と国際社会における日本の役割の遂行
・制約条件=歴史観・国家観に基づき行動する
・考慮事項=外交を戦略ゲームと捉え、ゲームの構図とルール形成の活動を強化する
戦後の日本が自らに課してきた制約である戦後レジームは、「やるべきことをやる」政治へ転換する過程で、一つ一つ打破してゆく他ないと思われる。
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