オーストラリアの決断

トランプ政権がとった対中宣戦布告

 オーストラリアの決断について書く前に、トランプ政権が中国に対してとった一連の政策を俯瞰的に総括しておきたい。

 ペンス副大統領演説(2018.10.4)を皮切りに、レイFBI長官講演(2020.7.7)を経て、ポンペオ国務長官演説(2020.7.23)に至る一連の演説と、中国に対しトランプ政権がとった一連の経済政策は、一つのシナリオに基づいた軍事力こそ行使しないものの総力戦だったと理解すべきだろう。

 後にトランプ政権の大統領補佐官(通商担当)に就任したピーター・ナヴァロが2015年に書いた『米中もし戦わば』が、トランプ政権がとった対中政策の下敷きになっている。「今中国の力の増強を止めなければ大変な事態になる」との認識に立って、「肉を切らせて骨を断つ」意思決定をしたのがトランプ大統領による一連の経済制裁だった。

 そして、7月22日には戦略国際問題研究所(CSIS)が、『日本における中国の影響力』と題する報告書を公表した。報告書は国務省のグローバル関与センターの支援を得て作成されていることから、米国が中国に対し総反撃を行うにあたり日本に警告したものと考えられる。報告書は安倍首相の政策を親中に誘導しようとする勢力として、二階幹事長、今井首相補佐官、公明党らを名指ししている過去に例のないものだ。

 安倍総理は、この一連の動きの中で8月28日の記者会見で辞任を発表した。表向きは健康問題であったがアメリカの対中政策と無関係である筈がない。

 ペンス演説は中国の悪行を列挙した後で、中国が総力を挙げて連邦政府と地方政府、企業幹部等を対象とした「目に見えぬ侵略(Silent Invasion、以下SI)」を仕掛けていることを明らかにした。

 レイFBI長官は講演の中で、ペンス副大統領の演説を踏まえて、中国がアメリカに対し行ったSIについて具体的かつ詳細に述べている。主要点を以下に紹介する。

「FBIは今10時間ごとに新規の中国関連のスパイ防止活動を開始しなければならない。現在FBIが抱える年間5千  件近いスパイ防止活動の半数が中国に関係したものだ。」

「中国はいわゆる『千人計画(Thousand Talents Program)』を通じて、科学者たちにアメリカの知識を密かに持ち帰らせるべく魅惑的な話を持ちかけている。」

「中国共産党がアメリカ人を操るツールは、我々が『有害な外交的影響力』と呼ぶものである。その効果は政府に対して破壊的で、言葉に出せない犯罪的なものであり、我が国政府の政策を揺さぶる高圧的な企みであり、我が国の公的立場を歪曲し民主主義的プロセスと価値観における信頼を弱体化させるものである。」

「2014年から習近平は『キツネ狩り』として知られる計画の陣頭指揮を執っている。それは習近平が脅威と考える海外在住の中国人を標的としたもので、アメリカに数百人の被害者がいる。被害者の多くはアメリカ市民権を持っているか、永住権保持者である。中国政府は彼らを強制的に中国に戻すために、アメリカに工作員を送りこんで家族を訪問させ、直ぐに帰国するか自殺するか二者択一を迫っている。もし拒否すればアメリカや中国に住む家族が脅迫され、帰国すれば逮捕される。」

 レイ長官はまとめとして、アメリカ国民が肝に銘じるべき三点を挙げて注意を喚起している。第一に、我々は中国の野心に目を見開いていなければならない。第二に、中国はサイバーによる侵入から信頼される内部者を買収するまでの全てを、幾重もの洗練された手法を使って実行する。第三に、中国は我々と根本的に異なるシステムを持っていて、我々の寛容性に付け込むために手段を選ばない。

〔注〕レイ長官の講演の和訳はRicky Elwoodによるものを参照した。

オーストラリアの勇気ある発言

 オーストラリアに対するSIについては、以下の書籍及び記事を参照した。

資料1:『目に見えぬ侵略、中国のオーストラリア支配計画』、クライブ・ハミルトン(Clive Hamilton)、飛島新社、邦訳2018.3.20、原作2018.3.20

資料2:『世界の未来は日本にかかっている』、アンドリュー・トムソン(Andrew Thomson)、育鵬社、2021.4.1

資料3:『脱中国に本気のオーストラリア、AUKUS創設主導の狙いを詳解』、樋口譲次、JBPress,2021.10.14 (https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67285)

資料4:『崖っ淵に立つ日本の決断』、古森義久/門田隆将、PHP、2021.12.10

 オーストラリアのスコット・モリソン首相が、2020年4月23日の記者会見で「新型コロナウィルスの感染拡大の原因に関する国際的な調査を行い、WHOの全加盟国がこれに協力すべきだ。」と述べた。この一言が豪中関係を一変させることとなった。

 この発言に激怒した中国は、牛肉を輸出しているオーストラリアの4つの食肉処理場からの輸入許可申請を、5月12日から一次的に停止することを決めた。次いで5月18日には、オーストラリア産大麦に対し今後5年間で80%強の高い追加関税を提供すると発表した。これは中国がどう説明しようとも、モリソン首相発言に対する露骨な報復であることは明らかだ。

 これらの報復措置を受けて、オーストラリアは大麦に対する中国の制裁関税について12月にWTOに提訴し、2021年6月にはワインに対する制裁関税でも提訴すると発表した。

 ちなみに2019年度の豪中間の貿易額は1589億ドル(約17.5兆円)で、オーストラリアから見れば489億ドル(約5.4兆円)の貿易黒字だった。オーストラリアにとって中国は最大の貿易相手国で、輸出の約4割を占めている。

オーストラリアの決断

 オーストラリアが中国によるSIに目覚めたきっかけは、2011年に国会議事堂の電子メールシステムが大規模にハッキングされた事件だという。そしてオーストラリアが中国と対決する決心を固めたのは、亡命者から得た驚愕の証言だった。資料4で、古森義久は次のように述べている。

「オーストラリアはつい数年前まで中国との関係は密接だった。それがここ二三年、中国の一等書記官、外交官、工作員らの亡命が相次ぎ、そこから2004年8月に北京で行われた秘密会議の内容が露見した。そこでは当時の胡錦涛国家主席が≪オーストラリアの属国化≫という言葉まで使っていた。この暴露にはさすがにオーストラリアも憤慨し、毅然とした態度をとる一因となった。」

 かくして、オーストラリアは中国との本格的対立を決断した。その理由は、中国の経済制裁による損失や報復措置を考慮に入れてもなお、中国の攻撃から国家主権や国益を守ることが優先だと判断した結果である。保守連合政府はこの決断に臨み一瞬も躊躇しなかったという。

 トムソンはオーストラリアの法律は中国からのSIに対処するには不十分だったと述べている。このため、オーストラリアは「外国影響透明化法」を作り2019年から施行した。この法律は中国からの献金の禁止とスパイ犯罪を捕捉し、秘密裏に行われる影響工作の全範囲を刑事犯罪化することにより、国内の外国人と外国法人に透明性を強制することを骨子としている。

 さらに、地方政府や教育機関が外国と締結した協定を、連邦政府が破棄できる法律を2020年12月に制定した。それに基づき、2021年4月21日にビクトリア州が2018年~19年に独自に中国と結んだ一帯一路に関する協定を破棄することを発表した。

オーストラリアに対する中国のSI

 ハミルトン教授は2016年8月に起きた労働党上院議員のスキャンダルを契機に、中国人の富豪が政治家に対する最大の資金提供者となっている事実を突き止めた。ハミルトン教授は「中国は民主主義を利用して民主主義を破壊する」と指摘している。

 トムソンは1995~2001年にオーストラリア連邦議会議員で、外務副大臣やスポーツ環境省大臣等を歴任し、現在は日本に在住している。トムソンによれば、習近平はオーストラリアの天然資源を獲得するために、オーストラリアを属国にすべく様々な方法でSIを開始したという。

 オーストラリアでは1970年代末から中国からの移民や留学生が急増し、2018年現在で130万人を超え、全人口の5.2%を占めるまでになった。以下に、上記資料が明らかにした中国によるSIの代表的な事例を示す。

・中国企業が大挙して進出し、オフィスビル、アパート、ゴルフリゾート、分譲住宅等大規模不動産開発事業に着手した。そこで得た莫大な利益を利用して、州および連邦レベルで政治家、特に労働党議員たちに献金を始めた。

・大学や学校では、孔子学院が中国政府のプロパガンダと有害な影響を拡散する機関として活動していた。留学生の間にはスパイネットワークが形成され、オーストラリア主要都市の中国領事館にはそれを統括する専門の職員が配置されていた。

・人民解放軍のハッキング部隊がオーストラリアの鉱業企業に対するハッキングを開始し、政治家の電子メールアカウントをハッキングした。

・不動産に対しては、中国人が農地を買いあさり、その農地所有数は英国人に次ぐ2位になるまでに増加した。(土地全体では英中で全体の25%を占める)

・重要な社会インフラに対しては、2014年に中国企業が世界最大の石炭積出港、ニューキャッスル港を買収した。2015年には別の中国企業が安全保障上の要衝であるダーウィン港の「99年の租借権」契約を結んだ。2016年には投資家コンソーシアム(中国国営ファンド・投資有限責任公司が20%を占める)がメルボルン港を購入した。

・さらに、中国国営企業が「ビクトリア州の5つの電力会社の所有権と、南オーストラリア州唯一の送電会社の一部」を所有し、この送電会社の残りの所有権は香港の企業集団が握っていて、電力もほぼ掌握した。

・選挙に対する干渉では、2019年のオーストラリア総選挙で、中国の情報機関によると見られる議会へのサイバー攻撃や中国人の候補者擁立などの工作が行なわれた。

AUKUS(豪英米軍事同盟)

 資料3で、樋口譲次は「オーストラリアの決意は、フランスとの潜水艦共同開発計画を破棄し、国家存亡をかけて米英との新たな軍事同盟としてのAUKUS創設を選択した方針転換に表れている。」と評している。

 AUKUSは、豪英米三ヵ国名(Australia、UK、USA)を綴ったものであり、中国の脅威に対抗する軍事同盟である。対中国の枠組みとしては、既に米日豪印の四ヵ国によるQUADがあるが、QUADは非軍事に軸足を置いていることから、属国化しようとSIを仕掛けてきた中国に毅然と立ち向かうために、オーストラリアが英米に働きかけAUKUS設立を説得したのが真相と思われる。

 AUKUSの具体的取り組みとして、オーストラリアはフランスと2016年に合意していた、推定300億ユーロ(約4兆円)の次期潜水艦開発プログラムを中止し、米英が原子力潜水艦の技術を提供することで合意したことを今年の9月15日に明らかにした。

 樋口によれば、AUKUSは量子コンピューターからAI、電子戦、ミサイル、サイバーに至る最先端技術の分野における軍事協力へと発展することが期待されているという。

そして日本

 中国は米大統領選において民主党政権を全面的に支援し、バイデン政権誕生に大きな影響力を行使した。オーストラリアではビクトリア州の首相を取り込んで一帯一路の契約を交わし、港湾や電力網などの重要社会インフラを手に入れた。

 こうした驚愕の事例の教訓として、真に恐れるべきことは、内部に強力な協力者とネットワークを形成する中国の手口である。それ故に「目に見えぬ侵略(SI)」と呼ぶ。中国によるSIは極めて長期的かつ戦略的であり、かつ手段を選ばない。これは決して他山の石ではなく、中国によるSIは米国とオーストラリアに限定されたものではない。

 我々日本人は、CSISがまとめた「日本における中国の影響力」報告書が、日本に対するアメリカからの警鐘だったことを肝に銘じる必要がある。北海道の山林や全国の不動産を中国資本が買い漁っている事実はかなり前から報道されてきた。また「千人計画」に応募して協力している日本人は、企業や大学のOBを中心に多数いることは既に公知の事実となっている。

 米国やオーストラリアと同じ手口で、中国は日本に対しSI工作を行ってきており、現在も進行中だとみるべきだ。中国共産党幹部の秘密会議で、「日本を属国化する」という発言がなかったとは言い切れない。また6月23日に「中国政府による深刻な人権侵害を非難する国会決議案」が自民党と公明党によって葬られたことはまだ記憶に新しい。二階幹事長も公明党もCSISの報告書に実名で指摘されている。背後に中国によるSIが働いていなかったと言いきれるだろうか。

 また我が国の安全保障に関わる技術開発への参加を日本学術会議は頑なに拒否しているが、その一方で中国の技術開発には協力し、結果として中国の軍事技術に貢献していることももはや公然の事実である。これもSIの一環とみるべきではないだろうか。

 オーストラリアと比べて日本の国力は大きい。四半世紀の間にGDPが低迷し中国の1/3となった日本だが、対中国という意味で日本の発言と行動は今でも大きい。米国はトランプ政権の時に中国のSIに対し総力戦としての反撃を開始した。オーストラリアも属国化の危機に直面して立ち上がった。欧州も中国の異常さにようやく覚醒して、自由で開かれたインド・太平洋構想(FOIP)の諸活動に参加するようになった。 地政学的に中国の隣国に位置し、経済や技術開発分野で中国が一目置く日本がいつまでも傍観を続けていい筈がない。

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