戦後の総理大臣(2)

外交・安全保障

 国民の安全と領土・領海・領空を守り、国を豊かにすることは総理大臣に託された使命である。では、有事の総理大臣に求められる資質・能力とは何だろうか。第2回は外交・安全保障から考える。

 米国中央情報局(CIA)の分析官だったレイ・クラインは1975年に「国力の方程式」を提唱した。この方程式はあくまでも概念的なものだが、直截簡明で分かり易い。

 国力=(人口・領土+経済力+軍事力)×(戦略目的+国家意思)

 ここで、人口と領土は最も基盤となる国力の要件だが制御可能ではないので除外する。この方程式は、国力を強化するために政策としてめざすべきは、経済力を高め軍事力を強化すると同時に、戦略目的を明確にして、それを遂行する強い国家意思を持つことだということを示している。

 外交とは、国家意思をもって戦略目的を達成するために、国際社会で行う交渉と調整であるだろう。そして安全保障とは、狭義には軍事力をもとに国民の生命と暮らし、領土・領海・領空を保全する取り組みであり、広義には経済力をもとにエネルギー、食料、資源など、国民生活や国の活動のために必要な諸要件を確保する取り組みである。

 そう理解した上で、改めて国力の方程式を眺めてみたい。ここで注目すべきは、×(戦略目的+国家意思)の部分である。

平和ムードから有事モードへ

 9月5日に東京パラリンピックが成功裏に終了した。世界がコロナパンデミックの渦中にあるときに、平和の祭典である東京五輪の一連の行事を日本が開催し無事に完遂したことは、特に国際情勢の視点からみれば、素直に評価すべきだと思う。

 五輪の閉幕に合わせるかのように、8月30日に米軍がアフガニスタンからの撤収を完了した。20年間の駐留にピリオドを打った。それに先立つ8月15日にはタリバンが首都カブールを制圧している。

 9月4には、英国の最新鋭空母クイーン・エリザベスが横須賀に来港した。クイーン・エリザベスは8月24日に沖縄南方海域で、米海軍、海上自衛隊、オランダ海軍と合同の演習を行っている。これは米国が主導する「大規模国際演習21(Large Scale Global Exercise 21)」の一環として行われた。(https://www.epochtimes.jp/p/2021/08/77962.html

 8月24日~26日には、中国空軍の無人偵察機BZK-005、無人攻撃機TB-001各1機が、情報収集機や対潜哨戒機とともに、宮古海峡を越えて西太平洋を飛行した。明らかに英空母を中心とする合同演習に対するけん制と考えられる。(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66796

 来年の北京五輪開催の是非、参加の是非を巡って、これから米欧・民主主義国対中国の対立が激化し、国際情勢は緊迫の度を強めてゆくことが予測される。平和の祭典が終わり、世界は平和ムードから有事モードへ情勢が変化してゆくだろう。

日米が育ててしまった、モンスター国家中国

 戦後を回顧すれば、モンスター国家中国は、当時GDP世界1位と2位だった米国と日本が中国に協力して作り上げたフランケンシュタインということになる。

 1969年1月に就任したニクソン大統領以降、米国の歴代政権は、当時の価値判断で中国に優先する課題(米ソ冷戦、9.11後の対テロ戦争、ITバブル崩壊、リーマンショック等)に対処するために、中国を支援し、優遇し、黙認してきた。

 それから約半世紀が過ぎて、2017年1月にトランプ大統領が就任して、過去の歴代政権の誤りを認めて対中政策を大転換した。政策の転換についてトランプ政権がどう考えたのかは、2020年7月23日にポンペオ長官が行った演説の中に如実にかつ丁寧に説明されている。

 ポンペオ長官はこう述べている。「21世紀を自由な世紀とするため、そして習近平が夢見る中国の世紀にしたくないなら、中国にやみくもに関与していくこれまでの方法を続けてはならないし、後戻りしてもいけない。トランプ大統領が明確にしたように、アメリカの経済、何よりも人々の生活を守る戦略が必要だ。自由世界は、中国の独裁体制に勝利しなければならない。」と。

 続けて、「今行動しなければ中国共産党はいずれ、自由を蝕み、民主主義社会が苦労して築き上げてきた秩序を破壊する。今、膝を屈すれば、私たちの子孫は中国共産党のなすがままになるだろう。」と述べている。まさしく中国に対する宣戦布告と評された、歴史に残る名演説だった。

 そして戦後76年が経ち、米中衝突の蓋然性が高まっている。8月末のアフガンからの米軍撤退は、そのための布石の一つと考えられる。

 一方、日本は1971年のニクソンショックに直面して拙速に中国に接近し、米国よりも早く中国と国交を回復させて、有形無形の莫大な支援を開始している。ジャーナリストの古森義久は2020年12月26日付のJapan In-depthに、「日本の対中政策の無残な失敗」と題した記事を書いており、その中で「日本の対中ODA供与こそ戦後最大の日本外交の失態だった」と述べている。(https://japan-indepth.jp/?p=55825

 さらに、「日本は中国に対して1979年から2018年までの約40年間、総額3兆6千億円にのぼる巨額のODAを提供したにも拘らず、自らに襲いかかる凶暴なモンスターの育成に寄与してしまった」と結論付けている。その理由として以下の三点を挙げている。

第一に、ODAは中国の対日友好には何の役にも立たなかった。中国政府が自国の国民に日本からの経済援助受け入れの事実を一切知らせなかったからだ。

第二に、ODAは中国の民主化を促進しなかった。実際の効果はむしろ逆だった。

第三に、ODAは中国の軍拡に寄与してしまった。国家開発に必要な資金を毎年、巨額に与えることにより、軍事費に回せる資金に余裕を与えてしまった。しかも日本のODAで建設する空港、鉄道、高速道路、通信網などは軍事的な効用も高かった。

日本が退治できていない「内なる怪物」

 お茶の水女子大名誉教授の藤原正彦は、8月15日付の産経新聞に、「ワクチンを恵まれる屈辱」という記事を書いている。その中で、「本質を追究しないのは日本人の特徴である。問題が起きた時に事の本質を徹底的に問い質そうとしない。和を乱すことになるからである。・・・どうしてこんな国になってしまったか。戦後まもなく占領軍はWGIP(罪意識扶植計画:藤原訳、War Guilty Information Program)に基づき、日本の歴史や文化、伝統を否定し、先の戦争でいかに日本人が悪かったかを喧伝し、日本は恥ずべき国という意識を植え付けた。この洗脳がなぜか今も生き続け、日本人は誇りを失っている。」と指摘している。

 杏林大学名誉教授の田久保忠衛は、8月11日付の産経新聞のコラム「戦後76年に思う」の中で、「防衛白書は中国の脅威を≪懸念≫という表現でごまかし、国会は新疆ウィグル自治区における中国の行動を非難する決議も出せない。」と指摘している。続けて、麗澤大学准教授で日本研究者であるジェイソン・モーガンによる次の指摘を紹介している。「戦後の日本は北方領土、靖国神社、拉致問題など何一つ解決できない、国家の機能不全とも言うべき状況に陥った。」と。

 日本のこうした現状を作り出した原因は、戦後1946年11月3日に公布された日本国憲法、1951年9月4日に締結したサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約、さらに加えるならば日米地位協定にある。憲法と二つの条約、一つの協定によって、日本が軍事的に米国に従属する体制が作られたからだ。このことが現在「戦後レジーム」という言葉に集約される、日本が内に作り上げてしまった怪物の正体である。

戦後76年、日本の大転換点

 日本は「戦後レジーム」と呼ばれる内なる怪物を退治できないまま戦後76年を生きてきた。ジェイソン・モーガンが指摘する「国家の機能不全」も、藤原正彦が指摘する「日本人としての誇りの喪失」も、怪物を放置してきた結果と認識すべきだろう。

 その間に、中国は日本の安全、領土・領海・領空を脅かす危険性の高い脅威となった。もはや米国に従属し中国に忖度するという従来の姿勢では、この脅威に対処することはできない。日本は地理的にも歴史的にも、米中対立の最前線に位置している。日本の立ち位置と行動が、国際情勢の未来を作るのだという自覚を持って、この戦後最大の危機に挑む他ない。

 重要なことが一つある。それは内なる怪物を放置したままでは、外の脅威に対処することができないということだ。同時に、戦後最大の脅威に対処するという有事モードの中でしか、内なる怪物も退治できない。この意味で、日本は戦後76年における歴史的な転換点に立っているのである。

 国力の方程式における「戦略目的+国家意思」に戻ろう。間もなく、独立国家日本としての戦略目標と国家意思が試される局面がやってくる。戦後初めて日米安全保障条約が発動される可能性が高まっている。この危機を乗り越えなければ日本の未来はないと覚悟すべきだ。

 アメリカはポンペオ長官の演説によって、過去の対中政策の誤りを総括した上で、これからの米国の戦略目的と国家意思を世界に向けて明確に宣言した。ポンペオ長官の演説は、今ではアメリカ議会の超党派による共有の認識となっている。もはや米中衝突はいつどういう形で起こるかが予測できないだけで、避けて通れない潮流となったと理解すべきだろう。

 では戦略目的とは何だろうか。それは疑う余地もなく、日本の国益を守り、国際秩序を守ることであって、断じて中国と仲良くすることではない。仲良くすることは結果としてそうなることが望ましいという話であって、戦略思考においては目的でもなければ考慮条件でもない。

 では国家意思とは何だろうか。それは日本人の誇りを取り戻し、真の独立国家としての力と気概を取り戻して、歴代の総理大臣が成し遂げられなかった「戦後レジーム」という内なる怪物を退治して、戦略目標を達成する決意に他ならない。

 よく意思表明の常套句として、「できることは何でもやる」というが、この覚悟では危機を乗り越えることはできない。何故なら、「できること」の裏には「できない言い訳」が用意されているのが常だからだ。有事の指揮官には「やるべきことを全部やる」という、退路を断った覚悟が求められる。必要ならアメリカ議会を動かし、イギリス他の民主主義国家と同盟を結び、憲法の解釈問題を棚上げしてでも意思を貫く覚悟が必要だ。

 ここで思い出される二つの演説がある。一つは安倍総理が2015年4月29日に米国連邦議会上下両院合同会議において「希望の同盟へ」と題して行った演説であり、もう一つはポンペオ長官の演説である。戦後史を転換するためには、ポンペオ長官の演説に匹敵する日本国としての「戦略目的と国家意思」を世界に向けて発信する必要がある。次の総理大臣にはできるだけ早い時期にワシントンを訪問し、米両院の議会で安倍総理の演説に続く、第二段の演説を堂々と行い、アメリカの議会と世論を一気に味方につけるくらいのことを平然と行う雄弁さと胆力が求められる。

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