有事の総理大臣(1)

経済

 8月30日に、20年間に及ぶ駐留を完了して米軍がアフガニスタンから撤退した。これにはさまざまな評価があるが、その狙いが「対中シフト強化」にあることは自明である。平和の祭典である東京オリンピックも終わり、米中関係はこれから「波高し」の状態となることは間違いない。

 その情勢の中、自民党総裁選が動き出した。議院内閣制であるから自民党国会議員と党員の投票によって次期自民党総裁が決まり、次期総理大臣が決まる。しかしながら、今回の総裁選が過去のものと決定的に異なる点が一つある。それは次の総理大臣の在任中に米中衝突という有事が起こる可能性があるということだ。

 次の総理大臣には有事の指揮官に必要な資質と能力が求められる。自民党内の派閥力学からではなく、有事の指揮官に相応しい人物を選定してもらいたいものである。

 戦後76年間を回顧してみれば、日本の平和と安全を脅かす有事というべき事件が少なくとも三度起きた。第一は1950年に起きた朝鮮戦争であり、第二は2011年3月の東日本大震災であり、そして第三は現在も進行中のパンデミックである。

 戦後激動期の総理大臣は吉田茂だった。この時期に、現在まで続く東アジアの安全保障の基本的な構造が形成されている。第一に、米軍政下で大韓民国が1948年8月に成立し、ソ連の監督下で朝鮮民主主義人民共和国が同年9月に独立を宣言した。第二に、1949年10月には中華人民共和国が建国された。第三に、1950年6月に朝鮮戦争が勃発して1953年に停戦となった。そして第四に、1951年9月にサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が締結された。

 ちなみに、東日本大震災と福島原発事故が起きた時の総理大臣は民主党の菅直人だった。そしてコロナパンデミックが起きた時の総理大臣は安倍晋三だった。

 国民の安全と領土・領海・領空を守り、豊かな国を作ることは総理大臣に託された使命である。では、有事の総理大臣に求められる資質・能力とは何だろうか。経済政策、安全保障と戦略、歴史観と国家観の三つの切り口から三回に分けて書いてみたい。第1回は経済政策である。

 日本は長期デフレから未だに脱出できないでいる。その原因はズバリ歴代政権が経済政策を誤ったことにある。

 今年8月15日はニクソンショックから50年の節目に当たる。はじめに、この半世紀の間に日米中三ヵ国の豊かさはどう変化したかを評価してみたい。三ヵ国のGDP推移を眺めてみると、日本のGDPは1994年までは米国と同様に成長軌道を辿ったものの、1995年にピークを打ってからは一転して低迷し現在に至っている。GDPを指標として評価すれば、1995年から日本の長いデフレが始まったことが分かる。

 では1995年から2020年までの25年間にGDPはどれほど成長したのだろうか。三ヵ国を比較すると驚愕の事実が浮かび上がる。まず米国は7.6兆ドルから20.7兆ドルに2.7倍に増大し、中国は0.7兆ドルから14.7兆ドルに実に21倍に増大した。これに対して、日本は5.4兆ドルから4.9兆ドルになり、何と10%減少しているのである。専門家の分析を待つまでもなく、この事実は日本の経済政策が根本的に間違っていたことを証明している。

 8月31日に令和4年度予算に関する概算要求値が発表された。それによると、要求額の総額は過去最大の111兆円台となり、国債の償還や利払いに充てる国債費もまた過去最大の30兆円となるという。

 一方、今年度末の国債残高は約990兆円となる見込みで、昨年度のGDPは実質値で528.7兆円であるから、国債残高はGDPの1.87倍(990/528.7)に達する。

 ただし注目すべきはそこではない。重要なことは1995年から2020年に至る間に、米国のGDPは2.7倍に拡大し、日本は90%に縮小した事実は何を物語るのかである。日本も相応の経済成長をしていたと仮定し、この四半世紀に日本が得たであろう「国富の増加」を試算してみよう。

 大づかみに把握するために、毎年同額ずつGDPが増加する単純モデルを想定する。基準となる1995年のGDPをA兆ドル(A=5.4)とし、2020年のGDPが1995年の(1+α)倍に拡大した場合を考える。この場合2020年のGDPはA(1+α)兆ドルとなり、1995年に対する増加分はAα兆ドルとなる。

 年々の増加分はAα/25兆ドルであるから、25年間のGDP増加分の総和は、(1+2+3+・・・+25)Aα/25=325/25Aα=13Aα=70.2α兆ドルとして計算できる。

 ケーススタディとして、α=0.1(10%増)、0.2(20%増)、0.5(50%増)、1.0(2倍)を想定すると、25年間に得られたであろう国富の増加分(現実は失った国富)は、それぞれ7兆ドル、14兆ドル、35兆ドル、70兆ドルとなる。単位が兆円ではなく兆ドルであることに注意してほしい。1ドル=110円で換算すれば、もし25年間でGDPが2倍に増大していたならば、国富は7,700兆円も増えていたことになるのだ。

 現実は米国が2.7倍に拡大し、日本は90%に縮小したのであるから、米国との相対関係でみれば、1995年から2020年に至る間に、日本は米国の1/3に貧しくなったことを意味している。これは一体誰の責任だろうか。この間に、村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦、安倍晋三、菅義偉と、自民党が9人、民主党他が4人の総理大臣を排出してきた。

 これほどに大きな国富の損失が起きたのは長期デフレ故なのだが、デフレは経済の現象、政策の結果であって、原因はデフレ期に各総理大臣がとった経済政策にある。結論を先に言えば、二つの致命的なミスがあったのだ。

 第一は三度実施された消費税増税である。第1回は橋本政権の時で1997年4月に3%から5%に引き上げられた。第2回及び第3回は何れも安倍政権の時で、2014年4月に8%に、2019年10月には10%に引き上げられた。何れもがデフレ状態で消費税を引き上げたためにデフレは深刻化し長期化した。安倍総理はアベノミクスを唱え「三本の矢」政策を打ち出したのだが、デフレを克服できなかった。

 第二の致命的な政策ミスは、プライマリー・バランスの実現を金科玉条の達成目標としたことである。プライマリー・バランス(基礎的財政収支)とは、一般歳出を国債発行で賄わない状態をいい、この達成を「骨太の方針」に盛り込んだために、それが毎年の予算編成の大きな足枷となり、歴代政権は将来への投資を削減する一方で消費税を増税するという悪手を打ったのだった。

 このことがいかに愚かな政策だったかは簡単に理解できる。既に述べたように、日本のGDPは1995年以降横ばい(成長なし)で、2020年には1995年度比90%の水準に縮小しているのだ。もし日本が経済政策を誤らずに、「25年間で10%増」のGDP成長を達成したとすれば、国富は25年間で770兆円(7兆ドル)増加していたのであり、1.5倍なら(これでも米国の2.7倍に比べればかなり見劣りがするが)3,850兆円(35兆ドル)増加していたのである。

 ちなみに、25年間で1.5倍の経済成長は年率換算で1.635%に相当する。もし政府がインフレ目標とした、年率2.0%の経済成長を達成していたなら、25年間でGDPは1.64倍に増大していたことになる。

 もしGDPが25年間で1.5倍になっていれば、それだけで財政赤字はGDP比で2/3に減少し、さらにGDP増大に見合う税収増も得られたことから、財政赤字はさらに減少した筈なのだ。

 財政赤字の改善は、GDP成長による相対的な減額しか方法がない。この経済の基本原則を理解しなかったと思われる歴代総理大臣の責任は途方もなく重いと言わざるを得ない。もし同じような事態が株式会社で起これば、会社が潰れるか、それを免れたとしても、たちまち株主代表訴訟を起こされて経営陣は総退陣を余儀なくされるだろう。

 プライマリー・バランスに対する経済政策の失敗は、それだけでは終わらない。もう一つ重要なことがある。それは将来のキーテクノロジーに対する戦略的な投資である。

 現在パンデミックが大きな社会問題となっているが、国産ワクチンは未だに流通しておらず、「ワクチン敗戦」と呼ばれる情けない状況にある。その原因は、厚生労働省が国内のワクチン開発に対する投資を打ち切ったからだ。

 6月27日の産経新聞は、「国産ワクチン?何言ってるんですか。ワクチンはワクチン。全く興味はない。」、塩野義製薬社長が厚生労働省の担当者がこう言い放つのを聞き衝撃を受けたという記事を掲載している。また2015年にMERSのアウトブレイクが起きた時、政府は2016年に3600万円、2018年には6000万円の補助金を出したものの、ヒトへの臨床試験に入るため4億円の予算を求めると、「MERSも収束した。薬を作ってどうするんですか。」と国の担当者は東大医科学研究所からの増額の要請を退けたという。

 9月1日にデジタル庁が発足した。その背景には、次世代携帯の通信規格である5Gや6G開発、次世代半導体等の分野で日本勢が中国に大きく後れをとった現実がある。なぜそういう事態に陥ったのか。その原因を政策に求めれば、将来のキーテクノロジー開発に経済産業省が中途半端な資金しか投入してこなかったからである。

 ワクチン敗戦とデジタル惨敗は、プライマリー・バランス達成を優先させ、経済成長を犠牲にした政策の結果なのだ。

 キーテノクロジー開発やイノベーション促進は、将来のGDP増大のために必須の戦略テーマである。「総合科学技術・イノベーション会議」というものがあり、年間4兆円の予算を重点分野に配分する役割を担っている。総理大臣が議長となり、官房長官、科学技術政策担当大臣、4閣僚(総務、財務、文科、経産)、7名の有識者と日本学術会議会長で構成されている。おかしなことに、ここに防衛、厚労、その他の省の大臣は含まれていない。将来のGDP増を担う予算配分を決定する重要な会議であるにも拘わらず、安全保障に関わる先端技術開発はもとよりワクチン開発も対象から除外されているのである。

 議院内閣制の日本では、総理大臣の選出に国民が参加することはできないが、総理大臣の業績を国民目線でしっかりと評価し、選挙に加え、あらゆる手段を使って意思表明してゆく必要がある。「平時から有事へ」国際情勢が変化しつつある現在、国益と国富を守るという重大な使命を政治家任せにしてはならないということだ。

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