有事の総理大臣(3)

歴史観・国家観

 前作、「有事の総理大臣」(②外交・安全保障)で、モンスター国家中国(以下、「外なる怪物」と呼ぶ)の出現に日米が協力してしまったことと、日本が戦後放置してきた「戦後レジーム」という「内なる怪物」について書いた。

日本が直面するジレンマ

 戦後76年の歳月が流れたが、日本は現在一つのジレンマに直面して立ち往生しているように見える。それは「内なる怪物」を放置したままでは「外なる怪物」に対処することができず、「外なる怪物」に対処する有事モードの中でしか「内なる怪物」を退治できないというジレンマである。日本が直面している戦後最大の危機を克服するためには、二つの怪物に同時に立ち向かう意思を固める他ない。

 「内なる怪物」は二つの要素からなっている。一つは、戦後政治の枠組みが日本国憲法、日米安全保障条約、日米地位協定を礎石として作られていることにある。ズバリ言えば、日本の安全保障体制が軍事的に米国に従属しているために、日本は自立した国家として、自己完結で政治を行うことが制約されているのである。既に戦後四半世紀が経過した。いい加減で敗戦の軛を取り除かなければならない。

 もう一つは、戦後レジームという制約があるために、その制約の中でできる範囲のことをやればいいとしてきた政治のマインドである。戦後の日本は、「憲法だろうが何だろうが、国益追求のために変える必要があるものは変えなければならない。たとえそれが困難だとしても、変える方法を発見・発明して打開すればいい。」という発想に立った政治を行ってこなかったのだ。

 「できる範囲のことをやる」から、「やるべきことをやる」へ、思考の転換が必要である。国益追求のために、困難を可能とする方法を見つけ出し、実行することこそが政治家の本領ではないだろうか。

歴史の総括

 政治を結果によって評価するならば、ロシアとの北方領土問題も、北朝鮮による拉致問題も、中韓との歴史問題も、そして憲法改正も殆ど進展がなかった。どの一つも容易に解決できない課題であり、解決するためには相応の「国家意思」が必要である。戦後の枠組みの中で、政治ができる範囲のことしかやってこなかったために進展がなかったと言えるだろう。さらに「殆ど進展がなかった」という総括がなされていないことの方がもっと重要だ。国民もその事態(率直に言えば、ふがいない政府)を容認していることになるからだ。

 歴史を振り返れば、明治維新の10年前の1858年に、幕府は米国と「日米修好通商条約」を結び、続いて蘭・露・英・仏と同等の条約を締結した。「安政の五ヵ国条約」と呼ばれるものだ。ここには、領事裁判権と関税自主権に関わる、いわゆる不平等条項が含まれていた。そして明治政府が領事裁判権を回復したのは1896年であり、関税自主権を回復したのは1911年のことだった。不平等条約を撤廃するまでに36年~53年の歳月を要している。

 明治政府は明確な戦略目標と国家意思をもって富国強兵を強力に推進した。その結果、欧米列強と肩を並べるまでの近代化を成し遂げた。そしてロシアという共通の脅威に立ち向かうために日英両国は1902年に日英同盟を締結している。国力を高め国際社会における地位を高めた結果として、明治政府はようやく不平等条項を撤廃できたのだった。

 これは「歴史的な課題を解決するためには、長期的な戦略目的と国家意思が不可欠である」ことを物語る歴史の教訓ではないだろうか。

 日本国憲法は1946年に、日米安全保障条約と日米地位協定は1951年に締結されている。それから既に70年の歳月が流れた。そして今、中国という共通の脅威に立ち向かうために、日米は同盟関係を一段と強化しようとしており、日本の主体的・自律的な役割が格段に高まっている。もし明治維新以降の歴史観に立って考えれば、「二つの怪物に関わるジレンマ」を解決する好機は今をおいて他にないことになる。

 藤原正彦は「日本人は、問題が起きた時に事の本質を徹底的に問い質そうとしない。」と述べている。(https:kobosikosaho.com/daily/485/)

 少なくとも戦後の日本は歴史を総括せず、政治を評価してこなかった。総括をしないから「仕方がない」という諦めが国民の間に蔓延してしまう。総括をしなければ教訓を次の戦略に生かすことはできないのだ。

 というよりも、はじめに戦略目的がないから総括も評価もしようがなかったというのが真相なのだろう。では政治に戦略目的がないのは何故だろうか。それは国家観が明確ではないからだ。

歴史観と国家観

 日本の戦後史は太平洋戦争の敗戦から始まっている。戦後の日本は戦争の総括に目を背けて、歴史観をウヤムヤとし、国家観を明確に描かないままに政治を行ってきたのではなかったか。国家観がないために戦略目標を描くことができず、総括も評価もしないために、「本質を追究せず、できる範囲のことをやればいい」というマインドが戦後政治の根っこにはびこってしまったのではなかったか。

 歴史の一シーンだけをカットして論じても、歴史の全体像を総括することにはならない。戦後の日本は中韓が仕掛けてメディアが煽った「歴史戦」ともいうべきプロパガンダに翻弄されて、太平洋戦争を総括することを放棄してきた。これは「木に囚われて森を見ず」というべき愚に他ならない。

 二つの怪物に関わるジレンマに立ち向かうためには、産業革命以降の人類の近代史と縄文時代以来の日本文明を俯瞰して、毅然とした歴史観と国家観を描かなければならない。

 現在自民党総裁選の真っ只中にあるが、総理大臣を目指す政治家には、各論の政策の前に明治維新以降の日本の近代史を大きな視座から捉えた歴史観と、国際社会における日本の立ち位置と役割を明確にした国家観を国民に語ってもらいたいものだ。

 国際社会の秩序は中国やテロ集団等、既存のルールに従おうとしない脅威の登場に常に脅かされている。一方、テクノロジーは休みなく進化し、社会システムは容赦ないイノベーションの圧力にさらされている。

 その中で国家システムだけが過去に作られた枠組みを変えることができずに進化から取り残されている。残念ながら、これが戦後の日本の現状である。これは法治国家故の宿命だろうか、それとも「内なる怪物」を退治できていない日本に特異なものだろうか。

 国際社会も、国家も、社会も、TPDSサイクルを回しながら進化してゆくのが健全な姿であろう。国家としてTarget=戦略目的、Plan=達成目標・実施計画、Do=政策の実行、See=総括・評価のサイクルを回しながら、国家の強い意思として国家システムのイノベーションを促進してゆかなければならない。

次期総理大臣への期待

 現在、国際社会における安全保障上最大の課題は、何と言っても「対中国」である。日本の地政学的な位置、戦後の日米の関与、日米中の国力等を総合して考えれば、この危機対処における日本の存在感と果たすべき役割は極めて大きいと言わざるを得ない。総裁選の候補者にその自覚があるだろうか。日本の行動が米中競争の帰趨を決定し、国際社会の未来を左右すると言っても過言ではないのである。

 日本は現在、戦後最大の危機に直面している。しかしながら、視点を変えて戦後史を俯瞰してみれば、戦後放置してきた歴史観、国家観を取り戻す千載一遇の好機でもある。

 安倍前総理は、外交において世界の指導者に日本を再確認させるという大役を果たした。FOIP(自由で開かれたインド太平洋)構想を提唱し、外なる怪物に立ち向かうための国際的な連携としてQUAD(日米豪印戦略対話)の枠組みも作った。次の総理大臣には戦争を総括した上で、日本の歴史観と国家観を国際社会に対し堂々と語っていただくと同時に、危機に対し毅然と立ち向かう行動を期待したい。

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