「人新世の資本論」を検証する

 現代社会はさまざまな点で大きな転換点に差し掛かっている。国際政治においては、第二次世界大戦以降の米ソ冷戦とソ連邦崩壊に次ぐ米中対立が臨界点に近づいている。現代社会を構成する社会システムである資本主義も民主主義も、綻びが目立つようになってきた。2001年の同時多発テロを契機に米国が始めた対テロ戦争は、米軍が8月末に完全に撤退したことで区切りを迎えた。一つの事態の終わりは、次の事態の始まりでもある。

 今回から数回に分けて「人類が直面する転換点」について書いてみたい。その最初に「資本主義」を取り上げる。斎藤幸平が『人新世の「資本論」』を書いて、2021年の新書大賞に選ばれた。決してスラスラ読める本ではないが、佐藤優は「斎藤はピケティを超えた」と評し、松岡正剛は「気候、マルクス、人新世を横断する経済思想がついに出現した」と絶賛している。

 以下、著者の洞察を紹介しながら、検証を加えてゆくこととする。

資本主義の現状認識

 はじめに、資本主義の現状に対する著者の分析は次の三点に要約される。

1)資本主義システムは、中核(いわゆる先進国)と周辺(途上国)から構成され、中核は周辺から廉価な労働力、資源、エネルギー、食糧などを収奪することによって、いわば現代版の「帝国的生活様式」を営んでいる。

2)収奪は三つの転嫁によって行われている。第一は技術的転嫁で、たとえば現代の農業は大量の化学肥料を使っているが、これは土壌に代わる別な資源を大量に消費していることになる。第二は空間的転嫁で、中核は周辺からさまざまな資源を安価に調達しつつ環境汚染などを周辺に転嫁している。第三は時間的転嫁で、現代社会は化石燃料を大量に消費する結果、環境汚染や気候変動の負担を未来に転嫁している。

3)グローバリゼーションが地球の隅々まで拡大し、収奪の対象となる新たなフロンティアが消滅した。これ以上の収奪が不可能となった。さらに、転嫁が地球規模に及んだ結果、気候変動と環境破壊が許容限界に到達しつつある。経済成長を続けながらこれらの課題を解決することはもはや困難となった。

 著者は「このまま気候変動を放置すればやがて人類の生存に適さない地球環境になる」と主張する。著者はパリ協定の前提を正しいとして話を進めているが、その前提はシミュレーションに基づいた仮説であり、人類の活動の結果なのか、それとももっとスケールの大きい太陽と地球の天体運動及び地球の地殻変動に由来する変動なのかは科学的に判別できていない。

経済成長とCO2削減の両立

 人類によるCO2排出が気温上昇の原因であるとの仮定に立って、状況を打開しようというさまざまな提案がなされてきた。SDGs、グリーンニューディール(GNDL)、自動車のEV化などだ。しかしながら、中核と周辺を合わせた地球全体で評価すれば、CO2排出量を経済成長の伸び率より低く抑えるという目標は未だに達成されていない。消費された天然資源(マテリアルフットプリント)はGDP成長に比例して増大している。

 さらに、この問題を解決するものとして、NET(Negative Emission Technology)が話題になり、BECCS(Bio-Energy with Carbon Capture and Storage)という技術が注目されている。BECCSはカーボンニュートラルなバイオマスエネルギーの導入を促進すると同時に、大気中のCO2を回収して地中や海洋に貯蓄する技術だが、地球規模での実現性は殆どない。

 以上を総合的に評価すれば、「経済成長を進めつつCO2を削減するという発想は幻想である」り、地球環境が臨界点を超えないためには「脱成長」をめざす他に選択肢はなく、そのためには「脱資本主義」に舵を切る必要がある。著者はそのように結論付けている。

 さらに著者は、脱資本主義の有力なモデルとして、マルクスが最晩年に到達した研究に注目している。マルクスはアメリカ型新自由主義でもソ連型国有化でもない、第三の道として「ポスト資本主義としてのコミュニズム」に着目していたという。晩年のマルクスが辿り着いた結論は、コモンズ(共同体)をベースとする、「経済成長をしない循環型の定常型経済」だった。

 ここで一つ重要な点を指摘しておきたい。それは日本の社会は縄文時代から江戸時代に至るまで、マルクスが言う共同体に近い社会形態だったと思われることだ。それが変質したのは明治維新のときに殖産興業路線に転換し、産業革命と資本主義を導入したからだ。

脱成長、脱資本主義、そして脱炭素

 資本主義がもたらした根本的な弊害について、著者はこう分析している。資本主義が浸透した結果、本来人々の共有財産であるべきコモンズ(水、エネルギー、食料等)が希少化した。資本主義の本質は希少化させることで貨幣価値を増大させることにある。これに対して、潤沢さを取り戻す方法がコモンズの再建である。

 さらに、資本主義が行き過ぎた結果、私財(Riches)が許容範囲を超えて増大し、逆に公富(Wealth)が減少している。さらに、さまざまな資源の消費が過剰になる一方で、中核対周辺、富者対貧者における資源配分の不公平さが増大した。

 これに対して、緑の経済成長を目指すGNDLも国連のSDGsも、NETのような夢の技術も、危機を前にして常識破りの大転換を唱えながら、その危機を生み出している資本主義という根本原因を必死に維持しようとしていると指摘する。

 ここに「脱炭素」も加えるべきだろう。何故なら「脱炭素」自体が資本主義をさらに進めようとする人々によって作られた物語である可能性が高いからだ。

 そして気候変動問題に本気で取り組むつもりなら、政治は暴走する資本主義に挑まなければならないというのが著者の結論である。

検証

 さて、「人新世の資本論」の紹介はそれくらいにして、本質問題に移ろう。著者が到達した結論は、次の三点に要約される。

第一に、帝国的生活様式である資本主義の結果、地球環境破壊、気候変動、強者と弱者間での分配の不公平さの拡大が許容限界に到達しつつある。

第二に、その原因は経済成長にあり、是正するためには「脱成長」へ舵を切る他なく、そのためには「脱資本主義」をめざす他ない。

第三に、脱資本主義としてめざすべき社会形態として、最晩年のマルクスが到達した「脱成長コミュニズム」がある。

1.脱資本主義

 資本主義システムは技術革新との相性がすこぶる良い。産業革命以降、世界レベルの競争の中で技術革新が加速的に進み、それが社会のイノベーションを推進してきた。技術革新は、資本主義システムの申し子のような存在だが、もっと便利に豊かになりたいという人々のニーズや、さまざまな社会問題を解決したいというニーズに応えるものでもある。

 脱資本主義を考える場合、技術革新との折り合いをどうすべきかがカギとなる。

 既に述べたように、周囲を海に囲まれた日本は、江戸時代までは基本的にコモンズをベースとした自己完結な社会だったといえよう。そして、明治維新を転換点として、日本は産業革命と資本主義を受け入れた。江戸時代までコモンズの社会が成立していたのは、技術革新が緩やかだったからだ。

2.コモンズ社会への回帰

 資本主義が行き過ぎたからといって、時計の針を戻してコモンズの社会へ回帰することは可能だろうか。答えはノーだ。仮に日本だけがそうすれば、現代では、たちまち中国は軍事力を行使して日本の領土・領海に攻め込んでくるだろう。

 では、世界全体で何らかの合意をして、一斉にコモンズ社会に移行することは可能だろうか。これも答えはノーだ。何故なら、これは核兵器保有国が一斉に核兵器を廃絶しようと合意することと同じだからだ。一国でも合意を無視すれば、その国が世界を武力で制圧できることになるために、核廃絶の合意は成立しないのである。

 それでも核兵器の場合には、核兵器を持つことがばかばかしいという状況を作ることができれば、保有する国はなくなるだろう。但し、そのような状況は核兵器を無力化する核兵器以上の兵器を開発することでしか形成されないだろう。

 かくして、技術革新を放棄するという選択肢はおとぎ話の中にしか存在しない。

3.技術革新との両立

 核兵器は分かりやすい例に過ぎない。問題の本質は核兵器を生み出す技術革新にある。競争社会というのは、技術開発で先行する国や企業が国際社会で優位に立てるゲームである。従ってこの構図が存在する限り、技術開発を意図的に減速する国や企業はあり得ない。そもそも現代人は技術革新がもたらした多様なツールを使いこなして仕事をし、生活を享受しているのであって、それを捨て去ることはもはや誰にもできはしない。時計の針が過去から未来に向かう一方向にしか進まないのと同じように、技術革新は加速し多様化する方向にしか進まないのだ。

 産業革命以前は、技術革新が緩やかでありコモンズを維持しやすい時代だった。それに対して産業革命以降では、技術革新が非線形のスピードで進んでおり、技術革新とコモンズへの回帰は二律背反の関係にある。核兵器を廃絶することができないのと同じ理由で技術革新の競争を誰も止めることはできない。

まとめ

 そう考えると、問題の本質は資本主義システムが暴走していることにあるのではなく、「技術革新のスピードと劇的な変化に人類のガバナンスが追いついていない」ことにあるとみるべきだ。マルクスが最晩年に到達したという社会形態は、産業革命以前ではあり得たかもしれないが、技術革新が進んだ現代では成り立たない。我々現代人の命題は、技術革新に対するガバナンスを取り戻して、「技術革新を前提としたポスト資本主義」をめざすことにあるのではないだろうか。

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