独裁者が変える世界(3)アメリカ

 第三部ではアメリカ、トランプ大統領が起こしつつある変化を取り上げる。大統領第二期就任以来トランプが行ってきた行動は、プーチンのウクライナ軍事侵攻以上に第二次世界大戦以降の世界を激変させている。

青天の霹靂

 2022年2月にロシアが突如ウクライナに軍事侵攻した。それから4年後の2026年2月にアメリカがイラン攻撃に踏み切ったことは、ウクライナ軍事侵攻以上に青天の霹靂だった。東洋学園大学教授の櫻田淳氏は3月17日の産経紙面で次のように述べている。

 「19世紀前半、独立と南北戦争に挟まれた時期の、まだ貧しかった米国社会には善意と暴力、或いは寛容性と野蛮性という対照的な二つの性格が表れていた。それらは依然として米国社会の基底に沈殿し続けている。・・・現下のイラン戦争は、米国の暴力と野蛮性の相を赤裸々に出現させた。・・・米国とは元々、そのような国であるという醒めた認識の下、米国の対外政策対応の一々に右往左往しない姿勢が大事だ。」

 併せて櫻田氏は以下の二つの格言を紹介している。

  ・「政治で重視されるべきは、合法性や正当性よりも必要性である」(ニコロ・マキャベリ)

  ・「戦争とは別の手段による政治の継続である」(カール・フォン・クラウゼヴィッツ)

 この二つの格言をもとに考えれば、ロシアのウクライナ軍事侵攻とアメリカのイラン攻撃に対して、正義や正当性を問うてもむなしいだけだと気付かされる。軍事行動が、国益を追求した結果として国家指導者が下した政治判断であるとすれば、幾ら国際法違反だと叫んでみても柳に風でしかない。国際法には拘束力がない現実を再認識するだけである。

 元オーストラリア大使だった山上信吾氏は4月9日の産経紙面で、「但し、ウクライナ軍事侵攻とイラン攻撃を同列で論じるのは誤りだ。」と論じている。何故ならプーチンがウクライナの主権を侵害し、領土を軍事力で奪い取ろうとしているのに対して、トランプにはイランの領土を奪う意図はないからだ。また、イランは中東でアサド政権、ヒズボラ、ハマス、フーシ派、シーア派民兵などの「代理勢力」によるテロ活動を支援してきただけでなく、核拡散防止条約(NPT)加盟国でありながら、国際原子力機関(IAEA)の査察を拒否しウラン濃縮を進めてきた。

 しかし如何なる理由があろうとも、核兵器を保有する軍事大国で国連安保理常任理事国でもあるロシアとアメリカが戦後の国際秩序を瓦解させてしまった事実は、厳然と歴史に刻まれることになる。

プーチン、習近平、そしてトランプ

 専制主義と民主主義を同列で論じることには無理があるが、三人とも独裁者であることは共通している。アメリカは民主主義国だが、第二期のトランプ大統領の言動は相当に独裁的であると言わざるを得ない。それは以下の典型的な事例から明らかである。

1)トランプ政権は2025年4月2日に「国際緊急経済権限法(IEEPA)」に基づく、高関税措置を満を持して発表したが、今年2月20日に「IEEPAに基づいて関税を課す権限は大統領にはない」との連邦最高裁判決が出て無効になった。

2)アメリカは今年1月3日にベネズエラに対し軍事行動を行い、ニコラス・マドゥロ大統領夫妻を拉致して政権を交代させた。

3)アメリカとイスラエルは今年2月28日にイランに対する軍事行動を実行し、ハメネイ師他幹部を暗殺した。こうして「イラン戦争」が始まった。

 共にジャーナリストの川北省吾氏と近藤大介氏は対談の中で、プーチン、習近平、そしてトランプには、武力を行使してでも失ったものを取り戻そうとする「レコンキスタ」の共通性があると論じている。(資料1参照)ちなみにレコンキスタとは、中世のヨーロッパでイスラム教徒に占領されたイベリア半島の奪還をめざした運動をいう。

 「プーチンがウクライナに固執するその根底には彼の歴史観がある。首都キーウはロシア・ウクライナの源流で文明の起点であり、領土だけでなく失った歴史・記憶・文化を取り戻そうとしている。」

 「習近平の『中華民族の偉大なる復興』も似ている。彼は2012年に総書記になった直後のスピーチで真っ先に『復興』を語った。1840年のアヘン戦争、1894年の日清戦争という「国恥」以前の状態に戻し、香港、台湾、尖閣を取り戻すと。」

 そしてトランプ大統領のMAGAも『失地回復』への欲望が剝き出しだ。

 トランプの思考と行動パターンについて、元外交官の宮家邦彦氏が興味深い指摘をしている。それによると、トランプの言動は常に以下の①~③の段階を行ったり来たりしているという。誠にそのとおりだ。(資料2参照)

 ①事実かどうかを問わず自分の願望を事実として話す

 ②自分の願望を他者が受け入れない場合は徹底的に攻撃する

 ③世論やマーケットが自分の主張とそぐわない反応を示すとチキンアウトする 

トランプの認識

 トランプは大統領選で繰り返しMAGA(Make America Great Again)を訴えた。ここから「現在のアメリカはもはや偉大ではない」とトランプが認識していることが読み取れる。では、この認識は何処から来るのだろうか?少なくとも三つの意味が含まれているように思われる。

 第1は、アメリカの製造業の凋落と中間層の貧困化である。トランプ自身は富裕層に属するが、この現実に強い危機感を抱いている。

 第2は、アメリカ連邦政府の財政赤字が拡大一途にあり、既に危険水域に到達していて、このままではやがて破綻するという危機感を抱いている。

 第3には、歴代民主党政権、特にオバマ、バイデン政権が国際社会におけるアメリカの地位を大いに弱体化させたと認識している。

 連邦政府の財政赤字がここまで膨張した原因について、トランプは「諸外国がアメリカの国富を収奪してきたから」だと認識している。つまりトランプの思考過程には「アメリカは世界の食い物にされた」という被害者意識が働いている。

 しかしこの認識は明らかに間違いである。上記第1と第2の状況はアメリカ自身が率先して推進したグローバリゼーションがもたらした結果だからだ。グローバリゼーションが進んだ結果、アメリカに「マグニフィセント・セブン(M7)」に代表される超優良企業が生まれた。近年のアメリカの株価はM7が大きく引き上げてきたものだ。マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツやスペースXの創業者イーロン・マスクは日本円換算で1兆円以上の資産を保有する超ビリオネアである。

 その一方でグローバリゼーションは、一般の生産財・消費財の分野でアメリカ企業が世界市場で競争力を失い、その結果産業の空洞化が起きて中間層が没落し、白人層が失業し貧困化が起きた。こうしてアメリカにはごく少数の超大金持ちと多数の貧乏人が生まれた。この現実はアメリカが推進したグローバリゼーションが招いた結果である。

 さらに、アメリカの財政赤字が破綻の淵に瀕している主な理由は二つある。

 第1の理由は、歳出、特に国防費が国力を遥かに超えたレベルで推移してきたことであり、その背景には世界一の圧倒的な軍事力を維持するという歴代大統領の強い意図がある。

 トランプ米大統領は4月3日に、2027会計年度予算案の概要を公表し、国防費として過去最大の1.5兆ドルを要求した。ちなみに2026年度は1兆ドルであり、5割増しの要求となっている。代わりに国防費以外の歳出は10%削減するという。

 アメリカ議会予算局(CBO)が今年2月に公表した「The Budget and Economic Outlook 2026 to 2036」によれば、アメリカ連邦政府の、トランプ第2期政権の2025年及び2026年の税収、歳出、予算収支(財政赤字)は以下(表1)のとおりである。(単位は10億ドル)

年度税収歳出予算収支
20255,2357,010-1,775
20265,5967,449-1,887

 丸めて言えば直近2年間の財政赤字は1.8~1.9兆ドルで推移していて、1ドル=150円で換算すると、約280兆円/年という信じがたい巨額である。

 一方、連邦政府と自治体、社会保障基金を合わせた一般政府の債務(歳出-歳入)の推移は下図(図1)に示すとおりである。(「世界経済のネタ帳」から作成)

 表1及び図1に関する注目点が三つある。

 1)アメリカの財政赤字1.8~1.9兆ドルは、4月7日に成立した日本の令和8年度予算における一般会計の歳出総額122兆3092億円の2倍(1ドル150円換算で、約1.6兆ドル相当)を上回る規模である。

 2)アメリカの債務総額は2020年~2025年の5年間で約10兆ドルも増加している。

 3)債務総額のGDP比推移をみると、コロナ渦の2020年にGDP比132%に急増し、その後2022年に119%で底を打った後、再び増加しつつある。

 ここで素朴な疑問が浮上する。そもそもなぜ税収を1.8~1.9兆ドルも上回る赤字予算を組むことができるのかだ?その答えはドルが基軸通貨で、世界が貿易決済にドルを必要とするために、アメリカ政府には「ドルは幾らでも刷ればいい」という特権意識と麻痺した感覚があるからだ。これが財政赤字が増大一途にある第2の理由である。

トランプの思考

 トランプは第二期政権誕生後、世界を驚愕させる行動を次々にとってきた。推察するに、トランプは「世界の警察官の役割は放棄するが、世界最強の軍事力もドルの覇権的地位も維持する。そのためには、財政赤字の状況から脱出しなければならない。」と考えたのではないだろうか。

 そして財政赤字問題を打開するためには、①税収を増やし、②諸外国からの投資を増やして失われた産業基盤を再構築し、③不必要な歳出を減らすことが重要だと考えた。具体的には、①全ての国に高関税を課し、②それが嫌なら関税を免除する代わりにアメリカに巨額の投資をせよと脅し、③アメリカの利益に関わらない世界の事件とは距離を置き、民主党政権が推進してきたリベラルな政策は停止するということだ。

 そしてトランプがウクライナ支援に冷淡な理由は、それが基本的に欧州の問題だと考えているだけでなく、戦争終了後のロシアとの関係を重要視しているからである。加えてトランプは欧州を嫌っている。大統領就任後にトランプがとってきた行動は大戦後の国際社会の枠組みを次々と破壊するものであり、世界を驚愕させるものだった。さらにトランプは、これからの世界はアメリカを中心に中国とロシアを加えた「G3」で決めればいいと考えているフシがある。

イラン攻撃の意思決定

 ニューヨークタイムズが4月7日の電子版で、イラン攻撃に至ったホワイトハウスで行われた討議について報じている。4月10日の産経新聞によれば、まず2月11日にネタニヤフ首相がホワイトハウスを訪問して、トランプ大統領に対しイラン攻撃を進言したことがこの戦争の起点となっている。ネタニヤフは「イランの弾道ミサイル計画を数週間で破壊できる。イランがホルムズ海峡を封鎖する能力もなくなる。」と主張し、「イラクのクルド人勢力をイランに侵入させイランの体制転覆につなげる」展望を描いたという。トランプは「それは良い考えだ」と応じたという。

 そして2月26日(攻撃の2日前)にはイラン攻撃に関わる最終の調整会議がホワイトハウスで開催された。報道によれば、その時の主要閣僚の発言(要点)は次のとおりであったという。

・バンス副大統領:「良くない考えだが、大統領が決断するのであれば賛成する。」

・ルビオ国務長官:「イランのミサイル計画を破壊するためなら賛成する。」

・ラトクリフCIA長官:「(体制転換や民衆蜂起といったネタニヤフの主張に対して)茶番だ。但しハメネイ殺害と近隣国を攻撃する戦力投射能力を無力化することは達成可能だ。」

・ヘグセス国防長官:「何れイランに対処すべきなので、今実行すべきだ。」

 こうして2月27日(攻撃前日)夕刻、トランプ大統領は「途中でやめることは許されない。」と攻撃命令を下した。報道されたことが全てであるとすると、戦争に踏み切る重大な意思決定であるにも拘らず、戦争の出口戦略も、作戦が失敗する可能性も、思い通りに展開しなかった場合のコンティンジェンシー・プランも議論されなかったようだ。

 ベンヤミン・ネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)はイスラエル建国後に生まれて最年少で首相に就任した。首相としての通算任期は歴代最長の17年に及ぶ。今回のイラン戦争では、最高指導者ハメネイ師及び幹部が一堂に集まるというインテリジェンス情報をもとに、トランプ大統領を説得して軍事作戦に踏み切っている。

 下図(図2)は1948年のイスラエル建国宣言以降、現在に至るイスラエルの歴史をプロットしたものである。イスラエルは建国宣言した後、1948~1973年にわたりエジプトやアラブ諸国と4回の中東戦争を戦い、何れも勝利している。さらに2003年のイラク戦争でイラクのサダム・フセイン政権を崩壊させ、2024年にはシリアのアサド政権を崩壊させた。

 こうしてイスラエルの前に立ち塞がる強敵はイランだけとなり、ネタニヤフはイランとイランが支援するテロ組織を弱体化させるタイミングを虎視眈々と狙っていた。イスラエルは日本の四国程の国土しかない小さな国だが、イランを弱体化させられれば、中東唯一の核兵器保有国かつ中東最強の軍事力を保有する国としての地位を盤石にできる。

 ネタニヤフはイラン攻撃を決行した心境をビデオメッセージで赤裸々に語っており、BBCニュースがそれを伝えている。(資料3参照)

 「この戦争はイスラエルの存在と未来を確保するためのものだ。アメリカとの同盟のお陰で、40年間切望してきたこと、テロリスト政権を容赦なく打ち砕くことが遂に実現する。これは私が約束したことであり、我々はこれを実行する。」

 ここで注目すべきは、イスラエルにとってイラン攻撃は正しく長期戦略に基づいて準備を重ね、攻撃のタイミングをじっと待って決行したという点である。

 BBCニュースはさらに分析を加えている。「イスラエルは単独でも一時的にイランに深刻な打撃を与えることはできるが、イランの軍事力を何世代にもわたり壊滅させるには、アメリカとの同盟が不可欠だ。・・・しかしアメリカの国益のためにイランとの戦争に踏み切るべきだというネタニヤフの説得に、歴代の大統領は誰も応じてこなかった。イラン戦争を正当化できるのは、イランが核兵器を間もなく完成させるという切迫した脅威が現実になる場合に限ると歴代大統領は判断していたのだった。」

 これに対してトランプは、歴代大統領が読み込んできたインテリジェンスや戦略的助言ではなく、自身の直感に基づいて「即断即決」的にイラン攻撃を決断したようだ。恐らく今年1月に米軍が成功裏に敢行したベネズエラのマドゥロ大統領夫妻拘束作戦の再演を確信していたのだろう。言い換えれば、トランプはベネズエラとイランの違いについて正しく理解できていなかったことになる。

 「ウクライナ支援は欧州の問題でありアメリカの国益ではない」というのなら、「イランはイスラエルの問題でありアメリカの国益ではない」というロジックになる。イランの制圧はマドゥロ政権転覆とは訳が違う。イランは一筋縄ではいかないタフなイスラムの大国であり、もし短期制圧に失敗すればトランプのMAGAは遠のき、財政赤字はますます悪化することが明白だった筈だ。

 イラン攻撃が不要不急であることは明らかであり、トランプは博打のような戦争に何故踏み切ったのかという疑問が残る。単純に考えれば、特別な関係にあるイスラエルに同調し共同歩調をとった、それが全てだったということだ。

 イラン攻撃の背景に巧妙な戦略が存在したと考えれば、別の可能性が浮かび上がってくる。アメリカがイラン攻撃に踏み切ったのは2月28日だった。それに先立つ2月20日には連邦最高裁がトランプ政権が実施した「相互関税」に対し違法判決を下している。この判決をもってトランプ政権が鳴り物入りで実行した大幅な税収増シナリオが消滅した。連邦最高裁判決が予測できた時点で、相互関税に代わり税収を大幅に増やす代替案が必要になったことは事実である。

 相互関税の代替案として考えられるのは、中東に代わりアメリカが世界最大のエネルギーの供給元となることだ。もしそれが目的であったとすれば、イラン攻撃とそれに続くホルムズ海峡封鎖は絶好の手段になり得る。今後エネルギーや資源の物流や金融の分野でアメリカが大儲けするという事態に発展すれば、アメリカの深謀遠慮が見えてくるかもしれない。トランプの口癖ではないが、今後どうなるか見てみよう。

戦争の教訓に学ばなかったトランプ

 イラン攻撃から5週間が経った時点で、トランプが目論んだ短期終戦は遠のき戦争は膠着状態に陥った。そして4月7日にアメリカはパキスタンの仲介を受け入れて2週間停戦することで合意した。この意思決定も、一日も早く撤収したいアメリカが助け船に飛びついた感が拭えない。戦闘ではアメリカ・イスラエルが圧倒しているものの、イランは世界の石油取引を人質にとるホルムズ海峡封鎖という悪魔のカードを手に入れたことから、停戦交渉は相当難航することが確定的となった。トランプの楽観的な目論見は見事に外れただけでなく、イラン攻撃は失敗だったことが確定的になる。

 ウォールストリートジャーナル(WSJ)紙は、失敗の原因について「戦争は始まり方ではなく終わり方によって評価される。明確な政治上の目的を欠いたまま始まった米国の戦争が良い結末を迎えたことは殆どない。」と指摘している。そのとおりである。(資料4参照)

 公開されていない作戦会議が行われたのであれば別だが、ホワイトハウスでの討議から分かるように、イラン攻撃については戦略目的がはっきりせず、出口戦略もなく、作戦が失敗した場合のコンティンジェンシーも用意した形跡がない。

 こうして事態は「アメリカは戦闘に勝って戦争に敗れる」様相になってきた。WSJ紙はまた、トランプ政権はアメリカが過去に戦った戦争の教訓に学んでいないと指摘する。要点は次のとおりだ。

1)イラク戦争と同様に今回のイラン戦争も大量破壊兵器の脅威が存在するとの主張から始まった。

2)イラク戦争は9年続き、約2~3兆ドルの戦費と約4,500名の米兵の命が失われた。

3)ベトナム戦争は、実質的にベトナム人のナショナリズムとの戦いだった。イラクでは宗派間の分断の深さを見誤った。そしてイランでは体制の耐久力を過小評価していた。

イラン戦争の特徴

 元陸将の福山隆氏がイラン戦争について分析記事を書いている。(資料5、6参照)福山氏はまず、「今回の米国・イスラエル対イランの衝突は、領土を奪い合う古典的戦争でも体制転覆を狙う全面戦争でもない。本質はレッドラインを巡る極めて現代的な戦争だ。」と指摘する。

 アメリカが譲れないレッドラインは、イランが将来にわたり核兵器開発を放棄することの確約であり、イランが譲れないレッドラインは、ホルムズ海峡の船舶航行の管理と通航料の徴収権だろう。現在進行中のアメリカとイランの停戦合意を巡る折衝は、正しく相手のレッドラインの抑制が中心議題となっている。

 アメリカとイスラエルがイランの核兵器開発阻止を掲げてきた根本原因は、イランがイスラム宗教国家として「イスラエル国の殲滅」を国是としていることにある。そのような国が核兵器と長射程ミサイルを持てば、イスラエルにとって死活的な脅威となることが自明だ。

 またホルムズ海峡の自由航行については、1994年に執行された「国連海洋法条約(UNCLOS)」が、この条約を遵守することを前提として、全ての国の船舶が領海及び海峡を通航する権利(通航権)を保有することを規定している。イランであれアメリカであれ、国際公共財であるホルムズ海峡を封鎖することは条約違反である。但し、アメリカとイランは批准していない。

 福山氏は続けて言う。「もう一つのイラン戦争の特徴は、米・イ双方が正面戦を避けていることにある。」と。米国はイラン本土への大規模地上侵攻(革命防衛隊との決戦)を避け、戦争の拡大を抑制しながら、限定的な軍事圧力だけでイランを制圧しようとしている。これは軍事的には圧倒的に勝利したものの、占領統治で政治的敗北をしたイラク戦争の教訓を踏まえたものと考えられる。

 一方のイランもまた本格的な正面衝突を避け、代理勢力、ドローン攻撃、湾岸諸国の石油施設攻撃、ホルムズ海峡封鎖という非対称戦をとっている。自国領内で戦わず、ヒズボラやフーシ派などの代理勢力を通じて、中東全域から戦域を外に拡散させることを目論んでいる。

 結局、両者が 「決定的勝利を生まない戦い方」 を選択しているので、戦争の長期化と戦域の拡散が避けられない。同時にレッドラインを巡る上記理由から、アメリカとイランの実のある停戦合意は基本的に成り立たない。もし今後戦域が拡散すれば、世界経済にも深刻な影響を与え、以下の事態が同時に進行することになる。そしてその影響は、コロナ禍を上回る規模で国際社会を覆うことになるだろう。

  ①エネルギー価格の高騰(ホルムズ海峡の不安定化)

  ②物流の停滞(海運・航行の迂回と保険料高騰)

  ③インフレ再燃あるいはスタグフレーション

イラン戦争の勝者

 アメリカは圧倒的な軍事力でイランを圧倒したものの、戦争では敗れつつある。そう断定する理由は二つある。

 第1は、トランプの思考空間に「戦略層」がないことだ。「戦闘に勝って戦争に敗れる」というが、戦争に勝利するためには戦略が必要だ。同盟国との関係を「現在の損得」だけで評価し、しかも言動が二転三転するトランプの思考は、とても危険という他ない。欧州は既にトランプとの関係に見切りを付けつつある。ガキ大将のように暴言を吐き、乱暴なカードを切れば切るほどトランプは嫌われ、アメリカは孤立してゆくだろう。中間選挙でアメリカ市民がトランプを見限る展開を同盟国が待ち望むことになる。

 第2は、イランがホルムズ海峡封鎖というカードを切って「エネルギーを武器化」したことだ。ホルムズ海峡を封鎖するのに高額な兵器もシステムも必要ない。イランが大量に国産している安価なドローンと小型ボート、それにゲリラ組織(代理勢力)が存在しさえすればいい。機雷を敷設すると脅すだけで、もしくは海上保険が用意されなくなるだけで、タンカーはホルムズ海峡を通過できなくなる。

 ところでイラン戦争で得をするのは一体誰だろうか?MAGAを実現するためにトランプは関税を上げ、海外からの投資を増やし、無駄な支出を削減して財政赤字の悪化を食い止めるというシナリオに基づいてディールを行っているのであれば、戦争が長期化するほどトランプの目論見は遠のき、トランプは11月の中間選挙で敗れる可能性が高まるだろう。

 そうではなくて、前述したように背後に大胆なエネルギー戦略があるとしたら、アメリカが勝者となる可能性は否定できない。何れが真相か、現時点では断定できない。

 一方イスラエルはネタニヤフの40年来の宿願をほぼ果たしたことになる。イランの核兵器開発を阻止し、イランに相当な経済的損失をもたらしたからである。

 ロシアもまたエネルギー価格が高騰し、戦費捻出の苦労が軽減されることになるばかりか、アメリカがイラン戦争にくぎ付けになり、米軍の武器の在庫が底をつくことは大歓迎である筈だ。一方でロシアは、苦境にある友好国イランを支援できなかった。ウクライナへの軍事侵攻と併せて、今後友好国のロシア離れが加速することだろう。

 最大の敗者は欧州かもしれない。ウクライナ支援でトランプとの関係がぎくしゃくし、イラン戦争で両者間の亀裂は決定的となったからだ。結局トランプはイスラエルとの関係を重視する一方で、西側同盟国との関係を破壊してしまったことになる。

停戦協議の行方

 イスラエルとイランは宿命の敵同士であるから妥協という選択肢はあり得ない。また一日も早く軍を撤収させたいアメリカと、長期化など気にしないイランとの停戦協議は、幾ら脅してもトランプの負けが濃厚である。既に述べたように、アメリカとイランはお互いに相手のレッドラインを容認できないので、余程に高度な政治決着シナリオを組み立てない限り、停戦協議は合意に至らないだろう。

 前述の福山氏はこう述べている。「中東の紛争構造は、表面上は静かでも地下ではマグマが脈動し、一定の圧力が溜まると小規模な噴出を繰り返す火山という地政学的構造は変わらない。恒久停戦は政治的フィクションにすぎず、停戦は戦争の終わりではなく、静かな戦争へと形を変える移行期間にほかならない。」(資料5参照)

経済危機発生のリスク

 イラン戦争を早期に収拾できなければ、エネルギーと石油資源の枯渇・高騰が常態化し、経済危機へと発展するリスクが高まる。

 産経新聞編集委員の田村秀男氏は4月11日の産経紙面で、戦争が長期化すればアメリカの財政はさらに悪化すると警鐘を鳴らす。「負のスパイラル」の進行は次の通りだ。戦争が長期化し中東情勢が悪化すれば原油価格が高止まりする。世界経済でインフレが進みアメリカの市場金利は上昇する。金利が上昇すれば現在約1兆ドル/年のアメリカ政府の利払いが増加する。金利が1%増大すれば利払い費は100億ドル増える。

 経済学者の小幡績氏は、バブルには四つの次元があるといい、トランプがバブル崩壊の引き金を引きかねないと警鐘を鳴らす。第1の次元は株式など特定の資産セクターのバブル、第2は金融バブル、第3は実物経済のバブル、そして第4は社会のバブルで、この定義に従えば、1980年代の日本のバブルは社会バブルだったという。

 アメリカの株式市場は高値を更新しており、ドルは主要通貨の全てに対して独歩高となっている。アメリカ社会はどう考えてもバブルであり、小幡氏が言うように、株高、ドル高、AIという実物経済のバブルが同時に進行中であり、社会全体がバブルの様相を呈している。イラン戦争の終結を誤れば、トランプが社会バブル崩壊の引き金を引くことになるだろう。(資料7参照)

エネルギー輸送・海運を巡る覇権争い

 戦争の舞台裏で進行している静かな変化として、国際問題アナリストの藤井厳喜氏は「誰が物流を支配し、誰が保険を引き受け、誰が金融の仕組みを握っているのか。その仕組みがどう変化しているか」に注目すべきだと指摘する。イラン戦争の裏側で、石油をめぐる大国の覇権争いが起きている。ホルムズ海峡を安全に自由にタンカーが航行するためには、戦争被害を補償する海上保険の仕組みが不可欠だが、従来海上保険を提供してきたイギリスの保険組合ロイズが、今回「戦争リスクはもう引き受けられない」ことを宣言したという。(藤井厳喜メルマガ3/25)

 田村秀男氏は4月11日の産経紙面で、3月6日に米政府系の国際開発金融公社DFC(U. S. government Development Finance Institution)がホルムズ海峡での船舶運航再開に向け、英国のロイズ保険組合に代わって海上保険を提供すると発表したと述べている。これまで英国が握っていた重要な資源=石油の支配権がアメリカへと移りつつあるという。

 別の情報によれば、ロイズが海上保険から手を引いた原因は、2月28日のイラン攻撃開戦直後にインド洋でインドと合同演習をしていたイラン海軍の非武装船を、米海軍の潜水艦が攻撃して撃沈させた事件にあるという。正に「因果関係の連鎖が歴史を綴ってゆく」一場面を見ている感じだが、この事件には、ウクライナ戦争でロシアとドイツの間に敷設されていたパイプライン「ノルドストリーム」をCIAが爆破した事件と構図の類似性がある。そうであるとするとトランプは衝動的にイラン攻撃を開始したのではなく、大きな戦略のもとに勝負手を打ったことになる。

ポッタリーバーン・ルール

 アメリカとイスラエルによる攻撃に対して、イランがとったホルムズ海峡封鎖は、航海の航行の自由に反する暴挙であり、資源国による「エネルギーの武器化」というべきものだ。石油資源の物流を止めれば、エネルギー価格が高止まりし石油資源がひっ迫する。トランプは圧倒的な軍事力にモノを言わせて力でイランを屈服させようとしたのだが、イランは非対称戦で応じて戦争は膠着状態に陥った。

 ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官を務めたコリン・パウエル氏がイラク戦争に関連して警告した「ポッタリーバーン・ルール」という原則があるという。それはイラク問題に介入したアメリカには、イラクの体制崩壊に対する責任が伴うという意味で使われた。元々はアメリカの家具・インテリア販売会社ポッタリーバーン社が打ち出した方針で、「商品を壊したら買い取る責任がある」というものだ。

 この原則に従うならば、不要不急の戦争を始めて世界経済を大混乱に陥れた責任は一元的にトランプに帰着するだろう。もし「ポッタリーバーン・ルール」を適用するのなら、アメリカにはホルムズ海峡封鎖問題を一日も早く解消して、エネルギーと石油関連物資の高騰と枯渇問題を鎮静化させる責任があることになる。

独裁者が変える世界:アメリカ

 BBCニュースはトランプが変えた世界について、次のように評している。「トランプは世界のアメリカを見る目を根本的に変えてしまった。かつて世界的な安定の担い手を自負していた国が、今や国際秩序の基盤を揺るがしている。国内政治において規範や伝統を打ち破ることを楽しんでいる大統領が、今では世界の舞台で同じことをしている。」(資料8参照)

 「戦闘で勝ち、戦争に敗れる」という格言はイラン戦争にも当てはまりそうだ。「イランとの戦闘で圧倒的な勝利を収めた」と幾ら自画自賛してみたところで、冷静に評価すれば、イラン戦争を始めたことによって世界が被った損失は計り知れないほどに大きいのだ。

 イラン戦争によってアメリカの財政赤字が更に悪化することになれば、NATOからの脱退、朝鮮半島からの撤退、在日米軍の縮小などが近い将来に現実になる可能性がある。しかしそれを実行すれば、パワーバランスが変わり国際秩序の基盤が崩壊してしまうだろう。

 現在世界で起きている事態を一体どう理解すればいいのだろうか?全体像を捉えることが難しくなったとしたら、歴史の中で確立されたプリンシプルを当て嵌めてみるのがいいだろう。

 第一のプリンシプルは、「戦争は一度始めてしまえば、途中でやめることができない。しかも歴史は因果関係の連鎖として綴られてゆく。」ことだ。大国の独裁者程、誘惑にかられて安易に戦争を始めてしまうのだが、ひとたび戦争が始まると、世界は誰も望まない方に動いてゆく。独裁的なリーダーが踏む強引なアクセルを抑制するブレーキが働かないからだ。

 第二のプリンシプルは、「戦争と経済は複雑にかつ強力に結びついている。」ことだ。ロシアは仮にウクライナ戦争に勝利できたとしても、戦争がもたらした損害が甚大で、ロシア経済はウクライナへの軍侵攻以前の状態を取り戻すことさえ困難なほどに衰退するだろう。戦争が経済を破壊するということだ。

 そしてアメリカは仮にイラン戦争の終結で勝利を宣言したとしても、イラン戦争は世界経済を大きく揺さぶった。財政赤字の増加を抑制したいトランプの意向とは逆方向にアメリカの財政赤字は深刻化するだろう。そればかりか、ドル危機、アメリカのバブル崩壊、世界レベルの金融危機・経済危機が顕在化してゆくリスクが高まる。結局、独裁者の暴走を止めるのは、経済の失敗であるのかもしれない。

 第三のプリンシプルは、「右に大きく振れれば、次にその反動として左に大きく振れる」ことだ。しかも「山高ければ谷深し」というように、反動もまた衝撃的なものとなる可能性が高い。順序も時期も予測できないが、プーチン、習近平、トランプが相次いで、共に経済面で失敗して退場してゆくだろう。そうして世界の風景が変わる。何れもが経済大国・軍事大国であるが故に、独裁者が退場するときは世界経済の混乱を制御できなくなる時だ。

 一つ確実なことは、軍事大国の独裁者が破壊してしまった国際秩序を再構築する動きが反動として起きることであり、その担い手は米中露ではないということだ。大戦後アメリカに依存し過ぎてきた欧州と日本が果たすべき役割が極めて大きい。

参照資料

1.「経済はすでにがけっぷち」の中国がここにきて矛先を国外に向け始めた意外といえる国際背景」、川北省吾・近藤大介、現代ビジネス、2026.2.23

2.「パキスタンが仲介した米・イランの即時停戦合意はどこまで長続きするか?」、宮家邦彦、JBpress、2026.4.9

3.「トランプ氏は直感で戦争を遂行し、それはうまくいっていない」、ジェレミー・ボウエン、BBCニュース、2026.4.1

4.「終わりなき戦争、米は繰り返しているのか」、WSJ、2026.3.26

5.「必然だった2週間のイラン戦争停戦合意」、福山隆、JBpress、2026.4.11

6.「パンドラの箱を開けてしまった米国、イラン戦争は正面衝突なき拡散型大戦争へ」、福山隆、JBpress、2026.4.6

7.「トランプの終わりと米国社会バブルの終焉」、小幡績、東洋経済オンライン、2026.4.4

8.「トランプ氏が払う代償は大きい、イラン停戦合意で戦争脱する道は開いたが」、BBCニュース、2026.4.8


独裁者が変える世界(2)ロシア

 豊臣秀吉は最晩年に、「文禄の役(1592年)」と「慶長の役(1596年)」と呼ばれる二回に及ぶ朝鮮出兵を命じた。それぞれ約15万人に及ぶ兵を派遣している。そして秀吉は、「露と落ち、露と消えにし我が身かな、浪速(なにわ)のことは夢のまた夢」という辞世の句を残して1598年に死去している。「葉の上に落ちる露のように生まれ、その露が落ちるように死んでゆく。それが我が人生だった。日本(浪速)のことなど夢のまた夢だ」という述懐である。

 プーチンは一体何故ウクライナへ軍事侵攻したのかを考える内に、ふと秀吉晩年の朝鮮出兵と重なるものを感じたのである。そう、独裁者の晩年における気まぐれの着想であり、簡単に勝てるという妄想である。

 第二部では隣国への軍事侵攻という暴挙に出たプーチン大統領率いるロシアを取り上げる。

疲弊するロシア経済

 戦争は国の経済と財政を急速に悪化させる。ウクライナ戦争は既に長期化しており、ロシア経済の大きな負担になっている。初めに幾つかの資料をもとに、ウクライナ侵攻から4年が過ぎた時点でのロシア経済の現状について要点を整理してみよう。

 資料1は、長引く高金利政策が経済を窒息させている現状についてレポートしている。

 「欧米の制裁によるエネルギー収入の減少を補うため、ロシア政府は国富ファンドを活用してきたが既に枯渇しつつあり、最近では税金を引き上げて財源を確保している。」

 「ロシア連邦中央銀行は労働力不足と高インフレ対策として高金利政策を維持してきたが、これが借り手の返済能力を圧迫していて、多くの企業がデフォルト直前の状態に追い詰められている。企業は高金利と消費の鈍化に直面して経営が圧迫されており、賃金の未払いが増加している。このまま推移すれば2026年10月までに銀行危機が起きる可能性がある。ロシア経済は目に見えて悪化しており、2023年以来初めてスタグフレーションの閾値に達している。」

 資料2は、4年に及ぶ戦争の結果、経済を巡る見通しでウクライナとロシアの明暗が分かれているとレポートしている。

 「ウクライナが債務再編と欧州からの支援を得て国家デフォルト状態から脱した一方で、ロシア経済は疲弊し混迷を深めている。石油部門に対する新たな制裁の影響で企業の資金繰りが一段と悪化し、ロシアは2026年にも金融危機に発展する可能性が高い。」

 資料3は、産業部門の深刻な状態についてレポートしている。

 「制裁によって米欧企業から機体や部品を入手できないため、約30年前に製造されたロシアの退役機10機が修復されて航空会社に引き渡された。現在運行中の国産旅客機に関しても、工場が軍需優先なため民航機用の予備品の納入が遅れ修繕が追い付いていない。」

 資料4は、民生部門を犠牲にした「戦時経済の極限状態」についてレポートしている。

 「医療機器は部品不足で修理不能となり、自動車産業は衰亡している。航空機は修理部品が不足して古い機体から取り外して何とか運航を維持している状態だ。半導体不足は精密兵器の開発を阻み、技術者の流出は研究開発の基盤を弱体化させている。都市部では専門職が消え地方では労働者が消えつつある。人口の空洞化は、戦争が終わった後の再建能力を著しく損なう。」

 ここに紹介した現状は深刻さが増しているロシア経済の一面の描写でしかない。それでも、もしこのような事態が西側諸国で起きれば、政権は既に吹き飛んでいるだろう。ロシアの状況はそれ程深刻である。しかしロシアの体制は治安機関の忠誠と情報統制によって支えられているので、庶民の不満だけでは揺らがない。ロシアの敗北は軍事的敗北ではなく、体制がこれ以上の損耗に耐えられなった時に確定的になる。

戦争がもたらしたロシアの惨状

 ここで、ロシア経済及び社会の深刻さを物語るデータを整理してみよう。(資料1~4、7参照)

①アメリカ戦略国際問題研究所(CSIS)の最新調査では、ウクライナ侵攻によるロシアの死傷者数は120万人(ウクライナの約2倍)に達し、第二次世界大戦後のあらゆる戦争で如何なる大国が被った死傷者数よりも多い。

②死者は32万5000人を超え、朝鮮戦争以降に米軍が戦った全戦争の合計死者数の3倍に及ぶ。或いは「10年戦争」となりソ連崩壊につながったアフガニスタン侵攻におけるロシアの死者の約20倍に達している。

③2025年10月時点で航空会社が保有する旅客機は1,135機あり、このうち67%が外国製で、「故障や技術的トラブル」の件数は約800件に上り、前年同期の4倍に急増した。

④ロシアは入隊に応じたロシア人に高額な契約ボーナスを払い、戦死した場合には更に多額の支払いを行ってきた。軍の採用活動や軍事産業の生産優先の方針も重なり、「深刻な労働力不足」が他の重要産業で起きている。経済を維持するのに必要な機械操作員や組み立て工80万人が不足している。

⑤2025年末時点で、それ以前の11か月間、ロシアの石油・ガス収入は2024年と比べて22%減少しており、12月の収入は前年同期比で49%まで急減している。一方、国防関連予算は2025年第一四半期から第三四半期の累計で過去最高の1,490億ドルに達していて、財政赤字の拡大要因となっている。

⑥ロシアの国防部門向け融資は企業融資全体の約4分の1を占めていて、総額は2,020億ドルに達している。

⑦高金利と消費の鈍化に圧迫され企業が限界に達している。未払い賃金の規模は10月時点で前年同期比ほぼ3倍の2,700万ドルを超えた。 

 戦争の長期化によって経済と社会の状況がここまで深刻化しているにも拘らず、専制主義のロシア国内からは目立った停戦の動きが出てこない。

国際社会における弱体化

 長引く戦争でロシアが失った被った国益の損失は国内経済に留まらない。4年に及ぶウクライナとの消耗戦によって、ロシアは明らかに国際的な地位を低下させ弱体化している。資料4を参照して要点を整理した。

 第一に、欧州/NATOとの関係で言えば、ロシアがウクライナ侵攻に踏み切った理由の一つは、北大西洋条約機構(NATO)の拡大を阻止することだった筈だ。しかし現実は、ウクライナへの軍事侵攻が引き金となって、スウェーデンとフィンランドがNATO加盟を果たした。さらにフィンランドが加入したことで、ロシアとNATO諸国との国境は2倍以上に拡大した。

 第二に、中国との関係で言えば、現在のロシアはエネルギー輸出から自動車、電子機器の輸入まで、不可欠な貿易分野で中国依存を深めている。しかもロシアの方が中国よりも依存度が高く、関係は不均衡で、ロシアは明らかに格下のパートナーとなりつつある。

 そして第三に、友好国との関係で言えば、ウクライナ戦争以降ロシアは国際社会におけるロシアの地位と影響力を著しく低下させている。象徴的な事件は次の通りだ。

・ロシア政府は2024年、反体制派勢力によって失脚に追い込まれたシリアのアサド大統領を避難させ、亡命を認めることを余儀なくされた。

・ベネズエラのマドゥロ大統領が先月、米軍による急襲で首都カラカスの自邸から連行されたが、ロシアはマドゥロ氏を守ることができなかった。

・昨年夏には、米国とイスラエルの軍用機がイランの核施設を攻撃したが、ロシアはなす術なく傍観を強いられた。

 以上述べたように、ロシアはウクライナ戦争にくぎ付けになっている間に、国際社会で起きた事件に関与する力を喪失し、地位の弱体化を招いたことは明らかである。

 最後に日本との関係について、元陸将の福山隆氏は次のように警告している。(資料6参照)

・ロシアの戦力は今後低下してゆくが核と老朽兵器は残り、≪弱いが危険な隣人≫へと変質するだろう。

・東アジアは米日韓対中露という構図が強まる。エネルギー地政学も再編され、サハリンの重要性は増し、アジアの資源競争は激化する。

・日本にとってロシアは≪読みにくい核保有国≫へと変質するだろう。その不確実性こそが、ウクライナ戦争後の最大の安全保障課題となる。」

 このように見てくると、仮にプーチンが目論んだウクライナの領土獲得を成し得たとしても、そのために支払った代償は計り知れない。秀吉同様に、晩年の独裁者の気まぐれの着想と妄想が浮かび上がるのである。

ロシアの未来:ガラパゴス化

 ロシアが失いつつあるのは、現在の国益に留まらず、未来の国益をも大きく毀損させている。資料5は、戦争によってガラパゴス化するロシアの未来について分析している。

 軍事侵攻したロシアに対し、西側諸国は歴史上前例のない規模の包括的な経済制裁を科した。その目的は経済を麻痺させロシアの戦争遂行能力を削ぎ、侵攻を断念させることにあった。しかしロシア経済は西側の予想に反し、完全な崩壊を免れて、ある種の強靭さを誇示しているように見える。

 制裁によってグローバル経済から切り離されたため、ロシアは忠誠と国家統制を最優先する閉鎖的で自己完結的なシステムへの回帰を余儀なくされた。ロシアは国際社会からの孤立を逆手に取り、国家による統制を極限まで強め、西側中心のグローバル経済とは異なる独自のサプライチェーンと経済圏を築こうとする壮大な社会実験を進めている。

 確かにロシアは資源国であると同時に世界でも有数の穀倉地帯を抱えているので、エネルギーも食料も自給自足できるかもしれない。しかし世界では今、産業や軍事力の分野で熾烈な競争が展開されている。現代社会を形成しているシステムに注目すれば、産業や軍事力を支える様々なシステムとネットワーク、それを構成するコンピュータ・端末と通信網、それらを動作させるためのOSやソフトウェアと半導体チップ、それと電力インフラなどを構成要素とする、極めて複雑なグローバルなサプライチェーンを基盤として経済が成立していることが分かる。

 この点が米ソの冷戦時代とは決定的に異なる現代の特長である。現代が加速するイノベーションを前提とする競争社会である以上、いかなる国家もグローバル・サプライチェーン・ネットワーク(GSN)から切り離されて存在することができなくなったのだ。GSNから鎖国すれば、進化から取り残されたガラパゴス島のようになってしまうからだ。

 つまり経済制裁を被っているロシアがGSNとの接続を切って鎖国しようとすれば、その先にあるのは衰退する未来しか待っていないのだ。残念ながらプーチン大統領は、現代社会のこの特質を充分に理解していないように思える。

プーチンが犯した致命的失敗

 軍事侵攻から4年が過ぎた。この間にロシアが辿ってきた足跡を総括的に俯瞰してみよう。結論を先に言えば、ウクライナ戦争に関してプーチンは致命的な三つの読み間違いをしたことになる。

 第一は、言うまでもなくウクライナを短期間で制圧できると読んだことだ。資料4によれば、プーチンは10日でウクライナを制圧できると目論んでいたという。しかし現実には既に4年が過ぎたにも拘わらず、未だに終戦の目途が立たないまま消耗戦の様相を呈している。

 国土の破壊という意味でロシアが被った損害は、ウクライナと比べれば比較にならない程小さいに違いない。しかし既に述べてきたように、ロシアの死傷者が既に100万人を超え、死者も30万人を超える損害は破滅的という他ない。さらに徴兵を拒否し、ロシアの未来を見限って国外に脱出した若者の規模も、ロシアにとって受容限界を遥かに超えるものであるだろう。若い世代の人口を失うということは、未来の国家の担い手を失うことであり、未来の国益を長期間にわたって失うことになるからだ。

 第二は、国際社会からのリアクションの大きさを過小評価したことだ。戦争が長期化したことによってウクライナだけでなく世界中がロシアとの関係を再考する時間余裕が生まれた。最大のリアクションはロシアの脅威を再認識した欧州がウクライナ支援で結束したことだろう。ウクライナ支援を巡り米欧間の相互不信が拡大したものの、欧州を結束させNATOが拡大する結果になったことは、プーチンにとって本来容認できないものだったに違いない。

 さらにウクライナ戦争が起きて、ロシアは明らかに中国の弟分の地位に転落した現実が確定的になった。さらにシリアやイランなど親露国だった国々の危機に際して、なす術がなく傍観してきた。今後徐々に近隣国のロシア離れが顕在化してゆくことが予測される。

 第三は、「戦闘に勝って、戦争に敗れる」という歴史の教訓を軽視したことだ。現代が米ソ冷戦時代と決定的に異なるのは、ロシアと雖もグローバル経済に組み込まれている現実であり、かつグローバル経済はイノベーションによって年々ダイナミックに進化し続けていることだ。

 しかもその技術革新の先頭集団を形成しているのは西側諸国であり、西側諸国による制裁は、GSNを構成する最もコアとなるチップやソフトウェアの調達の道を途絶させてしまった。ロシアの航空機の現状が如実に物語っている。GSNからの断絶がロシアの未来の富と繁栄を大きく損なうことになることは明らかだ。

 プーチンはロシアが資源国・軍事大国であることを認識していただろうが、同時に産業小国・ハイテク後進国である現状を軽視していたのではないだろうか。しかもロシアのその実態を世界中が再認識することとなってしまった。

 GSNの時代に、いきなり隣国に軍事侵攻するという行為そのものが時代錯誤なのであって、仮に軍事侵攻の目的を短期間で達成できたとしても、国際社会からのリアクションは経済のあらゆる側面に及び、さらに未来の国益にも大きな影響を及ぼすということだ。つまりGSNの時代を生きているということは、勝っても負けても戦争が高くつく時代になったということであり、たとえ戦闘に勝っても戦争に敗れるリスクが大きくなったことを意味している。

 総括的に言えば、4年に及ぶ戦争の末に、仮にロシアがウクライナの領土の一部を獲得したとしても、そのためにロシアが支払う代償は、途方もなく大きいということだ。しかも戦争が長期化するほど、ロシアの衰退は回復が困難となっていくだろう。

まとめ

 現代がGSNの時代であるにも拘らず、プーチン大統領は米ソ冷戦時のような時代錯誤の認識をもって、恰も晩年の秀吉のように、独裁者の晩年における気まぐれの着想と、簡単に勝てるという妄想に基づいてウクライナに対し軍事侵攻に踏み切ったと推察される。プーチンが起こした変化は、世界大戦後に構築された国際秩序の枠組みを破壊したことだった。

 覆水盆に返らずという。ウクライナ戦争の勝敗に拘わらず、プーチンが起こした変化を元に戻すことはできない。そもそも国際社会は「因果関係の連鎖」によって思いがけない方向へと進んでいくものだ。プーチンの行動に影響を受けたのかどうかは不明だが、4年後にはトランプ大統領が突然にイラン攻撃を敢行した。この二つの事件をもって、戦後の国際秩序は完全に破壊されてしまった。

 従って、これから人類は、プーチンとトランプが破壊してしまった国際秩序を改めて構築することに着手しなければならない。しかも破壊したのが米露両超大国であるから、再構築する中心的役割はそれ以外の国々が担う他ない。

 国際社会の動向を俯瞰すれば、アメリカ覇権の時代が終わり、地域覇権国による多極化の時代へ向かっているという仮説がある。そうであるならば、未来の地域覇権国に求められる要件の一つは、新たな国際秩序の枠組み作りを担うことでなければならない。

参考資料

1.「ロシアついに終わるのか!匿名高官が暴露した銀行の臨終寸前」、有馬侑之助、Kangnamtimes、2025.12.29

2.「ロシアついに限界か?軍需依存で金融危機寸前」、織田昌大、Kangnamtimes、2025.12.24

3.「ロシア旅客機不足で30年モノ退役機まで投入」、読売新聞オンライン、2026.2.4

4.「ウクライナ侵攻から4年、今も致命的誤算の代償を払うロシア」、CNN、2026.2.23

5.「制裁は効いていないは本当か?」、すあし社長、集英社オンライン、2026.3.6

6.「プーチン体制はロマノフ王朝の再演か、ニコライ2世に連なるロシアの論理」、福山隆、JBpress、2026.2.21

7.「MRSA=露を再び小さな国に」、斎藤伝、産経、2026.3.1

独裁者が変える世界(1)中国

 地震予知がそうであるように、事件がいつどこで起きるのかを予測することはできないが、複数の視点から観察・分析した情報を統合して、全体像を探り本質を考えるOSI(Open Source Investigation/Intelligence)によって、どこでどのような事態が起きるかを長期的に予測することは可能である。

 戦後80年が経過し、アメリカがイスラエルに加担してイラン攻撃を行ったことによって、第二次世界大戦後に築かれた国際秩序は灰燼と化した。そもそも4年前にロシアが行ったウクライナへの軍事侵攻は、国際秩序崩壊の第一幕の事件だった。日米首脳会談における高市首相の発言ではないが、世界の動乱を止める力を保有するのは現在でもアメリカ以外には存在せず、ウクライナ戦争を終結させることができるのはアメリカをおいて他になかったのである。

 何故ならロシアもアメリカも国連安保理常任理事国であり、ロシアに勝る軍事力を保有するのはアメリカ以外に存在しないからだ。そのアメリカがいきなりイラン攻撃の当事者となったのであるから、この日をもって国際秩序は跡形もなく吹き飛んだのだと肝に銘じる他ないのである。

 国際秩序が崩壊してしまった今、これから世界は何処に向かうだろうか?ある意味で世界は暗闇の中に放り込まれたのであって、持てるインテリジェンスをフル稼働して的確な状況判断と長期予測を行い、最悪の事態に戦略的に備えなければならない。

 現代社会において世界に大きな影響を及ぼしている国は、米中露の三ヵ国である。何れもが核兵器保有国、軍事大国、かつ安保理常任理事国である。この三ヵ国は、国際秩序を無視して力を行使することを躊躇しない点でも共通する特性を持っている。戦後80年の現在、その三ヵ国が世界全体を揺るがす歴史的な変化を起こしつつある。一方で三ヵ国は共通する脆弱性を抱えている。

 本資料では三部作で長期予測を試みる。はじめに中国である。

崩壊前夜の中国

 結論を先に言えば、中国経済は崩壊前夜にある。その理由を一言で言えば、不動産バブル崩壊による不良債権を解決できないことにある。

 不良債権処理ができない理由は二つある。一つは途方もない巨額であることだ。中国の債務規模について信用できる数値がないのだが、中央政府、地方政府、国有企業、個人を合算した債務は400兆元(米ドル換算で約60兆ドル、日本円換算で約1京円)という途方もない規模に上る可能性が高い。日本のバブル崩壊で発生した不良債権が約100兆円だった事実と比べると、実に二桁も違う規模なのだ。

 一説によると、中国の総人口14億人に対して、新築マンションを中心とする空室が30億人分も存在するという。近年、中国各地に高層ビルのマンション群が多数造成されてきたが、入居者がいないばかりか、建設途中で放棄されてゴーストタウンと化した事例も多い。

 不良債権処理ができないもう一つの理由は、そもそも不動産の不良債権は習近平の政策がもたらしたものだからだ。国家及び地方政府の失政を認めることになるために不良債権処理を実行することができないのである。その結果、習近平政権はこの国難を乗り越える対策を講じることができず、巨大な時限爆弾が爆発するのを傍観する他ないのだ。

 習近平政権は経済の他にもう一つ深刻な問題を抱えている。それは3年にわたって軍の幹部を容赦なく粛清してきたという異常事態だ。そして今年1月末には、とうとう軍のトップである張又侠・中央軍事委員会副主席と劉振立・統合参謀部長が粛清された。2023年以降、ロケット軍、装備部・海軍・武警に及んだ粛清ラッシュが、軍のトップにまで及んだのである。

 軍が汚職まみれなのか、それとも習近平の軍に対する猜疑心が底なしなのか、何れが真相に近いのかは分からない。何れにせよ、張又侠は習近平と並ぶ「紅二代」に位置する超エリートであり、これで習近平は四大派閥(紅二代、太子党、共青団、上海閥)の全てを弱体化させたことになる。孤高の独裁者になったという意味で、この事実は重大である。(資料1参照)

 こうした中国の現状を踏まえて、アメリカの戦略国際問題研究所(CSIS)は2027年に開催される第21回全人代前に習近平が退陣する可能性を70%と予測し、ランド研究所は2027年に内戦が起きる可能を40%と予測しているという。(資料2参照)これが中国の実態である。

データが物語る中国経済の実情

 ここで中国経済が既に崩壊前夜にあることを示すデータを整理してみよう(資料2~6参照)

①恒大集団・碧桂園の倒産後、300社の不動産企業が連鎖倒産した。総額1兆ドルの貸出損失を抱える銀行業界が危機に直面している。

②中国のGDPデフレータ(※)が2025年末まで11四半期連続でマイナスとなった。つまりほぼ3年間、中国経済はデフレ状態にあることを示している。

※所定の期間に国内で新たに生産された全ての財・サービスの価格変動を示す指標で、名目GDPと実質GDPの比から算出される物価指数

③毎年労働市場に約1200万人の若者が参入してくるが、若年層の失業率は18%台で高止まりしている。20%~40%という数値もある。「卒業即失業」と言われる現実がある。

④地方政府の負債は15兆ドル(約2,300兆円)でGDPの120%を突破した。

⑤名門大学を出て運よく就職できたとしても給料3万円という現実がある。仕事がなくて帰郷する若者は200万人に及ぶ。無気力な“寝そべり族”が増加し、都会と田舎の間には極端な収入格差がある。

⑥中国の公式発表によれば、2025年の経済成長は4.9%を実現したというが、現在中国社会では、内需不振、不動産富豪たちの間で流行していた富の誇示現象の消滅、MZ世代(※)の若者たちが「貧乏人セット」で食事を済ませる等、超節約消費が流行している。

※ミレニアル世代とZ世代をまとめた世代で1980年代前半~2010年代前半生まれ

⑦2025年の出生数は792万人で、前年比で17%減少し、2024年までの10年間で婚姻数は53%減少した。この数字だけでも絶望的という他ない。

 資本主義であろうと共産主義であろうと、ひとたびバブルが崩壊したら不良債権を処理しない限り健全な経済は戻ってこない。バブル経済において最後の貸し手となった債権者が抱える不良債権が紙くずとなる日が必ずやってくる。しかも最期の貸し手となったメガバンクを救済できるのは政府だけであり、もし救済せずに放置すれば銀行が破綻し、経済全体が麻痺する事態となる。一方経済を救おうとすれば、政府がメガバンクを救済する以外に打開策はないのだが、その場合巨額の不良債権を公的資金(つまり税金)で処理する他ない。

 しかし400兆元と予測される空前の規模の不良債権を処理しようとすれば、国家がデフォルトを起こすことになるだろう。正しく「山高ければ谷深し」なのである。中国政府の決断が迫られる時が間もなくやってくる。

様変わりした全人代

 今年3月に「第14回全国人民代表大会」が開催された。ジャーナリストの福島香織氏によれば、「全体として李強首相の薄い存在感、濃い習近平の独裁色、人民解放軍の影響力の縮小が印象深かった。」という。中でも特に注目されたことが三つある。

 その第一は、習近平が「党の軍隊を習近平の私軍へ転換する」ことを公然と宣言したことだ。

 第二は、鄧小平以来の「集団指導体制」が崩れ、習近平が全ての決定権と責任を負い、国務院も解放軍も習近平の指示に唯々諾々と従う体制へ移行することが明らかになったことだ。(資料7参照)

 そして第三は、不良債権処理を巡る方針だ。会議後の記者会見で、中央政府の財政が火の車であることを藍仏安財務大臣が赤裸々に語っている。それによると、地方政府から大手国有銀行へ不良債権の連鎖をくい止めるため、3000億元(6.9兆円)の借り入れを決めたものの、手当ての目途(つまり財源)が立っておらずケチケチ財政で臨むと心中を吐露している。

 これは見方を変えれば、「国有銀行は救済するつもりだが地方と個人は見捨てる」と宣言したことを意味しており、くすぶってきた不良債権問題に火をつけることになりかねない。さらに政府にお金がないために従来の経済成長を諦め、景気刺激策を放棄し、経済から資金を引き上げることを暗示している。これは消費者対策を放棄し末端の不良債権保持者を見捨てると宣言したことに他ならない。

 しかももっと重大なことは、中国が抱える不良債権は、前述のとおり3000億元のレベルでは到底済まないことだ。

 また2026年からの5ヵ年計画では数値目標を置かないことが決まった。これは従来の経済成長を放棄することを意味する。(資料6参照) このように、従来は経済と財政の実態を隠してきたのだが、もはや虚飾することができなくなったことを物語っている。

現実味を帯びてきた習近平体制崩壊

 元陸将の福山隆氏がJBPressに中国で進行中の事態について興味深い分析をしているので紹介したい。福山氏は「軍は統治の根幹である。その軍を大規模に粛清せざるを得ない状況は、習近平体制の弱体化を示す明確なシグナルである。すなわち、これは中国の権力構造が内部から崩れ始めた兆候である。」と述べている。(資料1参照)

 さらに、国際政治評論家の宮崎正弘氏が「今回の軍政中枢の体系的粛清は明朝末期の崇禎帝とそっくりだ」と論評していることを踏まえて、福山氏は次のように述べている。「明朝最後の皇帝に倣うように、習近平は猜疑心から有能な将軍・官僚を次々と粛清し統治基盤を自壊させてきた。権力の過度な集中と粛清の連鎖は、組織の機能不全と統治者の孤立を招く≪歴史的に繰り返される崩壊パターン≫の再現だ。」

 そして今後、情報遮断と統治者の孤立、軍の士気崩壊、財政破綻、組織の自壊、最終的な孤立というステップを経て、中国共産党独裁政権が崩壊に向かう可能性が高い。前述した今年の全人代の状況は中国の財政破綻がそう遠くないことを物語っている。

 トランプ政権が相次いで公表した国家安全保障戦略(NSS)と国家防衛戦略(NDS)の中で、アメリカが現在の中国をどう認識しているかについて、福山氏は次のように述べている。

 トランプ政権はまず今後の中国を「体制的脆弱性を抱えた戦略的競争相手」と見なし、経済減速、社会不安、軍の腐敗、統治の不安定化リスクを前提にした対中戦略を描いている。次に「長期的に崩れ得る国家」と見なし、対中依存の縮小、サプライチェーン再編、軍事抑止の強化を同時並行で進めている。さらに「中国が崩壊しても巻き込まれない体制」の構築へ戦略を再編している。(資料1参照) 興味がある方は、是非原文を参照していただきたい。

IMFの勧告

 中国の経済危機に関しては、国際通貨基金(IMF)も警鐘を鳴らしている。IMFは2月19日に中国の貿易黒字が1.19兆ドルに達しており、中国との貿易不均衡が「容認できないレベル」だとして、異例の勧告を発した。

勧告の要点は次のとおりである。(資料8参照)

①主要産業部門企業に対する産業補助金を半減させること(GDP比4%→2%)

②不動産低迷対策に3年間でGDP比5%を投入すること。

③「消費主導」の成長モデルへ転換すること。

 経済の現状が「需要不足」であるにも関わらず、中国政府がとってきた政策は「生産拡大、輸出拡大」であるから、これらの三項目について中国が簡単に同意するとは思えない。

張又俠の遺言書

 今年1月末に事実上粛清された張又俠中央軍事委員会副主席は、粛清されることを予知して、「私に何かあれば公開せよ」と記した手紙を残した。それが海外メディアに流通した。それによると、張又俠は習近平の軍運営を「私兵化」と断定し、2024年6月に実行されたロケット軍司令官だった魏鳳和の粛清は、「台湾侵攻反対派の排除」を目的とした政治的策略であったと暴露した。台湾侵攻を想定した、南部戦区の兵力50万人と空母3隻を動員する「奇襲攻撃」構想に対しては、「中国の崩壊を招く」と強く反対し、劉亜洲元中央軍事委員会副主席の分析を引用して、戦争が中国のGDPの70%を喪失させると警告した。

 さらに2027年10月に開催される「中国共産党第21回全国代表大会」前に、習近平は今季限りで退任せよと諫言している。張又俠が遺言書を残したのは、差し違える戦いを挑んだということだろう。それが世界中に公開された以上、タダでは済まないということだ。(資料9参照)

まとめ

 以上述べてきたように、客観的事実が物語る中国の現状は既に危機発生前夜の混乱の渦中にあると言っていい。中国政府は第二の天安門事件の発生防止を警戒しているが、それよりも外部から強い圧力が働けば、危機の発生が早まることが予測される。トランプ政権からのさまざまな圧力は固より、ウクライナ戦争の長期化とロシアの衰退、ベネズエラの政権転覆、イスラエル・イラン戦争の長期化、それによるエネルギー価格の高騰と世界レベルのインフレは、何れもが強い外部圧力となり得るものだ。

参照資料

1.「中国軍中枢の連続粛清が示す構造的危機」、福山隆、JBPress、2026.1.30

2.「習近平時代終わる」、荒巻俊、Kangnamtimes, 2026.2.23

3.「Youtube動画が映し出す中国のもう一つの真実」、勢古浩爾、2026.1.6

4.「中国経済はもう終わりだ、5%成長の裏で進む抜け出せない崩壊」、荒巻俊、Kangnamtimes、2026.1.19

5.「中國経済停滞 構造的な歪み一段と深まった」、読売新聞、2026.1.21

6.「中国経済のデフレ化」、新経世済民、三橋貴明、2026.3.23

7.「中国のドケチ予算、経済成長と消費者に痛み暗示」、Wall Street Journal、2026.3.12

8.「中国・全人代で習近平は何を語った?」、JBPress、福島香織、202.3.12

9.「IMFが中国に異例の圧力 産業補助金を半減せよ」、Kangnamtimes、2026.2.20

10.「私が逮捕されたら公開せよ」、Kangnamtimes、2026.2.9

中国の過激な反応、試練と展望

11月7日予算委員会

 今回の事件の発端となった高市首相発言は、11月7日の衆議院予算委員会における立憲民主党岡田克也氏との質疑応答の中で飛び出した。このQ&Aの詳細については、ジャーナリストで現代ビジネス編集次長の近藤大介氏の記事から該当する箇所を抜粋して引用する。(資料1参照)

<岡田:存立危機事態について、麻生さんも安倍さんも軽々しく扱っている。存立危機事態で武力行使すれば反撃も受ける。それを避けるのが政治家の役割だ。>

<高市:あらゆる事態、最悪の事態を想定しておくことは非常に重要だと思う。台湾を中国の支配下に置くために、どういう手段を使うか。単なるシーレーンの封鎖であるかもしれない。武力行使であるかもしれない。ニセ情報であるかもしれない。だけれども、戦艦を使って武力の行使も伴うものであれば、まあこれは、どう考えても存立危機事態になりうるケースであると私は考える。実際に発生した個別具体的な事情に応じて、政府が全ての事情を総合的に判断するということだ。実際に武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態にあたる可能性が高い。法律の条文通りであると思っている。>

<岡田:武力行使が誰に発生することを言っているのか? もっと明確にしないといけない。・・・(台湾からの)大量の避難民、数十万人、数百万人が発生する。そういった人々を受け入れる必要がある。そういう時に、日本が武力行使をしていたら、極めて差し障りが出てしまう可能性が高い。存立危機事態、武力行使は慎重に考えねばならない。余りに軽々しく言っていないか?>

<高市:存立危機事態の認定に際しては、個別具体的な状況に則して、主に攻撃国の意志・能力・事態の規模・対応などの要素を総合的に考慮して、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、国民が被ることになる犠牲の深刻さ、重大性などから判断すべきものと考えている。政府として、持ちうる全ての情報を用いて判断する。これは当然のことと思っている。

 この首相答弁のどこが問題だというのだろうか。「戦艦」という用語が既に使われていないこと以外に、不適切な箇所は何もない。

存立危機事態

 初めに存立危機事態というのは、「①我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、②これにより我が国の存立が脅かされ、③国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明確な危険がある事態」と定義されている。 そして存立危機事態は、定義に書き込まれた三つの要件①~③の全てが満たされ、閣議決定され、国会の承認を得て発動される。

 元海将で、金沢工業大学大学院教授の伊藤俊幸氏は、三つの要件を満たすには情報に基づく総合的判断が必要であり、更にその後二つのステップを経て初めて事態認定されるもので、「要件に該当する可能性がある」という首相答弁は「法的一般論」を述べたに過ぎないと指摘する。(資料2参照)全くそのとおりだ。

 中国が大騒ぎしたことを受けて、日本側からも踏み込み過ぎという報道と記事が目立った。高市首相が「言わなくてもいいことを勇み足で喋ってしまったから、中国を過剰反応させた。軽率だった。」という論調だ。安倍総理が常に慎重に言葉を選んで中国抑止の発言をしてきたのと比べて、軽率ではなかったかという批評である。

 本当にそうだろうか。伊藤教授は資料2の中で、「首相が可能性を語る意義は、リスクを国民と共有し国の判断基準を透明化するためにある」と述べている。現在の国際情勢を概観すれば、ロシアがウクライナに軍事侵攻して、中国がロシアの戦争経済を支え、北朝鮮が戦場に武器と兵士を送って参戦している。イスラエルとパレスチナ・ゲリラとの戦闘が拡大し、世界が戦争モードへシフトした感がある中で、中国が台湾侵攻に踏み切る蓋然性が高まっている。この国際情勢下で首相が存立危機事態の要件について踏み込んだ答弁することは、むしろ時機を得た行動と見るべきではないだろうか。

 近藤大介氏は資料1の中で、「岡田克也氏のイチャモン質問」と書いているが、現実の国際情勢と対峙して、国民に対する安心安全の全責任を背負っている高市首相に対して、自らは評論家席に陣取って揚げ足取りの質問をしている岡田氏の方が余程無責任であると言わざるを得ない。「立憲民主党というのはどこの国の政党なんだ」という声がそれを象徴している。

 このように安全保障の危機が高まっている国際情勢において、ロジカルにはっきりモノを言う高市首相に対する国民の支持率は70%超を維持している。国民の方が敏感に危機を感じ取りリアルポリティクスを支持している事実を、野党政治家は軽視すべきではないだろう。

中国がとった威圧行動

 何れにしても中国の反応は相当に常軌を逸したものだった。中国がとった威圧行動を列挙すると、次のとおりである。

11月8日:中国駐大阪総領事がXに書き込み

14日:日本への渡航自粛を指示

16日:日本への留学再考を注意喚起

17日:各地で予定されていた日中友好行事を取りやめ

18日:報道官、高市首相の非核三原則発言に抗議

19日:18日に北京で日中局長級会議が開催され、会議終了後、ポケットに両手を突っ込んだ中国の局長に対し金井局長が頭を下げているように見える動画がSNSに拡散

18日:国連でも対日批判を展開

19日:日本産水産物を禁輸

20日:スパイ摘発強化を示唆

吹き飛んだ日中首脳会談の成果

 10月31日に開催された日中首脳会談において、習近平国家主席は「五つのコンセンサス」をしっかりと守り、実施することを強調したばかりだった。ちなみに「五つのコンセンサス」とは次のとおりである。(資料3から引用)

1.「戦略的互恵関係を全面的に推進し、相互パートナーシップ、相互に脅威とならない、歴史を鏡に未来を向く、などの政治的コンセンサスをしっかり実施する・・・」

2.「ウィンウィン協力を堅持する・・・」

3.「人々の心の交流を促進する・・・」

4.「多国間協力を強化する・・・」

5.「意見の相違を適切に管理する。大局を見据え、共通点を求め相違点を認め、一致点を集め対立を和らげ、矛盾や対立が両国関係を定義づけることを回避する。」

 このコンセンサスを相互に再確認してから、僅か1週間後に中国は相次ぐ威圧行動をとったのだった。格調高く歌い上げた戦略的互恵関係だったが、僅か1週間で脆くも崩れ去ろうとしている。

中国側が態度を硬化した原因

 一体中国側がここまで過激に反応したのは何故だろうか。多くの識者がさまざまな視点から論評しており、論点が既に出尽くした感がある。中国側が何故態度を硬化させたのかについて、ジャーナリストの青山和弘氏が分かり易く解説しているので、以下に要点を紹介する。(資料4参照)

1)日本は専守防衛の国だから、自分から攻撃することはできない。相手からの攻撃に対し反撃するにしても、反撃の根拠となる事態の認定が必要になる。存立危機事態は自分は攻撃されていないが、集団的自衛権を行使してどういう時に自衛隊が防衛出動できるのかを決めるという、極めて複雑な問題である。

2)もし台湾に米軍が来て中国が武力を行使すれば、台湾で米中戦争が起きるため、我が国の存立が脅かされる。台湾から約100km東に位置する与那国島に戦火が及ぶかも知れないし、中国が在日米軍基地を攻撃対象にするかもしれない。そうなれば日本にも明白な危険が及ぶ事態となって、存立危機事態になり得る。

3)高市首相は、ここまでエスカレートしたら確かに存立危機事態になり得るよね、という一般的な解釈として常識的なことを言ったのだが、これまでここまではっきり発言した総理は過去にいなかったことから、中国は「台湾有事に日本が自衛隊を出してくるのか、ふざけるな」という話になってしまった。

台湾を巡る国際情勢の変化

 評論家で千代田区議会議員の白川司氏は、「中国の過激な反応の原因は、高市発言よりも大阪総領事の暴言に対する日本側の反応が大きく、削除しても収まらなかったため、中国政府として引っ込みがつかなくなったことにある。」とみる。(資料5参照)

 白川氏は今回の過激な反応は三つの要因が重なったために起きたと指摘する。即ち米中戦略環境の悪化と、中国経済の停滞と、中国国内政治の力学の三つだ。

 アメリカはそれまでの台湾政策を転換して、「台湾を実質的な国家に昇格させる」方向に舵を切った。アメリカ議会では台湾関連法案が相次いで提出され、上院では『台湾保障実行法案』が可決された。そこには従来の台湾政府との公的接触制限を見直す項目が含まれている。さらに上院外交委員会は台湾の地位について「台湾住民の意思に基づかない一方的な変更に反対する」立場を鮮明にした。

 中国経済の停滞は言うまでもないだろう。国内政治力学とは、台湾政策は中国共産党にとって権力の正統性を担保する核心的利益であるために、弱腰を見せることはできず、常にファイティングポーズをとり続ける他ないということだ。

 これら三つの要因に加えて日本では高市政権が誕生して、中国に対する日本側の体制が変化している。少なくても中国にはそう見えるに違いない。何故なら高市首相の閣僚人事が親中国から親台湾にシフトしたことと、他一つは日中関係のパイプ役を果たしてきた公明党が連立政権から離脱したことだ。何れも中国にとって重大事件だったのである。

中国側のお家事情

 中国側に深刻なお家事情があると分析するのは近藤大介氏である。お家事情として近藤氏は10項目挙げているが、中でも重要な要点について紹介する。(資料1参照)

 第1は、台湾有事の際の日本の立ち位置に対する誤解だ。ウクライナ戦争におけるロシアとドイツの関係は、台湾有事における中国と日本の関係と相似形だと中国の識者は考える。即ちドイツはウクライナを支援するがロシアとは戦火を交えていないし、ロシアもドイツを攻撃する気はない。それと同じで、台湾有事が起きれば日本は台湾を支援するだろうが中国と戦火は交えない。中国も日本を叩いたりはしない。それが高市発言で日本が台湾有事を殊更に強調したものだから、「日本はウクライナになるつもりか」と誤解し仰天したというのだ。

 第2は、存立危機事態に対する誤解である。前述したように、存立危機事態の三要件の一つは「日本と密接な関係にある他国」に対し武力攻撃が発生することである。ここで「他国」は特定されておらず、日本にとっては当然他国=アメリカで集団的自衛権の発動を想定するのだが、中国は他国に台湾が含まれると誤解したというものだ。つまり、ひとたび台湾有事が起きれば、日本が参戦してくると高市首相が明言したと受け止めたことによる。もっとも現在では台湾は国として認められていないのだから、「他国」が台湾を含むという解釈は成り立たないのだが。

 第3は、高市政権が誕生したときに習近平主席は祝辞を送らなかったが、これは台湾の頼清徳総統を支援する政権が日本に誕生したと中国が受け止めたからだ。

 第4は、習近平主席は「上から目線」で見ていて、今では中国が兄貴分、日本が弟分の関係にしてゆくことを目論んでいるが、高市政権は一々「反抗」しており、それが歯がゆいというものだ。

 第5に、10月末に日中首脳会談が開催されたが、習近平主席は触れて欲しくない点を高市首相からズケズケと指摘されて、面子を潰される展開となった。これは首脳会談をセットした中国外交部(トップは王毅外相)の大失態であり、「悪いのは日本だ」と責任回避を図ろうとした。

「一つの中国」問題の再燃

 前駐オーストラリア特命全権大使で外交評論家の山上信吾氏は、日中間で「一つの中国」問題が再燃したとみる。(資料6参照)

 1952年に発効したサンフランシスコ平和条約以降、「一つの中国」は中国側の主張であって、日本政府として受け入れたことは一度もない。ウクライナ戦争以降、台湾有事の蓋然性が高まっているが、高市首相が「存立危機事態」について一般論の答弁をしたことに噛みついて、中国は「高市政権が一つの中国問題に首を突っ込んできた」と解釈した可能性が高いというものだ。

習近平が直面するジレンマ

 習近平主席は本当は高市発言に頭を抱え、ジレンマに直面しているという見方がある。ジャーナリストの石森巌氏は、「中国側の強硬姿勢には、いささか腰の引けた奇妙なチグハグさが随所に垣間見える。」と指摘する。(資料7参照)

 「腰が引けている」第1の理由はヒステリックな反発の狼煙を挙げているのは取り巻き幹部ばかりで、習近平主席本人は一言も発言していないことだ。第2の理由は日本に対し威圧をかければ、それでなくても大失速に向かっている中国経済がさらに悪化する可能性が高まることだ。

 中国では今、経済情勢が急激に悪化している。不動産バブル崩壊に起因する巨額な不良債権問題が深刻化して、経済が急失速する中、失業者が溢れ、若者には就職先がない。そこにトランプ大統領による関税制裁が襲いかかった。ここで更に日本との関係が冷え込めば、戦略的互恵関係を梃に経済を立て直したいという目論見が水泡に帰してしまうという訳だ。

 東京財団政策研究所主席研究員の柯隆氏は、悪化した日中関係について次のように分析している(資料8参照)

 「状況は複雑化しているが、日中双方とも関係をこれ以上悪化させたくないことが明らかだ。中国がとった制裁措置は何れも日本に実害の小さなものばかりで、中国では半日デモも起きておらず、日本製品の不買運動も起きていない。」

 「反日デモが起きないのは、中国経済が低迷しており若者の失業率が高止まりしているからだ。更に現在はトランプ関税戦争の渦中にあり、このタイミングで大規模な反日デモが起きれば、日本企業の中国離れが加速して中国経済にさらに深刻なダメージを与えることになる。しかも中国社会で不満が溜まっており、反日デモが反政府デモに発展してしまう恐れがある。」

 「日本製品の不買が呼び掛けられていないのは、日本製品のコアな部品は日本から輸入され中国でアセンブリが行われているので、不買運動が起きれば、結果的に中国企業を制裁することになるからだ。」

事態を悪化させた中国総領事の暴言

 高市首相の発言に関わる中国の反応よりも、日本が警戒心を最高度に高めたのは駐大阪の薛剣中国総領事によるXへの投稿記事だった。「その汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない」と書き込んだメッセージは、ジャーナリストで産経新聞論説委員長を務めた乾正人氏が言うように、「高市首相殺害を予告する脅迫文」と認定されてもおかしくない。政治的判断を別とすれば、毅然と「ペルソナ・ノン・グラータ(ラテン語で、好ましからざる人物)」指名して国外追放すべき悪行である。(資料9参照)

 総領事によるこの記事は高市首相答弁翌日の11月8日土曜夜に投稿されて、投降後に削除されている。ここに謎が二つある。一つは総領事個人の行動か、それとも中国政府の指示または了解に基づく行動かであり、他一つは感情的な反発か、それとも計算された意図的行動かだ。

 前述の白川司氏は、次のように分析する。「注意すべきは、中国政府が激しい口調で制裁をちらつかせながら答弁の撤回を言い出したのは、大阪総領事が高市首相に対する暴言を投稿し、削除しても日本国内からの批判が集中した後である点だ。これは今回の中国政府の過剰な反応が、高市首相の答弁自体より大阪総領事の暴言問題で引っ込みがつかなくなったからだと考えられる。」(資料5参照)

 この総領事は2021年夏に着任して以来、SNSで過激な発言を繰り返してきたいわく付きの「戦狼外交官」だったという。高市首相発言は法的に正当な答弁であり、<論理的に反論できないから暴言で威嚇した>と考えられる。

 在日台湾人団体が出した共同声明には「中華人民共和国は台湾を支配したことは一日もなく、中国が台湾の主権を主張したいのであれば、その根拠を明確にし、台湾人の同意を得られるよう努力すべきだ。」と書かれている。<台湾に関わる中国の権利主張には歴史的な根拠が全くないから「戦狼外交」を展開する他ない>のである。(資料10参照)

増加する戦狼外交官

 産経新聞論説委員兼政治部編集委員の阿比留瑠比氏は、次のように分析する。「戦狼タイプの外交官が近年急速に増えている。習近平政権の強硬な対外路線があり、強気で挑発的な発言をする方が上層部に評価されることが背景にある。これはやがて諫言する者が誰もいなくなる独裁国家の病弊の表れだ。」

 王毅外相自らも、「日本の現職の指導者が台湾問題に武力介入を企む誤ったシグナルを公然と発し、言うべきではないことを言った。触れてはならないレッドラインを越えた。」と発言したが、日本通の王氏は日本側の実情を百も承知であり、この発言が習近平主席の歓心を買おうとしたものであることは明らかだ。(産経11月27日紙面)

 一方、既に紹介したさまざまな威圧行動が、中国政府の複数の部署からタケノコのように現れてきた現状について、ジャーナリストで雑誌『正論』編集長を務めた桑原聡氏は、「中国外交官の言動は独裁者に対する忠誠の結果であり、怒りよりも哀れさを感じざるを得ない。」と評しているが、本質を突いているのではないか。(資料11参照)

 本件に関して注目されるのは、米中首脳会談に出席した中国側の高官の態度について、トランプ大統領が「あんなに怯えた人間を見たことはない」と評したことだ。外交トップの王毅外相を始め米中首脳会談に同席した高官ですらそうであったとしたら、総領事の言動も推して知るべしだ。中国とはそういう国なのだと、認識を新たにせざるを得ない。

中国の常套手段

 そもそもこの事件の事の発端となったのは、立憲民主党の岡田克也氏だった。国際情勢が緊迫さを増している状況を踏まえて、「最悪の事態に備えて」台湾有事について政府と野党の間で認識を合わせておきたいという主旨に基づく質疑応答なら理解できるが、単に高市首相の揚げ足取りを狙ったのだとしたら、立憲民主党は国民の信を一層失うに違いない。

 桑原氏は、「それにつけても、哀れな中国の役人の言葉に便乗して、もっともらしい理屈をつけて高市首相批判をする政治家、メディア、評論家の何と多いことか。彼らは一体何を守ろうとしているのか。中国の国益?それとも習近平の面子?」と書き込んでいる。(資料11参照)誠にその通りだ。

 産経新聞台北支局長の西見由章氏は、中国が戦狼外交に走る歴史的背景について以下のように分析している。(産経11月27日紙面)

 「中国の戦略は、孫子兵法等の古代思想やマルクス主義の弁証法的唯物論、及び毛沢東思想が土台になっている。相手が抱える矛盾(内部対立)を利用して分断を図るのは、全ての存在は矛盾を内包すると考えるマルクス主義の弁証法的唯物論の発想に立脚している。」

 「さらに相手の選択肢を制限する行動をとり、自らが期待する行動が自然にもたらされる状況を生み出し、機が熟すのを待つ。それは老荘思想の『無為』に通じる。」

 高市首相発言を契機に中国政府は前述した制裁措置を矢継ぎ早に発動したが、正にこれは、「日本側に脅しをかけ勢いを生み出し、一触即発の機運を醸成して、野党や経済界、メディア、国民が高市政権を批判するよう仕向けて孤立させ分断を図る」ものであることが明らかだ。

中国側の識者はどう見ているか

 上海国際戦略研究所の趙楚副所長は、中国側の日本への抗議の語気は強いが、主に言葉の上に留まっており、実質的な行動はまだ取られていないと分析している。中国は日本とある程度の実質的な関係を維持したいと考えて、行動をエスカレートさせずに今後柔軟に対応できる余地を残している。ただし日中間の「政治的共通基盤」はすでに損なわれた。(資料12参照)

 たとえ現在の争いが沈静化したとしても、両国の「負の相互作用をもたらす火種」は依然として存在する。日本は世界の重要な国家として「普通の国」になることを模索しており、中国も超大国の地位を追求しているため、この構造的矛盾は間違いなく両国関係に困難をもたらす。中国の台頭にどう対応するかは日本が直面する重大な課題であり、中国にとっては日本という重要な隣国との関係を如何に適切に処理するかが大きな試練であり、従来の思考や観念はもはや適用できない。(資料12参照)

日本は泰然自若たれ

 在日台湾人団体が中心となって複数の在日の団体が連名で共同声明を出して、中国政府による威圧に抗議している。「高市首相の答弁は、日本及び周辺諸国の安全保障に関する仮定の議論の中で発せられた日本政府としての公式見解であり、何ら問題はない。中国が現状の変更を目論んで武力による攻撃を行わなければ、日本が存立危機事態に陥ることはなく、自衛隊を派遣する必要もない。・・・中国はその威圧的な言動を改めなければ、そして国内での人権問題を改善しないなら、今後も地域の最大の不安定要素であり続けるだろう。」(資料10参照)

 中国にとっては威圧的言動を改めることも人権問題の解決もできない相談であるから、中国は今後とも地域最大の不安定要素であり続けるだろう。それを前提として日本はどうすべきかを考える必要がある。

 小野田紀美経済安全保障担当大臣は、今回の事件に関して、「何か気に入らないことがあったら、すぐに経済的威圧をしてくるところに依存し過ぎることはリスクがある。」と素直な所感を述べているが、誠にその通りである。中国は戦狼外交を展開しているが、世界から見れば小野田大臣が語ったように、中国に対する警戒心と嫌悪感が世界に拡がる結果にしかならない。

 中国は経済規模において西側先進国を超えてアメリカと肩を並べるところまできたことは事実である。日本や欧州諸国からみれば、「大国に相応しい品格と作法」を身につけることを期待するのだが、中国の戦狼外交は止まらない。中国が作法を変えることは期待できない。

 では日本はどうすればいいのか。元外交官で、キャノングローバル戦略研究所理事・特別顧問の宮家邦彦氏は『中国共産党のトリセツ』と題した興味深い記事を書いている。「5つのトリセツ」は次のとおりであり、誠に言い得て妙という他ない。(資料13)

1.台湾と抗日は最重要問題なので安易に妥協しない

2.メンツが潰れれば制御不能となり、論理が通用しない

3.激高した後、我に返るまでには相当の時間が必要

4.その間、中国側の不利益につき熟考させることが肝要

5.妥協するにもメンツが必要なので、面倒である

 中国の作法は今後とも変わらないと仮定した上で、隣国の日本はどう付き合うべきなのか。前述した柯隆氏は次のように述べている。「経済学のゲーム理論的な考えに基づいて今後の選択肢を探ってみる。日本の国力は国際社会でリーダーシップを取れるほど強くない。日本は自らの実力を直視して、グローバル社会のリーダーを目指さずに、如何にして日本の国益を守るかを優先的に考えるべきだ。日米同盟に頼りすぎない主体性のある安全保障戦略を描く必要がある。ここで問われるのは安全保障にかかわる日本の主体性だ。日本は国際社会に貢献することができるが、覇権国家にはなれない。重要なのは日中関係だけでなく、現下の流動的な国際情勢を正しく認識して、日本の取るべき戦略を明確に描くことだ。」誠にこのとおりだと思う。(資料8)

多極化時代における日本の役割

 「日本はどうすべきか」という問いは、以下の三つの前提事項を踏まえて考える必要がある。

前提事項1:国家や国際社会に関わる全てのシステムは未完である

前提事項2:アメリカを含め、大国はいつの時代にも強引であり時に傲慢である

前提事項3:アメリカ1強体制から多極化へ、覇権体制が変化しつつある

 日米欧諸国は民主主義国家であり、民主主義や資本主義を基幹システムとして成立しているが、中国やロシアは専制主義国家であり、異なる基幹システムの上に構築されている。基幹システムが異なるので価値観を共有することができない。

 アメリカを含めて中国とロシアは軍事大国かつ核兵器保有国であり、時に国際社会のルールに従わない強引・傲慢な振る舞いをすることは古今東西変わらない事実である。最近ではプーチン大統領によるウクライナへの軍事侵攻がその典型例であり、習近平主席の戦狼外交も、トランプ大統領のMAGA外交も強引・傲慢という点において本質は変わらない。

 世界大戦終結後、国際秩序維持の役割を果たしてきた超大国アメリカの国力は、中国の台頭と相まって相対的に低下してきた。歴史的な動向として俯瞰すれば、大戦後の米ソ冷戦構造→アメリカ一強体制→多極化へと国際秩序の骨組みは変化してきた。現在世界は多極化に向かっているという認識に立って未来を展望すると、中国は地域覇権国を志向しており、日本は米中二大覇権国の間に位置するという地政学的立場から免れることはできない。

 前提事項1~2は、それ自体が国際秩序不安定化の原因になり得る。それに加えて現在、「アメリカ1強体制から地域覇権国の並立へ」地政学の基盤が変化しつつある。トランプ大統領がウクライナ戦争など国際社会の問題を、地域の当事国の頭ごなしに、地域覇権国である中露とアメリカで解決しようとすることがその証左である。

 この動向を踏まえて考えれば、日本の役割と進路は自ずと明らかになる。ズバリ言えば、三つの前提故に顕在化する諸課題に対し、解決のオプションを提示することにある。何故なら前提事項2及び3は当事国であるが故に覇権国には解決できないものだからだ。

 ウクライナ戦争勃発以降、BRICS、グローバル・サウスなどが台頭し、相対的にG7の役割が低下してきた感があるが、前提事項1~3を考えるとき、現在進行中の国際社会の秩序崩壊を立て直す役割は、能力と資質において日本と欧州の他に存在しないことは明らかである。

 覇権国を志向する米中露と異なり、日本と欧州は覇権に相応しい国力と資質を備えていない。一方で日本と欧州は、米中露にはない歴史、経験、能力を蓄積している。欧州は理念先行で物事を考え、その理念を世界に強要しようとして世界から嫌われる一面があるものの、前提事項1の多くのシステムを発明したのは欧州である。

 一方日本には縄文以来、共生・共存・調和を基本的理念とする独自の文明を育んできたユニークさがある。総じて「地球問題」を解決するアイデアと技術を創造する資質を保有する世界でもユニークな国である。さらに日本は世界最大の債権国である。つまり、文化も技術も資金も持っているのが日本なのであって、欠落しているのはそれを戦略的に使う主体的な意思である。

 これら日本が有するポテンシャルを駆使して、戦後80年間米国に従属してきた路線を修正し、前提事項1~3を解決する役割を欧州と協力して担うことこそポスト戦後80年時代の日本の役割であると信じて止まない。

参照資料:

1)中国が「存立危機事態」でブチ切れた「10のお家事情」、近藤大介、現代ビジネス、2025.11.18

2)「可能性」を語ることこそ抑止力、伊藤俊幸、産経正論、2025.11.18

3)習近平国家主席が高市首相に言われ放題、福島香織、JBpress、2025.11.6

4)「存立危機事態になり得る」高市総理答弁に中国猛反発、Abema Times、2025.11.26

5)高市首相の一言に中国が大激怒するワケ、白川司、ダイヤモンド・オンライン、2025.11.26

6)日本外交の舞台裏を抉る!、山上信吾、アサ芸プラス、2025.11.24

7)本当は「高市発言」に頭を抱えていた!、石森巌、アサ芸プラス、2025.11.20

8)日中関係急悪化、よく見てみると結局、高市政権には「危機感は十分だが、戦略がない」というだけのことではないのか、柯隆、現代ビジネス、2025.11.28

9)「高市殺害予告」総領事は革命家?、乾正人、産経、2025.11.21

10)高市首相答弁は何ら問題ない、在日台湾同郷会、日刊スポーツ、2025.11.20

11)怒りより哀れさ感じる忠誠、桑原聡、産経、2025.11.21

12)日中の対立は沈静化するだろうがアジアの構造は既に変化、Record China、2025.11.25

13)中国共産党のトリセツ、宮家邦彦、産経、2025.11.20

制度疲労から崩壊へ向かう戦後システム(後編)

資本主義の変遷

 『終焉を迎えるバブル経済と資本主義』と題した記事を2024年1月に書いた。本稿ではそれを踏まえて、全体像を俯瞰しつつその先を展望してみたい。

  その1:https://kobosikosaho.com/world/1082

  その2:(https://kobosikosaho.com/world/1094

  その3:(https://kobosikosaho.com/world/1110

 ヨーゼフ・シュンペーターは資本主義を、「起業家と資本が組んで<創造的破壊>を起こし、経済を新陳代謝させ社会を変えてゆく仕組みである」と定義した。もう少し具体的に言うと、「意欲的な投資家とイノベーションを起こす起業家、それと社会変化に臨機応変に移動する労働者が存在する社会では、資本主義のメカニズムが<正の循環>として作用して経済は成長する。」ということだ。

 そしてマルクスは理想の社会として、シュンペーターは絶望的な結末として、資本主義が崩れて社会主義が次に来ると考えた。しかし現実はソヴィエト連邦の崩壊と共に社会主義が潰れた。一方で資本主義もまた大きく変化した。現代の視点から眺めれば、「資本が経済社会を動かす資本主義の時代は、社会秩序を破壊して発展してゆく前半と、経済主体どうしが資本を武器に破壊し合い、経済も社会も秩序を失い、安定均衡から次の均衡には移れずに崩壊に向かう後半に二分される。」(前稿から引用)

 前稿で述べたように、マネーのパワーが強大になるのと歩調を合わせて、資本主義は大きく変質したことが分かる。資本主義の変遷は以下のように要約できる。

①資本主義は1531年にネーデルランド(現在のベルギー)のアントウェルペン(英語名アントワープ)に世界で初めて取引所が開設された時を起源とする。アントウェルペン証券取引所では、商品取引だけでなく為替取引や証書も取引された。

②イギリスが覇権国となり、イギリスは資本主義をシステム化し、マネーの流れの仕組みを作った。こうして資本主義はマネーの流れがイノベーションを推進する仕組みとして、マネーを血流として経済を発展させるしくみとして定着した。

③その後マネーの力が強大化し、資本主義を大きく変質させていった。具体的に言えば、金融市場が形成され、国際金融資本家がマネーをグローバルに移動させるようになり、金融が政治を動かし戦争すら起こす力を持つようになった。

④20世紀後半になると、コンピュータと情報の技術革新が長足の進化を遂げ、金融のディジタル化とネットワーク化が整備されて、金融の世界を一変させた。

⑤そして現在、政府が行う国債発行による財政によって、加えて中央銀行が行う金融緩和政策によって巨額のマネーが金融市場に供給された。投入されたマネーは富を求めて投資と投機に向かう結果、経済がバブル化し、バブル経済はさらに巨額のマネーを生み出し、バブル→バブル崩壊→金融緩和→次のバブル・・・のサイクルが繰り返されて、資本主義はバブル資本主義へと変質したのだった。

崩壊の淵に立つ資本主義

 そして今、バブル資本主義の末期にあって資本主義は崩壊の淵に直面している。言うまでもなくその最前線の舞台は世界最大の債務国アメリカである。国際ジャーナリストの木村正人氏が9月9日のJBpressに「米国経済は3年以内に過剰な政府債務を起因とする心臓発作を起こす」というセンセーショナルな記事を書いている。資本主義が「崩壊の淵に」立っていることを示す主要なデータを以下にリストアップする。(資料1参照)

①米国政府の利払いは1兆ドル/年に達している(1兆ドル=約150兆円)

②債務の借り換えには9兆ドルが必要である

③米国の政府債務は2025年度末でGDP比100%に達する

④政府債務総額をGDP比100%以下に留めておくには、年間の財政赤字をGDP比0.4%に抑制する必要がある

⑤しかし今年度の財政赤字はGDP比6.5~6.7%に膨らむ

⑥今後1年間で米国政府は7兆ドルを支出する一方で、収入は5兆ドルに留まる

⑦以上から、利払い1兆ドル、債務借り換え9兆ドル、新規国債2兆ドルの売却が必要になる

 バブル資本主義となり資本主義は大きく変質した。それまでマネーの役割は経済を動かすための血流だったのが、株式や債券などの機能が次々に付加されたことによってマネーが膨張しかつパワーを得て、経済だけでなく政治をも動かすようになった。

 一方で貿易がグローバルになり、貿易の決済手段として世界中のマネーが為替レートを介して連結した。更にその決済はコンピュータと情報技術の進歩によって“瞬時”に行われるようになった。

 資本主義の本来の姿が、マネーを循環させて経済活動を促進し富を分配する仕組みであると理解すれば、国家統治の形態が民主主義だろうが専制主義だろうが、中国やロシアも資本主義の仕組みで動いていることに変わりはない。専制主義であるが故に、経済運営が基本的に市場に委ねられるのではなく、国家の意思によっていつでも統制される点が異なるだけだ。

 資本主義の変質の本質は、それまでは金融市場の外に陣取って金融市場を統制する役割に徹してきた政府・中央銀行が、実質的に金融市場を形成するアクターとして取り込まれ、金融市場の内の存在となったことではないだろうか。

 従来はひとたびバブル崩壊が起きれば、中央銀行・政府が介入して、大規模な金融緩和を行い、公的資金を不良債権処理に注ぎ込むことでバブル崩壊の被害拡大をくい止めてきた。不良債権を清算してバブル崩壊を鎮めることができたのは、中央銀行・政府が金融市場の外に陣取っていたからだ。

 バブルの規模とバブル崩壊の破壊力は、時間経過と共に増大した。それ故にバブル崩壊時の対処は、年々困難になる宿命にある。何故なら、不良債権の規模が際限なく巨大化してゆけば、中央銀行・政府といえども処理できなくなるからだ。

M7バブル

 アメリカでは株価が連日最高値を更新している。経済アナリストの増田悦佐氏はアメリカ株式市場の現況について、以下のように分析している。(資料2参照)

①アメリカ市場で3~4年にわたって持続的に上昇するのは時価総額の大きなハイテク企業ばかりで、中小株は見向きもさ れない。2023年頃から物色対象はM7に絞り込まれ、2024年にはエヌビディア一色となった。エヌビディアの株価総額は2024年前半で約3倍となった。

②これまでに時価総額3兆ドルに到達した銘柄が3社ある。マイクロソフト、アップル、エヌビディアだ。これを書いている現時点ではアルファベットが加わって4社となった。しかもエヌビディアの時価総額は日本のGDPに相当する4兆ドルに達した。1ドル=150円で換算すれば、600兆円。日本の名目GDPは635兆円である。(2025年4-6月期)

③株価高騰とは別に、アメリカの実体経済は低成長でインフレ率は高止まりし、金利の高騰で庶民の利払い負担が重くなっている。それなのに一握りの時価総額の大きな銘柄に買いが集中することで景気が良くなっているように見せかけている。

④現在のバブルは「時価総額集中バブル」と呼ぶべき状態にあり、勝馬を次々に乗り換えながら2013年以来延々と続いて現在に至っている。

 株取引の専門家でなくとも、単に常識を働かせて一考するだけで、M7を巡る熱狂は間もなく終わると断言できる。株の時価総額が3~4兆ドルというのはごく一部の経済大国を除く国家のGDPよりも大きいのだ。正に「バブルここに極まれり」という状態なのである。

 バブルがピークに近づいているだけでなく、M7には循環取引(Round Tripping)疑惑、分かり易く言えば架空取引疑惑がある。以下は資料2からの引用である。

①まずエヌビディアはGPU(Graphics Processing Unit、画像処理を行う専用プロセッサ)の最大手企業だが、自社からは高価なGPUを他のM7企業にまとまった数売ったことにし、相手からは同額のサービス(クラウドサービス等)を買ったことにする循環取引疑惑がある。

②ChatGPTを提供する生成AIのリーディング・カンパニーであるオープンAIにも同様の循環取引疑惑がある。この架空取引疑惑が事実であるとすれば、M7各社は相互に成長を水増しし、株価を釣り上げていることになる。

 さらにM7事業はそれぞれが解決困難な限界に直面している。

①まずテスラはEVの致命的で解決不能のジレンマを抱えている。ガソリン車と決定的に異なり、EVはクルマと積載貨物が重くなればなるほど電池の重さの割合が増大するというジレンマがあり、詰まるところEVは小型車でなければ実用化できない。もう一つの致命的な問題は、EVは気候変動=地球温暖化危機説がなければ存続できない点にある。トランプ政権は『常識の革命(Revolution of Commonsense)』の中で、「グリーン・ニューディールを終わらせ、EV義務化を撤回する」ことを宣言した。これによってアメリカ国内のEVブームは消滅している。

②生成AIも致命的な問題を抱えている。顧客に送り出す前にAIを顧客向けに「調教する」必要があるという問題だ。しかもAIが高度になればなるほど、そのコストが膨大になるという。現実にマイクロソフトとソフトバンクが大株主となっているオープンAIは現在経営破綻の淵にあるという。ちなみに2024年の決算は、AIモデルの調教コストが70億ドル、人件費が15億ドルだったのに対して、売り上げは35億ドルしかなく50億ドルの赤字だった。

③現在注目されているデータセンターを巡る致命的な問題は、大規模になるほど膨大な電力を消費することであり、しかも消費電力の約4割が冷房・換気に消費されていることだ。加えて能力を向上させようとすればするほど効率が悪化するというジレンマを抱えているという。

次に起きるバブル崩壊

 次のバブル崩壊は、これまでのバブル・バブル崩壊とは別格なものとなることが予測される。「山高ければ谷深し」という相場の格言があるが、M7バブル崩壊の「山」は主要国のGDP相当であるから、「谷」の深さも尋常では済まないということだ。

 もし仮にM7バブルが崩壊して株価が半減すれば、その結果生まれる富の消失は、主要国のGDPに相当するものとなる。不良債権の規模も相応に巨大になり、国家と雖も処理できない事態に陥るだろう。さらに巨額のバブル崩壊は衝撃波として国中に伝搬するから、その結果消費が落ち込みGDPも大幅に減少して、バブル経済は一気にデフレ経済へ転落するだろう。消滅する富は元々がバブル(泡)の富だった訳だから、実力ベースに戻るだけなのだが、バブル崩壊の嵐は不良債権が全て清算されるまで終わらない。その結果、デフレ経済が延々と続くことになる。

 さらにM7バブルが崩壊すれば、ドルの信用が大きく揺さぶられる展開になるだろう。ひとたびドルの信用が低下すれば、アメリカ政府は国債の買い手を確保することが困難になる。その結果バブル崩壊は債券市場に波及して、政府・中央銀行を巻き込む巨大なバブル崩壊となる公算が大きい。しかも次の理由からバブル崩壊の衝撃波をくい止める対策が存在しない危機となる。

①アメリカで消費が大幅に減少すれば、輸出に大きく依存している中国経済を直撃することが確実である。そして1位と2位の経済大国米中でバブル崩壊が起きれば、世界に不況が伝搬する。さらに基軸通貨ドルに対する信用が崩落すれば、グローバルな金融市場に途方もない混乱を引き起こすことになる。

②しかも従来と異なり、今回のバブル崩壊をくい止める外部が存在しない。米中に代わる経済成長を続けるフロンティアも存在しなければ、債券市場に代わる市場も存在しない。このため世界中に溢れていた巨額のマネーが行き場を失ってしまうだろう。

③中央銀行と政府は、自分自身が金融市場のアクターであることに加えて、金融緩和などの救済手段を既に使い果たしてきたために、次のバブル崩壊に対しては「弾切れ」状態で有効な対策を講じることができずに立ちすくむことになる。元々金融緩和として中央銀行が金融市場に放出してきたマネーが起こすバブルであり、ブーメランとなって中央銀行を直撃する恐れがあるのだ。

 経済学者で投資家の小幡績氏は、『バブルは崩壊し資本主義が終わりこの世が終わる』というセンセーショナルな標題の記事の中で次のように述べている。(資料3参照)

<「全てテック・ジャイアント優先、巨大ビジネス優先で何が悪い、むしろそれが経済にとって一番良い」という、この経営者たちの傲慢さが世界を破綻に追い込むのであり、その破綻の爆発力を高めるマグマが今や急激にたまっている。>

<中国も1978年から始まった壮大なバブルが、この数年で急激に崩壊のリスクが高まっており、否崩壊は既に現在進行中で、アメリカが崩れて、西側への輸出が減ってしまえば、中国経済はバブル崩壊が決定的になり、社会的な大改革がもう一度起こらざるを得ない状況になる。アメリカと中国のバブルが同時に崩壊し、さらに両方の社会構造までもが同時に窮地に陥る。>

<これは資本主義の終焉プロセスに留まらず、社会の危機になることを意味する。バブル、資本主義、社会の3つが同時に崩壊する事態となる。>

八方塞がりの中国

 中国の経済状況も危険水域にある。ベトナム・ビングループの主席経済顧問を務める川島博之氏は、『習近平は西太后になってしまうのか』と題した記事の中で次のように述べている。(資料4参照)

<中国共産党の引退した長老と現役幹部が話し合う北戴河会議が今年8月上旬に開催された。今年の会議では、習近平の力が衰えており、長老達が習近平に引退を迫るという噂が流れていた。>

<中国にどれほどの不良債権があるのか。一説には日本円で5,000兆円と言われ、最低でも中国のGDPの2倍以上ある。不良債権の真実を打ち明けられた北戴河会議メンバーは、誰もがその処理が不可能であることを悟った筈だ。北戴河に集まった人々は共産党政権がなくなれば全てを失う。かくして今年の北戴河会議の結論は、全て現状維持となったと予想される。>

<何も決めることができない。現在中国は日本が過去30年間揶揄され続けたような状況に陥っている。そして状況は日本よりも悪くなる可能性が高い。日本は曲がりなりにも痛みに耐えて不良債権処理を行ったが、中国は不動産バブル崩壊で生まれた不良債権を処理することができない。金額が巨大であるだけでなく、長老や共産党幹部の利権が複雑に絡み合っているからだ。>

 今年になって中国では銀行の貸し渋りが顕著になり、起業家の自殺が増えているという。以下は、経済産業研究所上席研究員の藤和彦氏のレポートである。(資料5参照)

<バブル崩壊の日本が経験した銀行の貸し渋りが中国で本格化している。7月の家計向き融資は前月比で4893億元(約9.8兆円)減少し、企業向け融資は前月の1/30に急減した。日本の経験によれば、貸し渋りは金融危機の予兆であり、中国経済はさらに悪化することは間違いない。既に企業向けの貸し渋りが本格化しており、今年4月以降に起業家の自殺が4件起きている。>

 中国では共産党政権の暴政に抗議する従来の群衆事件に加えて、知識層がハイテクを駆使して「打倒共産党」に抗議する活動が増加しているという。以下は、ジャーナリストの福島香織氏のレポートである。(資料6参照)

<8月29日の夜、重慶大学がある商業地域のビルの壁に、巨大プロジェクターによる抗議文が映し出された。(そこにはこう書かれていた。)立ち上がれ、奴隷に甘んじたくない人々よ・・・共産党がなくなってこそ、新しい中国がある・・・自由は与えられるものではなく、奪い返すものだ・・・暴政の共産党を転覆させよ>

<伝聞によれば、プロジェクターは通りの向かいにあるホテルの一室に設置されていて、設置後家族ともどもイギリスに脱出していた人物がイギリスから遠隔操作したものだった。>

 このようなハイテクを駆使した手の込んだ抗議だけでなく、命を懸けても共産党批判を断行する人物が増えているという。従来型の群衆事件も7/17~19だけで主要都市を中心に少なくとも21件起きている。

<個人が、強固な覚悟とハイテク技術を使って洗練された抵抗は、鎮圧などの恐怖政治では押し込めることはできない。・・・ハイテク軍事パレードの盛大さの足元で、そのハイテクを使った反共表現による人民の抵抗がじわじわ広がっていることを見逃してはいけない。>

 国際政治学者の藤井厳喜氏は、メルマガで習近平の権力基盤が弱体化している情勢を伝えている。(資料7参照)

<6月30日に中国共産党の政治局会議が開かれ、「意思決定協調調整機構」という党内最高レベルの組織が設立されることが決定した。習近平氏はこれまで既存の行政組織や党の役割分担を超えて全て自分で決める独裁体制を作り上げてきた。この(独裁)体制を否定し、本来の形に戻すことが「意思決定協調調整機構」の役割と考えられる。>

<三期目の習近平氏の任期は共産党内で2027年まである。この間に引きずり降ろすと、政変があったことが外国に明らかになり中国の弱体化を示すことになるため、軍部などの反習近平勢力は習近平氏を象徴的な存在として支えつつ、集団指導体制へ向かう動きではないか。>

 中国は高い経済成長を維持するために、超高層ビルが林立するゴーストタウンを各地に作ったり、利用者が殆どいない新幹線や空港等を地方に整備したりと、巨額の投資を繰り返してきたのだったが、その投資が不良債権化して中国経済の息の根を止めようとしている。共産党政権であるが故に強引な政策を断行してきた結果だが、本質がバブル資本主義であることは変わらず、過去の累積として膨れ上がった不良債権を強引に帳消しにすることもできないのだ。

敗色が強まるロシア

 函館大学教授の安木新一郎氏がロシア経済の現況についてレポートしている。(資料8参照)

<歴史上、国が弱体化するにつれて通貨の素材が劣化することは珍しくない。ロシアでは2008年8月のリーマン・ショック以降、硬貨を銅製・真鍮製から鋼鉄製に切り替えてきた。リーマン・ショックに伴う経済危機によってルーブルの価値が下落する中、予算のないロシア銀行は鋼鉄製の安い硬貨を作って凌ごうとしたのだ。>

<2021年末のロシアの消費者物価指数(CPI)は前年同期比8.4%増、2022年は11.9%増と物価上昇が続いており、ルーブルの価値が低下しているため、ロシアは鉄よりも安価な小額紙幣を作らざるを得なくなった。しかしながら小額紙幣の発行は計画通り進んでいない。単純に予算が削られたからだが、日常生活に欠かせない小額硬貨や紙幣の供給が、戦費の膨張に圧迫されて滞る事態となっている。>

 この現実が物語っていることは、戦争が3年半にも及び戦費が増大して、民生経済が相当に圧迫されている事実だ。安木教授は「日本の領土の45倍の面積に散らばって住んでいる地方の1.2億人にとって、現金不足は年金の受け取りや日常の買い物にも支障をきたすことになりかねない。モスクワよりも遥かに貧しい辺境から、多くの男性が兵士として徴発されていて、残された人々への現金の供給が滞っている。この圧政にロシアの辺境はどこまで耐えることができるだろうか。」と結んでいる。

 ポーランドのラドスワフ・シコルスキー外相は、6月26日のインタビューで、「軍拡競争がソ連崩壊の一因になったように、新たな軍拡競争はプーチン体制の崩壊につながる可能性がある。プーチン氏はブレジネフと同じ道を歩んでいる。」と発言している。(資料9参照)

 Daily Digestが『破綻するロシア経済』と題してウクライナ戦争と経済の状況について解説している。以下に要点を要約する。(資料10参照)

①ウクライナ戦争でのロシア軍の死傷者は約100万人に達している

②戦争を継続するためには徴兵に踏み切らざるを得ないのだが、プーチン大統領は徴兵に対し非常に消極的である。新兵を確保するためにロシア政府は新兵に支給される一時金を倍増して、既にロシアにおける平均月収の5倍になっている。徴兵に踏み切らなければ兵士の報酬を徐々に引き上げなければならないのだが、現今のロシア経済ではそれも不可能だ。

③政府の放漫な金融政策が軍事費の増大を招いている。軍隊における人件費が維持不可能なほどに増大しており、インフレが加速し消費者の購買力が低下して、ルーブルの価値が低下している。

④ロシアの予算が軍事部門に重点的に分配される結果、民間経済は一層疲弊してゆく。

⑤軍事部門でさえ鈍化の兆しが見えている。その原因に労働力不足がある。戦争によって経済の崩壊を免れている一方で、慢性的な弱点が浮き彫りになっている。

 ウクライナに軍事侵攻して以降、インフレ対策としてロシアの政策金利は徐々に引き上げられて20%に到達していたが、今年7月に18%に引き下げられ、9月には17%引き下げられた。それでも民主主義国では考えられない高金利であり、市民生活を直撃していることは明らかだ。

 最近になってウクライナ戦争は3年半が過ぎて、勝者はウクライナで敗者はロシアという見方が優勢になってきた。トランプ大統領が9月23日に「プーチン大統領とロシアは深刻な経済的困難に直面していて、ウクライナはロシアの侵攻以降に奪われた領土を全て取り戻せる。」と書いたことは既に紹介した。

 『サピエンス全史』の著者であるイスラエルの歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏もまた9月27日のフィナンシャル・タイムズ紙に「ウクライナ戦争で勝利しているのはウクライナだ。」という記事を投稿している。

 ロシアの経済規模はテキサス州程しかない。そのロシアがNATOからの支援を受けたウクライナと3年半に及ぶ戦争を遂行している事実は尋常ではない。戦争が長期化すればするほどロシア経済は衰退してゆき、どこかで破綻する危険性が高まる。

技術革新が起こす危機

 人類は新しいテクノロジーを次々に発明しイノベーションを起こしながら社会を発展させてきた。全てのテクノロジーは例外なく軍民両用(dual use)であって、使い方次第で画期的なイノベーションを起こし経済を発展させる一方で、次の軍事革命を起こすことにもなる。これは太古における火の活用や20世紀における核エネルギーの活用が象徴するように、テクノロジーが持つ宿命に他ならない。言い換えれば、人類は新しいテクノロジーを発明するたびに、それを管理する能力を磨いてきたからこそ現代の繁栄があるということだ。

 映画は新たな科学技術が切り開く未来を先取りしたものが少なくない。代表的な作品を三つ挙げる。「ターミネーター」はロボットの未来の先取りであったし、「ダイハード4」はサイバーのリスク、「インフェルノ」はバイオ・テクノロジーがもたらすリスク、つまりそれらが戦争の手段として利用されるリスクを予告したものとして描かれていた。

 そして現代、AIやバイオ・テクノロジーなどの分野で、革命的なイノベーションが生まれつつある。夢のエネルギーと呼ばれる核融合(Nuclear Fusion)発電も実用化に向けて各国による開発が凌ぎを削っている。ここで忘れてはならない教訓は、全てのテクノロジーが軍民両用であることだ。新しいテクノロジーを実用化するのと同時に、それを安全に使いこなす枠組みを構築しなければ人類は危機に直面することになる。

 雑誌『正論』の編集長を務めた桑原聡氏が、産経新聞9月12日に寄稿した「モンテーニュとの対話」で、AIがもたらすリスクについて書いている。

<チャットGPTとの対話が息子の自殺につながったとして、両親がオープンAIとアルトマンCEOを提訴したという。米国メディアによれば、少年との対話の中でチャットGPTは自殺の手法について助言を与え、遺書の下書きまで作成していたという。ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』を超える世界が現実に迫りつつある。>

 銃や麻薬の入手方法、爆発物の作り方等々、AIは実生活で便利なサービスを提供することに留まらず、犯罪やテロなどのダークサイドにおいても<便利なサービス>を提供している現実を軽視してはならない。

危機の正体と打開

 既に書いてきたように、戦後80年の現在、戦後に作られた諸システムが制度疲労を起こし崩壊に向かっている。まず戦後に欧米が中心となって作り上げた国際秩序が崩壊しつつある。崩壊を決定づけたのは言うまでもなくプーチン大統領である。民主主義も制度疲労を起こしており、選挙のときにクローズアップされるように、米欧はもとより日本でも機能不全に陥っている感が否めない。500年の歴史を持つ資本主義も20世紀後半からバブル資本主義と呼ばれる形に変質して、今や過去に例のないバブルが崩壊する淵に立っている。

 この現実をどのように理解すればいいのか。どうすれば混沌状況から脱出できるのだろうか。ヒントは熱力学の第二法則として知られる『エントロピー増大の法則』(以下、エントロピー則)にある。

 まず国家や国際社会のシステムが混沌に向かっている現状は、『エントロピー則』によって分かり易く説明できる。エントロピー則とは、分かり易く言えば「自然の成り行きに任せれば、社会は混沌を深める方向に進む」というものだ。戦後80年の現在、恰もシンクロナイズして進行している戦後システムの機能不全は、何れもがエントロピー則に従って必然的に起きていると解釈できる。

 但しエントロピー則は、「(成り行きに委ねることなく)そこにエネルギーを加えて、英知を働かせてマネージメントの努力を続ければ、混沌化の動向を秩序回復の方向に転換することができる。」と読むこともできる。つまり人類の歴史で局所的な混乱は随所で起きたのだが人類はそれを克服し、大きな潮流として眺めれば、人類は常に新しいイノベーションを取り込んで進化を遂げてきたということだ。

 そもそも生物進化の歴史は反『エントロピー則』であり、生命の存在そのものが反『エントロピー則』の賜物である。生命という奇跡の誕生も生物の進化も、混沌化ではなく秩序化の結果なのだ。そして生命の進化の最後(今のところ)に登場したのが我々ホモサピエンスである。数多の生物の中で、唯一知性を獲得するまでに進化したサピエンスであるから、我々がその気になれば、混沌に向かうベクトルを秩序化に向かうように軌道修正することは充分可能である筈だ。

 国際秩序の危機に対しては、世の中に不心得者が登場して秩序を乱そうとするならば、誰かがその前に立ち塞がって毅然として阻止する行動を取らなければならないのだ。近年それが巧く行かなくなった原因は、アメリカというそれまで国際秩序を維持してきた機能が弱体化したことにある。しかしもっと根源的な原因は、アメリカ一国にその大役を押し付けて、欧州や日本が国際秩序を維持する「3K(汚い、危険、きつい)」の行動をサボってきたことにある。

 日本は戦後『平和国家』の看板を掲げてきたが、3Kの役割をアメリカに委ねる代わりに、アメリカに従属することを選択してきた。本来なら、平和や秩序を守るためならば3Kも、必要であれば戦争でさえも辞さないという決意を持つことが真の『平和国家』である筈だ。

 民主主義の根本は「国民主権」にある。現在散見される、日本が直面する民主主義の危機の原因は、国民が国民主権の責任を背負っているにも関わらず、戦後80年間、政治を政治家に丸投げしてきたことにあるのではないだろうか。必要な資質と能力を備えた政治家ばかりであれば、危機には至らないのだが、国会議員は衆議院が465人、参議院が248人の合計713人であり、これだけの人数がいれば十分に社会の縮図となり、玉石混合となることは避けられない。現実に地検特捜部に起訴される国会議員もいれば、スキャンダルを起こして国民に対しみっともない謝罪をしている政治家もいる。国民が国民主権を取り戻し、政治家に対し毅然とモノを言い、選挙でその意思を行使することで民主主義の本来の姿を取り戻す必要がある。

 資本主義の危機の原因は、マネーの暴走を統制してこなかったことに尽きるだろう。本来なら資本主義がバブル資本主義に変質を始めた時点で、バブル資本主義を記述する経済学理論を作る必要があったのだ。どこまでの財政赤字なら許容できるのか、赤字の増大をどうやって統制するのかについて理論が必要である。現代の、現実の経済をマネージメントする経済学理論は何故登場しないのだろうか?バブル資本主義の時代になって、経済運営の確固たる理論がないままに、経済の素人である政治家が試行錯誤でやってきた結果が、現代における経済と金融に関わる混乱を作ったといえる。これはアカデミアの怠慢という他ない。

 21世紀以降のテクノロジーは、20世紀に比べて一段とパワフルになり一段と加速度をもって進化を遂げてきた。従ってテクノロジーがもたらす危機については、それを暴走させない仕組みが必須となる。即ちテクノロジーの開発に携わる技術者とは別に、そのテクノロジーが暴走するリスクについて研究し統制する仕組みを考える科学者の存在が必要なのだ。これもアカデミアが果たすべき役割である。

 総じて言えば、四つの危機に共通していることは、開発する勢力と制御する勢力のせめぎ合いこそがむしろ健全であり、制御する機能が欠落すれば、社会システムもテクノロジーも暴走する危険が高まるということだ。これは現代人の宿命なのであり、一言で表現すれば、アクセルだけのシステムではなく、アクセルとブレーキの双方を備えたシステムを作らなければならないということである。

 エントロピー増大の法則を発見したのはサピエンスの知性だった。この法則は物理学の世界に留まらず、サピエンスが発明し生み出したさまざまな社会システムにも当てはまる。一つは放置すれば暴走するという意味であり、他一つはエネルギーを注いで英知を結集することによって暴走を抑止できるという意味においてである。

参照資料:

1.『米国経済は3年以内に過剰な政府債務を起因とする“心臓発作”を起こす』、木村正人、JBpress、2025.9.9

2.『米国株崩壊前夜』、増田悦佐、ビジネス社

3.『バブルは崩壊し資本主義が終わりこの世が終わる』、小幡績、東洋経済オンライン、2025.2.8

4.『習近平は西太后になってしまうのか』、川島博之、JBpress、2025.8.6

5.『中国で経営者が相次いで自ら命を絶つ異常事態が発生』、藤科和彦、現代ビジネス、2025.8.21

6.『奴隷にされたくない、中国で打倒・習近平の蜂起呼びかけ』、福島香織、JBpress、2025.9.12

7.『習近平の権力基盤、危ぶまれる健康問題と今後の共産党の指導体制』、藤井厳喜メルマガ、2025.9.10

8.『銅や鉄で硬貨作れず、小額紙幣の印刷も予算不足で滞るロシア』、安木新一郎、JBpress、2025.8.6

9.『ソ連崩壊の二の舞、軍拡競争でプーチン体制崩壊の可能性』、AFPBB News、2025.6.27

10.『破綻するロシア経済』、Daily Digest、2025.9.19

11.『次に起こるのはAI心中』、桑原聡、産経、2025.9.12

制度疲労から崩壊へ向かう戦後システム(前編)

 本ウェブサイトで、過去に以下の記事を書いた。国際情勢は激しく変化しているので、現時点で分析をアップデートしておきたい。

・「歴史的大転換点にある世界」:その1~その3(2023.10.4~11.18)

・「終焉を迎えるバブル経済と資本主義」:その1~その3(2024.1.18~1.31)

 近年、世界を劇的に変えた出来事は三つある。2019年末に発生したコロナ・パンデミック、2022年2月のロシアによるウクライナ軍事侵攻、そして2025年1月に発足したトランプ第二期政権である。上記二つの連載記事はロシアのウクライナ軍事侵攻が起きた後、トランプ大統領が就任する前の時間軸で書いたものである。三つの出来事の内、パンデミックとウクライナ侵攻は「戦後の平和は終わった」と警鐘を鳴らした大事件だったのだが、国際情勢の変化はトランプ第二期政権が発足した以降激しくなり、かつ加速している。

「歴史的大転換点にある世界」では、現在進行中の8つの危機について取り上げた。8つの危機を大きく括ると、以下の四つに集約できる。1と2については本項で論じ、3と4については後編で取り上げる。

  1.戦後国際秩序の崩壊

  2.民主主義システムの制度疲労

  3.臨界点に向かうバブル資本主義

  4.技術革新がもたらす危機

 国際情勢が激変している。ロシアがウクライナに軍事侵攻してから3年半が過ぎた。そして2023年10月にハマスがイスラエルに対し武力侵攻したことを契機に、イスラエルとパレスチナ・ゲリラ間の戦闘が激化し、紛争はイスラエルとイランの相互攻撃にまでエスカレートした。ガザ地区の惨状が連日報道されているが、何れの戦争・紛争も未だに誰にも止められない。国家が意思を持って武力行使する時、さらにその当事国や支援国が核保有国で安保理常任理事国である場合、国際社会は戦争を停止させることができないことが明らかとなった。

 2025年1月にトランプ第二期政権が発足した。トランプ大統領は就任後直ちに不法移民を強制送還する措置を実行し、4月には続いて高関税措置の発動を発表した。これが現在、世界経済と国際秩序を大きく揺るがしている。 

高関税政策の背景にある国内事情

 トランプ大統領が4月に自らを<TARIFF MAN>だと称して輸入品に高い関税をかけると宣言し、各国に対し「それを回避したければ代案を出せ」と脅しをかけた。国際ジャーナリストの木村正人氏は、Foreign Affairs誌9/10月号の記事を紹介して、トランプ政権誕生前後のアメリカの変貌を次のように端的に表現している。(資料1参照)

 <第二次大戦後、米国は「世界の保険屋」として海と空の安全、財産の保護、国際貿易ルール、ドルの安定という安全保障と経済の基盤を提供してきた。しかし第二次トランプ政権になって脅しと取引で利益を得る「ゆすり屋」に変貌した。>

 トランプ大統領は一体なぜ世界を相手に高関税政策を発動したのだろうか?多くの識者が既に指摘しているように、容易に考えられる狙いは次の三点である。

  1.アメリカ政府の税収を増やして財政赤字を減少させる

  2.衰退した国内の基盤産業を復活させて労働者の雇用を促進する

  3.相手国にディールを迫ることで、アメリカ国内への投資を促進する

 この背景には、増加一途のアメリカ連邦政府の財政赤字と、中間層の貧困化と大都市の治安悪化という二つのアメリカ国内事情がある。

 今回の関税政策により年間で約3,400億ドルの関税収入が見込まれるというが、年間2兆ドルを超える財政赤字を埋め合わせするには全く不十分である。さらに、国外から年1兆ドル以上の投融資を確保しなければ、金利が高騰して国債の利払いだけで財政赤字が増大するという。この事実はアメリカの財政が自転車操業に陥っていることを物語っている。

 高金利政策を巡る西側諸国との交渉の結果、日本から5,500億ドル、EUから6,000億ドル、サウジから6,000億ドル、韓国から3,500億ドルの投資が確定した。合計で2.1兆ドルに上る。正しく「ゆすり屋」という表現は的確である。

 破綻の淵に立っているアメリカ連邦政府の債務の実態について、経済アナリストの増田悦佐氏は、2023年第4四半期のデータを引用して、「アメリカ連邦政府は幾ら借りても返済すべき元利が膨らむ借金地獄に堕ちている。」と指摘している。(資料2参照)

 表から明らかなように、連邦政府の財政赤字の増加額はGDP増加額の約1.5倍、累積債務の増加額は約2.5倍に上る。覇権国アメリカにのみ許される見事な借金地獄である。ちなみに2025年度のGDPは名目値で約30兆ドル(IMF2025.4データ)であるのに対して、連邦政府の累積債務総額は約36兆ドル、年間の財政赤字は約2兆ドルに上る。

 どうしてこうなったのか。歴史を俯瞰すれば、資本主義がバブル資本主義へと変化していった過程で、政府の経済運営や財政運営がバブル経済に立脚するようになった結果に他ならない。これはアメリカに限らない。詳細は後編で論じる。

「諸刃の刃」:四つの副作用

 そもそも関税は中小企業や低所得者世帯を痛めつける「歪んだ税金」である。高関税政策は諸刃の刃であり、四つの大きな副作用がある。

  1.関税インフラを招く

  2.グローバルな自由貿易体制に強烈なダメージをもたらす

  3.脱グローバル化を促進する

  4.ドル離れを加速させ、ドルの下落を促進する

 第一に、関税が引き上げられれば、初めは輸出企業側のコスト低減努力がショック・アブゾーバとして作用するとしても、それはいつまでも持続せず、やがて関税はアメリカ市場での製品価格に転嫁されるので、アメリカで関税インフラが起きる。

 アメリカ政府の関税収入がひととき増えたとしても、インフレは最終的にアメリカ経済を悪化させる。さらに関税によって自国産業をひととき保護するとしても、既に衰退して久しいアメリカの基盤産業を復興させることは相当困難である。従って関税を上げることによって製造業が回復し中産階級の雇用を生み出すというのは幻想に終わるだろう。

 第二に、高関税措置はアメリカ自身が推進してきたグローバルな自由貿易体制に強烈なダメージを与える。しかもその体制下で最も大きな恩恵を受けてきたのが、経済を急成長させた中国と、基軸通貨ドルの特権を利用して、大半がドル決済で為替変動の影響を受けることなく借金経営を続けてきたアメリカである。

 第三に、高関税政策は「脱グローバル化」を促進する。かつて「有事のドル」と言われた時代には、危機が顕在化すればドルと米国債に資金が流れた。現在では逆に米国債が売られドルが下落する展開となっている。

 トランプ政権による有無を言わせぬ高関税政策は、世界に経済戦争を仕掛けたことに等しい。アメリカを全面的に信頼してきた諸国ですら、アメリカはそこまで追い詰められているのかとドルの未来に対する信用を失墜させるだろう。

 第四に、長期的に見て今回の措置は貿易におけるドル離れを加速し、ドルの下落を促進する。今までアメリカは基軸通貨ドル体制がもたらす「途方もない特権」を享受してきた。そのドル基軸通貨体制は、ロシアに対する金融制裁(SWIFTからの追放)とサウジアラビアによるペトロ・ダラー・システム(PDS)の密約破棄、ドルに代わる貿易決済通貨をめざすBRICSやSCO(上海協力機構)の動きによって、弱体化が進行している。

 今年5月に、サウジアラビアの首都リヤドで『サウジアラビア・米国投資フォーラム』が開催され、ベッセント財務長官とサウジのジャドアーン財務相による「財政と金融の協調」と題した閣僚対話が開催された。この場でサウジアラビアが今後石油の代金はドルでしか受け取らないことを確約したという情報がある。これが真実であれば画期的だ。一旦破棄したPDS体制を元に戻すということであり、基軸通貨ドルの地位が弱体化する勢いを抑制するだろう。但し、そのような揺り戻しがあったとしても、ロシアや中国が推進しているドル離れの趨勢を止めることはできない。(資料3参照)

トランプ大統領の狙い

 トランプ政権は財政赤字と共に、中間層の貧困化と大都市の治安悪化という問題に直面している。そもそも不法移民と治安悪化はオバマ政権とバイデン政権下で放置され深刻化したものだ。トランプ大統領が就任後最初に講じた措置は不法移民の強制送還だった。また最近トランプ政権は治安が悪化した大都市に大統領権限で州兵を派遣している。トランプ大統領は民主党政権化で深刻化した事態を力で回復させようとしている訳だが、強引すぎる措置に対して民主党支持・左派対共和党支持・右派の間で分断が激化している。

 トランプ大統領は7月に「大きく美しい法案(One Big Beautiful Bill)」に署名し発効させた。トランプ大統領自身の命名によるこの法案は、「常識的な議題を実現するもので、中流階級に対する史上最大規模の減税、恒久的な国境警備、肉太の軍事費、そして財政の健全性を回復する」ことを目的としている。(資料4参照)

<“President Trump’s One Big, Beautiful Bill delivers on the commonsense agenda … the largest middle‑class tax cut in history, permanent border security, massive military funding, and restoring fiscal sanity.”>

 しかし、狙いの一つに「財政の健全性を回復する」という一項があるが、この法案は4兆ドルの減税を行うために3兆ドルの財源を新たに必要とし、それを赤字国債で賄うというものであり、むしろ膨大な財政赤字を更に悪化させるリスクの方が高いように思われる。

 さらにトランプ大統領はドルの仮想通貨化を促進するGENIUS法を7月に成立させた。ドルと1対1で交換できる<Stable Coin>を世界に普及させて、送金コストや手続きコストを引き下げることで米国債に対する需要を高め、基軸通貨ドルの座を安定させることを目指すものだ。背景にあるのは、ドル基軸通貨体制の存続を疑問視する人が増えて米国債の購入が鈍化している現状だ。

 以上述べたように、トランプ政権は就任から僅か8カ月の間に、驚異的なスピードで大胆な政策を次々に打ち出してきた。なかでも「大きく美しい法」はMAGAを実現する中核的な対策であり、高い関税はそのための補強手段として、GENIUS法は弱体化しつつある基軸通貨ドル体制の補強手段として、それぞれ位置付けられているようだ。

 しかし歴史家ニーアル・ファーガソン氏は、トランプ大統領の政策はニクソンショックと重なるところがあると指摘する。米国は国も市民も収入以上に支出することで経済を成長させてきた稀な国である。それでもこれ以上は無理だという局面でニクソン大統領はドルの金兌換を放棄し、ドルに対する円高とマルク高を強引に実現する措置をとった。(資料5参照)

 そして現在、株価総額が3兆ドルを超えるところまで急騰したM7とは対照的に、自動車や造船に代表される米国製造業の衰退は著しく、財政赤字の増大は臨界点に向かっている。つまりニクソンショックと同じ必要性から打ち出されたのが高関税政策だったと解釈することができる。しかしながら「関税は税収を増加させ、国内産業の再興を促し、米国への投資を促すことで既に衰退した基盤産業を復興させる」というトランプ大統領の目論見は楽観的過ぎて実現が相当困難に見える。

 物理学に「作用反作用の法則」というものがある。今回の事例に当てはめれば、国がある行動を取れば、それが大胆なものであるほど、後日それに見合った反動が国内外から起きるということだ。トランプ大統領による高関税措置は、中国やインドとの交渉の目途は立っていないが、日欧など同盟国との間では合意に至ったことから、山場を越えたと言われる。しかしこれから強引すぎる関税措置に対する反動がアメリカ国内外で起きることが予想される。FRBのパウエル議長が懸念を表明しているように、インフレの進行や失業増加がその一つである。

 基盤産業の復活は短期間では望めないため、失望が先行し拡大することが確実だ。ドル覇権の弱体化は既に進行中であり、今後一層顕著となり、基軸通貨ドル時代の終焉へ向かうだろう。ドルに対する信用が低下すれば、財政赤字を埋めるための資金調達が一層困難になる。かくして負のスパイラルが動き出すことになる。

リアクション

 5月28日にアメリカ国際貿易裁判所が、国際緊急経済権限法(IEEPA)を根拠とするトランプ関税は違法とする判決を下した。8月29日には連邦控訴裁がその判決を追認する判決を下した。強引な政策に司法が待ったをかけたのである。岡崎研究所が9月17日にウォール・ストリート・ジャーナルの記事をもとに解説しているので紹介すると、違憲判決の理由は明快で、「国民に関税を課す権限は唯一議会に属するというのが憲法の仕組みであり、大統領が関税を課すには議会による委任を要する。グローバルに手当たり次第関税を科す無制限な権限を大統領に与える規定はIEEPAには見当たらない。」ということだ。(資料6参照)

 この判決を不服としてトランプ政権は最高裁判所に上訴し、9月3日に迅速に審理するよう要請し、大統領に反対する判決は「壊滅的影響」をもたらすと警告する書簡を連邦控訴裁に送った。もし最高裁が違憲判決を出せば、世界は安堵する一方で大混乱となり、トランプ大統領が描くシナリオが根底から崩れる事態を招くことになる。

 経済学者の河野龍太郎氏はJBpressの記事の中で次のように指摘している。(資料7参照)

 <(アメリカの現状は)ローマ帝国の滅亡と同じである。ローマの教訓は、帝国の内側で制度の正統性が失われて信任を失い、エスタブリッシュメントでさえ支えようとしなくなったことにある。片や現在のアメリカでは、通貨覇権から得られる利得をグローバル・エリート層が独占する一方で、グローバリゼーションによって世界市場での競争に敗れた製造業が衰退してゆき、労働者や地域社会にお金が回らなくなった。>

 現在のアメリカ経済は富の配分問題を抱えている。一部の超富裕層が富を独占している現状に対し、トランプ政権は富の配分を是正する措置を講じないであろう。何故ならM7に象徴される株価上昇はアメリカ経済が堅調であることの証として利用されるからだ。しかし行き過ぎたバブル経済は必ず、しかも間もなく破綻を迎える。そしてひとたびM7バブルが崩壊すれば、トランプ政権の試みはたちまち窮地に陥るだろう。M7バブルとアメリカ連邦政府の財政は連動しているからだ。詳しくは後編で論じる。

崩壊プロセスに入った戦後国際秩序

 ロシアがウクライナに軍事侵攻してから既に3年半が経過したが、ウクライナ戦争は三つの点で戦争の概念を転換するものとなった。

  1.ロシアが意思をもって始めた戦争は誰にも止められない

  2.軍事大国ロシアに対しウクライナが健闘している

  3.米欧はロシアに対し軍事行動ではなく「経済・金融の武器化」で対応した

 第1に、戦後の国際秩序では、拒否権を持つ安保理常任理事国であると同時に、核兵器保有国であるロシアに対し、国連も安保理もなす術がないことが露呈した。抑止できるとすれば、それはアメリカが本気で対峙する姿勢を見せた時なのだが、トランプ大統領にその意思はないようだ。

 第2は、NATOを主体とする西側諸国からの支援を得て、軍事大国ロシアに対し健闘しているウクライナの存在である。まさか3年半に及ぶとはロシアにとっても想定外であったに違いない。ウクライナの健闘をもたらした背景には、ウクライナ戦争がそれまでの戦争形態とは一線を画す、無人機を多用する戦争となったことがある。高価な戦略爆撃機やミサイル、艦船を持ち合わせていなくても、無人機・無人艇を縦横無尽に使いこなすことができれば、一方的な敗戦には至らないことをウクライナは実証してみせた。ロシア軍の旗艦モスクワの撃沈や戦略爆撃機の破壊は、それを象徴する事件となった。ウクライナ戦争は21世紀の軍事革命が実行された最初の戦争となったのである。

 9月23日にトランプ大統領は「ウクライナは、EUの支援を受ければ、ロシアの侵攻以降に奪われた領土を取り戻し元の国境を回復できる」と思うと<Truth Social>に投稿した。そしてウクライナの勝利に言及し、ロシアが敗北に向かっているとの見解を示した。さらに「ロシアは真の軍事力を使えば1週間以内で勝利できた戦争を目的もなく3年半も続けてきた。」と述べ、「ロシアは大きな経済のトラブルに直面している。ウクライナは今こそ行動すべき時だ。」と加えた。(資料8参照)

<I think Ukraine, with the support of the European Union, is in a position to fight and WIN all of Ukraine back in its original form. Russia has been “fighting aimlessly for three and a half years a War that should have taken a Real Military Power less than a week to win. Vladimir Putin and his country are in “BIG Economic trouble, and this is the time for Ukraine to act.”>

 この発言の背景には、プーチン大統領がトランプ大統領による調停を無視したことに対する警告の意味合いがあるとしても、アメリカ大統領がここまではっきりとロシアの敗北を明言したことは刮目に値する。ロシアの敗北は既に米欧の共通認識となっているようだ。

 第3に、米欧はロシアに対し軍事行動を取る代わりに、SWIFTからの排除を含む「経済・金融の武器化」で制裁を科した。しかし「作用反作用の法則」で述べたように、これらの対抗策はグローバル経済下でBRICSの拡大やドル覇権の弱体化というリアクションを招いた。

 ロシアによるウクライナ軍事侵攻は、アメリカ覇権体制が弱体化する過程で起きた。ウクライナに軍事侵攻しても、アメリカは軍事力を行使しないと読んだ末の侵攻だったことは間違いない。テロやゲリラの掃討作戦と異なり、隣国に対する戦争に踏み切ったロシアの行動は、戦後に形成された国際秩序を破壊するものとなった。歴史を俯瞰すれば、第二次世界大戦後に構築された国際秩序が一気に崩壊し始めたことを意味する。そのリアクションはこれから顕在化する。ロシアはウクライナ軍事侵攻を始めた代償を支払うことになるだろう。

ポスト戦後80年時代の国際秩序

 ここで重要な課題が浮上する。それは戦後の国際秩序体制に代わる、「ポスト戦後80年の時代の国際秩序の仕組み」を一体誰が作るのかということだ。ミュンヘン連邦軍大学教授で国際政治学者のカルロ・マサラ氏は、9月13日の産経紙面で次のように指摘している。

 <トランプ大統領は、大国の協議で決める世界を思い描いている。米中にロシアも加わるだろう。日本やドイツなど他の国は決定に従わねばならなくなる。しかし中国の思惑は米国とは違う。中国は米国を弱体化させ、自国の立場を世界に押し付けたいと考えている。米中二極化は、米国を超越するための一段階に過ぎない。>

 <ウクライナがロシアの侵攻をくい止めている間、日欧は将来に向けて準備する時間を稼げる。戦争が明日終われば、日欧は直ちに危機に直面することになる。日本は憲法9条を改正すべきである。日本の防衛政策を本質的に変えたのだと、中国に示すことになるからだ。対中抑止を真剣に考えているという明確なシグナルになる。>

 これは重要な指摘である。ポスト戦後80年の現在、我々は大戦後に作られた国際秩序体制をどのようにアップデートするのかという命題に直面している。この命題に日本はどう関与し、どのような役割を担ってゆくべきか。自民党総裁選は国内問題に終始している感があるが、歴史観と世界観を踏まえて未来への展望と抱負を語ることが次の総裁に求められる最重要の課題である筈だ。 

制度疲労が進む民主主義システム(アメリカ)

 9月8日の産経新聞正論で同志社大学の村田晃嗣教授が興味深い指摘をしている。初めに<民主主義は最悪の政治形態である。他に試みられた全ての政治形態を除いては。>というウィンストン・チャーチルの言葉を引用した上で、村田教授は「民主主義が今世界中でストレステストに晒されている。」と指摘する。(資料9参照)

 アメリカでは2016年及び2024年の大統領選を巡り、民主主義の根幹を揺るがす事件が相次いで起きた。代表的なものを列挙すれば、郵便投票を悪用した大規模な選挙不正事件、ロシア疑惑事件、トランプ氏を標的とした司法を武器化した訴訟事件、真の実行犯が誰なのかウヤムヤのままの連邦議会議事堂への暴徒乱入事件などだ。

 一連の事件の起点となったのがロシア疑惑である。2016年11月の大統領選挙においてトランプ氏がロシア政府と共謀して選挙介入を行ったとする事件である。当時の情報機関は一致して「ロシアの選挙介入はなかった」と結論づけたにも拘らず、当時のオバマ大統領が「ロシアとトランプは共謀していた」という情報の捏造を情報機関に指示していたことが公知となっている。

 2025年7月にギャバード国家情報長官は「これはトランプ氏に対する長年にわたるクーデターの基礎を築き、アメリカ国民の意思を覆し、我が民主主義共和国を損なう国家反逆的な陰謀である。」と糾弾した。これを踏まえてトランプ大統領は7月22日に、オバマ元大統領を国家反逆罪で正式に告発した。現大統領が元大統領を国家反逆罪で告発するとは、民主主義はここまで棄損したかという悪夢でしかない。

 9月9日に米国ユタ州のユタ・バレー大学で、トランプを支持する保守の若手活動家、チャーリー・カーク氏(31歳)が銃撃され死亡するという事件が起きた。容疑者タイラー・ロビンソン(22歳)は33時間後に警察に自首し逮捕された。CNNニュースは、「ドナルド・トランプ大統領は保守活動家チャーリー・カークの暗殺以来、<過激な左派>に対する攻勢を強めており、友人であるカークの死と、さらに広範な政治的暴力は彼らの仕業だとしている。」と報じた。(資料10参照)。

<In the days since the assassination of conservative activist Charlie Kirk, President Donald Trump has ramped up his attacks on “the radical left,” whom he blames for his friend’s death and for broader political violence. >

 Z世代のジャーナリストであるシェリーめぐみ氏は、カーク氏死亡のニュースが流れた瞬間、多くのアメリカ人が背筋が寒くなる予感を覚えたと報じている。さらに事件以降、容疑者のロビンソンが左なのか右なのかを巡り大論争が起きたという。本人が交際相手に述べたという発言によれば、「カーク氏のヘイトに満ちた発言には耐えられなかった」といい、「元々左でも右でもなく何れの政党も支持しない今どきの若者だったが、ここ数年で左に傾斜していったゲイ擁護派だ。」という。

 さらにシェリーめぐみ氏は、「今回の事件はその衝撃の大きさにより、<過激なのは左派・リベラル>というナラティブを作り出す格好の機会と言っていい。」という。実際にトランプ大統領は9月17日に、反ファシズムを掲げる極左勢力のアンティファ(ANTIFA)を主要テロ組織に指定するとSNSに投稿している。大都市における治安回復のためにトランプ政権は大統領権限を行使して州兵に出動命令を出しているが、分断を抑制することは困難でむしろ激化させる可能性が高い。(資料11参照)

 この事件にはもう一つ重大な疑惑が存在する。報道によれば、カーク氏は180mの距離から発射された1発の銃弾が首を貫通する狙撃を受けて死亡したという。常識を働かせれば、少々の射撃訓練を受けたという22歳の「数年で左に傾斜していったゲイ擁護派」の学生に成し遂げられる仕業とは思えない。ケネディ大統領暗殺事件を持ち出すまでもなく、アメリカの歴史には屈折点となった時点で、キーパーソンの暗殺が刻まれている。今回の事件も「多くのアメリカ人が背筋が寒くなる予感を覚えた」という表現が示唆しているように、左派と右派の衝突と分断の歴史の転換点となる可能性がある。

 このような事件は、因果関係の連鎖として双方の応酬が過激化する結果、それ以前から存在したアメリカの分断を増幅し加速させる危険性がある。民主主義体制が崩壊しつつある深刻なアメリカ社会の現状を物語っている。トランプ大統領は就任以来アメリカ社会が直面する課題に対して果敢な、時には強引な対策を講じているが、残念ながら「アメリカ社会の分断」を解決することはできず、むしろ対策を講じるたびに事態は悪化してゆくことが懸念される。

議会制民主主義の制度疲労(日本)

 戦後の民主主義システムが制度疲労を起こしているのはアメリカに留まらない。昨年の衆議院選挙、今年の都議会選挙、そして7月の参議院選挙で自民党は三連敗した。石破首相が9月7日に辞任を表明したが、選挙で示された「ノーモア石破自民党」の民意と石破政権の間には明らかな認識の断層があり、議会制民主主義の在り方が問われる展開となった。

 「石破首相の責任」は辞任することで果たされるとしても、「解党的出直し論」が叫ばれる中で、「自民党の責任」はうやむやのまま次の総裁選が公示された。そもそも石破茂氏を総裁に選出したのは自民党であって国民ではない。しかもあろうことか、高市早苗氏181票(議員票72、党員票109)、石破茂氏154票(議員票46、党員票108)で決選投票に臨み、石破茂氏が215票(189、26)で高市早苗氏の194票(173、21)で逆転勝利した経緯がある。

 その逆転劇は岸田前首相が高市氏の勝利を阻止する行動を取った結果と言われている。それに従い石破茂氏に投票した自民党議員の責任は極めて重いと言わざるを得ない。それが自民党総裁選挙に留まるのであれば、党の問題であって国民の問題ではない。しかし自民党総裁=内閣総理大臣となる構図では、その行為は内閣総理大臣という本来なら国民の民意が反映される形で選任されるべきものが、永田町の力学で捻じ曲げたことになる。ここを放置したまま「解党的出直し」を幾ら叫んでも、国民には空虚な遠吠えにしか聞こえない。戦後、選挙で大敗を招くたびに「解党的出直し」が叫ばれてきたが、自民党の体質は何一つ変わっていない。

 今回も石破首相があちこちに「高市には入れるな」と電話をかけているとジャーナリストの櫻井よしこ氏が伝えている。「ノーモア石破自民党」の民意に対する自民党の責任が問われていることを軽視すべきではない。もし国民から見て前回と変わらない総裁選挙が実施されれば、解党的出直しではなく解党プロセスが加速する結果を招くだろう。

 自民党はそう認識していないだろうが、今回の参議院議員選挙は、「戦後80年続いてきた戦後政治の終焉」の始まりとして歴史に刻まれるように思われる。今まで石破首相が演じてきた役割は、戦後自民党政治に終止符を打つ道化師役だったのではないだろうか。

戦後政治終焉の始まり

 自民党の凋落と同期するように、参政党が大躍進した。これは一過性の事件としてではなく、時代の変化を象徴する事件として歴史に記録されるだろう。凋落する自民党と入れ替わるような参政党の躍進だったのだ。そう考える根拠は幾つかあるが、象徴的なところを二点挙げておきたい。一つは党の綱領に「天皇を中心に一つにまとまる平和な国を作る」と掲げていることであり、他一つは理念の根底に「反グローバリズム」を据えていることだ。他の野党と異なり、保守に軸足をおいてリアル・ポリティクスを目指す政党であることを宣言している点は注目に値する。(産経9/13参照)

 もう一つ注目すべきは、日本維新の会が9月17日に発表した政策提言である。政策提言は複数あるが、中でも注目すべきは、「21世紀の国防態勢と憲法改正」についてである。「力による現状変更を厭わない核保有国に囲まれているという危機感に立って、我が国の抑止力の増強と、日米同盟を深化させる観点から新たな防衛構想が必要であるとし、具体的には、憲法9条2項の削除及び国防条項の充実、日米安全保障条約改正による相互防衛義務の設定、海洋国家連合及び四海同盟(日米豪比同盟)の締結を掲げている。今まで野党から、ここまでリアル・ポリティクスとしての提言がなされたことはない。(産経9/18参照)

 これら野党の行動を俯瞰して捉えれば、自公連立の維持を優先して憲法改正すらも棚上げしてきた自民党に代わって、「戦後の自民党政治が終わる」という風向きを読んだ野党が、「やる気がないなら、俺達がやる」との気概を持って画期的なカードを切ってきたと評価できる。日本維新の会と参政党、それに国民民主党が加われば、いつまでも自公連立に拘り、それが手かせ足かせとなってリベラル政党へ転げ落ちていった自民党に対し、「戦後政治よ、おさらば!」という展開になる可能性がある。

大転換を迫られる欧州

 アメリカと日本に留まらない。欧州ではウクライナ戦争を契機としてEUの分断が進んでいる。EUでは急増した移民対策で西欧と東欧が対立し、ウクライナ戦争後のエネルギー危機への対応で、西欧と東欧・南欧の間で軋轢が生じている。加盟国が27ヵ国の大所帯となり、多様性が拡大した結果、加盟国の合意を得ることが難しくなっている。EU議会の合意の条件として、一般に「特定多数決方式」(27ヵ国中15ヵ国が合意し、かつ支持国の人口の合計がEU総人口の65%を超えることが条件)が採用されているが、税制や外交、条約改正など重要性の高い政策については全会一致が原則となっている。このため、ロシア対処等の重要案件の場合、合意に達することが困難になっている。

 エドワード・ルトワック氏は9月2日の産経紙面でこう指摘している。「欧州には何世紀にもわたって受け継がれてきた戦いの文化があった。ところが、第二次世界大戦終結後の80年間で平和主義が蔓延した。プーチンはウクライナの領土をとるまで戦いを止めないだろう。欧州は平和主義の重い代償を支払おうとしている。」(資料12参照)

サマリー

 現在我々が直面している危機は四つに大別できる。第一は戦後国際秩序の崩壊、第二は民主主義システムの制度疲労、第三は資本主義システムの崩壊、そして第四は技術革新がもたらす危機である。

 ロシアがウクライナに軍事侵攻して以来、安保理が機能不全となり国際秩序が崩壊を始めた。ロシアがウクライナに侵攻した背景にはアメリカの弱体化があった。そしてアメリカが弱体化した要因は何れも国内事情によるものであり、大別して三つある。財政赤字の深刻化、国内社会の混迷、そして民主主義の崩壊である。

 財政赤字は雪だるま式に増え、連邦政府の借金と利子払いが自転車操業状態となっている。国内社会の混迷は、中間層の貧困化、不法移民の急増と都市の治安悪化、民主党支持・左派と保守党支持・右派間の分断深刻化に象徴される。民主主義の崩壊は、2016年以降三回の大統領選挙の時に起きた事件、即ちロシア疑惑事件に始まり、国家反逆罪でオバマ元大統領告発に至る経緯を俯瞰してみれば一目瞭然である。

 トランプ大統領が打ち出したMAGAを実現する中核となる施策が『一つの大きく美しい法』であり、総額4兆ドルに上る減税を実行するために打ち出したのが高関税政策である。連邦政府の財政赤字の改善、衰退した基幹産業の復興と中間層の雇用促進、主要国によるアメリカへの投資拡大を実現する手段として実施された。

 しかしながら、恫喝するような強引な政策は相応のリアクションを招くので、トランプ大統領の目論見は達成されないことが予測される。高関税政策が大統領権限を超えていて無効であるという司法判断は最高裁に持ち込まれたが、もし違法判決が確定すれば、トランプ大統領が描いたシナリオは困難に直面する。また、トランプ政権は都市の治安を回復するために大統領権限を行使して州兵を派遣したが、その後にカーク氏暗殺事件が起きており、左派過激派に対するテロ集団指定などの強硬な対策を講じる程、アメリカ社会の分断は一層危険な状態に追い込まれてゆくだろう。

(後編に続く)

参照資料

1.『米国を「世界の保険屋」から「ゆすり屋」に変質させたトランプ』、木村正人、JBpress、2025.8.30

2.『米国株崩壊前夜』、増田悦佐、ビジネス社、2024.10

3.『「米国富ファンド」強いドルを支える150兆ドルの国家地下資源開放』、藤井厳喜メルマガ、2025.9.17

4.『トランプ大統領激押しの「One Big Beautiful Bill Act」・・・』、Gold Online、2024.7.3

5.『トランプ政権は関税で失墜する』、N.ファーガソン、日本経済新聞、2025.9.5

6.『「世界を相手に手当たり次第!」トランプ関税に違法判決が下された理由』、岡崎研究所、2025.9.11

7.『米国衰退のプロセスはローマ帝国滅亡と同じ』、河野龍太郎、JBpress、2025.8.13

8.『Trump says he now thinks Ukraine can win back all territory taken by Russia』、NBC News, 2025.9.24

9.『民主主義への「ストレステスト」』、村田晃嗣、産経、2025.9.8

10.『Trump ramps up rhetoric against ‘radical left’ in the wake of Charlie Kirk’s killing』、CNN, 2025.9.14

11.『チャーリー・カーク暗殺事件、容疑者は右派か左派か』、シェリーめぐみ、現代ビジネス、2025.9.19

12.『戦いを忘れた欧州の危機』、エドワード・ルトワック、産経、2025.9.2

日本製鉄の戦略行動に続け

はじめに

 アメリカ人ジャーナリストのリチャード・カッツ氏が、危機に臨んだ時の思考について、興味深い小話を披露しているので紹介しよう。(資料1参照)

<ある金属会社で後継者問題が発生した。子がなかった社長は43歳の工場長に後を継がせたところ、数年の内に売り上げを3~4倍に、利益を4倍に増やした。68歳の社長が「投資して失敗したら社員が路頭に迷う」と考えていたのに対して、新社長は「投資しなかったら競合に出し抜かれて社員が路頭に迷う」と考えたのだった。>

 この話は、危機に直面した時に「変化によって失うもの」に着眼するか、それとも「今変化を起こさなければ失うもの」、さらには「変化を起こせば得られるもの」に着眼するかで道は大きく二つに分かれることを示唆している。

 もっと端的に表現すれば、「守るか攻めるか、道は常に二つある。」ということだろう。日本製鉄は自らの意思で変化を起こす道を選んだことは明らかだ。

日本経済の変遷

 経営学者の岩尾俊兵氏が、明治から令和に至るまでに日本経済が辿った変遷を大きく俯瞰している。それによると日本経済は、明治:カネ重視→昭和:ヒト重視→平成:カネ重視と変遷してきて、令和になって再びヒト重視へ回帰したという。(資料2参照)

 経済の状態をヒトとカネのどちらの価値が高いかで分類するという視点は興味深い。それによるとインフレは相対的にカネがヒトよりも価値がない状態であり、デフレはその逆で相対的にヒトがカネよりも価値がない状態であるという。そして一般に、インフレ下では希少資源のヒトを集めて最大限に活用する経営手法が成功を収める。実際に1980年代に日本は経済成長がピークを迎え、総合GDPが世界第2位、一人あたりGDPもスイスに次いで世界第2位に到達した。(資料3参照)

 しかしその後、経済の潮流は激変した。通貨が変動相場制に移行し、経済のグローバル化が進んだのだった。高度成長期に強くなった日本経済は1985年のプラザ合意で大幅な円高を強要され、1980年代後半になると低賃金国の中国が「世界の工場」として出現して、グローバル経済の恩恵を一身に受けて大躍進を遂げるという変化が起きた。

 その結果、日本には円高とデフレが同時にやってきて「失われた30年」が起きた。経営論が専門の作家である飯田一史氏は、「失われた30年」の原因の一つは自民党の「ゾンビ企業温存政策」にあったと言う。そのことは次のデータから明らかである。(資料4参照)

 すなわち高度成長期の日本には企業の創業率が12%、廃業率が5%で、企業の健全な新陳代謝があったが、今では先進27ヵ国で最低水準まで落ち込んでいる。典型的な先進国では、高い生産性をもつ新規企業の誕生と生産性が低い企業の廃業が、GDP増大の約50%の貢献をしているのに対して、日本ではその貢献度が僅か10%に留まっているという。先進国では一般に企業全体の4%~6%を占めるガゼル企業(新興企業)が、雇用とイノベーション、生産性向上に大きく貢献している。

「失われた30年」、日本経済失速の原因

 円高とデフレが30年も続いた一方で、日本は33年間連続で世界一の対外純資産(400兆円超)を築き上げた。この間ヒトよりもカネを重視する投資思考が成功を収め、日本企業は国内で技術開発、人材育成、投資を推進する代わりに海外に進出して投資を拡大した。

 大企業によるその行動が日本経済の低迷に拍車をかけた。その結果GDPは世界第2位から第4位に転落し、高度成長期に9%、1970~80年代には平均3.5%あったGDP成長率は、失われた30年には平均0.7%まで落ち込んだ。

 日本経済が失速した要因を列挙すれば、以下のとおりである。(資料4参照)

・日本にはガゼル企業の育成を阻む障壁が存在する

・日本は新規企業が外部から成長資金を調達するのが先進国の中で最も困難だ

・日本にはエンジェル投資家も少ない

・日本ではソフトウェア等の無形資産への投資の割合が22%と低い

・日本ではR&D全体の43%が上位10社の大企業によるものだ

・日本は外国からの直接投資/GDPで調査対象196ヵ国・地域中最下位にある

 視点を変えてみれば、日本にはまだ成長を取り戻す余地があるということだ。ガゼル企業育成へ政策を転換すればいいからだ。

無秩序化の時代

 東洋経済オンラインに、二人のアメリカ人ジャーナリストによる『無秩序時代に日本が意外と繁栄できる根本理由』と題した対談記事が掲載されている。(資料1参照)

 ノア・スミス氏は、「殆どの世界史は無秩序の時代だった。そしてその無秩序な時代にも日本は実はちゃんとやっていた。」といい、リチャード・カッツ氏は、「トランプ大統領の登場で現代は再び無秩序の時代となった。各国はもう自分たちでどうにかする方向に舵を切り始めている。」という。

 確かに、第二次世界大戦後の国際社会では朝鮮半島、ベトナム、アフガニスタン、中東など地域戦争が繰り返されてきた。最近ではロシアのウクライナ軍事侵攻、シリア崩壊、イスラエル・イラン戦争が相次いで起きており、戦後は無秩序の時代が長かったという指摘は正しいように思える。ただし、現在の無秩序はアメリカ覇権と欧州の衰退、中国やBRICSの台頭、その結果としての多極化という潮流の変化がもたらしたものだ。無秩序が顕著になったタイミングでトランプ大統領が登場したのであって、トランプ大統領が無秩序の原因を作り出したのではない。

実は「失われていなかった30年」

 カリフォルニア大学サンディエゴ校にウリケ・シェーデ(Ulrike Schaede)という教授がいる。日本企業に精通し、「日本企業はBtoB(Business to Business)において他の追随を許さない断トツの競争力を持っている」という記事を文藝春秋6月号に掲載している。(資料5参照)

 シェーデ教授はこう言う。

<日本の人口規模は世界12位だが、GDPは今でも世界4位だ。本当は『失われていなかった30年』だったのではないか。GDPの規模と成長率こそが国力の指標だという考え方は、米国で経済学を勉強した日本人がアメリカ人目線で作った物語に過ぎない。>

<スタンフォード大学のミシェル・ゲルファンド教授が『タイト・ルーズ理論』を提唱している。正しい行動に関して殆どの人が一致して合意している国は『タイトな文化』をもち、答えがバラバラで分からない・気にしないという人が多い国は『ルーズな文化』をもっていると分類する。言うまでもなく日本は『タイトな文化』、アメリカは『ルーズな文化』で、両国は対極にある。>

<新製品を市場に投入するとき、『ルーズな文化』のアメリカでは市場投入までのスピードを重視する一方で、製品の完成度は気にかけない。それに対して『タイトな文化』の日本は製品投入にあたり非の打ちどころのない程の完璧さと安全を確認する。だからどうしても時間がかかる。これはどちらが良いかの問題ではなく文化の問題である。>

 シェーデ教授は、文化の違うアメリカの尺度で日本を測って、日本経済は失速しているという見方は誤りであると警鐘を鳴らしているのである。

<2000年代以降、バリューチェーンの組み立て段階でグローバルな競争が起き、日本は人件費や製造コストの面で韓国、台湾、中国、東南アジアに勝てなくなった。日本企業は生き残るために、『川上』か『川下』に特化し、他者には模倣が困難な高度な製品やサービスに移行して利益率を高める道を選択した。その結果日本は、『経済複雑性(注1)』指標(ECI、Economic Complexity Index)で1995-2020の間ずっと世界1位だった。>

(注1)シャツのような単純な製品は複雑性が低く、多くの国で生産できる。一方経済複雑性の高い国は、それだけ高度で専門的な技術や人材が豊富で、非常に複雑かつ希少で他の追随を許さない製品を生産できる。

 この事実はNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)が行った調査報告が裏付けている。シェーデ教授の解説が続く。

<NEDOは最終製品812品目、キーテクノロジー製品282品目の合計1094品目毎に、世界市場規模と日本企業の合計市場シェアを調査して報告書にまとめている。それによると、2020年と2021年に日本はシェア100%の製品が58品目、シェア90%以上が94品目、シェア75%以上が162品目あった。ちなみに、中国は75%以上のシェアをもつ品目は僅かで、台湾はシェア60%以上の品目はゼロ、韓国もシェア98%の有機ELを除けば他にない。>

 端的に言えば、一般民生品で強いシェアを持つ中国を筆頭に、韓国や台湾は、日本企業が提供する先端素材や複雑な機械設備がなければ、製品を作れないということだ。そして次のように総括する。

<日本は重要物質の分野での自給率が他国よりも圧倒的に高い。地政学的対立と経済安全保障によって世界経済は分断されるリスクが現在高まっているが、重要物質分野での自給率の高さは日本の強みとなるだろう。しかも日本製のBtoB中間財に依存する他国の産業は日本企業との関係を分断できない。>

第Ⅰ幕:鉄鋼

 紆余曲折を経て、日本製鉄によるUSスチール買収はトランプ政権の承認を得て6月18日に成立した。これを快挙とみるか、それともリスクの高い冒険とみるか評価は分かれるだろう。つまり冒頭の小話が象徴するように、「変化によって失うもの」に着眼するか、「今変化を起こさなければ失うもの」、「今変化を起こせば得られるもの」に着眼するかだ。

 中国に対抗するために、日本製鉄は毅然と変化を起こす(攻める)選択をしたということだ。ここで日本製鉄によるUSスチール買収の要点を整理しておこう。(資料6、7参照)

・日本製鉄は買収期限となる6月18日にUSスチールの買収手続きを完了した。

・日本製鉄はUSスチールの普通株100%を141億ドルで買収した。2028年までに米国に約110億ドルの投資を約束した。

・日本製鉄は「もう一度世界一に復権する。成長し続けるDNAを持つ会社にしたい。」と語った。

・トランプ大統領は安全保障上の条件付きで買収を承認した。

・日本製鉄はアメリカ側との交渉において、「100%子会社化のスキームは譲れない。それができないのであればこの話は白紙化する。」という姿勢を貫いた。

・バイデン前大統領が買収中止を発表した時、日本製鉄とUSスチールは一歩も譲らずにバイデン大統領と全米鉄鋼労働組合(USW)を提訴した。

・日本製鉄は、アメリカ政府と「国家安全保障協定(NSA, National Security Agreement)」を締結すると共に、アメリカ政府に重要事項に対する拒否権をもつ黄金株1株を与えることでトランプ大統領の承認を勝ち取った。

 2023年の統計によれば、粗鋼生産の世界ランキングは、中国企業が1位、3位、5位、6位、8位、9位を占めており、ルクセンブルグ(アルセロールミタル)が2位、日本製鉄が4位、韓国(POSCO)が7位、インド(タタスティール)が10位で、USスチールは24位である。1位の中国宝武鋼鉄集団が約131百万トンを生産しているのに対して、日本製鉄は44百万トン、USスチールが16百万トンで、両社合併後でも中国宝武鋼鉄集団の半分に満たない。(日本製鉄HP参照)

 若干補足を加えれば、日本製鉄がUSスチールの買収に踏み切った理由は、言うまでもなく中国勢に対抗するためである。日本製鉄が保有する高い技術力とアメリカがもつ市場の大きさの相乗効果を狙ったものと推察される。ちなみに日本製鉄とJFEスチールは特殊鋼部門で他の追随を許さない高い技術競争力を保持している。

 アメリカの鉄鋼需要は約1.5億トン/年で、自給率は約55%、USスチールの粗鋼生産能力は年間23百万トンだという。単純計算すれば、アメリカ市場は1.5億トンの45%(約68百万トン)を輸入していることになるが、USスチールを傘下に収めた日本製鉄がそれを押さえることができれば、両社合算の売り上げはほぼ倍増することになり、中国宝武鋼鉄集団の売り上げに匹敵する。従来の日本製鉄がアメリカに輸出していた分を除外しても、両社が統合される強みで他の世界市場からの受注増も見込めることから、「世界一への復権」という目論見は決して無謀ではない。

 アメリカ政府とNSAを締結した理由は、鉄鋼が国の基盤産業であると同時に、軍事力の基盤だからだ。アメリカ政府に黄金株を与えた理由は、経営上の重要事項に対しアメリカ政府が拒否権を持つ反面、日米産業界の連携についてアメリカ政府が支援する義務を負うことを狙ったものだ。

 トランプ大統領は承認した時の感想を次のように語っていたと言う。「USスチールはこれからも米国の会社だ。素晴らしいパートナーが現れた。日本製鉄は何度断ってもまた来る。4度のプレゼンでどんどん良い提案になった。本当にやりたいのだなと思った。」これは関税措置を巡る各国との交渉における、トランプ大統領の本音の発露だったように思える。

 日本製鉄が選択したUSスチール買収という戦略手は、「ポスト戦後80年時代」の日米同盟のあり方を先取りしたものと言える。総額3.6兆円に上る投資は過大だという指摘があり、これからの手腕が問われることになるが、そんなことは百も承知だろう。

 世界が多極化に向かう中で、日本が地域もしくは得意分野での覇権的地位を確保するための行動を起こす時が到来している。無秩序化のパラダイムシフトは日本にとって千載一遇のフォローの大風となるに違いない。「失われた30年」の間に蓄えた資本とエネルギー、磨き上げてきた先端技術を戦略で補強して世界の舞台で勝負すればいい。日本製鉄のUSスチール買収はその第1幕として位置づけられるに違いない。

第Ⅱ幕:造船

 東洋学園大学教授の櫻田淳氏は、産経新聞の紙面「正論」で「海洋国家アメリカを支える意義」について寄稿している。(資料8参照)

 地政学上アメリカは大陸国家でもあり海洋国家でもある。第二次世界大戦を経てアメリカは海洋国家としての覇権を確立した。しかしレーガン政権の時に連邦政府予算が逼迫し、現在に至るまでにアメリカの造船能力は壊滅的なレベルにまで衰退した。現在、世界の造船市場は、1位:中国53%、2位:韓国29%、3位:日本13%と続き、アメリカの存在は0.1%しかない。

 トランプ政権は海洋国家としての覇権的地位を取り戻そうとしている。トランプ大統領はⅡ期目最初の主要な議会演説で、「米国の造船業を復活させる」ことを宣言した。4月には造船業の再活性化計画の策定を各省庁に指示する大統領令に署名している。

 また、共和・民主両党とも米海運業の復活を、中国に対抗するための経済・安全保障上の優先事項とみなしている。議会では、海運業界の基盤に資金とインセンティブを与えて米国船籍の船団の規模拡大を図る超党派の法案が審議されているという。

 しかし、さまざまな理由からトランプ大統領の野心的な計画は失速しているようだ。(資料9参照)

 造船は鉄鋼以上に安全保障との結びつきが強い基盤産業である。もし造船分野においても日米の戦略的連携強化が進めば、それは日米同盟を強化することに繋がる。さらにそれは戦後80年の転換点を象徴するものとなるに違いない。

ポスト戦後80年時代の第一歩を踏み出せ

 「ポスト戦後80年」における日本の立ち位置と役割は何かを明確にして、国家の大局的な操舵が求められる場面がまもなくやってくる。世界が多極化に向かっている潮流の中で、日本は次に何を目指すのか。日本の強みと弱みは何か。これは戦後80年のくびきから離れて、柔軟な思考のもとに答えるべき重大かつ喫緊の命題である。冒頭の小話に戻るが、危機に臨んで「守るか攻めるか、道は常に二つある」という思考は、戦後80年の転換点に立つ日本にそのまま当てはまる。

 脱線するが、現在参議院議員選挙の真っ只中にあり、与野党とも減税か増税か、消費税をどうするかという議論に終始している。激変する国際情勢をどう認識しどう対処するのか、或いは「今年は戦後80年、戦後を終わらせる」というような大きな展望と戦略について誰も語ろうとしないのは何故だろうか。誰の発言だったか忘れたが、<政治はおよそローカル(All Politics is Local)>というアメリカの政治家の発言を思い出して落胆を禁じ得ない。

 歴史を振り返れば、アメリカは第二次世界大戦で日本とドイツを打ち負かし、冷戦崩壊でソ連を崩壊させた。そして今、自らは衰退過程にあって中国からの挑戦を受けている。アメリカだけでなく戦後の国際社会をリードしてきた欧米の優位性が弱まり、BRICSが台頭している。欧米がロシアによるウクライナへの軍事侵攻を抑止できなかった事実を重く受け止めなければならない。この事件を契機として無秩序化への歩みが加速したと言っても言い過ぎではないだろう。

 ウクライナ戦争が起きてロシアの軍事的脅威を再認識した欧州も、中国軍の脅威と露中に加えて北朝鮮の核の脅威に直面している日本も、共にアメリカ依存を軽減しつつ、より自己完結性の高い強靭な防衛体制を構築しなければならない局面に立っている。NATOは6月25日にオランダのハーグで開催された首脳会議で防衛費/GDP比を5%に引き上げる首脳宣言を採択した。

 6月20日に来日したコルビー国防次官は日本の防衛費/GDPを3.5%に引き上げるよう求めた。この発言を受けて7月2日に開催された日本記者クラブの席で、石破首相は「日本の防衛費は日本が決めるべきものだ」と反論している。また日本は、7月1日に予定されていた「日米2+2」の開催を見合わせた。本音か演出かは別として、日本の不快感を表明したことが明らかだ。

 既に膨大で、なおも増大一途の財政赤字に直面しているアメリカは、MAGA政策を推進する一方で、同盟国に防衛力増強を求めると同時に、アメリカの利害から遠い地域で起きる紛争から極力手を引こうとしている。その結果NATOやG7諸国から距離をとる行動をとっており、加えて強引とも言える高関税措置によって孤立を強めている。

 国際社会がこれ以上の無秩序化を食い止めるためには、日米欧が力を取り戻す必要がある。そのためには、米欧が相互に距離を置き、日米が高関税政策で相互に不信感を強める現状を打開しなければならない。その役回りをトランプ大統領に求めることはできない。

 欧州はウクライナに対する支援と戦争の終結、終結後のロシア対処、各国が抱える内部事情のため余力がない。そうなると、戦後政治に終止符を打ち、ポスト戦後80年に向けて舵を切る絶好の時機に立っている日本こそ、その役回りを担うに相応しいのではないだろうか。但しそのためには、トランプ大統領が切るカードに対して、対症療法的な対応に終始する姿勢を改めて、トランプ大統領が目指す方向を理解した上で、名実ともに戦略的な日米関係の構築に向けて攻めの行動を起こす必要がある。

 世界情勢と動向を睨み、企業の立場で日本製鉄がとった英断のように、日本政府が「今変化を自ら起こすことによって得られるもの」に着眼した行動を起こすことを期待したい。「ポスト戦後80年時代」はその一歩から始まるのである。

参照資料:

 資料1.『無秩序時代に日本が意外と繁栄できる根本理由』、倉沢美左、東洋経済オンライン、2025.6.17

 資料2.『ヒトを切り捨て日本は衰退してしまった』、岩尾俊兵、現代ビジネス、2025.4.1

 資料3.『なぜ豊かだった日本はここまで衰退してしまったのか「不幸の正体」』、岩尾俊兵、現代ビジネス、2025.3.29

 資料4.『「失われた30年」の原因を作った自民党の「ゾンビ企業温存」政策』、飯田一史、現代ビジネス、2025.4.15

 資料5.『BtoBダントツの日本企業』、ウリケ・シェーデ、文藝春秋、2025年6月号

 資料6.『基幹産業の成長妨げぬ政策を』、加藤康子、産経「正論」、2025.6.25

 資料7.『日本製鉄が漏らした苦し紛れ発言』、真壁昭夫、ダイヤモンド・オンライン、2025.7.1

 資料8.『海洋国家米国を支える意味』、櫻田淳、産経「正論」、2025.5.27

 資料9、『トランプ氏の海運復興計画が失速』、ウォール・ストリート・ジャーナル、2025.7.3

近代史の教訓、課題は「戦略的対処」

変化と対処、ダーウィンの名言

 生物の宿命は、激変する変化の中で淘汰されずに生き延びることである。生物の進化について、ダーウィンは次の名言を残している。「生き残るのは、最も力の強い種ではなく、最も賢い種でもない。環境の変化に対し最も適応する種だけが生き残る。」(It is not the strongest of the species that survives, not the most intelligent that survives. It is the one that is the most adaptable to change.

 生物界においても、人間社会においても環境は変化し続ける。図1は、変化の形態を整理したものである。

 日常の変化は連続的なものである。中でも過去の延長線上に現在があるような変化は線形(直線的)で、技術革新に代表されるように加速する変化は非線形である。現在進行中のアメリカの弱体化を始め、欧州の衰退、BRICSの台頭は加速度的に顕著になっている。

 さらに歴史には不連続な変化が起こり得る。戦争や経済恐慌がその代表例だが、ドルの金兌換停止宣言をした「ニクソン・ショック」や、ドルに対する円の為替レートを一気に切り上げた「プラザ合意」も不連続な変化の典型例である。現代では2020年のコロナ・パンデミック、2022年のロシアによるウクライナへの軍事侵攻も不連続な変化である。

 そして現在、トランプ大統領は世界に対し歴史的な不連続な変化を起こしている。

日本の戦後は終わった

 トランプ大統領が起こしている変化について、ジェラルド・カーチス(Gerald L. Curtis)、コロンビア大学名誉教授は以下のように洞察している。(資料1参照)

 <トランプ大統領が就任した今年1月20日をもって、「米国中心の世界秩序」は名実ともに終わった。同時に「日本の戦後」も終わった。日本の政治家はその事実を正面から受け止めていない。>

 カーチス教授の指摘を待つまでもなく、トランプ大統領が今期就任以来起こしている変化は、アメリカの衰退を踏まえたものであり、本人の認識の有無に関わらず、それが日本の戦後の終焉を促進することは明白である。

 変化を生き延びるためにとるべき対処行動も、変化の三形態に対応する形に分類できる。図2は対処行動を整理したものである。

 改善活動(Improvement)は変化に対する「対症療法的な対応」である。線形な変化に対しては対症療法的なアプローチが効果的であることは言うまでもない。一方、一般に技術革新が起こす変化は往々にして非線形なものであり、変化は直線的ではなく加速度的、もしくは指数関数的なものとなる。非線形な変化に効果的に対処するためには、変化の将来動向を予測した改革活動(Innovation)が必要となる。

 それに対して、リーマン・ショックやパンデミックのような不連続な変化に効果的に対処するためには、平時の常識を打ち破る「有事」の行動、言い換えると「戦略に基づく革命(Revolution)的な対処(戦略的対処)」が求められる。

現在世界で進行中の不連続な変化

 トランプ大統領が就任以来次々に切ってきたカードが、世界に不連続な変化を起こしていることは説明するまでもないだろう。その背景にあるのは、第二次世界大戦以降アメリカ覇権の弱体化が始まり、やがてその変化は加速度的になり、現在それが臨界点に達している事実である。その認識のもとに、トランプ大統領はアメリカ大陸に引き籠り、MAGAに専念しようとしているのであり、そのために習近平国家主席とプーチン大統領と取引しようとしているのだと推察される。

 トランプ大統領がとった高関税政策に対して、石破政権は日本が被る国益の損失を最小限に食い止めようと対症療法的な対処に終始してきた。被害を食い止めることに精一杯で、歴史上の大きな転換点に立っているという「有事認識」のもとに、「日本の戦後の終焉と日米関係の進化」を意識した戦略が見当たらない。

 戦後80年を振り返ると、戦後日本がとってきたアプローチの大半が、顕在化した課題に対する対症療法的な対処に終始していて、総じて進化を忘却してきた。言い換えれば「与えられた条件の中で最善を追求する」アプローチに終始してきた。多くの政治家が「出来ることの最善を尽くします」的な発言を繰り返してきたが、このアプローチの欠陥は「出来る範囲のオプション」しか視野にないことにある。非線形もしくは不連続な変化に戦略的に対処するオプションが除外されているのだ。

 その背景に日本人の得意と苦手があることは否定できない。トヨタ自動車のカイゼン活動に象徴されるように、一般論として日本人は改善活動は極めて得意だが、革命的なアプローチ、言い換えれば「戦略的に対処する」ことが苦手である。

ポスト戦後80年の日本:ソフトパワーを武器とせよ

 今年5月6日に88歳で死去した、ハーバード大学特別功労名誉教授のジョセフ・ナイ(Joseph S. Nye Jr.)氏が次のように指摘している。(資料2参照)

 <アーミテージ氏と私は、日本を安定した民主主義国家とするために、1930年代の日本とは異なる、21世紀の脅威を見据えてそれに備えた国にならなければならないと感じていた。日本が自国の立場を強化すれば、周辺地域での戦争をより巧く抑止することができる。>

 <日本のソフトパワーは上昇している。日本には伝統文化があるだけでなく、アニメやゲームといった現代のポップカルチャーも大変人気がある。その意味で日本の魅力は増している。それに加えて日本は政治的に見て成功した民主主義国家だ。>

 <日本は二つの脅威(北朝鮮・中国)に直面しているが、リーダーになれる分野があるから、そこで主導権を取って重要な役割を果たしてくれることを心から期待している。中国・アメリカは覇権主義だが日本はそうではないので、他国からの信用を得ることができる筈だ。>

 4月13日に読売新聞は、79歳で死去した元米国務副長官リチャード・アーミテージ(Richard Armitage)氏の未完の原稿の存在が明らかになったと報じた。それによると、アーミテージ氏の日本に対するラスト・メッセージは次のようなものだった。(資料3参照)

 <不確実な時代において、日本は自国のグローバルな役割に自信を持ち続けよ。米政権が不確実性と混乱をもたらしているからこそ、世界は日本をこれまで以上に必要としている。何をすべきか迷ったり不安になったりすべきではない。>

戦略的な対処

 では「戦略的な対処」とは何だろうか。それは次のような問いに答えることから始まる。

Q1.トランプ大統領は世界をどう変えるだろうか?(全体像と本質を考える)

Q2.それは歴史的に見て、どういう変化をもたらすだろうか?(動向を理解する)

Q3.それは日本にどういう未来をもたらすだろうか?(将来像を展望する)

Q4.日本はこの機会を利用して目指すべき姿は何か?(進路を再確認する)

Q5.それを実現するために今何をすべきか?(手段を具体化する)

 問いに対する答え(一案)は次のようなものだろう。

A1.第二次世界大戦以降続いてきたアメリカの覇権体制(一強体制)が終焉する。

A2.相対的に米欧日(言い換えればG7)が衰退し、BRICS(G20)の力が強まり、世界は多極化に向かう。

A3.もし日本が傍観すれば、或いはアメリカ従属を続ければ、世界に対する日本の影響力が弱まり、多極化の一極にはなれないだろう。

A4.G.カーチス、J.ナイ、R.アーミテージ各氏が期待したように、日本は卓越した文化力・経済力・技術力を有しており、世界に対するソフトパワーの影響力を増している。さらに地球規模の危機に対しては縄文時代から日本人が継承してきた価値観とアプローチが鍵となる可能性を秘めている。それら日本の卓越性を生かした、自立した役割を担い、影響力・貢献力を行使するユニークな大国を目指すべきだ。

A5.そのためにはトランプ大統領が切るカードに対する対症療法的なアプローチを転換する必要がある。カードに右往左往せずに、彼の危機感と意図を理解し、ポスト「アメリカ一強」時代の国際社会の在り方について、アメリカと共に考え協力して行動するアプローチへ転換する。それはアメリカに従属しない「ポスト戦後80年」時代の新たな日米関係を構築することになるだろう。

 トランプ在任の残り3年半は、戦後から「ポスト戦後80年」への大転換を成し遂げる好機となるだろう。その機会を最大活用して行動するならば、それは近代日本にとって明治維新に次ぐ革命的変化をもたらすに違いない。進行中の不連続な変化を利用して、戦後80年間棚上げしてきた「戦後体制を戦略的にスクラップ&ビルドする」ことは、日本にとって戦略の「一丁目一番地」となる。これは現在進行中の不連続な変化を生き延びる「日本の進化」の第一歩であり、「令和維新」と呼ぶべきものとなる筈だ。

 しかしそのためには、明治維新以降に日本が犯した失敗を総括し教訓に学ぶことが不可欠だ。それなくしては現在の誤りを修正することはできない。

日本の近代史の失敗と教訓

 明治維新から約160年が経過した。近代史の転換点となった「不連続な変化」を抽出して、日本がその変化にどう対処したかを俯瞰してみたい。近代史における「不連続な変化」として、明治維新を起点に日本が関わった対露、対中、対米英の三つの戦争を取上げる。「不連続な変化に臨み日本はどう対処したか」の視点から、近代史を転換点で以下の四つの期間に分けて、総括的に俯瞰してみたい。

①明治維新(1868)~日露戦争(1904):36年

②日露戦争~支那事変(1937):33年

③支那事変~太平洋戦争敗戦(1945):8年

④敗戦~(戦後)~現在(2025):80年

明治維新(1868)~日露戦争(1904)

 明治維新は欧米列強が世界を植民地化していった時代に、日本が独立を維持して存続してゆくために、西国雄藩の下級武士が決起した革命だった。明治維新によって封建社会が終わり、日本は欧米に倣って近代化を一気呵成に進めた。この時に明治政府が推進した諸政策は、不連続な国際情勢の変化に対して、戦略的な発想に立って近代化をトップダウンで成し遂げたものだった。

 具体的に言えば、日本は民主主義を取り入れ、産業革命を成し遂げ、日露戦争に勝利して海軍力で欧米列強に肩を並べるという偉業を達成した。この時代は、正しく司馬遼太郎が描いた『坂の上の雲』に象徴される輝かしい時代だった。こうして近代化の第一幕は、不連続変化に対し見事に「戦略的な対処」を成し遂げた成功物語として歴史に記録されたのだった。

日露戦争~支那事変(1937)

 日露戦争に勝利して欧米列強の仲間入りを果たした日本だったが、欧米と肩を並べた結果、「次の国家目標」を設定することに失敗した。当時の政治家が認識していたかどうかは不明だが、この時点で日本は国家として二つの命題を背負っていたことになる。

 第一の命題は、欧米列強の行動に眼を光らせつつ、外交力を錬磨して列強の一員として国際情勢に関与してゆくことだった。第二はそれと同時に、国家としての将来像を自ら描き、そのための改革(Innovation)を自らの意思で成し遂げてゆくことだった。欧米と肩を並べたからには、先行する誰かの背中を見て進むアプローチはもはや通用しない。将来像を自ら描き、意思をもってそれを実現してゆくという命題は、偏に戦略的なものだった。

 そのためにはまず、政治・経済・法律などの人文科学の研究機関と、科学・技術・産業振興を行う理工学の研究機関を普及させる必要があった。更に諸外国の動きに関する情報を収集し分析する機関(インテリジェンス)、それをもとに国家戦略を練る機関(シンクタンク)の設立が求められた。国家にとって戦略が重要になったという意味において、日露戦争は日本が次に飛躍するための転換点であった筈だ。しかし日本は第二の命題において失敗した。

支那事変~太平洋戦争敗戦(1945)

 現実の日本は、1931年の満州事変を皮切りに中国大陸に進出し、1937年の支那事変を機に日中戦争に突入し、1941年には真珠湾攻撃においてアメリカとの、マレー半島においてイギリスとの戦争に突入していった。その結果、二つの原爆投下と主要都市への無差別空襲を受けて、300万人を超える犠牲者を出して日本は戦争に敗れた。

 日本の近代史において、太平洋戦争の敗北とは一体何だったのか?壊滅的な悲劇は何故起きたのか?悲劇を回避するためにどう行動すべきだったのか?少なくとも国政に携わる政治家には、この質問に対する見解を用意しておくことが求められるだろう。

 私は歴史家でも専門家でもないが、結果論を承知で言えば、近代史における日本の失敗を三点挙げることができる。第一の失敗は、本来は中国人同士の覇権争いであった中国の内乱に深入りし過ぎたことだ。欧米列強の中で日本だけが中国大陸の動乱に巻きまれてゆき、その結果英米を敵に回す事態を招いた。中国大陸の内乱が収束するまで静観し、その間にインテリジェンス活動を強化して、次の展開に備えるべきであったのだ。

 第二の失敗は、アメリカからの執拗な工作を受けて、日本から真珠湾攻撃という開戦行動を起こしたことである。戦争がもたらした悲劇を考えれば、幾らでも戦争回避オプションがあった筈だ。後世を生きる我々にとって、ここで注意すべきは、「それは結果論だ」と片づけてしまう態度である。教訓はすべからく結果の分析から得られるものであって、結果論だとして思考停止に陥り、総括をウヤムヤにしてしまう危険にこそ注意を払うべきだろう。

 そして第三の失敗は、二つの失敗に共通する原因であるのだが、第二次世界大戦を起こした英米ソの企みに対するインテリジェンスが欠落していたことである。日本は日露戦争期には、欧州を舞台にロシア革命に奔走する人々を手厚く支援するなど、当時世界一級のインテリジェンスを実践していたにも拘らず、その経験は太平洋戦争に十分継承されなかった。

 国際政治における当時のメインプレイヤーだった英米ソが企む歴史的に不連続な変化に対し、日本は対症療法的に対応しただけで戦略に基づく対処をしてこなかった。この場合の戦略行動とは、たとえば「日本を追い詰めて奇襲攻撃に踏み切らせて、それを理由にアメリカが参戦する」というフランクリン・ルーズベルトの陰謀を阻止する行動を含むものである。

 太平洋戦争は日本が真珠湾攻撃を起点として始まったのだが、それは第二次世界大戦当時の大統領だったルーズベルトが、アメリカが第二次世界大戦に公式に参戦するために、日本から開戦するように執拗に仕向けた結果だった。この事実は、日本近現代史研究家の渡辺惣樹氏が『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』の中で明らかにしている。(資料4参照)

 渡辺氏が読み解いたのは、ルーズベルトの前任の大統領だったHerbert Hooverが書いた『Freedom Betrayed, Herbert Hoover’s Secret History of the Second World War and Its Aftermath』である。フーバー大統領は共和党の第31代大統領(1929.3-1933.3)で、第二次世界大戦の時に大統領職にあったのは第32代Franklin Roosevelt大統領(1933.3-1945.4)だった。

 <ルーズベルト政権の対日外交の陰湿さにフーバーが気付いていたことは間違いない。フーバーは日本に対して実質的な最後通牒であるハル・ノートが手交されていることも知らなかった。それでも真珠湾攻撃の報に接したときに、「ルーズベルトが何かしでかしたな」という感覚がすぐに湧いた。フーバーはルーズベルト外交の実態を明らかにしなくてはならないと、真珠湾攻撃の報と同時に決意した。>

 『Freedom Betrayed』はその決意のもとにフーバーが20年以上の歳月をかけて収集した情報をもとに書いた著作だった。出版に至る前にフーバーは1964年に90歳で死去したのだが、残された原稿を歴史家のジョージ・ナッシュが完成させて、フーバーの遺作は2011年に出版された。

 <ルーズベルト外交によって、ソビエト共産主義の東西への拡散を防いでいた二つの強国、日本とドイツは崩壊した。その結果が堰を切ったような共産主義の拡散だった。日本の降伏から僅か4年で中国は共産化した。それを抑え込む軍事力を持つ国はアメリカしか残っていなかった。・・・アメリカは「孤独な世界の警察官」となってしまった。>

 上記の洞察は、ルーズベルトの挑発に乗せられて開戦行動を取ってしまった日本の失敗が、現代に至る戦後の国際情勢に大きな影響を及ぼしている因果関係を見事に描写している。もし日本側に、ルーズベルトの陰謀に対するインテリジェンスがあり、真珠湾攻撃を踏みとどまる戦略観があったなら、アメリカの参戦はなく、共産主義の拡散も抑制できたということだ。

 戦略的対処とは、このように世界情勢の全体像と動向を分析した上で、自らの行動を決めるアプローチをいう。そのためには相手の目論見について情報を収集し分析するインテリジェンスが不可欠となる。

敗戦~(戦後)~現在(2025)

 日本は今年で戦後80年になるというのに、GHQによる占領の時代に作られた負の遺産を未だに払拭できていない。本件に関する限り、戦後80年間日本政府は殆ど何もしてこなかったと言わざるを得ない。国防の盾をアメリカに委ねる代わりに米軍基地を提供し、横田空域の航空管制を米軍に渡したまま80年を過ごしてきた。その間には朝鮮戦争、米ソ冷戦、中華人民共和国の誕生、ソビエト連邦崩壊などの事件があり、負の遺産を戦略的に軽減してゆく機会があったにも拘らず、日本はアメリカに安全保障を委ねたままの思考停止状態を続けてきた。

 ここでダーウィンの名言に戻ろう。激変する世界で思考停止状態を続けることは、淘汰される運命を選択することに等しいことを肝に銘じておかなければならない。大局的にみれば「失われた30年」という事態もまた、思考停止し戦略的対処を怠った結果であるとみることもできるだろう。いつの時代でも、企業でも国家でも民族でも、進化を忘れたものには滅びる運命しか残っていないのだ。この意味から、戦後80年の思考停止と不作為の罪は極めて重いと言わなければならない。

国家としての進化を成し遂げるために

 近代史における失敗を直視しその教訓に学ばない限り、国家にとっての進化はなく、進化を忘れた国家は衰退の宿命から脱出できない。では、どうすれば明治維新に匹敵する令和維新を成し遂げることができるだろうか?

 昨今の石破政権と自民党の動きを見ていても、「トランプ政権の再登場によって日本の戦後は終わる」という歴史観に立った、攻めの行動、戦略的な対処は見当たらない。トランプ台風の被害を局限化しようと対症療法的な守りの対応に終始しているのみだ。

 そもそも岸田政権と石破政権の相次ぐ誕生は、自民党がもはや保守政党ではないと宣言したことを意味している。先の自民党総裁選の決選投票で、高市早苗氏に大きく引き離された石破茂氏に大量の票が流れるという不自然な変化が起きたが、これは「自民党は明治維新前夜の幕府と同様に淘汰される運命にある」現実を、図らずも国民の前に露呈したものだった。

 近代史における失敗の内、ルーズベルト大統領の陰謀に嵌って太平洋戦争に突入していった失敗と、「アメリカ従属」の軛から脱却できなかった戦後政治の失敗に共通する原因は、何れも「対症療法的な対処」に終始して「戦略的な対処」をとってこなかったことにあると言える。

 さらにその原因を一言で言えば、インテリジェンスとシンクタンク機能を軽視してきた政治にある。戦後政治80年が、政治家と官僚の「2プレイヤー」体制だったことの限界も否定できない。官僚機構には、体制が縦割りであることと、政策に過去からの連続性が求められるという二つの制度上の制約が存在しているからだ。

 戦後の日本を束縛してきた「アメリカ従属」という軛から開放された暁に、日本は新たな進路をどこに求めるのか。その答えを我々は見つけなければならない。これは明治維新を成し遂げて日露戦争に勝利した日本が向き合わなければならなかった命題の再来でもあり、政治が80年間棚上げしてきた命題でもある。「対症療法から戦略的対処」への転換をどう成し遂げるのか。そのためには政治の基本構造に関わる二つの革命的な対策が必要となるだろう。

 第一は、「真の保守政党の編成」である。ここで「真の保守」とは、憲法も米軍基地も今のまま放置する現状維持ではなく、GHQから押し付けられた憲法を刷新し、アメリカ従属から脱して真に自立した国を目指し、新たな日米同盟関係の再構築を含めて、多極化が進行する国際社会における日本の立ち位置と役割を再定義しようとする志をもつ政党を指す。

 第二は、ポスト戦後80年の時代に求められるのは、課題と対策を政府横断的に俯瞰する機能と、過去からの連続性に囚われない戦略思考である。それを実現するためには、政治家と官僚に戦略構想を主任務とするシンクタンクを加えた「3プレイヤー」体制への転換が必要である。

参照資料

資料1:『大手町の片隅から』、乾正人、産経、5月23日

資料2:『追悼ジョセフ・ナイ氏、知の巨人が示した日本が直面する二つの脅威とその対処法』、AERA DIGITAL、大野和基、5月10日

資料3:『日本はトランプ政権にひるまず世界のリーダーとして役割果たせ』、読売、6月7日

資料4:『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』、渡辺惣樹、草思社

戦後政治を改めるとき

トランプ大統領が目論むシナリオ

 トランプ大統領は国際社会の戦後体制をスクラップ・アンド・ビルドしつつある。この動きは冷戦後のアメリカ一強体制の終焉を意味する。トランプ大統領が目論むシナリオは概ね次のようなものだろう。

〔認識〕国内の分断とアメリカの弱体化が進んでいる。何れもこれ以上放置できない。

〔緊急対処1〕分断と弱体化をもたらした勢力(リベラル全体主義、ディープステートなど)を国内外から一掃する。

〔2〕連邦政府の無駄な支出を徹底的に削減する。

〔3〕不法移民を国外に追放する。

〔方針1〕戦後アメリカが維持してきた二つの覇権(軍事、通貨)の内、軍事覇権を放棄する。

〔2〕今後、欧州はEU/NATOに委ね、中東はイスラエルに委ねる体制を作り、アメリカはアメリカ大陸に引き籠る。

〔3〕中国はアメリカを脅かす唯一の脅威であり、今後は中国対処に力を集中する。

〔対策1〕第一に、双子の赤字(貿易赤字、財政赤字)の進行を食い止める。そのために即効性のある手段として関税政策を実行する。

〔2〕手段を尽くして中国の挑戦を退ける

〔3〕MAGA実現のためにドル覇権を維持する。ドルに代わる決済通貨を作ろうとするBRICSの動きを断固として阻止する。

 この中で対策の〔2〕と〔3〕は未だ顕在化していない。

 但し、トランプ大統領の思惑通りに進む保証はない。そう考える主な理由は三つある。

 第一に、ここまで進行した産業のグローバル化を元に戻すことはできない。中国から輸入してきた生活必需品を一時は排除できても、アメリカにはそれを自国で生産する基盤がない。

 第二に、如何なる手段を講じようとも、国内の分断の修復も、アメリカとBRICS諸国の対立回避もできないだろう。物理学の「エントロピー増大の法則」が示すように、放置すれば秩序が混沌に向かうことは自然の流れであり、混沌を再び秩序化するのは不可能である。

 第三に、アメリカが軍事覇権を放棄すれば、基軸通貨ドルに対する信認が低下し、ドル覇権体制の崩壊が進行する。

世界は多極化に向かっている

 国際情勢解説者を自認する田中宇氏は、4月22日付の「国際ニュース解説」の中で、『トランプが作る新世界』と題して世界は多極化に向かうとの自説を展開しているので、要点を紹介しよう。(資料3)

 <欧州とウクライナ戦争は英国と欧州に委ね、中南米はカナダとグリーンランドを含めてアメリカが地域覇権国となる圏に入り、中東はイスラエルを軸に再編される。アフリカは既にBRICSの傘下になりつつあり、東南アジアは米国から中国の影響下に移っており、南アジアはインドの勢力下に再編されるだろう。>

 <この変化の中で、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドは独自の影響圏を形成せず中国覇権下に入ることも拒むだろうが、アメリカは従来の対米従属を望まない。>

 現在メディアの関心事は専ら関税戦争の行方に集中しているが、相互関税の発動は、トランプ大統領が目論むシナリオの第1段にすぎない。既に述べたように、今後トランプ大統領の思惑通りに進むとは限らないが、アメリカの覇権体制が終わり、世界が多極化に向かっている潮流を止めることはできない。

戦後政治の致命的な欠陥

 前段で述べたように、喩えればM9級の巨大地震や大規模な火山噴火に匹敵する、地殻変動級の変化が世界で進行中である。やがて日本人の覚悟が問われる事態が東アジアで起きるだろう。日本は南海トラフ対応だけでなく、その危機事態に対する備えを万全にしなければならないのだが、戦後80年に及ぶ「平和ボケ」政治が手かせ足かせとなって立ち塞がっている。

 (株)大和総研名誉理事の武藤敏郎氏は4月25日の産経新聞紙面上で、『漂流する世界秩序、トランプ大統領登場の背景と影響』と題した対談の中で、戦後政治の深刻な問題点について次のように指摘している。(資料1参照)

 <米国は目的が非常にはっきりしており、目的達成のための行動、「合目的」的な行動を取る。場合によっては手続きも省略する。(これに対して)日本は「やるべきこと」が分かっていても、手続きが適切かどうかに関心が集まる。「結果がよければ良い」というのは絶対に認められない。>

<「失われた30年」において日本がしたことは徹底的な金融緩和と財政出動だった。カンフル剤を打っただけで本当の病巣は摘出しなかった。それでも「低賃金、低価格、低成長」という「ぬるま湯」のような経済に、政界、経済界、労働界とも安住し、血が流れる「構造改革」には手をつけないまま、時間だけが過ぎていった。この時間のロスが今の日本の大きな問題である。>

 典型的な失敗例をもう一つ上げよう。それは安倍首相が実施した二回の消費税増税である。安倍首相は消費税増税には反対だったにも拘らず、民主党野田政権時の与野党合意に縛られて、自らの信念を曲げて増税に踏み切ったのだった。

 この二つの事例は戦後政治に巣くう致命的な欠陥を象徴している。即ち「目的を明らかにして戦略を練る」思考をとらず、「過去からの継続性の中で対症療法を模索する」結果、抜本的な対策を講じられないという欠陥である。

 コラムニストの乾正人氏が、同じ4月25日の産経の紙面に、「安保タダ乗り論を持ち出して、在日米軍の駐留経費を日本がもっと負担せよ」と圧力をかけているトランプ大統領への対応を「恥」と断じている。(資料2参照)

 <戦後80年を経て未だに首都に広大な米軍基地があり、関東の西半分の空域を外国が管理しているのは恥としか言いようがない。・・・幸か不幸かトランプは、日米安保体制の根本的な見直しを迫っている。ピンチはチャンスだ。米軍への思いやり予算を増額するのは、下策中の下策。横田基地に限らず、多くの米軍基地を自衛隊基地とし、自衛力を強化すればいい。(さすれば)駐留米兵は激減し、米国の負担は劇的に減少する。>

 言うまでもなく、戦後政治80年の歴史における最大の汚点は未だに戦後レジームを払拭できていないことにある。これは歴代首相が取り組まなかっただけでなく、自民党政治家の責任放棄と断じざるを得ない。できなかった言い訳は山ほどあるに違いない。但し、その難題に挑戦する意思と活動が欠如したが故の不作為を不問とする理由は何一つ存在しない。

 一言で言えば、政治家にとってイロハのイは、「出来ることを精一杯やる」ことではなく、「やるべきことに挑戦して手段を尽くす」ことにある。前者には「出来なかった言い訳」が常に用意されているが、後者は責任放棄の退路を断っている点が決定的に異なる。

 政治家である以上、総理大臣を目指すのは自然のことだと思う。しかし総理を目指す意思のある政治家には、総理になって何を成し遂げるのか、果たして自分はその資質と能力を備えているだろうかと自問して欲しいものだ。

現状維持思考の限界

 長い間「防衛オタク」と言われてきた石破首相だが、安全保障の第一人者を自負するのであれば、歴代首相が放置してきたこの大きなテーマに何故挑戦しないのだろうか?

 想像するに、その原因は二つ考えられる。第一は、現在の日米関係を今後も保持することが望ましいと考えていることだ。

 第二は、過去の延長線と決別し、未来のために大英断を下す意思と胆力を持ち合わせていないことだ。多くの識者が指摘しているように、石破茂という政治家は「解説者としての発言」に終始していて、首相という立場からのコミットメントが殆どないのである。世界観、歴史観、国家観を持っていない人物に、日本国のビジョンを語れと期待することが無理なのだが、問題の本質は何故そういう人物が総理大臣に選ばれたのかにある。

 野党に限らず自民党の中にも、「日米関係は今のままの状態が今後も続くことが良い」と考える政治家は多いに違いない。「今のまま」というのは、①日本の防衛は今後もアメリカに守ってもらう、②そのために全国各地にある米軍基地を今後も提供する、③横田基地周辺の空域が米軍の管制下にある現状を今後も受容する、④憲法改正は今までと同様に棚上げすることを意味する。

 政治家諸氏がもし本気で「現在の日米関係を今後も保持することが望ましい」と考えているとしたら、トランプ大統領が起こしている変化に対する認識が根本的に間違っていると指摘せざるをえない。

 次節で述べるように、戦後想定してこなかった未曽有の危機が、大陸からの大津波として近未来に日本を襲う可能性が高まっている。少なくともそうした最悪の事態を想定した上で、「アメリカに従属してきた時代が終わる」のだと認識を改めることが、リアル・ポリティクスの一丁目一番地である筈だ。

アメリカ一強時代の終焉が起こす衝撃波

 ロシアがウクライナに軍事侵攻したのが2022年3月、トランプ第ニ期政権が誕生したのが今年1月だった。この二つの出来事を転換点として冷戦後の平穏の時代が終わり、世界は再び動乱の時代に突入した。今後どういう展開になるのか見通すことは時期尚早で、米中対立が激しくなるのかそれとも先に中国が内部から崩壊を始めるのか予測できないが、何れにしても東アジアの安全保障環境が激変することに変わりはない。

 トランプ大統領が世界に対して発信してきたメッセージは、アメリカ一強時代の終焉である。戦後アメリカに従属してきた欧州や日本に対し今後自立圧力を一層強めてゆくだろう。欧州に対しては既に今年2月14日にミュンヘンで開催された安全保障会議において、ヴァンス副大統領が「欧州大陸が直面する最大の脅威はロシアや中国ではなく(欧州)内部から来るものだ。」と発言して欧州を驚愕させた。今後米中対立が本格化すれば日本が対立の最前線に立たされることは明らかだ。

 さらにウクライナ戦争に北朝鮮が参戦したのと同時期に、韓国政治の混迷が深まっており、朝鮮半島情勢が一気に不安定化している。中国やロシアがその動きを利用しようと動けば、朝鮮半島は一気にきな臭くなる可能性がある。しかもアメリカとロシアが北朝鮮を核保有国と認めれば、東アジア情勢が一変するだろう。

 ウクライナと同様に、ロシアは3年を越える戦争で膨大な戦死者と未曽有の兵器の損耗に直面している。さらに戦争優先の経済が3年も続いており、民生経済への影響は相当深刻な筈だ。それに欧米による制裁の影響が長期間に及んでおり、難題山積していることは想像するまでもない。ウクライナ戦争が終結した後にその反動が起きる。かつてソヴィエト連邦が崩壊したように、今後ロシアの弱体化が進めばロシア周辺国の独立運動が顕在化するだろう。

 このように、ウクライナ戦争が終結に向かえば米中対立が本格化し、中国内部情勢、朝鮮半島情勢、ロシア周辺情勢へと、不安定化の波が衝撃波のように拡散してゆくだろう。

 政治家の多くは「であればこそ日米同盟を従来以上に強化しなければならない」と言うだろうが、欧州同様に日本がアメリカ従属体制を続けることをトランプ政権は受容しないだろう。もし今ヴァンス副大統領が日本に乗り込んできて、日本に対し「最大の敵は中国ではなく日本の内部から来るものだ」と政治家を前に演説する場面を想像してみたらいい。

 今後東アジア情勢は確実に緊迫化していくだろう。日本も戦後80年の体制が終わるのだと腹を括って、一足先に欧州がそうしているように、自己完結な外交・防衛力を構築するべく大胆に舵を切らなければならない。「時は今、アメリカ従属体制から脱却すべき局面」なのである。

 日本は戦後政治において二つの大きな失敗をした。その一つは「失われた30年」であり、歴代政権がとってきた「緊縮財政」という誤った政策によって国民は貧困化を余儀なくされた。他一つは戦後80年の間、「戦後レジームからの脱却」を棚上げしてきた結果、独立国の要件である「自立した外交と防衛のスピリット」をも喪失したことだ。何れも「やるべきことを実現するために手段を尽くす」政治を展開してこなかった故の失敗という他ない。

 そして現在、トランプ大統領が起こしている変化にどう対応すべきなのか。ここで対応を誤れば日本の没落は回復が困難となるに違いない。冒頭に述べたように、今後トランプ大統領が日本に要求してくることは、相互関税というレベルの話では済まないことは明らかだ。

アメリカ以上に衰退した日本、それを自覚しない日本

 クライテリオン5月号は、『石破茂という恥辱』と題した「日本的小児病の研究」を特集している。戦後80年の日本の民主主義の欠陥を指摘している。(資料4参照)

 <20世紀の歴史学者ホイジンガは、社会は前近代までは大人を中心に作られていたが、近代になって急速に大人たちが幼児化していると論じ、その現象を「文化的小児病」と名付けた。それから時代がずっと流れてきた今、小児病の最先端の国として日本があり、その行きつく果てに誕生したのが石破茂という政治家だ。>(藤井聡)

 <トランプの再登場で世界は目に見えて変わってきた。戦後アメリカの覇権の下に構築されてきたリベラルな国際秩序が崩壊を始めた。トランプは欧米の亀裂を意図的に作り出そうとしていて、喧嘩を売られたことで欧州各国の対抗心に火が付いた。一方石破政権はアメリカを怒らせないことしか考えていないように見える。>(柴山桂太)

 <石破茂は「○○しなければならない」という表現を多用するが、これはステートメントであって、コミットメントではない。自らの行為に関わる宣言ではなく単なる認識を口にしているだけなのだ。政治家ならコミットしろと思う。>(藤井聡)

 <外交の現場に約40年にわたって籍を置き、何人もの総理大臣に接してきたが、率直に言って支え甲斐があった総理は、中曽根康弘と安倍晋三の二人しかいなかった。確固とした歴史観、国家観を有し、外国の首脳に対峙して位負けすることがなかった。そんな二人とは比べようがないが、石破茂という人は鳩山由紀夫や菅直人と同じカテゴリーに分類・整理するのがふさわしい。>(山上信吾)

 残念ながら、何れも全く同感である。今日本は戦後最大の危機の渦中にあるというのに、石破首相は言葉を弄ぶだけで歴史観と国家観に基づく決断をする意思がないようだ。

 世界はトランプ大統領の一挙手一投足に右往左往している。しかし視点を変え、好き嫌いを排除して俯瞰してみたらいい。トランプ大統領は、「国内の分断と国力の弱体化」が深刻なアメリカを建て直そうと、誰が何を言おうが意に介せずに果敢に行動している。世界中を敵に回しても国益を追求するトランプ大統領、一国のリーダーとして立派ではないかと思うのだ。

 「失われた30年」の結果、日本はアメリカに劣らず国力の衰退が著しく、さらに「戦後レジームからの脱却」を棚上げしてきた結果、戦うスピリットをも喪失して漂流している。視野を日米の外において客観視すれば、その深刻な現状が見えてくる。今政権に求められるのは、トランプ再登板を千載一遇の好機到来と捉え、日本の戦後レジーム解消という難題を一気呵成に解決してしまおうという戦略的行動である。

 憲法改正、対米依存からの自立、米軍基地縮小と横田基地返還という戦後最大の未解決問題に本気で取り組むことが保守・自民党の責務である筈だ。この局面においてなお、それに挑戦しようとせず国内問題に埋没するようであれば、自民党は既に国益に有害なゾンビ政党になり果てたとみなす他ない。

戦後の議会制民主主義を改めるとき

 <日本の問題は、石破茂を総理大臣に選んだ自民党の問題であり、それを一定程度支持している世論の問題でもあり、彼の行動に対して本質的な批判を避けようとする知識人の問題でもある。>(柴山桂太)

 但し戦後80年の日本が現在抱える問題は、単に石破首相だけの問題ではない。事態はもっと深刻である。真の問題は石破首相が選任されたプロセスの中に潜んでいる。

 永田町では今、玉木首相待望論が与野党双方から台頭しているという。しかもその理由は二つあるという。自民党にはポスト石破の候補がいないことに加えて、自公連立政権が衆議院で少数与党となったために、新総裁を選出しても野党が首班指名を一本化すれば勝てないからだという。その結果与党も野党も玉木首相を推薦するのだと。

 投票で決まる以上勝たなければ意味がないのだが、この動きには本質的な要素が二つ欠落していることを指摘しておきたい。一つは、次の首相が備えるべき資質と能力に関する人物評価論の欠落である。「ポスト石破の候補がいない」というが、次期首相に求められるのは激変する世界情勢の中で各国首脳と渡り合い、日本の国益を守り、未来を切り開いてゆく資質と能力でなければならない。

 他一つは、名乗りを上げる候補者が、どういう世界観、歴史観、国家観を持ち、日本の未来像についてどういうビジョンを持ち、それを実現するために総理大臣になったら何に挑戦するのかをテーマに、候補者どうしが充分な議論を戦わせるステップの欠落である。

 総じて言えば、「小児病」と称される石破茂氏を選出した自民党総裁の選出のプロセス自体が、激変モードに入った世界情勢に全く適合していないことが問題なのだ。『石破茂という恥辱』という特集号は、戦後80年は世界が比較的平穏だった故に何とか旧態依然の政治で体裁を保ってきたが、トランプが起こしつつある激流の中でどうにもならなくなった日本の現状を論じている。これは政治家の問題であると同時に、旧態依然の政治を続けてきた「小児病」国家日本の姿なのだと。

 ウクライナ戦争の終結を誤れば、「ロシアという専制主義国に欧米という民主主義諸国が負けた」という重大な結果を招く。日本は「座して米欧に従う」という従来の姿勢を改めて、「日本ならどうするか」を真剣に考えなければならない立場にある。トランプ大統領の目論見を理解した上で、かつG7のメンバー国として、さらには東アジアに有事事態が転移したときの最前線に位置する国として、トランプ大統領に対し逆提案を行ってでも主体的に行動すべきであろう。その行動は近未来の東アジア事態に備える重要な布石になると同時に、「ポスト戦後80年」の時代の、新しい日米関係を模索する第一歩となるのだと信じて止まない。

参照資料

資料1:久保田勇夫-武藤敏郎対談、産経4/25

資料2:乾正人、石原慎太郎に学べ、産経4/25

資料3:田中宇、国際ニュース解説4/23

資料4:クライテリオン、5月号

ウクライナ和平後の世界

トランプ大統領の施政方針演説から読み解く

プロローグ

 トランプ大統領は就任から43日が経過した3月4日に、上下両院合同会議で施政方針演説を行った。この演説を紐解くことで、トランプ大統領が何処に立って、何を目指し、何と戦っているのかを読み取ることができる。以下、施政方針演説の発言からの引用箇所は<>で示した。(参照:資料1)

 トランプ氏は昨年11月6日に大統領選の勝利を確実にし、今年1月20日に第47代大統領に就任した。トランプ大統領は就任した1月20日に26本、1週間で36本、43日間で100本に近い大統領令(Executive Orders)に署名し、400以上の行政命令(Executive Actions)を発出して、「トランプ時間」と呼ばれる驚異的なスピードで政策を実行している。

「常識の革命」

 トランプ大統領が何処に立って、何を目指しているのかを知るキーワードは「常識の革命(Revolution of Commonsense)」である。

 大統領就任式のスピーチで、トランプ大統領は「アメリカの黄金時代が今から始まる」と述べ、「政府は信頼の危機に直面している。過激で腐敗した支配層が国民から権力と富を搾取し、国内の単純な危機さえ対処できず、国外では壊滅的な出来事の連鎖に陥っている」とバイデン前政権を激しく批判した。そして自らがこれから何をやるかを語る前に、「常識の革命が始まる」と述べた。(資料2)

 ニューズウィーク誌は1月29日の紙面で、「トランプ革命のポイントは庶民感覚に基づいているところにある」と書いている。「不法移民のこれ以上の無軌道な流入は防ぐべきで、連邦政府のDEI政策は行きすぎている、外国を貿易で儲けさせる前に自国の産業を立て直せ」という主張は確かに庶民感覚そのものだ。(資料3)

 さらに「革命は内政だけではないとして、トランプ大統領が唐突にグリーンランドやパナマ運河の領有を言い出したが、発想の根底にあるのは西半球(アメリカ大陸)至上主義だ。アメリカは今後西半球の防衛と外交に集中し、欧州やアジアから距離を置くだろう。NATOへの塩対応はその証拠で、今後日本に駐留米軍の経費負担を露骨に求めることがあれば、それもまた裏付けと考えていい。」と指摘している。(資料3)日本にとって重要なポイントである。

 施政方針演説の中で、トランプ大統領自身が「常識の革命」の一端だと述べて、43日間で取り組んできた成果を語っている。その主なものは次のとおりである。なお施政方針演説の和訳は、3月6日の産経新聞が掲載した紙面を参照した。

 <就任宣誓から数時間以内に、南部国境に国家非常事態を宣言した。そしてわが国への侵略を撃退するため米軍と国境警備隊を配備した。

 <就任直後に全ての連邦政府の採用を凍結し、全ての新しい連邦規制を凍結し、全ての外国援助を凍結した。>

 <グリーン詐欺を終わらせ、パリ協定から離脱し、WHOと国連人権委員会から脱退した。>

 <EV義務化を打ち切り、自動車産業の労働者と企業を経済的破壊から救った。>

 <連邦政府でDEI政策という暴政に終止符を打った。民間産業や軍においても同じだ。> 

 <公立学校から批判的な人種理論の毒を排除した。そして性別は男性と女性の二つだけであることを米国の公式方針とする大統領令に署名した。男性が女子競技に参加することを禁じる大統領令にも署名した。>

 「常識の革命」というように、共通していることは極端に行き過ぎた前政権の政策を全て白紙に戻して、アメリカの労働者階級の「常識」に戻す措置であることだ。一言で言えば、「リベラル全体主義」を徹底的に排除したということだ。

不法移民対策

 <就任直後に南部国境に国家非常事態(a national emergency on our southern border)を宣言し、米軍と国境警備隊を配備した。国土を守るためにこれらの脅威をどのように排除し、アメリカ史上最大の強制送還作戦(the largest deportation operation)を完了させるかを具体的に示した詳細な資金要請を議会に送った。>

 <それに比べて史上最悪の大統領だったジョー・バイデンの下では、4年間で2100万人に上る不法入国(illegal crossings)があり、殺人犯や麻薬の売人、ギャング、精神疾患者を含むほぼ全員が釈放された。>

 数値の正確性はともかく、4年間で2000万人を超える不法入国があったという事実は、そもそも理解を遥かに超えるものだ。それを放置してきた前政権は国を破壊してきたと糾弾されても、まともな反論は出来ないだろう。それでも2024年の大統領選挙では、トランプ氏が選挙人538人の内312人を獲得したのに対して、ハリス氏が226人を獲得したという事実もまた理解を超えている。バイデン政権の副大統領だったハリス氏に投票した人が7464万人(トランプ氏は7700万人)存在したことは、日本人の「常識」からすれば理解不能である。

連邦政府の暴走を止める

 <インフレ対策をさらに進めるため、エネルギーコストを削減するだけでなく税金の浪費を根絶する。その目的のために、全く新しいDOGE(Department of Government Efficiency、国家効率化省)を創設した。>

 <イーロン・マスクが率いるグループによって、多くの詐欺行為が発覚し、暴露され、直ちに終わらせた。我々は数千億ドルもの詐欺行為(hundreds of billions of dollars of fraud)を見つけた。>

 <現在何十万人もの連邦政府職員が出勤していない。この責任感のない官僚機構(unaccountable bureaucracy)から権力を取り戻し、米国に再び真の民主主義を復活させる。>

 <政敵に対し司法を武器化(weaponizing law enforcement)して執拗に攻撃することを実質的に止めさせた。憲法に基づく法の支配の下、公正、平等、公平な司法を取り戻すため、FBIと司法省を手始めに迅速かつ果断に行動してきた。>

 トランプ氏の大統領選への再出馬を阻止するために、バイデン政権下で行われた「司法の武器化」は外から眺めていても相当に酷いものだった。それを実行した司法省とFBIを最初の対象に選んだことは当然だ。DOGEが暴いた連邦政府に巣くう腐敗と詐欺の実態は、アメリカという国の統治機構の修復が途方もない難題であることを物語っている。

リベラル全体主義者の追放

 <馬鹿げたグリーン詐欺(the ridiculous green new scam)を終わらせた。我々が数兆ドル支出しているのに他国が負担しない不公平なパリ協定(the unfair Paris Climate Accord)から離脱した。腐敗したWHO(the corrupt World Health Organization)からも、反米的な国連人権委員会(the anti-American U.N. Human Rights Council)からも脱退した。>

 人類の近代史は戦争と革命の歴史として綴られている。その戦争や革命は自然発生で起きたものではなく、そのシナリオを描いた勢力がいて、資金と武器を提供した勢力がいた結果起きたものだ。ウクライナ戦争もその例外ではない。

 ウクライナ戦争を起こしたのはそもそも誰か?トランプ大統領は、軍事行動を起こしたのはロシアだが、ロシアをそそのかした勢力、或いはロシアが軍事行動を起こすことを知っていて抑止しなかった勢力を敵視していることが明らかである。バイデン大統領は事前にプーチン大統領が軍事侵攻に踏み切ることを示唆する発言を繰り返していことは事実であり、またゼレンスキー大統領はそれを知りながら軍事侵攻を抑止する行動を取らなかった。

 フリーの国際情勢解説者である田中宇氏が2月10日の「国際ニュース解説」で次のように述べている。(資料4)

 「リーマン危機後、G7は経済政策決定機能をG20に譲り、先進諸国が環境問題や人権問題などのリベラルな政策を決める枠組みになった。その後、先進諸国の温暖化や人権民主やジェンダーの政策は、人々に超愚策を強要するリベラル全体主義となった。」

 トランプ大統領は就任直後からDOGEを使って驚異的なスピードで米国内のDSに関与した政府高官を追放し、財務省からの活動資金の流れをストップさせた。

 ヴァンス副大統領は欧州に乗り込んで2月14日にミュンヘンで開催された安全保障会議で、リベラル全体主義化した西欧諸国の誤りを痛烈に指摘する演説を行った。また、ヘグセス国防長官はEUを訪問して、欧州諸国は防衛費をGDP比で現状の2%から5%に引き上げて、その金でウクライナ支援を継続することを要請し、米国は関与しない意思を伝達した。

 この一連の動きから判断すると、トランプ政権が最も敵視しているのは、国内においては社会を、国外においては世界を、意図的にかつ巧妙に誤った方向に誘導してきたリベラル全体主義勢力であることが明らかだ。

 「但しウクライナの和平合意が締結される5月頃には、欧州の英傀儡エリートは弱体化している。欧州議会では政権交代が進み右派が拡大しつつある。米国が抜けると欧州だけでウクライナを軍事支援する流れにはならず、米国も欧州も反英・反DSのトランプ系となってウクライナが終戦してゆく展開になりそうだ。」

 田中宇氏はこのように書いているが、ウクライナ戦争の終結を契機とし、トランプ第2期政権が歴史の転換点となって、アメリカ民主党政権、EU幹部、及び実際に政策を実行してきた官僚組織が一掃されてゆく展開となるだろう。重要なことはこの歴史的な大転換の後にやってくる世界がどういうものになるかだ。

誤ったイデオロギーの追放

 <我々は連邦政府でDEI(Diversity, Equity and Inclusion)政策という暴政に終止符を打った。民間産業や軍においても同じだ。我が国はウォーク(woke)には決して戻らない。>

 <我々は学校や軍隊からウォークネス(Wokeness)を排除しつつあり、それは既に社会から消えつつある。ウォークネスはトラブルであり、悪い言葉だ。我が軍の兵士たちは活動家や思想家ではなく戦士や戦闘員となり我が国のために戦う。(Our service members won’t be activists and ideologues. They will be fighters and warriors.)>

 〔注〕Wokeという用語は、当初人種・性・LGBTQ+など、社会的な差別に対する目覚めを表す俗語として使われたが、西欧の中道派・右派は、左派による排他的な運動やイデロギーに対する侮辱表現としてwokeを使うようになった。

 <公立学校がトランスジェンダーのイデオロギーを子供達に教え込む(indoctrinating our children with transgender ideology)ことを禁止した。子供達の性転換を恒久的に禁止、違法化し、子供が間違った体に閉じ込められているという嘘を永遠に終わらせる法案を議会に可決して欲しい。(This is a big lie. And our message to every child in America is that you are perfect exactly the way God made you.)>

 第二次世界大戦期におけるイデオロギーの対立は、民主主義対共産主義だった。それから約半世紀後にソヴィエト連邦が崩壊して、民主主義の勝利が確定したかに見えた。しかし共産主義は消滅することなく、現在のロシアや中国に代表される専制主義へと形を変えた。しかも民主主義対専制主義の対立の構図が残ったまま、民主主義陣営にリベラル全体主義やDEIというイデオロギーが蔓延った。こうして民主主義陣営の分断が進行した。

 トランプ政権は就任直後から不法移民対処と同時にイデオロギーを弱体化させることに精力的に取り組んだ。こうして就任後僅か50日で制圧の目途を立てたことになる。但し、イデオロギーを制圧することは困難であり、これによって国内の分断が収束に向かうとは限らない。

エネルギーと金属資源政策

 <就任初日に国家エネルギー非常事態(a national energy emergency)を宣言した。我々の足元には地球上のどの国よりも多くの黄金の液体(liquid gold、つまり石油と天然ガス)が眠っている。掘って掘って掘りまくれだ。>

 <今週後半、重要な鉱物やレアアースの生産を米国で劇的に拡大するという歴史的な行動も起こす。>

 トランプ大統領は何故レアアースに注目しているのか。その答えを産経新聞特別記者の田村秀男氏が3月4日の産経新聞「経済正解」に書いている。(資料5)

 「米国が中国の追随を許さないのは、生成AI等の半導体、それに戦闘機やミサイルなどの兵器だが、ここには重大な弱点がある。これらの製造は何れもレアアースやガリウム、アンチモンなどレアメタルを必要としている。リチウムイオン電池は電極に黒鉛を使っている。」

 ここで問題は、レアアース、ガリウム、黒鉛の生産量において中国がダントツの世界1位であり、アンチモンでは中国とロシアで世界の生産量を独占している。レアアース資源が豊富なグリーンランド獲得にトランプ大統領が意欲を表明したのも、ウクライナとレアアース資源採掘の取引に積極的なのも、地政学的な理由の他に希少金属資源の戦略的重要性を踏まえたものだ。

基幹産業の復活

 輸入品に対する一連の高関税措置は、国産に比べて安価で競争力の高い輸入品が大量に流入した結果、衰退を余儀なくされたアメリカの基幹産業を復興させることと、それによってラストベルトに働く労働者の生活基盤を改善することに狙いがある。

 <防衛産業基盤(defense industrial base)を強化するために、商業や軍事の造船業を復活(resurrect the American shipbuilding industry)させる。そのために、今夜私はホワイトハウスに造船に関する新たな部署を設置し、この産業を米国内に呼び戻すための特別な税制優遇措置を講じることを発表する。>

 日本製鉄によるUSスチールの買収が政治的に注目され、大統領マターとなったことは記憶に新しいが、アメリカ基幹産業の復活、そのためのエネルギー産業の復活、安価で安定したエネルギー供給がMAGAを実現する必須要件であることは言うまでもない。また造船業の復活は、防衛産業基盤を強化する意味で死活的に重要である。

中国政策

 実は3月4日に行われた施政方針演説には、驚くほど中国に対する言及がない。未だに具体的な対抗措置をとっていない。トランプ大統領は、本丸中国と対峙する前に搦手から手を打っている感がある。パナマ運河とグリーンランドに関する発言にその思惑が見て取れる。

 <国家の安全保障を一層強化するために、パナマ運河を取り戻すつもりであり、すでにその作業を始めている。パナマ運河は多くの米国人の血と財産を犠牲にして建設された(The Panama Canal was built by Americans for Americans, not for others.)ものであり現代のコストに換算すれば、米国史上最も高くつく計画でもあった。>

 <我々は国家安全保障及び国際的な安全保障のためにグリーンランドを必要としている。(We need Greenland for national security and even international security.)>

 対中政策に関しては、その全容が現時点で見えていない。今までのところ、トランプ政権は本気で取り上げていないし、表立った行動を開始していない。本丸と考えられる対中政策には満を持して臨もうとしているのか、それとも中国とは別のもっと大きな取引をしようとしているからなのか、現時点では判別できない。

 考えられる一つの可能性は、対中カードの切り札となるのがプーチン大統領であって、ウクライナ戦争の終結過程でプーチン大統領をとり込むまで、対中カードを切れないというものだ。

ウクライナ戦争の終結

 <ウクライナの野蛮な紛争終結のため精力的に取り組んでいる。この残忍な戦争では、何百万人ものウクライナ人とロシア人が不必要に殺され負傷した。米国はウクライナの防衛を支援するために数千億ドルを送金してきた。そんなことを今後5年も続けたいのか。>

 <欧州は悲しいことに、ウクライナを守るために費やした費用よりも、ロシアの石油やガスを買うために費やした費用の方が多い。アメリカは約3500億ドルを費やした。一方欧州が費やしたのは1000億ドルだ。アメリカからは大西洋の彼方の出来事であるというのに、この差は一体何だ。>

 <この狂気を止める時だ。殺戮を止める時だ。無意味な戦争(this senseless war)を終わらせる時が来た。戦争を終わらせたいのであれば、両陣営と話をしなければならない。アメリカがウクライナの主権と独立を維持するためにどれほどの支援をしてきたかを本当に評価している。(We do really value how much America has done to help Ukraine maintain its sovereignty and independence.)>

 2月23日に産経新聞は、FOXニュースラジオが主催したトランプ大統領のインタビュー記事を掲載した。インタビューでトランプ大統領は次のように注目すべき発言をしている。(資料6)

 ①ロシアには攻撃すべき理由はなかった。

 ②開戦当時自分が大統領だったなら戦争は起きなかった。ロシアを容易に説得できた筈だ。

 ③ゼレンスキー大統領は交渉カードを持たないまま開戦後の3年を過ごした。

 この指摘は正論であるが故に反論が難しい。何故なら歴史上の如何なる戦争においても、戦争を回避できる手段が存在しなかったという証明は困難だからだ。確かに、トランプ大統領のようにディールとカードをもって臨めば、軍事侵攻を抑止できた可能性はあったに違いない。但し、それも超大国アメリカだからこその話であり、ウクライナ対ロシアでは力の差は歴然であり、戦略意図をもったプーチン大統領を説得することは困難だったに違いない。

 それでもトランプ大統領の指摘はある意味正しいのかもしれない。トランプ氏の発想に立って考えれば、「国際社会のことは、戦争を含めて、大半はディールで解決できるものだ。それができない指導者は無能だ。」ということになる。

 しかしディールに哲学とプリンシプルが伴わなければ、単に儲ければいいというビジネスマンの思考になってしまうだろう。果たしてトランプ大統領はビジネスマンなのかそれともステーツマンなのか?ここを見抜くことが重要だ。ウクライナ戦争の和平合意にそれが反映されるだろう。

トランプ大統領が成し遂げたいこと

 トランプ大統領が成し遂げようとしていることは何か。施政方針演説を含め今までの言動から整理すると、たとえば次のとおりである。

 ①世界各地で戦争を起こし、国内で分断を推進してきたリベラル全体主義及びディープ・ステート(LT/DS)勢力を追放及び無力化する。

 ②ウクライナ戦争とイスラエル・パレスチナ戦争を早期に終結させ、アメリカは欧州から手を引き北米に回帰する。

 ③最大の脅威である中国を弱体化させる。

 ④従来のLT/DS勢力に代わり、国際秩序を担う体制を再構築する。この場合、LT志向が強いEUとは距離を置き、米露中による新ヤルタ体制を志向する可能性が高い。

 ⑤MAGAを強力に推進する。アメリカは巨額の財政赤字を抱えている。それを抜本的に改善する。そのために貿易収支を抜本的に改善しつつ、ドル覇権を維持する。BRICSの脱ドルの動きを阻止する。

 ⑥アメリカの基幹産業を再興し、アメリカの労働者の生活を改善する。

 我々は、トランプ政権が4年間、トランプ時間で爆走を続けるとしたら、世界はどのように変わるだろうかという問いについて真剣に考える必要がある。田中宇氏は、2月16日の「国際ニュース解説」で次のように述べている。(資料7)

 「米国は欧州と同盟して露中を敵視する米単独覇権の国から、露中と組んで欧州の間違いを懲戒する多極型世界で北米を代表する国に転向した。トランプは米中露を仲直りさせ、覇権主義のリベラル派を無力化し、戦争を終結させて、世界を安定的な多極型に転換する冷戦後の過程を完結させてゆくだろう。」

 トランプ大統領という人物は戦争の終結もディールと捉えている。利害得失をハッキリさせて、損得の構図をもとに解決しようとする。こう考えると相当に破天荒な発想の持ち主に見えるが、視点を変えてみれば、人類史における戦争は何れもが当事国間の歴史に刻まれた因果関係と利害の対立から生まれたものだ。それを終戦に導くとしたら相応に強引な発想と力の行使が必要になるだろう。

 エマニュエル・トッド氏が『欧州の敗北』と断定したように、欧米が科したロシア制裁は今までのところ顕著な結果をもたらしていない。バイデン政権とEUがリベラル全体主義に立って世界に同調行動を呼びかけたが、G7を除く主要国は同調せずBRICSにはせ参じたのだった。ロシアはBRICSの支援を得て、非ドル貿易によって経済と戦争を維持してきた。サウジアラビアはPDS(petrodollar system)の密約を破棄し、BRICSの新たなS(従来は南アフリカ)として露中側に接近した。このようにしてドル覇権体制が崩壊を始まり、世界の多極化動向がはっきりした。

プーチン大統領の思惑

 ニューズウィーク日本版はプーチン大統領が目指す目標について分析した記事を2月26日に掲載した。(資料8)

 「トランプ政権はプーチン大統領のウィッシュリストを1つずつ叶えるような姿勢を見せている。ピート・ヘグセス米国防長官はウクライナのNATO加盟の可能性を否定し、ロシアに占領された全ての領土を回復するという目標を放棄するようウクライナに促した。・・・ウィッシュリストの次の項目は、和平合意の締結前にウクライナに大統領選を実施させ、ゼレンスキー大統領を失脚させることだろう。」

 「(ロシア周辺国に対して)ロシアは一貫して同じ戦略を取ってきた。即ち選挙でロシア寄りの権威主義的な体制を誕生させ、そこに提供する資金を腐敗から作り出し、偽情報を拡散して支援するという戦略である。ウクライナが早期の選挙実施に追い込まれれば、ロシアはまたこの手段を使うだろう。ロシアが支持する候補者は完全な勝利を収める必要はない。ロシアとしてはウクライナを分裂させ、ロシア寄りの候補者にも勝機があることを示せればいい。これは短期的には、ウクライナ国民を戦争から解放し平和へと続く道に見えるかもしれない。だが長期的にはウクライナをロシアの影響下に引き戻す可能性もある。」

 これは驚くべきことだ。プーチン大統領は長期戦略で動き、トランプ大統領は短期成果を追求するとしたら、長期的にロシアが有利となるからだ。しかし同時に、ウクライナを分裂させロシア寄りの集団を育てるために、3年に及ぶ戦争をする必要があったのかという疑問が生じる。その間にロシアが失ったものは余りにも大きい。

 インフレが10%に達し、それを抑制するために金利を21%に設定するなど、ロシア経済が被った打撃は相当深刻である。例えば、戦争経済の長期化、シリア政権崩壊、NATOの結束と軍事力の大規模な増強、ロシア圏諸国におけるロシア離れの長期的動き等だ。恐らくプーチン大統領はウクライナに軍事侵攻すれば、ゼレンスキー大統領は短期間で失脚し、ロシアよりの勢力が台頭すると読んだのだろう。この誤算のツケをロシアはこれから払ってゆくことになる。

トランプ・シナリオの落とし穴

 産経新聞は2月21日に閉幕したG20会議について22日に報じている。(資料9)

 EUのカラス外交安全保障上級代表は、「米露間の接触の様子を見る限り、ロシアはウクライナの領土を可能な限り獲得するという目標を放棄していない。もし侵略者に全てを差し出せば、世界の全ての侵略者に同様のことをして構わないという合図を出すことになる。」と述べてトランプ政権を批判した。」

 カラス氏の指摘は正鵠を射ている。トランプ大統領がプーチン大統領の戦争責任を不問にして、対中国政策や他の目的のためにプーチン大統領と手を組むとしても、この問題を解決しなければならない。

 東京大学准教授の小泉悠氏は、2月26日の産経新聞正論で「人ごとではない頭ごなしの停戦」という記事を載せている。(資料10)

 「ロシアは2014年~15年に最初の軍事介入を行っており、これに対して二度のミンスク合意が結ばれた。だが、第1次ミンスク合意は数カ月しかもたず、第2次合意は(2022年の軍事侵攻によって)7年で破られた。現場レベルの小規模な停戦合意違反は20回以上に及ぶ。この経験を踏まえるなら、言葉の上でだけロシアに停戦を約束させるのでは不十分である。」

 「日本はたまたま米国にとって(対中国の)最重要正面に位置しているのであり、安全保障への米国のコミットメントを今後とも当然視する確固たる根拠はもはやあるまい。1979年の電撃的な米中和解を思い起こすなら、大国が我々の頭ごなしに地政学的構図を一気に書き換えてしまうということは十分にありうる。」

 戦争をさっさと終結させることを考えても、トランプ大統領には正義という発想はない。ロシアをG8に戻すという発想には、軍事行動を起こしたロシアを裁くという認識が欠落している。もしトランプ大統領のシナリオに従ってウクライナ戦争が終結に向かえば、「侵攻された方に隙があり、抑止する力がなかったのだから諦めろ」という裁きとなるだろう。そしてそれは「アメリカ覇権の時代が終わったということはそういうことなのだ」という、世界に対する警告となるだろう。

 G7にロシアを加えてG8とするというトランプ大統領の意向と、プーチン大統領を戦争犯罪で裁く法定を作ろうとしているEUの意思は両立できない。正義と秩序を重視するEUはG8案に賛同しないだろう。もしトランプ案に妥協すれば、国際法を踏みにじったプーチン大統領とロシアの責任を無罪放免とすることになるからだ。

 東京裁判を持ち出すまでもなく、歴史に残る事件は多かれ少なかれ正義とは無関係に裁かれてきた。トランプ大統領は国際秩序の正義には興味がない。かくして欧州とトランプ大統領の離反は決定的となるだろう。G8以前にG7が瓦解してゆく展開となりかねない。

 トランプ大統領とプーチン大統領に共通していることは、利害関係でのみ行動することと、行動すると決めたら誰が何を言おうが意に介しない胆力がある点だ。逆にトランプ大統領の言動を非難している欧州のリーダーは正義感という錦の御旗のもとで利害を追求しているが故に、トランプ大統領やプーチン大統領が演じているパワーゲームにおいてはなす術がない。

 前駐中国大使だった垂(たるみ)秀夫氏は、2月7日の産経新聞に寄稿して次のように述べている。(資料11)

 「米国には自ら国際政治経済を守ろうとする発想などない。要するに、国際法を軽々と破ってウクライナを侵略するロシアのプーチン大統領、既存の国際秩序の変更を企む中国の習近平主席とトランプ大統領による新たな三国志演義が始まったのだ。」

 この指摘もまた正鵠を射ている。トランプ政権は米国第一主義であって、民主主義陣営を牽引することに興味はない。言い換えれば、そうせざるを得ない程にアメリカは衰退し分断が深刻化しているということなのだ。トランプ大統領、プーチン大統領、習近平国家主席が卓を囲む新たな三国志演義が始まるということは、国際法が形骸化することに他ならない。それは「日米関係が基軸」という前提が消滅することを意味する。その場合、日本は行動の基準を何処に求めるのだろうか。

エピローグ

 トランプ革命はまだ始まったばかりである。トランプ大統領の意識の根底には、戦後80年が経過するに至り、アメリカの国力が衰退し、分断が深刻化し、基幹産業が崩壊し、基幹産業に従事する労働者層の貧困化が進み、貿易赤字が常態化し、財政赤字が返済不能のレベルに急増したアメリカの極めて深刻な現状がある。それ故のMAGAなのだ。

 「LTやDEI、LGBTQ+などと、そんな念仏を唱えている間に世界の情勢は悪化した。戦争を3年も続けるとは実に馬鹿げた話だ。アメリカにはもはやそんなことに付き合っている余裕はない。一足先に一抜けてMAGAに専念することとした。欧州のことはEUの責任において巧くやったらいい。」・・・トランプ大統領の本音が聞こえてきそうだ。

 この続きとして「アジアのことは日本が責任をもってやればいい。片務的な日米安全保障条約は見直さなければならない。」という発言が懸念される。

 何れにしても、ウクライナ戦争の終結ができてもできなくても、トランプ大統領の4年間に世界情勢は劇的に変わることは間違いない。戦後80年の現在、歴史上の大転換が進行しているのである。果たして日本にはこの覚悟と準備ができているのだろうか。

参照資料:

1.Transcript of President Donald Trump’s speech to a joint session of Congress, 2025.3.6

2.「トランプが目指す常識の革命」、田中良紹、Yahoo、2025.2.26

3.「トランプが言った常識の革命」、Newsweek、2025.1.29

4.「米諜報界=DS潰れてウクライナ戦争も終わる」、田中宇、国際ニュース解説、2025.2.10

5.「トランプ大統領は権力亡者なのか」、田村秀男、産経、2025.3.4

6.「露は全土掌握できる」、産経、2025.2.23

7.「米露和解と多極化の急進」、田中宇、国際ニュース解説、2025.2.16

8.「プーチンの最終目標が見えた」、Newsweek、2025.2.26

9.「欧州:露和平に意欲なし」、産経、2025.2.22

10.「人ごとではない頭ごなしの停戦」、正論、産経2025.2.26

11.「首相は日本一外交を」、垂秀夫、産経、2025.2.7