戦後政治を改めるとき

トランプ大統領が目論むシナリオ

 トランプ大統領は国際社会の戦後体制をスクラップ・アンド・ビルドしつつある。この動きは冷戦後のアメリカ一強体制の終焉を意味する。トランプ大統領が目論むシナリオは概ね次のようなものだろう。

〔認識〕国内の分断とアメリカの弱体化が進んでいる。何れもこれ以上放置できない。

〔緊急対処1〕分断と弱体化をもたらした勢力(リベラル全体主義、ディープステートなど)を国内外から一掃する。

〔2〕連邦政府の無駄な支出を徹底的に削減する。

〔3〕不法移民を国外に追放する。

〔方針1〕戦後アメリカが維持してきた二つの覇権(軍事、通貨)の内、軍事覇権を放棄する。

〔2〕今後、欧州はEU/NATOに委ね、中東はイスラエルに委ねる体制を作り、アメリカはアメリカ大陸に引き籠る。

〔3〕中国はアメリカを脅かす唯一の脅威であり、今後は中国対処に力を集中する。

〔対策1〕第一に、双子の赤字(貿易赤字、財政赤字)の進行を食い止める。そのために即効性のある手段として関税政策を実行する。

〔2〕手段を尽くして中国の挑戦を退ける

〔3〕MAGA実現のためにドル覇権を維持する。ドルに代わる決済通貨を作ろうとするBRICSの動きを断固として阻止する。

 この中で対策の〔2〕と〔3〕は未だ顕在化していない。

 但し、トランプ大統領の思惑通りに進む保証はない。そう考える主な理由は三つある。

 第一に、ここまで進行した産業のグローバル化を元に戻すことはできない。中国から輸入してきた生活必需品を一時は排除できても、アメリカにはそれを自国で生産する基盤がない。

 第二に、如何なる手段を講じようとも、国内の分断の修復も、アメリカとBRICS諸国の対立回避もできないだろう。物理学の「エントロピー増大の法則」が示すように、放置すれば秩序が混沌に向かうことは自然の流れであり、混沌を再び秩序化するのは不可能である。

 第三に、アメリカが軍事覇権を放棄すれば、基軸通貨ドルに対する信認が低下し、ドル覇権体制の崩壊が進行する。

世界は多極化に向かっている

 国際情勢解説者を自認する田中宇氏は、4月22日付の「国際ニュース解説」の中で、『トランプが作る新世界』と題して世界は多極化に向かうとの自説を展開しているので、要点を紹介しよう。(資料3)

 <欧州とウクライナ戦争は英国と欧州に委ね、中南米はカナダとグリーンランドを含めてアメリカが地域覇権国となる圏に入り、中東はイスラエルを軸に再編される。アフリカは既にBRICSの傘下になりつつあり、東南アジアは米国から中国の影響下に移っており、南アジアはインドの勢力下に再編されるだろう。>

 <この変化の中で、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドは独自の影響圏を形成せず中国覇権下に入ることも拒むだろうが、アメリカは従来の対米従属を望まない。>

 現在メディアの関心事は専ら関税戦争の行方に集中しているが、相互関税の発動は、トランプ大統領が目論むシナリオの第1段にすぎない。既に述べたように、今後トランプ大統領の思惑通りに進むとは限らないが、アメリカの覇権体制が終わり、世界が多極化に向かっている潮流を止めることはできない。

戦後政治の致命的な欠陥

 前段で述べたように、喩えればM9級の巨大地震や大規模な火山噴火に匹敵する、地殻変動級の変化が世界で進行中である。やがて日本人の覚悟が問われる事態が東アジアで起きるだろう。日本は南海トラフ対応だけでなく、その危機事態に対する備えを万全にしなければならないのだが、戦後80年に及ぶ「平和ボケ」政治が手かせ足かせとなって立ち塞がっている。

 (株)大和総研名誉理事の武藤敏郎氏は4月25日の産経新聞紙面上で、『漂流する世界秩序、トランプ大統領登場の背景と影響』と題した対談の中で、戦後政治の深刻な問題点について次のように指摘している。(資料1参照)

 <米国は目的が非常にはっきりしており、目的達成のための行動、「合目的」的な行動を取る。場合によっては手続きも省略する。(これに対して)日本は「やるべきこと」が分かっていても、手続きが適切かどうかに関心が集まる。「結果がよければ良い」というのは絶対に認められない。>

<「失われた30年」において日本がしたことは徹底的な金融緩和と財政出動だった。カンフル剤を打っただけで本当の病巣は摘出しなかった。それでも「低賃金、低価格、低成長」という「ぬるま湯」のような経済に、政界、経済界、労働界とも安住し、血が流れる「構造改革」には手をつけないまま、時間だけが過ぎていった。この時間のロスが今の日本の大きな問題である。>

 典型的な失敗例をもう一つ上げよう。それは安倍首相が実施した二回の消費税増税である。安倍首相は消費税増税には反対だったにも拘らず、民主党野田政権時の与野党合意に縛られて、自らの信念を曲げて増税に踏み切ったのだった。

 この二つの事例は戦後政治に巣くう致命的な欠陥を象徴している。即ち「目的を明らかにして戦略を練る」思考をとらず、「過去からの継続性の中で対症療法を模索する」結果、抜本的な対策を講じられないという欠陥である。

 コラムニストの乾正人氏が、同じ4月25日の産経の紙面に、「安保タダ乗り論を持ち出して、在日米軍の駐留経費を日本がもっと負担せよ」と圧力をかけているトランプ大統領への対応を「恥」と断じている。(資料2参照)

 <戦後80年を経て未だに首都に広大な米軍基地があり、関東の西半分の空域を外国が管理しているのは恥としか言いようがない。・・・幸か不幸かトランプは、日米安保体制の根本的な見直しを迫っている。ピンチはチャンスだ。米軍への思いやり予算を増額するのは、下策中の下策。横田基地に限らず、多くの米軍基地を自衛隊基地とし、自衛力を強化すればいい。(さすれば)駐留米兵は激減し、米国の負担は劇的に減少する。>

 言うまでもなく、戦後政治80年の歴史における最大の汚点は未だに戦後レジームを払拭できていないことにある。これは歴代首相が取り組まなかっただけでなく、自民党政治家の責任放棄と断じざるを得ない。できなかった言い訳は山ほどあるに違いない。但し、その難題に挑戦する意思と活動が欠如したが故の不作為を不問とする理由は何一つ存在しない。

 一言で言えば、政治家にとってイロハのイは、「出来ることを精一杯やる」ことではなく、「やるべきことに挑戦して手段を尽くす」ことにある。前者には「出来なかった言い訳」が常に用意されているが、後者は責任放棄の退路を断っている点が決定的に異なる。

 政治家である以上、総理大臣を目指すのは自然のことだと思う。しかし総理を目指す意思のある政治家には、総理になって何を成し遂げるのか、果たして自分はその資質と能力を備えているだろうかと自問して欲しいものだ。

現状維持思考の限界

 長い間「防衛オタク」と言われてきた石破首相だが、安全保障の第一人者を自負するのであれば、歴代首相が放置してきたこの大きなテーマに何故挑戦しないのだろうか?

 想像するに、その原因は二つ考えられる。第一は、現在の日米関係を今後も保持することが望ましいと考えていることだ。

 第二は、過去の延長線と決別し、未来のために大英断を下す意思と胆力を持ち合わせていないことだ。多くの識者が指摘しているように、石破茂という政治家は「解説者としての発言」に終始していて、首相という立場からのコミットメントが殆どないのである。世界観、歴史観、国家観を持っていない人物に、日本国のビジョンを語れと期待することが無理なのだが、問題の本質は何故そういう人物が総理大臣に選ばれたのかにある。

 野党に限らず自民党の中にも、「日米関係は今のままの状態が今後も続くことが良い」と考える政治家は多いに違いない。「今のまま」というのは、①日本の防衛は今後もアメリカに守ってもらう、②そのために全国各地にある米軍基地を今後も提供する、③横田基地周辺の空域が米軍の管制下にある現状を今後も受容する、④憲法改正は今までと同様に棚上げすることを意味する。

 政治家諸氏がもし本気で「現在の日米関係を今後も保持することが望ましい」と考えているとしたら、トランプ大統領が起こしている変化に対する認識が根本的に間違っていると指摘せざるをえない。

 次節で述べるように、戦後想定してこなかった未曽有の危機が、大陸からの大津波として近未来に日本を襲う可能性が高まっている。少なくともそうした最悪の事態を想定した上で、「アメリカに従属してきた時代が終わる」のだと認識を改めることが、リアル・ポリティクスの一丁目一番地である筈だ。

アメリカ一強時代の終焉が起こす衝撃波

 ロシアがウクライナに軍事侵攻したのが2022年3月、トランプ第ニ期政権が誕生したのが今年1月だった。この二つの出来事を転換点として冷戦後の平穏の時代が終わり、世界は再び動乱の時代に突入した。今後どういう展開になるのか見通すことは時期尚早で、米中対立が激しくなるのかそれとも先に中国が内部から崩壊を始めるのか予測できないが、何れにしても東アジアの安全保障環境が激変することに変わりはない。

 トランプ大統領が世界に対して発信してきたメッセージは、アメリカ一強時代の終焉である。戦後アメリカに従属してきた欧州や日本に対し今後自立圧力を一層強めてゆくだろう。欧州に対しては既に今年2月14日にミュンヘンで開催された安全保障会議において、ヴァンス副大統領が「欧州大陸が直面する最大の脅威はロシアや中国ではなく(欧州)内部から来るものだ。」と発言して欧州を驚愕させた。今後米中対立が本格化すれば日本が対立の最前線に立たされることは明らかだ。

 さらにウクライナ戦争に北朝鮮が参戦したのと同時期に、韓国政治の混迷が深まっており、朝鮮半島情勢が一気に不安定化している。中国やロシアがその動きを利用しようと動けば、朝鮮半島は一気にきな臭くなる可能性がある。しかもアメリカとロシアが北朝鮮を核保有国と認めれば、東アジア情勢が一変するだろう。

 ウクライナと同様に、ロシアは3年を越える戦争で膨大な戦死者と未曽有の兵器の損耗に直面している。さらに戦争優先の経済が3年も続いており、民生経済への影響は相当深刻な筈だ。それに欧米による制裁の影響が長期間に及んでおり、難題山積していることは想像するまでもない。ウクライナ戦争が終結した後にその反動が起きる。かつてソヴィエト連邦が崩壊したように、今後ロシアの弱体化が進めばロシア周辺国の独立運動が顕在化するだろう。

 このように、ウクライナ戦争が終結に向かえば米中対立が本格化し、中国内部情勢、朝鮮半島情勢、ロシア周辺情勢へと、不安定化の波が衝撃波のように拡散してゆくだろう。

 政治家の多くは「であればこそ日米同盟を従来以上に強化しなければならない」と言うだろうが、欧州同様に日本がアメリカ従属体制を続けることをトランプ政権は受容しないだろう。もし今ヴァンス副大統領が日本に乗り込んできて、日本に対し「最大の敵は中国ではなく日本の内部から来るものだ」と政治家を前に演説する場面を想像してみたらいい。

 今後東アジア情勢は確実に緊迫化していくだろう。日本も戦後80年の体制が終わるのだと腹を括って、一足先に欧州がそうしているように、自己完結な外交・防衛力を構築するべく大胆に舵を切らなければならない。「時は今、アメリカ従属体制から脱却すべき局面」なのである。

 日本は戦後政治において二つの大きな失敗をした。その一つは「失われた30年」であり、歴代政権がとってきた「緊縮財政」という誤った政策によって国民は貧困化を余儀なくされた。他一つは戦後80年の間、「戦後レジームからの脱却」を棚上げしてきた結果、独立国の要件である「自立した外交と防衛のスピリット」をも喪失したことだ。何れも「やるべきことを実現するために手段を尽くす」政治を展開してこなかった故の失敗という他ない。

 そして現在、トランプ大統領が起こしている変化にどう対応すべきなのか。ここで対応を誤れば日本の没落は回復が困難となるに違いない。冒頭に述べたように、今後トランプ大統領が日本に要求してくることは、相互関税というレベルの話では済まないことは明らかだ。

アメリカ以上に衰退した日本、それを自覚しない日本

 クライテリオン5月号は、『石破茂という恥辱』と題した「日本的小児病の研究」を特集している。戦後80年の日本の民主主義の欠陥を指摘している。(資料4参照)

 <20世紀の歴史学者ホイジンガは、社会は前近代までは大人を中心に作られていたが、近代になって急速に大人たちが幼児化していると論じ、その現象を「文化的小児病」と名付けた。それから時代がずっと流れてきた今、小児病の最先端の国として日本があり、その行きつく果てに誕生したのが石破茂という政治家だ。>(藤井聡)

 <トランプの再登場で世界は目に見えて変わってきた。戦後アメリカの覇権の下に構築されてきたリベラルな国際秩序が崩壊を始めた。トランプは欧米の亀裂を意図的に作り出そうとしていて、喧嘩を売られたことで欧州各国の対抗心に火が付いた。一方石破政権はアメリカを怒らせないことしか考えていないように見える。>(柴山桂太)

 <石破茂は「○○しなければならない」という表現を多用するが、これはステートメントであって、コミットメントではない。自らの行為に関わる宣言ではなく単なる認識を口にしているだけなのだ。政治家ならコミットしろと思う。>(藤井聡)

 <外交の現場に約40年にわたって籍を置き、何人もの総理大臣に接してきたが、率直に言って支え甲斐があった総理は、中曽根康弘と安倍晋三の二人しかいなかった。確固とした歴史観、国家観を有し、外国の首脳に対峙して位負けすることがなかった。そんな二人とは比べようがないが、石破茂という人は鳩山由紀夫や菅直人と同じカテゴリーに分類・整理するのがふさわしい。>(山上信吾)

 残念ながら、何れも全く同感である。今日本は戦後最大の危機の渦中にあるというのに、石破首相は言葉を弄ぶだけで歴史観と国家観に基づく決断をする意思がないようだ。

 世界はトランプ大統領の一挙手一投足に右往左往している。しかし視点を変え、好き嫌いを排除して俯瞰してみたらいい。トランプ大統領は、「国内の分断と国力の弱体化」が深刻なアメリカを建て直そうと、誰が何を言おうが意に介せずに果敢に行動している。世界中を敵に回しても国益を追求するトランプ大統領、一国のリーダーとして立派ではないかと思うのだ。

 「失われた30年」の結果、日本はアメリカに劣らず国力の衰退が著しく、さらに「戦後レジームからの脱却」を棚上げしてきた結果、戦うスピリットをも喪失して漂流している。視野を日米の外において客観視すれば、その深刻な現状が見えてくる。今政権に求められるのは、トランプ再登板を千載一遇の好機到来と捉え、日本の戦後レジーム解消という難題を一気呵成に解決してしまおうという戦略的行動である。

 憲法改正、対米依存からの自立、米軍基地縮小と横田基地返還という戦後最大の未解決問題に本気で取り組むことが保守・自民党の責務である筈だ。この局面においてなお、それに挑戦しようとせず国内問題に埋没するようであれば、自民党は既に国益に有害なゾンビ政党になり果てたとみなす他ない。

戦後の議会制民主主義を改めるとき

 <日本の問題は、石破茂を総理大臣に選んだ自民党の問題であり、それを一定程度支持している世論の問題でもあり、彼の行動に対して本質的な批判を避けようとする知識人の問題でもある。>(柴山桂太)

 但し戦後80年の日本が現在抱える問題は、単に石破首相だけの問題ではない。事態はもっと深刻である。真の問題は石破首相が選任されたプロセスの中に潜んでいる。

 永田町では今、玉木首相待望論が与野党双方から台頭しているという。しかもその理由は二つあるという。自民党にはポスト石破の候補がいないことに加えて、自公連立政権が衆議院で少数与党となったために、新総裁を選出しても野党が首班指名を一本化すれば勝てないからだという。その結果与党も野党も玉木首相を推薦するのだと。

 投票で決まる以上勝たなければ意味がないのだが、この動きには本質的な要素が二つ欠落していることを指摘しておきたい。一つは、次の首相が備えるべき資質と能力に関する人物評価論の欠落である。「ポスト石破の候補がいない」というが、次期首相に求められるのは激変する世界情勢の中で各国首脳と渡り合い、日本の国益を守り、未来を切り開いてゆく資質と能力でなければならない。

 他一つは、名乗りを上げる候補者が、どういう世界観、歴史観、国家観を持ち、日本の未来像についてどういうビジョンを持ち、それを実現するために総理大臣になったら何に挑戦するのかをテーマに、候補者どうしが充分な議論を戦わせるステップの欠落である。

 総じて言えば、「小児病」と称される石破茂氏を選出した自民党総裁の選出のプロセス自体が、激変モードに入った世界情勢に全く適合していないことが問題なのだ。『石破茂という恥辱』という特集号は、戦後80年は世界が比較的平穏だった故に何とか旧態依然の政治で体裁を保ってきたが、トランプが起こしつつある激流の中でどうにもならなくなった日本の現状を論じている。これは政治家の問題であると同時に、旧態依然の政治を続けてきた「小児病」国家日本の姿なのだと。

 ウクライナ戦争の終結を誤れば、「ロシアという専制主義国に欧米という民主主義諸国が負けた」という重大な結果を招く。日本は「座して米欧に従う」という従来の姿勢を改めて、「日本ならどうするか」を真剣に考えなければならない立場にある。トランプ大統領の目論見を理解した上で、かつG7のメンバー国として、さらには東アジアに有事事態が転移したときの最前線に位置する国として、トランプ大統領に対し逆提案を行ってでも主体的に行動すべきであろう。その行動は近未来の東アジア事態に備える重要な布石になると同時に、「ポスト戦後80年」の時代の、新しい日米関係を模索する第一歩となるのだと信じて止まない。

参照資料

資料1:久保田勇夫-武藤敏郎対談、産経4/25

資料2:乾正人、石原慎太郎に学べ、産経4/25

資料3:田中宇、国際ニュース解説4/23

資料4:クライテリオン、5月号

ウクライナ和平後の世界

トランプ大統領の施政方針演説から読み解く

プロローグ

 トランプ大統領は就任から43日が経過した3月4日に、上下両院合同会議で施政方針演説を行った。この演説を紐解くことで、トランプ大統領が何処に立って、何を目指し、何と戦っているのかを読み取ることができる。以下、施政方針演説の発言からの引用箇所は<>で示した。(参照:資料1)

 トランプ氏は昨年11月6日に大統領選の勝利を確実にし、今年1月20日に第47代大統領に就任した。トランプ大統領は就任した1月20日に26本、1週間で36本、43日間で100本に近い大統領令(Executive Orders)に署名し、400以上の行政命令(Executive Actions)を発出して、「トランプ時間」と呼ばれる驚異的なスピードで政策を実行している。

「常識の革命」

 トランプ大統領が何処に立って、何を目指しているのかを知るキーワードは「常識の革命(Revolution of Commonsense)」である。

 大統領就任式のスピーチで、トランプ大統領は「アメリカの黄金時代が今から始まる」と述べ、「政府は信頼の危機に直面している。過激で腐敗した支配層が国民から権力と富を搾取し、国内の単純な危機さえ対処できず、国外では壊滅的な出来事の連鎖に陥っている」とバイデン前政権を激しく批判した。そして自らがこれから何をやるかを語る前に、「常識の革命が始まる」と述べた。(資料2)

 ニューズウィーク誌は1月29日の紙面で、「トランプ革命のポイントは庶民感覚に基づいているところにある」と書いている。「不法移民のこれ以上の無軌道な流入は防ぐべきで、連邦政府のDEI政策は行きすぎている、外国を貿易で儲けさせる前に自国の産業を立て直せ」という主張は確かに庶民感覚そのものだ。(資料3)

 さらに「革命は内政だけではないとして、トランプ大統領が唐突にグリーンランドやパナマ運河の領有を言い出したが、発想の根底にあるのは西半球(アメリカ大陸)至上主義だ。アメリカは今後西半球の防衛と外交に集中し、欧州やアジアから距離を置くだろう。NATOへの塩対応はその証拠で、今後日本に駐留米軍の経費負担を露骨に求めることがあれば、それもまた裏付けと考えていい。」と指摘している。(資料3)日本にとって重要なポイントである。

 施政方針演説の中で、トランプ大統領自身が「常識の革命」の一端だと述べて、43日間で取り組んできた成果を語っている。その主なものは次のとおりである。なお施政方針演説の和訳は、3月6日の産経新聞が掲載した紙面を参照した。

 <就任宣誓から数時間以内に、南部国境に国家非常事態を宣言した。そしてわが国への侵略を撃退するため米軍と国境警備隊を配備した。

 <就任直後に全ての連邦政府の採用を凍結し、全ての新しい連邦規制を凍結し、全ての外国援助を凍結した。>

 <グリーン詐欺を終わらせ、パリ協定から離脱し、WHOと国連人権委員会から脱退した。>

 <EV義務化を打ち切り、自動車産業の労働者と企業を経済的破壊から救った。>

 <連邦政府でDEI政策という暴政に終止符を打った。民間産業や軍においても同じだ。> 

 <公立学校から批判的な人種理論の毒を排除した。そして性別は男性と女性の二つだけであることを米国の公式方針とする大統領令に署名した。男性が女子競技に参加することを禁じる大統領令にも署名した。>

 「常識の革命」というように、共通していることは極端に行き過ぎた前政権の政策を全て白紙に戻して、アメリカの労働者階級の「常識」に戻す措置であることだ。一言で言えば、「リベラル全体主義」を徹底的に排除したということだ。

不法移民対策

 <就任直後に南部国境に国家非常事態(a national emergency on our southern border)を宣言し、米軍と国境警備隊を配備した。国土を守るためにこれらの脅威をどのように排除し、アメリカ史上最大の強制送還作戦(the largest deportation operation)を完了させるかを具体的に示した詳細な資金要請を議会に送った。>

 <それに比べて史上最悪の大統領だったジョー・バイデンの下では、4年間で2100万人に上る不法入国(illegal crossings)があり、殺人犯や麻薬の売人、ギャング、精神疾患者を含むほぼ全員が釈放された。>

 数値の正確性はともかく、4年間で2000万人を超える不法入国があったという事実は、そもそも理解を遥かに超えるものだ。それを放置してきた前政権は国を破壊してきたと糾弾されても、まともな反論は出来ないだろう。それでも2024年の大統領選挙では、トランプ氏が選挙人538人の内312人を獲得したのに対して、ハリス氏が226人を獲得したという事実もまた理解を超えている。バイデン政権の副大統領だったハリス氏に投票した人が7464万人(トランプ氏は7700万人)存在したことは、日本人の「常識」からすれば理解不能である。

連邦政府の暴走を止める

 <インフレ対策をさらに進めるため、エネルギーコストを削減するだけでなく税金の浪費を根絶する。その目的のために、全く新しいDOGE(Department of Government Efficiency、国家効率化省)を創設した。>

 <イーロン・マスクが率いるグループによって、多くの詐欺行為が発覚し、暴露され、直ちに終わらせた。我々は数千億ドルもの詐欺行為(hundreds of billions of dollars of fraud)を見つけた。>

 <現在何十万人もの連邦政府職員が出勤していない。この責任感のない官僚機構(unaccountable bureaucracy)から権力を取り戻し、米国に再び真の民主主義を復活させる。>

 <政敵に対し司法を武器化(weaponizing law enforcement)して執拗に攻撃することを実質的に止めさせた。憲法に基づく法の支配の下、公正、平等、公平な司法を取り戻すため、FBIと司法省を手始めに迅速かつ果断に行動してきた。>

 トランプ氏の大統領選への再出馬を阻止するために、バイデン政権下で行われた「司法の武器化」は外から眺めていても相当に酷いものだった。それを実行した司法省とFBIを最初の対象に選んだことは当然だ。DOGEが暴いた連邦政府に巣くう腐敗と詐欺の実態は、アメリカという国の統治機構の修復が途方もない難題であることを物語っている。

リベラル全体主義者の追放

 <馬鹿げたグリーン詐欺(the ridiculous green new scam)を終わらせた。我々が数兆ドル支出しているのに他国が負担しない不公平なパリ協定(the unfair Paris Climate Accord)から離脱した。腐敗したWHO(the corrupt World Health Organization)からも、反米的な国連人権委員会(the anti-American U.N. Human Rights Council)からも脱退した。>

 人類の近代史は戦争と革命の歴史として綴られている。その戦争や革命は自然発生で起きたものではなく、そのシナリオを描いた勢力がいて、資金と武器を提供した勢力がいた結果起きたものだ。ウクライナ戦争もその例外ではない。

 ウクライナ戦争を起こしたのはそもそも誰か?トランプ大統領は、軍事行動を起こしたのはロシアだが、ロシアをそそのかした勢力、或いはロシアが軍事行動を起こすことを知っていて抑止しなかった勢力を敵視していることが明らかである。バイデン大統領は事前にプーチン大統領が軍事侵攻に踏み切ることを示唆する発言を繰り返していことは事実であり、またゼレンスキー大統領はそれを知りながら軍事侵攻を抑止する行動を取らなかった。

 フリーの国際情勢解説者である田中宇氏が2月10日の「国際ニュース解説」で次のように述べている。(資料4)

 「リーマン危機後、G7は経済政策決定機能をG20に譲り、先進諸国が環境問題や人権問題などのリベラルな政策を決める枠組みになった。その後、先進諸国の温暖化や人権民主やジェンダーの政策は、人々に超愚策を強要するリベラル全体主義となった。」

 トランプ大統領は就任直後からDOGEを使って驚異的なスピードで米国内のDSに関与した政府高官を追放し、財務省からの活動資金の流れをストップさせた。

 ヴァンス副大統領は欧州に乗り込んで2月14日にミュンヘンで開催された安全保障会議で、リベラル全体主義化した西欧諸国の誤りを痛烈に指摘する演説を行った。また、ヘグセス国防長官はEUを訪問して、欧州諸国は防衛費をGDP比で現状の2%から5%に引き上げて、その金でウクライナ支援を継続することを要請し、米国は関与しない意思を伝達した。

 この一連の動きから判断すると、トランプ政権が最も敵視しているのは、国内においては社会を、国外においては世界を、意図的にかつ巧妙に誤った方向に誘導してきたリベラル全体主義勢力であることが明らかだ。

 「但しウクライナの和平合意が締結される5月頃には、欧州の英傀儡エリートは弱体化している。欧州議会では政権交代が進み右派が拡大しつつある。米国が抜けると欧州だけでウクライナを軍事支援する流れにはならず、米国も欧州も反英・反DSのトランプ系となってウクライナが終戦してゆく展開になりそうだ。」

 田中宇氏はこのように書いているが、ウクライナ戦争の終結を契機とし、トランプ第2期政権が歴史の転換点となって、アメリカ民主党政権、EU幹部、及び実際に政策を実行してきた官僚組織が一掃されてゆく展開となるだろう。重要なことはこの歴史的な大転換の後にやってくる世界がどういうものになるかだ。

誤ったイデオロギーの追放

 <我々は連邦政府でDEI(Diversity, Equity and Inclusion)政策という暴政に終止符を打った。民間産業や軍においても同じだ。我が国はウォーク(woke)には決して戻らない。>

 <我々は学校や軍隊からウォークネス(Wokeness)を排除しつつあり、それは既に社会から消えつつある。ウォークネスはトラブルであり、悪い言葉だ。我が軍の兵士たちは活動家や思想家ではなく戦士や戦闘員となり我が国のために戦う。(Our service members won’t be activists and ideologues. They will be fighters and warriors.)>

 〔注〕Wokeという用語は、当初人種・性・LGBTQ+など、社会的な差別に対する目覚めを表す俗語として使われたが、西欧の中道派・右派は、左派による排他的な運動やイデロギーに対する侮辱表現としてwokeを使うようになった。

 <公立学校がトランスジェンダーのイデオロギーを子供達に教え込む(indoctrinating our children with transgender ideology)ことを禁止した。子供達の性転換を恒久的に禁止、違法化し、子供が間違った体に閉じ込められているという嘘を永遠に終わらせる法案を議会に可決して欲しい。(This is a big lie. And our message to every child in America is that you are perfect exactly the way God made you.)>

 第二次世界大戦期におけるイデオロギーの対立は、民主主義対共産主義だった。それから約半世紀後にソヴィエト連邦が崩壊して、民主主義の勝利が確定したかに見えた。しかし共産主義は消滅することなく、現在のロシアや中国に代表される専制主義へと形を変えた。しかも民主主義対専制主義の対立の構図が残ったまま、民主主義陣営にリベラル全体主義やDEIというイデオロギーが蔓延った。こうして民主主義陣営の分断が進行した。

 トランプ政権は就任直後から不法移民対処と同時にイデオロギーを弱体化させることに精力的に取り組んだ。こうして就任後僅か50日で制圧の目途を立てたことになる。但し、イデオロギーを制圧することは困難であり、これによって国内の分断が収束に向かうとは限らない。

エネルギーと金属資源政策

 <就任初日に国家エネルギー非常事態(a national energy emergency)を宣言した。我々の足元には地球上のどの国よりも多くの黄金の液体(liquid gold、つまり石油と天然ガス)が眠っている。掘って掘って掘りまくれだ。>

 <今週後半、重要な鉱物やレアアースの生産を米国で劇的に拡大するという歴史的な行動も起こす。>

 トランプ大統領は何故レアアースに注目しているのか。その答えを産経新聞特別記者の田村秀男氏が3月4日の産経新聞「経済正解」に書いている。(資料5)

 「米国が中国の追随を許さないのは、生成AI等の半導体、それに戦闘機やミサイルなどの兵器だが、ここには重大な弱点がある。これらの製造は何れもレアアースやガリウム、アンチモンなどレアメタルを必要としている。リチウムイオン電池は電極に黒鉛を使っている。」

 ここで問題は、レアアース、ガリウム、黒鉛の生産量において中国がダントツの世界1位であり、アンチモンでは中国とロシアで世界の生産量を独占している。レアアース資源が豊富なグリーンランド獲得にトランプ大統領が意欲を表明したのも、ウクライナとレアアース資源採掘の取引に積極的なのも、地政学的な理由の他に希少金属資源の戦略的重要性を踏まえたものだ。

基幹産業の復活

 輸入品に対する一連の高関税措置は、国産に比べて安価で競争力の高い輸入品が大量に流入した結果、衰退を余儀なくされたアメリカの基幹産業を復興させることと、それによってラストベルトに働く労働者の生活基盤を改善することに狙いがある。

 <防衛産業基盤(defense industrial base)を強化するために、商業や軍事の造船業を復活(resurrect the American shipbuilding industry)させる。そのために、今夜私はホワイトハウスに造船に関する新たな部署を設置し、この産業を米国内に呼び戻すための特別な税制優遇措置を講じることを発表する。>

 日本製鉄によるUSスチールの買収が政治的に注目され、大統領マターとなったことは記憶に新しいが、アメリカ基幹産業の復活、そのためのエネルギー産業の復活、安価で安定したエネルギー供給がMAGAを実現する必須要件であることは言うまでもない。また造船業の復活は、防衛産業基盤を強化する意味で死活的に重要である。

中国政策

 実は3月4日に行われた施政方針演説には、驚くほど中国に対する言及がない。未だに具体的な対抗措置をとっていない。トランプ大統領は、本丸中国と対峙する前に搦手から手を打っている感がある。パナマ運河とグリーンランドに関する発言にその思惑が見て取れる。

 <国家の安全保障を一層強化するために、パナマ運河を取り戻すつもりであり、すでにその作業を始めている。パナマ運河は多くの米国人の血と財産を犠牲にして建設された(The Panama Canal was built by Americans for Americans, not for others.)ものであり現代のコストに換算すれば、米国史上最も高くつく計画でもあった。>

 <我々は国家安全保障及び国際的な安全保障のためにグリーンランドを必要としている。(We need Greenland for national security and even international security.)>

 対中政策に関しては、その全容が現時点で見えていない。今までのところ、トランプ政権は本気で取り上げていないし、表立った行動を開始していない。本丸と考えられる対中政策には満を持して臨もうとしているのか、それとも中国とは別のもっと大きな取引をしようとしているからなのか、現時点では判別できない。

 考えられる一つの可能性は、対中カードの切り札となるのがプーチン大統領であって、ウクライナ戦争の終結過程でプーチン大統領をとり込むまで、対中カードを切れないというものだ。

ウクライナ戦争の終結

 <ウクライナの野蛮な紛争終結のため精力的に取り組んでいる。この残忍な戦争では、何百万人ものウクライナ人とロシア人が不必要に殺され負傷した。米国はウクライナの防衛を支援するために数千億ドルを送金してきた。そんなことを今後5年も続けたいのか。>

 <欧州は悲しいことに、ウクライナを守るために費やした費用よりも、ロシアの石油やガスを買うために費やした費用の方が多い。アメリカは約3500億ドルを費やした。一方欧州が費やしたのは1000億ドルだ。アメリカからは大西洋の彼方の出来事であるというのに、この差は一体何だ。>

 <この狂気を止める時だ。殺戮を止める時だ。無意味な戦争(this senseless war)を終わらせる時が来た。戦争を終わらせたいのであれば、両陣営と話をしなければならない。アメリカがウクライナの主権と独立を維持するためにどれほどの支援をしてきたかを本当に評価している。(We do really value how much America has done to help Ukraine maintain its sovereignty and independence.)>

 2月23日に産経新聞は、FOXニュースラジオが主催したトランプ大統領のインタビュー記事を掲載した。インタビューでトランプ大統領は次のように注目すべき発言をしている。(資料6)

 ①ロシアには攻撃すべき理由はなかった。

 ②開戦当時自分が大統領だったなら戦争は起きなかった。ロシアを容易に説得できた筈だ。

 ③ゼレンスキー大統領は交渉カードを持たないまま開戦後の3年を過ごした。

 この指摘は正論であるが故に反論が難しい。何故なら歴史上の如何なる戦争においても、戦争を回避できる手段が存在しなかったという証明は困難だからだ。確かに、トランプ大統領のようにディールとカードをもって臨めば、軍事侵攻を抑止できた可能性はあったに違いない。但し、それも超大国アメリカだからこその話であり、ウクライナ対ロシアでは力の差は歴然であり、戦略意図をもったプーチン大統領を説得することは困難だったに違いない。

 それでもトランプ大統領の指摘はある意味正しいのかもしれない。トランプ氏の発想に立って考えれば、「国際社会のことは、戦争を含めて、大半はディールで解決できるものだ。それができない指導者は無能だ。」ということになる。

 しかしディールに哲学とプリンシプルが伴わなければ、単に儲ければいいというビジネスマンの思考になってしまうだろう。果たしてトランプ大統領はビジネスマンなのかそれともステーツマンなのか?ここを見抜くことが重要だ。ウクライナ戦争の和平合意にそれが反映されるだろう。

トランプ大統領が成し遂げたいこと

 トランプ大統領が成し遂げようとしていることは何か。施政方針演説を含め今までの言動から整理すると、たとえば次のとおりである。

 ①世界各地で戦争を起こし、国内で分断を推進してきたリベラル全体主義及びディープ・ステート(LT/DS)勢力を追放及び無力化する。

 ②ウクライナ戦争とイスラエル・パレスチナ戦争を早期に終結させ、アメリカは欧州から手を引き北米に回帰する。

 ③最大の脅威である中国を弱体化させる。

 ④従来のLT/DS勢力に代わり、国際秩序を担う体制を再構築する。この場合、LT志向が強いEUとは距離を置き、米露中による新ヤルタ体制を志向する可能性が高い。

 ⑤MAGAを強力に推進する。アメリカは巨額の財政赤字を抱えている。それを抜本的に改善する。そのために貿易収支を抜本的に改善しつつ、ドル覇権を維持する。BRICSの脱ドルの動きを阻止する。

 ⑥アメリカの基幹産業を再興し、アメリカの労働者の生活を改善する。

 我々は、トランプ政権が4年間、トランプ時間で爆走を続けるとしたら、世界はどのように変わるだろうかという問いについて真剣に考える必要がある。田中宇氏は、2月16日の「国際ニュース解説」で次のように述べている。(資料7)

 「米国は欧州と同盟して露中を敵視する米単独覇権の国から、露中と組んで欧州の間違いを懲戒する多極型世界で北米を代表する国に転向した。トランプは米中露を仲直りさせ、覇権主義のリベラル派を無力化し、戦争を終結させて、世界を安定的な多極型に転換する冷戦後の過程を完結させてゆくだろう。」

 トランプ大統領という人物は戦争の終結もディールと捉えている。利害得失をハッキリさせて、損得の構図をもとに解決しようとする。こう考えると相当に破天荒な発想の持ち主に見えるが、視点を変えてみれば、人類史における戦争は何れもが当事国間の歴史に刻まれた因果関係と利害の対立から生まれたものだ。それを終戦に導くとしたら相応に強引な発想と力の行使が必要になるだろう。

 エマニュエル・トッド氏が『欧州の敗北』と断定したように、欧米が科したロシア制裁は今までのところ顕著な結果をもたらしていない。バイデン政権とEUがリベラル全体主義に立って世界に同調行動を呼びかけたが、G7を除く主要国は同調せずBRICSにはせ参じたのだった。ロシアはBRICSの支援を得て、非ドル貿易によって経済と戦争を維持してきた。サウジアラビアはPDS(petrodollar system)の密約を破棄し、BRICSの新たなS(従来は南アフリカ)として露中側に接近した。このようにしてドル覇権体制が崩壊を始まり、世界の多極化動向がはっきりした。

プーチン大統領の思惑

 ニューズウィーク日本版はプーチン大統領が目指す目標について分析した記事を2月26日に掲載した。(資料8)

 「トランプ政権はプーチン大統領のウィッシュリストを1つずつ叶えるような姿勢を見せている。ピート・ヘグセス米国防長官はウクライナのNATO加盟の可能性を否定し、ロシアに占領された全ての領土を回復するという目標を放棄するようウクライナに促した。・・・ウィッシュリストの次の項目は、和平合意の締結前にウクライナに大統領選を実施させ、ゼレンスキー大統領を失脚させることだろう。」

 「(ロシア周辺国に対して)ロシアは一貫して同じ戦略を取ってきた。即ち選挙でロシア寄りの権威主義的な体制を誕生させ、そこに提供する資金を腐敗から作り出し、偽情報を拡散して支援するという戦略である。ウクライナが早期の選挙実施に追い込まれれば、ロシアはまたこの手段を使うだろう。ロシアが支持する候補者は完全な勝利を収める必要はない。ロシアとしてはウクライナを分裂させ、ロシア寄りの候補者にも勝機があることを示せればいい。これは短期的には、ウクライナ国民を戦争から解放し平和へと続く道に見えるかもしれない。だが長期的にはウクライナをロシアの影響下に引き戻す可能性もある。」

 これは驚くべきことだ。プーチン大統領は長期戦略で動き、トランプ大統領は短期成果を追求するとしたら、長期的にロシアが有利となるからだ。しかし同時に、ウクライナを分裂させロシア寄りの集団を育てるために、3年に及ぶ戦争をする必要があったのかという疑問が生じる。その間にロシアが失ったものは余りにも大きい。

 インフレが10%に達し、それを抑制するために金利を21%に設定するなど、ロシア経済が被った打撃は相当深刻である。例えば、戦争経済の長期化、シリア政権崩壊、NATOの結束と軍事力の大規模な増強、ロシア圏諸国におけるロシア離れの長期的動き等だ。恐らくプーチン大統領はウクライナに軍事侵攻すれば、ゼレンスキー大統領は短期間で失脚し、ロシアよりの勢力が台頭すると読んだのだろう。この誤算のツケをロシアはこれから払ってゆくことになる。

トランプ・シナリオの落とし穴

 産経新聞は2月21日に閉幕したG20会議について22日に報じている。(資料9)

 EUのカラス外交安全保障上級代表は、「米露間の接触の様子を見る限り、ロシアはウクライナの領土を可能な限り獲得するという目標を放棄していない。もし侵略者に全てを差し出せば、世界の全ての侵略者に同様のことをして構わないという合図を出すことになる。」と述べてトランプ政権を批判した。」

 カラス氏の指摘は正鵠を射ている。トランプ大統領がプーチン大統領の戦争責任を不問にして、対中国政策や他の目的のためにプーチン大統領と手を組むとしても、この問題を解決しなければならない。

 東京大学准教授の小泉悠氏は、2月26日の産経新聞正論で「人ごとではない頭ごなしの停戦」という記事を載せている。(資料10)

 「ロシアは2014年~15年に最初の軍事介入を行っており、これに対して二度のミンスク合意が結ばれた。だが、第1次ミンスク合意は数カ月しかもたず、第2次合意は(2022年の軍事侵攻によって)7年で破られた。現場レベルの小規模な停戦合意違反は20回以上に及ぶ。この経験を踏まえるなら、言葉の上でだけロシアに停戦を約束させるのでは不十分である。」

 「日本はたまたま米国にとって(対中国の)最重要正面に位置しているのであり、安全保障への米国のコミットメントを今後とも当然視する確固たる根拠はもはやあるまい。1979年の電撃的な米中和解を思い起こすなら、大国が我々の頭ごなしに地政学的構図を一気に書き換えてしまうということは十分にありうる。」

 戦争をさっさと終結させることを考えても、トランプ大統領には正義という発想はない。ロシアをG8に戻すという発想には、軍事行動を起こしたロシアを裁くという認識が欠落している。もしトランプ大統領のシナリオに従ってウクライナ戦争が終結に向かえば、「侵攻された方に隙があり、抑止する力がなかったのだから諦めろ」という裁きとなるだろう。そしてそれは「アメリカ覇権の時代が終わったということはそういうことなのだ」という、世界に対する警告となるだろう。

 G7にロシアを加えてG8とするというトランプ大統領の意向と、プーチン大統領を戦争犯罪で裁く法定を作ろうとしているEUの意思は両立できない。正義と秩序を重視するEUはG8案に賛同しないだろう。もしトランプ案に妥協すれば、国際法を踏みにじったプーチン大統領とロシアの責任を無罪放免とすることになるからだ。

 東京裁判を持ち出すまでもなく、歴史に残る事件は多かれ少なかれ正義とは無関係に裁かれてきた。トランプ大統領は国際秩序の正義には興味がない。かくして欧州とトランプ大統領の離反は決定的となるだろう。G8以前にG7が瓦解してゆく展開となりかねない。

 トランプ大統領とプーチン大統領に共通していることは、利害関係でのみ行動することと、行動すると決めたら誰が何を言おうが意に介しない胆力がある点だ。逆にトランプ大統領の言動を非難している欧州のリーダーは正義感という錦の御旗のもとで利害を追求しているが故に、トランプ大統領やプーチン大統領が演じているパワーゲームにおいてはなす術がない。

 前駐中国大使だった垂(たるみ)秀夫氏は、2月7日の産経新聞に寄稿して次のように述べている。(資料11)

 「米国には自ら国際政治経済を守ろうとする発想などない。要するに、国際法を軽々と破ってウクライナを侵略するロシアのプーチン大統領、既存の国際秩序の変更を企む中国の習近平主席とトランプ大統領による新たな三国志演義が始まったのだ。」

 この指摘もまた正鵠を射ている。トランプ政権は米国第一主義であって、民主主義陣営を牽引することに興味はない。言い換えれば、そうせざるを得ない程にアメリカは衰退し分断が深刻化しているということなのだ。トランプ大統領、プーチン大統領、習近平国家主席が卓を囲む新たな三国志演義が始まるということは、国際法が形骸化することに他ならない。それは「日米関係が基軸」という前提が消滅することを意味する。その場合、日本は行動の基準を何処に求めるのだろうか。

エピローグ

 トランプ革命はまだ始まったばかりである。トランプ大統領の意識の根底には、戦後80年が経過するに至り、アメリカの国力が衰退し、分断が深刻化し、基幹産業が崩壊し、基幹産業に従事する労働者層の貧困化が進み、貿易赤字が常態化し、財政赤字が返済不能のレベルに急増したアメリカの極めて深刻な現状がある。それ故のMAGAなのだ。

 「LTやDEI、LGBTQ+などと、そんな念仏を唱えている間に世界の情勢は悪化した。戦争を3年も続けるとは実に馬鹿げた話だ。アメリカにはもはやそんなことに付き合っている余裕はない。一足先に一抜けてMAGAに専念することとした。欧州のことはEUの責任において巧くやったらいい。」・・・トランプ大統領の本音が聞こえてきそうだ。

 この続きとして「アジアのことは日本が責任をもってやればいい。片務的な日米安全保障条約は見直さなければならない。」という発言が懸念される。

 何れにしても、ウクライナ戦争の終結ができてもできなくても、トランプ大統領の4年間に世界情勢は劇的に変わることは間違いない。戦後80年の現在、歴史上の大転換が進行しているのである。果たして日本にはこの覚悟と準備ができているのだろうか。

参照資料:

1.Transcript of President Donald Trump’s speech to a joint session of Congress, 2025.3.6

2.「トランプが目指す常識の革命」、田中良紹、Yahoo、2025.2.26

3.「トランプが言った常識の革命」、Newsweek、2025.1.29

4.「米諜報界=DS潰れてウクライナ戦争も終わる」、田中宇、国際ニュース解説、2025.2.10

5.「トランプ大統領は権力亡者なのか」、田村秀男、産経、2025.3.4

6.「露は全土掌握できる」、産経、2025.2.23

7.「米露和解と多極化の急進」、田中宇、国際ニュース解説、2025.2.16

8.「プーチンの最終目標が見えた」、Newsweek、2025.2.26

9.「欧州:露和平に意欲なし」、産経、2025.2.22

10.「人ごとではない頭ごなしの停戦」、正論、産経2025.2.26

11.「首相は日本一外交を」、垂秀夫、産経、2025.2.7

トランプ氏は誰と何と戦っているのか

すんなりと決着した大統領選

 多くの識者が、アメリカ大統領選が行われた11月5日は騒乱の前夜となると予測していた。だが、実際にはすんなりとトランプ元大統領が勝利した。

 10月30日に公開した『分断から内戦に向かうアメリカ』では、次のように書いた。

<もし大統領選でトランプが再選されれば、ひとまず右派の決起は避けられるが、間違いなく左派の暴走が起きるだろう。逆に2020年の大統領選挙、2022年の中間選挙に続いて今回も露骨な選挙不正が行われてハリスが勝利することになれば、民兵組織にとって我慢の限界を超える事態となるだろう。

 何れにしてもアメリカ社会の分断は沸騰点に到達しようとしており、どちらが勝利しても騒乱が避けられず、最悪の場合には武器をとって撃ち合う事態に発展する可能性が高い。

 さらに得票数が僅差となれば、敗れた方が「選挙不正があった」と騒ぎ出すことが充分予測される。「2020年の大統領選で、民主党陣営による郵便投票を悪用した大規模な不正が行われた」というのは仮説の域を出ていない。「そんなバカな」と思う人にとっては陰謀論に聞こえるだろう。しかし今回の選挙結果に対して、「選挙不正があった」と非難する声が上がるとすれば、その背景に「2020年の選挙不正」の疑惑が解明されないまま封印された事実があることは明らかである。>

 だが「11月5日の大統領選ではトランプ氏が圧勝した。さしたる騒乱は起きなかった。めでたしめでたし」とはならない。そう断言する根拠は三つある。第1に国際社会は混乱の極みにあること、第2にトランプ対DSの戦いは何一つ終わっていないこと、そして第3に国内の分断問題は何も解決されないまま放置されていることだ。〔注〕DSについては後述。

 ところで予想は何故外れたのだろうか。三つの要件が同時に成立したからである。つまり、第1にトランプ氏が大勝したこと、第2にハリス氏があっさりと敗北を認めたこと、そして第3に2020年の大統領選と異なり、トランプ氏の勝利を阻止する実力行使が行われなかったことだ。

 この中で謎は第3である。三つの可能性が考えられる。

 第1は、トランプ氏が圧勝した(312対226)ために覆す手段が存在しなかったか、もし強行すれば民兵組織が全国規模で銃をとって立ち上がる等、右派のリアクションが大きすぎて内戦が勃発してしまうため、実施できなかったというものだ。

 第2は、そもそも選挙戦の途中でバイデン大統領を引きずり降ろし、ハリス副大統領に交代させた手順は相当に荒っぽいものだった。バイデン大統領の耄碌ぶりも聞くに堪えないものだったし、ハリス氏に至ってはもし正規の民主党の大統領候補の選定手順を踏んでいたら、決して候補には成り得なかったと思われる程、大統領候補としての適性を欠いた人物だった。従って民主党陣営も早い段階から「今回は勝てない」ことを予測していた可能性が高いというものだ。

 第3は、バイデン政権下の3年余において国際情勢・国内情勢共に、混沌・混乱が増大しアメリカの覇権体制が揺らぎ始めたことが鮮明になった。我々の認識とは異なり、DSから見れば「バイデン大統領は良く任務を果たしてくれた」と評価をしていて、後は「トランプさん、お手並み拝見だ。」と高みの見物を決め込んでいるのかもしれない。

 後述するように、最も可能性が高いのは第3の理由である。

バイデン政権下で変化した国際情勢(概観)

 バイデン大統領政権下で変化した国際情勢を俯瞰してみよう。バイデン大統領が就任したのは2021年1月である。それ以降に発生した6つの重大事件を時系列で拾った。

 第1は、米軍のアフガニスタンからの全面撤退である。2021年の8月31日にアフガニスタンに駐留していた米軍最後の軍用機がアフガニスタンを離陸した。アメリカは2001年にアフガニスタンに部隊を派遣しタリバン政権を排除して、20年に及ぶ軍事作戦に終止符を打って、タリバンにアフガニスタンを明け渡して撤収したのだった。

 第2は、2022年2月24日に起きたロシアによるウクライナへの軍事侵攻である。

 第3は、2023年10月7日に起きたハマスによるイスラエルへの軍事テロである。

 二つの戦争は何れも長期化して拡大し双方に相当の死傷者が発生したが、現在に至るまで終結の目途は立っていない。

 第4は、SWIFTを武器化して制裁に使ったことだ。最初の事例は、イランの核開発に対する国連安保理による制裁決議に基づいて、EUが中央銀行を含むイランの25の銀行に対しSWIFTのサービスを停止したもので、2012年のことである。続いて、ウクライナ戦争を始めたロシアに対しても制裁の一環としてEUとアメリカはロシアの主要銀行をSWIFTから追放する措置をとった。ちなみにSWIFTとは「国際銀行間通信協会」の略称であり、この組織が提供する国際金融取引の決済ネットワークシステムである。

 第5は、ロシアが欧米からの制裁に対する対抗措置として、ドルに依存しない原油等の貿易決済システムを中国と組んで作ったことだ。今ではBRICS諸国に呼び掛けて「BRICS通貨」を作るべく奔走している。BRICSは西側諸国・G7に対抗する仕組みとして、当初の五ヵ国に加えて、アラブ首長国連邦、イラン、エチオピア、エジプトが参加して九ヵ国となり、さらにサウジアラビアが参加を検討中である。

 そして第6は、PDSの失効である。アメリカは1972年のニクソンショックにおいて、ドルと金の兌換を一方的に停止した。それと並行してアメリカは1974年にドル覇権を維持するために、サウジアラビアと『ワシントン・リヤド密約』を結び、アメリカが安全保障を提供する代わりに、原油の取引を全てドルで行う体制を構築して、ドルの覇権体制を再確立した。これをPDS(Petro Dollar System)という。それから50年が過ぎて、2024年7月にサウジアラビアは密約の破棄を決定した。こうして半世紀にわたってドル覇権の支柱となってきたPDSは消滅した。

 ここで重要なことは、以上の6つの事件は相互に無関係に起きたものか、それとも共通のシナリオのもとに引き起こされたものかだ?

バイデン政権下で変化した国内情勢(概観)

 バイデン政権下で悪化した国内情勢については幾つも事例を挙げることができる。思いつくままに列挙すれば、第1に不法移民が急増したこと、第2にフェンタニル中毒患者が急増したこと、第3に中間層から貧困層に没落した人口が増加したこと、第4に大都市において凶悪犯罪が増加して治安が悪化したこと、そして第5に左派と右派の間の分断が深刻化したこと等々だ。

 『分断から内戦に向かうアメリカ』で既に書いたように、バイデン政権下の2021~24年の合計で730万人もの不法移民がアメリカ国内に流入した。メキシコと国境を接するテキサス州は「これは侵略であり、連邦政府は州を防衛する憲法上の義務を放棄している」として独自の州法を成立させて逮捕と強制送還に乗り出した。このように「バイデン政権が政策として不法移民の流入を促進してきた」ことは明白である。

 分断問題の根源は、左派による行き過ぎたポリティカル・コレクトネス(PC)活動と、LGBTなどのマイノリティの権利を過剰に要求する活動にあった。既にトランプ氏は米軍から全てのトランスジェンダー軍人を追放する行政命令を出すことを公言している。

 アメリカ国民の多くが陰湿なPC/LGBT攻撃の標的にならないようにじっと我慢してきたのに対して、唯一攻撃を跳ね返す存在であり続けたトランプ氏が、圧倒的多数の支持を得たことは至極当然と思われる。トランプ氏は大統領就任以降、バイデン時代に浸透したPC/LGBT攻撃を認めない政策を次々に打ちだすことが予想され、大統領選では決起のタイミングを失った左派が、その政策に反応して騒動を起こす可能性が高まることが予測される。

 分断がここまで深刻化した責任は一体誰にあるのか。11月30日の産経新聞「産経抄」に、バイデン大統領が就任する2021年1月に安倍元首相が語ったエピソードを紹介していてとても興味深い。

1)トランプ氏が分断を生んだのではなく、アメリカ社会の分断がトランプ大統領を生んだ。

2)その分断を作ったのはリベラル派であり、オバマ政権の8年間だった。

3)オバマ政権下で、リベラル派が我こそ正義とばかりにPC(政治的正しさ)を過剰に振りかざしてきた。誠にこのとおりだと思う。

 問題は一体バイデン政権は何故このような政策を推進したのかだ。

バイデン政権は何を推進したのか

 このように俯瞰した上で結果から判断すると、2021年1月に就任したバイデン政権がこれまでに推進してきたことは、ドル覇権体制を崩し、アメリカを弱体化させ、国内外の秩序を不安定にし、世界を多極化させるシナリオの一環だったのではないかという疑念が生じる。ウクライナ戦争に関しては、ロシアがウクライナに軍事侵攻することを黙認しただけでなく、ウクライナに武器を供与してロシアとの代理戦争をさせ、戦争を長期化させて消耗戦となるように仕向けたのではなかったか。

 いついかなる戦争においても、戦争の当事国の他に、戦費と兵器を提供する集団が存在する。当事国は戦争で疲弊する一方で、彼らは戦争で大きく儲けてきたことは歴史が証明するところである。

 ロシアに対するSWIFTからの追放という制裁は、ロシアがSWIFTに代わる国際取引の決済手段を構築することを促した。その間にPDSが消滅し決済の「非ドル化」が進んだ。この一連の事件は、ドル覇権を瓦解させる方向で符号している。

 では一体バイデン大統領は何故そんなことを推進したのだろうか。この疑念は、バイデン政権の背後にDSの存在があると解釈すれば説明が付くのである。同時に2020年の大統領選挙で郵便投票を悪用した大規模な選挙不正を行ってまでバイデン大統領を誕生させた理由も、また今回の大統領選では実力を行使しなかった理由も、全て説明が付くのである。

 これを書いている12月1日に、驚愕する情報が飛び込んできた。アメリカのNBCニューズ他のメディアが11月30日、トランプ次期大統領が自身の「Truth Social platform」に以下のコメントを書いたと報じたのである。

 <BRICS諸国には、新しいBRICS通貨を作らないこと、もしくはドルに代わる他の通貨を支持しないとの確約を求める。さもなくば100%の関税を課すことになり、素晴らしいアメリカ市場との商いに別れを告げることになるだろう。>

 これはトランプ次期大統領が、「ドル覇権体制の瓦解はバイデン政権下で進められた」と認識していることを示すと同時に、そんなことは断じて許さないという強い警告を発したものである。手段の是非や適否はともかく、これはトランプ氏が切ったカードであり、BRICS加盟国はロシアをとるかアメリカをとるかの二者択一を迫られることになるだろう。

 本来BRICSは、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの頭文字を綴った略称であるが、最近ではSはサウジアラビアだと言われてきた。サウジアラビアはBRICS加盟に色気を出しており、トランプの脅しは、PDSを解消し、BRICS加盟に走ろうとしたサウジアラビアを牽制するものである。

トランプ対DSの戦いとは何か

 DSとはどういう存在なのか。お断りしておくが、国際情勢を見るときには、軽々に陰謀論というレッテルを貼って思考停止に陥らないことが賢明である。世界で勃発する事件は何れも偶発的なものではなく、それを仕掛けた勢力がいて、シナリオを書いた勢力がして、それで儲ける勢力がいると考える方が真相に近い。あの太平洋戦争ですらそうであったことは、6月9日に公開した『思考停止の80年との決別第3部』で書いてきた通りである。

 DSの存在は、トランプ氏が公言したことから広く認知されるようになった。概念的に捉えれば、ここでは大統領の指示にも面従腹背する官僚組織の幹部層、特に司法省やFBI或いは国防総省の幹部に、国際金融資本家や軍産複合体、さらにはグローバリズムの推進者を等を括った集団と理解しておくこととする。

 アメリカの近代史を振り返ると、総じて戦争を起こすのは民主党で、それを共和党が収拾するという役回りだった。今回もそうなりそうだ。バイデン政権の時にウクライナ戦争とイスラエル・パレスチナ戦争が起き、トランプ次期大統領がそれを終結させることになるからだ。

 世界の近代史においては、戦争が起きるとその当事者双方に戦費を高利で貸し付ける金融資本家が存在した。日本がロシア相手に戦った日露戦争においても、戦費のほとんどは、グローバルに事業を展開する英国と米国の投資銀行を介して、ロンドンとニューヨークで調達されている。今も昔も戦争によって大きく儲ける集団が存在しているのである。

 さらにいえば、世界には秩序よりも混沌、安定よりも不安定を望む集団が存在する。最近の事例を挙げれば、リーマン・ショックやコロナ・パンデミック、或いは資源インフレや大規模災害が発生したとき、各国の政府が巨額の補正予算を組んで対応したことは記憶に新しい。騒々しい世の中になるほど多くのマネーが流通し、そのマネーに群がる集団が暗躍することは事実である。

 コロナ・パンデミックが世界を襲った時、巨額の利益を上げたのは主にワクチンを提供したアメリカの企業だった。各国は言い値で人口分のワクチンを買い漁ったことも事実である。

 二つの世界大戦を契機に大英帝国からアメリカに世界の覇権が移動して、戦後アメリカは世界の覇権国として君臨した。特に米ソ冷戦時代には、共和党のレーガン大統領がソ連に対して軍拡競争を仕掛けて、ソ連邦を経済的に破綻させて崩壊・解体に追い込んだ。それ以降アメリカ1強時代が到来した。

 アメリカ1強は安定の時代であり、テロやゲリラ戦争を除けば国と国の戦争は減少した。アメリカ1強体制が揺らいで多極化に向かえば、世界は不安定となり、地域紛争が起こりやすくなる。戦争で儲けようとする集団にとっては、アメリカが弱体化することが望ましいのである。さらに付言すれば、M7(マグニフィセント・セブン)のようなグローバリストにとっては、もはや国家は様々な制約を課す存在でしかないということである。

 既に書いてきたように、飽くまでも結果から判断すれば、バイデン政権下で顕在化したドル覇権の崩壊とBRICS結束強化の動きは、世界を不安定化させる要因である。バイデン政権はその不安定化を促進しようとし、トランプ次期大統領はそれを許さないことを宣言した。

 こう考えると、トランプ氏が目指しているのは、MAGA(アメリカを再び偉大な国にする)ことであり、そのためにドルの覇権を維持し、それに挑戦する国の登場を容認しないということだ。これを構図として捉えれば、DSにとってトランプ氏は敵以外の何物でもないことになる。

アメリカの覇権が限界に近づいている

 来年2025年は世界大戦終結から80年、ドルと金の兌換を停止したニクソンショックから53年、PDSが成立しドル覇権体制が維持されてから50年、そしてアメリカ1強体制が始まったソ連邦崩壊から34年になる。この間にアメリカの力の衰えが徐々に顕在化し、バイデン政権を含めて世界が多極化の方向に向かう動きが見えてきた中で、2025年1月にトランプ第二期政権が誕生する。ドル覇権体制の維持を巡るバトルの幕が開けることになる。

 ここで、マネーがどれほど世界に溢れているか。資料1他を参照してデータを整理してみよう。

・世界の債務:377兆ドル(2010年の80兆ドル)

・アメリカの財政赤字:1.83兆ドル(FY2024)で、前年度比8.1%増加

(コロナ渦のFY2020の3.13兆ドル、FY2021の2.77兆ドルに次ぐ過去3番目の規模)

・アメリカの財政赤字/GDP比:6.4%(FY2024)で、前年度の6.2%から悪化 

・金に対するドルの価値:市場価格は1オンス=2000ドルで、ブレトンウッズ会議(1944)から80年間で1/57に減価

・流通するドルの総量:米国内に5~6兆ドル、世界では(推定)50~100兆ドル

〔注〕FY:会計年度、アメリカの場合10/1~9/30

 ここで、特に注目すべきは次の三点である。

 ①世界全体の債務は、2010年からの15年間で4.5倍に増加した

 ②アメリカの財政赤字は年に約1.8兆$(約270兆円)で年々増加し、GDP比でも増加した。

 ③世界に流通するドルの総量は、推定でアメリカ国内の約10倍以上ある

 そもそもアメリカがドル覇権国であるということはどういうことだろうか。エネルギーに留まらず世界貿易において決済通貨としてドルが使われていることであり、貿易を行うために世界がドルを必要としていることである。つまりドルの需要が世界中にあるためにアメリカは米国債やドル紙幣を幾らでも印刷できる特権を保有している。

 ブルームバーグの12月3日の記事によれば、国際決済銀行(BIS)が2022年に発表した3年に1度の調査結果によると、外国為替市場取引の規模は1日に7.5兆$ありドルのシェアは約88%に上るという。(参照:資料2)

 覇権国の特権と引き換えに、アメリカは世界最大最強の軍事力を保有し、世界中に米軍基地を保有してプレゼンスを保持している反面、世界最大の財政赤字を抱えているのである。年間1.8兆ドルもの財政赤字を出しているにも拘わらず、毎年巨額の米国債を買い続ける国があることによって、米国のドル覇権体制が維持されてきた。

 しかしながら、この特権はいつまでも続かない。何故なら過去に発行した国債の償還額が年々増大し、財政赤字の増大によって新規発行の国債額もまた増加の一途にあるからである。国債の買い手が存続する限りドル覇権を維持することは可能だが、買い手がいなくなった途端にアメリカは予算を組めなくなり、ドル覇権は終了することになる。

 では米国債の保有者はどこにいるのかと言うと、資料1によれば、約40%が中国、約30%が日本、約15%がサウジアラビア、5%が英国、残り10%がその他であるという。発行済みの米国債の総額は一説に16兆$と言われるが、本当のところは分からない。

 この体制の存続を脅かすリスクは、既にアメリカの内外で顕在化している。外部リスクは二つある。まずアメリカは中国を世界最大の敵とみなしており、トランプ氏は関税戦争を仕掛けようとしていることは周知の通りである。次にサウジアラビアはアメリカと締結してきたPDSを破棄しBRICSに参加しようとしている当事者である。中国もサウジアラビアもアメリカに対して米国債を売却するというカードを保持しており、もし大量に売却すれば、その時点でアメリカのドル覇権は崩壊してしまうのである。

 次に内部リスクとして考えられるのは、アメリカが国債の償還に応じられなくなる事態である。もしそうなればドルの信認は一瞬にして消滅しドルは暴落するだろう。

 こう考えるとき、トランプ新大統領が掲げるMAGAの実現は、ドル覇権を維持することが大前提であって、相当難しい舵取りが要求されることが分かる。

近代資本主義も限界に近づいている

 1月31日に公開した『終焉を迎えるバブル経済と資本主義(3)』において、そもそもバブルとは何か、現在進行中の金融資本主義というバブル、アメリカ債券バブルと中国土地バブルについて論じた。以下に要点を引用する。

 <政府が財政赤字を増加させてきたことがバブル経済を生んだ最大の原因だった。そして金融市場に供給された巨大なマネーがパワーを持って、政治経済や戦争にまで強大な力を行使してきたことが、資本主義の歪みを増大させてきた原因だった。

 この過程でバブル膨張と崩壊のサイクルが繰り返され、サイクルを繰り返すたびにバブルは膨張した。そして現在、アメリカと中国で連動してバブル崩壊が起きようとしており、さらに住宅や不動産市場のバブル崩壊を経て、次は債券市場でバブルが崩壊しようとしている。バブル崩壊の規模において、現在は最終かつ最大のバブル崩壊が起きる前夜にある。>

 「円キャリートレード」と呼ばれる取引がある。「超低金利の円建てで資金を借り入れ、円をドルに換えて、高金利のドルで投資して稼ぐ取引」であり、円とドルの為替レートと日本と米国の金利差を巧みに利用する投機ビジネスである。

 特に最近では不動産バブルが崩壊し、経済の失速が鮮明になった中国からマネーが一斉に引き揚げられて、高金利を維持しているアメリカに還流して、米国市場の株式、証券、不動産市場でバブルを膨張させてきた。こうして世界が成長の低迷に喘ぐ中でアメリカだけが成長を続けようとしている。

 「バブルの膨張に必要なのはマネーの流入と市場である」と言われる。現在の状況は、超低金利の日本が資金を提供し、高金利のアメリカが市場を提供する形でバブルが成長してきた。ここで重要なことは、バブル形成に日米両政府が当事者として関与している事実である。

 この点において、過去に起きたバブル崩壊と、これから起きるバブルの間には決定的な違いがある。

 ①まず政府の立ち位置が違う。過去において政府・中央銀行の役割はバブル発生の被害を局限化するための対策を講じる立場だった。しかし、近未来ではそもそも政府・中央銀行がマネーの供給者としてバブルの当事者に連座しているために、被害を局限化する立場になく、救済手段を講じることができない。

 ②次に起きることが予測されるのはM7バブルの崩壊であり、国債の発行や償還ができなくなる「債券バブル」の崩壊である。特に国家が国債の新規発行と償還ができなくなる事態は、「国家のデフォルト」に他ならず、国が借金を踏み倒す事態となる。

 資料1によれば、現在アルゼンチンを筆頭に世界の70ヵ国がIMFや世界銀行、或いは他国からの融資を返済できなくなる事態に陥る可能性が高いという。国家が破産するという事態は、バブル経済でやってきた近代資本主義の行き詰まりと捉えることができるのではないだろうか。

 トランプ次期大統領はBRICSに対してドルに代わる通貨の登場を許さないと警告したが、それはドル覇権の維持が次期政権にとって死活的な要件であることを吐露している。同時に、バブル経済でやってきたアメリカ覇権体制が限界に近付いていることの証左でもある。

 もしアメリカで債券バブル崩壊が起きれば、それは世界の金融市場に壊滅的な打撃を及ぼすことになり、バブル経済を前提としてきた近代資本主義が破綻する事態となるだろう。このように、トランプ第二期政権は、資本主義の歴史においてマネーが膨張し過ぎた危機的な時代に登場することを肝に銘じておかなければならない。

エピローグ(トランプ氏は現代のドン・キホーテか)

 最後に、トランプ氏は一体誰と、或いは何と戦っているのか私見を述べて締め括りたい。

 第一は、アメリカの国内事情という戦場において、民主党・左派・DS集団に対して、「行き過ぎたイデオロギーを是正して、本来のアメリカを取り戻す」戦いだった。オバマ政権以降の民主党政権下では、過剰かつ過激な「PC、LGBT、多様性の要求」というイデオロギーが国内に蔓延していた。その過激な風潮の中で被害者となった労働者階級、中産階級、或いは正規の手続きを経てアメリカ市民となった移民層のために、本来のアメリカを取り戻そうという戦いを挑んだのではなかったか。

 第二は、国際社会における戦いでは、グローバリズム、中露イランに代表される専制主義、地球温暖化というプロパガンダ、それとマイノリティが権利を声高に要求する場と化したさまざまな国連機関等に対して、アメリカのナショナリズムと国益を取り戻す戦いだった。そのように思える。

 そして第三は、アメリカ1強という時代にあって、世界の「3K(きつい、汚い、危険)」の任務をアメリカに押し付けてきたNATOや日本を含む同盟国に対して、平和と安全と繁栄を追求するのであれば、応分の負担をし役割を担えと要求する戦いである。それが嫌ならNATOから脱退し、米軍基地を引き払うというカードを切り、ディールに臨もうとしている。

 そのように俯瞰すると、戦後80年間、覇権体制を担ってきたアメリカが莫大な財政赤字を抱えて予算を組むことすら危ぶまれる瀬戸際に立っている現実が見えてくる。誠に「トランプ氏は現代のドン・キホーテを演じようとしている」そう思えるのである。

 日本は戦後アメリカに従属して経済的繁栄を享受してきたのだが、トランプ第二期政権の誕生に臨み、そんな甘い認識では戦後80年以降の「一歩間違えば戦乱再びもあり得る」激動の時代を生き抜いてゆくことは出来ないと断言しておきたい。

 アメリカ1強体制にひびが入った戦後80年以降に、一体どういう国際社会を作るのか、秩序と平和と繁栄を維持する仕組みをどう再構築するのか、そのために日本はどういう役割を担うのかという命題に真剣に向き合い、日本のオプションを用意しなければならないのだ。

 「アメリカが押し付けた憲法」の制約をできない言い訳とし、その大役から逃げ回ってきた過去はトランプ第二期政権誕生と同時に吹き飛んでしまうのだと覚悟を決めなければならない。トランプ氏と巧くやっていく方法はそれ以外にはありえない。日本は今その瀬戸際に立っている。

 最後に触れておきたい。トランプ第二期政権において首席補佐官に就任することになっているスーザン・ワイルズ(Susan Wiles)という女性(1957年生)がいる。大統領選でトランプを圧勝させた名参謀との評価が高い人物である。今まで述べてきたように、トランプ第二期政権を待ち構える国際情勢・国内情勢は、何れも混乱の極みにあるのだが、そのような絶体絶命の状況にあって、ワイルズ氏はホワイトハウスの舵取りを担うことになる。トランプ氏といい、ワイルズ氏と言い、世界を背負い時代を担う人物が登場するところに、アメリカの凄さと健全さを垣間見えるのである。

参照資料:

資料1:「米国債の巨額踏み倒しで金融統制が来る」、副島隆彦、徳間書店、2024.7

資料2:「ドルを武器化するトランプ氏、BRICSへの無用な挑発になる恐れ」、Bloomberg、2024.12

分断から内戦に向かうアメリカ

プロローグ

 アメリカ大統領選までカウントダウンとなった。過去には共和党と民主党が雌雄を決する戦いを繰り広げてきたが、近年では共和党支持者と民主党支持者の間の対立が激化して、アメリカ社会の分断が深刻化してきた。

 その根底には、アメリカ社会を構成するマジョリティの変化とマイノリティの増加がある。すなわち建国以来アメリカ社会の有権者の大半は白人層だったが、その後に起きた二つの大きな変化によって、アメリカは白人が市民のマジョリティの地位を失う最初の民主主義国家となる見込みだ。これはアメリカ歴史における大事件と言うべき変化だ。

 その二つの変化とは、奴隷の身分だった黒人層が公民権を獲得したことと、アジアや南米他からの移民が大規模に増加したことである。近年ではそれに加えて不法移民の急増がアメリカ社会にとって脅威となっており、アメリカ大統領選の重要な争点となっている。

 11月5日に迫ったアメリカ大統領選は、トランプ氏対ハリス氏、共和党対民主党、右派対左派(リベラル)対立の構図となっている。右派には何れも民兵組織のオース・キーパーズ(Auth Keepers)やⅢ%ers(Three Percenters)、左派には過激派のアンティファ(Antifa)やバーン(BAMN)が陣取っている。さらにキリスト教原理主義者(Christian Fundamentalists)と白人労働者層が右派の岩盤層を形成しており、片やディープ・ステートが民主党の背後に控え、フェミニストやマイノリティ層が左派の岩盤層を形成している。

 アメリカを分断させた両陣営が今まさに激突しようとしている。オバマ大統領以降、大統領選を経るたびに両陣営の対立は激化してきたが、今回の大統領選ではトランプ氏、ハリス氏の何れが勝っても騒乱が避けられない状況となっている。

 本資料を書くにあたって、全般的に歴史研究家のマックス・フォン・シュラー氏が書いた資料1を参照した。

1.分断の起源と歴史

 分断は2016年の大統領選にトランプ氏が登場した頃から深刻化してきた。但しトランプ大統領誕生が分断の原因ではない。分断はアメリカの歴史の中で形成されてきた現象であって、もっと根が深い。資料2が分断の起源と深刻化してきた経緯について論じているので、要点を以下に整理する。

1)アメリカの分断は2001年の同時多発テロを起源とする。平和を志向するリベラルと、報復を主張する保守の対立が現実のものとなった。

2)2008年にリーマンショックが起きた。事態の早期収拾を図るための公的資金投入に対する賛否を巡って分断が深まった。

3)冷戦後グローバル経済が拡大したのと相まって、アメリカを牽引する産業が「油まみれの」産業から知的産業へ、主役の交代が起きた。加えて2009年にはオバマ大統領が誕生し、白人層からマイノリティ層へ主役交代が鮮明になった。

4)人口構成におけるマイノリティ層の増加とそれによる白人層の相対的減少は、二大政党の支持層の構成を大きく変容させた。即ちマイノリティが民主党に結集し、「取り残された人々」やキリスト教原理主義者は共和党へ結集して、分断の構図が明確になっていった。

2.移民の国アメリカ

 アメリカは移民の国であり、基本的にアメリカ市民は移民に対し好意的である。主な理由が二つある。第一に、建国以来絶え間なく移民が流入して人口が堅調に増加し、力強い経済成長を遂げてきたアメリカの歴史がある。そして第二の理由は、優秀な移民がイノベーションの担い手となってきたことである。

 もう一つ重要な事実は、アメリカには移民を受け入れるフロンティアが常に存在したことだ。まず建国以来の歴史には「西部」というフロンティアが存在した。西部開拓の時代が終わり土地というフロンティアが消滅した後も、アメリカは移民を受け入れながら新たなフロンティアを次々に開拓していった。自動車産業はアメリカが土地に代わるフロンティアを産業分野に求めた代表的な例である。この結果、いわゆる「油まみれの産業」が成長して多くの労働者を吸収していった。

 しかし、この領域は世界との競争分野だった。とりわけ戦後の日本やドイツとの間で品質と価格を巡る熾烈な競争が起きた。さらにGDPで日本を抜いた中国が台頭すると、「油まみれの産業」分野でのアメリカの市場支配力は衰退していった。

 次にIT分野の開拓とグローバリズムの推進によって、アメリカは再び市場の支配力を取り戻した。しかしながらIT産業では、マグニフィセント・セブン(Magnificent Seven)に代表される一部の企業が桁外れの利益を稼ぎ出す一方で、「油まみれの産業」で働いてきた白人労働者層はアメリカ社会のマジョリティの地位から滑落して「取り残された人々」となった。

 目覚ましい経済成長を遂げてきたアメリカはその後も世界中から移民を呼び寄せ続けた。その結果アメリカでは人種や主義の多様化(Diversity)が進み、マイノリティの権利を主張する運動が活発になった。左派が展開してきた運動の背景には「マイノリティの増大とダイバーシティの拡大」という潮流がある。

 資料3は現在の左派と右派の対立を、左派の牙城であるカリフォルニアから、しかもリベラルな視点から俯瞰したものだ。サンディエゴ大学のバーバラ・ウォルター教授はこう述べている。「アメリカが世界の牽引役であるとすれば、カリフォルニアはアメリカの牽引役である。(左派と右派の対立が激化したからと言って)アメリカは歴史の終局点に立たされている訳ではないと信じる。むしろ刮目すべき新時代の始点に立っているのだ。」

 この自負や良しだが、事態をかなり楽観視し過ぎているように思える。ウォルター教授はカリフォルニア州を「移民とインクルージョン(包含)の先進政策州」と評しているが、一方でカリフォルニアが直面している課題に眼を転じれば、ホームレス数は全国の1/4を占め、所得格差は全米で4番目に大きく、治安が極度に悪化している現実がある。治安の悪化はBLMの主張から警察を目の敵にして予算を削減してきた結果であり、カリフォルニア州が直面する深刻な課題は、「マイノリティとダイバーシティ」に係る、行き過ぎた政策を推進してきた民主党政権が招いた結果である。

3.2024年大統領選を巡る分断

 資料4は、破局に向かっている分断の背景について、次のように分析している。

1)民主主義を支えるには憲法、裁判所、規範が必要だが、米国では規範が崩れた

2)規範が崩れたのは二大政党の支持層が変わり、政党の分極化が進んだからだ

3)分極化が進んだ背景には、この半世紀に二大政党の支持基盤に起きた三つの巨大な変化がある

 ここで「三つの巨大な変化」とは、以下のとおりである。

1)1950年代後半~60年代前半の公民権運動の結果、選挙権を獲得した多数の黒人が民主党員になった

2)中南米やアジアからの移民の大半が民主党員になった

3)この動きと同時に、両党に分かれていたキリスト教福音派がレーガン政権以来圧倒的に共和党支持となった

 こうして今や民主党は都市で暮らす教育を受けた白人と、人種的マイノリティや性的マイノリティの混合体となった。ここまでの経緯を見てくると、民主党政権がマイノリティ層に対して手厚い政策を講じてきた背景に、支持基盤を維持するためという動機が働いていることが分かる。

 これに加えて、不法移民の急増と、民主党陣営による民主主義の規範の破壊によって、分断はトランプ対民主党、右派対左派の対立として先鋭化していったのである。左派と右派の双方に責任の一端があるにせよ、分断を作為的に煽ってきたのは、民主党による執拗な「トランプ攻撃」であり、熱狂的な左派によるPC活動だったことは明らかである。

 「トランプ攻撃」の代表的なものは、以下の三つである。

①トランプ大統領が就任した直後(2016~)から展開された「ロシア・ゲート事件」

②バイデン政権が誕生した2020年の大統領選挙における郵便投票を悪用した組織的な選挙不正

③2024大統領選に向けて司法当局が行ったトランプ氏の再登板を阻止しようとする執拗な「司法の武器化」

 ちなみにロシア・ゲート事件とは、2016年の大統領選挙において、ロシアがサイバー攻撃等による世論工作を行ってトランプ大統領の勝利を支援したという疑惑だが、2019年に公開された連邦政府の特別検査官による報告書では、ロシアが介入した証拠はないことが結論付けられている。

 このように大統領選挙は左派と右派が激突する最大のイベントとなっているが、その根底に左派によるPC(Political Correctness)活動、LGBTやブラック・ライブズ・マター(BLM、Black Lives Matter)に代表される「マイノリティの権利とダイバーシティの拡大」を主張する過剰な活動が横たわっていることは明らかだ。

4.分断を促進した左派

 資料1の中でシュラー氏は、「アメリカ人は完璧に差別がない社会を作ろうとする。自分の価値観を他人に強要する攻撃手段としてPCが編み出された。PCを振りかざして誰かを告発しようと躍起になる人達はSJW(社会正義の闘士、Social Justice Warrior)と呼ばれている。この性癖故に、アメリカ人は他国と共存することが出来ない。それどころか、自分の国の中でも共存できていない。些細なことを問題にして自分の国を破壊している。」と分析している。

 民主党支持層として活動する主な集団には、マイノリティの権利を執拗に主張し、PC、LGBT、BLMなどの活動を展開しているフェミニスト集団と、過激派集団のアンティファとバーン、それとアメリカの支配階級であるディープ・ステートが名を連ねている。資料1を参照して、それぞれの集団について以下に簡潔に説明する。

 まずフェミニストの活動は反ベトナム戦争から始まったウーマン・リブの流れを組むものである。彼らは社会を変える手段として学校教育を選び、小学校レベルから子供達を洗脳する教育をやってきた。この結果、現在のアメリカの教育システムは、過渡に敏感で自分勝手な人間を作り続けている。彼らは年齢的には大人だが、精神的にはとても幼稚で、どんな苦労も我慢することができない。

 次にBLMは全国的な黒人の権利主張団体である。彼らの活動は警察官に黒人が射殺された事件に抗議することから始まったが、問題なのは射殺された黒人男性の大半が犯罪者であることだ。BLMという運動は本格的な共産主義の形を見せている。民主主義において社会を変化させるための方法は政治的な活動と選挙なのだが、現在の左派はそれを無視して自分たちの価値観を他にも強制するために暴力を扇動している。

 アンティファとバーンは反トランプの中心的なグループで、正当に抗議を行う組織ではなく、いわゆる過激派集団である。アンティファは反ファシズムのグループとして1980年代に欧州で始まった。バーンは「By Any Means Necessary」の略語で「どんな手を使ってでも」という意味であり、1995年にアメリカで創設された。

 ディープ・ステートは組織ではなく、アメリカ上層部を形成する国際金融資本家、企業や官僚や軍のトップ層、それと大手メディアのトップで構成される。彼らは連携して行動する訳ではないが、共通点は戦争や危機を仕組んで大きく儲けようとする集団であることだ。

5.不可解な不法移民問題

 資料5によれば、トランプ政権下だった2017~20年には不法移民の流入数は累計でマイナスだったのが、バイデン政権下の2021~24年の合計で730万人に上った。特に2023~24年は240万人/年と急増している。この数字には政府の監視の目を潜り抜けて入国した逃亡者(推定数百万人)は含まれていない。

 これだけでも想像を絶する数字だが、さらに不可解なことに、資料1は不法移民が国境に到着すると、5,000ドルのデビッドカード、米国内の希望する都市への無料航空券、携帯電話がアメリカ連邦政府から支給されているという。

 この事実から、「バイデン政権が政策として不法移民の流入を促進してきた」ことが明白である。問題はバイデン政権が促進政策をとったのは一体何故かだ。マイナス面が甚大であるのに対してプラス面が見当たらないのである。民主党政権を支持する岩盤層がマイノリティとなった現状を踏まえると、不法移民に有権者登録をさせて民主党候補に投票させてきたという見方も否定できない。もしそうであるとしたら、民主党政権は支持基盤を厚くするために、国益を大きく毀損する政策をとってきたことになる。

 深刻化してきた不法移民の流入を巡って、州政府と連邦政府の対立が激化してきた。メキシコと国境を接するテキサス州は2023年12月に不法越境を犯罪とする州法を成立させて、州による逮捕と州裁判所による送還命令を可能とした。これに対しバイデン政権は、「州に移民を制限する権限はない」とする訴訟を起こし、係争中は施行を差し止めるよう最高裁に要求した。最高裁は連邦政府の要求を退け、暫定的ながらテキサス州法の施行を容認した。(CNN、3月20日)

 資料6によると、テキサス州のアボット知事(共和党)は、州法を整備した上で、殺到する不法移民を阻止するために州兵と州警察を動員して実力行使に乗り出した。アボット知事の認識は、「テキサスは侵略に直面しているにも拘らず、連邦政府が州を防衛する憲法上の義務を放棄している」とするものだ。今年1月の世論調査によると、米国の有権者の65%が国境問題は単なる危機ではなく侵略であると捉えている。

6.トランプを支持する右派

 民主党政権が480万人もの不法移民を受け入れた結果、安い賃金でも働く不法移民に仕事を奪われて、多くのアメリカ市民が中間層から貧困層へ転落しただけでなく、大都市の治安が極度に悪化した。これは民主党政権の重大な責任であるとして、移民政策に異議を唱える集団の代表が民兵組織ミリティア(Militia)である。オース・キーパーズとⅢ%ersがその代表的集団だ。

 アメリカの民兵組織は、政府の統制を受けないボランティア部隊で、完全に独立していて、大半のメンバーが連邦政府を敵とみなしている。しかもミリティアは元軍人であるので規律を重んじ、組織行動をとっている。民主党の政策の結果、彼らは貧困化しており、熱狂的なトランプ支持層となっている。オース・キーパーズには3万人のメンバーがいると言われる。名前の由来は「憲法で約束された自由を守る」からきている。Ⅲ%ersの意味は独立戦争で3%のアメリカ人が戦ったことに由来する。

 右派の中で注目すべき団体はキリスト教原理主義者である。キリスト教原理主義者は、キリスト教信者の中でも最も厳格に聖書の教えを信じ守ろうとする集団である。キリスト教原理主義には三つの波があった。植民地時代、南北戦争の前、そしてベトナム戦争後の現在である。以前と異なり現在の波は、現代の信者たちが政治的な主導権を取り戻そうとしていることにある。

7.大統領選投票日から起きる事態

 大統領選挙を契機として起きることが予想される左派と右派の衝突は、第二の南北戦争(Civil War)と称される様相を示すだろう。左派の実行部隊はアンティファやバーンであり、右派の実行部隊はオース・キーパーズとⅢ%ersに代表される民兵組織だ。左派と右派の双方が数万人規模の集団であり、アメリカでは武器が自由に手に入るので、ひとたび衝突すれば大惨事となる。

 客観的に比較すると、左派の実行部隊はいわゆる過激派でトラブルを起こすことは出来てもアメリカ社会を支配する能力はない。資料1でシュラー氏は「アンティファやバーンは単に甘やかされた子供達であり、フェミニストは大都市の外では何の力も持っていない」という。それに対して民兵組織は元軍人の集団であるから、ひとたび民兵組織が立ち上がればもはやFBIの手に負える事件ではなくなると指摘する。

 さらにオバマ政権の時にPCの波は軍隊にも持ち込まれて、軍隊組織においても男女平等、LGBT等マイノリティ重視が徹底された結果、アメリカ軍は深刻な混乱状態に陥った歴史がある。アメリカ軍を弱体化させた、行き過ぎた政策に不満・反感を抱く軍人が多く、もし民兵組織が立ち上げれば、現役の軍人が民兵組織に共鳴し合流することが予測される。

 もし大統領選でトランプが再選されれば、ひとまず右派の決起は避けられるが、間違いなく左派の暴走が起きるだろう。逆に2020年の大統領選挙、2022年の中間選挙に続いて今回も露骨な選挙不正が行われてハリスが勝利することになれば、民兵組織にとって我慢の限界を超える事態となるだろう。

 何れにしてもアメリカ社会の分断は沸騰点に到達しようとしており、どちらが勝利しても騒乱が避けられず、最悪の場合には武器をとって撃ち合う事態に発展する可能性が高い。

 さらに得票数が僅差となれば、敗れた方が「選挙不正があった」と騒ぎ出すことが充分予測される。「2020年の大統領選で、民主党陣営による郵便投票を悪用した大規模な不正が行われた」というのは仮説の域を出ていない。「そんなバカな」と思う人にとっては陰謀論に聞こえるだろう。しかし今回の選挙結果に対して、「選挙不正があった」と非難する声が上がるとすれば、その背景に「2020年の選挙不正」の疑惑が解明されないまま封印された事実があることは明らかである。

 アメリカの選挙の正確性は、僅差に耐えられるほど厳格なものではない。衆議院選挙が10月27日に行われ、翌28日の早朝には選挙の集計結果が公表される日本とは明らかに別物である。従って、もし有権者が集計結果に疑義を主張し、僅差で敗れた方が結果を信用しないという行動に出れば、それは選挙制度の崩壊、さらには民主主義の崩壊に繋がるものだ。そして有権者の怒りが、第二の南北戦争となって生起すれば、アメリカは修復不能な事態に突入することになる。正に今回の大統領選はアメリカにとって剣が峰なのだ。

8.没落するアメリカ

 今アメリカで進行している事態は、建国以来のアメリカの歴史と文化がもたらした結果である。今まで述べてきたように様々な要因があるが、沸騰点に向かっているアメリカ騒乱の大元の原因の一つは左派による行き過ぎたPC運動にあることは事実である。オバマ大統領はあろうことかアメリカ軍にまでPCを持ち込んだ。常軌を逸しているという他ない。

 原因のもう一つは、バイデン大統領が推進した数百万人に及ぶ不法移民の流入増加である。資料5によれば、2024年2月末に実施されたギャロップの世論調査は次の通りだった。

1)米国が直面する最重要課題が移民と答えたのは、共和党支持者52%、民主党支持者12%、無党派層21%

2)現在の移民急増を、危機と認識しているのは45%、大きな問題と認識しているのは32%、合わせて77%

3)政府の取り組みに対しては、非常に悪い/悪いと答えたのは共和党支持者で89%、民主党支持者でも73%

4)対策については、共和党支持者の77%が「不法移民の強制送還を増加」、72%が「国境の壁の拡張」

 アメリカ国民の大多数がPCで糾弾されることを恐れて沈黙してきたのに対して、唯一PC圧力に屈しない人物が登場した。それがドナルド・トランプだった。右派、とりわけマイノリティとなった白人層(特に労働者、元軍人など)にとってトランプ氏は救世主なのであり、今回の大統領選はアメリカが本来の姿を取り戻すラストチャンスとなったのである。

 かくして左派と右派の激突は不可避となった。歴史的に俯瞰すると、この衝突は1920年代にドイツからアメリカに逃れてきたマルクス主義の哲学者グループが「フランクフルト学派」を創設して種を蒔き、共産主義思想をもつ過激な左派がアメリカ国内に蔓延してきたという流れを変えられるかどうかの「関ケ原の戦い」なのだ。

9.「思考停止の80年」と決別する好機

 先に『思考停止の80年との決別』の連載を書いた。(「激変する世界」参照)来年は戦後80年の節目である。世界情勢が激変している今こそ、日本人が自発的・自律的に行動して戦後体制を刷新すべきだという主張として書いた。

 不幸なことに、「戦後レジームからの脱却」を唱えた安倍晋三元総理は暗殺されてしまった。しかし今、世紀の大転換が外からやって来ようとしている。トランプ氏とハリス氏の何れが大統領になっても、アメリカは騒乱状態となることが避けられず、国内秩序を取り戻すことで精一杯となるだろう。

 もし騒乱の原因を作った民主党が政権を維持する展開になれば、騒乱は内戦に発展する可能性を排除できないばかりか、ウクライナ戦争やイスラエル対イラン戦争を調停する役割も力もアメリカに期待できない事態に陥る。アメリカが没落し、鎮めるものが不在の世界の大騒乱の時代を迎えるだろう。

 飽くまでも日本からの視点ではあるが、アメリカが本来の姿を取り戻すためにも、また国際秩序を取り戻すためにも、トランプ大統領が再選されることが望ましい。トランプ氏なら、国内の騒乱状態を鎮めつつ、二つの戦争を終結に導く采配を期待できるかもしれない。しかしその場合でも、トランプ大統領は同盟国日本に対し、安全保障面でも経済面でも過去とは次元の異なる要求を突き付けてくる可能性が高い。

 こう考えると、日本は衆議院議員選挙の結果に右往左往している余裕など全くないのである。国内の混乱を手際よく収めて、目を大きく見開いて国際情勢の激変に備えることこそ、有事のリーダーが備えるべき要件である。

 『国防の禁句』という本がある。防衛省の幹部だった島田和久元事務次官、岩田清文元陸上幕僚長、武居智久元海上幕僚長の三氏が書いたもので、その冒頭には「誰が次の大統領になろうと(米国の)影響力の衰退は隠しようがなく、現状を所与のものと受け止め、日本は戦後初めて自分の足で立たなければならなくなった。そして自ら脳漿(のうしょう)を絞って、進む方向を考えなければならない」と書いているという。全く同感である。(産経新聞10月27日に紹介記事)

参照資料:

資料1:「内戦で崩壊するアメリカ」、Max von Schuler、ハート出版、2024.2月

資料2:「米国社会の分断は危険水域、大統領選後に第二の南北戦争勃発の可能性、その背景とは」、冷泉彰彦、Wedge Online、2024.10.21

資料3:「第2の南北戦争という内戦を回避できるのか」、サンディエゴ大学教授、バーバラ・F・ウォルター、東洋経済オンライン

資料4:「なぜアメリカはここまで分断したのか、3つの巨大なうねりに答えがある」、ハーバード大学教授、スティーブン・レビッキー、World Now、2020.10.6

資料5:「バイデン政権下で流入する730万人の不法移民」、前田和馬、第一生命経済研究所、2024.4.15

資料6:「内戦2.0-連邦政府とテキサス州との間で激化する対立の背景とは?」、マイケル・ハドソン研究所、2024.1.25

トランプ演説を読み解く

はじめに

 以下の事件が相次いで起きて、アメリカ大統領選の流れが激変した。

 ①6/27にジョージア州でバイデン、トランプの討論会が開催され、バイデン大統領の老化ぶりが明らかになった

 ②7/13にトランプ氏に対する暗殺未遂事件が起きた

 ③7/15にトランプ氏が正式に共和党の大統領候補指名を受けた

 ④7/21にバイデン大統領が大統領選撤退を表明した

 ⑤カマラ・ハリス氏が民主党の大統領候補として指名される公算が高まった

 トランプ氏は7月15日に開催された共和党大会で公式に指名を受けて受諾演説を行った。多分に誇張や演出が含まれているものの、大統領になった時の公約となるものであり、丁寧に読み解いてみたい。講演の全文が以下に掲載されているので、これを参照した。

Read the Transcript of Donald J. Trump’s Convention Speech」, the New York Times, 2024.7.27

トランプ氏に対する暗殺未遂事件

 この事件については演説の冒頭でトランプ氏自身が状況を説明しているので、簡潔に紹介する。

・狙撃犯の銃弾があと1/4インチ(約6ミリ)ズレていたら命はなかった

・射撃の直前に頭を少し右に回転させたことによって、弾丸は右の耳を貫通しただけで頭を直撃する致命傷を回避する ことができた。奇跡的だった。

 狙撃犯からトランプ氏までの距離は約130mで、銃弾は極めて正確にトランプ氏の頭を捉えて発射されていた。トランプ氏が軽症で済んだのは神がかりという程に、極めて幸運だったという他ない。

 この暗殺未遂事件については、以下の資料がアメリカで行われている真相解明の動きを報道している。

 資料1:「トランプ暗殺未遂事件の続報」、朝香豊、現代ビジネス、7/22、8/5

 資料2:やまたつカナダ人ニュース、7/15、7/17、7/23、8/4

 資料3:「米上院、トランプ氏暗殺未遂事件巡り公聴会 主なポイント」、CNN、7/31

 この事件に関する重要なポイントは、バイデン政権が関与した可能性だ。シークレットサービス(SS)のチートル長官、ロウ長官代理、アバテFBI副長官らが上院の公聴会で相次いで証言しているが、これにより明らかになった事実は以下のとおりである。なおチートル長官は公聴会の翌日に辞任を表明した。

1)狙撃犯のクルックス(Thomas M. Crooks)がAGRビルの屋上にライフルを構えている姿を銃撃の20分ほど前に地元警察のSWATが確認していたが、事前に無力化する行動をとらなかった。SSは指示を待たずに狙撃犯を射殺することが許可されているが、SWATは地元警察(背中にPOLICEの表示)であり、指示がなかったので発砲しなかった可能性がある。

2)クルックスは警備区域を出入りしていたが、終始ノーマークだった。演説会場上空にドローンを飛ばしたり、演説台までの距離をレーザー測距機で測定していたり、AR-15ライフルをカバンに入れて持ち込んだりしたことが分かっているが、誰にも制止されていない。

3)さらにSSと地元警察の連携に重大な問題があった。SSの認識では演説会場内がSSの分担で、狙撃場所を含む会場の外は地元警察の分担だった。しかしSSは当日朝行われた地元警察との調整会議を含め、事前調整を全て欠席していた。通常ならSSからSWATに対し事前にブリーフィングが行われるが、この日は行われなかった。さらにSS、SWAT、その他警備担当が使用する通信手段がバラバラだった。このため地元警察がSSに危険を伝達することができなかった。

 この事件の核心は、これが幾つもの不備が重なった「杜撰な警備」だったのか、それとも敢えてクルックス容疑者を泳がせて容疑者の発砲を放置したのかという点にある。当日のSSの行動については、SWATから疑問の声が上がっているだけでなく、SSの狙撃者対処部門からの内部告発メールがSS内に配信されている。このように一連のSSの不可解な行動の裏にバイデン政権から何らかの指示があったのではないかという疑惑が現実味を帯びている。

司法の武器化

 3月に行われた募金活動において、バイデン大統領はトランプ氏を指して、「実存する脅威(existential threat)が一つある。それはドナルド・トランプだ」と述べている。また6月27日の討論会では「人類に対する唯一の実存的脅威は気候変動であり、トランプの勝利は地球にとって壊滅的なものになるだろう。」と述べている。

 資料4:「Democrats say Trump is an existential threat」, Vox newsletter 7/1

 これに対してトランプ氏は指名受諾演説の中で「民主党は直ちに司法の武器化と政治上の敵対勢力を民主主義の敵とレッテル張りすることを止めるべきだ。」と述べ、「司法の武器化」に言及している。

The Democrat party should immediately stop weaponizing the justice system and labeling their political opponent as an enemy of democracy. >

 バイデン政権はトランプ氏の再選を阻止するために、執拗に司法を悪用してきた。「司法の武器化」とは、トランプ氏を強引に起訴して裁判で拘束し、高額な裁判費用を使わせて大統領選を有利にする行為を指している。「やまたつカナダ人ニュース」が7月15日のユーチューブの動画で、「司法の武器化」の現状を整理して報じている。

 それによると、まずトランプ氏に対する「司法の武器化」は四つある。①ニューヨーク州:ポルノ女優口止め料問題、②フロリダ州:自宅に機密文書を保持していた問題、③ワシントンDC:2020年1月6日の連邦議事堂への暴徒乱入事件、④ジョージア州:2020大統領選挙への介入問題である。

①については、既に34件の重犯罪で有罪評決が出ているが、大統領免責特権に係る要素があるとして控訴中である。量刑の言い渡しは9月に予定されていたが、大統領免責特権との関係が浮上して延期となった。(8月1日公表)

②については、トランプ氏を起訴したジャック・スミス特別検察官が資格のない一般人で、「ガーランド司法長官による特別検察官の任命は憲法違反であり、その人物が行った起訴は無効である」という連邦地裁の判断が出て消滅した。

③についても、②と同じ理由で起訴が無効となる可能性が高い。

④については、検察官を巡る疑惑が浮上したため審議が10月まで延期となった。大統領選には間に合わないことが確実となった。

 以上から明白なように、総じて起訴そのものが相当に強引であり粗雑である。そもそも①の事案が「34件の重犯罪に相当する」と言うだけでも常軌を逸している。トランプ再選を阻止するために、民主党側が「選挙不正、司法の武器化、そして暗殺(未遂)」という違法な手段をなりふり構わずに行使してきた可能性が高い。

 政府が絡む事件の真相が解明されることは期待できないため、仮説の域を出ることはなく、陰謀論として一蹴される可能性すらある。しかしケネディ大統領暗殺やレーガン大統領暗殺未遂事件を挙げるまでもなく、アメリカという国は、歴史の要所で同じような違法な手段を容赦なく行使してきた国なのだということを肝に銘じておくべきだ。

アメリカが直面する四つの危機

 トランプ氏は、現在アメリカはインフレ、不法移民、国際問題の三つの危機に直面していると述べている。しかし客観的にアメリカの現状を眺めると、次のように整理するのが分かり易い。

・アメリカの国内問題-分断、インフレ、不法移民

・覇権国としての問題-国際問題(ウクライナ戦争、イスラエル-ハマス戦争等)

 まず国内問題の内、インフレと不法移民問題は短期間で解決・改善が期待できるが、分断はそうはいかない。大統領選を誰が制しようとも、分断問題を解決することは至難の業だ。むしろ11月の大統領選によってさらに深刻化する可能性の方が高い。

 国内問題に関して、トランプ氏は第1期トランプ政権を次のように自己評価している。「自分は近代において新たな戦争を始めなかった最初の大統領だった。ブッシュ政権時、ロシアはジョージアに侵攻した。オバマ政権ではクリミア半島を併合した。そして現政権下ではウクライナ全土を狙っている。しかしトランプ政権時にロシアは何も取らなかった。」

I was the first president in modern times to start no new war. Under President Bush, Russia invaded Geogia. Under President Obama, Russia tool Crimea. Under the current administration, Russia is after all of Ukraine. Under President Trump, Russia took nothing.

 続けてトランプ氏はバイデン政権を次のように酷評している。「我々の敵対者たち(つまりバイデン政権)は、(トランプ政権時の)平和な世界を受け継ぎ、それを戦争の惑星に変えた。(平和だった世界は)アフガニスタンからの悲惨な撤退によって崩壊し始めた。それはアメリカにとって史上最悪の屈辱だった。その時多くのアメリカ市民とともに850億ドルもの兵器が置き去りにされた。そして今やアフガニスタンは米軍が現地に残した最新兵器を売る世界最大規模の売り手となった。」

Our opponents inherited a world at peace and turned it into a planet of war. It began to unravel with the disastrous withdrawal from Afghanistan, the worst humiliation in the history of our country. We also left behind $85 billion dollars’ worth of military equipment, along with many American citizens were left behind. You know that right now Afghanistan is one of the largest sellers of weapons in the world? They’re selling the brand-new, beautiful weapons that we gave them.

 表現に誇張はあるが、トランプ氏の指摘することは事実である。

第一の危機:分断

 トランプ氏は指名受諾演説の中で、分断について「今こそ我々は皆良き市民であり、神の下に全ての人が自由と正義を有する、一つの国で不可分であることを思い出す時だ。」と呼び掛けている。誠にその通りなのだが、現実は極めて深刻と言わざるを得ない。

Now is the time to remember that we are all fellow citizens — we are one nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

 そもそもアメリカの分断はどこから始まったのか。ハーバード大学のスティーブン・レビツキー教授が2020年に分析記事を書いている。要点を以下に紹介しよう。

・ここまで分断が進んだ背景には三つの「巨大なうねり」がある。第一に、民主主義を支えるにはルール(憲法)、審判(裁判所)、「規範」が必要だが、米国では規範が崩れた。1970~80年代には、両党の支持者は何れも白人のキリスト教徒が大半を占め、文化的に似ていて、政策に違いはあっても双方が嫌い合うことはなかった。

・それが1990年代になると、共和党は民主党を「裏切り者」「非愛国者」「反米」と呼ぶ論法を広め、相互寛容を放棄した。オバマ政権のときには、オバマを「非米国人」「社会主義者」などと呼ぶようになり、規範破りが顕著になった。

・第二に、この半世紀に二大政党の支持基盤に巨大な変化が起きた。即ち、公民権運動で選挙権を得た黒人の大半が民主党員になり、最近では中南米やアジアからの移民の大半が加わった。この結果、民主党は都市で暮らす教育を受けた白人と、人種的な少数派、性的少数派の混合体となった。これに対して、レーガン政権以来両党に支持が分かれていたキリスト教福音派の大半が共和党支持になった。

・そして第三に、選挙権に占める白人層の地位の低下がある。共和党を支持する白人層は1992年には有権者の73%を占めていたが、(移民の増加により)有権者が増加して、2024年には50%を割り支配的な地位を失った。多くの共和党支持層が「生まれ育った頃のアメリカが奪われた」と認識しており、これが共和党の過激化を煽り、分極化を引き起こした。トランプ氏が分断を煽ったのではなく、規範が既に壊されていた中で政権を獲得したに過ぎない。

 資料5:朝日新聞グローブ, 2020.10.6, https://globe. Asahi.com/

 この歴史を踏まえると、バイデン政権が不法移民の流入危機を黙認し、トランプ政権が侵略だと非難する理由を理解することができる。

第二の危機:インフレ

 トランプ氏は「インフレ危機を終わらせる」と宣言して、次のように述べている。「ほんの数年前、私の政権の時、我々は歴史上、世界史においても、最も安全な国境と最高の経済を保持していた。しかし4年も経たない内に敵対者(つまり現政権)は、類のない成功を前代未聞の悲劇と失敗に変えてしまった。・・・インフレは国民の貯蓄を空にし、中産階級を不況と絶望に追いやった。・・・私は壊滅的なインフレ危機を直ちに終わらせ、金利を引き下げ、エネルギーコストを引き下げてみせる。(国の)借金の返済に着手し、前回を上回る規模の減税を実施する。」

Just a few short years ago under my presidency, we had the most secure border and the best economy in the history of our country, in the history of the world. But in less than four years, our opponents have turned incredible success into unparalleled tragedy and failure. Inflation has wiped out the life savings of our citizens, and forced the middle class into a state of depression and despair. I will end the devastating inflation crisis immediately, bring down interest rates and lower the cost of energy. We’ll start paying off debt and start lowering taxes even further. We gave you the largest tax cut. We’ll do it more.

 「我々はまず市民に経済的救済を提供しなければならない。経済的救済プランの中核に据えるのは労働者に対する大規模な減税だ。物価を引き下げて手頃な価格でモノが買える国にする。現政権下で食料品が57%、ガソリンが60~70%上昇し、住宅ローン金利は4倍になった。合計すると家計費は家庭あたり平均28,000ドル増加した。」

First, we must get economic relief to our citizens. At the center of our plan for economic relief are massive tax cuts for workers. We will drive down prices and make America affordable again. Under this administration, groceries are up 57 percent, gasoline is up 60 and 70 percent, mortgage rates have quadrupled. The total household costs have increased an average of $28,000 per family.

 そしてトランプ氏は「アメリカで製品を売りたければアメリカで製造する。とても単純な公式だ。この公式を実践すれば巨大な雇用を創造できる。」と述べて、製造業の国内回帰に言及している。

The way they will sell their product in America is to build it in America, very simple. This very simple formula will create massive numbers of jobs.

 特に自動車産業に言及して「自動車産業を取り戻す。工場が国内に建設され、アメリカ人がそれをマネージメントすることになる。もし(外国企業が)同意しないなら、100~200%の関税をかける。そうなれば彼らはアメリカ国内で売ることができなくなるだろう。」

We will take over the auto industry again. We don’t mind it happening but plants will be built in the United States and our people are going to man those plants. And if they don’t agree with us, we’ll put a tariff of approximately 100 to 200 percent on each car and they will be unsellable in the United States.

 さらに財政赤字削減について、トランプ氏は大胆な発言をしている。「我々は途方もない36兆ドルもの財政赤字を減少させる。同時にさらなる減税を行う。ちなみに現政権は税金を4倍に引き上げることを目論んでいる。」

We will reduce our debt, $36 trillion. And we will also reduce your taxes still further. Next, and by the way they want to raise your taxes four times.

 そのためのお金をどこから調達するのかについては、こう述べている。「我々はインフレ危機を煽っている馬鹿げた税金の無駄使いを終わらせる。気候変動対策という詐欺(the Green new Scam)に民主党政権は数兆ドルもの金を使ってきたが、これは詐欺であり、エネルギーコストを高騰させただけでなく強烈なインフレ圧力をもたらした。」

We will end the ridiculous and actually incredible waste of taxpayer dollars that is fueling the inflation crisis. They’ve spent trillions of dollars of things having to do with the Green New Scam. It’s a scam. And that has caused tremendous inflationary pressures in addition to the cost of energy.

 さらに続けて「数兆ドルに及ぶ未だ使われていない資金がある。我々はそれを道路や橋やダムなどの重要なプロジェクトに使うよう改めて指示する。EVは即日終わらせる。それによってアメリカの自動車産業が抹殺されるのを救済し、車一台当たり数千ドルに及ぶ消費者の負担を節約させる。」と述べている。

And all of the trillions of dollars that are sitting there not yet spent, we will redirect that money for important projects like roads, bridges, dams and we will not allow it to be spent on the meaningless Green New scam ideas. ・・・ And I will end the electric vehicle mandate on day one. Thereby saving the U.S. auto industry from complete obliteration, which is happening right now and saving U.S. customers thousands and thousands of dollars per car.

 以上の発言から明らかなことは、民主党陣営が気候変動対策などを積極的に推進してきたのに対して、リアリストのトランプ氏はそのような物語には全く興味がなく、実物経済にお金を投じてアメリカの産業を再興させようとしていることだ。この両者の立場は決して折り合うことがない。正にアメリカの分断の一つの側面を象徴している。

 ところで、減税とインフレ退治を推進すると同時に巨額の財政赤字を削減するとトランプ氏は主張しているが、果たしてそんなことができるだろうか。現在西側先進国は皆財政赤字増大に悩んでいる。少子高齢化と安全保障強化がそれに拍車をかける。先進国における財政赤字の増大は必然の帰結である。

 『政治経済のトリレンマ(the Political-Economy Trilemma)』と呼ばれる仮説がある。国家主権、グローバル化、民主主義の内、何れか二つを実行することはできるが、三つ全てを実行することはできないというものだ。

 トランプ氏の主張は、国家主権と民主主義を守る代わりにグローバル化を止めるというものだ。しかし覇権国で世界最大の経済大国が、MAGA(Make America Great Again)を貫くと世界はどうなるだろうか。世界中から安い商品を調達してきたのを改め、国産(メイド・バイ・アメリカまたは国内製造)に転換すれば、原価が上がり供給不足が起きるため、むしろ物価上昇圧力となるのではないだろうか。

 しかも今までのグローバル経済の潮流を無視して、アメリカが強引にMAGA政策を実行すれば、世界の物流が減り、ドル資金がアメリカに回帰する結果、世界経済は縮小し不安定になるだろう。言わば世界最大の財政赤字も高金利も覇権国故の宿命である。世界最大の消費国が世界中からモノを買うから世界経済が回る。エネルギーや食糧の取引に世界がドルを必要とするからドル高となるのだ。

 さらに、アメリカの巨額の財政赤字をファイナンスするために、アメリカは海外からのマネーを呼び込む必要があり、それがドル高要因となっている。田村秀男氏は7月23日の産経の紙面で「超円安の深層構造」と題した記事を書いている。日本の対外投融資とアメリカの経常収支赤字の関係、さらに経常収支赤字と為替レートとの関係について考察している。

 それによると、2012~19年は日本の対外投融資がアメリカの経常収支赤字を上回っていて、為替レートも1ドル110円前後で安定していたが、2020年以降にアメリカの経常収支赤字が約2.8倍に急増していて、ジャパンマネーだけでファイナンスすることが困難になり、急速なドル高(即ち円安)が進んだと分析している。

 もう一つ加えれば、中国のように安い商品を大量に輸出してきた国は大きな打撃を受けることになり、MAGAを実行すれば、低迷する中国経済にトドメを刺すことになるだろう。中国発の世界不況が起きる可能性が高まる。

第三の危機:不法移民による侵略

 トランプ氏は「アメリカ史上最大の侵略(invasion)だ。彼らは世界中のあらゆるところからやってくる。そこにはテロリスト等の非常識な亡命(insane asylums)が多数含まれている。正に侵略と呼ぶ事態であるにも関わらず、現政権は国境を世界に開放して、侵略を阻止するために完全に何もしなかった。」と述べている。

The greatest invasion in history is taking place right here in our country. They’re coming from everywhere. It is an invasion indeed, and this administration does absolutely nothing to stop them. The entire world is pouring into our country because of this very foolish administration.

 トランプ氏は侵略を止めるために、国境の壁の建設を完遂させるとともに、侵略に対処するために軍事費8,000億ドルの一部を使うつもりだと述べている。

I will end the illegal immigration crisis by closing our border and finishing the wall, most of which I’ve already built. We gave our military almost $800 billion. I’m going to take a little of that money, because this is an invasion.

 ところで、不法移民の実態がどれほど深刻なのか我々には分かりにくいが、第一生命経済研究所主任エコノミストの前田和馬氏が定量的な分析結果をまとめているので、要点を紹介する。

・米議会予算局の試算によると、不法移民の純流入は2023年に240万人となり、2年連続で200万人を超えた。バイデン政権下の4年間では総計730万人となり、米国内に滞在する不法移民の総数は2021年に1,050万人となった。

・そもそも不法移民が急増する要因には、①中南米諸国の情勢不安、②堅調な米国経済と労働市場、③バイデン政権の寛容な移民政策と米国外に与える移民政策の印象がある。

・アメリカ人の45%がこの現状を危機とみなし、32%が大問題とみなしている。

・政府の取り組みに対する評価は「非常に悪い」と「悪い」とみなす人の割合は、共和党支持者で89%、民主党支持者で73%(バイデン政権発足時は、56%)に上る。そして共和党支持者の77%が強制送還、国境の壁の建設対策を支持している。

・トランプ氏は米国内に滞在する不法移民を年間数百万人単位で国外へ強制送還する「史上最大の作戦」を掲げているが、移民裁判所の未処理案件は344万人もあり、現行法に基づく強制送還は困難である。

 資料6:「バイデン政権下で流入する730万人の不法移民」、前田和馬、第一生命経済研究所、2024.4.15

第四の危機:国際危機

 国際危機への対処は、アメリカの国内問題ではなく覇権国アメリカとしての役割と能力に係る問題である。トランプ氏は「現政権が作り出した国際危機、おぞましいロシアとウクライナ戦争、イスラエルに対するハマスの攻撃から始まった戦争を含めて全て終わらせよう。電話一本で終わらせることができる。」と述べている。

I will end every single international crisis that the current administration has created, including the horrible war with Russia and Ukraine, which would have never happened if I was president. And the war caused by the attack on Israel, which would never have happened if I was president. I could stop wars with just a telephone call.

 これが誇張かどうかではなく、この発言からくみ取るべきことは、覇権国アメリカの大統領が備えるべき要件について重要な示唆を与えている点にある。トランプ氏自身が述べているように、以下①~③は歴史上の事実である。

①ウクライナ戦争もハマスとイスラエル戦争も、バイデン政権下で起きた。

②トランプ政権下ではそのレベルの戦争は起きなかった。

③バイデン氏は大統領に就任した直後にアフガニスタンから(屈辱的な)撤退をした。

 そしてこの事実が物語っている仮説が二つある。

④トランプ氏が大統領職にあったことが、戦争に対する強力な抑止力となっていた。

⑤アフガニスタン撤退は、ウクライナ戦争やイスラエル-ハマス戦争の誘発要因となった。

 世界は強力な仲裁者を必要としている。結局ロシアや中国による力を背景とした現状変更の行動を抑止できるのは、もっと強大な力を保有し、必要時にはそれを行使する断固とした意思を持ったアメリカ以外にはない。セオドア・ルーズベルトの名言として知られる「穏やかに話せ、棍棒は手放さず」という言葉は、どの国の外交にも当てはまるが、とりわけ覇権国アメリカの大統領こそ備えるべき資質である。

 これを踏まえて、仮説を二つ付け加えよう。

⑥トランプ氏が予測不能として各国のリーダーから一目置かれ警戒される理由は、棍棒外交の継承者であるからだ。

⑦一方のバイデン氏は、アフガン撤退、ウクライナ戦争への対処において、時に狼狽し時に躊躇して打つ手が中途半端なものとなる弱さがあった。それが危機を招いた。

 資料7:「トランプ流棍棒外交、日の目見るか」、渡辺浩生(ワシントン支局長)、産経、7/30

まとめ

 トランプ氏の政権構想はとても分かり易いが、率直な疑問点が二つある。それを整理して筆をおきたい。

 第一に、世界の戦争を終わらせることはできても。国内の分断を修復することはできないだろう。一昔前の共和党と民主党の間には、「小さな政府」か「大きな政府」か、という小さな相違しかなかった。それに対して、民主党は支持基盤を非白人層と移民に大胆に移して、PC(Political Correctness)、LGBT(性的マイノリティ)、BLM(Black Lives Matter)、脱炭素、EV等、極端にリベラルな政策をとってきた。

 さらに、大規模な選挙不正、司法の武器化、暗殺未遂と違法な手段を連発してトランプ氏再選を阻止してきた民主党陣営は、民主主義と、三権分立というアメリカの存立基盤を修復が困難なレベルで破壊してしまった。振り返れば、アメリカの歴史には、ケネディ暗殺やレーガン暗殺未遂事件に象徴されるような暗部が織り込まれてきたのだが、ここまで深刻化した分断は修復することは殆ど不可能という他ない。どういう形でかは予測できないが、どこかで破断を迎えるのではないかとさえ思う。

 第二に、インフレ退治と大幅な減税は実現できても、同時に財政赤字を削減することはかなり困難だ。世界の戦争を終わらせると同時に巨額の軍事費を削減するという政策を実行すれば、その可能性も出てくると思われるが、演説の中でその言及はない。

 失念しているのではないかと思われる重要な前提事項がある。それはアメリカが世界一の経済大国であり、通貨と安全保障の覇権国であることだ。インフレも減税も財政赤字削減も基本的にはアメリカの国内問題だが、ドル覇権国で世界最大の経済大国であるアメリカが、なりふり構わずにMAGA政策を実行すれば、世界経済を大混乱に陥れるだろう。そして世界経済に影響が及べば、それはブーメランとしてアメリカ国内問題に戻ってくる。

「思考停止の80年」との決別 第4部

(9)敗戦と占領で喪失したものを取り戻すとき

「専守防衛」の前提が崩れる事態に備えよ

 ウクライナ戦争で認識され現在進行中の危機事態が二つある。国際秩序の崩壊とアメリカの弱体化である。ウクライナ戦争が長期化するにつれて、国際社会は〔NATO+G7〕、〔ロシア+ロシア支援国〕、模様眺めの諸国(GS他)という三つのグループに分かれた。

 アメリカの弱体化を象徴する変化がドル覇権の低下である。アメリカがロシアに対して発動した「SWIFT(国際銀行間通信協会)からの排除」という制裁措置は、ロシアとその支援国を中心に世界のドル離れを加速させた。

 振り返れば、戦後約80年の間に国際情勢は大きく変化した。安全保障面では米ソ冷戦が終わり、ポスト冷戦も終わり、今や米中冷戦となった。国連安保理という秩序を守る仕組みもウクライナ戦争が起きて機能不全に陥った。経済面ではニクソンショックによってドル覇権の体制が金本位制からPDS(ドルによる原油取引システム)に移行したが、現在ではドル覇権自体が揺らいでいる。

 現在アメリカでは、11月の大統領選挙に向けて民主党・共和党両陣営の対立が激化している。6月27日にジョージア州アトランタで開催されたバイデン対トランプの討論会では、バイデン大統領の認知機能の低下がクローズアップされ全世界を駆け巡った。

 大統領選の最大の争点となっているのが不法移民の流入であり。テキサス州では不法移民の流入が史上最多となっていて、共和党のアボット知事は「バイデン大統領の無策がこの危機を招いた」として、州が不法移民を不法入国で逮捕できる州法を成立させて、州兵を動員して対策を講じている。

 州法を違憲とした連邦地裁の差し止め命令が出ると、テキサス州は憲法が州に独自の戦争行為を認めている「侵略」事態に相当するとして連邦最高裁で争う構えを見せている。保守系判事が多数派を占める連邦最高裁が合憲判断を下せば、メキシコと国境を接する南部の他州に広がる可能性があり、第二の南北戦争を想起させる国を二分する事態に発展する可能性が大きい。(参照:6月25日産経)

 このように国際社会におけるアメリカの弱体化に加えて、アメリカ国内では分断、不法移民の急増と治安の悪化等々、複数の深刻な事態が同時に進行していて、11月の大統領選で臨界点に到達する可能性が高い。

 ウクライナ戦争、イスラエル-ハマス戦争の終結が見えない中で、アメリカ大統領選が世界の注目を集めている。注目のポイントは、国際秩序を守るためにアメリカが保有する力を国際公共財として提供するかどうかにある。

 この視点で歴代大統領を評価すると、レーガンは「アメリカには自由主義秩序を擁護する特別な責任がある」との立場に立って、同盟を重視しつつ国際公共財を提供した。オバマとバイデンは「アメリカは世界の警察官ではない」としてロシアと中国による無法な行動を黙認した。

 そして次の大統領だが、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプが再選される場合、国際秩序を再び取り戻すためにトランプがアメリカの持つ国際公共財を提供するかどうかに世界の注目が集まる。(参照:6月27日産経、湯浅博の世界読解)

 一方日本は核の傘と打撃力をアメリカに依存し、日本は防御を分担するという「専守防衛」の方針に基づいて戦後の安全保障体制を保持してきた。日本周辺において有事が顕在化しない状況では、専守防衛は日米双方にとって都合のいい体制だったが、今やその状況が一変しつつある。台湾有事や朝鮮半島有事の蓋然性が高まっている現状で、アメリカの弱体化が進行し、国内回帰志向が強まれば、専守防衛のままでは日本の安全保障体制が危うくなる。

 安全保障の要諦は、最悪の事態を想定してそれに対する備えを万全にすることである。その認識に立って考えれば、日本は専守防衛の前提が崩れる事態を想定し、日本の役割と能力を増強させて、アメリカの弱体化を段階的に補強する対策を速やかに講じなければならない。それは戦後の日米関係をヴァージョン2.0に更新することを意味する。

はじめに日本近代史の総括が必要

 明治維新を起源とする日本近代史の前半は、日清戦争(1894)から太平洋戦争敗戦(1945)に至る「戦争の半世紀」だった。しかも戦争史の中核テーマは中国との関係にあったと言って良い。ズバリ言えば、中国の近代化に日本が深く関与した歴史だった。

 一方、近代史の後半(1945~現在の79年)は「思考停止の80年」だった。前半は意気揚々とした時代であり、後半は自己を喪失した時代だった。前半から後半への転換点となった事件は、言うまでもなく太平洋戦争の敗戦であり、GHQによる占領だった。

 「思考停止」とは、この転換点において「戦争の半世紀」を総括しないまま、現在に至るまで封印してきた事実を指している。近代史の前半には「富国強兵」という明確な目標があったのだが、後半は日本が目指す目標がないままにやり過ごしてきた。

 戦後吉田茂首相と池田隼人首相は、敗戦によって日本が喪失したものを取り戻すことよりも経済復興を優先させた。「所得倍増」政策は見事に功を奏して、日本は世界第二の経済大国の地位を獲得した。しかし1991年にバブル崩壊が起きて、それから30年以上もデフレ経済に苦しみ、そこに少子化・人口減少が加わって、日本は未だに経済成長を取り戻すことができずに低迷している。

 戦後の両首相は「国民が食えるようにすることが最優先だ」という判断に立ったのであり、敗戦直後の状況において正しい判断だったと評価される。しかしながら、安倍元首相が「戦後レジームからの脱却」という言葉に含めた、「敗戦と占領で喪失しったものを取り戻す」意思と道筋を明示しないまま「戦争の半世紀」を封印してしまった責任は極めて大きいと言わざるを得ない。

 明治維新から既に156年が過ぎた。国際社会を再び戦争の影が覆うようになり、東アジアの安全保障環境は危機前夜という程に悪化している。加えて日本は経済成長から30年以上も取り残されて、未だにじり貧状態から脱却できずにもがいている。

 現在の日本は、明治維新を第1回とする80年周期の三回目の転換点に立っているように見える。再び日本を輝かしい国とするために必要なことは、次の80年に目指すべき目標と進路を明示することである。そのためには「戦争の半世紀」を総括して画竜点睛を欠いたままの戦後史に魂を吹き込み、教訓を明らかにして後世に継承してゆかなければならない。

危機に対処するために

 日本は太平洋戦争に敗れて、「戦争と平和」に関して思考停止状態に陥った。「平和を希求し戦争を忌避する」戦後の時代が始まったと言うと正しい選択をしたように聞こえるが、それは偽善でしかない。

 何故なら、戦争に対して日本は「見ざる言わざる聞かざる」状態にあるからだ。ウクライナがロシアから侵略を受けて一般市民の多大な犠牲者を出して防衛戦争を戦っているにも拘らず、日本は戦うための武器の提供を拒否してきた。その理由が「日本は平和国家だから」というのであれば、それも偽善と断定する他ない。

 戦後日本の言論は、「平和は善、戦争は悪」という単純すぎる二元論に終始してきた。しかしながら平和とは結果であり、戦争とは外交の一手段であることを考えると、本来同列に並べて論じるべき概念ではない。「平和を守るために戦う」という現実的なオプションを排除しているという意味で、「平和か戦争かという二者択一」思考は誤りである。隣国が軍事侵攻してくるときに武器をとって戦おうとしない国は侵略され、平和も秩序も社会インフラも悉く破壊されてしまうことをウクライナ戦争は世界に知らしめ、覚醒させた。

 中国は1964年の東京オリンピックの最中に原爆実験を行い、今や米露に次ぐ核兵器大国となった。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は、今年6月17日に公表した年次報告書の中で、中国が保有する核弾頭数は昨年より90発増加して推計で500発となったと報告している。しかもこれまでは核弾頭をミサイルとは別に保管してきたが、現在では推定で24発の核ミサイルが実戦配備されたという。北朝鮮も戦術核兵器の開発に重点を置きつつあり、約90発分の核分裂物質を保有していると分析している。

 ロシア、中国、北朝鮮に対して、「日本は戦争を忌避する平和国家です」と幾ら主張しても何ら抑止力にはならないばかりか、むしろ逆効果にしかならない。戦後の日本の平和が維持されてきたのは、偏に世界最強の軍事力を持つアメリカの傘によって守られてきたからである。安全保障環境が深刻化し、台湾有事や朝鮮半島有事の蓋然性が高まっている現在、これら隣国の脅威から日本を守るためには、日本が自律的に「平和を守るためには戦争をも辞さない」姿勢を明確にして、国際情勢の変化に対応して日米同盟を常に進化させ、新たな脅威の出現に対し常に強固な抑止力を保持してゆく以外にはない。

 ここで問題になるのが、冒頭で述べたウクライナ戦争で顕在化した二つの危機事態である。日本は終始、アメリカの核の傘と打撃力を前提として専守防衛路線を歩んできた。アメリカは武器を供与しロシアに対する制裁を発動してウクライナを支援してきたが、ウクライナの社会インフラはロシアの攻撃によって焦土となった。ウクライナはアメリカの同盟国ではないが、バイデン政権はロシアによる軍事侵攻を阻止しなかったばかりか、ロシアによる侵略を早期に終わらせるために万全を尽くしたとは言い難い。

 現在、トランプ大統領が再任される可能性が高まっているが、もし再選が現実のものとなれば、トランプ氏はNATOや日本に一層の防衛負担を要求してくる可能性が高い。来年に戦後80年を迎える日本は、自分の国をより自己完結的に守る体制の構築を余儀なくされるだろう。アメリカの弱体化に臨み、将来の日米関係のためにも、敗戦と占領で封印してきたものを取り戻さなければならない。アメリカとの従属関係を清算して、核の傘を残したまま、専守防衛に代わる防衛力(ヴァージョン2.0)を構築しなければならない。

 そのためには何よりもまず戦後の「思考停止」の封印を解除しなければならない。さてどこから着手すべきだろうか?まず広島原爆記念碑の文言を改訂することから始めるのが適当と考える。何故なら現在の文言が、アメリカによる、民間人を標的とした、原爆投下という非人道的な重大犯罪に対し、「黙して追及せず」の姿勢をとっているからだ。そればかりか、広島を訪れる多くの日本人に対し、「この戦争の責任は戦争を始めた日本にある」と巧妙に洗脳しているからだ。終戦から80年の節目に臨み、日本の新たな決意を世界に示すためにも、広島原爆記念碑のヴァージョン2.0への更新が望ましい。 

(10)「戦争の半世紀」の総括

はじめに、戦争の二つの戒め

 一般論として、戦争の教訓として二つの戒めがある。一つは、戦争はひとたび始めてしまうと途中で引き返すことが難しいことであり、もう一つは一つの戦争の終結が次の戦争の原因となることだ。実際に日清・日露戦争の中に、この戒めを見て取ることができる。

 日露戦争が起きた背景には日清戦争がもたらした地政学的な変化があった。満州及び朝鮮半島における清の影響力が減少し、逆に日本の影響力が増大したことだ。日清・日露戦争は、戦争の終結が次の戦争の原因となることを示している。実際に日清戦争で多大な賠償金と領土を得ることができたことから、日本は日露戦争に前のめりになり、逆に日露戦争では賠償金がとれなかったために次の満州事変を招いている。

 満州事変は1931年に始まり1933年に終結した。満州進出の第一の目的が、人口増大に対する食料安全保障だったのであり、満州国建国を果たした1933年にこの目途はついている。その後の歴史を考えると、日本にとって満州事変の終結は、満州以南の中国大陸には関わらないと踏み止まるべき歴史的に重要な分岐点だったことになる。

 しかしながらひとたび戦端を開いてしまうと、途中で止めることが難しい。踏み止まるためには、慣性力で突き進もうとする軍部を統制する強い政治のリーダーシップが不可欠となる。実際に日本はそうしなかった。この判断ミスが太平洋戦争を招いたことは歴史が証明している。

日本の掌中にあった切り札の選択肢

 日本が朝鮮半島、中国大陸に進出した動機は、西洋列強による侵略・支配を受けないアジア独自の平和な世界秩序を建設することだった。崇高な理想を掲げたのだが、中国人同士の三つ巴の内戦を招き、中国を味方に引き入れることに失敗した。結局、日本が中国大陸に介入したことにより清国は滅び、中国は再び内戦と内乱の大陸に回帰した。

 そもそも中国に明治維新と同等の近代化を求めたことに無理があったと言わざるを得ない。日本には鎌倉時代以降継承されてきた武家による中央集権・封建体制の蓄積があり、薩長土に代表される近代化志向の雄藩の存在があった。高い志を持った若い武士階級が残っていたからこそ明治維新という革命を成し遂げることができたのだった。一方中国にはそのような歴史遺産も担い手も存在しなかった。

 そして支那事変後半には、日本が支援する汪兆銘の南京政府、アメリカが支援する蒋介石の長慶政府、ソ連が支援する延安政府による三つ巴の内戦となった。この内日本だけが中国人同士の内戦に深く引きずり込まれ、アメリカとソ連は反日ナショナリズムをけしかけて日中戦争で双方が疲弊するように、老獪な外交を展開した。

 結果から評価すれば、日本が支那事変に引きずり込まれずに踏み止まっていれば、日中戦争は起こらず、従って太平洋戦争も起きなかったに違いない。

日本の実力を超えた無謀な戦いだった

 「戦争の半世紀」を考える場合、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1914-18年の第一次世界大戦、1931-33年の満州事変、1937年の支那事変、1941-45年の太平洋戦争は、日本の近代史前半の中核を為す物語を構成する一連の事件として捉える必要がある。

 支那事変から始まった日中戦争は、中国大陸を舞台とする実質的にアメリカ、ソ連を加えた四ヵ国間の戦争に拡大した。当時の失敗の教訓を要約すれば、次のとおりである。

 第一は「戦闘に勝って戦争に負けた」日清・日露戦争の分析と教訓が不可欠だったことだ。日本に欠落していたのは、最終的に戦争に勝つための能力だった。それを獲得し磨くためにも、日清・日露戦争において欧米列強がとった外交と、第一次世界大戦において欧米列強がとった外交と戦争行動について徹底的に学ぶべきだったのだ。

 第二は米ソという老獪な二大国に加えて、日本とは異質な文明を持ち、広大な中国大陸を舞台として行われた中国人どうしの三つ巴の内戦に介入してはならなかったことだ。中国の内戦に巻き込まれずに、米英ソとの外交戦に専念すべきだった。

 「戦争の半世紀」の中核テーマは中国との関係だった。歴史を俯瞰する時、日本が犯した決定的なミスは、中国大陸に関与し過ぎたことに尽きる。この国とは適当な距離をとって付き合うべしというのは、現在も通じる教訓である。総じて日本にはそのような外交を演じる強かさと老獪さが欠落している。

(11)欧米との共通性と日本の個性を再認識せよ

同時期に近代国家となった欧米と日本

 15世紀から始まった大航海時代の潮流は、欧州を起点に東回りと西回りで地球を一周して、大陸を結ぶ海上航路を開拓し、大陸間の貿易と人の交流を活発化させ、そして世界を植民地化していった。そして大航海時代と植民地化という大波が東アジアに本格的到達したことを象徴する事件が1840年のアヘン戦争と1853年のペリー来航だった。

 1868年の明治維新は、この二つの事件に強い危機感を抱いた長州や薩摩の下級武士たちが決起して起きたものであり、日本における近代化の始まりとなった。そして1871年には岩倉具視を団長とする総勢100名余の岩倉使節団が20ヵ月余にわたって、米欧の12ヵ国を公式訪問して、近代国家の現状をつぶさに視察している。

 この事実が物語るのは、発足して間もない明治政府が時間と資金と人材を惜しみなく投じて、近代化を一気呵成に進めた英断である。欧米の近代化を直接見聞した政府高官たちは「富国強兵」政策を強力に推進して、日清・日露戦争の勝利をもたらした。

 近代化を成し遂げた時期で比較すると、一足早かったイギリスと一足遅れたロシアを除くと、アメリカ南北戦争終結が1865年、明治維新が1868年、ドイツ帝国誕生が1871年、フランス共和国誕生は1874年というように、日本は欧米主要国と同時期に近代国家となっている。

 さらに歴史を遡れば、西暦604年に聖徳太子が十七条の憲法を制定した時点で世界に先駆けて立憲君主制となったのであり、議会制民主主義は1890年に帝国憲法が成立したことによって導入されている。日本は近代化において世界の先進国だったことが分かる。

欧米との共通性と決定的な違い

 日本とイギリスは世界の国々の中で最も似た者同士である。ユーラシア大陸の両端に位置する島国で海洋国家であり、立憲君主制の議会制民主主義国である。封建制の歴史を持ち、武士道と騎士道の文化を継承している。一方で、両国には決定的な違いが二つある。

 一つは隣接する大陸国家の違いである。イギリスがタフな競争相手と数世紀に及ぶ戦争と競争を繰り広げてきたのに対して、中国と朝鮮が近代化から取り残されていたために、日本は四半世紀にわたって鎖国と太平の時代を享受することができた。

 もう一つの違いは宗教である。神と自然に対する姿勢においてキリスト教と神道は対極にある。

 この二つの違いが日本とイギリスの運命を分けた一因となっている。戦争に明け暮れたイギリスが戦略観を磨いて世界の覇権国となったのに対して、日清・日露戦争で外交と戦略の重要性を学び取らなかった日本は、中国大陸での内戦に引きずり込まれていったのだった。

 一方日本とアメリカには、同時期に内戦を戦って(戊辰戦争と南北戦争)国家を平定したことを除けば、共通性は殆どない。とりわけエドワード・ルトワックがいう「戦う文化」において日米は対極にある。アメリカは自らを脅かす勢力の台頭を決して容認しない国家である。南北戦争の戦死者数が戊辰戦争の25倍に達したことがそれを物語っている。片や日本は、近代史の前半では危機に臨んで「戦う文化」が発動されたものの、敗戦と同時にそれを封印して現在に至る。

独自の文明を継承する日本のアイデンティティ

 もう少し歴史を大きく俯瞰してみよう。日本は縄文の古代から、火山や地震などの天変地異に翻弄されてきた。日本にとっての脅威とは自然災害や飢饉であり、日本は自然を畏怖すると同時に自然の恵みに感謝しながら2000年以上の歴史を紡いできた。

 日本は歴史の大半において、天皇の権威を守りつつ武家が政権を担う統治制度を維持してきた。武家が台頭した以降では国家統一を巡る戦争が幾度も繰り返されてきたが、隣国との戦争に明け暮れてきた欧州とは全く異質の文明を継承してきた。

 富国強兵政策の結果、日本は欧米に追い付いたという自信と欧米に対する親近感を実感したと推測されるが、もしそれと同時に日本のアイデンティティを自覚して、欧米との違いをきちんと認識していたら、日本の近代史は違う展開となった可能性が高い。

 既に述べてきたように、太平洋戦争の遠因にはアメリカと日本の宗教観と文明の違いがあった。もし日本がアメリカの思考過程と行動様式を的確に認識していたなら、アメリカによる敵視自体を緩和ないし消滅することができた可能性がある。

世界の近代史で日本が果たした役割、払った犠牲

 日本は東アジアに押し寄せた欧米列強による植民地化の大波に立ち向かった。孤軍奮闘したのだが、中国大陸に深入り過ぎ無謀な戦いを強いられて敗北した。太平洋戦争で日本が未曽有の損失を被った一方で、日本が支援した東南アジア諸国が独立を勝ち取ったことは、歴史上公知の事実である。

 RMC(役割、使命、能力)というアメリカの軍事用語があるが、そういう結末に至った原因は、前項で論じたように、担おうとした役割に対しそれを実行する能力が伴っていなかったことにあった。

エピローグ:戦後80年からの展望

 日本の近代史は、明治維新以降は「富国強兵」を目標とし、敗戦後は「所得倍増」を目標として綴られた。富国強兵という目標は日露戦争の勝利をもって達成されたと見なされるが、そうであるなら日露戦争後に富国強兵に代わる新しい国家目標を打ち立てるべきだった。しかし実際は目標を見失ったまま、欧米列強と同じように振舞って「戦争の半世紀」の後半を戦っている。

 この本来の姿と現実の違いが日本の失敗を招いたと言える。日本は明治維新において議会制民主主義を定着させ、帝国憲法を制定し、岩倉使節団が20ヵ国を訪問した欧米諸国からさまざまな専門家を招聘して、国家のインフラを短期間で整備していった。そうして日清・日露戦争を戦って勝利した。

 この時点で「ここから先、日本は新たに何を目指すのか」という問いに立ち返り、敢えて足踏みをしてでも、新たな国家目標を明確にすべきだったのだ。欧米キリスト教国とは異なる日本独自のアイデンティティを再認識して、それに相応しい国家像を明示すべきだったのだ。

 これは現代も当てはまる日本の課題である。現在国際社会の秩序を崩壊させている大きな原因は、国際社会のルールを公然と無視するロシアと中国の行動にある。ポスト冷戦後、アメリカの覇権体制が続いてきたが、アメリカが弱体化するのと入れ替わるように、ロシアと中国が挑戦的な行動をとるようになった。

 そして現在の危機を地政学的に俯瞰すると、大陸国家対海洋国家の対立の構図でもある。ウクライナ戦争で隠してきた牙を現したロシアと、国力を増強した中国の台頭が国際秩序を脅かす存在となり、両大陸国家の行動を抑制するために海洋国家が団結する必要が高まってきた。

 日本とイギリスはともに大陸沖に浮かぶ島国であり、海洋国家である。アメリカもオーストラリアも海洋国家である。「戦争の半世紀」では日本は世界から孤立して戦ってきたが、現在はG7の一員として、さらには海洋国家連合の一員として、国際秩序の再構築に向けて日本の役割が増大しており、同時に世界から期待されていることでもある。

 さらに地球温暖化や脱炭素等、人類が現在直面している地球規模の課題は、「自然と共存・共生する文明」の継承者である日本がリーダーシップをとって立ち向かうべきであることは言うまでもない。

 このように大きく展望すれば、日本が敗戦と占領で封印したものを取り戻し、アメリカに対する従属関係を清算し、日本のアイデンティティを発動させて、国際社会の課題や地球規模の課題に本気で取り組む時機が到来していることが分かる。そのためには、明治維新以降80年周期で展開してきた「戦争の半世紀」と「思考停止の80年」に代わる、次の80年の行動規範となるべき新たな国家目標を打ち立てなければならない。

「思考停止の80年」との決別 第3部

(5)「戦争の半世紀」だった日本近代史前半

日本の近代史概観

 図1に明治維新を起点とする日本の近代史における、日本が関わった戦争の歴史をプロットした。明治維新から現在に至るまで156年が経過したが、その前半は戦争に明け暮れてきたことを図1が明示している。

 第2部で書いたように大航海時代は日本の近代史に少なからぬ影響を与えた。第1波としてやってきたのはポルトガルとスペインの宣教師で、とりわけ1544年に種子島に火縄銃が伝来した事件は織田信長の天下統一に大きな影響を与えた。そして第2波のオランダ、イギリス、フランスに加えてアメリカとロシアが幕末に相次いでやってきて、日本に開国を迫った。1840年に起きたアヘン戦争が討幕運動に火をつけて、日本は一気呵成に明治維新を成し遂げた。

 日本は江戸時代が長くしかも鎖国をしていたので、欧米列強よりも遅れて近代国家の仲間入りをした感があるが、一足早かったイギリスと、逆に一足遅かったロシアを除くと、他の主要欧米諸国と日本は、殆ど同時期に近代国家となっている。(『思考停止の80年』との決別、第2部参照)

 但し、両者には決定的な違いが二つあった。第一は日本が江戸時代という平穏な時代だったのとは対照的に、欧米列強は数世紀にわたって戦争と革命を繰り返してきたことである。欧米諸国と日本のこの違いは、日本の近代史を方向付ける重要な要因として作用してきたように思われる。

 第二は世界に先駆けてイギリスで産業革命が起きて、重工業が発達しそれが軍事力にも反映されて軍事革命が起きたことである。幕末に欧米列強と接した日本が急速に富国強兵政策を進めた理由がここにある。

 図1から明らかなように、西南戦争を終えて国内を平定した日本は、日清戦争を皮切りに対外戦争に向かった。日清戦争から太平洋戦争の敗戦に至る約50年間は、文字どおり「戦争の半世紀」だった。さらに支那事変を契機として太平洋戦争が起きたことを考慮すると、半世紀に及ぶ日本の戦争史の中核を成したテーマが中国との関係にあったことが分かる。

日本はなぜ日清戦争を始めたのか

 以下、近代史における日中関係については、台湾出身で日本在住の作家、評論家である黄文雄氏が書いた資料①を主に参照した。

 言うまでもなく、日本が明治維新を断行し近代国民国家の建設に邁進したのは、西欧列強による「アジア植民地化の波」から自国を防衛するためだった。そして明治維新を成し遂げて欧米列強による侵略を阻止することに成功した日本は、日本の防衛を更に強化するために、隣国である清国と朝鮮を加えたアジア共同防衛を構想した。日本が目指したのは、西洋列強による侵略も支配も蒙ることのない、アジア独自の平和な世界秩序の建設だった。

 日本はまず朝鮮に明治維新と同様の近代改革を要求したが、宗主国だった清国の体制は旧態依然であり、むしろ維新後の日本を敵視する有様だった。このため日本は1894年に朝鮮独立を要求して清国に宣戦布告した。清は前近代的な老大国だったため、あっけなく惨敗した。

 日清戦争で勝利した日本は戦勝国として三つの戦果を獲得した。国家予算の約4倍の賠償金、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、そして朝鮮の独立である。この勝ちによって、日本は勝てば賠償金や領土を取れることを学び取った。

 ノンフィクション作家の保阪正康氏は、日清戦争の総括について、資料②の中で次のように述べている。

 <結局、日清戦争とは、帝国主義の現実を日本がはじめて体験した戦争だった。当時はまだ帝国主義的な時代だったが、戦争における原価計算意識がかなりシビアになっていた。西洋列強は歴史や国力から中国を眠れる獅子とみなし、大がかりな戦争を仕掛けて支配しても原価計算が合わないと判断した結果、中国には深入りしなかった。>

 <こう考えると、日清戦争で日本が勝ったと単純には言えなくなる、むしろ日本は西洋列強に利用されていた。日清戦争は「中国の罠に嵌まった」ということができる。「日本対旧中国(清朝)」の構図では勝ったが、「日本対新中国(革命政権)」の構図で見れば、孫文が日本を多面的に利用して戦争に勝ったことになる。> 

日露戦争とは何だったのか

 以下日露戦争に関しては主に保阪氏による資料②を参照した。

 日露戦争が起きた背景には日清戦争がもたらした地政学的な変化があった。即ち、満州及び朝鮮半島における清の影響力が弱体化し、逆に日本の影響力が増大し、朝鮮では清による冊封体制が消滅した。ロシアは満州及び朝鮮半島における日本の影響力の増大を阻止するために南下政策を進めようとし、日本は逆にロシアの南下を阻止しようとした。

 それにしても当時のロシア帝国は強大であり、欧州でもロシアと戦争しようとする国は存在しなかった。日本は日ソ間の力学を変えるために、当時の覇権国だったイギリスと日英同盟を結んで戦争に臨んだ。従来日英同盟が日本の勝利をもたらした要因だと言われてきたが、イギリス側から見ると、日英同盟はボーア戦争に忙殺され余力のなかったイギリスが、東アジアにおけるロシア帝国の南下阻止は日本に任せようと判断した結果だったことが分かる。

 日露戦争(1904~05)は、第一次世界大戦(1914~18)とロシア革命(1917)の前夜のタイミングで起きた事件だった。世界史における因果関係として眺めると、日露戦争が欧州の戦争に与えた影響が見えてくる。

 それはこういうことだ。日露戦争で日本が勝利したことにより、イギリスはロシアに接近し既存の露仏同盟と合わせて英仏露によるドイツ包囲網を作り上げた。一方ドイツやオーストリアは弱体化したロシアを横目で睨みつつ、バルカン半島への圧力を強めていった。それが英仏露と独墺(オーストリア)とが雌雄を決した第一次世界大戦へとつながった。

 日露戦争はさらにロシア革命を引き起こした。こう考えると日露戦争は20世紀の世界情勢を動かした大事件だったことになる。日本の勝利は、それほど世界に大きなインパクトを与えたのである。

 一方で、日本は日露戦争を優位に進めたものの、国力を殆ど使い果たして青色吐息だった。ロシアも君主制が崩壊しようとしていた。そうした状況で1905年にアメリカによる和睦仲介という形で日露戦争は終結した。ポーツマス条約が結ばれ、ロシアが満州や朝鮮から撤兵し、遼東半島の租借権とロシアが満州に敷設した東清鉄道を日本に譲渡し、樺太の南部を日本に割譲することとなった。但し賠償金はとれなかった。日本は、日露戦争を痛み分けの形で終わらせようとしたアメリカに救われた一方で、アメリカはアジア進出の足掛かりを得た。

 日露戦争の勝利に国民が沸いたことは事実だが、この勝利がその後の日本の足を引っ張る原因となった。日清・日露戦争は、戦争の終結が次の戦争の原因となる典型的な事例でもあった。つまり日清戦争で多大な賠償金と領土を得ることができたことから、日本は日露戦争に前のめりになり、逆に日露戦争では賠償金がとれなかったために次の満州事変を招いた。

 第一次世界大戦で敗戦し巨額の賠償金を抱えたドイツで、ヒトラーが登場し第二次世界大戦を起こしたのと似た構図が見て取れる。暴走を始める「軍事のサイクル」の姿をここに見ることができる。

日本はなぜ満州国を建国したのか

 1931年に柳条湖事件が起きた。これは大日本帝国の関東軍が南満洲鉄道の線路を爆破した事件で、関東軍はこれを中国軍による犯行と発表して満州事変が勃発した。満州の軍閥だった張学良軍は関東軍によって総崩れとなり満州から駆逐された。1933年に満州事変は終結し、満州国が建国された。

 ところで、なぜ日本は満州国という傀儡国家を作ったのだろうか?二つの理由が存在したと思われる。第一は日本の国内事情によるもので、現代風に言えば食料安全保障である。資料②によれば、日本の耕地面積は国土の約13%で、米の収穫量は3千万人を養える規模だった。江戸時代の人口は3千万人前後だったが、明治以降人口が急増し昭和に入ると7千万人前後に増加した。その食料対策として満州の広大な土地を利用しようという計画が作られて、1932年から「満蒙開拓団」が送り出された。その数は敗戦までに約27万人に達したという。そのために軍事的な収奪と支配が必要となり、その支配を恒常化させるために傀儡国家が必要だった。

 第二の理由は、東アジアの秩序という崇高な目的のために、日本が軍事介入したという大義名分である。ここで日本が期待したことは、中国が日本と提携できる近代国家となれば、東亜諸民族による共同体が形成され、欧米諸国に蚕食され続けてきた東アジアの秩序を盤石にできるというものだった。

 これについて資料①は、「満州の民衆は快哉を叫び、日本に感謝したという。満州建国のスローガン『王道楽土・五族協和』は、日本が一方的に陰謀論的に企んだものだとは言えない。満州は法治も人治もない、軍閥や匪賊が跋扈する無法地帯だったのであり、建国は民衆の意を体した現地の政治勢力の方から主張されたものだった。」と分析する。

 1933年に日中間で停戦協定が結ばれ、満州事変は終結した。この結果、蒋介石は中断していた共産党に対する包囲殲滅作戦に全力を傾けることになった。

(6)革命と内戦・内乱に明け暮れた中国の近代史

中国の近代史概観

 図2に日米欧と中国との間で起きた戦争や事件を中心にプロットして、中国の近代史の概観を示した。清朝が滅んで中華民国が建国されたが、実力者の間で内戦が繰り返され、北京、重慶、南京に相次いで政府が設立された。

 中国の歴史を考える上で重要なキーワードが二つある。第一は「易姓革命」であり、第二は「内戦と内乱」である。資料①は以下のように説明している。

 <『三国史演義』の冒頭に、「天下久しく分すれば必ず合し、久しく合すれば必ず分す」とある。中国の歴代王朝は、何れも『易姓革命』という暴力革命によって誕生している。易姓革命とは中華世界の歴史法則のようなものだ。>

 <18~20世紀に中国人民を本当に苦しませ続けたのは、繰り返される内戦、内乱であり、中国人同士の殺し合いだった。それに人口過剰による自然環境と社会環境の崩壊が重なり秩序が崩壊していた。>

 <中国の長期内戦が始まったのはアヘン戦争よりももっと早い18世紀末のことだった。しかも原因は外的なものではなく、内因によるものだった。18世紀末に白蓮教徒の乱が起こり、続いて教匪の乱、会匪の乱へと内乱が延々と続き、やがて千万人単位の死者を出す太平天国の乱や回乱が発生した。>

辛亥革命の背景

 中国の近代化は、1911年の辛亥革命を起点として始まった。辛亥革命を起こした主役は、当時日本に来ていた清国からの留学生だった。日露戦争に勝利した日本のナショナリズムに刺激された清国留学生が日本に殺到し、革命団体の三派が東京で中国同盟会を結成した。孫文はその指導者となり、中国版の明治維新と新中国を目指していた。

 1912年の中華民国臨時政府の発足直後、革命の指導者だった孫文と北京政府の実権を握る袁世凱が提携し、孫文は統一政府を作るために権力の座を袁世凱に譲った。袁世凱は革命派に対する日本の影響力を削ぐため、「日本は満州を占領しようとしている」という反日宣伝を展開した。背後で英米が袁世凱を支援しており、反日という形で中国のナショナリズムが高揚していくよう工作を行っていた。

 1915年に日本は中国に対し「二十一ヵ条要求」を提示した。内容は西洋列強並みの政治経済活動の容認を求めたもので、列強が第一次世界大戦に忙殺されている間に日本の既得権益を整理して中国に容認させようと考えた行動だった。これに袁世凱が反発して策略を巡らし、「中華民国+英米」対日本という対立の構図を形成していった。これに対して袁世凱を宿敵と捉えていた孫文は、日本政府の態度は東洋の平和を確保し、日中の親善を図る上で妥当なものだとの理解を示していた。

三つ巴の内戦

 台湾には「国慶節」という中華民国の建国記念日がある。辛亥革命の発端となった1911年10月10日の「武昌起義」に由来する。その2か月後には中国各地で革命運動が続発して清朝が崩壊し、孫文は南京に中華民国臨時政府を樹立した。

 辛亥革命を契機に相次いで政府が樹立されていったが、黄文雄氏は「何れも全中国を代表する正統政府だと主張していたものの、国を代表する政府として対外的に責任を負えるものではなかった。当時の中国は、国家としての体を成していなかった。」と評している。

 資料①によれば、中華民国の内戦には三つの時期があった。第1期は袁世凱が率いる北洋軍閥と地方軍閥間の北京政府を巡る内戦、第2期は孫文が1919年に創設した国民党の内戦、第3期が国民党と共産党の間の「国共内戦」である。孫文が1925年に死去し、後継者となった蒋介石は日本よりも共産党の方が脅威であると認識していて、抗日政策よりも掃共作戦(共産党包囲討伐作戦)を優先した。1930年末から第1次掃共戦を実施し、その後満州事変中の中断を経て、1933年の第5次掃共戦で共産党を風前の灯火にまで追い詰めた。

 ここで、共産党万事休すの事態が茶番劇によって逆転する西安事件が起きた。資料①は次のように描写している。

 <満州を追われた張学良が蒋介石を西安で監禁し、抗日への政策転換を迫るという「西安事件」が起きた。そこへ共産党を代表して駆けつけた周恩来が挙国抗日を条件に蒋介石を釈放するように調停した。この事件によって、日中提携の流れも共産党滅亡の流れも、全て断ち切られてしまった。そうして支那事変が勃発した。支那事変の発端となった盧溝橋事件も共産党の陰謀だったという論証は、現在ではむしろ常識となりつつある。>

 <日本との戦争を最も望んでいたのは中国共産党だった。実際に日本を挑発して国民党と争わせることに成功し、その結果、共産党は生き残り、戦後、疲弊した国民党を打ち破って国共内戦に勝利することができたというのが史実である。>

(7)大東亜戦争の真相

かみ合わなかった日本と中国

 前項『中国の近代史概観』で述べたように、そもそも日本が朝鮮半島、中国大陸に進出していった動機は、朝鮮や清国にも明治維新に相当する近代化を成し遂げてもらい、西洋列強による侵略・支配を受けないアジア独自の平和な世界秩序を建設することだった。しかしながら崇高な理想を掲げたものの、両国と危機感と理想を共有することはできなかった。その原因として以下の三つが考えられる。

 第一は、朝鮮や清国に対し日本と同じことを期待しても無理だったことだ。そもそも日本で明治維新が成功した理由は、250年に及ぶ江戸幕府による封建制の歴史があり、危機に直面して決起する武士が残っていたからだった。一方両国にはそのような歴史的遺産がなかった。

 第二は、欧米列強からの独立という高い理想=大アジア主義を掲げて戦争を始めたものの、戦争を続ける間に日本自身が欧米列強と同じように帝国主義として振舞うようになってしまったことだ。

 そして第三は、両国において反日ナショナリズムが形成されていったことだ。歴史的な理由から日本から指示されたくないという思いがあり、欧米列強と同じように振舞う日本に対する反感もあったと思われる。

 両国に対し当時の日本が期待した思いは純粋で直線的だったが、「日本がそのように行動すれば、中国人はどう考えどう行動するだろうか」と、中国人の民族性とリアルポリティクスに対する配慮が欠落していたように思われる。結局日本のお節介と片思いで終わった。

三つ巴の内戦に巻き込まれた日本

 さらに黄文雄氏は資料①で、日中戦争の本質について次のように分析している。

 <1940年に汪兆銘が誕生させた南京政府は日本と和平を結んだ親日政権だった。日本軍による武漢攻略によって日中全面対決が終結していたこの時点で、戦争は日本が支援する南京政府(汪兆銘)、アメリカが支援する重慶政府(蒋介石)、そしてソ連が指導し支援する延安政府(毛沢東)の三つ巴内戦の局面を迎えた。この三つ巴戦こそ日中戦争と言われるものの本質と言って過言ではない。>

 1937年に日本軍のキャンプに一発の銃弾が撃ち込まれた。盧溝橋事件の勃発である。この事件をキッカケに日中の全面戦争に拡大し、やがて太平洋戦争へと繋がっていった。

 ここで注目すべきことが二つある。第一に戦争の構図としてみると、中国大陸という舞台上で蒋介石と汪兆銘と毛沢東が戦い、舞台の外側には日本と英米、ソ連が陣取るという三つ巴戦の二重構造が存在していた。そして第二に、中国大陸に大規模な軍隊を送り込んで戦争を行っていたのは日本だけで、英米ソも中国大陸に深入りしていなかった。

内戦に翻弄された日本

 図2に示したように、清朝が滅亡した1911年から太平洋戦争終結後の1949年に中華人民共和国が建国するまで、中国は内戦に明け暮れた。三つ巴戦を率いた三人の指導者について資料①は次のように評している。

 <汪兆銘は日本との戦争を回避するため、日本と和平を結んだ政治指導者である。一方の毛沢東と蒋介石は、日本との戦争を惹き起こし、おびただしい数の同胞を犠牲にし、国土を荒廃させたものの、運よく日本が米軍に敗れたため、抗日戦争で中国に勝利をもたらしたとして英雄になった。>

 <汪兆銘はもともと蒋介石と違い、強硬な対日主戦派だった。だが戦争が続くにつれ、中国軍に対日戦争遂行の実力がなく、また国内経済が疲弊し、共産党の跋扈も収まらないなど、中国を守るには日本との和平を結ぶしかないことに気づいたのだった。汪兆銘によれば、中国には共産党を例外として、和平を希望しないものはいないが、多くは日中両国の共存は不可能と考えるので和平に反対するのだという。汪兆銘はこうも語った。「日本に通じたのが漢奸なら、国民党はアメリカと、共産党はソ連と通牒したではないか、我々の志が間違っていたのではない。単に日本が負けただけだ。」と。>

 <当時蒋介石ら国民党主流派は抗日には消極的だった。彼らは日本及び日中関係を現実的に見ていたからだ。蒋介石自身は大変な知日派だった。中国が遠大な将来を考えるなら、日本と提携すべきであって、日本を恨む必要はない、日本は隣邦であり同文の民族であって決して敵対すべき相手ではないと訴えていた。>

 <蒋介石による北伐完了と中国統一後、米英は真っ先に蒋介石政府を承認し、関税自主権を認めるなど、旧来の植民地政策から政府支援政策へと転換した。この結果、中国にとって反帝国主義政策の対象は日本だけとなった。中国は国家統一を強固なものとするため、対日外交で強硬路線に転じ、漢口租界からの即時撤廃を日本に要求した。それが満州事変から支那事変に至る戦争の原因になっていった。中国内戦に翻弄、愚弄された当時の日本の姿がここにある。>

ソ連コミンテルンの世界戦略と中国共産党

 三勢力による内戦を最終的に制したのは、最も弱体な勢力だった中国共産党である。ソ連から巧みな支援を受けて、西安事件という茶番劇を含めて国民党との「国共内戦」を制したのだった。黄文雄氏は資料①の中で次のように論じている。

 <西安事件によって日中提携の流れも共産党滅亡の流れも全て断ち切られてしまった。そしてその翌年の1937年に支那事変が起きた。発端となった盧溝橋事件の「一発の銃弾」も共産党の陰謀だったという論証は現在では常識となりつつある。>

 <日本との戦争を最も望んでいたのは中国共産党だった。実際に日本を挑発して国民党と争わせることに成功し、その結果共産党は生き残り、戦後疲弊した国民党を打ち破って国共内戦に勝利したというのが史実である。>

 <ソ連の南下を何よりも懸念し、不拡大方針を採用した日本に対し、南下を目指すソ連は、全く逆の戦略を立てていた。1937年盧溝橋事件の直後にコミンテルンの幹部会議は中国共産党へ次のような命令を下していた。「局地解決を避け、日中全面戦争に導け。国民政府に開戦を迫れ。対日ボイコットを全土に拡大しろ・・・。」>

 <つまり長期的な日中全面対決に持って行き、ソ連に対する日本の攻撃を不可能にし、両軍を徹底的に消耗させて共産党政権を樹立し、仮に日本が敗北したら、日本革命を達成するという戦略だった。中国での共産党政権樹立はソ連の傀儡政権であるから、日本を共産化できれば東アジア制覇を達成できる。つまり日露戦争によって阻止されたロシアの南下を、日中戦争によって一気に達成しようとするコミンテルンの世界革命戦略だった。>

 <もちろんこの謀略は、日本にとって最も警戒するものだった。そのような事態を防ぐために、何としてでも日中全面戦争を避け中国との提携を実現して共同で防共体制を築きたかったのだ。だが、共産党など中国の反日勢力はそのようには考えなかった。飽くまでも自勢力の存亡をかけ、日本軍を中国内戦に引きずりこもうとしていたのである。>

 このように俯瞰すると、日中戦争とは中国大陸を舞台とし、リング外で繰り広げられた列強間の戦略ゲームに他ならなかった。日露戦争に勝って軍事力では欧米列強と肩を並べた日本が満を持して中国大陸に進出したのだったが、アメリカ、ソ連という老獪な二大国に加えて、異質な文明をもち内戦に明け暮れてきた中国人を相手に、戦略ゲームを挑むのは余りにも無謀だったという他ない。

(8)太平洋戦争の真相

アメリカはなぜ日本と戦ったのか

 「アメリカはなぜ日本と戦ったのか」という問いは、今でも解明されていない謎である。なぜならアメリカが未だに日米戦争に係る資料を公開していないからだ。西尾幹二氏は、既にアメリカはナチスドイツとの戦いに関する殆ど全ての書類や文献を公表しているが、日米戦争に関するものは百年間公表しないとして隠しているという。

 この事実が物語ることは、アメリカは不当な戦争をしたということであり、逆に日本は根拠のない戦争を仕掛けられたということであり、そして日本が戦争を始めたのではないということである。(資料③参照)

 以下は資料③と④を参照して、太平洋戦争の真相について要点をまとめたものである。資料④の現代史研究会のメンバーは、西尾幹二氏(電気通信大学名誉教授)、福地惇氏(高知大学名誉教授)、福井雄三氏(東京国際大学教授)、柏原竜一氏(情報史研究家)である。

第一次世界大戦から第二次世界大戦へ、変質した戦争

 はじめに、西尾氏は資料③の中で、世界大戦の変質について次のように概観している。

 <第一次世界大戦までの戦争は、国家同士の戦争であり、少し広げて考えても、同盟対同盟の戦争だった。今までの戦争では終末において妥協が可能だったが、今や妥協が全くない戦争が始まっている。言い換えれば戦争は国家が戦い終わった後も続く。今までの戦争と非常に違う秩序と秩序の戦いであり、総力戦だ。世界観の展開の戦いであるから、当然その根底には思想戦というものがなければならない。>

 <アメリカは第一次世界大戦においてドイツという国家を倒し、第二次世界大戦ではナチスの世界観と戦い、第三次世界大戦(米ソ冷戦)ではソ連の共産主義という思想体系と戦い、そして第四次世界大戦(現在)ではイスラムという宗教秩序と戦っている。>

日米戦争はなぜ起きたのか

 アメリカはなぜ日本と戦争をしたのだろうか。上記「思想戦」という意味において、アメリカには日本と戦う大義名分も、開戦理由もなかった。結局アメリカにとって日本が列強の仲間入りをしたこと自体が想定外であり、折あらば排除したい存在となっていたと推察される。結論を先に書けば、ルーズベルトという狂人と、それを操ったスターリンと、ルーズベルトを大統領に担ぎ上げた組織(後述)の存在がなければ太平洋戦争は起きなかった可能性が高い。

 西尾氏は次のように述べている。<多くの昭和史論者たちは、日本がアメリカを激発させ、虎の尾を踏んだというようなことを前提として議論を始めるが、そうではなく、最初からアメリカには対日攻略意図があり、どうしても譲れない国益護持の一線があり、そこを越えたら攻略すると考えていた。その一線が中国問題や満州問題だったのだ。つまりどのような道筋を辿っても、日本にとって戦争は避けられなかったのではないか。>

 また資料④の中で現代史研究会の識者はそれぞれ次のように論じている。<日米戦争は宗教戦争だった。米国が日本文明を殲滅しようと考えた背景には宗教的動機があった。簡単に言えば、先の戦争はアメリカのキリスト教原理主義と我が国の国体論の激突だった。>(西尾氏)

 <皇室を含めて日本文明を殲滅しようという壮大な戦略戦術の下にあの戦争はあったと考えられる。確かにあの戦争は宗教戦争の色彩が濃厚だが、それを「文明の衝突」と呼びたい。ユダヤ・キリスト教の「自然を征服」しようとする一神教を土台にした欧米の文明と、八百万の神々と山川草木悉皆仏性の「人間と自然が宥和」する日本文明との衝突だ。>(福地氏)

 <そもそも第二次世界大戦そのものが、宗教にも似たイデオロギーのぶつかり合った宗教戦争だったと言えなくもない。>(福井氏)

支離滅裂だったアメリカ

 結局、第一次世界大戦から第二次世界大戦を通してアメリカは覇権以外に何を得たのだろうか?「米国の行動は終始支離滅裂だった」そう断定する根拠として、福井氏は次の四点を挙げている。

・第二次世界大戦が終ったとき、アメリカは東欧を全部ソ連にタダで譲り渡している

・日本との最大の争点だった中国大陸の門戸開放・機会均等を達成できていない

・蒋介石の国民党政権に対して天真爛漫な幻想を抱き莫大な援助を行って対日戦を煽ったが、戦争末期にはデタラメな実態に愛想をつかし、今度は毛沢東を美化し始めた

・大戦後4年間(1945~1949)に及んだ中国大陸の国共内戦にも介入せずに放置して中国大陸の共産化を黙認した

ルーズベルトタブー

 <戦争をしないと公約して大統領になったルーズベルトがなぜ戦争に走ったのか。その謎解きはアメリカ人研究家の間で「ルーズベルトタブー」と呼ばれている。その結論は、ルーズベルトが国際金融巨大財閥(現在のディープステート)の使い走りをさせられていたというものだ。>(福地氏)

 <ルーズベルトはアメリカの覇権を目指したけれども、そこには親ソという矛盾があった。ルーズベルト政権の中にも「ソ連とアメリカの未来は一つだ」という考えがあった。ソ連に対しても中国に対しても全く無警戒だった。>(西尾氏)

 <米国を一つのイメージで捉えることは非常に危険である。結局米国は大統領独裁国で、日本が嫌いで中国が好きだという大統領がフランクリン・ルーズベルトだったということだ。アメリカでは既に1918年から共産主義者による情報活動が始まっていた。1920年代にはプロパガンダはアメリカ全土に広がっていて、大恐慌の時にはソ連が理想郷に見えた。ルーズベルトは中国と日本、アメリカと日本の戦争を望んでいた。>(柏原氏)

まとめ

 冒頭の図1に示したように、日本の近代史の前半は「戦争の半世紀」だった。戦争の相手国となったのは、最初に中国、次にソ連、そしてアメリカだった。そして「戦争の半世紀」は太平洋戦争の敗戦をもって終わった。「一つの戦争の終結は、次の戦争の原因になる」という、日清戦争以来続いた戦争の因果関係に、敗戦をもって終止符が打たれた。

 この半世紀の間に、世界の近代化の潮流から取り残されていた清国は崩壊して中華人民共和国が誕生し、ロシア帝国も崩壊してソヴィエト連邦が誕生した。そのソヴィエト連邦も既に分裂して存在しない。一方、明治維新とほぼ同時期に勃発した南北戦争を乗り越えたアメリカは世界の覇権国となった。

 このように日本の「戦争の半世紀」は、世界の激動の一環としての、東アジアにおける激動の中核的事件だったのである。

 私は歴史の専門家ではないし研究者でもないとお断りをした上で、太平洋戦争敗戦に至る日本の近代史について、全体像を俯瞰し歴史の真相を探究してきた。さらに「戦争の半世紀」における日本の勝利と敗北について、その結末に至った原因について考察を加えた。作業にあたって、黄文雄氏、保阪正康氏、西尾幹二氏の4つの資料を主に参照させていただいた。

 第1部、第2部、第3部と書いてきて、極めておおざっぱではあるが、明治維新以降の日本の近代史を、その背景となった激動の世界史の中で概観できたように思う。

 既に明治維新から現在まで156年が経過した。前半(明治維新~太平洋戦争敗戦)は77年、後半(敗戦~現在)は79年になる。『思考停止の80年との決別』と題して連載で書いてきた理由は、戦後約80年が経つにも拘わらず、日本は「戦争の世紀」を総括しておらず、その成功と失敗から学ぶべき教訓を明らかにしてこなかったと考えたからである。歴史を総括せずウヤムヤのまま封印してきた現状を正さない限り、日本は政治的にも経済的に現在の低迷から脱出することはできないという危機感があったからである。

 第4部では、第1部から第3部を踏まえて、『思考停止の80年との決別』を締め括りたい。

参照資料:

資料①:『日中戦争真実の歴史』、黄文雄、徳間書店、2005.7

資料②:『歴史の定説を破る』、保阪正康、朝日新書、2023.4

資料③:『憂国のリアリズム』、西尾幹二、ビジネス社、2013,7

資料④:『自ら歴史を貶める日本人』、西尾幹二と現代史研究会、徳間書店、2021.10

「思考停止の80年」との決別 第2部

(3)欧米列強の近代史俯瞰

 欧州の歴史は多くの国と民族が複雑に相互作用しながら、戦争や革命を幾度も繰り返して綴られてきた。その複雑怪奇な歴史を、二つの大きな潮流である欧州大陸国家の変遷と、大航海時代から植民地開拓競争に至る5世紀に及ぶ変遷を概観した上で俯瞰してみたい。

 第2部で参照した資料は、次のとおりである。

  ・資料①:『情報の歴史』、松岡正剛、編集工学研究所、NTT出版、2001年

  ・資料②:『自ら歴史を貶める日本人』、西尾幹二と現代史研究会、徳間書店、2021年

  ・資料③:『戦争と財政の世界史』、玉木俊明、東洋経済新聞社、2023年

欧州大陸の近代史

 はじめに、欧州の時代区分は中世、近世、近代の三つに分けられる。まず中世の欧州は、紀元476年に滅亡した西ローマ帝国を継承する形で、紀元800年にカール大帝が即位して誕生した「神聖ローマ帝国」と、各地方の領主が収める「領邦」からなる封建体制だった。そして15~16世紀前半に起きたルネサンス、宗教改革、大航海時代の幕開け以降は近世と区分され、市民革命や産業革命が始まった18~19世紀初頭以降は近代と区分されている。

 欧州の近代史を俯瞰するためには、近世から近代に流れ込む歴史の本流を理解する必要がある。はじめに近世以降の歴史の転換点となった出来事を図1に線表としてプロットしてみた。歴史の転換点になった大事件は四つある。

 <第一の事件>は1618年に起きた「三十年戦争」である。これは神聖ローマ帝国を舞台に起きたカトリック対プロテスタントの宗教戦争だった。30年に及ぶ戦争はカトリックのハプスブルク家が敗北して終結した。終結した1648年に関係国の首脳が集まって「ウェストファリア条約」が締結され、欧州大陸に新たな体制(ウェストファリア体制)が形成された。

 三十年戦争は以下に代表される大きな変化をもたらし、ウェストファリア体制の確立は欧州大陸に新たな力の均衡をもたらした。

 ①神聖ローマ帝国が瓦解し、支配下にあった諸国が独立した

 ②領地を拡大したブルボン朝フランス王国は大陸最強国家となり、神聖ローマ帝国から離脱した

 ③ドイツでは各諸侯の主権が認められ、300に及ぶ領邦国家が誕生した

 ④スウェーデンも領土を拡大して強国となり、ネーデルランド連邦共和国(オランダ)やスイス連邦が神聖ローマ帝国から独立した

 ⑤これを契機としてオランダは黄金期を迎え、イギリスが覇権を握るまでの間、欧州海運の主導権を握った

 ⑥この条約の成立によって、教皇や皇帝という超国家的な権威が欧州を単一のものとして統治する体制が消滅した

 <第二の事件>は1756~63年に起きた「七年戦争」である。戦争の発端は神聖ローマ帝国の瓦解によって失った領土をプロイセン王国から取り戻すことを目論んでハプスブルク家が仕掛けたものだった。ここにイギリスとフランスによる植民地開拓の主導権争いが加わって、欧州の広域で大戦争が展開された。

 <第三の事件>はルイ16世の治世下の1789年に起きた「フランス革命」であり、ウェストファリア体制を揺るがす大事件となった。1792~1802年にはフランス革命を巡ってフランスと欧州諸国との間で戦争が勃発した。フランス革命に対して諸国が干渉する形で起きた戦争だったが、フランスは戦争に勝利して共和制となった新政府を国際的に承認させることに成功した。

 そして1804~1815年に「ナポレオン戦争」が起きた。ナポレオン・ボナパルトはフランス軍を率いて一時欧州の大半を征服したが、スペイン独立戦争とロシア遠征で敗退し、ワーテルローの戦いで決定的な敗北を喫して、1815年に戦争は終結しナポレオンは失脚した。

 ナポレオン軍が圧倒的な強さを見せた理由は、ナポレオン戦争以前の欧州諸国の軍隊が傭兵主体だったのに対して、フランス軍は革命で実現した共和国の防衛意識に燃えた国民軍だったことにある。軍隊も大規模化して、七年戦争期には20万人を超える軍隊をもつ国は僅かだったが、フランス軍は150万人規模になり、ナポレオン戦争期には300万人に達したという。

 1815年にナポレオン戦争後の秩序形成をテーマとして「ウィーン会議」が開催された。オスマントルコを除く全欧州諸国が結集した。「会議は踊る」と揶揄されたように会議は遅々として進展しなかったが、最終的に「基本的に1792年以前の体制に回帰する」という合意に達した。こうして作られた王政復古の体制を「ウィーン体制」と呼ぶ。

 こうして平穏を取り戻したかに見えた欧州だったが、<第四の事件>が1848年に市民革命の連鎖という形で起きた。まず多数の王国や公国が割拠し、復古体制に対する民衆の不満が高まっていたイタリアのシチリアで、1月に王国からの分離独立と憲法制定を要求する暴動が起きた。これは「一月革命」と呼ばれイタリア各地へ伝搬した。

 そして2月にはフランスで、政府が政治集会に対する解散命令を出したことを契機に、これに激怒した労働者・農民・学生によるデモやストライキが起きた。翌日首相が辞任し、2日後には武装蜂起が起きて国王が退位する事態に発展した。このフランスの「二月革命」はオーストリア帝国、ハンガリー王国、ボヘミア王国、プロイセン王国へと拡大し、欧州諸国に伝搬していった。

 こうしてウィーン体制は崩壊した。1871年にはドイツ帝国が誕生し、フランスは1874年に三度目の共和制に移行した。

大航海時代から植民地開拓へ

 15世紀から始まった「大航海時代」が世界の近世・近代史に与えた影響は、次の三点に要約できる。第一は大陸を結ぶ海上航路の開拓であり、第二は大陸間の貿易と人の交流(奴隷を含む)であり、そして第三は世界の植民地化である。

 図2に大航海時代における歴史の転換点となった出来事を図解して示した。図から一目瞭然のように、大航海時代の第1陣の主役はポルトガルとスペインだった。1世紀以上遅れてイギリス、フランス、オランダ他が第2陣として登場した。

 ポルトガルはまずアフリカ航路とインド航路(東回り)を開拓した。次にスペインが西回りでアメリカ大陸への航路を開拓した。15~16世紀はポルトガルとスペインの独壇場だった。第2陣が第1陣に大きく遅れた理由は、国が安定しておらず外に向かう体制が整わなかったからだった。

 日本に最初にやってきたのは1543年に種子島に漂着したポルトガル人だった。このとき鉄砲に注目した西村時貫が火縄銃2丁を買い求め、家臣に火薬の調合を学ばせると同時に刀鍛冶を集めて数十挺の複製を造り、さらに堺の商人もやってきて、日本は数年で銃の製法を学び取ったと言われる。織田信長が天下を統一したのは1573年であり、1575年の長篠の戦いで織田・徳川連合軍が武田勢を迎え撃ったときに、織田勢は鉄砲三千挺を用意して新戦法三段撃ちを行ったと言われる。

 1550年にはイエズス会の宣教師だったスペインのフランシスコ・ザビエルがやってきて山口で布教を始めている。1600年にはオランダ船リーフデ号で豊後の黒島に漂着したイギリス人ウィリアム・アダムズは家康に謁見し、引き留められて家康に世界情勢を伝えている。1603年には徳川家康が江戸幕府を開いたが、1609年には平戸に商館を建ててオランダに通商許可を与えている。

 このように戦国時代から江戸幕府成立の時期に、大航海時代の第1波が日本に到達したのだった。

イギリスの近代史

 欧州列強の中でイギリスは他の諸国とは異なる変遷を経て、しかも他国よりも早く近代国家を実現している。イギリスの変遷には三つの大きな出来事があった。第一は早い段階での立憲君主制の確立であり、第二は大英帝国の成立であり、そして第三は海洋開発と産業振興の推進である。図3にイギリスの近世以降の歴史の転換点となった出来事を図解して示した。

 イギリスは1642年の清教徒革命、1649年のクロムウェルによる共和制、1688年の名誉革命を経て、世界に先駆けて立憲君主制を確立した。イギリスと対照的に、大陸諸国が王政、帝政、共和政の間で揺れ動いて戦争と革命を繰り返して、最終的に議会制民主主義を基本とする国家体制を築いたのは、1848年に起きた欧州革命以降のことである。イギリスは国家の骨格を固めるのが他の欧州国家よりも160年も早かったことに注目すべきである。

 イギリスの場合、大陸国家と国境を持たないことが幸いしている。大陸国家が周辺国との領土紛争に明け暮れて、国境を画定するのに数世紀もの歳月を要したのに対して、イギリスは近代以前の三つの王国(イングランド、スコットランド、アイルランド)が統合してできた。1707年にまずイングランドとスコットランドが統合して大ブリテン王国となり、1801年にはアイルランドが加わって大英帝国の枠組みが完成している。

 欧米列強による植民地開拓競争の結果は、1936年の時点で世界の全植民地の約6割をイギリス、ロシア、フランス、アメリカの四ヵ国が所有していて、イギリスはトップで約27%だった。植民地開拓競争でイギリスが最強の地位を獲得した理由は何だったのか。三つの理由が考えられる。

 第一は清教徒革命では軍人として戦い、イングランド共和国の護国卿となったオリバー・クロムウェルが1651年に航海法を制定し、海運業、造船を国策として推進したことである。イギリス以前に欧州の海運を制していたのはオランダで、当時オランダは欧州の船舶の1/3~1/2を支配していたが、その主役は商人だった。それを国家が推進するシステムに転換することで、イギリスはオランダを駆逐して欧州物流を掌握したのである。

 第二は世界に先駆けて1768年から産業革命がイギリスで始まったことである。19世紀は「蒸気の時代」と呼ばれ、20世紀初頭には世界の船舶の半分(トン数ベース)がイギリス製になった。

 第三は海上輸送の保険をビジネスとする保険会社ロイズの登場と、イギリスが世界の電信の大半を敷設したことである。当時、電信のインフラは海底ケーブルの敷設を含めて民間には手に負えない国家事業だった。しかも海底ケーブルの敷設には蒸気船が不可欠だった。イギリスはこうして、現代で言えば通信と情報、通信サービスとその決済システムを国家事業として推進したのだった。(参照:資料③)

アメリカの近代史

 次にアメリカの近世以降の歴史の転換点となった出来事を図解して図4に示す。図から読み取れるように大事件は三つある。第一は欧州からの入植、第二は独立戦争、第三は南北戦争である。

 「大航海時代」の潮流が北米大陸に到達し、17世紀初頭に欧州諸国から北米大陸の東海岸への入植が始まった。具体例を挙げると、1606年にイギリスからバージニア州のジェームズタウンへ、1608年にはフランスからカナダのケベック州へ、そして1620~91年にはイギリスからニューイングランド(現在のボストン周辺)へ大規模な入植が行われた。

 前述したように、1756~63年に欧州で七年戦争が起きた。この戦争には神聖ローマ帝国の領地を巡る戦争の他に、イギリスとフランスが戦った植民地開拓の主導権争いが含まれている。後者の戦場は北米大陸に飛び火して、「フレンチ・インディアン戦争」が起きた。つまりフランス軍とフランスに味方したインディアンを相手としてイギリス軍が戦った戦争である。イギリスが勝利してイギリスが北米大陸の主要な植民地を管理下においた。

 こうして北米大陸における対立はアメリカ対イギリスの構図になっていった。1773年にボストンの急進派がイギリスに対する抗議として、停泊中の船舶から積荷の茶箱を海に大量投棄するという「ボストン茶会事件」が起きた。この2年後にはボストン近郊のレキシントンとコンコードで戦闘が起きて、アメリカ独立戦争の幕が開いた。

 1775~83年にアメリカ独立戦争が起きた。1776年7月4日には北米の13州が独立を宣言してアメリカ合衆国が誕生し、1783年のパリ条約で、大英帝国はアメリカの独立を承認した。ちなみにジョージ・ワシントンが最初の大統領選挙によって初代大統領に就任したのは1789年のことである。

 1823年になると第5代大統領ジェームズ・モンローが、アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱している。アメリカの「モンロー主義」は現在においても世界の出来事にアメリカは関与しないという場面で繰り返し登場している。

 そして1861~65年に南北戦争が起きた。独立した南部11州と残留した北部23州が戦った内戦であり、双方合わせて戦死者20万人、総死者65万人に及ぶ途方もない損害を出して戦争は終結した。

 独立宣言以降、1791年から1959年に至る168年の間に、アメリカ合衆国はバーモント州(14番目)からハワイ州(50番目)に至るまで、新たな州を一つずつ加える形で領土を拡大していった。その中にはロシアから購入したアラスカも含まれている。そして1890年以降にアメリカは帝国主義となった。

ロシアの近代史

 最後にロシアの近世以降の歴史の転換点となった出来事を図解して図5に示す。17世紀初頭にロシアには「ツアーリ」と呼ぶ国王が統治する国家が存在した。ミハイル・ロマノフが1613年にロシア国のツァーリに即位し、ロマノフ朝が成立した。1682年に即位したミハイルの孫にあたるピョートル1世は西洋化・近代化を急速に進めて、1721年にはピョートル大帝を名乗りロシア帝国が誕生した。ロシア帝国は勢力を欧州から沿海州まで拡大して欧米列強と肩を並ぶ存在となり、1917年にロシア革命によって滅ぶまで続いた。

 マルクスに言及せずにロシアの近代史を論じることはできないだろう。欧州で市民革命が相次いだ1848年に、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが共同で書籍『共産党宣言』を発表した。マルクスは人類の歴史は領主対農奴、資本家対労働者などの階級闘争の歴史であるとし、プロレタリアート(労働者)がブルジョワジー(資産階級)から政治権力を奪取し、生産手段などの資本を社会の共有資産に変えることによって社会が発展し、階級が消滅する共同社会が訪れると考えた。

 日露戦争が起きた20世紀初頭、ロシアは帝国だった。日露戦争で日本に敗れ、第一次世界大戦でドイツに対し劣勢となるにつれて、ロシア国内では労働者のデモやストが起きて革命の機運が高まった。

 当時革命を目論む集団が二つ存在していた。一つは穏健な民主主義的革命を目指した社会主義右派の「メンシェヴィキ」で、他一つは軍事革命を目指したウラジーミル・レーニンが率いた「ボリシェヴィキ」である。1917年に起きた二つの革命を経てボリシェヴィキが優勢になり、1922年には人類史上初の社会主義国家となるソヴィエト社会主義共和国連邦が樹立された。

 マルクス主義では、労働者階級による共産主義革命と資本主義の廃止は、世界規模で起きる歴史的必然であると考えられていた。それを踏まえてレーニンはロシア革命を「世界革命の一環」と位置付けたが、他の欧州諸国では革命は起きなかった。このため世界における共産主義革命をどこまで追求するかが論点となり、最終的にスターリンが主張した「一国社会主義論」に収束していった。

 結局ソヴィエト型の社会主義は世界に波及せず、ソ連はアメリカとの軍拡競争についてゆけずに1991年に崩壊した。ソ連はロシア連邦を含む15ヵ国に分裂し、それぞれが独立して今日に至っている。2022年2月にプーチン大統領がウクライナに軍事侵攻した遠因として、ソ連崩壊時のウクライナとの関係があることは言うまでもない。 

(4)近代史における欧米列強と日本の相互作用

 以上、歴史の本流を辿りながら、極めて簡潔に欧米列強の近代史を概観してきたが、ここからはその理解を踏まえて、欧米列強と日本との近代史における相互作用について考えてみたい。

近代国家の成立

 まず始めに、欧米列強5ヵ国と日本が近代国家となった時期を比較してみよう。時系列に並べると、イギリス統合が1801年、アメリカ南北戦争終結が1865年、明治維新が1868年、ドイツ帝国の誕生が1871年、フランス共和国の誕生は1874年だった。そしてソヴィエト社会主義共和国連邦は1922年に誕生した。 イギリスが一足早く、ロシアは一足遅かったが、アメリカ・日本・ドイツ・フランスは19世紀後半に近代国家となった。日本は江戸時代が長く、しかも鎖国をしていたので、欧米列強よりも遅れて近代国家の仲間入りをした感があるが、イギリスとロシアを除く他の諸国と殆ど同時期に近代国家となったのだった。

大航海時代が日本に与えた影響

 既に述べたように、大航海時代が世界の近世・近代史に与えた大きな影響は、第一に大陸間航路の開拓、第二に大陸間の貿易と人の交流、第三に世界の植民地化だった。その中で大航海時代が日本の近代史に与えた影響は三点に要約できる。第一は鉄砲伝来、第二はキリスト教の布教、そして第三は明治維新と文明開化の促進である。

 既に述べたように、1544年に種子島に火縄銃が伝来した事件は、織田信長の天下統一に大きな影響を与えた。しかも鉄砲伝来から僅か数年の内に日本は鉄砲を量産していた。こうして第1陣として日本にやってきた宣教師たちは、日本を植民地化することを早い段階で諦めたのだった。

 そして第2陣が日本にやってきたのは幕末だった。1840年に起きたアヘン戦争が警鐘となって討幕運動に火がついて、日本は一気呵成に明治維新を推し進めた。

日本とイギリスの類似性と対照性

 ここで日本とイギリスの類似性を見ておきたい。両国はユーラシア大陸の両端に位置する島国であり、共に立憲君主制の議会制民主主義国家である。イギリスで立憲君主制が確定したのは1688年の名誉革命であり、一方日本では歴史の初めから「万世一系の天皇制」であり、最初の憲法は604年に聖徳太子が定めた「十七条の憲法」である。

 単純に比較することはできないが、立憲君主制の成立は日本の方が約1,000年も早いという解釈も成り立つ。ちなみにイギリスの最古の憲法は1225年に改正されたマグナ・カルタであり、その一部は現在のイギリスにおいても憲法を構成する法典の一つを成している。

 鎌倉時代以降明治維新に至るまで、日本は天皇の権威のもとに武士が政治を行う封建社会だった。一方イギリスは国王のもとに国が統一されるまでは地方領主が統治する多数の領邦から構成される国だった。日本が君主中心ではなく議会中心の立憲君主制となったのは1868年の明治維新であり、イギリスが180年程先行していたことになる。

 一方、国家が統一されたのは日本では1603年の江戸幕府誕生であり、戦国時代に信長、秀吉、家康がそれぞれの役割を果たしてバトンを渡し、比較的短期間で天下統一が成し遂げられた。一方イギリスでは1801年に大ブリテン王国にアイルランドが加わった時に国家が統一されており、日本が約200年先行したことになる。

 また両国は共に近代化の前に封建制を経験しており、武士道と騎士道という文化の共通性もある。このように、大陸の両端の島国である日本とイギリスには、他のどの国よりも類似点が多い。地理的な立地条件が同じことがその類似性の背景にあるように思われる。

 一方で日本とイギリスが対照的であるのは、イギリスが世界に打って出て欧州列強との間で戦争を繰り返し、海上の覇権を争った末に世界最強の海洋国家となったのに対して、日本は来航した欧米列強の圧力に対し必死に防戦する過程で列強の仲間入りを果たしたことである。

 この対照性はどうして生まれたのだろうか。理由の一つは周辺国との関係にある。イギリスが強力な大陸国家と近代化を競いつつ発展してきたのに対して、日本の隣国である中国と朝鮮は、日本が必死に明治維新を成し遂げた1868年時点においても、欧米列強による植民地化という危機に対して、近代化から取り残されたままだったのである。

 第三部で詳しく述べるが、この事実が日本が大東亜戦争へ突入していった大きな原因となったのだった。

日本とアメリカの類似性と対照性

 ペリー率いる船団が日本に来航したのは南北戦争の直前であり、明治維新が起きたのは南北戦争直後だった。日米両国には、ほぼ同時期に内戦を経て近代国家となったという類似性がある。

 一方、対照的な事実は二つある。第一は日本が単一民族による国家であるのに対して、アメリカは欧米列強からの移民が移住して建国された点だ。言い換えると、単一性と多様性という点で日米は対照的であり、これは現在にも当てはまる。

 第二は内戦における戦死者の数である。アメリカは南北戦争で戦死者20万人の犠牲を出したのに対して、日本では戊辰戦争の総死者は両軍合わせて約8千人強だった。同じ内戦でありながら戦死者に25倍の開きがあるのは尋常ではない。

 一体その違いはどこから生まれたのだろうか。それを考えるヒントが戦争に対する両国の立ち位置の違いにあるように思える。日本は太平洋戦争での敗戦以降は如何なる戦争にも直接的に関与しなかったが、アメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争など、世界の各地で間断なく戦争に関与してきた。 ここで「アメリカは覇権国だから当然だ」という解釈は、原因と結果を取り違えているように思える。むしろアメリカがDNAとして内面に保有する資質が、アメリカを覇権国にしたと考える方が真実に近いのではないだろうか。

日本がロシアに与えた影響

 既に述べたように、日露戦争は日英同盟対露仏同盟の戦いだった。日英同盟を結んだイギリスの狙いは、ボーア戦争に多くの資源を投入せざるを得なかった状況下で、露仏同盟、特にロシアに対抗する手段として日本を利用することにあった。結果論になるが、日本はイギリスの代理戦争としてロシアと戦争を行ったことになる。

 そして日露戦争に勝利したことで、日本は欧米列強のパワーゲームに否応なしに巻き込まれていった。日露戦争における勝利が世界の近代史に及ぼした影響について、資料②は次のように論じている。

≪日本は日清戦争の時代から国際秩序に大きな影響を与えていた。二十世紀を動かした大きな要因の一つが、日露戦争における日本の勝利だった。問題は(国際情勢に与えた)日露戦争の影響について、日本自身が正確に評価できなかったことだ。≫

≪日本がギリギリのところで勝利を収めると、イギリスはインドを確保できて安堵し、ドイツやオーストリアは弱体化したロシアを横目で睨みつつ、バルカン半島への圧力を一層強めていった。その帰結が英仏ロと独オーストリアとが雌雄を決した第一世界大戦だった。≫

≪日露戦争は、第一次世界大戦を引き起こしたと同時に、ロシア革命も引き起こした。二十世紀を動かしたのは日露戦争だと言っても過言ではない。≫

エピローグ

 複雑怪奇な国際情勢を、極めて単純化して俯瞰し、近代史における日本と欧米列強との相互作用について考察を加えてきた。専門家から見れば、極めて荒っぽいと批判されるかもしれない。しかし本資では歴史の正確さよりも大きな流れを捉えることを重要視したので、ご容赦願いたい。第三部では、近代史の後半として、世界大戦期の日本と欧米列強との相互作用について考察を加えたい。

「思考停止の80年」との決別 第1部

(1)歴史を総括するということ

秩序崩壊しつつある国際情勢

 戦後国際社会の秩序を維持してきた枠組みが、ロシアによるウクライナ軍事侵攻によって瓦解しつつある。ウクライナ戦争がどういう形で終結するのか、現時点では何も予測できない。また中国経済が失速しており、今後社会の混乱がどこまで拡大するか、さらに台湾有事がどうなるか、これも予測できない。

 但し確実なことが一つある。それはウクライナ戦争を契機としてアメリカの弱体化が加速していることだ。それを象徴する事件がアメリカがロシアに対して科した制裁である。アメリカはロシアに対してドル決済を制限する制裁を科したが、ロシアはドルに依存しない二国間決済を拡大して対抗した。ロシアの動きに同調するように、BRICSやグローバルサウス諸国はドルに依存しない貿易決済を拡大しつつあり、制裁はドル覇権が揺らぐ結果を招いたのである。

 この国際情勢の変化は、日本に二つの課題を突き付けている。一つは、戦後ずっと日本は安全保障の要衝部分を「アメリカの傘」に依存してきたのだが、それを再検証する必要が出てきたことだ。他一つはこれから国際秩序をどうやって回復させるのか、そのために日本はどのような役割を果たすのかだ。

 戦後の日米関係は、安全保障の機能の内、核抑止と攻撃をアメリカに委ねて、日本は専守防衛に徹するという取り決めで維持されてきた。一方ウクライナ戦争ではアメリカはロシアとの直接衝突を避けて、ウクライナに対し武器を供与しただけで米軍を動員しなかった。このため、極東有事においてもアメリカは中国との直接衝突を避けて同様の対応をとるのではないかという疑念が生まれた。それは日本が前提としてきた「日本は専守防衛で攻撃はアメリカの役割」という前提が崩れることを意味している。

 有事に備える根本が最悪の事態に備えることであるとすれば、アメリカ依存を局限化し、基本的に自己完結で対処できる体制に大急ぎで転換しなければならない。何故ならアメリカが世界に冠たる1強だった時代が終ろうとしているからであり、過渡なアメリカ依存はむしろ危険な時代となったからだ。

 ウクライナ戦争では、安全保障理事会の常任理事国であるロシアが軍事侵攻の当事国だったため、ロシアの拒否権発動によって何も決められない事態を招いた。もしウクライナ戦争がロシア敗退の形で終結しなければ、国際秩序を無視したロシアの行動が既成事実として残ってしまうだろう。そうなれば同じく常任理事国である中国もまた、ロシアと同様の行動をとるのではないかという疑念が高まり、国際秩序のスキームが崩壊してしまうだろう。この危機に臨んで、国際秩序を再構築するために、日本の役割は何か、アメリカをどう補完するのか、日米関係はどうあるべきかについて、未来の姿を本気で考えなければならなくなったのである。

戦争の総括

 日本は太平洋戦争の敗戦を総括しないまま現在に至っている。敗戦後に「戦争の総括」に着手できなかったのはGHQによる占領体制があったからだ。しかし1951年9月8日にサンフランシスコ平和条約が締結され、国会承認を経て1952年4月28日に公布されて、GHQによる占領体制は終了した。それから現在まで72年の歳月が流れたが、戦争の総括は未完のままである。

 占領体制は現在でも随所に残っている。余りにも現代の日本社会と一体化しているために、大半の日本人は気付いてさえいない。一例を挙げると、米軍横田基地周辺の空域は今でも米軍の管制下にあり、羽田空港を離発着する航空機は、横田空域を避けて飛ぶことを余儀なくされている。首都に米軍基地があり、世界でも超過密な羽田空港の周辺空域に、日本の航空管制権が及ばない横田基地という治外法権の空域が存在する現実は異常という他ない。

 かつて石原慎太郎都知事が精力的に取り組んだことがあったが、具体的な進展はなかった。また明治の時代に不平等条約と呼ばれた、『安政の五ヶ国条約』(領事裁判権、関税自主権)は、明治政府が周到で粘り強い手順を踏んで改定されたが、米英露仏蘭の五ヶ国と条約が締結されたのは明治維新10年前の1858年であり、それから領事裁判権を撤廃するまでに36年、関税自主権に至っては53年もの歳月を要している。

 サンフランシスコ平和条約から既に73年が経過しているが、日米同盟に係る不平等な取り決めは未だに撤廃されていない。これは日本側が精力的に行動しない限り一歩も進まない問題であり、政治家の不作為に他ならない。

 日本は太平洋戦争の敗戦という歴史的重大事件を総括し、教訓を明らかにして、それを現在の政治に活用するという当たり前のことができていない。GHQが去った後も現在に至るまで「GHQの洗脳」を受けた日本人が多く存在する。一例を挙げると、天皇陛下や総理大臣が靖国神社を参拝することに反対のキャンペーンを張る団体やマスコミが存在する。国家元首が戦争の犠牲者となった戦没者を慰霊することはどこの国においても至極当然の行為である筈だが、日本ではその論理が今でも通らない。これも異常という他ない。

 安倍元総理が言及していた「戦後レジームからの脱却」という言葉には、狭義と広義さまざまな解釈があるに違いない。いずれにせよ今も残る占領の遺構と洗脳を一掃して、真に独立した日本に相応しい、かつ現代社会に適合するものに作り換えない限り、「アメリカ弱体化の時代」に起きる危機に対処することは困難になるだろう。具体的には、占領政策によって作られた戦後体制、安全保障条約や地位協定などの日米同盟に係る取り決め、GHQが悪意をもって作り日本に押し付けた憲法、国内に多くある米軍基地、日本の文化・学校教育や精神に与えた影響などだ。

近代史を総括するということ

 歴史を総括することは容易ではない。日本の近代史を総括しようと思えば、図に示すように、時間軸での過去との因果関係、空間軸での国際社会との相互作用を考慮しなければならない。

 明治維新以降の近代史を論じるためには、幕末以前の歴史と明治以降の出来事との因果関係と、日本人が継承してきた資質や文化を境界条件とし、当時の国際社会との間で繰り広げられた相互作用を解読しなければならない。また当時の国際社会もまた歴史との因果関係の結果として存在していたことを無視することはできない。

 歴史の総括は本来歴史家の仕事である。私は専門家でも研究者でもないとお断りした上で、現在のリアルポリティクスを考えるために、可能な限りその全体像と変化を見る視点から、日本の近代史を俯瞰的に捉えてみたい。激変する国際情勢の中で、日本がどこに立ち、どこに向かうべきかを考えるためには、どうしても日本の近代史の総括が避けて通れないのである。

 総括するにあたって参照した資料は次の二つである。

   資料①:『憂国のリアリズム』、西尾幹二、ビジネス社,2013年

   資料②:『自ら歴史を貶める日本人』、西尾幹二と現代史研究会、徳間書店、2021年

高い視座からの俯瞰

 本題に入る前に、視座について触れておきたい。そもそも人類は宇宙船地球号の表面で活動している誠にちっぽけな存在に過ぎない。簡単な数値をもとに、その現実をイメージしてみたい。地球は秒速460m(赤道上)、つまり音速の2倍で自転しながら、秒速30kmで太陽の周りを公転している。さらに太陽系は秒速230kmで銀河系の淵を周回し、銀河系は秒速600kmで宇宙空間を飛翔している。ちなみに音速は秒速340m(気温15℃)である。

 我々人類は、この途方もない超高速で宇宙空間を飛翔する宇宙船地球号の表面で右往左往している存在に過ぎない。如何なる問題も、一度この認識に立って全体を捉え直すのがいい。何故なら、どれほど大きな問題だと思えるものも、なんと小さなことかと俯瞰して捉えることができるからだ。

 万物は流転するというが、日本も世界も地球さえも休まずに変化している。時間とは諸事が物理的に変化することと同義であり、歴史とは変化の軌跡が綴られた記録である。そして現在とは過去からの因果関係の連鎖の結果として存在し、今まさに変化が起きている現場に他ならない。歴史を総括するためには、この「時間、歴史、そして現在」という概念を念頭において考えるのがいい。何故なら観測者としての自分の視座を、観測される舞台から遠く離れたところにおくことによって、状況をより客観的に認識することができるからである。

 歴史は時間と空間を二軸とする座標系で、連続した変化として綴られている記録であるから、そこから特定の部分を切り取って論じることは意味がない。日本の近代は明治維新から始まったが、だからと言って時間軸で1868年以降を切り取り、空間軸で世界の中から日本だけを切り取って幾ら眺めてみても、本質は何も分からない。

近代史を俯瞰するにあたって

 日本の近代史は王政復古と文明開化を同時に成し遂げた明治維新に始まる。さらに日本の近代史を揺るがした大事件は、明治維新、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争の4つである。そして明治維新(1868年)から日露戦争(1904年~1905年)を経て太平洋戦争(1941年~1945年)までを近代史の前半、太平洋戦争から現在までを後半と括ることとする。

 近代史の前半は、司馬遼太郎が描いた物語に象徴されるように、ひたすら困難な坂を登って歴史的かつ世界的な勝利を勝ち取った明るい時代であり、後半は敗戦とGHQによる占領という苦難と屈辱から始まった時代である。そして、近代史の前半と後半の間には「明から暗に」変化する大きな屈折点が存在している。

 もう一つ近代史を俯瞰するにあたって注目すべきことがある。それは日露戦争に勝利して列強の仲間入りを果たしたところまでの成功物語の裏面で展開された欧米列強との相互作用に関する部分こそが重要だということだ。何故なら、その中にこそ近代史後半の失敗の原因が隠れているからである。特に、欧米列強の歴史、その背景にある宗教の影響と、思考と行動様式についての分析と洞察が重要となる。

 ところで我々日本人は、この近代史をどのように理解しているだろうか。ワイングラスを片手に、国際的な懇親の場に参加している場面を想定して欲しい。語学力の問題が全くないと仮定する時、我々は日本の近代史を外国人に対してどのように語ることができるだろうか。堂々と歴史を語る知見を我々は持ち合わせているだろうか。そのことについて学校で習ったことはあっただろうか。或いはその近代史を一遍の物語として記述している本はあるだろうか。

 残念ながら、答えは何れもネガティブであるだろう。占領の遺構と洗脳が一掃されないまま、78年間「ダチョウの平和」の戦後が綴られて、近代史の総括は現在まで棚上げされてきたからだ。

 未来を展望するためには、人類の近代史の中で日本はどこに立ち、如何なる役割を演じてきたのか、それは正しかったのか、もし正しくないとすればどこが誤ったのか、何故誤ったのか、ではどうすべきだったのかについて、全体像を巨視的に把握することがどうしても必要となる。過去を総括することなしに、また過去から教訓を学び取らずに、これからの進路を見定めることはできないからだ。

(2)「思考停止の80年」

日本民族・文明の根幹に係る問題

 日本は戦後78年を「ダチョウの平和」でやり過ごしてきた。近代史を総括してこなかった事実から、これを「思考停止の80年」と呼ぶことにする。「失われた30年」は経済の問題だったが、「思考停止の80年」は日本民族・文明の根幹に係る問題である。そして言うまでもなく、思考停止の起源は太平洋戦争の敗戦にある。

 この資料では、大東亜戦争と太平洋戦争という用語を使い分けている。「大東亜」という呼称については、戦前の昭和の、日本思想界の象徴的存在だった大川周明氏が、昭和14年に書いた著書「日本二千六百年史」の末尾に、次のように説明しているので引用する。

 ≪日本出兵の目的は、畏くも昭和12年9月4日の勅語に煥乎たる如く、一に中華民国の反省を促し、速に東亜の平和を確立せんとする。・・・東亜新秩序の建設を実現するために、獅子奮迅の努力を長期にわたりて持続する覚悟を抱かねばならぬ。東亜新秩序の確立は、やがて全アジア復興の魁である。全アジア復興は、取りも直さず世界維新の実現である。≫

 これに対して太平洋戦争という呼称は、文字どおりアメリカが仕組み、日本が追い詰められるように突入していった、太平洋を舞台として日米が衝突した戦争をいう。

思考停止の起源

 「思考停止の80年」を論じる上で、無視できないことが一つある。それは広島にある「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれている原爆記念碑である。私には、この碑文は「思考停止」を肯定し助長する碑としか読めない。何故なら「繰り返しませぬ」の主語が誰なのか、「過ち」とは何を意味するのか、敢えて曖昧にしているからである。そうすることで読み手に考えさせる狙いがあると言えばそれまでだが、原爆投下とさらにはあの戦争について、誰に何の誤りがあったのかをウヤムヤにし、戦争の教訓をウヤムヤにしてしまうという意味で決定的に間違っていると思うのである。

 それだけではない。この碑文は、アメリカが実行した民間人を標的とした原爆投下という非人道的な重大犯罪に対して、「黙して追及せず」という形で封印する札になっていることを指摘しておきたい。

 電気通信大学名誉教授の西尾幹二氏は、資料①の中で、次のように想いを語っている。

≪そもそも原爆を落とされた国が落とした国に向かって縋りついて生きている、こんな妙な構図がいつまで続くのであろうか。世界が首をかしげ理解できなくても、この病理にどっぷり浸かってしまっていて、苦痛にも思わなくなっている、この日本人の姿を、痛さとして自覚し、はっきり知ることがすべての出発点、何とかして立ち上がる出発点ではないかと思うのである。≫

今も残る占領体制

 『日本を取り戻す千載一遇の好機到来』で述べたように、現在の日本にはGHQの占領政策に起因する、凡そ独立国とは言えない不合理な遺構が随所に残っている。この事実から日本の現状は未だアメリカの占領下にあると断言せざるを得ないのだ。

 エドワード・ルトワックがウクライナ戦争に対し支援疲れに陥っているヨーロッパの現状を憂いて、「戦う文化」を喪失していると指摘している。他国の理不尽な振る舞いに対して敢然と立ち向かう意思を、日本人は敗戦と同時に喪失して現在に至っている。

 占領の遺構の例を挙げれば、必要と思われる以上に多くの米軍基地があること、不平等な日米地位協定が残っていること、思いやり予算の存在、横田基地との関係から羽田空港周辺に日本の管制権が及ばない空域が存在すること、アメリカ従属の外交政策等、広範囲に及んでいる。

 昭和20年9月にトルーマン大統領からマッカーサー連合軍司令官に対して『降伏後における米国の初期の対日方針』が示された。そこには「究極の目的」として、「日本が再び米国の脅威となり、または世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」と明記されているという。

 誠に残念なことだが、この占領政策が暗雲のように戦後78年間日本を覆ってきた。何故未だに一掃できないのか。その原因は米国による占領政策が巧妙だったこともあるが、それだけでない。日本人自身が近代史を総括せず、暗雲を一掃する「戦う」行動を起こしてこなかったからだ。現代の日本人は日露戦争までは確かにあった武士道精神を喪失しているという他ない。

占領政策の呪縛からの開放

 西尾幹二氏は資料①で、「アメリカは欧米の暗い過去を隠すため、GHQの占領政策の中で『侵略したのは日本だ』というすり替えを行った。問題は、意図的に仕組まれた占領政策の呪縛から日本が未だに脱することができていないことだ。いい加減でこの状況から抜け出さない限り、日本という国家はいずれ消滅してしまう。」と警告している。

 戦後の日本人は、この事実を正しく認識せずに、「日本が悪うございました」と頭を垂れたまま78年が過ぎた。先に、広島原爆記念碑の碑文に対し異議を唱えたが、その理由はもう一つある。それは広島を訪れる多くの日本人に対し「この戦争の責任は戦争を始めた日本にある」と、さりげなくも巧妙に洗脳していると思うからである。極めて有害な碑と言わざるを得ない。

 高知大学名誉教授の福地惇氏は資料②で、「遅きに失した感があるが、ある目的のために歪められた歴史観を正道に糺さずしては、日本民族が独立主権国家として21世紀を毅然と生き抜くことはできないと、強く危惧せざるを得ない。」と指摘する。

 敗戦後、日本はいわゆる「空想的平和主義」に立ち、経済優先でやってきた。周囲のロシア、中国、そして北朝鮮までもが核兵器や長射程ミサイルを保有してきた現実には目をつむって、非核三原則の堅持を唱え、自衛隊が攻撃手段を持つことに頑迷に反対してきた。日本が性善説に立って物事を眺めようとする平和志向の民族であることは是非もないが、ロシアも中国も北朝鮮も、善意が通じる相手でないことは明らかだ。こうして相手には悪意があり、日本は善意に立つという矛盾に直面して、その先を理詰めで考えることを放棄する「思考停止」状態に陥ったと考えられる。

 しかし世界情勢は激変した。長期的な動向としてアメリカが弱体化の方向にある現在、このまま思考停止を続けることは致命的に危険であると認識を新たにしなければならない。日本は明治維新から戦後に至る近代史の全体の流れを、先入観に囚われることなく、客観的に総括することによって、占領の呪縛を解き放たなければならない。

終焉を迎えるバブル経済と資本主義

第3部:バブル経済と金融資本主義の終焉

本稿を書くにあたり、参照した文献は以下のとおりである。

 資料1:「2024年世界の株価が暴落すると読む7つの理由」、小幡績、東洋経済オンライン、2023.12.23

 資料2:「米財政赤字、金利上昇でいよいよ問題に」、the Wall Street Journal、2023.10.6

 資料3:「株、住宅、暗号資産等の巨大なバブルがまもなく崩壊」、Business Insider Japan、2023.12.28

 資料4:「中国余る住宅1.5億人分、バブル崩壊、摩擦は世界に」、日本経済新聞、2024.1.27

 資料5:「時価総額886兆円失った中国株、習指導部にとって問題の深刻さ露呈」、Bloomberg、2024.1.25

 資料6:「お金は知っている 実態はマイナス成長、嘘バレバレ中国GDP」、田村秀男、ZAKZAK、2024.1.26

バブルとは何か

 バブルとは新たなマネーが市場に流れ込んで起きる時価総額の膨張である。バブルは誰かが商品(モノ、金融、サービス)を、従来よりも高値で買うことで励起される。資本主義から現代の金融資本主義に至る移行過程で発明された二つのメカニズムがバブルを出現させ膨張させた。一つは<ネズミ講>メカニズムであり、他一つは終値の値付けが全体に及ぶ<時価主義>のメカニズムである。

 どういうことかというと、一般投資家が増加して買い手が増えれば、投資ゲームが過熱して価格が上昇する環境が作られる。これはネズミ講メカニズムと同じ構図である。次に株取引では終値が株価全体の価値を決める「時価」方式が採用されるので、経済の実態から乖離してバブルが発生し膨張しやすくなる。

 分かり易い例として、100万株を発行しているA社を想定する。ある日にA社の人気が急騰して、多数の個人投資家が一斉に買いに走ったとする。その結果、始値が1万円だった1株が終値に2万円を付けたとすると、A社の資産は1日で100億円から200億円に増えたことになる。またA社の株式を100株保有しているBさんの資産は、1日で100万円から200万円に倍増したことになる。この場合A社もBさんも傍観していただけで、何一つ資産を増やす行動をとっていないところに時価方式の問題が隠れている。そしてこのギャンブル性があるが故に、人々は投資というゲームに明け暮れるのだ。

バブルの起源と変遷

 1971年8月15日にアメリカはドルの金兌換の停止を宣言した。いわゆるニクソンショックである。これによってアメリカ政府は兌換という束縛から解放され、幾らでも紙幣を印刷できるようになった。実際に1970年代後半以降、国債の大量発行と金融の国際化が進み、金融市場は急速に拡大して金利の自由化も進んだ。こうしてバブル経済への扉が開かれた。

 その後のバブル形成と崩壊について、ウォールストリートジャーナルは、債権バブルの暴落が起きた2023年10月6日(後述)の記事で次のように要約している。

 <米国は長年、世界の最後の貸し手だった。1990年代の新興国市場のパニック、2007~2009年の世界金融危機、そして2020年の新型コロナウィルス流行による経済活動の停止に対し、米財務省の比類なき借り入れ能力が救いの手を差し伸べた。それが今では、財務省自身がリスクの源泉になっている。・・・米国の借り入れの規模と増加傾向、そして是正に向けた政治的取り組みの欠如は、少なくともここ数十年見られなかった形で市場と経済を脅かしている。それが、足元での突然の国債利回り急上昇から読み取れることだ。>と。

 2005年~2006年に米国の住宅バブルが崩壊した。そして2008年には住宅ローンの返済が滞った場合の担保として購入住宅に抵当権を設定した「サブプライムローン」が不良債権化した。バブルが崩壊してリーマンショックが起きた。各国は危機を回避するために量的緩和(QE)を行った。

 2011年にはギリシャの財政問題に端を発した債務危機が、南欧からユーロ圏、欧州へ拡大して、欧州の債務危機が深刻化した。アメリカでも量的緩和が段階的に行われて幾つかのバブルが起き、いよいよバブル崩壊というタイミングで2020年にコロナパンデミックが起きた。各国は再び大規模な金融緩和と財政出動を行い、バブル崩壊は回避された。

 2022年2月にはロシアがウクライナに軍事侵攻し、G7はロシアに対して強力な金融制裁を科した。ウクライナ戦争は世界にエネルギーと食料の資源インフレをもたらした。米国およびEUはインフレを抑制するために金利を急速に引き上げた結果、景気にブレーキがかかった。今度は金利引き下げ期待で再びバブル基調となった。

金融資本主義というバブル

 バブル経済において債権・債務は対を成して膨張する。そして債務残高はバブルの膨張を示す指標でもある。「The Daily Digest」が世界の債務残高について数値を整理しているので、以下に主要なものを紹介する。(1ドル=140円で単純換算した。)何れもが目がくらむような金額である。

 ①世界の債務総額(2022、国際金融協会):300兆ドル(4.2京円)

 ②同(2021、IMF):235兆ドル(3.3京円)

 ③世界のGDP合計:100兆ドル(1.4京円)

 ④世界の債務残高/GDP(2020):2.56%(1970年の100%から急増)

 ⑤アメリカの政府債務(2023):31.4兆ドル(4,400兆円)、法定上限に到達

 ⑥アメリカの個人債務(2022、第4四半期):16.9兆ドル(2,370兆円)

 ⑦世界の非金融企業900社の負債総額(2022):8.15兆ドル(1,100兆円)

 ⑧G7の中での公的債務/GDP:ドイツのみ100%以下(日本266%、仏113%)

MAGNIFICENT SEVEN

 専門家は2024年に株、住宅、暗号資産等の巨大バブルが崩壊すると予測する。次の暴落は調整ではなく、1929~1932年におきた世界大恐慌に匹敵する暴落になるとし、次のバブル崩壊は<Magnificent Seven(注)>と、金融市場の中枢である国債市場で起きるという。もしそうなれば崩壊は歴史上最大規模となり、実体経済を破壊する崩壊となる。(参照:資料3)

〔注〕2023年初頭からアメリカの株式市場を牽引してきた主要7銘柄グーグル、アップル、メタ(旧フェースブック)、アマゾン、マイクロソフト、テスラ、エヌビディアの7社で「荒野の七人」になぞらえてそう呼ばれる。

アメリカ債券バブルの暴落

 現在では国債市場が株式市場以上のバブルとなっている。実際にアメリカの債券市場で2023年10月6日に大きな暴落が起きたことをメディアが伝えている。

 ・Reuters、「世界で債券売り広がる、米30年債利回りが07年以来の高水準」

 ・Reuters、「債券急落で史上最大の弱気相場に」

 ・Bloomberg、「逆イールドの急速な縮小、米経済に危険な兆し」

 ・Business Insider Japan、「アメリカの長期国債、史上最悪の大暴落」

 ・the Wall Street Journal、「米財政赤字、金利上昇でいよいよ問題に」

 ブルームバーグは「満期10年国債の損失は2020年3月以降46%に達し、30年債は535%も急落した。」と報じた。ロイターは「世界の債券市場で4日売りに拍車がかかり、アメリカ30年債の利回りが2007年以降初めて5%を突破したほか、10年債の利回りは一時4.884%を付けた。ドイツ10年債の利回りも3%台に上昇した。」と報じた。

中国土地バブルの本格的崩壊

 次のバブル崩壊が起きる危険性が高いのはアメリカだけではない。中国の本格的な土地バブル崩壊も防ぐことができそうもない。中国では土地は国有であり、政府はデベロッパーに土地の使用権を与えて交通のインフラや超高層マンションなどを各地に整備させてきた。中国の高度経済成長は大規模な不動産開発がもたらしたもので、地方政府による土地の提供は資本投下と同じである。そして不動産価格の下落は既に始まっている。

 中国の不動産市場では、虎の子の資金をはたいて購入した多数の高層マンションが建設途中で放棄されている。日本のバブル崩壊と同じようにバランスシート不況が起きて国全体が資産縮小スパイラルに陥り、桁外れに巨大なバブル崩壊が起きることが予測される。

 資料4は「中国の建設ラッシュは2020年で沈静化し、2023年末で5,000万戸の住宅が在庫として残っている。主要な収入源を失った地方政府は、傘下でインフラ整備を手掛けてきた融資平台の過剰債務に苦しんでいる。」と報じている。また資料5は「中国本土株の過去三年間の下落率は40%に達している。中国本土と香港株は前回のピークから6兆ドル(約885兆円)相当の時価総額を失った。」と報じている。さらに資料6は「中国のGDP公表値によれば2023年は5.2%で目標を達成したとしているが、別の経済統計値から推定した実勢値は2022年がマイナス2%、2023年がマイナス3%だった。」と報じている。

 1月30日の産経新聞は「香港高等法院(高裁)は1月29日に、経営再建中の恒大集団に対して清算を命じる決定を下した。・・・また香港証券取引所は同日、恒大集団と傘下の2社の株式取引を停止した。・・・昨年6月末時点の負債総額は約2.4兆元(約50兆円)で債務超過状態にある。・・・不動産は中国GDPの3割程度を占める。」と報じている。

 また1月31日の紙面では「中国財務省は30日に昨年末時点の地方政府の債務残高が40兆元超だったと公表した。日本円で約840兆円に相当し、2022年末から約16%、コロナ前の2019年末から倍増した。」と報じた。途方もない金額である。

最終最大のバブル崩壊

 「そもそも金融資本主義における経済と市場は常にバブル状態にある。金融資本主義がバブルそのものであり崩壊する可能性がある。」と小幡教授は資料1で指摘する。「なぜ今、金融資本主義そのものが滅びるのかと言えば、それは2008年のリーマンショックのタイミングで崩壊させなかったために、制御不能なまでにバブルが膨張したからだ。その結果、金融市場だけでなく、政府や中央銀行をも巻き込んだ巨大バブル崩壊となるリスクが高まっている。」と解説する。

 一般に財政赤字は年々増大し、金融緩和(QE、Quantitative Easing)の規模も発動されるたびに増大してゆく。住宅や不動産など実物経済のバブルも、金融市場に流入するマネーの増加とともに巨大化してゆく。こうしてバブル→バブル崩壊→バブル・・・のサイクルは繰り返されるたびに、バブルは膨張してゆくことになる。

 しかしバブルの膨張には限界があり、このサイクルには終わりがくる。次に起きる債券バブル崩壊が最後で最大のバブルとなるだろう。何故なら債権市場でのバブル崩壊は中央銀行・政府を巻き込んだものとなるからだ。従ってひとたび債券バブル崩壊が起きれば金融システムを破壊し、社会をも破壊してゆく可能性が高い。

 しかも次に起きるバブル崩壊は、以下の三要件が重なって起きる点で従来のバブル崩壊とは別格なものになることが予測される。それは、第一に経済大国第1位と第2位のアメリカと中国で連動する形で起きること、第二に崩壊を食い止める外部が存在しないこと(米中市場に代わる新たなフロンティアは存在せず、中央銀行を巻き込んだ債券市場に代わる次の市場も存在しない)、そして第三に中央銀行・政府は既に救済手段を使い果たしていて、有効な対策が打てないことだ。

 そして1月27日現在、アメリカのダウ平均株価は38,000ドルを超えて過去最高値を更新している。日本も1990年のバブル時の最高値を更新している。この事実こそがバブル崩壊が間近であることを物語っている。

バブル経済と金融資本主義の終焉

政府・中央銀行の功罪

 金融市場に中央銀行・政府が巨額のマネーを提供するようになったことが、資本主義を大きく変質させた原因である。政府が国債を発行して財政出動を行う場合市中からマネーを回収することになるため、中央銀行はQEを行って市中にある国債を回収してマネーを供給する。コロナパンデミックが起きた時、各国政府は大規模なQEとゼロ金利政策を行った。しかし危機が収まると欧米はQEを止め、金利を上げると同時に金融引き締め(QT、Quantitative Tightening)に転じた。

 QTはQEによって拡大したバランスシートを段階的に圧縮して金融政策を正常化させるオペレーションである。QTの基本的な手順は、QE縮小→QE終了→バランスシートを維持(一定期間)→利上げ開始→バランスシートの縮小(QT開始)という流れになる。米国では前回の正常化ではQE終了から3年、利上げ開始から2年弱の期間をおいてからQTが実施されている。

 但し日本は例外で、長期にわたってデフレ基調が払拭されてこなかったために、植田新体制になっても未だにQEを解除できないでいる。

 一方で、政府が財政出動を行い、インフラ整備や次世代産業分野に重点投資して、実需を創造し次世代のイノベーションを推進することは健全な経済政策の一環であり、両者は分けて考える必要がある。

マネーパワーの強大化

 資本主義の初期における商取引の決済手段だった段階から、マネーの役割は大きく様変わりした。マネーは財政・金融の実行手段でもあり、通貨として貿易の決済手段であると同時に国際的な投資手段でもある。マネーの力を行使する主なアクターは投資家(個人、機関)、企業(特に貿易を行う企業)、中央銀行・政府、国際金融投資家である。

 商取引の売り手と買い手は取引手段としてマネーを使い、投資家は金融市場で投資手段としてマネーを動かし、企業は為替を利用して貿易決済を行い、中央銀行・政府は金融市場を介してマネーの流通量、金利、為替レートを制御する。国際金融資本家は国際情勢の変化を先取りしてマネーを国家間で移動させることで巨額の差益を稼ごうとする。儲けるためには戦争をも利用し、通貨の暴落をも仕掛ける。

 このように、商取引を円滑に行うための流通手段として誕生したマネーが、現代では国際経済や政治をも動かすパワーを持つようになった。これは本来の資本主義から乖離したものであることは言うまでもない。

バブル経済/金融資本主義の次に来る未来

資本主義の分岐点

 今までの論点を総括してみたい。政府が財政赤字を増加させてきたことがバブル経済を生んだ最大の原因だった。そして金融市場に供給された巨大なマネーがパワーを持って、政治経済や戦争にまで強大な力を行使してきたことが、資本主義の歪みを増大させてきた原因だった。

 この過程でバブル膨張と崩壊のサイクルが繰り返され、サイクルを繰り返すたびにバブルは膨張した。そして現在、アメリカと中国で連動してバブル崩壊が起きようとしており、さらに住宅や不動産市場のバブル崩壊を経て、次は債券市場でバブルが崩壊しようとしている。バブル崩壊の規模において、現在は最終かつ最大のバブル崩壊が起きる前夜にある。

 ここで資本主義の変遷を俯瞰すると、資本主義は先進国に豊かさをもたらした時点でその役割を終えたように思われる。資本主義の変遷の歴史を前半と後半に二分して俯瞰してみよう。資本主義の前半は先進国が豊かさを実現していった時期とし、後半はマネーがパワーを持ったことによって資本主義の歪みが蓄積していった時期と定義する。

 何処かに前半から後半に移る転換点があった筈であり、その転換点で先進国には二つの選択肢があったと考えられる。第一の選択肢はそのまま金融資本主義を続けることであり、実際に欧米主要国はその道を歩んできた。第二の選択肢はそこから社会主義の方向に舵を切るというものである。パワーゲーム化した金融資本主義から徐々に距離をとって、少子高齢化社会を睨んで社会保障を充実させてゆくという選択肢である。

 振り返って考えれば、そういう自覚も、恐らくは戦略もデザインもないまま、日本は少子高齢化圧力に押される形で、第二の選択肢に近い選択をしてきたのではなかっただろうか。

日本の選択肢

 今まではともかく、これからは次の三つの理由から、経済運営として今までの延長線上を行くことが困難となるに違いない。第一にGDP比で財政赤字が増加していること、第二に「荒野の七人」に象徴される投機性の高い株価や極端な貧富の格差等、バブル経済の歪みが増大していること、そして第三に巨大なバブル崩壊が早ければ今年中に起きる可能性が高いことだ。

 既に述べてきたように、先進国ではバブル経済に依存した経済運営が限界に到達しつつある。豊かさの実現という当初の目的を殆ど達成したという認識に立って、資本主義対社会主義の議論を現時点で評価し直して、今後の経済の在り方を再考する時が到来したのではないだろうか。

 個人レベルでは生活の豊かさを追求しつつ、国レベルではバブルに依存しない健全な経済成長を追求しつつ、かつ少子高齢化動向を踏まえた社会保障のあり方とそれを実現する経済の在り方を根本から問い直す時が来ているように思える。この命題は簡単に実現できるものではないが、バブル経済と金融資本主義が終焉を迎えようとしている現在、先進国の進路はその方向にあるように思える。

 世界を俯瞰してみれば、G7の中で日本だけが欧米諸国とは異なるポジションにいる。ウクライナ戦争では殺傷兵器を供与しない代わりに、否応なしに経済復興においてイニシアティブを発揮することになるだろう。イスラエル-ハマス戦争でもイスラエル支持の欧米諸国とは一線を画している。

 北欧等は別として、日本は恐らくG7の中で最も社会保障が手厚く、それ故にGDP比で最大の財政赤字を抱えている国である。但し日本は世界最大の債権国(2021年の経常収支は20兆円、2022年は9.2兆円の黒字)であり、国債の大半を日本の機関が保有している。政府の負債は民間の資産なのであって、日本の財政赤字は日本国のバランスシート上の問題でしかないという事実をきちんと理解しておく必要がある。

 2023年に日本にやってきた外国人は2500万人に達したという。日本にやってきて日本の地方や山里に暮らす外国人が増えている。彼らを引き付けるものが日本にはあるということだ。それはバブル経済と金融資本主義の社会に至る過程で喪失してきた文化や風景ではなかっただろうか。

 そのような認識に立てば、次のバブル崩壊でうろたえることなく、それを転換点として、日本の国の未来像とそのための経済の在り方を再考すべきと考える。

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