情報のリテラシー

 情報が溢れている現代社会を生きてゆくには、情報を使いこなす必要がある。そのために必要となる能力が「情報のリテラシー」である。またOSIという言葉がある。Open Source Investigationの略で、「公開情報をもとに物事を読み解く」という意味だ。OSIのIには、もう一つインテリジェンス(Intelligence)の意味合いがある。

 現在も進行中の三つの事件を例にとって、OSIについて具体的に考えてみたい。三つの事件とは、A:知床遊覧船の事故、B:ロシアによるウクライナ侵略(以下、ウクライナ戦争)、C:コロナ・パンデミックである。

 事件Aは原因と結果が単純で、テレビを見、新聞報道を読むだけで、事件の全容を理解することができる。また報道情報を単に時系列に並べるだけで、事件の推移を知ることができる。

 それに対して、事件Bを読み解くことは容易ではない。ロシアによるウクライナ侵略は21世紀に起きた20世紀の戦争である。現象面だけを見ると、ロシアが一方的にウクライナに侵略戦争を仕掛けた事件だが、歴史的な背景を抜きにしては事件の真相は分からない。

 ウクライナ戦争については、既に以下に記事を書いたので、参照願いたい。

 「ウクライナ後の世界」、kobosikosaho.com/world/617/

 「2022年世界の大乱に備えよ」、kobosikosaho.com/world/638/

 では事件Cはどうだろうか。既に2年間余にわたって世界中の人々を苦しめている事件だが、また今でも連日報道されているにも関わらず、未だにこの事件の真相は明らかになっていない。代表的な疑問点を列挙すれば次のとおりである。

 ・疑問1:ウィルスは何処から来たのか。自然発生なのか、武漢研究所から過失によって漏出したものか、それとも人為的に使用された生物兵器だったのか。

 ・疑問2:なぜ世界一斉にロックダウン(日本では緊急事態宣言)を行い、経済を大きく棄損させたのだろうか。なぜ世界一斉にファイザーやモデルナのワクチン接種を国民に強制(日本ではお願いベース)してきたのだろうか。未知のウィルスに遭遇して、過剰な対応をしたということなのか、それとも何かしら、各国の政治を動かす強制力が働いた結果だったのか。

・疑問3:ウィルスは頻繁に変異を繰り返してきたが、変異を繰り返すたびに感染力は強くなる半面、毒性は弱くなってきたと言われる。脅威度からすれば、既に例年のインフルエンザ以下、普通の風邪並みになっているのに、政府はなぜ感染症の分類を「2類」に据え置いたまま、過剰な監視体制を維持しているのだろうか。等々

 原因と結果が単純ではない事件、特に国際社会で起きる事件の真相を理解するためには、「情報リテラシー」が必要となる。情報リテラシーを敢えて定義すれば、次のとおりである。

 ・第一に、真偽やバイアスの有無を見分ける目利きを含めて、情報を読み解く能力

 ・第二に、複数の情報を組み合わせて事件の全体像を捉え、事件の真相を探求する能力

 ・第三に、自分なりの理解を、自分の言葉で語り、文章に書く能力

 つまり、簡単に言えば、「読み、考え、書く」ということだ。特に書くということは、頭の中にある漠然とした考えを論理的に整理することになるから、思考力を鍛える上でとても重要であることを強調しておきたい。

 OSIは基本的に「情報リテラシー」を実行する作法と考えられる。ここでOSIを行う上で要点を整理しておきたい。まず情報は大別して二つに分類できる。事実(FACT)とインテリジェンス(INTEL)である。ここでINTELはFACT情報を基に考察を加えた情報(知を働かせて加工された情報)をいう。

 次に、情報を提供する媒体は三つに分類できる。新聞、書籍(雑誌を含む)、そしてインターネットである。この内、新聞は毎日定期便として届くのと、事件に関しては基本的にFACT情報中心であることから、いつどこでどのような事件が起きたかを知るインデックス情報として使える。提供する情報の特性によって三つの媒体を整理すると、概ね次のようになる。

 ・新聞:ほぼタイムリー(昨日起きた事件)でFACT情報中心

 ・書籍:専門家によって体系的に整理されたINTEL情報で、タイムリー性はない。

 ・ネット:タイムリー/非タイムリー混在、真実/フェイク混在で、性格上「書き手の意見」という色合いが強い。書き手はさまざまであるため情報の切り口が多彩で、あらゆる情報の入手が可能だが、読み手の情報リテラシー能力が問われる。

 OSIを行うためには、三つの情報ソースを効果的に組み合わせる必要がある。OSIの具体的な手順をブレイクダウンしてみると、たとえば次のようになるだろう。

 ①新聞を毎日読む。昨日国内及び世界でどのような事件が起きたか、或いは既に注目している事件についてはどういう進展があったか、FACT情報を取得することができる。情報を自在に切り取ることができるため、電子版での購読がお勧めである。

 ②注目しているテーマについて、新たに注目に値する記事を切り取る。新聞から切り取った記事を例えばパワーポイントに貼り付けて、年月日情報を書いて保存すれば、「出来事のインデックス」ファイルが出来上がる。インターネットから情報を切りとるツールには、たとえば「Clipper to OneNote」がある。切り出した情報は「OneNote」フォルダに収録されるので、そこからコピペすれば情報の収録し編集は容易だ。

 ③OSIの作業はここから始まる。切り取った記事に対して、注目する記述にマークアップし、気付いた点、疑問点、補足事項などを余白に付加して保存する。情報は読んだだけでは頭に入らない。集めた情報をもとに自分の頭で考え、そして気付いたことを書くことが重要だ。新たな情報に接してひらめいた気付きは、その場でメモにしなければすぐに忘れてしまう。

 ④注目するテーマについて理解を深めるためには、体系的な知識について勉強する必要が生じる。そのためには、専門家が書いたできるだけ最新の書籍を買ってきて読むことだ。最新の動向を体系的に整理している書籍がお勧めである。ハードカバーの本は2~3千円するが、専門家の知見を丸ごと手に入れることができる価値は大きい。

 ⑤注目しているテーマについて情報が集まってくると、それを関係づけて整理し、全体像を描くことが重要だ。一つの情報を一つのピースと考えれば、この作業はジグソーパズルと似ている。必要な情報(ピース)が揃ってくると、全体像が垣間見えてくる。ここで情報の相関関係や因果関係を図解するツールとして、「Microsoft Whiteboard」がお勧めである。会議室の電子白板に相当するPC版のアプリである。

 ⑥さらに、疑問点を明らかにするためには補足情報(ミッシングピース)を調査する必要が生じる。これはインターネットを駆使して補完すればいい。情報リテラシーを駆使して、「世界の図書館」であるインターネットから必要な情報を見つけ出す。和訳情報では元のニュアンスが分からない場合もある。その時は原典をダウンロードして読むことをお勧めする。最近では「英辞郎」などの無料辞書に加えて、AIの翻訳機能が使えるので巧く活用すればいい。

 ⑦さて、OSIの真骨頂は「So What?」を考えることである。つまり、この事件をどう理解すればいいのか?この事件は何故起きたのか?歴史の流れの中で、どういう因果関係で起きた事件なのか?国際社会における他の事件との相関関係はどうなっているのか。その上で、事件の真相をどう理解すべきだろうか?今後どう進行してゆくのだろうか?等々。

 ⑧まとめると、他の事件や情報との相関関係、歴史との因果関係を整理した上で全体像と真相について考察する。「So What?」を考えることは、「読み、考え、書く」の「考える」に相当する。「So What?」を考えることで、自分の視点を持つことができる。

 ⑨最後に、考察の結果見えてきた全体像と真相について、自分の言葉で活字化する。書くことによって、理解を論理的に整理することができる。

 ウクライナ戦争にしてもコロナ・パンデミックにしても、情報を読むだけでは真相は分からない。何故なら真相部分は隠れているからである。ウクライナ戦争では、背景にソヴィエト連邦崩壊後の歴史があり、その歴史には英米対ロシアのインテリジェンス機関による暗闘がある。また、コロナ・パンデミックでは、ウィルス研究やワクチン開発に関わる大きな利権集団の動きがある。世界的な事件の背後には、それを動かしている力学が働いているとみるべきだ。その力学を不問にしたままでは真相は分からないのである。

 現代社会は「複雑系」の社会と言われる。複雑系とは、一言で言えば、原因と結果の関係が単純ではなく、複数の要因が相互に影響を及ぼしながら絡み合っている状態をいう。そういう意味では現代社会で起きる事件は大なり小なり複雑系である。複雑系の社会を生きてゆく以上、その事件は何故起きたのか、背後に働いている力学は何かについて理解する能力を持たなければ、「ではどう対処すべきか」の答えを導き出すことができないだろう。OSIが求められる理由がここにある。

「思考の作法」から見た戦後政治

 今まで書いてきた「思考の作法」を階層構造として体系化した。この流れに従って改めて通して書いてゆく。「思考の作法」を物差しとして戦後政治を眺めると、基本的なレベルで幾つかの誤りが見て取れる。事例として挙げながら書いてゆくこととする。

人生も外交もゲームと心得よ(M/354参照)

 「思考の作法」の前に、肝に銘じることが二つある。「ゲーム」と「イノベーション」である。

・ゲーム

 百姓の家に生まれ天下人になった豊臣秀吉は、「露と落ち、露と消えにし我が身かな、浪速(なにわ)のことは夢の夢」という辞世の句を残した。秀吉晩年の述懐のとおり人の一生は誠に短い。「今」は矢継ぎ早に過去となってゆく。

 そういう心境に立つと、人生とは自分が主役のドラマであり、次々に起こる課題や難問を解決してゆくゲームであると達観するのがいい。どんな難問でも必ず解決できるという信念をもってゲームに挑み、楽しみながら謎解きをするという心構えがいい。

・思考法の前に処世法

 人生はゲームだという心境に立つと、一見複雑で難解に見える課題にも虚心坦懐に向き合うことができる。単純化して考えれば、人生の様々な場面には常に二つの選択肢、すなわち困難な道と楽な道が存在する。ここで賢明な処世は迷わずに困難な方を選ぶことだ。何故なら困難を克服してゆくところにこそ人生の醍醐味があり、その過程にこそ豊かな収穫があるからだ。

・大谷翔平に学べ

 大リーグで前人未到の大活躍をしている大谷翔平を評して、ロサンゼルス・エンゼルスの監督ジョセフ・ジョン・マドン・ジュニアはこう述べた。「他の選手が生きるか死ぬかの競争に四苦八苦している中で、翔平は野球をゲームとして楽しんでいる。」と。他の選手との関係や成績、マスコミを意識するのではなく、プレイする自分自身を子供のように楽しんでいると評したのだ。

 本人がどこまで自覚しているかは分からないが、そもそも日本のプロ野球から大リーグに飛び出したこと自体が「困難な道」を選択した結果だった筈だ。その上でゲームとしてプレイを存分に楽しんでいる大谷翔平の生き方は、いい参考になるのではないだろうか。

 スポーツだけでなく、外交もまた複数のプレイヤーが国益を賭けて国力を知力と腕力で挑むゲームであるに違いない。アメリカや中国を相手にゲームに挑む外交を望みたいものだ。

イノベーションは人類の宿命と捉えよ(M/385参照)

・現状維持志向は亡国への道

 総じて日本人は現状維持志向が強い。

≪事例1:戦後の日米関係≫ 敗戦から76年が過ぎたというのに、未だに米国従属マインドを払拭できないのは何故だろうか。日本中に米軍基地がたくさんある現実を与野党ともに容認しているのは何故だろうか。我が国の安全保障の分担として、日本は盾(防衛)、アメリカは矛(攻撃)となっているが、ロシア、中国だけでなく北朝鮮までもが核兵器を持つに至り、頻繁に新型のミサイルを発射しているにも拘らず、未だに「専守防衛」を変えようとしないのは何故だろうか。

 これらの問いの答えは、戦後の現状維持路線を転換することはパンドラの箱を開けることになるからだ。一度箱を開けてしまえば、今まで「ないことにしておこう」と封印してきた難題が次々に箱から躍り出てくることになるからである。

 敗戦直後はやむを得なかったとして、戦後76年を過ぎた現在も日本の安全保障の中核というか「3K」の部分をアメリカに依存したまま放置してきたことは、与党も野党も独立国の政治家として無責任と言わざるを得ない。日本が安穏を貪ってきた間に怪物中国が目の前に立ち塞がり、北朝鮮が核ミサイルを持ち極超音速ミサイルを実戦配備しつつある事態に至ったのだ。

・イノベーション志向こそ未来への道

≪事例2:失われた四半世紀≫ 日本経済は1991年のバブル崩壊を転換点として拡大から縮小に転じた。我が国のGDPは1995年~2020年の25年間で5.4兆ドルから4.9兆ドルへ10%減少した。この間に米国は2.7倍に増加し、中国は21倍に急増して世界第二位の経済大国になった。この事実は日本の経済政策が根本的に間違っていたことを証明している。四半世紀の間に日本はアメリカの1/3に、中国の1/21に貧しくなったのであり、日本国民はこの事実に声を大にして怒らなければならない。

 GDPが減少したということは国力が小さくなったということである。経済力も軍事力もアメリカの1/3に縮小したことを意味している。もし日本がアメリカと同等のGDP成長率を達成していたならば、現在のGDPは中国と同等だったのだ。「タラ、レバ」の話だが、中国の軍事力が深刻な脅威となっている現在、これほど重要なことはない。しかもこの現状は、プライマリーバランスを最優先の命題としてイノベーションを促進する政策と予算を抑制してきた、歴代政権の政策ミスがもたらした結果なのである。いわば日本のオウンゴールなのだ。

 生物にとって激変する環境を生き残るためには進化することが必須の命題であり、現状維持という選択は自殺行為だったのである。38億年の歴史において大半の主が絶滅していった中で、必死で進化を遂げた種だけが現代に生命をつないできたことを忘れるべきではない。

 人類にとってイノベーションは、生物における進化と同義である。国の発展はイノベーションにかかっていると言っても過言ではない。

心に座標軸を持て(M/258参照)

 ここからは「思考の作法」の基本となる二つのテーマを取り上げる。「座標軸」と「目的思考」である。

・海図のない航海

 人生は航海に譬えられる。ただし人生には目的地も海図もない。人生という航海においては、年齢を重ねるとともに成長を続け、常に変化してゆく社会や国の情勢を見極めつつ適宜適切な舵取りをしてゆく能力が求められる。

・座標軸

 では人生という航海において進路を誤らないためにはどうすればいいのか?その答えは座標軸を持つことだ。その上で自己位置(「今、ここ」に居る「自分」)を確認し、これからの進路を見定めることだ。ちなみに座標軸を持つとは、空間軸と時間軸を横軸と縦軸にとって、その上で自己位置を確認することである。

 空間軸で自己位置を確認するということは、外交で言えば国際社会において日本の立ち位置を明確にすることである。時間軸で自己位置を確認するということは、歴史から未来に向かう変化の中で自己位置を考えることである。

・相対座標ではなく絶対座標

 ただし自己位置を考える場合、絶対座標系と相対座標系の二つがあることに注意が必要だ。

 国際社会における日本の振る舞いを考える場合に、米国や中国など主要国の動向に加えて国連や国内世論の動向を斟酌する政治姿勢は、相対座標系で考えるものである。これに対して、他国や国民がどう思うかではなく、いわば国家観と歴史観に基づいて日本のあるべき姿を考える政治姿勢は絶対座標系で考えるものである。

 振り返ってみれば、戦後政治は米国を中心とし、中国など周辺国との相対関係に配慮して行われてきた。一方、米中は現在共に国内に深刻な問題を抱えていて、2022年は国の行く末を大きく左右する激変の年となることが予測される。

 米中が揃って大きな歴史上の転換点に立っている今こそ、歴史観と国家観に基づいて日本の立ち位置と進路を再確認する好機であると言える。これは米国に従属し中国に忖度する思考に決別して、真に自立した国家を目指して、大きく方向転換することを意味する。

目的思考で考えよ(M/325参照)

 「思考の作法」の、作法の基本となる二つ目のテーマは「目的思考」である。座標軸をとって自己位置を確認したら、次にやるべきことは目標(未来の到達点)を設定することである。

・視点は二つある

 現在から未来を眺めるか、それとも未来から現在を眺めるか、視点をどちらにおくかで思考法は決定的に異なる。言い換えれば、前者は手段思考であり後者は目的思考である。

 一般に目標がはっきり描けていない場合には、できる手段をコツコツと積み重ねてゆく前者のアプローチとなるだろう。この場合、視野の範囲を超える成果を得ることは期待できない。

 これに対して目的思考に立てば、目標を先に設定した上で「目標を実現するために最強の手段は何か」を考えた行動を起こすことになるから、自分の実力を越えた成果を実現することも可能になる。大きな目標を立てて目的思考でゲームに挑むことこそ、ゲームの醍醐味ではないだろうか。

・動機は三つある

 人が行動を起こすときに、やりたいことをやるか、できることをやるか、それともやるべきことに挑戦するかで三つの動機が存在する。英語で言えば、Would(やりたいこと)、Could(できること)、Should(やるべきこと)の三つだ。大きな目標を実現しようと思えば、やるべきことに挑戦する他ない。三つの動機の中で唯一Shouldだけは目標をはっきりさせない限り行動を起こせない。

 よく「できるベストを尽くす」というが、目的思考に立てば「やるべきことを尽くす」が正解である。一般に「やるべきこと」は「できること」の視野の外にある場合が多いのだ。

・ブレイクスルー思考:アタックルートを見つけよ

 できるベストを尽くしても目標を達成できるとは限らない。目標が大きく高いものであるほど、それを実現するための方法は難易度の高いものとなるからだ。実現する方法を発見するためには「発想の転換」が必要となる。これをブレイクスルー思考と呼ぶ。登山に譬えれば、どうすればあの山に登れるか、そのアタックルートを発見する意思と発想が求められる。

 大谷翔平が世界のトッププレイヤーとなったのは、高いところに目標を見据えて日本を飛び出したからであることは言うまでもない。

戦略思考でゲームに挑め(M/451参照)

・戦略思考と忖度思考

 戦後政治は先ずアメリカに従い、中国が日本を抜いて経済大国となった以降は、さらに中国に配慮する形で行われてきた。

≪事例3:北京五輪ボイコットと中国非難決議≫ 北京五輪のボイコットは、岸田総理が欧米に18日遅れて12月24日に意思決定したものの、岸田総理は最後まで「外交的ボイコット」とは言わなかった。

 2月1日に衆議院本会議において、中国の人権弾圧に対する非難決議が三度目の正直として全会一致で成立した。但し、「人権侵害」が「人権状況」に修文され、「非難」の2文字が削除され、さらに驚いたことに「中国」という国名までも削除された。これは秋の参議院選挙を睨んで自民党が公明党の修正案を丸呑みした結果であり、「非難決議ゴッコ」というべき情けないものとなった。

 何故そういうことになったのか。欧米と足並みを揃えなければならないという事情が一方にあり、他方には中国を怒らせたくないという忖度が働いた結果であることは明明白白である。このような気概のない外交を自公連立政権はいつまで続けるつもりだろうか。

 1月13日にBBC等の英国メディアは、MI5(英情報局保安部)が警告した内容を報道した。それは「ロンドンで活動している女性弁護士が中国の中央統一戦線工作部(外国でプロパガンダ工作を行う機関)と連携して、下院議長等の議員に対し献金を行い英国の政治に工作している」というものだった。同様の工作活動は、アメリカやオーストラリア等で起きており、当然のことながら日本でも行われていて現在も進行中であると考えられる。

≪事例4:安全保障、憲法改正、原発≫ 政府は国民の忌避に忖度する結果、これらの問題に関して思考停止状態にある。台湾有事の危険性が高まり、北朝鮮が日本の全域を狙える新型ミサイルの発射を繰り返しているというのに、専守防衛を改めようとする動きもなければ、憲法改正も遅々として進展が見られない。

 さらに、2020年10月26日に当時の菅首相が所信表明演説にて、「2050年までに、温室効果ガスの排出をゼロとする」と脱炭素社会の実現目標を宣言したにも拘らず、原発再稼働はおろか安全な小型原発開発を堂々と推進することも宣言できないでいる。

 激動する国際情勢において国益を守るためには、戦略思考に立った政治を取り戻す必要がある。そのためには、憲法改正や原発推進が不可欠かつ喫緊の命題であることを、政治家は堂々とロジカルに国民に語る責任がある。同盟国であるアメリカに対しては応分の責任を日本が担うとの覚悟を決めて対等に渡り合い、中国に対しては人道や国際法に照らして容認できない行動に対して毅然としてノーというゲームを挑まなければならない。

・プリンシプル

 戦略思考に立つために肝に銘じておくべきプリンシプル(基本原則)がある。それは、以下のようなものだ。①政策の選択肢には常に楽な道(妥協の選択)と困難な道(挑戦の選択)がある。②困難な道を選べばさまざまな障害が立ち塞がることが予測されるが、必要な対策を講じて克服する。③対策を講じることがイノベーションを促進することになり、国を強靭化することになる。④輝かしい未来は常に困難な道の先にある。困難に直面して、安易な妥協をせず、迷わず、ぶれない意思決定を行うために、プリンシプルを明確にしておく必要がある。

≪事例5:中国への忖度≫ 中国との軋轢を回避するという行動は、明らかに「楽な道」であろう。但し一度力に屈服すれば未来永劫従属を強いられる。安易な妥協を選択することは、自由な未来を放棄することなのだ。逆に、非は非として毅然とした外交を行えば、脅迫や報復措置に遭遇する可能性が高いが、それらの障害を克服することによって、「日本は侮れない相手だ」という評価を得ることになる。明るい未来は常に困難な道の先にしかないことを肝に銘じるべきだ。

 ここで見習うべき二つの事例がある。一つは西暦607年に、推古天皇から隋の皇帝に送った親書に、聖徳太子が「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。」と書き込んだ気概だ。もう一つは、オーストラリアのモリソン首相が中国の恫喝と制裁に対して毅然と挑んだ姿勢である。(W/523参照)

・戦略思考

 戦略思考に基づく政治とは、現在及び未来の日本の国益を最大化するために、米国や中国、さらには国連機関や国民に対し忖度することなく、なすべき政策を毅然と遂行してゆく政治姿勢である。

 戦略思考の基本的なステップは次のとおりである。①国家にとって目的は常に「国益を最大化する」ことだと肝に銘じること。②目的と結果を区別すること。目的はあくまでも国益の最大化であり、温暖化問題への取り組みも世界への貢献も、目的ではなく結果と捉えるべきこと。③「何ができるか」ではなく「何をすべきか」を考えること。④守るのではなく攻めること、待つのではなく仕掛けること。⑤大きな戦略ゲームに挑むという自覚を持ち、最強の手段を編み出すこと。⑥相手の弱点を突くことも厭わぬこと。⑦常にゲームの構図を作る側に陣取ること。相手を孤立させ、自分は他のプレイヤーと強いネットワークを形成するというように。

 国益を守るためには、その位の手段を冷静沈着に講じてゆく度量が求められる。

全体像を描き、本質を追究せよ(M/281参照)

・全体像を描く

 国内でも国際社会でも、予測できるもの突発的なものを含めて事件は次々に起きる。事件が起きるたびにメディアが報道するのは、大半が現象に関わるものだ。しかしながら現象情報を幾ら読み聞きしても真相は分からない。真相が分からなければ的確な対応ができない。抜本的な対策を講じるためには、収集した情報を整理して分析と考察を加える必要がある。

 この場合ポイントは二つある。第一は「全体像を描く」ことだ。すなわちファクト情報を集めてホワイトボードに書き出し、情報の相互の関係性(因果関係と相関関係)を図解する。その上でそれを俯瞰して「これが物語ることは何か」を考えることである。

・本質を追究する

 第二のポイントは「本質を追究する」ことだ。人為的な事件であれば、「誰が何故このような事件を起こしたのか。その狙いまたは原因は何か。」を考えることである。

≪事例6:コロナパンデミック≫ コロナパンデミックを例にとって、ファクト、真相、本質の関係を整理してみよう。先ずファクトを五つ整理する。①今回のコロナウィルスは中国武漢市で発生した。②中国科学院武漢ウィルス研究所ではこのウィルスに関わる研究を行っていた。③今回パンデミックを起こしたウィルスは過失・事故を含めてこの研究所から漏出した。④中国政府が感染の事実を公表したのは最初の患者が現れてから1ヵ月以上経った後である。⑤中国が公表を遅らせたために春節の民族大移動によって世界中にウィルスが拡散した。

 五つのファクト情報が物語る真相の一つは「中国は意図をもって世界に拡散させた」ことである。さらに「たとえウィルス漏出の原因が事故であったとしても、中国はその機会を悪用して世界に感染を意図的に拡大した。中国はそういうことを平然と行う国だ。」という本質が世界の共有認識となった。これは今後中国と向き合う場合に十分肝に銘じておくべき教訓である。

システム思考でロジカルに考えよ(M/511参照)

・システム思考

 システム思考は意思決定問題をシステムと捉えて論理的に思考する方法論である。言うまでもないが、外交における命題は「国益の最大化」にある。米国中央情報局(CIA)の分析官だったレイ・クラインは1975年に「国力の方程式」を提唱した。この方程式を元に「国益の最大化」という命題を考えてみよう。

国力=(人口・領土+経済力+軍事力)×(戦略目的+国家意思)

 これはあくまでも概念的なものだが、国力の要素と関係を直截的に表現していて分かり易い。これによれば、国力を高めるために必要な要件は、①人口を維持し、②経済力を高め、③軍事力の強化を怠らず、かつ④明確な戦略目的とそれを貫徹する強い国家意思を持つことである。

・戦後政治の課題

 さて「国力最大化」の視点から日本の戦後政治を巨視的に評価すれば、課題は以下の三点に要約されるだろう。

課題1:日本は四半世紀にわたりデフレに喘ぎ、1995年~2020年の25年間に米国の1/3の規模にGDPが大幅に減少した。致命的な政策の誤りはプライマリーバランスを至上命題とした予算編成にあった。

課題2:戦後の日本は専らアメリカに従属し中国に忖度する政治を行ってきたために、政治の命題として「国益を最大化する」という認識が希薄であった。その結果、戦略目的及び国家意思を明確にしない政治を続けてきた。

課題3:日本の戦後史は太平洋戦争の敗戦から始まっているが、日本は未だに戦争を総括できておらず戦後レジームから脱却できていない。そのために歴史観・国家観が曖昧のままであり、「戦略目的と国家意思」がはっきりしない。その結果国際社会において日本本来の役割を果たす外交を展開できていない。

・「やるべきことに挑戦する」政治への転換

≪事例7:日本の戦後政治≫ 戦後の日本は専らアメリカに従属し、中国に忖度する政治を行ってきた。言い方を変えれば、戦後の日本は「できることをやる」政治に終始してきた。「できること」には「できない言い訳」が用意されており、憲法自体ができない理由の一つになってきた。

 憲法を含む法律上の諸規定は、政策を実行する上で制約条件として働くことは言うまでもないが、ここで注目すべきは、有事において国民の生命と領土を守る上で障害となることが予見される場合には、躊躇なく見直す必要があるということだ。「憲法を守って国民の生命や領土を守れず」となっては本末転倒だからである。政治家にはこれを実行する重大な責任がある訳で、それは台湾有事リスクが高まっている今なのではないか。

・戦後レジームの克服

 日本は現在一つのジレンマに直面して立ち往生している。それは「内なる怪物」を放置したままでは「外なる怪物」に対処することができず、「外なる怪物」に対処する有事モードの中でしか「内なる怪物」を退治できないというジレンマである。ここで内なる怪物とは、パンドラの箱の中に封印してきた「戦後レジーム」であり、外なる怪物とは力攻めの外交を展開する中国である。そして戦後レジームとは、「対米従属、対中忖度」に象徴される戦後政治の枠組みと、メディアの役割と責任、国民の理解を含む総体である。ここで注目すべきは、「日米同盟があるから、それは日本の役割ではない。憲法の規定があるからそれはできない。」という、制約条件が「できない言い訳」となってきた事実である。

総括

 先に「思考の作法」において書いてきたことを、改めて体系的に整理してみた。人生においても、ビジネスにおいても、さらには政治・外交においても、思考の「作法」の基本形は同じである。大きな目的を達成することも、国益を最大化することも、命題をシステムとして科学的論理的に考えて最強の手段を尽くすことに変わりはないからである。

 一方、その視点から戦後政治を振り返ると、思考過程を誤ったが故に国益を大きく損なってきた事例が幾つも浮かび上がる。1995年当時と比べて国力が1/3となったことを紹介したが、それによって喪失した自信と誇りを日本人が取り戻すためには、思考法を改めることが必須要件だと思うのである。

システム思考による戦後政治の転換

戦後政治の課題

「有事の総理大臣」三部作から浮かび上がった、戦後政治の課題は三つに集約される。

  • 課題1:日本は四半世紀にわたりデフレに喘ぎ、1995年~2020年の25年間に米国の1/3の規模にGDPが縮小した。致命的な政策の誤りは、プライマリーバランスを至上命題とした予算編成にあった。(https://kobosikosaho.com/daily/480/
  • 課題2:レイ・クラインの国力の方程式によれば、国力には「戦略目的+国家意思」が乗数項として働く。戦後の日本は専らアメリカに従属し中国に忖度する政治を行ってきたために、政治の命題として「国益を最大化する」という認識が希薄であった。その結果、戦略目的及び国家意思を明確にしない政治を続けてきた。(https://kobosikosaho.com/daily/485/

  国力=(人口・領土+経済力+軍事力)×(戦略目的+国家意思)

  • 課題3:日本の戦後史は太平洋戦争の敗戦から始まっているが、日本は戦争を未だに総括しているとは言い難い。この結果、歴史観はウヤムヤのまま、国家観は曖昧のまま政治を行ってきたのではなかったか。歴史観・国家観が曖昧なために、国際社会において日本の本来の役割を果たす外交を必ずしも展開できていない。(https://kobosikosaho.com/daily/494/

 三つの課題は何れもが政治の在り方に関わる。これらの課題を打開するためには、戦後政治の転換が必要である。具体的にいえば次のとおりである。

  • 対策1:プライマリーバランスを至上命題としてきた予算編成を、「国力・国益を最大化」する予算編成に転換する。
  • 対策2:「できることをやる」政治を、「やるべきことをやる」政治に転換する。
  • 対策3:まず産業革命以降の人類の近代史と、縄文以降の日本文明を俯瞰した歴史観と国家観を明確に描く必要がある。それをもとに国際社会における日本の立ち位置と進路を再確認し、国際社会において日本が担うべき役割を実践する国家へ転換する。

 上記三つの対策は何れもが戦後政治の転換に関わるものであり。転換の第一歩は政策を考える思考法を改めることから始める必要がある。

 現代では国家としての政策決定、企業としての経営戦略の決定等、意思決定はますます複雑になり、しかも一層の迅速さが求められている。高度な情報化社会にあって、物事が複雑に絡みあう複雑系と呼ばれる現代では、先例や経験と勘を中心とした意思決定手法はもはや通用しない。政治や経営に関わる情報を集めて分析した上で、工学的な手法を適用した意思決定が求められる。しかもそれをタイムリーに行わなければならないのだ。

システム思考

 その基本となるのがシステム思考である。システム思考は政治や経営、あるいは個々の意思決定問題をシステムと捉えて論理的に思考する方法論である。システム思考の基本形は図1のように図解することができる。

 システム思考では、命題、投入資源、制約条件、考慮事項に分類し て、関係する事項を整理することから始める。

 手順としては第一に、命題は何か、つまり政治や経営において何を実現したいのかを明文化する。次に制約条件と考慮事項を洗い出す。ここで注意すべきは、制約条件と考慮事項の判別である。最後に、投入すべき資源を列挙する。命題、制約条件と考慮事項、投入資源を整理できた時点で、課題の全体像を図解できたことになる。

 それを1枚の紙に表現して、ではどういう手段を講じれば命題を最も効果的かつ効率的に実現できるのかを考える。このようにシステム思考とは目的志向であり、工学的な思考法である。

事例1:政府の予算編成

 具体的な事例を取り上げて説明しよう。事例1は、政府が行う予算編成である。次年度の予算編成に向けての「経済財政運営と改革の基本方針2021(骨太方針2021)」は6月18日に閣議決定されている。それによれば、「財政健全化の堅持」の項目に以下の記述がある。

 「経済あっての財政」との考え方の下、デフレ脱却・経済再生に取り組むとともに、財政健全化に向けしっかりと取り組む。・・・こうした取組を通じ、600 兆円経済の早期実現と財政健全化目標の達成を目指す。

 骨太の方針は、予算編成の基本方針であり、そこに「経済再生と財政健全化目標の達成を目指す」と書かれているのだ。図1にこれを当てはめれば、閣議決定は次年度予算編成方針を次のように設定したことになる。

  ・命題=デフレ脱却、600兆円経済の早期実現、財政健全化目標の達成

 骨太の方針は予算案を作る各省庁に対する指示書であるから、それを受ける省庁の視点から見れば、以下の条件で予算案を作れということになる。

  ・命題=デフレ脱却、600兆円経済の早期実現

  ・制約条件=財政健全化目標を達成する

 一般論として、経済再生のためには財政支出を大胆に増やす必要があり、一方財政健全化は財政支出を抑制することと等価である。つまり骨太の方針は、財政支出のアクセルとブレーキを同時に踏めという指針であり、これではデフレから脱却できる力強い推進力を持った経済政策が出てくるわけがない。

 「日本は四半世紀にわたりデフレに喘ぎ、過去25年間でGDPが米国の1/3の規模に縮小した。」と9月3日のコラムに書いた(https://kobosikosaho.com/daily/480/)。骨太の方針がいみじくも「経済あっての財政」と書いているように、何よりも必要なのは力強い経済を取り戻すことである。そのためには、骨太の方針は、たとえば以下のように解釈されるものであるべきだ。財政健全化は考慮事項であって制約条件ではなく、況や命題ではありえない。

  ・命題=国力を最大化する、力強い経済を取り戻す、GDP成長率△%を達成する

  ・制約条件=なし

  ・考慮事項=財政健全化を考慮する

事例2:中国に対する人権侵害非難決議

 事例2では、6月17日に自民党が最終的に見送った「中国共産党による深刻な人権侵害を非難する国会決議」を取り上げる。当時の自民党がとった思考過程を図1のシステム思考に当てはめれば、次のようになるだろう。

  ・命題=日本も非難決議を出し、民主主義の先進国としての役割を果たす

  ・制約条件=自公連立の選挙協力に影響を及ぼさないこと

これに対して本来の思考過程は、たとえば次のようなものである。

  ・命題=日本も非難決議を出し、民主主義の先進国としての役割を果たす

  ・制約条件=なし

  ・考慮事項=欧米主要国は既に決議を決めた、公明党の党内調整が終わっていない

 中国に対する非難決議を巡る自民党の致命的な誤りは、国際社会において国益を守り役割を果たすことよりも、公明党への配慮を優先したことにある。次の選挙で公明党を窮地に立たせないことが制約条件として働いた結果である。これでは本末転倒という他ない。

「できることをやる」政治から、「やるべきことをやる」政治への転換

 戦後の日本は専らアメリカに従属し、中国に忖度する政治を行ってきた。このために、政治に「国力・国益を最大化する」という使命感が希薄である。また、国際社会から日本の外交政策はNATO(No Action Talk Only)と揶揄されており、戦略目的、国家意思が感じられない。

 総括的に言えば、戦後の日本は「できることをやる」政治に終始してきた。「できること」には「できない言い訳」が用意されており、憲法自体ができない理由の一つになってきた。

 戦後76年が経ち、台湾有事が起こる可能性が高まり、日米同盟が発動される蓋然性が高まっている。中国による台湾侵攻事態が起きるか、それとも不動産バブル崩壊から中国発金融危機が起きるか、あるいは共産党内部の権力争い等により内部の騒乱が深刻化するか、何れの可能性が高いのかは予測困難である。

 どういう展開になろうとも、有事事態へのカウントダウンは始まっており、台湾有事級の事態が起これば、国民の生命と領土を守るための政策を次々に発動しなければならなくなる。戦後ずっと「ダチョウの平和」に甘んじてきた戦後政治を転換して、「やるべきことを毅然とやる」政治を取り戻さなければならない。

 端的な例を挙げれば、もし中国が台湾にサイバー戦やウィルス戦を含む武力侵攻を行った場合、台湾にいる日本人を短時間で国外退去させなければならない事態となる。小田原評定をしている余裕は全くないのである。このことは8月末にアフガニスタンからの米軍撤退時に現実のものとなった。但し、台湾とアフガニスタンとでは在留邦人の数は桁が違うことを忘れるべきではない。

 我が国は、東日本大震災とコロナパンデミックという有事級の重大事態を経験してきたが、次にやってくるのは安全保障に関わる有事となる可能性が極めて高いのだ。

戦後レジームの超克

 日本は現在一つのジレンマに直面して立ち往生しているように見える。それは「内なる怪物」を放置したままでは「外なる怪物」に対処することができず、「外なる怪物」に対処する有事モードの中でしか「内なる怪物」を退治できないというジレンマである。(https://kobosikosaho.com/daily/494/) 

 無論、内なる怪物とは戦後レジームであり、外なる怪物とは中国である。そして戦後レジームとは、「対米従属、対中忖度」に象徴される戦後政治の枠組みと、メディアの役割と責任、国民の理解を含む総体である。戦後、戦後レジームを是正せずにやってきた結果、できることをやればいいという政治形態が定着してしまった。図1に従い図解して示せば、それは次のようなものだった。

  ・命題=制約条件と考慮事項の範囲での国力・国益の最大化

  ・制約条件=憲法、関連法規定、日米同盟

  ・考慮事項=中国を怒らせない

 ここで注目すべきは、「日米同盟があるから、それは日本の役割ではない。憲法の規定があるからそれはできない。」という、制約条件が「できない言い訳」となってきた事実である。

 これに対して、「やるべきことをやる」政治形態は、たとえば次のように表現できる。

  ・命題=無条件での国力・国益の最大化と国際社会での役割の遂行

  ・制約条件=憲法、関係法規定、但し国民の生命と領土を守る障害となる場合を除く

  ・考慮事項=日米同盟関係を維持、中国を国際秩序に従わせる努力を継続

 ここで注目すべきは、憲法を含む法律上の諸規定は、政策を考える上で制約条件として働くことは言うまでもないが、有事事態では、国民の生命と領土を守る上で障害となる場合には、制約事項をも躊躇なく見直すことを余儀なくされる。「憲法を守って国民の生命や領土を守れず」となっては本末転倒だからである。

まとめ

 幾つかの事例を取り上げて、システム思考を説明した。システム思考の重要なことは、命題、制約条件、考慮事項を整理した上で、如何なる手段を講じたら命題を実現できるかを一切の先入観や前提条件なしに論理的に考え抜くことにある。

 補足すれば、命題を達成するために必須であれば、外交を戦略ゲームと捉えて、ゲームの構図やルールを日本に有利なように作り替える努力も排除しないということだ。但しそのためには国際社会から期待されている役割を日本が毅然として果たす外交が必要となることは言うまでもない。

 さらに、戦後レジーム=内なる怪物を退治し、如何なる国にも従属も忖度もしない自立した国家政治形態は、たとえば次のように表現できるだろう。

  ・命題=国力・国益の最大化と国際社会における日本の役割の遂行

  ・制約条件=歴史観・国家観に基づき行動する

  ・考慮事項=外交を戦略ゲームと捉え、ゲームの構図とルール形成の活動を強化する

 戦後の日本が自らに課してきた制約である戦後レジームは、「やるべきことをやる」政治へ転換する過程で、一つ一つ打破してゆく他ないと思われる。

忖度思考と決別し戦略思考を取り戻す

東京オリンピック後の世界

 安全保障も憲法改正も原発も、政府は国民の忌避に忖度して思考停止状態にある。有事が起きて世論が変化するまで待っているようにさえ思える。一方アメリカはバイデン大統領政権が誕生した後も手を緩めることなく、中国に対し容赦ない圧力を次々に加えている。

 平和の祭典である東京オリンピックが終了すれば、パンデミックを起こした中国の責任追及、人権弾圧に対する制裁、来年の北京オリンピックボイコット等、中国に対する米欧の圧力が強まることは疑う余地もない。台湾を巡って米中が衝突する有事が起こる蓋然性が高まっている。

 元空将補である横山恭三は「米中覇権争いはこれまでのところ、経済分野において、貿易戦争、5G戦争、半導体戦争として繰り広げられてきた。」と前置きして、「米国の証券市場から調達した資金が中国軍の能力向上に使用されることを阻止するために、米国は証券市場から中国企業を締め出そうとしている。」と分析記事をJBPressに書いている。(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66214

 「Daily/407」に書いたように、近年サイバー、バイオ、宇宙分野において他国の重要インフラに対する攻撃が常態化しつつある。20世紀までの戦争とは明らかに形態の異なる戦争が進行している。現代は実弾を打たない準有事というべき事態にあるにも拘わらず、我が国では政治家はダチョウの平和、思考停止状態に留まっている。

 それが如何なる形態をとるにせよ、米中衝突という有事が起これば、日本は立ち往生することになるだろう。何故なら、地政学的理由だけでなくあらゆる意味において、日本は日米欧対中国の対立の最前線に位置しているからだ。

 札幌医大名誉教授で、医学物理、核放射線防護の専門家である高田純は、著書「脱原発は中共の罠」の中で、中国の軍部が暴走して東京に核ミサイルを撃ち込む事態を想定したシミュレーションを紹介している。

 またそれと呼応するかのように、7月21日の産経新聞には、「中国の対日核威嚇に警戒を」と題して古森義久がコラムを書いている。要点は次のとおりである。

・中国の軍事研究集団が「日本が台湾有事に軍事介入すれば、中国はただちに核攻撃を日本に加えるべきだ。」と新戦略を打ち出した。

・中国の民間の軍事研究チャネル「六軍韜略」が「核攻撃での日本平定」と題する動画を一般向けのサイトに載せ、「もし日本が台湾での有事に少しでも軍事介入すれば、中国はただちに日本に核攻撃を仕掛け、日本が無条件降伏するまで核攻撃を続ける。」というメッセージを公開した。

・中国の対外戦略の専門家ロバート・サター氏は、「中国の日本への核攻撃は米国との全面的な核戦争を意味するから、この動画のように簡単に動けるはずはないが、日本としては中国のこうした傾向は十二分に懸念すべきだ。」と述べた。

・中国の軍事動向に詳しいトシ・ヨシハラ氏は、「中国政府は明らかにこの種の対外憎悪の民族感情を煽っている。特に日本への敵意や憎悪は政策形成層にも強い。その間違った世界観が中国政府に実際の戦略を大きく錯誤させる危険を日米同盟は認識すべきだ。」と警告した。

 中国のこの動きをどう受け止めるべきだろうか。第一に明白なことは、台湾有事を巡って現在日米vs中国の間で「戦略ゲーム」が進行していることであり、中国が今回恫喝カードを放ったということだ。もう一つは、台湾を巡る日米の連携が強化されていて、中国が困惑しているということだ。ここで重要なことは、恫喝にひるめば相手の思うつぼであり、必要な対策を講じた上で、ひるまずにゲームを続けることである。

 戦後日本で少なくとも二つの有事事態が起きた。一つは2011年の3.11であり、他一つは現在も進行中のコロナパンデミックである。3.11でもパンデミックでも、日本は有事が起きてから、「平時に取り得る手段」を逐次的に積み上げてきた。

 7月21日に次期エネルギー基本計画の素案が公開されたが、相変わらず原発再稼働・再開発は封印されたままだ。近年、地球温暖化対策が優先課題となり、欧州は3.11以降とってきた原発停止の方針を転換している。また日本政府は2050年までに炭酸ガスを実質ゼロにする方針を発表している。原発を巧く活用することなしに実現する目途が立っていないにもかかわらず、原発は必要だと政治家は何故国民に訴えないのだろうか。ここでも忖度思考が働いていると言わざるを得ない。

忖度思考

 昨年11月24日に中国の王毅外相が来日した折に、茂木外務大臣との間で会談が行われた。尖閣諸島周辺海域における中国公船の振る舞いに関する二人の発言について、軍事学者の北村淳と、元陸将補の森清勇がJBPressに記事を書いている。

・北村淳、「王毅外相に何も言い返せない茂木外相の体たらく:中国の一方的主張に大人の対応では尖閣を失う」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63096

・森清勇、「尖閣諸島に了解侵犯する中国船がヤバい事態に:本土では中国資本が不気味に買い漁る土地・山林」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65289

 何れも、外交の場においては、真剣勝負のゲームを挑まなければならないのであって、相手に忖度すれば国益を損ねるという指摘である。誠にそのとおりだ。

 「Daily/434」では中国に対する非難決議について、与党政治家がとった行動について書いた。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるが、忖度思考では始めからベストオプションを除外してしまいかねない。何故なら「次の選挙に影響を与える、中国から睨まれたくない」という制約条件が先に立つ結果、何を最大化すべきなのかという目的設定を誤るからだ。目的は常に国益を最大化することであり、国益追求のために毅然とした行動をとることこそが国民の支持を強固なものとする。選挙は結果であって、断じて目的とはならない。

 そもそも忖度するというのは、軋轢を避けようとする商人のマインドであって、日露戦争までは確かにあった武士のスピリットとは全く相いれないものだ。政治家はいつから「事なかれ主義」の集団となったのだろうか。

戦略思考を取り戻す

 台湾有事を前にして、忖度思考を戦略思考に転換しなければ国益を守れなくなる恐れがある。戦略思考を取り戻すためには、まず思考がぶれないためのプリンシプルを明確にする必要がある。国家でも企業でも個人でも、激動の時代を生き延び、未来に向けて進化を遂げてゆくためのプリンシプル(以下、「進化のプリンシプル」と呼ぶ)は次のとおりだ。

・選択肢は楽な道と困難な道の二つがある。

・困難な道を行けば障害が立ち塞がる。それが制度に関わる障害ならば、時代遅れの部分を修正し、それが技術的課題なら課題を解決する新しいテクノロジーを開発する。

・何れにしても困難を乗り越えるイノベーションの結果として進化が生まれる。

・輝かしい未来は常に困難な道の先にある。

 「World/428」に「日本近代史の総括と教訓」について書いた。明治維新から日露戦争までの期間は、欧米による植民地化と産業革命の時代と重なっており、日本にとっては戊辰戦争、西南の役、日清戦争、日露戦争と続いた戦争の時代だった。幸いにも国家の指導者層に武士のスピリットが継承されていて、国内及び国際社会において戦略的に発想し行動したことによって日露戦争の勝利がもたらされたのだった。

 それと対照的に戦後は、安全保障をアメリカに委ねたが故に、「自らの国は自らの力で守る」という独立国家には当たり前の命題から解放された結果、ダチョウの平和国家となった。単純に言えばそういうことだったのだろう。

 日本の近代史には甚大な犠牲のもとに蓄積された多くの教訓がある。それに照合して考えれば、「進化のプリンシプル」を理解していない政党や企業は社会の変化に取り残され、やがて衰亡の道を辿るだろう。

 日本の近代史を、その時代を背負った指導者層がとった思考法で分類してみると次のように俯瞰することができる。まず明治維新から日露戦争までは「戦略思考」に立って諸外国と互角に渡り合った時代だった。次に日露戦争から太平洋戦争までは、世界情勢を客観的に理解する視点を失って「唯我独尊の思考」に陥った時代だった。そして敗戦から現在に至る期間は、「忖度思考」が定着した時代だったと。

 現在NATO外交(Daily/371)と揶揄される原因も忖度思考にある。明治維新から日露戦争までを強かに生き抜いたときの日本人が持っていた思考法と資質を取り戻す必要がある。

 ここで、「戦略思考」の要件を整理しておこう。

第一は、国家にとって目的は常に「国益を最大化する」ことだと肝に銘じることだ。

第二は、目的と結果を区別することだ。地球温暖化など地球規模の課題対処でも、目的は国益の最大化であり、課題の解決、世界への貢献は結果と捉えるべきだ。

第三は、「何ができるか」ではなく「何をすべきか」を考えることだ。その上で、「ベストを尽くして天命を待つ」を不言実行することだ。但し、ベストとはできる範囲のベストではなく、あらゆる手段を尽くすという意味でのベストである。

第四は、守るのではなく攻めること、待つのではなく仕掛けることだ。思考停止状態の案件は、世論の盛り上がりを待つのではなく、国益追求の政策を次々に実行する結果として実現すべきだ。

第五は、大きな戦略ゲームに挑むという自覚を持つことだ。ゲームと捉えて最強の手段を編み出すことが重要だ。一切の制約条件を外して白紙で発想し、目的思考で考え抜くことだ。太平洋戦争で日本がチャーチルとルーズベルトによって戦争に追い詰められていった米英の画策を教訓とすべきだ。さらに、日露戦争では日英同盟を実現させ、明石大佐をロシアの裏庭に送り込んで共産主義革命を画策した行動を思い出すべきだ。

第六は、ゲームと捉えた上で、相手の弱点を突くカードを切ることだ。

第七は、日露戦争と太平洋戦争で日本が実際に経験したように、ゲームの構図を作る側に陣取ることだ。相手を孤立させ、自分は他のプレイヤーと強いネットワークを形成するというように。

イノベーションを促進する思考法

進化、生物の戦略

 宇宙には「時間」という概念が存在する。「時間とは何か」というのは哲学的な問いだが、単純に言えば、「時間が存在する」ことは「万物は流転する」ことと同義であるだろう。

 およそ38億年前に生物が誕生して以来、地球環境は激変を繰り返してきた。それでも生物は過酷な環境の変化に適応するべく、進化する仕組みを発明してしたたかに生き延びてきた。生物の進化は世代交代のときにDNAを書き換える突然変異として起こる。それは、たとえその種は滅んでも新たな種として生き残るというしたたかな戦略なのである。

イノベーション、人間社会の宿命

 イノベーションとは社会の新陳代謝であり、陳腐化した制度やシステムに代わり、新しい制度やシステムが導入されてゆく変化である。

 社会が変化してゆく過程で、個々の技術や制度は役割を終えたものから退場してゆく。人もまた世代交代をしながら新しい世代が新しい社会を担ってゆく。この構図は生物の進化と同じである。生存することの宿命なのだ。

 近代社会は豊かさを追求しており、そのために経済成長を必要とする。成長するにはイノベーションが不可欠である。もしイノベーションを嫌って現状維持で行こうとする国は、国際社会の中で淘汰されてゆく。

 人間社会におけるイノベーションは生物界における進化に相当する。ただし両者が根本的に異なる点が一つある。それはイノベーションが人為的に起こされるということだ。社会においてイノベーションを起こす力は二つ存在する。一つは新しいテクノロジーの登場であり、他一つは政治の意思である。

 4月22-23日に、バイデン大統領の呼びかけによりオンラインで「気候変動に関する首脳会合(気候変動サミット)」が開催された。これは「かけがえのない地球を守るために」という崇高な理念を掲げているが、実態は政治の意思によって仕立てられたイノベーションを競うゲームであり、国益をかけた主導権争いに他ならない。

「何ができるか」vs「何をすべきか」

 ウィグル人に対する中国のジェノサイドに対し欧米を中心に非難と制裁の声が高まったときに、加藤官房長官は3月24日の記者会見で、「わが国の制度は人権問題のみを直接の理由として制裁を実施する規定はない。」と述べた。つまり官房長官は「規定がない」ことを理由に、「人権外交はやらない」と言ったのである。(https:kobosikosaho.com/daily/371/

 また4月16日に開催された日米首脳会談は、台湾有事における共同での対処に踏み込んだ。アメリカ側からすれば、これこそが首脳会談の目的であり成果だったのだろう。それを受けて日本では、台湾有事に「日本に何ができるか」の議論が展開してゆくことが予測される。

 実はこの二つの事例は、日本の思考過程が的外であることを物語っている。大事なことは「何をすべきか」であって、「何ができるか」ではないのだ。

 そもそも法律や制度は、過去に起きた社会的な重大事件を契機として、法体系の不備を補う形で制定されることが多い。未来に起こり得る事態に備えて、事前に新法を整備するという事例は稀だ。従って過去に例のない事態に対しては、現在の法体系や制度は常に不備なのである。この場合、政治の責任は「制度がないから対応できない」ではなくて、「新たな制度を大至急整備してでもやる」という姿勢でなければならない。

衰退途上国化する日本

 産経新聞の4月25日号に、寺崎明氏が『日本は衰退途上国になったのか』という記事を寄稿してイノベーションを論じている。「ワクチン接種の遅れ、国民一人当たりGDPの急落(2000年の世界第2位から2019年には第25位へ)」を事例として紹介した上で、「日本の最大の問題は戦略思考力の欠如にある。」と指摘している。

 まさにその通りだと思う。コロナウィルスに関して、このことを象徴する興味深い統計がある。グッドニューズは欧米と比較して日本の感染者数が桁外れに小さい事実であり、バッドニューズはワクチンの普及率が桁外れに低い事実である。

 感染者数が相対的に少ない背景には、複数の明確な要因があると思われる。問題はワクチンの方だ。そもそも未だに国産のワクチンが登場していないのは何故だろうか。日本は技術先進国ではなかったのか。新たなウィルスの出現に対し迅速にワクチンを提供できないとしたら、より感染力と致死性の高いウィルスが近い将来出現した場合(自然発生及びテロを含めて)、甚大な被害をもたらすことになる。

 ここでワクチン開発に関する日米の違いについて紹介しておきたい。日本経済新聞は昨年3月7日に、「アメリカでは2020年3月に新型コロナウィルスの対策費として83億ドルの追加予算案をトランプ大統領が承認し、ワクチンの開発加速などに30億ドル超を投じる。」と報じた。

 一方国産のワクチン開発の現状については、東洋経済オンラインが昨年4月25日に、「厚生労働省は2006年に『ワクチン産業ビジョン』を策定したが、製薬企業に丸投げしたとも言える内容だった。」と報じている。

 記事によると、厚労省の声掛けによって、大手製薬会社とベンチャーがペアを組んで3チームが作られたが、全てのチームが巧くゆかず最終的に瓦解してしまい、この結果ワクチンメーカーは中小ばかりに戻ってしまったという。

 さらに、昨年4月7日に閣議決定された2020年度補正予算案は「国内のワクチン開発への支援が100億円、海外のワクチン開発に差し出す資金が216億円」だったと報じている。

 アメリカ政府が投じた資金が3000億円超、これに対して日本政府が投じた資金が100億円、しかも200億円超を同時に海外に投じるという事実から何をくみ取るべきだろうか。また厚労省の『ワクチン産業ビジョン』が頓挫したのは何故なのか。

 一言で言えば、寺崎氏が指摘するように「日本には戦略がない」ということだろう。具体的には、「やるべきことを大胆にやらずに、できることを小出しに積み重ねてゆく」アプローチの失敗なのではないだろうか。

イノベーション思考

 イノベーションは「何をすべきか」という発想から生まれる。「何をすべきか」からの思考法をとると、それが難易度の高い課題であるほど簡単には実現できない障害がクローズアップされる。その結果、次の問いは「困難を可能に変えるために何が必要か」になる。正にイノベーションを起こす正のスパイラル思考だ。

 これに対して「何ができるか」からの思考法では、「法律がないから」、「予算がないから」、「世論が高まっていないから」、「日本には技術がないから」、・・・と、できない理由が山ほど登場する結果、小出しで中途半端な政策しか出てこないことになる。これは衰退に向かう負のスパイラル思考に他ならない。

 課題に直面したときに、政治家や官僚に限らず日本人の多くが「イノベーション思考」ではなく、「現状維持思考」に終始していないだろうか。できることを幾ら積み上げてもイノベーションにはならないことを肝に銘じる必要がある。

 制約条件を全て取り払って自由に考えることは、枠を作ってその中で考えることよりも格段に難しい。「何をすべきか」を考えることは、それは全体像を白紙にデッサンすることに似て、決して容易ではない。日本全体が難しい問いを避けて、安易な方向を選択していないだろうか。

イノベーション促進国への転換

 「衰退途上国」へのスパイラルから脱出し、ダイナミズムと成長を取り戻すためには、イノベーションが必要だ。しかもビジネスの世界に限らず、行政にこそ必要であることを強調しておきたい。

 「財政健全化」という誤った御旗のもとに、政府が「成長のための投資」という蛇口を絞ったために、日本はいつまでもデフレから脱却できず、その間に企業は世界の競争力を失い、日本は低成長に甘んじてきた。激変する環境の中で生物が進化を繰り返して生き延びてきたように、日本社会が再び成長軌道に戻るためにはイノベーション力を取り戻すことが必須条件である。

 戦後75年の間に進行したテクノロジーの変化は、驚嘆に値するものだ。一方その間に国家や社会の制度やシステムは、高速道路などのインフラと同じように、容赦なく老朽化が進んだ。大胆に刷新してイノベーションがどんどん起きる環境を整備しなければ、日本は衰退のステップを早めるだろう。

 コロナ対策として政府が投じた資金は2020年度に30-40兆円といわれる。残念ながらその資金は日本経済の沈み込みを止めるものが大半であってコロナ以前に対しGDPを増やすことは望めないだろう。何故ならこれは対症療法であって戦略投資ではないからだ。一方、ワクチンの集中的な技術開発や短期間での普及させる環境整備に十分な国家資金を投じるお金の使い方は、たとえば国が1兆円を投じることによって10年後に10兆円規模のGDP創出を推進するというように、戦略的というべきものだ。

 そのような戦略的なお金の使い方を阻害する障壁が、行政の世界には多く存在していると予測する。省庁縦割りはその代表的な例である。それらを撤廃してゆくことが行政のイノベーションである。

 では、イノベーション思考に転換するにはどうすればいいのか。日本が「衰退途上国」となった原因が「戦略思考の欠如」にあるとすれば、そこからどうやって脱出すればいいのだろうか。

 菅首相は昨年10月26日に行われた所信表明演説を、「・・・そのため、行政の縦割り、既得権益、そしてあしき前例主義を打破し、規制改革を全力で進めます。」と結んでいる。これを不言実行するのであれば、政府内の議論から「何ができるか」の議論を追放し、「何をすべきか」、「どうすればそれを実現できるか」をトップが常に問うよう運営を刷新すればいい。実行する意思さえあれば、即日でできることだ。

ゲーム

 シャーロックホームズ、エルキュールポアロ、インディージョーンズ、何れも創作の物語だが、彼らに共通していることが一つある。それは彼らがゲームとして難問に挑み、謎解きを楽しんでいることである。無論、小説や映画の中の話だが。

 一方、現実の世界を生きている我々は、さまざまな課題や時には難問に直面する。万一そのような事態に直面したら、腹を据えて、ゲームとして取り組んだらいい。

 考えてみれば、人生というものは自分が主役のドラマであり、次々に起こる課題や難問を解決してゆくゲームなのだ。無論、ここで言うゲームは遊びのゲームではなく、知力を尽くした真剣勝負という意味である。

心構え

 ゲームに挑む心構えとして最も重要なことは、どんな難問でも必ず解決できるという信念である。アタックルートは未だ発見できていないが必ずどこかにある、そう信じることが重要だ。

 そもそも「成功する秘訣は何か」という問いの答えは、「成功するまで諦めない」ことなのだ。実践することは容易ではないが、法則は単純である意味冷徹さえある。

 必ず解決できるという信念を持った人間には、課題を解決するためのヒントが向こうからやってくるものだ。あたかも信念がヒントを引き寄せるかのように。

アタックルート

 五里霧中の状態では登山ができないように、混沌の中に身を置いた状態で、課題を解決することは難しい。何故なら課題の全体像を把握できなければ、アタックルートが分からないからだ。

 課題解決をジグソーパズルに譬えてみよう。まず人生におけるジグソーパズルの場合、そこにどんな絵が隠されているかは分かっていない。この点ではミステリー小説と同じである。ミッシングピースを一つずつ見つけてゆくことによって、課題の全体像は少しずつ姿を見せるようになる。ちょうど山で霧が晴れてゆくかのように。

 課題解決をゲームと捉えるという意味は、楽しみながら謎解きをすることと同義である。ゲームと捉えることで事態を客観視でき、アタックルートの発見が容易になるからだ。

一人二役

 ミステリー小説に登場する名探偵にとって、事件は自分の身に起こったものではない。探偵という役割は始めから事件の当事者ではないことがミソである。探偵は事件の外に身をおいて、状況を終始冷静かつ客観的に眺めることができるからこそ、謎解きを楽しむ余裕が生まれるのだ。

 一方人生はそう単純ではないが、構図は同じである。もし人生において難問に直面したなら、ドラマの主人公の他に名探偵役を登場させればいいということだ。つまり自らが一人二役を演じて、名探偵の視点で難問に向かう、そういう立場を作ることが重要である。

 言い方を変えよう。難問に直面している当事者としての自分は、精神的に追い詰められてパニック状態となり、冷静に論理的に考えられないことが多い。一方、当事者の自分とは別のところに視点をおいて事態を客観視できれば、「この課題、些か手ごわそうだ。さて、どうやったら解決できるか、何処から取り組むもうか。」という展開に変えることができる。

 このことをゲームの構図として考えてみる。当事者の自分一人で難問に対峙している状況は、突然起こった難問から強烈なストレスにさらされて追い詰められている構図となっている。これに対して、名探偵役のもう一人の自分を登場させて、難問と当事者の自分が対峙している状況を客観視することができれば、ゲームの構図を変えて、ゲームの主導権を握ることができるというわけだ。

 多くのゲームは全体像が分からないところから始まる。ではその状態で、どうやって難問にアタックしてゆけばいいのだろうか。難問を解くカギは疑問に思うところに隠れている。Why=何故?を問いながら、謎解きをしてゆくことはミステリー小説における名探偵の常道であり、「思考の作法」である。

思考法から処世法へ

 ゲームに挑み難問を解決してゆく、その行動の一つ一つが人生というドラマを紡いでゆく。

 こう考えるとき一つの処世法に到達する。つまり眼の前に道が二つあるとする。困難な道と楽な道の二つだ。この場合、賢明な処世は迷わずに困難な方を選ぶことである。何故なら困難を克服してゆくところに人生の醍醐味があり、その過程でより大きく豊かな収穫が得られるからだ。

 もし楽な道を選んだ場合、その後の人生においてずっと楽な選択肢が用意されるとは限らない。むしろそういう生き方をしていると、人生の後半になって難問に直面した時に、それを乗り越える力を蓄えていないために立ち往生してしまう恐れさえある。

 宮本武蔵の「独行道」に、「神仏を尊み、神仏を頼まず」という言葉がある。自分の力を信じて進めという覚悟を言葉にしたものである。 現代は刀こそ差していないが、課題や難問の一つ一つが真剣勝負であることに変わりはない。情報が溢れている現代の方が処世は遥かに難しいともいえる。だからこそ処世はゲーム心で臨めということなのだ。

~目的思考~

 人が何かを達成しようと思うときには目的があり、手段が必要となる。この二つを区別することが「思考の作法」の第三の型である。

 はじめに一般論だが、人は往々にして目的を明確にしないまま行動を始めてしまうことが少なくない。分かり易い例を挙げよう。例えば60歳を過ぎて現役を退いた時、これからは健康を維持することが大事だと多くの人がジョギング等さまざまな取り組みを始める。

 しかしながら、何のために健康を維持するのだろうか?健康を維持して何をするのだろうか?健康を維持することは手段であり、これから何をするのかという目的を先に考えるべきだと思うのだが、何故そうしないのだろうか。

 ハッキリしていることが一つある。それは「何のために」を考えることは、「何をする」を考えるよりも遥かに難しいということだ。何故ならそれは未来の姿を描くことになるからである。

二つの思考法

 手段から考えるということは、現在に視点をおいて未来を見つめるアプローチである。一方目的を先に考えるということは、未来の姿を先に描いて、それを実現するための手段を考えることである。つまり未来の到達点に視点をおいて、現在を見つめ直すアプローチである。便宜上、前者を「手段思考」、後者を「目的思考」と呼ぶことにする。

 この二つの思考法には決定的な違いがある。

 手段思考では過去の延長線上に未来があることを想定している。何故なら実行可能な手段をコツコツと積み重ねることになるので、到達できる目的地は延長線上となるからだ。

 これに対して目的思考では、簡単には実現できない高い目標を設定することが普通である。そしてそれを実現するためには通常の発想を超えたアイデアと行動が求められる。

 もし手段思考のAさんと目的思考のBさんが同時にスタートした場合、Bさんの方がより遠く、或いはより高い目標に到達できるに違いない。それだけでなく、AさんよりもBさんの方がより柔軟な発想力、より高い行動力を獲得する可能性が高い。この結果、目的思考に立つのと手段思考で行くのとでは、人生全体で考えると相当大きな開きとなることが予想されるのである。

 分かり易い例を挙げよう。何かの製品を作っている工場を想定する。もし社長が原価を1割削減せよと号令をかけたとすると、従業員は無駄な部品や工程を削除するなどの改善努力を重ねて何とか社長の期待に応えようとするだろう。

 では、もし社長が原価を半減しろと号令をかけたらどうなるだろうか。従業員は今までの延長線上の方法では実現できないことを悟り、全く新しい発想を必死で考えようとするだろう。目的思考が重要なのはこの点にある。

ブレイクスルー思考

 常識に囚われない柔軟な発想で、一見困難に見える課題を解決する。これをブレイクスルーと呼ぶ。1997年に「新ブレイクスルー思考」という本がダイヤモンド社から発刊された。その巻頭にはこう書いてある。

 アインシュタインいわく「人類の直面している困難な問題は、それが出てきた思考で解くことはできない。人類にとって最も重要な課題は新しい思考を発見することである。」と。思考のジレンマとでも言うべき名言であると思う。

 ブレイクスルー思考については、別稿で改めて論じたい。

行動の動機

 人が何か行動するときの動機には三つある。やりたいことをやる、できることをやる、やるべきことをやる、の三つである。英語で言うと Would、Could、Should に対応する。この内、動機が Would と Could の場合には目的の認識が希薄な場合が多いので、手段思考に相当する。一方 Should の動機は目的を明確に認識しない限り出てこないので、目的思考に相当する。言い方を変えれば、明確な目的がある場合には Would/Could の誘惑に屈することなく、意思をもって Should の手段を選択すべきである。

課題を解決するのは意思とアイデア

 昨年11月8日、海外から選手を招いて体操の国際大会「友情と絆の大会」が、コロナ禍の中東京国立代々木競技場で開催された。その閉会式で体操の内村航平が決意のスピーチを行った。以下は日刊スポーツからの引用である。

 「僕としては残念だなと思うことは、コロナの感染が拡大し、国民の皆さんが五輪ができないんじゃないかという思いが80%を超えていると。しょうがないとは思うけど、できないじゃなく、どうやったらできるかをみなさんで考えて、そういう方向に変えてほしい。非常に大変なことであるのは承知の上で言っているのですが、国民のみなさんとアスリートが同じ気持ちでないと大会はできない。なんとかできるやり方は必ずある。どうかできないとは思わないでほしい」。

 万事このとおりである。「それは無理だ」とか、「それは難しい」と簡単に言う人からは、それを可能とするアイデアを期待できない。何故なら、その先は考えないと宣言しているのと同じだからだ。

全体像を描き本質を探る

 如何なるテーマや課題を考える場合にも、現象に関わる情報をもとに、広がりとしての全体像を捉え、深さとしての本質を探ることが重要である。現象と全体像と本質、この三つを分けて考えることが、「座標軸を持つ」に続く「思考の作法」の二つ目の型である。

 情報化社会の現代、テーマや課題について飛び交う情報の大半は「現象」に関わるもの(一次情報)である。これに対して全体像と本質は、一次情報に分析と考察を加えることよって見えてくる姿であり、これを二次情報(付加価値情報)として区別する。

 では一次情報をもとに全体像を描き本質を探るにはどうすればいいか。基本的な手順を書いてみよう。

 言うまでもないことだが、第一は、情報をファクトとそれ以外に区別することである。まず大事なことはファクトを正確に把握することであり、そのためにはフェイク情報はもとより、バイアスのかかった情報を排除しなければならない。

 第二は、全体像という言葉のとおり、ファクト情報を一目で見えるようにすることである。そのための効果的な方法は、ホワイトボードにファクト情報を書き出すか、或いはポストイットを使って貼り付けてゆくことである。

 第三に、ファクト情報を洗い出した段階で次にやるべきことは、書き出した情報を関係づけながら整理することである。何が幹で何が枝か、何が原因で何が結果か、何と何の間に相関関係があるか等々。情報を関係づけながら整理してゆくと、「体系的に整理された一次情報」が出来上がる。

 最近では、電子版のホワイトボードであるマイクロソフトの “Whiteboard” がある。表現をより的確なものに修正したり、関係づけをしたり、体系的に並び替えたりすることがマウス一つでできるので、とても便利なツールである。

 第四に、情報を体系的に整理した後に取り組むべきは、それを俯瞰して「これが物語ることは何か」を考えることである。地震の原因が地下のプレートの活動にあるように、社会で起きる現象は深層で何らかの力が作用した結果として起こると考えるべきである。ここで大事なことは、どんな力が働いてどこに向かって動こうとしているのかを見極めることにある。

 第五に、具体的には、「体系的に整理された一次情報」をじっと眺めて湧き上がる疑問を言葉として書き出し、その論理的な説明を考えてゆくことである。この作業の過程で、「体系的に整理された一次情報」は「分析と考察を加えた二次情報」=全体像と本質へと姿を変えてゆくことになる。

 ここまでくると、「これが物語ることは何か」という問いを説明する「仮説」へと視点がシフトする。飽くまでも仮説であるから、最後のステップはその仮説を検証することである。

座標軸を持つ

 作法とは型である。そして「思考の作法」における型は、三つの要素とその構図を認識することから始まると言ってよい。

 三つの要素とは、どこかに立っている自分と、自分が眺めている風景と、その両者を高いところから俯瞰する視座の三つである。

 船が母港を出帆して目的地に向かって航海を続けているシーンを想像してみよう。船長は気象や海象のさまざまな変化に遭遇しながら、今までの航路と船の自己位置を確認して、進路と速度を判断している。航法に必要なツールは海図とGPSである。GPSは正確な位置情報とともに正確な時刻を提供してくれる。

 人生はよく航海に譬えられる。ただし、人生における母港は誕生の地であるが、人生には目的地もなければ海図もGPSもない。

 なぜ目的地がないのかと言えば、人生の活動の場である社会も、国家も、国際情勢も常に変化していて未来が確定していないからであり、人もまた年齢と共に成長してゆくからである。

 従って航海と異なり、人生においては常に変化してゆく社会や国の情勢を見極めながら、自らの進路を判断してゆくことが求められる。むしろそれこそが人生の醍醐味であるとも言える。

 では人生という航海において進路を誤らないためにはどうすればいいのだろうか?

 正解はないが、一つ明確なことは、座標軸を持つことであり、その上で自己位置と進路を確認することである。これを図解すると図1のようになる。

 自己位置とは「今、ここ」に居る自分ということである。空間軸における「ここ」は、社会や国における自己の現在位置であり、時間軸における「今」は、過去から未来に向かう流れにおける現在位置である。

 自分の視点から眼前に広がる風景を眺めるとき、人は往々にして物事を主観的に考えがちである。それに対して、もう一つの高い視座、すなわち周囲の情勢と自分自身を含む全体を俯瞰する視座から眺めれば、自分自身を客観視することができる。主観で考えようとする自分とは別に、自分を客観視する視座を持つことが重要である。

 図2は、人生の軌跡をあえて時間軸と空間軸の座標にプロットしたものである。人は皆、過去のどこかで生まれ、未来のどこかで死んでゆく。仮にその軌跡をプロットすれば、図2のようになるだろう。

 図解してしまうと他愛もないことになるが、そうではない。ここで重要なことは、「今、ここ」に居る自分が、これからどの方向に向かって歩いてゆくかで、人生の軌跡はどうにでも変わるという点にある。

思考を体系的に図解する

 振り返ってみると、「考える」作法について学校教育で習った記憶はない。幼少の頃いつの間にかその力を使い始めたときから、考える能力はずっと自己流で磨いてきたことになる。

 しかし、武道や芸術、工芸等において、自己流で取り組んでもなかなか上達しないのと同じように、「考える」こと自体にも作法が必要である。

 その昔、武士が帯刀していた時代、剣は最強の武器であった。それ故武士は剣の使い方を道場に通って錬磨し、同時にその剣を使いこなす精神を磨いたのだった。

 情報が氾濫する現代において、人生における最強の武器は「考える」力である。思考力は人を逞しくし、人生を豊かにする。但し、技法(テクニック)の前に、作法(マナー)を磨く必要がある。