進化、生物の戦略
宇宙には「時間」という概念が存在する。「時間とは何か」というのは哲学的な問いだが、単純に言えば、「時間が存在する」ことは「万物は流転する」ことと同義であるだろう。
およそ38億年前に生物が誕生して以来、地球環境は激変を繰り返してきた。それでも生物は過酷な環境の変化に適応するべく、進化する仕組みを発明してしたたかに生き延びてきた。生物の進化は世代交代のときにDNAを書き換える突然変異として起こる。それは、たとえその種は滅んでも新たな種として生き残るというしたたかな戦略なのである。
イノベーション、人間社会の宿命
イノベーションとは社会の新陳代謝であり、陳腐化した制度やシステムに代わり、新しい制度やシステムが導入されてゆく変化である。
社会が変化してゆく過程で、個々の技術や制度は役割を終えたものから退場してゆく。人もまた世代交代をしながら新しい世代が新しい社会を担ってゆく。この構図は生物の進化と同じである。生存することの宿命なのだ。
近代社会は豊かさを追求しており、そのために経済成長を必要とする。成長するにはイノベーションが不可欠である。もしイノベーションを嫌って現状維持で行こうとする国は、国際社会の中で淘汰されてゆく。
人間社会におけるイノベーションは生物界における進化に相当する。ただし両者が根本的に異なる点が一つある。それはイノベーションが人為的に起こされるということだ。社会においてイノベーションを起こす力は二つ存在する。一つは新しいテクノロジーの登場であり、他一つは政治の意思である。
4月22-23日に、バイデン大統領の呼びかけによりオンラインで「気候変動に関する首脳会合(気候変動サミット)」が開催された。これは「かけがえのない地球を守るために」という崇高な理念を掲げているが、実態は政治の意思によって仕立てられたイノベーションを競うゲームであり、国益をかけた主導権争いに他ならない。
「何ができるか」vs「何をすべきか」
ウィグル人に対する中国のジェノサイドに対し欧米を中心に非難と制裁の声が高まったときに、加藤官房長官は3月24日の記者会見で、「わが国の制度は人権問題のみを直接の理由として制裁を実施する規定はない。」と述べた。つまり官房長官は「規定がない」ことを理由に、「人権外交はやらない」と言ったのである。(https:kobosikosaho.com/daily/371/)
また4月16日に開催された日米首脳会談は、台湾有事における共同での対処に踏み込んだ。アメリカ側からすれば、これこそが首脳会談の目的であり成果だったのだろう。それを受けて日本では、台湾有事に「日本に何ができるか」の議論が展開してゆくことが予測される。
実はこの二つの事例は、日本の思考過程が的外であることを物語っている。大事なことは「何をすべきか」であって、「何ができるか」ではないのだ。
そもそも法律や制度は、過去に起きた社会的な重大事件を契機として、法体系の不備を補う形で制定されることが多い。未来に起こり得る事態に備えて、事前に新法を整備するという事例は稀だ。従って過去に例のない事態に対しては、現在の法体系や制度は常に不備なのである。この場合、政治の責任は「制度がないから対応できない」ではなくて、「新たな制度を大至急整備してでもやる」という姿勢でなければならない。
衰退途上国化する日本
産経新聞の4月25日号に、寺崎明氏が『日本は衰退途上国になったのか』という記事を寄稿してイノベーションを論じている。「ワクチン接種の遅れ、国民一人当たりGDPの急落(2000年の世界第2位から2019年には第25位へ)」を事例として紹介した上で、「日本の最大の問題は戦略思考力の欠如にある。」と指摘している。
まさにその通りだと思う。コロナウィルスに関して、このことを象徴する興味深い統計がある。グッドニューズは欧米と比較して日本の感染者数が桁外れに小さい事実であり、バッドニューズはワクチンの普及率が桁外れに低い事実である。
感染者数が相対的に少ない背景には、複数の明確な要因があると思われる。問題はワクチンの方だ。そもそも未だに国産のワクチンが登場していないのは何故だろうか。日本は技術先進国ではなかったのか。新たなウィルスの出現に対し迅速にワクチンを提供できないとしたら、より感染力と致死性の高いウィルスが近い将来出現した場合(自然発生及びテロを含めて)、甚大な被害をもたらすことになる。
ここでワクチン開発に関する日米の違いについて紹介しておきたい。日本経済新聞は昨年3月7日に、「アメリカでは2020年3月に新型コロナウィルスの対策費として83億ドルの追加予算案をトランプ大統領が承認し、ワクチンの開発加速などに30億ドル超を投じる。」と報じた。
一方国産のワクチン開発の現状については、東洋経済オンラインが昨年4月25日に、「厚生労働省は2006年に『ワクチン産業ビジョン』を策定したが、製薬企業に丸投げしたとも言える内容だった。」と報じている。
記事によると、厚労省の声掛けによって、大手製薬会社とベンチャーがペアを組んで3チームが作られたが、全てのチームが巧くゆかず最終的に瓦解してしまい、この結果ワクチンメーカーは中小ばかりに戻ってしまったという。
さらに、昨年4月7日に閣議決定された2020年度補正予算案は「国内のワクチン開発への支援が100億円、海外のワクチン開発に差し出す資金が216億円」だったと報じている。
アメリカ政府が投じた資金が3000億円超、これに対して日本政府が投じた資金が100億円、しかも200億円超を同時に海外に投じるという事実から何をくみ取るべきだろうか。また厚労省の『ワクチン産業ビジョン』が頓挫したのは何故なのか。
一言で言えば、寺崎氏が指摘するように「日本には戦略がない」ということだろう。具体的には、「やるべきことを大胆にやらずに、できることを小出しに積み重ねてゆく」アプローチの失敗なのではないだろうか。
イノベーション思考
イノベーションは「何をすべきか」という発想から生まれる。「何をすべきか」からの思考法をとると、それが難易度の高い課題であるほど簡単には実現できない障害がクローズアップされる。その結果、次の問いは「困難を可能に変えるために何が必要か」になる。正にイノベーションを起こす正のスパイラル思考だ。
これに対して「何ができるか」からの思考法では、「法律がないから」、「予算がないから」、「世論が高まっていないから」、「日本には技術がないから」、・・・と、できない理由が山ほど登場する結果、小出しで中途半端な政策しか出てこないことになる。これは衰退に向かう負のスパイラル思考に他ならない。
課題に直面したときに、政治家や官僚に限らず日本人の多くが「イノベーション思考」ではなく、「現状維持思考」に終始していないだろうか。できることを幾ら積み上げてもイノベーションにはならないことを肝に銘じる必要がある。
制約条件を全て取り払って自由に考えることは、枠を作ってその中で考えることよりも格段に難しい。「何をすべきか」を考えることは、それは全体像を白紙にデッサンすることに似て、決して容易ではない。日本全体が難しい問いを避けて、安易な方向を選択していないだろうか。
イノベーション促進国への転換
「衰退途上国」へのスパイラルから脱出し、ダイナミズムと成長を取り戻すためには、イノベーションが必要だ。しかもビジネスの世界に限らず、行政にこそ必要であることを強調しておきたい。
「財政健全化」という誤った御旗のもとに、政府が「成長のための投資」という蛇口を絞ったために、日本はいつまでもデフレから脱却できず、その間に企業は世界の競争力を失い、日本は低成長に甘んじてきた。激変する環境の中で生物が進化を繰り返して生き延びてきたように、日本社会が再び成長軌道に戻るためにはイノベーション力を取り戻すことが必須条件である。
戦後75年の間に進行したテクノロジーの変化は、驚嘆に値するものだ。一方その間に国家や社会の制度やシステムは、高速道路などのインフラと同じように、容赦なく老朽化が進んだ。大胆に刷新してイノベーションがどんどん起きる環境を整備しなければ、日本は衰退のステップを早めるだろう。
コロナ対策として政府が投じた資金は2020年度に30-40兆円といわれる。残念ながらその資金は日本経済の沈み込みを止めるものが大半であってコロナ以前に対しGDPを増やすことは望めないだろう。何故ならこれは対症療法であって戦略投資ではないからだ。一方、ワクチンの集中的な技術開発や短期間での普及させる環境整備に十分な国家資金を投じるお金の使い方は、たとえば国が1兆円を投じることによって10年後に10兆円規模のGDP創出を推進するというように、戦略的というべきものだ。
そのような戦略的なお金の使い方を阻害する障壁が、行政の世界には多く存在していると予測する。省庁縦割りはその代表的な例である。それらを撤廃してゆくことが行政のイノベーションである。
では、イノベーション思考に転換するにはどうすればいいのか。日本が「衰退途上国」となった原因が「戦略思考の欠如」にあるとすれば、そこからどうやって脱出すればいいのだろうか。
菅首相は昨年10月26日に行われた所信表明演説を、「・・・そのため、行政の縦割り、既得権益、そしてあしき前例主義を打破し、規制改革を全力で進めます。」と結んでいる。これを不言実行するのであれば、政府内の議論から「何ができるか」の議論を追放し、「何をすべきか」、「どうすればそれを実現できるか」をトップが常に問うよう運営を刷新すればいい。実行する意思さえあれば、即日でできることだ。
One comment on “イノベーションを促進する思考法”