ー2020年12月30日-
東北大学名誉教授で歴史家、フランスとイタリアの美術史の権威である田中英道氏が、『老年こそ創造の時代』という本を書いている。シニア世代に是非お勧めしたい一冊であるので要点を紹介する。
現代は「人生百年時代」、それは誤解
奈良時代にすでに100歳以上を含む高齢者に対し、天皇から長寿のお祝い品が支給されていたという。現代において「人生百年時代」と言われる背景にあるのは、平均寿命が延びているということだが、それは乳幼児死亡率が劇的に減少した結果であり、百歳を超える長寿は千年以上も前からあったという。
葛飾北斎と杉田玄白にみる老境の生き方
葛飾北斎は1760年生まれで、享年90歳で没しているが、75歳の時に『富嶽百景』を刊行している。その初編の末尾に、「七十前描く所は実に取るに足るものなし・・・八十六才にしては益々進み、九十才にしてなおその奥意を極め、一百歳にして正に神妙ならんか」と書いている。70歳以前というと、東洲斎写楽の名前で浮世絵を描いていた34-35歳の期間を含み、それらの作品は70歳以降の作品に比べたら駄作だったと回顧しているのだ。北斎という人は死ぬまで筆を離さず、赤貧の中で一生を終えたという。
杉田玄白は1733年生まれである。有名な「蘭学事始」を83歳で書き、その後に「耄耋(ぼうてつ)独語」を84歳で書き85歳で没している。ちなみに耄は70歳、耋は80歳をさしている。長生きは苦しみ以外の何物でもないと言いながら、死ぬ直前まで仕事を続けていたという。
田中英道氏は、北斎や玄白の生き方こそが本当の老人の姿であると賞賛する。
ルネサンスの巨匠達の老人観
「イタリアルネサンスこそヨーロッパ文化が最も開花した時代であり、その時代の中心となった思想がメランコリーである。そしてメランコリーは老人の姿で描かれることで象徴される。さらに、老年期という人生の時期に人間は多彩な創造世界を見出す、老年期とはそういった時期である」と述べている。
その上で、ダヴィンチが老人像を好んで描いていること、ミケランジェロもたびたび自画像を描いているが、一貫して老人像として描かれていることを紹介している。
老人論の深さは日本と欧州に共通する文化の高さ
「ヨーロッパの哲学者も芸術家もメランコリーの思想と、老境期の創造性を、極めて現実的に感じていた。これは秋の夕暮れに『もののあはれ』を感じる日本人の創造性と通じるものであり、東西における文明国・文化国の何たるかを示すものである。」と評価する。
特に、三十三間堂の婆藪(ばす)仙人(湛慶作、13世紀、国宝)を挙げ、日本にもイタリアにも老人をモデルにした彫刻や絵画が多い中で、老人の美しさを表現している点において、世界の最高傑作だと高く評価する。
老境期の生き方
田中英道の老人論を総括してみよう。
・老境期とは、自分がやってきた仕事を評価できるようになる年代である。
・老人とは、新しい自分の方法を飛躍的に編み出す可能性に最も飛んでいる年代である。
・思い出話の中に普遍的なものや教訓的なものを見出して整理し、それを文学や思想に結晶させることができるのは、老人をおいて他にない。
・老境において様々な作品を描き、さまざまな仕事をしている人達こそ老人の理想像である。
現代は情報が溢れ、変化が速く、複雑すぎて何が真実なのかが分かり難い時代である。そしてあくまでも一般論だが、現役世代は情報化時代を生きることに精一杯で、時代を俯瞰して捉える余裕がない。それに対して老人は豊富な経験と知見を蓄え、時間的余裕と経済的余裕を併せ持つ。こう考えるとき、自ずから老人にしか果たせない役割が見えてくる。しかもそれは情報化時代が進むほど拡大してゆくに違いない。
「人生百年時代」という言葉だけが一人歩きして、ややもすれば健康の維持が目的視される昨今だが、その前に老境期において何をするのか、どう生きるのかという問いにこそ向かい合うべきではないだろうか。葛飾北斎が述懐するように、70歳以前の作品は駄作だったという境地に至る醍醐味がそこに待っている。