イノベーションという宿命

イノベーションとは何か

 激変する環境に直面した生物が自然淘汰を経て進化してゆくことと、ビジネス環境の変化に直面した企業が生存競争を経てイノベーションを起こして発展してゆくことは、本質的に同じ現象である。生物にとって進化とは、環境に適応するように遺伝子情報を書き換えて生き延びてゆく宿命であり、企業や国家にとってイノベーションとは、競争社会を勝ち抜いて存続してゆく宿命であるからだ。

 資料①はイノベーションを次のように定義している。

・偶然には生じ得ない形に万物を再配列する方法を発見するプロセス

・試行錯誤で進行する「人間版の自然淘汰」

・地球上の生命の始まりこそが、最初のかつ究極のイノベーション

・火や石器や生命自体の起源のような無意識の自然のイノベーションは、現代のテクノロジーにつながる連続体の一部

〔注〕資料①:「人類とイノベーション」、マット・リドレー、ニューズピックス、2021.3.3

イノベーションはなぜ必要なのか

 時間は一方向にしか流れない。宇宙はビッグバン以降膨張し続けている。動物や植物は、誕生と同時に寿命のカウントダウンが始まり、一日一日死へ向かって生きている。そして生命の系統樹が示すように、全体を俯瞰すれば、生物は絶滅と進化を繰り返しながら多様化して一方向の物語を紡いでいる。

 サピエンスも同じである。生物進化の最後に登場して以来多くの人類が登場したが、皆地球環境の変化と生存競争に敗れて絶滅していった。唯一生き残ったサピエンスは出アフリカから現在に至る7-8万年の歴史を刻みながら、個々の生命は生死を繰り返し、DNAという生命のバトンを今日に至るまでリレーしてきた。農業革命や文明の発明を皮切りに、次々にイノベーションを起こしながら現代にまで物語を紡いできた。

 特に産業革命以降は、画期的なテクノロジーを次々に実用化して社会を変え、世界を劇的に変えてきた。生物が幾度も絶滅の淵に追い詰められながら、生き延びては新たな種として進化してきたように、サピエンスもまたさまざまな自然災害や、戦争、パンデミック等の危機に翻弄されながら、生存競争を生き延びて発展してきた。その原動力となったのがイノベーションである。

 現代ではイノベーションは加速され、指数関数的テクノロジー(以下ET、Exponential Technology)と呼ばれる画期的な技術が次々に実用化され、さらにこれら複数のテクノロジーが融合(コンバージェンス、Convergence)することによって、社会の風景を劇的に変えつつある。(資料②参照)

〔注〕資料②:「2030年、すべてが加速する世界に備えよ」、ピーター・ディアマンディス、ニューズピックス、2022.3.24

 イノベーションは次世代の巨大なビジネスを興し、経済成長に大きな貢献をすることから、企業間はもとより国家間での熾烈な開発競争をもたらしている。未来の富を生みだす大きな可能性を秘めているが故に、「イノベーションを制するものは未来を制する」と言っても過言ではない、現代はそういう時代に差し掛かっている。

 以下、生物の進化とサピエンスのイノベーションについては、資料③を参照した。

〔注〕資料③:「進化を超える進化」、ガイア・ヴィンス、文芸春秋、2022.6.10

生物は地球環境を変えながら進化した

 およそ40億年前、地球の海のどこかで生命が誕生した。古代のシアノバクテリアは太陽エネルギーを利用して炭酸ガスから糖を生成し、廃棄物として酸素を放出した。それから20億年の歳月をかけてシアノバクテリアの活動は地球の物理的性質を変え、地球を呼吸する活きたシステムに変えた。

 地球はおよそ20億年前に最初の超大陸が誕生して以降、超大陸の誕生と分裂、衝突を繰り返してきた。さらに超巨大火山の噴火や小惑星の衝突等が起きて、地球は温暖化と寒冷化を繰り返してきた。この間には全球凍結(スノーボル・アース)も起きた。生物の大量絶滅は5回起きたことが分かっている。

 そして6600万年前には巨大隕石がユカタン半島に落下した。それから1000万年ほどが過ぎて世界は湿潤になり、熱帯雨林やマングローブが広がった。絶滅した恐竜に代わって哺乳類が主役となった。

 このように地球環境の激変に翻弄されながらも、生物は自然淘汰を繰り返しながら、地球環境の変化に適合する機能を獲得して進化した。また熱帯雨林に代表されるように、植物は気の遠くなるような歳月をかけて地球環境を変え、動物の生存環境を作ってきた。動物は寿命が尽きると岩石だらけだった地表面を土壌に覆われた大地に変え植物の生存環境を作ってきた。

サピエンスが起こしてきたイノベーション

 人間がチンパンジーから分岐したのはおよそ500万年前であり、以降人類は数十種に分岐していった。中でも注目されるのは原人ホモ・エレクトスで、およそ180万年前に出現した。火と道具を使い言語をもった社会性のある狩人で、やがてアフリカを出てユーラシア大陸に拡散し、100万年以上存在した。およそ50万年前にはホモ・ハイデルベルゲンシスもユーラシア大陸へ進出した。そして彼等の子孫が旧人ネアンデルタール人やデニソワ人へと進化した。

 人類最初のイノベーションは、ホモ・エレクトスがサバンナに移住し二足歩行を始めたことだった。体毛がなくなって汗腺が劇的に増えた結果、熱帯の炎天下を走っても体温を維持できるようになった。石や槍を発明し水を携行するようになった彼らは、サバンナで最強の狩人となった。中でも火の使用はサバンナでの生活を安全なものに変え、人間の生息地を拡大した。

 人間以外の動物の大半は一日中食べ物を探し食べ続けなければ身体を維持できないが、唯一人間は加熱する文化を発明し、調理した肉や根菜類を食べるようになったことが、脳の発達を促すイノベーションとなった。その結果、生活に余裕をもたらしただけでなく、腸が短くなり貴重なカロリーを大きな脳に回せるようになったのである。

 次のイノベーションは農業と定住生活だった。サピエンスは野生の動物を飼いならして家畜種を作り、野生植物を栽培して作物種を作った。現在我々が食料としている動植物は5000年前までに家畜化・栽培化されたものである。

 農業に続くイノベーションは、言語、文字、物語の発明であった。現在世界には7000以上の言語があるという。資料③によれば、サピエンスを賢い人類にしたのは「個人の知性を超える集団の文化」であるという。言い換えると、「他者が学んだ知識を共有し利用する」サピエンス固有の習性こそが、次々にイノベーションを興した源となったということである。

 およそ5000年前、人類は文字を発明して、情報の保存と伝達の方法を向上させただけでなく、外部委託によって人間の脳の処理能力を拡張しつつ、人類が育ててきた集団脳を根本から変えたのだった。

 そして世界中にある洪水伝説や神話などの物語は、集団のメモリーバンクとなって詳細な文化的情報を保存することに役立った。人間の文化が複雑になるにつれて、物語が重要な文化的適応になっただけでなく、人間の脳自体が認知の一部として物語を利用するように進化したのである。

 さらにもう一つ重要なイノベーションは、時間という概念の創出だった。サピエンスは時間を発明したことで、居住環境を時間によって管理するようになり、それが人間の文化や生態を変えたのである。目覚め、食べ、眠るという日課は、人間の生態サイクルを地球の自転と同期させた結果である。

現在進行中のイノベーション

 資料②によれば、イノベーションが起きるには、あるレベルの文化の複雑さが必要とされるが、ひとたび何らかの洞察が得られると、社会は加速度的に進歩する。社会ネットワークは相乗効果をもたらし、ネットワークでつながった集団は孤立した集団には不可能なことを可能にする。

 これが人間社会に起きるイノベーションの特徴である。半導体がムーアの法則に従って指数関数的な進化を遂げ、コンピュータとインターネットのインフラが整備されて以来、処理能力と通信帯域は共にキロ(1千)→メガ(1百万)→ギガ(10億)→・・・と飛躍的に拡大した。イノベーションの効果が指数関数的になったのである。

 レイ・カーツワイルは1990年代に、あるテクノロジーがデジタル化されると、ムーアの法則に則って指数関数的な加速が始まることを発見した。カーツワイルはこれを「収穫加速の法則」と呼んだ。この技術革新が、現在の指数関数的テクノロジー(ET)の背景にある。

 さらに今進行中のイノベーションが、AI、ロボット、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)、3Dプリンタやゲノム・シークエンシング、ブロックチェーン等のETが相互に融合する(Convergence)ことによって起きていることに注目すべきである。

 変わらないのは「変化が続く」という事実だけであり、変化は加速する一方である。資料②によれば、変化の加速は三つの増幅要因が重なって起きるという。すなわち、指数関数的な演算処理能力の成長、ETのコンバージェンス、七つの推進力の存在である。さらに七つの推進力とは、時間の節約、潤沢な資金、非収益化、天才の発掘しやすさ、潤沢なコミュニケーション、新たなビジネスモデル、長寿命化である。

イノベーションの戦略を考える

 以上述べてきたように、現代人にとってイノベーションは現代の競争を生き延びて豊かな未来を獲得するための生存競争に他ならない。激変する環境を生き延びるために、生物にとっての自然淘汰と同じように、イノベーションは未来を賭けた国家間の生存競争なのだと認識を新たにする必要がある。

 前項で紹介したように、ETが登場し、複数のETが融合するイノベーションがもたらす変化は途方もないものとなりそうだ。そう認識するとき、イノベーション戦略は、国の政策におけるワン・オブ・ゼム(その他大勢の中の一つ)ではなく、全ての戦略の根本に据えて取り組むべき最重要課題と捉えるべきだろう。そして、イノベーション戦略は、少なくとも以下の要件を満たす必要がある。

 第一に、イノベーションにタブーがあってはならない。軍事に係るものであっても、次世代原発に係るものであっても、好き嫌いで是非を判断すべきではない。世論におもねる必要はなく、飽くまでも国の戦略としてロジカルに判断すべきである。日本だけが嫌だと言って拒否してもそれは解決にはならない。むしろ隣の軍事大国がそれを開発するのであれば、日本はその国がそれを使うことを抑止するために、その技術を獲得すべきなのだ。それが現実解なのだ。

 今回のコロナ・パンデミックにおいて、未だに日本製ワクチンが登場していない事実を謙虚に反省しなければならない。日頃からのウィルス研究がなければ、パンデミックが起きた時に短期間でワクチンを開発することはできないのだという事実を。

 そもそも全てのテクノロジーはデュアルユース(軍民両用)であって、現代の重要なテクノロジーは何れも軍事研究から生まれたものが多い。問題の本質は軍事や原子力に係るテクノロジーそれ自体にあるのではなくて、兵器や原発のマネージメントの問題だという点にある。デュアルユースである以上、テクノロジー自体を否定することは誤りである。

 その昔、ホモ・エレクトスが最初に火を使うことを思いついたときに戻って考えてみればいい。火は猛獣から家族を守るための強力な武器であり、寒さから身を守る革新的な手段であると同時に、誤って使えば森林火災を起こしかねない危険なツールだったことを。

 軍事や原子力に係るイデオロギー論争に終止符を打たなければ、日本の未来はない。原発が危険な理由は、それが暴走した場合の被害の大きさと深刻さにある。そうであるならば、世界における日本の役割は「危険だから一抜けた」をすることではなく、世界の規範となるような「戦争に使用させない仕組み」、「原発を安全に使用する仕組み」を構築することにある。そう考えるべきではないか。世界から一目置かれる日本を目指すべきなのだ。

 第二に、イノベーションは国家間の未来を賭けた生存競争であるために、予算がないからという理由で中止したり減額することがあってはならない。国の支出費目の中で最大の社会保障費はもとより、大半の費目は使ってしまえば消滅してしまう「消費」である。一方、イノベーションに係る費目は未来の富みと豊かさを生み出す卵を育てる「投資」なのだという視点を持つべきだ。

 第三に、イノベーションは国家だけで背負うものではない。企業とアカデミアの力を最大限に活用すべきである。現在日本企業はおよそ500兆円という途方もない内部留保を持っている。日本には投資にも賃上げにも使われない巨額のおカネが眠っているのである。企業はなぜ内部留保を投資に回さないのだろうか。企業自身が未来に対するビジョンを描けないからか、それとも先人のいない領域に踏み出す勇気を喪失しているからか。あるいは政府が迫真の戦略を示していないからだろうか。

 何れにしても、現在の日本は政府も企業も「戦略ゴッコ」に留まっていると言わざるを得ない。「ゴッコ」を本物の戦略に改めなければ日本の未来は暗い。政府は毎年、多くの「△△戦略」を策定しているが、政府が作る「△△戦略」に迫真性があるとはお世辞にも言えない。批判を恐れずにズバリ言えば、官僚の作文の域を出ていないからだ。

 官僚機構こそが日本最強のシンクタンクだと評されたのは、明治維新以降の「欧米列強に追いつけ追い越せ」と一丸となって戦っていた頃の話だ。「複数のETが融合するイノベーション」というテーマは専門家にも相当重いものであり、官僚の発想では手に負えないことを素直に認めるべきだろう。

 「複数のETが融合する」現代のイノベーション競争に挑むためには、少なくとも三つの機能を抜本的に強化する必要がある。その第一はインテリジェンスであり、第二はシンクタンクであり、第三はそのようなイノベーションを推進する仕組みである。

 インテリジェンスは、世界中で日進月歩に進行する変化を迅速かつ的確に捉え、分析する機能である。

 シンクタンクは、文字どおり日本として次世代のイノベーション戦略を立案する機能である。現在政府が取り組んでいるように、テーマ毎に有識者会議なるものを数回開催して戦略を練り上げるというような手抜きの方法では対処できる訳がない。さらに付け加えれば、その有識者を選ぶのも官僚で、会議の結論もシナリオも予め官僚によって用意されていて、集められた有識者はいわゆる御用学者として利用されるだけというようなやり方では、戦略ゴッコにしかならないことを肝に銘じるべきである。

 最後に、イノベーションを推進する仕組みは、幾つかの要件を備えたものとして整備されるべきだ。第一に、グローバリズムの潮流の中で海外に開発拠点を移した企業を国内に呼び戻す必要がある。第二に、日本学術会議に象徴される真の産学官連携を妨げる障壁を撤廃する必要がある。戦略にイデオロギー論争を持ち込むことは百害あって一利なしである。第三は、基本的に国が活動の土俵と基盤を用意する必要がある。

 米国には「国防科学委員会(DSB、Defense Science Board)」という機関がある。DSBは毎年ノーベル賞級の科学者を集めて、次に米国が国家として取り組むべき科学技術が何かについて、合宿を含めた集中的な討議を行っている。その成果はレポートにまとめられ、一部を除いて公開され、国家戦略に反映されている。また、米国には、「国防高等研究計画局(DARPA)」という軍事研究を推進する機関があり、潤沢な国家予算を使って、次世代の重要なテクノロジーの開発に取り組んでいる。

まとめ

 イノベーションはサピエンスにとって宿命であると書いた。視点を変えれば、サピエンスの「奇跡の物語」は、人類が生物からDNAとして受け継いだイノベーションの歴史だった。生物にとっての進化、人類にとってのイノベーションは38億年間途絶えることなく親から子へと受け継がれてきたバトンリレーのバトンだった。 そして現代のサピエンスはその秘密を解き明かすに至った。さて、そこまでがサピエンスの「イノベーション1.0」であるとすると、ETが融合する時代の「イノベーション2.0」はどのような物語となるのだろうか。

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