エイジングギフト

老後という贈り物

プロローグ

 別稿の『VWSG思考』に、次のメッセージを書いた。(https://kobosikosaho.com/daily/1242/

 昼のひと時に公園のベンチに座って虫や鳥の鳴き声に耳を傾けながら、壮大な生物の物語に思いを巡らせてみて欲しい。次に晴れた夜に同じベンチに座って満天の星が輝く宇宙を眺めて、無限に広がる宇宙に想いを巡らせてみて欲しい。その上で想像力を逞しく働かせて欲しい。例えば次のように。

 漆黒の宇宙にポツンと浮かぶ地球がある。宇宙船地球号は超高速で宇宙空間を飛翔している。その地球を舞台として、壮絶な生物進化の物語が30数億年にわたって繰り広げられた。その物語のライブステージが現代であり、「現役」の俳優の一人として今自分の人生がある。人生には恐らくこの荘厳な事実に勝る感動はないだろう。

 本資料を書くにあたって、全般にわたり下記資料を参照させていただいた。

・資料1:「なぜヒトだけが老いるのか」、小林武彦、講談社現代新書、2023.6

生物の進化と淘汰、生と死

 現在生存している全ての生物は、凡そ38億年前に起動した生物進化のプログラムによって、現在の形質を獲得した。この生物進化のドラマには二つの物語が同時進行の形で織り込まれている。

 第一の物語は、生物の種が進化と淘汰を繰り広げてきた巨視的に俯瞰した物語である。進化とは「新たな種の登場」であり、淘汰とは「進化に失敗した種の消滅」である。

 第二の物語は、個体の生死が繰り返されてきた微視的に俯瞰した物語である。物語の中で個体に与えられる命は、ほんのひととき或いは一瞬でしかないのだが、個体にとってはそれが与えられた時間の全てである。

 生物の種の物語が縦糸となり、個体の生死の物語が横糸となってタペストリーのように織り込まれて、38億年にわたる生物の歴史が綴られてきた。現代の生物が繰り広げている営みはそのドラマの「現在の姿」に他ならない。ドラマに登場するアクターは次々に交代し、ホモ・サピエンスは哺乳類の中で最後に登場したアクターである。

生物の仕組み

 生物は動物も植物も細菌もウィルスも、皆固有のDNA(遺伝情報)を持っている。DNAは種を規定すると同時に個体の多様性を規定している。具体的に言えば、同じ種に属する個体は共通のDNA構造を持っていると同時に、個体ごとに固有なDNA情報を持っている。

 個人毎に固有のマイナンバーカードが交付されるように、全生物の個体は全て唯一無二のDNAを持って生まれてくる。ヒトのDNAについて最新の科学が明らかにした驚嘆に値する事実の一端を、資料1から引用して紹介しよう。

 1)ヒトの細胞は約37兆個ある。その一つ一つに父母由来のDNAがそれぞれ約30億の塩基対として、合計で2組60億の塩基対がコピーされて1/100ミリほどの細胞膜の中に折り畳まれて格納されている。塩基には〔グアニン、シトシン、アデニン、チミン〕の4種類があって、記号で〔G、C、A、T〕と表現されている。この内AとT、CとGがそれぞれ結合して塩基対となり、DNAを形成している。この四種類の塩基が遺伝子情報を記述する最小単位(ビット)を形成している。

 2)細胞には寿命(耐久限界)がある。古くなった細胞は所定の時間が経過すると新しい細胞に置き換えられる。置換の周期は細胞の部位によって異なり、ヒトの場合最短は血液の細胞で約4カ月、最長は骨の細胞で約4年である。古くなった細胞は分解されたり、免疫細胞に食べられたり、或いは老廃物として廃棄される。

老化のメカニズム

 細胞は大別して体細胞と生殖細胞に分けられる。さらに体細胞には、体のどこの部位になるのかが定まっている細胞と、定まっていない細胞の二種類がある。後者は「幹細胞」と呼ばれ古くなった細胞に代わる新しい細胞を作り出す役割を担っている。

 幹細胞が新しい細胞を作り出すとき、約30億✖2組の塩基対の全て(すなわちDNAの全情報)がコピーされるが、所定の確率でコピーエラーが生じる。エラーを修復するメカニズムが備わっているものの、年齢とともに修復が不完全となりエラーが蓄積してゆく。

 細胞が老化する原因は『エラー蓄積仮説』と呼ばれる。DNAのエラーが蓄積することによって、細胞の機能が徐々に低下するというものだ。細胞の機能低下が進むと、やがて臓器などの器官が正常に機能しなくなる。これが老化症状となる。

 老化は人体のあらゆるところで起きるが、致命的な老化が二つあるという。一つは新しい細胞を作り出す幹細胞の老化であり、他一つは人体の中で新しい細胞に置き換わることがない脳と心臓の老化である。

 ヒトの死因の上位は、癌、心疾患、老衰、脳疾患の順である。また老衰の原因の大半が心不全であるので、癌を除く死因の上位は、細胞が新しいものに置換されない脳と心臓が耐久限界に到達したことによって起きると考えられる。

 一方、癌は幹細胞が老化して新しい細胞を供給できなくなり、老化細胞が排除されなくなって「炎症性サイトカイン」と呼ばれる物質が増えることによって起きる。

ヒトの寿命

 一般に体の大きな動物は寿命が長く、小さな動物は短い。資料2の中で東京工業大学名誉教授の本川達雄氏は、さまざまなデータを分析して動物では「時間が体重の1/4乗に比例する」という法則を導いた。この法則は、体重が1kgの動物の時間を1とすれば、10kg、100kg、1トンと大型になるに従って、動物の時間は1.8、3.2、5.6と長くなってゆくことを示している。小型になる場合には同じ割合で時間が短くなる。

 本川達雄氏がいう哺乳類の時間とは、寿命はもとより、成熟するまでの期間、呼吸や心拍の間隔、血液が体内を一巡する時間など、生命活動に係る様々な時間を指している。

 さてここでヒトの寿命について考えたい。始めにヒトの生物学的な寿命は推定50歳前後であるという。資料1で小林武彦氏は、三つの根拠を挙げている。第一にDNAがかなり似ているゴリラやチンパンジーの寿命が50歳前後であること、第二に哺乳類の総心拍数は約20億回(哺乳類の種によらずに同一)で、ヒトの場合約50歳で到達すること、そして第三に55歳頃から癌で死亡する人が急増することである。

 一方現代の日本人は、健康に恵まれると90~100歳の長寿を得ている。生物学的寿命とのギャップ(要するに老後)は約40年前後に及ぶ。この現実をどう理解したらいいのだろうか。

動物の老化

 ヒトには「長い老後」が約30~40年もあるのに対して、資料1によれば<ヒト以外の生物の老化期間は短いか殆どなく、老化と死がほぼ同時に訪れる>という。これは何故だろうか。

 老化に関して興味深いのはサケだ。サケは自分が生まれた場所が産卵に適した場所であることを知っている。サケは激流をも落差のある滝でさえも遡って、ようやく生まれた場所に辿り着いて、産卵・放精という最後の使命を果たすと間もなく寿命を迎える。ここで驚嘆するのは、遡上過程では老化が起きず、子孫を残すことができると急激に脳が委縮して死亡する事実である。

 生態系は基本的に「食べるか、食べられるか」の関係で維持されているので、野生生物には老化がない。体の小さい動物は食べられて死ぬことが多いのでそもそも長寿化の意味がない。肉食動物の場合には餌を獲れなくなれば死に至る。またゾウは老化症状を示さず、癌にも罹らず、心筋梗塞などの循環器系の不具合が原因でピンピンコロリと死ぬ。

 老後があるのはヒト、シャチ、ゴンドウクジラのみで、それ以外の哺乳類に老後はないという。三つの種の共通点は「子育て」にある。

ヒトの「長い老後」

 ではヒトに長い老後があるのは何故だろうか。それを説明する理由として「おばあちゃん仮説」と「おじいちゃん仮説」と呼ばれるものがある。どういうものかというと、我々の祖先は肉食動物を狩るために、或いは他の集団に対して優位に立つために集団生活をしていた。集団生活では子育てを分担するおばちゃんと、集団を束ねる長老としてのおじいちゃんの存在が重要となり、その社会的ニーズが長寿を促進したという仮説である。

 冒頭に「個体の生と死は生物の進化と淘汰という長編物語を構成する一コマである」と書いた。個体と集団の関係、さらには種との関係を因果関係として捉えると、ホモ・サピエンスという種が進化してゆく過程で、集団の存続と繁栄にとって「老後の存在」が有益だったために、ヒトの長寿化が促進されたという解釈が成り立つということだ。

 ヒトは他の哺乳類と比べて格段に高い免疫力を持っているという。ヒトは免疫力を高めることによって長寿を実現してきたと解釈される。

 小林武彦氏は書籍の末尾を次のように結んでいる。

 <現役を引退する60~70代には、老後に対する不安が募り鬱々とした気持ちが高まる。ところが85歳を過ぎる頃になるとその不安が減り、あるがままの状態を受け入れるようになる。このネガティブからポジティブへの転換は、大病や配偶者との死別などつらい経験をした人ではさらに強くなる。この境地は『老年的超越』と呼ばれる。>

エイジングギフト

 1955年に東京都八王子市で生まれ、若くして北海道礼文島に移住した植物写真家でエッセイストの杣田(そまだ)美野里さんは、遺作となった『キャンサーギフト』(資料3)に次の二句を残している。

 ・現(うつつ)とは死を意識して輝くと、母の愛した言葉の一つ

 ・咲きながら一世(ひとよ)のおわりに降るものを、キャンサーギフトとわたしは呼ぼう

 「キャンサーギフト」というのは、「癌がくれた贈り物」という意味である。この境地こそ『老年的超越』ではないだろうか。仏教でいう「悟り」の境地である。

 振り返ってみれば、現代人は時間に追い立てられるように人生の大半を過ごしている。その持ち時間は最長でも100年、健康寿命に恵まれたとしても社会の現役を退いた後せいぜい30年しかない。老後から振り返れば、人生100年は駆け足で過ぎてゆく。

 老後の30年余という期間、しかもヒトが進化の結果手に入れた時間は、「エイジングギフト」、即ち「老後という贈り物」、そう捉えることが相応しいように思う。但しそのためには杣田美野里さんの心境に到達する必要がある。

エピローグ

 ヒトは70歳を過ぎる頃から老化の進行を実感するようになる。体力や記憶、気力が衰えてゆき、年々歳々それが徐々に進行してゆく。老後は今まで出来ていたことが思うようにできなくなるために、気持ちが落ち込み気味になるものだ。減ってゆくもの、或いは失ってゆくものに注目すれば、暗い老後というイメージに支配されるに違いない。

 しかし視点を転じれば、老後の人生には増えてゆくものがある。代表的なものは自由である。時間やお金、さまざまな束縛からの自由がある。もう一つ重要なものは豊富な蓄積である。「おじいちゃん仮説」が示唆しているように、知識、経験、知恵、洞察力など、老人は豊富な知的財産を持っている。ここに注目すれば、老後は人生における至福の時間なのだということに気付かされる。

 東北大学名誉教授で歴史家の田中英道氏は、資料4で「老後賛歌」を綴っているので紹介しよう。

 『富岳百景』初編の末尾に「七十前描く所は実に取るに足るものなし(70歳以前に描いたものは駄作ばかりだった)」と葛飾北斎は書き残している。これは「老人には創造性がある、老人の域に入って年齢を重ねるにつれて若い時以上に深い表現力をもっている」ことを示唆するものだ。

 記憶をただの思い出話にするのではなく、思い出話の中に普遍的なものや教訓的なものを見出して整理する。そこから始めて文学や思想といったものに結晶させる、そういったことは老人にしかできない。この重要性に気が付くことこそが、老人の生き方において最も重要なことである。

 85歳で没した杉田玄白が、最晩年に日常生活を赤裸々に綴った『耄耋(ぼうてつ)独語』という随筆を書き残している。これは「長生きにはさまざまな苦しみがあるが、そこに創造するということがなければ、或いはそこから何かを得るということがなければ意味はない。一日一日を生きていくということを意識してはじめて、人の自然の生き方というものが刻まれていく。」ことを物語っている。

 日本には四季があり、春夏秋冬として老年にあたる冬の季節がある。人間にあっては、冬の時期こそが一番余裕のある時期であり、ものを一番生み出す創造的な時期である。

参照した資料

1.「なぜヒトだけが老いるのか」、小林武彦、講談社現代新書、2023.6

2.「ゾウの時間ネズミの時間」、本川達雄、中公新書1992.8

3.「キャンサーギフト」、杣田美野里、北海道新聞社、2021.8

4.「老年こそ創造の時代」、田中英道、勉誠出版、2020.2

起源という難問(T=0問題)

まえおき

 約38億年前に地球に生命が自然発生した。生物は数億年の歳月をかけて進化を重ね、サピエンスを誕生させるに至った。サピエンスは次々にさまざまなツールを発明して文明を築いた。そして現代、最強のスーパーコンピュータと最新のAI(以下≪SC+AI≫と略す)を発明し、人類の知を超越するシンギュラリティという臨界点に到達しつつある。最強のツール≪SC+AI≫が「考える」能力を備えた最強のマシーンに変異すれば、次の進化段階においてサピエンスを消滅させる脅威となるだろう。

関連資料

 本稿では、宇宙の始まり、生命の起源と進化、サピエンス登場、兵器化されるAIとバイオなどを取り上げる。これらについては既に書いてきたので、併せて下記資料を参照いただければ幸いである。

  ①「宇宙の始まり」:インフレーション、ビッグバン等

  ②「地球に起きた重大事件(生物編)」:生命のアーキテクチャ、大量絶滅等

  ③「地球に起きた重大事件(サピエンス編)」:コロナパンデミックの教訓、生物兵器の出現、インフェルノ等

  ④「歴史的大転換にある世界(2)」:臨界点に向かう技術革新、兵器化されるAIとバイオテロ等

コロナウィルスの発生源に関する新たな動き

 本題に入る前に、コロナウィルスの起源について新たな動きがあったので触れておきたい。コロナパンデミックに関し、中国とアメリカの専門家が改めてウィルスの起源に言及した。(参照:現代ビジネス、2023年11月24日)

 一人はWHOがウィルス研究の権威として認定した香港大学公衆衛生学院の研究員で、2019年12月に武漢で感染者が急増した時にコロナの調査にあたった閻麗夢(イェン・レイム)博士(2019年4月にアメリカに亡命)である。もう一人は米国疾病予防管理センター(CDC)の第18代所長で、コロナパンデミックの現場を指揮したエイズウィルス研究の権威ロバート・レッドフィールドJr.博士である。

 レッドフィールド博士は2023年3月に米下院の特別小委員会で「武漢研究所から漏洩した結果である可能性が高い」と証言し、ウィルスを人為的に変異させる「機能獲得研究」に対する監視強化を訴えた。レッドフィールド博士は同時に、当時米国政府が武漢ウィルス研究所と共犯関係にあったと指摘している。

 イェン博士は「新型コロナの特徴と中国のプロパガンダ戦を告発する3つの論文」、いわゆる『イェンレポート』を2020年9月以降に相次いで公表した。機能獲得研究が感染症の治療法やワクチン、治療薬の開発に大きく貢献する一方で、生物兵器として国家テロに利用される危険性に警鐘を鳴らしている。イェン博士はさらに、「欧米先進国と比べて人権意識の低い中国はさまざまなウィルス研究のメインフィールドになってきた。」と証言している。

 米中の第一人者である二人の意見は、以下の四点で一致している。

①新型コロナウィルスには人間の細胞と結合しやすいスパイクタンパク質が含まれていて、自然発生説の中間宿主に関する理論や実験結果と一致しない。

②これらの部位には、人為的な改変の痕跡がはっきりとある。

③SARS及びMERSウィルスは人から人への感染力は弱いが、新型コロナは最初から強すぎる能力を持っていて、自然界で進化したコロナには見られない特徴である。

④アメリカCDCと武漢ウィルス研究所には協力関係があった。

≪生命の起源≫

 さて本題に移ろう。ダン・ブラウンは、映画「ダヴィンチコード」や「天使と悪魔」、「インフェルノ」の原作者として知られている。小説「オリジン」の中でダン・ブラウンは、天才科学者が最強のツール≪SC+AI≫ を使ったシミュレーションを仮想のタイムマシンとみなして、「生命進化の起源と未来」の謎に挑むというテーマを取り上げている。このテーマについて、『奇跡の物語』の視点から検証を加えてみたい。

 関連資料②で書いたように、科学は生命の起源について以下の事実を明らかにしてきた。第1に「生物の進化」については、約38億年前に単細胞生物が、約10億年前には多細胞生物が登場し、約6億年前には「カンブリア爆発」が起きて、さまざまな動物が一斉に誕生した。第2に、絶滅した生物を含む地球上に存在した全ての生物が単一の「アーキテクチャ」を共有している。一方、最初の生命がどうやって誕生したのかについては謎のままである。

 科学が解明したことは、最初に地球に誕生した単細胞生物の子孫として進化を繰り返し、全ての生命が誕生したという事実だった。ここで「生命のアーキテクチャ」は以下の三つである。

  ①遺伝情報の記録と伝達にDAN、RNAを用いていること

  ②エネルギーの授受にATP(アデノシン三リン酸)の酸化還元反応を用いていること

  ③タンパク質の合成に同一の20種類のアミノ酸が利用されていること

 小説でははじめに、最強のツール≪SC+AI≫に、今までに人類が明らかにしてきた科学の知見をインプットしてシミュレーションを行い、「生命誕生の起源」の謎に挑んでいる。小説の中で天才科学者が注目したのは、1950年代に二人の科学者が行った伝説的な実験だった。

 ユーリー博士(Harold. Urei)とミラー博士(Stanley. Miller)は1950年代に、原始の海洋と大気の組成を再現した「原始の海」を実験室に作り、落雷に代わる電気ショックを与えて、生物のアーキテクチャに係る有機物が生成されるかどうかを確かめる実験を行った。実験の結果、数種の有機化合物(アミノ酸)が無機物から生成されたものの、生命に繋がる物質は生成されなかった。

 ただし現代から眺めると、ユーリー/ミラーの実験には重大な誤りが二つあった。一つは原始の海の組成が現在の知識とは異なっていたこと、他一つは実際には数億年かかって起きた変化を短期間で確認しようとしたことだ。

 ならば現在までにサピエンスが解明し蓄積してきた最新の知識を境界条件として与え、数億年に及ぶ時間経過を模擬するシミュレーションを≪SC+AI≫にさせればいい。シンギュラリティの時代の最強ツールなら、「生命の起源」の謎を解明できる。そう考えた天才科学者がシミュレーションを実施した。・・・小説はそういう物語展開となっている。その結果、最初の生物は地球環境の中で十分な時間経過の後に自然発生したことが示される。

 「生命の起源」問題の答えは、科学か宗教かの二者択一を迫るものだ。即ち原始の地球環境で自然発生したとなればそれは科学の範疇であり、そうでなければ神が作り給うたという二つだ。シミュレーションの結果は自然発生だった。実際に原始の海で起きた変化も恐らくそういうことだったと思われる。

散逸構造とエントロピー

 この物語を科学的に解釈すると、「生命は地球環境における散逸構造の一つであり、原始の海で自己組織化メカニズムが働いて自然発生的に誕生した」ということになる。

 生物のみならず宇宙で進行中の変化は、以下の何れかに分類される。

  ・エネルギーの流入がある環境では、エネルギーを使って秩序が形成される

  ・エネルギーの流入がない環境では、エントロピーが増大する(混沌さが増す)

 そして生物という存在は以下の三点に集約して理解することができる。(参照:ダイヤモンドオンライン『私達の体の多くの部分はいつも入れ替わっている』、更科功、2019年12月21日)

 第1に物理現象として捉えると、生物はエネルギーを得て形成された秩序であり、エントロピー増大法則(熱力学第二法則)に反している。

 第2に地球環境と生態系の関係として捉えると、生物は地球環境におけるエネルギー散逸に貢献していて、生態系全体としてエントロピー増大法則に従っている。

 第3に進化という視点から眺めると、生物は子孫を残し世代交代して「生態系の進化」という大きな物語の小さな役割を演じている。

 参考までに散逸構造の分かり易い事例を挙げれば、落雷は空中に蓄積される電気エネルギーを散逸する自然現象であり、渦潮は流れ込む潮流のエネルギーを拡散させるために自然に形成される構造である。人間社会で言えば、都市は常に流れ込むエネルギーや資源を消費することで形成され維持される社会構造であり、人々がさまざまな活動を行って廃棄物(エントロピー)を吐き出している。

≪進化の未来≫

 小説は次に二つ目のテーマとして、生物進化が辿った歴史を≪SC+AI≫にインプットして、≪進化の未来≫を予測するという展開になる。シミュレーションの結果、近未来にはサピエンスに代わる「新しい種」が登場し、地球の主役が交代して、サピエンスは淘汰される未来が描かれる。これこそがシンギュラリティに到達したAIが人類の脅威として恐れられる理由である。

 前と同様に、この物語に科学的な考察を加えてみよう。そもそも未来を予測することは可能だろうか。

 確かにスーパーコンピュータ(SC)の能力は今後も指数関数的に能力が向上してゆくだろう。人工知能(AI)もこれからシンギュラリティを達成し、さらに飛躍的な進歩を遂げてゆくことは間違いない。さらに人類が積み上げてきた知(K)の体系も増加してゆくだろう。では近未来の≪SC+AI≫は最新の≪K≫を使って、次の予測を行うことができるだろうか。

  Q1:今後「生命の進化」の物語はどういう展開になるのだろうか

  Q2:生物の絶滅は過去に5回起きたが、次の絶滅はいつどういう形で起きるだろうか

 答えはネガティブであろう。シミュレーションの特性であり同時に限界でもあるのは、シミュレーションを行うためには「モデルの記述」と「パラメータの設定」が必須であって、これを誤ると全く異なる結果がもたらされることだ。今後幾ら≪SC+AI≫が進歩を遂げたとしても、現在から未来に至る変化をもたらすモデル(宇宙で言えば物理法則)の記述と、適切なパラメータの設定が可能となるとは思えない。

 分かり易い身近な例として天気予報を考えてみよう。天気予報に対する現状の評価は概ね次のようなものだろう。

  ・明日の予報は概ね当たるが、1週間先の予報は当たらない

  ・但し明日雨が降ると言っても、正確な地域と時刻を予告することは出来ない

 これは次のように説明できる。日本及び周辺海域の気象予報を正確に行うためには、気象衛星ひまわりの解像度を上げるだけでは不十分で、周辺海域のさらに外側の気象と海象に関するきめ細かな観測情報を境界条件として付与する必要がある。日本の気象に影響を及ぼす大きな因子として、大陸からは偏西風に乗って高気圧や低気圧が間断なくやってくるし、南方からは台風が、北方からは寒気がやってくる。同時に日本列島を挟むように黒潮と親潮が流れていて、その海水温は気象に大きな影響を及ぼしている。気象庁はこれらの刻々の観測データを境界条件として≪SC+AI≫に与えてシミュレーションを行い、天気予報を行っているのである。

 もう一つ例を挙げよう。生物進化の歴史には、5回の大量絶滅(ビッグファイブ)が起きたことが分かっている。では絶滅を起こした原因はどこまで解明されているだろうか?恐竜を絶滅させた5回目の絶滅(6600万年前)が、ユカタン半島に衝突した直径10km程の隕石によってもたらされたことを唯一の例外として、それ以外の絶滅については、地球内部由来(大規模火山噴火、巨大地震など)か、宇宙由来(物体の衝突)かすら特定できていない。

 その原因は、地球内部のダイナミズム(プレートやプルームの動き)が解明できていないので、巨大地震も巨大噴火も予兆現象が起きるまで予知できないことにある。同様に、小惑星や流星や隕石についても、次の地球衝突のXデーがいつになるかは、その物体が観測網によって探知されるまで予測できないのである。

 生物進化にせよ、宇宙膨張にせよ、未来を予測するためには、現在から未来に向かう変化をもたらす物理法則(シミュレーションにおけるモデル)と境界条件(パラメータ)を明らかにする必要がある。但しここに人知の限界が立ち塞がる。物理法則にも境界条件にも、現代の人類が解明できていない未知の要素が存在するのである。

 分かり易い例がダークマターとダークエネルギーだ。但しそういうファクタを考慮しなければ宇宙の振る舞いの辻褄が合わないということだけで、その正体は皆目分かっていない。仮説としての概念があるだけで、その振る舞いを記述する物理法則が分からないのだ。

 では最強のツール≪SC+AI≫が進化して、サピエンスに代わってAIが科学的知見を探究して、現状未発見・未解明の領域に踏み込んで科学を深耕してゆくということはあり得るだろうか?恐らくネガティブである。何故なら探究はサピエンスの知的好奇心に基づく行動であり、観測や実験などの作業が不可欠だからだ。≪SC+AI≫が言わば手足を持たない、頭だけの存在に留まる限り、言い換えれば≪SC+AI≫がツールに留まる限り、サピエンスに代わることはあり得ない。

≪宇宙の起源≫

 ダン・ブラウンが小説≪オリジン≫で提起したテーマがもう一つある。後段で主人公ラングドンに語らせた言葉が、三つ目のテーマを示唆している。それは「物理法則に生命を創造する力があるのなら、物理法則を創造したのは一体誰なのか?」という問いだった。この問いこそは「生命の起源からさらに遡り、宇宙の起源に係る」究極の問いに他ならない。

 生命の起源を辿るのと同じように、思考実験で宇宙の起源を遡るとしよう。現在予測されている宇宙の始まりの物語は凡そ次のようなものだ。(関連資料①参照)

  ・宇宙は凡そ138億年前に突然始まった

  ・直後にインフレーションが起きて空間が瞬間に大膨張した

  ・インフレーションを起こした「真空のエネルギー」が膨大な熱を発生した

  ・超高温となった結果、膨大なエネルギーによって物質が生成されビッグバンが起きた

 これは途方もない仮説であって、素人の理解を遥かに超えているのだが、一つはっきりしていることは「宇宙の起源」というのは現在の物理法則すら成り立たない特異点であることだ。

 つまり「生命の起源」と「宇宙の起源」には決定的な違いが存在する。「生命の起源」問題は、既に地球上にあった無機物質からどのようにして最初の生命が誕生したのかだった。そしてその解は科学か宗教かの二者択一、二律背反だった。

 これに対して「宇宙の起源」問題は、現在の宇宙に存在する物質構造とエネルギー、それに物理法則がどのようにして生まれたのかという究極の問いである。単刀直入に言えば「無から有がどのようにして生まれたのか」ということであり、現代の科学は全く歯が立たない難問なのである。科学で立ち向かうことが無理なのであるから、宇宙の起源をもたらしたものを「神」と呼ぶとしても何ら違和感は生じないだろう。この難問の解は唯一つしか存在しない。科学と宗教の二者択一ではなく二律背反でもない。科学も従来の宗教も無力なのだ。ここでいう「神」は宗教にみられる人間中心の神ではなく、宇宙の創造神としての「神」、即ち宗教すらも超越している「神」であることを付け加えておきたい。

奇跡の物語「超圧縮地球生物全史」

プロローグ

 『超圧縮地球生物全史』という本が注目を集めている。この本は地球編、生物編、サピエンス編からなる「奇跡の物語」を綴ったものである。46億年に及ぶ地球環境の変化と、生物の進化・絶滅の歴史は、地球由来及び太陽由来のエネルギーの変動と生物による秩序形成の歴史である。

 物語の舞台は地球、登場するアクターは生物であり、そこには個体毎の物語、種としての物語、生物全体としての物語が輻輳して綴られている。シナリオもゴールもない、偶然の結果が織り重なって綴られた物語である。

地球の誕生

 今から46億年前、当時の太陽系の近傍で超新星爆発が起きた。爆発によって吹き飛ばされた物質は重力作用で再集結し、太陽と惑星系が誕生した。地球周辺には超新星爆発で作り出された元素を含む豊富な物質に満ちていた。

 月のクレーターがその証拠なのだが、原始地球には小惑星、彗星等が頻繁に衝突を繰り返していた。その中には火星ほどの大きさの惑星があり、それが地球に衝突し、吹き飛ばされた物質が再結合して月が形成されたという大事件もあった。

 超新星が星の一生の終末期に爆発する事件は、宇宙では無数に起きている。ここで「奇跡の物語」と呼ぶに相応しいのは、超新星爆発で吹き飛ばされたさまざまな元素が重力作用によって再び集結して、高温高圧の星を誕生させ、核分裂反応によって新しい恒星として再び輝き出すことにある。

 元素の周期律表で鉄(元素番号26)よりも重いある金(同79)、銀(同47)、ウラン(92)などは、太陽の核融合反応では作ることができず、超新星爆発などの超高温超高圧状態で作られたものだ。地球上の鉱物資源だけでなく、我々生物の体にも、超新星爆発によって宇宙に放出された物質が再利用されている事実は、正に「奇跡の物語」である。

生命の誕生

 地球創成期の大気には豊富な水や炭酸ガス、メタン等があり、しかも太陽光線が充分に照射されていた。まだ陸地はなくやがて海の深部で生命が誕生した。海底は高温高圧状態にあり原始生命が合成された実験室だったと考えられる。超新星が作り出した重金属を含む多彩な元素が海底から供給されて、高温高圧状態の中で生物の基となる有機物が形成された。

 地球誕生から生物の出現まで数億年に及ぶ充分な時間があったことを考えると、原始生命が誕生するのは時間の問題だったと考えるべきなのだろう。地球の誕生が46億年前、原始生命の誕生は40~38億年前のことだった。

 地球における生命の祖はシアノバクテリアである。バクテリアは、やがて太陽エネルギーを使って、炭素、水素、酸素の原子から糖やデンプンを作り出す「光合成」という生命の仕組みを作り出した。これはエネルギーを使って生命の組織という秩序を作るという意味で、エントロピー則(万物の混沌化)に逆らうメカニズムであり、「生命の創生」という画期的な発明だった。

 後に「生命の進化」をもたらすことに貢献した奇跡はまだ他にもある。一つは古細菌と呼ばれる小さなバクテリア細胞が植物や動物の細胞の内部に入り込んで葉緑体やミトコンドリアとなり、エネルギー生成に係る中核機能となったことだ。

 光合成、葉緑体、ミトコンドリアという、それまでには存在していなかった画期的な機能を、生物は一体どうやって作り出したのだろうか。これも数億年に及ぶ充分すぎる時間の中で、充分すぎる試行錯誤を重ねて成し遂げた偶然の積み重ねだったのだろう。

 もう一つはシアノバクテリアが光合成を地球規模で行った結果、20億年に及ぶ歳月の間に大気の組成を作り換えてしまい、その後の酸素呼吸を行う生物が登場する基盤を整備したことだ。この事件は「大酸化イベント」と呼ばれる。

超大陸の形成

 地球に初めて大陸が形成されたのがいつかは分かっていない。大陸形成以前の地球は全てが海だったからであり、局所的に陸地があったとしても、記録として残っていないからだ。最初に超大陸が形成されたのは、19億年前に出現したヌーナ大陸だった。その後にロディニア大陸が形成された。

 海底にあった岩石が大規模な造山活動などによって地表面に運ばれると、大気中の二酸化炭素を吸収して風化する。この結果温室効果ガスが減少して地球が寒冷化する。超大陸が形成された時期が氷河期と重なるのはそういう理由による。

カンブリア爆発

 超大陸ロディニアが分裂したのは8.3~7.3億年前で、超大陸規模の風化が進んだ結果、地球が氷河時代に突入したのは7.2~6.4億年前だった。動物が出現し始めたのは6.4億年前頃で、カンブリア爆発」と呼ばれる動物の爆発的多様化は5.4~5.3億年前に起きた。これは現存する動物の祖先の全てが出そろった事件だった。地球創成の激動期が終わり、大陸が形成され、地殻変動が落ち着いてきた頃に動物の陸地への進出が始まり、新天地で動植物の多様性が進んだと解釈される。

生物進化の意味

 生物進化の物語を、物語がどう展開してきたかという視点から俯瞰すると、生物はバクテリア→真核生物→多細胞生物→動物と植物→恐竜→哺乳類→類人猿→サピエンスと進化し主役交代してきた。単純に捉えても生物進化という物語は、8幕からなることがわかる。

 一方これを個々の生物の視点からみれば、進化の本質とは、生物の個体が「獲物を獲得しつつかつ自らが獲物とならない」ように必死に生きてきた結果だった。その小さな物語の積み重ねを生物全体として眺めると、進化として見えるということなのだろう。

 さらに全体の本質を考えると、生物進化とはエネルギーを使って新たな秩序、しかもより複雑でより高度な秩序を作り出してきた生物の営みだったのだと理解することができる。

陸上への進出

 生物の陸上への進出が本格的に始まったのは、約4.7億年前のオルドビス紀の中頃だった。「デボン紀には海は魚でごった返していたにも拘らず、危険を冒してまで陸地に進出した生命体は殆どいなかった。それは陸上での生活が厳しいからだ。陸上に進出した開拓者にとって、そこは何もない宇宙と同じくらい過酷な環境だった。」と著者はいう。

 そして3.4億年前、パンゲア大陸が最終形態に収束しつつあった頃、陸地を制覇する動物の一群が登場した。

地球環境の変動

 最終的には寒冷化・氷河期または温暖化に辿り着く、地球環境の激変をもたらしてきた要因は三つあった。第一は惑星や隕石が次々に衝突して地球の構造を形成した力、第二は地殻構造が形成されていく過程で起きたプレート活動の力、そして第三は地球の天体運動の揺らぎによる太陽の照射エネルギーの変動である。

 地球誕生以降、時間の経過とともに第一の力が収まり、第二の力が安定化しつつある頃に生物が出現している。

 第三の力は地球の天体運動に係るもので、公転軌道の離心率の周期10万年、地軸の傾きの周期4.1万年、地軸の歳差運動2.6万年の三つの周期がもたらす、太陽からの照射エネルギーの周期的変動である。照射エネルギーが周期的に変動する結果、地球には周期的に寒冷期が到来する。この力は現在も継続している。

 ちなみに46億年が経過した現在、地球環境の変動をもたらしている力は、ゆったりとした大陸移動と散発的に起きる大規模な火山噴火、照射エネルギーの周期的変動、それと忘れた頃に起きる天体衝突である。

五回起きた大量絶滅

 カンブリア爆発以降「ビッグファイブ」と呼ばれる大量絶滅が5回起きた。科学技術振興機構が公開しているScience Portal(2021.3.10)によると、東北大学などの研究グループが、5回の内、白亜紀末の絶滅を除く4回の原因が何れも大噴火だったことを突きとめたという。(https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20210310_n01/

 地殻変動とそれが原因で起きる二酸化炭素の増減、それによる温暖化または寒冷化・氷河期の到来に翻弄されながら、生物はしぶとく進化を繰り返して生き延びてきた。生物に進化を促進したのは、地球の地殻変動と太陽照射エネルギーの変動だったのだ。

 5回の大量絶滅の中で、最後の絶滅だけが天体衝突によるものだった。これは何を物語っているのだろうか。

 第一に地球環境を激変させる規模の火山の噴火は4回、平均すれば1.1億年に1回の頻度で起きている。最後の大噴火は約2億年前であり、今後も起きる可能性が高い。

 第二に天体衝突はカンブリア爆発以降では白亜紀末の1回のみだが、ヤンガー・ドリヤス期の寒冷化事件(後述)も隕石の衝突が原因で起きた可能性が高い。地球創成期と比べて頻度も衝突の規模も減少していると考えられるが、再来する可能性は確実にある。

寒冷化

 「3000万年前までにパンゲア大陸から分離した大陸が南に移動して南極大陸となった。この結果、南極大陸を周回する海流が生まれ、熱帯で暖められた海流の接近を拒んだ。北極海でも永続的な氷冠ができた。」と著者はいう。

 700万年前以降、寒冷化する気候がサルから類人猿へ、類人猿から人類への進化をもたらした。人類が何故二足歩行になったのは謎のままだが、木の上の生活からサバンナでの生活へ追い立てたのは寒冷化だったと思われる。

 カンブリア爆発以降長期にわたり地球環境を激変させてきた力は、地殻変動に由来するものが優勢だった。それが250万年前以降では太陽照射エネルギーの変動が優勢になったと著者はいう。当時、既に極地には氷が張っており、寒冷化は地球に一連の氷河期をもたらした。

 最近の寒冷化で最も寒かったのは2万6000年前で、北米や欧州の北部は氷床の下に埋もれていた。氷の中に海水が閉じ込められていたため、平均海水面は現代より120メートルも低かった。

 ヤンガー・ドリヤス期は、最終氷期が終わり温暖化が始まった状態から急激に寒冷化(15度低下)した時代である。寒冷化は1万2900~1万1500年前にかけて北半球の高緯度で起きた。変化が短期間で、ビッグファイブに匹敵する規模ではないものの、原因は隕石の衝突によるものだった可能性が高い。恐らく隕石の衝突が原因の生物の局所的絶滅という事件は、生物史の中ではかなりの頻度で起きていたと考えるべきだろう。

サピエンスの登場と出アフリカ

 サピエンスが登場したのは20万年前頃で、その頃は長期的な寒冷期だった。著者によれば、サピエンスは20万年前には南欧に、18~10万年前には中東のレバント地方に進出していたという。さらに著者は「出アフリカには全体的なパターンがある。それは地球の軌道周期、特に2万6000年周期の歳差運動が原因で起きる周期的な寒冷化の変動と共に脈動していた。」という。端的に言えば、出アフリカは少なくとも4回以上あって、その動機が寒冷化だった可能性が高いということだ。

 著者が指摘しているもう一つの重要な点は、サピエンスよりも古い時代にアフリカを出て、ユーラシア大陸に暮らしていたネアンデルタール人やデニソワ人が滅んだ原因は、集団規模が大きいサピエンスに取り込まれてしまったことにあるということだ。

 サピエンスが他のホモ属と異なる点として、著書は「長老」という階層の存在を挙げている。「長い進化の中で初めて、複数の世代に知識を伝えられる種が現れた。・・・人間は学ぶだけでなく、教えることができる唯一の動物であり、それを可能としたのが長老たちだ。抽象的な情報が、カロリーと同じくらい大切な生存のための価値ある通貨になった。」と。

 恐らく世代を超えた知識と経験の伝承は、他のホモ属との競争において優位な力として作用したと思われる。

サピエンス以降

 サピエンス以降の世界について、著者は幾つかの予測をしているので紹介する。

 「全ての生物のキャリアは絶滅で終わる。ホモ・サピエンスも例外ではない。また殆どの哺乳類は100万年程度で絶滅する。サピエンスはまだその半分以下しか経過していないが、特別な種であり今後何百年生き続けるかもしれないし、来週に絶滅してしまうかもしれない。」

 「現在サピエンスは、ビッグファイブに続く第六の大量絶滅を早めているという懸念があるが、地球はサピエンスが出現する46億年前から存在しており、サピエンスが居なくなった後もずっと存在し続ける大きすぎる存在なのだ。」

 「地球上の生命の物語は、そのドラマと未来を含め、最も大きなスケールで見ると、たった二つの事柄によって支配される。その一つは大気中の二酸化炭素の量がゆっくりと減少してゆくこと、もう一つは太陽の明るさが着実に増してゆくことだ。」

 「地球の大陸移動の原動力となった大きな対流熱機関は、核燃料によって支えられていた。超新星の最期の数秒間で作られたウランやトリウムのような元素がゆっくりと放射性崩壊し、遥か昔に地球の中心へと逃げ込んだ。そのような元素は殆どなくなってしまった。約8億年後に新たに新たな超大陸が形成されるが、地球史上最大のものとなる。それはまた、最後のものでもある。大陸の移動は生命の燃料であり、しばしばその宿敵でもあったが、遂に停止する時がやってきた。」

エピローグ

 著者のヘンリー・ジーはダイヤモンド・オンラインのインタビューに対し、次のように答えている。(https://diamond.jp/articles/-/314122

 「この本の執筆を通じて学んだことの一つは、ニュースや人間の生活サイクルの中で起こる殆どのことは、実はどうでもいいという事実です。なぜなら、地球はさまざまな時代に火の玉であったり、水に覆われた世界であったり、北極から南極までジャングルであったり、何キロメートルもの厚さの氷に覆われたりしてきたから。

 ですから、人々が「さあ、地球を守ろう」と言うとき、地球は気にしていません。地球はこれから何百万年ものあいだ、これまでと同じように生きていくでしょう。」

 さらに言う。「環境は私たちが好むと好まざるとにかかわらず、変化していくものです。私たちが救うべきは地球ではなく私たち自身なのです。つまり環境問題はほとんど美学なのです。しかし、私たちは地球へのダメージを自覚している唯一の種です。この本の精神は、最終的には何も問題にはならないけれど、一種の美学として、自分自身や家族、仲間の生物にとって快適で耐えられる生活を送るために最善を尽くす必要があるというものです。」

 『超圧縮地球生物全史』という著作は、地球と生物と人類が歩んできた壮大な歴史を1冊の書物に圧縮した傑作である。46億年というスケールの時間軸を、現代という断面で切り出し、さらに自分を中心とした誠に小さな半径の世界をあくせくと生きている現代人に、たまには視野を大きく拡大して、高い視座から時代と世界を俯瞰してみたらどうかと提案している本である。

 「環境問題は美学である」という看破は見事という他ない。敢えて一つ加えておきたい。それは環境問題は知恵者が次の巨大なビジネスとして作り出した物語であることを。経済というものが成長を前提としている以上、未来にビッグテーマを描いて挑戦することは悪いことではない。但し、飽くまでもビジネスのテーマなのだと理解した上で受け入れることが賢明である。

 サピエンスは、今のところだが、そして恐らく今後もそうなると思われるが、生物進化の物語において最後に登場したアクターである。しかし、生物進化の歴史においてサピエンスが特別に偉大なのは、この壮大な「奇跡の物語」の存在に気付き、それを読み解いたことにある。それこそが最大の「奇跡の物語」なのだと言っても過言ではない。

 著者は「もっと大きな視点で、時代を、世界を、そして人生を考えてみようよ」と提案しているように思える。

イノベーションという宿命

イノベーションとは何か

 激変する環境に直面した生物が自然淘汰を経て進化してゆくことと、ビジネス環境の変化に直面した企業が生存競争を経てイノベーションを起こして発展してゆくことは、本質的に同じ現象である。生物にとって進化とは、環境に適応するように遺伝子情報を書き換えて生き延びてゆく宿命であり、企業や国家にとってイノベーションとは、競争社会を勝ち抜いて存続してゆく宿命であるからだ。

 資料①はイノベーションを次のように定義している。

・偶然には生じ得ない形に万物を再配列する方法を発見するプロセス

・試行錯誤で進行する「人間版の自然淘汰」

・地球上の生命の始まりこそが、最初のかつ究極のイノベーション

・火や石器や生命自体の起源のような無意識の自然のイノベーションは、現代のテクノロジーにつながる連続体の一部

〔注〕資料①:「人類とイノベーション」、マット・リドレー、ニューズピックス、2021.3.3

イノベーションはなぜ必要なのか

 時間は一方向にしか流れない。宇宙はビッグバン以降膨張し続けている。動物や植物は、誕生と同時に寿命のカウントダウンが始まり、一日一日死へ向かって生きている。そして生命の系統樹が示すように、全体を俯瞰すれば、生物は絶滅と進化を繰り返しながら多様化して一方向の物語を紡いでいる。

 サピエンスも同じである。生物進化の最後に登場して以来多くの人類が登場したが、皆地球環境の変化と生存競争に敗れて絶滅していった。唯一生き残ったサピエンスは出アフリカから現在に至る7-8万年の歴史を刻みながら、個々の生命は生死を繰り返し、DNAという生命のバトンを今日に至るまでリレーしてきた。農業革命や文明の発明を皮切りに、次々にイノベーションを起こしながら現代にまで物語を紡いできた。

 特に産業革命以降は、画期的なテクノロジーを次々に実用化して社会を変え、世界を劇的に変えてきた。生物が幾度も絶滅の淵に追い詰められながら、生き延びては新たな種として進化してきたように、サピエンスもまたさまざまな自然災害や、戦争、パンデミック等の危機に翻弄されながら、生存競争を生き延びて発展してきた。その原動力となったのがイノベーションである。

 現代ではイノベーションは加速され、指数関数的テクノロジー(以下ET、Exponential Technology)と呼ばれる画期的な技術が次々に実用化され、さらにこれら複数のテクノロジーが融合(コンバージェンス、Convergence)することによって、社会の風景を劇的に変えつつある。(資料②参照)

〔注〕資料②:「2030年、すべてが加速する世界に備えよ」、ピーター・ディアマンディス、ニューズピックス、2022.3.24

 イノベーションは次世代の巨大なビジネスを興し、経済成長に大きな貢献をすることから、企業間はもとより国家間での熾烈な開発競争をもたらしている。未来の富を生みだす大きな可能性を秘めているが故に、「イノベーションを制するものは未来を制する」と言っても過言ではない、現代はそういう時代に差し掛かっている。

 以下、生物の進化とサピエンスのイノベーションについては、資料③を参照した。

〔注〕資料③:「進化を超える進化」、ガイア・ヴィンス、文芸春秋、2022.6.10

生物は地球環境を変えながら進化した

 およそ40億年前、地球の海のどこかで生命が誕生した。古代のシアノバクテリアは太陽エネルギーを利用して炭酸ガスから糖を生成し、廃棄物として酸素を放出した。それから20億年の歳月をかけてシアノバクテリアの活動は地球の物理的性質を変え、地球を呼吸する活きたシステムに変えた。

 地球はおよそ20億年前に最初の超大陸が誕生して以降、超大陸の誕生と分裂、衝突を繰り返してきた。さらに超巨大火山の噴火や小惑星の衝突等が起きて、地球は温暖化と寒冷化を繰り返してきた。この間には全球凍結(スノーボル・アース)も起きた。生物の大量絶滅は5回起きたことが分かっている。

 そして6600万年前には巨大隕石がユカタン半島に落下した。それから1000万年ほどが過ぎて世界は湿潤になり、熱帯雨林やマングローブが広がった。絶滅した恐竜に代わって哺乳類が主役となった。

 このように地球環境の激変に翻弄されながらも、生物は自然淘汰を繰り返しながら、地球環境の変化に適合する機能を獲得して進化した。また熱帯雨林に代表されるように、植物は気の遠くなるような歳月をかけて地球環境を変え、動物の生存環境を作ってきた。動物は寿命が尽きると岩石だらけだった地表面を土壌に覆われた大地に変え植物の生存環境を作ってきた。

サピエンスが起こしてきたイノベーション

 人間がチンパンジーから分岐したのはおよそ500万年前であり、以降人類は数十種に分岐していった。中でも注目されるのは原人ホモ・エレクトスで、およそ180万年前に出現した。火と道具を使い言語をもった社会性のある狩人で、やがてアフリカを出てユーラシア大陸に拡散し、100万年以上存在した。およそ50万年前にはホモ・ハイデルベルゲンシスもユーラシア大陸へ進出した。そして彼等の子孫が旧人ネアンデルタール人やデニソワ人へと進化した。

 人類最初のイノベーションは、ホモ・エレクトスがサバンナに移住し二足歩行を始めたことだった。体毛がなくなって汗腺が劇的に増えた結果、熱帯の炎天下を走っても体温を維持できるようになった。石や槍を発明し水を携行するようになった彼らは、サバンナで最強の狩人となった。中でも火の使用はサバンナでの生活を安全なものに変え、人間の生息地を拡大した。

 人間以外の動物の大半は一日中食べ物を探し食べ続けなければ身体を維持できないが、唯一人間は加熱する文化を発明し、調理した肉や根菜類を食べるようになったことが、脳の発達を促すイノベーションとなった。その結果、生活に余裕をもたらしただけでなく、腸が短くなり貴重なカロリーを大きな脳に回せるようになったのである。

 次のイノベーションは農業と定住生活だった。サピエンスは野生の動物を飼いならして家畜種を作り、野生植物を栽培して作物種を作った。現在我々が食料としている動植物は5000年前までに家畜化・栽培化されたものである。

 農業に続くイノベーションは、言語、文字、物語の発明であった。現在世界には7000以上の言語があるという。資料③によれば、サピエンスを賢い人類にしたのは「個人の知性を超える集団の文化」であるという。言い換えると、「他者が学んだ知識を共有し利用する」サピエンス固有の習性こそが、次々にイノベーションを興した源となったということである。

 およそ5000年前、人類は文字を発明して、情報の保存と伝達の方法を向上させただけでなく、外部委託によって人間の脳の処理能力を拡張しつつ、人類が育ててきた集団脳を根本から変えたのだった。

 そして世界中にある洪水伝説や神話などの物語は、集団のメモリーバンクとなって詳細な文化的情報を保存することに役立った。人間の文化が複雑になるにつれて、物語が重要な文化的適応になっただけでなく、人間の脳自体が認知の一部として物語を利用するように進化したのである。

 さらにもう一つ重要なイノベーションは、時間という概念の創出だった。サピエンスは時間を発明したことで、居住環境を時間によって管理するようになり、それが人間の文化や生態を変えたのである。目覚め、食べ、眠るという日課は、人間の生態サイクルを地球の自転と同期させた結果である。

現在進行中のイノベーション

 資料②によれば、イノベーションが起きるには、あるレベルの文化の複雑さが必要とされるが、ひとたび何らかの洞察が得られると、社会は加速度的に進歩する。社会ネットワークは相乗効果をもたらし、ネットワークでつながった集団は孤立した集団には不可能なことを可能にする。

 これが人間社会に起きるイノベーションの特徴である。半導体がムーアの法則に従って指数関数的な進化を遂げ、コンピュータとインターネットのインフラが整備されて以来、処理能力と通信帯域は共にキロ(1千)→メガ(1百万)→ギガ(10億)→・・・と飛躍的に拡大した。イノベーションの効果が指数関数的になったのである。

 レイ・カーツワイルは1990年代に、あるテクノロジーがデジタル化されると、ムーアの法則に則って指数関数的な加速が始まることを発見した。カーツワイルはこれを「収穫加速の法則」と呼んだ。この技術革新が、現在の指数関数的テクノロジー(ET)の背景にある。

 さらに今進行中のイノベーションが、AI、ロボット、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)、3Dプリンタやゲノム・シークエンシング、ブロックチェーン等のETが相互に融合する(Convergence)ことによって起きていることに注目すべきである。

 変わらないのは「変化が続く」という事実だけであり、変化は加速する一方である。資料②によれば、変化の加速は三つの増幅要因が重なって起きるという。すなわち、指数関数的な演算処理能力の成長、ETのコンバージェンス、七つの推進力の存在である。さらに七つの推進力とは、時間の節約、潤沢な資金、非収益化、天才の発掘しやすさ、潤沢なコミュニケーション、新たなビジネスモデル、長寿命化である。

イノベーションの戦略を考える

 以上述べてきたように、現代人にとってイノベーションは現代の競争を生き延びて豊かな未来を獲得するための生存競争に他ならない。激変する環境を生き延びるために、生物にとっての自然淘汰と同じように、イノベーションは未来を賭けた国家間の生存競争なのだと認識を新たにする必要がある。

 前項で紹介したように、ETが登場し、複数のETが融合するイノベーションがもたらす変化は途方もないものとなりそうだ。そう認識するとき、イノベーション戦略は、国の政策におけるワン・オブ・ゼム(その他大勢の中の一つ)ではなく、全ての戦略の根本に据えて取り組むべき最重要課題と捉えるべきだろう。そして、イノベーション戦略は、少なくとも以下の要件を満たす必要がある。

 第一に、イノベーションにタブーがあってはならない。軍事に係るものであっても、次世代原発に係るものであっても、好き嫌いで是非を判断すべきではない。世論におもねる必要はなく、飽くまでも国の戦略としてロジカルに判断すべきである。日本だけが嫌だと言って拒否してもそれは解決にはならない。むしろ隣の軍事大国がそれを開発するのであれば、日本はその国がそれを使うことを抑止するために、その技術を獲得すべきなのだ。それが現実解なのだ。

 今回のコロナ・パンデミックにおいて、未だに日本製ワクチンが登場していない事実を謙虚に反省しなければならない。日頃からのウィルス研究がなければ、パンデミックが起きた時に短期間でワクチンを開発することはできないのだという事実を。

 そもそも全てのテクノロジーはデュアルユース(軍民両用)であって、現代の重要なテクノロジーは何れも軍事研究から生まれたものが多い。問題の本質は軍事や原子力に係るテクノロジーそれ自体にあるのではなくて、兵器や原発のマネージメントの問題だという点にある。デュアルユースである以上、テクノロジー自体を否定することは誤りである。

 その昔、ホモ・エレクトスが最初に火を使うことを思いついたときに戻って考えてみればいい。火は猛獣から家族を守るための強力な武器であり、寒さから身を守る革新的な手段であると同時に、誤って使えば森林火災を起こしかねない危険なツールだったことを。

 軍事や原子力に係るイデオロギー論争に終止符を打たなければ、日本の未来はない。原発が危険な理由は、それが暴走した場合の被害の大きさと深刻さにある。そうであるならば、世界における日本の役割は「危険だから一抜けた」をすることではなく、世界の規範となるような「戦争に使用させない仕組み」、「原発を安全に使用する仕組み」を構築することにある。そう考えるべきではないか。世界から一目置かれる日本を目指すべきなのだ。

 第二に、イノベーションは国家間の未来を賭けた生存競争であるために、予算がないからという理由で中止したり減額することがあってはならない。国の支出費目の中で最大の社会保障費はもとより、大半の費目は使ってしまえば消滅してしまう「消費」である。一方、イノベーションに係る費目は未来の富みと豊かさを生み出す卵を育てる「投資」なのだという視点を持つべきだ。

 第三に、イノベーションは国家だけで背負うものではない。企業とアカデミアの力を最大限に活用すべきである。現在日本企業はおよそ500兆円という途方もない内部留保を持っている。日本には投資にも賃上げにも使われない巨額のおカネが眠っているのである。企業はなぜ内部留保を投資に回さないのだろうか。企業自身が未来に対するビジョンを描けないからか、それとも先人のいない領域に踏み出す勇気を喪失しているからか。あるいは政府が迫真の戦略を示していないからだろうか。

 何れにしても、現在の日本は政府も企業も「戦略ゴッコ」に留まっていると言わざるを得ない。「ゴッコ」を本物の戦略に改めなければ日本の未来は暗い。政府は毎年、多くの「△△戦略」を策定しているが、政府が作る「△△戦略」に迫真性があるとはお世辞にも言えない。批判を恐れずにズバリ言えば、官僚の作文の域を出ていないからだ。

 官僚機構こそが日本最強のシンクタンクだと評されたのは、明治維新以降の「欧米列強に追いつけ追い越せ」と一丸となって戦っていた頃の話だ。「複数のETが融合するイノベーション」というテーマは専門家にも相当重いものであり、官僚の発想では手に負えないことを素直に認めるべきだろう。

 「複数のETが融合する」現代のイノベーション競争に挑むためには、少なくとも三つの機能を抜本的に強化する必要がある。その第一はインテリジェンスであり、第二はシンクタンクであり、第三はそのようなイノベーションを推進する仕組みである。

 インテリジェンスは、世界中で日進月歩に進行する変化を迅速かつ的確に捉え、分析する機能である。

 シンクタンクは、文字どおり日本として次世代のイノベーション戦略を立案する機能である。現在政府が取り組んでいるように、テーマ毎に有識者会議なるものを数回開催して戦略を練り上げるというような手抜きの方法では対処できる訳がない。さらに付け加えれば、その有識者を選ぶのも官僚で、会議の結論もシナリオも予め官僚によって用意されていて、集められた有識者はいわゆる御用学者として利用されるだけというようなやり方では、戦略ゴッコにしかならないことを肝に銘じるべきである。

 最後に、イノベーションを推進する仕組みは、幾つかの要件を備えたものとして整備されるべきだ。第一に、グローバリズムの潮流の中で海外に開発拠点を移した企業を国内に呼び戻す必要がある。第二に、日本学術会議に象徴される真の産学官連携を妨げる障壁を撤廃する必要がある。戦略にイデオロギー論争を持ち込むことは百害あって一利なしである。第三は、基本的に国が活動の土俵と基盤を用意する必要がある。

 米国には「国防科学委員会(DSB、Defense Science Board)」という機関がある。DSBは毎年ノーベル賞級の科学者を集めて、次に米国が国家として取り組むべき科学技術が何かについて、合宿を含めた集中的な討議を行っている。その成果はレポートにまとめられ、一部を除いて公開され、国家戦略に反映されている。また、米国には、「国防高等研究計画局(DARPA)」という軍事研究を推進する機関があり、潤沢な国家予算を使って、次世代の重要なテクノロジーの開発に取り組んでいる。

まとめ

 イノベーションはサピエンスにとって宿命であると書いた。視点を変えれば、サピエンスの「奇跡の物語」は、人類が生物からDNAとして受け継いだイノベーションの歴史だった。生物にとっての進化、人類にとってのイノベーションは38億年間途絶えることなく親から子へと受け継がれてきたバトンリレーのバトンだった。 そして現代のサピエンスはその秘密を解き明かすに至った。さて、そこまでがサピエンスの「イノベーション1.0」であるとすると、ETが融合する時代の「イノベーション2.0」はどのような物語となるのだろうか。

ゲノム解析が解明しつつあるサピエンスの奇跡

ゲノム解析技術が急速の進歩を遂げている。世界中の現代人のみならず、古代の遺跡から発掘された人骨からDNAを抽出して解析が行われている。その結果、従来の化石をもとに明らかにされてきた人類史が一新されつつある。

 受精卵には、父母がもつゲノム情報が一対のDNAに編集されて、23本の染色体の中に畳み込まれて子へ伝達される。父母のDNAもまた、さらにその父母から同様に受け継がれたものであるから、ゲノム情報には歴代の祖先に関わる遺伝情報が記録されていることになる。

 従って、もし世界中の民族のゲノム情報を比較すれば、民族間の違いを分析できる。もし古代人と現代人のゲノム情報を比較すれば、遺伝情報がどう進化してきたのかが分かる。さらに空間軸(世界の民族)と時間軸(人類史)のゲノムの共通点・相違点を多面的に解析すれば、出アフリカ以降、サピエンスが世界中に拡散していった過程が解明されることになる。このように、ゲノム解析という技術は、文字通り「パンドラの箱を開ける」とでもいうべき画期的な技術である。

 最新のゲノム解析が解明してきた事実の一端を紹介しよう。本稿では以下の資料を参照した。

文献:篠田謙一著「人類の起源」、中公新書、2022年2月

ゲノム解析による人類史の解明

 ゲノム解析に使用されるデータは三つある。母から子(娘、息子)へそのまま継承されるミトコンドリアDNA、父から息子へそのまま継承されるY染色体DNA、それと父母から受け取った核DNAの三つである。核DNAの場合、生殖細胞(卵子と精子)が作られる時に、両親から受け継いだ二つのDNAの間で「組換え」が起きることが分かっている。組換えは、父由来の染色体と母由来の染色体の間で、同じ場所の塩基配列が入れ替わる現象である。この仕組みがあるために兄弟姉妹でゲノムが同じになることはない。

 ミトコンドリアは生物の細胞の中に存在する小器官の1つである。ミトコンドリアは摂取した食物が消化され分解された最後の段階で、分解された食物からエネルギーを取り出す機能を担っている。またミトコンドリアDNAは細胞の核ゲノムとは独立したDNAを持っている。

 各個人がもつミトコンドリアDNAやY染色体の配列をハブロタイプといい、同一の祖先から分岐したと考えられる共通のハブロタイプをハブログループと呼ぶ。ハブログループの共通性と変化を分析することで、ミトコンドリアDNAの解析からは母型の系統を、Y染色体DNAの解析からは父型の系統を解き明かすことができる。

 ハブログループの進化は、ハブとスポークをもつネットワーク構造で表現される。またハブログループはアルファベットの記号で識別されている。ミトコンドリアDNAの場合、具体的にいえば、アフリカで誕生したサピエンスの祖先集団のハブログループがLで、そこからL0、L1・・・と派生型が登場して、L3がハブとなり、そこからM型とN型に分岐して、MとNが大きなハブとなって、そこから多数のスポークが派生している。

 遺伝子の情報量、つまり塩基の数で比較すると、ミトコンドリアDNAが16,550塩基であるのに対して、Y染色体DNAは5,100万塩基対、核DNAは30億塩基対ある。核ゲノムの場合、両親から遺伝子を受け継ぐので実際の情報量はさらにその2倍ある。情報量が少ないことに加え、組換えが起きないことから、ミトコンドリアDNAやY染色体DNAが、人類の系統図を解明する手段として広く活用されている。

 現在ゲノム解析に威力を発揮している技術に、「次世代シークエンサ(NGS:Next Generation Sequencer)」がある。NGSは、ランダムに切断された数千万~数億の DNA 断片の塩基配列を同時並列的に決定して、断片どうしの連結を復元しながら塩基配列の全体を決定してゆく技術である。半導体の進歩が「ムーアの法則」に従い、18ヵ月で2倍になると言われてきたが、NGSは2005年に登場して以降、処理能力はムーアの法則を上回る速度で向上してきた。現在では1日当たり2兆を超える塩基数を1台で解読できるNGSが稼働しているという。

 両親から受け継ぐ核DNAには所定の頻度で突然変異が起きる。殆どは数世代の内に消滅してゆく一過性のものだが、突然変異が生存に適合した場合など、集団の中に所定の頻度で残ってゆく変異もある。ゲノムの中の一つの塩基が変異したものを「一塩基多型(SNP)」と呼ぶが、これは「ある時にある場所で起きたDNAの変異」を示すマーカーとなる。核ゲノム解析でこのSNPを比較照合することによって、遺伝の系統を遡ることができるという訳だ。

人類の出アフリカと世界への拡散

 人類の起源は「チンパンジーの祖先と人類の祖先が分岐した時」と定義されている。今のところ人類の祖先と言われるのは、700万年前に出現したサヘラントロプス・チャデンシス(いわゆる猿人)である。200万年前には人類の中から直立歩行する「ホモ属」が登場した。ホモ・エレクトス(いわゆる原人)である。ホモ・エレクトスは人類の中で最初に「出アフリカ」を行った種で、その子孫に北京原人やジャワ原人がいる。

 ホモ属としては、ホモ・サピエンス(以下、サピエンスと略す)の他にネアンデルタール人とデニソワ人が知られている。約64万年前にネアンデルタール人とデニソワ人の共通の祖先がサピエンスの祖先から分岐し、約43万年前にはネアンデルタール人とデニソワ人が分岐したことが分かっている。またユーラシア大陸の各地で、ネアンデルタール人とデニソワ人の遺跡が発見されている。

 核ゲノム解析の結果、アジア人とヨーロッパ人にはネアンデルタール人由来のDNAが全体の約2.5%混入していることが判明した。一方、サハラ砂漠より南のアフリカ人にはそれがない。このことは、ネアンデルタール人はユーラシア大陸を中心に分布していて、同じ時期に同じ場所で生活をしていたサピエンスとの間で交雑が起きたことを物語る。今から55,000年前後のことだった。

 サピエンスがアフリカを出て向かった先は、アフリカと陸続きのレバント地方だった。レバント地方とは、アラビア半島の西端で地中海に面している地域をいう。実際にイスラエルにある複数の洞窟からは、サピエンスやネアンデルタール人の人骨や化石が見つかっている。最近の研究によれば、サピエンスがアフリカを出たのは複数回あって、最古のものは20万年前頃で、現代人の祖先が出たのは約6万年前だった。

 約6万年前にレバント地方に渡った現代人の祖先集団は、1万年ほどレバント地方に留まった後、約5万年前以降に世界に拡散を開始した。いわゆるグレート・ジャーニー(the Great Journey)の始まりである。レバントを出た集団は先ず東西の二手に分かれて、西に向かった集団がヨーロッパに、東に向かった集団がアジアに拡散した。東に向かった集団は次に南北に分かれて、北回りの集団はシベリアに向かい、南回りの集団はインドを経由して南アジア~東南アジア~東アジアに向かった。北米大陸に渡った集団もこの集団から分岐したことが分かっている。

 氷河期は地球上で繰り返し起きたことが分かっているが、25,000~19,000年前は「最終氷期の最寒冷期」と呼ばれる時期だった。このときには海面が最大で現在よりも120m低下していた。その結果ベーリング海が陸続きとなり、シベリアからアラスカへサピエンスは歩いて渡ることができた。ユーラシア大陸を踏破した後に、アジアの集団から分岐した集団が北米大陸に渡った。彼らはベーリング海周辺で数千年滞在した後に、北米に移動したことが分かっている。北米に渡った集団は、最寒冷期が終わった17,500~14,600年前に二つのグループに分かれ、一方は北米大陸に拡散してアメリカ先住民の祖先集団となった。もう一方のグループは太平洋岸を南下して南米大陸まで到達した。

 サピエンスがグレート・ジャーニーの最後に渡ったのはアメリカ大陸である。オーストラリアや南太平洋諸国には、船を使って陸路よりも早い時期に渡ったことが明らかになっている。

日本人の形成

 中国北京の近郊に田園洞と呼ばれる古代人の遺跡がある。そこから発掘された人骨は約4万年前のものと判定されている。この人骨のゲノムと縄文人のゲノムが照合された結果、56%が共通で44%が異なる事実が判明した(細部は不明)。このことは、グレート・ジャーニーの過程で田園洞を経由して日本列島にやってきた集団と、別のルートからやってきた集団の二つの系統が合流して縄文人の祖先集団が形成されたことを物語っている。

 サピエンスが日本列島にやってきたのは約4万年前のことである。最古の縄文土器は16,500年前のものであるから、4万年前は「旧石器時代」の区分となる。そもそも「縄文時代」という区分は16,500~3,000年前の期間をいい、縄文時代に日本列島に居住した人々を「縄文人」と呼んでいる。ゲノム解析の結果、縄文人は旧石器時代に日本列島にやってきたサピエンスの直系の子孫であることが確認された。

 縄文人、現代日本人(アイヌ人、本土人、オキナワ人)、及び東アジアの各民族を母集団として、ミトコンドリアDNAの分析と照合が行われた。この結果、幾つかの事実が明らかになった。

 第一に、縄文人がもつハブログループはN9b(Nの派生)とM7a(Mの派生)が支配的であるのに対して、現代日本人ではD4が最も多く、N9bとM7aはあるものの小さく、非常に多様なハブログループから構成されていることが分かった。ユーラシア大陸の最東端に位置する日本列島はグレート・ジャーニーの終着点の一つであり、日本人が多くの民族のDNAがブレンドされて形成されたことは当然の帰結であるのかもしれない。

 第二に、ハブログループN9bとM7aは、現代では日本列島にのみ存在していて、東アジア諸国の現代人からは消滅している。

 第三に、N9b系統は北海道から東日本に及ぶ地域に多いのに対して、M7a系統は西日本から琉球列島に及ぶ地域で多い。日本列島における分布から、M7a系統は中国大陸の南部沿岸地域から西日本に入ってきて東に向かったものと考えられ、N9b系統は北から日本列島に入ってきたことが想定される。

 弥生時代は、稲作と青銅器文化を持った人たちが中国大陸から朝鮮半島を経由して北九州に渡来した時から始まった。このとき北九州で在来の縄文人と渡来人との間で混血が進み、弥生人の集団が生まれた。弥生人は稲作とともに日本各地に拡散し、東北まで進出していった。この結果、現代の本土人(本州、四国、九州)のDNAは多様化し、稲作が適さなかった北海道と沖縄では弥生人の進出がなかったために、縄文人のDNAが色濃く残ったと考えられる。実際に、縄文人のゲノムはアイヌ人では70%、オキナワ人では30%残っている。

まとめ

 サピエンスのDNAは約30億塩基対あり、約2万の遺伝子が含まれている。DNAには、遺伝子の領域と遺伝子ではない領域があって、遺伝子が占める割合は数%といわれている。またサピエンスのゲノムの99.9%は世界の全ての民族に共通で、残りの0.1%の中に個人や民族の特徴を決定している遺伝子がある。

 サピエンスが進化しながら世界に拡散していった6万年に及ぶ歴史が、ゲノム解析によって解き明かされようとしている。何故そんな魔法のようなことが可能なのかと言えば、ゲノムが遺伝情報だからである。両親から子へ両親が持っていたゲノム情報が一対のDNAに編集され、23本の染色体の中に畳み込まれて伝達される。両親にはさらにその両親からと、この情報伝達の連鎖は人類の祖先までさかのぼる。つまりゲノム情報とは、単に一世代の遺伝情報に留まらず、出アフリカ以降のサピエンスの拡散と進化が書き込まれた情報でもあるのだ。

 現代の科学は、遺伝の仕組みを解明しただけでなく、ゲノム情報を遡ることによって、人類進化の経緯を解明する道を開いたのである。

 さらに話はここで終わらない。サピエンスの登場と進化は、38億年におよぶ生物進化のごくごく直近の20万年のドラマにすぎない。「人類の祖先を辿ってゆけば、最初の祖先、アダムとイブに辿り着く」というが、この表現は正しくない。何故なら物語は20万年前に突然始まったのではなく、アダムとイブにもさらに祖先が居て、200万年前のホモ・エレクトス誕生にまでさかのぼるからだ。最近の科学技術は、状態のいい古代人の人骨からだけでなく、洞窟の堆積物からもDNAを抽出ことが可能になっているという。

 「生物の進化」というドラマを、「遺伝」というメカニズムから眺めるとき、我々の遺伝子は約38億年前に最初に誕生した生物の祖先まで途切れずに繋がっている事実に驚かされる。

 さて、進化とは一体何だろうか。エントロピー増大の法則が支配する宇宙で、何故生物は誕生し進化を続けてきたのだろうか。生物の誕生も進化も、エントロピー増大の法則が明らかにした「宇宙の混沌化」に反する「秩序化」のプロセスである。しかも生物の進化には予め用意されたシナリオがない。生物の誕生も進化も、複雑系の科学で言うところの「自己組織化」と呼ばれる現象なのである。生物進化の結果としてサピエンスが登場したこと自体が奇跡であるのだが、進化を興しているメカニズムである、精緻な遺伝の仕組みも驚嘆という他ない。

 そう考えるとき、現代に働いている大きな三つの力の存在に思い至る。最も根底にあるのは、宇宙を貫く物理法則としてのエントロピー増大の法則であり、二つ目は生物の進化であり、そして三つめは人類が起こしている技術革新である。地球上では現在、この三つの力が相互に影響を及ぼしながらせめぎ合っていると考えることができる。この神秘と呼ぶ他にない力の作用を創造したシナリオライターは存在しないとしても、そのことを発見し解明してきたサピエンスという存在は何という奇跡なのだろうか。

奇跡の物語(日本の誕生)

 日本列島を形成した力はプレートの動きである。それを含めて日本列島及び日本人の形成に重大な影響を与えた要因は四つある。第一は地殻変動、第二はヤンガー・ドリヤス寒冷期(以下YD期)の大規模な気候変動とその後に起きた縄文海進による海水面の上昇、第三はカルデラ噴火に代表される大規模な火山活動、第四に大量の移民である。

 それぞれの専門領域に深入りせずに、この四つの要因がもたらした変化を俯瞰的に捉え、日本の起源について洞察してみたい。

地殻変動による日本列島の誕生

 日本列島を形成する地体構造の約7割が「付加体」とその上に形成された堆積岩から成るという。大陸プレートの下に海洋プレートが沈み込むときに、海洋プレート上の堆積物が剥ぎ取られて大陸プレートの海側の端に付加される構造を付加体という。日本列島を形成する付加体は最古のものが5億年前でそれ以降段階的に形成されてきた。

 約3000万年前にユーラシア大陸の東端に亀裂が入り、海水が流れ込んで1500万年前に日本海が形成された。このとき大陸から引き剥がされた付加体は、東北日本と西南日本の二つの陸塊に分離していた。

 日本海の形成が終了する頃、フィリピン海プレート上の海底火山や火山島の列、伊豆弧が南東方向から陸塊に次々に衝突を始めた。300万年前頃には、北進していたフィリピン海プレートが北西へ進路を変えた。それに伴い西に移動していた太平洋プレートが沈み込む日本海溝も西へ動いて東日本を圧縮し始めた。これは「東西圧縮」と呼ばれ、この力で二つの陸塊が合体して日本列島の原型が出来上がった。

 日本列島が現在の姿になったのは2万年程前のことである。但し、プレート運動はもちろん、東西圧縮も伊豆弧の衝突も現在進行形であり、日本列島の形は現在も少しずつ変化を続けている。

ヤンガー・ドリヤス寒冷期(YD期)と気候変動、縄文海進

 旧石器時代は、ホモ・エレクトスがハンド・アックス(握り斧)を使うようになった約260万年前から始まった。サピエンスは6~7万年前に「出アフリカ」を決行しているが、7万年前から最終氷期が始まっていて、当時の日本列島は総じて寒冷期にあった。

 アフリカを出たサピエンスの集団の一部が日本列島に辿り着いたのは約4万年前である。そのとき日本列島は最終氷期にあって海面は現在よりも100m程低く、シベリアと北海道、朝鮮半島と九州は陸続きだった。

 新石器時代は地球が温暖化した11600年前に始まった。最終氷期が終わって温暖化しかけた気候が12800年前に急激に寒冷化した。YD期の始まりである。寒冷化の結果、獲物が減ったためにサピエンスは狩猟採集生活を諦めて農耕定住生活に転換したという。

 それから1200年後の11600年前に今度は約15度の急激な温暖化が起きた。温暖化が定着すると海水面が約100m上昇し、海岸線が内陸へ移動したことから、これは「縄文海進」と呼ばれている。

日本人の祖先と火山

 日本最古の遺跡は約12万年前に出雲で発掘された砂原遺跡である。加工された石器が多数見つかっている。これはサピエンスの到来より8万年も古く、サピエンスの渡来以前に先住民としての旧人(ネアンデルタール人?)が居たことを物語っている。

 過去12万年の間に超巨大噴火(噴火マグニチュードM7以上)に分類されるカルデラ噴火が九州と北海道の7つの火山で11回起きたことが分かっている。最新の鬼界カルデラ噴火は7300年前で、このとき南九州で暮らしていた縄文人は絶滅したと言われる。大規模噴火(M4、M5)~巨大噴火(M6)は過去2000年間に63回発生している。

 これは日本のどこかで約30年に1回の頻度で起きたことになり、縄文人にとって火山は身近な存在であって、畏怖の対象であったと同時に、火、温泉、希少な石(黒曜石、翡翠、メノウ等)という恵みを与えてくれる存在だったと思われる。

 世界最古の土器は青森県から16500年前に出土している。この時を起点として、紀元前10世紀までを縄文時代と呼ぶ。縄文人は世界に先駆けて土器を使用していただけでなく、6つの「縄文の国宝」にみられる高い芸術性を持っていたことが分かる。ちなみに6つの国宝が発掘された遺跡は、茅野市(2)、函館市、八戸市、十日町市、山形県舟形町(以上、各1)であり、何れも東日本に分布している点に注目する必要がある。

三内丸山遺跡が物語る縄文時代

 日本列島には全国に14000を超える膨大な数の後期旧石器時代の遺跡があり、密度において世界最多であるという。

 中でも最も注目すべき遺跡が三内丸山遺跡で、およそ5500年前から4000年前まで使用されていた。田中英道は、「ここには居住空間と広大な墓地、盛り土で囲まれた公共空間の三つの領域があり、共同体としての村落の機能、さらに言えば都市国家の基本を備えていた。」という。さらに、「巨木の柱で作られた建造物があり、後の出雲大社本殿に繋がる神社の原型と考えられる」と述べている。

 また、「三内丸山遺跡は、縄文時代が高い宗教心を持った時代で、日本の基層文化として原初の姿を宿している。住居域と隣接したところに墓域があることから、御霊信仰を基本とする神道の概念が存在していた。」と田中英道はいう。しかも三内丸山遺跡に相当する集落は全国に分布していた。

 最大規模の仁徳天皇陵に代表される本格的な古墳(田中英道の定義によれば、前円後方墳)が登場した古墳時代以前で、最も多くの古墳が発掘されたのは千葉県の12750墓で、奈良県より3割も多いという。これから縄文時代の集落と文化・宗教の重心が関東にあったことが分かる。しかも古墳は偉大な死者に対する御霊信仰の現われであり、神道が基本となっている。

神社の起源

 神社の代表格である出雲大社、熊野本宮大社、諏訪大社、香取神宮、鹿島神宮に祀られている神は、アマテラスを頂点とする天つ神ではなく、何れもオオクニヌシに代表される国つ神である。これは、これら神社の起源が縄文時代にあることを物語っている。

 鹿島神宮の創建は神武天皇元年(BC660)とされている。一方伊勢神宮は第10代崇神天皇の命を受けて第11代垂仁天皇(BC29-AD70)の時に創建されたと言われるから、鹿島神宮の方が600年以上も古いことになる。

 神社の形(建築様式等)が定まったのは、ヤマト王権が成立した古墳時代からである。しかし神社の起源は形が定まる遥か古代にさかのぼり、神道の起源よりも古いという。何故なら火山や巨石、巨木等、自然界の際立った存在は「神の宿るもの」と考えられたからである。

 蒲池明弘によれば、最古の神社の最有力候補は諏訪大社であるという。その理由として、諏訪大社のある茅野市から、「縄文のビーナス」と「仮面の女神」という二つの縄文の国宝が発掘されていること、諏訪大社には狩猟文化の伝統に関わる神事が残っていること、さらに古代の交易路だった、中央構造線と糸魚川静岡構造線の二つの断層の交点に位置している点を挙げている。

 最古の神社のもう一つ有力な候補は、三輪山をご神体としていて本殿を持たず、古神道の形式を残している大神神社(奈良県桜井市)である。

 このように、神道の原型は三内丸山遺跡の時代に既に出現していたと考えられ、神社は縄文時代から自然に対する畏怖と恩恵を表現するものとして作られたと考えられる。

弥生時代、渡来人の大量移民

 縄文から弥生時代への移行は、稲作技術等を携えた大量の移民が大陸から北九州他へ渡来したことによって起きた。不確定な要素が多いものの、弥生時代は概ね紀元前10世紀~紀元3世紀である。

 縄文時代末期におよそ10~20万人だったと推定される日本列島の人口は、弥生時代から急激に増大している。背景には、弥生~古墳時代に優に100万人を超えた渡来者の存在がある。渡来者は高度な製鉄技術や、漢字の文化、醸造や灌漑技術、律令制に則った統治制度などを持ち込んだ。様々な民族が続々と日本列島に渡来し、渡来者を中心とした新しい文化圏が北九州を中心に誕生した。その結果、日本列島に土着していた縄文人は、列島の隅々に追いやられてしまったという。

 古事記の神話は、出雲での国譲りの物語に続いて、日向を舞台にした天孫降臨へと主題が変化しているが、その背景には、縄文から弥生への革命的な時代変化と、出雲から日向への重心の移動がある。

秦氏の活躍とユダヤ民族

 移民の中で最も中心的な役割を果たしたのは秦氏だった。秦氏は皇族を支えヤマト王権の確立に際立った貢献をしたと言われる。日本の古代史において、秦氏は他の豪族と比べて目立たない存在であるが、弥生時代から古墳時代にかけてヤマト王権を樹立して国家の礎を創った立役者だった。

 ヤマト王権が成立したのは、奈良に前円後方墳が作られるようになった古墳時代からである。それは第15代応神天皇(AD270-310)、または第16代仁徳天皇(AD313-399)の頃と言われる。

 聖徳太子は、第33代推古天皇(592-628)の摂政として活躍した。聖徳太子のブレーンとして活躍した人物に秦河勝が居る。彼は聖徳太子が進める政策を支え、縄文由来の神道に伝来の仏教を加えた神仏習合の宗教を日本に普及させることに多大な貢献をした。広隆寺、大覚寺、仁和寺等の寺院、宇佐八幡神宮、伏見稲荷大社の創建に尽力し、全国に多くの神社を作ったのは秦氏だったと言われる。

 秦氏の活躍に象徴されるように、日本の形成にはユダヤ人渡来者による少なからぬ尽力があったことが明らかになっている。秦氏は数奇な経歴を背負った民族で、紀元前922年に南北に分裂し、紀元前722年に滅亡したイスラエル王国の南ユダ王国にルーツを持っている。祖国が滅亡した後に流浪の民となり世界中に拡散したユダヤ民族の一グループは、シルクロードを経由して中国に渡り、秦の始皇帝時代(BC221-206)に中国で活躍して財を成したという。彼らは秦姓を名乗り、秦王朝の崩壊を機に東に移動して、朝鮮半島経由で日本にやってきた。

 歴代天皇の在位を参照すると、日本で神武天皇が即位したのが紀元前660年で、第10代崇神天皇は紀元前97年~紀元前30年に在位し、ヤマトタケルが活躍したのは第12代景行天皇(AD71-130)の時である。そして古墳時代は第15代応神天皇(AD270-310)の頃に始まっていた。これらを総合的に考えると、秦氏が日本に最初にやってきた時期は中国の秦王朝崩壊後の紀元前2世紀以降の弥生時代だったと推定される。

古事記神話と旧約聖書・ギリシャ神話の類似性

 古事記神話と旧約聖書、ギリシャ神話には物語の類似性が多い。古事記は第40代天武天皇(673-686)が編纂を命じて、奈良時代の第43代元明天皇(707-715)の時代に完成している。一方、旧約聖書が最初に成立したのは紀元前5~4世紀であり、ユダヤ教が成立したのは出エジプトの時で紀元前13世紀に遡る。秦氏を中心とするユダヤのルーツを持つ渡来人の中に、旧約聖書、ギリシャ神話を良く知る人物がいた可能性は十分高いと思われる。

 古事記の編纂に関わった稗田阿礼は謎の多い人物である。「年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。」と古事記に記されている。稗田阿礼は秦氏の流れを組む人物であった可能性がある。

 田中英道は、「旧約聖書と日本神話は、一方が流浪の民となったユダヤ民族、他方は島国という安全地帯に定住したヤマト民族という運命が異なる二つの民族の神話である。二つの神話には類似性があると同時に、旧約聖書は自然さえも神が創ったとする神話だが、日本神話では神以前に自然があり、その自然から神が生まれている。」と両者の相違点を指摘している。とても興味深い洞察である。何故なら、旧約聖書を下敷きにしたものの、日本の風土に合致するように、自然の造形と神の関係さえも書き変えたことを意味するからだ。

 もう一つ日本とギリシャの類似性にも注目すべきである。両国には共に大陸の縁にあって二つのプレートが衝突するところにあり火山が多いという共通性がある。一つの推論だが、自然の中に畏怖の対象となる存在がある環境が多神教を育んだ背景にあると考えられる。さらに加えれば、多神教が育つ環境では一神教が登場する余地がないとも考えられる。なぜなら、預言者が登場する遥か以前から人々は自然の中に信仰の対象を体得していたからである。

 2000年以上も前にディアスポラという運命を背負い、世界中に拡散したユダヤ人が、その土地に同化して、金融分野を中心に卓越した才能を開花させたことは世界史における公知の事実である。その事実を知った上で、弥生~古墳時代に渡来した秦氏一族の活躍を振り返るとき、日本を安住の地と捉えて日本の風土と社会を受け入れて、一神教のユダヤ教から多神教の神道へ改宗したことは十分あり得ることと考えられる。何れにしても日本の国家・文化の形成にユダヤ民族が深く関与していたことは、古代のミステリーという他ない。

総括

 日本の歴史は、縄文時代→弥生時代→古墳時代と推移した。神社の原形が縄文時代に自然発生的に形成され、死者を祀る神道の原型が作られた。三内丸山遺跡に代表される集落が東日本を中心に作られ、太陽信仰の場としての香取・鹿島神宮が作られ、黒曜石がとれた諏訪大社、玉髄がとれた出雲大社等が、ハブとなって緩やかなネットワークが形成された。現代の建築様式が登場する以前の神社の原型があったように、国家の骨組みが登場する以前の古代国家の原型が縄文時代にはあったと考えられる。

 縄文から弥生時代への変化は、大陸からの大量の移民が、稲作を含む様々な知識と技術を持ち込んで起こした革命だった。縄文人の人口の10倍規模の渡来人がやってきたことが事実であるとすれば、その変化は革命と呼ぶに値するものだったと思われる。歴史ではこのときに狩猟採集社会から農耕社会への転換が起きたとされる。社会の重心は、この時に出雲から日向へ、東日本から西日本へ移ったのである。

 そして弥生から古墳時代への移行は、ヤマト王権のもとに日本を統一してゆく国家の骨組みが形成されてゆく変化だった。聖徳太子が進めた17条の憲法や冠位12階、仏教の普及がその基礎となった。古墳時代は天皇家を中心に豪族が協力してヤマト王権を確立し、重心が大和に移動した時代である。この国家形成の歴史が古事記における神武東征として神話化して描かれたのではないだろうか。

 古事記神話は、ヤマト王権成立後に天武天皇が、縄文時代からの記憶の伝承をもとに作らせたものであり、編集者は王権成立に至る天皇家の系譜を神話として描いたものだ。編集当時、日本には大量の移民があり、豪族の中には秦氏のように渡来人で日本の文化に同化した勢力があった。編集に携わったものの中にユダヤにルーツを持つ人物がいて、古代からの記憶の伝承を神話として編纂してゆく過程で、旧約聖書やギリシャ神話の物語を下絵として利用した可能性がある。

 最新のDNA鑑定によれば、日本人のDNAには世界でも稀な大きな多様性があるという。サピエンスはアフリカを出てレバント地方へ渡った以降、太陽が昇る方向をめざして東へ東へと歩き、最終的に日本列島まで辿り着いている。その2~3万年に及ぶ「グレイト・ジャーニー」の過程で、さまざまな民族のDNAがブレンドされて、最後に日本人のDNAが形成されたことになる。

 こう考えてくると、日本のユニークさは日本列島がユーラシア大陸の最東端に位置することに由来していることが分かる。その昔聖徳太子は推古天皇から隋の皇帝にあてた親書の中で、「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。」と書いた。これは出アフリカ後にサピエンスが世界に拡散した旅が、太陽の昇る方向をめざして東へ向かい日本列島に辿り着いた事実と符合するものであり、実際にユダヤ人を含む多様な民族が日本をめざして集まってきた歴史を認識した上で書き込んだものと考えられる。

 さらに、当時の日本には多民族の渡来者が結集していることによる多様性があることを踏まえて、統一国家を形成するにあたって、17条の憲法の冒頭に「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。」と書き込んだのかもしれない。

 日本列島は世界でも稀な自然豊かな国、四季の美しい土地である。多くの火山があり森があり里山がある。同時にユーラシア大陸の東端に位置することから、「太陽が昇る土地を求めたサピエンスのグレイト・ジャーニー」の結果として、最も多様なDNAを持つ民族が誕生したという「日本成立のミステリー」が姿を現してきたといえよう。今後のDNA解析が日本人の正体を解明することを大いに期待したい。

本項を書く上で参照した資料は次のとおりである。

資料1:「日本人の起源」、洋泉社MOOK、歴史REAL、2018.7

資料2:「聖地の条件:神社の始まりと日本列島10万年史」、蒲池明弘、双葉社、2021.8

資料3:「日本国史の源流」、田中英道、育鵬社、2020.10

資料4:「日本とは何か、日本人とは何か」、田中英道、ルネサンスVol.7、2021.5

資料5:「日本人の源流」、斎藤成也、河出書房新社、2017.10

資料6:「日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究」、Website

地球で起きた重大事件(3)

サピエンス編

サピエンス登場以前

 生物の進化を促進した力は環境の激変だった。6600万年前に「K-T境界の大絶滅」を起こしたのは直径10kmの隕石の衝突だった。それ以降で人類登場以前の6000万年の間には、大陸移動や造山活動も起きていた。主なものは次のとおりである。(以下、歴史的事実については「ホモ・サピエンスの歴史」を参照した。宝島社、2017年7月。)

・6600万年前、哺乳類の始祖となるプロトゥングラトゥム(体重300kg未満)が登場した。

・5500万年前、著しい温暖化が始まった。

・4000万年前、インド大陸がユーラシア大陸に衝突してヒマラヤ山脈が形成された。

・3600万年前、氷河期が始まった。

・2300万年前、再び温暖化となった。

・1900万年前、アフリカ大陸がユーラシア大陸に衝突して陸続きとなった。

 また寒冷化と温暖化、砂漠化、大規模なカルデラ火山噴火等の天変地異は、人類誕生後にも幾度も起きている。69万年前には最後の「磁極の逆転」が起きている。地球磁場が逆転する過程では地球磁場が消滅してしまうので、生命は有害な宇宙線を浴び続けたことになる。

 より小規模なものを含めれば絶滅はおよそ2600万年ごとに起きたと言われているが、哺乳類が存続の危機に直面する事態は、もっと頻繁に起きていたに違いない。そのたびに危機を生き延びた動物は新しい環境に適応するように突然変異を繰り返して進化を重ねた。絶滅と進化は対で起きたのだ。

最古の人類(初期猿人)が登場してから現代人の祖先が登場するまでの人類の進化は概ね次のとおりである。

・700万年前、初期猿人が登場した。気候が安定した暖かい時期だった。

・400万年前、猿人アウストラロピテクスが登場した。

・300万年前、最後の氷河期が始まり、265-200万年前には激しい乾燥・湿潤の気候変動が起きた。

・250-160万年前、原人ホモ・ハビリスが登場し、始めて石器を使い旧石器時代が始まった。彼らは本格的に道具     を使って狩りをした。後半では火も使っていた。

・190-150万年前、人類最初のハンターと呼ばれた原人ホモ・エルガスターが登場した。槍を使い集団で狩りをしたことから肉食獣よりも優位に獲物をとることができた。

・180万年前、原人ホモ・エレクトスが登場した。彼らは気候変動に直面して、獲物を追いかけるように人類初めての「出アフリカ」を行い、ユーラシア大陸へ移住した。ちなみにジャワ原人や北京原人はホモ・エレクトスの子孫と考えられる。

・60-13万年前、氷期が断続的に続いた。

・35万年前、ホモ・ネアンデルタール(以下、ネアンデルタール人)が登場した。

・20万年前、ホモ・サピエンス(現代人の祖先、以下、サピエンス)が登場した。

 人類は進化のたびにより高度な道具を発明していった。ホモ・ハビリスは初めて石器を使い、ホモ・エルガスターは槍を使い、サピエンスとネアンデルタール人の共通の祖先だったホモ・ハイデルベルゲンシスはハンドアックス(握り斧)やさまざまな道具を使うというように。

 14万年前、気候変動による何らかの壊滅的な出来事が起きて、多くの大型動物に加え幾つもの人類種が絶滅した。また9万年前には氷期となり、出アフリカの行き先だったレバント地方(アラビア半島の地中海に面した地域)が砂漠化した。それ以降レバント地方を通って出アフリカする人類はいなくなった。

 サピエンス以外の人類種はサピエンス登場以前に絶滅した。最後に残ったネアンデルタール人もヨーロッパにクロマニヨン人(サピエンス)が登場した4万2千年前から2千年後までの間に絶滅した。絶滅した原因はサピエンスとの獲物獲得競争に敗れたためと考えられる。クロマニヨン人は体形は華奢だったものの、長時間走り続ける能力を持ち、犬を使って狩りをしていたことが狩猟で優位に立った理由である。

 ここで驚愕の事実がある。DNA解析の結果、現代人にはネアンデルタール人のDNAが2.7%入っていることが判明した。さらに、ネアンデルタール人のDNAは全てが男性由来でミトコンドリアDNAはないことから、交配したカップルはネアンデルタール人の男性とサピエンスの女性だった。交配したタイミングは9-12万年前の出アフリカのときで、場所はレバント地方からコーカサス山脈の間の地域で、アフリカから移動したサピエンスとヨーロッパから南下したネアンデルタール人が遭遇した。レバント地方は9万年前に砂漠化したためにサピエンスは絶滅してしまうが、生き残ったネアンデルタール人の子孫たちが後にこの地方に来た別のサピエンスと交配し、その子孫がヨーロッパに渡ってそのDNAが現代人に継承されたと考えられる。

 現代の科学は9万年前に起きた事件をここまで詳細に解明している。これこそサピエンスの奇跡を象徴する物語であるといってよいだろう。

サピエンス進化の転機、ヤンガー・ドリヤス寒冷期

 1万2900年前から1万1500年前までの間は「ヤンガー・ドリヤス寒冷期」と呼ばれる。最終氷期が終わって温暖化に転じた1万年後の1万2900年前に急激な寒冷化(-15度)が起き、さらにその1400年後に急激な温暖化(+15度)が起きた時期を言う。またヤンガー・ドリヤス寒冷期以降を新石器時代という。ここで重要なことは、旧石器時代から新石器時代への進化は石器の変化ではなく、文化的な革命だった点にある。

 古代文明の研究家であるグラハム・ハンコックの仮説は次のとおりである。1万2900年前に北米大陸に巨大な隕石が衝突して北米大陸にあった厚さ3kmに及ぶ氷河が溶解した。これが「ノアの箱舟」に代表される世界中の大洪水伝説として語り継がれた「歴史上の大事件」だった。その衝突によって太陽光が遮断されて世界は急激に寒冷化した。そして1万1500年前には、再び隕石の落下があったが、恐らくは海に落下したため急激な温暖化を引き起こした。

 ※「神々の魔術、失われた古代文明の叡智」、グラハム・ハンコック、角川書店、2016.2

 グラハム・ハンコックの仮説の真偽はともかく、新石器革命は気候の激変に対処するためにサピエンスが定住生活を始めたことと関わっている。ヤンガー・ドリヤス寒冷期の急激な気候変化によって多くの大型動物が絶滅したために、食料を手に入れることが難しくなった。このときにサピエンスがとった定住生活という選択は、その危機に対処するための進化の一形態と考えられている。

 ここで、改めて考えてみたい。マンモスなどの大型哺乳類が絶滅するという環境激変の中でサピエンスだけが生存できた理由は何だったのかと。生物の進化の歴史を俯瞰してみると、新たな種はそれまでにはなかった新しい能力を獲得することによって危機を生き延びてきた。分かり易い例は鳥類で、恐竜が滅んでゆく一方で、空を飛ぶ能力を獲得した恐竜の種が鳥類として進化を成し遂げている。では同様に考えると、他の人類種が絶滅していった中でサピエンスだけが獲得した能力は何だったのだろうか。

 その答えは思考力である。他の動物が獲得してきた能力は全て肉体的なものだったが、サピエンスが獲得したのは脳の新しい使い方だったのだ。具体的には、自分自身と世界を理解しようとする好奇心であり、何故という疑問を抱く発見力であり、その疑問を解決する道具を生み出す発明力であり、それを実践する行動力だった。そして、その思考力は地上へ降りて二足歩行を始めた行動に帰着するように思える。

 「サピエンス全史」を書いたユヴァル・ノア・ハラリは「どんな動物も何かしらの言語を持っている。その中で虚構、すなわち架空の事物について語る能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。」と述べている。

現代の危機を考える

 生物の進化を促進した力は、環境の激変だった。そのたびに動物は存続か絶滅かの危機に瀕し、危機を乗り越えて存続を果たした種は、新たな環境を生き延びるために必要な新たな能力を獲得した。人類がとった行動は地上に降りて二足歩行に移ったことであり、故郷を捨ててアフリカを出たことであり、さまざまな道具を発明したことだった。しかもそれらの選択の過程で獲得した根源的な能力が思考力だった。そしてヤンガー・ドリヤス期にその能力は新石器革命として花開いたのだった。

 今我々現代人が生きてあるのは、サピエンス誕生から20万年に及ぶ間に起きたさまざまな危機の全てを、祖先集団が克服してきた賜物なのだという事実を忘れるべきではない。我々は途中で絶滅して退場していった種の子孫ではなく、全ての危機を克服してきた勇者の子孫なのである。そしてサピエンスの継承者として我々が備えなければならないのは、生存か絶滅かというレベルの危機に対してなのだ。

 では、人口が増えテクノロジーが高度に発達した、「複雑系」と呼ばれる時代を生きている我々現代人は、現代におけるさまざまな危機を克服するための勇気と知恵と行動力を持ち合わせているだろうか。

 現在地球温暖化が騒がれている。今年8月9日に、国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が第6次評価報告書を公表した。それによれば、「気温の上昇幅は、過去からの累積CO2排出量にほぼ比例し、累積排出量1兆トンごとに約0.45度上昇する。産業革命以降に人類が放出した総排出量は約2.4兆トンであり、気温上昇を1.5度に抑えるためには、残り4千億トンの枠しか残っていない。」とし、さらに「産業革命前に対し気温が1.5度上昇すると、50年に一度の記録的な熱波が起きる頻度は8.6倍になり、海面上昇は55cm以上上昇する。」という。

 しかしながら人類誕生以来の地球で起きた気候変動は一桁違う。そんなレベルで人類が滅びることはないし、そもそも温暖化の原因が人間の活動にあるのかどうかも分からない。何故なら、IPCCの試算は地球の環境条件をモデル化して、さまざまなパラメータを仮定して行ったコンピュータ・シミュレーションに基づいているのだが、シミュレーションの常として、モデルのパラメータを少し変えるだけで全く異なる結果が得られるからだ。これに対して、地球の公転と自転に起因する気候変動と天変地異に起因する変動の幅が一桁以上大きいことは、人類登場以降の気候変動を見れば一目瞭然である。現にヤンガー・ドリヤス寒冷期の始まりには気温が15度も一気に低下し、終わりには一気に15度も上昇しているのだ。

 また現在コロナパンデミックのデルタ株の感染拡大が深刻化して、連日のトップニュースとなっている。医療機関の方には不眠不休のご尽力に感謝の一言しかないが、行政もマスコミも針小棒大に大騒ぎしているとしか思えない。視点を変えて、その理由を説明しよう。今回のウィルスが中国武漢の研究所で作られた可能性はかなり高い。8月末までに米国の情報機関はバイデン大統領に対しウィルスの起源について調査結果を報告することになっているので、それを注目したい。

 ただし問題は人為的に作られたのか否かにあるのではなくて、人為的にばら撒かれたのかどうかにある。少なくとも中国は武漢で患者が発生してから、春節の民族大移動が起きて感染者が世界中に移動するまで40日以上もの間発生を公表しなかったのだ。人為的にばら撒いたのか、それとも漏洩事故を政治的に悪用したのかは不明だが、人為的に拡散させたことは明白な事実なのである。

 そして今最も重要なことは、コロナよりも遥かに高い致死率を持つウィルスが人為的にばら撒かれる事態に備えることである。今回のパンデミックに学ぶべき最も重要な教訓は、ウィルス兵器が核兵器よりも遥かに甚大な被害をもたらす脅威となり得ることが明らかになったことと、その脅威が現実のものとなったことにあるからだ。

 ダン・ブラウンの小説インフェルノ(角川文庫)では、世界人口を大幅に削減するためのウィルスが人為的に作られてばら撒かれるという事態が描かれている。絶滅か生存かというレベルの危機はそういうものだろう。

 本日76年目の終戦記念日を迎えた。日本は現在、「戦争は二度と繰り返しませんから」という祈りの週間のさなかにある。戦争の犠牲者となった方々には心からご冥福をお祈りする他ないが、今日本人が直視すべきことは、日本の周辺国が皆核兵器保有国であるという現実である。特に中国は200発以上の核弾頭ミサイルを保有している。彼らが日本に対して核兵器を使用しないという保証はどこにあるのだろうか。政府はそのためにアメリカの傘があると言うのだろうが、そんな他力本願をいつまで続けるつもりだろうか。「中国は撃たないし、アメリカは助けてくれる」という誠に都合のいい仮定の上に日本の平和があることを忘れてはならない。生存か絶滅かという究極の危機の視点に立って日本の現実を眺めれば、「砂上の楼閣」あるいは「ダチョウの平和」というべき現状を続けることは、日本人が絶滅する種になることを意味しているのだ。

地球で起きた重大事件(2)

生物編

生命の起源

 地球生命の起源については、三つの説がある。原始スープ説、宇宙由来説、熱水噴出孔説だ。はじめに、三つの説の要点を『進化の謎を数学で解く』(文芸春秋、2015)から引用する。

 原始スープ説:1952年シカゴ大学大学院生だったスタンリー・ミラーは地球原初の大気組成を再現して容器の中に密封し、放電スパークを浴びせて地球の初期状態の模擬実験を行った。その後混合物を濃縮したところ、たった数日で多数の有機分子だけでなく、タンパク質の構成要素であるグリシンやアラニンのようなアミノ酸が作り出されたという。

 宇宙由来説:1969年にメルボルンの北160kmにあるマーチソンという町に、隕石が飛来して爆発した。この隕石は地球と同等の年齢で数十億年宇宙をさまよった末に地球にやってきた。隕石の成分を分析したところ、タンパク質の原料となる数種のアミノ酸の他、DNAの構成要素であるプリンやピリミジンが含まれていた。さらに21世紀の分光学を用いた、その後の研究では、ごく微量ながら1万種以上の異なる有機分子が含まれていることが明らかになった。

 マーチソン隕石と同じような隕石は多数地球に落下しており、無数の隕石が宇宙を飛行して有機物を運んでいることが明らかとなった。

 また、『生命の起源と進化』(日経サイエンス、2003)によれば、

①地球表面には毎日数百トンの宇宙塵が降り注いでいる。

②宇宙塵を採集し分析した結果によれば、多いもので50%の有機炭素が含まれている。

③炭素含有量が平均10%とすると、毎日30トンの有機物質が宇宙から供給されている。

 熱水噴出孔説:熱水噴出孔からは火山化合物質が放出されている。これらの物質は多くの生物にとって毒物だが、一部の微生物にとっては豊穣な燃料である。光合成をする植物と違って、微生物は噴出孔から豊富に湧き出す炭素やその他の元素を取り込んで、自分に必要な有機分子を合成している。この結果、深海底にある熱水噴出孔の周囲には、他の海底よりも数千倍も多い生物が生息している。

生命のアーキテクチャ

 生物であることの要件は代謝と複製の能力にある。代謝はエネルギーを取り込んで、化学反応によって生命活動に必要な化合物を合成する能力であり、複製は自分自身の遺伝的形質情報を未来の世代に伝える能力である。

 ここで注目すべきことは、地球上の全ての生物が同じアーキテクチャ(設計様式、規格)で作られているという事実だ。その主な根拠は次のとおりである。

1.遺伝情報の記録と伝達にDNA、RNAを用いていること

2.エネルギーの授受にATP(アデノシン三リン酸)の酸化還元反応を用いていること

3.タンパク質の合成に同一の20種類のアミノ酸が利用されていること

 全ての生物が共通のアーキテクチャでデザインされているという事実は、祖先を辿れば唯一の共通祖先に辿り着くことを示唆している。最近までそう考えられてきたのだが、最新の研究によればそれは正しくないようだ。

 親から子へ遺伝子を受け渡すことを「遺伝子の垂直移動」というが、生物の進化過程には「遺伝子の水平移動」と呼ばれる変化が起きたことが分かっている。その代表的な事例は、動物のミトコンドリアと植物の葉緑素が単細胞のバクテリアのDNAを取り込んだものであることだ。その後の動物や植物の目覚ましい進化にとって、この水平移動が重要なステップとなったことは疑う余地もない。

 全生物の系統図を辿ると樹木の根のように1本に収束するというイメージは、どうも単純すぎるらしい。最古の生物は約35-38億年前に出現しているが、多細胞生物が出現したのは約10億年前のことであり、単細胞生物しか存在しなかった時代は20億年以上に及ぶ。この極めて長い期間に、さまざまな進化の試行錯誤が繰り広げられて、やがて原核生物から真核生物へ一筋の系統が形成されていったというのが真相であるらしい。

 『進化の謎を数学で解く』の中で、チューリッヒ大学のワグナー教授は、「私達全てが単一の共通祖先に由来することが自明となっているが、それは生命がたった一度だけ誕生したという意味ではない。「自己組織化」の力を借りれば、生命が熱水噴出孔で、あるいはどこかで何度も出現したはずだが、その内のたった一つだけが、現在のあらゆる生物を産み落とすものとなったのだ。」と述べている。

生物の多様化

 地質時代は、化石などの記録が残っている直近数千年の有史時代の以前で、地質学的な手法でしか研究できない時代をいう。地質時代は四つの時代に区分されている。

 生物化石が豊富な「顕生代」、化石に乏しく生痕化石などが研究対象になる「原生代」、研究対象が主に地層や岩石となる「太古代」、地球上で岩石などの直接証拠が少なく月の石や隕石などの情報から推察されている「冥王代」である。

 多細胞生物が今から約10億年前に出現した後、8-6億年前に地球の全表面が凍結するスノーボールアースが起きている。生物は海底の熱水鉱床などの周辺に隔離される状態で生存していたものと思われる。この間に、生物史上はじめて眼を持った生物(三葉虫)や硬い殻を持った生物が登場し、どのように捕食するか、どのように捕食から逃れるかの生存競争が活発になった。この過程で、多細胞生物の遺伝子が爆発的に多様化した。顕生代-古生代-カンブリア紀に起きたこの事件は「カンブリア爆発」と呼ばれている。今から5.4-5.3億年前のことである。

大量絶滅

 生物の大量絶滅は歴史上少なくとも5回起きたので「ビッグファイブ」と呼ばれている。以下のとおりである。

1.中生代白亜紀と新生代古第三紀の境界(K-T境界)、6600万年前

2.中生代の三畳紀とジュラ紀の境界(T-J境界)、2.1-2.2億年前

3.古生代ペルム紀と中生代三畳紀の境界(P-T境界)、2.5億年前

4.古生代のデボン紀と石炭紀の境界(F-F境界)、3.8億年前

5.古生代のオルドビス紀とシルル紀の境界(O-S境界)、4.4億年前

 大量絶滅は「急速に地球規模で起きる生物多様性の多大な損失」と定義されている。動物は環境の変化に機敏に反応して行動するので、火山噴火や森林火災などの自然災害が起きたとしても、どこか別の場所へ移動して生き延びる能力を備えている。

 そう考えると、絶滅を起こした天変地異は動物が対処できないほど、短期間に大規模でかつ劇的なものだったことになる。一方ビッグファイブの全ての絶滅に共通するメカニズムは存在しないという。

 海洋生物が絶滅する直接の原因は極度の海洋変動であり、酸性化、酸素欠乏、海面の急激な低下(海退)などが考えられる。一方陸上生物が絶滅する直接の原因としては極度な気候変動が考えられるが、真の問いは、ではそのような極度の変動を起こした原因は何だったのかにある。生物の適応能力を超える短期間に地球規模の被害をもたらす事件として考えられるのは、巨大噴火と隕石の衝突である。

 実際に6600万年前に起きたK-T境界の大量絶滅が、中米ユカタン半島に隕石が衝突したことによって起きたことが明らかになっている。隕石の衝突が作った直径160kmのチクシュルーブ・クレーターがユカタン半島沖の800mの堆積層の下に発見されている。一方、それ以外の絶滅の原因については諸説あり特定されていない。しかし、今年2月に東北大学大学院が公表したプレスリリースによれば、何れの絶滅も大規模な火山噴火が引き起こした可能性が高い。

対で起こる絶滅と進化

 ビッグファイブに、より小規模なものを含めると、絶滅はおよそ2600万年ごとに起きたといわれる。生物史全体を俯瞰して眺めると、絶滅と進化は対を成していて、生物全体としては絶滅の危機を生き延びて進化を遂げてきたと解釈される。実際に6600万年前の大量絶滅では、地球に君臨した恐竜を消滅させることによって、哺乳類全盛の時代が幕を開けている。

 絶滅はそれまでの生物界の秩序を破壊し、新たな創造を促進して生物のプレイヤー交代をもたらした。想像を逞しくして考えれば、もしビッグファイブの絶滅がなければサピエンスは登場しなかった可能性がある。

 地質年代における最新の時代を「完新世」といい、正確な区分は、新生代-第四紀-完新世である。完新世は最終氷期が終わった11700年前に始まり現在まで続いている。最近では完新世の次の時代として、「人新世」という言葉が使われるようになった。これはオゾン層を破壊する物質を発見したオランダの化学者パウル・クルッツェンの造語である。

 人類は森林を破壊し、堆積物に埋蔵された石炭や石油を燃焼させることによって、数千万年にわたって地中に蓄積された炭素を大気中に放出してきた。生物の絶滅と進化の歴史を俯瞰する視点で評価すれば、人類は産業革命以降の僅か260年の間に、大気の組成を変え生態系を変えてしまったことになる。

 人新世という言葉が意味することは、地質年代に人類が登場するという輝かしい側面ではなく、「もし次の絶滅が起こるとすれば、それは人類を排除するものとなる」というネガティブな側面であるのかもしれない。

地球で起きた重大事件(1)

地球編

 宇宙の始まりと果てについては「奇跡の物語」として既に書いた。科学者でも専門家でもないが、公開情報をもとに、ここでは地球に起きた重大事件を「奇跡の物語」という視点から俯瞰的に書いてみたい。

 前編では「地球編」として、①太陽及び地球の誕生、②月の誕生、③海洋の形成、④酸素大気とオゾン層の形成、⑤超大陸の誕生と大陸移動、⑥地球磁極の逆転、⑦小惑星と隕石の衝突の7つを取り上げる。後編では「生物編」について書くこととする。

太陽及び地球の誕生

 太陽は、それ以前に存在し寿命を終えた超新星が爆発し吹き飛ばされた星間物質が再び収縮・合体して、およそ46億年前に形成された。超新星爆発を起源とする証拠は鉄よりも重い金属(金、ウランなど)が太陽系に多く存在していることにある。

 星間物質が収縮を始めてから1千万年程で原始太陽が誕生した。同時期に同じ星間物質から誕生した恒星(太陽の兄弟星)は1000以上あったという。実際にその恒星が二つ発見されていて、現在それぞれ地球から109光年と184光年のところに存在することが分かっている。

 地球誕生の物語はこうだ。地球は太陽の誕生から5千万年程後に微惑星が次々に衝突して誕生した。原始の地球は微惑星の絨毯爆撃による熱で融解しマグマの海となっていたが、2億年ほどの間に冷えて海洋や地殻が形成された。

 地球最古の岩石鉱物は44億年前のもので西オーストラリアで発見された。それは1ミリにも満たない「ジルコン」と呼ばれる粒子だが、ジルコン粒子はマグマから形成される鉱物であることから、この頃に地殻の形成が始まっていたことが分かった。さらに酸素の同位体の比率を分析した結果、水と反応していたことが判明し当時既に海があった可能性を示唆している。何とわずか1ミリの粒子からそんなことまで分かるとは誠に科学は偉大である。

月の誕生

 ところで月はどうして地球の衛星となったのだろうか。それを説明する仮説に「ジャイアント・インパクト説」がある。原始の地球に火星程(直径が地球の半分)の天体が衝突して、飛び散った岩石が重力によって再び結集して月が形成されたというものだ。但し地球と月の関係についてジャイアント・インパクト説では説明できない観測結果が一つあるという。

 それは、もしこの仮説が正しければ月の母体となったのは地球に衝突した天体ということになるが、一方アポロ計画で月から収集した岩石中の成分は地球のものとほぼ一致したというのだ。この矛盾を解明するために、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の研究チームはスーパーコンピュータを使ってシミュレーションを行い、巨大衝突が起きたときに地球の表面がマグマの海だったと仮定すると、月の岩石成分の問題を説明できることを立証した。以上が月誕生の物語である。

海洋の形成

 誕生直後の地球の表面は、微惑星の衝突エネルギーによる高熱で岩石が溶けたマグマの海に覆われていたことが分かっている。マグマの熱と大気中に大量に存在した二酸化炭素による温室効果で地表面は非常な高温となり、当時水は全て水蒸気として大気の中にあったようだ。

 その後2億年ほどの間に微惑星の衝突が減り、地表面の温度が下がって、やがて大気中にあった大量の水分が雨となって降り注いだ。それによってマグマの海は冷えて固まり44億年前に海が誕生した。その後も微惑星が衝突するたびに海は蒸発したが、38億年前頃には海が安定して存在するようになり最初の原始生命が海の中で誕生した。

 では水はどこからやってきたのだろうか。地球は水の惑星であり表面積の7割は海で、その深さは平均で3000mを越える。このように人間の視点から見れば海水の量は極めて膨大だが、地球の規模から考えれば重量比で僅か0.02%しかないのだ。

 地球の水は地球に衝突した小惑星などが運んできたとする考え方が現在の主流のようだ。水の分子を構成する酸素や水素が岩石の成分として組み込まれていて、衝突した時に分解して水が生成されたと推定される。微惑星が地球に衝突した数が膨大であれば、海水を作るに十分な水が供給されたことになる。そもそも気圧が低い宇宙空間に液体の水はなく、太陽に近すぎる地球の位置では氷が存在できないため、地球にはもともと水はなかったという。

 こうして海洋が形成されて海洋生物が繁殖する環境ができたのだった。

酸素大気とオゾン層の形成

 シアノバクテリア(藍藻)は25~30億年前に地球上に現れた、光合成によって酸素を発生する最初の生物だった。海洋誕生後の大気組成は二酸化炭素、窒素、水蒸気が主体であった。

 原始の地球の海に発生したシアノバクテリアは数億年以上をかけて光合成を行い、合成した有機物と酸素を海中に大量に供給した。光合成を始めた当初は、酸素はメタンやアンモニア、それと海水中の鉄を酸化することに消費された。やがて海中で吸収しきれないほどに酸素が供給されるようになると、溢れた酸素が大気中に放出されて大気の酸素濃度を急増させた。

 さらに、原始の大気には紫外線を吸収する物質がなかったので、地上まで強い紫外線が降り注いでいた。酸素濃度が上昇すると、高度10-50kmほどの成層圏にオゾン層が形成された。オゾン層によって有害な紫外線が吸収されるようになったため、それまでは海中でしか生存できなかった生物が陸上に進出して生物の多様化が一気に進んだ。

 5.4~5.3億年前に「カンブリア爆発」と呼ばれる生物種の大発生が起こったが、大気中の酸素濃度が上昇したことと紫外線を遮断するオゾン層が形成されたことがその背景にあると言われている。これが大気の生成と陸上生物が誕生した物語である。

超大陸の誕生と大陸移動

 ジルコン粒子の発見から、44億年前には既に海と陸が形成されたと考えられている。超大陸は20億年程前から4~5億年ごとに形成されたことが分かっている。ヌーナ超大陸が約19億年前、ロディニア超大陸が10-7億年前、ゴンドワナ大陸が6億年前に形成された。

 最も新しい超大陸パンゲアは2.9億年前頃に形成されたが、2.5億年前頃から分裂が始まって現在の6大陸に分かれた。2.5億年前には史上最大規模の生物の大量絶滅事件が起きており、パンゲア大陸の分裂が深く関わっているという。

 大陸移動は1年で数cmととても僅かな量だが、1億年の間には数千kmになる。大陸移動は現在も進行中で、現在全ての大陸はアジアに向かって移動していて、5000万年後にはオーストラリアが日本列島に衝突し、その後2~3億年後にはアフリカとアラビア半島に続き、アメリカ大陸もアジアと合体し、再び超大陸が形成されると予測されている。

 地震や火山が起こる原因は悠久の時間で移動する大陸にあり、大陸が移動するのは地球内部から熱エネルギーを供給されていることによる。核融合を行っている太陽とはメカニズムが異なるものの、地球も活動中の星なのである。

地球磁極の逆転

 ダイナミックな地球の動きには、もう一つ重要なことがある。それは地球の磁極の南北が反転する「磁極逆転」である。地球は巨大な磁石だが、それは地下2900kmほどの深さにある地球の外核の中を、強い磁性を持つ液体の鉄とニッケルが流動しているからだ。

 アメリカのナショナル・ジオグラフィック誌は2019年10月に「岩石に刻まれた記録から、5.5~5.6億年程前に平均で4万年に1回の頻度で磁極逆転が起きていて、ちょうどこの時期に生物の大量絶滅が起きている。さらに現在から過去2000万年の間には約20~30万年に1回の周期で逆転が起きていたが、最近の78万年には起きていない。」との研究成果を掲載した。

 またフォーブズ誌は2018年3月で「ここ数十年の間、地球の磁力は10年に5%ずつ弱まっていて、次の磁極逆転が近づいている可能性がある。」という記事を掲載した。地球の強力な磁場がバリアとなって有害な宇宙線が地表に降り注ぐことを防いでいるが、もし磁極が消滅すれば陸上生物は危険な宇宙線に被爆することになり、大量絶滅が起こる危険性がある。

小惑星・隕石の衝突

 地球が誕生した頃、惑星やその衛星、周回彗星や小惑星などが固有の軌道を形成しながら、太陽系全体の形と秩序が徐々に出来上がっていった。「エントロピー増大と秩序」について書いたように(Chronicle/401)、太陽系全体が主に重力作用によって形成された一つの秩序なのである。

 流れ星と異なり、地表面に落下する隕石は1913年~2013年の100年間に地球全体で600回以上確認されており、未確認のものを含む総数は年平均で40回程度あると言われている。隕石の多くは火星の外側の領域(小惑星帯)からやってくる。

 そして約6600万年前にはメキシコのユカタン半島に直径10-15kmの小惑星が衝突した。衝突時のエネルギーは広島型原爆の約10億倍といわれ、この衝突によって生物種の70%が絶滅し、恐竜の時代が終わったことが分かっている。

 大気や海洋、大陸の形成は地球初期の物語だが、磁極の逆転と小惑星や隕石の衝突はこれからも起こり得る、かつ新たな生物の絶滅を招く危険性があることを付け加えておきたい。

奇跡の物語(地球編)まとめ

 以上、地球に起きた7つの重大事件について書いてきた。これらの事件から地球の歴史を俯瞰すると、「奇跡の物語」と形容する他ない真相が二つ浮かび上がる。その一つは、地球環境の激変に翻弄されそのたびに絶滅の淵に追い込まれながら、生物は進化を繰り返して生命をつなぎ繫栄してきたことだ。現代に存在する全ての生物は、一つの例外もなく、絶滅の危機を乗り越えてきた生物の子孫なのである。

 もう一つは、より生存に適したものとなるように、生物が長い歳月をかけて地球環境を変えてきたことだ。その象徴的な存在がシアノバクテリアで、数億年以上の歳月をかけて現在の海洋と大気を作り「青い地球」を作ってきた。さらに、その後の植物の繁茂が地球を「緑の惑星」に変えてきた。

 サピエンスはその壮大なドラマの最後に登場した生物だが、サピエンスは地球環境の最大の利用者となり、環境汚染や温暖化が象徴するように、むしろ破壊者として振舞ってきたのではなかっただろうか。同時に、そのサピエンスが科学を発展させて地球46億年の歴史に封印されてきた「生命と地球の共進化」の物語を解明してきたことも事実である。 科学が解き明かした地球の「奇跡の物語」を、生命のバトンリレーの現役走者として、サピエンスはこれから地球とどう共進化してゆくのか、改めて知恵を絞る必要があると思うのである。

「奇跡の物語」を起こしているもの

宇宙を支配する法則

 宇宙は138億年かけて現在の姿になった。ビッグバンという宇宙の特異点と、原子の内部の振る舞いを除外して考えれば、宇宙は基本的に重力の法則と熱力学の法則に従って変化してきたといっていい。

 熱力学とは「熱や物質の移動やそれに伴う力学的な仕事について巨視的に扱う物理学」である。身近な例として蒸気機関車について説明すると、蒸気機関車は石炭を燃やして熱を発生し、水を沸騰させて水蒸気を作り、水蒸気がピストンを回して動力を生み出している。つまり、熱は仕事を行うためのエネルギーであることが分かる。

 熱力学の第一法則は『エネルギー保存則』として知られ、エネルギーの総和は変化しないというものである。そして第二法則は『エントロピー増大の法則』として知られ、「熱は温度の高い方から低い方へ流れてゆく」というものであり、これを「エントロピーは増大する」と表現している。

 平たく言えば、温度が低くなるほど分子の活動は鈍くなり、その結果分子の状態は秩序を失い乱雑度を増すということだ。そもそも温度とは物質内部の分子の運動の激しさを表す物理量である。

エントロピー増大と秩序化

 宇宙はその始まりから徐々に乱雑さが増大する方向に進化してきた。余談だが、宇宙はエントロピーが増大する方向にしか変化しないことが「時間は過去から未来へ一方向にしか流れない」ことを位置づけているという。

 宇宙には恒星が無数にあるが、太陽のような恒星は内部の核融合反応によって灼熱に輝いている。そして原料の水素を使い果たすと膨張して赤色巨星となり、やがてエネルギーを使い果たして恒星の残骸である白色矮星になって寿命を終える。ちなみに太陽が赤色巨星になるのは今から約76億年後と言われ、そのとき地球は巨大化する太陽に飲み込まれて消滅するという。

 生物はエントロピー増大の法則に抵抗している宇宙で唯一の存在である。我々が生きているということは、身体の各器官がそれぞれの機能を正常に果たしている状態、一言で言えば身体が秩序ある状態に維持されていることに他ならない。

 人間社会には、秩序化とエントロピー増大という二つの作用が混在している。常にエネルギーを注ぎ込んで秩序を維持しようとしない限り、社会の乱雑さは容赦なく増加してゆく。定期的に整理整頓と掃除をしなければ家の中はやがてゴミと埃だらけになってしまうことと同じである。整理整頓することが秩序化であり、ちらかるのはエントロピーが増大した状態である。

局所的なエネルギー

 では自然界で秩序化をもたらす力は何だろうか。地殻変動や地震、火山の噴火、台風等の自然界のエネルギーは、国土に大きな被害をもたらす一方で、自然環境が秩序を維持する上で必要なエネルギーを提供しているとも言える。

 日本に四季があるのは地球の公転運動のお陰であり、昼夜が存在するのは自転運動のお陰である。地球が公転と自転をしながら、太陽からのエネルギーが注ぎ込まれていることが、四季や昼夜という秩序を維持しているメカニズムである。

 また陸地と海洋、大気というふうに地球環境が区分されていることが、生物に活動できる環境を与えている。陸地には火山活動があり、海洋には潮流があり、大気には気流があって常にエネルギーが供給されている。

 太陽エネルギーに加えて、地球の公転・自転という運動エネルギーと地球内部から熱エネルギーが供給されていることが地球の秩序を維持しているのだ。

生物の誕生

 では、生物はどのようにして誕生したのだろうか。生物起源については諸説ある。熱い初期の地球環境の中で、長い時間をかけて無機物から有機物が自然に作られて、さらに有機物どうしが反応して生命が誕生したという『化学進化説』を始め、最初の生命は宇宙からやってきたという説、深海熱水孔や地下の生物圏で発生した説などである。

 宇宙由来説を除くその他の仮説の何れもが、初期の地球環境において有機物がスープ状態に溶けた中から生物の原型が偶然生まれたと考えている。より単純な物質から複雑な化合物が合成されるという過程は、エントロピー増大の法則に逆らうプロセスである。素材となった無機物に地熱や太陽光などのエネルギーが供給されて、高度な化合物を合成させた(秩序化)ことになる。

 もう一つ生物には不思議な秩序がある。それは、現在地球上に存在する全ての生物が共通の遺伝の仕組みを持っていることだ。遺伝情報物質はDNA(デキシオリボ核酸)、遺伝情報の転写と翻訳を司る物質はRNA(リボ核酸)と呼ばれる。初期の地球には多様な有機分子が存在していたと考えられるが、自己複製を可能とするメカニズムを備えた「核酸」という複雑な有機化合物が安定的に合成されるようになった謎は未だ解明されていない。

 また生物は進化の方向に一直線に進んできたわけではない。遺伝は進化も退化もある試行錯誤のプロセスであり、環境の変化に適合するように変化したDNAだけが生き延びてきたのだ。そして生き残ったDNAをもとに次の試行錯誤が起こり、それが繰り返されるというプロセスによって、全体として生物は進化してきたのである。

 生物の進化を振り返れば、初期の原始的生命体からサピエンスが誕生するまでの38億年の全体像は、多様性の拡大と高等生物への進化だったと俯瞰できるだろう。そしてその進化をもたらしたのは地球環境が提供した様々な熱エネルギーだったのだ。

人間社会の秩序

 社会も国家も国際社会も、秩序が維持されているが故に存続してきた。人間社会に局所的なエネルギーを供給しているのは人間が行う仕事である。また近代においては、新たなテクノロジーの登場が人間社会の進化を促進してきた。

 テクノロジーの進歩には停滞も終わりもない。従って、社会も国家も国際社会も、何れのシステムも未だ発展途上にあるといっていい。

 今後人間社会が維持発展してゆくためには、秩序を維持することを必須条件として、その上で最新のテクノロジーを道具として活用し、社会や国家、国際社会のシステムのイノベーションを推進してゆく必要がある。地球環境が提供するエネルギーを利用している生物の進化と異なり、人間社会の秩序は人間の仕事によってしか維持させることができないのだ。