1.転換点
第二次世界大戦が終結した以降の戦後史を振り返ると、1989~1991年にはソ連邦崩壊と日本のバブル崩壊が起きており、世界的にも日本としても戦後の転換点だった。そしてソ連邦崩壊を契機として、主役が交代するように中国の台頭が始まった。以下に述べるように、「世界大乱の始まりの年」である2022年は、戦後第二の転換点として歴史に記録されるだろう。
ロシアによるウクライナ侵略戦争が半年に及び、今年も残り4カ月となった。2022年の大乱はウクライナ戦争から幕を開けたが、これは大乱の第一幕である。本丸はアメリカと中国である。既に米中冷戦は始まっているが、現在米中は共に政治・経済の両面で混迷を極めている。
一方、日本の戦後史は、憲法を盾にして「経済重視・軽装備・協調外交」方針に基づいて破竹の勢いで経済成長を遂げた前半の45年と、バブル崩壊以降の後半の「失われた30年」の二つに分けて捉えることができる。そして2022年は日本が再び低迷を脱して世界の舞台で活躍する転換点となるだろう。
2.高インフレと資産バブルが進むアメリカ経済
FRBのパウエル議長は9月2日に、「家計や企業に痛みを伴っても、インフレ抑制のため金融引き締めを続ける」決意を表明した。アメリカでは資産インフレが消費者物価の急騰を促している側面があり、不動産価格が高騰して株価は最高値圏にある。そのためにFRBがインフレ抑制対策として金融引き締めを断行すれば、同時に資産バブル崩壊を招く危険性がある。
資料1は、今のアメリカはバブル経済の時の日本にそっくりだという。但し決定的に異なる点が一つある。それは日本のバブルでは円高が急速に進んだために輸入物価を引き下げるデフレ効果が働き、消費者物価は極めて低かった。言い換えれば、日本のバブルでは資産インフレという強烈なインフレ要因を、円高という超デフレ要因が相殺していたことになる。
これに対して現在のアメリカではドルは急騰しておらず、インフレ要因を相殺するデフレ要因が存在しない。アメリカのインフレの一因は「ドルの刷り過ぎ」にあるので、過剰にばら撒いたお金を回収しないことにはインフレは収まらない。FRBの金融政策はこの意味で、諸刃の刃となるだろう。
※資料1:「バブル崩壊は再び襲ってくる、今のアメリカはバブル崩壊前の日本にそっくりと言えるワケ、お金の刷りすぎで”ジャブジャブ”の異常事態」プレジデント・オンライン、2022.8.28
3.「溢れたドルの宴」の終焉
今やインフレ対策は世界的な最重要課題となってきた。今回のインフレは直接的にはエネルギーや食料価格の上昇が原因であるものの、主要国の大規模な量的緩和等、複数の要因が複雑に絡んで起きている。
FRBによる金利引き上げは、ドルのアメリカ回帰を促進するため、世界不況の引き金となる恐れがある。量的緩和政策の結果、溢れたドルが世界中に流通して宴を提供してきたのだが、それが逆流することになる。パウエル議長の決意表明は、宴の終わりを告げる号砲となるだろう。
それにも拘らず、FRBが断固として金利の引き上げを進める背景には、もっと長期的な狙いがありそうだ。資料2によれば、金利引き上げの真の目的は、1970年代にアメリカが経験した高いインフレを伴う長期的な経済の弱体化を回避することにあるという。高インフレの経済では景気循環が非常に激しく起こり、好景気と景気後退が繰り返される。FRBはアメリカ人の長期的な繁栄のためには低インフレが必要なことを理解しているのだという。
※資料2:「インフレ対策は消費者支援のためではない、米FRB政策の真の目的とは」、フォーブズ・ジャパン、2022.9.5
さらに資料3は、今回のインフレの背景に、長期的なイノベーション停滞が関係している可能性があると示唆する。1970年代にアメリカを襲ったスタグフレーションで、アメリカは長期的な生産性の伸び悩みという問題に直面した。背景にはイノベーションの問題が関わっていた可能性が高いという。
イノベーションの停滞による成長の限界がインフレの正体であるとすると、これは歴史的・構造的な問題であり、世界経済が数十年に一度の大きな転換点に差し掛かっている可能性が示唆される。この仮説が正しければ、新しいイノベーションが登場して次の成長フェーズに入るまで、抜本的な解決にならない可能性もある。
※資料3:「一筋縄ではいかないインフレ対策、世界経済にいま何が起こっているのか?」、加谷珪一、JBPress、2022.9.5
4.バブル崩壊から経済破綻に向かう中国経済
一方中国経済は、2020年9月に不動産大手の恒大集団が経営危機で注目されるようになってから、中国政府が強制的にバブル崩壊を食い止めている状態にある。現在では資金繰りが悪化した不動産開発会社がマンションの工事を中断し、購入者がローンの返済を拒否する事態に発展しているという。
資料4によれば、中国金融当局は不動産開発の上位50社に資金を提供してきた国有の不良資産受け皿会社(バッドバンク)4社に対して、財務が脆弱な不動産開発企業の再編、不良債権の購入等を要求してきたが、好況時には100兆円を超える融資をしてきたバッドバンク自体が今では巨額の貸し倒れを抱えて救済を待っているという。
※資料4:「中国バッドバンク、不動産危機救えず-評価損抱え救済待つ」、ブルームバーグ、2022.8.30
バッドバンクの一社の今年上半期決算は189億元の赤字(前年同期は1.6億元の黒字)だった。他の一社は昨年の純損失が86億元(前年は21億元の黒字)だった。しかしながら不動産業界が抱える不良債権の額はけた違いであり、本格化するのはこれからである。(※1人民元=約20円)
田村秀男は『金融危機に発展の恐れも』と題した8月28日の産経のコラムで、「今季前半の中国の経常収支黒字が1690億ドルだったにもかかわらず、外貨準備は1790億ドル減少した。合計で3480億ドルの資本が外部に流出したことになる。」と報じている。外国投資家が保有する債権が3月に売り越しに転じていて、3月~7月までの合計で836億ドルに達したことと、これに中国の既得権益層が同調して大規模な資本逃避が起きたことが背景にあると分析する。
さらにその深層には米中金利差の拡大があり、今後もFRBが金利引き上げを継続すれば、資本逃避はさらに加速することが予測され、ドルに対する人民元相場が一層下落し、金融危機へと発展しかねないと警告する。
その上で田村秀男は、今回の危機は資本逃避に留まらず、金融危機、経済の全般的混乱へと発展する可能性に言及している。リーマンショックが起きた時にFRBは大規模な量的緩和策を行ってくい止めた。もし中国でリーマンショック級以上の混乱が起きた場合、外貨準備に連動して人民元を発行しているため、外貨準備が激減している現状では量的緩和策をとることができず、潰れる不動産開発企業や金融機関を救済できないことになる。
5.「財源の壁」:日本経済
令和5年度の概算要求は、過去最大だった令和4年度と並ぶ110兆円規模になるという。令和5年度の概算要求基準は、自民党内の積極財政派に配慮し、防衛費や脱炭素化、物価高騰対策といった重要政策について、必要額を示さずに項目だけを記載する「事項要求」を認めた。このため、防衛費は過去最大の5兆6000億円を計上する他に、事項要求が100項目ほどあり。最終的な予算額は前年度よりも1兆円ほど多い6兆円台半ばに拡大する見込みであるという。
最終的な金額が幾らになろうが、予算編成の段階では、「財源をどうするのだ」という議論になることは明らかである。この「財源の壁」を克服できなければ、「防衛費を大幅に増大する」と言ってみたところで絵に描いた餅になるだろう。税収が増えない限り、財源は国債頼りとなり、財政悪化を容認するのか、それとも増税するのかという二者択一論に陥るだろう。この思考プロセスにはまれば、日本はいつまで経っても「失われた30年」というジリ貧のスパイラルから脱出することはできない。

6.失われた30年の総括
『円安から日本を考える』(https://kobosikosaho.com/world/690/) で既に引用したように、「失われた30年」は日本の経済成長が止まった30年間をいう。図が如実に示すように、1995年以降日本は殆ど経済成長していない。1995年~2020年の四半世紀の間に、アメリカのGDPは2.7倍に増大しているのに対し、日本は9%減少した。つまりこの間に日本はアメリカの1/3に貧しくなったのであり、もしアメリカと同等の経済成長を遂げていたなら、GDPは3倍になっていたことになる。
資料5はデフレの30年間で日本が失った富を数値で分析している。主なものを表にした。

このデータからは多くのことが読み取れるが、ここでは日本は何を失ったのか、何が起きたのかについて俯瞰してみたい。
資料5は、「失われた30年」を、「バブル崩壊によって土地や株の価格が大きく下落し、個人は預金や現金で資産を保全し、企業は内部留保で蓄え海外に資産を移してしまった。さらに、この30年間のデフレ経済で、貧困と格差を生み出し、力強い経済成長力を失い、莫大な財政赤字を抱えてしまった。」と総括している。一つ確かなことは、資産を海外に移し、内部留保を増大させてきた企業にも相応の責任があることが明らかである。
※資料5:「喪失した富、デフレ30年の何とも重い犠牲」、東洋経済オンライン、2022.8.31
ここで改めて考えてみたい。「失われた30年」は何故未だに克服できないのだろうか。政治に何が足りないのか。或いは日本人の致命的な欠陥が何かあるのだろうか、この原因について洞察を加える必要がある。思い浮かぶのは、「専守防衛マインド」、専ら守るばかりで攻めようとしない、戦略をもってゲームに挑もうとしない国民性だ。攻めない故に戦略はゴッコにしかならない。一例を挙げれば、日本学術会議の防衛研究拒否を容認したまま、幾ら立派な文言の「科学技術イノベーション戦略」を策定してみても、意味がないということだ。そのような画竜点睛を欠いた戦略では、世界との競争に勝てないばかりか、国際協定など平気で反故にする中露を相手に戦略ゲームを挑むこと等できはしない。
7.アベノミクスの総括
9月3日の産経は『経済6重苦打開も続く停滞』と題した記事の中で、アベノミクスを総括している。それによると、第二次安倍政権が登場する前の日本経済は、6重苦状態で産業空洞化が進んだ。6重苦とは、①超円高、②法人税高、③経済連携協定(EPA)の遅れ、④労働市場の硬直性、⑤環境規制、⑥電力不足とコスト高である。
アベノミクスはこの状況を変えたものの、「三本の矢」の内、財政政策は二度の消費税増税でむしろ緊縮気味となった。成長戦略はむしろ規制緩和によって非正規労働者を増加させ、所得格差が拡大した。日本人の平均給与は今も30年前とほぼ横ばいの状況が続く。足元ではウクライナ侵攻による物価上昇も加わって生活レベルはむしろ低下しているという。
アベノミクスの評価には様々な視点があって然るべきだが、「失われた30年」から脱出できたのかという総括的な指標から判断すれば、明らかな失敗だったという他ない。そしてアベノミクスの失敗は、消費税増税を敢行したことに尽きる。成長と財政健全化の二兎を追ったために双方が中途半端になったのだ。安倍元首相は消費税増税に反対だったにも拘らず、それが民主党政権下での三党合意だったために抗しきれなかったのだという。
問題は安倍首相でも消費税増税を拒否できなかったのは何故かという点にある。三党合意があったからというのは理由にならない。総理大臣という地位にあって、「失われた30年」からの脱出に強い意思を固めていたのであれば、かつ消費税増税は誤りだと理解していたのであれば、三党合意など堂々と破棄してでも意思を貫くべきだったと思う。
それをしなかったのは何故だろうか。その理由にこそ重要なカギが隠されている。歴史上最長の政権であったにも関わらず、しかも在任中あれほど「戦後レジームからの脱却」とそのための憲法改正を主張しながら、目立った進展がなかった理由がここに隠れている。批判を恐れずに言えば、それは「国家戦略と遂行意思の欠如」に帰着する。
与野党間に留まらず、与党内、さらには自民党の内部において、戦略よりも政局を優先し、強い意思の発動よりも合意を是とする政治風土こそが、できなかった原因ではないだろうか。かつて小泉首相が優勢民政化を前にして「自民党をぶっ壊す」と宣言したことがあったが、本音であれ演技であれ、危機に臨んでは、意思をもって信念を貫く強いリーダーシップが求められるのだ。
8.日本の対中自律性と中国の対日脆弱性
9月29日で日中国交50周年を迎える。櫻井よしこは「この半世紀、基本的に日本側は政財界共に前のめりで中国を支え、結果として中国に騙されむしり取られた」と総括している。この通りだろう。古森義久が2020年12月に『日本の対中政策の無残な失敗』と題した記事を書いていることは既に紹介した。(https://kobosikosaho.com/daily/485/)
資料6で、細谷雄一は『狭まる日本の対中自律性』と題した興味深い記事を書いている。「日中正常化から50年を迎えるが、この間に、日中関係を規定してきた環境は大きく変容し、日本が自律的な対中政策をとる余地は大幅に縮小した。環境の変化は、①日中、米中の軍事的バランスの変化、②中国の対外環境の変化、③経済政策である。三つの環境の変化から中国には日本に接近するインセンティブは殆どなくなった。」と洞察している。
その上で、「日本は中国の対日脆弱性を強化する必要がある。数少ないテコとなるのは民間企業の経済活動だ。経済的手段で他国に影響力を行使し、自国の利益を得るエコノミック・ステートクラフトの手法が重要となる。」と指摘する。
※資料6:「狭まる日本の対中自律性」、細谷雄一、産経、2022.8.30
「日本の対中自律性」と「中国の対日脆弱性」という概念は、誠に核心を突いた表現である。「中国の対日脆弱性」を高めるためには、手段を論じる前に、中国を封じ込める対中戦略を明確にすることから始める必要がある。過去に中国に関わるさまざまな政府文書が作成されたが、中国に配慮して主語や対象に「中国」を明記しないものが多かったことは事実だ。中国を最大の脅威と明確に位置付けた上で、必要十分な対策を講じるのでなければ、戦略にはならない。
中国に対する戦略を考える上で重要な要点は、中国の強みも弱みも専制主義国家にあることだろう。少なくともソ連邦崩壊後の30年において、強みが如何なく発揮されてきたことは事実である。しかし2019年10月に行われたトランプ政権のペンス副大統領演説を転換点として風向きが反転したのである。近年では中国の国内外において、専制主義国家であることの弱みが随所に現れてきた。
分かり易い事例を二つ挙げよう。一つはゼロコロナ政策による執拗なロックダウンであり、他一つはIT企業潰しである。どちらも経済よりも習近平主席の面子を優先したものであることは明らかだ。対中戦略において重要なことは、戦略の要諦が相手の最大の弱点を攻撃することにあることを肝に銘じることだ。
9.国力を取り戻すために
2022年は世界大乱の始まりの年と書いた。この大乱を乗り切るために、日本は何をすべきだろうか。「失われた30年で日本が喪失したもの」を一言で表現すれば、それは「国力」であろう。戦後75年の間に喪失した国力を取り戻すことが何よりも優先する命題である。
安倍首相が凶弾に倒れた以降、永田町では統一教会に議論が集中しているが、現在世界は大乱の真っ只中にある。はっきり言って統一教会などどうでもよいのだ。迫りくる有事や国益を横において、政治家が統一教会の議論に没頭する様は、見るに堪えない惨状という他ない。
安倍元首相は終始「戦後レジームからの脱却」を唱えていた。戦後史を俯瞰的に眺めると、戦後レジームを単に憲法改正と安全保障に関わる問題に留めるべきではないことが分かる。それは世界の大乱前夜にして、戦後「経済重視、軽武装」でやってきた路線の転換であり、「失われた30年」からの跳躍であり、「ダチョウの平和」で世界を見てきたメンタリティへの訣別として捉えなければならない。
そのためには発想を大胆に転換することが重要だ。2022年現在、既に述べてきたように米中経済は資産バブル崩壊の危機に瀕している。対応を誤れば、FRBの金利引き上げによって世界同時不況に陥る危険性もある。一方の日本はどうかと言えば、失われた30年から本気で脱却する大転換点を迎えている。米中は政治経済両面において崖っぷちに立っている。混乱と衰退に向かう両国とは逆に、日本が再び活力と自立性を取り戻して世界の課題解決に貢献することを考えるべきだ。そのためには大胆に視点を変えることだ。そのヒントは国力の方程式にある。
国力の方程式については、他のコラムで何度か紹介してきたが、米CIA分析官だったレイ・クラインが1975年に提唱した国力の方程式は以下のとおりである。(https://kobosikosaho.com/daily/485/)
国力=(人口・領土+経済力+軍事力)×(戦略目的+国家意思)
国力を取り戻すことの第一は経済成長を取り戻すことである。先のグラフに示したように、日本がもし1995年からの四半世紀において、日銀が目標としていた年率2%のGDP成長を成し遂げていたならば、GDPは1.64倍に増大していたのであり、財政赤字も「財源の壁」も問題にならなかったのだ。
日本は長期トレンドとして、少子高齢化に伴い社会保障費が増加してゆく過程にある。短期トレンドとしては安全保障環境の激化に伴い、防衛費は急増する過程にある。この状況を踏まえて考えれば、歳出を賄える経済成長を果たす以外に活路はない。安定的な経済成長を実現することこそが国力を取り戻す一丁目一番地である。「財源の壁」という脅しこそが衰退国へ転落させる誘惑であることを肝に銘じる必要がある。
政府はまたGDP比2%相当まで防衛費を増加することを内外に宣言し、反撃能力の保有を決定した。改めて注目すべきことは、成長経済を実現すれば、防衛費は仮にGDP比一定でも増加してゆく事実である。この意味からも主要国に引けを取らない経済成長を続けてゆくことが死活的に重要なのだ。
さらに、日本がこの方程式に最も学ぶべきことは、「戦略目的と国家意思」の重要性である。日本が「失われた30年」から未だに脱出できずに膨大な富を失ったことも、アベノミクスが目的を達成できずに失敗したことも、原因は「戦略目的と国家意思」の欠如にあったように思える。