ゲノム解析が解明しつつあるサピエンスの奇跡

ゲノム解析技術が急速の進歩を遂げている。世界中の現代人のみならず、古代の遺跡から発掘された人骨からDNAを抽出して解析が行われている。その結果、従来の化石をもとに明らかにされてきた人類史が一新されつつある。

 受精卵には、父母がもつゲノム情報が一対のDNAに編集されて、23本の染色体の中に畳み込まれて子へ伝達される。父母のDNAもまた、さらにその父母から同様に受け継がれたものであるから、ゲノム情報には歴代の祖先に関わる遺伝情報が記録されていることになる。

 従って、もし世界中の民族のゲノム情報を比較すれば、民族間の違いを分析できる。もし古代人と現代人のゲノム情報を比較すれば、遺伝情報がどう進化してきたのかが分かる。さらに空間軸(世界の民族)と時間軸(人類史)のゲノムの共通点・相違点を多面的に解析すれば、出アフリカ以降、サピエンスが世界中に拡散していった過程が解明されることになる。このように、ゲノム解析という技術は、文字通り「パンドラの箱を開ける」とでもいうべき画期的な技術である。

 最新のゲノム解析が解明してきた事実の一端を紹介しよう。本稿では以下の資料を参照した。

文献:篠田謙一著「人類の起源」、中公新書、2022年2月

ゲノム解析による人類史の解明

 ゲノム解析に使用されるデータは三つある。母から子(娘、息子)へそのまま継承されるミトコンドリアDNA、父から息子へそのまま継承されるY染色体DNA、それと父母から受け取った核DNAの三つである。核DNAの場合、生殖細胞(卵子と精子)が作られる時に、両親から受け継いだ二つのDNAの間で「組換え」が起きることが分かっている。組換えは、父由来の染色体と母由来の染色体の間で、同じ場所の塩基配列が入れ替わる現象である。この仕組みがあるために兄弟姉妹でゲノムが同じになることはない。

 ミトコンドリアは生物の細胞の中に存在する小器官の1つである。ミトコンドリアは摂取した食物が消化され分解された最後の段階で、分解された食物からエネルギーを取り出す機能を担っている。またミトコンドリアDNAは細胞の核ゲノムとは独立したDNAを持っている。

 各個人がもつミトコンドリアDNAやY染色体の配列をハブロタイプといい、同一の祖先から分岐したと考えられる共通のハブロタイプをハブログループと呼ぶ。ハブログループの共通性と変化を分析することで、ミトコンドリアDNAの解析からは母型の系統を、Y染色体DNAの解析からは父型の系統を解き明かすことができる。

 ハブログループの進化は、ハブとスポークをもつネットワーク構造で表現される。またハブログループはアルファベットの記号で識別されている。ミトコンドリアDNAの場合、具体的にいえば、アフリカで誕生したサピエンスの祖先集団のハブログループがLで、そこからL0、L1・・・と派生型が登場して、L3がハブとなり、そこからM型とN型に分岐して、MとNが大きなハブとなって、そこから多数のスポークが派生している。

 遺伝子の情報量、つまり塩基の数で比較すると、ミトコンドリアDNAが16,550塩基であるのに対して、Y染色体DNAは5,100万塩基対、核DNAは30億塩基対ある。核ゲノムの場合、両親から遺伝子を受け継ぐので実際の情報量はさらにその2倍ある。情報量が少ないことに加え、組換えが起きないことから、ミトコンドリアDNAやY染色体DNAが、人類の系統図を解明する手段として広く活用されている。

 現在ゲノム解析に威力を発揮している技術に、「次世代シークエンサ(NGS:Next Generation Sequencer)」がある。NGSは、ランダムに切断された数千万~数億の DNA 断片の塩基配列を同時並列的に決定して、断片どうしの連結を復元しながら塩基配列の全体を決定してゆく技術である。半導体の進歩が「ムーアの法則」に従い、18ヵ月で2倍になると言われてきたが、NGSは2005年に登場して以降、処理能力はムーアの法則を上回る速度で向上してきた。現在では1日当たり2兆を超える塩基数を1台で解読できるNGSが稼働しているという。

 両親から受け継ぐ核DNAには所定の頻度で突然変異が起きる。殆どは数世代の内に消滅してゆく一過性のものだが、突然変異が生存に適合した場合など、集団の中に所定の頻度で残ってゆく変異もある。ゲノムの中の一つの塩基が変異したものを「一塩基多型(SNP)」と呼ぶが、これは「ある時にある場所で起きたDNAの変異」を示すマーカーとなる。核ゲノム解析でこのSNPを比較照合することによって、遺伝の系統を遡ることができるという訳だ。

人類の出アフリカと世界への拡散

 人類の起源は「チンパンジーの祖先と人類の祖先が分岐した時」と定義されている。今のところ人類の祖先と言われるのは、700万年前に出現したサヘラントロプス・チャデンシス(いわゆる猿人)である。200万年前には人類の中から直立歩行する「ホモ属」が登場した。ホモ・エレクトス(いわゆる原人)である。ホモ・エレクトスは人類の中で最初に「出アフリカ」を行った種で、その子孫に北京原人やジャワ原人がいる。

 ホモ属としては、ホモ・サピエンス(以下、サピエンスと略す)の他にネアンデルタール人とデニソワ人が知られている。約64万年前にネアンデルタール人とデニソワ人の共通の祖先がサピエンスの祖先から分岐し、約43万年前にはネアンデルタール人とデニソワ人が分岐したことが分かっている。またユーラシア大陸の各地で、ネアンデルタール人とデニソワ人の遺跡が発見されている。

 核ゲノム解析の結果、アジア人とヨーロッパ人にはネアンデルタール人由来のDNAが全体の約2.5%混入していることが判明した。一方、サハラ砂漠より南のアフリカ人にはそれがない。このことは、ネアンデルタール人はユーラシア大陸を中心に分布していて、同じ時期に同じ場所で生活をしていたサピエンスとの間で交雑が起きたことを物語る。今から55,000年前後のことだった。

 サピエンスがアフリカを出て向かった先は、アフリカと陸続きのレバント地方だった。レバント地方とは、アラビア半島の西端で地中海に面している地域をいう。実際にイスラエルにある複数の洞窟からは、サピエンスやネアンデルタール人の人骨や化石が見つかっている。最近の研究によれば、サピエンスがアフリカを出たのは複数回あって、最古のものは20万年前頃で、現代人の祖先が出たのは約6万年前だった。

 約6万年前にレバント地方に渡った現代人の祖先集団は、1万年ほどレバント地方に留まった後、約5万年前以降に世界に拡散を開始した。いわゆるグレート・ジャーニー(the Great Journey)の始まりである。レバントを出た集団は先ず東西の二手に分かれて、西に向かった集団がヨーロッパに、東に向かった集団がアジアに拡散した。東に向かった集団は次に南北に分かれて、北回りの集団はシベリアに向かい、南回りの集団はインドを経由して南アジア~東南アジア~東アジアに向かった。北米大陸に渡った集団もこの集団から分岐したことが分かっている。

 氷河期は地球上で繰り返し起きたことが分かっているが、25,000~19,000年前は「最終氷期の最寒冷期」と呼ばれる時期だった。このときには海面が最大で現在よりも120m低下していた。その結果ベーリング海が陸続きとなり、シベリアからアラスカへサピエンスは歩いて渡ることができた。ユーラシア大陸を踏破した後に、アジアの集団から分岐した集団が北米大陸に渡った。彼らはベーリング海周辺で数千年滞在した後に、北米に移動したことが分かっている。北米に渡った集団は、最寒冷期が終わった17,500~14,600年前に二つのグループに分かれ、一方は北米大陸に拡散してアメリカ先住民の祖先集団となった。もう一方のグループは太平洋岸を南下して南米大陸まで到達した。

 サピエンスがグレート・ジャーニーの最後に渡ったのはアメリカ大陸である。オーストラリアや南太平洋諸国には、船を使って陸路よりも早い時期に渡ったことが明らかになっている。

日本人の形成

 中国北京の近郊に田園洞と呼ばれる古代人の遺跡がある。そこから発掘された人骨は約4万年前のものと判定されている。この人骨のゲノムと縄文人のゲノムが照合された結果、56%が共通で44%が異なる事実が判明した(細部は不明)。このことは、グレート・ジャーニーの過程で田園洞を経由して日本列島にやってきた集団と、別のルートからやってきた集団の二つの系統が合流して縄文人の祖先集団が形成されたことを物語っている。

 サピエンスが日本列島にやってきたのは約4万年前のことである。最古の縄文土器は16,500年前のものであるから、4万年前は「旧石器時代」の区分となる。そもそも「縄文時代」という区分は16,500~3,000年前の期間をいい、縄文時代に日本列島に居住した人々を「縄文人」と呼んでいる。ゲノム解析の結果、縄文人は旧石器時代に日本列島にやってきたサピエンスの直系の子孫であることが確認された。

 縄文人、現代日本人(アイヌ人、本土人、オキナワ人)、及び東アジアの各民族を母集団として、ミトコンドリアDNAの分析と照合が行われた。この結果、幾つかの事実が明らかになった。

 第一に、縄文人がもつハブログループはN9b(Nの派生)とM7a(Mの派生)が支配的であるのに対して、現代日本人ではD4が最も多く、N9bとM7aはあるものの小さく、非常に多様なハブログループから構成されていることが分かった。ユーラシア大陸の最東端に位置する日本列島はグレート・ジャーニーの終着点の一つであり、日本人が多くの民族のDNAがブレンドされて形成されたことは当然の帰結であるのかもしれない。

 第二に、ハブログループN9bとM7aは、現代では日本列島にのみ存在していて、東アジア諸国の現代人からは消滅している。

 第三に、N9b系統は北海道から東日本に及ぶ地域に多いのに対して、M7a系統は西日本から琉球列島に及ぶ地域で多い。日本列島における分布から、M7a系統は中国大陸の南部沿岸地域から西日本に入ってきて東に向かったものと考えられ、N9b系統は北から日本列島に入ってきたことが想定される。

 弥生時代は、稲作と青銅器文化を持った人たちが中国大陸から朝鮮半島を経由して北九州に渡来した時から始まった。このとき北九州で在来の縄文人と渡来人との間で混血が進み、弥生人の集団が生まれた。弥生人は稲作とともに日本各地に拡散し、東北まで進出していった。この結果、現代の本土人(本州、四国、九州)のDNAは多様化し、稲作が適さなかった北海道と沖縄では弥生人の進出がなかったために、縄文人のDNAが色濃く残ったと考えられる。実際に、縄文人のゲノムはアイヌ人では70%、オキナワ人では30%残っている。

まとめ

 サピエンスのDNAは約30億塩基対あり、約2万の遺伝子が含まれている。DNAには、遺伝子の領域と遺伝子ではない領域があって、遺伝子が占める割合は数%といわれている。またサピエンスのゲノムの99.9%は世界の全ての民族に共通で、残りの0.1%の中に個人や民族の特徴を決定している遺伝子がある。

 サピエンスが進化しながら世界に拡散していった6万年に及ぶ歴史が、ゲノム解析によって解き明かされようとしている。何故そんな魔法のようなことが可能なのかと言えば、ゲノムが遺伝情報だからである。両親から子へ両親が持っていたゲノム情報が一対のDNAに編集され、23本の染色体の中に畳み込まれて伝達される。両親にはさらにその両親からと、この情報伝達の連鎖は人類の祖先までさかのぼる。つまりゲノム情報とは、単に一世代の遺伝情報に留まらず、出アフリカ以降のサピエンスの拡散と進化が書き込まれた情報でもあるのだ。

 現代の科学は、遺伝の仕組みを解明しただけでなく、ゲノム情報を遡ることによって、人類進化の経緯を解明する道を開いたのである。

 さらに話はここで終わらない。サピエンスの登場と進化は、38億年におよぶ生物進化のごくごく直近の20万年のドラマにすぎない。「人類の祖先を辿ってゆけば、最初の祖先、アダムとイブに辿り着く」というが、この表現は正しくない。何故なら物語は20万年前に突然始まったのではなく、アダムとイブにもさらに祖先が居て、200万年前のホモ・エレクトス誕生にまでさかのぼるからだ。最近の科学技術は、状態のいい古代人の人骨からだけでなく、洞窟の堆積物からもDNAを抽出ことが可能になっているという。

 「生物の進化」というドラマを、「遺伝」というメカニズムから眺めるとき、我々の遺伝子は約38億年前に最初に誕生した生物の祖先まで途切れずに繋がっている事実に驚かされる。

 さて、進化とは一体何だろうか。エントロピー増大の法則が支配する宇宙で、何故生物は誕生し進化を続けてきたのだろうか。生物の誕生も進化も、エントロピー増大の法則が明らかにした「宇宙の混沌化」に反する「秩序化」のプロセスである。しかも生物の進化には予め用意されたシナリオがない。生物の誕生も進化も、複雑系の科学で言うところの「自己組織化」と呼ばれる現象なのである。生物進化の結果としてサピエンスが登場したこと自体が奇跡であるのだが、進化を興しているメカニズムである、精緻な遺伝の仕組みも驚嘆という他ない。

 そう考えるとき、現代に働いている大きな三つの力の存在に思い至る。最も根底にあるのは、宇宙を貫く物理法則としてのエントロピー増大の法則であり、二つ目は生物の進化であり、そして三つめは人類が起こしている技術革新である。地球上では現在、この三つの力が相互に影響を及ぼしながらせめぎ合っていると考えることができる。この神秘と呼ぶ他にない力の作用を創造したシナリオライターは存在しないとしても、そのことを発見し解明してきたサピエンスという存在は何という奇跡なのだろうか。

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