日本人の記憶

 日常、お寺にも教会にも行かない日本人が大多数だが、日本人の潜在意識に神道のスピリットが記憶されていることは疑う余地もない。神道には経典も教義もないし、学校で学ぶこともないにもかかわらず、一体どこから日本人の心の深層に記憶されてきたのだろうか。

 後世に作られた神社を別とすれば、神社の主祭神には古事記に登場する神々が多い。「火山で読み解く古事記の謎」を書いた蒲池明弘は、「古事記神話の起源が縄文時代にあるという議論は今や珍しくなくなったが、縄文時代の火山の記憶が古事記の中にある可能性がある。」という。

 日本人の記憶は何処まで遡るのだろうか。

 「火山大国日本、この国は生き残れるか」(巽好幸著)によれば、日本列島には全世界の約1割、111の活火山が存在していて、日本は間違いなく世界一の火山大国であるという。

 また、地震と同様に、火山にも1000年に一度級、100年に一度級など、噴火物の総重量をもとに数値化される噴火の規模を示すマグニチュードがあって、M=4~5が大規模噴火で、M=6が巨大噴火、M=7~9が超巨大噴火と区分されている。

 過去の観測データによれば、大規模噴火級が約30年前後、巨大噴火級が約2300年前後、超巨大噴火級は約1万1千年前後の頻度で起きたという。

 日本列島誕生との関係でいえば、やがて日本列島となる陸塊がユーラシア大陸から分離し始めたのが約3000万年前で、日本海が生まれ日本列島が現在の形となったのは約300万年前のことである。日本列島が誕生する造山運動期にはさぞかし超ド級の火山噴火や地震が相次いで起こったことだろう。

 「日本列島5億年史」を監修した高木秀雄によれば、約1500万年前に世界でも最大規模と言われる熊野カルデラ噴火が起きたと言う。熊野カルデラは紀伊半島南部に位置していて、熊野三社と称される熊野信仰の地域と一致している。ちなみに熊野本宮大社の主祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)である。

 地政学的な記録が残っている過去12万年間には、北海道と九州の7つの火山でM8以上の超巨大噴火が11回起きており、巨大噴火は全国で48回起きている。規模のトップ3は、8万7千年前の阿蘇、2万8千年前の姶良(あいら)、7300年前の鬼界アカホヤで、何れもが南九州に集中しているカルデラ噴火である。ちなみに姶良カルデラは桜島とその内海の鹿児島湾を含む地域であり、鬼界カルデラは鹿児島の南海上、屋久島の北の海域にあって、現在では水没している。鬼界アカホヤ噴火は完新世(1万年前以降)に地球で起きた最大の噴火と言われる。

 縄文人との関係でいえば、日本人の祖先集団が日本列島にやってきたのは3万5千年前頃であり、発見された最古の縄文土器が1万6500年前のものであるから、縄文人は姶良カルデラを含む巨大噴火に何度も遭遇していたことになる。

 鎌池は、縄文時代の火山の記憶が古事記の中にあることを暗示する事例を取り上げて考察を加え、以下のように述べている。

・鬼界アカホヤ噴火がアマテラスとスサノオの物語に結び付く可能性がある。縄文時代には火山を神とする信仰があって、  それがスサノオという神の造形に結び付いている。

・太陽神であるアマテラスが隠れ、世界が真っ暗となった天岩戸伝説は、鬼界カルデラ噴火の火山灰の雲と考えられる。鬼界カルデラ噴火は全国規模の自然災害で、関東以北でも10cm以上の降灰があったという。日本列島の多くの森林は無傷ではいられなかったはずであり、火山の冬と言われる地球規模の寒冷化が引き起こされたと思われる。

 これらは壮大な仮説であって証明されてはいない。

 古事記の舞台となったのは、南九州と出雲が中心である。九州南部は阿蘇、姶良、鬼界の三つのカルデラ噴火が起きた大規模火山が集中する地域である。また出雲大社の南およそ30kmにある三瓶山は10万年前から4千年前まで活動した火山だった。

 霧島市には1万年ほど前の縄文時代の定住集落(上野原遺跡)があったが、7300年前の鬼界カルデラ噴火で壊滅している。また三瓶山では縄文時代に大きな噴火が3回起きていて、三瓶山の周辺にも縄文時代の遺跡が発見されているという。

 縄文時代の始まりは1万6千年以上前であり、弥生人が渡来し始めたのは3000年程前である。弥生人は先住民族だった縄文人と混血し、稲作に適した土地に定着していった。一方、火山のある土地は狩猟生活には適するものの稲作に適さないために、弥生人渡来以降も、縄文人の集落は火山の周辺地帯に多く残ったと解釈できる。

 「古事記の背景に縄文時代があり、古事記神話には火山噴火に係る物語が隠れている」というのは仮説である。しかし、縄文時代の人達にとって、火山は恐怖であると同時に森林を育み、山の幸をもたらす恵みでもあったはずである。だからこそ火山は神となり、信仰の対象となって、その記憶が代々継承されてきた。火山が縄文人にとって強烈な存在であればこそ、1万年以上にわたり人々の記憶として伝承され、それを神話として編集したのが古事記だったというのもまた、十分説得力のある仮説ではないだろうか。

 西行法師が詠んだ句に、「なにごとのおはしますかはしらねども、かたじけなさに涙こぼるる」というのがあるが、正にこの心境こそが日本人の心の深層に、遥か縄文時代から代々継承されてきたスピリット(無形の財産)であるように思う。

 稲作と仏教が伝来する以前の1万年を超える縄文時代は無文字の時代だったが、この間に神道の原型としての宗教観が形成されたことは間違いない。日本各地にある神社の主祭神は古事記に登場する神々であり、火山-縄文時代-神道-古事記神話という、スピリチュアルなリンケージが垣間見えると言ったら言い過ぎだろうか。

 自分の祖先について、1万年を超える歴史を辿ることができるのは世界で恐らく日本人だけであろう。このスピリチュアルなリンケージこそが日本人のアイデンティティを形成している骨格ではないだろうか。

 鎌池は、さらにこう書いている。

・最終目的地の大和盆地を除けば、神武東征において日向(熊酋国)、熊野が最も重要な土地である。そして阿蘇のふもとにある熊本を加えると、古事記の「熊」の文字にはカルデラが背景にあるように思え、古事記が持つ記憶の計り知れないほどの深さを感じる。

 実はこの中にもう一つ大きな謎が隠されている。それは古事記の神話に熊野が登場する理由である。紀伊半島南部に熊野カルデラ噴火が起こったのは1500万年も前のことであり、日本列島に日本人の祖先集団がやってくる遥か以前であり、サピエンス誕生以前でさえある。

 日本で起きた超巨大火山の中でも最大規模の熊野カルデラ大噴火の記憶は一体どういう伝承として古事記の中に綴られたのであろうか。1500万年前の熊野カルデラ巨大噴火-古事記(神武東征)-熊野三社のリンケージは、「日本人の記憶」を巡る最大の謎であるのかもしれない。

 科学は新たな発見をもたらす。日本列島に日本人の祖先集団がやってきたのは凡そ3.5万年前、サピエンスの集団がアフリカを出たのが凡そ7万年前の出来事である。DNAの中に民族の特性に係る遺伝子構造が発見されており、民族間のその違いを調べることによって、サピエンスが世界中に拡散していったルートが明らかにされつつある。科学はやがて世界の民族の系統図を描くことに成功するだろう。そうなれば日本人のアイデンティティのもう一つの骨格であるDNAリンケージが解明されてゆくことになる。

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