歴史的大転換点にある世界(3)

進行中の危機と三つの臨界点

 「歴史的大転換点にある世界」(1)及び(2)で論じてきたように、現在世界で危機的な事態が同時進行している。危機が起きている背景には、現代社会が幾つかの意味で臨界点に近づいている現実がある。危機のメカニズムが同質のものを括って整理すると、表1に示すように、三つの臨界点に集約することができる。

日本は何をすべきかを考える

 2022年2月にロシアがウクライナに軍事侵攻してから1年9ヵ月になるが、未だ停戦に至っていない。そうこうする内に、2023年10月7日にはパレスチナのスンニ派イスラム原理主義、民族主義組織のハマスがイスラエルに軍事侵攻してイスラエル-ハマス戦争が始まった。(「イスラエル-ハマス戦争の深層」https://kobosikosaho.com/world/1002/

 この戦争は何故起きたのか。歴史に刻まれた複数の原因があることは言うまでもないが、ウクライナ戦争で明確になった「覇権の弱体化と国際秩序の瓦解」が背景にあることは確かだろう。単刀直入に言えば、「アメリカの覇権が弱体化し、中東におけるプレゼンスが後退した」ことが、ハマスによる軍事侵攻を誘発した可能性が高い。

 二つの戦争は欧州と中東で起きたが、背景に国際社会を形成するシステムの制度疲労があり、第三幕は東アジアとなる可能性がある限り、日本から見て遠い世界での出来事として済ますことは出来ない。

 このように地球環境、人類社会の制度とシステム、それに技術革新の分野で、同時に複数の危機が進行中である。この事態に臨み日本はどう対処すべきなのか、日本の役割は何処にあるのかについて、戦略志向で考えなければならない。

 本サイトでは、激動する世界に臨み、次々に起きる事件や事態をどう理解すればいいのかについて、「思考にも作法が必要」だという信念から論じてきた。「思考の作法」の具体論については「思考の作法から見た戦後政治」(https://kobosikosaho.com/manners/563/ )に整理してあるので参照していただきたい。

世界の近代化(概観)

 表1に整理した危機に関し、その全体像を把握し本質を理解するために、世界の近代化の変遷を図1に図示してみた。

 そもそも近代化を促進した要因は何だったのか。答えは二つある。一つは資本主義と民主主義を基礎とした制度・システムの整備であり、もう一つは産業振興である。「20世紀は戦争の世紀」と呼ばれるが、戦争は産業振興がもたらした産物である。そして産業振興を促進した原動力となったのは技術革新だった。新しい技術が次々に登場して新しい産業を興し、同時に新しい兵器を生み出したのであり、それが急速に進んだのが20世紀だったのである。

 他国よりも先に新しい技術を実用化し、産業を興し、軍備を増強することは即ち国力の増大をもたらすことから、先進国は競って富国強兵を推進した。それが産業と戦争の両面において20世紀が歴史上特筆すべき時代となった理由である。

 世界の近代化の歴史を考える上で重要なことが一つある。それは覇権の存在である。英国が覇権国となったのは、ワーテルローの戦いでナポレオン率いるフランスを破った1815年だったと言われる。また英国が大英帝国として19~20世紀に世界の覇権を握ることができた理由は、1760年頃から世界に先駆けて産業革命が起きたことと、蒸気機関を搭載した外洋船を量産して世界の海運業を制したことにあった。(参照:京都産業大玉木教授、東洋経済オンライン、2018年2月19日)

 近代化のプロセスにおいて、世界が二つの世界大戦に突入していったのも、近代化を競った世界の宿命であったと思われる。そして二つの世界大戦を教訓として、国際秩序を維持する仕組みとして国際連合が1945年10月に創設されている。創設に参加したのは51ヵ国に及ぶが、敗戦国だった日本とドイツは含まれていない。

 何れにしても、第二次世界大戦は戦争の規模として人類史上最大となり、さらに核兵器が使用されるに至って、人類は「戦争の世紀」にようやく一応のピリオドを打ったのだった。

 大戦が終わると米ソ冷戦の時代が始まった。この期間にも朝鮮戦争やベトナム戦争が起きており、人類は性懲りもなく戦争を続けたのだった。そして1989~1991年にはベルリンの壁崩壊とソヴィエト連邦の崩壊が起きて、ポスト冷戦期(アメリカ1強の時代)が始まった。またマルクスの予言に反して資本主義は破綻せず社会主義が消滅する結果となった。

 このように産業振興と戦争をもたらした技術革新であるが、人工的に核分裂を起こす技術が原子力発電を実用化した一方で核兵器を生み出した。そして技術革新は20世紀後半から分野を拡大する一方で、一気にギアチェンジするかのように加速しながら進歩を遂げた。特にムーアの法則に従ってコンピュータの能力が指数関数的進化を遂げると、それがさまざまな分野で技術革新を促進した。

 原子力の利用に留まらず、現在目覚ましい進歩を遂げているバイオやAIの技術もまたデュアルユース(軍民両用)である。そして広範な分野で革新的技術が一斉に開花する現代を迎えたが、中でも遺伝子操作に係る技術とAIの劇的な進歩は近未来に人類の未来を劇的に変革する可能性を秘めていて、ひとたびガバナンスを怠れば人類を危機に陥れる兵器にもなり得る。

 表1に戻り、図1の現在の状況を要約してみたい。大戦の終結から78年を経て二つの戦争が起きた。一方でアメリカの覇権は既に1世紀を経て相対的に弱体化し、国連安保理に期待される紛争解決機能は二つの戦争が起きて制度疲労が明らかとなり無力さが露呈した。社会主義はソ連の崩壊と同時に消滅したが、資本主義もまたマネーの増大と格差の拡大によって限界に直面している。指数関数的に進展してきた技術革新は、バイオとAI技術が人類の統制を越えて暴走するレベルに到達しようとしている。

日本の近代史(日露戦争と太平洋戦争の勝敗を分けたもの)

 幕末期に西欧列強の近代化を目の当たりとした日本は、英仏米に約1世紀遅れて、1968年の明治維新を皮切りに一気呵成に西洋文明を取り入れ、短期間で富国強兵を成し遂げて列強の仲間入りを果たした。世界の近代化競争に遅れて参画した日本が、明治期に日清戦争(1894~95年、日露戦争(1904~05年)と二つの戦争を戦うことになったのは、近代化のプロセスとして避けて通れない宿命であったように思われる。

 このように明治維新を機に近代国家への転換を成し遂げた日本だったが、真に列強と肩を並べるには、二つの戦争と共に二つの不平等条約を撤廃する必要があった。言うまでもなくそれは治外法権の撤廃と関税自主権の回復である。治外法権は日清戦争期の1894年(明治27年)に撤廃され、関税自主権は日露戦争後の1911年(明治44年)に回復された。

 このように俯瞰すると、誠に明治という時代は日本が西欧列強と肩を並べるまでの「坂の上の雲」の物語だったことを再認識させられる。これが昭和の時代になると、日本は中国大陸での権益を巡って、欧米及びロシアと対立を深めていった。そうして覇権が大英帝国から移行しつつあったアメリカとの全面衝突へ向かっていったのだった。

 歴史的な大事件を軽々に論じることは慎まなければならないが、議論を進めるために敢えて総括すれば、明治の日露戦争と昭和の太平洋戦争の勝敗を分けた決定的な要因は以下の二点に要約できるだろう。

1)日露戦争では、当時の覇権国イギリスと同盟を組んで、英国が持つインテリジェンスを最大限利用して大国ロシアを破った。

2)太平洋戦争では、無謀にも覇権国アメリカに真っ向から戦争を挑んで敗れた。敗因は、英米露の蜜月関係、世界の戦争に関わりたくないアメリカの国内事情に関するインテリジェンスが欠落すると同時に、戦争遂行に対する戦略(終結のシナリオとタイミング、戦後のビジョンなど)を持っていないことにあった。

 このように日本の近代史には大きな成功と大きな失敗の双方が刻まれている。図1を参照して成否を分けた要因をさらに要約すれば、次の三点に整理することができる。即ち、第1は覇権国を味方にしたか敵に回したかの違いであり、第2は相手国とのインテリジェンスの優劣であり、そして第3は戦略の有無であると。

日本の近代史の転換点

 日本の近代化には二つの転換点があった。言うまでもなく、明治維新と敗戦である。既に述べたように、明治維新こそが西洋式近代化の起源であり、そして敗戦は安倍元総理が掲げた「戦後レジーム」の起源となった。

 戦後レジームの下で二つの大きな物語が綴られた。一つは経済に係るもので、世界史においても比類なき経済成長を遂げて経済大国となった「復興と成長の物語」である。他一つは政治に係るもので、未だに「対米従属・対中忖度」の政治を続けている「現状維持と停滞の物語」である。

 図1に戻り、米ソ冷戦期以降の世界の歴史を概観してみよう。1945年に世界の大乱が終わり、米ソ冷戦が始まった。この時代に中国が台頭して世界の工場となり、劇的な経済成長を遂げた。1991年にソ連が崩壊し、アメリカ1強時代が始まった。それから32年が過ぎて中国は経済・軍事両面でアメリカに挑戦する唯一の国となった。相対的にアメリカのプレゼンスが弱体化し、それがウクライナ戦争とイスラエル戦争を誘発する要因となった。

 このように概観すると、現在は世界の覇権構造が変化する転換点にあることが明らかだ。同時にウクライナ、イスラエルの次の戦争は東アジアで起きる蓋然性が高いことも言うまでもない。

 2023年の現在は、明治維新から155年、敗戦から78年に位置する。中東情勢が象徴するように、アメリカのプレゼンスが後退したことが地域に力の空白を生み、BRICSの拡大やイランとサウジアラビアの和解が象徴するように、地域大国の台頭と地域の不安定化をもたらした。

 発想を変えてみれば、地域大国の台頭と多極化が進む中で、日本は戦後の「対米従属・対中忖度」のNATO(No Action, Talk Only)外交を転換すべき絶好のタイミングを迎えている。言うまでもなく転換に成功すれば明るい未来があり、転換に失敗すれば、激変する世界において没落してゆく未来がやってくる。今転換しなければならない正念場に日本は立っていると言えよう。

 そのためには、日本は明治維新と敗戦という「二つの転換点における成功と失敗」を教訓とし、第一にアメリカの同盟国として、第二に日米英豪の海洋国家連合のメンバーとして、第三に東アジアの地域大国としての未来のポジションを明確にして、激変する世界における日本のRMC(役割Role, 使命Mission, 能力Capability)を再構築しなければならない。

世界でもユニークな日本を取り戻す

 かつて安倍元総理は「地球儀を俯瞰する外交」を志向していた。地球儀を眺めると、日本という国が世界で極めてユニークな存在であることを再認識させられる。つまりこういうことだ。日本はユーラシア大陸の沖合に弧を描いて浮かぶ国境が存在しない列島であり、独自の言語を持つ単一民族で、一万六千年以上に及ぶ世界から独立した縄文文明を育み、神道という独自の宗教観を持っている。

 四季のある亜寒帯から亜熱帯に位置する島国の日本は、縄文の時代から自然を畏敬し、生物多様性を尊重する文明を築いてきた。一貫して天皇制を有し、歴史において貴族による中央主権制と武家による地方分権制を経験し、独自の資本主義と豊かな文化を育んできた。

 歴史においては仏教を始め、中国・インド・朝鮮からさまざまな文化を取り入れ、そして最後に満を持して西洋文明を取り入れた。異文化を取り入れながら、決して取り込まれることはなく、独自の文明の中に巧みに融合させてきた。地理的な要件と気候に加えて、この点が日本人をしてユニークな存在としている理由であるように思う。

 このように欧米列強が植民地獲得競争に明け暮れていた明治維新期において、恐らく日本は世界一平和に近い社会を作っていたことが明らかだ。その事実は、その後日本を訪れた外国人が残した書物にも記録されている。代表的なものを挙げれば以下のとおりである。

・ヘレン・ミアーズ、「アメリカの鏡・日本」、角川書店、2005(原作は1948)

・アレックス・カー、「美しき日本の残像」、朝日文庫、2000

・ロジャー・パルバース、「もし日本という国がなかったら」、集英社インターナショナル、2111

 以上述べたように、日本の近代史の前半は意気揚々とした時代だったが、敗戦によって状況は一変した。一変させた最大の原因は、言うまでもなく敗れる戦争に突入してしまった無謀さにあるが、もう一つの原因は敗戦という歴史上の事件をきちんと総括せず評価をウヤムヤにしたまま放置してきた無作為にあったと言えるだろう。

 総括を怠ったのは無論GHQによる統治と無関係ではない。しかし日本の歴史の転換点において融通無碍に発揮された日本人が持つユニークさ、つまり異文化を取り込んで消化し、縄文由来の日本文明に融合させて文明を進化させてきた特筆すべき才能が、敗戦という転換点においては発揮されなかったことに注目すべきである。

 もう一つ重要なことを付け加えておきたい。視点を現代に戻すと、欧米諸国や露中と比較して、現代日本には「戦略志向」が根付いていない。恐らく縄文の太古から資源を奪い合う競争が存在しなかった環境が背景にあることは間違いない。四季に恵まれている気候故に農作物に恵まれ、周囲を海に囲まれている故に漁業資源が豊富で、国境がない故に他の民族との戦争がなかったからである。

 しかしそれだけでは説明できない。既に書いたように明治という時代は明治維新を起源とし、治外法権の撤廃をもって幕を閉じている。明治を担った政治家には、その前の時代からDNAとして受け継がれた「武士のスピリット」が残っていて、それを基に欧米列強を相手した戦略観を持っていたことは疑いようもない。それが日清・日露戦争と二つの不平等条約撤廃という外交の大仕事を成し遂げた力となったように思える。

 これに対して、太平洋戦争の開戦から敗戦に至る外交においては、戦略の痕跡が見当たらないと言ったら言い過ぎだろうか。「デカダンスと称された大正期」を経て日米開戦に至る30年の過程で、明治の時代には確かに存在していた「武士のスピリット」と戦略観が失われて、日本は戦略が欠如した戦争へと向かっていった。そして屈辱的な敗戦を経て、「戦後レジーム」を払拭して建て直す気概すら失って、現在の「対米従属・対中忖度のNATO外交」に至っている。

歴史的転換点に臨み、日本の役割を考える

 敗戦から78年が過ぎた。現代は国際秩序が瓦解し再び騒乱の時代に突入しているという認識と、日本が近代史の第三の転換点に立っているという認識に立って、図1に描いた日本の近代史の未来を展望してみたい。

 はじめに、未来から現在を見つめる「目的思考」に立つためには、何よりも先立ち「日本は未来にどういう国を目指すのか」という目的地を明示しなければならない。批判を恐れずに一案として書いてみると、≪国益を追求し国力を最大化する努力を怠らず、国を豊かにすると同時に日本がもつユニークさを最大活用して、国際社会の課題を克服するために、リーダーシップを発揮する国になる≫ということになるだろうか。

 続けて、現在世界が直面する三つの臨界点に対して「日本が果たすべき役割」を、一案として書いてみよう。

≪臨界点1:人口・経済活動の増大が地球の恒常性に影響を及ぼすレベルに到達しつつある≫に対しては、縄文時代から地球環境と共存してきた立場から、臨界点を克服するための発想、アプローチ、技術を世界に提示する。

≪臨界点2:国際社会・国家・経済の領域で、制度とシステムの制度疲労が起きている≫に対しては、世界の近代史において制度とシステムのデザインを担ったのは英米であることを踏まえて、「西欧-露中-グローバルサウス」という現在の対立の構図よりも一段視点を高く上げて、より普遍的なデザインを提示する。この領域には、国連の再構築に留まらず、資本主義と民主主義のアップデートも含まれる。

≪臨界点3:コンピュータ・AIが加速度的に進化して、シンギュラリティに到達しつつある≫に対しては、これらの分野で先端技術開発を担うとともに、新しい技術を暴走させないためのガバナンス構築に主体的に取り組む。この役割を担うためには、バイオやAI等の分野で、日本が技術開発の最先端に立つことが条件となることは言うまでもない。

 人類が直面する課題とそれを克服する取組みにリーダーシップをもって参画することは、日本の強みを活かすと同時に、日本の産業競争力を高め、産業振興と経済成長に寄与する道でもある。何れも相当タフな挑戦ではあるが、豊かな未来は困難に全力で取り組むその先に開けると信じるべきだ。

 以上述べてきた役割を担い使命を果たすためには、日本が克服しなければならない障壁がある。それは安倍元総理が述べていた「戦後レジームからの脱却」であり、明治維新期に確かに存在した崇高なスピリットと戦略観を取り戻さなければならない。それこそが役割と使命を果たすために必要な資質であり能力であることを付け加えておきたい。

総括(スピリットを取り戻せ)

 縷々述べてきたように、人類の近代史において、世界は今三つの臨界点に直面している。些か乱暴だが、一言で「西欧文明の制度疲労」と括ることができるかもしれない。 日本は明治維新以来、西欧文明を取り入れて成功と失敗を積み重ねてきたが、現在直面している危機の多くがその西欧文明に係る臨界点であることを考えると、ユニークな文明と宗教観をもつ日本が果たすべき役割は、日本人が自覚する以上に大きいと肝に銘じるべきではないだろうか。西洋文明の制度疲労を補強できる他の文明があるとすれば、それは西洋文明と対立する文明では決してないからだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です