中国の過激な反応、試練と展望

11月7日予算委員会

 今回の事件の発端となった高市首相発言は、11月7日の衆議院予算委員会における立憲民主党岡田克也氏との質疑応答の中で飛び出した。このQ&Aの詳細については、ジャーナリストで現代ビジネス編集次長の近藤大介氏の記事から該当する箇所を抜粋して引用する。(資料1参照)

<岡田:存立危機事態について、麻生さんも安倍さんも軽々しく扱っている。存立危機事態で武力行使すれば反撃も受ける。それを避けるのが政治家の役割だ。>

<高市:あらゆる事態、最悪の事態を想定しておくことは非常に重要だと思う。台湾を中国の支配下に置くために、どういう手段を使うか。単なるシーレーンの封鎖であるかもしれない。武力行使であるかもしれない。ニセ情報であるかもしれない。だけれども、戦艦を使って武力の行使も伴うものであれば、まあこれは、どう考えても存立危機事態になりうるケースであると私は考える。実際に発生した個別具体的な事情に応じて、政府が全ての事情を総合的に判断するということだ。実際に武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態にあたる可能性が高い。法律の条文通りであると思っている。>

<岡田:武力行使が誰に発生することを言っているのか? もっと明確にしないといけない。・・・(台湾からの)大量の避難民、数十万人、数百万人が発生する。そういった人々を受け入れる必要がある。そういう時に、日本が武力行使をしていたら、極めて差し障りが出てしまう可能性が高い。存立危機事態、武力行使は慎重に考えねばならない。余りに軽々しく言っていないか?>

<高市:存立危機事態の認定に際しては、個別具体的な状況に則して、主に攻撃国の意志・能力・事態の規模・対応などの要素を総合的に考慮して、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、国民が被ることになる犠牲の深刻さ、重大性などから判断すべきものと考えている。政府として、持ちうる全ての情報を用いて判断する。これは当然のことと思っている。

 この首相答弁のどこが問題だというのだろうか。「戦艦」という用語が既に使われていないこと以外に、不適切な箇所は何もない。

存立危機事態

 初めに存立危機事態というのは、「①我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、②これにより我が国の存立が脅かされ、③国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明確な危険がある事態」と定義されている。 そして存立危機事態は、定義に書き込まれた三つの要件①~③の全てが満たされ、閣議決定され、国会の承認を得て発動される。

 元海将で、金沢工業大学大学院教授の伊藤俊幸氏は、三つの要件を満たすには情報に基づく総合的判断が必要であり、更にその後二つのステップを経て初めて事態認定されるもので、「要件に該当する可能性がある」という首相答弁は「法的一般論」を述べたに過ぎないと指摘する。(資料2参照)全くそのとおりだ。

 中国が大騒ぎしたことを受けて、日本側からも踏み込み過ぎという報道と記事が目立った。高市首相が「言わなくてもいいことを勇み足で喋ってしまったから、中国を過剰反応させた。軽率だった。」という論調だ。安倍総理が常に慎重に言葉を選んで中国抑止の発言をしてきたのと比べて、軽率ではなかったかという批評である。

 本当にそうだろうか。伊藤教授は資料2の中で、「首相が可能性を語る意義は、リスクを国民と共有し国の判断基準を透明化するためにある」と述べている。現在の国際情勢を概観すれば、ロシアがウクライナに軍事侵攻して、中国がロシアの戦争経済を支え、北朝鮮が戦場に武器と兵士を送って参戦している。イスラエルとパレスチナ・ゲリラとの戦闘が拡大し、世界が戦争モードへシフトした感がある中で、中国が台湾侵攻に踏み切る蓋然性が高まっている。この国際情勢下で首相が存立危機事態の要件について踏み込んだ答弁することは、むしろ時機を得た行動と見るべきではないだろうか。

 近藤大介氏は資料1の中で、「岡田克也氏のイチャモン質問」と書いているが、現実の国際情勢と対峙して、国民に対する安心安全の全責任を背負っている高市首相に対して、自らは評論家席に陣取って揚げ足取りの質問をしている岡田氏の方が余程無責任であると言わざるを得ない。「立憲民主党というのはどこの国の政党なんだ」という声がそれを象徴している。

 このように安全保障の危機が高まっている国際情勢において、ロジカルにはっきりモノを言う高市首相に対する国民の支持率は70%超を維持している。国民の方が敏感に危機を感じ取りリアルポリティクスを支持している事実を、野党政治家は軽視すべきではないだろう。

中国がとった威圧行動

 何れにしても中国の反応は相当に常軌を逸したものだった。中国がとった威圧行動を列挙すると、次のとおりである。

11月8日:中国駐大阪総領事がXに書き込み

14日:日本への渡航自粛を指示

16日:日本への留学再考を注意喚起

17日:各地で予定されていた日中友好行事を取りやめ

18日:報道官、高市首相の非核三原則発言に抗議

19日:18日に北京で日中局長級会議が開催され、会議終了後、ポケットに両手を突っ込んだ中国の局長に対し金井局長が頭を下げているように見える動画がSNSに拡散

18日:国連でも対日批判を展開

19日:日本産水産物を禁輸

20日:スパイ摘発強化を示唆

吹き飛んだ日中首脳会談の成果

 10月31日に開催された日中首脳会談において、習近平国家主席は「五つのコンセンサス」をしっかりと守り、実施することを強調したばかりだった。ちなみに「五つのコンセンサス」とは次のとおりである。(資料3から引用)

1.「戦略的互恵関係を全面的に推進し、相互パートナーシップ、相互に脅威とならない、歴史を鏡に未来を向く、などの政治的コンセンサスをしっかり実施する・・・」

2.「ウィンウィン協力を堅持する・・・」

3.「人々の心の交流を促進する・・・」

4.「多国間協力を強化する・・・」

5.「意見の相違を適切に管理する。大局を見据え、共通点を求め相違点を認め、一致点を集め対立を和らげ、矛盾や対立が両国関係を定義づけることを回避する。」

 このコンセンサスを相互に再確認してから、僅か1週間後に中国は相次ぐ威圧行動をとったのだった。格調高く歌い上げた戦略的互恵関係だったが、僅か1週間で脆くも崩れ去ろうとしている。

中国側が態度を硬化した原因

 一体中国側がここまで過激に反応したのは何故だろうか。多くの識者がさまざまな視点から論評しており、論点が既に出尽くした感がある。中国側が何故態度を硬化させたのかについて、ジャーナリストの青山和弘氏が分かり易く解説しているので、以下に要点を紹介する。(資料4参照)

1)日本は専守防衛の国だから、自分から攻撃することはできない。相手からの攻撃に対し反撃するにしても、反撃の根拠となる事態の認定が必要になる。存立危機事態は自分は攻撃されていないが、集団的自衛権を行使してどういう時に自衛隊が防衛出動できるのかを決めるという、極めて複雑な問題である。

2)もし台湾に米軍が来て中国が武力を行使すれば、台湾で米中戦争が起きるため、我が国の存立が脅かされる。台湾から約100km東に位置する与那国島に戦火が及ぶかも知れないし、中国が在日米軍基地を攻撃対象にするかもしれない。そうなれば日本にも明白な危険が及ぶ事態となって、存立危機事態になり得る。

3)高市首相は、ここまでエスカレートしたら確かに存立危機事態になり得るよね、という一般的な解釈として常識的なことを言ったのだが、これまでここまではっきり発言した総理は過去にいなかったことから、中国は「台湾有事に日本が自衛隊を出してくるのか、ふざけるな」という話になってしまった。

台湾を巡る国際情勢の変化

 評論家で千代田区議会議員の白川司氏は、「中国の過激な反応の原因は、高市発言よりも大阪総領事の暴言に対する日本側の反応が大きく、削除しても収まらなかったため、中国政府として引っ込みがつかなくなったことにある。」とみる。(資料5参照)

 白川氏は今回の過激な反応は三つの要因が重なったために起きたと指摘する。即ち米中戦略環境の悪化と、中国経済の停滞と、中国国内政治の力学の三つだ。

 アメリカはそれまでの台湾政策を転換して、「台湾を実質的な国家に昇格させる」方向に舵を切った。アメリカ議会では台湾関連法案が相次いで提出され、上院では『台湾保障実行法案』が可決された。そこには従来の台湾政府との公的接触制限を見直す項目が含まれている。さらに上院外交委員会は台湾の地位について「台湾住民の意思に基づかない一方的な変更に反対する」立場を鮮明にした。

 中国経済の停滞は言うまでもないだろう。国内政治力学とは、台湾政策は中国共産党にとって権力の正統性を担保する核心的利益であるために、弱腰を見せることはできず、常にファイティングポーズをとり続ける他ないということだ。

 これら三つの要因に加えて日本では高市政権が誕生して、中国に対する日本側の体制が変化している。少なくても中国にはそう見えるに違いない。何故なら高市首相の閣僚人事が親中国から親台湾にシフトしたことと、他一つは日中関係のパイプ役を果たしてきた公明党が連立政権から離脱したことだ。何れも中国にとって重大事件だったのである。

中国側のお家事情

 中国側に深刻なお家事情があると分析するのは近藤大介氏である。お家事情として近藤氏は10項目挙げているが、中でも重要な要点について紹介する。(資料1参照)

 第1は、台湾有事の際の日本の立ち位置に対する誤解だ。ウクライナ戦争におけるロシアとドイツの関係は、台湾有事における中国と日本の関係と相似形だと中国の識者は考える。即ちドイツはウクライナを支援するがロシアとは戦火を交えていないし、ロシアもドイツを攻撃する気はない。それと同じで、台湾有事が起きれば日本は台湾を支援するだろうが中国と戦火は交えない。中国も日本を叩いたりはしない。それが高市発言で日本が台湾有事を殊更に強調したものだから、「日本はウクライナになるつもりか」と誤解し仰天したというのだ。

 第2は、存立危機事態に対する誤解である。前述したように、存立危機事態の三要件の一つは「日本と密接な関係にある他国」に対し武力攻撃が発生することである。ここで「他国」は特定されておらず、日本にとっては当然他国=アメリカで集団的自衛権の発動を想定するのだが、中国は他国に台湾が含まれると誤解したというものだ。つまり、ひとたび台湾有事が起きれば、日本が参戦してくると高市首相が明言したと受け止めたことによる。もっとも現在では台湾は国として認められていないのだから、「他国」が台湾を含むという解釈は成り立たないのだが。

 第3は、高市政権が誕生したときに習近平主席は祝辞を送らなかったが、これは台湾の頼清徳総統を支援する政権が日本に誕生したと中国が受け止めたからだ。

 第4は、習近平主席は「上から目線」で見ていて、今では中国が兄貴分、日本が弟分の関係にしてゆくことを目論んでいるが、高市政権は一々「反抗」しており、それが歯がゆいというものだ。

 第5に、10月末に日中首脳会談が開催されたが、習近平主席は触れて欲しくない点を高市首相からズケズケと指摘されて、面子を潰される展開となった。これは首脳会談をセットした中国外交部(トップは王毅外相)の大失態であり、「悪いのは日本だ」と責任回避を図ろうとした。

「一つの中国」問題の再燃

 前駐オーストラリア特命全権大使で外交評論家の山上信吾氏は、日中間で「一つの中国」問題が再燃したとみる。(資料6参照)

 1952年に発効したサンフランシスコ平和条約以降、「一つの中国」は中国側の主張であって、日本政府として受け入れたことは一度もない。ウクライナ戦争以降、台湾有事の蓋然性が高まっているが、高市首相が「存立危機事態」について一般論の答弁をしたことに噛みついて、中国は「高市政権が一つの中国問題に首を突っ込んできた」と解釈した可能性が高いというものだ。

習近平が直面するジレンマ

 習近平主席は本当は高市発言に頭を抱え、ジレンマに直面しているという見方がある。ジャーナリストの石森巌氏は、「中国側の強硬姿勢には、いささか腰の引けた奇妙なチグハグさが随所に垣間見える。」と指摘する。(資料7参照)

 「腰が引けている」第1の理由はヒステリックな反発の狼煙を挙げているのは取り巻き幹部ばかりで、習近平主席本人は一言も発言していないことだ。第2の理由は日本に対し威圧をかければ、それでなくても大失速に向かっている中国経済がさらに悪化する可能性が高まることだ。

 中国では今、経済情勢が急激に悪化している。不動産バブル崩壊に起因する巨額な不良債権問題が深刻化して、経済が急失速する中、失業者が溢れ、若者には就職先がない。そこにトランプ大統領による関税制裁が襲いかかった。ここで更に日本との関係が冷え込めば、戦略的互恵関係を梃に経済を立て直したいという目論見が水泡に帰してしまうという訳だ。

 東京財団政策研究所主席研究員の柯隆氏は、悪化した日中関係について次のように分析している(資料8参照)

 「状況は複雑化しているが、日中双方とも関係をこれ以上悪化させたくないことが明らかだ。中国がとった制裁措置は何れも日本に実害の小さなものばかりで、中国では半日デモも起きておらず、日本製品の不買運動も起きていない。」

 「反日デモが起きないのは、中国経済が低迷しており若者の失業率が高止まりしているからだ。更に現在はトランプ関税戦争の渦中にあり、このタイミングで大規模な反日デモが起きれば、日本企業の中国離れが加速して中国経済にさらに深刻なダメージを与えることになる。しかも中国社会で不満が溜まっており、反日デモが反政府デモに発展してしまう恐れがある。」

 「日本製品の不買が呼び掛けられていないのは、日本製品のコアな部品は日本から輸入され中国でアセンブリが行われているので、不買運動が起きれば、結果的に中国企業を制裁することになるからだ。」

事態を悪化させた中国総領事の暴言

 高市首相の発言に関わる中国の反応よりも、日本が警戒心を最高度に高めたのは駐大阪の薛剣中国総領事によるXへの投稿記事だった。「その汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない」と書き込んだメッセージは、ジャーナリストで産経新聞論説委員長を務めた乾正人氏が言うように、「高市首相殺害を予告する脅迫文」と認定されてもおかしくない。政治的判断を別とすれば、毅然と「ペルソナ・ノン・グラータ(ラテン語で、好ましからざる人物)」指名して国外追放すべき悪行である。(資料9参照)

 総領事によるこの記事は高市首相答弁翌日の11月8日土曜夜に投稿されて、投降後に削除されている。ここに謎が二つある。一つは総領事個人の行動か、それとも中国政府の指示または了解に基づく行動かであり、他一つは感情的な反発か、それとも計算された意図的行動かだ。

 前述の白川司氏は、次のように分析する。「注意すべきは、中国政府が激しい口調で制裁をちらつかせながら答弁の撤回を言い出したのは、大阪総領事が高市首相に対する暴言を投稿し、削除しても日本国内からの批判が集中した後である点だ。これは今回の中国政府の過剰な反応が、高市首相の答弁自体より大阪総領事の暴言問題で引っ込みがつかなくなったからだと考えられる。」(資料5参照)

 この総領事は2021年夏に着任して以来、SNSで過激な発言を繰り返してきたいわく付きの「戦狼外交官」だったという。高市首相発言は法的に正当な答弁であり、<論理的に反論できないから暴言で威嚇した>と考えられる。

 在日台湾人団体が出した共同声明には「中華人民共和国は台湾を支配したことは一日もなく、中国が台湾の主権を主張したいのであれば、その根拠を明確にし、台湾人の同意を得られるよう努力すべきだ。」と書かれている。<台湾に関わる中国の権利主張には歴史的な根拠が全くないから「戦狼外交」を展開する他ない>のである。(資料10参照)

増加する戦狼外交官

 産経新聞論説委員兼政治部編集委員の阿比留瑠比氏は、次のように分析する。「戦狼タイプの外交官が近年急速に増えている。習近平政権の強硬な対外路線があり、強気で挑発的な発言をする方が上層部に評価されることが背景にある。これはやがて諫言する者が誰もいなくなる独裁国家の病弊の表れだ。」

 王毅外相自らも、「日本の現職の指導者が台湾問題に武力介入を企む誤ったシグナルを公然と発し、言うべきではないことを言った。触れてはならないレッドラインを越えた。」と発言したが、日本通の王氏は日本側の実情を百も承知であり、この発言が習近平主席の歓心を買おうとしたものであることは明らかだ。(産経11月27日紙面)

 一方、既に紹介したさまざまな威圧行動が、中国政府の複数の部署からタケノコのように現れてきた現状について、ジャーナリストで雑誌『正論』編集長を務めた桑原聡氏は、「中国外交官の言動は独裁者に対する忠誠の結果であり、怒りよりも哀れさを感じざるを得ない。」と評しているが、本質を突いているのではないか。(資料11参照)

 本件に関して注目されるのは、米中首脳会談に出席した中国側の高官の態度について、トランプ大統領が「あんなに怯えた人間を見たことはない」と評したことだ。外交トップの王毅外相を始め米中首脳会談に同席した高官ですらそうであったとしたら、総領事の言動も推して知るべしだ。中国とはそういう国なのだと、認識を新たにせざるを得ない。

中国の常套手段

 そもそもこの事件の事の発端となったのは、立憲民主党の岡田克也氏だった。国際情勢が緊迫さを増している状況を踏まえて、「最悪の事態に備えて」台湾有事について政府と野党の間で認識を合わせておきたいという主旨に基づく質疑応答なら理解できるが、単に高市首相の揚げ足取りを狙ったのだとしたら、立憲民主党は国民の信を一層失うに違いない。

 桑原氏は、「それにつけても、哀れな中国の役人の言葉に便乗して、もっともらしい理屈をつけて高市首相批判をする政治家、メディア、評論家の何と多いことか。彼らは一体何を守ろうとしているのか。中国の国益?それとも習近平の面子?」と書き込んでいる。(資料11参照)誠にその通りだ。

 産経新聞台北支局長の西見由章氏は、中国が戦狼外交に走る歴史的背景について以下のように分析している。(産経11月27日紙面)

 「中国の戦略は、孫子兵法等の古代思想やマルクス主義の弁証法的唯物論、及び毛沢東思想が土台になっている。相手が抱える矛盾(内部対立)を利用して分断を図るのは、全ての存在は矛盾を内包すると考えるマルクス主義の弁証法的唯物論の発想に立脚している。」

 「さらに相手の選択肢を制限する行動をとり、自らが期待する行動が自然にもたらされる状況を生み出し、機が熟すのを待つ。それは老荘思想の『無為』に通じる。」

 高市首相発言を契機に中国政府は前述した制裁措置を矢継ぎ早に発動したが、正にこれは、「日本側に脅しをかけ勢いを生み出し、一触即発の機運を醸成して、野党や経済界、メディア、国民が高市政権を批判するよう仕向けて孤立させ分断を図る」ものであることが明らかだ。

中国側の識者はどう見ているか

 上海国際戦略研究所の趙楚副所長は、中国側の日本への抗議の語気は強いが、主に言葉の上に留まっており、実質的な行動はまだ取られていないと分析している。中国は日本とある程度の実質的な関係を維持したいと考えて、行動をエスカレートさせずに今後柔軟に対応できる余地を残している。ただし日中間の「政治的共通基盤」はすでに損なわれた。(資料12参照)

 たとえ現在の争いが沈静化したとしても、両国の「負の相互作用をもたらす火種」は依然として存在する。日本は世界の重要な国家として「普通の国」になることを模索しており、中国も超大国の地位を追求しているため、この構造的矛盾は間違いなく両国関係に困難をもたらす。中国の台頭にどう対応するかは日本が直面する重大な課題であり、中国にとっては日本という重要な隣国との関係を如何に適切に処理するかが大きな試練であり、従来の思考や観念はもはや適用できない。(資料12参照)

日本は泰然自若たれ

 在日台湾人団体が中心となって複数の在日の団体が連名で共同声明を出して、中国政府による威圧に抗議している。「高市首相の答弁は、日本及び周辺諸国の安全保障に関する仮定の議論の中で発せられた日本政府としての公式見解であり、何ら問題はない。中国が現状の変更を目論んで武力による攻撃を行わなければ、日本が存立危機事態に陥ることはなく、自衛隊を派遣する必要もない。・・・中国はその威圧的な言動を改めなければ、そして国内での人権問題を改善しないなら、今後も地域の最大の不安定要素であり続けるだろう。」(資料10参照)

 中国にとっては威圧的言動を改めることも人権問題の解決もできない相談であるから、中国は今後とも地域最大の不安定要素であり続けるだろう。それを前提として日本はどうすべきかを考える必要がある。

 小野田紀美経済安全保障担当大臣は、今回の事件に関して、「何か気に入らないことがあったら、すぐに経済的威圧をしてくるところに依存し過ぎることはリスクがある。」と素直な所感を述べているが、誠にその通りである。中国は戦狼外交を展開しているが、世界から見れば小野田大臣が語ったように、中国に対する警戒心と嫌悪感が世界に拡がる結果にしかならない。

 中国は経済規模において西側先進国を超えてアメリカと肩を並べるところまできたことは事実である。日本や欧州諸国からみれば、「大国に相応しい品格と作法」を身につけることを期待するのだが、中国の戦狼外交は止まらない。中国が作法を変えることは期待できない。

 では日本はどうすればいいのか。元外交官で、キャノングローバル戦略研究所理事・特別顧問の宮家邦彦氏は『中国共産党のトリセツ』と題した興味深い記事を書いている。「5つのトリセツ」は次のとおりであり、誠に言い得て妙という他ない。(資料13)

1.台湾と抗日は最重要問題なので安易に妥協しない

2.メンツが潰れれば制御不能となり、論理が通用しない

3.激高した後、我に返るまでには相当の時間が必要

4.その間、中国側の不利益につき熟考させることが肝要

5.妥協するにもメンツが必要なので、面倒である

 中国の作法は今後とも変わらないと仮定した上で、隣国の日本はどう付き合うべきなのか。前述した柯隆氏は次のように述べている。「経済学のゲーム理論的な考えに基づいて今後の選択肢を探ってみる。日本の国力は国際社会でリーダーシップを取れるほど強くない。日本は自らの実力を直視して、グローバル社会のリーダーを目指さずに、如何にして日本の国益を守るかを優先的に考えるべきだ。日米同盟に頼りすぎない主体性のある安全保障戦略を描く必要がある。ここで問われるのは安全保障にかかわる日本の主体性だ。日本は国際社会に貢献することができるが、覇権国家にはなれない。重要なのは日中関係だけでなく、現下の流動的な国際情勢を正しく認識して、日本の取るべき戦略を明確に描くことだ。」誠にこのとおりだと思う。(資料8)

多極化時代における日本の役割

 「日本はどうすべきか」という問いは、以下の三つの前提事項を踏まえて考える必要がある。

前提事項1:国家や国際社会に関わる全てのシステムは未完である

前提事項2:アメリカを含め、大国はいつの時代にも強引であり時に傲慢である

前提事項3:アメリカ1強体制から多極化へ、覇権体制が変化しつつある

 日米欧諸国は民主主義国家であり、民主主義や資本主義を基幹システムとして成立しているが、中国やロシアは専制主義国家であり、異なる基幹システムの上に構築されている。基幹システムが異なるので価値観を共有することができない。

 アメリカを含めて中国とロシアは軍事大国かつ核兵器保有国であり、時に国際社会のルールに従わない強引・傲慢な振る舞いをすることは古今東西変わらない事実である。最近ではプーチン大統領によるウクライナへの軍事侵攻がその典型例であり、習近平主席の戦狼外交も、トランプ大統領のMAGA外交も強引・傲慢という点において本質は変わらない。

 世界大戦終結後、国際秩序維持の役割を果たしてきた超大国アメリカの国力は、中国の台頭と相まって相対的に低下してきた。歴史的な動向として俯瞰すれば、大戦後の米ソ冷戦構造→アメリカ一強体制→多極化へと国際秩序の骨組みは変化してきた。現在世界は多極化に向かっているという認識に立って未来を展望すると、中国は地域覇権国を志向しており、日本は米中二大覇権国の間に位置するという地政学的立場から免れることはできない。

 前提事項1~2は、それ自体が国際秩序不安定化の原因になり得る。それに加えて現在、「アメリカ1強体制から地域覇権国の並立へ」地政学の基盤が変化しつつある。トランプ大統領がウクライナ戦争など国際社会の問題を、地域の当事国の頭ごなしに、地域覇権国である中露とアメリカで解決しようとすることがその証左である。

 この動向を踏まえて考えれば、日本の役割と進路は自ずと明らかになる。ズバリ言えば、三つの前提故に顕在化する諸課題に対し、解決のオプションを提示することにある。何故なら前提事項2及び3は当事国であるが故に覇権国には解決できないものだからだ。

 ウクライナ戦争勃発以降、BRICS、グローバル・サウスなどが台頭し、相対的にG7の役割が低下してきた感があるが、前提事項1~3を考えるとき、現在進行中の国際社会の秩序崩壊を立て直す役割は、能力と資質において日本と欧州の他に存在しないことは明らかである。

 覇権国を志向する米中露と異なり、日本と欧州は覇権に相応しい国力と資質を備えていない。一方で日本と欧州は、米中露にはない歴史、経験、能力を蓄積している。欧州は理念先行で物事を考え、その理念を世界に強要しようとして世界から嫌われる一面があるものの、前提事項1の多くのシステムを発明したのは欧州である。

 一方日本には縄文以来、共生・共存・調和を基本的理念とする独自の文明を育んできたユニークさがある。総じて「地球問題」を解決するアイデアと技術を創造する資質を保有する世界でもユニークな国である。さらに日本は世界最大の債権国である。つまり、文化も技術も資金も持っているのが日本なのであって、欠落しているのはそれを戦略的に使う主体的な意思である。

 これら日本が有するポテンシャルを駆使して、戦後80年間米国に従属してきた路線を修正し、前提事項1~3を解決する役割を欧州と協力して担うことこそポスト戦後80年時代の日本の役割であると信じて止まない。

参照資料:

1)中国が「存立危機事態」でブチ切れた「10のお家事情」、近藤大介、現代ビジネス、2025.11.18

2)「可能性」を語ることこそ抑止力、伊藤俊幸、産経正論、2025.11.18

3)習近平国家主席が高市首相に言われ放題、福島香織、JBpress、2025.11.6

4)「存立危機事態になり得る」高市総理答弁に中国猛反発、Abema Times、2025.11.26

5)高市首相の一言に中国が大激怒するワケ、白川司、ダイヤモンド・オンライン、2025.11.26

6)日本外交の舞台裏を抉る!、山上信吾、アサ芸プラス、2025.11.24

7)本当は「高市発言」に頭を抱えていた!、石森巌、アサ芸プラス、2025.11.20

8)日中関係急悪化、よく見てみると結局、高市政権には「危機感は十分だが、戦略がない」というだけのことではないのか、柯隆、現代ビジネス、2025.11.28

9)「高市殺害予告」総領事は革命家?、乾正人、産経、2025.11.21

10)高市首相答弁は何ら問題ない、在日台湾同郷会、日刊スポーツ、2025.11.20

11)怒りより哀れさ感じる忠誠、桑原聡、産経、2025.11.21

12)日中の対立は沈静化するだろうがアジアの構造は既に変化、Record China、2025.11.25

13)中国共産党のトリセツ、宮家邦彦、産経、2025.11.20

制度疲労から崩壊へ向かう戦後システム(後編)

資本主義の変遷

 『終焉を迎えるバブル経済と資本主義』と題した記事を2024年1月に書いた。本稿ではそれを踏まえて、全体像を俯瞰しつつその先を展望してみたい。

  その1:https://kobosikosaho.com/world/1082

  その2:(https://kobosikosaho.com/world/1094

  その3:(https://kobosikosaho.com/world/1110

 ヨーゼフ・シュンペーターは資本主義を、「起業家と資本が組んで<創造的破壊>を起こし、経済を新陳代謝させ社会を変えてゆく仕組みである」と定義した。もう少し具体的に言うと、「意欲的な投資家とイノベーションを起こす起業家、それと社会変化に臨機応変に移動する労働者が存在する社会では、資本主義のメカニズムが<正の循環>として作用して経済は成長する。」ということだ。

 そしてマルクスは理想の社会として、シュンペーターは絶望的な結末として、資本主義が崩れて社会主義が次に来ると考えた。しかし現実はソヴィエト連邦の崩壊と共に社会主義が潰れた。一方で資本主義もまた大きく変化した。現代の視点から眺めれば、「資本が経済社会を動かす資本主義の時代は、社会秩序を破壊して発展してゆく前半と、経済主体どうしが資本を武器に破壊し合い、経済も社会も秩序を失い、安定均衡から次の均衡には移れずに崩壊に向かう後半に二分される。」(前稿から引用)

 前稿で述べたように、マネーのパワーが強大になるのと歩調を合わせて、資本主義は大きく変質したことが分かる。資本主義の変遷は以下のように要約できる。

①資本主義は1531年にネーデルランド(現在のベルギー)のアントウェルペン(英語名アントワープ)に世界で初めて取引所が開設された時を起源とする。アントウェルペン証券取引所では、商品取引だけでなく為替取引や証書も取引された。

②イギリスが覇権国となり、イギリスは資本主義をシステム化し、マネーの流れの仕組みを作った。こうして資本主義はマネーの流れがイノベーションを推進する仕組みとして、マネーを血流として経済を発展させるしくみとして定着した。

③その後マネーの力が強大化し、資本主義を大きく変質させていった。具体的に言えば、金融市場が形成され、国際金融資本家がマネーをグローバルに移動させるようになり、金融が政治を動かし戦争すら起こす力を持つようになった。

④20世紀後半になると、コンピュータと情報の技術革新が長足の進化を遂げ、金融のディジタル化とネットワーク化が整備されて、金融の世界を一変させた。

⑤そして現在、政府が行う国債発行による財政によって、加えて中央銀行が行う金融緩和政策によって巨額のマネーが金融市場に供給された。投入されたマネーは富を求めて投資と投機に向かう結果、経済がバブル化し、バブル経済はさらに巨額のマネーを生み出し、バブル→バブル崩壊→金融緩和→次のバブル・・・のサイクルが繰り返されて、資本主義はバブル資本主義へと変質したのだった。

崩壊の淵に立つ資本主義

 そして今、バブル資本主義の末期にあって資本主義は崩壊の淵に直面している。言うまでもなくその最前線の舞台は世界最大の債務国アメリカである。国際ジャーナリストの木村正人氏が9月9日のJBpressに「米国経済は3年以内に過剰な政府債務を起因とする心臓発作を起こす」というセンセーショナルな記事を書いている。資本主義が「崩壊の淵に」立っていることを示す主要なデータを以下にリストアップする。(資料1参照)

①米国政府の利払いは1兆ドル/年に達している(1兆ドル=約150兆円)

②債務の借り換えには9兆ドルが必要である

③米国の政府債務は2025年度末でGDP比100%に達する

④政府債務総額をGDP比100%以下に留めておくには、年間の財政赤字をGDP比0.4%に抑制する必要がある

⑤しかし今年度の財政赤字はGDP比6.5~6.7%に膨らむ

⑥今後1年間で米国政府は7兆ドルを支出する一方で、収入は5兆ドルに留まる

⑦以上から、利払い1兆ドル、債務借り換え9兆ドル、新規国債2兆ドルの売却が必要になる

 バブル資本主義となり資本主義は大きく変質した。それまでマネーの役割は経済を動かすための血流だったのが、株式や債券などの機能が次々に付加されたことによってマネーが膨張しかつパワーを得て、経済だけでなく政治をも動かすようになった。

 一方で貿易がグローバルになり、貿易の決済手段として世界中のマネーが為替レートを介して連結した。更にその決済はコンピュータと情報技術の進歩によって“瞬時”に行われるようになった。

 資本主義の本来の姿が、マネーを循環させて経済活動を促進し富を分配する仕組みであると理解すれば、国家統治の形態が民主主義だろうが専制主義だろうが、中国やロシアも資本主義の仕組みで動いていることに変わりはない。専制主義であるが故に、経済運営が基本的に市場に委ねられるのではなく、国家の意思によっていつでも統制される点が異なるだけだ。

 資本主義の変質の本質は、それまでは金融市場の外に陣取って金融市場を統制する役割に徹してきた政府・中央銀行が、実質的に金融市場を形成するアクターとして取り込まれ、金融市場の内の存在となったことではないだろうか。

 従来はひとたびバブル崩壊が起きれば、中央銀行・政府が介入して、大規模な金融緩和を行い、公的資金を不良債権処理に注ぎ込むことでバブル崩壊の被害拡大をくい止めてきた。不良債権を清算してバブル崩壊を鎮めることができたのは、中央銀行・政府が金融市場の外に陣取っていたからだ。

 バブルの規模とバブル崩壊の破壊力は、時間経過と共に増大した。それ故にバブル崩壊時の対処は、年々困難になる宿命にある。何故なら、不良債権の規模が際限なく巨大化してゆけば、中央銀行・政府といえども処理できなくなるからだ。

M7バブル

 アメリカでは株価が連日最高値を更新している。経済アナリストの増田悦佐氏はアメリカ株式市場の現況について、以下のように分析している。(資料2参照)

①アメリカ市場で3~4年にわたって持続的に上昇するのは時価総額の大きなハイテク企業ばかりで、中小株は見向きもさ れない。2023年頃から物色対象はM7に絞り込まれ、2024年にはエヌビディア一色となった。エヌビディアの株価総額は2024年前半で約3倍となった。

②これまでに時価総額3兆ドルに到達した銘柄が3社ある。マイクロソフト、アップル、エヌビディアだ。これを書いている現時点ではアルファベットが加わって4社となった。しかもエヌビディアの時価総額は日本のGDPに相当する4兆ドルに達した。1ドル=150円で換算すれば、600兆円。日本の名目GDPは635兆円である。(2025年4-6月期)

③株価高騰とは別に、アメリカの実体経済は低成長でインフレ率は高止まりし、金利の高騰で庶民の利払い負担が重くなっている。それなのに一握りの時価総額の大きな銘柄に買いが集中することで景気が良くなっているように見せかけている。

④現在のバブルは「時価総額集中バブル」と呼ぶべき状態にあり、勝馬を次々に乗り換えながら2013年以来延々と続いて現在に至っている。

 株取引の専門家でなくとも、単に常識を働かせて一考するだけで、M7を巡る熱狂は間もなく終わると断言できる。株の時価総額が3~4兆ドルというのはごく一部の経済大国を除く国家のGDPよりも大きいのだ。正に「バブルここに極まれり」という状態なのである。

 バブルがピークに近づいているだけでなく、M7には循環取引(Round Tripping)疑惑、分かり易く言えば架空取引疑惑がある。以下は資料2からの引用である。

①まずエヌビディアはGPU(Graphics Processing Unit、画像処理を行う専用プロセッサ)の最大手企業だが、自社からは高価なGPUを他のM7企業にまとまった数売ったことにし、相手からは同額のサービス(クラウドサービス等)を買ったことにする循環取引疑惑がある。

②ChatGPTを提供する生成AIのリーディング・カンパニーであるオープンAIにも同様の循環取引疑惑がある。この架空取引疑惑が事実であるとすれば、M7各社は相互に成長を水増しし、株価を釣り上げていることになる。

 さらにM7事業はそれぞれが解決困難な限界に直面している。

①まずテスラはEVの致命的で解決不能のジレンマを抱えている。ガソリン車と決定的に異なり、EVはクルマと積載貨物が重くなればなるほど電池の重さの割合が増大するというジレンマがあり、詰まるところEVは小型車でなければ実用化できない。もう一つの致命的な問題は、EVは気候変動=地球温暖化危機説がなければ存続できない点にある。トランプ政権は『常識の革命(Revolution of Commonsense)』の中で、「グリーン・ニューディールを終わらせ、EV義務化を撤回する」ことを宣言した。これによってアメリカ国内のEVブームは消滅している。

②生成AIも致命的な問題を抱えている。顧客に送り出す前にAIを顧客向けに「調教する」必要があるという問題だ。しかもAIが高度になればなるほど、そのコストが膨大になるという。現実にマイクロソフトとソフトバンクが大株主となっているオープンAIは現在経営破綻の淵にあるという。ちなみに2024年の決算は、AIモデルの調教コストが70億ドル、人件費が15億ドルだったのに対して、売り上げは35億ドルしかなく50億ドルの赤字だった。

③現在注目されているデータセンターを巡る致命的な問題は、大規模になるほど膨大な電力を消費することであり、しかも消費電力の約4割が冷房・換気に消費されていることだ。加えて能力を向上させようとすればするほど効率が悪化するというジレンマを抱えているという。

次に起きるバブル崩壊

 次のバブル崩壊は、これまでのバブル・バブル崩壊とは別格なものとなることが予測される。「山高ければ谷深し」という相場の格言があるが、M7バブル崩壊の「山」は主要国のGDP相当であるから、「谷」の深さも尋常では済まないということだ。

 もし仮にM7バブルが崩壊して株価が半減すれば、その結果生まれる富の消失は、主要国のGDPに相当するものとなる。不良債権の規模も相応に巨大になり、国家と雖も処理できない事態に陥るだろう。さらに巨額のバブル崩壊は衝撃波として国中に伝搬するから、その結果消費が落ち込みGDPも大幅に減少して、バブル経済は一気にデフレ経済へ転落するだろう。消滅する富は元々がバブル(泡)の富だった訳だから、実力ベースに戻るだけなのだが、バブル崩壊の嵐は不良債権が全て清算されるまで終わらない。その結果、デフレ経済が延々と続くことになる。

 さらにM7バブルが崩壊すれば、ドルの信用が大きく揺さぶられる展開になるだろう。ひとたびドルの信用が低下すれば、アメリカ政府は国債の買い手を確保することが困難になる。その結果バブル崩壊は債券市場に波及して、政府・中央銀行を巻き込む巨大なバブル崩壊となる公算が大きい。しかも次の理由からバブル崩壊の衝撃波をくい止める対策が存在しない危機となる。

①アメリカで消費が大幅に減少すれば、輸出に大きく依存している中国経済を直撃することが確実である。そして1位と2位の経済大国米中でバブル崩壊が起きれば、世界に不況が伝搬する。さらに基軸通貨ドルに対する信用が崩落すれば、グローバルな金融市場に途方もない混乱を引き起こすことになる。

②しかも従来と異なり、今回のバブル崩壊をくい止める外部が存在しない。米中に代わる経済成長を続けるフロンティアも存在しなければ、債券市場に代わる市場も存在しない。このため世界中に溢れていた巨額のマネーが行き場を失ってしまうだろう。

③中央銀行と政府は、自分自身が金融市場のアクターであることに加えて、金融緩和などの救済手段を既に使い果たしてきたために、次のバブル崩壊に対しては「弾切れ」状態で有効な対策を講じることができずに立ちすくむことになる。元々金融緩和として中央銀行が金融市場に放出してきたマネーが起こすバブルであり、ブーメランとなって中央銀行を直撃する恐れがあるのだ。

 経済学者で投資家の小幡績氏は、『バブルは崩壊し資本主義が終わりこの世が終わる』というセンセーショナルな標題の記事の中で次のように述べている。(資料3参照)

<「全てテック・ジャイアント優先、巨大ビジネス優先で何が悪い、むしろそれが経済にとって一番良い」という、この経営者たちの傲慢さが世界を破綻に追い込むのであり、その破綻の爆発力を高めるマグマが今や急激にたまっている。>

<中国も1978年から始まった壮大なバブルが、この数年で急激に崩壊のリスクが高まっており、否崩壊は既に現在進行中で、アメリカが崩れて、西側への輸出が減ってしまえば、中国経済はバブル崩壊が決定的になり、社会的な大改革がもう一度起こらざるを得ない状況になる。アメリカと中国のバブルが同時に崩壊し、さらに両方の社会構造までもが同時に窮地に陥る。>

<これは資本主義の終焉プロセスに留まらず、社会の危機になることを意味する。バブル、資本主義、社会の3つが同時に崩壊する事態となる。>

八方塞がりの中国

 中国の経済状況も危険水域にある。ベトナム・ビングループの主席経済顧問を務める川島博之氏は、『習近平は西太后になってしまうのか』と題した記事の中で次のように述べている。(資料4参照)

<中国共産党の引退した長老と現役幹部が話し合う北戴河会議が今年8月上旬に開催された。今年の会議では、習近平の力が衰えており、長老達が習近平に引退を迫るという噂が流れていた。>

<中国にどれほどの不良債権があるのか。一説には日本円で5,000兆円と言われ、最低でも中国のGDPの2倍以上ある。不良債権の真実を打ち明けられた北戴河会議メンバーは、誰もがその処理が不可能であることを悟った筈だ。北戴河に集まった人々は共産党政権がなくなれば全てを失う。かくして今年の北戴河会議の結論は、全て現状維持となったと予想される。>

<何も決めることができない。現在中国は日本が過去30年間揶揄され続けたような状況に陥っている。そして状況は日本よりも悪くなる可能性が高い。日本は曲がりなりにも痛みに耐えて不良債権処理を行ったが、中国は不動産バブル崩壊で生まれた不良債権を処理することができない。金額が巨大であるだけでなく、長老や共産党幹部の利権が複雑に絡み合っているからだ。>

 今年になって中国では銀行の貸し渋りが顕著になり、起業家の自殺が増えているという。以下は、経済産業研究所上席研究員の藤和彦氏のレポートである。(資料5参照)

<バブル崩壊の日本が経験した銀行の貸し渋りが中国で本格化している。7月の家計向き融資は前月比で4893億元(約9.8兆円)減少し、企業向け融資は前月の1/30に急減した。日本の経験によれば、貸し渋りは金融危機の予兆であり、中国経済はさらに悪化することは間違いない。既に企業向けの貸し渋りが本格化しており、今年4月以降に起業家の自殺が4件起きている。>

 中国では共産党政権の暴政に抗議する従来の群衆事件に加えて、知識層がハイテクを駆使して「打倒共産党」に抗議する活動が増加しているという。以下は、ジャーナリストの福島香織氏のレポートである。(資料6参照)

<8月29日の夜、重慶大学がある商業地域のビルの壁に、巨大プロジェクターによる抗議文が映し出された。(そこにはこう書かれていた。)立ち上がれ、奴隷に甘んじたくない人々よ・・・共産党がなくなってこそ、新しい中国がある・・・自由は与えられるものではなく、奪い返すものだ・・・暴政の共産党を転覆させよ>

<伝聞によれば、プロジェクターは通りの向かいにあるホテルの一室に設置されていて、設置後家族ともどもイギリスに脱出していた人物がイギリスから遠隔操作したものだった。>

 このようなハイテクを駆使した手の込んだ抗議だけでなく、命を懸けても共産党批判を断行する人物が増えているという。従来型の群衆事件も7/17~19だけで主要都市を中心に少なくとも21件起きている。

<個人が、強固な覚悟とハイテク技術を使って洗練された抵抗は、鎮圧などの恐怖政治では押し込めることはできない。・・・ハイテク軍事パレードの盛大さの足元で、そのハイテクを使った反共表現による人民の抵抗がじわじわ広がっていることを見逃してはいけない。>

 国際政治学者の藤井厳喜氏は、メルマガで習近平の権力基盤が弱体化している情勢を伝えている。(資料7参照)

<6月30日に中国共産党の政治局会議が開かれ、「意思決定協調調整機構」という党内最高レベルの組織が設立されることが決定した。習近平氏はこれまで既存の行政組織や党の役割分担を超えて全て自分で決める独裁体制を作り上げてきた。この(独裁)体制を否定し、本来の形に戻すことが「意思決定協調調整機構」の役割と考えられる。>

<三期目の習近平氏の任期は共産党内で2027年まである。この間に引きずり降ろすと、政変があったことが外国に明らかになり中国の弱体化を示すことになるため、軍部などの反習近平勢力は習近平氏を象徴的な存在として支えつつ、集団指導体制へ向かう動きではないか。>

 中国は高い経済成長を維持するために、超高層ビルが林立するゴーストタウンを各地に作ったり、利用者が殆どいない新幹線や空港等を地方に整備したりと、巨額の投資を繰り返してきたのだったが、その投資が不良債権化して中国経済の息の根を止めようとしている。共産党政権であるが故に強引な政策を断行してきた結果だが、本質がバブル資本主義であることは変わらず、過去の累積として膨れ上がった不良債権を強引に帳消しにすることもできないのだ。

敗色が強まるロシア

 函館大学教授の安木新一郎氏がロシア経済の現況についてレポートしている。(資料8参照)

<歴史上、国が弱体化するにつれて通貨の素材が劣化することは珍しくない。ロシアでは2008年8月のリーマン・ショック以降、硬貨を銅製・真鍮製から鋼鉄製に切り替えてきた。リーマン・ショックに伴う経済危機によってルーブルの価値が下落する中、予算のないロシア銀行は鋼鉄製の安い硬貨を作って凌ごうとしたのだ。>

<2021年末のロシアの消費者物価指数(CPI)は前年同期比8.4%増、2022年は11.9%増と物価上昇が続いており、ルーブルの価値が低下しているため、ロシアは鉄よりも安価な小額紙幣を作らざるを得なくなった。しかしながら小額紙幣の発行は計画通り進んでいない。単純に予算が削られたからだが、日常生活に欠かせない小額硬貨や紙幣の供給が、戦費の膨張に圧迫されて滞る事態となっている。>

 この現実が物語っていることは、戦争が3年半にも及び戦費が増大して、民生経済が相当に圧迫されている事実だ。安木教授は「日本の領土の45倍の面積に散らばって住んでいる地方の1.2億人にとって、現金不足は年金の受け取りや日常の買い物にも支障をきたすことになりかねない。モスクワよりも遥かに貧しい辺境から、多くの男性が兵士として徴発されていて、残された人々への現金の供給が滞っている。この圧政にロシアの辺境はどこまで耐えることができるだろうか。」と結んでいる。

 ポーランドのラドスワフ・シコルスキー外相は、6月26日のインタビューで、「軍拡競争がソ連崩壊の一因になったように、新たな軍拡競争はプーチン体制の崩壊につながる可能性がある。プーチン氏はブレジネフと同じ道を歩んでいる。」と発言している。(資料9参照)

 Daily Digestが『破綻するロシア経済』と題してウクライナ戦争と経済の状況について解説している。以下に要点を要約する。(資料10参照)

①ウクライナ戦争でのロシア軍の死傷者は約100万人に達している

②戦争を継続するためには徴兵に踏み切らざるを得ないのだが、プーチン大統領は徴兵に対し非常に消極的である。新兵を確保するためにロシア政府は新兵に支給される一時金を倍増して、既にロシアにおける平均月収の5倍になっている。徴兵に踏み切らなければ兵士の報酬を徐々に引き上げなければならないのだが、現今のロシア経済ではそれも不可能だ。

③政府の放漫な金融政策が軍事費の増大を招いている。軍隊における人件費が維持不可能なほどに増大しており、インフレが加速し消費者の購買力が低下して、ルーブルの価値が低下している。

④ロシアの予算が軍事部門に重点的に分配される結果、民間経済は一層疲弊してゆく。

⑤軍事部門でさえ鈍化の兆しが見えている。その原因に労働力不足がある。戦争によって経済の崩壊を免れている一方で、慢性的な弱点が浮き彫りになっている。

 ウクライナに軍事侵攻して以降、インフレ対策としてロシアの政策金利は徐々に引き上げられて20%に到達していたが、今年7月に18%に引き下げられ、9月には17%引き下げられた。それでも民主主義国では考えられない高金利であり、市民生活を直撃していることは明らかだ。

 最近になってウクライナ戦争は3年半が過ぎて、勝者はウクライナで敗者はロシアという見方が優勢になってきた。トランプ大統領が9月23日に「プーチン大統領とロシアは深刻な経済的困難に直面していて、ウクライナはロシアの侵攻以降に奪われた領土を全て取り戻せる。」と書いたことは既に紹介した。

 『サピエンス全史』の著者であるイスラエルの歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏もまた9月27日のフィナンシャル・タイムズ紙に「ウクライナ戦争で勝利しているのはウクライナだ。」という記事を投稿している。

 ロシアの経済規模はテキサス州程しかない。そのロシアがNATOからの支援を受けたウクライナと3年半に及ぶ戦争を遂行している事実は尋常ではない。戦争が長期化すればするほどロシア経済は衰退してゆき、どこかで破綻する危険性が高まる。

技術革新が起こす危機

 人類は新しいテクノロジーを次々に発明しイノベーションを起こしながら社会を発展させてきた。全てのテクノロジーは例外なく軍民両用(dual use)であって、使い方次第で画期的なイノベーションを起こし経済を発展させる一方で、次の軍事革命を起こすことにもなる。これは太古における火の活用や20世紀における核エネルギーの活用が象徴するように、テクノロジーが持つ宿命に他ならない。言い換えれば、人類は新しいテクノロジーを発明するたびに、それを管理する能力を磨いてきたからこそ現代の繁栄があるということだ。

 映画は新たな科学技術が切り開く未来を先取りしたものが少なくない。代表的な作品を三つ挙げる。「ターミネーター」はロボットの未来の先取りであったし、「ダイハード4」はサイバーのリスク、「インフェルノ」はバイオ・テクノロジーがもたらすリスク、つまりそれらが戦争の手段として利用されるリスクを予告したものとして描かれていた。

 そして現代、AIやバイオ・テクノロジーなどの分野で、革命的なイノベーションが生まれつつある。夢のエネルギーと呼ばれる核融合(Nuclear Fusion)発電も実用化に向けて各国による開発が凌ぎを削っている。ここで忘れてはならない教訓は、全てのテクノロジーが軍民両用であることだ。新しいテクノロジーを実用化するのと同時に、それを安全に使いこなす枠組みを構築しなければ人類は危機に直面することになる。

 雑誌『正論』の編集長を務めた桑原聡氏が、産経新聞9月12日に寄稿した「モンテーニュとの対話」で、AIがもたらすリスクについて書いている。

<チャットGPTとの対話が息子の自殺につながったとして、両親がオープンAIとアルトマンCEOを提訴したという。米国メディアによれば、少年との対話の中でチャットGPTは自殺の手法について助言を与え、遺書の下書きまで作成していたという。ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』を超える世界が現実に迫りつつある。>

 銃や麻薬の入手方法、爆発物の作り方等々、AIは実生活で便利なサービスを提供することに留まらず、犯罪やテロなどのダークサイドにおいても<便利なサービス>を提供している現実を軽視してはならない。

危機の正体と打開

 既に書いてきたように、戦後80年の現在、戦後に作られた諸システムが制度疲労を起こし崩壊に向かっている。まず戦後に欧米が中心となって作り上げた国際秩序が崩壊しつつある。崩壊を決定づけたのは言うまでもなくプーチン大統領である。民主主義も制度疲労を起こしており、選挙のときにクローズアップされるように、米欧はもとより日本でも機能不全に陥っている感が否めない。500年の歴史を持つ資本主義も20世紀後半からバブル資本主義と呼ばれる形に変質して、今や過去に例のないバブルが崩壊する淵に立っている。

 この現実をどのように理解すればいいのか。どうすれば混沌状況から脱出できるのだろうか。ヒントは熱力学の第二法則として知られる『エントロピー増大の法則』(以下、エントロピー則)にある。

 まず国家や国際社会のシステムが混沌に向かっている現状は、『エントロピー則』によって分かり易く説明できる。エントロピー則とは、分かり易く言えば「自然の成り行きに任せれば、社会は混沌を深める方向に進む」というものだ。戦後80年の現在、恰もシンクロナイズして進行している戦後システムの機能不全は、何れもがエントロピー則に従って必然的に起きていると解釈できる。

 但しエントロピー則は、「(成り行きに委ねることなく)そこにエネルギーを加えて、英知を働かせてマネージメントの努力を続ければ、混沌化の動向を秩序回復の方向に転換することができる。」と読むこともできる。つまり人類の歴史で局所的な混乱は随所で起きたのだが人類はそれを克服し、大きな潮流として眺めれば、人類は常に新しいイノベーションを取り込んで進化を遂げてきたということだ。

 そもそも生物進化の歴史は反『エントロピー則』であり、生命の存在そのものが反『エントロピー則』の賜物である。生命という奇跡の誕生も生物の進化も、混沌化ではなく秩序化の結果なのだ。そして生命の進化の最後(今のところ)に登場したのが我々ホモサピエンスである。数多の生物の中で、唯一知性を獲得するまでに進化したサピエンスであるから、我々がその気になれば、混沌に向かうベクトルを秩序化に向かうように軌道修正することは充分可能である筈だ。

 国際秩序の危機に対しては、世の中に不心得者が登場して秩序を乱そうとするならば、誰かがその前に立ち塞がって毅然として阻止する行動を取らなければならないのだ。近年それが巧く行かなくなった原因は、アメリカというそれまで国際秩序を維持してきた機能が弱体化したことにある。しかしもっと根源的な原因は、アメリカ一国にその大役を押し付けて、欧州や日本が国際秩序を維持する「3K(汚い、危険、きつい)」の行動をサボってきたことにある。

 日本は戦後『平和国家』の看板を掲げてきたが、3Kの役割をアメリカに委ねる代わりに、アメリカに従属することを選択してきた。本来なら、平和や秩序を守るためならば3Kも、必要であれば戦争でさえも辞さないという決意を持つことが真の『平和国家』である筈だ。

 民主主義の根本は「国民主権」にある。現在散見される、日本が直面する民主主義の危機の原因は、国民が国民主権の責任を背負っているにも関わらず、戦後80年間、政治を政治家に丸投げしてきたことにあるのではないだろうか。必要な資質と能力を備えた政治家ばかりであれば、危機には至らないのだが、国会議員は衆議院が465人、参議院が248人の合計713人であり、これだけの人数がいれば十分に社会の縮図となり、玉石混合となることは避けられない。現実に地検特捜部に起訴される国会議員もいれば、スキャンダルを起こして国民に対しみっともない謝罪をしている政治家もいる。国民が国民主権を取り戻し、政治家に対し毅然とモノを言い、選挙でその意思を行使することで民主主義の本来の姿を取り戻す必要がある。

 資本主義の危機の原因は、マネーの暴走を統制してこなかったことに尽きるだろう。本来なら資本主義がバブル資本主義に変質を始めた時点で、バブル資本主義を記述する経済学理論を作る必要があったのだ。どこまでの財政赤字なら許容できるのか、赤字の増大をどうやって統制するのかについて理論が必要である。現代の、現実の経済をマネージメントする経済学理論は何故登場しないのだろうか?バブル資本主義の時代になって、経済運営の確固たる理論がないままに、経済の素人である政治家が試行錯誤でやってきた結果が、現代における経済と金融に関わる混乱を作ったといえる。これはアカデミアの怠慢という他ない。

 21世紀以降のテクノロジーは、20世紀に比べて一段とパワフルになり一段と加速度をもって進化を遂げてきた。従ってテクノロジーがもたらす危機については、それを暴走させない仕組みが必須となる。即ちテクノロジーの開発に携わる技術者とは別に、そのテクノロジーが暴走するリスクについて研究し統制する仕組みを考える科学者の存在が必要なのだ。これもアカデミアが果たすべき役割である。

 総じて言えば、四つの危機に共通していることは、開発する勢力と制御する勢力のせめぎ合いこそがむしろ健全であり、制御する機能が欠落すれば、社会システムもテクノロジーも暴走する危険が高まるということだ。これは現代人の宿命なのであり、一言で表現すれば、アクセルだけのシステムではなく、アクセルとブレーキの双方を備えたシステムを作らなければならないということである。

 エントロピー増大の法則を発見したのはサピエンスの知性だった。この法則は物理学の世界に留まらず、サピエンスが発明し生み出したさまざまな社会システムにも当てはまる。一つは放置すれば暴走するという意味であり、他一つはエネルギーを注いで英知を結集することによって暴走を抑止できるという意味においてである。

参照資料:

1.『米国経済は3年以内に過剰な政府債務を起因とする“心臓発作”を起こす』、木村正人、JBpress、2025.9.9

2.『米国株崩壊前夜』、増田悦佐、ビジネス社

3.『バブルは崩壊し資本主義が終わりこの世が終わる』、小幡績、東洋経済オンライン、2025.2.8

4.『習近平は西太后になってしまうのか』、川島博之、JBpress、2025.8.6

5.『中国で経営者が相次いで自ら命を絶つ異常事態が発生』、藤科和彦、現代ビジネス、2025.8.21

6.『奴隷にされたくない、中国で打倒・習近平の蜂起呼びかけ』、福島香織、JBpress、2025.9.12

7.『習近平の権力基盤、危ぶまれる健康問題と今後の共産党の指導体制』、藤井厳喜メルマガ、2025.9.10

8.『銅や鉄で硬貨作れず、小額紙幣の印刷も予算不足で滞るロシア』、安木新一郎、JBpress、2025.8.6

9.『ソ連崩壊の二の舞、軍拡競争でプーチン体制崩壊の可能性』、AFPBB News、2025.6.27

10.『破綻するロシア経済』、Daily Digest、2025.9.19

11.『次に起こるのはAI心中』、桑原聡、産経、2025.9.12

制度疲労から崩壊へ向かう戦後システム(前編)

 本ウェブサイトで、過去に以下の記事を書いた。国際情勢は激しく変化しているので、現時点で分析をアップデートしておきたい。

・「歴史的大転換点にある世界」:その1~その3(2023.10.4~11.18)

・「終焉を迎えるバブル経済と資本主義」:その1~その3(2024.1.18~1.31)

 近年、世界を劇的に変えた出来事は三つある。2019年末に発生したコロナ・パンデミック、2022年2月のロシアによるウクライナ軍事侵攻、そして2025年1月に発足したトランプ第二期政権である。上記二つの連載記事はロシアのウクライナ軍事侵攻が起きた後、トランプ大統領が就任する前の時間軸で書いたものである。三つの出来事の内、パンデミックとウクライナ侵攻は「戦後の平和は終わった」と警鐘を鳴らした大事件だったのだが、国際情勢の変化はトランプ第二期政権が発足した以降激しくなり、かつ加速している。

「歴史的大転換点にある世界」では、現在進行中の8つの危機について取り上げた。8つの危機を大きく括ると、以下の四つに集約できる。1と2については本項で論じ、3と4については後編で取り上げる。

  1.戦後国際秩序の崩壊

  2.民主主義システムの制度疲労

  3.臨界点に向かうバブル資本主義

  4.技術革新がもたらす危機

 国際情勢が激変している。ロシアがウクライナに軍事侵攻してから3年半が過ぎた。そして2023年10月にハマスがイスラエルに対し武力侵攻したことを契機に、イスラエルとパレスチナ・ゲリラ間の戦闘が激化し、紛争はイスラエルとイランの相互攻撃にまでエスカレートした。ガザ地区の惨状が連日報道されているが、何れの戦争・紛争も未だに誰にも止められない。国家が意思を持って武力行使する時、さらにその当事国や支援国が核保有国で安保理常任理事国である場合、国際社会は戦争を停止させることができないことが明らかとなった。

 2025年1月にトランプ第二期政権が発足した。トランプ大統領は就任後直ちに不法移民を強制送還する措置を実行し、4月には続いて高関税措置の発動を発表した。これが現在、世界経済と国際秩序を大きく揺るがしている。 

高関税政策の背景にある国内事情

 トランプ大統領が4月に自らを<TARIFF MAN>だと称して輸入品に高い関税をかけると宣言し、各国に対し「それを回避したければ代案を出せ」と脅しをかけた。国際ジャーナリストの木村正人氏は、Foreign Affairs誌9/10月号の記事を紹介して、トランプ政権誕生前後のアメリカの変貌を次のように端的に表現している。(資料1参照)

 <第二次大戦後、米国は「世界の保険屋」として海と空の安全、財産の保護、国際貿易ルール、ドルの安定という安全保障と経済の基盤を提供してきた。しかし第二次トランプ政権になって脅しと取引で利益を得る「ゆすり屋」に変貌した。>

 トランプ大統領は一体なぜ世界を相手に高関税政策を発動したのだろうか?多くの識者が既に指摘しているように、容易に考えられる狙いは次の三点である。

  1.アメリカ政府の税収を増やして財政赤字を減少させる

  2.衰退した国内の基盤産業を復活させて労働者の雇用を促進する

  3.相手国にディールを迫ることで、アメリカ国内への投資を促進する

 この背景には、増加一途のアメリカ連邦政府の財政赤字と、中間層の貧困化と大都市の治安悪化という二つのアメリカ国内事情がある。

 今回の関税政策により年間で約3,400億ドルの関税収入が見込まれるというが、年間2兆ドルを超える財政赤字を埋め合わせするには全く不十分である。さらに、国外から年1兆ドル以上の投融資を確保しなければ、金利が高騰して国債の利払いだけで財政赤字が増大するという。この事実はアメリカの財政が自転車操業に陥っていることを物語っている。

 高金利政策を巡る西側諸国との交渉の結果、日本から5,500億ドル、EUから6,000億ドル、サウジから6,000億ドル、韓国から3,500億ドルの投資が確定した。合計で2.1兆ドルに上る。正しく「ゆすり屋」という表現は的確である。

 破綻の淵に立っているアメリカ連邦政府の債務の実態について、経済アナリストの増田悦佐氏は、2023年第4四半期のデータを引用して、「アメリカ連邦政府は幾ら借りても返済すべき元利が膨らむ借金地獄に堕ちている。」と指摘している。(資料2参照)

 表から明らかなように、連邦政府の財政赤字の増加額はGDP増加額の約1.5倍、累積債務の増加額は約2.5倍に上る。覇権国アメリカにのみ許される見事な借金地獄である。ちなみに2025年度のGDPは名目値で約30兆ドル(IMF2025.4データ)であるのに対して、連邦政府の累積債務総額は約36兆ドル、年間の財政赤字は約2兆ドルに上る。

 どうしてこうなったのか。歴史を俯瞰すれば、資本主義がバブル資本主義へと変化していった過程で、政府の経済運営や財政運営がバブル経済に立脚するようになった結果に他ならない。これはアメリカに限らない。詳細は後編で論じる。

「諸刃の刃」:四つの副作用

 そもそも関税は中小企業や低所得者世帯を痛めつける「歪んだ税金」である。高関税政策は諸刃の刃であり、四つの大きな副作用がある。

  1.関税インフラを招く

  2.グローバルな自由貿易体制に強烈なダメージをもたらす

  3.脱グローバル化を促進する

  4.ドル離れを加速させ、ドルの下落を促進する

 第一に、関税が引き上げられれば、初めは輸出企業側のコスト低減努力がショック・アブゾーバとして作用するとしても、それはいつまでも持続せず、やがて関税はアメリカ市場での製品価格に転嫁されるので、アメリカで関税インフラが起きる。

 アメリカ政府の関税収入がひととき増えたとしても、インフレは最終的にアメリカ経済を悪化させる。さらに関税によって自国産業をひととき保護するとしても、既に衰退して久しいアメリカの基盤産業を復興させることは相当困難である。従って関税を上げることによって製造業が回復し中産階級の雇用を生み出すというのは幻想に終わるだろう。

 第二に、高関税措置はアメリカ自身が推進してきたグローバルな自由貿易体制に強烈なダメージを与える。しかもその体制下で最も大きな恩恵を受けてきたのが、経済を急成長させた中国と、基軸通貨ドルの特権を利用して、大半がドル決済で為替変動の影響を受けることなく借金経営を続けてきたアメリカである。

 第三に、高関税政策は「脱グローバル化」を促進する。かつて「有事のドル」と言われた時代には、危機が顕在化すればドルと米国債に資金が流れた。現在では逆に米国債が売られドルが下落する展開となっている。

 トランプ政権による有無を言わせぬ高関税政策は、世界に経済戦争を仕掛けたことに等しい。アメリカを全面的に信頼してきた諸国ですら、アメリカはそこまで追い詰められているのかとドルの未来に対する信用を失墜させるだろう。

 第四に、長期的に見て今回の措置は貿易におけるドル離れを加速し、ドルの下落を促進する。今までアメリカは基軸通貨ドル体制がもたらす「途方もない特権」を享受してきた。そのドル基軸通貨体制は、ロシアに対する金融制裁(SWIFTからの追放)とサウジアラビアによるペトロ・ダラー・システム(PDS)の密約破棄、ドルに代わる貿易決済通貨をめざすBRICSやSCO(上海協力機構)の動きによって、弱体化が進行している。

 今年5月に、サウジアラビアの首都リヤドで『サウジアラビア・米国投資フォーラム』が開催され、ベッセント財務長官とサウジのジャドアーン財務相による「財政と金融の協調」と題した閣僚対話が開催された。この場でサウジアラビアが今後石油の代金はドルでしか受け取らないことを確約したという情報がある。これが真実であれば画期的だ。一旦破棄したPDS体制を元に戻すということであり、基軸通貨ドルの地位が弱体化する勢いを抑制するだろう。但し、そのような揺り戻しがあったとしても、ロシアや中国が推進しているドル離れの趨勢を止めることはできない。(資料3参照)

トランプ大統領の狙い

 トランプ政権は財政赤字と共に、中間層の貧困化と大都市の治安悪化という問題に直面している。そもそも不法移民と治安悪化はオバマ政権とバイデン政権下で放置され深刻化したものだ。トランプ大統領が就任後最初に講じた措置は不法移民の強制送還だった。また最近トランプ政権は治安が悪化した大都市に大統領権限で州兵を派遣している。トランプ大統領は民主党政権化で深刻化した事態を力で回復させようとしている訳だが、強引すぎる措置に対して民主党支持・左派対共和党支持・右派の間で分断が激化している。

 トランプ大統領は7月に「大きく美しい法案(One Big Beautiful Bill)」に署名し発効させた。トランプ大統領自身の命名によるこの法案は、「常識的な議題を実現するもので、中流階級に対する史上最大規模の減税、恒久的な国境警備、肉太の軍事費、そして財政の健全性を回復する」ことを目的としている。(資料4参照)

<“President Trump’s One Big, Beautiful Bill delivers on the commonsense agenda … the largest middle‑class tax cut in history, permanent border security, massive military funding, and restoring fiscal sanity.”>

 しかし、狙いの一つに「財政の健全性を回復する」という一項があるが、この法案は4兆ドルの減税を行うために3兆ドルの財源を新たに必要とし、それを赤字国債で賄うというものであり、むしろ膨大な財政赤字を更に悪化させるリスクの方が高いように思われる。

 さらにトランプ大統領はドルの仮想通貨化を促進するGENIUS法を7月に成立させた。ドルと1対1で交換できる<Stable Coin>を世界に普及させて、送金コストや手続きコストを引き下げることで米国債に対する需要を高め、基軸通貨ドルの座を安定させることを目指すものだ。背景にあるのは、ドル基軸通貨体制の存続を疑問視する人が増えて米国債の購入が鈍化している現状だ。

 以上述べたように、トランプ政権は就任から僅か8カ月の間に、驚異的なスピードで大胆な政策を次々に打ち出してきた。なかでも「大きく美しい法」はMAGAを実現する中核的な対策であり、高い関税はそのための補強手段として、GENIUS法は弱体化しつつある基軸通貨ドル体制の補強手段として、それぞれ位置付けられているようだ。

 しかし歴史家ニーアル・ファーガソン氏は、トランプ大統領の政策はニクソンショックと重なるところがあると指摘する。米国は国も市民も収入以上に支出することで経済を成長させてきた稀な国である。それでもこれ以上は無理だという局面でニクソン大統領はドルの金兌換を放棄し、ドルに対する円高とマルク高を強引に実現する措置をとった。(資料5参照)

 そして現在、株価総額が3兆ドルを超えるところまで急騰したM7とは対照的に、自動車や造船に代表される米国製造業の衰退は著しく、財政赤字の増大は臨界点に向かっている。つまりニクソンショックと同じ必要性から打ち出されたのが高関税政策だったと解釈することができる。しかしながら「関税は税収を増加させ、国内産業の再興を促し、米国への投資を促すことで既に衰退した基盤産業を復興させる」というトランプ大統領の目論見は楽観的過ぎて実現が相当困難に見える。

 物理学に「作用反作用の法則」というものがある。今回の事例に当てはめれば、国がある行動を取れば、それが大胆なものであるほど、後日それに見合った反動が国内外から起きるということだ。トランプ大統領による高関税措置は、中国やインドとの交渉の目途は立っていないが、日欧など同盟国との間では合意に至ったことから、山場を越えたと言われる。しかしこれから強引すぎる関税措置に対する反動がアメリカ国内外で起きることが予想される。FRBのパウエル議長が懸念を表明しているように、インフレの進行や失業増加がその一つである。

 基盤産業の復活は短期間では望めないため、失望が先行し拡大することが確実だ。ドル覇権の弱体化は既に進行中であり、今後一層顕著となり、基軸通貨ドル時代の終焉へ向かうだろう。ドルに対する信用が低下すれば、財政赤字を埋めるための資金調達が一層困難になる。かくして負のスパイラルが動き出すことになる。

リアクション

 5月28日にアメリカ国際貿易裁判所が、国際緊急経済権限法(IEEPA)を根拠とするトランプ関税は違法とする判決を下した。8月29日には連邦控訴裁がその判決を追認する判決を下した。強引な政策に司法が待ったをかけたのである。岡崎研究所が9月17日にウォール・ストリート・ジャーナルの記事をもとに解説しているので紹介すると、違憲判決の理由は明快で、「国民に関税を課す権限は唯一議会に属するというのが憲法の仕組みであり、大統領が関税を課すには議会による委任を要する。グローバルに手当たり次第関税を科す無制限な権限を大統領に与える規定はIEEPAには見当たらない。」ということだ。(資料6参照)

 この判決を不服としてトランプ政権は最高裁判所に上訴し、9月3日に迅速に審理するよう要請し、大統領に反対する判決は「壊滅的影響」をもたらすと警告する書簡を連邦控訴裁に送った。もし最高裁が違憲判決を出せば、世界は安堵する一方で大混乱となり、トランプ大統領が描くシナリオが根底から崩れる事態を招くことになる。

 経済学者の河野龍太郎氏はJBpressの記事の中で次のように指摘している。(資料7参照)

 <(アメリカの現状は)ローマ帝国の滅亡と同じである。ローマの教訓は、帝国の内側で制度の正統性が失われて信任を失い、エスタブリッシュメントでさえ支えようとしなくなったことにある。片や現在のアメリカでは、通貨覇権から得られる利得をグローバル・エリート層が独占する一方で、グローバリゼーションによって世界市場での競争に敗れた製造業が衰退してゆき、労働者や地域社会にお金が回らなくなった。>

 現在のアメリカ経済は富の配分問題を抱えている。一部の超富裕層が富を独占している現状に対し、トランプ政権は富の配分を是正する措置を講じないであろう。何故ならM7に象徴される株価上昇はアメリカ経済が堅調であることの証として利用されるからだ。しかし行き過ぎたバブル経済は必ず、しかも間もなく破綻を迎える。そしてひとたびM7バブルが崩壊すれば、トランプ政権の試みはたちまち窮地に陥るだろう。M7バブルとアメリカ連邦政府の財政は連動しているからだ。詳しくは後編で論じる。

崩壊プロセスに入った戦後国際秩序

 ロシアがウクライナに軍事侵攻してから既に3年半が経過したが、ウクライナ戦争は三つの点で戦争の概念を転換するものとなった。

  1.ロシアが意思をもって始めた戦争は誰にも止められない

  2.軍事大国ロシアに対しウクライナが健闘している

  3.米欧はロシアに対し軍事行動ではなく「経済・金融の武器化」で対応した

 第1に、戦後の国際秩序では、拒否権を持つ安保理常任理事国であると同時に、核兵器保有国であるロシアに対し、国連も安保理もなす術がないことが露呈した。抑止できるとすれば、それはアメリカが本気で対峙する姿勢を見せた時なのだが、トランプ大統領にその意思はないようだ。

 第2は、NATOを主体とする西側諸国からの支援を得て、軍事大国ロシアに対し健闘しているウクライナの存在である。まさか3年半に及ぶとはロシアにとっても想定外であったに違いない。ウクライナの健闘をもたらした背景には、ウクライナ戦争がそれまでの戦争形態とは一線を画す、無人機を多用する戦争となったことがある。高価な戦略爆撃機やミサイル、艦船を持ち合わせていなくても、無人機・無人艇を縦横無尽に使いこなすことができれば、一方的な敗戦には至らないことをウクライナは実証してみせた。ロシア軍の旗艦モスクワの撃沈や戦略爆撃機の破壊は、それを象徴する事件となった。ウクライナ戦争は21世紀の軍事革命が実行された最初の戦争となったのである。

 9月23日にトランプ大統領は「ウクライナは、EUの支援を受ければ、ロシアの侵攻以降に奪われた領土を取り戻し元の国境を回復できる」と思うと<Truth Social>に投稿した。そしてウクライナの勝利に言及し、ロシアが敗北に向かっているとの見解を示した。さらに「ロシアは真の軍事力を使えば1週間以内で勝利できた戦争を目的もなく3年半も続けてきた。」と述べ、「ロシアは大きな経済のトラブルに直面している。ウクライナは今こそ行動すべき時だ。」と加えた。(資料8参照)

<I think Ukraine, with the support of the European Union, is in a position to fight and WIN all of Ukraine back in its original form. Russia has been “fighting aimlessly for three and a half years a War that should have taken a Real Military Power less than a week to win. Vladimir Putin and his country are in “BIG Economic trouble, and this is the time for Ukraine to act.”>

 この発言の背景には、プーチン大統領がトランプ大統領による調停を無視したことに対する警告の意味合いがあるとしても、アメリカ大統領がここまではっきりとロシアの敗北を明言したことは刮目に値する。ロシアの敗北は既に米欧の共通認識となっているようだ。

 第3に、米欧はロシアに対し軍事行動を取る代わりに、SWIFTからの排除を含む「経済・金融の武器化」で制裁を科した。しかし「作用反作用の法則」で述べたように、これらの対抗策はグローバル経済下でBRICSの拡大やドル覇権の弱体化というリアクションを招いた。

 ロシアによるウクライナ軍事侵攻は、アメリカ覇権体制が弱体化する過程で起きた。ウクライナに軍事侵攻しても、アメリカは軍事力を行使しないと読んだ末の侵攻だったことは間違いない。テロやゲリラの掃討作戦と異なり、隣国に対する戦争に踏み切ったロシアの行動は、戦後に形成された国際秩序を破壊するものとなった。歴史を俯瞰すれば、第二次世界大戦後に構築された国際秩序が一気に崩壊し始めたことを意味する。そのリアクションはこれから顕在化する。ロシアはウクライナ軍事侵攻を始めた代償を支払うことになるだろう。

ポスト戦後80年時代の国際秩序

 ここで重要な課題が浮上する。それは戦後の国際秩序体制に代わる、「ポスト戦後80年の時代の国際秩序の仕組み」を一体誰が作るのかということだ。ミュンヘン連邦軍大学教授で国際政治学者のカルロ・マサラ氏は、9月13日の産経紙面で次のように指摘している。

 <トランプ大統領は、大国の協議で決める世界を思い描いている。米中にロシアも加わるだろう。日本やドイツなど他の国は決定に従わねばならなくなる。しかし中国の思惑は米国とは違う。中国は米国を弱体化させ、自国の立場を世界に押し付けたいと考えている。米中二極化は、米国を超越するための一段階に過ぎない。>

 <ウクライナがロシアの侵攻をくい止めている間、日欧は将来に向けて準備する時間を稼げる。戦争が明日終われば、日欧は直ちに危機に直面することになる。日本は憲法9条を改正すべきである。日本の防衛政策を本質的に変えたのだと、中国に示すことになるからだ。対中抑止を真剣に考えているという明確なシグナルになる。>

 これは重要な指摘である。ポスト戦後80年の現在、我々は大戦後に作られた国際秩序体制をどのようにアップデートするのかという命題に直面している。この命題に日本はどう関与し、どのような役割を担ってゆくべきか。自民党総裁選は国内問題に終始している感があるが、歴史観と世界観を踏まえて未来への展望と抱負を語ることが次の総裁に求められる最重要の課題である筈だ。 

制度疲労が進む民主主義システム(アメリカ)

 9月8日の産経新聞正論で同志社大学の村田晃嗣教授が興味深い指摘をしている。初めに<民主主義は最悪の政治形態である。他に試みられた全ての政治形態を除いては。>というウィンストン・チャーチルの言葉を引用した上で、村田教授は「民主主義が今世界中でストレステストに晒されている。」と指摘する。(資料9参照)

 アメリカでは2016年及び2024年の大統領選を巡り、民主主義の根幹を揺るがす事件が相次いで起きた。代表的なものを列挙すれば、郵便投票を悪用した大規模な選挙不正事件、ロシア疑惑事件、トランプ氏を標的とした司法を武器化した訴訟事件、真の実行犯が誰なのかウヤムヤのままの連邦議会議事堂への暴徒乱入事件などだ。

 一連の事件の起点となったのがロシア疑惑である。2016年11月の大統領選挙においてトランプ氏がロシア政府と共謀して選挙介入を行ったとする事件である。当時の情報機関は一致して「ロシアの選挙介入はなかった」と結論づけたにも拘らず、当時のオバマ大統領が「ロシアとトランプは共謀していた」という情報の捏造を情報機関に指示していたことが公知となっている。

 2025年7月にギャバード国家情報長官は「これはトランプ氏に対する長年にわたるクーデターの基礎を築き、アメリカ国民の意思を覆し、我が民主主義共和国を損なう国家反逆的な陰謀である。」と糾弾した。これを踏まえてトランプ大統領は7月22日に、オバマ元大統領を国家反逆罪で正式に告発した。現大統領が元大統領を国家反逆罪で告発するとは、民主主義はここまで棄損したかという悪夢でしかない。

 9月9日に米国ユタ州のユタ・バレー大学で、トランプを支持する保守の若手活動家、チャーリー・カーク氏(31歳)が銃撃され死亡するという事件が起きた。容疑者タイラー・ロビンソン(22歳)は33時間後に警察に自首し逮捕された。CNNニュースは、「ドナルド・トランプ大統領は保守活動家チャーリー・カークの暗殺以来、<過激な左派>に対する攻勢を強めており、友人であるカークの死と、さらに広範な政治的暴力は彼らの仕業だとしている。」と報じた。(資料10参照)。

<In the days since the assassination of conservative activist Charlie Kirk, President Donald Trump has ramped up his attacks on “the radical left,” whom he blames for his friend’s death and for broader political violence. >

 Z世代のジャーナリストであるシェリーめぐみ氏は、カーク氏死亡のニュースが流れた瞬間、多くのアメリカ人が背筋が寒くなる予感を覚えたと報じている。さらに事件以降、容疑者のロビンソンが左なのか右なのかを巡り大論争が起きたという。本人が交際相手に述べたという発言によれば、「カーク氏のヘイトに満ちた発言には耐えられなかった」といい、「元々左でも右でもなく何れの政党も支持しない今どきの若者だったが、ここ数年で左に傾斜していったゲイ擁護派だ。」という。

 さらにシェリーめぐみ氏は、「今回の事件はその衝撃の大きさにより、<過激なのは左派・リベラル>というナラティブを作り出す格好の機会と言っていい。」という。実際にトランプ大統領は9月17日に、反ファシズムを掲げる極左勢力のアンティファ(ANTIFA)を主要テロ組織に指定するとSNSに投稿している。大都市における治安回復のためにトランプ政権は大統領権限を行使して州兵に出動命令を出しているが、分断を抑制することは困難でむしろ激化させる可能性が高い。(資料11参照)

 この事件にはもう一つ重大な疑惑が存在する。報道によれば、カーク氏は180mの距離から発射された1発の銃弾が首を貫通する狙撃を受けて死亡したという。常識を働かせれば、少々の射撃訓練を受けたという22歳の「数年で左に傾斜していったゲイ擁護派」の学生に成し遂げられる仕業とは思えない。ケネディ大統領暗殺事件を持ち出すまでもなく、アメリカの歴史には屈折点となった時点で、キーパーソンの暗殺が刻まれている。今回の事件も「多くのアメリカ人が背筋が寒くなる予感を覚えた」という表現が示唆しているように、左派と右派の衝突と分断の歴史の転換点となる可能性がある。

 このような事件は、因果関係の連鎖として双方の応酬が過激化する結果、それ以前から存在したアメリカの分断を増幅し加速させる危険性がある。民主主義体制が崩壊しつつある深刻なアメリカ社会の現状を物語っている。トランプ大統領は就任以来アメリカ社会が直面する課題に対して果敢な、時には強引な対策を講じているが、残念ながら「アメリカ社会の分断」を解決することはできず、むしろ対策を講じるたびに事態は悪化してゆくことが懸念される。

議会制民主主義の制度疲労(日本)

 戦後の民主主義システムが制度疲労を起こしているのはアメリカに留まらない。昨年の衆議院選挙、今年の都議会選挙、そして7月の参議院選挙で自民党は三連敗した。石破首相が9月7日に辞任を表明したが、選挙で示された「ノーモア石破自民党」の民意と石破政権の間には明らかな認識の断層があり、議会制民主主義の在り方が問われる展開となった。

 「石破首相の責任」は辞任することで果たされるとしても、「解党的出直し論」が叫ばれる中で、「自民党の責任」はうやむやのまま次の総裁選が公示された。そもそも石破茂氏を総裁に選出したのは自民党であって国民ではない。しかもあろうことか、高市早苗氏181票(議員票72、党員票109)、石破茂氏154票(議員票46、党員票108)で決選投票に臨み、石破茂氏が215票(189、26)で高市早苗氏の194票(173、21)で逆転勝利した経緯がある。

 その逆転劇は岸田前首相が高市氏の勝利を阻止する行動を取った結果と言われている。それに従い石破茂氏に投票した自民党議員の責任は極めて重いと言わざるを得ない。それが自民党総裁選挙に留まるのであれば、党の問題であって国民の問題ではない。しかし自民党総裁=内閣総理大臣となる構図では、その行為は内閣総理大臣という本来なら国民の民意が反映される形で選任されるべきものが、永田町の力学で捻じ曲げたことになる。ここを放置したまま「解党的出直し」を幾ら叫んでも、国民には空虚な遠吠えにしか聞こえない。戦後、選挙で大敗を招くたびに「解党的出直し」が叫ばれてきたが、自民党の体質は何一つ変わっていない。

 今回も石破首相があちこちに「高市には入れるな」と電話をかけているとジャーナリストの櫻井よしこ氏が伝えている。「ノーモア石破自民党」の民意に対する自民党の責任が問われていることを軽視すべきではない。もし国民から見て前回と変わらない総裁選挙が実施されれば、解党的出直しではなく解党プロセスが加速する結果を招くだろう。

 自民党はそう認識していないだろうが、今回の参議院議員選挙は、「戦後80年続いてきた戦後政治の終焉」の始まりとして歴史に刻まれるように思われる。今まで石破首相が演じてきた役割は、戦後自民党政治に終止符を打つ道化師役だったのではないだろうか。

戦後政治終焉の始まり

 自民党の凋落と同期するように、参政党が大躍進した。これは一過性の事件としてではなく、時代の変化を象徴する事件として歴史に記録されるだろう。凋落する自民党と入れ替わるような参政党の躍進だったのだ。そう考える根拠は幾つかあるが、象徴的なところを二点挙げておきたい。一つは党の綱領に「天皇を中心に一つにまとまる平和な国を作る」と掲げていることであり、他一つは理念の根底に「反グローバリズム」を据えていることだ。他の野党と異なり、保守に軸足をおいてリアル・ポリティクスを目指す政党であることを宣言している点は注目に値する。(産経9/13参照)

 もう一つ注目すべきは、日本維新の会が9月17日に発表した政策提言である。政策提言は複数あるが、中でも注目すべきは、「21世紀の国防態勢と憲法改正」についてである。「力による現状変更を厭わない核保有国に囲まれているという危機感に立って、我が国の抑止力の増強と、日米同盟を深化させる観点から新たな防衛構想が必要であるとし、具体的には、憲法9条2項の削除及び国防条項の充実、日米安全保障条約改正による相互防衛義務の設定、海洋国家連合及び四海同盟(日米豪比同盟)の締結を掲げている。今まで野党から、ここまでリアル・ポリティクスとしての提言がなされたことはない。(産経9/18参照)

 これら野党の行動を俯瞰して捉えれば、自公連立の維持を優先して憲法改正すらも棚上げしてきた自民党に代わって、「戦後の自民党政治が終わる」という風向きを読んだ野党が、「やる気がないなら、俺達がやる」との気概を持って画期的なカードを切ってきたと評価できる。日本維新の会と参政党、それに国民民主党が加われば、いつまでも自公連立に拘り、それが手かせ足かせとなってリベラル政党へ転げ落ちていった自民党に対し、「戦後政治よ、おさらば!」という展開になる可能性がある。

大転換を迫られる欧州

 アメリカと日本に留まらない。欧州ではウクライナ戦争を契機としてEUの分断が進んでいる。EUでは急増した移民対策で西欧と東欧が対立し、ウクライナ戦争後のエネルギー危機への対応で、西欧と東欧・南欧の間で軋轢が生じている。加盟国が27ヵ国の大所帯となり、多様性が拡大した結果、加盟国の合意を得ることが難しくなっている。EU議会の合意の条件として、一般に「特定多数決方式」(27ヵ国中15ヵ国が合意し、かつ支持国の人口の合計がEU総人口の65%を超えることが条件)が採用されているが、税制や外交、条約改正など重要性の高い政策については全会一致が原則となっている。このため、ロシア対処等の重要案件の場合、合意に達することが困難になっている。

 エドワード・ルトワック氏は9月2日の産経紙面でこう指摘している。「欧州には何世紀にもわたって受け継がれてきた戦いの文化があった。ところが、第二次世界大戦終結後の80年間で平和主義が蔓延した。プーチンはウクライナの領土をとるまで戦いを止めないだろう。欧州は平和主義の重い代償を支払おうとしている。」(資料12参照)

サマリー

 現在我々が直面している危機は四つに大別できる。第一は戦後国際秩序の崩壊、第二は民主主義システムの制度疲労、第三は資本主義システムの崩壊、そして第四は技術革新がもたらす危機である。

 ロシアがウクライナに軍事侵攻して以来、安保理が機能不全となり国際秩序が崩壊を始めた。ロシアがウクライナに侵攻した背景にはアメリカの弱体化があった。そしてアメリカが弱体化した要因は何れも国内事情によるものであり、大別して三つある。財政赤字の深刻化、国内社会の混迷、そして民主主義の崩壊である。

 財政赤字は雪だるま式に増え、連邦政府の借金と利子払いが自転車操業状態となっている。国内社会の混迷は、中間層の貧困化、不法移民の急増と都市の治安悪化、民主党支持・左派と保守党支持・右派間の分断深刻化に象徴される。民主主義の崩壊は、2016年以降三回の大統領選挙の時に起きた事件、即ちロシア疑惑事件に始まり、国家反逆罪でオバマ元大統領告発に至る経緯を俯瞰してみれば一目瞭然である。

 トランプ大統領が打ち出したMAGAを実現する中核となる施策が『一つの大きく美しい法』であり、総額4兆ドルに上る減税を実行するために打ち出したのが高関税政策である。連邦政府の財政赤字の改善、衰退した基幹産業の復興と中間層の雇用促進、主要国によるアメリカへの投資拡大を実現する手段として実施された。

 しかしながら、恫喝するような強引な政策は相応のリアクションを招くので、トランプ大統領の目論見は達成されないことが予測される。高関税政策が大統領権限を超えていて無効であるという司法判断は最高裁に持ち込まれたが、もし違法判決が確定すれば、トランプ大統領が描いたシナリオは困難に直面する。また、トランプ政権は都市の治安を回復するために大統領権限を行使して州兵を派遣したが、その後にカーク氏暗殺事件が起きており、左派過激派に対するテロ集団指定などの強硬な対策を講じる程、アメリカ社会の分断は一層危険な状態に追い込まれてゆくだろう。

(後編に続く)

参照資料

1.『米国を「世界の保険屋」から「ゆすり屋」に変質させたトランプ』、木村正人、JBpress、2025.8.30

2.『米国株崩壊前夜』、増田悦佐、ビジネス社、2024.10

3.『「米国富ファンド」強いドルを支える150兆ドルの国家地下資源開放』、藤井厳喜メルマガ、2025.9.17

4.『トランプ大統領激押しの「One Big Beautiful Bill Act」・・・』、Gold Online、2024.7.3

5.『トランプ政権は関税で失墜する』、N.ファーガソン、日本経済新聞、2025.9.5

6.『「世界を相手に手当たり次第!」トランプ関税に違法判決が下された理由』、岡崎研究所、2025.9.11

7.『米国衰退のプロセスはローマ帝国滅亡と同じ』、河野龍太郎、JBpress、2025.8.13

8.『Trump says he now thinks Ukraine can win back all territory taken by Russia』、NBC News, 2025.9.24

9.『民主主義への「ストレステスト」』、村田晃嗣、産経、2025.9.8

10.『Trump ramps up rhetoric against ‘radical left’ in the wake of Charlie Kirk’s killing』、CNN, 2025.9.14

11.『チャーリー・カーク暗殺事件、容疑者は右派か左派か』、シェリーめぐみ、現代ビジネス、2025.9.19

12.『戦いを忘れた欧州の危機』、エドワード・ルトワック、産経、2025.9.2

日本製鉄の戦略行動に続け

はじめに

 アメリカ人ジャーナリストのリチャード・カッツ氏が、危機に臨んだ時の思考について、興味深い小話を披露しているので紹介しよう。(資料1参照)

<ある金属会社で後継者問題が発生した。子がなかった社長は43歳の工場長に後を継がせたところ、数年の内に売り上げを3~4倍に、利益を4倍に増やした。68歳の社長が「投資して失敗したら社員が路頭に迷う」と考えていたのに対して、新社長は「投資しなかったら競合に出し抜かれて社員が路頭に迷う」と考えたのだった。>

 この話は、危機に直面した時に「変化によって失うもの」に着眼するか、それとも「今変化を起こさなければ失うもの」、さらには「変化を起こせば得られるもの」に着眼するかで道は大きく二つに分かれることを示唆している。

 もっと端的に表現すれば、「守るか攻めるか、道は常に二つある。」ということだろう。日本製鉄は自らの意思で変化を起こす道を選んだことは明らかだ。

日本経済の変遷

 経営学者の岩尾俊兵氏が、明治から令和に至るまでに日本経済が辿った変遷を大きく俯瞰している。それによると日本経済は、明治:カネ重視→昭和:ヒト重視→平成:カネ重視と変遷してきて、令和になって再びヒト重視へ回帰したという。(資料2参照)

 経済の状態をヒトとカネのどちらの価値が高いかで分類するという視点は興味深い。それによるとインフレは相対的にカネがヒトよりも価値がない状態であり、デフレはその逆で相対的にヒトがカネよりも価値がない状態であるという。そして一般に、インフレ下では希少資源のヒトを集めて最大限に活用する経営手法が成功を収める。実際に1980年代に日本は経済成長がピークを迎え、総合GDPが世界第2位、一人あたりGDPもスイスに次いで世界第2位に到達した。(資料3参照)

 しかしその後、経済の潮流は激変した。通貨が変動相場制に移行し、経済のグローバル化が進んだのだった。高度成長期に強くなった日本経済は1985年のプラザ合意で大幅な円高を強要され、1980年代後半になると低賃金国の中国が「世界の工場」として出現して、グローバル経済の恩恵を一身に受けて大躍進を遂げるという変化が起きた。

 その結果、日本には円高とデフレが同時にやってきて「失われた30年」が起きた。経営論が専門の作家である飯田一史氏は、「失われた30年」の原因の一つは自民党の「ゾンビ企業温存政策」にあったと言う。そのことは次のデータから明らかである。(資料4参照)

 すなわち高度成長期の日本には企業の創業率が12%、廃業率が5%で、企業の健全な新陳代謝があったが、今では先進27ヵ国で最低水準まで落ち込んでいる。典型的な先進国では、高い生産性をもつ新規企業の誕生と生産性が低い企業の廃業が、GDP増大の約50%の貢献をしているのに対して、日本ではその貢献度が僅か10%に留まっているという。先進国では一般に企業全体の4%~6%を占めるガゼル企業(新興企業)が、雇用とイノベーション、生産性向上に大きく貢献している。

「失われた30年」、日本経済失速の原因

 円高とデフレが30年も続いた一方で、日本は33年間連続で世界一の対外純資産(400兆円超)を築き上げた。この間ヒトよりもカネを重視する投資思考が成功を収め、日本企業は国内で技術開発、人材育成、投資を推進する代わりに海外に進出して投資を拡大した。

 大企業によるその行動が日本経済の低迷に拍車をかけた。その結果GDPは世界第2位から第4位に転落し、高度成長期に9%、1970~80年代には平均3.5%あったGDP成長率は、失われた30年には平均0.7%まで落ち込んだ。

 日本経済が失速した要因を列挙すれば、以下のとおりである。(資料4参照)

・日本にはガゼル企業の育成を阻む障壁が存在する

・日本は新規企業が外部から成長資金を調達するのが先進国の中で最も困難だ

・日本にはエンジェル投資家も少ない

・日本ではソフトウェア等の無形資産への投資の割合が22%と低い

・日本ではR&D全体の43%が上位10社の大企業によるものだ

・日本は外国からの直接投資/GDPで調査対象196ヵ国・地域中最下位にある

 視点を変えてみれば、日本にはまだ成長を取り戻す余地があるということだ。ガゼル企業育成へ政策を転換すればいいからだ。

無秩序化の時代

 東洋経済オンラインに、二人のアメリカ人ジャーナリストによる『無秩序時代に日本が意外と繁栄できる根本理由』と題した対談記事が掲載されている。(資料1参照)

 ノア・スミス氏は、「殆どの世界史は無秩序の時代だった。そしてその無秩序な時代にも日本は実はちゃんとやっていた。」といい、リチャード・カッツ氏は、「トランプ大統領の登場で現代は再び無秩序の時代となった。各国はもう自分たちでどうにかする方向に舵を切り始めている。」という。

 確かに、第二次世界大戦後の国際社会では朝鮮半島、ベトナム、アフガニスタン、中東など地域戦争が繰り返されてきた。最近ではロシアのウクライナ軍事侵攻、シリア崩壊、イスラエル・イラン戦争が相次いで起きており、戦後は無秩序の時代が長かったという指摘は正しいように思える。ただし、現在の無秩序はアメリカ覇権と欧州の衰退、中国やBRICSの台頭、その結果としての多極化という潮流の変化がもたらしたものだ。無秩序が顕著になったタイミングでトランプ大統領が登場したのであって、トランプ大統領が無秩序の原因を作り出したのではない。

実は「失われていなかった30年」

 カリフォルニア大学サンディエゴ校にウリケ・シェーデ(Ulrike Schaede)という教授がいる。日本企業に精通し、「日本企業はBtoB(Business to Business)において他の追随を許さない断トツの競争力を持っている」という記事を文藝春秋6月号に掲載している。(資料5参照)

 シェーデ教授はこう言う。

<日本の人口規模は世界12位だが、GDPは今でも世界4位だ。本当は『失われていなかった30年』だったのではないか。GDPの規模と成長率こそが国力の指標だという考え方は、米国で経済学を勉強した日本人がアメリカ人目線で作った物語に過ぎない。>

<スタンフォード大学のミシェル・ゲルファンド教授が『タイト・ルーズ理論』を提唱している。正しい行動に関して殆どの人が一致して合意している国は『タイトな文化』をもち、答えがバラバラで分からない・気にしないという人が多い国は『ルーズな文化』をもっていると分類する。言うまでもなく日本は『タイトな文化』、アメリカは『ルーズな文化』で、両国は対極にある。>

<新製品を市場に投入するとき、『ルーズな文化』のアメリカでは市場投入までのスピードを重視する一方で、製品の完成度は気にかけない。それに対して『タイトな文化』の日本は製品投入にあたり非の打ちどころのない程の完璧さと安全を確認する。だからどうしても時間がかかる。これはどちらが良いかの問題ではなく文化の問題である。>

 シェーデ教授は、文化の違うアメリカの尺度で日本を測って、日本経済は失速しているという見方は誤りであると警鐘を鳴らしているのである。

<2000年代以降、バリューチェーンの組み立て段階でグローバルな競争が起き、日本は人件費や製造コストの面で韓国、台湾、中国、東南アジアに勝てなくなった。日本企業は生き残るために、『川上』か『川下』に特化し、他者には模倣が困難な高度な製品やサービスに移行して利益率を高める道を選択した。その結果日本は、『経済複雑性(注1)』指標(ECI、Economic Complexity Index)で1995-2020の間ずっと世界1位だった。>

(注1)シャツのような単純な製品は複雑性が低く、多くの国で生産できる。一方経済複雑性の高い国は、それだけ高度で専門的な技術や人材が豊富で、非常に複雑かつ希少で他の追随を許さない製品を生産できる。

 この事実はNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)が行った調査報告が裏付けている。シェーデ教授の解説が続く。

<NEDOは最終製品812品目、キーテクノロジー製品282品目の合計1094品目毎に、世界市場規模と日本企業の合計市場シェアを調査して報告書にまとめている。それによると、2020年と2021年に日本はシェア100%の製品が58品目、シェア90%以上が94品目、シェア75%以上が162品目あった。ちなみに、中国は75%以上のシェアをもつ品目は僅かで、台湾はシェア60%以上の品目はゼロ、韓国もシェア98%の有機ELを除けば他にない。>

 端的に言えば、一般民生品で強いシェアを持つ中国を筆頭に、韓国や台湾は、日本企業が提供する先端素材や複雑な機械設備がなければ、製品を作れないということだ。そして次のように総括する。

<日本は重要物質の分野での自給率が他国よりも圧倒的に高い。地政学的対立と経済安全保障によって世界経済は分断されるリスクが現在高まっているが、重要物質分野での自給率の高さは日本の強みとなるだろう。しかも日本製のBtoB中間財に依存する他国の産業は日本企業との関係を分断できない。>

第Ⅰ幕:鉄鋼

 紆余曲折を経て、日本製鉄によるUSスチール買収はトランプ政権の承認を得て6月18日に成立した。これを快挙とみるか、それともリスクの高い冒険とみるか評価は分かれるだろう。つまり冒頭の小話が象徴するように、「変化によって失うもの」に着眼するか、「今変化を起こさなければ失うもの」、「今変化を起こせば得られるもの」に着眼するかだ。

 中国に対抗するために、日本製鉄は毅然と変化を起こす(攻める)選択をしたということだ。ここで日本製鉄によるUSスチール買収の要点を整理しておこう。(資料6、7参照)

・日本製鉄は買収期限となる6月18日にUSスチールの買収手続きを完了した。

・日本製鉄はUSスチールの普通株100%を141億ドルで買収した。2028年までに米国に約110億ドルの投資を約束した。

・日本製鉄は「もう一度世界一に復権する。成長し続けるDNAを持つ会社にしたい。」と語った。

・トランプ大統領は安全保障上の条件付きで買収を承認した。

・日本製鉄はアメリカ側との交渉において、「100%子会社化のスキームは譲れない。それができないのであればこの話は白紙化する。」という姿勢を貫いた。

・バイデン前大統領が買収中止を発表した時、日本製鉄とUSスチールは一歩も譲らずにバイデン大統領と全米鉄鋼労働組合(USW)を提訴した。

・日本製鉄は、アメリカ政府と「国家安全保障協定(NSA, National Security Agreement)」を締結すると共に、アメリカ政府に重要事項に対する拒否権をもつ黄金株1株を与えることでトランプ大統領の承認を勝ち取った。

 2023年の統計によれば、粗鋼生産の世界ランキングは、中国企業が1位、3位、5位、6位、8位、9位を占めており、ルクセンブルグ(アルセロールミタル)が2位、日本製鉄が4位、韓国(POSCO)が7位、インド(タタスティール)が10位で、USスチールは24位である。1位の中国宝武鋼鉄集団が約131百万トンを生産しているのに対して、日本製鉄は44百万トン、USスチールが16百万トンで、両社合併後でも中国宝武鋼鉄集団の半分に満たない。(日本製鉄HP参照)

 若干補足を加えれば、日本製鉄がUSスチールの買収に踏み切った理由は、言うまでもなく中国勢に対抗するためである。日本製鉄が保有する高い技術力とアメリカがもつ市場の大きさの相乗効果を狙ったものと推察される。ちなみに日本製鉄とJFEスチールは特殊鋼部門で他の追随を許さない高い技術競争力を保持している。

 アメリカの鉄鋼需要は約1.5億トン/年で、自給率は約55%、USスチールの粗鋼生産能力は年間23百万トンだという。単純計算すれば、アメリカ市場は1.5億トンの45%(約68百万トン)を輸入していることになるが、USスチールを傘下に収めた日本製鉄がそれを押さえることができれば、両社合算の売り上げはほぼ倍増することになり、中国宝武鋼鉄集団の売り上げに匹敵する。従来の日本製鉄がアメリカに輸出していた分を除外しても、両社が統合される強みで他の世界市場からの受注増も見込めることから、「世界一への復権」という目論見は決して無謀ではない。

 アメリカ政府とNSAを締結した理由は、鉄鋼が国の基盤産業であると同時に、軍事力の基盤だからだ。アメリカ政府に黄金株を与えた理由は、経営上の重要事項に対しアメリカ政府が拒否権を持つ反面、日米産業界の連携についてアメリカ政府が支援する義務を負うことを狙ったものだ。

 トランプ大統領は承認した時の感想を次のように語っていたと言う。「USスチールはこれからも米国の会社だ。素晴らしいパートナーが現れた。日本製鉄は何度断ってもまた来る。4度のプレゼンでどんどん良い提案になった。本当にやりたいのだなと思った。」これは関税措置を巡る各国との交渉における、トランプ大統領の本音の発露だったように思える。

 日本製鉄が選択したUSスチール買収という戦略手は、「ポスト戦後80年時代」の日米同盟のあり方を先取りしたものと言える。総額3.6兆円に上る投資は過大だという指摘があり、これからの手腕が問われることになるが、そんなことは百も承知だろう。

 世界が多極化に向かう中で、日本が地域もしくは得意分野での覇権的地位を確保するための行動を起こす時が到来している。無秩序化のパラダイムシフトは日本にとって千載一遇のフォローの大風となるに違いない。「失われた30年」の間に蓄えた資本とエネルギー、磨き上げてきた先端技術を戦略で補強して世界の舞台で勝負すればいい。日本製鉄のUSスチール買収はその第1幕として位置づけられるに違いない。

第Ⅱ幕:造船

 東洋学園大学教授の櫻田淳氏は、産経新聞の紙面「正論」で「海洋国家アメリカを支える意義」について寄稿している。(資料8参照)

 地政学上アメリカは大陸国家でもあり海洋国家でもある。第二次世界大戦を経てアメリカは海洋国家としての覇権を確立した。しかしレーガン政権の時に連邦政府予算が逼迫し、現在に至るまでにアメリカの造船能力は壊滅的なレベルにまで衰退した。現在、世界の造船市場は、1位:中国53%、2位:韓国29%、3位:日本13%と続き、アメリカの存在は0.1%しかない。

 トランプ政権は海洋国家としての覇権的地位を取り戻そうとしている。トランプ大統領はⅡ期目最初の主要な議会演説で、「米国の造船業を復活させる」ことを宣言した。4月には造船業の再活性化計画の策定を各省庁に指示する大統領令に署名している。

 また、共和・民主両党とも米海運業の復活を、中国に対抗するための経済・安全保障上の優先事項とみなしている。議会では、海運業界の基盤に資金とインセンティブを与えて米国船籍の船団の規模拡大を図る超党派の法案が審議されているという。

 しかし、さまざまな理由からトランプ大統領の野心的な計画は失速しているようだ。(資料9参照)

 造船は鉄鋼以上に安全保障との結びつきが強い基盤産業である。もし造船分野においても日米の戦略的連携強化が進めば、それは日米同盟を強化することに繋がる。さらにそれは戦後80年の転換点を象徴するものとなるに違いない。

ポスト戦後80年時代の第一歩を踏み出せ

 「ポスト戦後80年」における日本の立ち位置と役割は何かを明確にして、国家の大局的な操舵が求められる場面がまもなくやってくる。世界が多極化に向かっている潮流の中で、日本は次に何を目指すのか。日本の強みと弱みは何か。これは戦後80年のくびきから離れて、柔軟な思考のもとに答えるべき重大かつ喫緊の命題である。冒頭の小話に戻るが、危機に臨んで「守るか攻めるか、道は常に二つある」という思考は、戦後80年の転換点に立つ日本にそのまま当てはまる。

 脱線するが、現在参議院議員選挙の真っ只中にあり、与野党とも減税か増税か、消費税をどうするかという議論に終始している。激変する国際情勢をどう認識しどう対処するのか、或いは「今年は戦後80年、戦後を終わらせる」というような大きな展望と戦略について誰も語ろうとしないのは何故だろうか。誰の発言だったか忘れたが、<政治はおよそローカル(All Politics is Local)>というアメリカの政治家の発言を思い出して落胆を禁じ得ない。

 歴史を振り返れば、アメリカは第二次世界大戦で日本とドイツを打ち負かし、冷戦崩壊でソ連を崩壊させた。そして今、自らは衰退過程にあって中国からの挑戦を受けている。アメリカだけでなく戦後の国際社会をリードしてきた欧米の優位性が弱まり、BRICSが台頭している。欧米がロシアによるウクライナへの軍事侵攻を抑止できなかった事実を重く受け止めなければならない。この事件を契機として無秩序化への歩みが加速したと言っても言い過ぎではないだろう。

 ウクライナ戦争が起きてロシアの軍事的脅威を再認識した欧州も、中国軍の脅威と露中に加えて北朝鮮の核の脅威に直面している日本も、共にアメリカ依存を軽減しつつ、より自己完結性の高い強靭な防衛体制を構築しなければならない局面に立っている。NATOは6月25日にオランダのハーグで開催された首脳会議で防衛費/GDP比を5%に引き上げる首脳宣言を採択した。

 6月20日に来日したコルビー国防次官は日本の防衛費/GDPを3.5%に引き上げるよう求めた。この発言を受けて7月2日に開催された日本記者クラブの席で、石破首相は「日本の防衛費は日本が決めるべきものだ」と反論している。また日本は、7月1日に予定されていた「日米2+2」の開催を見合わせた。本音か演出かは別として、日本の不快感を表明したことが明らかだ。

 既に膨大で、なおも増大一途の財政赤字に直面しているアメリカは、MAGA政策を推進する一方で、同盟国に防衛力増強を求めると同時に、アメリカの利害から遠い地域で起きる紛争から極力手を引こうとしている。その結果NATOやG7諸国から距離をとる行動をとっており、加えて強引とも言える高関税措置によって孤立を強めている。

 国際社会がこれ以上の無秩序化を食い止めるためには、日米欧が力を取り戻す必要がある。そのためには、米欧が相互に距離を置き、日米が高関税政策で相互に不信感を強める現状を打開しなければならない。その役回りをトランプ大統領に求めることはできない。

 欧州はウクライナに対する支援と戦争の終結、終結後のロシア対処、各国が抱える内部事情のため余力がない。そうなると、戦後政治に終止符を打ち、ポスト戦後80年に向けて舵を切る絶好の時機に立っている日本こそ、その役回りを担うに相応しいのではないだろうか。但しそのためには、トランプ大統領が切るカードに対して、対症療法的な対応に終始する姿勢を改めて、トランプ大統領が目指す方向を理解した上で、名実ともに戦略的な日米関係の構築に向けて攻めの行動を起こす必要がある。

 世界情勢と動向を睨み、企業の立場で日本製鉄がとった英断のように、日本政府が「今変化を自ら起こすことによって得られるもの」に着眼した行動を起こすことを期待したい。「ポスト戦後80年時代」はその一歩から始まるのである。

参照資料:

 資料1.『無秩序時代に日本が意外と繁栄できる根本理由』、倉沢美左、東洋経済オンライン、2025.6.17

 資料2.『ヒトを切り捨て日本は衰退してしまった』、岩尾俊兵、現代ビジネス、2025.4.1

 資料3.『なぜ豊かだった日本はここまで衰退してしまったのか「不幸の正体」』、岩尾俊兵、現代ビジネス、2025.3.29

 資料4.『「失われた30年」の原因を作った自民党の「ゾンビ企業温存」政策』、飯田一史、現代ビジネス、2025.4.15

 資料5.『BtoBダントツの日本企業』、ウリケ・シェーデ、文藝春秋、2025年6月号

 資料6.『基幹産業の成長妨げぬ政策を』、加藤康子、産経「正論」、2025.6.25

 資料7.『日本製鉄が漏らした苦し紛れ発言』、真壁昭夫、ダイヤモンド・オンライン、2025.7.1

 資料8.『海洋国家米国を支える意味』、櫻田淳、産経「正論」、2025.5.27

 資料9、『トランプ氏の海運復興計画が失速』、ウォール・ストリート・ジャーナル、2025.7.3

近代史の教訓、課題は「戦略的対処」

変化と対処、ダーウィンの名言

 生物の宿命は、激変する変化の中で淘汰されずに生き延びることである。生物の進化について、ダーウィンは次の名言を残している。「生き残るのは、最も力の強い種ではなく、最も賢い種でもない。環境の変化に対し最も適応する種だけが生き残る。」(It is not the strongest of the species that survives, not the most intelligent that survives. It is the one that is the most adaptable to change.

 生物界においても、人間社会においても環境は変化し続ける。図1は、変化の形態を整理したものである。

 日常の変化は連続的なものである。中でも過去の延長線上に現在があるような変化は線形(直線的)で、技術革新に代表されるように加速する変化は非線形である。現在進行中のアメリカの弱体化を始め、欧州の衰退、BRICSの台頭は加速度的に顕著になっている。

 さらに歴史には不連続な変化が起こり得る。戦争や経済恐慌がその代表例だが、ドルの金兌換停止宣言をした「ニクソン・ショック」や、ドルに対する円の為替レートを一気に切り上げた「プラザ合意」も不連続な変化の典型例である。現代では2020年のコロナ・パンデミック、2022年のロシアによるウクライナへの軍事侵攻も不連続な変化である。

 そして現在、トランプ大統領は世界に対し歴史的な不連続な変化を起こしている。

日本の戦後は終わった

 トランプ大統領が起こしている変化について、ジェラルド・カーチス(Gerald L. Curtis)、コロンビア大学名誉教授は以下のように洞察している。(資料1参照)

 <トランプ大統領が就任した今年1月20日をもって、「米国中心の世界秩序」は名実ともに終わった。同時に「日本の戦後」も終わった。日本の政治家はその事実を正面から受け止めていない。>

 カーチス教授の指摘を待つまでもなく、トランプ大統領が今期就任以来起こしている変化は、アメリカの衰退を踏まえたものであり、本人の認識の有無に関わらず、それが日本の戦後の終焉を促進することは明白である。

 変化を生き延びるためにとるべき対処行動も、変化の三形態に対応する形に分類できる。図2は対処行動を整理したものである。

 改善活動(Improvement)は変化に対する「対症療法的な対応」である。線形な変化に対しては対症療法的なアプローチが効果的であることは言うまでもない。一方、一般に技術革新が起こす変化は往々にして非線形なものであり、変化は直線的ではなく加速度的、もしくは指数関数的なものとなる。非線形な変化に効果的に対処するためには、変化の将来動向を予測した改革活動(Innovation)が必要となる。

 それに対して、リーマン・ショックやパンデミックのような不連続な変化に効果的に対処するためには、平時の常識を打ち破る「有事」の行動、言い換えると「戦略に基づく革命(Revolution)的な対処(戦略的対処)」が求められる。

現在世界で進行中の不連続な変化

 トランプ大統領が就任以来次々に切ってきたカードが、世界に不連続な変化を起こしていることは説明するまでもないだろう。その背景にあるのは、第二次世界大戦以降アメリカ覇権の弱体化が始まり、やがてその変化は加速度的になり、現在それが臨界点に達している事実である。その認識のもとに、トランプ大統領はアメリカ大陸に引き籠り、MAGAに専念しようとしているのであり、そのために習近平国家主席とプーチン大統領と取引しようとしているのだと推察される。

 トランプ大統領がとった高関税政策に対して、石破政権は日本が被る国益の損失を最小限に食い止めようと対症療法的な対処に終始してきた。被害を食い止めることに精一杯で、歴史上の大きな転換点に立っているという「有事認識」のもとに、「日本の戦後の終焉と日米関係の進化」を意識した戦略が見当たらない。

 戦後80年を振り返ると、戦後日本がとってきたアプローチの大半が、顕在化した課題に対する対症療法的な対処に終始していて、総じて進化を忘却してきた。言い換えれば「与えられた条件の中で最善を追求する」アプローチに終始してきた。多くの政治家が「出来ることの最善を尽くします」的な発言を繰り返してきたが、このアプローチの欠陥は「出来る範囲のオプション」しか視野にないことにある。非線形もしくは不連続な変化に戦略的に対処するオプションが除外されているのだ。

 その背景に日本人の得意と苦手があることは否定できない。トヨタ自動車のカイゼン活動に象徴されるように、一般論として日本人は改善活動は極めて得意だが、革命的なアプローチ、言い換えれば「戦略的に対処する」ことが苦手である。

ポスト戦後80年の日本:ソフトパワーを武器とせよ

 今年5月6日に88歳で死去した、ハーバード大学特別功労名誉教授のジョセフ・ナイ(Joseph S. Nye Jr.)氏が次のように指摘している。(資料2参照)

 <アーミテージ氏と私は、日本を安定した民主主義国家とするために、1930年代の日本とは異なる、21世紀の脅威を見据えてそれに備えた国にならなければならないと感じていた。日本が自国の立場を強化すれば、周辺地域での戦争をより巧く抑止することができる。>

 <日本のソフトパワーは上昇している。日本には伝統文化があるだけでなく、アニメやゲームといった現代のポップカルチャーも大変人気がある。その意味で日本の魅力は増している。それに加えて日本は政治的に見て成功した民主主義国家だ。>

 <日本は二つの脅威(北朝鮮・中国)に直面しているが、リーダーになれる分野があるから、そこで主導権を取って重要な役割を果たしてくれることを心から期待している。中国・アメリカは覇権主義だが日本はそうではないので、他国からの信用を得ることができる筈だ。>

 4月13日に読売新聞は、79歳で死去した元米国務副長官リチャード・アーミテージ(Richard Armitage)氏の未完の原稿の存在が明らかになったと報じた。それによると、アーミテージ氏の日本に対するラスト・メッセージは次のようなものだった。(資料3参照)

 <不確実な時代において、日本は自国のグローバルな役割に自信を持ち続けよ。米政権が不確実性と混乱をもたらしているからこそ、世界は日本をこれまで以上に必要としている。何をすべきか迷ったり不安になったりすべきではない。>

戦略的な対処

 では「戦略的な対処」とは何だろうか。それは次のような問いに答えることから始まる。

Q1.トランプ大統領は世界をどう変えるだろうか?(全体像と本質を考える)

Q2.それは歴史的に見て、どういう変化をもたらすだろうか?(動向を理解する)

Q3.それは日本にどういう未来をもたらすだろうか?(将来像を展望する)

Q4.日本はこの機会を利用して目指すべき姿は何か?(進路を再確認する)

Q5.それを実現するために今何をすべきか?(手段を具体化する)

 問いに対する答え(一案)は次のようなものだろう。

A1.第二次世界大戦以降続いてきたアメリカの覇権体制(一強体制)が終焉する。

A2.相対的に米欧日(言い換えればG7)が衰退し、BRICS(G20)の力が強まり、世界は多極化に向かう。

A3.もし日本が傍観すれば、或いはアメリカ従属を続ければ、世界に対する日本の影響力が弱まり、多極化の一極にはなれないだろう。

A4.G.カーチス、J.ナイ、R.アーミテージ各氏が期待したように、日本は卓越した文化力・経済力・技術力を有しており、世界に対するソフトパワーの影響力を増している。さらに地球規模の危機に対しては縄文時代から日本人が継承してきた価値観とアプローチが鍵となる可能性を秘めている。それら日本の卓越性を生かした、自立した役割を担い、影響力・貢献力を行使するユニークな大国を目指すべきだ。

A5.そのためにはトランプ大統領が切るカードに対する対症療法的なアプローチを転換する必要がある。カードに右往左往せずに、彼の危機感と意図を理解し、ポスト「アメリカ一強」時代の国際社会の在り方について、アメリカと共に考え協力して行動するアプローチへ転換する。それはアメリカに従属しない「ポスト戦後80年」時代の新たな日米関係を構築することになるだろう。

 トランプ在任の残り3年半は、戦後から「ポスト戦後80年」への大転換を成し遂げる好機となるだろう。その機会を最大活用して行動するならば、それは近代日本にとって明治維新に次ぐ革命的変化をもたらすに違いない。進行中の不連続な変化を利用して、戦後80年間棚上げしてきた「戦後体制を戦略的にスクラップ&ビルドする」ことは、日本にとって戦略の「一丁目一番地」となる。これは現在進行中の不連続な変化を生き延びる「日本の進化」の第一歩であり、「令和維新」と呼ぶべきものとなる筈だ。

 しかしそのためには、明治維新以降に日本が犯した失敗を総括し教訓に学ぶことが不可欠だ。それなくしては現在の誤りを修正することはできない。

日本の近代史の失敗と教訓

 明治維新から約160年が経過した。近代史の転換点となった「不連続な変化」を抽出して、日本がその変化にどう対処したかを俯瞰してみたい。近代史における「不連続な変化」として、明治維新を起点に日本が関わった対露、対中、対米英の三つの戦争を取上げる。「不連続な変化に臨み日本はどう対処したか」の視点から、近代史を転換点で以下の四つの期間に分けて、総括的に俯瞰してみたい。

①明治維新(1868)~日露戦争(1904):36年

②日露戦争~支那事変(1937):33年

③支那事変~太平洋戦争敗戦(1945):8年

④敗戦~(戦後)~現在(2025):80年

明治維新(1868)~日露戦争(1904)

 明治維新は欧米列強が世界を植民地化していった時代に、日本が独立を維持して存続してゆくために、西国雄藩の下級武士が決起した革命だった。明治維新によって封建社会が終わり、日本は欧米に倣って近代化を一気呵成に進めた。この時に明治政府が推進した諸政策は、不連続な国際情勢の変化に対して、戦略的な発想に立って近代化をトップダウンで成し遂げたものだった。

 具体的に言えば、日本は民主主義を取り入れ、産業革命を成し遂げ、日露戦争に勝利して海軍力で欧米列強に肩を並べるという偉業を達成した。この時代は、正しく司馬遼太郎が描いた『坂の上の雲』に象徴される輝かしい時代だった。こうして近代化の第一幕は、不連続変化に対し見事に「戦略的な対処」を成し遂げた成功物語として歴史に記録されたのだった。

日露戦争~支那事変(1937)

 日露戦争に勝利して欧米列強の仲間入りを果たした日本だったが、欧米と肩を並べた結果、「次の国家目標」を設定することに失敗した。当時の政治家が認識していたかどうかは不明だが、この時点で日本は国家として二つの命題を背負っていたことになる。

 第一の命題は、欧米列強の行動に眼を光らせつつ、外交力を錬磨して列強の一員として国際情勢に関与してゆくことだった。第二はそれと同時に、国家としての将来像を自ら描き、そのための改革(Innovation)を自らの意思で成し遂げてゆくことだった。欧米と肩を並べたからには、先行する誰かの背中を見て進むアプローチはもはや通用しない。将来像を自ら描き、意思をもってそれを実現してゆくという命題は、偏に戦略的なものだった。

 そのためにはまず、政治・経済・法律などの人文科学の研究機関と、科学・技術・産業振興を行う理工学の研究機関を普及させる必要があった。更に諸外国の動きに関する情報を収集し分析する機関(インテリジェンス)、それをもとに国家戦略を練る機関(シンクタンク)の設立が求められた。国家にとって戦略が重要になったという意味において、日露戦争は日本が次に飛躍するための転換点であった筈だ。しかし日本は第二の命題において失敗した。

支那事変~太平洋戦争敗戦(1945)

 現実の日本は、1931年の満州事変を皮切りに中国大陸に進出し、1937年の支那事変を機に日中戦争に突入し、1941年には真珠湾攻撃においてアメリカとの、マレー半島においてイギリスとの戦争に突入していった。その結果、二つの原爆投下と主要都市への無差別空襲を受けて、300万人を超える犠牲者を出して日本は戦争に敗れた。

 日本の近代史において、太平洋戦争の敗北とは一体何だったのか?壊滅的な悲劇は何故起きたのか?悲劇を回避するためにどう行動すべきだったのか?少なくとも国政に携わる政治家には、この質問に対する見解を用意しておくことが求められるだろう。

 私は歴史家でも専門家でもないが、結果論を承知で言えば、近代史における日本の失敗を三点挙げることができる。第一の失敗は、本来は中国人同士の覇権争いであった中国の内乱に深入りし過ぎたことだ。欧米列強の中で日本だけが中国大陸の動乱に巻きまれてゆき、その結果英米を敵に回す事態を招いた。中国大陸の内乱が収束するまで静観し、その間にインテリジェンス活動を強化して、次の展開に備えるべきであったのだ。

 第二の失敗は、アメリカからの執拗な工作を受けて、日本から真珠湾攻撃という開戦行動を起こしたことである。戦争がもたらした悲劇を考えれば、幾らでも戦争回避オプションがあった筈だ。後世を生きる我々にとって、ここで注意すべきは、「それは結果論だ」と片づけてしまう態度である。教訓はすべからく結果の分析から得られるものであって、結果論だとして思考停止に陥り、総括をウヤムヤにしてしまう危険にこそ注意を払うべきだろう。

 そして第三の失敗は、二つの失敗に共通する原因であるのだが、第二次世界大戦を起こした英米ソの企みに対するインテリジェンスが欠落していたことである。日本は日露戦争期には、欧州を舞台にロシア革命に奔走する人々を手厚く支援するなど、当時世界一級のインテリジェンスを実践していたにも拘らず、その経験は太平洋戦争に十分継承されなかった。

 国際政治における当時のメインプレイヤーだった英米ソが企む歴史的に不連続な変化に対し、日本は対症療法的に対応しただけで戦略に基づく対処をしてこなかった。この場合の戦略行動とは、たとえば「日本を追い詰めて奇襲攻撃に踏み切らせて、それを理由にアメリカが参戦する」というフランクリン・ルーズベルトの陰謀を阻止する行動を含むものである。

 太平洋戦争は日本が真珠湾攻撃を起点として始まったのだが、それは第二次世界大戦当時の大統領だったルーズベルトが、アメリカが第二次世界大戦に公式に参戦するために、日本から開戦するように執拗に仕向けた結果だった。この事実は、日本近現代史研究家の渡辺惣樹氏が『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』の中で明らかにしている。(資料4参照)

 渡辺氏が読み解いたのは、ルーズベルトの前任の大統領だったHerbert Hooverが書いた『Freedom Betrayed, Herbert Hoover’s Secret History of the Second World War and Its Aftermath』である。フーバー大統領は共和党の第31代大統領(1929.3-1933.3)で、第二次世界大戦の時に大統領職にあったのは第32代Franklin Roosevelt大統領(1933.3-1945.4)だった。

 <ルーズベルト政権の対日外交の陰湿さにフーバーが気付いていたことは間違いない。フーバーは日本に対して実質的な最後通牒であるハル・ノートが手交されていることも知らなかった。それでも真珠湾攻撃の報に接したときに、「ルーズベルトが何かしでかしたな」という感覚がすぐに湧いた。フーバーはルーズベルト外交の実態を明らかにしなくてはならないと、真珠湾攻撃の報と同時に決意した。>

 『Freedom Betrayed』はその決意のもとにフーバーが20年以上の歳月をかけて収集した情報をもとに書いた著作だった。出版に至る前にフーバーは1964年に90歳で死去したのだが、残された原稿を歴史家のジョージ・ナッシュが完成させて、フーバーの遺作は2011年に出版された。

 <ルーズベルト外交によって、ソビエト共産主義の東西への拡散を防いでいた二つの強国、日本とドイツは崩壊した。その結果が堰を切ったような共産主義の拡散だった。日本の降伏から僅か4年で中国は共産化した。それを抑え込む軍事力を持つ国はアメリカしか残っていなかった。・・・アメリカは「孤独な世界の警察官」となってしまった。>

 上記の洞察は、ルーズベルトの挑発に乗せられて開戦行動を取ってしまった日本の失敗が、現代に至る戦後の国際情勢に大きな影響を及ぼしている因果関係を見事に描写している。もし日本側に、ルーズベルトの陰謀に対するインテリジェンスがあり、真珠湾攻撃を踏みとどまる戦略観があったなら、アメリカの参戦はなく、共産主義の拡散も抑制できたということだ。

 戦略的対処とは、このように世界情勢の全体像と動向を分析した上で、自らの行動を決めるアプローチをいう。そのためには相手の目論見について情報を収集し分析するインテリジェンスが不可欠となる。

敗戦~(戦後)~現在(2025)

 日本は今年で戦後80年になるというのに、GHQによる占領の時代に作られた負の遺産を未だに払拭できていない。本件に関する限り、戦後80年間日本政府は殆ど何もしてこなかったと言わざるを得ない。国防の盾をアメリカに委ねる代わりに米軍基地を提供し、横田空域の航空管制を米軍に渡したまま80年を過ごしてきた。その間には朝鮮戦争、米ソ冷戦、中華人民共和国の誕生、ソビエト連邦崩壊などの事件があり、負の遺産を戦略的に軽減してゆく機会があったにも拘らず、日本はアメリカに安全保障を委ねたままの思考停止状態を続けてきた。

 ここでダーウィンの名言に戻ろう。激変する世界で思考停止状態を続けることは、淘汰される運命を選択することに等しいことを肝に銘じておかなければならない。大局的にみれば「失われた30年」という事態もまた、思考停止し戦略的対処を怠った結果であるとみることもできるだろう。いつの時代でも、企業でも国家でも民族でも、進化を忘れたものには滅びる運命しか残っていないのだ。この意味から、戦後80年の思考停止と不作為の罪は極めて重いと言わなければならない。

国家としての進化を成し遂げるために

 近代史における失敗を直視しその教訓に学ばない限り、国家にとっての進化はなく、進化を忘れた国家は衰退の宿命から脱出できない。では、どうすれば明治維新に匹敵する令和維新を成し遂げることができるだろうか?

 昨今の石破政権と自民党の動きを見ていても、「トランプ政権の再登場によって日本の戦後は終わる」という歴史観に立った、攻めの行動、戦略的な対処は見当たらない。トランプ台風の被害を局限化しようと対症療法的な守りの対応に終始しているのみだ。

 そもそも岸田政権と石破政権の相次ぐ誕生は、自民党がもはや保守政党ではないと宣言したことを意味している。先の自民党総裁選の決選投票で、高市早苗氏に大きく引き離された石破茂氏に大量の票が流れるという不自然な変化が起きたが、これは「自民党は明治維新前夜の幕府と同様に淘汰される運命にある」現実を、図らずも国民の前に露呈したものだった。

 近代史における失敗の内、ルーズベルト大統領の陰謀に嵌って太平洋戦争に突入していった失敗と、「アメリカ従属」の軛から脱却できなかった戦後政治の失敗に共通する原因は、何れも「対症療法的な対処」に終始して「戦略的な対処」をとってこなかったことにあると言える。

 さらにその原因を一言で言えば、インテリジェンスとシンクタンク機能を軽視してきた政治にある。戦後政治80年が、政治家と官僚の「2プレイヤー」体制だったことの限界も否定できない。官僚機構には、体制が縦割りであることと、政策に過去からの連続性が求められるという二つの制度上の制約が存在しているからだ。

 戦後の日本を束縛してきた「アメリカ従属」という軛から開放された暁に、日本は新たな進路をどこに求めるのか。その答えを我々は見つけなければならない。これは明治維新を成し遂げて日露戦争に勝利した日本が向き合わなければならなかった命題の再来でもあり、政治が80年間棚上げしてきた命題でもある。「対症療法から戦略的対処」への転換をどう成し遂げるのか。そのためには政治の基本構造に関わる二つの革命的な対策が必要となるだろう。

 第一は、「真の保守政党の編成」である。ここで「真の保守」とは、憲法も米軍基地も今のまま放置する現状維持ではなく、GHQから押し付けられた憲法を刷新し、アメリカ従属から脱して真に自立した国を目指し、新たな日米同盟関係の再構築を含めて、多極化が進行する国際社会における日本の立ち位置と役割を再定義しようとする志をもつ政党を指す。

 第二は、ポスト戦後80年の時代に求められるのは、課題と対策を政府横断的に俯瞰する機能と、過去からの連続性に囚われない戦略思考である。それを実現するためには、政治家と官僚に戦略構想を主任務とするシンクタンクを加えた「3プレイヤー」体制への転換が必要である。

参照資料

資料1:『大手町の片隅から』、乾正人、産経、5月23日

資料2:『追悼ジョセフ・ナイ氏、知の巨人が示した日本が直面する二つの脅威とその対処法』、AERA DIGITAL、大野和基、5月10日

資料3:『日本はトランプ政権にひるまず世界のリーダーとして役割果たせ』、読売、6月7日

資料4:『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』、渡辺惣樹、草思社

戦後政治を改めるとき

トランプ大統領が目論むシナリオ

 トランプ大統領は国際社会の戦後体制をスクラップ・アンド・ビルドしつつある。この動きは冷戦後のアメリカ一強体制の終焉を意味する。トランプ大統領が目論むシナリオは概ね次のようなものだろう。

〔認識〕国内の分断とアメリカの弱体化が進んでいる。何れもこれ以上放置できない。

〔緊急対処1〕分断と弱体化をもたらした勢力(リベラル全体主義、ディープステートなど)を国内外から一掃する。

〔2〕連邦政府の無駄な支出を徹底的に削減する。

〔3〕不法移民を国外に追放する。

〔方針1〕戦後アメリカが維持してきた二つの覇権(軍事、通貨)の内、軍事覇権を放棄する。

〔2〕今後、欧州はEU/NATOに委ね、中東はイスラエルに委ねる体制を作り、アメリカはアメリカ大陸に引き籠る。

〔3〕中国はアメリカを脅かす唯一の脅威であり、今後は中国対処に力を集中する。

〔対策1〕第一に、双子の赤字(貿易赤字、財政赤字)の進行を食い止める。そのために即効性のある手段として関税政策を実行する。

〔2〕手段を尽くして中国の挑戦を退ける

〔3〕MAGA実現のためにドル覇権を維持する。ドルに代わる決済通貨を作ろうとするBRICSの動きを断固として阻止する。

 この中で対策の〔2〕と〔3〕は未だ顕在化していない。

 但し、トランプ大統領の思惑通りに進む保証はない。そう考える主な理由は三つある。

 第一に、ここまで進行した産業のグローバル化を元に戻すことはできない。中国から輸入してきた生活必需品を一時は排除できても、アメリカにはそれを自国で生産する基盤がない。

 第二に、如何なる手段を講じようとも、国内の分断の修復も、アメリカとBRICS諸国の対立回避もできないだろう。物理学の「エントロピー増大の法則」が示すように、放置すれば秩序が混沌に向かうことは自然の流れであり、混沌を再び秩序化するのは不可能である。

 第三に、アメリカが軍事覇権を放棄すれば、基軸通貨ドルに対する信認が低下し、ドル覇権体制の崩壊が進行する。

世界は多極化に向かっている

 国際情勢解説者を自認する田中宇氏は、4月22日付の「国際ニュース解説」の中で、『トランプが作る新世界』と題して世界は多極化に向かうとの自説を展開しているので、要点を紹介しよう。(資料3)

 <欧州とウクライナ戦争は英国と欧州に委ね、中南米はカナダとグリーンランドを含めてアメリカが地域覇権国となる圏に入り、中東はイスラエルを軸に再編される。アフリカは既にBRICSの傘下になりつつあり、東南アジアは米国から中国の影響下に移っており、南アジアはインドの勢力下に再編されるだろう。>

 <この変化の中で、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドは独自の影響圏を形成せず中国覇権下に入ることも拒むだろうが、アメリカは従来の対米従属を望まない。>

 現在メディアの関心事は専ら関税戦争の行方に集中しているが、相互関税の発動は、トランプ大統領が目論むシナリオの第1段にすぎない。既に述べたように、今後トランプ大統領の思惑通りに進むとは限らないが、アメリカの覇権体制が終わり、世界が多極化に向かっている潮流を止めることはできない。

戦後政治の致命的な欠陥

 前段で述べたように、喩えればM9級の巨大地震や大規模な火山噴火に匹敵する、地殻変動級の変化が世界で進行中である。やがて日本人の覚悟が問われる事態が東アジアで起きるだろう。日本は南海トラフ対応だけでなく、その危機事態に対する備えを万全にしなければならないのだが、戦後80年に及ぶ「平和ボケ」政治が手かせ足かせとなって立ち塞がっている。

 (株)大和総研名誉理事の武藤敏郎氏は4月25日の産経新聞紙面上で、『漂流する世界秩序、トランプ大統領登場の背景と影響』と題した対談の中で、戦後政治の深刻な問題点について次のように指摘している。(資料1参照)

 <米国は目的が非常にはっきりしており、目的達成のための行動、「合目的」的な行動を取る。場合によっては手続きも省略する。(これに対して)日本は「やるべきこと」が分かっていても、手続きが適切かどうかに関心が集まる。「結果がよければ良い」というのは絶対に認められない。>

<「失われた30年」において日本がしたことは徹底的な金融緩和と財政出動だった。カンフル剤を打っただけで本当の病巣は摘出しなかった。それでも「低賃金、低価格、低成長」という「ぬるま湯」のような経済に、政界、経済界、労働界とも安住し、血が流れる「構造改革」には手をつけないまま、時間だけが過ぎていった。この時間のロスが今の日本の大きな問題である。>

 典型的な失敗例をもう一つ上げよう。それは安倍首相が実施した二回の消費税増税である。安倍首相は消費税増税には反対だったにも拘らず、民主党野田政権時の与野党合意に縛られて、自らの信念を曲げて増税に踏み切ったのだった。

 この二つの事例は戦後政治に巣くう致命的な欠陥を象徴している。即ち「目的を明らかにして戦略を練る」思考をとらず、「過去からの継続性の中で対症療法を模索する」結果、抜本的な対策を講じられないという欠陥である。

 コラムニストの乾正人氏が、同じ4月25日の産経の紙面に、「安保タダ乗り論を持ち出して、在日米軍の駐留経費を日本がもっと負担せよ」と圧力をかけているトランプ大統領への対応を「恥」と断じている。(資料2参照)

 <戦後80年を経て未だに首都に広大な米軍基地があり、関東の西半分の空域を外国が管理しているのは恥としか言いようがない。・・・幸か不幸かトランプは、日米安保体制の根本的な見直しを迫っている。ピンチはチャンスだ。米軍への思いやり予算を増額するのは、下策中の下策。横田基地に限らず、多くの米軍基地を自衛隊基地とし、自衛力を強化すればいい。(さすれば)駐留米兵は激減し、米国の負担は劇的に減少する。>

 言うまでもなく、戦後政治80年の歴史における最大の汚点は未だに戦後レジームを払拭できていないことにある。これは歴代首相が取り組まなかっただけでなく、自民党政治家の責任放棄と断じざるを得ない。できなかった言い訳は山ほどあるに違いない。但し、その難題に挑戦する意思と活動が欠如したが故の不作為を不問とする理由は何一つ存在しない。

 一言で言えば、政治家にとってイロハのイは、「出来ることを精一杯やる」ことではなく、「やるべきことに挑戦して手段を尽くす」ことにある。前者には「出来なかった言い訳」が常に用意されているが、後者は責任放棄の退路を断っている点が決定的に異なる。

 政治家である以上、総理大臣を目指すのは自然のことだと思う。しかし総理を目指す意思のある政治家には、総理になって何を成し遂げるのか、果たして自分はその資質と能力を備えているだろうかと自問して欲しいものだ。

現状維持思考の限界

 長い間「防衛オタク」と言われてきた石破首相だが、安全保障の第一人者を自負するのであれば、歴代首相が放置してきたこの大きなテーマに何故挑戦しないのだろうか?

 想像するに、その原因は二つ考えられる。第一は、現在の日米関係を今後も保持することが望ましいと考えていることだ。

 第二は、過去の延長線と決別し、未来のために大英断を下す意思と胆力を持ち合わせていないことだ。多くの識者が指摘しているように、石破茂という政治家は「解説者としての発言」に終始していて、首相という立場からのコミットメントが殆どないのである。世界観、歴史観、国家観を持っていない人物に、日本国のビジョンを語れと期待することが無理なのだが、問題の本質は何故そういう人物が総理大臣に選ばれたのかにある。

 野党に限らず自民党の中にも、「日米関係は今のままの状態が今後も続くことが良い」と考える政治家は多いに違いない。「今のまま」というのは、①日本の防衛は今後もアメリカに守ってもらう、②そのために全国各地にある米軍基地を今後も提供する、③横田基地周辺の空域が米軍の管制下にある現状を今後も受容する、④憲法改正は今までと同様に棚上げすることを意味する。

 政治家諸氏がもし本気で「現在の日米関係を今後も保持することが望ましい」と考えているとしたら、トランプ大統領が起こしている変化に対する認識が根本的に間違っていると指摘せざるをえない。

 次節で述べるように、戦後想定してこなかった未曽有の危機が、大陸からの大津波として近未来に日本を襲う可能性が高まっている。少なくともそうした最悪の事態を想定した上で、「アメリカに従属してきた時代が終わる」のだと認識を改めることが、リアル・ポリティクスの一丁目一番地である筈だ。

アメリカ一強時代の終焉が起こす衝撃波

 ロシアがウクライナに軍事侵攻したのが2022年3月、トランプ第ニ期政権が誕生したのが今年1月だった。この二つの出来事を転換点として冷戦後の平穏の時代が終わり、世界は再び動乱の時代に突入した。今後どういう展開になるのか見通すことは時期尚早で、米中対立が激しくなるのかそれとも先に中国が内部から崩壊を始めるのか予測できないが、何れにしても東アジアの安全保障環境が激変することに変わりはない。

 トランプ大統領が世界に対して発信してきたメッセージは、アメリカ一強時代の終焉である。戦後アメリカに従属してきた欧州や日本に対し今後自立圧力を一層強めてゆくだろう。欧州に対しては既に今年2月14日にミュンヘンで開催された安全保障会議において、ヴァンス副大統領が「欧州大陸が直面する最大の脅威はロシアや中国ではなく(欧州)内部から来るものだ。」と発言して欧州を驚愕させた。今後米中対立が本格化すれば日本が対立の最前線に立たされることは明らかだ。

 さらにウクライナ戦争に北朝鮮が参戦したのと同時期に、韓国政治の混迷が深まっており、朝鮮半島情勢が一気に不安定化している。中国やロシアがその動きを利用しようと動けば、朝鮮半島は一気にきな臭くなる可能性がある。しかもアメリカとロシアが北朝鮮を核保有国と認めれば、東アジア情勢が一変するだろう。

 ウクライナと同様に、ロシアは3年を越える戦争で膨大な戦死者と未曽有の兵器の損耗に直面している。さらに戦争優先の経済が3年も続いており、民生経済への影響は相当深刻な筈だ。それに欧米による制裁の影響が長期間に及んでおり、難題山積していることは想像するまでもない。ウクライナ戦争が終結した後にその反動が起きる。かつてソヴィエト連邦が崩壊したように、今後ロシアの弱体化が進めばロシア周辺国の独立運動が顕在化するだろう。

 このように、ウクライナ戦争が終結に向かえば米中対立が本格化し、中国内部情勢、朝鮮半島情勢、ロシア周辺情勢へと、不安定化の波が衝撃波のように拡散してゆくだろう。

 政治家の多くは「であればこそ日米同盟を従来以上に強化しなければならない」と言うだろうが、欧州同様に日本がアメリカ従属体制を続けることをトランプ政権は受容しないだろう。もし今ヴァンス副大統領が日本に乗り込んできて、日本に対し「最大の敵は中国ではなく日本の内部から来るものだ」と政治家を前に演説する場面を想像してみたらいい。

 今後東アジア情勢は確実に緊迫化していくだろう。日本も戦後80年の体制が終わるのだと腹を括って、一足先に欧州がそうしているように、自己完結な外交・防衛力を構築するべく大胆に舵を切らなければならない。「時は今、アメリカ従属体制から脱却すべき局面」なのである。

 日本は戦後政治において二つの大きな失敗をした。その一つは「失われた30年」であり、歴代政権がとってきた「緊縮財政」という誤った政策によって国民は貧困化を余儀なくされた。他一つは戦後80年の間、「戦後レジームからの脱却」を棚上げしてきた結果、独立国の要件である「自立した外交と防衛のスピリット」をも喪失したことだ。何れも「やるべきことを実現するために手段を尽くす」政治を展開してこなかった故の失敗という他ない。

 そして現在、トランプ大統領が起こしている変化にどう対応すべきなのか。ここで対応を誤れば日本の没落は回復が困難となるに違いない。冒頭に述べたように、今後トランプ大統領が日本に要求してくることは、相互関税というレベルの話では済まないことは明らかだ。

アメリカ以上に衰退した日本、それを自覚しない日本

 クライテリオン5月号は、『石破茂という恥辱』と題した「日本的小児病の研究」を特集している。戦後80年の日本の民主主義の欠陥を指摘している。(資料4参照)

 <20世紀の歴史学者ホイジンガは、社会は前近代までは大人を中心に作られていたが、近代になって急速に大人たちが幼児化していると論じ、その現象を「文化的小児病」と名付けた。それから時代がずっと流れてきた今、小児病の最先端の国として日本があり、その行きつく果てに誕生したのが石破茂という政治家だ。>(藤井聡)

 <トランプの再登場で世界は目に見えて変わってきた。戦後アメリカの覇権の下に構築されてきたリベラルな国際秩序が崩壊を始めた。トランプは欧米の亀裂を意図的に作り出そうとしていて、喧嘩を売られたことで欧州各国の対抗心に火が付いた。一方石破政権はアメリカを怒らせないことしか考えていないように見える。>(柴山桂太)

 <石破茂は「○○しなければならない」という表現を多用するが、これはステートメントであって、コミットメントではない。自らの行為に関わる宣言ではなく単なる認識を口にしているだけなのだ。政治家ならコミットしろと思う。>(藤井聡)

 <外交の現場に約40年にわたって籍を置き、何人もの総理大臣に接してきたが、率直に言って支え甲斐があった総理は、中曽根康弘と安倍晋三の二人しかいなかった。確固とした歴史観、国家観を有し、外国の首脳に対峙して位負けすることがなかった。そんな二人とは比べようがないが、石破茂という人は鳩山由紀夫や菅直人と同じカテゴリーに分類・整理するのがふさわしい。>(山上信吾)

 残念ながら、何れも全く同感である。今日本は戦後最大の危機の渦中にあるというのに、石破首相は言葉を弄ぶだけで歴史観と国家観に基づく決断をする意思がないようだ。

 世界はトランプ大統領の一挙手一投足に右往左往している。しかし視点を変え、好き嫌いを排除して俯瞰してみたらいい。トランプ大統領は、「国内の分断と国力の弱体化」が深刻なアメリカを建て直そうと、誰が何を言おうが意に介せずに果敢に行動している。世界中を敵に回しても国益を追求するトランプ大統領、一国のリーダーとして立派ではないかと思うのだ。

 「失われた30年」の結果、日本はアメリカに劣らず国力の衰退が著しく、さらに「戦後レジームからの脱却」を棚上げしてきた結果、戦うスピリットをも喪失して漂流している。視野を日米の外において客観視すれば、その深刻な現状が見えてくる。今政権に求められるのは、トランプ再登板を千載一遇の好機到来と捉え、日本の戦後レジーム解消という難題を一気呵成に解決してしまおうという戦略的行動である。

 憲法改正、対米依存からの自立、米軍基地縮小と横田基地返還という戦後最大の未解決問題に本気で取り組むことが保守・自民党の責務である筈だ。この局面においてなお、それに挑戦しようとせず国内問題に埋没するようであれば、自民党は既に国益に有害なゾンビ政党になり果てたとみなす他ない。

戦後の議会制民主主義を改めるとき

 <日本の問題は、石破茂を総理大臣に選んだ自民党の問題であり、それを一定程度支持している世論の問題でもあり、彼の行動に対して本質的な批判を避けようとする知識人の問題でもある。>(柴山桂太)

 但し戦後80年の日本が現在抱える問題は、単に石破首相だけの問題ではない。事態はもっと深刻である。真の問題は石破首相が選任されたプロセスの中に潜んでいる。

 永田町では今、玉木首相待望論が与野党双方から台頭しているという。しかもその理由は二つあるという。自民党にはポスト石破の候補がいないことに加えて、自公連立政権が衆議院で少数与党となったために、新総裁を選出しても野党が首班指名を一本化すれば勝てないからだという。その結果与党も野党も玉木首相を推薦するのだと。

 投票で決まる以上勝たなければ意味がないのだが、この動きには本質的な要素が二つ欠落していることを指摘しておきたい。一つは、次の首相が備えるべき資質と能力に関する人物評価論の欠落である。「ポスト石破の候補がいない」というが、次期首相に求められるのは激変する世界情勢の中で各国首脳と渡り合い、日本の国益を守り、未来を切り開いてゆく資質と能力でなければならない。

 他一つは、名乗りを上げる候補者が、どういう世界観、歴史観、国家観を持ち、日本の未来像についてどういうビジョンを持ち、それを実現するために総理大臣になったら何に挑戦するのかをテーマに、候補者どうしが充分な議論を戦わせるステップの欠落である。

 総じて言えば、「小児病」と称される石破茂氏を選出した自民党総裁の選出のプロセス自体が、激変モードに入った世界情勢に全く適合していないことが問題なのだ。『石破茂という恥辱』という特集号は、戦後80年は世界が比較的平穏だった故に何とか旧態依然の政治で体裁を保ってきたが、トランプが起こしつつある激流の中でどうにもならなくなった日本の現状を論じている。これは政治家の問題であると同時に、旧態依然の政治を続けてきた「小児病」国家日本の姿なのだと。

 ウクライナ戦争の終結を誤れば、「ロシアという専制主義国に欧米という民主主義諸国が負けた」という重大な結果を招く。日本は「座して米欧に従う」という従来の姿勢を改めて、「日本ならどうするか」を真剣に考えなければならない立場にある。トランプ大統領の目論見を理解した上で、かつG7のメンバー国として、さらには東アジアに有事事態が転移したときの最前線に位置する国として、トランプ大統領に対し逆提案を行ってでも主体的に行動すべきであろう。その行動は近未来の東アジア事態に備える重要な布石になると同時に、「ポスト戦後80年」の時代の、新しい日米関係を模索する第一歩となるのだと信じて止まない。

参照資料

資料1:久保田勇夫-武藤敏郎対談、産経4/25

資料2:乾正人、石原慎太郎に学べ、産経4/25

資料3:田中宇、国際ニュース解説4/23

資料4:クライテリオン、5月号

ウクライナ和平後の世界

トランプ大統領の施政方針演説から読み解く

プロローグ

 トランプ大統領は就任から43日が経過した3月4日に、上下両院合同会議で施政方針演説を行った。この演説を紐解くことで、トランプ大統領が何処に立って、何を目指し、何と戦っているのかを読み取ることができる。以下、施政方針演説の発言からの引用箇所は<>で示した。(参照:資料1)

 トランプ氏は昨年11月6日に大統領選の勝利を確実にし、今年1月20日に第47代大統領に就任した。トランプ大統領は就任した1月20日に26本、1週間で36本、43日間で100本に近い大統領令(Executive Orders)に署名し、400以上の行政命令(Executive Actions)を発出して、「トランプ時間」と呼ばれる驚異的なスピードで政策を実行している。

「常識の革命」

 トランプ大統領が何処に立って、何を目指しているのかを知るキーワードは「常識の革命(Revolution of Commonsense)」である。

 大統領就任式のスピーチで、トランプ大統領は「アメリカの黄金時代が今から始まる」と述べ、「政府は信頼の危機に直面している。過激で腐敗した支配層が国民から権力と富を搾取し、国内の単純な危機さえ対処できず、国外では壊滅的な出来事の連鎖に陥っている」とバイデン前政権を激しく批判した。そして自らがこれから何をやるかを語る前に、「常識の革命が始まる」と述べた。(資料2)

 ニューズウィーク誌は1月29日の紙面で、「トランプ革命のポイントは庶民感覚に基づいているところにある」と書いている。「不法移民のこれ以上の無軌道な流入は防ぐべきで、連邦政府のDEI政策は行きすぎている、外国を貿易で儲けさせる前に自国の産業を立て直せ」という主張は確かに庶民感覚そのものだ。(資料3)

 さらに「革命は内政だけではないとして、トランプ大統領が唐突にグリーンランドやパナマ運河の領有を言い出したが、発想の根底にあるのは西半球(アメリカ大陸)至上主義だ。アメリカは今後西半球の防衛と外交に集中し、欧州やアジアから距離を置くだろう。NATOへの塩対応はその証拠で、今後日本に駐留米軍の経費負担を露骨に求めることがあれば、それもまた裏付けと考えていい。」と指摘している。(資料3)日本にとって重要なポイントである。

 施政方針演説の中で、トランプ大統領自身が「常識の革命」の一端だと述べて、43日間で取り組んできた成果を語っている。その主なものは次のとおりである。なお施政方針演説の和訳は、3月6日の産経新聞が掲載した紙面を参照した。

 <就任宣誓から数時間以内に、南部国境に国家非常事態を宣言した。そしてわが国への侵略を撃退するため米軍と国境警備隊を配備した。

 <就任直後に全ての連邦政府の採用を凍結し、全ての新しい連邦規制を凍結し、全ての外国援助を凍結した。>

 <グリーン詐欺を終わらせ、パリ協定から離脱し、WHOと国連人権委員会から脱退した。>

 <EV義務化を打ち切り、自動車産業の労働者と企業を経済的破壊から救った。>

 <連邦政府でDEI政策という暴政に終止符を打った。民間産業や軍においても同じだ。> 

 <公立学校から批判的な人種理論の毒を排除した。そして性別は男性と女性の二つだけであることを米国の公式方針とする大統領令に署名した。男性が女子競技に参加することを禁じる大統領令にも署名した。>

 「常識の革命」というように、共通していることは極端に行き過ぎた前政権の政策を全て白紙に戻して、アメリカの労働者階級の「常識」に戻す措置であることだ。一言で言えば、「リベラル全体主義」を徹底的に排除したということだ。

不法移民対策

 <就任直後に南部国境に国家非常事態(a national emergency on our southern border)を宣言し、米軍と国境警備隊を配備した。国土を守るためにこれらの脅威をどのように排除し、アメリカ史上最大の強制送還作戦(the largest deportation operation)を完了させるかを具体的に示した詳細な資金要請を議会に送った。>

 <それに比べて史上最悪の大統領だったジョー・バイデンの下では、4年間で2100万人に上る不法入国(illegal crossings)があり、殺人犯や麻薬の売人、ギャング、精神疾患者を含むほぼ全員が釈放された。>

 数値の正確性はともかく、4年間で2000万人を超える不法入国があったという事実は、そもそも理解を遥かに超えるものだ。それを放置してきた前政権は国を破壊してきたと糾弾されても、まともな反論は出来ないだろう。それでも2024年の大統領選挙では、トランプ氏が選挙人538人の内312人を獲得したのに対して、ハリス氏が226人を獲得したという事実もまた理解を超えている。バイデン政権の副大統領だったハリス氏に投票した人が7464万人(トランプ氏は7700万人)存在したことは、日本人の「常識」からすれば理解不能である。

連邦政府の暴走を止める

 <インフレ対策をさらに進めるため、エネルギーコストを削減するだけでなく税金の浪費を根絶する。その目的のために、全く新しいDOGE(Department of Government Efficiency、国家効率化省)を創設した。>

 <イーロン・マスクが率いるグループによって、多くの詐欺行為が発覚し、暴露され、直ちに終わらせた。我々は数千億ドルもの詐欺行為(hundreds of billions of dollars of fraud)を見つけた。>

 <現在何十万人もの連邦政府職員が出勤していない。この責任感のない官僚機構(unaccountable bureaucracy)から権力を取り戻し、米国に再び真の民主主義を復活させる。>

 <政敵に対し司法を武器化(weaponizing law enforcement)して執拗に攻撃することを実質的に止めさせた。憲法に基づく法の支配の下、公正、平等、公平な司法を取り戻すため、FBIと司法省を手始めに迅速かつ果断に行動してきた。>

 トランプ氏の大統領選への再出馬を阻止するために、バイデン政権下で行われた「司法の武器化」は外から眺めていても相当に酷いものだった。それを実行した司法省とFBIを最初の対象に選んだことは当然だ。DOGEが暴いた連邦政府に巣くう腐敗と詐欺の実態は、アメリカという国の統治機構の修復が途方もない難題であることを物語っている。

リベラル全体主義者の追放

 <馬鹿げたグリーン詐欺(the ridiculous green new scam)を終わらせた。我々が数兆ドル支出しているのに他国が負担しない不公平なパリ協定(the unfair Paris Climate Accord)から離脱した。腐敗したWHO(the corrupt World Health Organization)からも、反米的な国連人権委員会(the anti-American U.N. Human Rights Council)からも脱退した。>

 人類の近代史は戦争と革命の歴史として綴られている。その戦争や革命は自然発生で起きたものではなく、そのシナリオを描いた勢力がいて、資金と武器を提供した勢力がいた結果起きたものだ。ウクライナ戦争もその例外ではない。

 ウクライナ戦争を起こしたのはそもそも誰か?トランプ大統領は、軍事行動を起こしたのはロシアだが、ロシアをそそのかした勢力、或いはロシアが軍事行動を起こすことを知っていて抑止しなかった勢力を敵視していることが明らかである。バイデン大統領は事前にプーチン大統領が軍事侵攻に踏み切ることを示唆する発言を繰り返していことは事実であり、またゼレンスキー大統領はそれを知りながら軍事侵攻を抑止する行動を取らなかった。

 フリーの国際情勢解説者である田中宇氏が2月10日の「国際ニュース解説」で次のように述べている。(資料4)

 「リーマン危機後、G7は経済政策決定機能をG20に譲り、先進諸国が環境問題や人権問題などのリベラルな政策を決める枠組みになった。その後、先進諸国の温暖化や人権民主やジェンダーの政策は、人々に超愚策を強要するリベラル全体主義となった。」

 トランプ大統領は就任直後からDOGEを使って驚異的なスピードで米国内のDSに関与した政府高官を追放し、財務省からの活動資金の流れをストップさせた。

 ヴァンス副大統領は欧州に乗り込んで2月14日にミュンヘンで開催された安全保障会議で、リベラル全体主義化した西欧諸国の誤りを痛烈に指摘する演説を行った。また、ヘグセス国防長官はEUを訪問して、欧州諸国は防衛費をGDP比で現状の2%から5%に引き上げて、その金でウクライナ支援を継続することを要請し、米国は関与しない意思を伝達した。

 この一連の動きから判断すると、トランプ政権が最も敵視しているのは、国内においては社会を、国外においては世界を、意図的にかつ巧妙に誤った方向に誘導してきたリベラル全体主義勢力であることが明らかだ。

 「但しウクライナの和平合意が締結される5月頃には、欧州の英傀儡エリートは弱体化している。欧州議会では政権交代が進み右派が拡大しつつある。米国が抜けると欧州だけでウクライナを軍事支援する流れにはならず、米国も欧州も反英・反DSのトランプ系となってウクライナが終戦してゆく展開になりそうだ。」

 田中宇氏はこのように書いているが、ウクライナ戦争の終結を契機とし、トランプ第2期政権が歴史の転換点となって、アメリカ民主党政権、EU幹部、及び実際に政策を実行してきた官僚組織が一掃されてゆく展開となるだろう。重要なことはこの歴史的な大転換の後にやってくる世界がどういうものになるかだ。

誤ったイデオロギーの追放

 <我々は連邦政府でDEI(Diversity, Equity and Inclusion)政策という暴政に終止符を打った。民間産業や軍においても同じだ。我が国はウォーク(woke)には決して戻らない。>

 <我々は学校や軍隊からウォークネス(Wokeness)を排除しつつあり、それは既に社会から消えつつある。ウォークネスはトラブルであり、悪い言葉だ。我が軍の兵士たちは活動家や思想家ではなく戦士や戦闘員となり我が国のために戦う。(Our service members won’t be activists and ideologues. They will be fighters and warriors.)>

 〔注〕Wokeという用語は、当初人種・性・LGBTQ+など、社会的な差別に対する目覚めを表す俗語として使われたが、西欧の中道派・右派は、左派による排他的な運動やイデロギーに対する侮辱表現としてwokeを使うようになった。

 <公立学校がトランスジェンダーのイデオロギーを子供達に教え込む(indoctrinating our children with transgender ideology)ことを禁止した。子供達の性転換を恒久的に禁止、違法化し、子供が間違った体に閉じ込められているという嘘を永遠に終わらせる法案を議会に可決して欲しい。(This is a big lie. And our message to every child in America is that you are perfect exactly the way God made you.)>

 第二次世界大戦期におけるイデオロギーの対立は、民主主義対共産主義だった。それから約半世紀後にソヴィエト連邦が崩壊して、民主主義の勝利が確定したかに見えた。しかし共産主義は消滅することなく、現在のロシアや中国に代表される専制主義へと形を変えた。しかも民主主義対専制主義の対立の構図が残ったまま、民主主義陣営にリベラル全体主義やDEIというイデオロギーが蔓延った。こうして民主主義陣営の分断が進行した。

 トランプ政権は就任直後から不法移民対処と同時にイデオロギーを弱体化させることに精力的に取り組んだ。こうして就任後僅か50日で制圧の目途を立てたことになる。但し、イデオロギーを制圧することは困難であり、これによって国内の分断が収束に向かうとは限らない。

エネルギーと金属資源政策

 <就任初日に国家エネルギー非常事態(a national energy emergency)を宣言した。我々の足元には地球上のどの国よりも多くの黄金の液体(liquid gold、つまり石油と天然ガス)が眠っている。掘って掘って掘りまくれだ。>

 <今週後半、重要な鉱物やレアアースの生産を米国で劇的に拡大するという歴史的な行動も起こす。>

 トランプ大統領は何故レアアースに注目しているのか。その答えを産経新聞特別記者の田村秀男氏が3月4日の産経新聞「経済正解」に書いている。(資料5)

 「米国が中国の追随を許さないのは、生成AI等の半導体、それに戦闘機やミサイルなどの兵器だが、ここには重大な弱点がある。これらの製造は何れもレアアースやガリウム、アンチモンなどレアメタルを必要としている。リチウムイオン電池は電極に黒鉛を使っている。」

 ここで問題は、レアアース、ガリウム、黒鉛の生産量において中国がダントツの世界1位であり、アンチモンでは中国とロシアで世界の生産量を独占している。レアアース資源が豊富なグリーンランド獲得にトランプ大統領が意欲を表明したのも、ウクライナとレアアース資源採掘の取引に積極的なのも、地政学的な理由の他に希少金属資源の戦略的重要性を踏まえたものだ。

基幹産業の復活

 輸入品に対する一連の高関税措置は、国産に比べて安価で競争力の高い輸入品が大量に流入した結果、衰退を余儀なくされたアメリカの基幹産業を復興させることと、それによってラストベルトに働く労働者の生活基盤を改善することに狙いがある。

 <防衛産業基盤(defense industrial base)を強化するために、商業や軍事の造船業を復活(resurrect the American shipbuilding industry)させる。そのために、今夜私はホワイトハウスに造船に関する新たな部署を設置し、この産業を米国内に呼び戻すための特別な税制優遇措置を講じることを発表する。>

 日本製鉄によるUSスチールの買収が政治的に注目され、大統領マターとなったことは記憶に新しいが、アメリカ基幹産業の復活、そのためのエネルギー産業の復活、安価で安定したエネルギー供給がMAGAを実現する必須要件であることは言うまでもない。また造船業の復活は、防衛産業基盤を強化する意味で死活的に重要である。

中国政策

 実は3月4日に行われた施政方針演説には、驚くほど中国に対する言及がない。未だに具体的な対抗措置をとっていない。トランプ大統領は、本丸中国と対峙する前に搦手から手を打っている感がある。パナマ運河とグリーンランドに関する発言にその思惑が見て取れる。

 <国家の安全保障を一層強化するために、パナマ運河を取り戻すつもりであり、すでにその作業を始めている。パナマ運河は多くの米国人の血と財産を犠牲にして建設された(The Panama Canal was built by Americans for Americans, not for others.)ものであり現代のコストに換算すれば、米国史上最も高くつく計画でもあった。>

 <我々は国家安全保障及び国際的な安全保障のためにグリーンランドを必要としている。(We need Greenland for national security and even international security.)>

 対中政策に関しては、その全容が現時点で見えていない。今までのところ、トランプ政権は本気で取り上げていないし、表立った行動を開始していない。本丸と考えられる対中政策には満を持して臨もうとしているのか、それとも中国とは別のもっと大きな取引をしようとしているからなのか、現時点では判別できない。

 考えられる一つの可能性は、対中カードの切り札となるのがプーチン大統領であって、ウクライナ戦争の終結過程でプーチン大統領をとり込むまで、対中カードを切れないというものだ。

ウクライナ戦争の終結

 <ウクライナの野蛮な紛争終結のため精力的に取り組んでいる。この残忍な戦争では、何百万人ものウクライナ人とロシア人が不必要に殺され負傷した。米国はウクライナの防衛を支援するために数千億ドルを送金してきた。そんなことを今後5年も続けたいのか。>

 <欧州は悲しいことに、ウクライナを守るために費やした費用よりも、ロシアの石油やガスを買うために費やした費用の方が多い。アメリカは約3500億ドルを費やした。一方欧州が費やしたのは1000億ドルだ。アメリカからは大西洋の彼方の出来事であるというのに、この差は一体何だ。>

 <この狂気を止める時だ。殺戮を止める時だ。無意味な戦争(this senseless war)を終わらせる時が来た。戦争を終わらせたいのであれば、両陣営と話をしなければならない。アメリカがウクライナの主権と独立を維持するためにどれほどの支援をしてきたかを本当に評価している。(We do really value how much America has done to help Ukraine maintain its sovereignty and independence.)>

 2月23日に産経新聞は、FOXニュースラジオが主催したトランプ大統領のインタビュー記事を掲載した。インタビューでトランプ大統領は次のように注目すべき発言をしている。(資料6)

 ①ロシアには攻撃すべき理由はなかった。

 ②開戦当時自分が大統領だったなら戦争は起きなかった。ロシアを容易に説得できた筈だ。

 ③ゼレンスキー大統領は交渉カードを持たないまま開戦後の3年を過ごした。

 この指摘は正論であるが故に反論が難しい。何故なら歴史上の如何なる戦争においても、戦争を回避できる手段が存在しなかったという証明は困難だからだ。確かに、トランプ大統領のようにディールとカードをもって臨めば、軍事侵攻を抑止できた可能性はあったに違いない。但し、それも超大国アメリカだからこその話であり、ウクライナ対ロシアでは力の差は歴然であり、戦略意図をもったプーチン大統領を説得することは困難だったに違いない。

 それでもトランプ大統領の指摘はある意味正しいのかもしれない。トランプ氏の発想に立って考えれば、「国際社会のことは、戦争を含めて、大半はディールで解決できるものだ。それができない指導者は無能だ。」ということになる。

 しかしディールに哲学とプリンシプルが伴わなければ、単に儲ければいいというビジネスマンの思考になってしまうだろう。果たしてトランプ大統領はビジネスマンなのかそれともステーツマンなのか?ここを見抜くことが重要だ。ウクライナ戦争の和平合意にそれが反映されるだろう。

トランプ大統領が成し遂げたいこと

 トランプ大統領が成し遂げようとしていることは何か。施政方針演説を含め今までの言動から整理すると、たとえば次のとおりである。

 ①世界各地で戦争を起こし、国内で分断を推進してきたリベラル全体主義及びディープ・ステート(LT/DS)勢力を追放及び無力化する。

 ②ウクライナ戦争とイスラエル・パレスチナ戦争を早期に終結させ、アメリカは欧州から手を引き北米に回帰する。

 ③最大の脅威である中国を弱体化させる。

 ④従来のLT/DS勢力に代わり、国際秩序を担う体制を再構築する。この場合、LT志向が強いEUとは距離を置き、米露中による新ヤルタ体制を志向する可能性が高い。

 ⑤MAGAを強力に推進する。アメリカは巨額の財政赤字を抱えている。それを抜本的に改善する。そのために貿易収支を抜本的に改善しつつ、ドル覇権を維持する。BRICSの脱ドルの動きを阻止する。

 ⑥アメリカの基幹産業を再興し、アメリカの労働者の生活を改善する。

 我々は、トランプ政権が4年間、トランプ時間で爆走を続けるとしたら、世界はどのように変わるだろうかという問いについて真剣に考える必要がある。田中宇氏は、2月16日の「国際ニュース解説」で次のように述べている。(資料7)

 「米国は欧州と同盟して露中を敵視する米単独覇権の国から、露中と組んで欧州の間違いを懲戒する多極型世界で北米を代表する国に転向した。トランプは米中露を仲直りさせ、覇権主義のリベラル派を無力化し、戦争を終結させて、世界を安定的な多極型に転換する冷戦後の過程を完結させてゆくだろう。」

 トランプ大統領という人物は戦争の終結もディールと捉えている。利害得失をハッキリさせて、損得の構図をもとに解決しようとする。こう考えると相当に破天荒な発想の持ち主に見えるが、視点を変えてみれば、人類史における戦争は何れもが当事国間の歴史に刻まれた因果関係と利害の対立から生まれたものだ。それを終戦に導くとしたら相応に強引な発想と力の行使が必要になるだろう。

 エマニュエル・トッド氏が『欧州の敗北』と断定したように、欧米が科したロシア制裁は今までのところ顕著な結果をもたらしていない。バイデン政権とEUがリベラル全体主義に立って世界に同調行動を呼びかけたが、G7を除く主要国は同調せずBRICSにはせ参じたのだった。ロシアはBRICSの支援を得て、非ドル貿易によって経済と戦争を維持してきた。サウジアラビアはPDS(petrodollar system)の密約を破棄し、BRICSの新たなS(従来は南アフリカ)として露中側に接近した。このようにしてドル覇権体制が崩壊を始まり、世界の多極化動向がはっきりした。

プーチン大統領の思惑

 ニューズウィーク日本版はプーチン大統領が目指す目標について分析した記事を2月26日に掲載した。(資料8)

 「トランプ政権はプーチン大統領のウィッシュリストを1つずつ叶えるような姿勢を見せている。ピート・ヘグセス米国防長官はウクライナのNATO加盟の可能性を否定し、ロシアに占領された全ての領土を回復するという目標を放棄するようウクライナに促した。・・・ウィッシュリストの次の項目は、和平合意の締結前にウクライナに大統領選を実施させ、ゼレンスキー大統領を失脚させることだろう。」

 「(ロシア周辺国に対して)ロシアは一貫して同じ戦略を取ってきた。即ち選挙でロシア寄りの権威主義的な体制を誕生させ、そこに提供する資金を腐敗から作り出し、偽情報を拡散して支援するという戦略である。ウクライナが早期の選挙実施に追い込まれれば、ロシアはまたこの手段を使うだろう。ロシアが支持する候補者は完全な勝利を収める必要はない。ロシアとしてはウクライナを分裂させ、ロシア寄りの候補者にも勝機があることを示せればいい。これは短期的には、ウクライナ国民を戦争から解放し平和へと続く道に見えるかもしれない。だが長期的にはウクライナをロシアの影響下に引き戻す可能性もある。」

 これは驚くべきことだ。プーチン大統領は長期戦略で動き、トランプ大統領は短期成果を追求するとしたら、長期的にロシアが有利となるからだ。しかし同時に、ウクライナを分裂させロシア寄りの集団を育てるために、3年に及ぶ戦争をする必要があったのかという疑問が生じる。その間にロシアが失ったものは余りにも大きい。

 インフレが10%に達し、それを抑制するために金利を21%に設定するなど、ロシア経済が被った打撃は相当深刻である。例えば、戦争経済の長期化、シリア政権崩壊、NATOの結束と軍事力の大規模な増強、ロシア圏諸国におけるロシア離れの長期的動き等だ。恐らくプーチン大統領はウクライナに軍事侵攻すれば、ゼレンスキー大統領は短期間で失脚し、ロシアよりの勢力が台頭すると読んだのだろう。この誤算のツケをロシアはこれから払ってゆくことになる。

トランプ・シナリオの落とし穴

 産経新聞は2月21日に閉幕したG20会議について22日に報じている。(資料9)

 EUのカラス外交安全保障上級代表は、「米露間の接触の様子を見る限り、ロシアはウクライナの領土を可能な限り獲得するという目標を放棄していない。もし侵略者に全てを差し出せば、世界の全ての侵略者に同様のことをして構わないという合図を出すことになる。」と述べてトランプ政権を批判した。」

 カラス氏の指摘は正鵠を射ている。トランプ大統領がプーチン大統領の戦争責任を不問にして、対中国政策や他の目的のためにプーチン大統領と手を組むとしても、この問題を解決しなければならない。

 東京大学准教授の小泉悠氏は、2月26日の産経新聞正論で「人ごとではない頭ごなしの停戦」という記事を載せている。(資料10)

 「ロシアは2014年~15年に最初の軍事介入を行っており、これに対して二度のミンスク合意が結ばれた。だが、第1次ミンスク合意は数カ月しかもたず、第2次合意は(2022年の軍事侵攻によって)7年で破られた。現場レベルの小規模な停戦合意違反は20回以上に及ぶ。この経験を踏まえるなら、言葉の上でだけロシアに停戦を約束させるのでは不十分である。」

 「日本はたまたま米国にとって(対中国の)最重要正面に位置しているのであり、安全保障への米国のコミットメントを今後とも当然視する確固たる根拠はもはやあるまい。1979年の電撃的な米中和解を思い起こすなら、大国が我々の頭ごなしに地政学的構図を一気に書き換えてしまうということは十分にありうる。」

 戦争をさっさと終結させることを考えても、トランプ大統領には正義という発想はない。ロシアをG8に戻すという発想には、軍事行動を起こしたロシアを裁くという認識が欠落している。もしトランプ大統領のシナリオに従ってウクライナ戦争が終結に向かえば、「侵攻された方に隙があり、抑止する力がなかったのだから諦めろ」という裁きとなるだろう。そしてそれは「アメリカ覇権の時代が終わったということはそういうことなのだ」という、世界に対する警告となるだろう。

 G7にロシアを加えてG8とするというトランプ大統領の意向と、プーチン大統領を戦争犯罪で裁く法定を作ろうとしているEUの意思は両立できない。正義と秩序を重視するEUはG8案に賛同しないだろう。もしトランプ案に妥協すれば、国際法を踏みにじったプーチン大統領とロシアの責任を無罪放免とすることになるからだ。

 東京裁判を持ち出すまでもなく、歴史に残る事件は多かれ少なかれ正義とは無関係に裁かれてきた。トランプ大統領は国際秩序の正義には興味がない。かくして欧州とトランプ大統領の離反は決定的となるだろう。G8以前にG7が瓦解してゆく展開となりかねない。

 トランプ大統領とプーチン大統領に共通していることは、利害関係でのみ行動することと、行動すると決めたら誰が何を言おうが意に介しない胆力がある点だ。逆にトランプ大統領の言動を非難している欧州のリーダーは正義感という錦の御旗のもとで利害を追求しているが故に、トランプ大統領やプーチン大統領が演じているパワーゲームにおいてはなす術がない。

 前駐中国大使だった垂(たるみ)秀夫氏は、2月7日の産経新聞に寄稿して次のように述べている。(資料11)

 「米国には自ら国際政治経済を守ろうとする発想などない。要するに、国際法を軽々と破ってウクライナを侵略するロシアのプーチン大統領、既存の国際秩序の変更を企む中国の習近平主席とトランプ大統領による新たな三国志演義が始まったのだ。」

 この指摘もまた正鵠を射ている。トランプ政権は米国第一主義であって、民主主義陣営を牽引することに興味はない。言い換えれば、そうせざるを得ない程にアメリカは衰退し分断が深刻化しているということなのだ。トランプ大統領、プーチン大統領、習近平国家主席が卓を囲む新たな三国志演義が始まるということは、国際法が形骸化することに他ならない。それは「日米関係が基軸」という前提が消滅することを意味する。その場合、日本は行動の基準を何処に求めるのだろうか。

エピローグ

 トランプ革命はまだ始まったばかりである。トランプ大統領の意識の根底には、戦後80年が経過するに至り、アメリカの国力が衰退し、分断が深刻化し、基幹産業が崩壊し、基幹産業に従事する労働者層の貧困化が進み、貿易赤字が常態化し、財政赤字が返済不能のレベルに急増したアメリカの極めて深刻な現状がある。それ故のMAGAなのだ。

 「LTやDEI、LGBTQ+などと、そんな念仏を唱えている間に世界の情勢は悪化した。戦争を3年も続けるとは実に馬鹿げた話だ。アメリカにはもはやそんなことに付き合っている余裕はない。一足先に一抜けてMAGAに専念することとした。欧州のことはEUの責任において巧くやったらいい。」・・・トランプ大統領の本音が聞こえてきそうだ。

 この続きとして「アジアのことは日本が責任をもってやればいい。片務的な日米安全保障条約は見直さなければならない。」という発言が懸念される。

 何れにしても、ウクライナ戦争の終結ができてもできなくても、トランプ大統領の4年間に世界情勢は劇的に変わることは間違いない。戦後80年の現在、歴史上の大転換が進行しているのである。果たして日本にはこの覚悟と準備ができているのだろうか。

参照資料:

1.Transcript of President Donald Trump’s speech to a joint session of Congress, 2025.3.6

2.「トランプが目指す常識の革命」、田中良紹、Yahoo、2025.2.26

3.「トランプが言った常識の革命」、Newsweek、2025.1.29

4.「米諜報界=DS潰れてウクライナ戦争も終わる」、田中宇、国際ニュース解説、2025.2.10

5.「トランプ大統領は権力亡者なのか」、田村秀男、産経、2025.3.4

6.「露は全土掌握できる」、産経、2025.2.23

7.「米露和解と多極化の急進」、田中宇、国際ニュース解説、2025.2.16

8.「プーチンの最終目標が見えた」、Newsweek、2025.2.26

9.「欧州:露和平に意欲なし」、産経、2025.2.22

10.「人ごとではない頭ごなしの停戦」、正論、産経2025.2.26

11.「首相は日本一外交を」、垂秀夫、産経、2025.2.7

トランプ氏は誰と何と戦っているのか

すんなりと決着した大統領選

 多くの識者が、アメリカ大統領選が行われた11月5日は騒乱の前夜となると予測していた。だが、実際にはすんなりとトランプ元大統領が勝利した。

 10月30日に公開した『分断から内戦に向かうアメリカ』では、次のように書いた。

<もし大統領選でトランプが再選されれば、ひとまず右派の決起は避けられるが、間違いなく左派の暴走が起きるだろう。逆に2020年の大統領選挙、2022年の中間選挙に続いて今回も露骨な選挙不正が行われてハリスが勝利することになれば、民兵組織にとって我慢の限界を超える事態となるだろう。

 何れにしてもアメリカ社会の分断は沸騰点に到達しようとしており、どちらが勝利しても騒乱が避けられず、最悪の場合には武器をとって撃ち合う事態に発展する可能性が高い。

 さらに得票数が僅差となれば、敗れた方が「選挙不正があった」と騒ぎ出すことが充分予測される。「2020年の大統領選で、民主党陣営による郵便投票を悪用した大規模な不正が行われた」というのは仮説の域を出ていない。「そんなバカな」と思う人にとっては陰謀論に聞こえるだろう。しかし今回の選挙結果に対して、「選挙不正があった」と非難する声が上がるとすれば、その背景に「2020年の選挙不正」の疑惑が解明されないまま封印された事実があることは明らかである。>

 だが「11月5日の大統領選ではトランプ氏が圧勝した。さしたる騒乱は起きなかった。めでたしめでたし」とはならない。そう断言する根拠は三つある。第1に国際社会は混乱の極みにあること、第2にトランプ対DSの戦いは何一つ終わっていないこと、そして第3に国内の分断問題は何も解決されないまま放置されていることだ。〔注〕DSについては後述。

 ところで予想は何故外れたのだろうか。三つの要件が同時に成立したからである。つまり、第1にトランプ氏が大勝したこと、第2にハリス氏があっさりと敗北を認めたこと、そして第3に2020年の大統領選と異なり、トランプ氏の勝利を阻止する実力行使が行われなかったことだ。

 この中で謎は第3である。三つの可能性が考えられる。

 第1は、トランプ氏が圧勝した(312対226)ために覆す手段が存在しなかったか、もし強行すれば民兵組織が全国規模で銃をとって立ち上がる等、右派のリアクションが大きすぎて内戦が勃発してしまうため、実施できなかったというものだ。

 第2は、そもそも選挙戦の途中でバイデン大統領を引きずり降ろし、ハリス副大統領に交代させた手順は相当に荒っぽいものだった。バイデン大統領の耄碌ぶりも聞くに堪えないものだったし、ハリス氏に至ってはもし正規の民主党の大統領候補の選定手順を踏んでいたら、決して候補には成り得なかったと思われる程、大統領候補としての適性を欠いた人物だった。従って民主党陣営も早い段階から「今回は勝てない」ことを予測していた可能性が高いというものだ。

 第3は、バイデン政権下の3年余において国際情勢・国内情勢共に、混沌・混乱が増大しアメリカの覇権体制が揺らぎ始めたことが鮮明になった。我々の認識とは異なり、DSから見れば「バイデン大統領は良く任務を果たしてくれた」と評価をしていて、後は「トランプさん、お手並み拝見だ。」と高みの見物を決め込んでいるのかもしれない。

 後述するように、最も可能性が高いのは第3の理由である。

バイデン政権下で変化した国際情勢(概観)

 バイデン大統領政権下で変化した国際情勢を俯瞰してみよう。バイデン大統領が就任したのは2021年1月である。それ以降に発生した6つの重大事件を時系列で拾った。

 第1は、米軍のアフガニスタンからの全面撤退である。2021年の8月31日にアフガニスタンに駐留していた米軍最後の軍用機がアフガニスタンを離陸した。アメリカは2001年にアフガニスタンに部隊を派遣しタリバン政権を排除して、20年に及ぶ軍事作戦に終止符を打って、タリバンにアフガニスタンを明け渡して撤収したのだった。

 第2は、2022年2月24日に起きたロシアによるウクライナへの軍事侵攻である。

 第3は、2023年10月7日に起きたハマスによるイスラエルへの軍事テロである。

 二つの戦争は何れも長期化して拡大し双方に相当の死傷者が発生したが、現在に至るまで終結の目途は立っていない。

 第4は、SWIFTを武器化して制裁に使ったことだ。最初の事例は、イランの核開発に対する国連安保理による制裁決議に基づいて、EUが中央銀行を含むイランの25の銀行に対しSWIFTのサービスを停止したもので、2012年のことである。続いて、ウクライナ戦争を始めたロシアに対しても制裁の一環としてEUとアメリカはロシアの主要銀行をSWIFTから追放する措置をとった。ちなみにSWIFTとは「国際銀行間通信協会」の略称であり、この組織が提供する国際金融取引の決済ネットワークシステムである。

 第5は、ロシアが欧米からの制裁に対する対抗措置として、ドルに依存しない原油等の貿易決済システムを中国と組んで作ったことだ。今ではBRICS諸国に呼び掛けて「BRICS通貨」を作るべく奔走している。BRICSは西側諸国・G7に対抗する仕組みとして、当初の五ヵ国に加えて、アラブ首長国連邦、イラン、エチオピア、エジプトが参加して九ヵ国となり、さらにサウジアラビアが参加を検討中である。

 そして第6は、PDSの失効である。アメリカは1972年のニクソンショックにおいて、ドルと金の兌換を一方的に停止した。それと並行してアメリカは1974年にドル覇権を維持するために、サウジアラビアと『ワシントン・リヤド密約』を結び、アメリカが安全保障を提供する代わりに、原油の取引を全てドルで行う体制を構築して、ドルの覇権体制を再確立した。これをPDS(Petro Dollar System)という。それから50年が過ぎて、2024年7月にサウジアラビアは密約の破棄を決定した。こうして半世紀にわたってドル覇権の支柱となってきたPDSは消滅した。

 ここで重要なことは、以上の6つの事件は相互に無関係に起きたものか、それとも共通のシナリオのもとに引き起こされたものかだ?

バイデン政権下で変化した国内情勢(概観)

 バイデン政権下で悪化した国内情勢については幾つも事例を挙げることができる。思いつくままに列挙すれば、第1に不法移民が急増したこと、第2にフェンタニル中毒患者が急増したこと、第3に中間層から貧困層に没落した人口が増加したこと、第4に大都市において凶悪犯罪が増加して治安が悪化したこと、そして第5に左派と右派の間の分断が深刻化したこと等々だ。

 『分断から内戦に向かうアメリカ』で既に書いたように、バイデン政権下の2021~24年の合計で730万人もの不法移民がアメリカ国内に流入した。メキシコと国境を接するテキサス州は「これは侵略であり、連邦政府は州を防衛する憲法上の義務を放棄している」として独自の州法を成立させて逮捕と強制送還に乗り出した。このように「バイデン政権が政策として不法移民の流入を促進してきた」ことは明白である。

 分断問題の根源は、左派による行き過ぎたポリティカル・コレクトネス(PC)活動と、LGBTなどのマイノリティの権利を過剰に要求する活動にあった。既にトランプ氏は米軍から全てのトランスジェンダー軍人を追放する行政命令を出すことを公言している。

 アメリカ国民の多くが陰湿なPC/LGBT攻撃の標的にならないようにじっと我慢してきたのに対して、唯一攻撃を跳ね返す存在であり続けたトランプ氏が、圧倒的多数の支持を得たことは至極当然と思われる。トランプ氏は大統領就任以降、バイデン時代に浸透したPC/LGBT攻撃を認めない政策を次々に打ちだすことが予想され、大統領選では決起のタイミングを失った左派が、その政策に反応して騒動を起こす可能性が高まることが予測される。

 分断がここまで深刻化した責任は一体誰にあるのか。11月30日の産経新聞「産経抄」に、バイデン大統領が就任する2021年1月に安倍元首相が語ったエピソードを紹介していてとても興味深い。

1)トランプ氏が分断を生んだのではなく、アメリカ社会の分断がトランプ大統領を生んだ。

2)その分断を作ったのはリベラル派であり、オバマ政権の8年間だった。

3)オバマ政権下で、リベラル派が我こそ正義とばかりにPC(政治的正しさ)を過剰に振りかざしてきた。誠にこのとおりだと思う。

 問題は一体バイデン政権は何故このような政策を推進したのかだ。

バイデン政権は何を推進したのか

 このように俯瞰した上で結果から判断すると、2021年1月に就任したバイデン政権がこれまでに推進してきたことは、ドル覇権体制を崩し、アメリカを弱体化させ、国内外の秩序を不安定にし、世界を多極化させるシナリオの一環だったのではないかという疑念が生じる。ウクライナ戦争に関しては、ロシアがウクライナに軍事侵攻することを黙認しただけでなく、ウクライナに武器を供与してロシアとの代理戦争をさせ、戦争を長期化させて消耗戦となるように仕向けたのではなかったか。

 いついかなる戦争においても、戦争の当事国の他に、戦費と兵器を提供する集団が存在する。当事国は戦争で疲弊する一方で、彼らは戦争で大きく儲けてきたことは歴史が証明するところである。

 ロシアに対するSWIFTからの追放という制裁は、ロシアがSWIFTに代わる国際取引の決済手段を構築することを促した。その間にPDSが消滅し決済の「非ドル化」が進んだ。この一連の事件は、ドル覇権を瓦解させる方向で符号している。

 では一体バイデン大統領は何故そんなことを推進したのだろうか。この疑念は、バイデン政権の背後にDSの存在があると解釈すれば説明が付くのである。同時に2020年の大統領選挙で郵便投票を悪用した大規模な選挙不正を行ってまでバイデン大統領を誕生させた理由も、また今回の大統領選では実力を行使しなかった理由も、全て説明が付くのである。

 これを書いている12月1日に、驚愕する情報が飛び込んできた。アメリカのNBCニューズ他のメディアが11月30日、トランプ次期大統領が自身の「Truth Social platform」に以下のコメントを書いたと報じたのである。

 <BRICS諸国には、新しいBRICS通貨を作らないこと、もしくはドルに代わる他の通貨を支持しないとの確約を求める。さもなくば100%の関税を課すことになり、素晴らしいアメリカ市場との商いに別れを告げることになるだろう。>

 これはトランプ次期大統領が、「ドル覇権体制の瓦解はバイデン政権下で進められた」と認識していることを示すと同時に、そんなことは断じて許さないという強い警告を発したものである。手段の是非や適否はともかく、これはトランプ氏が切ったカードであり、BRICS加盟国はロシアをとるかアメリカをとるかの二者択一を迫られることになるだろう。

 本来BRICSは、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの頭文字を綴った略称であるが、最近ではSはサウジアラビアだと言われてきた。サウジアラビアはBRICS加盟に色気を出しており、トランプの脅しは、PDSを解消し、BRICS加盟に走ろうとしたサウジアラビアを牽制するものである。

トランプ対DSの戦いとは何か

 DSとはどういう存在なのか。お断りしておくが、国際情勢を見るときには、軽々に陰謀論というレッテルを貼って思考停止に陥らないことが賢明である。世界で勃発する事件は何れも偶発的なものではなく、それを仕掛けた勢力がいて、シナリオを書いた勢力がして、それで儲ける勢力がいると考える方が真相に近い。あの太平洋戦争ですらそうであったことは、6月9日に公開した『思考停止の80年との決別第3部』で書いてきた通りである。

 DSの存在は、トランプ氏が公言したことから広く認知されるようになった。概念的に捉えれば、ここでは大統領の指示にも面従腹背する官僚組織の幹部層、特に司法省やFBI或いは国防総省の幹部に、国際金融資本家や軍産複合体、さらにはグローバリズムの推進者を等を括った集団と理解しておくこととする。

 アメリカの近代史を振り返ると、総じて戦争を起こすのは民主党で、それを共和党が収拾するという役回りだった。今回もそうなりそうだ。バイデン政権の時にウクライナ戦争とイスラエル・パレスチナ戦争が起き、トランプ次期大統領がそれを終結させることになるからだ。

 世界の近代史においては、戦争が起きるとその当事者双方に戦費を高利で貸し付ける金融資本家が存在した。日本がロシア相手に戦った日露戦争においても、戦費のほとんどは、グローバルに事業を展開する英国と米国の投資銀行を介して、ロンドンとニューヨークで調達されている。今も昔も戦争によって大きく儲ける集団が存在しているのである。

 さらにいえば、世界には秩序よりも混沌、安定よりも不安定を望む集団が存在する。最近の事例を挙げれば、リーマン・ショックやコロナ・パンデミック、或いは資源インフレや大規模災害が発生したとき、各国の政府が巨額の補正予算を組んで対応したことは記憶に新しい。騒々しい世の中になるほど多くのマネーが流通し、そのマネーに群がる集団が暗躍することは事実である。

 コロナ・パンデミックが世界を襲った時、巨額の利益を上げたのは主にワクチンを提供したアメリカの企業だった。各国は言い値で人口分のワクチンを買い漁ったことも事実である。

 二つの世界大戦を契機に大英帝国からアメリカに世界の覇権が移動して、戦後アメリカは世界の覇権国として君臨した。特に米ソ冷戦時代には、共和党のレーガン大統領がソ連に対して軍拡競争を仕掛けて、ソ連邦を経済的に破綻させて崩壊・解体に追い込んだ。それ以降アメリカ1強時代が到来した。

 アメリカ1強は安定の時代であり、テロやゲリラ戦争を除けば国と国の戦争は減少した。アメリカ1強体制が揺らいで多極化に向かえば、世界は不安定となり、地域紛争が起こりやすくなる。戦争で儲けようとする集団にとっては、アメリカが弱体化することが望ましいのである。さらに付言すれば、M7(マグニフィセント・セブン)のようなグローバリストにとっては、もはや国家は様々な制約を課す存在でしかないということである。

 既に書いてきたように、飽くまでも結果から判断すれば、バイデン政権下で顕在化したドル覇権の崩壊とBRICS結束強化の動きは、世界を不安定化させる要因である。バイデン政権はその不安定化を促進しようとし、トランプ次期大統領はそれを許さないことを宣言した。

 こう考えると、トランプ氏が目指しているのは、MAGA(アメリカを再び偉大な国にする)ことであり、そのためにドルの覇権を維持し、それに挑戦する国の登場を容認しないということだ。これを構図として捉えれば、DSにとってトランプ氏は敵以外の何物でもないことになる。

アメリカの覇権が限界に近づいている

 来年2025年は世界大戦終結から80年、ドルと金の兌換を停止したニクソンショックから53年、PDSが成立しドル覇権体制が維持されてから50年、そしてアメリカ1強体制が始まったソ連邦崩壊から34年になる。この間にアメリカの力の衰えが徐々に顕在化し、バイデン政権を含めて世界が多極化の方向に向かう動きが見えてきた中で、2025年1月にトランプ第二期政権が誕生する。ドル覇権体制の維持を巡るバトルの幕が開けることになる。

 ここで、マネーがどれほど世界に溢れているか。資料1他を参照してデータを整理してみよう。

・世界の債務:377兆ドル(2010年の80兆ドル)

・アメリカの財政赤字:1.83兆ドル(FY2024)で、前年度比8.1%増加

(コロナ渦のFY2020の3.13兆ドル、FY2021の2.77兆ドルに次ぐ過去3番目の規模)

・アメリカの財政赤字/GDP比:6.4%(FY2024)で、前年度の6.2%から悪化 

・金に対するドルの価値:市場価格は1オンス=2000ドルで、ブレトンウッズ会議(1944)から80年間で1/57に減価

・流通するドルの総量:米国内に5~6兆ドル、世界では(推定)50~100兆ドル

〔注〕FY:会計年度、アメリカの場合10/1~9/30

 ここで、特に注目すべきは次の三点である。

 ①世界全体の債務は、2010年からの15年間で4.5倍に増加した

 ②アメリカの財政赤字は年に約1.8兆$(約270兆円)で年々増加し、GDP比でも増加した。

 ③世界に流通するドルの総量は、推定でアメリカ国内の約10倍以上ある

 そもそもアメリカがドル覇権国であるということはどういうことだろうか。エネルギーに留まらず世界貿易において決済通貨としてドルが使われていることであり、貿易を行うために世界がドルを必要としていることである。つまりドルの需要が世界中にあるためにアメリカは米国債やドル紙幣を幾らでも印刷できる特権を保有している。

 ブルームバーグの12月3日の記事によれば、国際決済銀行(BIS)が2022年に発表した3年に1度の調査結果によると、外国為替市場取引の規模は1日に7.5兆$ありドルのシェアは約88%に上るという。(参照:資料2)

 覇権国の特権と引き換えに、アメリカは世界最大最強の軍事力を保有し、世界中に米軍基地を保有してプレゼンスを保持している反面、世界最大の財政赤字を抱えているのである。年間1.8兆ドルもの財政赤字を出しているにも拘わらず、毎年巨額の米国債を買い続ける国があることによって、米国のドル覇権体制が維持されてきた。

 しかしながら、この特権はいつまでも続かない。何故なら過去に発行した国債の償還額が年々増大し、財政赤字の増大によって新規発行の国債額もまた増加の一途にあるからである。国債の買い手が存続する限りドル覇権を維持することは可能だが、買い手がいなくなった途端にアメリカは予算を組めなくなり、ドル覇権は終了することになる。

 では米国債の保有者はどこにいるのかと言うと、資料1によれば、約40%が中国、約30%が日本、約15%がサウジアラビア、5%が英国、残り10%がその他であるという。発行済みの米国債の総額は一説に16兆$と言われるが、本当のところは分からない。

 この体制の存続を脅かすリスクは、既にアメリカの内外で顕在化している。外部リスクは二つある。まずアメリカは中国を世界最大の敵とみなしており、トランプ氏は関税戦争を仕掛けようとしていることは周知の通りである。次にサウジアラビアはアメリカと締結してきたPDSを破棄しBRICSに参加しようとしている当事者である。中国もサウジアラビアもアメリカに対して米国債を売却するというカードを保持しており、もし大量に売却すれば、その時点でアメリカのドル覇権は崩壊してしまうのである。

 次に内部リスクとして考えられるのは、アメリカが国債の償還に応じられなくなる事態である。もしそうなればドルの信認は一瞬にして消滅しドルは暴落するだろう。

 こう考えるとき、トランプ新大統領が掲げるMAGAの実現は、ドル覇権を維持することが大前提であって、相当難しい舵取りが要求されることが分かる。

近代資本主義も限界に近づいている

 1月31日に公開した『終焉を迎えるバブル経済と資本主義(3)』において、そもそもバブルとは何か、現在進行中の金融資本主義というバブル、アメリカ債券バブルと中国土地バブルについて論じた。以下に要点を引用する。

 <政府が財政赤字を増加させてきたことがバブル経済を生んだ最大の原因だった。そして金融市場に供給された巨大なマネーがパワーを持って、政治経済や戦争にまで強大な力を行使してきたことが、資本主義の歪みを増大させてきた原因だった。

 この過程でバブル膨張と崩壊のサイクルが繰り返され、サイクルを繰り返すたびにバブルは膨張した。そして現在、アメリカと中国で連動してバブル崩壊が起きようとしており、さらに住宅や不動産市場のバブル崩壊を経て、次は債券市場でバブルが崩壊しようとしている。バブル崩壊の規模において、現在は最終かつ最大のバブル崩壊が起きる前夜にある。>

 「円キャリートレード」と呼ばれる取引がある。「超低金利の円建てで資金を借り入れ、円をドルに換えて、高金利のドルで投資して稼ぐ取引」であり、円とドルの為替レートと日本と米国の金利差を巧みに利用する投機ビジネスである。

 特に最近では不動産バブルが崩壊し、経済の失速が鮮明になった中国からマネーが一斉に引き揚げられて、高金利を維持しているアメリカに還流して、米国市場の株式、証券、不動産市場でバブルを膨張させてきた。こうして世界が成長の低迷に喘ぐ中でアメリカだけが成長を続けようとしている。

 「バブルの膨張に必要なのはマネーの流入と市場である」と言われる。現在の状況は、超低金利の日本が資金を提供し、高金利のアメリカが市場を提供する形でバブルが成長してきた。ここで重要なことは、バブル形成に日米両政府が当事者として関与している事実である。

 この点において、過去に起きたバブル崩壊と、これから起きるバブルの間には決定的な違いがある。

 ①まず政府の立ち位置が違う。過去において政府・中央銀行の役割はバブル発生の被害を局限化するための対策を講じる立場だった。しかし、近未来ではそもそも政府・中央銀行がマネーの供給者としてバブルの当事者に連座しているために、被害を局限化する立場になく、救済手段を講じることができない。

 ②次に起きることが予測されるのはM7バブルの崩壊であり、国債の発行や償還ができなくなる「債券バブル」の崩壊である。特に国家が国債の新規発行と償還ができなくなる事態は、「国家のデフォルト」に他ならず、国が借金を踏み倒す事態となる。

 資料1によれば、現在アルゼンチンを筆頭に世界の70ヵ国がIMFや世界銀行、或いは他国からの融資を返済できなくなる事態に陥る可能性が高いという。国家が破産するという事態は、バブル経済でやってきた近代資本主義の行き詰まりと捉えることができるのではないだろうか。

 トランプ次期大統領はBRICSに対してドルに代わる通貨の登場を許さないと警告したが、それはドル覇権の維持が次期政権にとって死活的な要件であることを吐露している。同時に、バブル経済でやってきたアメリカ覇権体制が限界に近付いていることの証左でもある。

 もしアメリカで債券バブル崩壊が起きれば、それは世界の金融市場に壊滅的な打撃を及ぼすことになり、バブル経済を前提としてきた近代資本主義が破綻する事態となるだろう。このように、トランプ第二期政権は、資本主義の歴史においてマネーが膨張し過ぎた危機的な時代に登場することを肝に銘じておかなければならない。

エピローグ(トランプ氏は現代のドン・キホーテか)

 最後に、トランプ氏は一体誰と、或いは何と戦っているのか私見を述べて締め括りたい。

 第一は、アメリカの国内事情という戦場において、民主党・左派・DS集団に対して、「行き過ぎたイデオロギーを是正して、本来のアメリカを取り戻す」戦いだった。オバマ政権以降の民主党政権下では、過剰かつ過激な「PC、LGBT、多様性の要求」というイデオロギーが国内に蔓延していた。その過激な風潮の中で被害者となった労働者階級、中産階級、或いは正規の手続きを経てアメリカ市民となった移民層のために、本来のアメリカを取り戻そうという戦いを挑んだのではなかったか。

 第二は、国際社会における戦いでは、グローバリズム、中露イランに代表される専制主義、地球温暖化というプロパガンダ、それとマイノリティが権利を声高に要求する場と化したさまざまな国連機関等に対して、アメリカのナショナリズムと国益を取り戻す戦いだった。そのように思える。

 そして第三は、アメリカ1強という時代にあって、世界の「3K(きつい、汚い、危険)」の任務をアメリカに押し付けてきたNATOや日本を含む同盟国に対して、平和と安全と繁栄を追求するのであれば、応分の負担をし役割を担えと要求する戦いである。それが嫌ならNATOから脱退し、米軍基地を引き払うというカードを切り、ディールに臨もうとしている。

 そのように俯瞰すると、戦後80年間、覇権体制を担ってきたアメリカが莫大な財政赤字を抱えて予算を組むことすら危ぶまれる瀬戸際に立っている現実が見えてくる。誠に「トランプ氏は現代のドン・キホーテを演じようとしている」そう思えるのである。

 日本は戦後アメリカに従属して経済的繁栄を享受してきたのだが、トランプ第二期政権の誕生に臨み、そんな甘い認識では戦後80年以降の「一歩間違えば戦乱再びもあり得る」激動の時代を生き抜いてゆくことは出来ないと断言しておきたい。

 アメリカ1強体制にひびが入った戦後80年以降に、一体どういう国際社会を作るのか、秩序と平和と繁栄を維持する仕組みをどう再構築するのか、そのために日本はどういう役割を担うのかという命題に真剣に向き合い、日本のオプションを用意しなければならないのだ。

 「アメリカが押し付けた憲法」の制約をできない言い訳とし、その大役から逃げ回ってきた過去はトランプ第二期政権誕生と同時に吹き飛んでしまうのだと覚悟を決めなければならない。トランプ氏と巧くやっていく方法はそれ以外にはありえない。日本は今その瀬戸際に立っている。

 最後に触れておきたい。トランプ第二期政権において首席補佐官に就任することになっているスーザン・ワイルズ(Susan Wiles)という女性(1957年生)がいる。大統領選でトランプを圧勝させた名参謀との評価が高い人物である。今まで述べてきたように、トランプ第二期政権を待ち構える国際情勢・国内情勢は、何れも混乱の極みにあるのだが、そのような絶体絶命の状況にあって、ワイルズ氏はホワイトハウスの舵取りを担うことになる。トランプ氏といい、ワイルズ氏と言い、世界を背負い時代を担う人物が登場するところに、アメリカの凄さと健全さを垣間見えるのである。

参照資料:

資料1:「米国債の巨額踏み倒しで金融統制が来る」、副島隆彦、徳間書店、2024.7

資料2:「ドルを武器化するトランプ氏、BRICSへの無用な挑発になる恐れ」、Bloomberg、2024.12

分断から内戦に向かうアメリカ

プロローグ

 アメリカ大統領選までカウントダウンとなった。過去には共和党と民主党が雌雄を決する戦いを繰り広げてきたが、近年では共和党支持者と民主党支持者の間の対立が激化して、アメリカ社会の分断が深刻化してきた。

 その根底には、アメリカ社会を構成するマジョリティの変化とマイノリティの増加がある。すなわち建国以来アメリカ社会の有権者の大半は白人層だったが、その後に起きた二つの大きな変化によって、アメリカは白人が市民のマジョリティの地位を失う最初の民主主義国家となる見込みだ。これはアメリカ歴史における大事件と言うべき変化だ。

 その二つの変化とは、奴隷の身分だった黒人層が公民権を獲得したことと、アジアや南米他からの移民が大規模に増加したことである。近年ではそれに加えて不法移民の急増がアメリカ社会にとって脅威となっており、アメリカ大統領選の重要な争点となっている。

 11月5日に迫ったアメリカ大統領選は、トランプ氏対ハリス氏、共和党対民主党、右派対左派(リベラル)対立の構図となっている。右派には何れも民兵組織のオース・キーパーズ(Auth Keepers)やⅢ%ers(Three Percenters)、左派には過激派のアンティファ(Antifa)やバーン(BAMN)が陣取っている。さらにキリスト教原理主義者(Christian Fundamentalists)と白人労働者層が右派の岩盤層を形成しており、片やディープ・ステートが民主党の背後に控え、フェミニストやマイノリティ層が左派の岩盤層を形成している。

 アメリカを分断させた両陣営が今まさに激突しようとしている。オバマ大統領以降、大統領選を経るたびに両陣営の対立は激化してきたが、今回の大統領選ではトランプ氏、ハリス氏の何れが勝っても騒乱が避けられない状況となっている。

 本資料を書くにあたって、全般的に歴史研究家のマックス・フォン・シュラー氏が書いた資料1を参照した。

1.分断の起源と歴史

 分断は2016年の大統領選にトランプ氏が登場した頃から深刻化してきた。但しトランプ大統領誕生が分断の原因ではない。分断はアメリカの歴史の中で形成されてきた現象であって、もっと根が深い。資料2が分断の起源と深刻化してきた経緯について論じているので、要点を以下に整理する。

1)アメリカの分断は2001年の同時多発テロを起源とする。平和を志向するリベラルと、報復を主張する保守の対立が現実のものとなった。

2)2008年にリーマンショックが起きた。事態の早期収拾を図るための公的資金投入に対する賛否を巡って分断が深まった。

3)冷戦後グローバル経済が拡大したのと相まって、アメリカを牽引する産業が「油まみれの」産業から知的産業へ、主役の交代が起きた。加えて2009年にはオバマ大統領が誕生し、白人層からマイノリティ層へ主役交代が鮮明になった。

4)人口構成におけるマイノリティ層の増加とそれによる白人層の相対的減少は、二大政党の支持層の構成を大きく変容させた。即ちマイノリティが民主党に結集し、「取り残された人々」やキリスト教原理主義者は共和党へ結集して、分断の構図が明確になっていった。

2.移民の国アメリカ

 アメリカは移民の国であり、基本的にアメリカ市民は移民に対し好意的である。主な理由が二つある。第一に、建国以来絶え間なく移民が流入して人口が堅調に増加し、力強い経済成長を遂げてきたアメリカの歴史がある。そして第二の理由は、優秀な移民がイノベーションの担い手となってきたことである。

 もう一つ重要な事実は、アメリカには移民を受け入れるフロンティアが常に存在したことだ。まず建国以来の歴史には「西部」というフロンティアが存在した。西部開拓の時代が終わり土地というフロンティアが消滅した後も、アメリカは移民を受け入れながら新たなフロンティアを次々に開拓していった。自動車産業はアメリカが土地に代わるフロンティアを産業分野に求めた代表的な例である。この結果、いわゆる「油まみれの産業」が成長して多くの労働者を吸収していった。

 しかし、この領域は世界との競争分野だった。とりわけ戦後の日本やドイツとの間で品質と価格を巡る熾烈な競争が起きた。さらにGDPで日本を抜いた中国が台頭すると、「油まみれの産業」分野でのアメリカの市場支配力は衰退していった。

 次にIT分野の開拓とグローバリズムの推進によって、アメリカは再び市場の支配力を取り戻した。しかしながらIT産業では、マグニフィセント・セブン(Magnificent Seven)に代表される一部の企業が桁外れの利益を稼ぎ出す一方で、「油まみれの産業」で働いてきた白人労働者層はアメリカ社会のマジョリティの地位から滑落して「取り残された人々」となった。

 目覚ましい経済成長を遂げてきたアメリカはその後も世界中から移民を呼び寄せ続けた。その結果アメリカでは人種や主義の多様化(Diversity)が進み、マイノリティの権利を主張する運動が活発になった。左派が展開してきた運動の背景には「マイノリティの増大とダイバーシティの拡大」という潮流がある。

 資料3は現在の左派と右派の対立を、左派の牙城であるカリフォルニアから、しかもリベラルな視点から俯瞰したものだ。サンディエゴ大学のバーバラ・ウォルター教授はこう述べている。「アメリカが世界の牽引役であるとすれば、カリフォルニアはアメリカの牽引役である。(左派と右派の対立が激化したからと言って)アメリカは歴史の終局点に立たされている訳ではないと信じる。むしろ刮目すべき新時代の始点に立っているのだ。」

 この自負や良しだが、事態をかなり楽観視し過ぎているように思える。ウォルター教授はカリフォルニア州を「移民とインクルージョン(包含)の先進政策州」と評しているが、一方でカリフォルニアが直面している課題に眼を転じれば、ホームレス数は全国の1/4を占め、所得格差は全米で4番目に大きく、治安が極度に悪化している現実がある。治安の悪化はBLMの主張から警察を目の敵にして予算を削減してきた結果であり、カリフォルニア州が直面する深刻な課題は、「マイノリティとダイバーシティ」に係る、行き過ぎた政策を推進してきた民主党政権が招いた結果である。

3.2024年大統領選を巡る分断

 資料4は、破局に向かっている分断の背景について、次のように分析している。

1)民主主義を支えるには憲法、裁判所、規範が必要だが、米国では規範が崩れた

2)規範が崩れたのは二大政党の支持層が変わり、政党の分極化が進んだからだ

3)分極化が進んだ背景には、この半世紀に二大政党の支持基盤に起きた三つの巨大な変化がある

 ここで「三つの巨大な変化」とは、以下のとおりである。

1)1950年代後半~60年代前半の公民権運動の結果、選挙権を獲得した多数の黒人が民主党員になった

2)中南米やアジアからの移民の大半が民主党員になった

3)この動きと同時に、両党に分かれていたキリスト教福音派がレーガン政権以来圧倒的に共和党支持となった

 こうして今や民主党は都市で暮らす教育を受けた白人と、人種的マイノリティや性的マイノリティの混合体となった。ここまでの経緯を見てくると、民主党政権がマイノリティ層に対して手厚い政策を講じてきた背景に、支持基盤を維持するためという動機が働いていることが分かる。

 これに加えて、不法移民の急増と、民主党陣営による民主主義の規範の破壊によって、分断はトランプ対民主党、右派対左派の対立として先鋭化していったのである。左派と右派の双方に責任の一端があるにせよ、分断を作為的に煽ってきたのは、民主党による執拗な「トランプ攻撃」であり、熱狂的な左派によるPC活動だったことは明らかである。

 「トランプ攻撃」の代表的なものは、以下の三つである。

①トランプ大統領が就任した直後(2016~)から展開された「ロシア・ゲート事件」

②バイデン政権が誕生した2020年の大統領選挙における郵便投票を悪用した組織的な選挙不正

③2024大統領選に向けて司法当局が行ったトランプ氏の再登板を阻止しようとする執拗な「司法の武器化」

 ちなみにロシア・ゲート事件とは、2016年の大統領選挙において、ロシアがサイバー攻撃等による世論工作を行ってトランプ大統領の勝利を支援したという疑惑だが、2019年に公開された連邦政府の特別検査官による報告書では、ロシアが介入した証拠はないことが結論付けられている。

 このように大統領選挙は左派と右派が激突する最大のイベントとなっているが、その根底に左派によるPC(Political Correctness)活動、LGBTやブラック・ライブズ・マター(BLM、Black Lives Matter)に代表される「マイノリティの権利とダイバーシティの拡大」を主張する過剰な活動が横たわっていることは明らかだ。

4.分断を促進した左派

 資料1の中でシュラー氏は、「アメリカ人は完璧に差別がない社会を作ろうとする。自分の価値観を他人に強要する攻撃手段としてPCが編み出された。PCを振りかざして誰かを告発しようと躍起になる人達はSJW(社会正義の闘士、Social Justice Warrior)と呼ばれている。この性癖故に、アメリカ人は他国と共存することが出来ない。それどころか、自分の国の中でも共存できていない。些細なことを問題にして自分の国を破壊している。」と分析している。

 民主党支持層として活動する主な集団には、マイノリティの権利を執拗に主張し、PC、LGBT、BLMなどの活動を展開しているフェミニスト集団と、過激派集団のアンティファとバーン、それとアメリカの支配階級であるディープ・ステートが名を連ねている。資料1を参照して、それぞれの集団について以下に簡潔に説明する。

 まずフェミニストの活動は反ベトナム戦争から始まったウーマン・リブの流れを組むものである。彼らは社会を変える手段として学校教育を選び、小学校レベルから子供達を洗脳する教育をやってきた。この結果、現在のアメリカの教育システムは、過渡に敏感で自分勝手な人間を作り続けている。彼らは年齢的には大人だが、精神的にはとても幼稚で、どんな苦労も我慢することができない。

 次にBLMは全国的な黒人の権利主張団体である。彼らの活動は警察官に黒人が射殺された事件に抗議することから始まったが、問題なのは射殺された黒人男性の大半が犯罪者であることだ。BLMという運動は本格的な共産主義の形を見せている。民主主義において社会を変化させるための方法は政治的な活動と選挙なのだが、現在の左派はそれを無視して自分たちの価値観を他にも強制するために暴力を扇動している。

 アンティファとバーンは反トランプの中心的なグループで、正当に抗議を行う組織ではなく、いわゆる過激派集団である。アンティファは反ファシズムのグループとして1980年代に欧州で始まった。バーンは「By Any Means Necessary」の略語で「どんな手を使ってでも」という意味であり、1995年にアメリカで創設された。

 ディープ・ステートは組織ではなく、アメリカ上層部を形成する国際金融資本家、企業や官僚や軍のトップ層、それと大手メディアのトップで構成される。彼らは連携して行動する訳ではないが、共通点は戦争や危機を仕組んで大きく儲けようとする集団であることだ。

5.不可解な不法移民問題

 資料5によれば、トランプ政権下だった2017~20年には不法移民の流入数は累計でマイナスだったのが、バイデン政権下の2021~24年の合計で730万人に上った。特に2023~24年は240万人/年と急増している。この数字には政府の監視の目を潜り抜けて入国した逃亡者(推定数百万人)は含まれていない。

 これだけでも想像を絶する数字だが、さらに不可解なことに、資料1は不法移民が国境に到着すると、5,000ドルのデビッドカード、米国内の希望する都市への無料航空券、携帯電話がアメリカ連邦政府から支給されているという。

 この事実から、「バイデン政権が政策として不法移民の流入を促進してきた」ことが明白である。問題はバイデン政権が促進政策をとったのは一体何故かだ。マイナス面が甚大であるのに対してプラス面が見当たらないのである。民主党政権を支持する岩盤層がマイノリティとなった現状を踏まえると、不法移民に有権者登録をさせて民主党候補に投票させてきたという見方も否定できない。もしそうであるとしたら、民主党政権は支持基盤を厚くするために、国益を大きく毀損する政策をとってきたことになる。

 深刻化してきた不法移民の流入を巡って、州政府と連邦政府の対立が激化してきた。メキシコと国境を接するテキサス州は2023年12月に不法越境を犯罪とする州法を成立させて、州による逮捕と州裁判所による送還命令を可能とした。これに対しバイデン政権は、「州に移民を制限する権限はない」とする訴訟を起こし、係争中は施行を差し止めるよう最高裁に要求した。最高裁は連邦政府の要求を退け、暫定的ながらテキサス州法の施行を容認した。(CNN、3月20日)

 資料6によると、テキサス州のアボット知事(共和党)は、州法を整備した上で、殺到する不法移民を阻止するために州兵と州警察を動員して実力行使に乗り出した。アボット知事の認識は、「テキサスは侵略に直面しているにも拘らず、連邦政府が州を防衛する憲法上の義務を放棄している」とするものだ。今年1月の世論調査によると、米国の有権者の65%が国境問題は単なる危機ではなく侵略であると捉えている。

6.トランプを支持する右派

 民主党政権が480万人もの不法移民を受け入れた結果、安い賃金でも働く不法移民に仕事を奪われて、多くのアメリカ市民が中間層から貧困層へ転落しただけでなく、大都市の治安が極度に悪化した。これは民主党政権の重大な責任であるとして、移民政策に異議を唱える集団の代表が民兵組織ミリティア(Militia)である。オース・キーパーズとⅢ%ersがその代表的集団だ。

 アメリカの民兵組織は、政府の統制を受けないボランティア部隊で、完全に独立していて、大半のメンバーが連邦政府を敵とみなしている。しかもミリティアは元軍人であるので規律を重んじ、組織行動をとっている。民主党の政策の結果、彼らは貧困化しており、熱狂的なトランプ支持層となっている。オース・キーパーズには3万人のメンバーがいると言われる。名前の由来は「憲法で約束された自由を守る」からきている。Ⅲ%ersの意味は独立戦争で3%のアメリカ人が戦ったことに由来する。

 右派の中で注目すべき団体はキリスト教原理主義者である。キリスト教原理主義者は、キリスト教信者の中でも最も厳格に聖書の教えを信じ守ろうとする集団である。キリスト教原理主義には三つの波があった。植民地時代、南北戦争の前、そしてベトナム戦争後の現在である。以前と異なり現在の波は、現代の信者たちが政治的な主導権を取り戻そうとしていることにある。

7.大統領選投票日から起きる事態

 大統領選挙を契機として起きることが予想される左派と右派の衝突は、第二の南北戦争(Civil War)と称される様相を示すだろう。左派の実行部隊はアンティファやバーンであり、右派の実行部隊はオース・キーパーズとⅢ%ersに代表される民兵組織だ。左派と右派の双方が数万人規模の集団であり、アメリカでは武器が自由に手に入るので、ひとたび衝突すれば大惨事となる。

 客観的に比較すると、左派の実行部隊はいわゆる過激派でトラブルを起こすことは出来てもアメリカ社会を支配する能力はない。資料1でシュラー氏は「アンティファやバーンは単に甘やかされた子供達であり、フェミニストは大都市の外では何の力も持っていない」という。それに対して民兵組織は元軍人の集団であるから、ひとたび民兵組織が立ち上がればもはやFBIの手に負える事件ではなくなると指摘する。

 さらにオバマ政権の時にPCの波は軍隊にも持ち込まれて、軍隊組織においても男女平等、LGBT等マイノリティ重視が徹底された結果、アメリカ軍は深刻な混乱状態に陥った歴史がある。アメリカ軍を弱体化させた、行き過ぎた政策に不満・反感を抱く軍人が多く、もし民兵組織が立ち上げれば、現役の軍人が民兵組織に共鳴し合流することが予測される。

 もし大統領選でトランプが再選されれば、ひとまず右派の決起は避けられるが、間違いなく左派の暴走が起きるだろう。逆に2020年の大統領選挙、2022年の中間選挙に続いて今回も露骨な選挙不正が行われてハリスが勝利することになれば、民兵組織にとって我慢の限界を超える事態となるだろう。

 何れにしてもアメリカ社会の分断は沸騰点に到達しようとしており、どちらが勝利しても騒乱が避けられず、最悪の場合には武器をとって撃ち合う事態に発展する可能性が高い。

 さらに得票数が僅差となれば、敗れた方が「選挙不正があった」と騒ぎ出すことが充分予測される。「2020年の大統領選で、民主党陣営による郵便投票を悪用した大規模な不正が行われた」というのは仮説の域を出ていない。「そんなバカな」と思う人にとっては陰謀論に聞こえるだろう。しかし今回の選挙結果に対して、「選挙不正があった」と非難する声が上がるとすれば、その背景に「2020年の選挙不正」の疑惑が解明されないまま封印された事実があることは明らかである。

 アメリカの選挙の正確性は、僅差に耐えられるほど厳格なものではない。衆議院選挙が10月27日に行われ、翌28日の早朝には選挙の集計結果が公表される日本とは明らかに別物である。従って、もし有権者が集計結果に疑義を主張し、僅差で敗れた方が結果を信用しないという行動に出れば、それは選挙制度の崩壊、さらには民主主義の崩壊に繋がるものだ。そして有権者の怒りが、第二の南北戦争となって生起すれば、アメリカは修復不能な事態に突入することになる。正に今回の大統領選はアメリカにとって剣が峰なのだ。

8.没落するアメリカ

 今アメリカで進行している事態は、建国以来のアメリカの歴史と文化がもたらした結果である。今まで述べてきたように様々な要因があるが、沸騰点に向かっているアメリカ騒乱の大元の原因の一つは左派による行き過ぎたPC運動にあることは事実である。オバマ大統領はあろうことかアメリカ軍にまでPCを持ち込んだ。常軌を逸しているという他ない。

 原因のもう一つは、バイデン大統領が推進した数百万人に及ぶ不法移民の流入増加である。資料5によれば、2024年2月末に実施されたギャロップの世論調査は次の通りだった。

1)米国が直面する最重要課題が移民と答えたのは、共和党支持者52%、民主党支持者12%、無党派層21%

2)現在の移民急増を、危機と認識しているのは45%、大きな問題と認識しているのは32%、合わせて77%

3)政府の取り組みに対しては、非常に悪い/悪いと答えたのは共和党支持者で89%、民主党支持者でも73%

4)対策については、共和党支持者の77%が「不法移民の強制送還を増加」、72%が「国境の壁の拡張」

 アメリカ国民の大多数がPCで糾弾されることを恐れて沈黙してきたのに対して、唯一PC圧力に屈しない人物が登場した。それがドナルド・トランプだった。右派、とりわけマイノリティとなった白人層(特に労働者、元軍人など)にとってトランプ氏は救世主なのであり、今回の大統領選はアメリカが本来の姿を取り戻すラストチャンスとなったのである。

 かくして左派と右派の激突は不可避となった。歴史的に俯瞰すると、この衝突は1920年代にドイツからアメリカに逃れてきたマルクス主義の哲学者グループが「フランクフルト学派」を創設して種を蒔き、共産主義思想をもつ過激な左派がアメリカ国内に蔓延してきたという流れを変えられるかどうかの「関ケ原の戦い」なのだ。

9.「思考停止の80年」と決別する好機

 先に『思考停止の80年との決別』の連載を書いた。(「激変する世界」参照)来年は戦後80年の節目である。世界情勢が激変している今こそ、日本人が自発的・自律的に行動して戦後体制を刷新すべきだという主張として書いた。

 不幸なことに、「戦後レジームからの脱却」を唱えた安倍晋三元総理は暗殺されてしまった。しかし今、世紀の大転換が外からやって来ようとしている。トランプ氏とハリス氏の何れが大統領になっても、アメリカは騒乱状態となることが避けられず、国内秩序を取り戻すことで精一杯となるだろう。

 もし騒乱の原因を作った民主党が政権を維持する展開になれば、騒乱は内戦に発展する可能性を排除できないばかりか、ウクライナ戦争やイスラエル対イラン戦争を調停する役割も力もアメリカに期待できない事態に陥る。アメリカが没落し、鎮めるものが不在の世界の大騒乱の時代を迎えるだろう。

 飽くまでも日本からの視点ではあるが、アメリカが本来の姿を取り戻すためにも、また国際秩序を取り戻すためにも、トランプ大統領が再選されることが望ましい。トランプ氏なら、国内の騒乱状態を鎮めつつ、二つの戦争を終結に導く采配を期待できるかもしれない。しかしその場合でも、トランプ大統領は同盟国日本に対し、安全保障面でも経済面でも過去とは次元の異なる要求を突き付けてくる可能性が高い。

 こう考えると、日本は衆議院議員選挙の結果に右往左往している余裕など全くないのである。国内の混乱を手際よく収めて、目を大きく見開いて国際情勢の激変に備えることこそ、有事のリーダーが備えるべき要件である。

 『国防の禁句』という本がある。防衛省の幹部だった島田和久元事務次官、岩田清文元陸上幕僚長、武居智久元海上幕僚長の三氏が書いたもので、その冒頭には「誰が次の大統領になろうと(米国の)影響力の衰退は隠しようがなく、現状を所与のものと受け止め、日本は戦後初めて自分の足で立たなければならなくなった。そして自ら脳漿(のうしょう)を絞って、進む方向を考えなければならない」と書いているという。全く同感である。(産経新聞10月27日に紹介記事)

参照資料:

資料1:「内戦で崩壊するアメリカ」、Max von Schuler、ハート出版、2024.2月

資料2:「米国社会の分断は危険水域、大統領選後に第二の南北戦争勃発の可能性、その背景とは」、冷泉彰彦、Wedge Online、2024.10.21

資料3:「第2の南北戦争という内戦を回避できるのか」、サンディエゴ大学教授、バーバラ・F・ウォルター、東洋経済オンライン

資料4:「なぜアメリカはここまで分断したのか、3つの巨大なうねりに答えがある」、ハーバード大学教授、スティーブン・レビッキー、World Now、2020.10.6

資料5:「バイデン政権下で流入する730万人の不法移民」、前田和馬、第一生命経済研究所、2024.4.15

資料6:「内戦2.0-連邦政府とテキサス州との間で激化する対立の背景とは?」、マイケル・ハドソン研究所、2024.1.25

トランプ演説を読み解く

はじめに

 以下の事件が相次いで起きて、アメリカ大統領選の流れが激変した。

 ①6/27にジョージア州でバイデン、トランプの討論会が開催され、バイデン大統領の老化ぶりが明らかになった

 ②7/13にトランプ氏に対する暗殺未遂事件が起きた

 ③7/15にトランプ氏が正式に共和党の大統領候補指名を受けた

 ④7/21にバイデン大統領が大統領選撤退を表明した

 ⑤カマラ・ハリス氏が民主党の大統領候補として指名される公算が高まった

 トランプ氏は7月15日に開催された共和党大会で公式に指名を受けて受諾演説を行った。多分に誇張や演出が含まれているものの、大統領になった時の公約となるものであり、丁寧に読み解いてみたい。講演の全文が以下に掲載されているので、これを参照した。

Read the Transcript of Donald J. Trump’s Convention Speech」, the New York Times, 2024.7.27

トランプ氏に対する暗殺未遂事件

 この事件については演説の冒頭でトランプ氏自身が状況を説明しているので、簡潔に紹介する。

・狙撃犯の銃弾があと1/4インチ(約6ミリ)ズレていたら命はなかった

・射撃の直前に頭を少し右に回転させたことによって、弾丸は右の耳を貫通しただけで頭を直撃する致命傷を回避する ことができた。奇跡的だった。

 狙撃犯からトランプ氏までの距離は約130mで、銃弾は極めて正確にトランプ氏の頭を捉えて発射されていた。トランプ氏が軽症で済んだのは神がかりという程に、極めて幸運だったという他ない。

 この暗殺未遂事件については、以下の資料がアメリカで行われている真相解明の動きを報道している。

 資料1:「トランプ暗殺未遂事件の続報」、朝香豊、現代ビジネス、7/22、8/5

 資料2:やまたつカナダ人ニュース、7/15、7/17、7/23、8/4

 資料3:「米上院、トランプ氏暗殺未遂事件巡り公聴会 主なポイント」、CNN、7/31

 この事件に関する重要なポイントは、バイデン政権が関与した可能性だ。シークレットサービス(SS)のチートル長官、ロウ長官代理、アバテFBI副長官らが上院の公聴会で相次いで証言しているが、これにより明らかになった事実は以下のとおりである。なおチートル長官は公聴会の翌日に辞任を表明した。

1)狙撃犯のクルックス(Thomas M. Crooks)がAGRビルの屋上にライフルを構えている姿を銃撃の20分ほど前に地元警察のSWATが確認していたが、事前に無力化する行動をとらなかった。SSは指示を待たずに狙撃犯を射殺することが許可されているが、SWATは地元警察(背中にPOLICEの表示)であり、指示がなかったので発砲しなかった可能性がある。

2)クルックスは警備区域を出入りしていたが、終始ノーマークだった。演説会場上空にドローンを飛ばしたり、演説台までの距離をレーザー測距機で測定していたり、AR-15ライフルをカバンに入れて持ち込んだりしたことが分かっているが、誰にも制止されていない。

3)さらにSSと地元警察の連携に重大な問題があった。SSの認識では演説会場内がSSの分担で、狙撃場所を含む会場の外は地元警察の分担だった。しかしSSは当日朝行われた地元警察との調整会議を含め、事前調整を全て欠席していた。通常ならSSからSWATに対し事前にブリーフィングが行われるが、この日は行われなかった。さらにSS、SWAT、その他警備担当が使用する通信手段がバラバラだった。このため地元警察がSSに危険を伝達することができなかった。

 この事件の核心は、これが幾つもの不備が重なった「杜撰な警備」だったのか、それとも敢えてクルックス容疑者を泳がせて容疑者の発砲を放置したのかという点にある。当日のSSの行動については、SWATから疑問の声が上がっているだけでなく、SSの狙撃者対処部門からの内部告発メールがSS内に配信されている。このように一連のSSの不可解な行動の裏にバイデン政権から何らかの指示があったのではないかという疑惑が現実味を帯びている。

司法の武器化

 3月に行われた募金活動において、バイデン大統領はトランプ氏を指して、「実存する脅威(existential threat)が一つある。それはドナルド・トランプだ」と述べている。また6月27日の討論会では「人類に対する唯一の実存的脅威は気候変動であり、トランプの勝利は地球にとって壊滅的なものになるだろう。」と述べている。

 資料4:「Democrats say Trump is an existential threat」, Vox newsletter 7/1

 これに対してトランプ氏は指名受諾演説の中で「民主党は直ちに司法の武器化と政治上の敵対勢力を民主主義の敵とレッテル張りすることを止めるべきだ。」と述べ、「司法の武器化」に言及している。

The Democrat party should immediately stop weaponizing the justice system and labeling their political opponent as an enemy of democracy. >

 バイデン政権はトランプ氏の再選を阻止するために、執拗に司法を悪用してきた。「司法の武器化」とは、トランプ氏を強引に起訴して裁判で拘束し、高額な裁判費用を使わせて大統領選を有利にする行為を指している。「やまたつカナダ人ニュース」が7月15日のユーチューブの動画で、「司法の武器化」の現状を整理して報じている。

 それによると、まずトランプ氏に対する「司法の武器化」は四つある。①ニューヨーク州:ポルノ女優口止め料問題、②フロリダ州:自宅に機密文書を保持していた問題、③ワシントンDC:2020年1月6日の連邦議事堂への暴徒乱入事件、④ジョージア州:2020大統領選挙への介入問題である。

①については、既に34件の重犯罪で有罪評決が出ているが、大統領免責特権に係る要素があるとして控訴中である。量刑の言い渡しは9月に予定されていたが、大統領免責特権との関係が浮上して延期となった。(8月1日公表)

②については、トランプ氏を起訴したジャック・スミス特別検察官が資格のない一般人で、「ガーランド司法長官による特別検察官の任命は憲法違反であり、その人物が行った起訴は無効である」という連邦地裁の判断が出て消滅した。

③についても、②と同じ理由で起訴が無効となる可能性が高い。

④については、検察官を巡る疑惑が浮上したため審議が10月まで延期となった。大統領選には間に合わないことが確実となった。

 以上から明白なように、総じて起訴そのものが相当に強引であり粗雑である。そもそも①の事案が「34件の重犯罪に相当する」と言うだけでも常軌を逸している。トランプ再選を阻止するために、民主党側が「選挙不正、司法の武器化、そして暗殺(未遂)」という違法な手段をなりふり構わずに行使してきた可能性が高い。

 政府が絡む事件の真相が解明されることは期待できないため、仮説の域を出ることはなく、陰謀論として一蹴される可能性すらある。しかしケネディ大統領暗殺やレーガン大統領暗殺未遂事件を挙げるまでもなく、アメリカという国は、歴史の要所で同じような違法な手段を容赦なく行使してきた国なのだということを肝に銘じておくべきだ。

アメリカが直面する四つの危機

 トランプ氏は、現在アメリカはインフレ、不法移民、国際問題の三つの危機に直面していると述べている。しかし客観的にアメリカの現状を眺めると、次のように整理するのが分かり易い。

・アメリカの国内問題-分断、インフレ、不法移民

・覇権国としての問題-国際問題(ウクライナ戦争、イスラエル-ハマス戦争等)

 まず国内問題の内、インフレと不法移民問題は短期間で解決・改善が期待できるが、分断はそうはいかない。大統領選を誰が制しようとも、分断問題を解決することは至難の業だ。むしろ11月の大統領選によってさらに深刻化する可能性の方が高い。

 国内問題に関して、トランプ氏は第1期トランプ政権を次のように自己評価している。「自分は近代において新たな戦争を始めなかった最初の大統領だった。ブッシュ政権時、ロシアはジョージアに侵攻した。オバマ政権ではクリミア半島を併合した。そして現政権下ではウクライナ全土を狙っている。しかしトランプ政権時にロシアは何も取らなかった。」

I was the first president in modern times to start no new war. Under President Bush, Russia invaded Geogia. Under President Obama, Russia tool Crimea. Under the current administration, Russia is after all of Ukraine. Under President Trump, Russia took nothing.

 続けてトランプ氏はバイデン政権を次のように酷評している。「我々の敵対者たち(つまりバイデン政権)は、(トランプ政権時の)平和な世界を受け継ぎ、それを戦争の惑星に変えた。(平和だった世界は)アフガニスタンからの悲惨な撤退によって崩壊し始めた。それはアメリカにとって史上最悪の屈辱だった。その時多くのアメリカ市民とともに850億ドルもの兵器が置き去りにされた。そして今やアフガニスタンは米軍が現地に残した最新兵器を売る世界最大規模の売り手となった。」

Our opponents inherited a world at peace and turned it into a planet of war. It began to unravel with the disastrous withdrawal from Afghanistan, the worst humiliation in the history of our country. We also left behind $85 billion dollars’ worth of military equipment, along with many American citizens were left behind. You know that right now Afghanistan is one of the largest sellers of weapons in the world? They’re selling the brand-new, beautiful weapons that we gave them.

 表現に誇張はあるが、トランプ氏の指摘することは事実である。

第一の危機:分断

 トランプ氏は指名受諾演説の中で、分断について「今こそ我々は皆良き市民であり、神の下に全ての人が自由と正義を有する、一つの国で不可分であることを思い出す時だ。」と呼び掛けている。誠にその通りなのだが、現実は極めて深刻と言わざるを得ない。

Now is the time to remember that we are all fellow citizens — we are one nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

 そもそもアメリカの分断はどこから始まったのか。ハーバード大学のスティーブン・レビツキー教授が2020年に分析記事を書いている。要点を以下に紹介しよう。

・ここまで分断が進んだ背景には三つの「巨大なうねり」がある。第一に、民主主義を支えるにはルール(憲法)、審判(裁判所)、「規範」が必要だが、米国では規範が崩れた。1970~80年代には、両党の支持者は何れも白人のキリスト教徒が大半を占め、文化的に似ていて、政策に違いはあっても双方が嫌い合うことはなかった。

・それが1990年代になると、共和党は民主党を「裏切り者」「非愛国者」「反米」と呼ぶ論法を広め、相互寛容を放棄した。オバマ政権のときには、オバマを「非米国人」「社会主義者」などと呼ぶようになり、規範破りが顕著になった。

・第二に、この半世紀に二大政党の支持基盤に巨大な変化が起きた。即ち、公民権運動で選挙権を得た黒人の大半が民主党員になり、最近では中南米やアジアからの移民の大半が加わった。この結果、民主党は都市で暮らす教育を受けた白人と、人種的な少数派、性的少数派の混合体となった。これに対して、レーガン政権以来両党に支持が分かれていたキリスト教福音派の大半が共和党支持になった。

・そして第三に、選挙権に占める白人層の地位の低下がある。共和党を支持する白人層は1992年には有権者の73%を占めていたが、(移民の増加により)有権者が増加して、2024年には50%を割り支配的な地位を失った。多くの共和党支持層が「生まれ育った頃のアメリカが奪われた」と認識しており、これが共和党の過激化を煽り、分極化を引き起こした。トランプ氏が分断を煽ったのではなく、規範が既に壊されていた中で政権を獲得したに過ぎない。

 資料5:朝日新聞グローブ, 2020.10.6, https://globe. Asahi.com/

 この歴史を踏まえると、バイデン政権が不法移民の流入危機を黙認し、トランプ政権が侵略だと非難する理由を理解することができる。

第二の危機:インフレ

 トランプ氏は「インフレ危機を終わらせる」と宣言して、次のように述べている。「ほんの数年前、私の政権の時、我々は歴史上、世界史においても、最も安全な国境と最高の経済を保持していた。しかし4年も経たない内に敵対者(つまり現政権)は、類のない成功を前代未聞の悲劇と失敗に変えてしまった。・・・インフレは国民の貯蓄を空にし、中産階級を不況と絶望に追いやった。・・・私は壊滅的なインフレ危機を直ちに終わらせ、金利を引き下げ、エネルギーコストを引き下げてみせる。(国の)借金の返済に着手し、前回を上回る規模の減税を実施する。」

Just a few short years ago under my presidency, we had the most secure border and the best economy in the history of our country, in the history of the world. But in less than four years, our opponents have turned incredible success into unparalleled tragedy and failure. Inflation has wiped out the life savings of our citizens, and forced the middle class into a state of depression and despair. I will end the devastating inflation crisis immediately, bring down interest rates and lower the cost of energy. We’ll start paying off debt and start lowering taxes even further. We gave you the largest tax cut. We’ll do it more.

 「我々はまず市民に経済的救済を提供しなければならない。経済的救済プランの中核に据えるのは労働者に対する大規模な減税だ。物価を引き下げて手頃な価格でモノが買える国にする。現政権下で食料品が57%、ガソリンが60~70%上昇し、住宅ローン金利は4倍になった。合計すると家計費は家庭あたり平均28,000ドル増加した。」

First, we must get economic relief to our citizens. At the center of our plan for economic relief are massive tax cuts for workers. We will drive down prices and make America affordable again. Under this administration, groceries are up 57 percent, gasoline is up 60 and 70 percent, mortgage rates have quadrupled. The total household costs have increased an average of $28,000 per family.

 そしてトランプ氏は「アメリカで製品を売りたければアメリカで製造する。とても単純な公式だ。この公式を実践すれば巨大な雇用を創造できる。」と述べて、製造業の国内回帰に言及している。

The way they will sell their product in America is to build it in America, very simple. This very simple formula will create massive numbers of jobs.

 特に自動車産業に言及して「自動車産業を取り戻す。工場が国内に建設され、アメリカ人がそれをマネージメントすることになる。もし(外国企業が)同意しないなら、100~200%の関税をかける。そうなれば彼らはアメリカ国内で売ることができなくなるだろう。」

We will take over the auto industry again. We don’t mind it happening but plants will be built in the United States and our people are going to man those plants. And if they don’t agree with us, we’ll put a tariff of approximately 100 to 200 percent on each car and they will be unsellable in the United States.

 さらに財政赤字削減について、トランプ氏は大胆な発言をしている。「我々は途方もない36兆ドルもの財政赤字を減少させる。同時にさらなる減税を行う。ちなみに現政権は税金を4倍に引き上げることを目論んでいる。」

We will reduce our debt, $36 trillion. And we will also reduce your taxes still further. Next, and by the way they want to raise your taxes four times.

 そのためのお金をどこから調達するのかについては、こう述べている。「我々はインフレ危機を煽っている馬鹿げた税金の無駄使いを終わらせる。気候変動対策という詐欺(the Green new Scam)に民主党政権は数兆ドルもの金を使ってきたが、これは詐欺であり、エネルギーコストを高騰させただけでなく強烈なインフレ圧力をもたらした。」

We will end the ridiculous and actually incredible waste of taxpayer dollars that is fueling the inflation crisis. They’ve spent trillions of dollars of things having to do with the Green New Scam. It’s a scam. And that has caused tremendous inflationary pressures in addition to the cost of energy.

 さらに続けて「数兆ドルに及ぶ未だ使われていない資金がある。我々はそれを道路や橋やダムなどの重要なプロジェクトに使うよう改めて指示する。EVは即日終わらせる。それによってアメリカの自動車産業が抹殺されるのを救済し、車一台当たり数千ドルに及ぶ消費者の負担を節約させる。」と述べている。

And all of the trillions of dollars that are sitting there not yet spent, we will redirect that money for important projects like roads, bridges, dams and we will not allow it to be spent on the meaningless Green New scam ideas. ・・・ And I will end the electric vehicle mandate on day one. Thereby saving the U.S. auto industry from complete obliteration, which is happening right now and saving U.S. customers thousands and thousands of dollars per car.

 以上の発言から明らかなことは、民主党陣営が気候変動対策などを積極的に推進してきたのに対して、リアリストのトランプ氏はそのような物語には全く興味がなく、実物経済にお金を投じてアメリカの産業を再興させようとしていることだ。この両者の立場は決して折り合うことがない。正にアメリカの分断の一つの側面を象徴している。

 ところで、減税とインフレ退治を推進すると同時に巨額の財政赤字を削減するとトランプ氏は主張しているが、果たしてそんなことができるだろうか。現在西側先進国は皆財政赤字増大に悩んでいる。少子高齢化と安全保障強化がそれに拍車をかける。先進国における財政赤字の増大は必然の帰結である。

 『政治経済のトリレンマ(the Political-Economy Trilemma)』と呼ばれる仮説がある。国家主権、グローバル化、民主主義の内、何れか二つを実行することはできるが、三つ全てを実行することはできないというものだ。

 トランプ氏の主張は、国家主権と民主主義を守る代わりにグローバル化を止めるというものだ。しかし覇権国で世界最大の経済大国が、MAGA(Make America Great Again)を貫くと世界はどうなるだろうか。世界中から安い商品を調達してきたのを改め、国産(メイド・バイ・アメリカまたは国内製造)に転換すれば、原価が上がり供給不足が起きるため、むしろ物価上昇圧力となるのではないだろうか。

 しかも今までのグローバル経済の潮流を無視して、アメリカが強引にMAGA政策を実行すれば、世界の物流が減り、ドル資金がアメリカに回帰する結果、世界経済は縮小し不安定になるだろう。言わば世界最大の財政赤字も高金利も覇権国故の宿命である。世界最大の消費国が世界中からモノを買うから世界経済が回る。エネルギーや食糧の取引に世界がドルを必要とするからドル高となるのだ。

 さらに、アメリカの巨額の財政赤字をファイナンスするために、アメリカは海外からのマネーを呼び込む必要があり、それがドル高要因となっている。田村秀男氏は7月23日の産経の紙面で「超円安の深層構造」と題した記事を書いている。日本の対外投融資とアメリカの経常収支赤字の関係、さらに経常収支赤字と為替レートとの関係について考察している。

 それによると、2012~19年は日本の対外投融資がアメリカの経常収支赤字を上回っていて、為替レートも1ドル110円前後で安定していたが、2020年以降にアメリカの経常収支赤字が約2.8倍に急増していて、ジャパンマネーだけでファイナンスすることが困難になり、急速なドル高(即ち円安)が進んだと分析している。

 もう一つ加えれば、中国のように安い商品を大量に輸出してきた国は大きな打撃を受けることになり、MAGAを実行すれば、低迷する中国経済にトドメを刺すことになるだろう。中国発の世界不況が起きる可能性が高まる。

第三の危機:不法移民による侵略

 トランプ氏は「アメリカ史上最大の侵略(invasion)だ。彼らは世界中のあらゆるところからやってくる。そこにはテロリスト等の非常識な亡命(insane asylums)が多数含まれている。正に侵略と呼ぶ事態であるにも関わらず、現政権は国境を世界に開放して、侵略を阻止するために完全に何もしなかった。」と述べている。

The greatest invasion in history is taking place right here in our country. They’re coming from everywhere. It is an invasion indeed, and this administration does absolutely nothing to stop them. The entire world is pouring into our country because of this very foolish administration.

 トランプ氏は侵略を止めるために、国境の壁の建設を完遂させるとともに、侵略に対処するために軍事費8,000億ドルの一部を使うつもりだと述べている。

I will end the illegal immigration crisis by closing our border and finishing the wall, most of which I’ve already built. We gave our military almost $800 billion. I’m going to take a little of that money, because this is an invasion.

 ところで、不法移民の実態がどれほど深刻なのか我々には分かりにくいが、第一生命経済研究所主任エコノミストの前田和馬氏が定量的な分析結果をまとめているので、要点を紹介する。

・米議会予算局の試算によると、不法移民の純流入は2023年に240万人となり、2年連続で200万人を超えた。バイデン政権下の4年間では総計730万人となり、米国内に滞在する不法移民の総数は2021年に1,050万人となった。

・そもそも不法移民が急増する要因には、①中南米諸国の情勢不安、②堅調な米国経済と労働市場、③バイデン政権の寛容な移民政策と米国外に与える移民政策の印象がある。

・アメリカ人の45%がこの現状を危機とみなし、32%が大問題とみなしている。

・政府の取り組みに対する評価は「非常に悪い」と「悪い」とみなす人の割合は、共和党支持者で89%、民主党支持者で73%(バイデン政権発足時は、56%)に上る。そして共和党支持者の77%が強制送還、国境の壁の建設対策を支持している。

・トランプ氏は米国内に滞在する不法移民を年間数百万人単位で国外へ強制送還する「史上最大の作戦」を掲げているが、移民裁判所の未処理案件は344万人もあり、現行法に基づく強制送還は困難である。

 資料6:「バイデン政権下で流入する730万人の不法移民」、前田和馬、第一生命経済研究所、2024.4.15

第四の危機:国際危機

 国際危機への対処は、アメリカの国内問題ではなく覇権国アメリカとしての役割と能力に係る問題である。トランプ氏は「現政権が作り出した国際危機、おぞましいロシアとウクライナ戦争、イスラエルに対するハマスの攻撃から始まった戦争を含めて全て終わらせよう。電話一本で終わらせることができる。」と述べている。

I will end every single international crisis that the current administration has created, including the horrible war with Russia and Ukraine, which would have never happened if I was president. And the war caused by the attack on Israel, which would never have happened if I was president. I could stop wars with just a telephone call.

 これが誇張かどうかではなく、この発言からくみ取るべきことは、覇権国アメリカの大統領が備えるべき要件について重要な示唆を与えている点にある。トランプ氏自身が述べているように、以下①~③は歴史上の事実である。

①ウクライナ戦争もハマスとイスラエル戦争も、バイデン政権下で起きた。

②トランプ政権下ではそのレベルの戦争は起きなかった。

③バイデン氏は大統領に就任した直後にアフガニスタンから(屈辱的な)撤退をした。

 そしてこの事実が物語っている仮説が二つある。

④トランプ氏が大統領職にあったことが、戦争に対する強力な抑止力となっていた。

⑤アフガニスタン撤退は、ウクライナ戦争やイスラエル-ハマス戦争の誘発要因となった。

 世界は強力な仲裁者を必要としている。結局ロシアや中国による力を背景とした現状変更の行動を抑止できるのは、もっと強大な力を保有し、必要時にはそれを行使する断固とした意思を持ったアメリカ以外にはない。セオドア・ルーズベルトの名言として知られる「穏やかに話せ、棍棒は手放さず」という言葉は、どの国の外交にも当てはまるが、とりわけ覇権国アメリカの大統領こそ備えるべき資質である。

 これを踏まえて、仮説を二つ付け加えよう。

⑥トランプ氏が予測不能として各国のリーダーから一目置かれ警戒される理由は、棍棒外交の継承者であるからだ。

⑦一方のバイデン氏は、アフガン撤退、ウクライナ戦争への対処において、時に狼狽し時に躊躇して打つ手が中途半端なものとなる弱さがあった。それが危機を招いた。

 資料7:「トランプ流棍棒外交、日の目見るか」、渡辺浩生(ワシントン支局長)、産経、7/30

まとめ

 トランプ氏の政権構想はとても分かり易いが、率直な疑問点が二つある。それを整理して筆をおきたい。

 第一に、世界の戦争を終わらせることはできても。国内の分断を修復することはできないだろう。一昔前の共和党と民主党の間には、「小さな政府」か「大きな政府」か、という小さな相違しかなかった。それに対して、民主党は支持基盤を非白人層と移民に大胆に移して、PC(Political Correctness)、LGBT(性的マイノリティ)、BLM(Black Lives Matter)、脱炭素、EV等、極端にリベラルな政策をとってきた。

 さらに、大規模な選挙不正、司法の武器化、暗殺未遂と違法な手段を連発してトランプ氏再選を阻止してきた民主党陣営は、民主主義と、三権分立というアメリカの存立基盤を修復が困難なレベルで破壊してしまった。振り返れば、アメリカの歴史には、ケネディ暗殺やレーガン暗殺未遂事件に象徴されるような暗部が織り込まれてきたのだが、ここまで深刻化した分断は修復することは殆ど不可能という他ない。どういう形でかは予測できないが、どこかで破断を迎えるのではないかとさえ思う。

 第二に、インフレ退治と大幅な減税は実現できても、同時に財政赤字を削減することはかなり困難だ。世界の戦争を終わらせると同時に巨額の軍事費を削減するという政策を実行すれば、その可能性も出てくると思われるが、演説の中でその言及はない。

 失念しているのではないかと思われる重要な前提事項がある。それはアメリカが世界一の経済大国であり、通貨と安全保障の覇権国であることだ。インフレも減税も財政赤字削減も基本的にはアメリカの国内問題だが、ドル覇権国で世界最大の経済大国であるアメリカが、なりふり構わずにMAGA政策を実行すれば、世界経済を大混乱に陥れるだろう。そして世界経済に影響が及べば、それはブーメランとしてアメリカ国内問題に戻ってくる。