ユートピアン政治に決別せよ

電力逼迫危機は何故起きたか

 電力不足が深刻な事態となってきた。政府は7月1日を起点とし9月までの三か月間を「節電要請期間」として、家庭や事業者に対し数値目標を設けない節電要請を行った。東京都心では7日連続の猛暑日を記録し、伊勢崎市では40度を超えた猛暑の中で政府が節電要請をしたことは異常事態という他ない。

 夜間はもとより雨天には発電できない太陽光発電には、ベースロード電源にはなり得ない致命的な欠陥がある。加えて、東電によれば、太陽光発電の発電出力は日射量によって変動し、予測に対して150万KW程度増減するという。これでは電力が逼迫するほど、乗り切れるかどうか予測できないことになる。今回の電力逼迫危機で明らかになったことは、気温がピークとなる午後にエアコン需要も発電量もピークとなるが、需要が日没以降も続くのに対して、発電量は太陽が傾くにつれて減少するために夕方の時間帯に需給が逼迫するという、太陽光発電に固有の弱点だった。

 7月から9月までということは、暑い夏に冷房使用の抑制を国民に強いることになる。こんなことではエアコン使用をためらう高齢者や弱者にしわ寄せがゆき、熱中症による死者を増加させかねない。さらに政府の期待どおり無事に夏を乗り切ったとしても、厳冬期には暖房使用が増えるため、抜本的な対策を講じなければ1月~3月に再び節電要請ということになりかねない。このままでは年間の半分の期間で節電を強いられる異常事態となるだろう。政府は一体冬までにどのような抜本的対策を講じるつもりだろうか。

 これは異常気象故の天災なのか、それともウクライナ戦争がもたらした不可抗力なのか、それとも人災か。答えを先に言えば、これは政府のエネルギー政策が根本的に誤っていたことによる人災、政府の不作為の罪がもたらした災害である。

 原因は、再生可能エネルギーと脱炭素の推進、原発再稼働に関わる政策の誤りにある。参院選の自民党の標語は、総論として「決断と実行 日本を守る 未来を創る」であり、各論として「強力で機動的な原油高物価高対策で国民の生活と産業を守る」となっている。現状の電力逼迫危機から見れば、明らかな看板倒れ過大広告ではないか。厳冬期に危機が再来しないよう、抜本的に解決する対策を決断し断固として実行してもらいたい。

 2011年3月の福島原発事故から11年が経過した。これまで16原発27基が新規制基準に基づく原子力規制員会の安全審査に申請したが、再稼働に辿り着いたのは6原発10基に留まっている。東日本では1基の原発も再稼働していない。原発の再稼働に待ったをかけている障害が二つある。第一は原子力規制委員会の暴走であり、第二はそれを黙認している政府である。

 7月4日の産経新聞に「原発活用を首相は決断を」という題で櫻井よしこが寄稿している。要点を紹介しよう。現在原子力規制委員会は、活断層と特定重大事故等対処という、世界でどの国も適用していない厳しすぎるハードルを設定して再稼働を阻んでいる。まず地震対策では、重要設備の下に12~13万年前以降に活動した活断層がないことの証明を求めている。しかも周囲の地層を調べても活動性が不明な場合には40万年前以降まで遡って検討することを新たに要求している。

 日本列島に縄文人が住み着いたのは今から3万5千年ほど前である。現実の政治の問題として考えるとき、一体12万年前まで遡る必要性は何処にあるのだろうか。すべからく政治問題は、政治の責任としてリスクと国民負担のコストの費用対効果で判断すべきであって、専門家の役割は的確な判断材料を提供することにある筈だ。

 さらにテロ対策では、大型航空機がハイジャックされて原発に突っ込む事態を仮定して、複数の非常用発電機、水源としての巨大プール、緊急炉心ポンプ等の設備を分厚い鉄筋コンクリートで囲まれた地下深くの要塞に設置することを要求している。世界同時多発テロが起きたアメリカですら、ここまで過剰な対策は要求されていないのだ。費用は1千億円相当かかると見積もられていて、それが実現した場合には全て電気料金に上乗せされる。

 原子力規制委はさらに、要求する5年以内にテロ対策工事を完了できない場合、運転停止を命じている。その結果再稼働した10基も相次いで運転停止に追い込まれているのである。ここまでくると原子力規制委員会の暴走という他ない。一体誰がこのような理不尽な特権を与えたのか。

高騰を続ける電力料金のからくり

電力料金が高騰しているが、現在電力料金は次の式から算定されている。

 1か月の電気料金=基本料金+電力量料金+再エネ賦課金

 電力量料金=(電力量料金単価±燃料費調整単価)×1か月の使用電力量

・再エネ賦課金:正確には、「再生可能エネルギー発電促進賦課金」再エネ電気を電力会社が固定価格で買取る分を利用者から徴収する費用。再エネ賦課金単価は、毎年国が決定する。

・燃料費調整単価:原油や液化天然ガスの調達価格に応じて行う補正で、電力各社が申請し経産省が審査し認可する。認可額の1.5倍まで値上げが可能である。

 7月1日のZAKZAKに「電力逼迫、政府の”錯乱”が止まらない!」と題した記事で、ジャーナリストの有本香が「世界一高い電気代を払わされ、野放図に拡大される太陽光や風力発電(再エネ)の対価まで負わされたうえに、電力逼迫。一体何の罰ゲームかと気づく国民が増えた。」と書いている。

 これは政府の不作為による人災であると書いた。そう断言する理由は三つある。第一は「再エネ賦課金」で、再生エネルギー推進のコストを電気料金に上乗せしていること。第二は、福島原発事故以降ハードルを次々に上げて原発再稼働を阻止し続けているために、代替発電として化石燃料の輸入額が増大していること、そして第三は円安である。

 原発忌避については『原発忌避からの脱出』に書いた。円安については『円安から日本を考える』に書いたので、そちらを参照していただきたい。

日本を弱体化させるエネルギー政策を転換せよ

 再生エネルギーの促進を決めたのは、東日本大震災が発生した2021年の民主党菅直人政権である。以下は7月2日の産経抄からの抜粋である。「菅の顔を見たくないなら、法案を通した方がいい。当時の菅直人首相が進退をほのめかしてこう述べ、太陽光など再エネ発電を、電力会社が買い取る特別措置法の成立をごり押しした。その結果、電気代に上乗せされた≪再エネ賦課金≫はどんどん高くなって家計を圧迫し、反対に電力供給は弱体化した。天候に大きく左右される再エネ発電が増加すればするほど、国民の賦課金負担も膨らみ続ける制度はまともではない。」当然の指摘である。

 「歴代最悪の総理大臣」と称された菅元首相の暴言について、今さら評するつもりはないが、問題は、その後に政権を奪還した自民党が未だに「まともではない特別措置法」を改定していないのは何故かということだ。原子力規制委員会の暴走による日本の弱体化を止めるのも政治の責任である。欠陥のある法律やしくみはさっさと改定するダイナミズムが政治に欠落している。政府には「決断と実行、日本を守る」の公約を速やかに実行してもらいたいものだ。

 7月3日の産経、日曜経済講座『東日本大停電を警戒せよ』の紙面で、論説副委員長の井伊重之は以下のように書いている。「深刻な電力不足を招いたのはこれだけではない。政府が推進した電力自由化と脱炭素で、老朽化した火力発電の稼働率が下がって採算が悪化し、一昨年度には1600万KWの火力発電が休止に追い込まれた。東日本大震災後、全国で原発が稼働を停止する中で、火力発電が主力電源として使われている。昨年度の火力発電比率は7割を超える。その火力発電の供給力が脱炭素で弱体化し、電力不足に拍車をかけている。こうした構造的な要因を改善するには、政府が政策の失敗を率直に認め、電力市場を再設計する他ない。」誠に、このとおりだ。

 国際情勢の変化に合わせて安全保障政策を変えなければ安全が脅かされるように、エネルギー政策を転換しなければ日本は貧しくなる一方だ。

専制主義国家とのビジネスリスク

 プーチン大統領は6月30日、「サハリン2」の運営会社サハリンエナジーの資産を、ロシアが新たに設立する運営会社に移管する大統領令に署名した。出資する外国企業が条件に同意しない場合は持ち分の株式を売却するとしており、日本の商社はロシア側が提示する条件に従って株主に留まるか、それが嫌なら撤退するか二者択一の決断が迫られている。明らかにウクライナ侵攻に伴う対露制裁に対する報復措置である。ちなみにサハリンエナジーの株式は、露国営のガスプロムが50%、英国のシェルが27.5%、三井物産が12.5%、三菱商事が10%を保有しているが、シェルは既に撤退を表明しているので、これは日本企業を狙い撃ちした嫌がらせである。

 サハリン2のガスは約6割が日本向けで、ロシア産は日本が輸入する液化天然ガスの8.8%であるという。岸田首相はサハリン2から撤退しない方針を示してきたが、日本の権益の行方は不透明になった。輸入を日本側の判断ではなくロシアの意思で止められる恐れが出てきたからだ。政府にはロシアの脅しに動揺しない毅然とした判断を望みたい。

 ウクライナ戦争が突き付けた冷酷な事実は二つある。一つは世界的なエネルギー高騰と食料危機だ。もう一つは専制主義国家は国際法を無視するだけでなく、国家間の契約を一夜にして反故にするということだ。サハリン2は日露間のリスクがウクライナ戦争で顕在化した事例だが、プーチンは今後さらなる揺さぶりをかけてくるだろう。

 ロシアによるウクライナ侵略という理不尽な行動に対して、岸田首相はG7やNATO首脳会議において、民主主義国家間の連携を強化する意思を鮮明に打ち出した。そのことや良しだが、同時に言葉だけでなく、おカネの貢献だけでもなく、行動で示す局面が今後具体化してゆくだろう。そして専制主義国家とのビジネスリスクはやがて日中間で顕在化することが予測される。

リアルポリティクスに回帰した欧州

 ウクライナ戦争が起きて欧州各国は安全保障政策とエネルギー政策を大転換している。ロシアにエネルギーを大きく依存してきたドイツはこれまで脱炭素運動の先頭を走ってきたが、ロシア産天然ガスの供給が減少する事態に備えて石炭火力発電の拡大を打ち出した。英国は今月中旬EVなどに対する補助金を廃止することを決めた。

 さらにウクライナ侵略戦争で世界は原発推進に回帰しつつある。フランスは全発電量の7割超を原発で賄っている国であり、ウクライナ侵攻がもたらしたエネルギー危機による影響は最も軽微だが、新たに最大14基の欧州加圧水型炉の建設を決定した。英国も最大で原発8基の建設を決めた。世界で原発を稼働させ、今後も原発を活用する国は25ヵ国、新たに原発を導入する国はインドネシア、トルコ、ポーランドなど14ヵ国に上る。

リアルポリティクスへ転換せよ

 電力逼迫がここまで深刻化すれば、電力政策を再設計する他ない。繰り返すが現在の惨状は天災でも不可抗力でもなく、政府のエネルギー政策の誤りが原因の人災である。日本政府は世界のムードに乗って、再生エネルギー推進にのめり込み、東日本大震災が起きて原発忌避に走り、脱炭素では殆ど実現する見込みがない目標を掲げてきた。今回の電力逼迫危機は正に理想を追いかけて現実を犠牲にするユートピアン政治が招いたエネルギー危機である。ウクライナ侵略戦争が起き、電力危機が顕在化した今こそ、国益を損なうこれまでのユートピアン政治に決別し、しぶとくなりふり構わず国益を追求するリアルポリティクスに転換すべき時なのだ。

 『有事の総理大臣①経済』に「1995~2020年間に日本はGDP成長においてアメリカの1/3に貧しくなった」と書いた。かつてはジャパン・アズNo.1と言われた日本だが、現在は凋落が著しい。その原因は何処にあるのか。その一つは難題に挑戦しなくなったことにある。

 『原発忌避からの脱出』で既に書いたように、東日本大震災が起きた後の日本の進路は二つあった筈だ。すなわち「原発は危険だからもうやめよう」という道と、「ならば暴走しない原発を世界に先駆けて開発しよう」という道の二つである。「暴走しない原発」の開発は、福島原発事故を起こした日本が、そして科学技術立国を目指す日本こそが、率先して取り組むべき挑戦だった筈だ。しかし政治は国際社会と国民の感情的反応に忖度した結果、原発忌避の道を選んだ。その結果が、現在進行中の電力不足危機として現れたことを認識し反省すべきだ。

 日本は石炭火力で世界最高の環境技術を保有しており、それを新興国に提供することで地球温暖化の防止に貢献することができる。『原発忌避からの脱出』にはこう書いた。「日本原子力研究開発機構が次世代の原発である高温ガス炉の開発に成功した。この原発は、構造上大型化には不適で小型モジュール炉に適し、原理的に炉心溶解事故を起こすことはなく、冷却に水を使わないことから、内陸でも使用可能という優れた特長を有している。高温ガス炉技術では日本が世界の先端を走っている。」と。

 原子力規制委が特定重大事故等対処で、確認されて再稼働した原発10基を運転停止に追い込んでいるために、燃料費の負担額は年に7200億円規模に上っているという。これは全て国民と産業界の電気料金に上乗せされる。櫻井よしこは、「規制委の更田委員長は運転停止による経済的停止による経済的影響や社会的な影響は一切考慮しないと公言するが、それで済む問題ではない。ここで政治が任命権者としての監督責任を果たさずしてどうするのか。米国には原発の専門家集団で構成する原子炉安全諮問委員会(ACRS)が規制の適正化に眼を光らせている。首相は国会に専門家組織としての日本版ACRSを設置し、規制委に対する政治の責任を果たすべきだ。」と結んでいる。

 誠にそのとおりだ。問題は科学論争ではなく、国民生活に直結したリアルポリティクスの問題だからだ。如何なる困難に直面しても道は常に二つある。楽な道と困難な道だ。明るい未来は常に難題に挑戦してそれを乗り越えてゆく先にしかないことを改めて肝に銘じるべきだ。日本をこれ以上貧しく弱くする政治はもうごめん被りたい。

原発忌避からの脱却

 安全保障や原発は、政府が国益追求の戦略として推進すべきものであり、世論の盛り上がりを待ってから進めればいいというものではない。

 国益追求と世論の動向は必ずしも一致しない。そもそも国民は政治に対して、往々にして好きか嫌いかで判断することが多く、世論調査とは所詮その程度のものでしかない。一方国益追求は政府・政治家の使命である。国際社会との関係において、放置すれば国益が大きく損なわれることが懸念される場合には、政府・政治家は国民に対し国益を語り、国益追求の進路を論理的に説明して、世論を牽引しながら堂々と政策を推進すべきである。

 政府が国民に忖度して重要な政策決定を足踏みする状態を「思考停止」状態と呼ぶとすれば、安全保障も憲法改正も原発も、現在思考停止状態にあるといっていい。

 10年前に東日本大震災が起こって以降、国民の大半は原発を忌避したままである。しかしながら、国民の忌避と政治家の思考停止は同列ではない。しかも「原発はもう嫌だ」というのは情緒的反応であって、論理的思考の帰結ではない。国民の忌避に忖度して政治家が思考停止状態を続けることは、国益を毀損するという意味で政治家の責任放棄に他ならない。

 今回のコロナウィルスのように、人類の前には次々に危機や難題が立ち塞がる。その時国益追求の思考はどうあるべきだろうか。単純なプリンシプルを言えば、「もし眼の前に困難な道と楽な道の二つがあるのなら、躊躇することなく困難な道を選べ」ということだろう。この二者択一は「乗り越える」か「逃げる」かの選択と同義である。輝かしい未来は常に困難を乗り越える方向にしかないことを肝に銘ずるべきだ。何故なら乗り越えるために新たな知恵を出し、それを実現する技術開発に挑戦することこそ、国を強くし豊かにすることだからである。

 3.11が起こり、津波で冷却水が途絶して原発が暴走した。この時点で日本の選択肢は二つあった。「原発は危険だからもうやめよう」という選択と、「ならば暴走しない原発を作ろう」という選択である。いうまでもなく前者が「楽な道」であり、後者が「困難な道」に相当する。3.11以降の世論は「楽な道」に大きく傾き、政府は現在に至るまで思考停止状態にある。

 10年後の今、この問題を論理的に再考してみれば、次の思考過程を経るに違いない。まず「原発は未来の日本にとって必要か」という問いから始めれば、その答えは間違いなくイエスである。特に2050年までにCOゼロを目指すと宣言した以上、原発は不可決となる。何故なら有識者が指摘している(※1,2)ように、現実は以下のとおりであるからだ。

①再生可能エネルギー発電は天候に左右されるためバックアップ電源が不可欠となる。バックアップ電源となり得る安定電 源は火力か原子力しかない。

②太陽光発電や風力発電は本質的に不安定で、周波数が安定しないという欠点がある。このため半導体製造などの精密機械の生産には使えない。

③電力需要は時々刻々変化する。絶え間なく過不足なくかつ安定して電力を供給するためには、トータルで発電量を調整する必要がある。現在火力発電がこの役割を担っており、目的から考えて再生可能エネルギーは適さない。

④2016年に鳴り物入りで、政府は電力の自由化へ舵を切ったが、再生可能エネルギーが高価なため、現在2.4兆円の賦課金が国民負担(国民一人当たり約2万円)となっている。

※1「原発ゼロは国を亡ぼす」、澤田哲生、正論4月号                               ※2「復興日本、動かぬ原発、厳冬で電力逼迫」、産経新聞3月10日版

 以上述べたように、現在の状況を踏まえると、エネルギー政策を巡る命題は、①電力を安定供給し、②電気代を安くし、同時に、③CO2ゼロ政策を推進することとなるが、そのためには原発を巧く使う他にないのである。

 この場合、「困難な道」を進むために克服すべき課題は、「暴発しない原発」の開発である。いつの時代にも、どのような課題でもそれを乗り越えるには、新たな技術開発が必要となる。しかも日本は技術開発立国を標榜している。本気でそう位置づけるのであれば、人類の課題を解決する技術を世界に先駆けて開発することが日本の役割であると覚悟する他ない。

 ここに朗報が一つある。日本原子力研究開発機構が次世代の原発である「高温ガス炉」の開発に成功した。この原発は、構造上大型化には不適で小型モジュール炉に適し、原理的に炉心溶解事故を起こすことはなく、冷却に水を使わないことから、内陸でも使用可能という優れた特長を有している。「高温ガス炉」技術では日本が世界の先端を走っている。(※3)

※3「地球を守る日本の次世代原発」、産経新聞2月3日版

 3.11以降、世界は原発中止の方向に大きく傾いたが、カーボンニュートラルが注目された結果、2019年頃からイギリス、オランダ、スウェーデンなどが原子力推進に舵を切っている。正に風向きが変わったのだ。ならば日本も2050年にCO2排出量の実質ゼロを宣言したことを契機に、次世代原発の実用化・新増設と世界に向けた提供に政策を転換すべきである。世界の期待に応えることこそ国益である筈だ。ここで思考停止を続ければ、この重要技術で中国が世界のリーダーとなりかねない。既に国益をかけた戦いが始まっているのである。