FRBの金融政策転換が起こす危機
6月26日の産経新聞に編集委員の田村秀男が「ウクライナ侵略戦争で浮き彫りになったのは、覇権国アメリカ対膨張主義ロシア・中国という対立の構図である。それを大きく動かす要因が米国の金利引き上げである。」と書いている。
現在国際情勢における最大の関心事は、ロシアによるウクライナ侵略戦争の帰趨であろう。ウクライナ戦争は、ウクライナを舞台とするローカルな事件だが、それがエネルギー高騰と食料危機という世界規模の大事件を引き起こしている。
「2022年世界の大乱に備えよ」に書いたように、ウクライナ侵略戦争は2022年に起きる大事件の第一幕という位置づけになると思われる。田村秀男が示唆するように、これからFRBの金融政策転換が引き起こす危機が顕在化してゆくだろう。
FRBは6月15日の連邦公開市場委員会で主要政策金利を0.75%引き上げ、1.5~1.75%にすることを決定した。FRBは「物価上昇率は高まったままだ。ウクライナ侵略で更なる上昇圧力が生じている。次回も0.5~0.75%引き上げが濃厚だ。その金利は23年末に3.8%とピークを迎え、24年末まで利下げしていく。」という声明を出した。
FRBによる金融政策の転換は、第一義的にはアメリカ国内のインフレを押さえ込むローカルな対策だが、同時に世界の金融市場を揺さぶり、世界経済に重大な影響をもたらすことが避けられない。具体的に言えば、まず金融政策の転換はリーマンショック以降コロナウィルス渦まで続いてきた「カネ余り相場」の終焉をもたらすだろう。さらに世界規模でドル資金の流れを逆流させ世界の金融市場の様相を一変させるだろう。
法政大学大学院教授でエコノミストの真壁昭夫は、現在の状況は22年前、同じようにFRBが段階的に政策金利引き上げたことにより、ITバブルが崩壊したときと酷似すると言う。22年前1999年6月にFRBは0.25ポイントずつの段階的な利上げを始め、最終的に政策金利を6.5%に引き上げた。インフレ退治の断固たる姿勢を示したのだが、2000年9月にインテルショックが発生しITバブルが崩壊した。(参照:プレジデント・オンライン5/17)
インテルからGAFAへ、バブルのプレイヤーは交代したが、リーマンショック後の低金利と金融緩和政策の結果、アメリカではインフレが過熱している。インフレ抑制のためFRBが金利上昇を急げば、今度はGAFAショックが起きて2022版ITバブル崩壊が起きる可能性がある。
一方、5月20日にニューヨーク株式市場ダウ工業株30種平均が大恐慌時の1932年以来90年ぶりに8週間連続で下落した。下げ幅は合計で3600ドルに達した。さらに6月13日には4営業日続落し下げ幅は一時1000ドルを超えた。また6月10日に発表された5月の消費者物価指数が前年同月比8.6%上昇し、伸び率は40年ぶりの大きさとなった。現在のアメリカの状況は、まさしく「アメリカ経済、波高し」なのである。
22年前よりも現在の事態は遥かに深刻である。そう考える理由は次のとおりである。第一に、米国における物価上昇圧力が遥かに強いこと。第二に、ウクライナ侵略戦争によってエネルギーなどの資源が高騰し食料不足が深刻化していること。第三に、2008年のリーマンショック後の低金利とコロナショック対応の金融緩和強化によって、世界的に資金が供給過剰となっていること。加えて、中国では不動産バブルの崩壊とゼロコロナ対策の失敗によって経済の失速が深刻化しており、ロシアは強力な経済制裁下にあることだ。
このように、さまざまな重大事件が同時に進行している世界情勢にあって、FRBが政策金利政策の転換を急ピッチで進めれば、ドル高が新興国の通貨安をもたらしインフレを促進することは間違いない。さらに、ドル資金のアメリカ還流は投資資金の引き上げをもたらす。今後ハイパーインフレを起こす国、あるいはデフォルトを起こす国が増えることが予測される。経済が失速している中国と経済制裁下にあるロシアも例外ではないだろう。
円安の進行
一方6月13日の東京市場で、円相場は一時1ドル=135円台前半まで下落し、1998年以来約24年ぶりの安値水準を記録した。6月16日~17日に開いた金融政策決定会合で、日銀は「為替市場の動向が経済・物価に与える影響を注視する」としながらも、大規模金融緩和を継続する方針を決めた。海外の中央銀行はインフレ抑制のため金融引き締めを急いでおり、政策の違いが際立つ結果となった。このため主要通貨に対して円だけが安くなる「独歩安」となり、しかも資源高と円安がダブルパンチで日本経済を圧迫している。
この状況に対して、鈴木財務大臣は6月14日の閣議後の記者会見で、「為替相場は安定的に推移することが重要だ」とした上で、「急速な円安の進行がみられ憂慮している。政府としては日銀と連携しつつ、物価への影響などを注視し、各国の通貨当局と緊密な意思疎通を図りつつ、必要な場合は適切な対応をとりたい。」と述べた。財務官僚が用意した原稿を棒読みしただけの、空虚な答弁だった。
黒田日銀総裁は6月17日、「最近の急激な円安は経済にとってマイナス」との認識を示した上で、「金融・為替市場の動向や経済や物価への影響を十分に注視する必要があるが、為替をターゲットに政策を運営することはない」と述べた。物価の安定が金融政策の目的だとして、従来の方針を変えない姿勢を鮮明にしたのである。
もしインフレ対策を優先して金利の上昇を容認すれば、低迷が続く国内景気を下支えできないばかりか、ゼロ金利政策には巨額の債務を抱える政府の利払い費を抑える狙いもあり、日銀の立場としては何とも対応のしようがないという無力感がにじみ出た答弁だった。
経済同友会は経営者を対象とした調査結果(調査は5月23日~6月1日に実施)を公表した。それによると、政府側の覇気のない答弁とは対照的に、経済界は円安の進行に懸念を強めており、現在の円安が日本経済に与える影響については、経営者の約74%がマイナスと分析し、約65%が経済安全保障の観点からの懸念を表明したという。円安によって日本企業の価値が目減りし、重要技術や先端技術の分野で外国企業の買収が増えることや、日本企業の弱体化、人材流出等国力の低下につながることがその理由である。(参照:産経6/15)
日銀はこれまで円安は日本経済にとって統計的にプラスとの立場を表明してきた。確かに一局面を捉えれば、通貨安は輸出において不利に、輸入において有利に働くのは事実である。しかしながら巨視的に捉えれば、通貨安は国力の低下を反映したものであり、国富の喪失と海外への流出を招く事態である。しかも現在の円安は資源高と同時進行していて、貿易赤字は増大し輸入物価は大幅に上昇している。
貧しくなった日本、円安の原因
円安が進行している直接の原因は日米の金利差が拡大していることにある。アメリカではFRBが大幅な利上げに踏み切り、欧州も利上げに踏み切ることを表明したのに対して、日本だけがゼロ金利の維持を重ねて表明した。この違いは、世界が高インフレに向かうのに対し日本だけがデフレを引きずっていることにある。
ここに1980年から2022年に至る、日米中三ヵ国のGDP推移を描いたグラフがある。図が如実に示しているように、1995年以降、日本は殆ど経済成長していない。

この歴史的事実を踏まえて、「有事の総理大臣①経済」に次のように書いた。
「1995年から2020年までの25年間にGDPはどれほど成長したのだろうか。三ヵ国を比較すると驚愕の事実が浮かび上がる。まず米国は7.6兆ドルから20.9兆ドルに2.7倍に増大し、中国は0.7兆ドルから14.9兆ドルに実に20倍に増大した。これに対して日本は5.5兆ドルから5.0兆ドルになり、何と9%減少しているのである。専門家の分析を待つまでもなく、この事実は日本の経済政策が根本的に間違っていたことを証明している。」
要するに、1995年~2020年の四半世紀の間に、日本は米国の1/3に貧しくなったのである。「これほどに大きな国富の損失が起きたのは長期デフレ故なのだが、デフレは経済の現象、政策の結果であって、原因はデフレ期に各総理大臣がとった経済政策にある。結論を先に言えば、二つの致命的なミスがあったのだ。・・・第一は三度実施された消費税増税である。第二の致命的な政策ミスは、プライマリー・バランス(以下、PB)の実現を金科玉条の達成目標としたことである。」
骨太方針、プライマリー・バランスを巡る攻防
骨太方針、即ち「経済財政運営と改革の基本方針」は、政府の経済財政政策の基本方針を定めた文書で、年末の予算編成に向けた国の政策方針を示すものである。2001年の小泉内閣で最初に登場して以来、歴代政権は国と地方を合わせた基礎的財政収支(PB)の黒字化を目指す文言を盛り込んで、国債発行を抑制してきた。
6月7日に「骨太方針2022」が閣議決定されたが、閣議決定までの自民党の舞台裏を三人の識者が論じている。興味深いので以下に紹介する。
まず嘉悦大学教授で菅政権時の内閣官房参与だった高橋洋一は、ZAKZAKの6月10日の記事で、骨太方針は「財務省の猿芝居」だったと看破している。その理由は、2025年度のPB黒字化は消えたが、「本方針及び骨太方針2021に基づき、経済・財政一体改革を着実に推進する」との一文が挿入されたからだ。「骨太方針2021」ではPB黒字化が明記されているので、従来と何も変わりはないというわけだ。 さらに高橋は、そもそも財務省のいうPBは基本的に間違っていると指摘する。その理由は二つある。第一は、財政状況を評価するためには、企業の貸借対照表と同じように負債と資産の対比でみるべきことである。第二は、政府部門だけでなく、政府と日銀を統合した指標でみるべきことである。論点を数値で紹介すれば図のとおりである。(全て兆円単位の概算値であり、「約」をつけるのが正しいが、省略する。)

補足しよう。政府の負債額1172兆円のみに注目して、財政赤字が危機的状態だと信じ込んでいる人が多いが、その理解は誤りである。まず、政府が発行した国債400兆円分を日銀が買い取ったということは、400兆円のおカネを増やして同額の国債を回収したことになる。現代貨幣理論(MMT)がいうように、これはインフレにならない範囲で有効な手段であり、デフレ下の日本では全く問題ない。
従って、正味の財政赤字は772兆円となるのだが、資産が680兆円あるので純負債は92兆円に過ぎない。従って、日本国の財政赤字の実質値はGDP比で、概算約100兆円/500兆円=20%となり、アメリカの65%、イギリスの60%と比較しても優良なのである。
次に、(株)経世論研究所の代表取締役社長三橋貴明は、「新」経世済民新聞の6月13日のブログに、骨太方針は妥協の産物で、結局のところ積極財政で行くのか緊縮を続けるのかよく分からないと書いている。さらに、「財務省は国民の敵である」と糾弾している。
最後に、京都大学大学院教授で第二次安倍政権時の内閣官房参与を務めた藤井聡は、「新」経世済民新聞の6月22日のブログで、骨太方針の閣議決定に至る舞台裏を分析している。それによると、「PB規律を巡る論戦は毎年繰り返されていて、2012年に内閣官房参与に着任して以来、毎年関わってきたが、今年ほどに激しい論戦はこれまで一度もなかった」という。さらに、「これは偏に、PB規律こそが我が国の弱体化を導く最大の原因であるとする『PB亡国論』(藤井の提唱)が、自民党内部に深く広く浸透したからに他ならない」と評価する。
三氏が言うように、「骨太方針2022」は積極財政派と緊縮財政派による文言を巡る激しいバトルによる妥協の産物だったということだ。要点を整理すれば次のとおりだ。
①骨太方針は、最終的に「骨太方針2021に基づき経済・財政一体改革を着実に推進する」という文言が挿入されて、PB規律が事実上残存することとなった。(緊縮財政派の主張)
②それでもPB規律について「状況に応じ必要な検証を行っていく」、「重要な政策の選択肢を狭めることがあってはならない」という二つの文言が追加された。(積極財政派の主張)
③このように、双方が相手の主張を無効にする文言を盛り込んだ形となっているので、高橋は「何も変わらない」といい、三橋は「よく分からない」と形容する。何れにしても防衛予算を含めて年末の予算編成へと、次のバトルの舞台が移ったことになる。
かつては、緊縮財政派一色であった自民党内部だが、今や勢いは積極派にあり与党を席巻する勢いを持つに至っている。さらに、現在最大の抵抗者は岸田文雄首相であると藤井は言う。
PB亡国論、円安の真犯人
藤井聡が提唱する『PB亡国論』とは、日本経済が次の「悪夢のスパイラル」に陥る事態をいう。すなわち、予算編成において「PB規律」を錦の御旗として掲げれば、国債発行を抑制する圧力が強まり、その結果政府支出が「ゼロサム」、即ち何かを増やそうとすれば、何かを削ることになる。それでも増やそうとすれば、増税がセットとして盛り込まれる結果、結局消費が減少し経済は悪化の一途を辿る。その結果、税収が減少して財政が悪化する。この「悪夢のようなスパイラル」が繰り返されて、日本経済はますます弱体化していく。
実際に、バブル崩壊を起点とする平成の30年間、日本は経済成長を果たせなかった。前掲の図がその明白な証拠である。では、なぜ30年間もデフレ状態から脱却できなかったのか。一般にデフレとは消費不足、投資不足の状態であるから、民間に代わって政府がドーンと巨額のおカネを投じて、次世代の産業のための必要十分な投資を行い、経済成長を力強く促進することが、デフレから脱出する基本的な処方箋であることは言うまでもない。
「失われた30年」と称される歴史的事実こそが「悪夢のようなスパイラル」の結果であり、『PB亡国論』が正しいことの証明でもある。
余談だが、藤井によると、2017年当時の安倍首相は『PB亡国論』を完全に理解していたのだが、前任の民主党野田政権下で決定された「三党合意」を覆すことが出来ず、消費税を10%に増税し、PB亡国論の「悪夢のスパイラル」をさらに進めることになったという。
2012年12月に発足した第二次安倍内閣で、安倍首相は「三本の矢」政策を推進した。「三本の矢」とは、大胆な金融政策、機動的な財政改革、投資を喚起する成長戦略の三つだった。しかしながら同時に、安倍首相は二度にわたって消費税増税を行った。「三本の矢」と消費税増税は、経済成長にとってアクセルとブレーキを同時に踏むアンビバレントな政策であり、結局デフレ状態は解決されないまま安倍長期政権は終わったのである。
アベノミクス実現のため、政府と日銀は経済成長政策と、それを支える金融緩和政策という連携プレイで対処しようとした。日銀は「黒田バズーカ」と称された「異次元の緩和」政策をとったのだが、政府の経済成長政策が中途半端だったために失敗に終わったのだった。
以上を総括すれば、日本が30年に及ぶデフレ状態から未だに脱却できていない理由は、政治が経済成長とPBの両立という二兎を追ったことにある。消費税導入を決めた民主党野田政権時の三党合意も誤りだが、安倍首相もまた「経済成長なくして財政再建なし」と言いながら、「二兎を追うもの一兎をも得ず」の諺の轍を踏んだのだった。ズバリ言えば、PBこそが「失われた30年」の真犯人だったのであり、それを推進してきた政治家の責任は、日本を貧しくしたという意味において重大という他ない。
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