VWSG思考

生物進化から託された「現役」というバトン

 地球に最初の生命が誕生したのは35~38億年前のことである。それから進化を重ねて約2億年前に哺乳類が登場した。約700万年前には人類の祖先が、約20万年前には現代人の祖先であるホモ・サピエンスがアフリカに出現した。そして約7万年前に我々の祖先集団はアフリカを出て数万年をかけて世界に拡散した(グレート・ジャーニー)。こうして現代人の歴史が始まった。

 日本人の祖先集団が日本列島に辿り着いたのは約4万年前のことである。そこから2,000世代(20年/世代を仮定)を超える世代交代が繰り返されて現代に到達した。地球を舞台として繰り広げられたこの生物進化の壮大な物語を俯瞰すると、現代が進化の最前線であり、現在を生きている動植物の全てが進化の「現役」なのだという事実に思い至る。

 医学が目覚ましい進歩を遂げて寿命が延び、人生百年時代が到来した。しかし物心ついてから老化が進むまでの期間を「現役」と考えれば、我々に与えられた持ち時間は長くても70年程である。しかもその持ち時間は日々容赦なくカウントダウンしている。

 現代社会には様々な喧噪があり、現代人はそれに忙殺されて毎日を生きている。もう少し正確に描写すれば、時間軸に綴られた生物進化の物語の存在を忘れて、空間軸の世界に閉じこもるようにせわしなく生きている。ここで生物が綴ってきた悠久の物語に眼を向けてみれば、現代に至るまでに壮絶な絶滅と自然淘汰、無数の生死の物語が繰り広げられて、次々に「現役」が交替して、今我々に「現役」のバトンが託されたのだという真相を知ることになる。

 昼のひと時に公園のベンチに座って、虫や鳥の鳴き声に耳を傾けながら荘大な生物の物語に思いを巡らせてみて欲しい。次に晴れた夜に同じベンチに座って満天の星が輝く宇宙を眺めて、無限に広がる宇宙に想いを巡らせてみて欲しい。その上で想像力を逞しく働かせて欲しい。例えば次のようにだ。

(1)漆黒の宇宙にポツンと浮かぶ地球がある。宇宙船地球号は超高速で宇宙空間を飛翔している。

(2)その地球を舞台として、壮絶な生物進化の物語が30数億年にわたって繰り広げられた。

(3)その物語のライブステージが現代であり、「現役」の俳優の一人として今自分の人生がある。

 人生には恐らくこの荘厳な事実に勝る感動はないだろう。

人生は思考法次第

 人生は一度きりであり「現役」に与えられた時間は余りにも短い。そう認識できるなら、誰にも遠慮することなく精一杯思い切った生き方をすればいいのだが、それはなかなか容易ではない。何故なら自分自身を自覚するようになった頃を回顧してみればいい。

 第一に、人は誰もが多くのしがらみに囲まれて生まれてくる。時代や国は無論のこと、地域も家庭も健康状態すらも全てが与えられたものであって、何一つ自分で選んだものはない。これが人生の境界条件である。

 第二に、人は生きてゆく上で必要な知識も経験も、何も持たずに生まれてくる。そしてやがて成人する頃には、さあ進路を選択して海に漕ぎ出せと、生まれ育った環境から追い出される時がやってくる。ここが人生の出発点である。ここから先一体どのように考えればいいのだろうか。

 このように白紙で生まれてくることの裏返しとして、人生には大きな多様性が用意されている。但し選択を一つするたびに一つずつ進路が確定してゆき、一歩進めばその先にまた次の多様性が広がってゆく。それ故に様々な事件や課題に直面する時に、それをどう捉えどう考えどう選択するかが極めて重要となる。

 多様性を平たく言えば「思考次第で人生はどのようにも変わる」ということなのだが、その肝心の思考について教えてくれる人は誰もない。私が提唱するVWSGサイクルは、人生を逞しく生きてゆくために役立つ思考法として体系化したものである。

VWSGサイクル

 VWSGサイクルを通して説明しよう。始めに人生をどう生きるか、その結果何を手にするのかは思考法によって決まると言っても過言ではない。そして成功をもたらす思考には法則がある。

 思考法を体得するには、技法(テクニック)の前に作法(マナー)を身に着ける必要がある。作法とは、茶道、華道、書道、武道、・・・というように、「道」が付く修行に不可欠な、最初に身に着けるべき「型」である。

 そんな難しいことは言わずに、目の前にある道を一歩一歩と歩いてゆくのもいいだろう。その場合、特段の思考法は必要ではない。何が起きようとも物事に動ずることなく悠然と歩いてゆくことができれば、それはそれで立派なことだからだ。

 一方、大きな目標を立てて挑戦する道を選ぶとしたら、「コツコツ・アプローチ」では目標に到達できない可能性が高い。何故なら目標が大きいほど課題は多くなり難易度は高くなるからだ。それを乗り越えるためには飛躍した発想とアプローチが必要となる。

 図にVWSGサイクルを図解して示す。このサイクルは人生、ビジネス、外交に共通の思考法もしくは処世法を描いたものであり、以下に要点を整理する。

 VWSGサイクルの第一ステップは<ヴィジョン(V)>から始まる。

①最初にやるべきことは、将来実現したい姿(ヴィジョン)を大胆に描くことだ

②ここで大事なことは、「それは無理だ」というネガティブな邪念を全て排除することだ

③一方で、もし努力を重ねれば実現できる将来像であるならば、必ずしもヴィジョンは必要ではなく、「コツコツ・アアプローチ」で行動すればいい

 第二のステップは<意思(W)>である。

①意思あるところに道は必ず拓けるという信念をもつことが肝要だ

②次に状況がどう変化しようとも、揺るがない意思を持つことだ

 第三のステップは、<戦略(S)>である。

①ヴィジョンが大きい程、乗り越えなければならない課題は困難になる

②課題に直面したら出来ない理由を挙げて撤退するか、乗り越える方法を発見して挑戦するか、道は常に二つある

③大事なことは成功は困難の先にあると信じて、迷うことなく困難な道を選ぶことだ

④但し課題を乗り越えるためには、ブレイクスルーの発想とそれに基づく戦略が必要だ

 そして第四のステップは<ゲーム(G)>である。

①ビジネスも政治も、そして人生もすべからくゲームなのだと達観することだ

②視野を高いところにおいて全体像を俯瞰し、自分を客観視して最善の一手を考える

③人生は一度きりだと腹を括って、真剣勝負のゲームを挑む

ゲームはヴィジョンから始まる

 喩え話として、港からヨットに乗って海に出ることを考えよう。水や食料など航海に必要なものを積み込んで、さあ船出だ。ここでハタと直面する問いがある。一体どこを目指すのか、そこに行って何をするのかだ。

 人生の航海にはヴィジョンが必要である。与えられた持ち時間は有限であり、しかも誕生と同時にカウントダウンを続けている。「現役」として命が与えられている間に一体何を実現したいのか、または極めたいのか、将来像を描かない限り人生の航海を始めることは出来ない。ヴィジョンを掲げて勇気をもって進むことだ。

意思、アインシュタインの名言

 簡単に諦めてしまう人に大きなヴィジョンを実現することは出来ない。大きな目標をもって諦めずに挑戦した人々の代表例はオリンピック選手だろう。メダルを目指して戦った人達の顔を見ればいい。そこには最後まで諦めなかった清々しい顔がある。

 では成功する人に共通している資質は何だろうか?その答えは「成功するまで諦めない」である。かのアルバート・アインシュタインは次の名言を残している。

・失敗とは道半ばの成功である(Failure is success in progress.

・取り組みを止めない限り失敗はない(You never fail until you stop trying.

・人類が直面している重大な問題は、それを生み出した時のレベルの思考で解くことは出来ない。人類にとって最も重要な課題は新しい思考を発見することである。(The significant problems we have cannot be solved at the same level of thinking with which we created them. The most important task for humanity is to discover new ways of thinking.

 アインシュタインの言葉は処世訓そのものである。さまざまな課題に直面した時に、課題とどう向き合うかによってその先の人生は大きく変わる。大事なことは「逃げない、ブレない、たじろがない」意思である。

戦略とブレイクスルー発想

 戦略とは大きなヴィジョンを達成するためのシナリオ、不可能を可能に換える方策と手順のパッケージである。

 人類の歴史はイノベーションの歴史である。紀元前の農耕革命、石器や土器の発明以降、人類は新しい技術を相次いで発見し、新しいモノやシステムを次々に発明してきた。ノーベル賞を持ち出すまでもなく、人類社会の進化がイノベーションによってもたらされたことは明らかだ。ここで注目すべきは、イノベーションの大半が過去の経験や常識に囚われない柔軟な発想から生み出されたことだ。

 一般に人が行動する動機は三つある。やりたいこと、できること、やるべきことの三つだ。英語で言えば、WouldCouldShouldである。この内やりたいことをやるのであれば戦略は不要である。またできることをコツコツと積み重ねることは戦略とは言わない。

 戦略的なアプローチが必要となるのは「やるべきこと」に挑戦する場合である。どうすればそれを実現できるかを目的思考で考える。初めに到達点を明確にして、そこに辿り着くルートと手段を現在位置から仰ぎ見るのではなく、到達点から振り返るように考えることが重要だ。何故なら現在位置から考えればできることを積み上げるアプローチを選ぶことになり、到達点から考えれば経験や知識を超えたブレイクスルー発想を促すことになるからだ。

 ブレイクスルー発想とは例えば次のようなものだ。地球上のどこか未知の土地に行くことを考える。目的地に到達する方法は幾つもあるだろう。歩いてゆく、自動車を使う、ヘリをチャーターして飛ぶ、或いは地理や土地の事情に明るい人物に代わりに行ってもらう・・・。方法は幾らでもあるのだが、自由奔放な発想ほど「そんなことは無理だ」という理由から、暗黙のうちに排除されてしまう可能性が高い。

 ブレイクスルー発想がなければ大半のイノベーションは生まれなかったことを肝に銘じるべきだ。イノベーションとは生物の進化に匹敵する人類が成し遂げた革命に他ならない。

ゲーム

 単純化して言えば、人生には常に選択肢が二つある。楽な道と、困難な道の二つである。一般に「できること」を選択すれば楽な道に通じ、「やるべきこと」を選択すれば困難な道に通じる。後者の場合困難を乗り越える心構えが必要になる。それは次のようなものだ。

(1)人生というドラマの主役は自分であることを肝に銘じる

(2)人生とは目の前に次々に現れる課題を解決してゆくゲームである

 どんな課題でも必ず解決できるという信念を持ってゲームに挑み、楽しみながら謎解きをする心構えで行動すれば、ヴィジョンは一つずつ引き寄せられてゆくことだろう。

 「引き寄せの法則」というのは、真剣に謎解きゲームに挑んでいれば、やがて機が熟した時に向こうから謎を解くためのヒントがやってくることを言う。脳は解けていない謎があると、睡眠中を含めて記憶された情報の中から関連情報を引っ張り出して関係づける作業を繰り返していると言われる。即ち「引き寄せの法則」とは、寝ている間も謎解きに挑んでいる脳の働きの賜物なのだ。

 外交もビジネスもゲームであると捉えて臨むことが賢明である。概して日本人は正直すぎるというか、性善説に立って思考するために、ゲームを挑むことが苦手な民族である。むしろ性悪説に立って、最悪の展開を想定した準備を整えてゲームに臨むくらいがちょうどよい。

 ズバリ言えば、相手が嫌がるカードを用意してゲームに臨む非情さというか、ゲームを楽しむ余裕が必要だ。このことは将棋や囲碁を考えれば明らかだ。棋士は自分が優勢になって、相手を投了に追い詰めてゆく最強の一手を常に考えている。将棋や囲碁は典型的なゲームである。外交もビジネスも人生もこれと変わらない。

イノベーションという宿命

イノベーションとは何か

 激変する環境に直面した生物が自然淘汰を経て進化してゆくことと、ビジネス環境の変化に直面した企業が生存競争を経てイノベーションを起こして発展してゆくことは、本質的に同じ現象である。生物にとって進化とは、環境に適応するように遺伝子情報を書き換えて生き延びてゆく宿命であり、企業や国家にとってイノベーションとは、競争社会を勝ち抜いて存続してゆく宿命であるからだ。

 資料①はイノベーションを次のように定義している。

・偶然には生じ得ない形に万物を再配列する方法を発見するプロセス

・試行錯誤で進行する「人間版の自然淘汰」

・地球上の生命の始まりこそが、最初のかつ究極のイノベーション

・火や石器や生命自体の起源のような無意識の自然のイノベーションは、現代のテクノロジーにつながる連続体の一部

〔注〕資料①:「人類とイノベーション」、マット・リドレー、ニューズピックス、2021.3.3

イノベーションはなぜ必要なのか

 時間は一方向にしか流れない。宇宙はビッグバン以降膨張し続けている。動物や植物は、誕生と同時に寿命のカウントダウンが始まり、一日一日死へ向かって生きている。そして生命の系統樹が示すように、全体を俯瞰すれば、生物は絶滅と進化を繰り返しながら多様化して一方向の物語を紡いでいる。

 サピエンスも同じである。生物進化の最後に登場して以来多くの人類が登場したが、皆地球環境の変化と生存競争に敗れて絶滅していった。唯一生き残ったサピエンスは出アフリカから現在に至る7-8万年の歴史を刻みながら、個々の生命は生死を繰り返し、DNAという生命のバトンを今日に至るまでリレーしてきた。農業革命や文明の発明を皮切りに、次々にイノベーションを起こしながら現代にまで物語を紡いできた。

 特に産業革命以降は、画期的なテクノロジーを次々に実用化して社会を変え、世界を劇的に変えてきた。生物が幾度も絶滅の淵に追い詰められながら、生き延びては新たな種として進化してきたように、サピエンスもまたさまざまな自然災害や、戦争、パンデミック等の危機に翻弄されながら、生存競争を生き延びて発展してきた。その原動力となったのがイノベーションである。

 現代ではイノベーションは加速され、指数関数的テクノロジー(以下ET、Exponential Technology)と呼ばれる画期的な技術が次々に実用化され、さらにこれら複数のテクノロジーが融合(コンバージェンス、Convergence)することによって、社会の風景を劇的に変えつつある。(資料②参照)

〔注〕資料②:「2030年、すべてが加速する世界に備えよ」、ピーター・ディアマンディス、ニューズピックス、2022.3.24

 イノベーションは次世代の巨大なビジネスを興し、経済成長に大きな貢献をすることから、企業間はもとより国家間での熾烈な開発競争をもたらしている。未来の富を生みだす大きな可能性を秘めているが故に、「イノベーションを制するものは未来を制する」と言っても過言ではない、現代はそういう時代に差し掛かっている。

 以下、生物の進化とサピエンスのイノベーションについては、資料③を参照した。

〔注〕資料③:「進化を超える進化」、ガイア・ヴィンス、文芸春秋、2022.6.10

生物は地球環境を変えながら進化した

 およそ40億年前、地球の海のどこかで生命が誕生した。古代のシアノバクテリアは太陽エネルギーを利用して炭酸ガスから糖を生成し、廃棄物として酸素を放出した。それから20億年の歳月をかけてシアノバクテリアの活動は地球の物理的性質を変え、地球を呼吸する活きたシステムに変えた。

 地球はおよそ20億年前に最初の超大陸が誕生して以降、超大陸の誕生と分裂、衝突を繰り返してきた。さらに超巨大火山の噴火や小惑星の衝突等が起きて、地球は温暖化と寒冷化を繰り返してきた。この間には全球凍結(スノーボル・アース)も起きた。生物の大量絶滅は5回起きたことが分かっている。

 そして6600万年前には巨大隕石がユカタン半島に落下した。それから1000万年ほどが過ぎて世界は湿潤になり、熱帯雨林やマングローブが広がった。絶滅した恐竜に代わって哺乳類が主役となった。

 このように地球環境の激変に翻弄されながらも、生物は自然淘汰を繰り返しながら、地球環境の変化に適合する機能を獲得して進化した。また熱帯雨林に代表されるように、植物は気の遠くなるような歳月をかけて地球環境を変え、動物の生存環境を作ってきた。動物は寿命が尽きると岩石だらけだった地表面を土壌に覆われた大地に変え植物の生存環境を作ってきた。

サピエンスが起こしてきたイノベーション

 人間がチンパンジーから分岐したのはおよそ500万年前であり、以降人類は数十種に分岐していった。中でも注目されるのは原人ホモ・エレクトスで、およそ180万年前に出現した。火と道具を使い言語をもった社会性のある狩人で、やがてアフリカを出てユーラシア大陸に拡散し、100万年以上存在した。およそ50万年前にはホモ・ハイデルベルゲンシスもユーラシア大陸へ進出した。そして彼等の子孫が旧人ネアンデルタール人やデニソワ人へと進化した。

 人類最初のイノベーションは、ホモ・エレクトスがサバンナに移住し二足歩行を始めたことだった。体毛がなくなって汗腺が劇的に増えた結果、熱帯の炎天下を走っても体温を維持できるようになった。石や槍を発明し水を携行するようになった彼らは、サバンナで最強の狩人となった。中でも火の使用はサバンナでの生活を安全なものに変え、人間の生息地を拡大した。

 人間以外の動物の大半は一日中食べ物を探し食べ続けなければ身体を維持できないが、唯一人間は加熱する文化を発明し、調理した肉や根菜類を食べるようになったことが、脳の発達を促すイノベーションとなった。その結果、生活に余裕をもたらしただけでなく、腸が短くなり貴重なカロリーを大きな脳に回せるようになったのである。

 次のイノベーションは農業と定住生活だった。サピエンスは野生の動物を飼いならして家畜種を作り、野生植物を栽培して作物種を作った。現在我々が食料としている動植物は5000年前までに家畜化・栽培化されたものである。

 農業に続くイノベーションは、言語、文字、物語の発明であった。現在世界には7000以上の言語があるという。資料③によれば、サピエンスを賢い人類にしたのは「個人の知性を超える集団の文化」であるという。言い換えると、「他者が学んだ知識を共有し利用する」サピエンス固有の習性こそが、次々にイノベーションを興した源となったということである。

 およそ5000年前、人類は文字を発明して、情報の保存と伝達の方法を向上させただけでなく、外部委託によって人間の脳の処理能力を拡張しつつ、人類が育ててきた集団脳を根本から変えたのだった。

 そして世界中にある洪水伝説や神話などの物語は、集団のメモリーバンクとなって詳細な文化的情報を保存することに役立った。人間の文化が複雑になるにつれて、物語が重要な文化的適応になっただけでなく、人間の脳自体が認知の一部として物語を利用するように進化したのである。

 さらにもう一つ重要なイノベーションは、時間という概念の創出だった。サピエンスは時間を発明したことで、居住環境を時間によって管理するようになり、それが人間の文化や生態を変えたのである。目覚め、食べ、眠るという日課は、人間の生態サイクルを地球の自転と同期させた結果である。

現在進行中のイノベーション

 資料②によれば、イノベーションが起きるには、あるレベルの文化の複雑さが必要とされるが、ひとたび何らかの洞察が得られると、社会は加速度的に進歩する。社会ネットワークは相乗効果をもたらし、ネットワークでつながった集団は孤立した集団には不可能なことを可能にする。

 これが人間社会に起きるイノベーションの特徴である。半導体がムーアの法則に従って指数関数的な進化を遂げ、コンピュータとインターネットのインフラが整備されて以来、処理能力と通信帯域は共にキロ(1千)→メガ(1百万)→ギガ(10億)→・・・と飛躍的に拡大した。イノベーションの効果が指数関数的になったのである。

 レイ・カーツワイルは1990年代に、あるテクノロジーがデジタル化されると、ムーアの法則に則って指数関数的な加速が始まることを発見した。カーツワイルはこれを「収穫加速の法則」と呼んだ。この技術革新が、現在の指数関数的テクノロジー(ET)の背景にある。

 さらに今進行中のイノベーションが、AI、ロボット、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)、3Dプリンタやゲノム・シークエンシング、ブロックチェーン等のETが相互に融合する(Convergence)ことによって起きていることに注目すべきである。

 変わらないのは「変化が続く」という事実だけであり、変化は加速する一方である。資料②によれば、変化の加速は三つの増幅要因が重なって起きるという。すなわち、指数関数的な演算処理能力の成長、ETのコンバージェンス、七つの推進力の存在である。さらに七つの推進力とは、時間の節約、潤沢な資金、非収益化、天才の発掘しやすさ、潤沢なコミュニケーション、新たなビジネスモデル、長寿命化である。

イノベーションの戦略を考える

 以上述べてきたように、現代人にとってイノベーションは現代の競争を生き延びて豊かな未来を獲得するための生存競争に他ならない。激変する環境を生き延びるために、生物にとっての自然淘汰と同じように、イノベーションは未来を賭けた国家間の生存競争なのだと認識を新たにする必要がある。

 前項で紹介したように、ETが登場し、複数のETが融合するイノベーションがもたらす変化は途方もないものとなりそうだ。そう認識するとき、イノベーション戦略は、国の政策におけるワン・オブ・ゼム(その他大勢の中の一つ)ではなく、全ての戦略の根本に据えて取り組むべき最重要課題と捉えるべきだろう。そして、イノベーション戦略は、少なくとも以下の要件を満たす必要がある。

 第一に、イノベーションにタブーがあってはならない。軍事に係るものであっても、次世代原発に係るものであっても、好き嫌いで是非を判断すべきではない。世論におもねる必要はなく、飽くまでも国の戦略としてロジカルに判断すべきである。日本だけが嫌だと言って拒否してもそれは解決にはならない。むしろ隣の軍事大国がそれを開発するのであれば、日本はその国がそれを使うことを抑止するために、その技術を獲得すべきなのだ。それが現実解なのだ。

 今回のコロナ・パンデミックにおいて、未だに日本製ワクチンが登場していない事実を謙虚に反省しなければならない。日頃からのウィルス研究がなければ、パンデミックが起きた時に短期間でワクチンを開発することはできないのだという事実を。

 そもそも全てのテクノロジーはデュアルユース(軍民両用)であって、現代の重要なテクノロジーは何れも軍事研究から生まれたものが多い。問題の本質は軍事や原子力に係るテクノロジーそれ自体にあるのではなくて、兵器や原発のマネージメントの問題だという点にある。デュアルユースである以上、テクノロジー自体を否定することは誤りである。

 その昔、ホモ・エレクトスが最初に火を使うことを思いついたときに戻って考えてみればいい。火は猛獣から家族を守るための強力な武器であり、寒さから身を守る革新的な手段であると同時に、誤って使えば森林火災を起こしかねない危険なツールだったことを。

 軍事や原子力に係るイデオロギー論争に終止符を打たなければ、日本の未来はない。原発が危険な理由は、それが暴走した場合の被害の大きさと深刻さにある。そうであるならば、世界における日本の役割は「危険だから一抜けた」をすることではなく、世界の規範となるような「戦争に使用させない仕組み」、「原発を安全に使用する仕組み」を構築することにある。そう考えるべきではないか。世界から一目置かれる日本を目指すべきなのだ。

 第二に、イノベーションは国家間の未来を賭けた生存競争であるために、予算がないからという理由で中止したり減額することがあってはならない。国の支出費目の中で最大の社会保障費はもとより、大半の費目は使ってしまえば消滅してしまう「消費」である。一方、イノベーションに係る費目は未来の富みと豊かさを生み出す卵を育てる「投資」なのだという視点を持つべきだ。

 第三に、イノベーションは国家だけで背負うものではない。企業とアカデミアの力を最大限に活用すべきである。現在日本企業はおよそ500兆円という途方もない内部留保を持っている。日本には投資にも賃上げにも使われない巨額のおカネが眠っているのである。企業はなぜ内部留保を投資に回さないのだろうか。企業自身が未来に対するビジョンを描けないからか、それとも先人のいない領域に踏み出す勇気を喪失しているからか。あるいは政府が迫真の戦略を示していないからだろうか。

 何れにしても、現在の日本は政府も企業も「戦略ゴッコ」に留まっていると言わざるを得ない。「ゴッコ」を本物の戦略に改めなければ日本の未来は暗い。政府は毎年、多くの「△△戦略」を策定しているが、政府が作る「△△戦略」に迫真性があるとはお世辞にも言えない。批判を恐れずにズバリ言えば、官僚の作文の域を出ていないからだ。

 官僚機構こそが日本最強のシンクタンクだと評されたのは、明治維新以降の「欧米列強に追いつけ追い越せ」と一丸となって戦っていた頃の話だ。「複数のETが融合するイノベーション」というテーマは専門家にも相当重いものであり、官僚の発想では手に負えないことを素直に認めるべきだろう。

 「複数のETが融合する」現代のイノベーション競争に挑むためには、少なくとも三つの機能を抜本的に強化する必要がある。その第一はインテリジェンスであり、第二はシンクタンクであり、第三はそのようなイノベーションを推進する仕組みである。

 インテリジェンスは、世界中で日進月歩に進行する変化を迅速かつ的確に捉え、分析する機能である。

 シンクタンクは、文字どおり日本として次世代のイノベーション戦略を立案する機能である。現在政府が取り組んでいるように、テーマ毎に有識者会議なるものを数回開催して戦略を練り上げるというような手抜きの方法では対処できる訳がない。さらに付け加えれば、その有識者を選ぶのも官僚で、会議の結論もシナリオも予め官僚によって用意されていて、集められた有識者はいわゆる御用学者として利用されるだけというようなやり方では、戦略ゴッコにしかならないことを肝に銘じるべきである。

 最後に、イノベーションを推進する仕組みは、幾つかの要件を備えたものとして整備されるべきだ。第一に、グローバリズムの潮流の中で海外に開発拠点を移した企業を国内に呼び戻す必要がある。第二に、日本学術会議に象徴される真の産学官連携を妨げる障壁を撤廃する必要がある。戦略にイデオロギー論争を持ち込むことは百害あって一利なしである。第三は、基本的に国が活動の土俵と基盤を用意する必要がある。

 米国には「国防科学委員会(DSB、Defense Science Board)」という機関がある。DSBは毎年ノーベル賞級の科学者を集めて、次に米国が国家として取り組むべき科学技術が何かについて、合宿を含めた集中的な討議を行っている。その成果はレポートにまとめられ、一部を除いて公開され、国家戦略に反映されている。また、米国には、「国防高等研究計画局(DARPA)」という軍事研究を推進する機関があり、潤沢な国家予算を使って、次世代の重要なテクノロジーの開発に取り組んでいる。

まとめ

 イノベーションはサピエンスにとって宿命であると書いた。視点を変えれば、サピエンスの「奇跡の物語」は、人類が生物からDNAとして受け継いだイノベーションの歴史だった。生物にとっての進化、人類にとってのイノベーションは38億年間途絶えることなく親から子へと受け継がれてきたバトンリレーのバトンだった。 そして現代のサピエンスはその秘密を解き明かすに至った。さて、そこまでがサピエンスの「イノベーション1.0」であるとすると、ETが融合する時代の「イノベーション2.0」はどのような物語となるのだろうか。

イノベーションを促進する思考法

進化、生物の戦略

 宇宙には「時間」という概念が存在する。「時間とは何か」というのは哲学的な問いだが、単純に言えば、「時間が存在する」ことは「万物は流転する」ことと同義であるだろう。

 およそ38億年前に生物が誕生して以来、地球環境は激変を繰り返してきた。それでも生物は過酷な環境の変化に適応するべく、進化する仕組みを発明してしたたかに生き延びてきた。生物の進化は世代交代のときにDNAを書き換える突然変異として起こる。それは、たとえその種は滅んでも新たな種として生き残るというしたたかな戦略なのである。

イノベーション、人間社会の宿命

 イノベーションとは社会の新陳代謝であり、陳腐化した制度やシステムに代わり、新しい制度やシステムが導入されてゆく変化である。

 社会が変化してゆく過程で、個々の技術や制度は役割を終えたものから退場してゆく。人もまた世代交代をしながら新しい世代が新しい社会を担ってゆく。この構図は生物の進化と同じである。生存することの宿命なのだ。

 近代社会は豊かさを追求しており、そのために経済成長を必要とする。成長するにはイノベーションが不可欠である。もしイノベーションを嫌って現状維持で行こうとする国は、国際社会の中で淘汰されてゆく。

 人間社会におけるイノベーションは生物界における進化に相当する。ただし両者が根本的に異なる点が一つある。それはイノベーションが人為的に起こされるということだ。社会においてイノベーションを起こす力は二つ存在する。一つは新しいテクノロジーの登場であり、他一つは政治の意思である。

 4月22-23日に、バイデン大統領の呼びかけによりオンラインで「気候変動に関する首脳会合(気候変動サミット)」が開催された。これは「かけがえのない地球を守るために」という崇高な理念を掲げているが、実態は政治の意思によって仕立てられたイノベーションを競うゲームであり、国益をかけた主導権争いに他ならない。

「何ができるか」vs「何をすべきか」

 ウィグル人に対する中国のジェノサイドに対し欧米を中心に非難と制裁の声が高まったときに、加藤官房長官は3月24日の記者会見で、「わが国の制度は人権問題のみを直接の理由として制裁を実施する規定はない。」と述べた。つまり官房長官は「規定がない」ことを理由に、「人権外交はやらない」と言ったのである。(https:kobosikosaho.com/daily/371/

 また4月16日に開催された日米首脳会談は、台湾有事における共同での対処に踏み込んだ。アメリカ側からすれば、これこそが首脳会談の目的であり成果だったのだろう。それを受けて日本では、台湾有事に「日本に何ができるか」の議論が展開してゆくことが予測される。

 実はこの二つの事例は、日本の思考過程が的外であることを物語っている。大事なことは「何をすべきか」であって、「何ができるか」ではないのだ。

 そもそも法律や制度は、過去に起きた社会的な重大事件を契機として、法体系の不備を補う形で制定されることが多い。未来に起こり得る事態に備えて、事前に新法を整備するという事例は稀だ。従って過去に例のない事態に対しては、現在の法体系や制度は常に不備なのである。この場合、政治の責任は「制度がないから対応できない」ではなくて、「新たな制度を大至急整備してでもやる」という姿勢でなければならない。

衰退途上国化する日本

 産経新聞の4月25日号に、寺崎明氏が『日本は衰退途上国になったのか』という記事を寄稿してイノベーションを論じている。「ワクチン接種の遅れ、国民一人当たりGDPの急落(2000年の世界第2位から2019年には第25位へ)」を事例として紹介した上で、「日本の最大の問題は戦略思考力の欠如にある。」と指摘している。

 まさにその通りだと思う。コロナウィルスに関して、このことを象徴する興味深い統計がある。グッドニューズは欧米と比較して日本の感染者数が桁外れに小さい事実であり、バッドニューズはワクチンの普及率が桁外れに低い事実である。

 感染者数が相対的に少ない背景には、複数の明確な要因があると思われる。問題はワクチンの方だ。そもそも未だに国産のワクチンが登場していないのは何故だろうか。日本は技術先進国ではなかったのか。新たなウィルスの出現に対し迅速にワクチンを提供できないとしたら、より感染力と致死性の高いウィルスが近い将来出現した場合(自然発生及びテロを含めて)、甚大な被害をもたらすことになる。

 ここでワクチン開発に関する日米の違いについて紹介しておきたい。日本経済新聞は昨年3月7日に、「アメリカでは2020年3月に新型コロナウィルスの対策費として83億ドルの追加予算案をトランプ大統領が承認し、ワクチンの開発加速などに30億ドル超を投じる。」と報じた。

 一方国産のワクチン開発の現状については、東洋経済オンラインが昨年4月25日に、「厚生労働省は2006年に『ワクチン産業ビジョン』を策定したが、製薬企業に丸投げしたとも言える内容だった。」と報じている。

 記事によると、厚労省の声掛けによって、大手製薬会社とベンチャーがペアを組んで3チームが作られたが、全てのチームが巧くゆかず最終的に瓦解してしまい、この結果ワクチンメーカーは中小ばかりに戻ってしまったという。

 さらに、昨年4月7日に閣議決定された2020年度補正予算案は「国内のワクチン開発への支援が100億円、海外のワクチン開発に差し出す資金が216億円」だったと報じている。

 アメリカ政府が投じた資金が3000億円超、これに対して日本政府が投じた資金が100億円、しかも200億円超を同時に海外に投じるという事実から何をくみ取るべきだろうか。また厚労省の『ワクチン産業ビジョン』が頓挫したのは何故なのか。

 一言で言えば、寺崎氏が指摘するように「日本には戦略がない」ということだろう。具体的には、「やるべきことを大胆にやらずに、できることを小出しに積み重ねてゆく」アプローチの失敗なのではないだろうか。

イノベーション思考

 イノベーションは「何をすべきか」という発想から生まれる。「何をすべきか」からの思考法をとると、それが難易度の高い課題であるほど簡単には実現できない障害がクローズアップされる。その結果、次の問いは「困難を可能に変えるために何が必要か」になる。正にイノベーションを起こす正のスパイラル思考だ。

 これに対して「何ができるか」からの思考法では、「法律がないから」、「予算がないから」、「世論が高まっていないから」、「日本には技術がないから」、・・・と、できない理由が山ほど登場する結果、小出しで中途半端な政策しか出てこないことになる。これは衰退に向かう負のスパイラル思考に他ならない。

 課題に直面したときに、政治家や官僚に限らず日本人の多くが「イノベーション思考」ではなく、「現状維持思考」に終始していないだろうか。できることを幾ら積み上げてもイノベーションにはならないことを肝に銘じる必要がある。

 制約条件を全て取り払って自由に考えることは、枠を作ってその中で考えることよりも格段に難しい。「何をすべきか」を考えることは、それは全体像を白紙にデッサンすることに似て、決して容易ではない。日本全体が難しい問いを避けて、安易な方向を選択していないだろうか。

イノベーション促進国への転換

 「衰退途上国」へのスパイラルから脱出し、ダイナミズムと成長を取り戻すためには、イノベーションが必要だ。しかもビジネスの世界に限らず、行政にこそ必要であることを強調しておきたい。

 「財政健全化」という誤った御旗のもとに、政府が「成長のための投資」という蛇口を絞ったために、日本はいつまでもデフレから脱却できず、その間に企業は世界の競争力を失い、日本は低成長に甘んじてきた。激変する環境の中で生物が進化を繰り返して生き延びてきたように、日本社会が再び成長軌道に戻るためにはイノベーション力を取り戻すことが必須条件である。

 戦後75年の間に進行したテクノロジーの変化は、驚嘆に値するものだ。一方その間に国家や社会の制度やシステムは、高速道路などのインフラと同じように、容赦なく老朽化が進んだ。大胆に刷新してイノベーションがどんどん起きる環境を整備しなければ、日本は衰退のステップを早めるだろう。

 コロナ対策として政府が投じた資金は2020年度に30-40兆円といわれる。残念ながらその資金は日本経済の沈み込みを止めるものが大半であってコロナ以前に対しGDPを増やすことは望めないだろう。何故ならこれは対症療法であって戦略投資ではないからだ。一方、ワクチンの集中的な技術開発や短期間での普及させる環境整備に十分な国家資金を投じるお金の使い方は、たとえば国が1兆円を投じることによって10年後に10兆円規模のGDP創出を推進するというように、戦略的というべきものだ。

 そのような戦略的なお金の使い方を阻害する障壁が、行政の世界には多く存在していると予測する。省庁縦割りはその代表的な例である。それらを撤廃してゆくことが行政のイノベーションである。

 では、イノベーション思考に転換するにはどうすればいいのか。日本が「衰退途上国」となった原因が「戦略思考の欠如」にあるとすれば、そこからどうやって脱出すればいいのだろうか。

 菅首相は昨年10月26日に行われた所信表明演説を、「・・・そのため、行政の縦割り、既得権益、そしてあしき前例主義を打破し、規制改革を全力で進めます。」と結んでいる。これを不言実行するのであれば、政府内の議論から「何ができるか」の議論を追放し、「何をすべきか」、「どうすればそれを実現できるか」をトップが常に問うよう運営を刷新すればいい。実行する意思さえあれば、即日でできることだ。