VWSG思考

生物進化から託された「現役」というバトン

 地球に最初の生命が誕生したのは35~38億年前のことである。それから進化を重ねて約2億年前に哺乳類が登場した。約700万年前には人類の祖先が、約20万年前には現代人の祖先であるホモ・サピエンスがアフリカに出現した。そして約7万年前に我々の祖先集団はアフリカを出て数万年をかけて世界に拡散した(グレート・ジャーニー)。こうして現代人の歴史が始まった。

 日本人の祖先集団が日本列島に辿り着いたのは約4万年前のことである。そこから2,000世代(20年/世代を仮定)を超える世代交代が繰り返されて現代に到達した。地球を舞台として繰り広げられたこの生物進化の壮大な物語を俯瞰すると、現代が進化の最前線であり、現在を生きている動植物の全てが進化の「現役」なのだという事実に思い至る。

 医学が目覚ましい進歩を遂げて寿命が延び、人生百年時代が到来した。しかし物心ついてから老化が進むまでの期間を「現役」と考えれば、我々に与えられた持ち時間は長くても70年程である。しかもその持ち時間は日々容赦なくカウントダウンしている。

 現代社会には様々な喧噪があり、現代人はそれに忙殺されて毎日を生きている。もう少し正確に描写すれば、時間軸に綴られた生物進化の物語の存在を忘れて、空間軸の世界に閉じこもるようにせわしなく生きている。ここで生物が綴ってきた悠久の物語に眼を向けてみれば、現代に至るまでに壮絶な絶滅と自然淘汰、無数の生死の物語が繰り広げられて、次々に「現役」が交替して、今我々に「現役」のバトンが託されたのだという真相を知ることになる。

 昼のひと時に公園のベンチに座って、虫や鳥の鳴き声に耳を傾けながら荘大な生物の物語に思いを巡らせてみて欲しい。次に晴れた夜に同じベンチに座って満天の星が輝く宇宙を眺めて、無限に広がる宇宙に想いを巡らせてみて欲しい。その上で想像力を逞しく働かせて欲しい。例えば次のようにだ。

(1)漆黒の宇宙にポツンと浮かぶ地球がある。宇宙船地球号は超高速で宇宙空間を飛翔している。

(2)その地球を舞台として、壮絶な生物進化の物語が30数億年にわたって繰り広げられた。

(3)その物語のライブステージが現代であり、「現役」の俳優の一人として今自分の人生がある。

 人生には恐らくこの荘厳な事実に勝る感動はないだろう。

人生は思考法次第

 人生は一度きりであり「現役」に与えられた時間は余りにも短い。そう認識できるなら、誰にも遠慮することなく精一杯思い切った生き方をすればいいのだが、それはなかなか容易ではない。何故なら自分自身を自覚するようになった頃を回顧してみればいい。

 第一に、人は誰もが多くのしがらみに囲まれて生まれてくる。時代や国は無論のこと、地域も家庭も健康状態すらも全てが与えられたものであって、何一つ自分で選んだものはない。これが人生の境界条件である。

 第二に、人は生きてゆく上で必要な知識も経験も、何も持たずに生まれてくる。そしてやがて成人する頃には、さあ進路を選択して海に漕ぎ出せと、生まれ育った環境から追い出される時がやってくる。ここが人生の出発点である。ここから先一体どのように考えればいいのだろうか。

 このように白紙で生まれてくることの裏返しとして、人生には大きな多様性が用意されている。但し選択を一つするたびに一つずつ進路が確定してゆき、一歩進めばその先にまた次の多様性が広がってゆく。それ故に様々な事件や課題に直面する時に、それをどう捉えどう考えどう選択するかが極めて重要となる。

 多様性を平たく言えば「思考次第で人生はどのようにも変わる」ということなのだが、その肝心の思考について教えてくれる人は誰もない。私が提唱するVWSGサイクルは、人生を逞しく生きてゆくために役立つ思考法として体系化したものである。

VWSGサイクル

 VWSGサイクルを通して説明しよう。始めに人生をどう生きるか、その結果何を手にするのかは思考法によって決まると言っても過言ではない。そして成功をもたらす思考には法則がある。

 思考法を体得するには、技法(テクニック)の前に作法(マナー)を身に着ける必要がある。作法とは、茶道、華道、書道、武道、・・・というように、「道」が付く修行に不可欠な、最初に身に着けるべき「型」である。

 そんな難しいことは言わずに、目の前にある道を一歩一歩と歩いてゆくのもいいだろう。その場合、特段の思考法は必要ではない。何が起きようとも物事に動ずることなく悠然と歩いてゆくことができれば、それはそれで立派なことだからだ。

 一方、大きな目標を立てて挑戦する道を選ぶとしたら、「コツコツ・アプローチ」では目標に到達できない可能性が高い。何故なら目標が大きいほど課題は多くなり難易度は高くなるからだ。それを乗り越えるためには飛躍した発想とアプローチが必要となる。

 図にVWSGサイクルを図解して示す。このサイクルは人生、ビジネス、外交に共通の思考法もしくは処世法を描いたものであり、以下に要点を整理する。

 VWSGサイクルの第一ステップは<ヴィジョン(V)>から始まる。

①最初にやるべきことは、将来実現したい姿(ヴィジョン)を大胆に描くことだ

②ここで大事なことは、「それは無理だ」というネガティブな邪念を全て排除することだ

③一方で、もし努力を重ねれば実現できる将来像であるならば、必ずしもヴィジョンは必要ではなく、「コツコツ・アアプローチ」で行動すればいい

 第二のステップは<意思(W)>である。

①意思あるところに道は必ず拓けるという信念をもつことが肝要だ

②次に状況がどう変化しようとも、揺るがない意思を持つことだ

 第三のステップは、<戦略(S)>である。

①ヴィジョンが大きい程、乗り越えなければならない課題は困難になる

②課題に直面したら出来ない理由を挙げて撤退するか、乗り越える方法を発見して挑戦するか、道は常に二つある

③大事なことは成功は困難の先にあると信じて、迷うことなく困難な道を選ぶことだ

④但し課題を乗り越えるためには、ブレイクスルーの発想とそれに基づく戦略が必要だ

 そして第四のステップは<ゲーム(G)>である。

①ビジネスも政治も、そして人生もすべからくゲームなのだと達観することだ

②視野を高いところにおいて全体像を俯瞰し、自分を客観視して最善の一手を考える

③人生は一度きりだと腹を括って、真剣勝負のゲームを挑む

ゲームはヴィジョンから始まる

 喩え話として、港からヨットに乗って海に出ることを考えよう。水や食料など航海に必要なものを積み込んで、さあ船出だ。ここでハタと直面する問いがある。一体どこを目指すのか、そこに行って何をするのかだ。

 人生の航海にはヴィジョンが必要である。与えられた持ち時間は有限であり、しかも誕生と同時にカウントダウンを続けている。「現役」として命が与えられている間に一体何を実現したいのか、または極めたいのか、将来像を描かない限り人生の航海を始めることは出来ない。ヴィジョンを掲げて勇気をもって進むことだ。

意思、アインシュタインの名言

 簡単に諦めてしまう人に大きなヴィジョンを実現することは出来ない。大きな目標をもって諦めずに挑戦した人々の代表例はオリンピック選手だろう。メダルを目指して戦った人達の顔を見ればいい。そこには最後まで諦めなかった清々しい顔がある。

 では成功する人に共通している資質は何だろうか?その答えは「成功するまで諦めない」である。かのアルバート・アインシュタインは次の名言を残している。

・失敗とは道半ばの成功である(Failure is success in progress.

・取り組みを止めない限り失敗はない(You never fail until you stop trying.

・人類が直面している重大な問題は、それを生み出した時のレベルの思考で解くことは出来ない。人類にとって最も重要な課題は新しい思考を発見することである。(The significant problems we have cannot be solved at the same level of thinking with which we created them. The most important task for humanity is to discover new ways of thinking.

 アインシュタインの言葉は処世訓そのものである。さまざまな課題に直面した時に、課題とどう向き合うかによってその先の人生は大きく変わる。大事なことは「逃げない、ブレない、たじろがない」意思である。

戦略とブレイクスルー発想

 戦略とは大きなヴィジョンを達成するためのシナリオ、不可能を可能に換える方策と手順のパッケージである。

 人類の歴史はイノベーションの歴史である。紀元前の農耕革命、石器や土器の発明以降、人類は新しい技術を相次いで発見し、新しいモノやシステムを次々に発明してきた。ノーベル賞を持ち出すまでもなく、人類社会の進化がイノベーションによってもたらされたことは明らかだ。ここで注目すべきは、イノベーションの大半が過去の経験や常識に囚われない柔軟な発想から生み出されたことだ。

 一般に人が行動する動機は三つある。やりたいこと、できること、やるべきことの三つだ。英語で言えば、WouldCouldShouldである。この内やりたいことをやるのであれば戦略は不要である。またできることをコツコツと積み重ねることは戦略とは言わない。

 戦略的なアプローチが必要となるのは「やるべきこと」に挑戦する場合である。どうすればそれを実現できるかを目的思考で考える。初めに到達点を明確にして、そこに辿り着くルートと手段を現在位置から仰ぎ見るのではなく、到達点から振り返るように考えることが重要だ。何故なら現在位置から考えればできることを積み上げるアプローチを選ぶことになり、到達点から考えれば経験や知識を超えたブレイクスルー発想を促すことになるからだ。

 ブレイクスルー発想とは例えば次のようなものだ。地球上のどこか未知の土地に行くことを考える。目的地に到達する方法は幾つもあるだろう。歩いてゆく、自動車を使う、ヘリをチャーターして飛ぶ、或いは地理や土地の事情に明るい人物に代わりに行ってもらう・・・。方法は幾らでもあるのだが、自由奔放な発想ほど「そんなことは無理だ」という理由から、暗黙のうちに排除されてしまう可能性が高い。

 ブレイクスルー発想がなければ大半のイノベーションは生まれなかったことを肝に銘じるべきだ。イノベーションとは生物の進化に匹敵する人類が成し遂げた革命に他ならない。

ゲーム

 単純化して言えば、人生には常に選択肢が二つある。楽な道と、困難な道の二つである。一般に「できること」を選択すれば楽な道に通じ、「やるべきこと」を選択すれば困難な道に通じる。後者の場合困難を乗り越える心構えが必要になる。それは次のようなものだ。

(1)人生というドラマの主役は自分であることを肝に銘じる

(2)人生とは目の前に次々に現れる課題を解決してゆくゲームである

 どんな課題でも必ず解決できるという信念を持ってゲームに挑み、楽しみながら謎解きをする心構えで行動すれば、ヴィジョンは一つずつ引き寄せられてゆくことだろう。

 「引き寄せの法則」というのは、真剣に謎解きゲームに挑んでいれば、やがて機が熟した時に向こうから謎を解くためのヒントがやってくることを言う。脳は解けていない謎があると、睡眠中を含めて記憶された情報の中から関連情報を引っ張り出して関係づける作業を繰り返していると言われる。即ち「引き寄せの法則」とは、寝ている間も謎解きに挑んでいる脳の働きの賜物なのだ。

 外交もビジネスもゲームであると捉えて臨むことが賢明である。概して日本人は正直すぎるというか、性善説に立って思考するために、ゲームを挑むことが苦手な民族である。むしろ性悪説に立って、最悪の展開を想定した準備を整えてゲームに臨むくらいがちょうどよい。

 ズバリ言えば、相手が嫌がるカードを用意してゲームに臨む非情さというか、ゲームを楽しむ余裕が必要だ。このことは将棋や囲碁を考えれば明らかだ。棋士は自分が優勢になって、相手を投了に追い詰めてゆく最強の一手を常に考えている。将棋や囲碁は典型的なゲームである。外交もビジネスも人生もこれと変わらない。

総裁選の彼方にある未来

総裁選を考える

 8月14日に岸田総理大臣が任期満了後の退陣を表明した。ここぞとばかりにマスコミは「次は誰か」の話題に飛びついた。名前が挙がった政治家は8月19日現在で11名となり、総裁選という喧噪が始まった。

 喧噪の主題が「自民党総裁の選出」に留まるのなら何も違和感はない。しかし真の主題が「総理大臣の選出」であるとすると、選出プロセスに国民の関与がなく果たして民主主義国家として健全な姿なのかという疑問が生じる。

 アメリカ大統領選が同時並行で進行している。大統領制と立憲君主制の違いがあるが、国の次のリーダーを選ぶプロセスとして、どちらがより民主主義の理念に適っているかを比較する価値はある。アメリカの場合、二大政党である共和党と民主党が党としての大統領候補を選出して州に候補者を届け出て、州ごとに有権者による選挙を行って最多の票を獲得した候補者が予め州に割り当てられた代理人を獲得する仕組みになっている。そして全米50州及びワシントンDCの合計で最多の代理人を獲得した候補者が大統領に選出される。

 候補者は数カ月をかけて激戦州を中心に各州を遊説してキャンペーンを行い、政策をアピールする。両党の候補者同士の討論も行われて、候補者が国民に政策を説明し支持を訴える。アメリカ方式がベストとは言えないが、候補者が国民に対し直接政策を語った上で投票を経て選出されるという点で民主主義に則っている。

 これに対して日本では、与党の総裁候補が出そろうと、国会議員と党員による投票が行われて総裁が選出される。自民党は国会で最大多数を有するから、衆参両院での投票を経て自民党総裁が総理大臣に就任する。この選出プロセスに国民の関与はない。

 後段で論じるように来年は第二次世界大戦終結から80年の転換点を迎えるが、「次の80年」を展望する時、国民投票によって総理大臣を選出する方式が望ましいことは明らかである。主な理由は二つある。一つはそもそも民主主義国である以上、憲法改正を含めて重要事項は国民投票という手順を踏むことが望ましいという原則に基づくものだ。他一つは今回の自民党の惨状が、「総理大臣の選出をこの人たちに一任していいのだろうか」という疑問を提起していることだ。

 国民投票を取り入れることは、政治に対する国民の関心と責任意識を高めることになり、結果として民主主義のレベルを向上させることは間違いない。何故なら、まず国民は次のQ1とQ2の問いを考えることを余儀なくされ、次に候補者は国民に対してQ3とQ4の二点について存念を語ることを余儀なくされるからだ。

 Q1:激変する時代に国の舵取りを委ねる首相が備えるべき資質・能力は何か?

 Q2:候補者の中で、その資質・能力を最も備えた人物は誰か?

 Q3:現在の情勢(国内及び国際社会)をどう認識しているか?

 Q4:その上で、優先的に取り組む政策は何か?

第二次世界大戦終結から80年

 今年8月15日に日本は79年目の終戦の日を迎えた。1年後に世界は第二次世界大戦終結から80年の節目を迎えるが、大戦後の国際秩序は一足先に瓦解してしまった。安保理常任理事国のロシアがウクライナに軍事侵攻したからだ。ウクライナ戦争の終結目途は立っておらず、さらにタイミングを見計ったかのように中東危機が起きて拡大しつつある。

 同時に世界経済の不安定さが増大している。原因は主に三つある。第一にウクライナ戦争を契機として世界経済のブロック化が進み、エネルギーと食料の高騰を招いて世界にインフレをもたらしたこと。第二に不動産バブル崩壊のソフトランディングに失敗した中国で、地方政府の財政破綻が深刻化し、社会的な騒乱が拡大していること。そして第三に、「崩壊が起きるまでバブルだったと判断できない」というグリーン・スパン元FRB議長の名言があるが、アメリカが現在バブル崩壊前夜にある可能性が高いことだ。

 このように、安全保障でも世界経済においても、世界は大戦後最大の危機に直面している。アメリカの次期大統領は、国内の分断を克服して安全保障と経済の両面において国際秩序を回復に向かわせることができるのか、それとも分断が深刻化して内戦へと向かい、世界の危機を悪化させてしまうのか、残念ながら現状では予測できない。

「次の80年」を担う総理大臣

 第二次世界大戦後の世界はアメリカが圧倒的なパワーの持ち主として君臨した時代だった。しかしながら、バイデン政権が断行したアフガニスタンからの拙速な撤退を契機として、国際秩序は崩壊し始めた。現在世界情勢が混迷を深めている背景にアメリカの衰退の進行があることは明らかだ。

 現在の世界情勢は世界大戦前夜もしくは世界大恐慌前夜に勝るとも劣らない危機的な状況にある。その状況の中で「次の80年」を展望するためには、「アメリカの衰退」を前提条件として考慮する必要がある。

 視点を変えて考えれば、世界情勢の動向は日本に対し「思考停止の80年」と決別する絶好の機会をもたらすだろう。否応なしにアメリカ従属の外交姿勢を改め、日本が本来果たすべき役割を自律的に定めて主体的に行動することを余儀なくされる。この結果、より対等な役割分担として日米同盟を再定義・再構築することになる。

 激変の時代の舵取りを担う次期総理大臣には、このような大局的な世界観と、明治維新以降の近代史を俯瞰する歴史観をもとに、「次の80年」を見据えてもらいたいものだ。

戦略思考(VWSG思考)への転換

 「次の80年」の時代を切り開くリーダーは、端的に言えば、次の資質を備えた人物であることが望ましい。

  ①世界史の潮流の中で日本の近代史を俯瞰する視座をもち、

  ②その上で、日本の将来像についてヴィジョンを描き、

  ③それを実現する確固たる意思を持ち、

  ④立ち塞がる障壁や困難を克服する戦略を組み立てて、

  ⑤国内外の敵対者を相手にゲームを挑む

 これをVision、Will、Strategy、Gameの頭文字をとって「VWSG思考」と呼ぶこととする。

 外交とは国家間で繰り広げられるゲームである。各国のリーダーは皆自国の国益最大化を目論み、相手の意図と動静を読み必要なカードを用意して外交に臨む。同様にビジネスは企業間で行われるゲームに他ならない。ここで重要なことを一つ指摘しておきたい。それは生真面目すぎる日本人には、外交もビジネスもゲームなのだと達観する胆力が欠落していることだ。

 ヴィジョンとは実現したい将来像である。政治であれば、10年後、20年後、或いは100年後に日本をどういう国にしたいのかを明確に描くものである。従ってヴィジョンには、国益最大化という命題に加えて、国際社会が直面する課題や危機に対して日本はどういう役割を担うのか、どういう貢献をするのかが盛り込まれなければならない。

 ヴィジョンを明確にしたなら、次にそれを実現する意思を明確にする必要がある。一般にヴィジョンが壮大なものであるほど、進路には巨大な障壁が立ち塞がることを覚悟しなければならない。その障壁を克服もしくは消滅させる方法と手順を明らかにすることを戦略という。

 そしてゲームとは、他のプレイヤーと知略を尽して戦う真剣勝負である。

政治システムの制度疲労

 ここまでの認識に立って再び日本の政治の現状に眼を転じると、まずパーティ券収入不記載という旧態依然の事件を起こした自民党に、「次の80年」を託せるのだろうかという疑問が浮かぶ。さらに重要な事例を挙げれば、戦後79年が過ぎたというのに、憲法改正は進展がなく、一方では問題だらけのLGBT法案を拙速で通すなど、自民党はもはや日本の国益を守る保守政党ではないという疑念が噴出している。

 一方自民党の不祥事を恰好の攻撃材料として追及する野党には、「10年後、100年後に日本をどういう国にするのか」というヴィジョンも、国際社会に対して意思と戦略を掲げて真剣勝負のゲームを挑む姿勢も見当たらない。かくして国際情勢が極度に緊迫化しているというのに、与党も野党もさして重要ではない話題に時間を浪費している現状に国民は溜息をつかざるを得ないのである。

 今回の事件は一自民党の問題ではなく、「戦後の政治システムの制度疲労」と捉えるべきなのだろう。従って、トップが交替し人事を刷新するだけで解決できはしない。政治システムのイノベーションが避けて通れない。そう理解すべきなのだと思う。

日本の課題は「戦略観とゲーム志向」の欠如

 『思考停止の80年との決別』を踏まえて、「明治維新から敗戦までの77年の失敗の原因と教訓」を簡潔に整理すれば次のとおりだ。

①日清日露戦争に勝って英米に並んだという自負が慢心を生んだ。

②軍の暴走を統制する政治システムを確立できなかった。

③英米と肩を並べた時点で次の目標を見失った。「フォロワーから開拓者へ」の発想の転換が必要だったにも拘わらず、次の目標を描かなかった。そして現在に至るまで、我が国は未だにフォロワーのマインドから脱却できていない。

 「次の80年」の政治の舵取りを考えるには、まず世界情勢を展望し、日本の立ち位置を確認して進路を見極める必要がある。同時に世界が抱える課題に対して、日本が果たすべき役割を明らかにする必要がある。

 そのためには「近代史の失敗と教訓」を踏まえて、日本の強みと弱みと、日本人が持つユニークさを再認識することが重要だ。「欧米にあって日本に欠落しているもの」と、逆に「日本には当たり前のようにあるが欧米に欠落しているもの」を再認識することから始めるべきだ。一言で言えば、前者は「戦略観とゲーム志向」であり、後者は「地球環境と共生・共存する文化」だろう。

靖国参拝は解決意思の問題

 今年も鎮魂の夏が終わった。先の大戦で軍人・民間人合わせて310万人が亡くなった。英霊を靖国神社に祀ることは、国の約束であり責務である。安倍元首相は在任中に一度だけ参拝したが、その後の首相は誰一人参拝していない。況や天皇陛下は一度も参拝を果たせていない。この状況は尋常ではない。

 靖国神社参拝は政治問題化されたまま放置されてきた。首相には国の歴史を背負う責任が伴う。他国におもねて310万人もの犠牲者から眼を逸らす人物に、国のリーダーを担う資格はないと断言したい。

 首相の靖国参拝と言うと、そんなことは出来ないと多くの人は言うかもしれない。しかしそれが国益に直結することであるならば、「出来ない」は「やらない言い訳」と同義である。VWSG思考で述べたように、大きなヴィジョンに基づいて実行する意思を固めたなら、次にやるべきことは立ち塞がる障壁や困難を克服する方法と手順を明らかにすることだ。誰からどのようなリアクションが起きるかを予測した上で、カウンター・リアクションを用意して臨めばいい。

 「日本は本気だ。全てを承知の上でゲームを仕掛けてきた」と相手に思わせるゲームを挑めばよい。参拝の是非について堂々と正論を語り、論理的なリアクションに対しては毅然と論破し、政治的で非論理的リアクションに対しては取り合わずに無視すればいい。

 このゲーム、深入りは損だと思わせる戦略を練ることが重要だ。政治家にはそうした一つ一つの攻めの行動が歴史を作ってゆくという自負を持って臨んでもらいたい。さすれば道は拓ける。逆に言えば意思なきところに道は拓けないということだ。靖国問題は意思の問題に帰着する。

フォロワーのマインドに決別せよ

 日本の近代史は、明治維新、太平洋戦争敗戦とほぼ80年毎に大きな歴史的転換点を迎えてきた。そして来年の戦後80年は次の転換点となる。明治維新から始まった近代史の第一ステージは、先行した欧米にキャッチアップする時代だった。司馬遼太郎が『坂の上の雲』として描いてみせた意気揚々とした上り坂の時代だった。

 同時に第一ステージ、特に20世紀前半は世界レベルの戦争の時代でもあった。日本もその大きな潮流に巻き込まれ、軍事力において欧米と肩を並べた後は、チャーチル、ルーズベルト、スターリンの企みに翻弄され太平洋戦争に引き摺り込まれて完膚なきままに叩きのめされた。

 近代史の第二ステージは「アメリカによる占領」から始まった。都市は廃墟と化し、戦争の犠牲者は310万人に及んだ。そのどん底にありながら、日本は経済優先で史上最大の国難を見事に克服して、半世紀後には経済大国の地位を獲得した。

 その一方で敗戦を含む近代史の総括は棚上げされ、戦争の教訓も占領体制の払拭も未完のまま放置されてきた。そして憲法改正と靖国神社参拝が象徴するように、日本は未だに名誉を回復できていない。そして明治維新以降は欧米にキャッチアップすることを目標とし、戦後はアメリカの傘の中に身を置いてアメリカに従属してやってきた故に、日本は未だにフォロワーのマインドから脱却できていない。

開拓者(エクスプローラー)スピリットを取り戻せ

 来年は戦後80年の転換点を迎える。「次の80年」、つまり近代史の第三ステージは「自律」の時代となるだろう。「思考停止の80年」と決別し、フォロワーのマインドを捨て去って、開拓者(エクスプロ-ラー)のスピリットを取り戻してVWSG思考で「次の時代」を切り開いていく。次期総理大臣がその一歩を踏み出すことを心から願いたい。

 そのためには政治システムのイノベーションが避けて通れない。既に述べたように、欧米と比較した日本の弱みは「戦略観とゲーム志向」の欠如であり、逆に日本の強みは「地球環境と共存・共生する文化」にある。

 「戦略観とゲーム志向」のスピリットを取り戻すためには、政治システムにシンクタンク機能を組み込むことが必要だ。日本には官僚機構は極めて優秀だという思い込みがあり、現在に至るまで政治は永田町と霞が関のタッグで行われてきた。しかし官僚システムは行政機構であって戦略を練る機関ではない。凡そ戦略は国家横断の視点に立って国益最大化を追求するのに対して、行政機関は縦割りで省益を優先しようとするからだ。

 その代表的な事例を一つ挙げよう。それは「骨太の方針」である。本来なら「骨太の方針」は次年度の予算編成に先立って示される国家戦略であるべきだ。だが財務省が中心になって策定される従来の「骨太の方針」は、専ら予算の支出に係る制約条件を規定するだけで、国富を増加させるための戦略が欠落している。日本が「失われた30年」に喘いできた元凶が、「国富の増大」ではなく「財政支出の削減」を最優先課題としてきた「骨太の方針」にあると言ったら言い過ぎだろうか。

 アメリカでは有能な政治家や官僚は、公職を離れた後はシンクタンクに移籍して国家戦略を担う仕組みが定着している。新しい大統領が就任するときには新政権が推進する戦略と政策のパッケージをシンクタンクが用意して、大統領就任とともにキーパーソンが新政権に移籍して戦略を直ちに発動する態勢が整備されている。

 繰り返しになるが、日本が誰かの後を追い、誰かに従属してきた第二ステージはやがて終わる。このフォロワーのマインドが生き残ってきた原因の一つは、政治家と官僚だけの閉じた世界で政治を担ってきたシステムにある。そこには「戦略観とゲーム志向」に基づくヴィジョンを作る機能が欠落している。

 フォロワーからエクスプローラーへ転換するためには、国際情勢を踏まえて日本の国益を追求し戦略を練る機能がどうしても必要である。その資質・能力及び豊富な経験を備えた有識者が、公職を退いた後にVWSG思考の担い手として活躍するシンクタンクを社会インフラとして整備することが肝要である。

おわりに

 「次の80年」において、地球環境との共存・共生は大きなテーマとなる。但し欧米が主導してきた太陽光発電やEVの促進は、消費国にとって脱炭素になっても、ソーラーパネルやEVの電池に不可欠な鉱物資源の採掘現場や製造工程で発生される炭素の増加には目をつむってきた。鉱物資源の採掘からソーラーパネルやEV電池を廃棄するまでのライフサイクル全体で捉えた脱炭素にはなっていない。

 ここに日本の出番がある。採掘、製造、消費を経て廃棄に至るライフサイクル全体での脱炭素を推進する役割がある。「次の80年」では「地球環境との共存・共生」を文化としてきた日本の出番がやってくる。