戦後政治の大転換というドラマ
「戦後政治からの脱却」という大きなドラマが進行中である。このドラマは、内閣総理大臣石破茂、公明党代表斉藤鉄夫、立憲民主党代表野田佳彦、そして内閣総理大臣高市早苗という人達が綴ったドラマである。そして高市首相は、「ポスト戦後80年時代の新しい政治への転換」という次のドラマを主宰し主演している。
ドラマの第一幕第1場は、2024年9月28日に行われた自民党総裁選を皮切りに幕を開けた。総裁選の第1回投票は高市早苗氏181票、石破茂氏154票となり、高市早苗氏がトップとなったが、決選投票で逆転劇が起きて、石破茂氏215票、高市早苗氏194票となった。こうして第103代石破茂総理大臣が誕生した。この逆転は旧態依然とした永田町の力学、つまり「戦後政治の力学」が働いたことによって起きた。
第2場は、2024年10月28日に行われた衆議院議員選挙である。石破首相が衆議院を解散したのだが、結果は以下のように自民党の惨敗を招いた。勝者となったのは立憲民主党と国民民主党だった。自民党が徹底的に嫌われて、それが両民主党に流れた。言い換えれば保守からリベラルへ流れた。

第3場は2025年7月22日に行われた参議院議員選挙である。結果は以下のとおりで、自公与党が過半数割れし、国民民主党と参政党が躍進した。

再び惨敗を喫したにも拘らず石破首相は続投を表明したが、過半数を超える世論の反対を受けて辞任した。
第4場は、石破首相の退陣表明を受けて2025年10月5日に行われた自民党総裁選である。党員の40%から支持を得て高市氏が第1回投票でトップとなり、決選投票では都道府県票47票の内36票、なんと76%が高市氏を支持した。このように世論の大きな意思が示されたために、従来の永田町の力学が封じ込められ、10月21日に行われた首相指名選挙で高市早苗氏が第104代総理大臣に就任した。
第5場は、10月10日に公明党が自民党に対し連立の解消を通告したことである。公明党が高市内閣とは組めないというカードを切ったのだった。こうして戦後政治の枠組みの一つが一日にして消滅した。
第6場は、高市首相が2026年1月23日に切ったジョーカーともいうべきカード、衆議院の解散である。公示日が1月27日、投開票が2月8日という過去最短でかつ真冬の選挙となった。後述するように、このジョーカーは高市首相が公約として表明してきた「大胆な戦後政治からの転換」というべき諸政策を実行に移すにあたって、国民からの強い支持表明を求めて切った乾坤一擲のカードだった。
第7場は、ジョーカーを切られた立憲民主党と公明党が1月16日に中道政策連合として合体したことである。
そしてドラマの第一幕を飾る第8場は2月8日に行われた総選挙だった。結果は高市首相が乾坤一擲の大勝負を制して自民党単独で2/3超の歴史的な圧勝を果たした。一方中道政策連合は公示前議席の7割を失うという歴史的惨敗を喫した。
選挙結果 2月8日に行われた総選挙の結果は次のとおりである。

結果だけみれば、二つの変化が見て取れる。第一の変化は118議席が丸ごと中道支持から自民党支持に回ったことだ。第二の変化は、高市旋風の中でも維新と国民は現状勢力を維持し、参政とチームみらいが躍進したことだ。これは自民党に対抗する勢力として、旧来のリベラル勢力と入れ替わるように、維新と国民民主が踏ん張り、若い世代の意思を反映する形で参政とみらいが台頭したと解釈できる。
どうしてこういう結果となったのか
国民の高い高市首相支持は、「国際情勢と日本の未来に対する危機感」の表明だった。高市政権が誕生して以来、極めて高い支持率が継続してきたことがそれを如実に物語っている。
国民の危機感が切羽詰まったものであるにも関わらず、壊滅的惨敗を喫した中道政策連合の政治家たちは「危機対処」を強く求める嵐の中で「呑気な父さん」を演じていた。国民目線で見ればそうとしか見えない。危機に対し「中道」というキャッチフレーズは「危機に対し何もしないことを宣言した」パロディにしか聞こえなかったということだ。
今回の選挙は何だったのか
選挙期間中、「今回の選挙には大義がない」という趣旨の発言をする野党政治家が目立った。この人達は国際情勢の激変も政治の大局も、視野の中にないのだということを国民の前に告白したことと同じである。高市首相が衆議院解散という伝家の宝刀を抜いたのは、これからの戦いに向けて国民の全幅の支持を得て憂いなく政策を進めるための布石である。
高市首相が「挑戦しない国に未来はない」と繰り返し述べて訴えたのは「戦後政治からの脱却」であり、「ポスト戦後80年時代の新しい政治」への大転換だった。今回の総選挙での圧勝は、第一幕「戦後政治からの脱却」の最終章だったと位置づけられる。期待通り国民からの絶大な信任を得たので、高市首相は躊躇することなく第二幕の「ポスト戦後80年時代の新しい政治」への大転換を進めてゆくだろう。
国民の危機感はどこにあるか
ずばり「国際情勢と日本の未来に対する危機感」である。
はじめに「日本の未来に対する危機感」はどこから来るかと言えば、失われた30年を経て日本の国力が相対的に衰退し、国民の実感としても生活が貧しくなっている現実にあることが明らかだ。選挙期間中に高市首相が訴えてきた「責任ある積極財政」は、日本のこの閉塞状態を打破しようという意思表明である。
次に「国際情勢に対する危機感」は、現在進行中の国際情勢の激変に起因する。東アジアの安全保障環境がもはや安全ではなくなってきたということだ。国際情勢の激変を象徴する事件は次のとおりである。
第一は2022年2月に起きたロシアによるウクライナへの軍事侵攻である。核兵器を保有する軍事大国が武力を使って隣国に軍事侵攻したことによって、曲がりなりにも戦後維持されてきた国際秩序が跡形もなく吹き飛んだのである。
第二はアメリカをも脅かす経済大国となった中国が、力を行使して戦後の秩序を強引に変えてきたことだ。南シナ海や東シナ海に人工島を作って軍事要塞化してきたことも、一帯一路と称して途上国に巨額の融資をしてそれを担保に港湾などを中国の管理下に置いてきたことも、更には台湾有事に関する高市首相発言を捉えた執拗な脅しもその一例に過ぎない。そして今世界は、台湾を力づくで支配しようとする中国の動静を注視している。
第三は北朝鮮が核兵器を開発してきたことだ。北朝鮮はウクライナへも派兵し、ロシアとの軍事同盟化を進めてきた。
そして第四は、トランプ大統領が進めるMAGA政策である。ベネズエラの現職大統領を力づくで追放し、イランに空母打撃軍を派遣する一方で、「グリーンランドをアメリカ領土としたい」と表明するなど、「戦後の国際社会の常識」を逸脱する言動に対し、欧州諸国からも非難が集まっている。
このように、米中露という核保有国かつ軍事大国が、容赦なく力を行使して国際秩序を変えてゆく時代が到来した。戦後80年が経って国際情勢の風景が激変したのである。いつの間にか世界は秩序によってではなく、力によって運営される場に変わってしまった。東アジアとて安全保障のサクチュアリではなくなり、国民が「ウクライナの次はどこか、それはいつか」と考えることは、安全保障上の危機がもはや他人事ではなくなったことを意味している。
安保理常任理事国には拒否権があるために、常任理事国自身が力を行使すれば、もはや誰にも止められない事態となる。それでも戦後はアメリカの圧倒的な力が国際秩序を維持してきたが、トランプ第二期政権の誕生とともに、その構図が揺らぎ始めている。
最近ではウクライナ支援とロシア対処を巡って、欧米が離反し始めた。トランプ大統領は同盟国よりも露中との関係を重視しているように見える。同じ変化が東アジアでも起きる可能性がある。アメリカがグローバルな覇権から西半球の覇権に引き籠ろうとすれば、米韓同盟に留まらず日米同盟も近未来に変質が迫られる可能性が高まる。
言い方を変えれば、ソ連邦の崩壊以降アメリカ一強だった世界の力学が変わり、世界が多極化し、アメリカが西半球に引き籠ろうとしている。その空白を埋めようとBRICSが台頭している。戦後の米ソ冷戦時代、その後のアメリカ一強の時代には、曲がりなりにも国際秩序は担保されていたのだが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を転換点として、その担保の信頼性が揺らいでいる。
高市政権はそういう国際情勢の中で船出した。激変しつつある国際情勢の視点から俯瞰すれば、「呑気な父さん」を演じてきたリベラル勢力は及びではないことになる。中道政策連合の頓挫は、戦後政治は既に過去のものとなりリベラル政党の役割が終わったことを示唆している。激変しつつある国際情勢、安全保障環境の中に、国民の多数が近未来の日本の危機を肌で感じている、それが今回の総選挙の結果として現れたのである。
ポスト戦後80年時代への転換
第一幕「戦後政治からの脱却」シナリオは、既に現実のものとなり、極めて速いスピードで展開し始めた。既に述べたように、一気呵成に第8場まで進んだ。2月8日の総選挙結果は、第2幕「ポスト戦後80年時代の新しい政治への大転換」の第1場の幕が上がったことを意味している。
「戦後政治から脱却し、ポスト戦後80年の時代の新しい政治へ転換する」とは、どういうことだろうか。一言で言えば、観念論に基づく思考停止の政治と決別して、リアルポリティクスを取り戻すことに他ならない。
戦後の日本は、日米安保条約を根拠として日本の防衛をアメリカの軍事力に委ねてきた。アメリカの核抑止力に依存しながら「非核三原則」を掲げて、核の要否、是非について思考停止してきた。日本各地に多くの米軍基地を提供し、国内に米軍を常駐させておきながら、最新の軍事システムや兵器を保有する自衛隊を軍隊と呼ばずにごまかしてきた。戦後80年が過ぎたというのに、国際情勢の変化・科学技術、社会の進化とそぐわない箇所が散見されるにも拘わらず、憲法を一度も変えずに自己矛盾を放置してきた。東日本大震災が起きると原発が忌避され、「脱炭素」という神話のもとに現実的なエネルギー政策から眼をそらしてきた。
これらに共通している根源的な問題は、見たくない現実には目をつむる思考停止である。広島・長崎の原爆被災者が「核廃絶」を唱えることも、福島原発の被災者が「原発再稼働反対」を唱えることも、信条としてよく理解できる。しかし国政を担う政治家が被災者におもねって思考停止となり、国益を損ねる政治を戦後80年にわたって続けてきたことは、政治家の責務放棄という他ない。政治家であるならば、与党であろうが野党であろうが、国際社会の動向に対し思考停止となることなく、我が国の国益を追求するリアルポリティクスを貫いてもらわなければならないのである。
