アメリカは本気で中国を潰す
ジョージ・ケナンがソ連代理大使の時に書いたLong Telegram(長い電報)は、1947年に外交問題評議会(CFR)が発行する雑誌「Foreign Affairs」に『X論文』として掲載された。『X論文』はソヴィエト連邦を崩壊に導いた戦略の土台となった。
2021年1月28日、大西洋協議会(Atlantic Council)に、「アメリカの新しい中国戦略に向けて(Toward A New American China Strategy)」と題する匿名の論文が掲載された。ケナンの論文よりも長いことからLonger Telegramと呼ばれたこの論文は『新X論文』と呼ばれ、中国を崩壊に導く戦略文書として世界の注目を集めている。
Taiwan Voiceを主催する林建良は、『新X論文』を三つの要点に整理して分析している。第一に対中戦略を明確化すべきこと、第二に中国人と中国共産党を分けて考えるだけでなく、中国共産党内部でも習近平派と反習近平派を分けて考えるべきこと、そして第三に超えてはいけないレッドラインを中国に対し明示すべきことの三つである。
レッドラインとして挙げているのは、①核兵器、化学兵器、生物兵器を使用しないこと、②台湾を攻撃しないこと、③尖閣列島を攻撃しないこと、④南シナ海諸島の軍事化を行わないことと航行の自由を妨害する軍事活動を行わないこと、⑤同盟国を攻撃しないことの五つである。
バイデン政権がこの提言を採用するかどうか現時点では不明だが、大西洋協議会と政府の結びつきが極めて強いことと、標的を習近平派に限定していること、さらに匿名であることを勘案すると、『新X論文』がバイデン政権の政策の下敷きとなっていく可能性は十分に高いと考えられる。
大統領の交代によってアメリカの対中政策がどう変わるのかが最も重要なポイントとなるが、アメリカ戦略国際問題研究所(CSIS)上級顧問で戦略家のエドワード・ルトワックは、「他の政策については大きく変化したが、中国政策に関しては揺るがなかった」とバイデンの政策を評価している。
トランプ政権下だった2020年11月以降にアメリカ政府がとった「中国企業を締め出す政策」について、元空将補の横山恭三がJBPressに記事を投稿している。それによると、バイデン政権はトランプ政権の政策を踏襲しただけでなく、対象とする中国企業を拡大し、より厳しい措置をとっているという。この政策は、中国企業について中国人民解放軍からの関与があるかないかを国防総省が判定して、関与があると認定されると、その企業は米国の証券市場で米国の投資家から資金を調達することができなくなるというものだ。
・横山恭三、「落日の中国企業:米証券市場から締め出され資金源枯渇」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66214)
これは中国政府が自国の証券市場を強化して、国際会計基準の導入などの環境を整備しない限り、中国企業は今後外国人投資家から資金を調達することができなくなることを意味する。携帯電話の5Gや半導体に関わるサプライチェーンから中国を締め出すことに続いて、今回の措置は中国に対する強力な制裁措置となることは間違いない。
米政府高官らによる訪台が活発化している。昨年8月のアザー厚生長官(トランプ政権)に続き、今年4月にトッド元上院議員、アーミテージ元国務副長官らの代表団が訪台した。6月には超党派の上院議員3人が韓国から米軍輸送機で電撃的に訪台した。訪台の表向きの理由はコロナ感染対策だが、アメリカの台湾防衛の意思を内外に示すものでもある。
また今年6月から7月にかけて、米軍機が3回台湾の空港に着陸している。それぞれ韓国、日本、フィリピンの米軍基地から離陸したものであり、台湾有事の際に同盟国の米軍基地から部隊を急派することのテスト飛行と解釈される。
インド太平洋軍トップに就任したアキリーノ司令官は、就任前の4月23日に「台湾有事は大多数の人達が考えるよりも非常に間近に迫っている」と警告している。この文脈で考えると、米軍機の台湾着陸は台湾有事に備えるものであり、台湾統一を宣言した習近平に対するアメリカからの警告でもある。
『新X論文』は、「中国共産党の中の習近平派と反習近平派を分けて考える必要がある」と書いているが、その視点に立って考えれば、これは反習近平派(江沢民派など)の動きに呼応した、ひょっとしたら連携した動きであるかもしれない。
ニクソンショックから50年
ここで、現在進行中の変化を大局的に眺めてみたい。歴史を振り返ると、今から50年前の1971年7月にニクソン大統領が訪中を発表した。不意を突かれた日本は翌1972年9月に田中首相が訪中して日中国交正常化を実現した。ニクソンショックを転換点として、日米は中国に対し手厚い支援を行うようになり、それが現在のモンスター中国を生み出したといえる。
そもそもニクソン政権が共産主義中国と組んだのは、対ソ戦略上「敵の敵は味方」と認識したからだった。米国のその後の歴代政権は親中路線を継承してきたが、「中国こそが次の覇権国だ」とばかりに傍若無人に振舞う習近平政権が登場し、トランプがこれまでの対中政策を大転換した。トランプがとった強硬な対中政策はアメリカ議会が超党派で支持するものとなり、バイデン大統領も基本的にその路線を継承している。文字どおり党派を超えて、自らの覇権を脅かす敵は徹底的に叩き潰すという米国の伝統が復活しつつある。
イギリスの歴史家ニーアル・ファーガソンは、「もしも米国が中国からの攻撃で台湾を失うまま傍観すれば、インド太平洋地域における米国支配が終焉を迎える。米国が台湾防衛に何もできないと分かった瞬間にアメリカの世界覇権は潰え、自由世界が後退させられる。」と警鐘を鳴らす。(産経6月4日記事)
ニクソンショックから半世紀が過ぎて、アメリカは中国に対する幻想から覚醒し、対中政策を大転換しつつある。
中国包囲網
4月16日にホワイトハウスで開催された日米首脳会談は、共同声明に「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」と書き込んだ。日米両国は台湾海峡の平和と安定の重要性を強調し、中国による人権問題へ深刻な懸念を共有すると同時に、日本は自らの防衛力強化を決意し、米国は核を含む日本防衛にゆるぎない支持を表明した。これは日本が従来の「NATO(No Action Talk Only)外交」に決別することを約束したことになる。
5月3~5日に英国で開催されたG7外相会合では、中露の権威主義体制へ対抗するために民主主義陣営の結束を確認すると同時に、共同声明で「台湾海峡の平和と安定の重要性」に言及した。
7月29日には日米台の有力議員らによる初の戦略対話が、日本からは安倍元総理が出席してウェブ会議形式で開催された。「自由で開かれたインド太平洋戦略(FOIP)」における台湾の位置が地政学的に重要であることと、日米豪印戦略対話(QUAD)の促進について認識を共有した。
トランプの外交政策を同盟国との連携重視に転換したバイデン大統領が、着々と中国包囲網を形成しつつある。その背景には、中国の台湾侵攻が現実味を帯びる中で、台湾有事が起これば米軍だけでは対処できないとの認識があるとみられる。
歴史的転換点を迎えた国際情勢
モンスター国家の姿を隠さなくなった中国に対して、これまでの親中政策を大転換しているのはアメリカだけではない。
3月22日にEUと米英カは共同歩調をとるように、ウィグルに対する人権侵害について制裁を科した。EUの制裁に対して中国が報復制裁を科したために、EUは2020末に合意した投資協定の批准手続きを停止することを5月4日に発表した。これはEUと中国の関係が歴史的な大転換点(蜜月関係の終焉)を迎えたことを象徴する事件といえよう。
一方オーストラリアは、4月にビクトリア州政府が独自に中国と締結した「一帯一路」に関する協定を破棄することを明らかにした。豪州は地方政府が外国と締結した協定について連邦政府が破棄できる法律を昨年12月に整備して実行に踏み切ったのである。
さらにトドメをさすように、EUの中で最も親中だったドイツが、2020年9月にインド太平洋地域での外交、経済、安全保障の指針をまとめ、これまでの中国を中心に据えたアジア外交を日豪などとの関係を強化する方向に転換した。
日米と欧州軍との連携の動きもある。5月には日米仏の陸上部隊の共同訓練が、九州の駐屯地・演習場で行われた。台湾有事の際に尖閣諸島などの離島防衛に備えたものであることは言うまでもない。
さらに、英海軍最新鋭の空母クイーン・エリザベスを中核とした空母打撃群が5月にポーツマス港を出航して7月28日までに南シナ海に入った。空母にはアメリカ最新鋭のF35B戦闘機が搭載されていて、米軍やオランダ軍の艦艇も同行している。日本に寄港して日米と共同演習を行うものと思われる。
8月2日にはドイツのフリゲート艦バイエルンがインド太平洋に向けて出港した。日豪などと共同訓練を行う他、北朝鮮の瀬取り監視に参加する予定だという。
このように、欧州主要国とオーストラリアは、国際秩序を無視する中国の振る舞いに対し、申し合わせたように一斉に対中外交政策を転換している。「自由で開かれたインド太平洋戦略」に積極的に関与し、日米との共同演習に参加しているのである。
中国共産党はこれまで、札束外交の前に諸外国はひれ伏すと読んで戦狼外交を展開してきたと思われるが、南シナ海、香港、ウィグル弾圧と国際法も人権も無視する中国に対して政策を転換する国が増えてきたということだ。正しく潮目が変わったのだ。
中国の動きと内部事情
これに対し中国の動きはどうか。7月1日に中国共産党は結成100年を迎えた。習近平は演説の中で、「台湾問題を解決し、祖国の完全な統一を実現することは党の歴史的な任務だ。平和的な統一を進める。いかなる台湾独立の企みも粉砕する。」と牽制した。
この演説は国内に向けられた中国共産党と自身の業績を礼賛するメッセージだが、同時に世界に対するメッセージでもある。演説の中で注目すべき点は、「台湾統一は自分が成し遂げる」と暗に公言したことにある。しかしながら、もし本当に台湾侵攻を実行すればアメリカと戦う羽目になり、もし何もしなければ反習近平一派から糾弾されることになるため、最大の悪手となる可能性がある。
エドワード・ルトワックは、8月3日の産経新聞の紙面で、以下の二点を指摘している。第一は、今年になってから習近平は人民解放軍に対する演説で「いつでも戦争できるよう準備をしておけ」と繰り返し指示していること。もう一つは、軍幹部が功を焦って事件を引き起こす恐れが十分あることだ。昨年6月に中国とインドの両軍が国境があるヒマラヤ山岳地帯で衝突し、インド側に死傷者が出る事件が起きた。この時の現地司令官だった人物は罰せられないばかりか西部戦区司令官(上将)に昇進したという。
一方、7月30日の産経新聞は「民主か専制か、五輪の地政学」と題した記事の中で、米国に亡命した共産党中央党校の元教授蔡霞氏が発表した論文を紹介している。蔡霞氏はスタンフォード大学フーバー研究所で「中国共産党の目から見た米中関係」という論文を書いて、中国の内部事情について次のように警鐘を鳴らしている。「独裁体制は鉄壁の政治システムに見えるが、内部は矛盾と不信と腐敗で分裂している。いつ臣下が結束して首をかきに来るかが分からない。共産党が突如として崩壊する可能性に備えるべきだ。」と。
またニューヨーク・タイムズは7月27日に、中国が新疆ウィグル自治区東部の砂漠地帯に核弾頭搭載ミサイルの地下格納庫とみられる110基の施設を建設していることを報じた。ワシントンポストは6月に北西部甘粛省の砂漠地帯で今回と同様の核施設119カ所が建設されていると報じていた。中国が核戦力増強を加速化している可能性がある。実戦配備のためか、米国からの攻撃に備えたダミーか、或いは米国との核軍縮交渉に備えた取引材料かは不明である。
東京五輪閉幕後の国際情勢
米議会の超党派で作る中国問題に関する委員会は7月27日に、北京五輪の有力スポンサー企業5社を招いてオンライン公聴会を開催し、ウィグル自治区でジェノサイド(民族大量虐殺)が展開されているにも拘わらずスポンサー企業が営利を優先させていると企業を厳しく非難した。また、ワシントンポストは7月26日のコラムで、トヨタ自動車を含むスポンサー企業に北京五輪をボイコットするよう呼びかけている。東京五輪が閉幕する直後から、北京冬季五輪ボイコットの動きが大きくなることが予測される。
全体主義国家は五輪開催後に崩壊するという歴史がある。ナチスドイツはベルリン五輪から9年後、ソ連はモスクワ五輪から11年後に崩壊している。今年は、前回の北京五輪から13年となる。何れにしても、平和の祭典という抑止力が消滅することから、東京五輪が終了した時点で、来年北京で予定されている冬季五輪ボイコットの動きが活発になり、米欧日豪対中国の対立が激化してゆくことが予測される。
太平洋戦争の終結から75年、ニクソンショックから50年、ソ連邦崩壊から30年の歳月が流れたが、国際情勢は次の大きな歴史的変化に直面しようとしている。