独裁者が変える世界(3)アメリカ

 第三部ではアメリカ、トランプ大統領が起こしつつある変化を取り上げる。大統領第二期就任以来トランプが行ってきた行動は、プーチンのウクライナ軍事侵攻以上に第二次世界大戦以降の世界を激変させている。

青天の霹靂

 2022年2月にロシアが突如ウクライナに軍事侵攻した。それから4年後の2026年2月にアメリカがイラン攻撃に踏み切ったことは、ウクライナ軍事侵攻以上に青天の霹靂だった。東洋学園大学教授の櫻田淳氏は3月17日の産経紙面で次のように述べている。

 「19世紀前半、独立と南北戦争に挟まれた時期の、まだ貧しかった米国社会には善意と暴力、或いは寛容性と野蛮性という対照的な二つの性格が表れていた。それらは依然として米国社会の基底に沈殿し続けている。・・・現下のイラン戦争は、米国の暴力と野蛮性の相を赤裸々に出現させた。・・・米国とは元々、そのような国であるという醒めた認識の下、米国の対外政策対応の一々に右往左往しない姿勢が大事だ。」

 併せて櫻田氏は以下の二つの格言を紹介している。

  ・「政治で重視されるべきは、合法性や正当性よりも必要性である」(ニコロ・マキャベリ)

  ・「戦争とは別の手段による政治の継続である」(カール・フォン・クラウゼヴィッツ)

 この二つの格言をもとに考えれば、ロシアのウクライナ軍事侵攻とアメリカのイラン攻撃に対して、正義や正当性を問うてもむなしいだけだと気付かされる。軍事行動が、国益を追求した結果として国家指導者が下した政治判断であるとすれば、幾ら国際法違反だと叫んでみても柳に風でしかない。国際法には拘束力がない現実を再認識するだけである。

 元オーストラリア大使だった山上信吾氏は4月9日の産経紙面で、「但し、ウクライナ軍事侵攻とイラン攻撃を同列で論じるのは誤りだ。」と論じている。何故ならプーチンがウクライナの主権を侵害し、領土を軍事力で奪い取ろうとしているのに対して、トランプにはイランの領土を奪う意図はないからだ。また、イランは中東でアサド政権、ヒズボラ、ハマス、フーシ派、シーア派民兵などの「代理勢力」によるテロ活動を支援してきただけでなく、核拡散防止条約(NPT)加盟国でありながら、国際原子力機関(IAEA)の査察を拒否しウラン濃縮を進めてきた。

 しかし如何なる理由があろうとも、核兵器を保有する軍事大国で国連安保理常任理事国でもあるロシアとアメリカが戦後の国際秩序を瓦解させてしまった事実は、厳然と歴史に刻まれることになる。

プーチン、習近平、そしてトランプ

 専制主義と民主主義を同列で論じることには無理があるが、三人とも独裁者であることは共通している。アメリカは民主主義国だが、第二期のトランプ大統領の言動は相当に独裁的であると言わざるを得ない。それは以下の典型的な事例から明らかである。

1)トランプ政権は2025年4月2日に「国際緊急経済権限法(IEEPA)」に基づく、高関税措置を満を持して発表したが、今年2月20日に「IEEPAに基づいて関税を課す権限は大統領にはない」との連邦最高裁判決が出て無効になった。

2)アメリカは今年1月3日にベネズエラに対し軍事行動を行い、ニコラス・マドゥロ大統領夫妻を拉致して政権を交代させた。

3)アメリカとイスラエルは今年2月28日にイランに対する軍事行動を実行し、ハメネイ師他幹部を暗殺した。こうして「イラン戦争」が始まった。

 共にジャーナリストの川北省吾氏と近藤大介氏は対談の中で、プーチン、習近平、そしてトランプには、武力を行使してでも失ったものを取り戻そうとする「レコンキスタ」の共通性があると論じている。(資料1参照)ちなみにレコンキスタとは、中世のヨーロッパでイスラム教徒に占領されたイベリア半島の奪還をめざした運動をいう。

 「プーチンがウクライナに固執するその根底には彼の歴史観がある。首都キーウはロシア・ウクライナの源流で文明の起点であり、領土だけでなく失った歴史・記憶・文化を取り戻そうとしている。」

 「習近平の『中華民族の偉大なる復興』も似ている。彼は2012年に総書記になった直後のスピーチで真っ先に『復興』を語った。1840年のアヘン戦争、1894年の日清戦争という「国恥」以前の状態に戻し、香港、台湾、尖閣を取り戻すと。」

 そしてトランプ大統領のMAGAも『失地回復』への欲望が剝き出しだ。

 トランプの思考と行動パターンについて、元外交官の宮家邦彦氏が興味深い指摘をしている。それによると、トランプの言動は常に以下の①~③の段階を行ったり来たりしているという。誠にそのとおりだ。(資料2参照)

 ①事実かどうかを問わず自分の願望を事実として話す

 ②自分の願望を他者が受け入れない場合は徹底的に攻撃する

 ③世論やマーケットが自分の主張とそぐわない反応を示すとチキンアウトする 

トランプの認識

 トランプは大統領選で繰り返しMAGA(Make America Great Again)を訴えた。ここから「現在のアメリカはもはや偉大ではない」とトランプが認識していることが読み取れる。では、この認識は何処から来るのだろうか?少なくとも三つの意味が含まれているように思われる。

 第1は、アメリカの製造業の凋落と中間層の貧困化である。トランプ自身は富裕層に属するが、この現実に強い危機感を抱いている。

 第2は、アメリカ連邦政府の財政赤字が拡大一途にあり、既に危険水域に到達していて、このままではやがて破綻するという危機感を抱いている。

 第3には、歴代民主党政権、特にオバマ、バイデン政権が国際社会におけるアメリカの地位を大いに弱体化させたと認識している。

 連邦政府の財政赤字がここまで膨張した原因について、トランプは「諸外国がアメリカの国富を収奪してきたから」だと認識している。つまりトランプの思考過程には「アメリカは世界の食い物にされた」という被害者意識が働いている。

 しかしこの認識は明らかに間違いである。上記第1と第2の状況はアメリカ自身が率先して推進したグローバリゼーションがもたらした結果だからだ。グローバリゼーションが進んだ結果、アメリカに「マグニフィセント・セブン(M7)」に代表される超優良企業が生まれた。近年のアメリカの株価はM7が大きく引き上げてきたものだ。マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツやスペースXの創業者イーロン・マスクは日本円換算で1兆円以上の資産を保有する超ビリオネアである。

 その一方でグローバリゼーションは、一般の生産財・消費財の分野でアメリカ企業が世界市場で競争力を失い、その結果産業の空洞化が起きて中間層が没落し、白人層が失業し貧困化が起きた。こうしてアメリカにはごく少数の超大金持ちと多数の貧乏人が生まれた。この現実はアメリカが推進したグローバリゼーションが招いた結果である。

 さらに、アメリカの財政赤字が破綻の淵に瀕している主な理由は二つある。

 第1の理由は、歳出、特に国防費が国力を遥かに超えたレベルで推移してきたことであり、その背景には世界一の圧倒的な軍事力を維持するという歴代大統領の強い意図がある。

 トランプ米大統領は4月3日に、2027会計年度予算案の概要を公表し、国防費として過去最大の1.5兆ドルを要求した。ちなみに2026年度は1兆ドルであり、5割増しの要求となっている。代わりに国防費以外の歳出は10%削減するという。

 アメリカ議会予算局(CBO)が今年2月に公表した「The Budget and Economic Outlook 2026 to 2036」によれば、アメリカ連邦政府の、トランプ第2期政権の2025年及び2026年の税収、歳出、予算収支(財政赤字)は以下(表1)のとおりである。(単位は10億ドル)

年度税収歳出予算収支
20255,2357,010-1,775
20265,5967,449-1,887

 丸めて言えば直近2年間の財政赤字は1.8~1.9兆ドルで推移していて、1ドル=150円で換算すると、約280兆円/年という信じがたい巨額である。

 一方、連邦政府と自治体、社会保障基金を合わせた一般政府の債務(歳出-歳入)の推移は下図(図1)に示すとおりである。(「世界経済のネタ帳」から作成)

 表1及び図1に関する注目点が三つある。

 1)アメリカの財政赤字1.8~1.9兆ドルは、4月7日に成立した日本の令和8年度予算における一般会計の歳出総額122兆3092億円の2倍(1ドル150円換算で、約1.6兆ドル相当)を上回る規模である。

 2)アメリカの債務総額は2020年~2025年の5年間で約10兆ドルも増加している。

 3)債務総額のGDP比推移をみると、コロナ渦の2020年にGDP比132%に急増し、その後2022年に119%で底を打った後、再び増加しつつある。

 ここで素朴な疑問が浮上する。そもそもなぜ税収を1.8~1.9兆ドルも上回る赤字予算を組むことができるのかだ?その答えはドルが基軸通貨で、世界が貿易決済にドルを必要とするために、アメリカ政府には「ドルは幾らでも刷ればいい」という特権意識と麻痺した感覚があるからだ。これが財政赤字が増大一途にある第2の理由である。

トランプの思考

 トランプは第二期政権誕生後、世界を驚愕させる行動を次々にとってきた。推察するに、トランプは「世界の警察官の役割は放棄するが、世界最強の軍事力もドルの覇権的地位も維持する。そのためには、財政赤字の状況から脱出しなければならない。」と考えたのではないだろうか。

 そして財政赤字問題を打開するためには、①税収を増やし、②諸外国からの投資を増やして失われた産業基盤を再構築し、③不必要な歳出を減らすことが重要だと考えた。具体的には、①全ての国に高関税を課し、②それが嫌なら関税を免除する代わりにアメリカに巨額の投資をせよと脅し、③アメリカの利益に関わらない世界の事件とは距離を置き、民主党政権が推進してきたリベラルな政策は停止するということだ。

 そしてトランプがウクライナ支援に冷淡な理由は、それが基本的に欧州の問題だと考えているだけでなく、戦争終了後のロシアとの関係を重要視しているからである。加えてトランプは欧州を嫌っている。大統領就任後にトランプがとってきた行動は大戦後の国際社会の枠組みを次々と破壊するものであり、世界を驚愕させるものだった。さらにトランプは、これからの世界はアメリカを中心に中国とロシアを加えた「G3」で決めればいいと考えているフシがある。

イラン攻撃の意思決定

 ニューヨークタイムズが4月7日の電子版で、イラン攻撃に至ったホワイトハウスで行われた討議について報じている。4月10日の産経新聞によれば、まず2月11日にネタニヤフ首相がホワイトハウスを訪問して、トランプ大統領に対しイラン攻撃を進言したことがこの戦争の起点となっている。ネタニヤフは「イランの弾道ミサイル計画を数週間で破壊できる。イランがホルムズ海峡を封鎖する能力もなくなる。」と主張し、「イラクのクルド人勢力をイランに侵入させイランの体制転覆につなげる」展望を描いたという。トランプは「それは良い考えだ」と応じたという。

 そして2月26日(攻撃の2日前)にはイラン攻撃に関わる最終の調整会議がホワイトハウスで開催された。報道によれば、その時の主要閣僚の発言(要点)は次のとおりであったという。

・バンス副大統領:「良くない考えだが、大統領が決断するのであれば賛成する。」

・ルビオ国務長官:「イランのミサイル計画を破壊するためなら賛成する。」

・ラトクリフCIA長官:「(体制転換や民衆蜂起といったネタニヤフの主張に対して)茶番だ。但しハメネイ殺害と近隣国を攻撃する戦力投射能力を無力化することは達成可能だ。」

・ヘグセス国防長官:「何れイランに対処すべきなので、今実行すべきだ。」

 こうして2月27日(攻撃前日)夕刻、トランプ大統領は「途中でやめることは許されない。」と攻撃命令を下した。報道されたことが全てであるとすると、戦争に踏み切る重大な意思決定であるにも拘らず、戦争の出口戦略も、作戦が失敗する可能性も、思い通りに展開しなかった場合のコンティンジェンシー・プランも議論されなかったようだ。

 ベンヤミン・ネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)はイスラエル建国後に生まれて最年少で首相に就任した。首相としての通算任期は歴代最長の17年に及ぶ。今回のイラン戦争では、最高指導者ハメネイ師及び幹部が一堂に集まるというインテリジェンス情報をもとに、トランプ大統領を説得して軍事作戦に踏み切っている。

 下図(図2)は1948年のイスラエル建国宣言以降、現在に至るイスラエルの歴史をプロットしたものである。イスラエルは建国宣言した後、1948~1973年にわたりエジプトやアラブ諸国と4回の中東戦争を戦い、何れも勝利している。さらに2003年のイラク戦争でイラクのサダム・フセイン政権を崩壊させ、2024年にはシリアのアサド政権を崩壊させた。

 こうしてイスラエルの前に立ち塞がる強敵はイランだけとなり、ネタニヤフはイランとイランが支援するテロ組織を弱体化させるタイミングを虎視眈々と狙っていた。イスラエルは日本の四国程の国土しかない小さな国だが、イランを弱体化させられれば、中東唯一の核兵器保有国かつ中東最強の軍事力を保有する国としての地位を盤石にできる。

 ネタニヤフはイラン攻撃を決行した心境をビデオメッセージで赤裸々に語っており、BBCニュースがそれを伝えている。(資料3参照)

 「この戦争はイスラエルの存在と未来を確保するためのものだ。アメリカとの同盟のお陰で、40年間切望してきたこと、テロリスト政権を容赦なく打ち砕くことが遂に実現する。これは私が約束したことであり、我々はこれを実行する。」

 ここで注目すべきは、イスラエルにとってイラン攻撃は正しく長期戦略に基づいて準備を重ね、攻撃のタイミングをじっと待って決行したという点である。

 BBCニュースはさらに分析を加えている。「イスラエルは単独でも一時的にイランに深刻な打撃を与えることはできるが、イランの軍事力を何世代にもわたり壊滅させるには、アメリカとの同盟が不可欠だ。・・・しかしアメリカの国益のためにイランとの戦争に踏み切るべきだというネタニヤフの説得に、歴代の大統領は誰も応じてこなかった。イラン戦争を正当化できるのは、イランが核兵器を間もなく完成させるという切迫した脅威が現実になる場合に限ると歴代大統領は判断していたのだった。」

 これに対してトランプは、歴代大統領が読み込んできたインテリジェンスや戦略的助言ではなく、自身の直感に基づいて「即断即決」的にイラン攻撃を決断したようだ。恐らく今年1月に米軍が成功裏に敢行したベネズエラのマドゥロ大統領夫妻拘束作戦の再演を確信していたのだろう。言い換えれば、トランプはベネズエラとイランの違いについて正しく理解できていなかったことになる。

 「ウクライナ支援は欧州の問題でありアメリカの国益ではない」というのなら、「イランはイスラエルの問題でありアメリカの国益ではない」というロジックになる。イランの制圧はマドゥロ政権転覆とは訳が違う。イランは一筋縄ではいかないタフなイスラムの大国であり、もし短期制圧に失敗すればトランプのMAGAは遠のき、財政赤字はますます悪化することが明白だった筈だ。

 イラン攻撃が不要不急であることは明らかであり、トランプは博打のような戦争に何故踏み切ったのかという疑問が残る。単純に考えれば、特別な関係にあるイスラエルに同調し共同歩調をとった、それが全てだったということだ。

 イラン攻撃の背景に巧妙な戦略が存在したと考えれば、別の可能性が浮かび上がってくる。アメリカがイラン攻撃に踏み切ったのは2月28日だった。それに先立つ2月20日には連邦最高裁がトランプ政権が実施した「相互関税」に対し違法判決を下している。この判決をもってトランプ政権が鳴り物入りで実行した大幅な税収増シナリオが消滅した。連邦最高裁判決が予測できた時点で、相互関税に代わり税収を大幅に増やす代替案が必要になったことは事実である。

 相互関税の代替案として考えられるのは、中東に代わりアメリカが世界最大のエネルギーの供給元となることだ。もしそれが目的であったとすれば、イラン攻撃とそれに続くホルムズ海峡封鎖は絶好の手段になり得る。今後エネルギーや資源の物流や金融の分野でアメリカが大儲けするという事態に発展すれば、アメリカの深謀遠慮が見えてくるかもしれない。トランプの口癖ではないが、今後どうなるか見てみよう。

戦争の教訓に学ばなかったトランプ

 イラン攻撃から5週間が経った時点で、トランプが目論んだ短期終戦は遠のき戦争は膠着状態に陥った。そして4月7日にアメリカはパキスタンの仲介を受け入れて2週間停戦することで合意した。この意思決定も、一日も早く撤収したいアメリカが助け船に飛びついた感が拭えない。戦闘ではアメリカ・イスラエルが圧倒しているものの、イランは世界の石油取引を人質にとるホルムズ海峡封鎖という悪魔のカードを手に入れたことから、停戦交渉は相当難航することが確定的となった。トランプの楽観的な目論見は見事に外れただけでなく、イラン攻撃は失敗だったことが確定的になる。

 ウォールストリートジャーナル(WSJ)紙は、失敗の原因について「戦争は始まり方ではなく終わり方によって評価される。明確な政治上の目的を欠いたまま始まった米国の戦争が良い結末を迎えたことは殆どない。」と指摘している。そのとおりである。(資料4参照)

 公開されていない作戦会議が行われたのであれば別だが、ホワイトハウスでの討議から分かるように、イラン攻撃については戦略目的がはっきりせず、出口戦略もなく、作戦が失敗した場合のコンティンジェンシーも用意した形跡がない。

 こうして事態は「アメリカは戦闘に勝って戦争に敗れる」様相になってきた。WSJ紙はまた、トランプ政権はアメリカが過去に戦った戦争の教訓に学んでいないと指摘する。要点は次のとおりだ。

1)イラク戦争と同様に今回のイラン戦争も大量破壊兵器の脅威が存在するとの主張から始まった。

2)イラク戦争は9年続き、約2~3兆ドルの戦費と約4,500名の米兵の命が失われた。

3)ベトナム戦争は、実質的にベトナム人のナショナリズムとの戦いだった。イラクでは宗派間の分断の深さを見誤った。そしてイランでは体制の耐久力を過小評価していた。

イラン戦争の特徴

 元陸将の福山隆氏がイラン戦争について分析記事を書いている。(資料5、6参照)福山氏はまず、「今回の米国・イスラエル対イランの衝突は、領土を奪い合う古典的戦争でも体制転覆を狙う全面戦争でもない。本質はレッドラインを巡る極めて現代的な戦争だ。」と指摘する。

 アメリカが譲れないレッドラインは、イランが将来にわたり核兵器開発を放棄することの確約であり、イランが譲れないレッドラインは、ホルムズ海峡の船舶航行の管理と通航料の徴収権だろう。現在進行中のアメリカとイランの停戦合意を巡る折衝は、正しく相手のレッドラインの抑制が中心議題となっている。

 アメリカとイスラエルがイランの核兵器開発阻止を掲げてきた根本原因は、イランがイスラム宗教国家として「イスラエル国の殲滅」を国是としていることにある。そのような国が核兵器と長射程ミサイルを持てば、イスラエルにとって死活的な脅威となることが自明だ。

 またホルムズ海峡の自由航行については、1994年に執行された「国連海洋法条約(UNCLOS)」が、この条約を遵守することを前提として、全ての国の船舶が領海及び海峡を通航する権利(通航権)を保有することを規定している。イランであれアメリカであれ、国際公共財であるホルムズ海峡を封鎖することは条約違反である。但し、アメリカとイランは批准していない。

 福山氏は続けて言う。「もう一つのイラン戦争の特徴は、米・イ双方が正面戦を避けていることにある。」と。米国はイラン本土への大規模地上侵攻(革命防衛隊との決戦)を避け、戦争の拡大を抑制しながら、限定的な軍事圧力だけでイランを制圧しようとしている。これは軍事的には圧倒的に勝利したものの、占領統治で政治的敗北をしたイラク戦争の教訓を踏まえたものと考えられる。

 一方のイランもまた本格的な正面衝突を避け、代理勢力、ドローン攻撃、湾岸諸国の石油施設攻撃、ホルムズ海峡封鎖という非対称戦をとっている。自国領内で戦わず、ヒズボラやフーシ派などの代理勢力を通じて、中東全域から戦域を外に拡散させることを目論んでいる。

 結局、両者が 「決定的勝利を生まない戦い方」 を選択しているので、戦争の長期化と戦域の拡散が避けられない。同時にレッドラインを巡る上記理由から、アメリカとイランの実のある停戦合意は基本的に成り立たない。もし今後戦域が拡散すれば、世界経済にも深刻な影響を与え、以下の事態が同時に進行することになる。そしてその影響は、コロナ禍を上回る規模で国際社会を覆うことになるだろう。

  ①エネルギー価格の高騰(ホルムズ海峡の不安定化)

  ②物流の停滞(海運・航行の迂回と保険料高騰)

  ③インフレ再燃あるいはスタグフレーション

イラン戦争の勝者

 アメリカは圧倒的な軍事力でイランを圧倒したものの、戦争では敗れつつある。そう断定する理由は二つある。

 第1は、トランプの思考空間に「戦略層」がないことだ。「戦闘に勝って戦争に敗れる」というが、戦争に勝利するためには戦略が必要だ。同盟国との関係を「現在の損得」だけで評価し、しかも言動が二転三転するトランプの思考は、とても危険という他ない。欧州は既にトランプとの関係に見切りを付けつつある。ガキ大将のように暴言を吐き、乱暴なカードを切れば切るほどトランプは嫌われ、アメリカは孤立してゆくだろう。中間選挙でアメリカ市民がトランプを見限る展開を同盟国が待ち望むことになる。

 第2は、イランがホルムズ海峡封鎖というカードを切って「エネルギーを武器化」したことだ。ホルムズ海峡を封鎖するのに高額な兵器もシステムも必要ない。イランが大量に国産している安価なドローンと小型ボート、それにゲリラ組織(代理勢力)が存在しさえすればいい。機雷を敷設すると脅すだけで、もしくは海上保険が用意されなくなるだけで、タンカーはホルムズ海峡を通過できなくなる。

 ところでイラン戦争で得をするのは一体誰だろうか?MAGAを実現するためにトランプは関税を上げ、海外からの投資を増やし、無駄な支出を削減して財政赤字の悪化を食い止めるというシナリオに基づいてディールを行っているのであれば、戦争が長期化するほどトランプの目論見は遠のき、トランプは11月の中間選挙で敗れる可能性が高まるだろう。

 そうではなくて、前述したように背後に大胆なエネルギー戦略があるとしたら、アメリカが勝者となる可能性は否定できない。何れが真相か、現時点では断定できない。

 一方イスラエルはネタニヤフの40年来の宿願をほぼ果たしたことになる。イランの核兵器開発を阻止し、イランに相当な経済的損失をもたらしたからである。

 ロシアもまたエネルギー価格が高騰し、戦費捻出の苦労が軽減されることになるばかりか、アメリカがイラン戦争にくぎ付けになり、米軍の武器の在庫が底をつくことは大歓迎である筈だ。一方でロシアは、苦境にある友好国イランを支援できなかった。ウクライナへの軍事侵攻と併せて、今後友好国のロシア離れが加速することだろう。

 最大の敗者は欧州かもしれない。ウクライナ支援でトランプとの関係がぎくしゃくし、イラン戦争で両者間の亀裂は決定的となったからだ。結局トランプはイスラエルとの関係を重視する一方で、西側同盟国との関係を破壊してしまったことになる。

停戦協議の行方

 イスラエルとイランは宿命の敵同士であるから妥協という選択肢はあり得ない。また一日も早く軍を撤収させたいアメリカと、長期化など気にしないイランとの停戦協議は、幾ら脅してもトランプの負けが濃厚である。既に述べたように、アメリカとイランはお互いに相手のレッドラインを容認できないので、余程に高度な政治決着シナリオを組み立てない限り、停戦協議は合意に至らないだろう。

 前述の福山氏はこう述べている。「中東の紛争構造は、表面上は静かでも地下ではマグマが脈動し、一定の圧力が溜まると小規模な噴出を繰り返す火山という地政学的構造は変わらない。恒久停戦は政治的フィクションにすぎず、停戦は戦争の終わりではなく、静かな戦争へと形を変える移行期間にほかならない。」(資料5参照)

経済危機発生のリスク

 イラン戦争を早期に収拾できなければ、エネルギーと石油資源の枯渇・高騰が常態化し、経済危機へと発展するリスクが高まる。

 産経新聞編集委員の田村秀男氏は4月11日の産経紙面で、戦争が長期化すればアメリカの財政はさらに悪化すると警鐘を鳴らす。「負のスパイラル」の進行は次の通りだ。戦争が長期化し中東情勢が悪化すれば原油価格が高止まりする。世界経済でインフレが進みアメリカの市場金利は上昇する。金利が上昇すれば現在約1兆ドル/年のアメリカ政府の利払いが増加する。金利が1%増大すれば利払い費は100億ドル増える。

 経済学者の小幡績氏は、バブルには四つの次元があるといい、トランプがバブル崩壊の引き金を引きかねないと警鐘を鳴らす。第1の次元は株式など特定の資産セクターのバブル、第2は金融バブル、第3は実物経済のバブル、そして第4は社会のバブルで、この定義に従えば、1980年代の日本のバブルは社会バブルだったという。

 アメリカの株式市場は高値を更新しており、ドルは主要通貨の全てに対して独歩高となっている。アメリカ社会はどう考えてもバブルであり、小幡氏が言うように、株高、ドル高、AIという実物経済のバブルが同時に進行中であり、社会全体がバブルの様相を呈している。イラン戦争の終結を誤れば、トランプが社会バブル崩壊の引き金を引くことになるだろう。(資料7参照)

エネルギー輸送・海運を巡る覇権争い

 戦争の舞台裏で進行している静かな変化として、国際問題アナリストの藤井厳喜氏は「誰が物流を支配し、誰が保険を引き受け、誰が金融の仕組みを握っているのか。その仕組みがどう変化しているか」に注目すべきだと指摘する。イラン戦争の裏側で、石油をめぐる大国の覇権争いが起きている。ホルムズ海峡を安全に自由にタンカーが航行するためには、戦争被害を補償する海上保険の仕組みが不可欠だが、従来海上保険を提供してきたイギリスの保険組合ロイズが、今回「戦争リスクはもう引き受けられない」ことを宣言したという。(藤井厳喜メルマガ3/25)

 田村秀男氏は4月11日の産経紙面で、3月6日に米政府系の国際開発金融公社DFC(U. S. government Development Finance Institution)がホルムズ海峡での船舶運航再開に向け、英国のロイズ保険組合に代わって海上保険を提供すると発表したと述べている。これまで英国が握っていた重要な資源=石油の支配権がアメリカへと移りつつあるという。

 別の情報によれば、ロイズが海上保険から手を引いた原因は、2月28日のイラン攻撃開戦直後にインド洋でインドと合同演習をしていたイラン海軍の非武装船を、米海軍の潜水艦が攻撃して撃沈させた事件にあるという。正に「因果関係の連鎖が歴史を綴ってゆく」一場面を見ている感じだが、この事件には、ウクライナ戦争でロシアとドイツの間に敷設されていたパイプライン「ノルドストリーム」をCIAが爆破した事件と構図の類似性がある。そうであるとするとトランプは衝動的にイラン攻撃を開始したのではなく、大きな戦略のもとに勝負手を打ったことになる。

ポッタリーバーン・ルール

 アメリカとイスラエルによる攻撃に対して、イランがとったホルムズ海峡封鎖は、航海の航行の自由に反する暴挙であり、資源国による「エネルギーの武器化」というべきものだ。石油資源の物流を止めれば、エネルギー価格が高止まりし石油資源がひっ迫する。トランプは圧倒的な軍事力にモノを言わせて力でイランを屈服させようとしたのだが、イランは非対称戦で応じて戦争は膠着状態に陥った。

 ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官を務めたコリン・パウエル氏がイラク戦争に関連して警告した「ポッタリーバーン・ルール」という原則があるという。それはイラク問題に介入したアメリカには、イラクの体制崩壊に対する責任が伴うという意味で使われた。元々はアメリカの家具・インテリア販売会社ポッタリーバーン社が打ち出した方針で、「商品を壊したら買い取る責任がある」というものだ。

 この原則に従うならば、不要不急の戦争を始めて世界経済を大混乱に陥れた責任は一元的にトランプに帰着するだろう。もし「ポッタリーバーン・ルール」を適用するのなら、アメリカにはホルムズ海峡封鎖問題を一日も早く解消して、エネルギーと石油関連物資の高騰と枯渇問題を鎮静化させる責任があることになる。

独裁者が変える世界:アメリカ

 BBCニュースはトランプが変えた世界について、次のように評している。「トランプは世界のアメリカを見る目を根本的に変えてしまった。かつて世界的な安定の担い手を自負していた国が、今や国際秩序の基盤を揺るがしている。国内政治において規範や伝統を打ち破ることを楽しんでいる大統領が、今では世界の舞台で同じことをしている。」(資料8参照)

 「戦闘で勝ち、戦争に敗れる」という格言はイラン戦争にも当てはまりそうだ。「イランとの戦闘で圧倒的な勝利を収めた」と幾ら自画自賛してみたところで、冷静に評価すれば、イラン戦争を始めたことによって世界が被った損失は計り知れないほどに大きいのだ。

 イラン戦争によってアメリカの財政赤字が更に悪化することになれば、NATOからの脱退、朝鮮半島からの撤退、在日米軍の縮小などが近い将来に現実になる可能性がある。しかしそれを実行すれば、パワーバランスが変わり国際秩序の基盤が崩壊してしまうだろう。

 現在世界で起きている事態を一体どう理解すればいいのだろうか?全体像を捉えることが難しくなったとしたら、歴史の中で確立されたプリンシプルを当て嵌めてみるのがいいだろう。

 第一のプリンシプルは、「戦争は一度始めてしまえば、途中でやめることができない。しかも歴史は因果関係の連鎖として綴られてゆく。」ことだ。大国の独裁者程、誘惑にかられて安易に戦争を始めてしまうのだが、ひとたび戦争が始まると、世界は誰も望まない方に動いてゆく。独裁的なリーダーが踏む強引なアクセルを抑制するブレーキが働かないからだ。

 第二のプリンシプルは、「戦争と経済は複雑にかつ強力に結びついている。」ことだ。ロシアは仮にウクライナ戦争に勝利できたとしても、戦争がもたらした損害が甚大で、ロシア経済はウクライナへの軍侵攻以前の状態を取り戻すことさえ困難なほどに衰退するだろう。戦争が経済を破壊するということだ。

 そしてアメリカは仮にイラン戦争の終結で勝利を宣言したとしても、イラン戦争は世界経済を大きく揺さぶった。財政赤字の増加を抑制したいトランプの意向とは逆方向にアメリカの財政赤字は深刻化するだろう。そればかりか、ドル危機、アメリカのバブル崩壊、世界レベルの金融危機・経済危機が顕在化してゆくリスクが高まる。結局、独裁者の暴走を止めるのは、経済の失敗であるのかもしれない。

 第三のプリンシプルは、「右に大きく振れれば、次にその反動として左に大きく振れる」ことだ。しかも「山高ければ谷深し」というように、反動もまた衝撃的なものとなる可能性が高い。順序も時期も予測できないが、プーチン、習近平、トランプが相次いで、共に経済面で失敗して退場してゆくだろう。そうして世界の風景が変わる。何れもが経済大国・軍事大国であるが故に、独裁者が退場するときは世界経済の混乱を制御できなくなる時だ。

 一つ確実なことは、軍事大国の独裁者が破壊してしまった国際秩序を再構築する動きが反動として起きることであり、その担い手は米中露ではないということだ。大戦後アメリカに依存し過ぎてきた欧州と日本が果たすべき役割が極めて大きい。

参照資料

1.「経済はすでにがけっぷち」の中国がここにきて矛先を国外に向け始めた意外といえる国際背景」、川北省吾・近藤大介、現代ビジネス、2026.2.23

2.「パキスタンが仲介した米・イランの即時停戦合意はどこまで長続きするか?」、宮家邦彦、JBpress、2026.4.9

3.「トランプ氏は直感で戦争を遂行し、それはうまくいっていない」、ジェレミー・ボウエン、BBCニュース、2026.4.1

4.「終わりなき戦争、米は繰り返しているのか」、WSJ、2026.3.26

5.「必然だった2週間のイラン戦争停戦合意」、福山隆、JBpress、2026.4.11

6.「パンドラの箱を開けてしまった米国、イラン戦争は正面衝突なき拡散型大戦争へ」、福山隆、JBpress、2026.4.6

7.「トランプの終わりと米国社会バブルの終焉」、小幡績、東洋経済オンライン、2026.4.4

8.「トランプ氏が払う代償は大きい、イラン停戦合意で戦争脱する道は開いたが」、BBCニュース、2026.4.8


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です