総裁選の彼方にある未来

総裁選を考える

 8月14日に岸田総理大臣が任期満了後の退陣を表明した。ここぞとばかりにマスコミは「次は誰か」の話題に飛びついた。名前が挙がった政治家は8月19日現在で11名となり、総裁選という喧噪が始まった。

 喧噪の主題が「自民党総裁の選出」に留まるのなら何も違和感はない。しかし真の主題が「総理大臣の選出」であるとすると、選出プロセスに国民の関与がなく果たして民主主義国家として健全な姿なのかという疑問が生じる。

 アメリカ大統領選が同時並行で進行している。大統領制と立憲君主制の違いがあるが、国の次のリーダーを選ぶプロセスとして、どちらがより民主主義の理念に適っているかを比較する価値はある。アメリカの場合、二大政党である共和党と民主党が党としての大統領候補を選出して州に候補者を届け出て、州ごとに有権者による選挙を行って最多の票を獲得した候補者が予め州に割り当てられた代理人を獲得する仕組みになっている。そして全米50州及びワシントンDCの合計で最多の代理人を獲得した候補者が大統領に選出される。

 候補者は数カ月をかけて激戦州を中心に各州を遊説してキャンペーンを行い、政策をアピールする。両党の候補者同士の討論も行われて、候補者が国民に政策を説明し支持を訴える。アメリカ方式がベストとは言えないが、候補者が国民に対し直接政策を語った上で投票を経て選出されるという点で民主主義に則っている。

 これに対して日本では、与党の総裁候補が出そろうと、国会議員と党員による投票が行われて総裁が選出される。自民党は国会で最大多数を有するから、衆参両院での投票を経て自民党総裁が総理大臣に就任する。この選出プロセスに国民の関与はない。

 後段で論じるように来年は第二次世界大戦終結から80年の転換点を迎えるが、「次の80年」を展望する時、国民投票によって総理大臣を選出する方式が望ましいことは明らかである。主な理由は二つある。一つはそもそも民主主義国である以上、憲法改正を含めて重要事項は国民投票という手順を踏むことが望ましいという原則に基づくものだ。他一つは今回の自民党の惨状が、「総理大臣の選出をこの人たちに一任していいのだろうか」という疑問を提起していることだ。

 国民投票を取り入れることは、政治に対する国民の関心と責任意識を高めることになり、結果として民主主義のレベルを向上させることは間違いない。何故なら、まず国民は次のQ1とQ2の問いを考えることを余儀なくされ、次に候補者は国民に対してQ3とQ4の二点について存念を語ることを余儀なくされるからだ。

 Q1:激変する時代に国の舵取りを委ねる首相が備えるべき資質・能力は何か?

 Q2:候補者の中で、その資質・能力を最も備えた人物は誰か?

 Q3:現在の情勢(国内及び国際社会)をどう認識しているか?

 Q4:その上で、優先的に取り組む政策は何か?

第二次世界大戦終結から80年

 今年8月15日に日本は79年目の終戦の日を迎えた。1年後に世界は第二次世界大戦終結から80年の節目を迎えるが、大戦後の国際秩序は一足先に瓦解してしまった。安保理常任理事国のロシアがウクライナに軍事侵攻したからだ。ウクライナ戦争の終結目途は立っておらず、さらにタイミングを見計ったかのように中東危機が起きて拡大しつつある。

 同時に世界経済の不安定さが増大している。原因は主に三つある。第一にウクライナ戦争を契機として世界経済のブロック化が進み、エネルギーと食料の高騰を招いて世界にインフレをもたらしたこと。第二に不動産バブル崩壊のソフトランディングに失敗した中国で、地方政府の財政破綻が深刻化し、社会的な騒乱が拡大していること。そして第三に、「崩壊が起きるまでバブルだったと判断できない」というグリーン・スパン元FRB議長の名言があるが、アメリカが現在バブル崩壊前夜にある可能性が高いことだ。

 このように、安全保障でも世界経済においても、世界は大戦後最大の危機に直面している。アメリカの次期大統領は、国内の分断を克服して安全保障と経済の両面において国際秩序を回復に向かわせることができるのか、それとも分断が深刻化して内戦へと向かい、世界の危機を悪化させてしまうのか、残念ながら現状では予測できない。

「次の80年」を担う総理大臣

 第二次世界大戦後の世界はアメリカが圧倒的なパワーの持ち主として君臨した時代だった。しかしながら、バイデン政権が断行したアフガニスタンからの拙速な撤退を契機として、国際秩序は崩壊し始めた。現在世界情勢が混迷を深めている背景にアメリカの衰退の進行があることは明らかだ。

 現在の世界情勢は世界大戦前夜もしくは世界大恐慌前夜に勝るとも劣らない危機的な状況にある。その状況の中で「次の80年」を展望するためには、「アメリカの衰退」を前提条件として考慮する必要がある。

 視点を変えて考えれば、世界情勢の動向は日本に対し「思考停止の80年」と決別する絶好の機会をもたらすだろう。否応なしにアメリカ従属の外交姿勢を改め、日本が本来果たすべき役割を自律的に定めて主体的に行動することを余儀なくされる。この結果、より対等な役割分担として日米同盟を再定義・再構築することになる。

 激変の時代の舵取りを担う次期総理大臣には、このような大局的な世界観と、明治維新以降の近代史を俯瞰する歴史観をもとに、「次の80年」を見据えてもらいたいものだ。

戦略思考(VWSG思考)への転換

 「次の80年」の時代を切り開くリーダーは、端的に言えば、次の資質を備えた人物であることが望ましい。

  ①世界史の潮流の中で日本の近代史を俯瞰する視座をもち、

  ②その上で、日本の将来像についてヴィジョンを描き、

  ③それを実現する確固たる意思を持ち、

  ④立ち塞がる障壁や困難を克服する戦略を組み立てて、

  ⑤国内外の敵対者を相手にゲームを挑む

 これをVision、Will、Strategy、Gameの頭文字をとって「VWSG思考」と呼ぶこととする。

 外交とは国家間で繰り広げられるゲームである。各国のリーダーは皆自国の国益最大化を目論み、相手の意図と動静を読み必要なカードを用意して外交に臨む。同様にビジネスは企業間で行われるゲームに他ならない。ここで重要なことを一つ指摘しておきたい。それは生真面目すぎる日本人には、外交もビジネスもゲームなのだと達観する胆力が欠落していることだ。

 ヴィジョンとは実現したい将来像である。政治であれば、10年後、20年後、或いは100年後に日本をどういう国にしたいのかを明確に描くものである。従ってヴィジョンには、国益最大化という命題に加えて、国際社会が直面する課題や危機に対して日本はどういう役割を担うのか、どういう貢献をするのかが盛り込まれなければならない。

 ヴィジョンを明確にしたなら、次にそれを実現する意思を明確にする必要がある。一般にヴィジョンが壮大なものであるほど、進路には巨大な障壁が立ち塞がることを覚悟しなければならない。その障壁を克服もしくは消滅させる方法と手順を明らかにすることを戦略という。

 そしてゲームとは、他のプレイヤーと知略を尽して戦う真剣勝負である。

政治システムの制度疲労

 ここまでの認識に立って再び日本の政治の現状に眼を転じると、まずパーティ券収入不記載という旧態依然の事件を起こした自民党に、「次の80年」を託せるのだろうかという疑問が浮かぶ。さらに重要な事例を挙げれば、戦後79年が過ぎたというのに、憲法改正は進展がなく、一方では問題だらけのLGBT法案を拙速で通すなど、自民党はもはや日本の国益を守る保守政党ではないという疑念が噴出している。

 一方自民党の不祥事を恰好の攻撃材料として追及する野党には、「10年後、100年後に日本をどういう国にするのか」というヴィジョンも、国際社会に対して意思と戦略を掲げて真剣勝負のゲームを挑む姿勢も見当たらない。かくして国際情勢が極度に緊迫化しているというのに、与党も野党もさして重要ではない話題に時間を浪費している現状に国民は溜息をつかざるを得ないのである。

 今回の事件は一自民党の問題ではなく、「戦後の政治システムの制度疲労」と捉えるべきなのだろう。従って、トップが交替し人事を刷新するだけで解決できはしない。政治システムのイノベーションが避けて通れない。そう理解すべきなのだと思う。

日本の課題は「戦略観とゲーム志向」の欠如

 『思考停止の80年との決別』を踏まえて、「明治維新から敗戦までの77年の失敗の原因と教訓」を簡潔に整理すれば次のとおりだ。

①日清日露戦争に勝って英米に並んだという自負が慢心を生んだ。

②軍の暴走を統制する政治システムを確立できなかった。

③英米と肩を並べた時点で次の目標を見失った。「フォロワーから開拓者へ」の発想の転換が必要だったにも拘わらず、次の目標を描かなかった。そして現在に至るまで、我が国は未だにフォロワーのマインドから脱却できていない。

 「次の80年」の政治の舵取りを考えるには、まず世界情勢を展望し、日本の立ち位置を確認して進路を見極める必要がある。同時に世界が抱える課題に対して、日本が果たすべき役割を明らかにする必要がある。

 そのためには「近代史の失敗と教訓」を踏まえて、日本の強みと弱みと、日本人が持つユニークさを再認識することが重要だ。「欧米にあって日本に欠落しているもの」と、逆に「日本には当たり前のようにあるが欧米に欠落しているもの」を再認識することから始めるべきだ。一言で言えば、前者は「戦略観とゲーム志向」であり、後者は「地球環境と共生・共存する文化」だろう。

靖国参拝は解決意思の問題

 今年も鎮魂の夏が終わった。先の大戦で軍人・民間人合わせて310万人が亡くなった。英霊を靖国神社に祀ることは、国の約束であり責務である。安倍元首相は在任中に一度だけ参拝したが、その後の首相は誰一人参拝していない。況や天皇陛下は一度も参拝を果たせていない。この状況は尋常ではない。

 靖国神社参拝は政治問題化されたまま放置されてきた。首相には国の歴史を背負う責任が伴う。他国におもねて310万人もの犠牲者から眼を逸らす人物に、国のリーダーを担う資格はないと断言したい。

 首相の靖国参拝と言うと、そんなことは出来ないと多くの人は言うかもしれない。しかしそれが国益に直結することであるならば、「出来ない」は「やらない言い訳」と同義である。VWSG思考で述べたように、大きなヴィジョンに基づいて実行する意思を固めたなら、次にやるべきことは立ち塞がる障壁や困難を克服する方法と手順を明らかにすることだ。誰からどのようなリアクションが起きるかを予測した上で、カウンター・リアクションを用意して臨めばいい。

 「日本は本気だ。全てを承知の上でゲームを仕掛けてきた」と相手に思わせるゲームを挑めばよい。参拝の是非について堂々と正論を語り、論理的なリアクションに対しては毅然と論破し、政治的で非論理的リアクションに対しては取り合わずに無視すればいい。

 このゲーム、深入りは損だと思わせる戦略を練ることが重要だ。政治家にはそうした一つ一つの攻めの行動が歴史を作ってゆくという自負を持って臨んでもらいたい。さすれば道は拓ける。逆に言えば意思なきところに道は拓けないということだ。靖国問題は意思の問題に帰着する。

フォロワーのマインドに決別せよ

 日本の近代史は、明治維新、太平洋戦争敗戦とほぼ80年毎に大きな歴史的転換点を迎えてきた。そして来年の戦後80年は次の転換点となる。明治維新から始まった近代史の第一ステージは、先行した欧米にキャッチアップする時代だった。司馬遼太郎が『坂の上の雲』として描いてみせた意気揚々とした上り坂の時代だった。

 同時に第一ステージ、特に20世紀前半は世界レベルの戦争の時代でもあった。日本もその大きな潮流に巻き込まれ、軍事力において欧米と肩を並べた後は、チャーチル、ルーズベルト、スターリンの企みに翻弄され太平洋戦争に引き摺り込まれて完膚なきままに叩きのめされた。

 近代史の第二ステージは「アメリカによる占領」から始まった。都市は廃墟と化し、戦争の犠牲者は310万人に及んだ。そのどん底にありながら、日本は経済優先で史上最大の国難を見事に克服して、半世紀後には経済大国の地位を獲得した。

 その一方で敗戦を含む近代史の総括は棚上げされ、戦争の教訓も占領体制の払拭も未完のまま放置されてきた。そして憲法改正と靖国神社参拝が象徴するように、日本は未だに名誉を回復できていない。そして明治維新以降は欧米にキャッチアップすることを目標とし、戦後はアメリカの傘の中に身を置いてアメリカに従属してやってきた故に、日本は未だにフォロワーのマインドから脱却できていない。

開拓者(エクスプローラー)スピリットを取り戻せ

 来年は戦後80年の転換点を迎える。「次の80年」、つまり近代史の第三ステージは「自律」の時代となるだろう。「思考停止の80年」と決別し、フォロワーのマインドを捨て去って、開拓者(エクスプロ-ラー)のスピリットを取り戻してVWSG思考で「次の時代」を切り開いていく。次期総理大臣がその一歩を踏み出すことを心から願いたい。

 そのためには政治システムのイノベーションが避けて通れない。既に述べたように、欧米と比較した日本の弱みは「戦略観とゲーム志向」の欠如であり、逆に日本の強みは「地球環境と共存・共生する文化」にある。

 「戦略観とゲーム志向」のスピリットを取り戻すためには、政治システムにシンクタンク機能を組み込むことが必要だ。日本には官僚機構は極めて優秀だという思い込みがあり、現在に至るまで政治は永田町と霞が関のタッグで行われてきた。しかし官僚システムは行政機構であって戦略を練る機関ではない。凡そ戦略は国家横断の視点に立って国益最大化を追求するのに対して、行政機関は縦割りで省益を優先しようとするからだ。

 その代表的な事例を一つ挙げよう。それは「骨太の方針」である。本来なら「骨太の方針」は次年度の予算編成に先立って示される国家戦略であるべきだ。だが財務省が中心になって策定される従来の「骨太の方針」は、専ら予算の支出に係る制約条件を規定するだけで、国富を増加させるための戦略が欠落している。日本が「失われた30年」に喘いできた元凶が、「国富の増大」ではなく「財政支出の削減」を最優先課題としてきた「骨太の方針」にあると言ったら言い過ぎだろうか。

 アメリカでは有能な政治家や官僚は、公職を離れた後はシンクタンクに移籍して国家戦略を担う仕組みが定着している。新しい大統領が就任するときには新政権が推進する戦略と政策のパッケージをシンクタンクが用意して、大統領就任とともにキーパーソンが新政権に移籍して戦略を直ちに発動する態勢が整備されている。

 繰り返しになるが、日本が誰かの後を追い、誰かに従属してきた第二ステージはやがて終わる。このフォロワーのマインドが生き残ってきた原因の一つは、政治家と官僚だけの閉じた世界で政治を担ってきたシステムにある。そこには「戦略観とゲーム志向」に基づくヴィジョンを作る機能が欠落している。

 フォロワーからエクスプローラーへ転換するためには、国際情勢を踏まえて日本の国益を追求し戦略を練る機能がどうしても必要である。その資質・能力及び豊富な経験を備えた有識者が、公職を退いた後にVWSG思考の担い手として活躍するシンクタンクを社会インフラとして整備することが肝要である。

おわりに

 「次の80年」において、地球環境との共存・共生は大きなテーマとなる。但し欧米が主導してきた太陽光発電やEVの促進は、消費国にとって脱炭素になっても、ソーラーパネルやEVの電池に不可欠な鉱物資源の採掘現場や製造工程で発生される炭素の増加には目をつむってきた。鉱物資源の採掘からソーラーパネルやEV電池を廃棄するまでのライフサイクル全体で捉えた脱炭素にはなっていない。

 ここに日本の出番がある。採掘、製造、消費を経て廃棄に至るライフサイクル全体での脱炭素を推進する役割がある。「次の80年」では「地球環境との共存・共生」を文化としてきた日本の出番がやってくる。

 

安倍元首相が蒔いた種

はじめに

 はじめに、凶弾に倒れた安倍晋三元首相に対し、心から哀悼の意を表します。

 6月9日に執り行われた石原慎太郎さんお別れの会で、発起人代表を務めた安倍元首相(以下、安倍首相)は「本当にさびしい思い。石原慎太郎がいない世の中、つまらなくなるなぁ…」とスピーチされた。それから僅か1か月後にその安倍首相が急逝するとは、一体誰が予測し得ただろうか。「安倍晋三が居ない世の中、つまらなくなるなぁ」、日本は今そういう局面を迎えた。

 「安倍首相凶弾に倒れる」の報を聞いたとき、瞬時に歴史上の二つの事件が頭に浮かんだ。一つは1868年の京都で起きた坂本龍馬暗殺事件であり、他一つは1963年にダラスで起きたケネディ大統領暗殺事件である。坂本龍馬は薩長が進める武力討幕を阻止し戦争を回避するために、将軍徳川慶喜による大政奉還を、土佐藩家老だった後藤象二郎を動かして画策していた。そして徳川慶喜が大政奉還を決断した直後に、あたかも役割を終えて天に召されるように生涯の幕を閉じたのだった。

 米欧のメディアは今回の事件を「銃撃され死亡した(was shot and killed)」ではなく、ケネディ大統領暗殺事件と同様に「暗殺された(assassinated)」と報道していた。ケネディ大統領暗殺事件は、リー・オズワルドによる単独犯行とされたが、現在でも複数の陰謀説があって白黒ついていない。

昭恵夫人の挨拶

 安倍首相の葬儀は芝の増上寺で7月12日に執り行われた。昭恵夫人は「まだ夢見ているようです。」と切り出され、続けて喪主として次のように挨拶をされたという。

 「父、晋太郎さんは首相目前に倒れたが、67歳の春夏秋冬があったと思う。主人も政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後の冬を迎えた。種をいっぱい蒔いているので、それが芽吹くことでしょう。」

 これは刑死を目前にした吉田松陰が、「私は後来(将来)の種子」として未来につながっていくと同志に呼びかけたという史実を踏まえた発言であることは言うまでもない。(産経7月14日、阿比留瑠比記事から引用)

 一般に歴史的な大事業は、種を蒔く人、大きく育てる人、収穫する人が入れ替わるように登場して実現されてきた。安倍首相もまた「多くの種」を蒔いて急逝された。遺志を継いで道半ばの大仕事を完遂する継承者の登場を願うばかりである。

誰に対するメッセージか

 しかし何という清々しい挨拶だろうか。岸田首相をはじめ列席する多数の政治家を前にしての挨拶だったのだが、これは一体誰に対するメッセージだったのだろうか。飽くまでも勝手な想像に過ぎないが、故人に対する心からの賛辞と慰労の言葉であると同時に、残された自分に対する激励であったように思う。それだけではなく、安倍首相の遺志を継いでゆく政治家に対する戒めでもあったのではなかっただろうか。

 現実の世の中がどんなにか愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても、「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」マックス・ウェーバーの言葉である。安倍晋三という政治家はそういう人だった。(産経7/9、阿比留瑠比記事から引用)

 世界の多くの政治家や識者が安倍首相に対してこの上ない賛辞を寄せている。しかも外交辞令を超越した心からのものが多い。その幾つかを紹介しよう。

 ジャーナリストで、スタンフォード大学講師のダニエル・シュナイダーは、「安倍氏が日本の政治から消えたことでアメリカの識者が危険だと恐れる瞬間が見えてくる。同氏の暗殺は、ヨーロッパが戦争状態にあり、中国が挑戦的な態度を見せ、アメリカの政治と信頼への疑問が生まれる中、日本の未来に対する信頼を揺るがしかねない。」と述べている。(東洋経済オンライン7/11)

 また、マサチューセッツ工科大学の教授で政治学者のリチャード・サミュエルズは、「安倍氏はアジアにおける日本の新しい地図を残した。そこでは、日本が世界の中で果たす役割はより確かなものになっている。」とし、「私は今回の暗殺が日本を軌道から外すようなことは心配していない」とする一方で、「自民党内で安倍氏の後継者、もしくはそうなれる準備ができた人物はいない。現時点で明らかな後継者はいない。」と述べている。(同上)

 さらに米上院は7月20日に安倍首相をたたえる決議案を全会一致で採択した。安倍氏を「一流の政治家で民主主義の価値の擁護者」として評価し、「日本の政治、経済、社会そして世界の繁栄と安全保障に消し去ることのできない足跡を残した。」とした。(産経ニュース7/21)

安倍首相が蒔いた種

 安倍首相が取り込んだ命題は、一言で言えば「日本を取り戻す」ことだった。安倍首相が在任中に取り組んだこと、成し遂げたことのビッグスリーを、国内と国際社会の二つの舞台に分けて整理した上で考察を加えたい。

 国内のその1は、2013年6月14日の「日本再興戦略」で提唱したアベノミクスと「三本の矢」である。その2は、2013年に「国家安全保障会議設置法」と「特定秘密保護法」を成立させ、それに基づいて国家安全保障会議を設置し、その事務局として国家安全保障局を内閣官房に設置したことである。そしてその3は、2015年に10本の法律を一括して改正する平和安全法制整備法案を成立させ、集団的自衛権の行使を可能としたことである。

 何れもが今後迫りくる危機に対して大急ぎで体制を整備しようとした強い意思とリーダーシップのもとに成し遂げられたことだった。安倍首相が先見の明があったと評される所以である。

 世界のその1は、2013年1月の所信表明演説で「地球儀を俯瞰する外交」を打ち出したことと、それと前後して現在FOIP(自由で開かれたインド太平洋)、QUAD(日米豪印戦略対話)として定着した枠組みの原形を作ったことである。その2は、2016年5月にオバマ大統領と広島を訪問し、同12月には二人で真珠湾を訪問して、両国間に残っていた戦後の軛を解消したことである。2013年2月にアメリカ連邦議会で行った演説と合わせて、戦後レジームからの脱却の第一歩を力強く踏み出したのだった。そしてその3は、2016年11月に大統領就任前のトランプ氏を電撃訪問して特別な信頼関係を構築し、その後の国際社会における欧米の橋渡し役を担う布石としたことである。

 大半の政治家が国内政治に終始するのに対して、安倍首相は国際社会の大舞台で稀有な役割を演じた政治家だった。日本の役割に留まらず世界のリーダーとしての役割を担ったことが、世界の政治家が高く評価している理由であることは言うまでもない。

 櫻井よしこは産経7月10日の紙面で、「我が国は604年の十七条の憲法制定から民を大切にし、争い事の裁きでは公正さを重んじた。それから約1300年後、明治政府は五箇条の御誓文を国是とした。民主主義の精神をわが国は外国から輸入したのではなく、自ら育ててきたのだ。日本国の歴史的事実を誇りとし、穏やかながら雄々しい文化を身につけた安倍氏だったからこそ、国際社会ではどの国の指導者にも位負けしなかった。」と追悼の賛辞を述べている。

 但し良いことずくめではなかった。『円安から日本を考える』に書いたとおり、安倍首相は経済成長とPB(プライマリーバランス)の二兎を追ったために、アベノミクスは期待通りの成果を出せなかった。また、戦後レジームからの脱却を提唱し続けたが、憲法改正に象徴される国内問題は未完に終わった。

参院選で国民が託したこと

 事件の翌日7月10日に参議院選挙が行われた。選挙結果は次のとおり総括されるだろう。カッコ内は(改選前議席→改選後議席)を示す。

 ①自民党が大勝(111→119)し、維新の会が躍進(15→21)した。一方で、立憲民主党が大きく議席を減らし(45→39)、公明党(28→27)、共産党(13→11)、国民民主党(12→10)が議席を減らした。

 ②総じて言えば、保守政党が躍進しリベラル政党が後退したということだ。

 ③この結果、改憲勢力が2/3を上回り憲法改正の基盤ができた。自民党+公明党+維新の会で154→167。国民民主党を加えれば166→177。ちなみに2/3は166以上である。

 大事なことは、大勝した自民党に国民が託したことは何かだ。安倍首相が取り組んできたことから考えれば、最大の命題は「豊かな社会、強い国力」を取り戻せということに尽きるだろう。『円安から日本を考える』に書いたとおり、日本は未だに「失われた30年」の後遺症の中に埋没している。国民の実感で言えば貧しくなったままなのだ。「豊かな社会、強い国力」を取り戻すことは、諸々の社会問題を大きく改善する基盤対策であるだけでなく、国際社会で大きな役割を果たすための必須要件でもある。

 維新の会代表の松井一郎はZAKZAK7月14日の紙面で、『恐るべき先見の明があり人を包み込む人柄だった安倍首相、参院選は議席倍増も野党としては完敗』と題した記事を投稿して、安倍首相を追悼し参院選の結果を総括している。

 「野党の中でも、立憲民主党や共産党などは議席を減らした。ロシアや中国による軍事的覇権拡大が進むなど、日本を取り巻く安全保障環境が悪化するなか、「憲法改正反対」「非核三原則堅持」といった昭和の考え方では、国民の生命や財産は守れない。」

 「今回の参院選の期間中も、中国とロシアの海軍艦船は協力するように、日本列島を一周するなどして恫喝・威嚇してきた。わが国が平和と安定を維持するためにも、憲法改正や防衛力強化について、令和の思考でタブーなき議論をしなければならない。それを妨害するような政党は、政治家や政党の仕事をサボっているとしか言いようがない。」

 誠にこのとおりだと思う。日本は過去30年間経済成長から取り残され、欧州では戦争が起こり、米中対立は険しさを増している。安全保障においても経済においても、現在の日本は戦後最大の危機に直面していると言わざるを得ない。

 自民党が自公連立に安住している限り、安倍首相が蒔いた種を大きく成長させることはできないばかりか、激変する国際情勢に備えて国力を強化してゆくことは困難だと言わざるを得ない。自公連立自体が戦後レジームなのだと捉えて一旦白紙に戻し、迫りくる危機を乗り越えるために、強い保守勢力を再結集する位の政治のイノベーションが必要だ。20世紀の不毛の論理にしがみ付く政治家には、「平和ボケの時代」と共に歴史の中に退場してもらいものだ。

戦後レジームからの脱却、二つの相克

 3月にロシアがウクライナに侵略してヨーロッパで戦争が始まった。戦後レジームは従来日本国内の課題として認識されてきたが、この戦争は国際秩序に関わる戦後レジームの限界を提起した。その結果、戦後レジームには国内外に二つの相克があることが明白となった。

第一の相克

 第一の相克は、ウクライナ戦争が長期化したことによって、ウクライナ対ロシアという構図は、NATO対ロシアの様相が強まり、さらには民主主義対専制主義の対立へと拡大してきた。同時に現在の安全保障理事会の常任理事国に専制主義の露中が名を連ねているために、両国が関わる紛争に対して安全保障理事会は無用の長物と化したことが露呈した。

 戦後レジームの再構築に関しては、もう一つ重要な点がある。それは対二次世界大戦の敗戦国という十字架を背負ってきた日本とドイツの立場を一変させたことだ。激変する世界情勢において、さらに民主主義国対専制主義国の対立の構図において、経済大国である日独に対する期待と役割が過去になく高まっている。

 安倍首相は、「地球儀を俯瞰する外交」を唱えて、国際社会が直面する課題に日本が深く関与する外交を展開した。ウクライナ戦争後の世界秩序をどう回復するのかという大きな命題に関して、日独にはコアプレイヤーとして振舞うことが求められていることを肝に銘じる必要がある。

第二の相克

 第二の相克は国内問題に関わる。「骨太の方針2022」をまとめるにあたって、積極財政派(代表安倍首相)対緊縮財政派(代表岸田首相)の間で激しいバトルがあったことは、『円安から日本を考える』に書いたとおりである。

 骨太の方針2022は、積極財政派と緊縮財政派の双方が、相手の主張を無効にする文言を盛り込んだ形となっているために、年末の予算編成においてバトルが再燃することが必定である。ここで肝に銘じるべきことは、アベノミクスが看板倒れに終わった原因が、経済成長と財政再建の二兎を追ったために、財政出動が中途半端となったことと、二度に及ぶ消費税増税が国民生活を直撃して消費マインドを冷やしてしまった事実である。積極財政派の要だった安倍首相が居なくなった結果、もし岸田首相率いる緊縮財政派が盛り返して、再び経済成長と財政再建の二兎を追う、最悪の場合増税という展開になれば、日本経済は壊滅的な打撃を被ることになるだろう。岸田政権が増税に走らぬよう、監視の目を怠るべきではない。

終わりに

 以上述べてきたように、安倍首相が蒔いた種、即ち後継者に託された宿題は次の三つに集約できる。

 1.「豊かな社会、強い国力」を取り戻す

 2.憲法改正を含む戦後レジームからの脱却

 3.ウクライナ戦争の終結と復興を含めて、国際秩序の再構築に主体的役割を果たす

 ウクライナ戦争が長期化した現在、その早期終結と国際秩序の再構築が世界レベルの課題として浮上している。前述したように、国際秩序の再構築とは「戦後レジーム」からの脱却に他ならない。安倍首相が道筋をつけてきた大仕事であり、日独が果たすべき役割は大きい。しかもその取り組みは中国の暴走に対する抑止力として働くことを忘れるべきではない。

 その役割を担い、やるべき使命を果たし、そのための能力を獲得することが、安倍首相の遺志を継ぐことである。それを可能とするためにも、「失われた30年」にケリをつけて、「豊かな社会、強い国力」を取り戻すことが必達命題となるのである。大局の道筋は安倍首相が作ってきた。岸田首相はじめ安倍首相の遺志を継ぐ政治家の役割は、安倍首相が種を蒔いてきたこの大仕事を完遂させることにあるのではないだろうか。

システム思考による戦後政治の転換

戦後政治の課題

「有事の総理大臣」三部作から浮かび上がった、戦後政治の課題は三つに集約される。

  • 課題1:日本は四半世紀にわたりデフレに喘ぎ、1995年~2020年の25年間に米国の1/3の規模にGDPが縮小した。致命的な政策の誤りは、プライマリーバランスを至上命題とした予算編成にあった。(https://kobosikosaho.com/daily/480/
  • 課題2:レイ・クラインの国力の方程式によれば、国力には「戦略目的+国家意思」が乗数項として働く。戦後の日本は専らアメリカに従属し中国に忖度する政治を行ってきたために、政治の命題として「国益を最大化する」という認識が希薄であった。その結果、戦略目的及び国家意思を明確にしない政治を続けてきた。(https://kobosikosaho.com/daily/485/

  国力=(人口・領土+経済力+軍事力)×(戦略目的+国家意思)

  • 課題3:日本の戦後史は太平洋戦争の敗戦から始まっているが、日本は戦争を未だに総括しているとは言い難い。この結果、歴史観はウヤムヤのまま、国家観は曖昧のまま政治を行ってきたのではなかったか。歴史観・国家観が曖昧なために、国際社会において日本の本来の役割を果たす外交を必ずしも展開できていない。(https://kobosikosaho.com/daily/494/

 三つの課題は何れもが政治の在り方に関わる。これらの課題を打開するためには、戦後政治の転換が必要である。具体的にいえば次のとおりである。

  • 対策1:プライマリーバランスを至上命題としてきた予算編成を、「国力・国益を最大化」する予算編成に転換する。
  • 対策2:「できることをやる」政治を、「やるべきことをやる」政治に転換する。
  • 対策3:まず産業革命以降の人類の近代史と、縄文以降の日本文明を俯瞰した歴史観と国家観を明確に描く必要がある。それをもとに国際社会における日本の立ち位置と進路を再確認し、国際社会において日本が担うべき役割を実践する国家へ転換する。

 上記三つの対策は何れもが戦後政治の転換に関わるものであり。転換の第一歩は政策を考える思考法を改めることから始める必要がある。

 現代では国家としての政策決定、企業としての経営戦略の決定等、意思決定はますます複雑になり、しかも一層の迅速さが求められている。高度な情報化社会にあって、物事が複雑に絡みあう複雑系と呼ばれる現代では、先例や経験と勘を中心とした意思決定手法はもはや通用しない。政治や経営に関わる情報を集めて分析した上で、工学的な手法を適用した意思決定が求められる。しかもそれをタイムリーに行わなければならないのだ。

システム思考

 その基本となるのがシステム思考である。システム思考は政治や経営、あるいは個々の意思決定問題をシステムと捉えて論理的に思考する方法論である。システム思考の基本形は図1のように図解することができる。

 システム思考では、命題、投入資源、制約条件、考慮事項に分類し て、関係する事項を整理することから始める。

 手順としては第一に、命題は何か、つまり政治や経営において何を実現したいのかを明文化する。次に制約条件と考慮事項を洗い出す。ここで注意すべきは、制約条件と考慮事項の判別である。最後に、投入すべき資源を列挙する。命題、制約条件と考慮事項、投入資源を整理できた時点で、課題の全体像を図解できたことになる。

 それを1枚の紙に表現して、ではどういう手段を講じれば命題を最も効果的かつ効率的に実現できるのかを考える。このようにシステム思考とは目的志向であり、工学的な思考法である。

事例1:政府の予算編成

 具体的な事例を取り上げて説明しよう。事例1は、政府が行う予算編成である。次年度の予算編成に向けての「経済財政運営と改革の基本方針2021(骨太方針2021)」は6月18日に閣議決定されている。それによれば、「財政健全化の堅持」の項目に以下の記述がある。

 「経済あっての財政」との考え方の下、デフレ脱却・経済再生に取り組むとともに、財政健全化に向けしっかりと取り組む。・・・こうした取組を通じ、600 兆円経済の早期実現と財政健全化目標の達成を目指す。

 骨太の方針は、予算編成の基本方針であり、そこに「経済再生と財政健全化目標の達成を目指す」と書かれているのだ。図1にこれを当てはめれば、閣議決定は次年度予算編成方針を次のように設定したことになる。

  ・命題=デフレ脱却、600兆円経済の早期実現、財政健全化目標の達成

 骨太の方針は予算案を作る各省庁に対する指示書であるから、それを受ける省庁の視点から見れば、以下の条件で予算案を作れということになる。

  ・命題=デフレ脱却、600兆円経済の早期実現

  ・制約条件=財政健全化目標を達成する

 一般論として、経済再生のためには財政支出を大胆に増やす必要があり、一方財政健全化は財政支出を抑制することと等価である。つまり骨太の方針は、財政支出のアクセルとブレーキを同時に踏めという指針であり、これではデフレから脱却できる力強い推進力を持った経済政策が出てくるわけがない。

 「日本は四半世紀にわたりデフレに喘ぎ、過去25年間でGDPが米国の1/3の規模に縮小した。」と9月3日のコラムに書いた(https://kobosikosaho.com/daily/480/)。骨太の方針がいみじくも「経済あっての財政」と書いているように、何よりも必要なのは力強い経済を取り戻すことである。そのためには、骨太の方針は、たとえば以下のように解釈されるものであるべきだ。財政健全化は考慮事項であって制約条件ではなく、況や命題ではありえない。

  ・命題=国力を最大化する、力強い経済を取り戻す、GDP成長率△%を達成する

  ・制約条件=なし

  ・考慮事項=財政健全化を考慮する

事例2:中国に対する人権侵害非難決議

 事例2では、6月17日に自民党が最終的に見送った「中国共産党による深刻な人権侵害を非難する国会決議」を取り上げる。当時の自民党がとった思考過程を図1のシステム思考に当てはめれば、次のようになるだろう。

  ・命題=日本も非難決議を出し、民主主義の先進国としての役割を果たす

  ・制約条件=自公連立の選挙協力に影響を及ぼさないこと

これに対して本来の思考過程は、たとえば次のようなものである。

  ・命題=日本も非難決議を出し、民主主義の先進国としての役割を果たす

  ・制約条件=なし

  ・考慮事項=欧米主要国は既に決議を決めた、公明党の党内調整が終わっていない

 中国に対する非難決議を巡る自民党の致命的な誤りは、国際社会において国益を守り役割を果たすことよりも、公明党への配慮を優先したことにある。次の選挙で公明党を窮地に立たせないことが制約条件として働いた結果である。これでは本末転倒という他ない。

「できることをやる」政治から、「やるべきことをやる」政治への転換

 戦後の日本は専らアメリカに従属し、中国に忖度する政治を行ってきた。このために、政治に「国力・国益を最大化する」という使命感が希薄である。また、国際社会から日本の外交政策はNATO(No Action Talk Only)と揶揄されており、戦略目的、国家意思が感じられない。

 総括的に言えば、戦後の日本は「できることをやる」政治に終始してきた。「できること」には「できない言い訳」が用意されており、憲法自体ができない理由の一つになってきた。

 戦後76年が経ち、台湾有事が起こる可能性が高まり、日米同盟が発動される蓋然性が高まっている。中国による台湾侵攻事態が起きるか、それとも不動産バブル崩壊から中国発金融危機が起きるか、あるいは共産党内部の権力争い等により内部の騒乱が深刻化するか、何れの可能性が高いのかは予測困難である。

 どういう展開になろうとも、有事事態へのカウントダウンは始まっており、台湾有事級の事態が起これば、国民の生命と領土を守るための政策を次々に発動しなければならなくなる。戦後ずっと「ダチョウの平和」に甘んじてきた戦後政治を転換して、「やるべきことを毅然とやる」政治を取り戻さなければならない。

 端的な例を挙げれば、もし中国が台湾にサイバー戦やウィルス戦を含む武力侵攻を行った場合、台湾にいる日本人を短時間で国外退去させなければならない事態となる。小田原評定をしている余裕は全くないのである。このことは8月末にアフガニスタンからの米軍撤退時に現実のものとなった。但し、台湾とアフガニスタンとでは在留邦人の数は桁が違うことを忘れるべきではない。

 我が国は、東日本大震災とコロナパンデミックという有事級の重大事態を経験してきたが、次にやってくるのは安全保障に関わる有事となる可能性が極めて高いのだ。

戦後レジームの超克

 日本は現在一つのジレンマに直面して立ち往生しているように見える。それは「内なる怪物」を放置したままでは「外なる怪物」に対処することができず、「外なる怪物」に対処する有事モードの中でしか「内なる怪物」を退治できないというジレンマである。(https://kobosikosaho.com/daily/494/) 

 無論、内なる怪物とは戦後レジームであり、外なる怪物とは中国である。そして戦後レジームとは、「対米従属、対中忖度」に象徴される戦後政治の枠組みと、メディアの役割と責任、国民の理解を含む総体である。戦後、戦後レジームを是正せずにやってきた結果、できることをやればいいという政治形態が定着してしまった。図1に従い図解して示せば、それは次のようなものだった。

  ・命題=制約条件と考慮事項の範囲での国力・国益の最大化

  ・制約条件=憲法、関連法規定、日米同盟

  ・考慮事項=中国を怒らせない

 ここで注目すべきは、「日米同盟があるから、それは日本の役割ではない。憲法の規定があるからそれはできない。」という、制約条件が「できない言い訳」となってきた事実である。

 これに対して、「やるべきことをやる」政治形態は、たとえば次のように表現できる。

  ・命題=無条件での国力・国益の最大化と国際社会での役割の遂行

  ・制約条件=憲法、関係法規定、但し国民の生命と領土を守る障害となる場合を除く

  ・考慮事項=日米同盟関係を維持、中国を国際秩序に従わせる努力を継続

 ここで注目すべきは、憲法を含む法律上の諸規定は、政策を考える上で制約条件として働くことは言うまでもないが、有事事態では、国民の生命と領土を守る上で障害となる場合には、制約事項をも躊躇なく見直すことを余儀なくされる。「憲法を守って国民の生命や領土を守れず」となっては本末転倒だからである。

まとめ

 幾つかの事例を取り上げて、システム思考を説明した。システム思考の重要なことは、命題、制約条件、考慮事項を整理した上で、如何なる手段を講じたら命題を実現できるかを一切の先入観や前提条件なしに論理的に考え抜くことにある。

 補足すれば、命題を達成するために必須であれば、外交を戦略ゲームと捉えて、ゲームの構図やルールを日本に有利なように作り替える努力も排除しないということだ。但しそのためには国際社会から期待されている役割を日本が毅然として果たす外交が必要となることは言うまでもない。

 さらに、戦後レジーム=内なる怪物を退治し、如何なる国にも従属も忖度もしない自立した国家政治形態は、たとえば次のように表現できるだろう。

  ・命題=国力・国益の最大化と国際社会における日本の役割の遂行

  ・制約条件=歴史観・国家観に基づき行動する

  ・考慮事項=外交を戦略ゲームと捉え、ゲームの構図とルール形成の活動を強化する

 戦後の日本が自らに課してきた制約である戦後レジームは、「やるべきことをやる」政治へ転換する過程で、一つ一つ打破してゆく他ないと思われる。