近代史の教訓、課題は「戦略的対処」

変化と対処、ダーウィンの名言

 生物の宿命は、激変する変化の中で淘汰されずに生き延びることである。生物の進化について、ダーウィンは次の名言を残している。「生き残るのは、最も力の強い種ではなく、最も賢い種でもない。環境の変化に対し最も適応する種だけが生き残る。」(It is not the strongest of the species that survives, not the most intelligent that survives. It is the one that is the most adaptable to change.

 生物界においても、人間社会においても環境は変化し続ける。図1は、変化の形態を整理したものである。

 日常の変化は連続的なものである。中でも過去の延長線上に現在があるような変化は線形(直線的)で、技術革新に代表されるように加速する変化は非線形である。現在進行中のアメリカの弱体化を始め、欧州の衰退、BRICSの台頭は加速度的に顕著になっている。

 さらに歴史には不連続な変化が起こり得る。戦争や経済恐慌がその代表例だが、ドルの金兌換停止宣言をした「ニクソン・ショック」や、ドルに対する円の為替レートを一気に切り上げた「プラザ合意」も不連続な変化の典型例である。現代では2020年のコロナ・パンデミック、2022年のロシアによるウクライナへの軍事侵攻も不連続な変化である。

 そして現在、トランプ大統領は世界に対し歴史的な不連続な変化を起こしている。

日本の戦後は終わった

 トランプ大統領が起こしている変化について、ジェラルド・カーチス(Gerald L. Curtis)、コロンビア大学名誉教授は以下のように洞察している。(資料1参照)

 <トランプ大統領が就任した今年1月20日をもって、「米国中心の世界秩序」は名実ともに終わった。同時に「日本の戦後」も終わった。日本の政治家はその事実を正面から受け止めていない。>

 カーチス教授の指摘を待つまでもなく、トランプ大統領が今期就任以来起こしている変化は、アメリカの衰退を踏まえたものであり、本人の認識の有無に関わらず、それが日本の戦後の終焉を促進することは明白である。

 変化を生き延びるためにとるべき対処行動も、変化の三形態に対応する形に分類できる。図2は対処行動を整理したものである。

 改善活動(Improvement)は変化に対する「対症療法的な対応」である。線形な変化に対しては対症療法的なアプローチが効果的であることは言うまでもない。一方、一般に技術革新が起こす変化は往々にして非線形なものであり、変化は直線的ではなく加速度的、もしくは指数関数的なものとなる。非線形な変化に効果的に対処するためには、変化の将来動向を予測した改革活動(Innovation)が必要となる。

 それに対して、リーマン・ショックやパンデミックのような不連続な変化に効果的に対処するためには、平時の常識を打ち破る「有事」の行動、言い換えると「戦略に基づく革命(Revolution)的な対処(戦略的対処)」が求められる。

現在世界で進行中の不連続な変化

 トランプ大統領が就任以来次々に切ってきたカードが、世界に不連続な変化を起こしていることは説明するまでもないだろう。その背景にあるのは、第二次世界大戦以降アメリカ覇権の弱体化が始まり、やがてその変化は加速度的になり、現在それが臨界点に達している事実である。その認識のもとに、トランプ大統領はアメリカ大陸に引き籠り、MAGAに専念しようとしているのであり、そのために習近平国家主席とプーチン大統領と取引しようとしているのだと推察される。

 トランプ大統領がとった高関税政策に対して、石破政権は日本が被る国益の損失を最小限に食い止めようと対症療法的な対処に終始してきた。被害を食い止めることに精一杯で、歴史上の大きな転換点に立っているという「有事認識」のもとに、「日本の戦後の終焉と日米関係の進化」を意識した戦略が見当たらない。

 戦後80年を振り返ると、戦後日本がとってきたアプローチの大半が、顕在化した課題に対する対症療法的な対処に終始していて、総じて進化を忘却してきた。言い換えれば「与えられた条件の中で最善を追求する」アプローチに終始してきた。多くの政治家が「出来ることの最善を尽くします」的な発言を繰り返してきたが、このアプローチの欠陥は「出来る範囲のオプション」しか視野にないことにある。非線形もしくは不連続な変化に戦略的に対処するオプションが除外されているのだ。

 その背景に日本人の得意と苦手があることは否定できない。トヨタ自動車のカイゼン活動に象徴されるように、一般論として日本人は改善活動は極めて得意だが、革命的なアプローチ、言い換えれば「戦略的に対処する」ことが苦手である。

ポスト戦後80年の日本:ソフトパワーを武器とせよ

 今年5月6日に88歳で死去した、ハーバード大学特別功労名誉教授のジョセフ・ナイ(Joseph S. Nye Jr.)氏が次のように指摘している。(資料2参照)

 <アーミテージ氏と私は、日本を安定した民主主義国家とするために、1930年代の日本とは異なる、21世紀の脅威を見据えてそれに備えた国にならなければならないと感じていた。日本が自国の立場を強化すれば、周辺地域での戦争をより巧く抑止することができる。>

 <日本のソフトパワーは上昇している。日本には伝統文化があるだけでなく、アニメやゲームといった現代のポップカルチャーも大変人気がある。その意味で日本の魅力は増している。それに加えて日本は政治的に見て成功した民主主義国家だ。>

 <日本は二つの脅威(北朝鮮・中国)に直面しているが、リーダーになれる分野があるから、そこで主導権を取って重要な役割を果たしてくれることを心から期待している。中国・アメリカは覇権主義だが日本はそうではないので、他国からの信用を得ることができる筈だ。>

 4月13日に読売新聞は、79歳で死去した元米国務副長官リチャード・アーミテージ(Richard Armitage)氏の未完の原稿の存在が明らかになったと報じた。それによると、アーミテージ氏の日本に対するラスト・メッセージは次のようなものだった。(資料3参照)

 <不確実な時代において、日本は自国のグローバルな役割に自信を持ち続けよ。米政権が不確実性と混乱をもたらしているからこそ、世界は日本をこれまで以上に必要としている。何をすべきか迷ったり不安になったりすべきではない。>

戦略的な対処

 では「戦略的な対処」とは何だろうか。それは次のような問いに答えることから始まる。

Q1.トランプ大統領は世界をどう変えるだろうか?(全体像と本質を考える)

Q2.それは歴史的に見て、どういう変化をもたらすだろうか?(動向を理解する)

Q3.それは日本にどういう未来をもたらすだろうか?(将来像を展望する)

Q4.日本はこの機会を利用して目指すべき姿は何か?(進路を再確認する)

Q5.それを実現するために今何をすべきか?(手段を具体化する)

 問いに対する答え(一案)は次のようなものだろう。

A1.第二次世界大戦以降続いてきたアメリカの覇権体制(一強体制)が終焉する。

A2.相対的に米欧日(言い換えればG7)が衰退し、BRICS(G20)の力が強まり、世界は多極化に向かう。

A3.もし日本が傍観すれば、或いはアメリカ従属を続ければ、世界に対する日本の影響力が弱まり、多極化の一極にはなれないだろう。

A4.G.カーチス、J.ナイ、R.アーミテージ各氏が期待したように、日本は卓越した文化力・経済力・技術力を有しており、世界に対するソフトパワーの影響力を増している。さらに地球規模の危機に対しては縄文時代から日本人が継承してきた価値観とアプローチが鍵となる可能性を秘めている。それら日本の卓越性を生かした、自立した役割を担い、影響力・貢献力を行使するユニークな大国を目指すべきだ。

A5.そのためにはトランプ大統領が切るカードに対する対症療法的なアプローチを転換する必要がある。カードに右往左往せずに、彼の危機感と意図を理解し、ポスト「アメリカ一強」時代の国際社会の在り方について、アメリカと共に考え協力して行動するアプローチへ転換する。それはアメリカに従属しない「ポスト戦後80年」時代の新たな日米関係を構築することになるだろう。

 トランプ在任の残り3年半は、戦後から「ポスト戦後80年」への大転換を成し遂げる好機となるだろう。その機会を最大活用して行動するならば、それは近代日本にとって明治維新に次ぐ革命的変化をもたらすに違いない。進行中の不連続な変化を利用して、戦後80年間棚上げしてきた「戦後体制を戦略的にスクラップ&ビルドする」ことは、日本にとって戦略の「一丁目一番地」となる。これは現在進行中の不連続な変化を生き延びる「日本の進化」の第一歩であり、「令和維新」と呼ぶべきものとなる筈だ。

 しかしそのためには、明治維新以降に日本が犯した失敗を総括し教訓に学ぶことが不可欠だ。それなくしては現在の誤りを修正することはできない。

日本の近代史の失敗と教訓

 明治維新から約160年が経過した。近代史の転換点となった「不連続な変化」を抽出して、日本がその変化にどう対処したかを俯瞰してみたい。近代史における「不連続な変化」として、明治維新を起点に日本が関わった対露、対中、対米英の三つの戦争を取上げる。「不連続な変化に臨み日本はどう対処したか」の視点から、近代史を転換点で以下の四つの期間に分けて、総括的に俯瞰してみたい。

①明治維新(1868)~日露戦争(1904):36年

②日露戦争~支那事変(1937):33年

③支那事変~太平洋戦争敗戦(1945):8年

④敗戦~(戦後)~現在(2025):80年

明治維新(1868)~日露戦争(1904)

 明治維新は欧米列強が世界を植民地化していった時代に、日本が独立を維持して存続してゆくために、西国雄藩の下級武士が決起した革命だった。明治維新によって封建社会が終わり、日本は欧米に倣って近代化を一気呵成に進めた。この時に明治政府が推進した諸政策は、不連続な国際情勢の変化に対して、戦略的な発想に立って近代化をトップダウンで成し遂げたものだった。

 具体的に言えば、日本は民主主義を取り入れ、産業革命を成し遂げ、日露戦争に勝利して海軍力で欧米列強に肩を並べるという偉業を達成した。この時代は、正しく司馬遼太郎が描いた『坂の上の雲』に象徴される輝かしい時代だった。こうして近代化の第一幕は、不連続変化に対し見事に「戦略的な対処」を成し遂げた成功物語として歴史に記録されたのだった。

日露戦争~支那事変(1937)

 日露戦争に勝利して欧米列強の仲間入りを果たした日本だったが、欧米と肩を並べた結果、「次の国家目標」を設定することに失敗した。当時の政治家が認識していたかどうかは不明だが、この時点で日本は国家として二つの命題を背負っていたことになる。

 第一の命題は、欧米列強の行動に眼を光らせつつ、外交力を錬磨して列強の一員として国際情勢に関与してゆくことだった。第二はそれと同時に、国家としての将来像を自ら描き、そのための改革(Innovation)を自らの意思で成し遂げてゆくことだった。欧米と肩を並べたからには、先行する誰かの背中を見て進むアプローチはもはや通用しない。将来像を自ら描き、意思をもってそれを実現してゆくという命題は、偏に戦略的なものだった。

 そのためにはまず、政治・経済・法律などの人文科学の研究機関と、科学・技術・産業振興を行う理工学の研究機関を普及させる必要があった。更に諸外国の動きに関する情報を収集し分析する機関(インテリジェンス)、それをもとに国家戦略を練る機関(シンクタンク)の設立が求められた。国家にとって戦略が重要になったという意味において、日露戦争は日本が次に飛躍するための転換点であった筈だ。しかし日本は第二の命題において失敗した。

支那事変~太平洋戦争敗戦(1945)

 現実の日本は、1931年の満州事変を皮切りに中国大陸に進出し、1937年の支那事変を機に日中戦争に突入し、1941年には真珠湾攻撃においてアメリカとの、マレー半島においてイギリスとの戦争に突入していった。その結果、二つの原爆投下と主要都市への無差別空襲を受けて、300万人を超える犠牲者を出して日本は戦争に敗れた。

 日本の近代史において、太平洋戦争の敗北とは一体何だったのか?壊滅的な悲劇は何故起きたのか?悲劇を回避するためにどう行動すべきだったのか?少なくとも国政に携わる政治家には、この質問に対する見解を用意しておくことが求められるだろう。

 私は歴史家でも専門家でもないが、結果論を承知で言えば、近代史における日本の失敗を三点挙げることができる。第一の失敗は、本来は中国人同士の覇権争いであった中国の内乱に深入りし過ぎたことだ。欧米列強の中で日本だけが中国大陸の動乱に巻きまれてゆき、その結果英米を敵に回す事態を招いた。中国大陸の内乱が収束するまで静観し、その間にインテリジェンス活動を強化して、次の展開に備えるべきであったのだ。

 第二の失敗は、アメリカからの執拗な工作を受けて、日本から真珠湾攻撃という開戦行動を起こしたことである。戦争がもたらした悲劇を考えれば、幾らでも戦争回避オプションがあった筈だ。後世を生きる我々にとって、ここで注意すべきは、「それは結果論だ」と片づけてしまう態度である。教訓はすべからく結果の分析から得られるものであって、結果論だとして思考停止に陥り、総括をウヤムヤにしてしまう危険にこそ注意を払うべきだろう。

 そして第三の失敗は、二つの失敗に共通する原因であるのだが、第二次世界大戦を起こした英米ソの企みに対するインテリジェンスが欠落していたことである。日本は日露戦争期には、欧州を舞台にロシア革命に奔走する人々を手厚く支援するなど、当時世界一級のインテリジェンスを実践していたにも拘らず、その経験は太平洋戦争に十分継承されなかった。

 国際政治における当時のメインプレイヤーだった英米ソが企む歴史的に不連続な変化に対し、日本は対症療法的に対応しただけで戦略に基づく対処をしてこなかった。この場合の戦略行動とは、たとえば「日本を追い詰めて奇襲攻撃に踏み切らせて、それを理由にアメリカが参戦する」というフランクリン・ルーズベルトの陰謀を阻止する行動を含むものである。

 太平洋戦争は日本が真珠湾攻撃を起点として始まったのだが、それは第二次世界大戦当時の大統領だったルーズベルトが、アメリカが第二次世界大戦に公式に参戦するために、日本から開戦するように執拗に仕向けた結果だった。この事実は、日本近現代史研究家の渡辺惣樹氏が『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』の中で明らかにしている。(資料4参照)

 渡辺氏が読み解いたのは、ルーズベルトの前任の大統領だったHerbert Hooverが書いた『Freedom Betrayed, Herbert Hoover’s Secret History of the Second World War and Its Aftermath』である。フーバー大統領は共和党の第31代大統領(1929.3-1933.3)で、第二次世界大戦の時に大統領職にあったのは第32代Franklin Roosevelt大統領(1933.3-1945.4)だった。

 <ルーズベルト政権の対日外交の陰湿さにフーバーが気付いていたことは間違いない。フーバーは日本に対して実質的な最後通牒であるハル・ノートが手交されていることも知らなかった。それでも真珠湾攻撃の報に接したときに、「ルーズベルトが何かしでかしたな」という感覚がすぐに湧いた。フーバーはルーズベルト外交の実態を明らかにしなくてはならないと、真珠湾攻撃の報と同時に決意した。>

 『Freedom Betrayed』はその決意のもとにフーバーが20年以上の歳月をかけて収集した情報をもとに書いた著作だった。出版に至る前にフーバーは1964年に90歳で死去したのだが、残された原稿を歴史家のジョージ・ナッシュが完成させて、フーバーの遺作は2011年に出版された。

 <ルーズベルト外交によって、ソビエト共産主義の東西への拡散を防いでいた二つの強国、日本とドイツは崩壊した。その結果が堰を切ったような共産主義の拡散だった。日本の降伏から僅か4年で中国は共産化した。それを抑え込む軍事力を持つ国はアメリカしか残っていなかった。・・・アメリカは「孤独な世界の警察官」となってしまった。>

 上記の洞察は、ルーズベルトの挑発に乗せられて開戦行動を取ってしまった日本の失敗が、現代に至る戦後の国際情勢に大きな影響を及ぼしている因果関係を見事に描写している。もし日本側に、ルーズベルトの陰謀に対するインテリジェンスがあり、真珠湾攻撃を踏みとどまる戦略観があったなら、アメリカの参戦はなく、共産主義の拡散も抑制できたということだ。

 戦略的対処とは、このように世界情勢の全体像と動向を分析した上で、自らの行動を決めるアプローチをいう。そのためには相手の目論見について情報を収集し分析するインテリジェンスが不可欠となる。

敗戦~(戦後)~現在(2025)

 日本は今年で戦後80年になるというのに、GHQによる占領の時代に作られた負の遺産を未だに払拭できていない。本件に関する限り、戦後80年間日本政府は殆ど何もしてこなかったと言わざるを得ない。国防の盾をアメリカに委ねる代わりに米軍基地を提供し、横田空域の航空管制を米軍に渡したまま80年を過ごしてきた。その間には朝鮮戦争、米ソ冷戦、中華人民共和国の誕生、ソビエト連邦崩壊などの事件があり、負の遺産を戦略的に軽減してゆく機会があったにも拘らず、日本はアメリカに安全保障を委ねたままの思考停止状態を続けてきた。

 ここでダーウィンの名言に戻ろう。激変する世界で思考停止状態を続けることは、淘汰される運命を選択することに等しいことを肝に銘じておかなければならない。大局的にみれば「失われた30年」という事態もまた、思考停止し戦略的対処を怠った結果であるとみることもできるだろう。いつの時代でも、企業でも国家でも民族でも、進化を忘れたものには滅びる運命しか残っていないのだ。この意味から、戦後80年の思考停止と不作為の罪は極めて重いと言わなければならない。

国家としての進化を成し遂げるために

 近代史における失敗を直視しその教訓に学ばない限り、国家にとっての進化はなく、進化を忘れた国家は衰退の宿命から脱出できない。では、どうすれば明治維新に匹敵する令和維新を成し遂げることができるだろうか?

 昨今の石破政権と自民党の動きを見ていても、「トランプ政権の再登場によって日本の戦後は終わる」という歴史観に立った、攻めの行動、戦略的な対処は見当たらない。トランプ台風の被害を局限化しようと対症療法的な守りの対応に終始しているのみだ。

 そもそも岸田政権と石破政権の相次ぐ誕生は、自民党がもはや保守政党ではないと宣言したことを意味している。先の自民党総裁選の決選投票で、高市早苗氏に大きく引き離された石破茂氏に大量の票が流れるという不自然な変化が起きたが、これは「自民党は明治維新前夜の幕府と同様に淘汰される運命にある」現実を、図らずも国民の前に露呈したものだった。

 近代史における失敗の内、ルーズベルト大統領の陰謀に嵌って太平洋戦争に突入していった失敗と、「アメリカ従属」の軛から脱却できなかった戦後政治の失敗に共通する原因は、何れも「対症療法的な対処」に終始して「戦略的な対処」をとってこなかったことにあると言える。

 さらにその原因を一言で言えば、インテリジェンスとシンクタンク機能を軽視してきた政治にある。戦後政治80年が、政治家と官僚の「2プレイヤー」体制だったことの限界も否定できない。官僚機構には、体制が縦割りであることと、政策に過去からの連続性が求められるという二つの制度上の制約が存在しているからだ。

 戦後の日本を束縛してきた「アメリカ従属」という軛から開放された暁に、日本は新たな進路をどこに求めるのか。その答えを我々は見つけなければならない。これは明治維新を成し遂げて日露戦争に勝利した日本が向き合わなければならなかった命題の再来でもあり、政治が80年間棚上げしてきた命題でもある。「対症療法から戦略的対処」への転換をどう成し遂げるのか。そのためには政治の基本構造に関わる二つの革命的な対策が必要となるだろう。

 第一は、「真の保守政党の編成」である。ここで「真の保守」とは、憲法も米軍基地も今のまま放置する現状維持ではなく、GHQから押し付けられた憲法を刷新し、アメリカ従属から脱して真に自立した国を目指し、新たな日米同盟関係の再構築を含めて、多極化が進行する国際社会における日本の立ち位置と役割を再定義しようとする志をもつ政党を指す。

 第二は、ポスト戦後80年の時代に求められるのは、課題と対策を政府横断的に俯瞰する機能と、過去からの連続性に囚われない戦略思考である。それを実現するためには、政治家と官僚に戦略構想を主任務とするシンクタンクを加えた「3プレイヤー」体制への転換が必要である。

参照資料

資料1:『大手町の片隅から』、乾正人、産経、5月23日

資料2:『追悼ジョセフ・ナイ氏、知の巨人が示した日本が直面する二つの脅威とその対処法』、AERA DIGITAL、大野和基、5月10日

資料3:『日本はトランプ政権にひるまず世界のリーダーとして役割果たせ』、読売、6月7日

資料4:『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』、渡辺惣樹、草思社

インテリジェンス

事実と真実

 2020年はコロナウィルスに明け、アメリカ大統領選に暮れようとしている。ウィルス事件は世界中に甚大な被害と経済的損失をもたらした。アメリカ大統領選は民主主義の先進国で起きた事件であり、世界中の関心を集めた。この二つの事件に共通していることは、情報が氾濫しているにも関わらず、真相・真実が分からないということだ。この現実をどう理解すべきだろうか。

 情報化時代であるが故に、溢れる情報はファクトに係るものとフェイクが大半で、真実に係る情報が少ない現実がある。真相/真実に係る情報は、分析と考察に時間と知力を要するが故にもともと希少なのである。

 象徴的な事例を挙げよう。戦後75年が経過したが、「あの戦争は何だったのか」について日本はきちんと総括しただろうか。日本人は敗戦の事実を粛々と受け継いできた一方で、一部の専門家を除き戦争の真相を探る活動にはあまり関心がないように見える。

 一方アメリカでは、開戦時の大統領は第32代フランクリン・ルーズベルトだが、第31代大統領だったハーバート・フーバーが「あの戦争はルーズベルトが起こした陰謀だった」という信念から自ら書いた、「Betrayed Freedom(裏切られた自由)」という本が2011年に発刊された。大統領だった立場を利用して外交文書を読み、当事の関係者にヒアリングを行って20年の歳月をかけて第二次世界大戦を総括したのである。

 アメリカという国が偉大な理由は幾つもあるが、真相に係る情報を集めて分析をし、重大な歴史を総括する文化があることもその一つだろう。

真実を知る能力

 一般に、大手メディアが報じるのは現象に対する報道が主体である。迅速性を重視すれば、「何が起きたのか」を報道することが最優先の命題であるだろう。さらに映像を駆使すれば、いち早く現場に駆けつけて状況を伝えるだけでニュース報道となる。政府が発表する情報をそのまま放映するのも同様であり、もしそこにスキャンダル性がある場合には、何度も繰り返して報道する結果、国民に対しプロパガンダ性を持つことになる。

 事件に対する報道は、どこに軸足を置くかによって、ファクト中心、エンタメ中心、トゥルース中心の三つに分類できるだろう。

 ファクトの報道には迅速性が求められるが、トゥルースの報道には情報収集、分析、考察という手順を踏む必要があることから、事件発生からしばらく経って登場する。

 情報媒体にもそれぞれ特色がある。TVとネットは迅速性を備えているのでファクト中心となりやすく、TVの場合には視聴率を追求すればエンタメ色が強くなる。ネットは誰にでも簡単に情報発信できることから、ファクトに加えフェイクも出やすくなる。これに対して雑誌と書籍は、活字化し印刷するというプロセスを経るためにトゥルース対応に向いている。無論エンタメ中心の雑誌も多いが。

 では報道機関が伝えるべきはファクトかそれともトゥルースか。無論両方なのだが、ファクト報道では迅速性が問われるのに対して、トゥルース報道では迅速性よりも信憑性が求められるので、ある意味で二律背反である。またアナリストの立ち位置によって、分析にはさまざまなバイアスが働くことも否めない。報道機関である以上、NHKを含めて何らかのバイアスをはいているという前提で向きあう他ない。

総括という文化

 総じて日本には総括する文化が希薄であるといえよう。日本人は嫌な事件ほど早く忘れたいという心理が強いのと、責任の所在を明確にすることを嫌う傾向があるからだ。

 しかし、ファクトに留まらず真実を明らかにしない限り、未来に向けた教訓は得られない。情報化時代では、さまざまな事件が次々に起こる。そのためにファクト中心の報道は、新たな事件が起これば否応なしに報道の対象を移してゆくので、誰かが確固たる意思をもって総括をしない限り、真実はうやむやのまま歴史の中に埋没してゆくだろう。

 「戦争は二度と起こしてはならない」と祈るだけでは、次の戦争を防ぐことはできない。何故なら、祈ることが宗教的行為であるのに対して、防ぐことはリアルポリティクスだからだ。真に防ぐためには、その事件が起きた原因を分析し、教訓を引き出して対策を講じなければならない。世界レベルの事件であれば、国際社会における事件の背景と動向の分析も必要だ。

 この視点で考えれば、今回のコロナ事件についても感染の拡大と対処に終始して、「このウィルスの正体は何だったのか、この事件は何だったのか」を総括しないまま、忘却の彼方に放り投げてゆくべきではない。

インテリジェンス

 情報化時代にあっては、溢れる情報に翻弄されるだけでなく情報を活用する側に陣取ることが大事だ。そのためには情報を読み解くリテラシーに加えて、真偽を見分ける能力と情報に向かいあうプリンシプルが求められる。

 たとえば報道情報と分析情報に分けて考えるならば、報道情報は聞き流し、分析情報を丁寧に読むという使い分けが必要だ。そのためにはTVや新聞に加えて、専門誌とネット情報、それに書籍を組み合わせることが必要となる。歴史的な分析、或いは体系的な分析において書籍に勝るものはない。

 何れにしても情報に向かいあう場合には、完璧な全体像と本質は「Never Comes」であることを肝に銘じて、最後は自分の頭で考えることがどうしても必要だ。

 素情報(或いは一次情報)をインフォメーションといい、分析情報(二次情報)をインテリジェンスという。或いは、自分で必要な情報を集め、分析記事を読み、さらに自ら考察を加える作業をインテリジェンスという。

 インテリジェンス能力を磨くことは、情報化時代を生きるための必須能力であると同時に、時にはオレオレ詐欺やフェイク情報、さらにはメディアによるプロパガンダ情報から身を守る術でもある。

 たとえばJBpressという情報サイトがある。ここでは専門家、有識者がそれぞれの視点から、さまざまなテーマについて分析記事を書いている。TVや新聞情報だけからは得られないインテリジェンス情報が得られることは言うまでもない。

 ネットには情報が溢れている。有害な情報も多いが、有益な情報も豊富である。問題は読み手側のインテリジェンスが問われる時代なのだ。