イノベーションという宿命

イノベーションとは何か

 激変する環境に直面した生物が自然淘汰を経て進化してゆくことと、ビジネス環境の変化に直面した企業が生存競争を経てイノベーションを起こして発展してゆくことは、本質的に同じ現象である。生物にとって進化とは、環境に適応するように遺伝子情報を書き換えて生き延びてゆく宿命であり、企業や国家にとってイノベーションとは、競争社会を勝ち抜いて存続してゆく宿命であるからだ。

 資料①はイノベーションを次のように定義している。

・偶然には生じ得ない形に万物を再配列する方法を発見するプロセス

・試行錯誤で進行する「人間版の自然淘汰」

・地球上の生命の始まりこそが、最初のかつ究極のイノベーション

・火や石器や生命自体の起源のような無意識の自然のイノベーションは、現代のテクノロジーにつながる連続体の一部

〔注〕資料①:「人類とイノベーション」、マット・リドレー、ニューズピックス、2021.3.3

イノベーションはなぜ必要なのか

 時間は一方向にしか流れない。宇宙はビッグバン以降膨張し続けている。動物や植物は、誕生と同時に寿命のカウントダウンが始まり、一日一日死へ向かって生きている。そして生命の系統樹が示すように、全体を俯瞰すれば、生物は絶滅と進化を繰り返しながら多様化して一方向の物語を紡いでいる。

 サピエンスも同じである。生物進化の最後に登場して以来多くの人類が登場したが、皆地球環境の変化と生存競争に敗れて絶滅していった。唯一生き残ったサピエンスは出アフリカから現在に至る7-8万年の歴史を刻みながら、個々の生命は生死を繰り返し、DNAという生命のバトンを今日に至るまでリレーしてきた。農業革命や文明の発明を皮切りに、次々にイノベーションを起こしながら現代にまで物語を紡いできた。

 特に産業革命以降は、画期的なテクノロジーを次々に実用化して社会を変え、世界を劇的に変えてきた。生物が幾度も絶滅の淵に追い詰められながら、生き延びては新たな種として進化してきたように、サピエンスもまたさまざまな自然災害や、戦争、パンデミック等の危機に翻弄されながら、生存競争を生き延びて発展してきた。その原動力となったのがイノベーションである。

 現代ではイノベーションは加速され、指数関数的テクノロジー(以下ET、Exponential Technology)と呼ばれる画期的な技術が次々に実用化され、さらにこれら複数のテクノロジーが融合(コンバージェンス、Convergence)することによって、社会の風景を劇的に変えつつある。(資料②参照)

〔注〕資料②:「2030年、すべてが加速する世界に備えよ」、ピーター・ディアマンディス、ニューズピックス、2022.3.24

 イノベーションは次世代の巨大なビジネスを興し、経済成長に大きな貢献をすることから、企業間はもとより国家間での熾烈な開発競争をもたらしている。未来の富を生みだす大きな可能性を秘めているが故に、「イノベーションを制するものは未来を制する」と言っても過言ではない、現代はそういう時代に差し掛かっている。

 以下、生物の進化とサピエンスのイノベーションについては、資料③を参照した。

〔注〕資料③:「進化を超える進化」、ガイア・ヴィンス、文芸春秋、2022.6.10

生物は地球環境を変えながら進化した

 およそ40億年前、地球の海のどこかで生命が誕生した。古代のシアノバクテリアは太陽エネルギーを利用して炭酸ガスから糖を生成し、廃棄物として酸素を放出した。それから20億年の歳月をかけてシアノバクテリアの活動は地球の物理的性質を変え、地球を呼吸する活きたシステムに変えた。

 地球はおよそ20億年前に最初の超大陸が誕生して以降、超大陸の誕生と分裂、衝突を繰り返してきた。さらに超巨大火山の噴火や小惑星の衝突等が起きて、地球は温暖化と寒冷化を繰り返してきた。この間には全球凍結(スノーボル・アース)も起きた。生物の大量絶滅は5回起きたことが分かっている。

 そして6600万年前には巨大隕石がユカタン半島に落下した。それから1000万年ほどが過ぎて世界は湿潤になり、熱帯雨林やマングローブが広がった。絶滅した恐竜に代わって哺乳類が主役となった。

 このように地球環境の激変に翻弄されながらも、生物は自然淘汰を繰り返しながら、地球環境の変化に適合する機能を獲得して進化した。また熱帯雨林に代表されるように、植物は気の遠くなるような歳月をかけて地球環境を変え、動物の生存環境を作ってきた。動物は寿命が尽きると岩石だらけだった地表面を土壌に覆われた大地に変え植物の生存環境を作ってきた。

サピエンスが起こしてきたイノベーション

 人間がチンパンジーから分岐したのはおよそ500万年前であり、以降人類は数十種に分岐していった。中でも注目されるのは原人ホモ・エレクトスで、およそ180万年前に出現した。火と道具を使い言語をもった社会性のある狩人で、やがてアフリカを出てユーラシア大陸に拡散し、100万年以上存在した。およそ50万年前にはホモ・ハイデルベルゲンシスもユーラシア大陸へ進出した。そして彼等の子孫が旧人ネアンデルタール人やデニソワ人へと進化した。

 人類最初のイノベーションは、ホモ・エレクトスがサバンナに移住し二足歩行を始めたことだった。体毛がなくなって汗腺が劇的に増えた結果、熱帯の炎天下を走っても体温を維持できるようになった。石や槍を発明し水を携行するようになった彼らは、サバンナで最強の狩人となった。中でも火の使用はサバンナでの生活を安全なものに変え、人間の生息地を拡大した。

 人間以外の動物の大半は一日中食べ物を探し食べ続けなければ身体を維持できないが、唯一人間は加熱する文化を発明し、調理した肉や根菜類を食べるようになったことが、脳の発達を促すイノベーションとなった。その結果、生活に余裕をもたらしただけでなく、腸が短くなり貴重なカロリーを大きな脳に回せるようになったのである。

 次のイノベーションは農業と定住生活だった。サピエンスは野生の動物を飼いならして家畜種を作り、野生植物を栽培して作物種を作った。現在我々が食料としている動植物は5000年前までに家畜化・栽培化されたものである。

 農業に続くイノベーションは、言語、文字、物語の発明であった。現在世界には7000以上の言語があるという。資料③によれば、サピエンスを賢い人類にしたのは「個人の知性を超える集団の文化」であるという。言い換えると、「他者が学んだ知識を共有し利用する」サピエンス固有の習性こそが、次々にイノベーションを興した源となったということである。

 およそ5000年前、人類は文字を発明して、情報の保存と伝達の方法を向上させただけでなく、外部委託によって人間の脳の処理能力を拡張しつつ、人類が育ててきた集団脳を根本から変えたのだった。

 そして世界中にある洪水伝説や神話などの物語は、集団のメモリーバンクとなって詳細な文化的情報を保存することに役立った。人間の文化が複雑になるにつれて、物語が重要な文化的適応になっただけでなく、人間の脳自体が認知の一部として物語を利用するように進化したのである。

 さらにもう一つ重要なイノベーションは、時間という概念の創出だった。サピエンスは時間を発明したことで、居住環境を時間によって管理するようになり、それが人間の文化や生態を変えたのである。目覚め、食べ、眠るという日課は、人間の生態サイクルを地球の自転と同期させた結果である。

現在進行中のイノベーション

 資料②によれば、イノベーションが起きるには、あるレベルの文化の複雑さが必要とされるが、ひとたび何らかの洞察が得られると、社会は加速度的に進歩する。社会ネットワークは相乗効果をもたらし、ネットワークでつながった集団は孤立した集団には不可能なことを可能にする。

 これが人間社会に起きるイノベーションの特徴である。半導体がムーアの法則に従って指数関数的な進化を遂げ、コンピュータとインターネットのインフラが整備されて以来、処理能力と通信帯域は共にキロ(1千)→メガ(1百万)→ギガ(10億)→・・・と飛躍的に拡大した。イノベーションの効果が指数関数的になったのである。

 レイ・カーツワイルは1990年代に、あるテクノロジーがデジタル化されると、ムーアの法則に則って指数関数的な加速が始まることを発見した。カーツワイルはこれを「収穫加速の法則」と呼んだ。この技術革新が、現在の指数関数的テクノロジー(ET)の背景にある。

 さらに今進行中のイノベーションが、AI、ロボット、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)、3Dプリンタやゲノム・シークエンシング、ブロックチェーン等のETが相互に融合する(Convergence)ことによって起きていることに注目すべきである。

 変わらないのは「変化が続く」という事実だけであり、変化は加速する一方である。資料②によれば、変化の加速は三つの増幅要因が重なって起きるという。すなわち、指数関数的な演算処理能力の成長、ETのコンバージェンス、七つの推進力の存在である。さらに七つの推進力とは、時間の節約、潤沢な資金、非収益化、天才の発掘しやすさ、潤沢なコミュニケーション、新たなビジネスモデル、長寿命化である。

イノベーションの戦略を考える

 以上述べてきたように、現代人にとってイノベーションは現代の競争を生き延びて豊かな未来を獲得するための生存競争に他ならない。激変する環境を生き延びるために、生物にとっての自然淘汰と同じように、イノベーションは未来を賭けた国家間の生存競争なのだと認識を新たにする必要がある。

 前項で紹介したように、ETが登場し、複数のETが融合するイノベーションがもたらす変化は途方もないものとなりそうだ。そう認識するとき、イノベーション戦略は、国の政策におけるワン・オブ・ゼム(その他大勢の中の一つ)ではなく、全ての戦略の根本に据えて取り組むべき最重要課題と捉えるべきだろう。そして、イノベーション戦略は、少なくとも以下の要件を満たす必要がある。

 第一に、イノベーションにタブーがあってはならない。軍事に係るものであっても、次世代原発に係るものであっても、好き嫌いで是非を判断すべきではない。世論におもねる必要はなく、飽くまでも国の戦略としてロジカルに判断すべきである。日本だけが嫌だと言って拒否してもそれは解決にはならない。むしろ隣の軍事大国がそれを開発するのであれば、日本はその国がそれを使うことを抑止するために、その技術を獲得すべきなのだ。それが現実解なのだ。

 今回のコロナ・パンデミックにおいて、未だに日本製ワクチンが登場していない事実を謙虚に反省しなければならない。日頃からのウィルス研究がなければ、パンデミックが起きた時に短期間でワクチンを開発することはできないのだという事実を。

 そもそも全てのテクノロジーはデュアルユース(軍民両用)であって、現代の重要なテクノロジーは何れも軍事研究から生まれたものが多い。問題の本質は軍事や原子力に係るテクノロジーそれ自体にあるのではなくて、兵器や原発のマネージメントの問題だという点にある。デュアルユースである以上、テクノロジー自体を否定することは誤りである。

 その昔、ホモ・エレクトスが最初に火を使うことを思いついたときに戻って考えてみればいい。火は猛獣から家族を守るための強力な武器であり、寒さから身を守る革新的な手段であると同時に、誤って使えば森林火災を起こしかねない危険なツールだったことを。

 軍事や原子力に係るイデオロギー論争に終止符を打たなければ、日本の未来はない。原発が危険な理由は、それが暴走した場合の被害の大きさと深刻さにある。そうであるならば、世界における日本の役割は「危険だから一抜けた」をすることではなく、世界の規範となるような「戦争に使用させない仕組み」、「原発を安全に使用する仕組み」を構築することにある。そう考えるべきではないか。世界から一目置かれる日本を目指すべきなのだ。

 第二に、イノベーションは国家間の未来を賭けた生存競争であるために、予算がないからという理由で中止したり減額することがあってはならない。国の支出費目の中で最大の社会保障費はもとより、大半の費目は使ってしまえば消滅してしまう「消費」である。一方、イノベーションに係る費目は未来の富みと豊かさを生み出す卵を育てる「投資」なのだという視点を持つべきだ。

 第三に、イノベーションは国家だけで背負うものではない。企業とアカデミアの力を最大限に活用すべきである。現在日本企業はおよそ500兆円という途方もない内部留保を持っている。日本には投資にも賃上げにも使われない巨額のおカネが眠っているのである。企業はなぜ内部留保を投資に回さないのだろうか。企業自身が未来に対するビジョンを描けないからか、それとも先人のいない領域に踏み出す勇気を喪失しているからか。あるいは政府が迫真の戦略を示していないからだろうか。

 何れにしても、現在の日本は政府も企業も「戦略ゴッコ」に留まっていると言わざるを得ない。「ゴッコ」を本物の戦略に改めなければ日本の未来は暗い。政府は毎年、多くの「△△戦略」を策定しているが、政府が作る「△△戦略」に迫真性があるとはお世辞にも言えない。批判を恐れずにズバリ言えば、官僚の作文の域を出ていないからだ。

 官僚機構こそが日本最強のシンクタンクだと評されたのは、明治維新以降の「欧米列強に追いつけ追い越せ」と一丸となって戦っていた頃の話だ。「複数のETが融合するイノベーション」というテーマは専門家にも相当重いものであり、官僚の発想では手に負えないことを素直に認めるべきだろう。

 「複数のETが融合する」現代のイノベーション競争に挑むためには、少なくとも三つの機能を抜本的に強化する必要がある。その第一はインテリジェンスであり、第二はシンクタンクであり、第三はそのようなイノベーションを推進する仕組みである。

 インテリジェンスは、世界中で日進月歩に進行する変化を迅速かつ的確に捉え、分析する機能である。

 シンクタンクは、文字どおり日本として次世代のイノベーション戦略を立案する機能である。現在政府が取り組んでいるように、テーマ毎に有識者会議なるものを数回開催して戦略を練り上げるというような手抜きの方法では対処できる訳がない。さらに付け加えれば、その有識者を選ぶのも官僚で、会議の結論もシナリオも予め官僚によって用意されていて、集められた有識者はいわゆる御用学者として利用されるだけというようなやり方では、戦略ゴッコにしかならないことを肝に銘じるべきである。

 最後に、イノベーションを推進する仕組みは、幾つかの要件を備えたものとして整備されるべきだ。第一に、グローバリズムの潮流の中で海外に開発拠点を移した企業を国内に呼び戻す必要がある。第二に、日本学術会議に象徴される真の産学官連携を妨げる障壁を撤廃する必要がある。戦略にイデオロギー論争を持ち込むことは百害あって一利なしである。第三は、基本的に国が活動の土俵と基盤を用意する必要がある。

 米国には「国防科学委員会(DSB、Defense Science Board)」という機関がある。DSBは毎年ノーベル賞級の科学者を集めて、次に米国が国家として取り組むべき科学技術が何かについて、合宿を含めた集中的な討議を行っている。その成果はレポートにまとめられ、一部を除いて公開され、国家戦略に反映されている。また、米国には、「国防高等研究計画局(DARPA)」という軍事研究を推進する機関があり、潤沢な国家予算を使って、次世代の重要なテクノロジーの開発に取り組んでいる。

まとめ

 イノベーションはサピエンスにとって宿命であると書いた。視点を変えれば、サピエンスの「奇跡の物語」は、人類が生物からDNAとして受け継いだイノベーションの歴史だった。生物にとっての進化、人類にとってのイノベーションは38億年間途絶えることなく親から子へと受け継がれてきたバトンリレーのバトンだった。 そして現代のサピエンスはその秘密を解き明かすに至った。さて、そこまでがサピエンスの「イノベーション1.0」であるとすると、ETが融合する時代の「イノベーション2.0」はどのような物語となるのだろうか。

奇跡の物語(日本の誕生)

 日本列島を形成した力はプレートの動きである。それを含めて日本列島及び日本人の形成に重大な影響を与えた要因は四つある。第一は地殻変動、第二はヤンガー・ドリヤス寒冷期(以下YD期)の大規模な気候変動とその後に起きた縄文海進による海水面の上昇、第三はカルデラ噴火に代表される大規模な火山活動、第四に大量の移民である。

 それぞれの専門領域に深入りせずに、この四つの要因がもたらした変化を俯瞰的に捉え、日本の起源について洞察してみたい。

地殻変動による日本列島の誕生

 日本列島を形成する地体構造の約7割が「付加体」とその上に形成された堆積岩から成るという。大陸プレートの下に海洋プレートが沈み込むときに、海洋プレート上の堆積物が剥ぎ取られて大陸プレートの海側の端に付加される構造を付加体という。日本列島を形成する付加体は最古のものが5億年前でそれ以降段階的に形成されてきた。

 約3000万年前にユーラシア大陸の東端に亀裂が入り、海水が流れ込んで1500万年前に日本海が形成された。このとき大陸から引き剥がされた付加体は、東北日本と西南日本の二つの陸塊に分離していた。

 日本海の形成が終了する頃、フィリピン海プレート上の海底火山や火山島の列、伊豆弧が南東方向から陸塊に次々に衝突を始めた。300万年前頃には、北進していたフィリピン海プレートが北西へ進路を変えた。それに伴い西に移動していた太平洋プレートが沈み込む日本海溝も西へ動いて東日本を圧縮し始めた。これは「東西圧縮」と呼ばれ、この力で二つの陸塊が合体して日本列島の原型が出来上がった。

 日本列島が現在の姿になったのは2万年程前のことである。但し、プレート運動はもちろん、東西圧縮も伊豆弧の衝突も現在進行形であり、日本列島の形は現在も少しずつ変化を続けている。

ヤンガー・ドリヤス寒冷期(YD期)と気候変動、縄文海進

 旧石器時代は、ホモ・エレクトスがハンド・アックス(握り斧)を使うようになった約260万年前から始まった。サピエンスは6~7万年前に「出アフリカ」を決行しているが、7万年前から最終氷期が始まっていて、当時の日本列島は総じて寒冷期にあった。

 アフリカを出たサピエンスの集団の一部が日本列島に辿り着いたのは約4万年前である。そのとき日本列島は最終氷期にあって海面は現在よりも100m程低く、シベリアと北海道、朝鮮半島と九州は陸続きだった。

 新石器時代は地球が温暖化した11600年前に始まった。最終氷期が終わって温暖化しかけた気候が12800年前に急激に寒冷化した。YD期の始まりである。寒冷化の結果、獲物が減ったためにサピエンスは狩猟採集生活を諦めて農耕定住生活に転換したという。

 それから1200年後の11600年前に今度は約15度の急激な温暖化が起きた。温暖化が定着すると海水面が約100m上昇し、海岸線が内陸へ移動したことから、これは「縄文海進」と呼ばれている。

日本人の祖先と火山

 日本最古の遺跡は約12万年前に出雲で発掘された砂原遺跡である。加工された石器が多数見つかっている。これはサピエンスの到来より8万年も古く、サピエンスの渡来以前に先住民としての旧人(ネアンデルタール人?)が居たことを物語っている。

 過去12万年の間に超巨大噴火(噴火マグニチュードM7以上)に分類されるカルデラ噴火が九州と北海道の7つの火山で11回起きたことが分かっている。最新の鬼界カルデラ噴火は7300年前で、このとき南九州で暮らしていた縄文人は絶滅したと言われる。大規模噴火(M4、M5)~巨大噴火(M6)は過去2000年間に63回発生している。

 これは日本のどこかで約30年に1回の頻度で起きたことになり、縄文人にとって火山は身近な存在であって、畏怖の対象であったと同時に、火、温泉、希少な石(黒曜石、翡翠、メノウ等)という恵みを与えてくれる存在だったと思われる。

 世界最古の土器は青森県から16500年前に出土している。この時を起点として、紀元前10世紀までを縄文時代と呼ぶ。縄文人は世界に先駆けて土器を使用していただけでなく、6つの「縄文の国宝」にみられる高い芸術性を持っていたことが分かる。ちなみに6つの国宝が発掘された遺跡は、茅野市(2)、函館市、八戸市、十日町市、山形県舟形町(以上、各1)であり、何れも東日本に分布している点に注目する必要がある。

三内丸山遺跡が物語る縄文時代

 日本列島には全国に14000を超える膨大な数の後期旧石器時代の遺跡があり、密度において世界最多であるという。

 中でも最も注目すべき遺跡が三内丸山遺跡で、およそ5500年前から4000年前まで使用されていた。田中英道は、「ここには居住空間と広大な墓地、盛り土で囲まれた公共空間の三つの領域があり、共同体としての村落の機能、さらに言えば都市国家の基本を備えていた。」という。さらに、「巨木の柱で作られた建造物があり、後の出雲大社本殿に繋がる神社の原型と考えられる」と述べている。

 また、「三内丸山遺跡は、縄文時代が高い宗教心を持った時代で、日本の基層文化として原初の姿を宿している。住居域と隣接したところに墓域があることから、御霊信仰を基本とする神道の概念が存在していた。」と田中英道はいう。しかも三内丸山遺跡に相当する集落は全国に分布していた。

 最大規模の仁徳天皇陵に代表される本格的な古墳(田中英道の定義によれば、前円後方墳)が登場した古墳時代以前で、最も多くの古墳が発掘されたのは千葉県の12750墓で、奈良県より3割も多いという。これから縄文時代の集落と文化・宗教の重心が関東にあったことが分かる。しかも古墳は偉大な死者に対する御霊信仰の現われであり、神道が基本となっている。

神社の起源

 神社の代表格である出雲大社、熊野本宮大社、諏訪大社、香取神宮、鹿島神宮に祀られている神は、アマテラスを頂点とする天つ神ではなく、何れもオオクニヌシに代表される国つ神である。これは、これら神社の起源が縄文時代にあることを物語っている。

 鹿島神宮の創建は神武天皇元年(BC660)とされている。一方伊勢神宮は第10代崇神天皇の命を受けて第11代垂仁天皇(BC29-AD70)の時に創建されたと言われるから、鹿島神宮の方が600年以上も古いことになる。

 神社の形(建築様式等)が定まったのは、ヤマト王権が成立した古墳時代からである。しかし神社の起源は形が定まる遥か古代にさかのぼり、神道の起源よりも古いという。何故なら火山や巨石、巨木等、自然界の際立った存在は「神の宿るもの」と考えられたからである。

 蒲池明弘によれば、最古の神社の最有力候補は諏訪大社であるという。その理由として、諏訪大社のある茅野市から、「縄文のビーナス」と「仮面の女神」という二つの縄文の国宝が発掘されていること、諏訪大社には狩猟文化の伝統に関わる神事が残っていること、さらに古代の交易路だった、中央構造線と糸魚川静岡構造線の二つの断層の交点に位置している点を挙げている。

 最古の神社のもう一つ有力な候補は、三輪山をご神体としていて本殿を持たず、古神道の形式を残している大神神社(奈良県桜井市)である。

 このように、神道の原型は三内丸山遺跡の時代に既に出現していたと考えられ、神社は縄文時代から自然に対する畏怖と恩恵を表現するものとして作られたと考えられる。

弥生時代、渡来人の大量移民

 縄文から弥生時代への移行は、稲作技術等を携えた大量の移民が大陸から北九州他へ渡来したことによって起きた。不確定な要素が多いものの、弥生時代は概ね紀元前10世紀~紀元3世紀である。

 縄文時代末期におよそ10~20万人だったと推定される日本列島の人口は、弥生時代から急激に増大している。背景には、弥生~古墳時代に優に100万人を超えた渡来者の存在がある。渡来者は高度な製鉄技術や、漢字の文化、醸造や灌漑技術、律令制に則った統治制度などを持ち込んだ。様々な民族が続々と日本列島に渡来し、渡来者を中心とした新しい文化圏が北九州を中心に誕生した。その結果、日本列島に土着していた縄文人は、列島の隅々に追いやられてしまったという。

 古事記の神話は、出雲での国譲りの物語に続いて、日向を舞台にした天孫降臨へと主題が変化しているが、その背景には、縄文から弥生への革命的な時代変化と、出雲から日向への重心の移動がある。

秦氏の活躍とユダヤ民族

 移民の中で最も中心的な役割を果たしたのは秦氏だった。秦氏は皇族を支えヤマト王権の確立に際立った貢献をしたと言われる。日本の古代史において、秦氏は他の豪族と比べて目立たない存在であるが、弥生時代から古墳時代にかけてヤマト王権を樹立して国家の礎を創った立役者だった。

 ヤマト王権が成立したのは、奈良に前円後方墳が作られるようになった古墳時代からである。それは第15代応神天皇(AD270-310)、または第16代仁徳天皇(AD313-399)の頃と言われる。

 聖徳太子は、第33代推古天皇(592-628)の摂政として活躍した。聖徳太子のブレーンとして活躍した人物に秦河勝が居る。彼は聖徳太子が進める政策を支え、縄文由来の神道に伝来の仏教を加えた神仏習合の宗教を日本に普及させることに多大な貢献をした。広隆寺、大覚寺、仁和寺等の寺院、宇佐八幡神宮、伏見稲荷大社の創建に尽力し、全国に多くの神社を作ったのは秦氏だったと言われる。

 秦氏の活躍に象徴されるように、日本の形成にはユダヤ人渡来者による少なからぬ尽力があったことが明らかになっている。秦氏は数奇な経歴を背負った民族で、紀元前922年に南北に分裂し、紀元前722年に滅亡したイスラエル王国の南ユダ王国にルーツを持っている。祖国が滅亡した後に流浪の民となり世界中に拡散したユダヤ民族の一グループは、シルクロードを経由して中国に渡り、秦の始皇帝時代(BC221-206)に中国で活躍して財を成したという。彼らは秦姓を名乗り、秦王朝の崩壊を機に東に移動して、朝鮮半島経由で日本にやってきた。

 歴代天皇の在位を参照すると、日本で神武天皇が即位したのが紀元前660年で、第10代崇神天皇は紀元前97年~紀元前30年に在位し、ヤマトタケルが活躍したのは第12代景行天皇(AD71-130)の時である。そして古墳時代は第15代応神天皇(AD270-310)の頃に始まっていた。これらを総合的に考えると、秦氏が日本に最初にやってきた時期は中国の秦王朝崩壊後の紀元前2世紀以降の弥生時代だったと推定される。

古事記神話と旧約聖書・ギリシャ神話の類似性

 古事記神話と旧約聖書、ギリシャ神話には物語の類似性が多い。古事記は第40代天武天皇(673-686)が編纂を命じて、奈良時代の第43代元明天皇(707-715)の時代に完成している。一方、旧約聖書が最初に成立したのは紀元前5~4世紀であり、ユダヤ教が成立したのは出エジプトの時で紀元前13世紀に遡る。秦氏を中心とするユダヤのルーツを持つ渡来人の中に、旧約聖書、ギリシャ神話を良く知る人物がいた可能性は十分高いと思われる。

 古事記の編纂に関わった稗田阿礼は謎の多い人物である。「年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。」と古事記に記されている。稗田阿礼は秦氏の流れを組む人物であった可能性がある。

 田中英道は、「旧約聖書と日本神話は、一方が流浪の民となったユダヤ民族、他方は島国という安全地帯に定住したヤマト民族という運命が異なる二つの民族の神話である。二つの神話には類似性があると同時に、旧約聖書は自然さえも神が創ったとする神話だが、日本神話では神以前に自然があり、その自然から神が生まれている。」と両者の相違点を指摘している。とても興味深い洞察である。何故なら、旧約聖書を下敷きにしたものの、日本の風土に合致するように、自然の造形と神の関係さえも書き変えたことを意味するからだ。

 もう一つ日本とギリシャの類似性にも注目すべきである。両国には共に大陸の縁にあって二つのプレートが衝突するところにあり火山が多いという共通性がある。一つの推論だが、自然の中に畏怖の対象となる存在がある環境が多神教を育んだ背景にあると考えられる。さらに加えれば、多神教が育つ環境では一神教が登場する余地がないとも考えられる。なぜなら、預言者が登場する遥か以前から人々は自然の中に信仰の対象を体得していたからである。

 2000年以上も前にディアスポラという運命を背負い、世界中に拡散したユダヤ人が、その土地に同化して、金融分野を中心に卓越した才能を開花させたことは世界史における公知の事実である。その事実を知った上で、弥生~古墳時代に渡来した秦氏一族の活躍を振り返るとき、日本を安住の地と捉えて日本の風土と社会を受け入れて、一神教のユダヤ教から多神教の神道へ改宗したことは十分あり得ることと考えられる。何れにしても日本の国家・文化の形成にユダヤ民族が深く関与していたことは、古代のミステリーという他ない。

総括

 日本の歴史は、縄文時代→弥生時代→古墳時代と推移した。神社の原形が縄文時代に自然発生的に形成され、死者を祀る神道の原型が作られた。三内丸山遺跡に代表される集落が東日本を中心に作られ、太陽信仰の場としての香取・鹿島神宮が作られ、黒曜石がとれた諏訪大社、玉髄がとれた出雲大社等が、ハブとなって緩やかなネットワークが形成された。現代の建築様式が登場する以前の神社の原型があったように、国家の骨組みが登場する以前の古代国家の原型が縄文時代にはあったと考えられる。

 縄文から弥生時代への変化は、大陸からの大量の移民が、稲作を含む様々な知識と技術を持ち込んで起こした革命だった。縄文人の人口の10倍規模の渡来人がやってきたことが事実であるとすれば、その変化は革命と呼ぶに値するものだったと思われる。歴史ではこのときに狩猟採集社会から農耕社会への転換が起きたとされる。社会の重心は、この時に出雲から日向へ、東日本から西日本へ移ったのである。

 そして弥生から古墳時代への移行は、ヤマト王権のもとに日本を統一してゆく国家の骨組みが形成されてゆく変化だった。聖徳太子が進めた17条の憲法や冠位12階、仏教の普及がその基礎となった。古墳時代は天皇家を中心に豪族が協力してヤマト王権を確立し、重心が大和に移動した時代である。この国家形成の歴史が古事記における神武東征として神話化して描かれたのではないだろうか。

 古事記神話は、ヤマト王権成立後に天武天皇が、縄文時代からの記憶の伝承をもとに作らせたものであり、編集者は王権成立に至る天皇家の系譜を神話として描いたものだ。編集当時、日本には大量の移民があり、豪族の中には秦氏のように渡来人で日本の文化に同化した勢力があった。編集に携わったものの中にユダヤにルーツを持つ人物がいて、古代からの記憶の伝承を神話として編纂してゆく過程で、旧約聖書やギリシャ神話の物語を下絵として利用した可能性がある。

 最新のDNA鑑定によれば、日本人のDNAには世界でも稀な大きな多様性があるという。サピエンスはアフリカを出てレバント地方へ渡った以降、太陽が昇る方向をめざして東へ東へと歩き、最終的に日本列島まで辿り着いている。その2~3万年に及ぶ「グレイト・ジャーニー」の過程で、さまざまな民族のDNAがブレンドされて、最後に日本人のDNAが形成されたことになる。

 こう考えてくると、日本のユニークさは日本列島がユーラシア大陸の最東端に位置することに由来していることが分かる。その昔聖徳太子は推古天皇から隋の皇帝にあてた親書の中で、「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。」と書いた。これは出アフリカ後にサピエンスが世界に拡散した旅が、太陽の昇る方向をめざして東へ向かい日本列島に辿り着いた事実と符合するものであり、実際にユダヤ人を含む多様な民族が日本をめざして集まってきた歴史を認識した上で書き込んだものと考えられる。

 さらに、当時の日本には多民族の渡来者が結集していることによる多様性があることを踏まえて、統一国家を形成するにあたって、17条の憲法の冒頭に「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。」と書き込んだのかもしれない。

 日本列島は世界でも稀な自然豊かな国、四季の美しい土地である。多くの火山があり森があり里山がある。同時にユーラシア大陸の東端に位置することから、「太陽が昇る土地を求めたサピエンスのグレイト・ジャーニー」の結果として、最も多様なDNAを持つ民族が誕生したという「日本成立のミステリー」が姿を現してきたといえよう。今後のDNA解析が日本人の正体を解明することを大いに期待したい。

本項を書く上で参照した資料は次のとおりである。

資料1:「日本人の起源」、洋泉社MOOK、歴史REAL、2018.7

資料2:「聖地の条件:神社の始まりと日本列島10万年史」、蒲池明弘、双葉社、2021.8

資料3:「日本国史の源流」、田中英道、育鵬社、2020.10

資料4:「日本とは何か、日本人とは何か」、田中英道、ルネサンスVol.7、2021.5

資料5:「日本人の源流」、斎藤成也、河出書房新社、2017.10

資料6:「日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究」、Website

地球で起きた重大事件(1)

地球編

 宇宙の始まりと果てについては「奇跡の物語」として既に書いた。科学者でも専門家でもないが、公開情報をもとに、ここでは地球に起きた重大事件を「奇跡の物語」という視点から俯瞰的に書いてみたい。

 前編では「地球編」として、①太陽及び地球の誕生、②月の誕生、③海洋の形成、④酸素大気とオゾン層の形成、⑤超大陸の誕生と大陸移動、⑥地球磁極の逆転、⑦小惑星と隕石の衝突の7つを取り上げる。後編では「生物編」について書くこととする。

太陽及び地球の誕生

 太陽は、それ以前に存在し寿命を終えた超新星が爆発し吹き飛ばされた星間物質が再び収縮・合体して、およそ46億年前に形成された。超新星爆発を起源とする証拠は鉄よりも重い金属(金、ウランなど)が太陽系に多く存在していることにある。

 星間物質が収縮を始めてから1千万年程で原始太陽が誕生した。同時期に同じ星間物質から誕生した恒星(太陽の兄弟星)は1000以上あったという。実際にその恒星が二つ発見されていて、現在それぞれ地球から109光年と184光年のところに存在することが分かっている。

 地球誕生の物語はこうだ。地球は太陽の誕生から5千万年程後に微惑星が次々に衝突して誕生した。原始の地球は微惑星の絨毯爆撃による熱で融解しマグマの海となっていたが、2億年ほどの間に冷えて海洋や地殻が形成された。

 地球最古の岩石鉱物は44億年前のもので西オーストラリアで発見された。それは1ミリにも満たない「ジルコン」と呼ばれる粒子だが、ジルコン粒子はマグマから形成される鉱物であることから、この頃に地殻の形成が始まっていたことが分かった。さらに酸素の同位体の比率を分析した結果、水と反応していたことが判明し当時既に海があった可能性を示唆している。何とわずか1ミリの粒子からそんなことまで分かるとは誠に科学は偉大である。

月の誕生

 ところで月はどうして地球の衛星となったのだろうか。それを説明する仮説に「ジャイアント・インパクト説」がある。原始の地球に火星程(直径が地球の半分)の天体が衝突して、飛び散った岩石が重力によって再び結集して月が形成されたというものだ。但し地球と月の関係についてジャイアント・インパクト説では説明できない観測結果が一つあるという。

 それは、もしこの仮説が正しければ月の母体となったのは地球に衝突した天体ということになるが、一方アポロ計画で月から収集した岩石中の成分は地球のものとほぼ一致したというのだ。この矛盾を解明するために、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の研究チームはスーパーコンピュータを使ってシミュレーションを行い、巨大衝突が起きたときに地球の表面がマグマの海だったと仮定すると、月の岩石成分の問題を説明できることを立証した。以上が月誕生の物語である。

海洋の形成

 誕生直後の地球の表面は、微惑星の衝突エネルギーによる高熱で岩石が溶けたマグマの海に覆われていたことが分かっている。マグマの熱と大気中に大量に存在した二酸化炭素による温室効果で地表面は非常な高温となり、当時水は全て水蒸気として大気の中にあったようだ。

 その後2億年ほどの間に微惑星の衝突が減り、地表面の温度が下がって、やがて大気中にあった大量の水分が雨となって降り注いだ。それによってマグマの海は冷えて固まり44億年前に海が誕生した。その後も微惑星が衝突するたびに海は蒸発したが、38億年前頃には海が安定して存在するようになり最初の原始生命が海の中で誕生した。

 では水はどこからやってきたのだろうか。地球は水の惑星であり表面積の7割は海で、その深さは平均で3000mを越える。このように人間の視点から見れば海水の量は極めて膨大だが、地球の規模から考えれば重量比で僅か0.02%しかないのだ。

 地球の水は地球に衝突した小惑星などが運んできたとする考え方が現在の主流のようだ。水の分子を構成する酸素や水素が岩石の成分として組み込まれていて、衝突した時に分解して水が生成されたと推定される。微惑星が地球に衝突した数が膨大であれば、海水を作るに十分な水が供給されたことになる。そもそも気圧が低い宇宙空間に液体の水はなく、太陽に近すぎる地球の位置では氷が存在できないため、地球にはもともと水はなかったという。

 こうして海洋が形成されて海洋生物が繁殖する環境ができたのだった。

酸素大気とオゾン層の形成

 シアノバクテリア(藍藻)は25~30億年前に地球上に現れた、光合成によって酸素を発生する最初の生物だった。海洋誕生後の大気組成は二酸化炭素、窒素、水蒸気が主体であった。

 原始の地球の海に発生したシアノバクテリアは数億年以上をかけて光合成を行い、合成した有機物と酸素を海中に大量に供給した。光合成を始めた当初は、酸素はメタンやアンモニア、それと海水中の鉄を酸化することに消費された。やがて海中で吸収しきれないほどに酸素が供給されるようになると、溢れた酸素が大気中に放出されて大気の酸素濃度を急増させた。

 さらに、原始の大気には紫外線を吸収する物質がなかったので、地上まで強い紫外線が降り注いでいた。酸素濃度が上昇すると、高度10-50kmほどの成層圏にオゾン層が形成された。オゾン層によって有害な紫外線が吸収されるようになったため、それまでは海中でしか生存できなかった生物が陸上に進出して生物の多様化が一気に進んだ。

 5.4~5.3億年前に「カンブリア爆発」と呼ばれる生物種の大発生が起こったが、大気中の酸素濃度が上昇したことと紫外線を遮断するオゾン層が形成されたことがその背景にあると言われている。これが大気の生成と陸上生物が誕生した物語である。

超大陸の誕生と大陸移動

 ジルコン粒子の発見から、44億年前には既に海と陸が形成されたと考えられている。超大陸は20億年程前から4~5億年ごとに形成されたことが分かっている。ヌーナ超大陸が約19億年前、ロディニア超大陸が10-7億年前、ゴンドワナ大陸が6億年前に形成された。

 最も新しい超大陸パンゲアは2.9億年前頃に形成されたが、2.5億年前頃から分裂が始まって現在の6大陸に分かれた。2.5億年前には史上最大規模の生物の大量絶滅事件が起きており、パンゲア大陸の分裂が深く関わっているという。

 大陸移動は1年で数cmととても僅かな量だが、1億年の間には数千kmになる。大陸移動は現在も進行中で、現在全ての大陸はアジアに向かって移動していて、5000万年後にはオーストラリアが日本列島に衝突し、その後2~3億年後にはアフリカとアラビア半島に続き、アメリカ大陸もアジアと合体し、再び超大陸が形成されると予測されている。

 地震や火山が起こる原因は悠久の時間で移動する大陸にあり、大陸が移動するのは地球内部から熱エネルギーを供給されていることによる。核融合を行っている太陽とはメカニズムが異なるものの、地球も活動中の星なのである。

地球磁極の逆転

 ダイナミックな地球の動きには、もう一つ重要なことがある。それは地球の磁極の南北が反転する「磁極逆転」である。地球は巨大な磁石だが、それは地下2900kmほどの深さにある地球の外核の中を、強い磁性を持つ液体の鉄とニッケルが流動しているからだ。

 アメリカのナショナル・ジオグラフィック誌は2019年10月に「岩石に刻まれた記録から、5.5~5.6億年程前に平均で4万年に1回の頻度で磁極逆転が起きていて、ちょうどこの時期に生物の大量絶滅が起きている。さらに現在から過去2000万年の間には約20~30万年に1回の周期で逆転が起きていたが、最近の78万年には起きていない。」との研究成果を掲載した。

 またフォーブズ誌は2018年3月で「ここ数十年の間、地球の磁力は10年に5%ずつ弱まっていて、次の磁極逆転が近づいている可能性がある。」という記事を掲載した。地球の強力な磁場がバリアとなって有害な宇宙線が地表に降り注ぐことを防いでいるが、もし磁極が消滅すれば陸上生物は危険な宇宙線に被爆することになり、大量絶滅が起こる危険性がある。

小惑星・隕石の衝突

 地球が誕生した頃、惑星やその衛星、周回彗星や小惑星などが固有の軌道を形成しながら、太陽系全体の形と秩序が徐々に出来上がっていった。「エントロピー増大と秩序」について書いたように(Chronicle/401)、太陽系全体が主に重力作用によって形成された一つの秩序なのである。

 流れ星と異なり、地表面に落下する隕石は1913年~2013年の100年間に地球全体で600回以上確認されており、未確認のものを含む総数は年平均で40回程度あると言われている。隕石の多くは火星の外側の領域(小惑星帯)からやってくる。

 そして約6600万年前にはメキシコのユカタン半島に直径10-15kmの小惑星が衝突した。衝突時のエネルギーは広島型原爆の約10億倍といわれ、この衝突によって生物種の70%が絶滅し、恐竜の時代が終わったことが分かっている。

 大気や海洋、大陸の形成は地球初期の物語だが、磁極の逆転と小惑星や隕石の衝突はこれからも起こり得る、かつ新たな生物の絶滅を招く危険性があることを付け加えておきたい。

奇跡の物語(地球編)まとめ

 以上、地球に起きた7つの重大事件について書いてきた。これらの事件から地球の歴史を俯瞰すると、「奇跡の物語」と形容する他ない真相が二つ浮かび上がる。その一つは、地球環境の激変に翻弄されそのたびに絶滅の淵に追い込まれながら、生物は進化を繰り返して生命をつなぎ繫栄してきたことだ。現代に存在する全ての生物は、一つの例外もなく、絶滅の危機を乗り越えてきた生物の子孫なのである。

 もう一つは、より生存に適したものとなるように、生物が長い歳月をかけて地球環境を変えてきたことだ。その象徴的な存在がシアノバクテリアで、数億年以上の歳月をかけて現在の海洋と大気を作り「青い地球」を作ってきた。さらに、その後の植物の繁茂が地球を「緑の惑星」に変えてきた。

 サピエンスはその壮大なドラマの最後に登場した生物だが、サピエンスは地球環境の最大の利用者となり、環境汚染や温暖化が象徴するように、むしろ破壊者として振舞ってきたのではなかっただろうか。同時に、そのサピエンスが科学を発展させて地球46億年の歴史に封印されてきた「生命と地球の共進化」の物語を解明してきたことも事実である。 科学が解き明かした地球の「奇跡の物語」を、生命のバトンリレーの現役走者として、サピエンスはこれから地球とどう共進化してゆくのか、改めて知恵を絞る必要があると思うのである。

「奇跡の物語」を起こしているもの

宇宙を支配する法則

 宇宙は138億年かけて現在の姿になった。ビッグバンという宇宙の特異点と、原子の内部の振る舞いを除外して考えれば、宇宙は基本的に重力の法則と熱力学の法則に従って変化してきたといっていい。

 熱力学とは「熱や物質の移動やそれに伴う力学的な仕事について巨視的に扱う物理学」である。身近な例として蒸気機関車について説明すると、蒸気機関車は石炭を燃やして熱を発生し、水を沸騰させて水蒸気を作り、水蒸気がピストンを回して動力を生み出している。つまり、熱は仕事を行うためのエネルギーであることが分かる。

 熱力学の第一法則は『エネルギー保存則』として知られ、エネルギーの総和は変化しないというものである。そして第二法則は『エントロピー増大の法則』として知られ、「熱は温度の高い方から低い方へ流れてゆく」というものであり、これを「エントロピーは増大する」と表現している。

 平たく言えば、温度が低くなるほど分子の活動は鈍くなり、その結果分子の状態は秩序を失い乱雑度を増すということだ。そもそも温度とは物質内部の分子の運動の激しさを表す物理量である。

エントロピー増大と秩序化

 宇宙はその始まりから徐々に乱雑さが増大する方向に進化してきた。余談だが、宇宙はエントロピーが増大する方向にしか変化しないことが「時間は過去から未来へ一方向にしか流れない」ことを位置づけているという。

 宇宙には恒星が無数にあるが、太陽のような恒星は内部の核融合反応によって灼熱に輝いている。そして原料の水素を使い果たすと膨張して赤色巨星となり、やがてエネルギーを使い果たして恒星の残骸である白色矮星になって寿命を終える。ちなみに太陽が赤色巨星になるのは今から約76億年後と言われ、そのとき地球は巨大化する太陽に飲み込まれて消滅するという。

 生物はエントロピー増大の法則に抵抗している宇宙で唯一の存在である。我々が生きているということは、身体の各器官がそれぞれの機能を正常に果たしている状態、一言で言えば身体が秩序ある状態に維持されていることに他ならない。

 人間社会には、秩序化とエントロピー増大という二つの作用が混在している。常にエネルギーを注ぎ込んで秩序を維持しようとしない限り、社会の乱雑さは容赦なく増加してゆく。定期的に整理整頓と掃除をしなければ家の中はやがてゴミと埃だらけになってしまうことと同じである。整理整頓することが秩序化であり、ちらかるのはエントロピーが増大した状態である。

局所的なエネルギー

 では自然界で秩序化をもたらす力は何だろうか。地殻変動や地震、火山の噴火、台風等の自然界のエネルギーは、国土に大きな被害をもたらす一方で、自然環境が秩序を維持する上で必要なエネルギーを提供しているとも言える。

 日本に四季があるのは地球の公転運動のお陰であり、昼夜が存在するのは自転運動のお陰である。地球が公転と自転をしながら、太陽からのエネルギーが注ぎ込まれていることが、四季や昼夜という秩序を維持しているメカニズムである。

 また陸地と海洋、大気というふうに地球環境が区分されていることが、生物に活動できる環境を与えている。陸地には火山活動があり、海洋には潮流があり、大気には気流があって常にエネルギーが供給されている。

 太陽エネルギーに加えて、地球の公転・自転という運動エネルギーと地球内部から熱エネルギーが供給されていることが地球の秩序を維持しているのだ。

生物の誕生

 では、生物はどのようにして誕生したのだろうか。生物起源については諸説ある。熱い初期の地球環境の中で、長い時間をかけて無機物から有機物が自然に作られて、さらに有機物どうしが反応して生命が誕生したという『化学進化説』を始め、最初の生命は宇宙からやってきたという説、深海熱水孔や地下の生物圏で発生した説などである。

 宇宙由来説を除くその他の仮説の何れもが、初期の地球環境において有機物がスープ状態に溶けた中から生物の原型が偶然生まれたと考えている。より単純な物質から複雑な化合物が合成されるという過程は、エントロピー増大の法則に逆らうプロセスである。素材となった無機物に地熱や太陽光などのエネルギーが供給されて、高度な化合物を合成させた(秩序化)ことになる。

 もう一つ生物には不思議な秩序がある。それは、現在地球上に存在する全ての生物が共通の遺伝の仕組みを持っていることだ。遺伝情報物質はDNA(デキシオリボ核酸)、遺伝情報の転写と翻訳を司る物質はRNA(リボ核酸)と呼ばれる。初期の地球には多様な有機分子が存在していたと考えられるが、自己複製を可能とするメカニズムを備えた「核酸」という複雑な有機化合物が安定的に合成されるようになった謎は未だ解明されていない。

 また生物は進化の方向に一直線に進んできたわけではない。遺伝は進化も退化もある試行錯誤のプロセスであり、環境の変化に適合するように変化したDNAだけが生き延びてきたのだ。そして生き残ったDNAをもとに次の試行錯誤が起こり、それが繰り返されるというプロセスによって、全体として生物は進化してきたのである。

 生物の進化を振り返れば、初期の原始的生命体からサピエンスが誕生するまでの38億年の全体像は、多様性の拡大と高等生物への進化だったと俯瞰できるだろう。そしてその進化をもたらしたのは地球環境が提供した様々な熱エネルギーだったのだ。

人間社会の秩序

 社会も国家も国際社会も、秩序が維持されているが故に存続してきた。人間社会に局所的なエネルギーを供給しているのは人間が行う仕事である。また近代においては、新たなテクノロジーの登場が人間社会の進化を促進してきた。

 テクノロジーの進歩には停滞も終わりもない。従って、社会も国家も国際社会も、何れのシステムも未だ発展途上にあるといっていい。

 今後人間社会が維持発展してゆくためには、秩序を維持することを必須条件として、その上で最新のテクノロジーを道具として活用し、社会や国家、国際社会のシステムのイノベーションを推進してゆく必要がある。地球環境が提供するエネルギーを利用している生物の進化と異なり、人間社会の秩序は人間の仕事によってしか維持させることができないのだ。

奇跡の物語を俯瞰する

 宇宙は138億年前に誕生した。宇宙には銀河系に相当する星の集団が1兆以上あり、銀河系には太陽に相当する恒星が1000億以上あるという。

 太陽は銀河系の端に位置し、約45億年前に誕生した。太陽系には8つの惑星があるが、大地と海と大気がある惑星は地球だけである。

 その地球に生命が誕生したのは約38億年前であり、激変する地球環境に翻弄されながら、生物は絶滅と進化を繰り返した。

 約700万年前に人類の祖先が出現し、約20万年前に現代人の祖先であるサピエンスが登場した。約7万年前にサピエンスの中の集団はアフリカを出て、世界中に拡散し、やがて現代の各民族の祖先集団が生まれた。そしてサピエンスは3~4万年前に日本列島にやってきた。

 サピエンスは、火山活動などの天変地異、氷河期を含む気候変動、さまざまな自然災害や飢饉という困難を乗り越えて、1000世代以上に及ぶ世代交代を重ねて歴史を刻み、やがて現代社会を築いた。

 このように、宇宙誕生からサピエンスに至る歴史を大きく俯瞰してみると、その一つ一つが悠久の時間に展開された荘厳な「奇跡の物語」なのだという事実に思い至る。

 「奇跡の物語」はもう一つある。それはサピエンスが、宇宙や地球を舞台として起きた「奇跡の物語」を解明する能力を獲得したことである。どんなに立派なドラマであっても、それを理解する観客がいなければ、物語の存在も、時間の流れさえもないに等しいからだ。

 そういう理解に立つとき、現代を生きる我々は皆、「奇跡の物語」のバトンを受け継いだ現役の担い手なのだという重要な事実に思い至る。人生は長くても百年であるから、それは宇宙史138億年における、ほんの一瞬の主役ということである。