怒りを取り戻す:GDP4位転落

 2月15日に内閣府が2023年の国内総生産(GDP)の速報値を発表した。経済規模をそのまま表す名目GDP値(ドル換算)でドイツに抜かれて世界第4位に転落したニュースが日本を駆け巡った。内閣府が公表した主要なデータは以下のとおりである。

本稿を書くにあたり、参照した資料は以下のとおりである。

資料1:産経新聞、2月16日記事

資料2:「GDPがドイツに敗れて世界4位に転落したワケ」、高橋洋一、現代ビジネス、2024.2.19

 ・日本のGDP(2023年) :名目591兆4820億円、実質558兆7156億円

 ・日独比較(名目、ドル換算) :日4.21兆ドル⇔独4.46兆ドル

 ・同(人口)                                         :日1億2443万人⇔独8482万人(日本の68.1%)

 ・同(GDP/人、名目)           :独4.87万ドル⇔日3.41万ドル(ドイツの69.9%)

 「GDP世界4位に転落」に関する報道は、その他のニュースにかき消されて、「大変だ、大変だ」と連呼しただけで、直ぐに忘れ去られていった感がある。「今後の為替レート如何で直ぐに再逆転する可能性もある」という楽観論もある。何れも的を外していると言わざるを得ない。この事件の背景には戦後政治に係る非常に重要なポイントが隠れているからだ。

 はじめに政府や産業界の反応を見ていると、「今年の春闘でどこまで賃上げできるかが大事だ」と問題のすり替えが行われている。これは自民党のパーティ券問題が、本質は政治資金の問題であるにも拘わらず、いつの間にか「派閥解消」へ見事にすり替えられた構図と同じである。

 結論を先に書くと、「GDP転落」事件の本質は次の2点に要約される。以下に順次説明する。

1)春闘の賃上げに矮小化される問題ではなく「失われた30年」以降今も続く経済政策の失敗の問題である

2)背景に「我慢強く怒らない日本人」の文化があり、それが日本の弱体化を抑止できなかった原因に一つである

「GDP転落」を物語るデータ

 ここでは細部構造に立ち入らずに俯瞰的な分析を試みる。はじめに日独GDP(名目値)の推移を図1に示す。

<日本経済の推移の全景>

 日本のGDPの推移をみると、1980年~1995年~2012年~現在の3区間で動向が明らかに変化していることが分かる。つまり1980年~1995年が高度成長期で、1995年をピークとして「失われた30年」が始まり、2012年に歴史上のピークを記録した後、急激に失速して現在に至る変化である。

<日独比較>

 まず1995年と2012年の二つのピークを基準として、ドイツのGDPと比較してみよう。1995年に日本のGDPはドイツの2.14倍の規模があった。2012年にはそれが1.78倍にまで縮小したものの、両国のGDPにはまだ大きな開きがあった。

 それを1995年から2023年に至る変化でみると、日本のGDPが23.7%減少しているのに対して、ドイツは逆に71.1%増大している。この結果2倍強の圧倒的な開きがあったGDPが28年間で逆転したのである。問題は何故そんな逆転劇が起きたのかだ。

<円安の影響>

 第一に疑われるのは円安である。GDPの国際比較はドルベースで行われるので、為替レートに直結して変動する。図2に円とドルの為替レートの推移を示した。

 図2から明らかなように、円高のピークは二つある。1995年と2012年であり、GDPのピークと一致している。GDPがドル換算されるので当然の結果である。

 次に、二つのピークから現在に至る為替レートの推移をみると、1995年→2023年では46.4円、2012年→2023年では60.7円もの急激な円安が進んだことが分かる。この結果2023年のドル換算のGDP値は、1995年比で67.0%に、2012年比では何と56.8%に縮小したのである。

<経済成長の実相>

 図3は経済成長の実勢をみるために、ドル換算前の実質GDP(円)の推移を描いたものだ。実質値は名目値に対して物価変動の影響を補正した値である。

 マクロな推移としてみると、1994年~2023年の間にGDPは年3.4兆円ずつ直線的にかつ緩やかに増加してきたことが分かる(オレンジ色の直線、最小二乗法近似)。但し成長率でみると、これは年0.6~0.7%程度で、決して褒められた数値ではない。

 参考までに2022年の世界の実質GDP伸び率を示すと、アメリカ2.1%、イギリス4.1%、ユーロ圏3.3%、先進国2.6%、世界3.5%だった。ザクっといえば日本の経済成長はアメリカの1/3、ユーロ圏の1/5、先進国平均の1/4程度だったということだ。「失われた30年」と言われる理由がここにある。

<失われた30年の原因>

 では図3で経済成長が低迷した要因は何だったろうか。外的要因と内的要因を分けて考える。まず外的要因では世界規模の重大事件が二つ発生している。第1は2009年9月に発生したリーマンショックであり、第2は2020年初から始まったコロナパンデミックである。何れも図3の二つの大きな落ち込みと合致しており、その原因となったことは明らかである。但しこの事件は世界レベルの事件であり、日本が直撃を受けたものではない。従って長期に及んだ「失われた30年」の原因ではない。

 一方、内的要因としては三度実施された消費税増税がある。増税は次のように行われた。第1弾は1997年4月に実施された3%→5%へ、第2弾は2014年4月に実施された5%→8%へ、そして第3弾は2019年10月に実施された8%→10%への引き上げである。図3が示すように、増税は急激な落ち込みをもたらしてはいないが、経常的に内需が不足しているデフレ下で、国民の可処分所得を強制的に削減させたことから、長期的かつ慢性的な悪影響を与えたことは明らかである。

 大蔵省OBで『官僚国家日本を変える元官僚の会』の幹事長を務める嘉悦大学大学院の高橋洋一教授は、「失われた30年」をもたらしたもう一つの原因として「デフレ下での慢性的な公共投資の過少」を挙げている。「毎年の公共部門の過少投資は、民間投資の呼び水としての役割を果たさず、国土強靭化も進まず、低金利という絶好の投資機会を逃した。」と手厳しく指摘する。

GDP4位転落問題の本質

 高橋教授は、GDP転落の本質的な原因について、次のように総括している。

・大恐慌以降、金本位制に代わって管理通貨制度が構築され、ケインズ経済学による有効需要創出が普及した結果、インフ レは多いがデフレはなくなった。唯一の例外が「日本の失われた20年」である。

・(失われた20年は)財務省と日銀という強い権限を持つ官僚機構、マクロ経済の専門知識の欠落、それに官僚の無謬性によって、誤った政策を長期間続けた結果である。

 難しいことは言わずとも、以下の二つの事実から、日本が長期にわたって、そして現在もなお誤った経済政策を続けてきたことは明白である。

・30年経ってもデフレからの脱却を果たしていない。

・長期デフレ状態に埋没しているのは、大恐慌以来世界で日本のみである。

 では具体的に、どこをどう誤ったのかを指摘しておきたい。

1)デフレは民間需要の減少であり、デフレから脱却するためには内需を喚起する必要がある。そのためには可処分所得を増やす減税こそ有効な政策であるにも拘らず、また欧米はマクロ経済の原理原則に従って躊躇なく減税を行うのに対して、日本政府は消費税増税を繰り返した。これは致命的な自滅行為だった。

2)民間消費・投資が減少する状況下で経済成長を実現するためには、<GDPの定義に従って>積極的な公共投資を行い、政府消費を増大させることが正しい政策である。ところが政府はプライマリーバランス(PB)の追求を優先して終始積極財政政策をとらなかった。経済成長とPBは同時に実現できない二律背反の命題であり、経済成長を軌道に乗せるまでPBは棚上げすべきだったにも拘わらず、政府は「二兎を追うもの一兎をも得ず」の誤った政策を繰り返してきた。

3)もう一つ忘れてならないのは、戦略なきエネルギー政策が国民のエネルギー負担を重くしたことだ。要点は二つある。一つは急ぎ過ぎた「発電の脱炭素化」であり、他一つは「原発」忌避である。前者は世界の潮流におもねり、後者は国民感情に忖度した結果であることは言うまでもない。その結果年間2.4兆円もの賦課金を国民に課した。これは国民一人当たり2万円/年の増税と同じであり、今も続いている。

4)最後に挙げる理由は、日本固有の文化に係る問題である。一つは日本が「誰も責任を取らない」社会であること、他一つは日本人が「我慢強く怒りの声をあげない」気質であることだ。

総括

 世界にあるのが日本一国で、かつ日本が社会主義の国であるならば、経済成長は必ずしも必要ないだろう。しかし現実は世界が競争の場であることと、国力の要素が国土と人口、経済力と軍事力であることを勘案すれば、力強い経済成長は国家にとって最優先かつ最重要の必達命題であることは自明の理だ。現実はどうだったか。図1及び図2が如実に示すように、結果から判断する限り、政治家においてこの認識が充分ではなく、官僚は国益よりも省益を優先してきたことが明白である。高橋教授が指摘するように、政治家も官僚もマクロ経済を正しく理解していないという他ない。

 「GDP転落」のニュースが国民にとって衝撃的だったのは、日本が1995年以降、世界との競争においてじり貧となってきた現実を再認識させられたことだ。この期間に三重の意味で「日本の弱体化」が進んでいる。第一に他の先進国に先んじて人口減少が顕在化した。第二に日本だけが「失われた30年」で経済力を弱体化させた。そして第三に、トドメを刺すかのように、2012年以降11年間で1ドル=約80円から60円も、率にして実に76%も急激に円安が進んだ。

 円安は輸出等、業種によって国際競争において有利に作用することは事実だが、ドル換算の世界では国力低下以外の何物でもない。「国力が強い国の通貨は強い」ことを忘れるべきではない。既に分析してきたように、ドイツとのGDP逆転の第一の要因は行き過ぎた円安にあることは明らかだが、急激な円安をもたらした主要因が「失われた30年」にあることも自明である。

 そして「失われた30年」の原因は誤った経済政策を続けてきたことにある。では誤った経済政策を続けてきた原因は何処にあるのか。ここを正さない限り、日本が強い経済を取り戻すことは困難と言わざるを得ない。マクロ経済を理解しない政治家、国力最大化を追求しない官僚、減税を拒否し「隙あらば増税」を画策してきた財務省の責任は極めて重いと言わざるを得ない。

 もう一つ根深い問題がある。それは「怒りを忘れた日本人」である。「日本の弱体化と国民の貧困化」をもたらした政治責任を追及する怒りの発露がない。日本は民主主義の国であり、政治家や官僚の責任を追及するのは国民の役割でもあるのだが、他の先進国と比べて日本では政治を政治家と官僚に丸投げしてこなかっただろうか。我慢強い国民性が「失われた30年」を黙認してきたとも言える。国民が沈黙しているが故に、マスコミも官製報道に終始してきた側面がありそうだ。

 現在メディアを賑わしているのは、自民党のパーティ券を巡る政治資金問題である。与党も野党も、盛んに「国民の納得が得られない」と言うが、国民の一人として国民の真の怒りはそんなところにはないと断言しよう。そのようなスキャンダルの話題など、議事堂の片隅の部屋でさっさと解決してくれればいいのであって、激変する国際情勢の中で、連日大騒ぎする重大事では断じてない。

 この資料で取り上げたのは「日本の弱体化と国民の貧困化」に関わる問題である。単純に金額で比較すれば、パーティ券の事件よりも優に5桁以上も大きな日本国の富の損失に係る問題である。このことを肝に銘じた上で、与党も野党も「GDP転落」問題の本質を追究して、是正策について国民の前で論戦を戦わせてもらいたいものである。それこそが政治家の使命である筈だ。

 この記事を書いている2月22日、日経平均株価が史上最高値を更新したというニュースが流れた。そのこと自体は悪いニュースではないが、たった1週間の内に流れた二つのニュース、「GDP転落」と「株価史上最高値」には大きな乖離を感じざるを得ない。

 GDP転落は長期動向であり、現在に至る日本経済の実力を反映したものだ。それに対して株価高騰は「株価は期待先行で動く」の格言通り、中国市場から資金を引き揚げた国際投資家が資金を日本に投入した結果である。日本経済の実力を反映したものではないから、バブル期のような高揚感がないのである。それが乖離の正体である。

 デフレからの完全脱却を果たし、「失われた30年」にピリオドを打ち、円高を取り戻すまでの道のりはこれからが正念場である。GDPを押し上げる大きな潮流を作り出すことが出来なければ、株価高騰はマネーゲームで終わる。「日本弱体化と国民の貧困化」の現実は相当深刻と認識すべきである。

国力を取り戻す

1.転換点

 第二次世界大戦が終結した以降の戦後史を振り返ると、1989~1991年にはソ連邦崩壊と日本のバブル崩壊が起きており、世界的にも日本としても戦後の転換点だった。そしてソ連邦崩壊を契機として、主役が交代するように中国の台頭が始まった。以下に述べるように、「世界大乱の始まりの年」である2022年は、戦後第二の転換点として歴史に記録されるだろう。

 ロシアによるウクライナ侵略戦争が半年に及び、今年も残り4カ月となった。2022年の大乱はウクライナ戦争から幕を開けたが、これは大乱の第一幕である。本丸はアメリカと中国である。既に米中冷戦は始まっているが、現在米中は共に政治・経済の両面で混迷を極めている。

 一方、日本の戦後史は、憲法を盾にして「経済重視・軽装備・協調外交」方針に基づいて破竹の勢いで経済成長を遂げた前半の45年と、バブル崩壊以降の後半の「失われた30年」の二つに分けて捉えることができる。そして2022年は日本が再び低迷を脱して世界の舞台で活躍する転換点となるだろう。

2.高インフレと資産バブルが進むアメリカ経済

 FRBのパウエル議長は9月2日に、「家計や企業に痛みを伴っても、インフレ抑制のため金融引き締めを続ける」決意を表明した。アメリカでは資産インフレが消費者物価の急騰を促している側面があり、不動産価格が高騰して株価は最高値圏にある。そのためにFRBがインフレ抑制対策として金融引き締めを断行すれば、同時に資産バブル崩壊を招く危険性がある。

 資料1は、今のアメリカはバブル経済の時の日本にそっくりだという。但し決定的に異なる点が一つある。それは日本のバブルでは円高が急速に進んだために輸入物価を引き下げるデフレ効果が働き、消費者物価は極めて低かった。言い換えれば、日本のバブルでは資産インフレという強烈なインフレ要因を、円高という超デフレ要因が相殺していたことになる。

 これに対して現在のアメリカではドルは急騰しておらず、インフレ要因を相殺するデフレ要因が存在しない。アメリカのインフレの一因は「ドルの刷り過ぎ」にあるので、過剰にばら撒いたお金を回収しないことにはインフレは収まらない。FRBの金融政策はこの意味で、諸刃の刃となるだろう。

※資料1:「バブル崩壊は再び襲ってくる、今のアメリカはバブル崩壊前の日本にそっくりと言えるワケ、お金の刷りすぎで”ジャブジャブ”の異常事態」プレジデント・オンライン、2022.8.28

3.「溢れたドルの宴」の終焉

 今やインフレ対策は世界的な最重要課題となってきた。今回のインフレは直接的にはエネルギーや食料価格の上昇が原因であるものの、主要国の大規模な量的緩和等、複数の要因が複雑に絡んで起きている。

 FRBによる金利引き上げは、ドルのアメリカ回帰を促進するため、世界不況の引き金となる恐れがある。量的緩和政策の結果、溢れたドルが世界中に流通して宴を提供してきたのだが、それが逆流することになる。パウエル議長の決意表明は、宴の終わりを告げる号砲となるだろう。

 それにも拘らず、FRBが断固として金利の引き上げを進める背景には、もっと長期的な狙いがありそうだ。資料2によれば、金利引き上げの真の目的は、1970年代にアメリカが経験した高いインフレを伴う長期的な経済の弱体化を回避することにあるという。高インフレの経済では景気循環が非常に激しく起こり、好景気と景気後退が繰り返される。FRBはアメリカ人の長期的な繁栄のためには低インフレが必要なことを理解しているのだという。

※資料2:「インフレ対策は消費者支援のためではない、米FRB政策の真の目的とは」、フォーブズ・ジャパン、2022.9.5

 さらに資料3は、今回のインフレの背景に、長期的なイノベーション停滞が関係している可能性があると示唆する。1970年代にアメリカを襲ったスタグフレーションで、アメリカは長期的な生産性の伸び悩みという問題に直面した。背景にはイノベーションの問題が関わっていた可能性が高いという。

 イノベーションの停滞による成長の限界がインフレの正体であるとすると、これは歴史的・構造的な問題であり、世界経済が数十年に一度の大きな転換点に差し掛かっている可能性が示唆される。この仮説が正しければ、新しいイノベーションが登場して次の成長フェーズに入るまで、抜本的な解決にならない可能性もある。

※資料3:「一筋縄ではいかないインフレ対策、世界経済にいま何が起こっているのか?」、加谷珪一、JBPress、2022.9.5

4.バブル崩壊から経済破綻に向かう中国経済

 一方中国経済は、2020年9月に不動産大手の恒大集団が経営危機で注目されるようになってから、中国政府が強制的にバブル崩壊を食い止めている状態にある。現在では資金繰りが悪化した不動産開発会社がマンションの工事を中断し、購入者がローンの返済を拒否する事態に発展しているという。

 資料4によれば、中国金融当局は不動産開発の上位50社に資金を提供してきた国有の不良資産受け皿会社(バッドバンク)4社に対して、財務が脆弱な不動産開発企業の再編、不良債権の購入等を要求してきたが、好況時には100兆円を超える融資をしてきたバッドバンク自体が今では巨額の貸し倒れを抱えて救済を待っているという。

※資料4:「中国バッドバンク、不動産危機救えず-評価損抱え救済待つ」、ブルームバーグ、2022.8.30 

 バッドバンクの一社の今年上半期決算は189億元の赤字(前年同期は1.6億元の黒字)だった。他の一社は昨年の純損失が86億元(前年は21億元の黒字)だった。しかしながら不動産業界が抱える不良債権の額はけた違いであり、本格化するのはこれからである。(※1人民元=約20円)

 田村秀男は『金融危機に発展の恐れも』と題した8月28日の産経のコラムで、「今季前半の中国の経常収支黒字が1690億ドルだったにもかかわらず、外貨準備は1790億ドル減少した。合計で3480億ドルの資本が外部に流出したことになる。」と報じている。外国投資家が保有する債権が3月に売り越しに転じていて、3月~7月までの合計で836億ドルに達したことと、これに中国の既得権益層が同調して大規模な資本逃避が起きたことが背景にあると分析する。

 さらにその深層には米中金利差の拡大があり、今後もFRBが金利引き上げを継続すれば、資本逃避はさらに加速することが予測され、ドルに対する人民元相場が一層下落し、金融危機へと発展しかねないと警告する。

 その上で田村秀男は、今回の危機は資本逃避に留まらず、金融危機、経済の全般的混乱へと発展する可能性に言及している。リーマンショックが起きた時にFRBは大規模な量的緩和策を行ってくい止めた。もし中国でリーマンショック級以上の混乱が起きた場合、外貨準備に連動して人民元を発行しているため、外貨準備が激減している現状では量的緩和策をとることができず、潰れる不動産開発企業や金融機関を救済できないことになる。

5.「財源の壁」:日本経済

 令和5年度の概算要求は、過去最大だった令和4年度と並ぶ110兆円規模になるという。令和5年度の概算要求基準は、自民党内の積極財政派に配慮し、防衛費や脱炭素化、物価高騰対策といった重要政策について、必要額を示さずに項目だけを記載する「事項要求」を認めた。このため、防衛費は過去最大の5兆6000億円を計上する他に、事項要求が100項目ほどあり。最終的な予算額は前年度よりも1兆円ほど多い6兆円台半ばに拡大する見込みであるという。

 最終的な金額が幾らになろうが、予算編成の段階では、「財源をどうするのだ」という議論になることは明らかである。この「財源の壁」を克服できなければ、「防衛費を大幅に増大する」と言ってみたところで絵に描いた餅になるだろう。税収が増えない限り、財源は国債頼りとなり、財政悪化を容認するのか、それとも増税するのかという二者択一論に陥るだろう。この思考プロセスにはまれば、日本はいつまで経っても「失われた30年」というジリ貧のスパイラルから脱出することはできない。

6.失われた30年の総括

 『円安から日本を考える』(https://kobosikosaho.com/world/690/) で既に引用したように、「失われた30年」は日本の経済成長が止まった30年間をいう。図が如実に示すように、1995年以降日本は殆ど経済成長していない。1995年~2020年の四半世紀の間に、アメリカのGDPは2.7倍に増大しているのに対し、日本は9%減少した。つまりこの間に日本はアメリカの1/3に貧しくなったのであり、もしアメリカと同等の経済成長を遂げていたなら、GDPは3倍になっていたことになる。

 資料5はデフレの30年間で日本が失った富を数値で分析している。主なものを表にした。

 このデータからは多くのことが読み取れるが、ここでは日本は何を失ったのか、何が起きたのかについて俯瞰してみたい。

 資料5は、「失われた30年」を、「バブル崩壊によって土地や株の価格が大きく下落し、個人は預金や現金で資産を保全し、企業は内部留保で蓄え海外に資産を移してしまった。さらに、この30年間のデフレ経済で、貧困と格差を生み出し、力強い経済成長力を失い、莫大な財政赤字を抱えてしまった。」と総括している。一つ確かなことは、資産を海外に移し、内部留保を増大させてきた企業にも相応の責任があることが明らかである。

※資料5:「喪失した富、デフレ30年の何とも重い犠牲」、東洋経済オンライン、2022.8.31

 ここで改めて考えてみたい。「失われた30年」は何故未だに克服できないのだろうか。政治に何が足りないのか。或いは日本人の致命的な欠陥が何かあるのだろうか、この原因について洞察を加える必要がある。思い浮かぶのは、「専守防衛マインド」、専ら守るばかりで攻めようとしない、戦略をもってゲームに挑もうとしない国民性だ。攻めない故に戦略はゴッコにしかならない。一例を挙げれば、日本学術会議の防衛研究拒否を容認したまま、幾ら立派な文言の「科学技術イノベーション戦略」を策定してみても、意味がないということだ。そのような画竜点睛を欠いた戦略では、世界との競争に勝てないばかりか、国際協定など平気で反故にする中露を相手に戦略ゲームを挑むこと等できはしない。

7.アベノミクスの総括

 9月3日の産経は『経済6重苦打開も続く停滞』と題した記事の中で、アベノミクスを総括している。それによると、第二次安倍政権が登場する前の日本経済は、6重苦状態で産業空洞化が進んだ。6重苦とは、①超円高、②法人税高、③経済連携協定(EPA)の遅れ、④労働市場の硬直性、⑤環境規制、⑥電力不足とコスト高である。

 アベノミクスはこの状況を変えたものの、「三本の矢」の内、財政政策は二度の消費税増税でむしろ緊縮気味となった。成長戦略はむしろ規制緩和によって非正規労働者を増加させ、所得格差が拡大した。日本人の平均給与は今も30年前とほぼ横ばいの状況が続く。足元ではウクライナ侵攻による物価上昇も加わって生活レベルはむしろ低下しているという。

 アベノミクスの評価には様々な視点があって然るべきだが、「失われた30年」から脱出できたのかという総括的な指標から判断すれば、明らかな失敗だったという他ない。そしてアベノミクスの失敗は、消費税増税を敢行したことに尽きる。成長と財政健全化の二兎を追ったために双方が中途半端になったのだ。安倍元首相は消費税増税に反対だったにも拘らず、それが民主党政権下での三党合意だったために抗しきれなかったのだという。

 問題は安倍首相でも消費税増税を拒否できなかったのは何故かという点にある。三党合意があったからというのは理由にならない。総理大臣という地位にあって、「失われた30年」からの脱出に強い意思を固めていたのであれば、かつ消費税増税は誤りだと理解していたのであれば、三党合意など堂々と破棄してでも意思を貫くべきだったと思う。

 それをしなかったのは何故だろうか。その理由にこそ重要なカギが隠されている。歴史上最長の政権であったにも関わらず、しかも在任中あれほど「戦後レジームからの脱却」とそのための憲法改正を主張しながら、目立った進展がなかった理由がここに隠れている。批判を恐れずに言えば、それは「国家戦略と遂行意思の欠如」に帰着する。

 与野党間に留まらず、与党内、さらには自民党の内部において、戦略よりも政局を優先し、強い意思の発動よりも合意を是とする政治風土こそが、できなかった原因ではないだろうか。かつて小泉首相が優勢民政化を前にして「自民党をぶっ壊す」と宣言したことがあったが、本音であれ演技であれ、危機に臨んでは、意思をもって信念を貫く強いリーダーシップが求められるのだ。

8.日本の対中自律性と中国の対日脆弱性

 9月29日で日中国交50周年を迎える。櫻井よしこは「この半世紀、基本的に日本側は政財界共に前のめりで中国を支え、結果として中国に騙されむしり取られた」と総括している。この通りだろう。古森義久が2020年12月に『日本の対中政策の無残な失敗』と題した記事を書いていることは既に紹介した。(https://kobosikosaho.com/daily/485/)

 資料6で、細谷雄一は『狭まる日本の対中自律性』と題した興味深い記事を書いている。「日中正常化から50年を迎えるが、この間に、日中関係を規定してきた環境は大きく変容し、日本が自律的な対中政策をとる余地は大幅に縮小した。環境の変化は、①日中、米中の軍事的バランスの変化、②中国の対外環境の変化、③経済政策である。三つの環境の変化から中国には日本に接近するインセンティブは殆どなくなった。」と洞察している。

 その上で、「日本は中国の対日脆弱性を強化する必要がある。数少ないテコとなるのは民間企業の経済活動だ。経済的手段で他国に影響力を行使し、自国の利益を得るエコノミック・ステートクラフトの手法が重要となる。」と指摘する。

※資料6:「狭まる日本の対中自律性」、細谷雄一、産経、2022.8.30

 「日本の対中自律性」と「中国の対日脆弱性」という概念は、誠に核心を突いた表現である。「中国の対日脆弱性」を高めるためには、手段を論じる前に、中国を封じ込める対中戦略を明確にすることから始める必要がある。過去に中国に関わるさまざまな政府文書が作成されたが、中国に配慮して主語や対象に「中国」を明記しないものが多かったことは事実だ。中国を最大の脅威と明確に位置付けた上で、必要十分な対策を講じるのでなければ、戦略にはならない。

 中国に対する戦略を考える上で重要な要点は、中国の強みも弱みも専制主義国家にあることだろう。少なくともソ連邦崩壊後の30年において、強みが如何なく発揮されてきたことは事実である。しかし2019年10月に行われたトランプ政権のペンス副大統領演説を転換点として風向きが反転したのである。近年では中国の国内外において、専制主義国家であることの弱みが随所に現れてきた。

 分かり易い事例を二つ挙げよう。一つはゼロコロナ政策による執拗なロックダウンであり、他一つはIT企業潰しである。どちらも経済よりも習近平主席の面子を優先したものであることは明らかだ。対中戦略において重要なことは、戦略の要諦が相手の最大の弱点を攻撃することにあることを肝に銘じることだ。

9.国力を取り戻すために

 2022年は世界大乱の始まりの年と書いた。この大乱を乗り切るために、日本は何をすべきだろうか。「失われた30年で日本が喪失したもの」を一言で表現すれば、それは「国力」であろう。戦後75年の間に喪失した国力を取り戻すことが何よりも優先する命題である。

 安倍首相が凶弾に倒れた以降、永田町では統一教会に議論が集中しているが、現在世界は大乱の真っ只中にある。はっきり言って統一教会などどうでもよいのだ。迫りくる有事や国益を横において、政治家が統一教会の議論に没頭する様は、見るに堪えない惨状という他ない。

 安倍元首相は終始「戦後レジームからの脱却」を唱えていた。戦後史を俯瞰的に眺めると、戦後レジームを単に憲法改正と安全保障に関わる問題に留めるべきではないことが分かる。それは世界の大乱前夜にして、戦後「経済重視、軽武装」でやってきた路線の転換であり、「失われた30年」からの跳躍であり、「ダチョウの平和」で世界を見てきたメンタリティへの訣別として捉えなければならない。

 そのためには発想を大胆に転換することが重要だ。2022年現在、既に述べてきたように米中経済は資産バブル崩壊の危機に瀕している。対応を誤れば、FRBの金利引き上げによって世界同時不況に陥る危険性もある。一方の日本はどうかと言えば、失われた30年から本気で脱却する大転換点を迎えている。米中は政治経済両面において崖っぷちに立っている。混乱と衰退に向かう両国とは逆に、日本が再び活力と自立性を取り戻して世界の課題解決に貢献することを考えるべきだ。そのためには大胆に視点を変えることだ。そのヒントは国力の方程式にある。

 国力の方程式については、他のコラムで何度か紹介してきたが、米CIA分析官だったレイ・クラインが1975年に提唱した国力の方程式は以下のとおりである。(https://kobosikosaho.com/daily/485/

   国力=(人口・領土+経済力+軍事力)×(戦略目的+国家意思)

 国力を取り戻すことの第一は経済成長を取り戻すことである。先のグラフに示したように、日本がもし1995年からの四半世紀において、日銀が目標としていた年率2%のGDP成長を成し遂げていたならば、GDPは1.64倍に増大していたのであり、財政赤字も「財源の壁」も問題にならなかったのだ。

 日本は長期トレンドとして、少子高齢化に伴い社会保障費が増加してゆく過程にある。短期トレンドとしては安全保障環境の激化に伴い、防衛費は急増する過程にある。この状況を踏まえて考えれば、歳出を賄える経済成長を果たす以外に活路はない。安定的な経済成長を実現することこそが国力を取り戻す一丁目一番地である。「財源の壁」という脅しこそが衰退国へ転落させる誘惑であることを肝に銘じる必要がある。

 政府はまたGDP比2%相当まで防衛費を増加することを内外に宣言し、反撃能力の保有を決定した。改めて注目すべきことは、成長経済を実現すれば、防衛費は仮にGDP比一定でも増加してゆく事実である。この意味からも主要国に引けを取らない経済成長を続けてゆくことが死活的に重要なのだ。

 さらに、日本がこの方程式に最も学ぶべきことは、「戦略目的と国家意思」の重要性である。日本が「失われた30年」から未だに脱出できずに膨大な富を失ったことも、アベノミクスが目的を達成できずに失敗したことも、原因は「戦略目的と国家意思」の欠如にあったように思える。

円安から日本を考える

FRBの金融政策転換が起こす危機

 6月26日の産経新聞に編集委員の田村秀男が「ウクライナ侵略戦争で浮き彫りになったのは、覇権国アメリカ対膨張主義ロシア・中国という対立の構図である。それを大きく動かす要因が米国の金利引き上げである。」と書いている。

 現在国際情勢における最大の関心事は、ロシアによるウクライナ侵略戦争の帰趨であろう。ウクライナ戦争は、ウクライナを舞台とするローカルな事件だが、それがエネルギー高騰と食料危機という世界規模の大事件を引き起こしている。

 「2022年世界の大乱に備えよ」に書いたように、ウクライナ侵略戦争は2022年に起きる大事件の第一幕という位置づけになると思われる。田村秀男が示唆するように、これからFRBの金融政策転換が引き起こす危機が顕在化してゆくだろう。

 FRBは6月15日の連邦公開市場委員会で主要政策金利を0.75%引き上げ、1.5~1.75%にすることを決定した。FRBは「物価上昇率は高まったままだ。ウクライナ侵略で更なる上昇圧力が生じている。次回も0.5~0.75%引き上げが濃厚だ。その金利は23年末に3.8%とピークを迎え、24年末まで利下げしていく。」という声明を出した。

 FRBによる金融政策の転換は、第一義的にはアメリカ国内のインフレを押さえ込むローカルな対策だが、同時に世界の金融市場を揺さぶり、世界経済に重大な影響をもたらすことが避けられない。具体的に言えば、まず金融政策の転換はリーマンショック以降コロナウィルス渦まで続いてきた「カネ余り相場」の終焉をもたらすだろう。さらに世界規模でドル資金の流れを逆流させ世界の金融市場の様相を一変させるだろう。

 法政大学大学院教授でエコノミストの真壁昭夫は、現在の状況は22年前、同じようにFRBが段階的に政策金利引き上げたことにより、ITバブルが崩壊したときと酷似すると言う。22年前1999年6月にFRBは0.25ポイントずつの段階的な利上げを始め、最終的に政策金利を6.5%に引き上げた。インフレ退治の断固たる姿勢を示したのだが、2000年9月にインテルショックが発生しITバブルが崩壊した。(参照:プレジデント・オンライン5/17)

 インテルからGAFAへ、バブルのプレイヤーは交代したが、リーマンショック後の低金利と金融緩和政策の結果、アメリカではインフレが過熱している。インフレ抑制のためFRBが金利上昇を急げば、今度はGAFAショックが起きて2022版ITバブル崩壊が起きる可能性がある。

 一方、5月20日にニューヨーク株式市場ダウ工業株30種平均が大恐慌時の1932年以来90年ぶりに8週間連続で下落した。下げ幅は合計で3600ドルに達した。さらに6月13日には4営業日続落し下げ幅は一時1000ドルを超えた。また6月10日に発表された5月の消費者物価指数が前年同月比8.6%上昇し、伸び率は40年ぶりの大きさとなった。現在のアメリカの状況は、まさしく「アメリカ経済、波高し」なのである。

 22年前よりも現在の事態は遥かに深刻である。そう考える理由は次のとおりである。第一に、米国における物価上昇圧力が遥かに強いこと。第二に、ウクライナ侵略戦争によってエネルギーなどの資源が高騰し食料不足が深刻化していること。第三に、2008年のリーマンショック後の低金利とコロナショック対応の金融緩和強化によって、世界的に資金が供給過剰となっていること。加えて、中国では不動産バブルの崩壊とゼロコロナ対策の失敗によって経済の失速が深刻化しており、ロシアは強力な経済制裁下にあることだ。

 このように、さまざまな重大事件が同時に進行している世界情勢にあって、FRBが政策金利政策の転換を急ピッチで進めれば、ドル高が新興国の通貨安をもたらしインフレを促進することは間違いない。さらに、ドル資金のアメリカ還流は投資資金の引き上げをもたらす。今後ハイパーインフレを起こす国、あるいはデフォルトを起こす国が増えることが予測される。経済が失速している中国と経済制裁下にあるロシアも例外ではないだろう。

円安の進行

 一方6月13日の東京市場で、円相場は一時1ドル=135円台前半まで下落し、1998年以来約24年ぶりの安値水準を記録した。6月16日~17日に開いた金融政策決定会合で、日銀は「為替市場の動向が経済・物価に与える影響を注視する」としながらも、大規模金融緩和を継続する方針を決めた。海外の中央銀行はインフレ抑制のため金融引き締めを急いでおり、政策の違いが際立つ結果となった。このため主要通貨に対して円だけが安くなる「独歩安」となり、しかも資源高と円安がダブルパンチで日本経済を圧迫している。

 この状況に対して、鈴木財務大臣は6月14日の閣議後の記者会見で、「為替相場は安定的に推移することが重要だ」とした上で、「急速な円安の進行がみられ憂慮している。政府としては日銀と連携しつつ、物価への影響などを注視し、各国の通貨当局と緊密な意思疎通を図りつつ、必要な場合は適切な対応をとりたい。」と述べた。財務官僚が用意した原稿を棒読みしただけの、空虚な答弁だった。

 黒田日銀総裁は6月17日、「最近の急激な円安は経済にとってマイナス」との認識を示した上で、「金融・為替市場の動向や経済や物価への影響を十分に注視する必要があるが、為替をターゲットに政策を運営することはない」と述べた。物価の安定が金融政策の目的だとして、従来の方針を変えない姿勢を鮮明にしたのである。

 もしインフレ対策を優先して金利の上昇を容認すれば、低迷が続く国内景気を下支えできないばかりか、ゼロ金利政策には巨額の債務を抱える政府の利払い費を抑える狙いもあり、日銀の立場としては何とも対応のしようがないという無力感がにじみ出た答弁だった。

 経済同友会は経営者を対象とした調査結果(調査は5月23日~6月1日に実施)を公表した。それによると、政府側の覇気のない答弁とは対照的に、経済界は円安の進行に懸念を強めており、現在の円安が日本経済に与える影響については、経営者の約74%がマイナスと分析し、約65%が経済安全保障の観点からの懸念を表明したという。円安によって日本企業の価値が目減りし、重要技術や先端技術の分野で外国企業の買収が増えることや、日本企業の弱体化、人材流出等国力の低下につながることがその理由である。(参照:産経6/15)

 日銀はこれまで円安は日本経済にとって統計的にプラスとの立場を表明してきた。確かに一局面を捉えれば、通貨安は輸出において不利に、輸入において有利に働くのは事実である。しかしながら巨視的に捉えれば、通貨安は国力の低下を反映したものであり、国富の喪失と海外への流出を招く事態である。しかも現在の円安は資源高と同時進行していて、貿易赤字は増大し輸入物価は大幅に上昇している。

貧しくなった日本、円安の原因

 円安が進行している直接の原因は日米の金利差が拡大していることにある。アメリカではFRBが大幅な利上げに踏み切り、欧州も利上げに踏み切ることを表明したのに対して、日本だけがゼロ金利の維持を重ねて表明した。この違いは、世界が高インフレに向かうのに対し日本だけがデフレを引きずっていることにある。

 ここに1980年から2022年に至る、日米中三ヵ国のGDP推移を描いたグラフがある。図が如実に示しているように、1995年以降、日本は殆ど経済成長していない。

 この歴史的事実を踏まえて、「有事の総理大臣①経済」に次のように書いた。

 「1995年から2020年までの25年間にGDPはどれほど成長したのだろうか。三ヵ国を比較すると驚愕の事実が浮かび上がる。まず米国は7.6兆ドルから20.9兆ドルに2.7倍に増大し、中国は0.7兆ドルから14.9兆ドルに実に20倍に増大した。これに対して日本は5.5兆ドルから5.0兆ドルになり、何と9%減少しているのである。専門家の分析を待つまでもなく、この事実は日本の経済政策が根本的に間違っていたことを証明している。」

 要するに、1995年~2020年の四半世紀の間に、日本は米国の1/3に貧しくなったのである。「これほどに大きな国富の損失が起きたのは長期デフレ故なのだが、デフレは経済の現象、政策の結果であって、原因はデフレ期に各総理大臣がとった経済政策にある。結論を先に言えば、二つの致命的なミスがあったのだ。・・・第一は三度実施された消費税増税である。第二の致命的な政策ミスは、プライマリー・バランス(以下、PB)の実現を金科玉条の達成目標としたことである。」

骨太方針、プライマリー・バランスを巡る攻防

 骨太方針、即ち「経済財政運営と改革の基本方針」は、政府の経済財政政策の基本方針を定めた文書で、年末の予算編成に向けた国の政策方針を示すものである。2001年の小泉内閣で最初に登場して以来、歴代政権は国と地方を合わせた基礎的財政収支(PB)の黒字化を目指す文言を盛り込んで、国債発行を抑制してきた。

 6月7日に「骨太方針2022」が閣議決定されたが、閣議決定までの自民党の舞台裏を三人の識者が論じている。興味深いので以下に紹介する。

 まず嘉悦大学教授で菅政権時の内閣官房参与だった高橋洋一は、ZAKZAKの6月10日の記事で、骨太方針は「財務省の猿芝居」だったと看破している。その理由は、2025年度のPB黒字化は消えたが、「本方針及び骨太方針2021に基づき、経済・財政一体改革を着実に推進する」との一文が挿入されたからだ。「骨太方針2021」ではPB黒字化が明記されているので、従来と何も変わりはないというわけだ。 さらに高橋は、そもそも財務省のいうPBは基本的に間違っていると指摘する。その理由は二つある。第一は、財政状況を評価するためには、企業の貸借対照表と同じように負債と資産の対比でみるべきことである。第二は、政府部門だけでなく、政府と日銀を統合した指標でみるべきことである。論点を数値で紹介すれば図のとおりである。(全て兆円単位の概算値であり、「約」をつけるのが正しいが、省略する。)

 補足しよう。政府の負債額1172兆円のみに注目して、財政赤字が危機的状態だと信じ込んでいる人が多いが、その理解は誤りである。まず、政府が発行した国債400兆円分を日銀が買い取ったということは、400兆円のおカネを増やして同額の国債を回収したことになる。現代貨幣理論(MMT)がいうように、これはインフレにならない範囲で有効な手段であり、デフレ下の日本では全く問題ない。

 従って、正味の財政赤字は772兆円となるのだが、資産が680兆円あるので純負債は92兆円に過ぎない。従って、日本国の財政赤字の実質値はGDP比で、概算約100兆円/500兆円=20%となり、アメリカの65%、イギリスの60%と比較しても優良なのである。

 次に、(株)経世論研究所の代表取締役社長三橋貴明は、「新」経世済民新聞の6月13日のブログに、骨太方針は妥協の産物で、結局のところ積極財政で行くのか緊縮を続けるのかよく分からないと書いている。さらに、「財務省は国民の敵である」と糾弾している。

 最後に、京都大学大学院教授で第二次安倍政権時の内閣官房参与を務めた藤井聡は、「新」経世済民新聞の6月22日のブログで、骨太方針の閣議決定に至る舞台裏を分析している。それによると、「PB規律を巡る論戦は毎年繰り返されていて、2012年に内閣官房参与に着任して以来、毎年関わってきたが、今年ほどに激しい論戦はこれまで一度もなかった」という。さらに、「これは偏に、PB規律こそが我が国の弱体化を導く最大の原因であるとする『PB亡国論』(藤井の提唱)が、自民党内部に深く広く浸透したからに他ならない」と評価する。

 三氏が言うように、「骨太方針2022」は積極財政派と緊縮財政派による文言を巡る激しいバトルによる妥協の産物だったということだ。要点を整理すれば次のとおりだ。

①骨太方針は、最終的に「骨太方針2021に基づき経済・財政一体改革を着実に推進する」という文言が挿入されて、PB規律が事実上残存することとなった。(緊縮財政派の主張)

②それでもPB規律について「状況に応じ必要な検証を行っていく」、「重要な政策の選択肢を狭めることがあってはならない」という二つの文言が追加された。(積極財政派の主張)

③このように、双方が相手の主張を無効にする文言を盛り込んだ形となっているので、高橋は「何も変わらない」といい、三橋は「よく分からない」と形容する。何れにしても防衛予算を含めて年末の予算編成へと、次のバトルの舞台が移ったことになる。

 かつては、緊縮財政派一色であった自民党内部だが、今や勢いは積極派にあり与党を席巻する勢いを持つに至っている。さらに、現在最大の抵抗者は岸田文雄首相であると藤井は言う。

PB亡国論、円安の真犯人

 藤井聡が提唱する『PB亡国論』とは、日本経済が次の「悪夢のスパイラル」に陥る事態をいう。すなわち、予算編成において「PB規律」を錦の御旗として掲げれば、国債発行を抑制する圧力が強まり、その結果政府支出が「ゼロサム」、即ち何かを増やそうとすれば、何かを削ることになる。それでも増やそうとすれば、増税がセットとして盛り込まれる結果、結局消費が減少し経済は悪化の一途を辿る。その結果、税収が減少して財政が悪化する。この「悪夢のようなスパイラル」が繰り返されて、日本経済はますます弱体化していく。

 実際に、バブル崩壊を起点とする平成の30年間、日本は経済成長を果たせなかった。前掲の図がその明白な証拠である。では、なぜ30年間もデフレ状態から脱却できなかったのか。一般にデフレとは消費不足、投資不足の状態であるから、民間に代わって政府がドーンと巨額のおカネを投じて、次世代の産業のための必要十分な投資を行い、経済成長を力強く促進することが、デフレから脱出する基本的な処方箋であることは言うまでもない。

 「失われた30年」と称される歴史的事実こそが「悪夢のようなスパイラル」の結果であり、『PB亡国論』が正しいことの証明でもある。

 余談だが、藤井によると、2017年当時の安倍首相は『PB亡国論』を完全に理解していたのだが、前任の民主党野田政権下で決定された「三党合意」を覆すことが出来ず、消費税を10%に増税し、PB亡国論の「悪夢のスパイラル」をさらに進めることになったという。

 2012年12月に発足した第二次安倍内閣で、安倍首相は「三本の矢」政策を推進した。「三本の矢」とは、大胆な金融政策、機動的な財政改革、投資を喚起する成長戦略の三つだった。しかしながら同時に、安倍首相は二度にわたって消費税増税を行った。「三本の矢」と消費税増税は、経済成長にとってアクセルとブレーキを同時に踏むアンビバレントな政策であり、結局デフレ状態は解決されないまま安倍長期政権は終わったのである。

 アベノミクス実現のため、政府と日銀は経済成長政策と、それを支える金融緩和政策という連携プレイで対処しようとした。日銀は「黒田バズーカ」と称された「異次元の緩和」政策をとったのだが、政府の経済成長政策が中途半端だったために失敗に終わったのだった。

 以上を総括すれば、日本が30年に及ぶデフレ状態から未だに脱却できていない理由は、政治が経済成長とPBの両立という二兎を追ったことにある。消費税導入を決めた民主党野田政権時の三党合意も誤りだが、安倍首相もまた「経済成長なくして財政再建なし」と言いながら、「二兎を追うもの一兎をも得ず」の諺の轍を踏んだのだった。ズバリ言えば、PBこそが「失われた30年」の真犯人だったのであり、それを推進してきた政治家の責任は、日本を貧しくしたという意味において重大という他ない。