プロローグ
『超圧縮地球生物全史』という本が注目を集めている。この本は地球編、生物編、サピエンス編からなる「奇跡の物語」を綴ったものである。46億年に及ぶ地球環境の変化と、生物の進化・絶滅の歴史は、地球由来及び太陽由来のエネルギーの変動と生物による秩序形成の歴史である。
物語の舞台は地球、登場するアクターは生物であり、そこには個体毎の物語、種としての物語、生物全体としての物語が輻輳して綴られている。シナリオもゴールもない、偶然の結果が織り重なって綴られた物語である。
地球の誕生
今から46億年前、当時の太陽系の近傍で超新星爆発が起きた。爆発によって吹き飛ばされた物質は重力作用で再集結し、太陽と惑星系が誕生した。地球周辺には超新星爆発で作り出された元素を含む豊富な物質に満ちていた。
月のクレーターがその証拠なのだが、原始地球には小惑星、彗星等が頻繁に衝突を繰り返していた。その中には火星ほどの大きさの惑星があり、それが地球に衝突し、吹き飛ばされた物質が再結合して月が形成されたという大事件もあった。
超新星が星の一生の終末期に爆発する事件は、宇宙では無数に起きている。ここで「奇跡の物語」と呼ぶに相応しいのは、超新星爆発で吹き飛ばされたさまざまな元素が重力作用によって再び集結して、高温高圧の星を誕生させ、核分裂反応によって新しい恒星として再び輝き出すことにある。
元素の周期律表で鉄(元素番号26)よりも重いある金(同79)、銀(同47)、ウラン(92)などは、太陽の核融合反応では作ることができず、超新星爆発などの超高温超高圧状態で作られたものだ。地球上の鉱物資源だけでなく、我々生物の体にも、超新星爆発によって宇宙に放出された物質が再利用されている事実は、正に「奇跡の物語」である。
生命の誕生
地球創成期の大気には豊富な水や炭酸ガス、メタン等があり、しかも太陽光線が充分に照射されていた。まだ陸地はなくやがて海の深部で生命が誕生した。海底は高温高圧状態にあり原始生命が合成された実験室だったと考えられる。超新星が作り出した重金属を含む多彩な元素が海底から供給されて、高温高圧状態の中で生物の基となる有機物が形成された。
地球誕生から生物の出現まで数億年に及ぶ充分な時間があったことを考えると、原始生命が誕生するのは時間の問題だったと考えるべきなのだろう。地球の誕生が46億年前、原始生命の誕生は40~38億年前のことだった。
地球における生命の祖はシアノバクテリアである。バクテリアは、やがて太陽エネルギーを使って、炭素、水素、酸素の原子から糖やデンプンを作り出す「光合成」という生命の仕組みを作り出した。これはエネルギーを使って生命の組織という秩序を作るという意味で、エントロピー則(万物の混沌化)に逆らうメカニズムであり、「生命の創生」という画期的な発明だった。
後に「生命の進化」をもたらすことに貢献した奇跡はまだ他にもある。一つは古細菌と呼ばれる小さなバクテリア細胞が植物や動物の細胞の内部に入り込んで葉緑体やミトコンドリアとなり、エネルギー生成に係る中核機能となったことだ。
光合成、葉緑体、ミトコンドリアという、それまでには存在していなかった画期的な機能を、生物は一体どうやって作り出したのだろうか。これも数億年に及ぶ充分すぎる時間の中で、充分すぎる試行錯誤を重ねて成し遂げた偶然の積み重ねだったのだろう。
もう一つはシアノバクテリアが光合成を地球規模で行った結果、20億年に及ぶ歳月の間に大気の組成を作り換えてしまい、その後の酸素呼吸を行う生物が登場する基盤を整備したことだ。この事件は「大酸化イベント」と呼ばれる。
超大陸の形成
地球に初めて大陸が形成されたのがいつかは分かっていない。大陸形成以前の地球は全てが海だったからであり、局所的に陸地があったとしても、記録として残っていないからだ。最初に超大陸が形成されたのは、19億年前に出現したヌーナ大陸だった。その後にロディニア大陸が形成された。
海底にあった岩石が大規模な造山活動などによって地表面に運ばれると、大気中の二酸化炭素を吸収して風化する。この結果温室効果ガスが減少して地球が寒冷化する。超大陸が形成された時期が氷河期と重なるのはそういう理由による。
カンブリア爆発
超大陸ロディニアが分裂したのは8.3~7.3億年前で、超大陸規模の風化が進んだ結果、地球が氷河時代に突入したのは7.2~6.4億年前だった。動物が出現し始めたのは6.4億年前頃で、「カンブリア爆発」と呼ばれる動物の爆発的多様化は5.4~5.3億年前に起きた。これは現存する動物の祖先の全てが出そろった事件だった。地球創成の激動期が終わり、大陸が形成され、地殻変動が落ち着いてきた頃に動物の陸地への進出が始まり、新天地で動植物の多様性が進んだと解釈される。
生物進化の意味
生物進化の物語を、物語がどう展開してきたかという視点から俯瞰すると、生物はバクテリア→真核生物→多細胞生物→動物と植物→恐竜→哺乳類→類人猿→サピエンスと進化し主役交代してきた。単純に捉えても生物進化という物語は、8幕からなることがわかる。
一方これを個々の生物の視点からみれば、進化の本質とは、生物の個体が「獲物を獲得しつつかつ自らが獲物とならない」ように必死に生きてきた結果だった。その小さな物語の積み重ねを生物全体として眺めると、進化として見えるということなのだろう。
さらに全体の本質を考えると、生物進化とはエネルギーを使って新たな秩序、しかもより複雑でより高度な秩序を作り出してきた生物の営みだったのだと理解することができる。
陸上への進出
生物の陸上への進出が本格的に始まったのは、約4.7億年前のオルドビス紀の中頃だった。「デボン紀には海は魚でごった返していたにも拘らず、危険を冒してまで陸地に進出した生命体は殆どいなかった。それは陸上での生活が厳しいからだ。陸上に進出した開拓者にとって、そこは何もない宇宙と同じくらい過酷な環境だった。」と著者はいう。
そして3.4億年前、パンゲア大陸が最終形態に収束しつつあった頃、陸地を制覇する動物の一群が登場した。
地球環境の変動
最終的には寒冷化・氷河期または温暖化に辿り着く、地球環境の激変をもたらしてきた要因は三つあった。第一は惑星や隕石が次々に衝突して地球の構造を形成した力、第二は地殻構造が形成されていく過程で起きたプレート活動の力、そして第三は地球の天体運動の揺らぎによる太陽の照射エネルギーの変動である。
地球誕生以降、時間の経過とともに第一の力が収まり、第二の力が安定化しつつある頃に生物が出現している。
第三の力は地球の天体運動に係るもので、公転軌道の離心率の周期10万年、地軸の傾きの周期4.1万年、地軸の歳差運動2.6万年の三つの周期がもたらす、太陽からの照射エネルギーの周期的変動である。照射エネルギーが周期的に変動する結果、地球には周期的に寒冷期が到来する。この力は現在も継続している。
ちなみに46億年が経過した現在、地球環境の変動をもたらしている力は、ゆったりとした大陸移動と散発的に起きる大規模な火山噴火、照射エネルギーの周期的変動、それと忘れた頃に起きる天体衝突である。
五回起きた大量絶滅
カンブリア爆発以降「ビッグファイブ」と呼ばれる大量絶滅が5回起きた。科学技術振興機構が公開しているScience Portal(2021.3.10)によると、東北大学などの研究グループが、5回の内、白亜紀末の絶滅を除く4回の原因が何れも大噴火だったことを突きとめたという。(https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20210310_n01/)
地殻変動とそれが原因で起きる二酸化炭素の増減、それによる温暖化または寒冷化・氷河期の到来に翻弄されながら、生物はしぶとく進化を繰り返して生き延びてきた。生物に進化を促進したのは、地球の地殻変動と太陽照射エネルギーの変動だったのだ。
5回の大量絶滅の中で、最後の絶滅だけが天体衝突によるものだった。これは何を物語っているのだろうか。
第一に地球環境を激変させる規模の火山の噴火は4回、平均すれば1.1億年に1回の頻度で起きている。最後の大噴火は約2億年前であり、今後も起きる可能性が高い。
第二に天体衝突はカンブリア爆発以降では白亜紀末の1回のみだが、ヤンガー・ドリヤス期の寒冷化事件(後述)も隕石の衝突が原因で起きた可能性が高い。地球創成期と比べて頻度も衝突の規模も減少していると考えられるが、再来する可能性は確実にある。
寒冷化
「3000万年前までにパンゲア大陸から分離した大陸が南に移動して南極大陸となった。この結果、南極大陸を周回する海流が生まれ、熱帯で暖められた海流の接近を拒んだ。北極海でも永続的な氷冠ができた。」と著者はいう。
700万年前以降、寒冷化する気候がサルから類人猿へ、類人猿から人類への進化をもたらした。人類が何故二足歩行になったのは謎のままだが、木の上の生活からサバンナでの生活へ追い立てたのは寒冷化だったと思われる。
カンブリア爆発以降長期にわたり地球環境を激変させてきた力は、地殻変動に由来するものが優勢だった。それが250万年前以降では太陽照射エネルギーの変動が優勢になったと著者はいう。当時、既に極地には氷が張っており、寒冷化は地球に一連の氷河期をもたらした。
最近の寒冷化で最も寒かったのは2万6000年前で、北米や欧州の北部は氷床の下に埋もれていた。氷の中に海水が閉じ込められていたため、平均海水面は現代より120メートルも低かった。
ヤンガー・ドリヤス期は、最終氷期が終わり温暖化が始まった状態から急激に寒冷化(15度低下)した時代である。寒冷化は1万2900~1万1500年前にかけて北半球の高緯度で起きた。変化が短期間で、ビッグファイブに匹敵する規模ではないものの、原因は隕石の衝突によるものだった可能性が高い。恐らく隕石の衝突が原因の生物の局所的絶滅という事件は、生物史の中ではかなりの頻度で起きていたと考えるべきだろう。
サピエンスの登場と出アフリカ
サピエンスが登場したのは20万年前頃で、その頃は長期的な寒冷期だった。著者によれば、サピエンスは20万年前には南欧に、18~10万年前には中東のレバント地方に進出していたという。さらに著者は「出アフリカには全体的なパターンがある。それは地球の軌道周期、特に2万6000年周期の歳差運動が原因で起きる周期的な寒冷化の変動と共に脈動していた。」という。端的に言えば、出アフリカは少なくとも4回以上あって、その動機が寒冷化だった可能性が高いということだ。
著者が指摘しているもう一つの重要な点は、サピエンスよりも古い時代にアフリカを出て、ユーラシア大陸に暮らしていたネアンデルタール人やデニソワ人が滅んだ原因は、集団規模が大きいサピエンスに取り込まれてしまったことにあるということだ。
サピエンスが他のホモ属と異なる点として、著書は「長老」という階層の存在を挙げている。「長い進化の中で初めて、複数の世代に知識を伝えられる種が現れた。・・・人間は学ぶだけでなく、教えることができる唯一の動物であり、それを可能としたのが長老たちだ。抽象的な情報が、カロリーと同じくらい大切な生存のための価値ある通貨になった。」と。
恐らく世代を超えた知識と経験の伝承は、他のホモ属との競争において優位な力として作用したと思われる。
サピエンス以降
サピエンス以降の世界について、著者は幾つかの予測をしているので紹介する。
「全ての生物のキャリアは絶滅で終わる。ホモ・サピエンスも例外ではない。また殆どの哺乳類は100万年程度で絶滅する。サピエンスはまだその半分以下しか経過していないが、特別な種であり今後何百年生き続けるかもしれないし、来週に絶滅してしまうかもしれない。」
「現在サピエンスは、ビッグファイブに続く第六の大量絶滅を早めているという懸念があるが、地球はサピエンスが出現する46億年前から存在しており、サピエンスが居なくなった後もずっと存在し続ける大きすぎる存在なのだ。」
「地球上の生命の物語は、そのドラマと未来を含め、最も大きなスケールで見ると、たった二つの事柄によって支配される。その一つは大気中の二酸化炭素の量がゆっくりと減少してゆくこと、もう一つは太陽の明るさが着実に増してゆくことだ。」
「地球の大陸移動の原動力となった大きな対流熱機関は、核燃料によって支えられていた。超新星の最期の数秒間で作られたウランやトリウムのような元素がゆっくりと放射性崩壊し、遥か昔に地球の中心へと逃げ込んだ。そのような元素は殆どなくなってしまった。約8億年後に新たに新たな超大陸が形成されるが、地球史上最大のものとなる。それはまた、最後のものでもある。大陸の移動は生命の燃料であり、しばしばその宿敵でもあったが、遂に停止する時がやってきた。」
エピローグ
著者のヘンリー・ジーはダイヤモンド・オンラインのインタビューに対し、次のように答えている。(https://diamond.jp/articles/-/314122)
「この本の執筆を通じて学んだことの一つは、ニュースや人間の生活サイクルの中で起こる殆どのことは、実はどうでもいいという事実です。なぜなら、地球はさまざまな時代に火の玉であったり、水に覆われた世界であったり、北極から南極までジャングルであったり、何キロメートルもの厚さの氷に覆われたりしてきたから。
ですから、人々が「さあ、地球を守ろう」と言うとき、地球は気にしていません。地球はこれから何百万年ものあいだ、これまでと同じように生きていくでしょう。」
さらに言う。「環境は私たちが好むと好まざるとにかかわらず、変化していくものです。私たちが救うべきは地球ではなく私たち自身なのです。つまり環境問題はほとんど美学なのです。しかし、私たちは地球へのダメージを自覚している唯一の種です。この本の精神は、最終的には何も問題にはならないけれど、一種の美学として、自分自身や家族、仲間の生物にとって快適で耐えられる生活を送るために最善を尽くす必要があるというものです。」
『超圧縮地球生物全史』という著作は、地球と生物と人類が歩んできた壮大な歴史を1冊の書物に圧縮した傑作である。46億年というスケールの時間軸を、現代という断面で切り出し、さらに自分を中心とした誠に小さな半径の世界をあくせくと生きている現代人に、たまには視野を大きく拡大して、高い視座から時代と世界を俯瞰してみたらどうかと提案している本である。
「環境問題は美学である」という看破は見事という他ない。敢えて一つ加えておきたい。それは環境問題は知恵者が次の巨大なビジネスとして作り出した物語であることを。経済というものが成長を前提としている以上、未来にビッグテーマを描いて挑戦することは悪いことではない。但し、飽くまでもビジネスのテーマなのだと理解した上で受け入れることが賢明である。
サピエンスは、今のところだが、そして恐らく今後もそうなると思われるが、生物進化の物語において最後に登場したアクターである。しかし、生物進化の歴史においてサピエンスが特別に偉大なのは、この壮大な「奇跡の物語」の存在に気付き、それを読み解いたことにある。それこそが最大の「奇跡の物語」なのだと言っても過言ではない。
著者は「もっと大きな視点で、時代を、世界を、そして人生を考えてみようよ」と提案しているように思える。