制度疲労から崩壊へ向かう戦後システム(前編)

 本ウェブサイトで、過去に以下の記事を書いた。国際情勢は激しく変化しているので、現時点で分析をアップデートしておきたい。

・「歴史的大転換点にある世界」:その1~その3(2023.10.4~11.18)

・「終焉を迎えるバブル経済と資本主義」:その1~その3(2024.1.18~1.31)

 近年、世界を劇的に変えた出来事は三つある。2019年末に発生したコロナ・パンデミック、2022年2月のロシアによるウクライナ軍事侵攻、そして2025年1月に発足したトランプ第二期政権である。上記二つの連載記事はロシアのウクライナ軍事侵攻が起きた後、トランプ大統領が就任する前の時間軸で書いたものである。三つの出来事の内、パンデミックとウクライナ侵攻は「戦後の平和は終わった」と警鐘を鳴らした大事件だったのだが、国際情勢の変化はトランプ第二期政権が発足した以降激しくなり、かつ加速している。

「歴史的大転換点にある世界」では、現在進行中の8つの危機について取り上げた。8つの危機を大きく括ると、以下の四つに集約できる。1と2については本項で論じ、3と4については後編で取り上げる。

  1.戦後国際秩序の崩壊

  2.民主主義システムの制度疲労

  3.臨界点に向かうバブル資本主義

  4.技術革新がもたらす危機

 国際情勢が激変している。ロシアがウクライナに軍事侵攻してから3年半が過ぎた。そして2023年10月にハマスがイスラエルに対し武力侵攻したことを契機に、イスラエルとパレスチナ・ゲリラ間の戦闘が激化し、紛争はイスラエルとイランの相互攻撃にまでエスカレートした。ガザ地区の惨状が連日報道されているが、何れの戦争・紛争も未だに誰にも止められない。国家が意思を持って武力行使する時、さらにその当事国や支援国が核保有国で安保理常任理事国である場合、国際社会は戦争を停止させることができないことが明らかとなった。

 2025年1月にトランプ第二期政権が発足した。トランプ大統領は就任後直ちに不法移民を強制送還する措置を実行し、4月には続いて高関税措置の発動を発表した。これが現在、世界経済と国際秩序を大きく揺るがしている。 

高関税政策の背景にある国内事情

 トランプ大統領が4月に自らを<TARIFF MAN>だと称して輸入品に高い関税をかけると宣言し、各国に対し「それを回避したければ代案を出せ」と脅しをかけた。国際ジャーナリストの木村正人氏は、Foreign Affairs誌9/10月号の記事を紹介して、トランプ政権誕生前後のアメリカの変貌を次のように端的に表現している。(資料1参照)

 <第二次大戦後、米国は「世界の保険屋」として海と空の安全、財産の保護、国際貿易ルール、ドルの安定という安全保障と経済の基盤を提供してきた。しかし第二次トランプ政権になって脅しと取引で利益を得る「ゆすり屋」に変貌した。>

 トランプ大統領は一体なぜ世界を相手に高関税政策を発動したのだろうか?多くの識者が既に指摘しているように、容易に考えられる狙いは次の三点である。

  1.アメリカ政府の税収を増やして財政赤字を減少させる

  2.衰退した国内の基盤産業を復活させて労働者の雇用を促進する

  3.相手国にディールを迫ることで、アメリカ国内への投資を促進する

 この背景には、増加一途のアメリカ連邦政府の財政赤字と、中間層の貧困化と大都市の治安悪化という二つのアメリカ国内事情がある。

 今回の関税政策により年間で約3,400億ドルの関税収入が見込まれるというが、年間2兆ドルを超える財政赤字を埋め合わせするには全く不十分である。さらに、国外から年1兆ドル以上の投融資を確保しなければ、金利が高騰して国債の利払いだけで財政赤字が増大するという。この事実はアメリカの財政が自転車操業に陥っていることを物語っている。

 高金利政策を巡る西側諸国との交渉の結果、日本から5,500億ドル、EUから6,000億ドル、サウジから6,000億ドル、韓国から3,500億ドルの投資が確定した。合計で2.1兆ドルに上る。正しく「ゆすり屋」という表現は的確である。

 破綻の淵に立っているアメリカ連邦政府の債務の実態について、経済アナリストの増田悦佐氏は、2023年第4四半期のデータを引用して、「アメリカ連邦政府は幾ら借りても返済すべき元利が膨らむ借金地獄に堕ちている。」と指摘している。(資料2参照)

 表から明らかなように、連邦政府の財政赤字の増加額はGDP増加額の約1.5倍、累積債務の増加額は約2.5倍に上る。覇権国アメリカにのみ許される見事な借金地獄である。ちなみに2025年度のGDPは名目値で約30兆ドル(IMF2025.4データ)であるのに対して、連邦政府の累積債務総額は約36兆ドル、年間の財政赤字は約2兆ドルに上る。

 どうしてこうなったのか。歴史を俯瞰すれば、資本主義がバブル資本主義へと変化していった過程で、政府の経済運営や財政運営がバブル経済に立脚するようになった結果に他ならない。これはアメリカに限らない。詳細は後編で論じる。

「諸刃の刃」:四つの副作用

 そもそも関税は中小企業や低所得者世帯を痛めつける「歪んだ税金」である。高関税政策は諸刃の刃であり、四つの大きな副作用がある。

  1.関税インフラを招く

  2.グローバルな自由貿易体制に強烈なダメージをもたらす

  3.脱グローバル化を促進する

  4.ドル離れを加速させ、ドルの下落を促進する

 第一に、関税が引き上げられれば、初めは輸出企業側のコスト低減努力がショック・アブゾーバとして作用するとしても、それはいつまでも持続せず、やがて関税はアメリカ市場での製品価格に転嫁されるので、アメリカで関税インフラが起きる。

 アメリカ政府の関税収入がひととき増えたとしても、インフレは最終的にアメリカ経済を悪化させる。さらに関税によって自国産業をひととき保護するとしても、既に衰退して久しいアメリカの基盤産業を復興させることは相当困難である。従って関税を上げることによって製造業が回復し中産階級の雇用を生み出すというのは幻想に終わるだろう。

 第二に、高関税措置はアメリカ自身が推進してきたグローバルな自由貿易体制に強烈なダメージを与える。しかもその体制下で最も大きな恩恵を受けてきたのが、経済を急成長させた中国と、基軸通貨ドルの特権を利用して、大半がドル決済で為替変動の影響を受けることなく借金経営を続けてきたアメリカである。

 第三に、高関税政策は「脱グローバル化」を促進する。かつて「有事のドル」と言われた時代には、危機が顕在化すればドルと米国債に資金が流れた。現在では逆に米国債が売られドルが下落する展開となっている。

 トランプ政権による有無を言わせぬ高関税政策は、世界に経済戦争を仕掛けたことに等しい。アメリカを全面的に信頼してきた諸国ですら、アメリカはそこまで追い詰められているのかとドルの未来に対する信用を失墜させるだろう。

 第四に、長期的に見て今回の措置は貿易におけるドル離れを加速し、ドルの下落を促進する。今までアメリカは基軸通貨ドル体制がもたらす「途方もない特権」を享受してきた。そのドル基軸通貨体制は、ロシアに対する金融制裁(SWIFTからの追放)とサウジアラビアによるペトロ・ダラー・システム(PDS)の密約破棄、ドルに代わる貿易決済通貨をめざすBRICSやSCO(上海協力機構)の動きによって、弱体化が進行している。

 今年5月に、サウジアラビアの首都リヤドで『サウジアラビア・米国投資フォーラム』が開催され、ベッセント財務長官とサウジのジャドアーン財務相による「財政と金融の協調」と題した閣僚対話が開催された。この場でサウジアラビアが今後石油の代金はドルでしか受け取らないことを確約したという情報がある。これが真実であれば画期的だ。一旦破棄したPDS体制を元に戻すということであり、基軸通貨ドルの地位が弱体化する勢いを抑制するだろう。但し、そのような揺り戻しがあったとしても、ロシアや中国が推進しているドル離れの趨勢を止めることはできない。(資料3参照)

トランプ大統領の狙い

 トランプ政権は財政赤字と共に、中間層の貧困化と大都市の治安悪化という問題に直面している。そもそも不法移民と治安悪化はオバマ政権とバイデン政権下で放置され深刻化したものだ。トランプ大統領が就任後最初に講じた措置は不法移民の強制送還だった。また最近トランプ政権は治安が悪化した大都市に大統領権限で州兵を派遣している。トランプ大統領は民主党政権化で深刻化した事態を力で回復させようとしている訳だが、強引すぎる措置に対して民主党支持・左派対共和党支持・右派の間で分断が激化している。

 トランプ大統領は7月に「大きく美しい法案(One Big Beautiful Bill)」に署名し発効させた。トランプ大統領自身の命名によるこの法案は、「常識的な議題を実現するもので、中流階級に対する史上最大規模の減税、恒久的な国境警備、肉太の軍事費、そして財政の健全性を回復する」ことを目的としている。(資料4参照)

<“President Trump’s One Big, Beautiful Bill delivers on the commonsense agenda … the largest middle‑class tax cut in history, permanent border security, massive military funding, and restoring fiscal sanity.”>

 しかし、狙いの一つに「財政の健全性を回復する」という一項があるが、この法案は4兆ドルの減税を行うために3兆ドルの財源を新たに必要とし、それを赤字国債で賄うというものであり、むしろ膨大な財政赤字を更に悪化させるリスクの方が高いように思われる。

 さらにトランプ大統領はドルの仮想通貨化を促進するGENIUS法を7月に成立させた。ドルと1対1で交換できる<Stable Coin>を世界に普及させて、送金コストや手続きコストを引き下げることで米国債に対する需要を高め、基軸通貨ドルの座を安定させることを目指すものだ。背景にあるのは、ドル基軸通貨体制の存続を疑問視する人が増えて米国債の購入が鈍化している現状だ。

 以上述べたように、トランプ政権は就任から僅か8カ月の間に、驚異的なスピードで大胆な政策を次々に打ち出してきた。なかでも「大きく美しい法」はMAGAを実現する中核的な対策であり、高い関税はそのための補強手段として、GENIUS法は弱体化しつつある基軸通貨ドル体制の補強手段として、それぞれ位置付けられているようだ。

 しかし歴史家ニーアル・ファーガソン氏は、トランプ大統領の政策はニクソンショックと重なるところがあると指摘する。米国は国も市民も収入以上に支出することで経済を成長させてきた稀な国である。それでもこれ以上は無理だという局面でニクソン大統領はドルの金兌換を放棄し、ドルに対する円高とマルク高を強引に実現する措置をとった。(資料5参照)

 そして現在、株価総額が3兆ドルを超えるところまで急騰したM7とは対照的に、自動車や造船に代表される米国製造業の衰退は著しく、財政赤字の増大は臨界点に向かっている。つまりニクソンショックと同じ必要性から打ち出されたのが高関税政策だったと解釈することができる。しかしながら「関税は税収を増加させ、国内産業の再興を促し、米国への投資を促すことで既に衰退した基盤産業を復興させる」というトランプ大統領の目論見は楽観的過ぎて実現が相当困難に見える。

 物理学に「作用反作用の法則」というものがある。今回の事例に当てはめれば、国がある行動を取れば、それが大胆なものであるほど、後日それに見合った反動が国内外から起きるということだ。トランプ大統領による高関税措置は、中国やインドとの交渉の目途は立っていないが、日欧など同盟国との間では合意に至ったことから、山場を越えたと言われる。しかしこれから強引すぎる関税措置に対する反動がアメリカ国内外で起きることが予想される。FRBのパウエル議長が懸念を表明しているように、インフレの進行や失業増加がその一つである。

 基盤産業の復活は短期間では望めないため、失望が先行し拡大することが確実だ。ドル覇権の弱体化は既に進行中であり、今後一層顕著となり、基軸通貨ドル時代の終焉へ向かうだろう。ドルに対する信用が低下すれば、財政赤字を埋めるための資金調達が一層困難になる。かくして負のスパイラルが動き出すことになる。

リアクション

 5月28日にアメリカ国際貿易裁判所が、国際緊急経済権限法(IEEPA)を根拠とするトランプ関税は違法とする判決を下した。8月29日には連邦控訴裁がその判決を追認する判決を下した。強引な政策に司法が待ったをかけたのである。岡崎研究所が9月17日にウォール・ストリート・ジャーナルの記事をもとに解説しているので紹介すると、違憲判決の理由は明快で、「国民に関税を課す権限は唯一議会に属するというのが憲法の仕組みであり、大統領が関税を課すには議会による委任を要する。グローバルに手当たり次第関税を科す無制限な権限を大統領に与える規定はIEEPAには見当たらない。」ということだ。(資料6参照)

 この判決を不服としてトランプ政権は最高裁判所に上訴し、9月3日に迅速に審理するよう要請し、大統領に反対する判決は「壊滅的影響」をもたらすと警告する書簡を連邦控訴裁に送った。もし最高裁が違憲判決を出せば、世界は安堵する一方で大混乱となり、トランプ大統領が描くシナリオが根底から崩れる事態を招くことになる。

 経済学者の河野龍太郎氏はJBpressの記事の中で次のように指摘している。(資料7参照)

 <(アメリカの現状は)ローマ帝国の滅亡と同じである。ローマの教訓は、帝国の内側で制度の正統性が失われて信任を失い、エスタブリッシュメントでさえ支えようとしなくなったことにある。片や現在のアメリカでは、通貨覇権から得られる利得をグローバル・エリート層が独占する一方で、グローバリゼーションによって世界市場での競争に敗れた製造業が衰退してゆき、労働者や地域社会にお金が回らなくなった。>

 現在のアメリカ経済は富の配分問題を抱えている。一部の超富裕層が富を独占している現状に対し、トランプ政権は富の配分を是正する措置を講じないであろう。何故ならM7に象徴される株価上昇はアメリカ経済が堅調であることの証として利用されるからだ。しかし行き過ぎたバブル経済は必ず、しかも間もなく破綻を迎える。そしてひとたびM7バブルが崩壊すれば、トランプ政権の試みはたちまち窮地に陥るだろう。M7バブルとアメリカ連邦政府の財政は連動しているからだ。詳しくは後編で論じる。

崩壊プロセスに入った戦後国際秩序

 ロシアがウクライナに軍事侵攻してから既に3年半が経過したが、ウクライナ戦争は三つの点で戦争の概念を転換するものとなった。

  1.ロシアが意思をもって始めた戦争は誰にも止められない

  2.軍事大国ロシアに対しウクライナが健闘している

  3.米欧はロシアに対し軍事行動ではなく「経済・金融の武器化」で対応した

 第1に、戦後の国際秩序では、拒否権を持つ安保理常任理事国であると同時に、核兵器保有国であるロシアに対し、国連も安保理もなす術がないことが露呈した。抑止できるとすれば、それはアメリカが本気で対峙する姿勢を見せた時なのだが、トランプ大統領にその意思はないようだ。

 第2は、NATOを主体とする西側諸国からの支援を得て、軍事大国ロシアに対し健闘しているウクライナの存在である。まさか3年半に及ぶとはロシアにとっても想定外であったに違いない。ウクライナの健闘をもたらした背景には、ウクライナ戦争がそれまでの戦争形態とは一線を画す、無人機を多用する戦争となったことがある。高価な戦略爆撃機やミサイル、艦船を持ち合わせていなくても、無人機・無人艇を縦横無尽に使いこなすことができれば、一方的な敗戦には至らないことをウクライナは実証してみせた。ロシア軍の旗艦モスクワの撃沈や戦略爆撃機の破壊は、それを象徴する事件となった。ウクライナ戦争は21世紀の軍事革命が実行された最初の戦争となったのである。

 9月23日にトランプ大統領は「ウクライナは、EUの支援を受ければ、ロシアの侵攻以降に奪われた領土を取り戻し元の国境を回復できる」と思うと<Truth Social>に投稿した。そしてウクライナの勝利に言及し、ロシアが敗北に向かっているとの見解を示した。さらに「ロシアは真の軍事力を使えば1週間以内で勝利できた戦争を目的もなく3年半も続けてきた。」と述べ、「ロシアは大きな経済のトラブルに直面している。ウクライナは今こそ行動すべき時だ。」と加えた。(資料8参照)

<I think Ukraine, with the support of the European Union, is in a position to fight and WIN all of Ukraine back in its original form. Russia has been “fighting aimlessly for three and a half years a War that should have taken a Real Military Power less than a week to win. Vladimir Putin and his country are in “BIG Economic trouble, and this is the time for Ukraine to act.”>

 この発言の背景には、プーチン大統領がトランプ大統領による調停を無視したことに対する警告の意味合いがあるとしても、アメリカ大統領がここまではっきりとロシアの敗北を明言したことは刮目に値する。ロシアの敗北は既に米欧の共通認識となっているようだ。

 第3に、米欧はロシアに対し軍事行動を取る代わりに、SWIFTからの排除を含む「経済・金融の武器化」で制裁を科した。しかし「作用反作用の法則」で述べたように、これらの対抗策はグローバル経済下でBRICSの拡大やドル覇権の弱体化というリアクションを招いた。

 ロシアによるウクライナ軍事侵攻は、アメリカ覇権体制が弱体化する過程で起きた。ウクライナに軍事侵攻しても、アメリカは軍事力を行使しないと読んだ末の侵攻だったことは間違いない。テロやゲリラの掃討作戦と異なり、隣国に対する戦争に踏み切ったロシアの行動は、戦後に形成された国際秩序を破壊するものとなった。歴史を俯瞰すれば、第二次世界大戦後に構築された国際秩序が一気に崩壊し始めたことを意味する。そのリアクションはこれから顕在化する。ロシアはウクライナ軍事侵攻を始めた代償を支払うことになるだろう。

ポスト戦後80年時代の国際秩序

 ここで重要な課題が浮上する。それは戦後の国際秩序体制に代わる、「ポスト戦後80年の時代の国際秩序の仕組み」を一体誰が作るのかということだ。ミュンヘン連邦軍大学教授で国際政治学者のカルロ・マサラ氏は、9月13日の産経紙面で次のように指摘している。

 <トランプ大統領は、大国の協議で決める世界を思い描いている。米中にロシアも加わるだろう。日本やドイツなど他の国は決定に従わねばならなくなる。しかし中国の思惑は米国とは違う。中国は米国を弱体化させ、自国の立場を世界に押し付けたいと考えている。米中二極化は、米国を超越するための一段階に過ぎない。>

 <ウクライナがロシアの侵攻をくい止めている間、日欧は将来に向けて準備する時間を稼げる。戦争が明日終われば、日欧は直ちに危機に直面することになる。日本は憲法9条を改正すべきである。日本の防衛政策を本質的に変えたのだと、中国に示すことになるからだ。対中抑止を真剣に考えているという明確なシグナルになる。>

 これは重要な指摘である。ポスト戦後80年の現在、我々は大戦後に作られた国際秩序体制をどのようにアップデートするのかという命題に直面している。この命題に日本はどう関与し、どのような役割を担ってゆくべきか。自民党総裁選は国内問題に終始している感があるが、歴史観と世界観を踏まえて未来への展望と抱負を語ることが次の総裁に求められる最重要の課題である筈だ。 

制度疲労が進む民主主義システム(アメリカ)

 9月8日の産経新聞正論で同志社大学の村田晃嗣教授が興味深い指摘をしている。初めに<民主主義は最悪の政治形態である。他に試みられた全ての政治形態を除いては。>というウィンストン・チャーチルの言葉を引用した上で、村田教授は「民主主義が今世界中でストレステストに晒されている。」と指摘する。(資料9参照)

 アメリカでは2016年及び2024年の大統領選を巡り、民主主義の根幹を揺るがす事件が相次いで起きた。代表的なものを列挙すれば、郵便投票を悪用した大規模な選挙不正事件、ロシア疑惑事件、トランプ氏を標的とした司法を武器化した訴訟事件、真の実行犯が誰なのかウヤムヤのままの連邦議会議事堂への暴徒乱入事件などだ。

 一連の事件の起点となったのがロシア疑惑である。2016年11月の大統領選挙においてトランプ氏がロシア政府と共謀して選挙介入を行ったとする事件である。当時の情報機関は一致して「ロシアの選挙介入はなかった」と結論づけたにも拘らず、当時のオバマ大統領が「ロシアとトランプは共謀していた」という情報の捏造を情報機関に指示していたことが公知となっている。

 2025年7月にギャバード国家情報長官は「これはトランプ氏に対する長年にわたるクーデターの基礎を築き、アメリカ国民の意思を覆し、我が民主主義共和国を損なう国家反逆的な陰謀である。」と糾弾した。これを踏まえてトランプ大統領は7月22日に、オバマ元大統領を国家反逆罪で正式に告発した。現大統領が元大統領を国家反逆罪で告発するとは、民主主義はここまで棄損したかという悪夢でしかない。

 9月9日に米国ユタ州のユタ・バレー大学で、トランプを支持する保守の若手活動家、チャーリー・カーク氏(31歳)が銃撃され死亡するという事件が起きた。容疑者タイラー・ロビンソン(22歳)は33時間後に警察に自首し逮捕された。CNNニュースは、「ドナルド・トランプ大統領は保守活動家チャーリー・カークの暗殺以来、<過激な左派>に対する攻勢を強めており、友人であるカークの死と、さらに広範な政治的暴力は彼らの仕業だとしている。」と報じた。(資料10参照)。

<In the days since the assassination of conservative activist Charlie Kirk, President Donald Trump has ramped up his attacks on “the radical left,” whom he blames for his friend’s death and for broader political violence. >

 Z世代のジャーナリストであるシェリーめぐみ氏は、カーク氏死亡のニュースが流れた瞬間、多くのアメリカ人が背筋が寒くなる予感を覚えたと報じている。さらに事件以降、容疑者のロビンソンが左なのか右なのかを巡り大論争が起きたという。本人が交際相手に述べたという発言によれば、「カーク氏のヘイトに満ちた発言には耐えられなかった」といい、「元々左でも右でもなく何れの政党も支持しない今どきの若者だったが、ここ数年で左に傾斜していったゲイ擁護派だ。」という。

 さらにシェリーめぐみ氏は、「今回の事件はその衝撃の大きさにより、<過激なのは左派・リベラル>というナラティブを作り出す格好の機会と言っていい。」という。実際にトランプ大統領は9月17日に、反ファシズムを掲げる極左勢力のアンティファ(ANTIFA)を主要テロ組織に指定するとSNSに投稿している。大都市における治安回復のためにトランプ政権は大統領権限を行使して州兵に出動命令を出しているが、分断を抑制することは困難でむしろ激化させる可能性が高い。(資料11参照)

 この事件にはもう一つ重大な疑惑が存在する。報道によれば、カーク氏は180mの距離から発射された1発の銃弾が首を貫通する狙撃を受けて死亡したという。常識を働かせれば、少々の射撃訓練を受けたという22歳の「数年で左に傾斜していったゲイ擁護派」の学生に成し遂げられる仕業とは思えない。ケネディ大統領暗殺事件を持ち出すまでもなく、アメリカの歴史には屈折点となった時点で、キーパーソンの暗殺が刻まれている。今回の事件も「多くのアメリカ人が背筋が寒くなる予感を覚えた」という表現が示唆しているように、左派と右派の衝突と分断の歴史の転換点となる可能性がある。

 このような事件は、因果関係の連鎖として双方の応酬が過激化する結果、それ以前から存在したアメリカの分断を増幅し加速させる危険性がある。民主主義体制が崩壊しつつある深刻なアメリカ社会の現状を物語っている。トランプ大統領は就任以来アメリカ社会が直面する課題に対して果敢な、時には強引な対策を講じているが、残念ながら「アメリカ社会の分断」を解決することはできず、むしろ対策を講じるたびに事態は悪化してゆくことが懸念される。

議会制民主主義の制度疲労(日本)

 戦後の民主主義システムが制度疲労を起こしているのはアメリカに留まらない。昨年の衆議院選挙、今年の都議会選挙、そして7月の参議院選挙で自民党は三連敗した。石破首相が9月7日に辞任を表明したが、選挙で示された「ノーモア石破自民党」の民意と石破政権の間には明らかな認識の断層があり、議会制民主主義の在り方が問われる展開となった。

 「石破首相の責任」は辞任することで果たされるとしても、「解党的出直し論」が叫ばれる中で、「自民党の責任」はうやむやのまま次の総裁選が公示された。そもそも石破茂氏を総裁に選出したのは自民党であって国民ではない。しかもあろうことか、高市早苗氏181票(議員票72、党員票109)、石破茂氏154票(議員票46、党員票108)で決選投票に臨み、石破茂氏が215票(189、26)で高市早苗氏の194票(173、21)で逆転勝利した経緯がある。

 その逆転劇は岸田前首相が高市氏の勝利を阻止する行動を取った結果と言われている。それに従い石破茂氏に投票した自民党議員の責任は極めて重いと言わざるを得ない。それが自民党総裁選挙に留まるのであれば、党の問題であって国民の問題ではない。しかし自民党総裁=内閣総理大臣となる構図では、その行為は内閣総理大臣という本来なら国民の民意が反映される形で選任されるべきものが、永田町の力学で捻じ曲げたことになる。ここを放置したまま「解党的出直し」を幾ら叫んでも、国民には空虚な遠吠えにしか聞こえない。戦後、選挙で大敗を招くたびに「解党的出直し」が叫ばれてきたが、自民党の体質は何一つ変わっていない。

 今回も石破首相があちこちに「高市には入れるな」と電話をかけているとジャーナリストの櫻井よしこ氏が伝えている。「ノーモア石破自民党」の民意に対する自民党の責任が問われていることを軽視すべきではない。もし国民から見て前回と変わらない総裁選挙が実施されれば、解党的出直しではなく解党プロセスが加速する結果を招くだろう。

 自民党はそう認識していないだろうが、今回の参議院議員選挙は、「戦後80年続いてきた戦後政治の終焉」の始まりとして歴史に刻まれるように思われる。今まで石破首相が演じてきた役割は、戦後自民党政治に終止符を打つ道化師役だったのではないだろうか。

戦後政治終焉の始まり

 自民党の凋落と同期するように、参政党が大躍進した。これは一過性の事件としてではなく、時代の変化を象徴する事件として歴史に記録されるだろう。凋落する自民党と入れ替わるような参政党の躍進だったのだ。そう考える根拠は幾つかあるが、象徴的なところを二点挙げておきたい。一つは党の綱領に「天皇を中心に一つにまとまる平和な国を作る」と掲げていることであり、他一つは理念の根底に「反グローバリズム」を据えていることだ。他の野党と異なり、保守に軸足をおいてリアル・ポリティクスを目指す政党であることを宣言している点は注目に値する。(産経9/13参照)

 もう一つ注目すべきは、日本維新の会が9月17日に発表した政策提言である。政策提言は複数あるが、中でも注目すべきは、「21世紀の国防態勢と憲法改正」についてである。「力による現状変更を厭わない核保有国に囲まれているという危機感に立って、我が国の抑止力の増強と、日米同盟を深化させる観点から新たな防衛構想が必要であるとし、具体的には、憲法9条2項の削除及び国防条項の充実、日米安全保障条約改正による相互防衛義務の設定、海洋国家連合及び四海同盟(日米豪比同盟)の締結を掲げている。今まで野党から、ここまでリアル・ポリティクスとしての提言がなされたことはない。(産経9/18参照)

 これら野党の行動を俯瞰して捉えれば、自公連立の維持を優先して憲法改正すらも棚上げしてきた自民党に代わって、「戦後の自民党政治が終わる」という風向きを読んだ野党が、「やる気がないなら、俺達がやる」との気概を持って画期的なカードを切ってきたと評価できる。日本維新の会と参政党、それに国民民主党が加われば、いつまでも自公連立に拘り、それが手かせ足かせとなってリベラル政党へ転げ落ちていった自民党に対し、「戦後政治よ、おさらば!」という展開になる可能性がある。

大転換を迫られる欧州

 アメリカと日本に留まらない。欧州ではウクライナ戦争を契機としてEUの分断が進んでいる。EUでは急増した移民対策で西欧と東欧が対立し、ウクライナ戦争後のエネルギー危機への対応で、西欧と東欧・南欧の間で軋轢が生じている。加盟国が27ヵ国の大所帯となり、多様性が拡大した結果、加盟国の合意を得ることが難しくなっている。EU議会の合意の条件として、一般に「特定多数決方式」(27ヵ国中15ヵ国が合意し、かつ支持国の人口の合計がEU総人口の65%を超えることが条件)が採用されているが、税制や外交、条約改正など重要性の高い政策については全会一致が原則となっている。このため、ロシア対処等の重要案件の場合、合意に達することが困難になっている。

 エドワード・ルトワック氏は9月2日の産経紙面でこう指摘している。「欧州には何世紀にもわたって受け継がれてきた戦いの文化があった。ところが、第二次世界大戦終結後の80年間で平和主義が蔓延した。プーチンはウクライナの領土をとるまで戦いを止めないだろう。欧州は平和主義の重い代償を支払おうとしている。」(資料12参照)

サマリー

 現在我々が直面している危機は四つに大別できる。第一は戦後国際秩序の崩壊、第二は民主主義システムの制度疲労、第三は資本主義システムの崩壊、そして第四は技術革新がもたらす危機である。

 ロシアがウクライナに軍事侵攻して以来、安保理が機能不全となり国際秩序が崩壊を始めた。ロシアがウクライナに侵攻した背景にはアメリカの弱体化があった。そしてアメリカが弱体化した要因は何れも国内事情によるものであり、大別して三つある。財政赤字の深刻化、国内社会の混迷、そして民主主義の崩壊である。

 財政赤字は雪だるま式に増え、連邦政府の借金と利子払いが自転車操業状態となっている。国内社会の混迷は、中間層の貧困化、不法移民の急増と都市の治安悪化、民主党支持・左派と保守党支持・右派間の分断深刻化に象徴される。民主主義の崩壊は、2016年以降三回の大統領選挙の時に起きた事件、即ちロシア疑惑事件に始まり、国家反逆罪でオバマ元大統領告発に至る経緯を俯瞰してみれば一目瞭然である。

 トランプ大統領が打ち出したMAGAを実現する中核となる施策が『一つの大きく美しい法』であり、総額4兆ドルに上る減税を実行するために打ち出したのが高関税政策である。連邦政府の財政赤字の改善、衰退した基幹産業の復興と中間層の雇用促進、主要国によるアメリカへの投資拡大を実現する手段として実施された。

 しかしながら、恫喝するような強引な政策は相応のリアクションを招くので、トランプ大統領の目論見は達成されないことが予測される。高関税政策が大統領権限を超えていて無効であるという司法判断は最高裁に持ち込まれたが、もし違法判決が確定すれば、トランプ大統領が描いたシナリオは困難に直面する。また、トランプ政権は都市の治安を回復するために大統領権限を行使して州兵を派遣したが、その後にカーク氏暗殺事件が起きており、左派過激派に対するテロ集団指定などの強硬な対策を講じる程、アメリカ社会の分断は一層危険な状態に追い込まれてゆくだろう。

(後編に続く)

参照資料

1.『米国を「世界の保険屋」から「ゆすり屋」に変質させたトランプ』、木村正人、JBpress、2025.8.30

2.『米国株崩壊前夜』、増田悦佐、ビジネス社、2024.10

3.『「米国富ファンド」強いドルを支える150兆ドルの国家地下資源開放』、藤井厳喜メルマガ、2025.9.17

4.『トランプ大統領激押しの「One Big Beautiful Bill Act」・・・』、Gold Online、2024.7.3

5.『トランプ政権は関税で失墜する』、N.ファーガソン、日本経済新聞、2025.9.5

6.『「世界を相手に手当たり次第!」トランプ関税に違法判決が下された理由』、岡崎研究所、2025.9.11

7.『米国衰退のプロセスはローマ帝国滅亡と同じ』、河野龍太郎、JBpress、2025.8.13

8.『Trump says he now thinks Ukraine can win back all territory taken by Russia』、NBC News, 2025.9.24

9.『民主主義への「ストレステスト」』、村田晃嗣、産経、2025.9.8

10.『Trump ramps up rhetoric against ‘radical left’ in the wake of Charlie Kirk’s killing』、CNN, 2025.9.14

11.『チャーリー・カーク暗殺事件、容疑者は右派か左派か』、シェリーめぐみ、現代ビジネス、2025.9.19

12.『戦いを忘れた欧州の危機』、エドワード・ルトワック、産経、2025.9.2

ポスト「戦後80年」の日本

-日本の近代史160年からの展望-

プロローグ

 『日本と西洋の邂逅500年』は文字通り、鉄砲伝来以降およそ500年に及ぶ日本と西洋の交流の歴史を俯瞰的に眺めたものだが、同時に日本文明と西洋文明の共通性と異質性について考察を加えた。

 一方、フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドが、近書『西洋の敗北、日本と世界に何が起きるのか』の中で日本と西洋の共通性と異質性について考察している。著書のまえおきで、次のように興味深いことを述べている。

 <日本と欧州は、「ユーラシアの中央の塊(ロシアと中国)」に対し「対称的な立場」にいるという共通点をもっている。日本が明治に西洋化を推進したのは、遠いイトコと再会を果たすような自然な流れだった。>

 <『西洋の敗北』発刊の意義は、日本人が西洋に対する自己位置を明確にできる点にあった。但し「西洋の敗北」という問題に取り組むには、「日本の本質とは何か」という問題を念頭に置かなければならない。日本は「敗北する西洋」の一部なのかどうかだ。>

 本資料では、明治維新以降160年の近代史で、西洋との関係において「日本が目指したものと教訓」の視点から再検証して、ポスト「戦後80年」の日本を展望してみたい。

文明の違いがもたらした西洋との衝突

 『日本と西洋の邂逅500年』では、「日本と西洋は殆ど同時期に近代国家となった。但し江戸時代の260年間は太平の時代だったが、欧州の近代史は戦争と革命に明け暮れていた。」と書いた。さらに「日本と西洋は似た者同士だが、生れと生い立ちに決定的な違いがある。生まれとは宗教であり、生い立ちとは地政学である。日本と西洋は西側先進国という括りでは価値観を共有する仲間だが、宗教と地政学では正反対の立場にある。」と分析を加えた。

 明治維新以降、日本と米欧が開戦に至るまでに辿った経緯を欧米の視点から眺めると、日本という存在はどのように映っていたのだろうか。結果から推察するに、それは時代の進展と共に以下の①→②→③のように変化していったように思われる。

①明治維新で近代化して日露戦争で大国ロシアを破った日本の登場は、欧米諸国にとって想定外の出来事であり、驚嘆に値する事件だった。

②それが支那事変に至る頃になると、中国大陸で欧米の利権追求の障害となる迷惑な存在となり、折あらば潰したい相手となった。

③そしてヒトラ―のドイツと同盟を組んだことによって、潰さねばならない敵に転化した。

 歴史にイフはないのだが、もし当時の日本が、「欧米から見た日本」の変化について分析していたならば、歴史が変わっていた可能性がある。言い換えれば、戦争を抑止し国際社会の熾烈なゲームに負けないためには、相手の事情や動向をタイムリーに掌握し分析するインテリジェンス能力を磨かなければならないということだ。これは日本の近代史の教訓である。

 ところで①→③の変化は何故起きたのだろうか。考えられることは、西洋の様式を取り込んで欧米列強と軍事力で肩を並べる頃になると、日本は思考の重心を西洋式から日本式に徐々に移すようになり、維新以前から継承された日本へ回帰するようになったというものだ。

 このことは即ち日本が西洋諸国とは異なる方向に歩み始めたことを意味しており、その結果西洋列強との対立を強めていったと推察される。

文明の衝突だった大東亜戦争

 そして遂に日本と米欧は衝突した。以下は大東亜戦争に関わる大きな事実を総括的に整理したものである。

①日本が列強の仲間入りを果たした当時は植民地化の時代であって、日本は次第に他の列強と利害が対立していった。そして遂に米英と衝突した。

②日本がアジア諸国の植民地解放を掲げて大東亜戦争を戦った結果、アジア諸国はやがて独立を勝ち取って世界の植民地時代が終わった。

③その一方で、日本は戦争に敗れて300万人を越える犠牲者と国土の荒廃を被った。この事実から評価すれば、たとえ人類史上の功績があったにせよ、日本が戦争に踏み切ったことは誤りだったことになる。何故なら、そのために払った代償が余りにも大き過ぎたからだ。

④真珠湾攻撃が日米開戦の直接の原因となったことは事実である。但しヤルタ会談という企みがあった以上、真珠湾攻撃がなくても日米戦争が起きた可能性は高い。それを避けるにはチャーチル、ルーズベルト、スターリンに匹敵するインテリジェンスと戦略が必要だった。

⑤日本は広島・長崎に核爆弾を投下され、多数の都市が無差別空襲を受け、理不尽な東京裁判を受けた。東京裁判ではアメリカが犯した史上最大の非人道行為(原爆投下、都市の無差別攻撃)は裁かれなかった。そして日本はGHQによる統治下で、「日本文明」を破壊しようとする執拗な攻撃を受けた。

 この戦争でアメリカが日本に対してとった行動、特に⑤は、鉄砲伝来以降日本が初めて目の当たりにした「西洋文明がもつ残虐性」の発露だった。それは戦争という極限状態において出現した姿であり、そこに至るまで日本はアメリカという国の本質を理解していなかったと思われる。

 一方アメリカの視点に立てば、戦争末期に、物量面で圧倒的に不利な戦闘においても降伏することなく玉砕戦法を選択し、更には特攻攻撃を敢行した日本軍に直面して、日本文明に対して理解を超えた畏怖を抱いたであろうことは想像に難くはない。アメリカもまた極限状態で発揮された日本という国の本質を理解していなかったのだ。 このように考えると、大東亜戦争とは西洋文明と日本文明が衝突した「文明と文明の衝突」だったと言えるだろう。

西洋文明と日本文明の決定的な違い

 2月7日は「北方領土の日」だった。北方四島は戦争で獲得した領土だと、ロシアは一貫して主張してきた。アメリカは、戦争は東京裁判をもって終結したと主張して、自らが行った核爆弾の投下や都市に対する無差別爆撃について、謝罪することはなかった。東京裁判はそのように戦争を終わらせるための政治的な儀式として挙行されたのである。

 日本と米露の立場を置き換えて考えれば、日本ならば絶対にそういう行動はとらなかったに違いない。日本文明には縄文由来の「巨大地震でさえもあるがままに受容してしまう」大らかさというか諦観というものがある。実際日本は戦後アメリカの戦争責任を糾弾してこなかった。

 日本人が持つ諦観は広島原爆記念碑の「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という文言に如実に現れている。そこには「(日米共に)判断と行動を誤りました」として、水に流す姿勢が端的に表現されている。

 ここに両文明の決定的な違いが現れている。但し、この違いは文明が内包する最も深層の部分、言い換えれば宗教の領域に存在する者であり、お互いが相手を容易には理解できないのである。

エマニュエル・トッド『西洋の敗北』

 ここで冒頭に紹介したエマニュエル・トッド氏が「西洋の敗北」と断定している根拠について紹介しよう。

 <ウクライナ戦争で西洋の敗北が確定的になった。ロシアが主張する「多極的な世界」ビジョンは、米欧中心の「均質的な世界(リベラル、資本主義、LGBT等)」ビジョンと対立している。そして以下の理由から、西洋はもはや「その他の世界」にとって夢見させる存在ではなくなった。>

 ・ロシアに対する制裁は世界の大半から拒絶された

 ・西洋の非効率的で残忍な「新自由主義的(ネオリベラリズム)資本主義」

 ・西洋の進歩的というより非現実的な「社会的価値観」

 ・ロシアの「保守主義」、「国民国家の主権」という考え方に同調するBRICSの台頭>

 以上を要約すれば、米欧の主張はBRICSやGS(グローバル・サウス)から嫌われていて、むしろロシアが主張する「多極的な世界」を支持する国が増えている。この現象はアメリカの弱体化、ドル覇権の衰退と同時進行していて、それらを総合的に俯瞰すれば西洋の敗北が決定的になったという訳だ。

 <西洋の危機の核心は米英仏にある。フランスは対ロシア制裁の影響で経済・政治体制が最初に崩壊する可能性がある。イギリスでは保守党が転落し、アメリカ大統領選ではトランプとバイデンの常軌を逸した対立があった。これらは何れも自由民主主義国家の解体によって現れた現象である。但し西洋の敗北は宗教・教育・産業・道徳面における西洋自身の崩壊プロセスの帰結であってロシアの勝利を意味するものではない。>

 この分析の中で「西洋の敗北は西洋自身の崩壊プロセスであって、ロシアの勝利を意味しない」という点が重要だ。

 さらにトッド氏は「敗北した西洋に日本は含まれるのか」と述べて、「西洋の一員であると同時に、ユニークな文化を保持している日本にとって、戦後を再考する機会が訪れる」と予測する。

 <日本は自由主義の伝統は持たないが近代的な西洋に属しているが、「均質的な世界」というアメリカ発のビジョンは日本的観点からすると馬鹿げたものだ。日本には「それぞれの民族は特殊だ」という考え方があり、日本にとって「独自の歴史」という感覚は「本能的」なものでしかも「リアル」なものだ。>

 <西洋の敗北は日本が「独自の存在」としての自らについて再考する機会になるだろう。西洋の一部としてではなく、日本はネオリベラルの極西洋(米英仏)と「その他世界」の仲介役として自らを捉える機会にもなる筈だ。>

 西洋が指導力を失いつつある中で、トッド氏は西洋の中核的存在であるアメリカとの関係を今後どうすべきかについて、日本に対し注意を喚起している。

 <欧州は敗北しNATOは崩壊に向かっている。日本は今後アメリカとの関係にかなり慎重になるべきだ。ウクライナ戦争でアメリカは同盟国として信頼性がかなり低いことがはっきりした。日本は中国と地理的に近いために日米同盟が必要不可欠だ。ロシアは欧州の脅威ではないが中国は東アジアの脅威である。>

 既に述べてきたように、明治の時代に日本は日本文明の基盤の上に、西洋化した建築様式の構造を築いてきた。基盤に含まれるのは、主に日本の伝統と宗教に関わる部分である。トッド氏が示唆するのは「西洋の敗北」は米欧諸国にとっては基盤レベルからの衰退を意味するが、日本は日本文明を基盤として築かれているので、西洋と歩調を合わせて衰退するものではないという期待である。

日本の近代160年(前半)

 2月9日の産経新聞「日曜コラム」に、安倍元首相のスピーチライターを務めた元内閣官房参与でジャーナリストの谷口智彦氏が『よい子になりたい日本』と題した興味深い記事を寄せているので紹介したい。

 <誰にでも好かれたい人は自分をなくしてしまう。優柔不断になって真の友はできない。国もこれと同じではないか。西欧帝国主義が一番幅を利かせていた時期、日本はたった一人、白人世界に参入した。髷(まげ)をほどいて洋装にし、暦を変えて季節感覚まで犠牲にした。全ては一等国として認められんがため。近代への船出を、承認欲求に身もだえしながら始めざるを得なかった国が日本だ。>

 日本は「様式の西洋化」を一気呵成に推進して西欧列強に仲間入りを果たしたのだが、西洋と肩を並べる軍事力を持った結果、それが宿命であるかのように日清戦争、日露戦争へと「戦争街道」を突き進んだ。そして日露戦争で軍事大国だったロシアに勝利した。谷口智彦氏が指摘する「一等国として認められたい」という目標は、この時点で達成されたことになる。

 しかしながら日露戦争の勝利は、さらに大きな「戦争街道」へと向かう一里塚となった。欧米列強と肩を並べる存在となったが故に、二つの世界大戦に否応なしに引き込まれたのだ。幸いに第一次世界大戦は欧州を舞台に繰り広げられたため、日本が直接巻き込まれることはなかった。しかし第二次世界大戦では、日本を戦争に引き摺り込んで叩き潰すというチャーチル、スターリン、ルーズベルトの企みに屈し敗北を喫した。

 歴史上の重大事件を軽々に論じることは出来ないが、結果から判断すれば、軍事力は「一等国」の水準に達していたとしても、当時の日本は英露米三首脳の陰謀に対抗できる「一等国としての力」を持ち合わせていなかったことになる。一等国を目指さなかった故の限界だった。

 ここで教訓を二つ挙げることができる。一つはインテリジェンスと戦略が「一等国」が備えるべき重要かつ必須の資質・能力だったということだ。

 もう一つ重要な教訓は、歴史とは因果関係の連鎖が綴られた記録であり、一つの出来事の結果が次の原因となるということだ。日清戦争から大東亜戦争に至る半世紀に及ぶ「戦争街道」をひた走った歴史がそれを如実に物語っている。

日本の近代160年(後半)

 一方戦後になると、日本は軍事力ではなく経済力で再び西側先進国の仲間入りを果たした。もともと西洋と同等の基本能力を保有する日本は、終戦の廃墟から不死鳥のように蘇り、凡そ20年後には東京オリンピックを見事に成功させてみせた。

 では一等国としての力を蓄えたかと問えば、答えはノーという他ない。そう断言する理由は「戦後レジームからの脱却」という命題を未だに達成できていないことにある。アメリカに従属する体制とマインドを残したままでは、真の独立国にはなり得ない。真の独立国でなければ一等国とは言えないのである。

 戦後「戦争の総括」は棚上げされてきた。GHQから押し付けられた憲法を未だに改正できない理由がここにある。

 憲法改正が必要な理由は大別して二つ存在する。第一は戦後80年間メンテナンスをしなかったために、その間に社会や世界が大きく変化して、憲法の前提との間に不整合・不都合が生じたことだ。ズバリ言えば憲法の記述が時代遅れとなったのだ。

 もう一つは当時のGHQ統治の歪んだ意図が盛り込まれたことである。ズバリ言えば日本文明の伝統を否定して、アメリカの宗教観が現行憲法に書き込まれたということだ。

 後者に該当する事項を明らかにするためには、少なくとも以下について明らかにする必要がある。

 ①明治維新から終戦に至る、日本近代化の総括

 ②東京裁判やGHQ統治によって歪められた歴史

 ③「終戦」によって日本が喪失したもの、復活させるべきもの

 戦後の日本は西側先進国に名を連ね、国連が取り上げるテーマでは西側に同調し、安全保障や経済・金融ではアメリカに従ってきた。国内テーマでは憲法改正という本質問題を棚上げする一方で、LGBT法や夫婦別姓法案など、日本文明に照合して考えれば全く不必要であるばかりか有害なテーマに政治は埋没してきた。

 谷口智彦氏は今国会の議論の的となっている夫婦別姓に関しても、次のように辛辣なコメントを寄せている。

 <なぜ夫婦別姓を法律にしたいのか。・・・世界中で日本にしかないのが何が悪い。てやんでえ悪いもんか。いっそ人類史の遺産だと、涼しい顔で口笛の一つも吹けるようでなくてどうする。>

 全くその通りだと思う。一言加えると、明治の日本が列強の仲間入りを果たした時と、戦後の日本が西側先進国の仲間入りを果たした時に目標としたのは一体何だったのか?「一等国として認めてもらう」ことか、それとも「一等国になる」ことか。

 もし「一等国になる」ことが目標であったとしたら、谷口智彦氏が言うように「てやんでえ」と開き直ればいいのだ。真の一等国は他国から何を言われようが動じない。トランプ大統領をみるがいい。「自分はタリフマンだ」、「グリーンランドはアメリカ領であるべきだ」、「ガザを米国の領土とする」等々、「ディールのためのカード」という側面は多分にあるものの、自分の信念を貫くためには歴史上の決定事項など意に介さない。「開き直る」強さは一等国の要件の一つであろう。

ポスト「戦後80年」の日本

 日本の近代史160年を俯瞰して、ポスト「戦後80年」(現在)の日本を展望したい。

 図を見てもらいたい。今まで述べてきたように、明治維新後160年において日本が目指した目標は、谷口智彦氏が指摘したように「一等国として認められたい」ということにあった。戦後もアメリカ従属の政治を続けてきたことがその証拠であり、安倍元首相自身が「戦後レジームからの脱却」を何とかしようと奮闘されたことは記憶に新しい。

 2023年夏にエマニュエル・トッド氏が「西洋文明が敗北した」と看破した。2025年1月にはドナルド・トランプ氏がMAGAを掲げて大統領に再就任した。トランプ氏はトッド氏が指摘した「西洋の衰退」を、既に危機感をもって実感していて、アメリカの衰退を食い止めようと大統領に返り咲いたのだと考えられる。それ故にトランプ第二期政権の4年間、アメリカはMAGA実現のために、常識を超えた手段を次々に講じることが予測される。

 図に示したように、ポスト「戦後80年」を迎えて日本が何を目指すべきかは至極明白である。名実ともに「真の一等国」になることをおいて他にない。世界が多極化に向かうなら世界の一極を目指すべきである。国際社会の秩序形成と維持に主体的に貢献し、人類が抱える課題の解決に向けて主導的な役割を果たすべきである。そのような活動によって日本が再び成長し豊かさを取り戻すというシナリオを実現すべきである。

 戦後80年を経て顕在化した、アメリカ覇権の弱体化と西洋(欧州)の衰退という大きな動向に対し、幾ら剛腕のトランプ大統領でもその流れを変えることは困難だろう。しかしトランプ第二期政権の4年間は日本にとっても戦後体制を一新する千載一遇の好機となる。「一等国」の目標を掲げて、世界の変化を追い風に換えて挑戦すべき時が到来したのである。

 そのような崇高な役割は「西側先進国の一員」、「アメリカに従う同盟国」というような従来の役回りでは担うことは出来ない。トランプ氏がMAGAを標榜するなら、日本はたとえばMJPG(Make Japan Practically Great)とでも言うべき、大きな目標を掲げたらいい。但しそのためにはトランプ氏や習近平氏のご機嫌を伺うような政治家ではどうにもならない。

 「新たな高み」とは具体的に何を目指すのかを語らずに、しかも戦後の形を変えたアメリカの占領体制を放置したままで、「日米関係を新たな高みに引き上げる」という空虚な発言を繰り返す政治家には、ポスト「戦後80年」時代への転換は成し遂げられない。「一等国日本」として何を目指すのか、そのビジョンを歴史観をもって語ることができない政治家はトランプ時代には通用しない。

 日本を名実ともに一等国とするための切り札は日本文明にある。考えてみたらいい。オーバーツーリズムが叫ばれる程、世界各地から日本にやってくる外国人が多いのは何故かを。単に円安だから、本場の日本食が食べたいから、アニメの本場に興味があったからという人もいるだろうが、総じて言えば日本文明が彼らを引き寄せているのだ。「一等国日本」に必要なことは、日本文明が持つ卓越性を強いカードに換えることだ。

 四季があり、海に囲まれ、山や川があり、里山がある自然に恵まれた日本、その土壌に育まれて根を深く降ろした神道に象徴される宗教観と伝統、多彩な分野で研ぎ澄まされた文化、それに西洋人とは異なる価値観を持っている日本人こそが日本文明を形成する要素なのだ。

参考資料:

1)『西洋の敗北、日本と世界に何が起きるのか』、エマニュエル・トッド、文芸春秋

2)『よい子になりたい日本』、谷口智彦、産経新聞日曜コラム、2025.2.9