「思考停止の80年」との決別 第4部

(9)敗戦と占領で喪失したものを取り戻すとき

「専守防衛」の前提が崩れる事態に備えよ

 ウクライナ戦争で認識され現在進行中の危機事態が二つある。国際秩序の崩壊とアメリカの弱体化である。ウクライナ戦争が長期化するにつれて、国際社会は〔NATO+G7〕、〔ロシア+ロシア支援国〕、模様眺めの諸国(GS他)という三つのグループに分かれた。

 アメリカの弱体化を象徴する変化がドル覇権の低下である。アメリカがロシアに対して発動した「SWIFT(国際銀行間通信協会)からの排除」という制裁措置は、ロシアとその支援国を中心に世界のドル離れを加速させた。

 振り返れば、戦後約80年の間に国際情勢は大きく変化した。安全保障面では米ソ冷戦が終わり、ポスト冷戦も終わり、今や米中冷戦となった。国連安保理という秩序を守る仕組みもウクライナ戦争が起きて機能不全に陥った。経済面ではニクソンショックによってドル覇権の体制が金本位制からPDS(ドルによる原油取引システム)に移行したが、現在ではドル覇権自体が揺らいでいる。

 現在アメリカでは、11月の大統領選挙に向けて民主党・共和党両陣営の対立が激化している。6月27日にジョージア州アトランタで開催されたバイデン対トランプの討論会では、バイデン大統領の認知機能の低下がクローズアップされ全世界を駆け巡った。

 大統領選の最大の争点となっているのが不法移民の流入であり。テキサス州では不法移民の流入が史上最多となっていて、共和党のアボット知事は「バイデン大統領の無策がこの危機を招いた」として、州が不法移民を不法入国で逮捕できる州法を成立させて、州兵を動員して対策を講じている。

 州法を違憲とした連邦地裁の差し止め命令が出ると、テキサス州は憲法が州に独自の戦争行為を認めている「侵略」事態に相当するとして連邦最高裁で争う構えを見せている。保守系判事が多数派を占める連邦最高裁が合憲判断を下せば、メキシコと国境を接する南部の他州に広がる可能性があり、第二の南北戦争を想起させる国を二分する事態に発展する可能性が大きい。(参照:6月25日産経)

 このように国際社会におけるアメリカの弱体化に加えて、アメリカ国内では分断、不法移民の急増と治安の悪化等々、複数の深刻な事態が同時に進行していて、11月の大統領選で臨界点に到達する可能性が高い。

 ウクライナ戦争、イスラエル-ハマス戦争の終結が見えない中で、アメリカ大統領選が世界の注目を集めている。注目のポイントは、国際秩序を守るためにアメリカが保有する力を国際公共財として提供するかどうかにある。

 この視点で歴代大統領を評価すると、レーガンは「アメリカには自由主義秩序を擁護する特別な責任がある」との立場に立って、同盟を重視しつつ国際公共財を提供した。オバマとバイデンは「アメリカは世界の警察官ではない」としてロシアと中国による無法な行動を黙認した。

 そして次の大統領だが、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプが再選される場合、国際秩序を再び取り戻すためにトランプがアメリカの持つ国際公共財を提供するかどうかに世界の注目が集まる。(参照:6月27日産経、湯浅博の世界読解)

 一方日本は核の傘と打撃力をアメリカに依存し、日本は防御を分担するという「専守防衛」の方針に基づいて戦後の安全保障体制を保持してきた。日本周辺において有事が顕在化しない状況では、専守防衛は日米双方にとって都合のいい体制だったが、今やその状況が一変しつつある。台湾有事や朝鮮半島有事の蓋然性が高まっている現状で、アメリカの弱体化が進行し、国内回帰志向が強まれば、専守防衛のままでは日本の安全保障体制が危うくなる。

 安全保障の要諦は、最悪の事態を想定してそれに対する備えを万全にすることである。その認識に立って考えれば、日本は専守防衛の前提が崩れる事態を想定し、日本の役割と能力を増強させて、アメリカの弱体化を段階的に補強する対策を速やかに講じなければならない。それは戦後の日米関係をヴァージョン2.0に更新することを意味する。

はじめに日本近代史の総括が必要

 明治維新を起源とする日本近代史の前半は、日清戦争(1894)から太平洋戦争敗戦(1945)に至る「戦争の半世紀」だった。しかも戦争史の中核テーマは中国との関係にあったと言って良い。ズバリ言えば、中国の近代化に日本が深く関与した歴史だった。

 一方、近代史の後半(1945~現在の79年)は「思考停止の80年」だった。前半は意気揚々とした時代であり、後半は自己を喪失した時代だった。前半から後半への転換点となった事件は、言うまでもなく太平洋戦争の敗戦であり、GHQによる占領だった。

 「思考停止」とは、この転換点において「戦争の半世紀」を総括しないまま、現在に至るまで封印してきた事実を指している。近代史の前半には「富国強兵」という明確な目標があったのだが、後半は日本が目指す目標がないままにやり過ごしてきた。

 戦後吉田茂首相と池田隼人首相は、敗戦によって日本が喪失したものを取り戻すことよりも経済復興を優先させた。「所得倍増」政策は見事に功を奏して、日本は世界第二の経済大国の地位を獲得した。しかし1991年にバブル崩壊が起きて、それから30年以上もデフレ経済に苦しみ、そこに少子化・人口減少が加わって、日本は未だに経済成長を取り戻すことができずに低迷している。

 戦後の両首相は「国民が食えるようにすることが最優先だ」という判断に立ったのであり、敗戦直後の状況において正しい判断だったと評価される。しかしながら、安倍元首相が「戦後レジームからの脱却」という言葉に含めた、「敗戦と占領で喪失しったものを取り戻す」意思と道筋を明示しないまま「戦争の半世紀」を封印してしまった責任は極めて大きいと言わざるを得ない。

 明治維新から既に156年が過ぎた。国際社会を再び戦争の影が覆うようになり、東アジアの安全保障環境は危機前夜という程に悪化している。加えて日本は経済成長から30年以上も取り残されて、未だにじり貧状態から脱却できずにもがいている。

 現在の日本は、明治維新を第1回とする80年周期の三回目の転換点に立っているように見える。再び日本を輝かしい国とするために必要なことは、次の80年に目指すべき目標と進路を明示することである。そのためには「戦争の半世紀」を総括して画竜点睛を欠いたままの戦後史に魂を吹き込み、教訓を明らかにして後世に継承してゆかなければならない。

危機に対処するために

 日本は太平洋戦争に敗れて、「戦争と平和」に関して思考停止状態に陥った。「平和を希求し戦争を忌避する」戦後の時代が始まったと言うと正しい選択をしたように聞こえるが、それは偽善でしかない。

 何故なら、戦争に対して日本は「見ざる言わざる聞かざる」状態にあるからだ。ウクライナがロシアから侵略を受けて一般市民の多大な犠牲者を出して防衛戦争を戦っているにも拘らず、日本は戦うための武器の提供を拒否してきた。その理由が「日本は平和国家だから」というのであれば、それも偽善と断定する他ない。

 戦後日本の言論は、「平和は善、戦争は悪」という単純すぎる二元論に終始してきた。しかしながら平和とは結果であり、戦争とは外交の一手段であることを考えると、本来同列に並べて論じるべき概念ではない。「平和を守るために戦う」という現実的なオプションを排除しているという意味で、「平和か戦争かという二者択一」思考は誤りである。隣国が軍事侵攻してくるときに武器をとって戦おうとしない国は侵略され、平和も秩序も社会インフラも悉く破壊されてしまうことをウクライナ戦争は世界に知らしめ、覚醒させた。

 中国は1964年の東京オリンピックの最中に原爆実験を行い、今や米露に次ぐ核兵器大国となった。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は、今年6月17日に公表した年次報告書の中で、中国が保有する核弾頭数は昨年より90発増加して推計で500発となったと報告している。しかもこれまでは核弾頭をミサイルとは別に保管してきたが、現在では推定で24発の核ミサイルが実戦配備されたという。北朝鮮も戦術核兵器の開発に重点を置きつつあり、約90発分の核分裂物質を保有していると分析している。

 ロシア、中国、北朝鮮に対して、「日本は戦争を忌避する平和国家です」と幾ら主張しても何ら抑止力にはならないばかりか、むしろ逆効果にしかならない。戦後の日本の平和が維持されてきたのは、偏に世界最強の軍事力を持つアメリカの傘によって守られてきたからである。安全保障環境が深刻化し、台湾有事や朝鮮半島有事の蓋然性が高まっている現在、これら隣国の脅威から日本を守るためには、日本が自律的に「平和を守るためには戦争をも辞さない」姿勢を明確にして、国際情勢の変化に対応して日米同盟を常に進化させ、新たな脅威の出現に対し常に強固な抑止力を保持してゆく以外にはない。

 ここで問題になるのが、冒頭で述べたウクライナ戦争で顕在化した二つの危機事態である。日本は終始、アメリカの核の傘と打撃力を前提として専守防衛路線を歩んできた。アメリカは武器を供与しロシアに対する制裁を発動してウクライナを支援してきたが、ウクライナの社会インフラはロシアの攻撃によって焦土となった。ウクライナはアメリカの同盟国ではないが、バイデン政権はロシアによる軍事侵攻を阻止しなかったばかりか、ロシアによる侵略を早期に終わらせるために万全を尽くしたとは言い難い。

 現在、トランプ大統領が再任される可能性が高まっているが、もし再選が現実のものとなれば、トランプ氏はNATOや日本に一層の防衛負担を要求してくる可能性が高い。来年に戦後80年を迎える日本は、自分の国をより自己完結的に守る体制の構築を余儀なくされるだろう。アメリカの弱体化に臨み、将来の日米関係のためにも、敗戦と占領で封印してきたものを取り戻さなければならない。アメリカとの従属関係を清算して、核の傘を残したまま、専守防衛に代わる防衛力(ヴァージョン2.0)を構築しなければならない。

 そのためには何よりもまず戦後の「思考停止」の封印を解除しなければならない。さてどこから着手すべきだろうか?まず広島原爆記念碑の文言を改訂することから始めるのが適当と考える。何故なら現在の文言が、アメリカによる、民間人を標的とした、原爆投下という非人道的な重大犯罪に対し、「黙して追及せず」の姿勢をとっているからだ。そればかりか、広島を訪れる多くの日本人に対し、「この戦争の責任は戦争を始めた日本にある」と巧妙に洗脳しているからだ。終戦から80年の節目に臨み、日本の新たな決意を世界に示すためにも、広島原爆記念碑のヴァージョン2.0への更新が望ましい。 

(10)「戦争の半世紀」の総括

はじめに、戦争の二つの戒め

 一般論として、戦争の教訓として二つの戒めがある。一つは、戦争はひとたび始めてしまうと途中で引き返すことが難しいことであり、もう一つは一つの戦争の終結が次の戦争の原因となることだ。実際に日清・日露戦争の中に、この戒めを見て取ることができる。

 日露戦争が起きた背景には日清戦争がもたらした地政学的な変化があった。満州及び朝鮮半島における清の影響力が減少し、逆に日本の影響力が増大したことだ。日清・日露戦争は、戦争の終結が次の戦争の原因となることを示している。実際に日清戦争で多大な賠償金と領土を得ることができたことから、日本は日露戦争に前のめりになり、逆に日露戦争では賠償金がとれなかったために次の満州事変を招いている。

 満州事変は1931年に始まり1933年に終結した。満州進出の第一の目的が、人口増大に対する食料安全保障だったのであり、満州国建国を果たした1933年にこの目途はついている。その後の歴史を考えると、日本にとって満州事変の終結は、満州以南の中国大陸には関わらないと踏み止まるべき歴史的に重要な分岐点だったことになる。

 しかしながらひとたび戦端を開いてしまうと、途中で止めることが難しい。踏み止まるためには、慣性力で突き進もうとする軍部を統制する強い政治のリーダーシップが不可欠となる。実際に日本はそうしなかった。この判断ミスが太平洋戦争を招いたことは歴史が証明している。

日本の掌中にあった切り札の選択肢

 日本が朝鮮半島、中国大陸に進出した動機は、西洋列強による侵略・支配を受けないアジア独自の平和な世界秩序を建設することだった。崇高な理想を掲げたのだが、中国人同士の三つ巴の内戦を招き、中国を味方に引き入れることに失敗した。結局、日本が中国大陸に介入したことにより清国は滅び、中国は再び内戦と内乱の大陸に回帰した。

 そもそも中国に明治維新と同等の近代化を求めたことに無理があったと言わざるを得ない。日本には鎌倉時代以降継承されてきた武家による中央集権・封建体制の蓄積があり、薩長土に代表される近代化志向の雄藩の存在があった。高い志を持った若い武士階級が残っていたからこそ明治維新という革命を成し遂げることができたのだった。一方中国にはそのような歴史遺産も担い手も存在しなかった。

 そして支那事変後半には、日本が支援する汪兆銘の南京政府、アメリカが支援する蒋介石の長慶政府、ソ連が支援する延安政府による三つ巴の内戦となった。この内日本だけが中国人同士の内戦に深く引きずり込まれ、アメリカとソ連は反日ナショナリズムをけしかけて日中戦争で双方が疲弊するように、老獪な外交を展開した。

 結果から評価すれば、日本が支那事変に引きずり込まれずに踏み止まっていれば、日中戦争は起こらず、従って太平洋戦争も起きなかったに違いない。

日本の実力を超えた無謀な戦いだった

 「戦争の半世紀」を考える場合、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1914-18年の第一次世界大戦、1931-33年の満州事変、1937年の支那事変、1941-45年の太平洋戦争は、日本の近代史前半の中核を為す物語を構成する一連の事件として捉える必要がある。

 支那事変から始まった日中戦争は、中国大陸を舞台とする実質的にアメリカ、ソ連を加えた四ヵ国間の戦争に拡大した。当時の失敗の教訓を要約すれば、次のとおりである。

 第一は「戦闘に勝って戦争に負けた」日清・日露戦争の分析と教訓が不可欠だったことだ。日本に欠落していたのは、最終的に戦争に勝つための能力だった。それを獲得し磨くためにも、日清・日露戦争において欧米列強がとった外交と、第一次世界大戦において欧米列強がとった外交と戦争行動について徹底的に学ぶべきだったのだ。

 第二は米ソという老獪な二大国に加えて、日本とは異質な文明を持ち、広大な中国大陸を舞台として行われた中国人どうしの三つ巴の内戦に介入してはならなかったことだ。中国の内戦に巻き込まれずに、米英ソとの外交戦に専念すべきだった。

 「戦争の半世紀」の中核テーマは中国との関係だった。歴史を俯瞰する時、日本が犯した決定的なミスは、中国大陸に関与し過ぎたことに尽きる。この国とは適当な距離をとって付き合うべしというのは、現在も通じる教訓である。総じて日本にはそのような外交を演じる強かさと老獪さが欠落している。

(11)欧米との共通性と日本の個性を再認識せよ

同時期に近代国家となった欧米と日本

 15世紀から始まった大航海時代の潮流は、欧州を起点に東回りと西回りで地球を一周して、大陸を結ぶ海上航路を開拓し、大陸間の貿易と人の交流を活発化させ、そして世界を植民地化していった。そして大航海時代と植民地化という大波が東アジアに本格的到達したことを象徴する事件が1840年のアヘン戦争と1853年のペリー来航だった。

 1868年の明治維新は、この二つの事件に強い危機感を抱いた長州や薩摩の下級武士たちが決起して起きたものであり、日本における近代化の始まりとなった。そして1871年には岩倉具視を団長とする総勢100名余の岩倉使節団が20ヵ月余にわたって、米欧の12ヵ国を公式訪問して、近代国家の現状をつぶさに視察している。

 この事実が物語るのは、発足して間もない明治政府が時間と資金と人材を惜しみなく投じて、近代化を一気呵成に進めた英断である。欧米の近代化を直接見聞した政府高官たちは「富国強兵」政策を強力に推進して、日清・日露戦争の勝利をもたらした。

 近代化を成し遂げた時期で比較すると、一足早かったイギリスと一足遅れたロシアを除くと、アメリカ南北戦争終結が1865年、明治維新が1868年、ドイツ帝国誕生が1871年、フランス共和国誕生は1874年というように、日本は欧米主要国と同時期に近代国家となっている。

 さらに歴史を遡れば、西暦604年に聖徳太子が十七条の憲法を制定した時点で世界に先駆けて立憲君主制となったのであり、議会制民主主義は1890年に帝国憲法が成立したことによって導入されている。日本は近代化において世界の先進国だったことが分かる。

欧米との共通性と決定的な違い

 日本とイギリスは世界の国々の中で最も似た者同士である。ユーラシア大陸の両端に位置する島国で海洋国家であり、立憲君主制の議会制民主主義国である。封建制の歴史を持ち、武士道と騎士道の文化を継承している。一方で、両国には決定的な違いが二つある。

 一つは隣接する大陸国家の違いである。イギリスがタフな競争相手と数世紀に及ぶ戦争と競争を繰り広げてきたのに対して、中国と朝鮮が近代化から取り残されていたために、日本は四半世紀にわたって鎖国と太平の時代を享受することができた。

 もう一つの違いは宗教である。神と自然に対する姿勢においてキリスト教と神道は対極にある。

 この二つの違いが日本とイギリスの運命を分けた一因となっている。戦争に明け暮れたイギリスが戦略観を磨いて世界の覇権国となったのに対して、日清・日露戦争で外交と戦略の重要性を学び取らなかった日本は、中国大陸での内戦に引きずり込まれていったのだった。

 一方日本とアメリカには、同時期に内戦を戦って(戊辰戦争と南北戦争)国家を平定したことを除けば、共通性は殆どない。とりわけエドワード・ルトワックがいう「戦う文化」において日米は対極にある。アメリカは自らを脅かす勢力の台頭を決して容認しない国家である。南北戦争の戦死者数が戊辰戦争の25倍に達したことがそれを物語っている。片や日本は、近代史の前半では危機に臨んで「戦う文化」が発動されたものの、敗戦と同時にそれを封印して現在に至る。

独自の文明を継承する日本のアイデンティティ

 もう少し歴史を大きく俯瞰してみよう。日本は縄文の古代から、火山や地震などの天変地異に翻弄されてきた。日本にとっての脅威とは自然災害や飢饉であり、日本は自然を畏怖すると同時に自然の恵みに感謝しながら2000年以上の歴史を紡いできた。

 日本は歴史の大半において、天皇の権威を守りつつ武家が政権を担う統治制度を維持してきた。武家が台頭した以降では国家統一を巡る戦争が幾度も繰り返されてきたが、隣国との戦争に明け暮れてきた欧州とは全く異質の文明を継承してきた。

 富国強兵政策の結果、日本は欧米に追い付いたという自信と欧米に対する親近感を実感したと推測されるが、もしそれと同時に日本のアイデンティティを自覚して、欧米との違いをきちんと認識していたら、日本の近代史は違う展開となった可能性が高い。

 既に述べてきたように、太平洋戦争の遠因にはアメリカと日本の宗教観と文明の違いがあった。もし日本がアメリカの思考過程と行動様式を的確に認識していたなら、アメリカによる敵視自体を緩和ないし消滅することができた可能性がある。

世界の近代史で日本が果たした役割、払った犠牲

 日本は東アジアに押し寄せた欧米列強による植民地化の大波に立ち向かった。孤軍奮闘したのだが、中国大陸に深入り過ぎ無謀な戦いを強いられて敗北した。太平洋戦争で日本が未曽有の損失を被った一方で、日本が支援した東南アジア諸国が独立を勝ち取ったことは、歴史上公知の事実である。

 RMC(役割、使命、能力)というアメリカの軍事用語があるが、そういう結末に至った原因は、前項で論じたように、担おうとした役割に対しそれを実行する能力が伴っていなかったことにあった。

エピローグ:戦後80年からの展望

 日本の近代史は、明治維新以降は「富国強兵」を目標とし、敗戦後は「所得倍増」を目標として綴られた。富国強兵という目標は日露戦争の勝利をもって達成されたと見なされるが、そうであるなら日露戦争後に富国強兵に代わる新しい国家目標を打ち立てるべきだった。しかし実際は目標を見失ったまま、欧米列強と同じように振舞って「戦争の半世紀」の後半を戦っている。

 この本来の姿と現実の違いが日本の失敗を招いたと言える。日本は明治維新において議会制民主主義を定着させ、帝国憲法を制定し、岩倉使節団が20ヵ国を訪問した欧米諸国からさまざまな専門家を招聘して、国家のインフラを短期間で整備していった。そうして日清・日露戦争を戦って勝利した。

 この時点で「ここから先、日本は新たに何を目指すのか」という問いに立ち返り、敢えて足踏みをしてでも、新たな国家目標を明確にすべきだったのだ。欧米キリスト教国とは異なる日本独自のアイデンティティを再認識して、それに相応しい国家像を明示すべきだったのだ。

 これは現代も当てはまる日本の課題である。現在国際社会の秩序を崩壊させている大きな原因は、国際社会のルールを公然と無視するロシアと中国の行動にある。ポスト冷戦後、アメリカの覇権体制が続いてきたが、アメリカが弱体化するのと入れ替わるように、ロシアと中国が挑戦的な行動をとるようになった。

 そして現在の危機を地政学的に俯瞰すると、大陸国家対海洋国家の対立の構図でもある。ウクライナ戦争で隠してきた牙を現したロシアと、国力を増強した中国の台頭が国際秩序を脅かす存在となり、両大陸国家の行動を抑制するために海洋国家が団結する必要が高まってきた。

 日本とイギリスはともに大陸沖に浮かぶ島国であり、海洋国家である。アメリカもオーストラリアも海洋国家である。「戦争の半世紀」では日本は世界から孤立して戦ってきたが、現在はG7の一員として、さらには海洋国家連合の一員として、国際秩序の再構築に向けて日本の役割が増大しており、同時に世界から期待されていることでもある。

 さらに地球温暖化や脱炭素等、人類が現在直面している地球規模の課題は、「自然と共存・共生する文明」の継承者である日本がリーダーシップをとって立ち向かうべきであることは言うまでもない。

 このように大きく展望すれば、日本が敗戦と占領で封印したものを取り戻し、アメリカに対する従属関係を清算し、日本のアイデンティティを発動させて、国際社会の課題や地球規模の課題に本気で取り組む時機が到来していることが分かる。そのためには、明治維新以降80年周期で展開してきた「戦争の半世紀」と「思考停止の80年」に代わる、次の80年の行動規範となるべき新たな国家目標を打ち立てなければならない。

「思考停止の80年」との決別 第1部

(1)歴史を総括するということ

秩序崩壊しつつある国際情勢

 戦後国際社会の秩序を維持してきた枠組みが、ロシアによるウクライナ軍事侵攻によって瓦解しつつある。ウクライナ戦争がどういう形で終結するのか、現時点では何も予測できない。また中国経済が失速しており、今後社会の混乱がどこまで拡大するか、さらに台湾有事がどうなるか、これも予測できない。

 但し確実なことが一つある。それはウクライナ戦争を契機としてアメリカの弱体化が加速していることだ。それを象徴する事件がアメリカがロシアに対して科した制裁である。アメリカはロシアに対してドル決済を制限する制裁を科したが、ロシアはドルに依存しない二国間決済を拡大して対抗した。ロシアの動きに同調するように、BRICSやグローバルサウス諸国はドルに依存しない貿易決済を拡大しつつあり、制裁はドル覇権が揺らぐ結果を招いたのである。

 この国際情勢の変化は、日本に二つの課題を突き付けている。一つは、戦後ずっと日本は安全保障の要衝部分を「アメリカの傘」に依存してきたのだが、それを再検証する必要が出てきたことだ。他一つはこれから国際秩序をどうやって回復させるのか、そのために日本はどのような役割を果たすのかだ。

 戦後の日米関係は、安全保障の機能の内、核抑止と攻撃をアメリカに委ねて、日本は専守防衛に徹するという取り決めで維持されてきた。一方ウクライナ戦争ではアメリカはロシアとの直接衝突を避けて、ウクライナに対し武器を供与しただけで米軍を動員しなかった。このため、極東有事においてもアメリカは中国との直接衝突を避けて同様の対応をとるのではないかという疑念が生まれた。それは日本が前提としてきた「日本は専守防衛で攻撃はアメリカの役割」という前提が崩れることを意味している。

 有事に備える根本が最悪の事態に備えることであるとすれば、アメリカ依存を局限化し、基本的に自己完結で対処できる体制に大急ぎで転換しなければならない。何故ならアメリカが世界に冠たる1強だった時代が終ろうとしているからであり、過渡なアメリカ依存はむしろ危険な時代となったからだ。

 ウクライナ戦争では、安全保障理事会の常任理事国であるロシアが軍事侵攻の当事国だったため、ロシアの拒否権発動によって何も決められない事態を招いた。もしウクライナ戦争がロシア敗退の形で終結しなければ、国際秩序を無視したロシアの行動が既成事実として残ってしまうだろう。そうなれば同じく常任理事国である中国もまた、ロシアと同様の行動をとるのではないかという疑念が高まり、国際秩序のスキームが崩壊してしまうだろう。この危機に臨んで、国際秩序を再構築するために、日本の役割は何か、アメリカをどう補完するのか、日米関係はどうあるべきかについて、未来の姿を本気で考えなければならなくなったのである。

戦争の総括

 日本は太平洋戦争の敗戦を総括しないまま現在に至っている。敗戦後に「戦争の総括」に着手できなかったのはGHQによる占領体制があったからだ。しかし1951年9月8日にサンフランシスコ平和条約が締結され、国会承認を経て1952年4月28日に公布されて、GHQによる占領体制は終了した。それから現在まで72年の歳月が流れたが、戦争の総括は未完のままである。

 占領体制は現在でも随所に残っている。余りにも現代の日本社会と一体化しているために、大半の日本人は気付いてさえいない。一例を挙げると、米軍横田基地周辺の空域は今でも米軍の管制下にあり、羽田空港を離発着する航空機は、横田空域を避けて飛ぶことを余儀なくされている。首都に米軍基地があり、世界でも超過密な羽田空港の周辺空域に、日本の航空管制権が及ばない横田基地という治外法権の空域が存在する現実は異常という他ない。

 かつて石原慎太郎都知事が精力的に取り組んだことがあったが、具体的な進展はなかった。また明治の時代に不平等条約と呼ばれた、『安政の五ヶ国条約』(領事裁判権、関税自主権)は、明治政府が周到で粘り強い手順を踏んで改定されたが、米英露仏蘭の五ヶ国と条約が締結されたのは明治維新10年前の1858年であり、それから領事裁判権を撤廃するまでに36年、関税自主権に至っては53年もの歳月を要している。

 サンフランシスコ平和条約から既に73年が経過しているが、日米同盟に係る不平等な取り決めは未だに撤廃されていない。これは日本側が精力的に行動しない限り一歩も進まない問題であり、政治家の不作為に他ならない。

 日本は太平洋戦争の敗戦という歴史的重大事件を総括し、教訓を明らかにして、それを現在の政治に活用するという当たり前のことができていない。GHQが去った後も現在に至るまで「GHQの洗脳」を受けた日本人が多く存在する。一例を挙げると、天皇陛下や総理大臣が靖国神社を参拝することに反対のキャンペーンを張る団体やマスコミが存在する。国家元首が戦争の犠牲者となった戦没者を慰霊することはどこの国においても至極当然の行為である筈だが、日本ではその論理が今でも通らない。これも異常という他ない。

 安倍元総理が言及していた「戦後レジームからの脱却」という言葉には、狭義と広義さまざまな解釈があるに違いない。いずれにせよ今も残る占領の遺構と洗脳を一掃して、真に独立した日本に相応しい、かつ現代社会に適合するものに作り換えない限り、「アメリカ弱体化の時代」に起きる危機に対処することは困難になるだろう。具体的には、占領政策によって作られた戦後体制、安全保障条約や地位協定などの日米同盟に係る取り決め、GHQが悪意をもって作り日本に押し付けた憲法、国内に多くある米軍基地、日本の文化・学校教育や精神に与えた影響などだ。

近代史を総括するということ

 歴史を総括することは容易ではない。日本の近代史を総括しようと思えば、図に示すように、時間軸での過去との因果関係、空間軸での国際社会との相互作用を考慮しなければならない。

 明治維新以降の近代史を論じるためには、幕末以前の歴史と明治以降の出来事との因果関係と、日本人が継承してきた資質や文化を境界条件とし、当時の国際社会との間で繰り広げられた相互作用を解読しなければならない。また当時の国際社会もまた歴史との因果関係の結果として存在していたことを無視することはできない。

 歴史の総括は本来歴史家の仕事である。私は専門家でも研究者でもないとお断りした上で、現在のリアルポリティクスを考えるために、可能な限りその全体像と変化を見る視点から、日本の近代史を俯瞰的に捉えてみたい。激変する国際情勢の中で、日本がどこに立ち、どこに向かうべきかを考えるためには、どうしても日本の近代史の総括が避けて通れないのである。

 総括するにあたって参照した資料は次の二つである。

   資料①:『憂国のリアリズム』、西尾幹二、ビジネス社,2013年

   資料②:『自ら歴史を貶める日本人』、西尾幹二と現代史研究会、徳間書店、2021年

高い視座からの俯瞰

 本題に入る前に、視座について触れておきたい。そもそも人類は宇宙船地球号の表面で活動している誠にちっぽけな存在に過ぎない。簡単な数値をもとに、その現実をイメージしてみたい。地球は秒速460m(赤道上)、つまり音速の2倍で自転しながら、秒速30kmで太陽の周りを公転している。さらに太陽系は秒速230kmで銀河系の淵を周回し、銀河系は秒速600kmで宇宙空間を飛翔している。ちなみに音速は秒速340m(気温15℃)である。

 我々人類は、この途方もない超高速で宇宙空間を飛翔する宇宙船地球号の表面で右往左往している存在に過ぎない。如何なる問題も、一度この認識に立って全体を捉え直すのがいい。何故なら、どれほど大きな問題だと思えるものも、なんと小さなことかと俯瞰して捉えることができるからだ。

 万物は流転するというが、日本も世界も地球さえも休まずに変化している。時間とは諸事が物理的に変化することと同義であり、歴史とは変化の軌跡が綴られた記録である。そして現在とは過去からの因果関係の連鎖の結果として存在し、今まさに変化が起きている現場に他ならない。歴史を総括するためには、この「時間、歴史、そして現在」という概念を念頭において考えるのがいい。何故なら観測者としての自分の視座を、観測される舞台から遠く離れたところにおくことによって、状況をより客観的に認識することができるからである。

 歴史は時間と空間を二軸とする座標系で、連続した変化として綴られている記録であるから、そこから特定の部分を切り取って論じることは意味がない。日本の近代は明治維新から始まったが、だからと言って時間軸で1868年以降を切り取り、空間軸で世界の中から日本だけを切り取って幾ら眺めてみても、本質は何も分からない。

近代史を俯瞰するにあたって

 日本の近代史は王政復古と文明開化を同時に成し遂げた明治維新に始まる。さらに日本の近代史を揺るがした大事件は、明治維新、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争の4つである。そして明治維新(1868年)から日露戦争(1904年~1905年)を経て太平洋戦争(1941年~1945年)までを近代史の前半、太平洋戦争から現在までを後半と括ることとする。

 近代史の前半は、司馬遼太郎が描いた物語に象徴されるように、ひたすら困難な坂を登って歴史的かつ世界的な勝利を勝ち取った明るい時代であり、後半は敗戦とGHQによる占領という苦難と屈辱から始まった時代である。そして、近代史の前半と後半の間には「明から暗に」変化する大きな屈折点が存在している。

 もう一つ近代史を俯瞰するにあたって注目すべきことがある。それは日露戦争に勝利して列強の仲間入りを果たしたところまでの成功物語の裏面で展開された欧米列強との相互作用に関する部分こそが重要だということだ。何故なら、その中にこそ近代史後半の失敗の原因が隠れているからである。特に、欧米列強の歴史、その背景にある宗教の影響と、思考と行動様式についての分析と洞察が重要となる。

 ところで我々日本人は、この近代史をどのように理解しているだろうか。ワイングラスを片手に、国際的な懇親の場に参加している場面を想定して欲しい。語学力の問題が全くないと仮定する時、我々は日本の近代史を外国人に対してどのように語ることができるだろうか。堂々と歴史を語る知見を我々は持ち合わせているだろうか。そのことについて学校で習ったことはあっただろうか。或いはその近代史を一遍の物語として記述している本はあるだろうか。

 残念ながら、答えは何れもネガティブであるだろう。占領の遺構と洗脳が一掃されないまま、78年間「ダチョウの平和」の戦後が綴られて、近代史の総括は現在まで棚上げされてきたからだ。

 未来を展望するためには、人類の近代史の中で日本はどこに立ち、如何なる役割を演じてきたのか、それは正しかったのか、もし正しくないとすればどこが誤ったのか、何故誤ったのか、ではどうすべきだったのかについて、全体像を巨視的に把握することがどうしても必要となる。過去を総括することなしに、また過去から教訓を学び取らずに、これからの進路を見定めることはできないからだ。

(2)「思考停止の80年」

日本民族・文明の根幹に係る問題

 日本は戦後78年を「ダチョウの平和」でやり過ごしてきた。近代史を総括してこなかった事実から、これを「思考停止の80年」と呼ぶことにする。「失われた30年」は経済の問題だったが、「思考停止の80年」は日本民族・文明の根幹に係る問題である。そして言うまでもなく、思考停止の起源は太平洋戦争の敗戦にある。

 この資料では、大東亜戦争と太平洋戦争という用語を使い分けている。「大東亜」という呼称については、戦前の昭和の、日本思想界の象徴的存在だった大川周明氏が、昭和14年に書いた著書「日本二千六百年史」の末尾に、次のように説明しているので引用する。

 ≪日本出兵の目的は、畏くも昭和12年9月4日の勅語に煥乎たる如く、一に中華民国の反省を促し、速に東亜の平和を確立せんとする。・・・東亜新秩序の建設を実現するために、獅子奮迅の努力を長期にわたりて持続する覚悟を抱かねばならぬ。東亜新秩序の確立は、やがて全アジア復興の魁である。全アジア復興は、取りも直さず世界維新の実現である。≫

 これに対して太平洋戦争という呼称は、文字どおりアメリカが仕組み、日本が追い詰められるように突入していった、太平洋を舞台として日米が衝突した戦争をいう。

思考停止の起源

 「思考停止の80年」を論じる上で、無視できないことが一つある。それは広島にある「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれている原爆記念碑である。私には、この碑文は「思考停止」を肯定し助長する碑としか読めない。何故なら「繰り返しませぬ」の主語が誰なのか、「過ち」とは何を意味するのか、敢えて曖昧にしているからである。そうすることで読み手に考えさせる狙いがあると言えばそれまでだが、原爆投下とさらにはあの戦争について、誰に何の誤りがあったのかをウヤムヤにし、戦争の教訓をウヤムヤにしてしまうという意味で決定的に間違っていると思うのである。

 それだけではない。この碑文は、アメリカが実行した民間人を標的とした原爆投下という非人道的な重大犯罪に対して、「黙して追及せず」という形で封印する札になっていることを指摘しておきたい。

 電気通信大学名誉教授の西尾幹二氏は、資料①の中で、次のように想いを語っている。

≪そもそも原爆を落とされた国が落とした国に向かって縋りついて生きている、こんな妙な構図がいつまで続くのであろうか。世界が首をかしげ理解できなくても、この病理にどっぷり浸かってしまっていて、苦痛にも思わなくなっている、この日本人の姿を、痛さとして自覚し、はっきり知ることがすべての出発点、何とかして立ち上がる出発点ではないかと思うのである。≫

今も残る占領体制

 『日本を取り戻す千載一遇の好機到来』で述べたように、現在の日本にはGHQの占領政策に起因する、凡そ独立国とは言えない不合理な遺構が随所に残っている。この事実から日本の現状は未だアメリカの占領下にあると断言せざるを得ないのだ。

 エドワード・ルトワックがウクライナ戦争に対し支援疲れに陥っているヨーロッパの現状を憂いて、「戦う文化」を喪失していると指摘している。他国の理不尽な振る舞いに対して敢然と立ち向かう意思を、日本人は敗戦と同時に喪失して現在に至っている。

 占領の遺構の例を挙げれば、必要と思われる以上に多くの米軍基地があること、不平等な日米地位協定が残っていること、思いやり予算の存在、横田基地との関係から羽田空港周辺に日本の管制権が及ばない空域が存在すること、アメリカ従属の外交政策等、広範囲に及んでいる。

 昭和20年9月にトルーマン大統領からマッカーサー連合軍司令官に対して『降伏後における米国の初期の対日方針』が示された。そこには「究極の目的」として、「日本が再び米国の脅威となり、または世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」と明記されているという。

 誠に残念なことだが、この占領政策が暗雲のように戦後78年間日本を覆ってきた。何故未だに一掃できないのか。その原因は米国による占領政策が巧妙だったこともあるが、それだけでない。日本人自身が近代史を総括せず、暗雲を一掃する「戦う」行動を起こしてこなかったからだ。現代の日本人は日露戦争までは確かにあった武士道精神を喪失しているという他ない。

占領政策の呪縛からの開放

 西尾幹二氏は資料①で、「アメリカは欧米の暗い過去を隠すため、GHQの占領政策の中で『侵略したのは日本だ』というすり替えを行った。問題は、意図的に仕組まれた占領政策の呪縛から日本が未だに脱することができていないことだ。いい加減でこの状況から抜け出さない限り、日本という国家はいずれ消滅してしまう。」と警告している。

 戦後の日本人は、この事実を正しく認識せずに、「日本が悪うございました」と頭を垂れたまま78年が過ぎた。先に、広島原爆記念碑の碑文に対し異議を唱えたが、その理由はもう一つある。それは広島を訪れる多くの日本人に対し「この戦争の責任は戦争を始めた日本にある」と、さりげなくも巧妙に洗脳していると思うからである。極めて有害な碑と言わざるを得ない。

 高知大学名誉教授の福地惇氏は資料②で、「遅きに失した感があるが、ある目的のために歪められた歴史観を正道に糺さずしては、日本民族が独立主権国家として21世紀を毅然と生き抜くことはできないと、強く危惧せざるを得ない。」と指摘する。

 敗戦後、日本はいわゆる「空想的平和主義」に立ち、経済優先でやってきた。周囲のロシア、中国、そして北朝鮮までもが核兵器や長射程ミサイルを保有してきた現実には目をつむって、非核三原則の堅持を唱え、自衛隊が攻撃手段を持つことに頑迷に反対してきた。日本が性善説に立って物事を眺めようとする平和志向の民族であることは是非もないが、ロシアも中国も北朝鮮も、善意が通じる相手でないことは明らかだ。こうして相手には悪意があり、日本は善意に立つという矛盾に直面して、その先を理詰めで考えることを放棄する「思考停止」状態に陥ったと考えられる。

 しかし世界情勢は激変した。長期的な動向としてアメリカが弱体化の方向にある現在、このまま思考停止を続けることは致命的に危険であると認識を新たにしなければならない。日本は明治維新から戦後に至る近代史の全体の流れを、先入観に囚われることなく、客観的に総括することによって、占領の呪縛を解き放たなければならない。

日本を取り戻す千載一遇の好機到来

 アメリカ大統領選は、共和党の予備選挙で既にトランプ元大統領が33州の内31州で勝利して指名を獲得した。ロバード・ケネディ・ジュニア氏が無所属で出馬して3月26日に副大統領候補を発表するというニュースがあり、波乱要因となる可能性があるが、実質トランプ対バイデンの一騎打ちの構図となりそうだ。

トランプ第2次政権の政策

 3月22日の産経新聞紙面に、トランプ陣営の政策研究機関である「米国第一政策研究所(AFPI)」で外交政策を統括するフレッド・フライツ氏に対する古森義久氏のインタビュー記事が掲載された。トランプ第2次政権が誕生すれば、フライツ氏は安全保障政策を担う政権の要職に就任する可能性が高い。はじめに発言の要点を以下に紹介する。

安全保障政策全般

 トランプ氏の安全保障政策は「力による平和」であり、抑止のための軍事力の選別的な行使だ。軍事力の行使には慎重に同盟諸国と協力するが、同盟国側にも相当の役割を期待する。「強い米国」の再現を目指し、国防予算を大幅に増加すると同時に、同盟諸国の防衛負担を求める。

アジア太平洋政策

 トランプ次期政権はバイデン政権が軽視してきたアジア太平洋への政策を再強化する。中国を米国にとって最大の脅威であるとみなし、十分な軍事抑止力の保持と対話の両面の姿勢をとり、台湾への攻撃を抑制する方針だ。バイデン政権が放置してきた北朝鮮の核やミサイルの増強に対しては、軍事オプションを含めて強固な措置をとる。ロシアへの兵器供与を止め、一時は合意した核開発の停止を履行させる。

対日認識

 米国益優先という米国第一外交にとっても、アジア全域での経済や安保面の利益保持には日本との絆が決定的に重要と考えている。防衛面での絆の強化を基本とし、日本側とともに尖閣諸島に対する中国の軍事攻勢に共同で対処する誓約を明確にする。国務長官や駐日大使にも日本重視を認識する人材を充て、特に駐日大使は日本の内政に干渉などしない人物を任命するだろう。

NATOとの関係

 トランプ氏の米国内での人気を恐れる欧州のエリートやグローバリストが、最近NATO離脱などというネガティブな予測を語り始めたが、根拠はない。トランプ氏は在任中からNATO諸国の国防費の公正な負担(GDP比2%以上)を求めているだけだ。

 極めて明快である。トランプ氏の言動は短絡的に捉えられがちで物議を醸しているが、トランプ氏はリアリストでプロのディールを自認していることを考えると、フライツ氏が言うように、政策の基本にあるのは「強いアメリカを目指し軍事力を強化する。その行使には同盟国と慎重に協議し、同盟国に応分の負担を求める」というプリンシプルだ。

自民党の凋落と本来の使命

 翻って日本では、パーティ券収入の未計上という激震が自民党を襲っている。他方脅し文句にせよプーチン大統領が第三次世界大戦に言及するなど、国際情勢は第二次世界大戦以降で最大の危機に直面している。この国際情勢において、いつまでもスキャンダルな話題に埋没していれば、「自民党という政党は結局、終始『内向きの似非保守』だった。もはやゾンビ政党でしかない。」とみなされて、岩盤支持層からも見放されるだろう。

 ここで断言しておきたいことは、自民党を崩壊の淵に追い込んでいる主因は、「自民党は本当に保守政党か」という疑念だということだ。このままでは「保守政党としての自民党は安倍元首相が銃弾に倒れた時点をもって終わった」として歴史に記録されることになりかねない。

 視点を変えれば、崩壊の危機から復活するための唯一の道は、本来の保守政党に戻ること以外にはないということだ。その文脈で考えると、トランプ第2次政権の誕生は願ってもない千載一遇のチャンス到来となるだろう。そう考える理由を以下に述べる。

 日本経済はデフレからの脱却に向けてようやく一歩を踏み出したところであり、「失われた30年」と決別する光明が見えてきた感がある。同時に「戦後レジームからの脱却」を一気呵成に推進できる好機が到来する。フライツ氏が示唆するように、トランプ大統領は強いアメリカを志向しつつ国際秩序の再構築に取り組むだろう。

 但し、長期的な動向としてアメリカの覇権力は弱体化しつつある。ロシアのウクライナ軍事侵攻が象徴するように、アメリカの力が弱まれば専制主義国家による国際秩序を無視する行動が増加するだろう。ロシアや中国と対峙するために、アメリカは日欧との強い同盟関係を必要としている。

 一方、現在の日本には、戦後のGHQによる占領政策に起因する、凡そ独立国とは言えない不合理な制約が随所に残っている。戦後の政治家は当然その事実を知りながら黙認し棚上げしてきた。例を挙げれば、必要以上に多くの米軍基地があること、不平等な日米地位協定が残っていること、思いやり予算、横田基地との関係から羽田空港周辺に日本の管制権が及ばない空域が存在すること、アメリカ従属の外交政策等々だ。

 ここでトランプ第2次政権が抱える課題と、日本が歴史的に抱えている未解決な課題を同時に解決する道が拓けるのである。以下に説明しよう。

トランプ第2次政権において日本が果たすべき役割

 トランプ氏が進めようとするシナリオを実現させるには、日本が従来とは次元の異なる、一段と大きな役割を担う必要がある。そのためにはこれまで「支配-従属」だった日米関係を、「兄貴分-弟分」の関係にレベルアップすることが必須要件となる。トランプ氏は取引の達人を自負しているのであるから、彼の期待に応えつつ、現在も日米間に残る不平等な関係をまとめて解決するというディールを行えばいい。

 トランプ氏は日本がレベルをアップした役割を担うことを歓迎する筈である。またトランプ氏は戦後の「異形で不平等な日米関係」に対して、歴代アメリカ大統領の中で最もビジネスライクに考える人物と思われるので、現在も残るGHQの置き土産を一掃することに難色を示すことはない筈だ。成否は日本側のアプローチ次第だが、戦後レジームを一気呵成に解決する好機が到来する。

 日本は安全保障でのアメリカの同盟国に留まらず、経済・技術分野では強い協力関係にあり、さらに世界最大の債権国日本と最大の債務国アメリカという特別な関係にある。弱体化するアメリカを補完することは日本の国益にかなうばかりか、国際秩序を再構築するためにも、日本が担うべき役割である筈だ。

 トランプ氏が同盟国がより自立的に応分の役割を担うことを要求するのであれば、「相分かった。そのためにも戦後の異形な日米関係を正すことがお互いの利益となる。」と、トランプ氏とディールを行えばいい。ポスト岸田に求められる最優先かつ最重要の役割がここにある。

歴史を造るリーダーの要件

 問題はその大きな役割を担うことができる政治のリーダーは誰かということになる。岸田総理の次のリーダーには、その大役を担う資質と能力、加えて胆力が求められる。現状の危機から何とか抜け出して自民党の存続を図るというような、矮小な動機から次のリーダーを選ばれては迷惑極まりないことを一国民の立場から述べておきたい。

 ここでリーダーの資質を考える格好の事例として、トランプ氏とバイデン氏、二人の決定的な違いについて述べておきたい。鍵は『プリンシプルの有無』である。トランプ氏が目指すのは強いアメリカを実現することであり、思考はビジネス流儀で外交はディールを基本とする。

 フライツ氏のインタビューの中で興味深いのは、バイデン政策の失敗に関する分析である。「バイデン政権は軍事力を軽視し、気候変動への対処に重点をおく。その結果、アフガニスタンからの撤退の大失態に始まり、ロシアのウクライナ侵略、ハマスのイスラエル攻撃、中国の台湾への軍事威嚇など米国の力の弱体化を誘因とする騒乱が起きた。」と評している。的確な指摘であると思う。バイデン氏の政策にはブレがあり、相手の威嚇に躊躇して行動を一歩引いてしまう弱さがある。一言で評すれば、プリンシプルを持ち合わせていない政治家だということだ。その弱さが力を信奉するロシアや中国等の専制主義のリーダーに見透かされる。

 この構図は安倍元総理と岸田総理にもそのまま当てはまる。安倍元総理はプリンシプルを持ち合わせていたから、相手がトランプだろうがプーチンだろうが習近平だろうが、言うべきことは言い、相手を説得する強さを持ち合わせていた。「猛獣使い」と評された所以である。その資質こそがトランプ元大統領から一目置かれる信頼を勝ち取った理由でもある。残念ながら岸田総理にはそれがない。

 歴史観、世界観、国家観というものを持ち合わせていないのである。リーダーには二つのタイプがある。第一は絶対座標系で自己位置を認識し、進路を見定めて意思を持って対策を講じるリーダーであり、第二は相対座標系で周囲の人との間合いをとりながら応手を模索するリーダーである。

 絶対座標系で思考するリーダーは、歴史観、世界観、国家観を羅針盤とするが故に思考がブレないし、相手の脅しや駆け引きにも動じない強さを持っている。それに対して相対座標系で思考するリーダーは、相手に対する斟酌や忖度を優先するから、打つ手に一貫性がなくなりぶれて妥協的になる弱点がある。

戦うことを忌避しない

 戦略家エドワード・ルトワックは、3月23日の産経新聞に『欧州は戦いの文化取り戻せ』と題して寄稿している。重要な論点が含まれているので要点を引用したい。

 ≪欧州では昔から戦争が頻発し、濃密な「戦いの文化」があったが、こうした文化は欧州の多くの国々で今や完全に死滅した。それでもロシアに近接する北欧諸国は「戦いの文化」を失わず、徴兵制を維持してロシアとにらみ合う。英国もロシアへの強硬姿勢を堅持し、既に少人数の英軍要員をウクライナに派遣している。

 一方で、ドイツやイタリア、スペインといった欧州の大国では誰も徴兵制について語らず、ウクライナ派兵にも否定的だ。何故ウクライナに軍を派遣しないのかとイタリアのクロセット国防相に訪ねたところ、「そんなことをすれば与党内で反発が出て政権は倒れる」と反論したという。

 「戦いの文化」を維持するプーチン体制の攻勢に晒されるウクライナに残された時間は少ない。そして欧州も目を覚ます必要がある。第一次世界大戦後の間違った戦争忌避志向がヒトラー率いるナチス・ドイツの台頭を許した歴史を繰り返してはならない。≫

 この指摘は、現代の西欧諸国を蝕んでいる二つの深刻な課題の存在を示唆している。一つは平和が脅かされている状況にありながら、戦争を忌避する政治リーダーであり、他一つは西欧社会を覆うポピュリズムである。スキャンダルな事件で右往左往している日本はさらに深刻な状況にあるという他ない。

 ウクライナとポスト・ウクライナの欧州情勢を展望すると、専制主義のプーチン大統領のウクライナ侵攻を成功させないために西側諸国がとるべき行動は、戦争をも辞さない断固たる姿勢をプーチンに示すことに尽きる。現状を米欧日のリーダー対プーチンの心理戦として捉えれば、「どうせ西側にはロシアに戦争を挑む度胸はない」とプーチンは腹を括ってきた。「核兵器を使うことも辞さない」という脅し文句を繰り返して、欧米日のリーダーをたじろがせる戦術をとってきた。即ちこの心理戦ではプーチンが明らかに優位に立っていると言わざるを得ない。

 この構図を反転させない限り、国際法を無視し国際秩序を瓦解させたプーチンの暴走を止めることはできないだろう。現在までの状況は、専制主義対民主主義の戦いにおいて、民主主義であることが弱さになる危険性を物語っている。言い換えれば、国際秩序を回復するために西側諸国がとるべき行動は、米欧日の一層の団結など、民主主義であることの強さを示すことに他ならない。

マクロン大統領が示した矜持

 マクロン大統領は2月26日に「ウクライナでロシアを倒すことは欧州の安全保障にとって不可欠だ」と述べ、西側の地上部隊をウクライナに派遣する可能性について「合意はないものの、何も排除すべきではない」と述べた。さらに「今日は、地上部隊の派遣について、公式に了解され承認されている形での合意はなかったものの、その動きについては、何も排除するべきではない。ロシアがこの戦争に勝てないよう、我々はあらゆることをする」と発言した。

 ショルツ首相が翌日慌てて「欧州諸国やNATOが派兵することはない」と明確に否定すると、マクロン大統領は3月5日にプラハでウクライナ支援について「臆病者にならないことが必要な時期が近づいている」と強調し、部隊派遣を巡る自身の発言についても取り下げなかった。マクロン大統領の頭にあるのは、「この戦争、ロシアを勝利者にしてはならない」という信念である。実際に派兵するかどうかは別として、専制主義者に対して一歩も引かない姿勢こそが、有事に臨む政治リーダーに求められる資質であることを物語るエピソードである。

エピローグ

 今国際社会は秩序のタガが吹き飛んでしまった状態にあり、このカオス状態を収める方法と実行するリーダーが不在のまま漂流している。この状況で、もしトランプ第2次政権が誕生すれば、世界がその一挙手一投足に注目して一旦行動を停止する状況が生まれる可能性が高い。好きか嫌いかは別として、このカオス状態の中で秩序を再構築できる一つの可能性として、トランプ再登板が期待されることは間違いない。

 ロシアのウクライナ軍事侵攻が起きた理由の一つは、アメリカ覇権の力が弱体化したからだ。国際秩序を保持するために、アメリカの力が今少し必要であることを世界は認識を新たにした筈だ。専制主義に立って武力を行使する国家が存在する以上、それを抑止できる力を保持する国家がリアルポリティクスとして必要なのだ。アメリカ第一主義を掲げるトランプ氏がアメリカの力を強化して国際秩序の再構築に挑むとすれば、同盟国として欧州と日本はそれを全力で支えなければならないだろう。

 日本にとってそれが死活的に重要な理由は、その役割を担うことこそが「戦後レジームからの脱却」を一気呵成に推進できる道であることだ。そのために今日本が必要としているのは、そうした本来の保守としての任務を断固として推進してゆく信頼に足る政党の出現であり、有事のリーダーの登場に他ならない。 結党以来の危機に直面して、もし自民党首脳部が古色蒼然たる人事で乗り切ろうとするのであれば、志ある政治家にはさっさと自民党に見切りをつけて本来の保守政党を結成するくらいの気概を見せてもらいたいと思う。これは自民党にとっての正念場ではなく、尊厳ある日本を取り戻せるかどうかの正念場であることを政治家にはよくよく考えて欲しいものだ。

ウクライナ戦争の深層(1)

世界の近代史を概観する

 ロシアがウクライナに軍事侵攻してから1年が経過した。20世紀の戦争と異なり、世界の監視網の中で行われた戦争であり、1年の間に膨大な情報がもたらされた。この結果、ウクライナ戦争が我々現代人に投げかけてきたメッセージは1年前とかなり様変わりしてきた。重要と思われる論点が二つある。

 第一は、「戦争の世紀」と言われた20世紀までに終わったと信じていた、砲弾が飛び交う戦争が再現されたことである。対テロ戦やゲリラ戦と異なり、国と国との戦争がライブで報道されたこと自体が驚愕であった。一方で、兵器の進歩は目覚ましく、衛星を使った情報戦争、メディアが繰り広げたプロパガンダ戦争、ドローン兵器によるハイテク戦闘が、20世紀の戦争の常識と概念を根底から変えたことを目の当たりにした。

 第二は、1年前の認識では一方的に軍事力を行使したロシアに100%の責任と非があると思い込んでいたものが、欧州の歴史に綴られた大きな物語の一幕としてウクライナ戦争を俯瞰すると、話はそう単純ではないことに気付かされたことである。

 ウクライナ戦争は今後どうなるのだろうか。ロシア、ウクライナ両国の継戦能力、アメリカとNATOによるウクライナ支援の継続性、ロシア経済の経済・金融制裁下での耐力は、今後どう変化してゆくだろうか。両国が受容できる停戦合意は存在するのだろうか。もしロシアの敗北が濃厚になればロシアは核兵器使用に踏み切るのだろうか。また戦争が拡大して第三次世界大戦(WW3)に拡大する可能性はどれほど高いのだろうか。ウクライナ戦争が世界経済とドル基軸通貨体制に与える影響はどこまで進むのだろうか。さらにはウクライナ戦争が根底から破壊してしまった世界秩序の再構築はどのように進むだろうか。

 これら多くの疑問に対して、現時点で確かなことは、今後の展望は容易には予測できないということだ。

 ウクライナ戦争の終結とその後の世界について考えるためには、複数の視点から多面的に、かつ歴史を踏まえた時間軸の変化として捉えることが最低限必要である。私は歴史家ではないことをお断りした上で、考察を加えてみようと思う。『ウクライナ戦争の深層』と題した記事を三部作で書くこととする。第1部では、ウクライナ戦争に至る因果関係を歴史から概観し、第2部ではプーチン大統領の視点・論点に立って考え、それを踏まえて第3部でウクライナ戦争の深層について考えるというステップで書くこととする。

 第1部では、近代以降の人類史を、欧州を中心に時間軸と空間軸の上に巨視的にプロットしてみる。その上で歴史が物語っていることを要約する。

 本記事を書くにあたり、馬渕睦夫氏と渡辺惣樹氏共著による『謀略と捏造の200年戦争』(徳間書店)を参照した。

 近代史を大きく俯瞰するため、まず時間軸では18世紀後半に起きたアメリカの独立戦争とフランス革命以降の重大事件に注目し、空間軸では近代史を綴ってきた主要6か国と1民族に注目することとする。6ヵ国とは、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、ロシアと日本である。

 欧州が舞台であることと、ウクライナ戦争への関与の大きさと深さを考えれば、日本を入れるのは適切ではないのだが、日露戦争と第二次世界大戦の当事国であったことと、ウクライナ戦争後の展開に否応なしに、かつ相当な危機を伴って巻き込まれてゆくことを考慮して、敢えて日本を入れて日本はどう行動すべきなのかを考える一助としたい。1民族は言うまでもなくユダヤである。

近代国家の起源

 近代国家の基本的形態として、欧米と日本に定着しているのは自由・民主主義と資本主義である。その起源はアメリカ独立戦争とフランス革命という、二つの市民革命(ブルジョア革命)に遡る。図1はアメリカ独立戦争から南北戦争までの重大事件をプロットしたものである。

 世界の近代史を振り返ると、戦争や革命等の重大事件の重要アクターとしてユダヤ人の存在があった。そして18世紀末にナポレオンが欧州各地にあったユダヤ人居住地ゲットー(Ghetto)に閉じ込められていたユダヤ人を解放したことが、彼らが世界の重大事件に関与するようになる起点となった。

 ゲットーの開放以降、才覚あるユダヤの金融資本家たちが欧州世界で活発な活動を始めた。その代表的存在がロスチャイルド(Rothschild)家である。マイアー・ロートシルト(Mayer Rothschild)はフランクフルトのゲットー出身のユダヤ人で、1760年に銀行業を確立した。その後5人の息子がフランクフルト、ウィーン、パリ、ロンドン、ナポリで銀行業を始めた。

 戦争や革命では当事者の双方が莫大な資金と武器を必要とする。ユダヤ人の金融資本家がそれを提供し、金利で儲ける活動を本格化させたのはフランス革命以降のことだった。彼らはナポレオン戦争、ウィーン会議、南北戦争、ロシア革命等の国際的事件で暗躍し、巨額の富を築き強大な力を獲得していった。

 ウィーン会議はフランス革命とナポレオン戦争で混乱した欧州の秩序を取り戻すために開かれた調停の場だった。ここで一つ重要なことは、ウィーン会議直後に、国際紛争が起きた時に政治的に圏外に立つために、スイスが永世中立国という選択をしたことだ。これは戦争が起きても安心して金融業を続ける拠点として好都合であり、金融資本家が活動の場として作ったことに注目する必要がある。

 1848年にはマルクスが『共産党宣言』を発表した。マルクスが目指したのはプロレタリア革命(資本主義を社会主義に転換する革命)であり、マルクスが提唱した共産主義を忠実に実現した国家は未だに登場していないものの、共産主義のイデオロギーが20世紀以降の世界史に大きな影響を与えたことは言うまでもない。

 アメリカ南北戦争において英仏両国は南部に加担し、ロシアは北部のリンカーンを支援した。ロスチャイルドはリンカーンに資金提供を申し出たが、リンカーンはそれを断り、政府の信用をもとに独自の紙幣を発行して危機を乗り切り、南北戦争に勝利した。そしてリンカーンは暗殺された。天下分け目の戦争が起きるとき、政治の裏舞台でロスチャイルド等の金融資本家の暗躍があったことは事実であり、それは現代においても変わっていない。

 欧州各国において銀行業として成功を収めた金融資本家が次に画策したのは、国立ではない民間銀行を株主とする中央銀行の設立だった。設立の狙いは、通貨発行権を持ち金融政策を担う中央銀行をコントロールすることで巨額の利益を得ることにあった。

 1860年代後半~70年代初頭は第二次産業革命と呼ばれ、ドイツ、フランス、アメリカの工業力が飛躍的に向上した時期である。中でもドイツの興隆は目覚ましく、1870年に普仏戦争でナポレオン三世率いるフランスを破ってパリに入城を果たしている。1871年にはヴィルヘルム1世がドイツ帝国を創設した。

戦争の世紀の始まり

 図2は20世紀初めに起きた重大事件をプロットしたものである。

 1902年に締結された日英同盟が、主に資金と物資と情報を獲得する上で、日露戦争の勝利に大きな貢献をしたことは事実である。一方、これを英国の視点から眺めると別の思惑が見えてくる。即ち、日英同盟はイギリスに代わって日本がロシアと戦う代理戦争のための布石であり、同時に欧州一の工業国として台頭したドイツに対し包囲網を形成する目論見があったことだ。日本は欧州に位置しないものの、欧州での戦争が世界レベルに拡大してゆく過程で、イギリスの戦略に組み込まれていったのだった。

 日本は日露戦争の資金として、ロスチャイルドやニューヨークの金融資本家から総額13億円(一般歳入の5倍)を調達している。ちなみに日露戦争の戦費総額は18.3億円(一般歳入の7倍)だった。

 1913年に設立されたアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)は、国立の日本銀行と異なり、ロスチャイルド、ロックフェラー他の金融資本家が設立した民間による中央銀行である。1930年にはスイスに国際決済銀行(BIS)が設置されており、金融資本家は世界規模で着実に活動の基盤を強化していったことが分かる。

 欧州の歴史は、長期に及ぶフランスとドイツによる覇権争いの歴史だった。第一次世界大戦(WW1)では、本来オーストリアとセルビア間の局地戦争だったものが、戦争直前にオーストリアはドイツの、セルビアはロシアの支援を取り付けていた。さらに当時ロシアとフランスは良好な関係にあり、欧州最強となったドイツに対し両国は早い時点から戦争を意図していた。このような背景の中で、僅か数日間で戦線が拡大し欧州大戦に発展したのだった。

 そしてドイツはシーパワーのイギリスと対峙することとなった。イギリスはフランス、ロシア、アメリカ、日本と個別の「協商」や「同盟」関係を結んでドイツ包囲網を形成し、WW1でドイツを破った。日英同盟はこの一環だったのである。

 WW1でも金融資本家が暗躍した。ロスチャイルドは英国の参戦を阻止しようとし、ロックフェラー等ニューヨークの金融資本家はアメリカを参戦させるべくウィルソン大統領の側近たちと共謀した。

 ロシア革命はロシアの少数民族だったユダヤ人を開放するために、国外に亡命していたユダヤ人がロンドンやニューヨークのユダヤ系金融資本家の支援を受けて起こしたユダヤ革命だった。マルクスが目指したプロレタリア革命とは無関係の権力闘争だった。レーニンは大戦中に起きたロシア革命に成功したものの、ドイツとの戦争では敗北した。ドイツも米軍が本格的に参戦した結果、敗北した。そして共産主義者が扇動したドイツ革命が起きドイツ帝国は崩壊した。

 以上が、「戦争の世紀」20世紀初頭に起きた戦争の大掴みな記録である。

第二次世界大戦からウクライナ戦争へ

 WW1の講和会議で採択されたヴェルサイユ条約において、英仏両国は返済が困難な賠償金をドイツに科した。これがヒトラー政権を誕生させ第二次世界大戦(WW2)の原因となった。

 図3はWW2以降の重大事件をプロットしたものである。

 ヒトラーはそもそも反ユダヤではなく強烈な反共産主義だった。ロシアにユダヤ人が多いため、次第に反ユダヤとなっていったのが真相であるらしい。イギリスもドイツに対しては宥和的でむしろロシアを警戒していた。

 これに対してアメリカのウィルソン大統領はロシア革命をブルジョア革命とみなして賛美し、革命政権に資金援助を行っている。さらにフランクリン・ルーズベルト大統領は反ヒトラーのユダヤ系スタッフに囲まれていて、ヒトラーに開戦させるためにポーランドに住むドイツ人の虐殺を仕組んだ。ドイツを全体主義国家とみなし、英仏に対してもドイツとの妥協や交渉を禁じた。共産主義ロシアは日本やドイツにとって脅威であり、欧州や日本が共産主義と戦っている中で、ルーズベルトはソ連を承認している。

 このように、ウィルソンとルーズベルトは共産主義ソ連(本来の脅威)を支援し、ドイツと日本(冷戦以降の同盟国)を戦争に追い込んで滅ぼすという、重大な誤りを犯したことになる。戦後の国際秩序から評価すれば、WW2を回避できた可能性を含めて、この二人はWW2における「真のA級戦犯」だったのではないだろうか。

 19世紀以降の歴史において、金融資本家と軍産複合体は戦争や革命を起こして双方に資金と兵器を提供することで儲けてきた。馬渕睦夫氏は、著書の中で「東西冷戦は国際金融勢力が自ら樹立したソ連という国家を使って、(強大になり過ぎた)アメリカを解体しようと狙ったものである。WW2後、アメリカは世界の富の半分を所有する程の超大国に躍り出た。このような軍事力や経済力を備え、かつ精神的にも健全なアメリカの一人勝ちは、世界支配を意図する金融資本家にとって邪魔な存在だった。」と書いている。この分析に立つと、アメリカが中国の建国を支援し、勝てる戦争だった朝鮮戦争やベトナム戦争で意図的に勝ちを放棄した歴史が説明できる。

 その後1980年代以降、新自由主義とグローバリズムが進展した結果、アメリカで貧困層が拡大し産業の空洞化と超格差社会が進んだ。結局、アメリカ自身が最大の犠牲者となり、中国が最大の受益者となったのだった。同時にソ連が崩壊し、旧東欧諸国が相次いで民主主義化してEUに参加していった。つまり、ソ連の解体とアメリカの弱体化、中国の急速な台頭という地政学的な大変化が同時に進行したことになる。世界が不安定化の方向に変化したのである。

 ソ連崩壊後の2000~05年に旧東欧諸国で民主化を掲げた『カラー革命』が起き、政権交代が相次いだ。2010年末にはチュニジアで『ジャスミン革命』が起きてアラブ世界に波及し、2010~12年にはいわゆる『アラブの春』が起きた。さらに、2014年にはウクライナで『マイダン革命』と呼ばれた騒乱が起きて、親露派のヤヌコーヴィッチ大統領がロシアへ亡命して暫定政権が誕生した。ロシアは暫定政権を否定し、ヤヌコーヴィッチ政権の崩壊をクーデターによるものとみなした。『カラー革命』から2014年の『マイダン革命』に至る旧共産国やアラブ世界で起きた一連の革命の背後には、ジョージソロスが設立したオープン・ソサエティ財団の支援や、アメリカによる工作があった可能性が濃厚である。

ウクライナ戦争、誰が誰と戦っているのか

 2022年にロシアがウクライナに軍事侵攻した。それ以降、欧米からの軍事支援を受けたウクライナはロシアと消耗戦を1年続けてきた。最近ではロシアの劣勢が鮮明になってきた感がある。ここで二つの問いを考えてみたい。最初の問いは「ゼレンスキーは誰と戦っているのか?」である。この答えは簡単で言うまでもないだろう。

 では次の問い「プーチンは一体誰と戦っているのか?」はどうだろうか。この問いに的確に答えるためには、ウクライナ 戦争の歴史と深層についての理解が必要である。

ウクライナ戦争に至る歴史が物語ること

 以上、アメリカ独立戦争からウクライナ戦争に至る近代史をザクっと概観してみた。この歴史が物語っていることを要約して、第1部を締め括ることとする。第2部ではプーチンの視点・論点について考察し、第3部では総括としてウクライナ戦争の深層について考察を加えて、ウクライナが起こした変化について考えてみたい。

(1)世界の歴史を紡ぐアクターは国だけではない。歴史では主要国に匹敵するパワーを持ったアクターが存在してきた。既にみてきたように、彼らはアメリカ独立戦争以降の戦争や革命において、大きな影響力を行使してきた。その最強の勢力はユダヤの金融資本家である。

(2)現代社会の国家の形態は、欧米と日本に代表される自由と民主主義・資本主義の形態と、「それ以外」の二つに大別されるだろう。二つの国家形態はアメリカ独立戦争とフランス革命、さらにはマルクスの共産党宣言を起源として生まれたものである。「それ以外」にはロシアや中国の形態が含まれるが、国家の形態の違いが現代の大きな対立を生んでいる原因となっていることは言うまでもない。

(3)戦争や革命は20世紀で終わることなく現代まで続いてきた。その理由は、第一に国家間の対立があるからであり、第二に意図的に戦争や革命を起こし、世界を不安定化させることによって大きく儲けようとする集団が今でも存在するからである。

(4)歴史を回顧すれば、ヒトラーがポーランドに軍事侵攻してWW2が始まったのも、日本が真珠湾を奇襲攻撃して大東亜戦争が始まったのも、ドイツや日本が自発的に起こしたものではなく、巧妙に仕組まれ挑発された結果だったことが既に明らかになっている。朝鮮戦争やベトナム戦争、イラク戦争にも同じ構図があった。またカラー革命もアラブの春も自然発生的な事件ではなく、仕組まれて起きた事件だった。そのような戦争や革命の大半を仕組んできたアクターは、米英両国と金融資本家だった可能性が高い。

(5)近代史をそのように概観するとき、ウクライナ戦争でも類似の工作が行われた事実に容易に気付かされる。少なくともウクライナ戦争は単独に起きたのではなく、ソ連の崩壊、旧東欧諸国の独立とEU及びNATOへの加盟、2014年のマイダン革命という流れの延長線上で起きたことは明白である。さらにプーチン大統領が軍事行動を起こすように、バイデン大統領が執拗に挑発してきたことも記憶に新しい。

 現代ビジネスの2月17日版に、長谷川幸洋氏が「バイデンのヤバい破壊工作が暴露された」という記事を書いている。米国の著名なジャーナリストであるシーモア・ハーシュ氏が「ロシアからドイツに天然ガスを供給するパイプライン『ノルドストリーム』を海底で爆破したのは米国の仕業だった」という記事(※)を紹介した記事である。

 シーモア・マイロ・ハーシュ(Seymour Myron “Sy” Hersh)の著書には、邦訳本が出版されているものでも、『目標は撃墜された-大韓航空機事件の真実』、『アメリカの秘密戦争-9.11からアブグレイブへの道』などがある。

(※)https://seymourhersh.substack.com/p/how-america-took-out-the-nord-stream

(第2部に続く)