作法とは型である。そして「思考の作法」における型は、三つの要素とその構図を認識することから始まると言ってよい。
三つの要素とは、どこかに立っている自分と、自分が眺めている風景と、その両者を高いところから俯瞰する視座の三つである。
船が母港を出帆して目的地に向かって航海を続けているシーンを想像してみよう。船長は気象や海象のさまざまな変化に遭遇しながら、今までの航路と船の自己位置を確認して、進路と速度を判断している。航法に必要なツールは海図とGPSである。GPSは正確な位置情報とともに正確な時刻を提供してくれる。
人生はよく航海に譬えられる。ただし、人生における母港は誕生の地であるが、人生には目的地もなければ海図もGPSもない。
なぜ目的地がないのかと言えば、人生の活動の場である社会も、国家も、国際情勢も常に変化していて未来が確定していないからであり、人もまた年齢と共に成長してゆくからである。

従って航海と異なり、人生においては常に変化してゆく社会や国の情勢を見極めながら、自らの進路を判断してゆくことが求められる。むしろそれこそが人生の醍醐味であるとも言える。
では人生という航海において進路を誤らないためにはどうすればいいのだろうか?
正解はないが、一つ明確なことは、座標軸を持つことであり、その上で自己位置と進路を確認することである。これを図解すると図1のようになる。
自己位置とは「今、ここ」に居る自分ということである。空間軸における「ここ」は、社会や国における自己の現在位置であり、時間軸における「今」は、過去から未来に向かう流れにおける現在位置である。

自分の視点から眼前に広がる風景を眺めるとき、人は往々にして物事を主観的に考えがちである。それに対して、もう一つの高い視座、すなわち周囲の情勢と自分自身を含む全体を俯瞰する視座から眺めれば、自分自身を客観視することができる。主観で考えようとする自分とは別に、自分を客観視する視座を持つことが重要である。
図2は、人生の軌跡をあえて時間軸と空間軸の座標にプロットしたものである。人は皆、過去のどこかで生まれ、未来のどこかで死んでゆく。仮にその軌跡をプロットすれば、図2のようになるだろう。
図解してしまうと他愛もないことになるが、そうではない。ここで重要なことは、「今、ここ」に居る自分が、これからどの方向に向かって歩いてゆくかで、人生の軌跡はどうにでも変わるという点にある。