明らかになりつつある事実
事件から既に1カ月が経つというのに、この事件について明らかになった事実は多くない。むしろ事件以降銃撃事件から、旧統一教会と自民党との関係に話題が移っている。本稿では銃撃事件の真相について考えてみたい。
はじめに明らかにされてきた事実について整理しておきたい。
銃撃
1)7月8日の午前11時半頃、近鉄西大寺駅前で山上徹也容疑者が街頭演説中の安倍元首相を手製の銃で銃撃した。安倍 元首相は心肺停止状態で奈良県立医科大学付属病院に緊急搬送され救命措置を受けたが、17時3分に死亡が確認された。
2)病院での救急治療の後、警察による法医解剖が6時間かけて行われた。
3)警察は事件当日に実況見分を行った。その5日後の7月13日には礼状を取って現場検証を行った。
4)山上容疑者が銃を発射したのは2回である。1回目の銃弾は誰にも当たらなかった。手製の銃は最大6発の銃弾が実装可能だったが、2回の発射で何発ずつ発射したのかは明らかになっていない。2回の発射の間隔は約3秒だった。
5)安倍元首相に命中した銃弾は2発で、1回目の発射後に安倍元首相が左に身を回転させたときに2回目が発射された。銃創は2つ確認されたが、体内から発見された銃弾は1発で右上腕部で骨に当たって止まった状態で発見された。銃弾は直径10センチほどの金属製の球形だった。もう1発の銃弾は法医解剖でも現場検証でも発見されていない。
銃の準備
1)山上容疑者がネットを調べて銃と火薬を作ったと供述しているという。8月6日の青山繁晴参議院議員のブログ(後述)によれば、容疑者が参照したサイトはまだ特定できていない。
2)銃の開発経緯について、毎日新聞が次のように報じている。(7月22日、23日、8月6日記事参照)
①当初旧統一教会の最高幹部を火炎瓶などで襲撃する計画を立てていたが、昨年春頃から特定の対象を狙いやすい銃の製造に切り替えた。
②自宅マンションで銃の製造を始め、奈良市南部の山中で試射を繰り返して殺傷力を高めてきた。
③昨年3月頃から奈良市内のアパートを借りて火薬を乾燥させる場として利用していた。
④安倍元首相襲撃現場で押収された銃は銃身に当たる2本の金属筒をテープで固定した箱型の手製銃で、長さ40センチ、高さ20センチで最大6発を同時に発射できる構造だった。容疑者は目立たないようにバッグに収納できる小型の銃を使用したという。
警護体制
1)現場には十数名の警察官が配備されていたが、もともと後方を警戒する警護員は一人だった。この警護員も「背後の交通量が多いことから、別の警護員の指示で警護員の安全のためガードレール内に配置が変更になった。さらに前方の聴衆が増えて後方には殆どいなくなったため、この警護員は警戒方向を前方に変更した。この結果後方を警戒する警護員がゼロになった。
明らかにすべき不可解な疑問点
この事件には不可解な点が幾つかある。
第一の不可解
第一は、この事件は幾つかの偶然が重なって起きたことだ。以下の四つの偶然がシンクロナイズすることがなければ、事件は起きなかった可能性が高い。これを単なる偶然として片づけるには、「巧く出来過ぎている」不自然さが感じられる。シンクロナイズさせるシナリオが背後に存在した可能性についても調べるべきである。
①テロリストの存在:旧統一教会に対し復讐する強い意思を持ち、殺傷能力をもった銃を用意して機会をうかがっていた容疑者が存在した
②テロ対象の変化:容疑者の殺意の対象が、旧統一教会から安倍元首相に切り替わった
③街頭演説の変更:街頭演説の場が、前日の午後急遽奈良西大寺駅前に変更になった
④お粗末すぎる警護体制:警護要員は十数名が配置されたが、「あたかも襲撃を誘発するかのように」安倍元首相の背後がガラ空きとなり、不審者を監視する要員もゼロとなった
第二の不可解
第二は、容疑者の標的が統一教会から安倍元首相に切り替わったことである。産経新聞は8月6日に『世論誘導計算ずくのテロ』と題して次のように書いている。「安倍氏を襲えば統一教会に非難が集まる。山上容疑者はそんな趣旨の供述をした。世論誘導のための殺人、それは冷酷なテロに他ならない。」
ここで疑問に思うのは、標的を安倍元首相に切り替えたことを容疑者は供述しているが、容疑者単独で思いつくには飛躍があることだ。万一思いついたとしても元首相の殺害という犯行に及ぶだろうか。もしそうであるとしたら、プロのテロリスト並みの冷徹な計算が働いていたことになる。また、そうであるならば、警察の取り調べに対しても冷静で計算づくの供述を淡々と行う可能性が高い。容疑者が自分が利用されたことを認識していない場合を含めて、教唆し支援した人物が背後に居なかったかを徹底的に調べる必要がある。
第三の不可解
第三は、銃、弾丸、火薬の全てを独りで製造したのか、素人がネット情報だけで実際に殺傷能力を持った銃を作ることができたのかという点だ。要点は5つある。①銃の製造、②銃弾の入手、③火薬の製造、④上記を組み合わせて、実用性を満たす銃の完成、⑤十分な実射訓練の5つである。
容疑者は火薬の製造について、「ネットで調べた。硝酸アンモニウムや硫黄、木炭などを混ぜて黒色火薬を作った。」と供述しているというが、この発言に対して専門家は致命的な誤りを指摘している。まず、「そもそも原料が違う。硝酸アンモニウムと硫黄、木炭を混ぜても100%燃えない。黒色火薬の原料は硝酸カリウムである。」と指摘する。さらに「火薬の製造方法はネットで調べれば見つかることは事実だが、作り方が分かったからと言って実際にできるかと言えば別問題。それなりの知識や技術を持った上で相当試薬を繰り返さないと、燃えるものは作れない。」という。(※1:ENCOUNT 7/15記事参照、https://news.yahoo.co.jp/articles/)
この不一致をどう理解すべきだろうか。もしネット情報から火薬の製造方法を学び、実際に材料を調達して製造したのであれば、主成分を間違えることはあり得ない。火薬を乾燥させる場として自宅マンションとは別にアパートを借りていたというが、必要な材料と作り方を、或いは完成品を誰かが提供した可能性を否定すべきではないだろう。もし①から⑤を全て、試行錯誤を繰り返して独りで製造したのであれば、それを裏付ける物証が残っている筈である。
第四の不可解(最大の疑問)
第四は、2発の銃弾の経路と消えた弾丸に関わるものだ。青山繁晴参議院議員はブログの中で「犯行計画から法医解剖に至るまで、容疑者が一人で実行した」という仮説には矛盾はないという趣旨の発言をしている一方で、法医解剖を行った警察側と救急治療を行った病院側との間に食い違いがあることを認めている。
青山議員は自民党のテロ対策特別委員会における警察庁からの報告と質疑応答を踏まえたご自身の見解を、7月27日にユーチューブ「ぼくらの国会第375回」で報告している。さらにその後の警察庁からの報告を踏まえて、8月6日に「ぼくらの国会第378回」で報告を更新している。
青山議員が述べている食い違いは、心臓の損傷の有無に関わるものだ。7月8日銃撃当日の記者会見において、病院の福島教授はこう述べている。「前頸部に2カ所の銃創があり、その傷の深さは心臓に達し、心室に穴が開いた状態だった。心臓の傷自体は大きなものがあった。」
これに対して法医解剖を踏まえた警察の見解では「心臓に傷はなかった。」という。双方共にプロであるにも拘らず、こんな食い違いは起こり得る筈がない。心臓が救急措置の最重要臓器であり、実際に手術を指揮した人物の発言であることを考えれば、病院の見解の誤りは考えにくい。むしろ警察の見解には「心臓の損傷を隠したい」意図があると考える方が自然である。
しかしこれ以上に重大な食い違いがある。それは銃弾がどこから入り、どの経路を通ったかに関わるものだ。この食い違いは極めて重要である。何故なら、銃撃時の安倍元首相と容疑者の位置関係、容疑者に対する安倍元首相の姿勢と、弾丸の経路が一致するかどうかに関わるからである。もし一致しなければ、銃撃の犯人はもう一人いることになる。
警察から報告を受けた青山議員は動画ブログの中で、「1回目の銃撃の直後、安倍元首相が体を左にひねったときに、2回目の銃撃があり複数の銃弾が発射され、その内の1発は左肩から入って右の首から出た。もう1発は左首から入って右上腕部の骨に当たって止まった。」という趣旨の発言をしている。つまり命中した2発とも体の左側から入って右側に進んだとの理解に立っているのだ。もしそうであれば、容疑者が撃った弾道と整合する。
一方7月8日の記者会見で、福島教授は「前頸部の真ん中のところと少し右の2カ所に銃創があった。」と述べて、手振りで「右鎖骨上から左下心臓の方向へ」を示して、左肩の前部に確認された射出口から1発の弾丸が体外に出たのではないか」という見解を述べている。もう1発の弾丸については「貫通した跡はない」と述べ、銃弾は2発とも「手術中に体内では見つかっていない。」と述べた。つまり少なくとも弾丸の1発は、右鎖骨上から左下の心臓方向に向かって進んだと理解しているのである。
以上をまとめると、検死を行った警察の見解と救急措置を行った病院の見解には、①心臓の損傷の有無、②1発の銃弾の経路、③体内に残された銃弾の数に関して正反対という程の食い違いがあることになる。福島教授の発言は、5時間以上も救急措置に専念された直後のものであること、かつ検死目的に立って損傷を確認したものではなかったことを勘案すれば、銃弾の経路について多少のあやふやさが残るのはやむを得ないと考えられる。
一方6時間もの時間をかけて検死を行った警察には、確認した事実に対する正確な説明が求められるのは当然である。従って、両者の立場と役割の違いから、多少の食い違いは起こり得ると考えられる。それにしても、警察は2発共に同じ左首から入って右に進んだとしているのに対して、病院の見解はその逆に「首の付け根の右側から入って左下に進んで心臓を貫通した」というものであり、銃弾の進路が逆なのである。
致命傷となる銃撃を受けた時に、安倍元首相は実を左に回転していたのであり、左から入って右に進んだ弾丸は山上容疑者の発砲と整合するが、右から入って左下に進んだ弾丸は安倍元首相の右手の安倍元首相よりも高い位置にいた別人による発砲となる。単刀直入にいえば、警察の見解は容疑者単独犯行を裏付けるものであるのに対して、病院の見解はもう一人の狙撃犯の存在を示唆するものといえる。
総括
以上、公表された情報をもとに総合的に考えると、ローンウルフの犯行と断定するには無理があるように思える。警察と病院の見解の違いは、どちらかに嘘があることを示唆しており、むしろ背後にシナリオが存在することを暗示する結果となっている。
要人警護体制の不備に批判が集まっている。要人警護の不備は一言で言えば、銃器による襲撃を想定していなかったことに尽きると思うが、これを「現場の警察が平和ボケだった」と断じるとすれば、平和ボケだったのはここに留まらないことを指摘しておきたい。
激変する世界において最も影響力の大きい政治家の一人だった安倍元首相に対する暗殺の脅威は、国内に留まらない。殉職者が安倍元首相であったが故に、この事件を単純に国内の警察事件という枠内で捉えるとしたら、その前提は誤っていると考えるべきだろう。今回の事件は上述したように幾つかの不可解な疑問点が未解明のまま残っていて、国際レベルのプロの組織の関与の可能性が残っているように思える。そうであるとすれば、今回のテロ事件に対し、警察だけで対処すること自体が平和ボケそのものだと認識すべきではないだろうか。好むと好まざるとにかかわらず、今我々はそういう時代を生きているのである。