-日本の近代史160年からの展望-
プロローグ
『日本と西洋の邂逅500年』は文字通り、鉄砲伝来以降およそ500年に及ぶ日本と西洋の交流の歴史を俯瞰的に眺めたものだが、同時に日本文明と西洋文明の共通性と異質性について考察を加えた。
一方、フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドが、近書『西洋の敗北、日本と世界に何が起きるのか』の中で日本と西洋の共通性と異質性について考察している。著書のまえおきで、次のように興味深いことを述べている。
<日本と欧州は、「ユーラシアの中央の塊(ロシアと中国)」に対し「対称的な立場」にいるという共通点をもっている。日本が明治に西洋化を推進したのは、遠いイトコと再会を果たすような自然な流れだった。>
<『西洋の敗北』発刊の意義は、日本人が西洋に対する自己位置を明確にできる点にあった。但し「西洋の敗北」という問題に取り組むには、「日本の本質とは何か」という問題を念頭に置かなければならない。日本は「敗北する西洋」の一部なのかどうかだ。>
本資料では、明治維新以降160年の近代史で、西洋との関係において「日本が目指したものと教訓」の視点から再検証して、ポスト「戦後80年」の日本を展望してみたい。
文明の違いがもたらした西洋との衝突
『日本と西洋の邂逅500年』では、「日本と西洋は殆ど同時期に近代国家となった。但し江戸時代の260年間は太平の時代だったが、欧州の近代史は戦争と革命に明け暮れていた。」と書いた。さらに「日本と西洋は似た者同士だが、生れと生い立ちに決定的な違いがある。生まれとは宗教であり、生い立ちとは地政学である。日本と西洋は西側先進国という括りでは価値観を共有する仲間だが、宗教と地政学では正反対の立場にある。」と分析を加えた。
明治維新以降、日本と米欧が開戦に至るまでに辿った経緯を欧米の視点から眺めると、日本という存在はどのように映っていたのだろうか。結果から推察するに、それは時代の進展と共に以下の①→②→③のように変化していったように思われる。
①明治維新で近代化して日露戦争で大国ロシアを破った日本の登場は、欧米諸国にとって想定外の出来事であり、驚嘆に値する事件だった。
②それが支那事変に至る頃になると、中国大陸で欧米の利権追求の障害となる迷惑な存在となり、折あらば潰したい相手となった。
③そしてヒトラ―のドイツと同盟を組んだことによって、潰さねばならない敵に転化した。
歴史にイフはないのだが、もし当時の日本が、「欧米から見た日本」の変化について分析していたならば、歴史が変わっていた可能性がある。言い換えれば、戦争を抑止し国際社会の熾烈なゲームに負けないためには、相手の事情や動向をタイムリーに掌握し分析するインテリジェンス能力を磨かなければならないということだ。これは日本の近代史の教訓である。
ところで①→③の変化は何故起きたのだろうか。考えられることは、西洋の様式を取り込んで欧米列強と軍事力で肩を並べる頃になると、日本は思考の重心を西洋式から日本式に徐々に移すようになり、維新以前から継承された日本へ回帰するようになったというものだ。
このことは即ち日本が西洋諸国とは異なる方向に歩み始めたことを意味しており、その結果西洋列強との対立を強めていったと推察される。
文明の衝突だった大東亜戦争
そして遂に日本と米欧は衝突した。以下は大東亜戦争に関わる大きな事実を総括的に整理したものである。
①日本が列強の仲間入りを果たした当時は植民地化の時代であって、日本は次第に他の列強と利害が対立していった。そして遂に米英と衝突した。
②日本がアジア諸国の植民地解放を掲げて大東亜戦争を戦った結果、アジア諸国はやがて独立を勝ち取って世界の植民地時代が終わった。
③その一方で、日本は戦争に敗れて300万人を越える犠牲者と国土の荒廃を被った。この事実から評価すれば、たとえ人類史上の功績があったにせよ、日本が戦争に踏み切ったことは誤りだったことになる。何故なら、そのために払った代償が余りにも大き過ぎたからだ。
④真珠湾攻撃が日米開戦の直接の原因となったことは事実である。但しヤルタ会談という企みがあった以上、真珠湾攻撃がなくても日米戦争が起きた可能性は高い。それを避けるにはチャーチル、ルーズベルト、スターリンに匹敵するインテリジェンスと戦略が必要だった。
⑤日本は広島・長崎に核爆弾を投下され、多数の都市が無差別空襲を受け、理不尽な東京裁判を受けた。東京裁判ではアメリカが犯した史上最大の非人道行為(原爆投下、都市の無差別攻撃)は裁かれなかった。そして日本はGHQによる統治下で、「日本文明」を破壊しようとする執拗な攻撃を受けた。
この戦争でアメリカが日本に対してとった行動、特に⑤は、鉄砲伝来以降日本が初めて目の当たりにした「西洋文明がもつ残虐性」の発露だった。それは戦争という極限状態において出現した姿であり、そこに至るまで日本はアメリカという国の本質を理解していなかったと思われる。
一方アメリカの視点に立てば、戦争末期に、物量面で圧倒的に不利な戦闘においても降伏することなく玉砕戦法を選択し、更には特攻攻撃を敢行した日本軍に直面して、日本文明に対して理解を超えた畏怖を抱いたであろうことは想像に難くはない。アメリカもまた極限状態で発揮された日本という国の本質を理解していなかったのだ。 このように考えると、大東亜戦争とは西洋文明と日本文明が衝突した「文明と文明の衝突」だったと言えるだろう。
西洋文明と日本文明の決定的な違い
2月7日は「北方領土の日」だった。北方四島は戦争で獲得した領土だと、ロシアは一貫して主張してきた。アメリカは、戦争は東京裁判をもって終結したと主張して、自らが行った核爆弾の投下や都市に対する無差別爆撃について、謝罪することはなかった。東京裁判はそのように戦争を終わらせるための政治的な儀式として挙行されたのである。
日本と米露の立場を置き換えて考えれば、日本ならば絶対にそういう行動はとらなかったに違いない。日本文明には縄文由来の「巨大地震でさえもあるがままに受容してしまう」大らかさというか諦観というものがある。実際日本は戦後アメリカの戦争責任を糾弾してこなかった。
日本人が持つ諦観は広島原爆記念碑の「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という文言に如実に現れている。そこには「(日米共に)判断と行動を誤りました」として、水に流す姿勢が端的に表現されている。
ここに両文明の決定的な違いが現れている。但し、この違いは文明が内包する最も深層の部分、言い換えれば宗教の領域に存在する者であり、お互いが相手を容易には理解できないのである。
エマニュエル・トッド『西洋の敗北』
ここで冒頭に紹介したエマニュエル・トッド氏が「西洋の敗北」と断定している根拠について紹介しよう。
<ウクライナ戦争で西洋の敗北が確定的になった。ロシアが主張する「多極的な世界」ビジョンは、米欧中心の「均質的な世界(リベラル、資本主義、LGBT等)」ビジョンと対立している。そして以下の理由から、西洋はもはや「その他の世界」にとって夢見させる存在ではなくなった。>
・ロシアに対する制裁は世界の大半から拒絶された
・西洋の非効率的で残忍な「新自由主義的(ネオリベラリズム)資本主義」
・西洋の進歩的というより非現実的な「社会的価値観」
・ロシアの「保守主義」、「国民国家の主権」という考え方に同調するBRICSの台頭>
以上を要約すれば、米欧の主張はBRICSやGS(グローバル・サウス)から嫌われていて、むしろロシアが主張する「多極的な世界」を支持する国が増えている。この現象はアメリカの弱体化、ドル覇権の衰退と同時進行していて、それらを総合的に俯瞰すれば西洋の敗北が決定的になったという訳だ。
<西洋の危機の核心は米英仏にある。フランスは対ロシア制裁の影響で経済・政治体制が最初に崩壊する可能性がある。イギリスでは保守党が転落し、アメリカ大統領選ではトランプとバイデンの常軌を逸した対立があった。これらは何れも自由民主主義国家の解体によって現れた現象である。但し西洋の敗北は宗教・教育・産業・道徳面における西洋自身の崩壊プロセスの帰結であってロシアの勝利を意味するものではない。>
この分析の中で「西洋の敗北は西洋自身の崩壊プロセスであって、ロシアの勝利を意味しない」という点が重要だ。
さらにトッド氏は「敗北した西洋に日本は含まれるのか」と述べて、「西洋の一員であると同時に、ユニークな文化を保持している日本にとって、戦後を再考する機会が訪れる」と予測する。
<日本は自由主義の伝統は持たないが近代的な西洋に属しているが、「均質的な世界」というアメリカ発のビジョンは日本的観点からすると馬鹿げたものだ。日本には「それぞれの民族は特殊だ」という考え方があり、日本にとって「独自の歴史」という感覚は「本能的」なものでしかも「リアル」なものだ。>
<西洋の敗北は日本が「独自の存在」としての自らについて再考する機会になるだろう。西洋の一部としてではなく、日本はネオリベラルの極西洋(米英仏)と「その他世界」の仲介役として自らを捉える機会にもなる筈だ。>
西洋が指導力を失いつつある中で、トッド氏は西洋の中核的存在であるアメリカとの関係を今後どうすべきかについて、日本に対し注意を喚起している。
<欧州は敗北しNATOは崩壊に向かっている。日本は今後アメリカとの関係にかなり慎重になるべきだ。ウクライナ戦争でアメリカは同盟国として信頼性がかなり低いことがはっきりした。日本は中国と地理的に近いために日米同盟が必要不可欠だ。ロシアは欧州の脅威ではないが中国は東アジアの脅威である。>
既に述べてきたように、明治の時代に日本は日本文明の基盤の上に、西洋化した建築様式の構造を築いてきた。基盤に含まれるのは、主に日本の伝統と宗教に関わる部分である。トッド氏が示唆するのは「西洋の敗北」は米欧諸国にとっては基盤レベルからの衰退を意味するが、日本は日本文明を基盤として築かれているので、西洋と歩調を合わせて衰退するものではないという期待である。
日本の近代160年(前半)
2月9日の産経新聞「日曜コラム」に、安倍元首相のスピーチライターを務めた元内閣官房参与でジャーナリストの谷口智彦氏が『よい子になりたい日本』と題した興味深い記事を寄せているので紹介したい。
<誰にでも好かれたい人は自分をなくしてしまう。優柔不断になって真の友はできない。国もこれと同じではないか。西欧帝国主義が一番幅を利かせていた時期、日本はたった一人、白人世界に参入した。髷(まげ)をほどいて洋装にし、暦を変えて季節感覚まで犠牲にした。全ては一等国として認められんがため。近代への船出を、承認欲求に身もだえしながら始めざるを得なかった国が日本だ。>
日本は「様式の西洋化」を一気呵成に推進して西欧列強に仲間入りを果たしたのだが、西洋と肩を並べる軍事力を持った結果、それが宿命であるかのように日清戦争、日露戦争へと「戦争街道」を突き進んだ。そして日露戦争で軍事大国だったロシアに勝利した。谷口智彦氏が指摘する「一等国として認められたい」という目標は、この時点で達成されたことになる。
しかしながら日露戦争の勝利は、さらに大きな「戦争街道」へと向かう一里塚となった。欧米列強と肩を並べる存在となったが故に、二つの世界大戦に否応なしに引き込まれたのだ。幸いに第一次世界大戦は欧州を舞台に繰り広げられたため、日本が直接巻き込まれることはなかった。しかし第二次世界大戦では、日本を戦争に引き摺り込んで叩き潰すというチャーチル、スターリン、ルーズベルトの企みに屈し敗北を喫した。
歴史上の重大事件を軽々に論じることは出来ないが、結果から判断すれば、軍事力は「一等国」の水準に達していたとしても、当時の日本は英露米三首脳の陰謀に対抗できる「一等国としての力」を持ち合わせていなかったことになる。一等国を目指さなかった故の限界だった。
ここで教訓を二つ挙げることができる。一つはインテリジェンスと戦略が「一等国」が備えるべき重要かつ必須の資質・能力だったということだ。
もう一つ重要な教訓は、歴史とは因果関係の連鎖が綴られた記録であり、一つの出来事の結果が次の原因となるということだ。日清戦争から大東亜戦争に至る半世紀に及ぶ「戦争街道」をひた走った歴史がそれを如実に物語っている。
日本の近代160年(後半)
一方戦後になると、日本は軍事力ではなく経済力で再び西側先進国の仲間入りを果たした。もともと西洋と同等の基本能力を保有する日本は、終戦の廃墟から不死鳥のように蘇り、凡そ20年後には東京オリンピックを見事に成功させてみせた。
では一等国としての力を蓄えたかと問えば、答えはノーという他ない。そう断言する理由は「戦後レジームからの脱却」という命題を未だに達成できていないことにある。アメリカに従属する体制とマインドを残したままでは、真の独立国にはなり得ない。真の独立国でなければ一等国とは言えないのである。
戦後「戦争の総括」は棚上げされてきた。GHQから押し付けられた憲法を未だに改正できない理由がここにある。
憲法改正が必要な理由は大別して二つ存在する。第一は戦後80年間メンテナンスをしなかったために、その間に社会や世界が大きく変化して、憲法の前提との間に不整合・不都合が生じたことだ。ズバリ言えば憲法の記述が時代遅れとなったのだ。
もう一つは当時のGHQ統治の歪んだ意図が盛り込まれたことである。ズバリ言えば日本文明の伝統を否定して、アメリカの宗教観が現行憲法に書き込まれたということだ。
後者に該当する事項を明らかにするためには、少なくとも以下について明らかにする必要がある。
①明治維新から終戦に至る、日本近代化の総括
②東京裁判やGHQ統治によって歪められた歴史
③「終戦」によって日本が喪失したもの、復活させるべきもの
戦後の日本は西側先進国に名を連ね、国連が取り上げるテーマでは西側に同調し、安全保障や経済・金融ではアメリカに従ってきた。国内テーマでは憲法改正という本質問題を棚上げする一方で、LGBT法や夫婦別姓法案など、日本文明に照合して考えれば全く不必要であるばかりか有害なテーマに政治は埋没してきた。
谷口智彦氏は今国会の議論の的となっている夫婦別姓に関しても、次のように辛辣なコメントを寄せている。
<なぜ夫婦別姓を法律にしたいのか。・・・世界中で日本にしかないのが何が悪い。てやんでえ悪いもんか。いっそ人類史の遺産だと、涼しい顔で口笛の一つも吹けるようでなくてどうする。>
全くその通りだと思う。一言加えると、明治の日本が列強の仲間入りを果たした時と、戦後の日本が西側先進国の仲間入りを果たした時に目標としたのは一体何だったのか?「一等国として認めてもらう」ことか、それとも「一等国になる」ことか。
もし「一等国になる」ことが目標であったとしたら、谷口智彦氏が言うように「てやんでえ」と開き直ればいいのだ。真の一等国は他国から何を言われようが動じない。トランプ大統領をみるがいい。「自分はタリフマンだ」、「グリーンランドはアメリカ領であるべきだ」、「ガザを米国の領土とする」等々、「ディールのためのカード」という側面は多分にあるものの、自分の信念を貫くためには歴史上の決定事項など意に介さない。「開き直る」強さは一等国の要件の一つであろう。
ポスト「戦後80年」の日本
日本の近代史160年を俯瞰して、ポスト「戦後80年」(現在)の日本を展望したい。

図を見てもらいたい。今まで述べてきたように、明治維新後160年において日本が目指した目標は、谷口智彦氏が指摘したように「一等国として認められたい」ということにあった。戦後もアメリカ従属の政治を続けてきたことがその証拠であり、安倍元首相自身が「戦後レジームからの脱却」を何とかしようと奮闘されたことは記憶に新しい。
2023年夏にエマニュエル・トッド氏が「西洋文明が敗北した」と看破した。2025年1月にはドナルド・トランプ氏がMAGAを掲げて大統領に再就任した。トランプ氏はトッド氏が指摘した「西洋の衰退」を、既に危機感をもって実感していて、アメリカの衰退を食い止めようと大統領に返り咲いたのだと考えられる。それ故にトランプ第二期政権の4年間、アメリカはMAGA実現のために、常識を超えた手段を次々に講じることが予測される。
図に示したように、ポスト「戦後80年」を迎えて日本が何を目指すべきかは至極明白である。名実ともに「真の一等国」になることをおいて他にない。世界が多極化に向かうなら世界の一極を目指すべきである。国際社会の秩序形成と維持に主体的に貢献し、人類が抱える課題の解決に向けて主導的な役割を果たすべきである。そのような活動によって日本が再び成長し豊かさを取り戻すというシナリオを実現すべきである。
戦後80年を経て顕在化した、アメリカ覇権の弱体化と西洋(欧州)の衰退という大きな動向に対し、幾ら剛腕のトランプ大統領でもその流れを変えることは困難だろう。しかしトランプ第二期政権の4年間は日本にとっても戦後体制を一新する千載一遇の好機となる。「一等国」の目標を掲げて、世界の変化を追い風に換えて挑戦すべき時が到来したのである。
そのような崇高な役割は「西側先進国の一員」、「アメリカに従う同盟国」というような従来の役回りでは担うことは出来ない。トランプ氏がMAGAを標榜するなら、日本はたとえばMJPG(Make Japan Practically Great)とでも言うべき、大きな目標を掲げたらいい。但しそのためにはトランプ氏や習近平氏のご機嫌を伺うような政治家ではどうにもならない。
「新たな高み」とは具体的に何を目指すのかを語らずに、しかも戦後の形を変えたアメリカの占領体制を放置したままで、「日米関係を新たな高みに引き上げる」という空虚な発言を繰り返す政治家には、ポスト「戦後80年」時代への転換は成し遂げられない。「一等国日本」として何を目指すのか、そのビジョンを歴史観をもって語ることができない政治家はトランプ時代には通用しない。
日本を名実ともに一等国とするための切り札は日本文明にある。考えてみたらいい。オーバーツーリズムが叫ばれる程、世界各地から日本にやってくる外国人が多いのは何故かを。単に円安だから、本場の日本食が食べたいから、アニメの本場に興味があったからという人もいるだろうが、総じて言えば日本文明が彼らを引き寄せているのだ。「一等国日本」に必要なことは、日本文明が持つ卓越性を強いカードに換えることだ。
四季があり、海に囲まれ、山や川があり、里山がある自然に恵まれた日本、その土壌に育まれて根を深く降ろした神道に象徴される宗教観と伝統、多彩な分野で研ぎ澄まされた文化、それに西洋人とは異なる価値観を持っている日本人こそが日本文明を形成する要素なのだ。
参考資料:
1)『西洋の敗北、日本と世界に何が起きるのか』、エマニュエル・トッド、文芸春秋
2)『よい子になりたい日本』、谷口智彦、産経新聞日曜コラム、2025.2.9
大きな歴史の流れの中で、日本が真の独立国家として、世界に認めさせるためには、国会議員の国家観・世界観・歴史観が変わらない限り、悲観的にならざるをえません。未だに憲法改正すら出来ない国家では、自国・国民の生命・財産を守るのは不可能です。亡き安倍総理のような強いリーダーシップを持った総理大臣の出現を期待したい思います。