起源という難問(T=0問題)

まえおき

 約38億年前に地球に生命が自然発生した。生物は数億年の歳月をかけて進化を重ね、サピエンスを誕生させるに至った。サピエンスは次々にさまざまなツールを発明して文明を築いた。そして現代、最強のスーパーコンピュータと最新のAI(以下≪SC+AI≫と略す)を発明し、人類の知を超越するシンギュラリティという臨界点に到達しつつある。最強のツール≪SC+AI≫が「考える」能力を備えた最強のマシーンに変異すれば、次の進化段階においてサピエンスを消滅させる脅威となるだろう。

関連資料

 本稿では、宇宙の始まり、生命の起源と進化、サピエンス登場、兵器化されるAIとバイオなどを取り上げる。これらについては既に書いてきたので、併せて下記資料を参照いただければ幸いである。

  ①「宇宙の始まり」:インフレーション、ビッグバン等

  ②「地球に起きた重大事件(生物編)」:生命のアーキテクチャ、大量絶滅等

  ③「地球に起きた重大事件(サピエンス編)」:コロナパンデミックの教訓、生物兵器の出現、インフェルノ等

  ④「歴史的大転換にある世界(2)」:臨界点に向かう技術革新、兵器化されるAIとバイオテロ等

コロナウィルスの発生源に関する新たな動き

 本題に入る前に、コロナウィルスの起源について新たな動きがあったので触れておきたい。コロナパンデミックに関し、中国とアメリカの専門家が改めてウィルスの起源に言及した。(参照:現代ビジネス、2023年11月24日)

 一人はWHOがウィルス研究の権威として認定した香港大学公衆衛生学院の研究員で、2019年12月に武漢で感染者が急増した時にコロナの調査にあたった閻麗夢(イェン・レイム)博士(2019年4月にアメリカに亡命)である。もう一人は米国疾病予防管理センター(CDC)の第18代所長で、コロナパンデミックの現場を指揮したエイズウィルス研究の権威ロバート・レッドフィールドJr.博士である。

 レッドフィールド博士は2023年3月に米下院の特別小委員会で「武漢研究所から漏洩した結果である可能性が高い」と証言し、ウィルスを人為的に変異させる「機能獲得研究」に対する監視強化を訴えた。レッドフィールド博士は同時に、当時米国政府が武漢ウィルス研究所と共犯関係にあったと指摘している。

 イェン博士は「新型コロナの特徴と中国のプロパガンダ戦を告発する3つの論文」、いわゆる『イェンレポート』を2020年9月以降に相次いで公表した。機能獲得研究が感染症の治療法やワクチン、治療薬の開発に大きく貢献する一方で、生物兵器として国家テロに利用される危険性に警鐘を鳴らしている。イェン博士はさらに、「欧米先進国と比べて人権意識の低い中国はさまざまなウィルス研究のメインフィールドになってきた。」と証言している。

 米中の第一人者である二人の意見は、以下の四点で一致している。

①新型コロナウィルスには人間の細胞と結合しやすいスパイクタンパク質が含まれていて、自然発生説の中間宿主に関する理論や実験結果と一致しない。

②これらの部位には、人為的な改変の痕跡がはっきりとある。

③SARS及びMERSウィルスは人から人への感染力は弱いが、新型コロナは最初から強すぎる能力を持っていて、自然界で進化したコロナには見られない特徴である。

④アメリカCDCと武漢ウィルス研究所には協力関係があった。

≪生命の起源≫

 さて本題に移ろう。ダン・ブラウンは、映画「ダヴィンチコード」や「天使と悪魔」、「インフェルノ」の原作者として知られている。小説「オリジン」の中でダン・ブラウンは、天才科学者が最強のツール≪SC+AI≫ を使ったシミュレーションを仮想のタイムマシンとみなして、「生命進化の起源と未来」の謎に挑むというテーマを取り上げている。このテーマについて、『奇跡の物語』の視点から検証を加えてみたい。

 関連資料②で書いたように、科学は生命の起源について以下の事実を明らかにしてきた。第1に「生物の進化」については、約38億年前に単細胞生物が、約10億年前には多細胞生物が登場し、約6億年前には「カンブリア爆発」が起きて、さまざまな動物が一斉に誕生した。第2に、絶滅した生物を含む地球上に存在した全ての生物が単一の「アーキテクチャ」を共有している。一方、最初の生命がどうやって誕生したのかについては謎のままである。

 科学が解明したことは、最初に地球に誕生した単細胞生物の子孫として進化を繰り返し、全ての生命が誕生したという事実だった。ここで「生命のアーキテクチャ」は以下の三つである。

  ①遺伝情報の記録と伝達にDAN、RNAを用いていること

  ②エネルギーの授受にATP(アデノシン三リン酸)の酸化還元反応を用いていること

  ③タンパク質の合成に同一の20種類のアミノ酸が利用されていること

 小説でははじめに、最強のツール≪SC+AI≫に、今までに人類が明らかにしてきた科学の知見をインプットしてシミュレーションを行い、「生命誕生の起源」の謎に挑んでいる。小説の中で天才科学者が注目したのは、1950年代に二人の科学者が行った伝説的な実験だった。

 ユーリー博士(Harold. Urei)とミラー博士(Stanley. Miller)は1950年代に、原始の海洋と大気の組成を再現した「原始の海」を実験室に作り、落雷に代わる電気ショックを与えて、生物のアーキテクチャに係る有機物が生成されるかどうかを確かめる実験を行った。実験の結果、数種の有機化合物(アミノ酸)が無機物から生成されたものの、生命に繋がる物質は生成されなかった。

 ただし現代から眺めると、ユーリー/ミラーの実験には重大な誤りが二つあった。一つは原始の海の組成が現在の知識とは異なっていたこと、他一つは実際には数億年かかって起きた変化を短期間で確認しようとしたことだ。

 ならば現在までにサピエンスが解明し蓄積してきた最新の知識を境界条件として与え、数億年に及ぶ時間経過を模擬するシミュレーションを≪SC+AI≫にさせればいい。シンギュラリティの時代の最強ツールなら、「生命の起源」の謎を解明できる。そう考えた天才科学者がシミュレーションを実施した。・・・小説はそういう物語展開となっている。その結果、最初の生物は地球環境の中で十分な時間経過の後に自然発生したことが示される。

 「生命の起源」問題の答えは、科学か宗教かの二者択一を迫るものだ。即ち原始の地球環境で自然発生したとなればそれは科学の範疇であり、そうでなければ神が作り給うたという二つだ。シミュレーションの結果は自然発生だった。実際に原始の海で起きた変化も恐らくそういうことだったと思われる。

散逸構造とエントロピー

 この物語を科学的に解釈すると、「生命は地球環境における散逸構造の一つであり、原始の海で自己組織化メカニズムが働いて自然発生的に誕生した」ということになる。

 生物のみならず宇宙で進行中の変化は、以下の何れかに分類される。

  ・エネルギーの流入がある環境では、エネルギーを使って秩序が形成される

  ・エネルギーの流入がない環境では、エントロピーが増大する(混沌さが増す)

 そして生物という存在は以下の三点に集約して理解することができる。(参照:ダイヤモンドオンライン『私達の体の多くの部分はいつも入れ替わっている』、更科功、2019年12月21日)

 第1に物理現象として捉えると、生物はエネルギーを得て形成された秩序であり、エントロピー増大法則(熱力学第二法則)に反している。

 第2に地球環境と生態系の関係として捉えると、生物は地球環境におけるエネルギー散逸に貢献していて、生態系全体としてエントロピー増大法則に従っている。

 第3に進化という視点から眺めると、生物は子孫を残し世代交代して「生態系の進化」という大きな物語の小さな役割を演じている。

 参考までに散逸構造の分かり易い事例を挙げれば、落雷は空中に蓄積される電気エネルギーを散逸する自然現象であり、渦潮は流れ込む潮流のエネルギーを拡散させるために自然に形成される構造である。人間社会で言えば、都市は常に流れ込むエネルギーや資源を消費することで形成され維持される社会構造であり、人々がさまざまな活動を行って廃棄物(エントロピー)を吐き出している。

≪進化の未来≫

 小説は次に二つ目のテーマとして、生物進化が辿った歴史を≪SC+AI≫にインプットして、≪進化の未来≫を予測するという展開になる。シミュレーションの結果、近未来にはサピエンスに代わる「新しい種」が登場し、地球の主役が交代して、サピエンスは淘汰される未来が描かれる。これこそがシンギュラリティに到達したAIが人類の脅威として恐れられる理由である。

 前と同様に、この物語に科学的な考察を加えてみよう。そもそも未来を予測することは可能だろうか。

 確かにスーパーコンピュータ(SC)の能力は今後も指数関数的に能力が向上してゆくだろう。人工知能(AI)もこれからシンギュラリティを達成し、さらに飛躍的な進歩を遂げてゆくことは間違いない。さらに人類が積み上げてきた知(K)の体系も増加してゆくだろう。では近未来の≪SC+AI≫は最新の≪K≫を使って、次の予測を行うことができるだろうか。

  Q1:今後「生命の進化」の物語はどういう展開になるのだろうか

  Q2:生物の絶滅は過去に5回起きたが、次の絶滅はいつどういう形で起きるだろうか

 答えはネガティブであろう。シミュレーションの特性であり同時に限界でもあるのは、シミュレーションを行うためには「モデルの記述」と「パラメータの設定」が必須であって、これを誤ると全く異なる結果がもたらされることだ。今後幾ら≪SC+AI≫が進歩を遂げたとしても、現在から未来に至る変化をもたらすモデル(宇宙で言えば物理法則)の記述と、適切なパラメータの設定が可能となるとは思えない。

 分かり易い身近な例として天気予報を考えてみよう。天気予報に対する現状の評価は概ね次のようなものだろう。

  ・明日の予報は概ね当たるが、1週間先の予報は当たらない

  ・但し明日雨が降ると言っても、正確な地域と時刻を予告することは出来ない

 これは次のように説明できる。日本及び周辺海域の気象予報を正確に行うためには、気象衛星ひまわりの解像度を上げるだけでは不十分で、周辺海域のさらに外側の気象と海象に関するきめ細かな観測情報を境界条件として付与する必要がある。日本の気象に影響を及ぼす大きな因子として、大陸からは偏西風に乗って高気圧や低気圧が間断なくやってくるし、南方からは台風が、北方からは寒気がやってくる。同時に日本列島を挟むように黒潮と親潮が流れていて、その海水温は気象に大きな影響を及ぼしている。気象庁はこれらの刻々の観測データを境界条件として≪SC+AI≫に与えてシミュレーションを行い、天気予報を行っているのである。

 もう一つ例を挙げよう。生物進化の歴史には、5回の大量絶滅(ビッグファイブ)が起きたことが分かっている。では絶滅を起こした原因はどこまで解明されているだろうか?恐竜を絶滅させた5回目の絶滅(6600万年前)が、ユカタン半島に衝突した直径10km程の隕石によってもたらされたことを唯一の例外として、それ以外の絶滅については、地球内部由来(大規模火山噴火、巨大地震など)か、宇宙由来(物体の衝突)かすら特定できていない。

 その原因は、地球内部のダイナミズム(プレートやプルームの動き)が解明できていないので、巨大地震も巨大噴火も予兆現象が起きるまで予知できないことにある。同様に、小惑星や流星や隕石についても、次の地球衝突のXデーがいつになるかは、その物体が観測網によって探知されるまで予測できないのである。

 生物進化にせよ、宇宙膨張にせよ、未来を予測するためには、現在から未来に向かう変化をもたらす物理法則(シミュレーションにおけるモデル)と境界条件(パラメータ)を明らかにする必要がある。但しここに人知の限界が立ち塞がる。物理法則にも境界条件にも、現代の人類が解明できていない未知の要素が存在するのである。

 分かり易い例がダークマターとダークエネルギーだ。但しそういうファクタを考慮しなければ宇宙の振る舞いの辻褄が合わないということだけで、その正体は皆目分かっていない。仮説としての概念があるだけで、その振る舞いを記述する物理法則が分からないのだ。

 では最強のツール≪SC+AI≫が進化して、サピエンスに代わってAIが科学的知見を探究して、現状未発見・未解明の領域に踏み込んで科学を深耕してゆくということはあり得るだろうか?恐らくネガティブである。何故なら探究はサピエンスの知的好奇心に基づく行動であり、観測や実験などの作業が不可欠だからだ。≪SC+AI≫が言わば手足を持たない、頭だけの存在に留まる限り、言い換えれば≪SC+AI≫がツールに留まる限り、サピエンスに代わることはあり得ない。

≪宇宙の起源≫

 ダン・ブラウンが小説≪オリジン≫で提起したテーマがもう一つある。後段で主人公ラングドンに語らせた言葉が、三つ目のテーマを示唆している。それは「物理法則に生命を創造する力があるのなら、物理法則を創造したのは一体誰なのか?」という問いだった。この問いこそは「生命の起源からさらに遡り、宇宙の起源に係る」究極の問いに他ならない。

 生命の起源を辿るのと同じように、思考実験で宇宙の起源を遡るとしよう。現在予測されている宇宙の始まりの物語は凡そ次のようなものだ。(関連資料①参照)

  ・宇宙は凡そ138億年前に突然始まった

  ・直後にインフレーションが起きて空間が瞬間に大膨張した

  ・インフレーションを起こした「真空のエネルギー」が膨大な熱を発生した

  ・超高温となった結果、膨大なエネルギーによって物質が生成されビッグバンが起きた

 これは途方もない仮説であって、素人の理解を遥かに超えているのだが、一つはっきりしていることは「宇宙の起源」というのは現在の物理法則すら成り立たない特異点であることだ。

 つまり「生命の起源」と「宇宙の起源」には決定的な違いが存在する。「生命の起源」問題は、既に地球上にあった無機物質からどのようにして最初の生命が誕生したのかだった。そしてその解は科学か宗教かの二者択一、二律背反だった。

 これに対して「宇宙の起源」問題は、現在の宇宙に存在する物質構造とエネルギー、それに物理法則がどのようにして生まれたのかという究極の問いである。単刀直入に言えば「無から有がどのようにして生まれたのか」ということであり、現代の科学は全く歯が立たない難問なのである。科学で立ち向かうことが無理なのであるから、宇宙の起源をもたらしたものを「神」と呼ぶとしても何ら違和感は生じないだろう。この難問の解は唯一つしか存在しない。科学と宗教の二者択一ではなく二律背反でもない。科学も従来の宗教も無力なのだ。ここでいう「神」は宗教にみられる人間中心の神ではなく、宇宙の創造神としての「神」、即ち宗教すらも超越している「神」であることを付け加えておきたい。

歴史的大転換点にある世界(3)

進行中の危機と三つの臨界点

 「歴史的大転換点にある世界」(1)及び(2)で論じてきたように、現在世界で危機的な事態が同時進行している。危機が起きている背景には、現代社会が幾つかの意味で臨界点に近づいている現実がある。危機のメカニズムが同質のものを括って整理すると、表1に示すように、三つの臨界点に集約することができる。

日本は何をすべきかを考える

 2022年2月にロシアがウクライナに軍事侵攻してから1年9ヵ月になるが、未だ停戦に至っていない。そうこうする内に、2023年10月7日にはパレスチナのスンニ派イスラム原理主義、民族主義組織のハマスがイスラエルに軍事侵攻してイスラエル-ハマス戦争が始まった。(「イスラエル-ハマス戦争の深層」https://kobosikosaho.com/world/1002/

 この戦争は何故起きたのか。歴史に刻まれた複数の原因があることは言うまでもないが、ウクライナ戦争で明確になった「覇権の弱体化と国際秩序の瓦解」が背景にあることは確かだろう。単刀直入に言えば、「アメリカの覇権が弱体化し、中東におけるプレゼンスが後退した」ことが、ハマスによる軍事侵攻を誘発した可能性が高い。

 二つの戦争は欧州と中東で起きたが、背景に国際社会を形成するシステムの制度疲労があり、第三幕は東アジアとなる可能性がある限り、日本から見て遠い世界での出来事として済ますことは出来ない。

 このように地球環境、人類社会の制度とシステム、それに技術革新の分野で、同時に複数の危機が進行中である。この事態に臨み日本はどう対処すべきなのか、日本の役割は何処にあるのかについて、戦略志向で考えなければならない。

 本サイトでは、激動する世界に臨み、次々に起きる事件や事態をどう理解すればいいのかについて、「思考にも作法が必要」だという信念から論じてきた。「思考の作法」の具体論については「思考の作法から見た戦後政治」(https://kobosikosaho.com/manners/563/ )に整理してあるので参照していただきたい。

世界の近代化(概観)

 表1に整理した危機に関し、その全体像を把握し本質を理解するために、世界の近代化の変遷を図1に図示してみた。

 そもそも近代化を促進した要因は何だったのか。答えは二つある。一つは資本主義と民主主義を基礎とした制度・システムの整備であり、もう一つは産業振興である。「20世紀は戦争の世紀」と呼ばれるが、戦争は産業振興がもたらした産物である。そして産業振興を促進した原動力となったのは技術革新だった。新しい技術が次々に登場して新しい産業を興し、同時に新しい兵器を生み出したのであり、それが急速に進んだのが20世紀だったのである。

 他国よりも先に新しい技術を実用化し、産業を興し、軍備を増強することは即ち国力の増大をもたらすことから、先進国は競って富国強兵を推進した。それが産業と戦争の両面において20世紀が歴史上特筆すべき時代となった理由である。

 世界の近代化の歴史を考える上で重要なことが一つある。それは覇権の存在である。英国が覇権国となったのは、ワーテルローの戦いでナポレオン率いるフランスを破った1815年だったと言われる。また英国が大英帝国として19~20世紀に世界の覇権を握ることができた理由は、1760年頃から世界に先駆けて産業革命が起きたことと、蒸気機関を搭載した外洋船を量産して世界の海運業を制したことにあった。(参照:京都産業大玉木教授、東洋経済オンライン、2018年2月19日)

 近代化のプロセスにおいて、世界が二つの世界大戦に突入していったのも、近代化を競った世界の宿命であったと思われる。そして二つの世界大戦を教訓として、国際秩序を維持する仕組みとして国際連合が1945年10月に創設されている。創設に参加したのは51ヵ国に及ぶが、敗戦国だった日本とドイツは含まれていない。

 何れにしても、第二次世界大戦は戦争の規模として人類史上最大となり、さらに核兵器が使用されるに至って、人類は「戦争の世紀」にようやく一応のピリオドを打ったのだった。

 大戦が終わると米ソ冷戦の時代が始まった。この期間にも朝鮮戦争やベトナム戦争が起きており、人類は性懲りもなく戦争を続けたのだった。そして1989~1991年にはベルリンの壁崩壊とソヴィエト連邦の崩壊が起きて、ポスト冷戦期(アメリカ1強の時代)が始まった。またマルクスの予言に反して資本主義は破綻せず社会主義が消滅する結果となった。

 このように産業振興と戦争をもたらした技術革新であるが、人工的に核分裂を起こす技術が原子力発電を実用化した一方で核兵器を生み出した。そして技術革新は20世紀後半から分野を拡大する一方で、一気にギアチェンジするかのように加速しながら進歩を遂げた。特にムーアの法則に従ってコンピュータの能力が指数関数的進化を遂げると、それがさまざまな分野で技術革新を促進した。

 原子力の利用に留まらず、現在目覚ましい進歩を遂げているバイオやAIの技術もまたデュアルユース(軍民両用)である。そして広範な分野で革新的技術が一斉に開花する現代を迎えたが、中でも遺伝子操作に係る技術とAIの劇的な進歩は近未来に人類の未来を劇的に変革する可能性を秘めていて、ひとたびガバナンスを怠れば人類を危機に陥れる兵器にもなり得る。

 表1に戻り、図1の現在の状況を要約してみたい。大戦の終結から78年を経て二つの戦争が起きた。一方でアメリカの覇権は既に1世紀を経て相対的に弱体化し、国連安保理に期待される紛争解決機能は二つの戦争が起きて制度疲労が明らかとなり無力さが露呈した。社会主義はソ連の崩壊と同時に消滅したが、資本主義もまたマネーの増大と格差の拡大によって限界に直面している。指数関数的に進展してきた技術革新は、バイオとAI技術が人類の統制を越えて暴走するレベルに到達しようとしている。

日本の近代史(日露戦争と太平洋戦争の勝敗を分けたもの)

 幕末期に西欧列強の近代化を目の当たりとした日本は、英仏米に約1世紀遅れて、1968年の明治維新を皮切りに一気呵成に西洋文明を取り入れ、短期間で富国強兵を成し遂げて列強の仲間入りを果たした。世界の近代化競争に遅れて参画した日本が、明治期に日清戦争(1894~95年、日露戦争(1904~05年)と二つの戦争を戦うことになったのは、近代化のプロセスとして避けて通れない宿命であったように思われる。

 このように明治維新を機に近代国家への転換を成し遂げた日本だったが、真に列強と肩を並べるには、二つの戦争と共に二つの不平等条約を撤廃する必要があった。言うまでもなくそれは治外法権の撤廃と関税自主権の回復である。治外法権は日清戦争期の1894年(明治27年)に撤廃され、関税自主権は日露戦争後の1911年(明治44年)に回復された。

 このように俯瞰すると、誠に明治という時代は日本が西欧列強と肩を並べるまでの「坂の上の雲」の物語だったことを再認識させられる。これが昭和の時代になると、日本は中国大陸での権益を巡って、欧米及びロシアと対立を深めていった。そうして覇権が大英帝国から移行しつつあったアメリカとの全面衝突へ向かっていったのだった。

 歴史的な大事件を軽々に論じることは慎まなければならないが、議論を進めるために敢えて総括すれば、明治の日露戦争と昭和の太平洋戦争の勝敗を分けた決定的な要因は以下の二点に要約できるだろう。

1)日露戦争では、当時の覇権国イギリスと同盟を組んで、英国が持つインテリジェンスを最大限利用して大国ロシアを破った。

2)太平洋戦争では、無謀にも覇権国アメリカに真っ向から戦争を挑んで敗れた。敗因は、英米露の蜜月関係、世界の戦争に関わりたくないアメリカの国内事情に関するインテリジェンスが欠落すると同時に、戦争遂行に対する戦略(終結のシナリオとタイミング、戦後のビジョンなど)を持っていないことにあった。

 このように日本の近代史には大きな成功と大きな失敗の双方が刻まれている。図1を参照して成否を分けた要因をさらに要約すれば、次の三点に整理することができる。即ち、第1は覇権国を味方にしたか敵に回したかの違いであり、第2は相手国とのインテリジェンスの優劣であり、そして第3は戦略の有無であると。

日本の近代史の転換点

 日本の近代化には二つの転換点があった。言うまでもなく、明治維新と敗戦である。既に述べたように、明治維新こそが西洋式近代化の起源であり、そして敗戦は安倍元総理が掲げた「戦後レジーム」の起源となった。

 戦後レジームの下で二つの大きな物語が綴られた。一つは経済に係るもので、世界史においても比類なき経済成長を遂げて経済大国となった「復興と成長の物語」である。他一つは政治に係るもので、未だに「対米従属・対中忖度」の政治を続けている「現状維持と停滞の物語」である。

 図1に戻り、米ソ冷戦期以降の世界の歴史を概観してみよう。1945年に世界の大乱が終わり、米ソ冷戦が始まった。この時代に中国が台頭して世界の工場となり、劇的な経済成長を遂げた。1991年にソ連が崩壊し、アメリカ1強時代が始まった。それから32年が過ぎて中国は経済・軍事両面でアメリカに挑戦する唯一の国となった。相対的にアメリカのプレゼンスが弱体化し、それがウクライナ戦争とイスラエル戦争を誘発する要因となった。

 このように概観すると、現在は世界の覇権構造が変化する転換点にあることが明らかだ。同時にウクライナ、イスラエルの次の戦争は東アジアで起きる蓋然性が高いことも言うまでもない。

 2023年の現在は、明治維新から155年、敗戦から78年に位置する。中東情勢が象徴するように、アメリカのプレゼンスが後退したことが地域に力の空白を生み、BRICSの拡大やイランとサウジアラビアの和解が象徴するように、地域大国の台頭と地域の不安定化をもたらした。

 発想を変えてみれば、地域大国の台頭と多極化が進む中で、日本は戦後の「対米従属・対中忖度」のNATO(No Action, Talk Only)外交を転換すべき絶好のタイミングを迎えている。言うまでもなく転換に成功すれば明るい未来があり、転換に失敗すれば、激変する世界において没落してゆく未来がやってくる。今転換しなければならない正念場に日本は立っていると言えよう。

 そのためには、日本は明治維新と敗戦という「二つの転換点における成功と失敗」を教訓とし、第一にアメリカの同盟国として、第二に日米英豪の海洋国家連合のメンバーとして、第三に東アジアの地域大国としての未来のポジションを明確にして、激変する世界における日本のRMC(役割Role, 使命Mission, 能力Capability)を再構築しなければならない。

世界でもユニークな日本を取り戻す

 かつて安倍元総理は「地球儀を俯瞰する外交」を志向していた。地球儀を眺めると、日本という国が世界で極めてユニークな存在であることを再認識させられる。つまりこういうことだ。日本はユーラシア大陸の沖合に弧を描いて浮かぶ国境が存在しない列島であり、独自の言語を持つ単一民族で、一万六千年以上に及ぶ世界から独立した縄文文明を育み、神道という独自の宗教観を持っている。

 四季のある亜寒帯から亜熱帯に位置する島国の日本は、縄文の時代から自然を畏敬し、生物多様性を尊重する文明を築いてきた。一貫して天皇制を有し、歴史において貴族による中央主権制と武家による地方分権制を経験し、独自の資本主義と豊かな文化を育んできた。

 歴史においては仏教を始め、中国・インド・朝鮮からさまざまな文化を取り入れ、そして最後に満を持して西洋文明を取り入れた。異文化を取り入れながら、決して取り込まれることはなく、独自の文明の中に巧みに融合させてきた。地理的な要件と気候に加えて、この点が日本人をしてユニークな存在としている理由であるように思う。

 このように欧米列強が植民地獲得競争に明け暮れていた明治維新期において、恐らく日本は世界一平和に近い社会を作っていたことが明らかだ。その事実は、その後日本を訪れた外国人が残した書物にも記録されている。代表的なものを挙げれば以下のとおりである。

・ヘレン・ミアーズ、「アメリカの鏡・日本」、角川書店、2005(原作は1948)

・アレックス・カー、「美しき日本の残像」、朝日文庫、2000

・ロジャー・パルバース、「もし日本という国がなかったら」、集英社インターナショナル、2111

 以上述べたように、日本の近代史の前半は意気揚々とした時代だったが、敗戦によって状況は一変した。一変させた最大の原因は、言うまでもなく敗れる戦争に突入してしまった無謀さにあるが、もう一つの原因は敗戦という歴史上の事件をきちんと総括せず評価をウヤムヤにしたまま放置してきた無作為にあったと言えるだろう。

 総括を怠ったのは無論GHQによる統治と無関係ではない。しかし日本の歴史の転換点において融通無碍に発揮された日本人が持つユニークさ、つまり異文化を取り込んで消化し、縄文由来の日本文明に融合させて文明を進化させてきた特筆すべき才能が、敗戦という転換点においては発揮されなかったことに注目すべきである。

 もう一つ重要なことを付け加えておきたい。視点を現代に戻すと、欧米諸国や露中と比較して、現代日本には「戦略志向」が根付いていない。恐らく縄文の太古から資源を奪い合う競争が存在しなかった環境が背景にあることは間違いない。四季に恵まれている気候故に農作物に恵まれ、周囲を海に囲まれている故に漁業資源が豊富で、国境がない故に他の民族との戦争がなかったからである。

 しかしそれだけでは説明できない。既に書いたように明治という時代は明治維新を起源とし、治外法権の撤廃をもって幕を閉じている。明治を担った政治家には、その前の時代からDNAとして受け継がれた「武士のスピリット」が残っていて、それを基に欧米列強を相手した戦略観を持っていたことは疑いようもない。それが日清・日露戦争と二つの不平等条約撤廃という外交の大仕事を成し遂げた力となったように思える。

 これに対して、太平洋戦争の開戦から敗戦に至る外交においては、戦略の痕跡が見当たらないと言ったら言い過ぎだろうか。「デカダンスと称された大正期」を経て日米開戦に至る30年の過程で、明治の時代には確かに存在していた「武士のスピリット」と戦略観が失われて、日本は戦略が欠如した戦争へと向かっていった。そして屈辱的な敗戦を経て、「戦後レジーム」を払拭して建て直す気概すら失って、現在の「対米従属・対中忖度のNATO外交」に至っている。

歴史的転換点に臨み、日本の役割を考える

 敗戦から78年が過ぎた。現代は国際秩序が瓦解し再び騒乱の時代に突入しているという認識と、日本が近代史の第三の転換点に立っているという認識に立って、図1に描いた日本の近代史の未来を展望してみたい。

 はじめに、未来から現在を見つめる「目的思考」に立つためには、何よりも先立ち「日本は未来にどういう国を目指すのか」という目的地を明示しなければならない。批判を恐れずに一案として書いてみると、≪国益を追求し国力を最大化する努力を怠らず、国を豊かにすると同時に日本がもつユニークさを最大活用して、国際社会の課題を克服するために、リーダーシップを発揮する国になる≫ということになるだろうか。

 続けて、現在世界が直面する三つの臨界点に対して「日本が果たすべき役割」を、一案として書いてみよう。

≪臨界点1:人口・経済活動の増大が地球の恒常性に影響を及ぼすレベルに到達しつつある≫に対しては、縄文時代から地球環境と共存してきた立場から、臨界点を克服するための発想、アプローチ、技術を世界に提示する。

≪臨界点2:国際社会・国家・経済の領域で、制度とシステムの制度疲労が起きている≫に対しては、世界の近代史において制度とシステムのデザインを担ったのは英米であることを踏まえて、「西欧-露中-グローバルサウス」という現在の対立の構図よりも一段視点を高く上げて、より普遍的なデザインを提示する。この領域には、国連の再構築に留まらず、資本主義と民主主義のアップデートも含まれる。

≪臨界点3:コンピュータ・AIが加速度的に進化して、シンギュラリティに到達しつつある≫に対しては、これらの分野で先端技術開発を担うとともに、新しい技術を暴走させないためのガバナンス構築に主体的に取り組む。この役割を担うためには、バイオやAI等の分野で、日本が技術開発の最先端に立つことが条件となることは言うまでもない。

 人類が直面する課題とそれを克服する取組みにリーダーシップをもって参画することは、日本の強みを活かすと同時に、日本の産業競争力を高め、産業振興と経済成長に寄与する道でもある。何れも相当タフな挑戦ではあるが、豊かな未来は困難に全力で取り組むその先に開けると信じるべきだ。

 以上述べてきた役割を担い使命を果たすためには、日本が克服しなければならない障壁がある。それは安倍元総理が述べていた「戦後レジームからの脱却」であり、明治維新期に確かに存在した崇高なスピリットと戦略観を取り戻さなければならない。それこそが役割と使命を果たすために必要な資質であり能力であることを付け加えておきたい。

総括(スピリットを取り戻せ)

 縷々述べてきたように、人類の近代史において、世界は今三つの臨界点に直面している。些か乱暴だが、一言で「西欧文明の制度疲労」と括ることができるかもしれない。 日本は明治維新以来、西欧文明を取り入れて成功と失敗を積み重ねてきたが、現在直面している危機の多くがその西欧文明に係る臨界点であることを考えると、ユニークな文明と宗教観をもつ日本が果たすべき役割は、日本人が自覚する以上に大きいと肝に銘じるべきではないだろうか。西洋文明の制度疲労を補強できる他の文明があるとすれば、それは西洋文明と対立する文明では決してないからだ。

イスラエル-ハマス戦争の深層

ハマスによるイスラエル襲撃

 10月7日早朝、数千発のロケット攻撃や無人機攻撃をおとりとして、数百人のイスラム原理主義組織ハマスの戦闘員がパレスチナ自治区ガザからイスラエル南部に侵攻し、数百人~千人の民間人を無差別に銃撃し、建物内に逃げた人達を手榴弾で殺害するという凄惨な事件が発生した。さらに音楽イベントに参加していた外国人を含む約260人を連行した。ハマスは世界のイスラム教徒に「ジハード(聖戦)のために結集せよ」と呼びかけたという。

 これに対して国連のグテーレス事務総長が10月24日の安保理で「ハマスのテロ攻撃の背景にはイスラエルの占領政策がある。ハマスの攻撃は何もないところで起きた訳ではない。パレスチナ人は56年間占領に苦しんできた。」と物議を醸す発言をしている。これに猛反発したイスラエルは事務総長の辞任を要求した。

 ハマスの軍事侵攻の背景にイスラエルの占領政策があることは当然だろう。歴史は因果関係の連鎖として綴られているからだ。しかし国連事務総長の立場で、ハマスの襲撃にも一理あると受け止められる発言をしたことは、不適切であり問題の解決を複雑にするだけだろう。

 ところでハマスは何故このタイミングでこれほどの重大事件を起こしたのだろうか。イスラエルを軍事侵攻してこれ程の被害者を出した以上、イスラエルから大規模な報復を受けることは必至である。敢えてイスラエルに攻撃の口実を与える程ハマスはバカではないだろう。事件を起こした深層について分析が必要である。

 数千発のロケット攻撃をおとり作戦として使うなど、今回の襲撃にあたってハマスは周到な準備をした上で行動を起こした。イスラエルによる反撃は百も承知で侵攻した筈である。つまりこの事件はハマスの単独行動でも衝動的な行動でもなく、背後には何らかの連携と計算されたシナリオがあったと考えるべきだ。

 この点に関して、国際政治学者の細谷雄一氏が10月24日の産経新聞に分析記事を書いている。要点を紹介する。

①今回の事件は、国際秩序の主導権を競う米国と中・露の世論戦でもある。だが、どの大国も紛争を解決する影響力を持っていない。国際秩序は無極化し融解しつつある。

②米国は中東でのプレゼンスを大幅に低下させたが、逆に反米のイランは影響力を増し、これまで親米だったサウジアラビアは親中に傾斜しつつある。

③ウクライナ戦争が起きて米国と中・露が覇を競う間に、グローバルサウス(以下、GS)が台頭し、地域大国はそれぞれ独自の論理で自律的に動き始めた。

④ハマスはガザで民間施設の地下に軍事施設を作り、市民を犠牲にする非人道性が際立っている。この非人道性はもっと認識されるべきだ。

 安保理での議論を聞くまでもなく、10月7日の侵攻以降のイスラエル対ハマスの戦闘について、「何れに正義があるか」を考えることには余り意味がない。何故なら政府は正義からではなく政治的に行動する主体であり、武装テロ集団は憎悪に基づいて行動する主体だからだ。万一正義があったとしても、それは極めて利己的なものでしかない。

 イスラエルとパレスチナの間には1948年のイスラエル建国以来の闘争の歴史があり、しかもその歴史は双方の因果関係によって綴られてきた。歴史をどこまで遡るかで正義の所在は揺らぎ、時には逆転さえあり得るだろう。加えて両者には民族の違い、宗教の違いが存在し、対話の基盤となる共通の価値観や原則(以下、プリンシプル)は存在しない。この意味からもグテーレス事務総長の発言は極めて不適切と言える。

ハマスの背後の存在

 ハマスの背後にイランが陣取っていることは確実であり、イランはロシアと連携している可能性がある。イランとロシアは協議を繰り返してきたし、ハマスの幹部がロシアを訪問したという情報もあるからだ。世界一級のインテリジェンスを持つイスラエルがそれを知らぬ筈はない。

 さらにイランはハマスを含む民兵組織を支援していて、海側を除く三方面からイスラエルの包囲網を築いている。イランの関与について産経新聞は10月25日に次のように報じている。

①イラン革命防衛隊で対外軍事・諜報部門を担う精鋭の「コッズ部隊」のガアニ司令官がレバノンのベイルートに設置した「作戦室」で民兵組織と協議を重ねてきた。

②民兵組織にはハマスの他に、ガザを拠点としハマスと共闘する過激組織イスラム聖戦、レバノンのシーア派民兵組織ヒズボラが含まれており、シリアに軍事拠点を築くイラン革命防衛隊も参加したという情報がある。

③イランが年間数億ドルもの支援をしているヒズボラは、ハマスを上回る戦闘能力を有する。

④イラン革命防衛隊は10月以降、活動拠点のあるシリアからイスラエルに対し砲撃を行っている。イスラエル軍はダマスカスや北部のアレッポにミサイルで応戦している。

⑤戦線は既にイスラエルの三正面に拡大している。

⑥イランが民兵組織の動向を詳細に把握しているかは不透明で、イラン指導部は10月7日のハマスのイスラエル攻撃を承知していなかった可能性もある。

 真相がどうであれ、今回のハマスによる侵攻はイスラエルの自衛権行使を正当化させ、黒幕はイランだとしてイラン本土を攻撃する口実を与えるものだ。イランが保有する5つの核施設はイスラエルから凡そ1500kmの距離にあり、戦闘行動距離が約1600kmのF-16に補助タンクを搭載すれば攻撃可能となるという。但し空爆するにはシリアやイラク、ヨルダンの領空を侵犯することになる。

 今後イスラエルがどこを攻撃するか、即ちハマス殲滅作戦がガザ地区に留まるか、それともイラン(核施設)攻撃に向かうかが注目される。

安保理の機能不全ここに極まれり

 10月18日の安保理で、ブラジルが提起した決議案が「イスラエルの自衛権に言及していない」との理由で米国の拒否権により否決された。安保理15ヵ国の内、日本やフランス、スイスなど12ヵ国が賛成し、英国とロシアが棄権した。

 10月25日に米国が提出した「ハマスによる凶悪なテロを非難し、(イスラエルを念頭に)あらゆる国にテロに対する自衛権があると明記し、国際法に基づく民間人の保護を双方に求め、ガザで活動するテロ組織に武器供給や経済的な支援を止めるよう関係国に呼びかける」決議案は、10ヵ国の賛成を得たが今度は露中の拒否権によって否決された。

 この顛末は、安保理は常任理事国が自陣営の利益最大化から主張しあう茶番劇を演じる舞台なのだということを再認識させるものとなった。これに対して、民主主義国家では「プリンシプルとしての法体系」と「民主主義に基づく裁判というシステム」が存在し、「行政も国民も裁判結果を受け入れる文化」が定着している。独裁国家や安保理にはそれがない。しかも5大国は拒否権を持っていて、気に入らない決議案を「ノン!」と一蹴できる。ウクライナの事例では被告人の立場にあるロシアが拒否権を発動して決議案を葬ってきた。機能不全ここに極まれりだ。安保理という制度設計の欠陥が決定的となった。

二律背反の「イスラエル対イラン核開発」

 ウクライナ戦争以降、中東情勢が激しく動いている。まず今年3月に中国が仲介して北京でサウジアラビアとイランの和解が成立した。また9月にはサウジアラビアが米国との防衛協定と引き換えに、イスラエルとの関係を正常化すると米国NBCが報じた。二つの出来事は次の地殻変動的な変化を暗示するものだ。

・中東における米国のプレゼンスが弱体化している

・地域大国であるサウジアラビアとイランが独自外交を展開している

・中東における中国の影響力が増大している

 但し、この変化は以下の不協和音を含んでおり、一本道を進むような展開にはなり得ない。中東情勢の力学は親米か反米かで動いている側面があり、米国のプレゼンス低下に伴って局所的な波が発生し、さらにそれが折り重なるように衝突して、複雑な波が発生するという自然現象に似ている。

・同じイスラムの大国と言っても、サウジアラビアはスンニ派が、イラクはシーア派が政権を握っていて、両者はあらゆる意味で水と油の関係にある

・ハマスはスンニ派であって、イスラエルとパレスチナの紛争が未解決のまま、サウジアラビアがイスラエルと和解することはあり得ない

・シーア派のイランがスンニ派のハマスを支援している理由は、両者が共に反米で一致しているからである

 イスラエルはこれまでアラブ諸国が核兵器を保有することを実力で阻止してきた。フリー・ジャーナリストの深川孝行氏の記事から要点を引用する。(参照:深川孝行、JBPress、10月17日)

・1981年6月にイラクで建設中のオシラク原発(イスラエルから900km)をF-16で空爆して破壊した。

・2007年9月にシリアが秘密裏に建設したデリソールの核関連施設(イスラエルから470km)をF-16で攻撃し破壊した。

・2010~2021年にはイランのナタンズに建設中のウラン濃縮施設を三回にわたって破壊した。最初は2010年で、サイバー攻撃で遠心分離機を暴走させて破壊し、2020年7月には組み立て段階の遠心分離機施設が爆破され、2021年4月にはプラスティック爆弾で施設を破壊した

 イスラエルの視点に立って考えれば、ハマスが軍事侵攻した現在、イランの核施設を破壊する絶好の機会が到来したことになる。イランはハマスを支援してきたという理由で、国連憲章51条に基づく正当防衛だとして攻撃を正当化できるからだ。しかもロシアはウクライナで手一杯で黙認する他ない。

 実際に、ハマスが軍事侵攻を行った翌週の10月12日及び14日に、イスラエルはシリアの首都ダマスカスとアレッポの両国際空港をミサイル攻撃している。9.11同時多発テロの時の米国のように、イスラエルはハマスの侵攻を事前に掌握していながら敢えて黙認し、イラン攻撃の準備を進めてきたと考える方が自然だ。

 ロイターは2022年12月29日の記事で、イスラエル国防相が12月28日にイラン核施設攻撃の可能性について言及していたと書いている。「イスラエルは世界の主要国による外交が行き詰まったと判断すれば、イランの核施設を攻撃する」と10年以上示唆してきたという。

 二律背反であるが故に、イスラエルとイランの衝突は不可避である。その場合、米軍はイスラエルを支援することに留まらずイスラエルと共同作戦を行う可能性もある。米国にとってウクライナとイスラエルは同格ではないからだ。

米国の参戦

 米軍が10月26日に、シリアに展開するイラン革命防衛隊の関連施設を空爆した。産経新聞10月28日記事を参照して事実を時系列に整理すれば、次のとおりである。

・10月以降、イラン革命防衛隊がシリアからイスラエルに砲撃を行った

・10月7日にハマスがイスラエルに軍事侵攻した

・イスラエルは10月12日と14日にシリアのバグダッドとアレッポの国際空港を攻撃した

・イラン革命防衛隊は10月17ー19日にイラクとシリアに展開する米軍や有志連合部隊に19回攻撃を加えた

・米軍は自衛のため10月26日にイラン革命防衛隊の関連施設2ヵ所を空爆した

 イランのアブドラヒアン外相は10月26日の国連総会で、「イスラエルが攻撃をやめなければ米国も戦火を免れない」と発言した。この発言は「イスラエルが攻撃を続けているので、武装勢力が米軍を攻撃することを容認する」と述べたことに等しい。昨年末のイスラエル国防相の発言を含めて、イランの視点を整理すれば、次のようになるのではないか。

・イスラエルによるシリアの空港攻撃は、イラン核施設を攻撃するための準備である

・イスラエルによるイラン攻撃は、米軍の支援または共同作戦として実行されるだろう

・米国に対しイスラエルのイラン核施設攻撃を止めるように警告を発した

 今回のハマスによる軍事侵攻は、イスラエルがイランの核施設を攻撃する口実として利用される可能性がある。バイデン政権はウクライナ戦争では、ウクライナに兵器を供与してロシアに対し代理戦争をさせてきた。ウクライナ戦争におけるロシア対ウクライナと、イスラエル戦争におけるイラン対イスラエルには、米国から見た場合類似の構図がある。

 但し、両者には決定的な相違点がある。それは米国政界におけるユダヤロビーの存在だ。ウォール街等のユダヤコミュニティは米国を動かしてきた影の勢力である。米国にとってイスラエルはウクライナと同列ではない。従って、もしイスラエルがイランの核施設を攻撃する場合には、イスラエルの作戦を支援するために、或いは共同作戦として米軍が参戦する可能性が高い。イランの核を排除すること、言い換えれば中東における核保有国はイスラエル一国に留めることは、米国の国益でもあるからだ。

なぜハマスはイスラエルへ侵攻したのか

 そもそもハマスがイスラエルに対して大規模な軍事行動を起こしたのは何故だろうか。幾つかの説がある。

 第一は、スンニ派の盟主サウジアラビアがイスラエルに接近することを阻止するためだったというものだ。イスラエルとハマスが戦争状態になったことでこの狙いは達成されたことになる。但しこの仮説はハマスの単独行動を前提としている。

 第二は、ハマスがイスラエルとの戦闘を起こしそれが地域戦争へと拡大することを狙ったというものだ。実際にそういう展開となる可能性が高い。

 第三は、ハマスにとっても複数の理由からイスラエル攻撃の好機が到来したことだ。ウクライナ戦争が起きたこと、イランがイスラエルを三方面から包囲する体制を整えてきたこと、イスラエルを攻撃するための弾薬やトンネルの整備など、戦闘準備が整った等だ。

 イランが直接ハマスに指示を出して攻撃させたかどうかは不明であり、米国政府も10月9日の時点ではイランの直接的な関与の証拠はないと述べている。一方で、長期的な支援など間接的な関与があったことは事実である。ハマスがイスラエルへ軍事侵攻すれば、イスラエルにイラン攻撃の口実を与えることは分かっていた筈だが、では何故イランはハマスの攻撃を止めなかったのだろうか?

 イランから見た風景は、次のようなものであったのかもしれない。

・米国が弱体化し、国際秩序が不安定化し、多極化が進んでいる 

・ウクライナ戦争以降、米国対ロシア・中国の対立でバイデン政権は手一杯である

・中東での米国のプレゼンスが低下している

・バイデン外交は世界で嫌われていて、次の大統領選を控えバイデンはレイムダック化する

・イスラエルの司令官が、近未来にイランの核施設を空爆することを示唆している

・イランは三方からイスラエル包囲網を構築してきた

 好戦的な思考に立てば、この状況はイランにとっても好機到来であり、イスラエルによる核施設攻撃が不可避である以上、イスラエルを悪者に仕立てて「仕掛けるなら今」という誘惑が働いた可能性もある。

誰と誰の戦いなのか

 この戦争の構図を理解するためには高い視座から俯瞰する必要がある。一体誰と誰が何を巡って対立しているのかを図1に図解してみた。図で青字の国名は親米、赤字の国名は反米を表す。

 背景にある長期的動向は、国際社会における米国の弱体化と中東地域における米国のプレゼンスの低下である。ウクライナ戦争が起きて米国は露・中と二正面の戦争に突入した。グローバルな領域でのこの争いがBRICSの加盟国拡大、GSの台頭などの地殻変動を起こし、不安定だった中東地域の力学に変化をもたらしたのである。

 超大国間の力学が変化し空白が生まれれば、それを埋めるように地域大国が独自の思惑から活動を始める。これは多極化する世界で地域の大国を目指す動きに収斂してゆくだろう。中東における地域大国はサウジアラビア、イラン、そしてイスラエルである。

 中国問題グローバル研究所長で筑波大学名誉教授の遠藤誉氏は、中国問題研究所のウェブサイトでこう分析している。「ハマスがイスラエルに軍事侵攻した背景にあるのは、サウジアラビアとイランを和解させた中国と、イスラエルとサウジアラビアを和解させようとする米国がサウジアラビアを軸に対峙している力学である。そしてハマスのイスラエル攻撃は、サウジアラビアとイスラエルの和解を完全に阻止する役割を果たした。」と。 

 図1から明らかなように、何れにしてもハマスによる軍事侵攻は、パレスチナ問題に留まらず、中東の地域大国間の争いに発展してゆくことは必至である。さらにウクライナ戦争を含めて超大国間の対立とも連動してゆくことは間違いない。

日本が明確にすべきプリンシプルとポジション

 G7の内、日本とカナダを除く5ヵ国は、ハマスの襲撃事件が起きると直ちに、イスラエルの自衛権支持とハマスによるテロ行為非難を二本柱とする声明を出した。そして安保理決議を巡る応酬では、ハマスの襲撃とイスラエルの自衛権をどう評価するかで意見が分かれた。

 日本は当初ハマスによるテロ攻撃を非難したものの、攻撃を受けたイスラエルの自衛権を明確に支持する立場を避けた。G7議長国でありながら5ヵ国の共同声明に参加しなかったのは、一体何を躊躇したからだろうか。国際法の順守を前提としてイスラエルの自衛権を支持し、テロを非難する明確な意思表明をしなかったことは外交上の明らかな汚点となるだろう。

 10月30日の産経新聞の正論で、防衛大学校教授の神谷万丈氏は「テロ集団に対する自衛の意図から武力を用いたイスラエルを、利己的な国益追求のために武力行使をためらわなかったロシアと同じように批判することはできない。」と述べている。誠にそのとおりである。

 ウクライナ戦争に対して、日本はG7議長国としてポジションを明確にして行動してきたのに対して、イスラエル戦争ではポジションを明確にする行動をとっていない。ポジションを曖昧にした「どちらからも嫌われたくない」戦略は、逆に「誰からも信用されない」結果を招くことを肝に銘じておくべきだ。図1に相当する、近未来の日本周辺における対立の構図を描いて日本のプリンシプルとポジションを明確にして、イスラエル戦争の次の有事に備えなければならない。

歴史的大転換点にある世界(2)

 第1部では、現在同時に進行している代表的な8つの危機についてその全体像を把握することを試みた。第2部では、それは何故起きたのか、真相をどう考えるか、事件の本質はどこにあるのかについて考察を加える。

<現代社会の基本構造>

 現代社会の秩序は、図に示すように四階層の構造として捉えることができる。即ち、第1層が普遍的価値体系、第2層が個人的価値観、第3層が国家・社会を構成するシステムや制度(民主主義、資本主義、法体系等)、第4層が国際社会を構成するシステムや制度(国連、為替、貿易等)の四階層である。

 この中で普遍的価値体系は全世界共通だが、個人的価値観は宗教やイデオロギーの違いから主観的で国家毎の多様性がある。しかも資本主義、民主主義、法体系等、国家・社会を構成するシステムや制度(以下、「システム」と省略)の何れもが、未完のシステムである。

 戦後の国際秩序を構成するシステムの多くは、国連がそうであるように、第二次世界大戦(以下、WW2)の教訓を踏まえて整備された。但し現実は、各国の利害や宗教・イデオロギーが異なるため、国際秩序を脅かす重大事件ほど当事国の合意に至ることは基本的に困難で、合意に至ったとしてもその後の各国のお家事情で容易に反故にされてしまう事例が多い。

 最近の事例では、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に対しグテーレス国連事務総長は、国連憲章第2条4項は国際関係において「武力による威嚇または武力の行使」を慎むよう求めており、「ロシアの軍事作戦は国連憲章違反」であると断定している。一方のロシアは加盟国が攻撃を受けた際の個別的・集団的自衛権を定めた憲章51条に従った決定だと反論している。

 その他の事例としては、国連安保理は北朝鮮に対する制裁決議を多数成立させてきたが、北朝鮮はそれを遵守しておらず、ロシアや中国も制裁決議を無視して北朝鮮を支援している。ことほど左様に、国際社会を構成するシステムは脆弱な基盤の上に作られた砂上の楼閣となりがちである。

<国際秩序と覇権>

 第1部で分析を加えた「21世紀の戦争、国際秩序、ドル覇権」に係る危機は、何れもアメリカを中心に起きていて、互いに強い相関性があることから、一体として論じることとする。はじめにこれらの危機は何故起きたのか、時間軸から俯瞰すると注目すべき二つの動向が浮かび上がる。

 第1の動向は、WW2以降の覇権の変遷である。戦後史を振り返ると、アメリカはソ連に対抗する布石とするために中国の経済成長を全面的に支援してきた。しかし現実は、ソ連が崩壊してポスト冷戦期へ移行すると、中国はなりふり構わず軍事大国化を目指し、アメリカに正面から挑戦する存在となった。

 トランプ政権になってアメリカは、幾ら豊かになっても中国は民主主義化しないことを確信し、もはやアメリカの容認限界を超えていると判断した。そしてペンス副大統領の宣戦布告演説を皮切りに、バイデン政権でのワシントン・コンセンサスの改定を経て、アメリカは対中政策を抜本的に転換する意思を世界に表明したのである。

 第2の動向は、戦争の形態の革命的な変化である。1999年に中国の二人の軍人が書いた『超限戦』が中国で発刊されベストセラーになった。2001年には邦訳版が出版されている。これは「非軍事の戦争行動」と「非均衡、非対称の戦法」を特徴とするもので、21世紀の戦争では「あらゆるものが手段となり、あらゆる領域が戦場となる」と主張して世界の耳目を集めた。

 米ソ冷戦期において、ロシアと中国が相次いで核兵器保有国となったため、米ソ(露)、米中間の20世紀の戦争は封印されてきた。ところが国際社会を構成するシステムの一つである通貨、具体的には国際決済ネットワーク(以下、SWIFT)や石油ドル決済システム(以下、PDS)を攻撃手段として使用することで、戦死者を出さずに相手国経済を攻撃する戦争が実行可能となったのだった。

 日本での常識的な思考では、21世紀にアメリカが中国とロシアと同時に戦争をするなどというバカなことをする筈がないと考えるが、アメリカの歴史では「目的達成のためには手段を選ばず、躊躇なく実行した」事例は特別なものではない。むしろアメリカという国の本質に関わるものである。

 達成したい命題が明確で、それを実現しようとする強い意思があり、それを実現する手段が使用可能となれば、シナリオを組み立ててタイミングを見計らって冷徹に実行する。アメリカはこのプロセスに従って21世紀の戦争に踏み切ったと考えられる。

 たとえばルーズベルト大統領がチャーチル首相の要請を受けて、WW2に参戦するために日本を経済封鎖し挑発して真珠湾攻撃に踏み切らせたことは、フーバー大統領が書いた回顧録『裏切られた自由』が明らかにしている。その他にもケネディ大統領の暗殺、9.11同時多発テロ、最近ではノルドストリーム・パイプライン爆破等、政府組織の関与が疑われる事件が、何れも陰謀論という煙幕の中で真相はうやむやのまま歴史に封印されてきた。

 アメリカはWW2においてドイツと日本を潰し、次にソ連邦を解体させたのに続いて、今ロシアと中国を弱体化しようとしている。何故そのような無謀で時代遅れとも思える選択をしたのか。真相として考えられる理由は、長期的かつ相対的にアメリカの力が弱体化しており、これ以上中国の強大化は容認できない臨界点に到達したからではないだろうか。

<アメリカ:民主主義の崩壊>

 中露に対する21世紀の戦争に関して、たとえ命題と意思、手段とシナリオが揃ったとしても、実際にそれを行動に移すためには国内の環境整備が不可欠となる。目的思考で考えれば、まず民主党が政権を奪回して、次にシナリオに従って実行する大統領を選出しなければならない。そのためには2016年の大統領選で勝利したトランプ氏の再選を阻止する必要があり、組織的かつ大規模な不正を行って選挙結果を書き換える必要があったと推察される。

 もしこの仮説が正しければ、シナリオどおりロシアと中国の弱体化に成功したとしても、そのためにアメリカがこれから払う代償は途方もなく大きなものとなるであろう。何故なら20世紀で封印した筈の戦争を蘇らせ、ドル覇権を毀損させ、あろうことかアメリカ社会の基盤である民主主義に回復不能なダメージを与えたからである。恐らくアメリカにとってはそういう代償を払ってでも、このタイミングで両国を弱体化しておくことが不可欠かつ最優先の命題だったということだ。

 この結果、アメリカ民主主義の崩壊と社会の分断は、2024年の大統領選に向けて今後一層激しさを増してゆくに違いない。しかもアメリカ社会を長期に渡って蝕み弱体化させてゆくだろう。これは国内に与えたダメージである。

 国際社会に与えたダメージとして、これからアメリカが直面する課題が幾つかある。第一に、今まで石油取引によって裏打ちされてきたPDSが弱体化し、決済通貨の多様化が進むことが予想される。実質的にはドルペッグ制で変動相場制でもない中国人民元による決済が拡大するとは思えないが、貿易決済手段のドル離れが進むことは間違いない。

 第二に、BRICSの参加国拡大が暗示するように、世界の多極化が徐々に進むことが予想される。そう考える理由は、ノルドストリーム爆破が象徴するようにアメリカのやり方はかなり強引であり、それを忌避する国が徐々に増加して、アメリカ離れが静かに世界に浸透してゆくと思うからだ。

 第三に、アゼルバイジャンとアルメニアの衝突が先ぶれとなり、今後ロシアの影響力低下という遠心力が働いて、ロシアの勢力圏や周辺地域で地域紛争が活発になってゆく恐れがある。実際に10月7日にはイスラエルとパレスチナが第四次中東戦争から50年というタイミングで戦闘状態に突入した。ウクライナ戦争によって世界秩序に大きなヒビが入ったために、今後世界が不安定化してゆくことが避けられない。

<中国:一党独裁の限界>

 中国不動産バブルの崩壊と経済の急減速は、アメリカの制裁というよりも習近平政権のオウンゴールに帰する処が大きい。ゼロコロナ政策の失敗と拙速での撤回、さらには未来の「金の生る木」に成長した筈の大手IT・ゲーム企業や塾などに対する弾圧が、中国経済に壊滅的な損害を与えたことは明白である。

 経済評論家の朝香豊氏が「習近平が中国経済を崩壊させると言わざるを得ない、これだけの理由」と題した記事の中で、習近平の経済音痴を指摘している。興味深いので以下に要点を紹介する。(参照:現代ビジネス、9/23)

1.習近平政権は言葉だけは立派だが、具体性のない政策を打つことが多い

2.習近平は欧米流の消費文化を堕落と考え、西側諸国の財政政策を採用しない

3.経済を拡大するには、筋肉質なところも贅肉的なところも必要なのだが、贅肉は削ぎ落して、筋肉質なものだけで経済を回せばいいと本気で考えている

4.大規模なインフラ整備が中国の経済成長をもたらしたことは事実だが、膨大なインフラが建設途中で放棄されているというのに、インフラをもっと作れと号令をかけている

 中国経済が急激に失速した本質的原因は、インフラ開発依存から国内消費中心へ、国営企業中心から民営企業中心へ、共産党政権維持ではなく国民の豊かさ追求へと、経済成長に応じて経済政策を転換すべきだったにも拘わらず、欧米流のアプローチを拒否したことにある。

 拒否した結果、最悪のケースとして、中国はこれから不動産バブル崩壊の深刻化→金融危機の勃発→経済危機へ発展→共産党の正統性を巡る動乱へと進む可能性がある。5%を超える経済成長が共産党政権の正統性の条件であるならば、「中所得国の罠」を克服することがまず必達の課題であり、そのためには経済政策を転換する必要があるのだが、一党独裁であるが故にそれができない。中国は経済大国となったのだが、一党独裁を最優先とする限り、真に豊かな大国にはなり得ないという矛盾に直面している。

<EU:国家連合の限界>

 そもそもEUは個別の国単位ではアメリカに太刀打ちできないために、大同団結して誕生した歴史を持つ。それがウクライナ戦争という有事が起きて、EUとしての力を発揮できず、アメリカ依存を強める他なかった。21世紀の戦争も、ロシア・中国とのデカップリングも、EUにとっては想定外の事件だったということなのだろう。

 EUはソ連邦が崩壊した直後に設立されたが、「アメリカ1強の時代」から「米中新冷戦の時代」へのパラダイムシフトに柔軟に対応できなかったということだ。EU設立時⇔現在を対比すれば、「ポスト冷戦の始まり⇔終焉」、言い方を変えれば「平和の始まり⇔有事の始まり」という程に、国際情勢は激変した。一方この間にEUは拡大しNATOは休眠状態となっていた。

 EU創設時の前提が一変して、ウクライナ有事下の現在、西欧vs東欧・南欧でインフレ対処における国力の差や、急増する移民・難民に対する立場の違いが鮮明になっている。

 EUでは現在、イタリアの金利急騰に注目が集まっているという。その理由は、メローニ首相が率いる右派連立政権が、2024年度予算案で、2024年度の財政赤字(GDP比)を3.7%→4.3%へ引き上げたことにある。これは欧州が加盟国に示した財政赤字の抑制に関する「GDPを3%以内とする」規律を、イタリア政府は公然と無視したことになる。

 実はこれには歴史的な背景がある。コロナ・パンデミック直後にイタリアの金融不安が顕在化したことがあった。このときEUと欧州中央銀行(ECB)は、「大きすぎて潰せず、救済できない」イタリアの国債を他国より優先して購入して長期金利の金利高騰を防いで、イタリアの危機を防止したのである。

 このように、EUが課した財政規律をイタリアが無視したことによって、EUとイタリアの間に亀裂が生じることが予測される。EU第3位の経済規模を有するイタリアの財政問題はEU内の不協和音拡大の原因になりかねず、アメリカ発の金融危機を不安定化させる懸念が高まっている。(参照:ビジネス・インサイダー、土田陽介、10/5)

 果たしてEUというシステムは、国際秩序を巡る危機が深まっている現在でも、最強・最適化なのかという問いに向き合い、国際情勢の現実を踏まえて枠組みを修正する必要があるように思えるのだが。

<金融危機:資本主義の限界>

 リーマンショックとパンデミックに対処するために主要国が異次元の金融緩和政策をとった結果、過剰流動性が起きて余剰マネーが世界を駆け巡り、不動産を中心にバブルを膨らませた。その渦中でウクライナ戦争が起きてエネルギーや食糧価格が上昇し、世界でインフレが加速した。

 アメリカは2022年3月にそれまで継続してきたゼロ金利政策と決別して0.25%の利上げを決定し、以降2023年7月までに5.25~5.50%へ矢継ぎ早に政策金利を引き上げてきた。そしてアメリカの金融政策の転換は国内のインフレを抑制すると同時に、ドル高をもたらした。基軸通貨ドルが高くなれば、世界から投資マネーをアメリカに還流させることになり、マネーの急激な移動自体が、世界金融危機を誘発させる引き金となる。

 これは意図した結果ではないのかもしれないが、「ドルの兵器化」によってドル覇権体制が揺らぎ始めたタイミングで起きている。もしかしたらドル高政策もまた「ドルの兵器化」の一環であるのかもしれない。

 第1部で書いたように、今後長期金利がさらに上昇する展開になると、投資家が債券の見切り売りに転じて1987年に世界的株価大暴落を起こしたブラックマンデーが再来する恐れがある。現実に、ロイターは「世界で債券売りが広がる」と題した記事(10月5日)で次のように書いている。「米30年債利回りが2007年以降初めて5%を突破した。米10年債利回りは一時4.88%を付けた。」と。

〔注〕中央銀行が制御するのは「政策金利」で、金融機関どうしが資金をやり取りする際の短期金利であるのに対して、「長期金利」は市場取引で決まる長期国債(10年以上)の金利をいう。

 ロイターが報じた米10年債の利回り高騰は、2022年10月に記録した4.33%の壁をあっさりと突き抜けるものであり、過去の教訓をもとに考えれば、長期金利の上昇が債券の暴落を誘発して世界金融危機を起こす危険性が高まっていることになる。

 歴史を振り返れば、世界経済はバブルとバブル崩壊を繰り返し、しかも繰り返すたびに規模を拡大させてきた。端的に言えば、バブルが拡大する原因は、政府・中央銀行による金融緩和(政府が国債を大規模に発行し、中央銀行が買い入れる)にあり、バブル崩壊の引き金となるのは金融引き締め(中央銀行が政策金利を引き上げる)にある。

 しかも中央銀行はパンデミックで持てるカードを使い果たしているため、次の危機が起きても、従来のように強力な対策を打てないリスクが指摘されている。これはバブル依存の経済成長が限界に近づいている証でもある。

 先進国において、少子高齢化が進み経済成長が鈍化する一方で、社会保障費や危機対処など歳出は増大一途にある。アメリカを例外として、G7の多くの国は力強い経済成長を実現できないまま財政赤字の増大に直面している。バブル頼みではない堅実な経済成長のシナリオを新たに開発する時を迎えている。

<人類が直面する危機:臨界点に向かう技術革新>

 技術革新(以下、TI)は人類社会が発展するための原動力である。しかもコンピュータ技術が指数関数的な性能向上を遂げており、次々に生み出されるTIはより破壊的に、かつより急激になっている。さらにTIは例外なく軍民両用(デュアル・ユース・テクノロジー)であり、生活を便利にかつ豊かにする一方で、安全を脅かす武器にもなる。

 このようにTIが諸刃の刃であるため、新しいテクノロジーが登場するたびに人類はそれを統制するガバナンスを確立しなければならない宿命を抱えている。しかし現実は、それを悪用しようとする勢力の登場に対策が追いついていない。中国、ロシア、北朝鮮など政府機関が関与するサイバー攻撃は破壊力を増しており、振込詐欺は日々巧妙になり被害が急増している現実がそれを如実に物語っている。

 一般論として言えば、攻撃する方が攻撃される方よりも常に一歩先行していて、この構図はサイバーテロ組織⇔政府機関でも変わらない。幸いにして核兵器には、民間人が容易にアクセスできない頑強な障壁があるので、テロリストが核兵器を奪うという事態は防止されているが、核兵器はむしろ別格と考えるべきだろう。AIやバイオの場合、悪用者のアクセスに対する障壁が極めて低くなる恐れがある。

 バブルとバブル崩壊が経済面で世界を変えてきたように、TIは産業面で社会を変革してきた。しかもTIの進化は破壊力とアクセス容易性において核兵器を上回るレベルに到達しようとしている。言い換えれば、シンギュラリティの到来と同時に、TIは人類が統制できる臨界点に到達しようとしているのだ。

 パンデミックは致死性が高くなかったことが不幸中の幸いだった。今回のパンデミックが人類に警告したことは、近未来に致死性の高いウィルスがバイオテロとして使われる事態に備えなければならないということだ。従来と同様に事件が起きてから対処行動を起動するのであれば、感染の発生から極めて短い期間で人口分のワクチンや治療薬を、しかも全て国産品を開発し量産できる技術・設備・体制を整備しておく必要がある。

 これはAIを含む全てのTIにおいて共通の命題となるであろう。残念ながら我々はそういう時代に生きているのであり、これは「兵器化」されるTIの進化との戦いなのだと覚悟しなければならない。視点を変えれば、事件が起きてから対策を講じる対症療法的なアプローチの限界に我々は直面しつつあるのかもしれない。

まとめ

 以上、現在進行中の代表的な危機について、第1部ではその全体像を把握することに努め、第2部では、危機が顕在化した原因、危機の真相と本質について考察を加えてきた。

 以上のように俯瞰してみると、何れの危機にも共通する構図が二つあることが浮かび上がってくる。その一つは戦後78年が経過して、国際秩序、経済と金融、人口動態などの分野で、パラダイムシフトという表現が的確であるように情勢が激変していることだ。しかも国家・社会や国際社会を構成するシステムの多くが未完であって、前提としたモデルが陳腐化して制度疲労を起こしていることだ。

 もう一つは、進化をもたらしている原動力であるTIがシンギュラリティ(技術的特異点)に近づいていることにある。例えばウクライナ戦争は形態は20世紀であるものの、使用されている兵器はミサイルやドローンに限らず、人工衛星やサイバーを含めて21世紀の最新兵器である。また経済を動かすマネーの運用は、世界最高性能のコンピュータとAI搭載の最新のプログラムで制御されている。何れのケースでもAI搭載のコンピュータの能力が人間の知能を超えるレベルに到達しつつある。

 生物の進化において環境の変化に必死で適応する種が生き延びるように、人間社会の進化は人類の宿命と達観する他ないのだが、人類を脅かしている危機の正体は、突き詰めて考えればTIであり、TIの変化のスピードであると考えることができる。しかもそのTIは軍民両用であり、諸刃の刃である。その進化のスピードと人類の競争が激化しており、対応を誤れば人類に壊滅的な影響を及ぼすことになるのだ。

 第3部では、ここまでの認識に立って、日本の役割、使命、能力について考えてみたい。

-第2部終わり-

歴史的大転換点にある世界(1)

 世界は現在歴史的な大転換点に立っている。本記事ではこのテーマを取り上げて三部作で書く。第1部では何故そう考えるのか、現在進行中の代表的な大事件を取り上げて、空間軸と時間軸からその全体像を俯瞰してみたい。第2部では、何故それが起きたのか、その真相と本質について考察を加える。

 そして第3部では、ではそのような世界情勢において日本が果たすべき役割は何か、そのために日本はどう変わるべきかについて考えてみたい。ここでは現在を、明治維新とWW2敗戦に次ぐ第三の転換点と捉えて、歴史を踏まえて日本はどう変わるべきかについて考察を加える。

 途方もなく大きなテーマであり、細部に眼を奪われることなく、大きく俯瞰することを心掛けて、飽くまでも市井の個人の仮説として書くこととする。

はじめに

 2020年初頭にコロナ・パンデミックが発生し、2022年2月にはロシアがウクライナに軍事侵攻した。この二つの事件によって国際情勢は一変した。何よりもまず戦後確立されたと世界が信じてきた国際秩序が崩壊した。さらに事件の当事国に留まらず、世界各国の経済が急速に不安定化し悪化した。一言で言えば世界が一気に有事モードとなったのだった。

 それに加えて、長期的にみるとマグニチュード10級(以下、M10級)の危機が進行中である。(参照:https://kobosikosaho.com/world/947

 このように現在世界では複数の危機が同時に起きている。一体何が起きているのか、その正体は何かが分からなければ、どう対処すべきかが分からない。第1部では、まず現在進行中の事態をどのように理解すればよいのか、ここから分析を進めることとする。

 パンデミックは今回が初めてではない。過去にも繰り返し発現している。代表的なものは14世紀の欧州で大流行したペスト(黒死病)、次に第一次世界大戦時のスペイン風邪、そして最近ではSARS(重症急性呼吸器症候群)とMERS(中東呼吸器症候群)などだ。ちなみに日本で発生した代表的な事例には、奈良時代の天然痘と江戸時代のコレラがある。

 今回のコロナ・パンデミックが歴史上特筆すべき事例である理由は、人類史上初めて人為的な要因が絡んでいることだ。発生源を含めてどこまでが人為的だったのか、現時点で明らかになっていないが、今回のパンデミックは映画『インフェルノ』(原作はダン・ブラウン)が描いたバイオテロが近未来に充分現実化し得ることを示すものとなった。

 そして2022年2月にはロシアがウクライナに軍事侵攻した。世界が第二次世界大戦(以下、WW2)をもって終わったと思っていた20世紀型の戦争が再び起きたことは、現代人に衝撃を与えた。我々は今、WW2後に確立されたと思っていた国際秩序が音を立てて崩壊してゆく姿を眺めながら、「WW2の総括は未完だった」現実に茫然としているのである。

第1部:何が起きているのか(全体像を考える)

 前回の記事で「M10級の危機」について書いた。ここではそれを踏まえて現在進行中の代表的な8つの危機を取り上げて、考察を加えたい。

第1は「21世紀の戦争」である。現在アメリカはロシアと中国と二正面の戦争状態にある。

第2は「戦後の国際秩序の崩壊」である。安保理常任理事国のロシアが戦争を始めたことによって戦後に作られた国際秩序が崩壊した。

第3は「ドル覇権の終焉」である。アメリカはロシアに対し「ドルの兵器化」を含む制裁を科したが、これは諸刃の刃であり、ドル覇権の弱体化を自ら促進することになる。

第4は「アメリカ民主主義の崩壊」である。アメリカでは2020年の大統領選のときに一気に顕在化した崩壊が、2024年の大統領選挙に向けて加速している。

第5は「中国経済の崩壊」である。既に不動産バブルの崩壊が進行中であり、もし巨額の不良債権の処理に失敗すれば、金融危機に発展し、経済崩壊を引き起こす可能性が高い。

第6は「EUの停滞」である。EUはソ連邦崩壊直後に創設されたが、ウクライナ戦争後の国際情勢の激変を受けて一気に停滞モードに入った。

第7は「世界金融危機」である。世界経済はバブルとバブル崩壊を繰り返しながら成長してきたが、パンデミックとウクライナ戦争を契機とし、世界は金融危機・大不況発生前夜に陥った。

第8は「技術革新がもたらす危機」である。AIとバイオは核兵器に匹敵する破壊力を持つ可能性が高く、使い方を誤れば人類の存在を脅かす恐れがある。

<21世紀の戦争>

 アメリカは現在、ロシアと中国に対し同時二正面の戦争を戦っている。ロシアに対しては、ウクライナに武器を供与して20世紀型の戦争の長期化でロシアを疲弊させ、同時に「ドルの兵器化」を含む経済制裁を科している。

 中国に対しては、バイデン政権はトランプ前大統領が課した高関税措置を継承しつつ、ワシントン・コンセンサス(前記事参照:https://kobosikosaho.com/daily/928)を改定してデカップリングを進めている。何れも武器を使わず軍を動員しないものの、国家の弱体化を目的とした21世紀の戦争に他ならない。

 20世紀は「戦争の世紀」と呼ばれた。そしてWW2をもって大国どうしが正面切って行う戦争は終わったと、世界中の誰もが信じていた。核兵器大国であるアメリカとロシア、中国が20世紀型の戦争を行うことはもはや起こり得ないのだが、21世紀型の形態に移行したことによって戦争が再発した。グローバル化が進んだ世界では、あらゆる手段を兵器化する戦争は、相手国の経済活動を標的とする破壊力が高い一方で、武器を使う戦争よりも実施に踏み切るハードルが低い。効果的な抑止力は、そのような戦争形態は必ず諸刃の刃となることだ。

 余談になるが、現在中国は科学的根拠を一切無視して日本からの海産物の輸入を一方的に禁止している。台湾有事に繋がるかどうかは別として、これも21世紀型の戦争の一手段、中国流に言えば「超限戦」の一つと捉えることができるのではないか。一方これは諸刃の刃なので、中国国内に相当な被害をもたらしていることが明白である。

<戦後の国際秩序の崩壊>

 安保理常任理事国のロシアがウクライナに軍事侵攻したことによって、安保理は機能不全に陥った。その結果、政治・外交面でのG7の役割が重要になり、軍事面では休眠状態だったNATOがアクティブモードとなった。NATOは2023年にフィンランドの加盟が認められ31ヵ国に拡大し、さらに現在スウェーデンが承認待ちとなっている。ロシアはNATOの東方拡大を何よりも嫌っていた筈だが、ウクライナ軍事侵攻によってフィンランド、スウェーデンの加盟を招いたことは歴史的かつ致命的な大失敗だったと言えよう。

 ウクライナ軍事侵攻を契機として、中露が中核を占めるBRICSが拡大し、G20の活動が活発化している。従来BRICSは5ヵ国だったが、中露の働きかけの結果、2024年からアルゼンチン、エジプト、エチオピア、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦が参加し11ヵ国体制に拡大することが決まった。ウクライナ戦争を契機に国際安全保障の枠組みが多様化し、多極化している。

 WW2以降の国際秩序はアメリカを軸に変遷してきた。対立の構図の変遷を俯瞰すると、図のように表現できるだろう。

 WW2米ソ冷戦ポスト冷戦→米中新冷戦
対立の構図英米ソvs独日米国vsソ連米国一強→米国vs中国
戦争の狙い独日潰しソ連崩壊ロシアと中国の弱体化
<ドル覇権>

 1971年にニクソン大統領はドルの金兌換停止を宣言した。これはベトナム戦争による財政悪化の解決策として、大統領が議会に諮らずに発動した新経済政策だった。その後為替相場は変動相場制に移行し、大幅な円高・ドル安となり日本経済は大きな打撃を受けた。

 1973年には第一次オイルショックが発生し、世界的に原油価格が高騰した。財政赤字とドル防衛という二つの危機に直面したニクソン大統領とキッシンジャー国務長官は、1974年にサウジアラビアとの間で、ドル建て決済で原油を安定的に供給する代わりに安全保障を提供する協定(ワシントン・リヤド密約)を交わした。こうして原油の決済通貨となったドルが基軸通貨の地位を保持することに成功した。これをペトロ・ダラー・システム(以下、PDS)と呼ぶ。

 そして2022年にウクライナへ軍事侵攻したロシアに対する制裁として、アメリカは国際決済ネットワーク(SWIFT)からロシアの主要な金融機関を排除した。基軸通貨ドルを「兵器化」したのだが、これは「諸刃の刃」であり、今後決済通貨のドル離れに拍車をかける結果を招くだろう。

<アメリカ民主主義の崩壊>

 2020大統領選で大規模な選挙不正が行われ、さらに2021年1月6日に連邦議事堂への暴徒乱入事件が起きて以来、アメリカの議会制民主主義は崩壊の危機に瀕している。果たして選挙不正はあったのかそれとも陰謀論なのか、連邦議事堂への暴徒乱入事件は偶発的だったのか、それとも政治的に仕組まれた事件だったのか、さらには乱入したのはトランプ支持の過激派だったのかそれとも民主党系の過激派だったのか疑問は多い。但し本記事のテーマではないので、ここでは立ち入らないことにする。

 2024年の大統領選を前にして、バイデン政権はトランプ氏の大統領選出馬を阻止するため、トランプ氏の起訴を連発してきた。一方、今まで司法省やFBI上層部による妨害によって、何度も起訴が見送られてきたバイデン大統領次男のバイデン・ハンター氏がようやく起訴された。さらに共和党のマッカーシー下院議長はバイデン大統領の弾劾に向けた調査を行う委員会の設置を決定した。

 このようにアメリカ政治は泥沼化し、しかもかなり深刻化していると言わざるを得ない。ここには国際社会と同様の、かなり乱暴な権力行使の構図が見え隠れしている。

 ロシア産天然ガスをドイツに供給するノルドストリーム・パイプラインの爆破事件から1年が過ぎて、誰が実行した事件なのかについて報道が再燃した。しかしこの事件の構図は極めて単純である。初めに、当事者であるドイツとロシアは、損失が非常に大きいので犯人ではあり得ない。次に、ウクライナには得るものがないだけでなく、周辺国に悟られずに海底に敷設したパイプラインに爆薬を仕掛け、後日遠隔操作で爆破を敢行する能力があるとは思えない。

 従って、動機と能力を併せ持つのはアメリカのみである。政府が関与する事件の場合、歴史上の事例が示すように、最後まで白黒ハッキリすることなく、ウヤムヤのまま闇に葬られることになるだろう。しかしこの事件は、ウクライナへの軍事侵攻と同等に、国際秩序を破壊する行為であることは言うまでもない。

<中国経済の崩壊>

 中国経済の崩壊が始まっている。2020年12月、格付け会社フィッチ・レーティングスは、中国恒大集団が部分的なデフォルトにあると認定した。中国恒大集団は2023年8月17日にニューヨークの裁判所に米連邦破産法の適用を申請した。不動産最大手の碧桂園も資金難によるデフォルト危機に直面している。9月19日には融創中国が米ニューヨークで破産法の適用を申請した。

 このように中国ではGDPの1/4を占める不動産業界のバブル崩壊が深刻化している。ウォールストリートジャーナル紙は9月20日に、「中国の民間巨大開発業者の時代は終わった」とし、「中国人の富の大部分が崩壊する可能性があり、彼らがパニックになるのを防止するにはどうすべきか。それは簡単ではない」と警告する記事を発表した。

 さらに9月20日のフォーブズ日本版は「中国共産党の正統性は5%を優に超える経済成長率にかかっている。2022年の3%という経済成長率は、中国のような規模や発展レベルの経済にとって景気後退の領域に入るものだ。」と分析している。

 ちなみにIMFが発表した中国の経済成長率は、コロナ前の2019年が5.95%、コロナが始まった2020年が2.24%、2021年が8.45%、2022年は2.99%だった。2021年の伸びはゼロコロナ政策による前年度の落ち込みに対する反動と考えられる。2022年の数値はパンデミックから未だ立ち直っていないことを物語る。そして今までに公表された2023年の諸経済指標は何れも惨憺たる値であり、客観的に考えれば2023年はマイナス成長である。

 「中国の統計では3割水増しは常識である」と言われる。中国経済の崩壊は既に始まっているとみるべきだ。ゼロコロナ政策の致命的な失敗を契機に40年に及ぶ経済成長期が終わり、「中所得国の罠」を克服できないまま経済が失速した。急速な少子高齢化と不動産バブルの崩壊が同時に進行していて、1000兆円を優に超える不良債権が残された。習近平国家主席の目論見は破綻し、中国経済のみならず共産党一党支配も崩壊の危機に直面していると見るべきだ。

<EUの停滞>

 EUは1992年に統合され、1999年に統一通貨ユーロが誕生した。EU経済のエンジン役ドイツは強いユーロによって安価な天然ガスをロシアから調達し、中国との関係を密にして経済成長を実現した。それがウクライナ戦争が起きて独露間の蜜月関係は終焉を迎えた。さらにアメリカからの対中デカップリングへの参加要請を受けて、中国との関係も急速に冷え込んだ。こうしてポスト冷戦時代の「強いユーロ、豊富で安価なロシア産エネルギー、巨大市場中国」というドイツの成長モデルが機能しなくなった。

 ロシア特命全権公使、ウズベキスタン・タジキスタン特命全権大使を歴任した元外交官の河東哲夫氏は、現代ビジネスの9月29日の記事で次のように書いている。

 「ユーラシア大陸を巡って米国の力は低下し、中国は停滞、ロシアは衰退し、インドとトルコの力が上昇している。欧州は目下停滞している。2020年1月31日のブレグジットで英国がEUを離脱したために、EUのGDPは15%減少し、EU経済のドイツは再び≪欧州の病人≫となった。ウクライナ戦争で欧州はロシア軍を追い出す力もなく、和平交渉に向けてウクライナを説得する力もない。一方東欧、北欧、バルト三国はロシアの復讐主義の脅威に晒されている。」と。 

 さらに加えれば、ウクライナ戦争を契機としてEUの分断が進んでいる。まず増加一途の移民難民に寛容な西欧加盟国と、拒否する東欧加盟国で意見が対立している。加えてウクライナ戦争後のエネルギー危機に対し、経済力に任せて対処した西欧諸国とそれができない東欧・南欧加盟国の間で軋轢が生じ、一枚岩だったEUの連帯に亀裂が生じている。

<世界金融危機>

 世界の主要国で金融危機がくすぶっている。前述したように、中国の不動産バブル崩壊は巨額の不良債権の処理を誤れば、たちまち金融危機へと発展する危険性が高い。そしてもし金融危機が起きると、経済成長の落ち込みがさらに深刻化し、さらに低成長が常態化するようだと共産党政権の正統性に波及して一党独裁政権が倒壊する危険性が高まる。

 アメリカ発金融危機も懸念される。これには主に二つの原因がある。一つはアメリカがドルを兵器化したことによって決済通貨の多様化が進みドル覇権体制が揺らぎ始めたことだ。他一つは8月2日に米財務省が今後1年間に国債発行を6割増とすると発表したことだ。これはバイデン政権が行った大型財政政策のツケであり、今後の長期に及ぶ構造的な金利上昇要因となる。

 1987年に起きたブラックマンデーは長期金利の急落が引き金になって起きた。今後長期金利がさらに上昇する展開となると、機関投資家が債券の見切り売りに転じてブラックマンデーの再来を招く恐れがあるという。(参照:市岡繁男、JBPRESS、9月2日)

 WW2後の歴史において、バブルとバブル崩壊はスパイラルを描きながら繰り返されてきた。1970年以降世界で発生したバブルは130回に及ぶという。バブル崩壊も、金融資産が増えた近年以降頻繁に起きていて、政府と中央銀行による金融引き締め政策(金利の引き上げ)が誘発している。

 そのメカニズムはこうだ。まず中央銀行が行う金融緩和・低金利と、政府が行う財政出動が市場に豊富な資金を提供する。次にそれが過剰流動性を起こし、世界各地で投機が過熱してバブルを引き起こす。バブルが過熱すると、インフレや投機熱を下げるために中央銀行が一転して金融引き締め(つまり長期金利の引き上げ)を行うので、未来の暴落を警戒する投資家が先を争うように債券や株式、土地を売却し、加熱が一気に覚めてバブルは崩壊する。

 バブル崩壊が起きると銀行破綻の連鎖が起きないように、政府・中央銀行は巨額の資金を投入するのだが、それが次の更に大きなバブルの原因となるという訳だ。しかもサイクルを繰り返す内に、バブルの規模は増大していく。この問題の本質は、いつの間にかバブル依存となった経済成長にある。

 トランプ前大統領は9月8日に行った演説において、次のように発言した。「私たちは恐らく大恐慌に向かっている。こんなことを言ったのは初めてだ。唯一の問題は、それがバイデンの任期中に起きるか、自分の任期中に起きるかだ。」

<技術革新がもたらす危機>

 政治経済における危機とは別に、人類は技術革新(以下、TI)がもたらす危機に直面している。特にAIとバイオは核兵器に次いで人類を脅かすテクノロジーとなる可能性が高い。

 北海道大学の小川和也客員教授は、著書『人類滅亡2つのシナリオ、AIと遺伝子操作が悪用された未来』の中で、「この2つの技術は、我々の根源である知能と生命に直接的に大きな影響を与えるため一層輝かしく、その一方で従来の技術とは異質の脅威、闇を作り出す潜在力も持つ。」と警鐘を鳴らしている。

 人類は宇宙と生物、物質を解明する科学を発展させ、TIを次々に起こしながら社会を発展させてきた。歴史において、農業革命、産業革命、IT革命を生み出し、現代の最新のテクノロジーはAI革命やゲノム革命を起こしつつある。ここで注目すべきことは、TIの歩みは非線形であり、時間の経過とともにより破壊的に、より急激になっていることだ。

 しかしいつの時代でも、またどのテクノロジーもがそうであったように、TIは常に諸刃の刃であった。現在進行中のAI革命とゲノム革命が、従来のTIを凌駕する変化をもたらすことは間違いない。TIがより破壊的になることは、既に核兵器の登場が証明しているように、使い方を誤れば人類の存続をも脅かすということだ。映画『ターミネーター』はAI搭載ロボット、『ダイハード4』はサイバーテロ、『インフェルノ』は人口削減を狙ったウィルステロを主題としており、何れも近未来に起きる危機を予告するものとなっている。

 周知のように、生物は約38億年前に地球上のどこかで発生し、進化と絶滅を繰り返してサピエンスに辿り着いた。生物進化の歴史では大量絶滅が少なくとも5回起きたことが解明されているが、絶滅を起こした原因として、大規模な火山噴火による寒冷化、酸素濃度の激減、それと巨大隕石の衝突が想定されている。

 AIが進化して核戦争の引き金を引く可能性、人工的に作られたウィルスが人工的にばら撒かれて人類を壊滅させる可能性など、史上6回目の大量絶滅は、破壊力を増すTIに対し、それを統制するガバナンスが追いつかないためにもたらされる可能性がある。

 第2部では8つの危機が何故起きているのかについて考察を加える。

現代社会を襲うM10級の危機

(後編)危機の本質と対処を考える

<過剰債務と少子高齢化のジレンマ>

 日本政府が抱える債務は増大の一途にある。高齢化、激甚災害の増加、パンデミックの発生、安全保障リスクの増大等、その原因は複数あってどれも待ったなしである。ここで重要な真実は「過剰債務問題を抜本的に解決させる方法は、経済成長以外にない」ということだ。

 一方少子高齢化問題を解決する即効薬は存在しない。移民は解にはならない。移民はいわゆる「3K」等の分野で国民が敬遠する仕事を担う反面、単純労働の賃金を抑制し、治安を悪化させる要因になるからだ。現在欧米では移民の増大が危機的な社会問題となっており、移民に対して寛容だった従来の政策を転換しつつある。

 少子化問題を抜本的に解決するために必要なことは、経済の豊かさを取り戻すことである。一方高齢化問題に対する対策は、ロボットやAIを最大限活用することだろう。課題を解決する賢い活用法を世界に先駆けて見つけ、実用化し産業化することに挑戦する他ない。

 重要なことは、少子高齢化は経済成長を抑制する要因であるだけでなく、債務増加を促進する要因でもあることだ。この問題を解決するには「少子高齢化と過剰債務の増加」という負のスパイラルを、「テクノロジー・イノベーションと経済成長」という正のスパイラル」に転換する以外にない。

<大スタグフレーションと中央銀行の限界>

 インフレは古典的には需要と供給のバランスが崩れて発生した。エネルギー・資源・食料の高騰は、従来は戦争、天変地異、洪水や旱魃の結果として発生した。最近では高騰の原因に「武器化」が加わった。

 パンデミックとウクライナ侵攻が起きて、景気後退とインフレが同時に進行するスタグフレーションに世界経済は直面している。特に恐ろしいシナリオは、スタグフレーションと同時にバブル崩壊・金融危機が起きることだ。過去にインフレと巨額債務が同時に存在した例はないという。仮にそのような危機が起きた場合、過去の危機において中央銀行・政府がとってきた救済策は期待できそうにない。

 何故なら中央銀行はゼロ金利やマイナス金利という手段を既に使っていて、巨額の金融緩和を行い、政府は既に膨大な過剰債務を抱えているからだ。企業や銀行は固より、国外の債務を抱える国々のデフォルトが起きても救済できない事態に陥る可能性が懸念されている。

 EUでは現在二つの懸念が話題になっているようだ。一つは経済規模でEU第3位のイタリアがデフォルトに陥る懸念であり、もう一つはその場合大き過ぎて潰すことも救済することもできない懸念である。

<脱グローバル化と新冷戦、多極化の進行>

 グローバル化、民主主義、国家主権は三つ同時に実現できないトリレンマの関係にある。アメリカは結局グローバル化を放棄した。中国はグローバル化の最大の受益者となったが、専制主義のままで民主主義は決して受け入れないだろう。一方欧州は国家主権を制限して域内のグローバル化を選択した。こう考えると脱グローバル化は不可避と思われる。

 アメリカはウクライナに軍事侵攻したロシアに対し、禁じ手であった「ドルの武器化」を含む強力な制裁を行った。またトランプ政権がとった高い関税措置に加えて、バイデン政権は中国に対し先端技術や製品の実質的な禁輸を実施した。こうしてG7諸国と専制主義国家間のデカップリングが確定的になった。

 バイデン政権はさらに、世界にグローバル化を布教するバイブルだった「ワシントン・コンセンサス」を改定して、中国に対するデカップリング政策を強化することを宣言した。(『歴史はこうして作られる②新ワシントン・コンセンサス』参照)「デリスキング」という表現を使ってはいるものの、本質は誰が考えてもデカップリングに他ならない。

 前述したように、ロシアと中国に対するデカップリングは「諸刃の刃」であり、ロシアと中国は対抗策として貿易決済におけるドル離れを推進している。つまりポスト冷戦(グローバル化の時代)の時代が終わり、米中新冷戦(脱グローバル化の時代)の時代が始まったのだが、脱グローバル化が進めば「米国1強時代の終わり」が確定的になり、世界は否応なしに多極化していくことになる。

<AI革命がもたらす変化>

 AI革命は歴史上初めて「人類にとって強敵現わる」という大転換となるだろう。その理由は二つある。一つはコンピュータ・AIの知能が人類の知能を上回る「シンギュラリティ」に到達することである。もう一つは、AI革命は従来の産業革命と一線を画すものとなり、雇用環境を一変させることである。AI革命の先にどういう未来があるのか、よく分かっていないが、ここでは二人の識者の意見を紹介しておきたい。

 イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは、「21世紀の経済学において最も重要な質問は、無用になった人々をどうするかということだ。仕事が次々に自動化される世界に幸福な未来が待ち受けているとは思えない。今回の革命は終末を告げるもののように見える。AIの進化は人間の生活を全く想像もつかない程に変えてしまうだろう。」と指摘する。

 オックスフォード大学教授で哲学者のニック・ボストロムは著書「スーパーインテリジェンス」の中で、人類の生存を脅かす脅威として小惑星の衝突と核戦争に次いでAIを挙げている。これはマシンは雇用だけでなく人類の生命をも奪いかねないという懸念の表明である。

 ハラリはさらにこう述べている。「コンピュータと人間が融合しない限りホモサピエンスは終わる。これから登場するのは、神のヒトとしてのホモデウスだ」と。ハラリが指摘するように、AIがサピエンスの側に立たない限りサピエンスは終わるのかもしれない。

<気候変動:別格の危機>

 気候変動というM10級危機が深刻化すると、紛争と極貧に苦しむ人々がかつてない規模で移住を始めることが予測されている。また温暖化が激しくなればパンデミックが頻発する恐れがあり、もし両者の間で相互作用が起きると全世界的な被害をもたらす恐れがある

 M10級危機の中で気候変動が別格である理由の一つは、それが「人類の生存」に関わっているからだ。そういう意味では、気候変動だけはM11級の危機として捉えるのが正しいのかもしれない。以下は資料2からの引用である。

「気候変動の脅威は原子爆弾よりも全面的であり、徹底的だ。」

「気候変動はゆっくり進行すると思われているが、実は驚くほど速い。一方それに対抗するための技術は直ぐ実現すると思われているが、残念ながらもどかしいほど時間がかかる。」

「気候変動が原因の経済崩壊には、救いも猶予もないのかもしれない。もはや脱出の希望は持てないからだ。」

「私たちの孫世代は、もっと豊かで平和だった世界の残骸の中で永遠に生きることになるだろう。」

 M10級危機の中で気候変動が別格である理由はもう一つある。それは他の7つの危機と異なり、気候変動は人類の歴史という文脈で捉える必要があるからだ。以下は資料2からの引用である。

「歴史とは一方的に進む物語である。農業が始まったのは1万2千年前で、この技術革命で狩猟と採集の生活に終止符が打たれ、都市と政治の仕組みが生まれて文明が誕生した。次に産業革命を契機として、化石燃料をエネルギーとする工業化と経済成長の時代が幕を開けた。そして今、人類が文明を築いてきた歴史が凄まじい勢いで逆噴射している。」

「危機的状況の根本原因は、我々が自分で語ってきた物語の中にある。それは、進歩という神話、人類中心という神話、自然からの乖離という神話だ。それらが神話であることすら忘れている事実が、更に危険を増大させる。」

「気候変動は成長の約束を台無しにする二つの流れを加速させる。一つは世界全体の経済を停滞させて、地域によっては恒久的な景気後退のような状況を作り出すことであり、もう一つは所得格差などの形で富める者より貧しい者が露骨に痛い目にあうことだ。」

<気候変動:人類史における転換点>

 気候変動は、これまで「成長と進歩」を絶対の教義として紡いできた人類史を大転換させるかもしれない。未来は人類が今何をするかにかかっている。以下は資料2からの引用である。

 「私たちが未だ理解していないフィードバックの循環や、科学者が特定できていない温暖化のプロセスが存在することは間違いない。人類を出現させ、文明と呼ばれるあらゆるものを世に送り出した気候システムはとても脆弱だ。たった一世紀ほどの人間の活動で、途端に不安定になった。その責任が人類にあるとすれば、元に戻す責任もある筈だ。」

 「気候変動に関して、ほぼ全てのカードを持っているのは中国だ。中国はどうやって、またいつまでに工業経済から脱工業化経済に移行するのか。存続する工業をいかにクリーン化していくのか。農業や食生活をどう作り変えるのか。爆発的に増えている中間層や富裕層の消費傾向をどうやって炭素集約度の低いものへと方向転換させるのか。」

 「一つの試算によれば、平均気温が3.7℃上昇した時の経済的損失は500兆ドル(7京円)を超えると予測される。それ以下の温度で上昇を食い止めることに成功するとしても、巨額の請求書が回ってくる。それは1世紀に及ぶ産業資本主義が、我々が生存できる唯一の星に与えた損害を解消するために、新しいシステムを構築して運営していく費用である。」

 「気候変動の壊滅的な影響を避けるためには、航空機の刷新から土地の変更まで、隅々にわたってインフラを集中的に作り変える必要がある。例えば、世界中の化石燃料の発電所をクリーンな発電能力をもつ原子力発電所に全面的に置換するというように。だが、汚れた既存システムを引退させ、新規のシステムを導入しようとしても、利害が関わる企業や変化を望まない消費者から強い抵抗が起こるだろう。」

 ちなみに太陽光発電は、レアメタルを含む素材の採掘、輸送、製造からリサイクルまでの全プロセスを考えると、脱炭素にも環境汚染対策にもならない現実を直視する必要がある。真にクリーンな発電を目指すなら、原発以外に現実的な解はないことを付け加えておきたい。

孫世代の未来のために

 M9だった東日本大震災と福島原発事故が相次いで起きた時、平時とは異なる有事対応が必要だったことを我々は思い知らされた。過去のM8級~M7級の地震で蓄積してきた経験や常識だけでは対処できなかったのである。この時の教訓を踏まえて、近未来に起こり得るM10級危機との戦いは、何れもが容易には克服できない難題なのだとの認識に立つ必要がある。発想も対策もM10級の有事対応のものでなければ対処できないことを肝に銘じておくべきだ。

 では、この難題に人類はどう立ち向かえばいいのだろうか。答えは何処にもないが、着眼点は三つあるように思う。第一はスピリット(心構え)に係るものであり、「課題は発明の母」、「危機はチャンス」と捉えて、立ちすくむのではなく立ち向かうことである。

 第二はテクノロジーに係るものであり、危機を抜本的に解決する可能性のある革新的テクノロジーの開発に国力をかけて取り組むことである。日本にはG7メンバーとして、テクノロジー・イノベーションという世界レベルの競争において、常に先頭集団を走り続ける使命と資質がある。それを阻害する旧態依然の仕組みや制度は、「M10級の危機への対処」という有事対応の発想に立って、大胆に刷新しなければならない。

 第三はシステムとその運用に係るものである。気候変動危機への対処は、「自然環境と生態系との共生」という境界条件のもとで、人類社会の在り方を問い直しシステムを再構築する挑戦となるだろう。

 第三の着眼点に立って考えるとき、日本は世界で極めてユニークな歴史を持っている事実に思い至る。日本は明治維新では一気呵成のスピードで西洋文明を取り入れ、第二次世界大戦ではその西洋文明を相手に戦争をして敗れた。明治維新と敗戦という二つの転換点に、M10級の危機に直面する現在の転換点を加えて、近代国家日本の歴史と未来を俯瞰してみたらどうなるだろうか。明治維新以降を近代国家日本の第一期、戦後の時代を第二期、現在以降を第三期と括り直すと、第三期に日本は何をすべきか、命題とテーマが浮かび上がってくる。

 M10級危機、とりわけ気候変動危機は、自然破壊と引き換えに経済成長を続けてきた西洋文明にこそ根本的な原因がある。さらに気候変動以外の危機は、「成長と進歩」を至上命題としてきた西洋文明が行き詰まったことを物語っている。「成長と進歩」の過程で人類が作り込んできたさまざまなシステムが臨界点に到達したのだと解釈できる。この事実こそがM10級危機の本質ではないだろうか。

 ここまでの認識が正しいとすれば、危機に対処するためには、「自然や生態系を破壊してでも」という西洋文明の教義を、「自然や生態系と共生しながら」という教義に書き換えることから始めなければならないことが明らかだ。ここで日本の歴史がユニークなのは、西洋文明を取り入れる遥か1万6千年前から育んできた縄文文明があったことだ。日本人は明治維新以前、縄文の昔から自然を畏敬し共生する自然観・宗教観を育んできたことに誇りを持つべきである。

 我々日本人にはその文明のスピリットが今でも受け継がれている。西行法師が伊勢神宮を参拝した時に詠んだ「なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」という和歌がそれを如実に物語っている。この宗教観は現代の我々にも確実に継承されている。そう認識を新たにすると、相当の難題、もしかしたら解決が困難な難題であっても、日本には本気で挑戦すべき役割と資質があることに思い至る。それこそが第三期の日本の役割でありテーマである筈だ。大げさに言えば、世界のために、そして孫世代の未来のために。

(資料1)『MEGATHREATS、世界経済を破滅させる10の巨大な脅威』、Nouriel Roubini、日本経済新聞出版、2022年11月

(資料2)『地球に住めなくなる日、気候崩壊の避けられない真実』、David Wallace-Wells、NHK出版、2020年3月

現代社会を襲うM10級の危機

(前編)M10級の危機

はじめに

 マグニチュードは地震のエネルギー規模を表す指標として使われている。ちなみに、近年日本で起きた地震のエネルギーは、2011年の東日本大震災がM9.0、1995年の兵庫県南部地震(いわゆる阪神淡路大震災)がM6.9、1923年に起きた関東大震災がM7.9だった。対数指標なので、M9はM8の約32倍、M8はM7の約32倍、M9はM7の約1000倍のエネルギーである。

 マグニチュードは災害のエネルギー規模を表す指標として分かり易いので、ここでは一般化して、M9級は国家レベルで重大な被害を及ぼす危機、M10級は世界レベルで重大な影響を及ぼす危機、M11級は地球規模で人類の存亡をも脅かす危機(小惑星の衝突等)と勝手に定義して話を進めることとする。

 近未来に起きることが懸念される巨大な脅威について、ニューヨーク大学スターン経営大学院のヌリエル・ルービニ名誉教授が著書で書いている。M10級の危機が何かについては、資料1を参照した。また気候変動については資料2を参照した。

(資料1)『MEGATHREATS、世界経済を破滅させる10の巨大な脅威』、Nouriel Roubini、日本経済新聞出版、2022年11月

(資料2)『地球に住めなくなる日、気候崩壊の避けられない真実』、David Wallace-Wells、NHK出版、2020年3月

現代社会に襲いかかるM10級の危機

 2020年初めにコロナ・パンデミックが起き、2022年2月にロシアがウクライナに軍事侵攻した。さらに、トランプ政権期の2018年10月にペンス副大統領がハドソン研究所で行った演説は「中国に対する宣戦布告だ」と評されたが、アメリカはこの演説を転換点として中国に対して武器を使わない戦争を始めた。これらの事件が相次いで起きて、経済不況とインフレがじわじわとしかも同時に進行している。

 さらにパンデミック対策として世界各国は大規模な金融緩和に踏み切った。市中に放出されたマネーは過去にない巨額なものとなり、それがバブルを助長し、アメリカ、欧州、中国では既にバブル崩壊に対する警鐘が鳴らされている。

 ルービニ教授は著書の中で、「世界経済を破滅させる巨大な脅威」として10項目を挙げているが、本質原因が同じものを括ると、「巨大な脅威」は過剰債務、少子高齢化、大スタグフレーション、中央銀行の役割と基軸通貨ドル体制の崩壊、脱グローバル化、米中新冷戦、AI革命、気候変動の8つに整理することができる。世界経済が4つ、国際政治が2つ、テクノロジー・イノベーションが1つ、地球環境が1つである。

 基本的な知識として、はじめにこれらの要点を概説しておきたい。

<過剰債務>

 第二次世界大戦後およそ70年は、GDPは拡大基調で推移し、世界経済にとって平和な時代だった。一方で1970年以降現在に至るまで、バブル膨張と崩壊が繰り返し発生した。1970年にはオイル・ショックを契機に世界でスタグフレーションが発生した。

 1980年代にはアメリカの不動産価格の下落に端を発する貯蓄貸付組合(S&L)破綻、1990年代には北欧銀行危機、1992年には英国ポンド危機、1991-1993年には日本の不動産バブル崩壊、1998年にはアメリカの大手ヘッジファンドLTCM破綻、2000年代前半にはインターネット・バブル崩壊、2007年にはサブプライム危機が誘発したグローバル金融危機、そして2010年代前半には欧州債務危機が相次いで発生した。

 バブルが崩壊するたびに、取り付け騒ぎが起きて銀行破綻の連鎖が起きないように中央銀行は金融緩和を行ってきた。しかしながら、この政策は眼前のバブル崩壊を制圧するためにもっと大きなバブルを作り出す原因となってきた。

 その結果、世界の債務はGDP比で1999年に2.2倍だったものが、2019年には3.2倍に膨張した。さらにパンデミック後にはGDP比で3.5倍にまで膨張した。このまま推移すると、2030年にはGDPの4.0倍(360兆ドル)を超えることが予測されている。

<少子高齢化>

 人類は現代に至るまで、幾つもの転換点を乗り越えてきた。現在先進国が直面している転換点の一つに、「人口増から少子高齢化へ」というパラダイム・シフトがある。日本が「失われた30年」に突入した理由の一つは、先進国で最初にこのパラダイム・シフトに直面し経済成長が当たり前ではなくなったことだった。

 高齢化は年金・医療・介護等の社会保障コストを増加させる。政府債務に未引当分(年金、高齢者医療等)を加えた真の債務が、政府債務の何倍あるかという比率でみると、2012年のアメリカで19倍だったという。少子高齢化が進めば未引当分はさらに増大し、債務が増加してゆくことが確実である。

<大スタグフレーション>

 経済の停滞とインフレが同時に起きる現象をスタグフレーションと呼ぶ。今後10年以内に経済がスタグフレーションで被るダメージは1970年代以降の事例よりずっと深刻なものとなるだろう。何故なら1980年代にはインフレはあったが債務問題はなく、2008年のグローバル金融危機では債務はあったがインフレはなかったからだ。

 これに対して現代では、巨額の債務が既に存在している状況で、単なるインフレよりもスタグフレーションの兆候が高まっている。この状態でもしバブルが崩壊すれば、「スタグフレーション+グローバル金融・債務危機」という過去に前例のない複合事態になる。著者はこれを「大スタグフレーション」と呼んでいる。

<中央銀行の役割と限界、基軸通貨ドル体制の終焉>

 戦後中央銀行の役割は大きく拡大し変容してきた。当初は「物価の安定」が唯一の使命だったのが、やがて「経済成長と失業対策」が加わった。2007年のグローバル金融危機後にはさらに「金融の安定性とインフレ目標」が加わり、2022年のウクライナ侵攻後には「禁じ手」ともいうべき「通貨の武器化」が加わった。その結果中央銀行の政策も、当初の政策金利(長期国債の金利)のコントロールに加えて、ゼロ金利、マイナス金利、量的緩和、金融制裁と多様化してきた。

 バブルが崩壊するたびに中央銀行は国債を買い取る形で市場に膨大な資金を投入してきた。つまり中央銀行がとってきた金融政策は「バブル崩壊を制圧するために、次のバブルを形成する」という対症療法だっただけでなく、中央銀行自体がバブル膨張・崩壊の原因に関与してきたことは明らかである。

 またアメリカが経済制裁手段として「通貨の武器化」を使ったことは、諸刃の刃であり、基軸通貨ドル体制の崩壊を助長してゆくことになるだろう。

 何れにしても際限なく拡大してきた中央銀行の任務と政策手段は、今や経済を混乱から救うどころか、打つ手を誤れば世界経済を危険にさらしかねないリスク要因となったのである。

<脱グローバル化>

 大戦後の世界は、米ソ冷戦→ポスト冷戦→米中新冷戦へと推移してきた。ポスト冷戦期の到来と同時に、アメリカは先頭に立ってグローバル化を推進してきた。しかし、トランプ前大統領が中国に対し高い関税を課した2018年を転換点として、アメリカはグローバル化を放棄して脱グローバル化へ舵を切った。そして現在ウクライナ戦争と米中新冷戦を契機に、民主主義国と専制主義国の間でデカップリングが進んでいる。

 戦狼外交を展開する中国もウクライナに軍事侵攻したロシアも、国際ルールを平然と無視する専制主義国家である。結局グローバル化はアメリカの幻想だったのであり、アメリカは最近になってようやくそれを認めたことになる。

<米中新冷戦>

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、20世紀の戦争が再発したこと、安保理常任理事国が戦争当事国となったこと、アメリカが「通貨の武器化」を含む制裁を科したことなどの理由で、大戦後に作られた国際秩序を基盤から崩壊させる事件となった。

 米中新冷戦は、アメリカが脱グローバル化へ舵を切った時から始まった。バイデン政権は、さまざまな手段を「武器化」して、自らは軍事力を使わない21世紀の戦争をロシアと中国に対して実行した。(「歴史はこうして作られる、②ワシントン・コンセンサス」参照)

 ポスト冷戦から米中新冷戦への移行は大戦後の大きな転換点として歴史に記録されるに違いない。そして米中新冷戦の行方は、M10級の危機がいつどこで起きるかと、米中の今後10年の経済がどう推移するかによって左右されるだろう。

<AI革命> 

 産業革命は「蒸気機関の発明、大量生産の実現、電化の普及」と進展してきたが、これらの何れもが前時代の雇用を消滅させる一方で、それを上回る新しい雇用を創出してきた。その結果、産業革命は新しく強力な経済成長のエンジンとなっただけでなく、生産性の向上に大きく寄与してきた。現在進行中の産業革命である「AI革命(仮称)」は過去の産業革命とは一線を画す革命となる可能性が高い。

 例えば、自動運転車が普及すればバス・トラック・タクシー等の運転手が大量失業することが明らかだ。ではその代わりにAI革命はどのような新たな雇用を生み出すであろうか。AI革命が単純労働を一掃する代わりに、AIの開発や高度の利用に係る新たな雇用を生み出すとしても、それは失業を迫られる労働者に再雇用を提供することにはならない。この意味でAI革命は雇用環境を一変させる可能性がある。

<気候変動>

 この記事を書いている時点で、世界各地の記録を塗り替える猛暑、ハワイとカナダの山火事、北欧の大洪水、欧州の熱波、中国の洪水と旱魃、南極の氷の減少、氷山の融解などのニュースが連日報道されている。

 8つのM10級危機の中で気候変動は別格である。気候変動というテーマ自体が書物一冊を必要とするものであり、軽々に論じることは出来ないので、ここでは資料2を紹介するに留めることとする。

 最近ではハワイの山火事の惨状が連日報道されている。しかしながら、カナダの山火事も歴史上最悪である。カナダでは例年5~10月に山火事が発生するが、今年は既に1000件以上発生し、その半数以上が制御不能となっているという。オーロラ観測で有名なノースウェスト準州の州都イエローナイフでは住民22,000人に対し8月16日に避難命令が出された。

 ロサンゼルスの現状も深刻である。以下は文献2のあとがきで著者が紹介している、ロサンゼルスが直面している極めて深刻な現実である。

 エリック・ガルセッティ(Eric Garcetti)氏は2013年から2022年間でロサンゼルス市長を務めた人物である。ガルセッティ氏が生まれた1971年に、市の山火事による森林焼失面積は250km2だった。それが市長に初当選した2013年には焼失面積は2,400km2に拡大し、2018年には7,700km2にまで拡大した。何と47年の間に30倍に拡大したことになる。最悪の場合ロサンゼルス大都市圏は2050年までに完全に灰になるという予測もあるという。

 ガルセッティ市長が語った次の言葉が衝撃的である。「幾らヘリや消防車を買っても、消防士を増やしても追いつかない。延焼を食い止めるために切り払う藪もない。これが終わるのは人類が滅亡したずっと後、地球の緊張がほどけて予測可能な気候に戻った時でしょう。」

-後編に続く-

歴史はこうして作られる(3)

リーダーシップとガバナンス

混沌化した世界

 コロナ・パンデミックが発生して以降、複数の重大事件が相次いで起き、世界情勢は一気に混沌化した。代表的な事件は以下のとおりである。

 <2020年、コロナ・パンデミック>2020年頭にコロナウィルスによるパンデミックが起きた。世界規模で人の流れが止まり、マスクなどの医療品が世界規模で枯渇し、サプライチェーンの脆弱性が大きな社会問題となった。それから3年半が過ぎた。日米欧ではコロナ以前の水準に経済が回復してきたが、中国では誤ったゼロコロナ政策を3年続けた結果、経済は失速したままで明暗が分かれた。それ以前から進行していた不動産バブル崩壊と重なって、中国経済は危機に直面している。

 <2022年、ロシアによるウクライナ侵攻>2月にロシアがウクライナに軍事侵攻した。戦争とロシアに対する経済制裁の結果、エネルギーと食料を中心にサプライチェーンの大混乱が起きた。資源不足はインフレをもたらし、米欧はインフレを鎮静化するために矢継ぎ早に政策金利を引き上げた。この結果ドルが高騰し、世界各地に投資されてきたドル資金が還流を始めた。さらにロシアを国際銀行間通信協会(SWIFT)から締め出した結果、主にエネルギー取引においてドル離れが加速した。

 <米中対立の激化>トランプ政権下で2018年10月に行われたペンス副大統領の講演と、バイデン政権下で2022年9月に行われたサリバン大統領補佐官の講演は、中国に対する実質的な宣戦布告と言われている。この場合の戦争は「兵器を使わない代わりにあらゆるものを武器化する」21世紀型の戦争である。サリバン氏は約30年間続けてきたグローバリゼーション政策を大転換して、中国に対するアメリカの力を抜本的に強化する新たなワシントン・コンセンサス構想を発表した。(https://kobosikosaho.com/daily/928/)

混沌化させた要因:ロシア

 このように2020年代になって世界秩序は一気に混沌化したが、こうした世界情勢の激変は当事国であるアメリカ、ロシア、中国の指導者がとってきた政策がもたらした結果に他ならない。直言すれば、リーダーシップの誤りとガバナンスの欠如がもたらした人為的な歴史である。

 如何なる事情があったにせよウクライナ戦争を起こしたプーチン氏の責任は重大である。アメリカの戦略国際問題研究所(CSIS)が第二次世界大戦後に発生した国家間の戦争を調査した結果によれば、1年以内で終結した戦争が51%ある一方で、1年以上続いた戦争は、終結までに10年以上かかったことが判明している。(湯浅博、産経6/30)ちなみに、ウクライナ戦争は既に16ヵ月に及んでいて長期化が懸念される。

 今年6月24日に起きた「プリゴジンの乱」は1日で沈静化したが、ロシア軍内部に複数の支持者がいることが明らかになった。このため、プーチン大統領は「反乱軍」を軍事力で制圧することも、首謀者プリゴジン氏を処分することもできずに、自らの権威が時間と共に失墜してゆく苦境に立たされている。恐らく「プリゴジンの乱」は、プーチン政権が崩壊する第一幕として歴史に記録されることだろう。

 ロシア情勢は今後ますます混迷を極めるだろう。まだ断定することは時期尚早だが、ウクライナを短期間に併合するつもりだったプーチン氏の目論見は完全に外れ、逆にロシアが弱体化する危機を招いた。ウクライナを焦土に変え、双方に多数の死傷者を出したプーチン氏の判断ミスは甚大である。ウクライナ侵攻は「リーダーの判断ミスは、甚大な被害をもたらす」という貴重な教訓として歴史に刻まれなければならない。

混沌化した要因:中国

 アメリカが約30年間推進してきたグローバリゼーション政策の最大の受益者は中国だった。鄧小平が推進した「改革開放」政策の結果、中国は「世界の工場」の地位を獲得し、2010年にはGDPで日本を抜いて世界第二位の経済大国となった。そして江沢民、胡錦涛の後に2012年11月に総書記に就任した習近平氏は、歴代政権が踏襲してきた「韜光養晦(とうこうようかい)」政策を大転換して「戦狼外交」を展開した。

 しかしながら2020年以降に習近平氏が相次いで実施した政策は、失敗に失敗を重ねる展開となった。トランプ政権が始めた高関税措置とバイデン政権にも継承された半導体の禁輸制裁に加えて、オウンゴールともいうべきゼロコロナ政策の大失敗によって経済は急失速し、未だに回復の兆しがない。

 現在、パンデミックを制圧して経済が回復過程にある日米欧とは対照的に、中国経済は深刻である。深刻さを物語る代表的な指標は以下のとおりである。

①2016年に新華社通信は、中国の人口が約14億人に対して、鬼城(住人のいないマンション)は34億人分に上ることを発表した。(現代ビジネス7/6)

②中国経済は2021年以降不況に突入した。2021年、2022年の経済成長率は公式発表で8.4%、3.0%だが、実態は2021年に急減速し、2022年にはマイナス成長となったことが明らかだ。(同上)

③当局が発表した16歳~24歳の失業率は20%超に達する。(同上)

④中国財政省の公式発表では、昨年末時点での地方政府の債務残高は約35兆元(約700兆円)で、昨年の利子負担は初めて1兆元(約20兆円)を超えて3年で2倍に増えた。(東京新聞6/5)

⑤2022年度の不動産価格は前年比で26%減少した。不動産価格がこれ以上下落すれば、1100兆円とも言われる隠れ債務が表面化して地方財政は破綻する。(現代ビジネス6/28)

⑥中国の未来に見切りをつけて、米国へ亡命する中国人が急増している。米国土安全保障省によれば、昨年10月以降に中国人からの密入国者は6500人を超え、前年同期比で約15倍に跳ね上がった。(週刊現代6/28)

⑦「一帯一路」は、7481億ドル(約104兆円)を投じた習近平の目玉政策で、対象国は150カ国に及ぶ。アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)によると、中国は大躍進時代に毎年1000億ドル(約14兆円)を注ぎ込んだが、現在では年間600億ドル(約8兆円)台に減少している。一方で不良債権は768億ドル(約11兆円)に達している。(ZAKZAK6/19)

⑧東南アジアに対する中国の政府開発融資は、2015年の76億ドルから2021年には39億ドルになり、6年間で半減した。この結果東南アジア投資に占める中国のシェアは全体の1/4から1/7に減少した。この事実は中国が経済と金融の問題を抱え込んでいることを示している。(北野幸伯メルマガ7/6)

 パンデミックが起きて日米欧の中央銀行は実体経済を支えるために、超低金利、量的緩和、さらには民間が発行した証券の購入などを大胆に実施した。それとは対照的に中国はゼロコロナ政策をとって都市の封鎖に踏み切った。先進国がコロナの制圧と経済の回復の両方を睨みながら政策を行ったのに対して、中国は習近平自身の面子に拘った誤ったゼロコロナ政策を今年1月まで約3年間頑なに維持した。ゼロコロナ政策が中国経済の息の根を止める悪手だったことは明白である。

混沌化した要因:アメリカ

 バイデン政権の任期は残り1年半余となった。バイデン大統領は現在ロシアと中国に対し二正面戦争を進めているが、一方で民主党政権下にあってアメリカの国内情勢は混乱の極みに向かっていると言わざるを得ない。ズバリ言えば、民主主義と法治制度の崩壊が進んでいる。崩壊プロセスは2020年大統領選挙において行われた組織的な不正に始まり、2024年大統領選に向けて正念場を迎えるだろう。

 <民主党がでっち上げたロシア疑惑>6月21日に開かれた下院本会議において、ロシア疑惑をでっち上げた民主党シフ議員に対する問責決議案が可決された。そもそもロシア疑惑は2016年10月、大統領選挙の1か月前に、国土安全保障省が「民主党の全国委員会のコンピューターがサイバー攻撃を受けた。ロシア政府の指示で実行されたと確信している」という声明を発表したことから始まった。それ以降トランプ大統領を揺さぶり続ける“ロシア疑惑”となった。

 その後モラー特別検察官、ホロウィッツ司法省検察官、ダーラム特別検察官による、個別の捜査が2年にわたって行われ、トランプ氏とロシア政府との共謀の事実はなかったという総括が行われて疑惑は消滅した。シフ議員は英政府の元諜報員がアメリカ民主党筋の委託で作成した「スティール文書」中にあるトランプ氏に関する虚偽の記述に基づいて、トランプ氏を糾弾する民主党の情報特別委員会の委員長としてロシア疑惑の先頭に立っていた。(古森義久、産経6/30)

 <バイデン・ファミリーに係る疑惑>トランプ大統領に対するロシア疑惑とほぼ同時期に、バイデン大統領に係る疑惑が進んでいた。主なものは次のとおりである。(参照、カナダ人ニュースhttps://www.youtube.com/@canadiannews_yt)

①バイデン大統領の次男、ハンター・バイデンを巡る疑惑で、当人が使用していたPCデータがFBIによって解読され、459件の犯罪容疑(ビジネス犯罪140件、性犯罪191件、薬物犯罪128件)が明らかになった。

②ハンター・バイデンには、ウクライナのブリスマ社からの賄賂と捜査揉み消しの他、ロシア、中国他からのマネーロンダリング疑惑もある。

③バイデン大統領本人の収賄容疑もある。

④バイデン・ファミリーに係る疑惑については、2018年以降に歳入庁(IRS)やFBIによる捜査が行われ、州の連邦検察に起訴勧告が提出されたが、司法省や連邦検事などによる妨害工作があり、以降今日まで司法も大手メディアも無視してきた。

⑤2022年11月に行われた中間選挙で、連邦議会下院の多数を共和党が奪還したことから、バイデン・ファミリーに係る疑惑に対して捜査が再開されるようになった。

⑥2021年1月6日に起きた連邦議事堂暴徒乱入事件は、FBIが作り上げた物語だった可能性が濃厚となっている。当時のFBI副長官が「トランプ大統領支持者による暴徒乱入」仮説を疑問視する捜査員に対し、自分の指示に疑問を呈する捜査員は不要だと恫喝発言を行っていたことが、FBI支部のトップによる内部告発で明らかになっている。内部告発内容は司法省監査長官室、議会上院下院の司法委員会に報告された。

⑦中国から多額の寄付が民主党に対し行われていた事実が明らかになっている。ActBlueという団体が2004年から約1.2兆円の資金を集めて民主党の候補・団体に配分してきたという。資金の60%以上が中国からの献金だった事実が解明されている。

 以上は混迷を極めるアメリカ社会の一面に過ぎない。アメリカ国内では民主主義と法治制度の崩壊が進んでいる。

 米国の外交問題評議会(CFR)のリチャード・ハース会長が、重要な発言をしているので紹介する。「現在の世界の安全保障が直面している最も深刻な脅威は米国そのものだ。・・・米国が直面する自国内部の脅威はすでに外部からの脅威より一層深刻である。米国内の政治情勢は世界に予測不可能性をもたらし、世界にとって有害である。・・・その理由は米国内の不確実性にあり、外国の指導者が米国にとって何が常態で何が例外なのか、そして米政府が理性を取り戻すかどうかが分からなくなっている。」(https://www.afpbb.com/articles/-/3471655、AFPBB、7/7)正にそのとおりなのである。

世界を混沌化させた真因

 世界情勢が混沌化している原因を断定的に論じることは無謀だが、世界秩序を左右する米露中三大国のリーダーシップに最大の原因がある。その理由を述べる。

 まずウクライナ戦争は何故起きたのか?それは、英米がロシアを挑発し、それを承知でプーチン大統領が軍事侵攻の命令を下したからだ。ではプーチン大統領の暴走を止められなかったのは何故か?その答えは、恐らく「世界情勢と相手国の動静と意図を客観的に分析する組織と、ありのままの分析情報がトップに届く仕組みがなかった」ことにある。

 いつの時代においても、「暴走する殿」を抑止するためには、世界の情勢と相手の意図と戦略を読み解くインテリジェンスと、それに基づいて行動のオプションと利害得失を考える戦略思考が不可欠だ。これは、真珠湾攻撃に踏み切った日本を含め、多くの戦争に当て嵌まる普遍的な教訓である。

 歴史にIFはないが、もしルーズベルト大統領が日本にアメリカを先制攻撃させるべく執拗に挑発していた事実と、その意図を事前に察知し解読するインテリジェンスが日本にあったなら、さらにその情報が政治の意思決定に活用されるメカニズムがあったなら、300万人に及ぶ戦死者も出さず、アメリカ軍による戦後の統治もなかった可能性が高い。先の大戦から学ぶべき最大の教訓はここにある。どこでどう誤ったのかを教訓とせずに、単に「二度と過ちは繰り返しませんから」と誓うだけでは、未来の悲劇を抑止することは出来ないことを我々は肝に銘じなければならない。

 バイデン大統領は6月10日に開催された自らの政治資金パーティで次のように述べたという。「(中国の観測気球がルートを外れて1月末~2月初めにかけて米本土を飛行したことを)習近平氏は知らなかった。何が起きているか知らないことは独裁者には大きな恥となる。」と。これに対して中国は猛反発した。

 但し、中国政府が猛反発した理由は「独裁者」呼ばわりされたからではなく、習近平が気球の動きを知らなかったことを指摘された点にあるようだ。その背景には経済が失速し、若年層の失業問題が深刻になり、地方政府の財政が破綻しかねない最悪の状況に中国が陥っている現実がある。つまり鄧小平が「改革開放」を唱えて以来、中国は高い経済成長を実現してきたが、習近平政権になって経済が急失速し、中国共産党の一党独裁体制が危うくなってきたことを肌身に感じている時に、その急所を指摘された発言だったので激怒したのだと藤和彦氏は指摘する。(「習近平がバイデンに独裁と言われて激怒」、JBPress、6/28)

 要約すれば、中国経済が急失速した原因は二つある。アメリカによる制裁とゼロコロナ政策だ。アメリカが中国に強力な制裁を科した理由は、習近平がとってきた国際法を無視した「戦狼外交」にあり、ゼロコロナ政策は習近平の面子を優先した産物だった。言い換えれば、中国を経済大国に押し上げた功績は鄧小平の慧眼であり、経済の大失速をもたらした責任は習近平の面子だったということになる。

 そしてその「殿の暴走」を誰も止められなかったのは、いみじくもバイデン大統領が指摘したように、習近平が独裁者だったからであり、指導部をイエスマンで固めた結果であるだろう。

 ではそのアメリカはどうか。既に書いたように、プーチン大統領にウクライナ侵攻を挑発したのはバイデン政権であり、戦争が始まるとアメリカはウクライナに数兆円を上回る軍事支援を行ってきた。さらにドイツとロシアが作り上げた天然ガスパイプラインを海底で爆破したのもバイデン政権の工作であることが濃厚である。但し歴史が証明するように、このような大事件の真相は解明されないまま、限りなくグレーのまま封印されてきた。

 何故このような横暴がまかり通るのだろうか?同時にバイデン政権は既に述べたように、アメリカ社会の民主主義と司法制度を破壊する暴挙を進めてきた。結果から評価すれば、バイデン政権は国際社会及び国内において混沌状況を作為的に推し進めてきたことになる。ハース会長が指摘したとおりである。連邦議会下院で過半数を奪回した共和党と、アメリカ市民の良識ある行動に期待したい。

21世紀のガバナンスが必要

 以上述べてきたように、2020年のコロナ・パンデミック以降、世界情勢は混沌の度合いを強めている。その第一義的な責任は、アメリカ、ロシア、中国のリーダーシップにある。そして混沌化を食い止めて秩序を取り戻すためには、「殿の暴走」を抑制するガバナンスの再構築が必要である。

 国連安全保障理事会の常任理事国であるロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めたことによって、国際秩序を維持するメカニズムは機能不全に陥った。また、アメリカ国内では大規模な選挙不正が起きて、本来政治から独立している司法や、それらを監視する立場の大手メディアが政争の一翼を担っているという、民主主義の存亡にかかわる混沌が進行している。

 2022年10月に天然ガスパイプライン爆破事件が起きた時、ドイツはアメリカに抗議せずアメリカに屈する行動をとった。一方マクロン大統領は「これ以上アメリカにはついてゆけない」とばかりに距離を置く発言を繰り返した。ドイツの対応は堂々と抗議しなかったが故に、今後の米独関係に暗い影を残すことになることが懸念される。

 このように国際社会の現実を俯瞰する視点で考えると、「米露中の暴走を抑止する役割は日本と欧州にある」という未来の姿が浮かび上がってくる。その自覚に立ってアメリカと是々非々の間合いを取ったところに立って考え行動することが、日本のみならず世界が「戦後レジーム」から脱却し、21世紀のガバナンスを構築することになると信じる。

 今年日本はG7の議長国を務めているが、上記理解が真実の一面を捉えているとすれば、米露中が繰り広げる21世紀の戦争に対して、G7議長国に相応しい独自のガバナンス哲学をもって臨むことが日本の役割であると確信する。

 現在からちょうど1年前、安倍晋三元首相が銃弾に倒れた。歴史を大きく回顧すれば、安倍晋三という政治家は、時にトランプ大統領を諫め、時に習近平国家主席に対し毅然と警告し、さらに欧米間や米印間の調整役を担うなど、本来日本が果たすべき役割を演じてこられたように思う。

歴史はこうして作られる(2)

新ワシントン・コンセンサス

21世紀の戦争

 アメリカはロシアと中国に対し二正面の戦争を始めた。(「世界で進行中の事態(後編)」参照)但し、武器を使わない21世紀の戦争であり、20世紀の定義からすれば戦争とは呼ばれない。英語にWeaponizeという言葉がある。「武器化する」という意味だ。21世紀の戦争は武器以外の手段を動員する、経済も金融もサプライチェーンをも武器化して行う戦争である。

 今回対中戦争の強力な武器として用意されたのは「新しいワシントン・コンセンサス(新WC)」である。

 アメリカは1990年代以降およそ30年にわたって世界にグローバリゼーションを布教してきた。布教のバイブルとなったのが「ワシントン・コンセンサス(WC)」である。アメリカは「サプライチェーンをグローバルにし、規制を緩和して、競争を市場の知恵に委ねれば万事巧くいく」と信じていたのである。そして現在、安全保障面でも経済面でも中国から前例のない挑戦を受けて、今までのWCでは対抗できないことが明らかになった。

グローバリゼーションの軌跡

 現在まで運用されてきたWCは、アメリカが1980年代末に、国家の政治経済の運営に係る政策パッケージとして発表したものである。当時は債務に苦しんでいた南米諸国のための政策指針として提唱されたが、やがて「グローバリゼーション、規制緩和、市場の知恵」政策(以降「グローバリゼーション政策」)を推進するバイブルとなった。

 冷戦が終わると「歴史の終わり、フラットな世界」を象徴する「錦の旗」となった。アメリカはグローバリゼーションを推進し、中国のWTO加盟にも尽力した。そしてグローバリゼーションは世界の潮流となった。

 しかしながら21世紀になって、あたかも地球の磁極が反転するかのように、世界の風向きが変わり始めた。リーマンショック、パンデミック、気候変動、ウクライナ戦争が相次いで起き、グローバリゼーション政策の欠陥が次々に明らかになった。要約すれば次のとおりである。

 ①パンデミックとウクライナ戦争が起き、サプライチェーンの脆弱性のみならず、過渡の外国依存は安全保障上の危機を招くという認識が共有された。

 ②グローバリゼーションは結局、国際ルールを無視してきた中国の軍事的野心も、またロシアの軍事侵攻も止められなかった。結局両国はアメリカが期待した責任ある協力的なプレイヤーにはならなかった。

 ③グローバリゼーションの進展とともにアメリカ国内の産業基盤の空洞化が進み、中流階級の貧困化を招いた。

台頭した中国への対抗

 トランプ政権は、中国に対する宣戦布告と称されたペンス副大統領演説を転機とし、懲罰的な関税をかける措置を矢継ぎ早に講じた。バイデン政権はこの関税政策を継承すると同時に、輸出管理規定を厳格化して、半導体やスパコン等、アメリカ製の技術・ソフトウェア・機器などを使って製造した機器の中国への輸出を実質的に禁輸とした。(詳しくは「世界で進行中の事態(前編)」参照)

 バイデン政権はさらに、2021年にCHIPS法を成立させて米国内での半導体の開発製造に527億ドル(約7兆円)の助成金を支給することを決め、続いてインフレ抑制法(IRA法)を成立させて電気自動車や再生エネルギーの普及等に10年間で3910億ドル(約54兆円)を投入することを決めて、国内の産業基盤の再構築に乗り出した。

新しいワシントン・コンセンサス

 しかしながら、従来とってきた政策はパッチワーク的で中国に有効に対抗できていないと判断したバイデン政権は、経済・産業政策の基盤となってきたWC自体を刷新することを決めた。そしてサリバン大統領補佐官は、4月20日にブルッキングス研究所(the Brookings Institution)で新WCに関する講演を行った。講演の全文はホワイトハウスからダウンロードできる。(資料2参照)以下に要点を整理する。

 初めに現在アメリカが直面している四つの課題について定義している。

 第1に、アメリカの産業基盤が空洞化した。「市場の知恵に委ねれば巧くいく」と言っていたが、グローバリゼーションが進み企業も雇用も国外に出て行ってしまった。

 第2に、アメリカは中国からの地政学的・安全保障の脅威と同時に、重大な経済インパクトに直面している。グローバルな経済統合は幻想だった。

 第3に、加速する気候変動の危機に直面している。正しく、効率的なエネルギーの移行が待ったなしとなった。

 第4に、中国による不公平な挑戦が民主主義にダメージを与えている。

 以上のように課題を整理した上で、サリバン補佐官は対処方針について次のように述べている。

 「大事なことは造ることだ。キャパシティを造り、レジリエンスを造り、そして包括性を造ること。つまり強い物理的なインフラ、ディジタル・インフラ、クリーン・エネルギーのような公共財をこれまでにない規模で生産し革新し提供するキャパシティであり、自然災害や地政学的なショックに耐えるレジリエンスであり、強く活力のあるアメリカの中流階級と世界中の労働者に対しさらに大きな機会を保障する包括性である。それをまず国内で造り、次いでパートナーと協力して国外でも造る。」

 これは「中流階級のための外交政策」と呼んできたものの一つであり、次の4つのステップで推進するという。

 第1に、アメリカの新しい産業戦略として国内に基盤を造ること。第2に、パートナーに協力してキャパシティ、レジリエンス、包括性を造ることを確実にすること。第3に、革新的な国際経済協力体制を造ること。そして第4に、数兆ドルの資金を、今出現しつつある経済への投資としてかき集めること。

 ちなみに今日解決しなければならない問題は7つあり、それは、①多様性と耐力を備えたサプライチェーンの構築、②クリーン・エネルギーへの移行と持続的な経済成長のための官民による投資、③その過程での良質なジョブの創出、④公正で安全で透明性のあるディジタル・インフラの保証、⑤法人税の低減競争の停止、⑥雇用と環境のさらなる保護、そして⑦汚職の根絶である。

 究極の目的は、強力で耐力を備えた最先端の技術産業基盤にある。

中国への配慮

 要するに、WCを刷新する理由を俯瞰して言えば、「アメリカはおよそ30年間、グローバリゼーション政策を推進してきたが、その結果、中国が安全保障面でも経済面でもアメリカを脅かすモンスターになった。グローバリゼーション政策は失敗だった。」ことに集約される。

 このように新WCが中国への対抗手段であることは明明白白なのだが、サリバン氏は、次のように中国に対する配慮を加えている。

 1)中国との関係はデリスキング、多様化であってデカップリングではない。(we are for de-risking and diversifying, not decoupling.)

 2)中国に対する輸出規制は軍事バランスを崩す技術(technology that could tilt the military balance)に限定する。

 3)中国とは複数の領域で競争しているが、我々は敵対を望んではいない。責任をもって競争を管理することを追求するものであり、気候変動やマクロ経済の安定性、健康や食糧のセキュリティ等のグローバルな課題に対しては協力して対処すべきだと考える。

戦略に潜むナイーブさ

 アメリカは歴史的に戦略志向の国なのだが、どこかにナイーブさが同居している国でもある。第二次世界大戦では共産主義ソ連に憧憬を抱き、南下するソ連軍と戦ってきた日本とドイツを敵とした。真の敵が共産主義だったことは、その後の歴史が証明している。また建国後の中国に対し手厚い支援を行ってきたが、中国は今やアメリカの前に立ち塞がる史上最強のモンスターとなった。何れもアメリカの片思いに終わったのである。

 イエレン財務長官は「ワシントンは経済的なコストを伴うものであっても、中国との関係では安全保障を優先する。競争優位を堅牢にするのでも中国の近代化を抑制するのでもなく、米国は安全保障上の利益を防衛することに集中する。両国は健全な経済関係を構築すべきだ。中国の経済成長はアメリカの経済リーダーシップと競合する必要はない。我々は中国経済とのデカップリングを追求しない。両国経済の完全な切り離しは、両国に破滅をもたらすからだ。」と述べている。

 デカップリングをデリスキングと言い換えて、気候変動では協力して取り組みたいと言ったところで中国が態度を変えるとは思えない。グローバリゼーション政策の失敗を反省し、戦略を刷新する一方で環境問題等では中国の協力を期待するというところに、アメリカのナイーブさとそれ故の危うさが垣間見える。

異質なものが混在する新WC

 このように、新WCは安全保障面での中国対策と国内の産業戦略に、気候変動危機に対処するクリーン・エネルギー改革を加えたものを目指している。しかし、経済を含めた国家安全保障の問題と、気候変動とクリーン・エネルギー問題は本来別テーマであり、対策を統合するには無理がある。リベラルな政党であるアメリカ民主党故の勇み足に思える。

 グローバリゼーションが中国独り勝ちに終わったからと言って、グローバリゼーションは幻想だったから放棄するとなれば、世界に、特にグローバルサウスの国々に少なからぬ影響を及ぼすだろう。サマーズ元財務長官がこの点を指摘している。「安価な製品を輸入する重要性を強調しなかった点は失望だ。それはアメリカの生活水準と製造業の生産性を決める重要な部分だ。」と。先進国は難易度が高く付加価値が高い製品へシフトし、安価な日用品等はグローバルサウスから輸入するというウィンーウィンの関係を維持することが、世界経済の観点からグローバリゼーションが目指した狙いだった筈だ。

 また、気候変動とクリーン・エネルギーへの移行は本来グローバルな命題だが、地球温暖化対策に不熱心な中国と、化石燃料輸出大国のロシアの協力を得ることは困難という他ない。それどころか、アメリカ国内のレガシーの産業界からの賛同すら得られないだろう。既に全米自動車労働組合(UAW)がバイデン再選を支持しないことを宣言している。

欧州からの不協和音

 新WCに対しては欧州からも批判が相次いだ。イギリスのフィナンシャルタイムズは「旧WCは世界各国にとってプラスサムの世界標準であったが、新WCはある国が成長すれば他国が犠牲になるゼロサムだ。」と批判した。その通りだろう。何と言おうが、主目的が中国に対する安全保障上の対抗措置であり、新WCは世界標準から対中戦略としての国益最優先へのパラダイムシフトに他ならないからだ。

 4月に北京を訪問したマクロン仏大統領による、それ以降の一連の発言が「欧州は無制限にアメリカに追随しない」トーンとなっていることに注意が必要だ。欧州はウクライナ戦争が起きた結果、エネルギーのロシア依存からの離脱とウクライナ支援で疲弊している。台湾問題は欧州の問題ではなく、「ロシアに続き中国とのデカップリングは御免だ」という本音が見え隠れする。公然と異論を唱えているのはマクロン氏だけだが、今後欧州とアメリカの間で対中政策を巡る軋轢となる可能性がある。

「未来の歴史を造る」新WC

 新WCは間違いなく「未来の歴史」の方向性に影響を与えるものとなるだろう。問題は亀裂が入った国際秩序を再び縫合する貢献をするのか、それとも亀裂を拡大させて世界が多極化に向う原因となるのか、何れの道を辿るのだろうかにある。

 「世界で進行中の事態(後編)」で、「ディープ・ステートの代表者と言われるジョージ・ソロスは、2019年1月に開催されたダボス会議で中国に対する宣戦布告ととれる発言を行った。」ことを紹介した。サリバン講演には「グローバリゼーションは幻想だったから是正する」ということと、「中国に対抗する政策を総動員する」という、本来は異質な二つのメッセージが含まれている。

 冒頭述べたように、バイデン政権がロシアと中国に対し同時二正面戦争を仕掛けたことは事実である。「まずウクライナ戦争でロシアを弱体化させ、次に新WCによって中国を弱体化させる。」単刀直入に言えば、それが新WCの本質であると思われる。つまりソロス発言とサリバン講演は呼応しているのである。

 ここで一つの疑問が生じる。次の大統領選挙まで残り1年余という時点でバイデン政権はなぜ同時二正面戦争を仕掛けたのかということだ。

 世界情勢は現在混乱の極みにある。しかも経済情勢の悪化が同時に進行していて、アメリカの金融危機、中国の経済危機、欧州の不動産危機のどれがいつ発生してもおかしくない状況にある。しかも経済危機がどこかで起きれば、発生源がどこであれ、危機は連鎖し容易に世界同時不況に発展する危険性が高い。

 つまり現在は、台湾有事の前夜であるばかりか、2024年の米大統領選前夜でもあり、世界規模の経済危機の前夜でもあるのだ。パンデミックとウクライナ侵攻の後で次の有事の前夜というタイミングで、バイデン政権が同時二正面戦争を始め、新WCを提唱した背景には、計算された相当の理由があると考えられる。

日本との関係

 最後に日本との関係を考えておきたい。

 「年次改革要望書」というものがある。1994年~2008年まで、毎年アメリカ政府が日本政府に対して送り付けてきた、制度改革に関する要求リストである。その代表的事例は小泉政権が強行した「郵政民営化」である。そもそも郵政民営化が日本の国益にどう貢献したのかさえ疑問だが、日本にとってさらに重大な影響を与えたものは「財政規律」という縛りである。「プライマリー・バランス」という呪文は、デフレからの脱却に必要な財政出動を抑制したため、「失われた30年」の長期低迷を招いた原因の一つとなったことは間違いない。

 旧WCには、財政規律の維持、政府事業の民営化、税制改革、規制緩和、貿易自由化という項目が並んでいる。WCの項目と年次改革要望書の項目は見事に符合しており、年次改革要望書の根拠がWCだったことは明白である。

 WCの刷新は日本の政治を拘束してきたアメリカからの要求が一変することを意味している。

 折しもサリバン米大統領補佐官が来日して6月15日に、岸田総理を表敬訪問している。ブリンケン国務長官が18日から2日間北京を訪問する直前であり、新WCについて講演したばかりのサリバン補佐官が急遽来日した理由は何だったのだろうか。日本は既にアメリカが始めた同時二正面戦争にしっかりと組み込まれていることは確かだろう。地政学的に考えて、台湾有事と北朝鮮の核脅威の最前線に位置するのは日本なのだとの覚悟を新たにして、自律的に必要十分な対策を講じなければならない。

危機前夜にあって「東京コンセンサス」を示せ

 時間軸で現在位置を確認すると、今はパンデミックとウクライナ侵攻の後で、台湾有事、世界規模の経済危機の前夜にあり、しかもバイデン政権は残り1年余というタイミングにある。アメリカ自身が混乱の渦中にあり、次は共和党政権が誕生する可能性が高まっている。

 今まさにカオスのような世界情勢の中をどうやって生き延びるのかが問われているのである。風見鶏政権では国を危うくする。誰のための法案なのかも何故今なのかも全く分からないLGBT法案に賛成票を投じるような保守政党には、危機に対処する指導力は期待できないという他ない。

 有事に臨み何よりも重要なことは、「そのとき日本はどう動くべきか」を明文化する行動規範(Code of Conduct)を用意することである。それを例えば「東京コンセンサス」として明文化して、国民にかつ世界に対し宣言することが何よりも大事だと考える。バイデン政権が「グローバリゼーションは幻想だった。然るに外交・経済・産業政策の要であったWCを刷新する。」と宣言したように。

 そして「東京コンセンサス」の冒頭に明記すべきキーメッセージは、「強い国力を取り戻す」ことである。パンデミックやウクライナ戦争の教訓の一つは、有事を克服するために最も必要なものは国力であるという事実だ。「失われた30年」を「再び成長する日本」に大転換させる強い意思表明こそが、有事前夜の喫緊にして最大の命題である筈だ。国力を取り戻すことなくしては、防衛力増強も少子化対策も「財源をどうするのか」という一喝の前に画餅に終わるだろう。

 「未来の歴史」はリーダーの強い意思表明が切り開くものであることを強調しておきたい。

 6月15日から2日間開かれている日銀政策決定会合において、プリンストン大学の清滝信宏教授が、「金融緩和を当面継続する」と述べた植田総裁に対し、「1%以下の金利でなければ採算がとれないような投資を幾らしても、経済は成長しない。量的緩和による低金利は、生産性の低い投資を企業に促し、逆に収益体質を脆弱化している。量的緩和と低金利を続けてきたことが、30年間成長してこなかった日本低迷の根源だ」と厳しい指摘している。本質を突いた指摘だと思う。(資料3参照)

参照資料:

1)「世界経済の無法者中国に、とうとうアメリカが「本気の怒り」を見せ始めた」、長谷川幸洋、現代ビジネス、5/12

2)「Remarks by National Security Advisor Jake Sullivan on Renewing American Economic Leadership at the Brookings Institution」, the White House, 4/27

3)「ノーベル経済学賞候補が日銀植田総裁に嚙みついた!」、鷲尾香一、現代ビジネス、6/15

歴史はこうして作られる(1)

G7が方向づけたウクライナ戦争の帰趨

 歴史は初めに突発的な事件が起き、その上にアクターによる偶発的な行動が積み重ねられて作られてゆくものではないようだ。それが大きな事件であるほど、初めに誰かが用意したシナリオがあって、それに起因する最初の事件が起き、それ以降はアクター間の応答によって一つ一つ既成事実が積み上げられながら歴史が刻まれてゆく。無論、アクター間の応答の結果、思いもよらぬ方向に動くこともあるだろう。また最初の事件の震源地とその周辺地域を巻き込みながら、大きな事件に発展してゆくこともあるに違いない。

 しかし大筋では用意されたシナリオを軸に展開してゆき、そして変化はやがて不可逆な領域に入る。今まで歴史はそのように刻まれてきた。このことは二つの世界大戦の経緯が象徴している。もっとも今までは、シナリオの存在は後世になってから明らかになったのだが。

<不可逆な歴史となったウクライナ戦争>

 その視点からウクライナ戦争の経緯を振り返ると、ウクライナ戦争はバイデン大統領が挑発し、プーチン大統領が呼応して軍事侵攻を始めたことによって起きた。無論プーチン氏は短期間でキーウを制圧できると踏んで侵攻した筈だが、ゼレンスキー大統領の不屈のリーダーシップのもとにウクライナから強力な反攻を受けて、その目論見は完全に外れ戦争は長期化した。プーチン氏の読み間違いが戦争の長期化と拡大を招き、不可逆な歴史的大事件となった。

 さらに米欧日がロシアに科した強力な経済制裁と、NATOによる全面的な軍事支援によって戦争は世界規模の事件に拡大した。ロシア対ウクライナの地域戦闘から、NATO対ロシアの代理戦争へと拡大した。

 そして世界は米欧日対ロシアの二極と、行方を見守るグループを加えた三極に分裂した。世界経済の風向きは一変し、エネルギー危機と食料危機を併発して、世界不況とスタグフレーションの危険性が高まった。こうして国際秩序と世界経済の両面で不可逆な変化が始まった。

<ウクライナ戦争の転換点>

 反転攻勢を始めるにあたり、ゼレンスキー氏は精力的に世界を駆け回る外交攻勢を展開した。5月3日~5日にフィンランドを訪問して北欧諸国(フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)との首脳会談を行った。13日~15日にはイタリア、バチカン、ドイツ、フランス、イギリスを歴訪して相次いで首脳会談を行った。19日にはサウジアラビアを電撃訪問して、アラブ22か国首脳会議で演説を行った。演説では「ウクライナが戦争を選んだわけではない。軍事力による占領には誰も賛同しない。」と力説した。

 G7はウクライナの反転攻勢直前の絶好のタイミングで開催された。戦争の帰趨としてロシアの敗退を確定的なものとするために、外交攻勢の締めとしてゼレンスキー氏は20日に広島にやってきた。その強い意思を理解した岸田首相はゼレンスキー氏を受け入れ、その目論見を実現させる演出をやってみせた。

 ゼレンスキー氏は20日の内に各国首脳と精力的な会合を持ち、21日には開催されたG7拡大会合に満を持して参加した。拡大会合ではロシアによる侵略終結に向けた10項目の和平案への支持を求めた。「我々の領土にロシアの侵略者が居る限り、誰も交渉の席に着かない。」この宣言は安易な調停者の登場を拒否し、退路を断って反転攻勢を戦う意思を示したものとなった。これで中国が調停者となる道は閉ざされた。

 モディ首相との会談では「インドは、少なくとも個人的にはできることは何でもする」という発言を引き出した。こうして5月3日以降の、ゼレンスキー氏の一連の外交攻勢という演出によって、ウクライナ戦争におけるロシア敗戦の方向性が確実になった。

<ウクライナ戦争の方向を確認した広島>

 ゼレンスキー氏は「これから始める反転攻勢でウクライナは国土からロシア軍を追放し、敗戦を決定づける」決意を表明した。F16の供与も決まった。広島に集結したG7はじめ各国首脳は、ゼレンスキー氏の「共に協力してロシアをウクライナから追い出す」意思に賛意を表明した。戦争の当事者が満を持して決意表明したことに対し反対意見は出る筈もなかった。

 「あとは貴方が思う存分戦場で戦う番だ。」G7会合で参加国の首脳はそのように申し合わせたという事実が歴史に刻まれたことになる。呉越同舟というべき温度差があるにせよ、主要国首脳は大きな物語の筋書きで合意したのである。

 こうして「未来の歴史」が作られた。ロシアの敗戦とプーチン政権の崩壊、ロシアの弱体化が決まった。そう断言する理由は、G7合意が万一実現しない事態に陥れば、それは西側優位、アメリカ覇権体制の崩壊、国際秩序の崩壊を意味することになるからだ。そして武力を背景に国際法を無視する無法者国家が世界にはびこることになる。事態がそういう展開に向かうことは、西側諸国にとって代理戦争ではなく本格的な戦争を覚悟しなければならないことだ。それは第三次世界大戦の始まりを意味している。

 G7は「ウクライナ戦争の歴史」を作り込む舞台となった。脚本:岸田文雄、主演:ウォロディミル・ゼレンスキーのコンビが大成功を収めたドラマだった。そしてゼレンスキー氏は見事に主演を演じきった。アメリカとEUが軍事支援を担い、日本は議長国としてその舞台を提供し脚本を書き、G7にグローバルサウス主要国を引き寄せる役割を果たした。

<西側を再結束させたプーチン>

 元内閣官房副長官補だった兼原信克氏はG7の総括として、5月26日の産経新聞の正論に、「プーチンの野望は、崩れかかっていた西側を再度強固に結束させた。」と書いている。バイデン政権はロシアを挑発して戦争を起こさせ、ウクライナに対する米欧からの軍事支援をけん引してきたが、その一方で天然ガスパイプライン(ノルドストリーム)爆破等、西側に亀裂が生じかねない危険な工作を行った。アメリカにはついていけないという不協和音が西側に生じていたことは、北京でのマクロン大統領の発言から窺うことができる。

 この状況下で岸田総理がG7を見事にまとめ上げ、調整役を見事に果たしたのだが、これは日本にしかできない芸当だったといえよう。G7首脳はそのことを評価したから、異論を唱えなかったのだ。このことはG7の首脳の一人が言ったとされる「フミオの目論見どおりになったな!」という発言から窺い知れる。

<アメリカが仕掛けた二正面戦争>

 そもそもバイデン氏が執拗にプーチン氏を挑発した狙いは、中国と本格的に対峙する前にプーチン氏を失脚させロシアを弱体化させることにあったと思われる。そして今後の反転攻勢の成否にもよるが、既に述べたように、そのシナリオに従い新しい歴史が作られつつある。

 NATOが正しく「サラミ戦術」のように、ロシアを刺激し過ぎないよう情勢を判断しながらステップ・バイ・ステップでより高度な兵器を提供してきたことに加え、G7拡大会議の場で参加首脳から軍事支援とゼレンスキー氏の決意への合意を取り付けた以上、ウクライナが敗れる可能性はかなり低くなったと言える。

 バイデン政権が仕掛けた二正面戦争の舞台は三幕からなる。第一幕はロシア、第二幕は中国、そして第三幕はアメリカである。

<立ち位置を世界に明示した日本>

 日本はアメリカが仕掛けた二正面戦争の連合軍に加わり、G7では期待された役割を果たして日本の立ち位置を世界に明確に示した。今後もウクライナ戦争の終結に関与し、ウクライナの復興支援ではG7で最大級の役割を果たすことになるだろう。そして第二幕の対中戦争では、否応なしに日本は最前線に立つことになる。

<反転攻勢が始まった>

 メディアによれば、5月25日にウクライナのポドリャク大統領府長官顧問が、ロシア軍に対する大規模な反転攻勢を既に開始したことをツイッターへの投稿で明らかにした。それによると、「さまざまな方面で占領軍を破壊する数十の行動が反攻であり、敵の兵站を集中的に破壊することを含む。」という。

 また米軍トップのミリー統合参謀本部議長は、25日に「ロシア軍はキーウの占領に失敗したため、攻撃目標を東部ドネツク、ルガンスク両州の制圧に下方修正したが、軍事的見地から目標達成は不可能だ。」と述べた。さらに、「ウクライナは軍事的手段で領土を奪還できるが、戦闘は長期化する。」と指摘した。(参照:産経、5月27日)

<混迷を深めるロシア>

 最近になってロシア側に、今後のウクライナ戦争の行方を大きく左右する変化が現れてきた。以下に代表的な動きを要約する。

 第一に、ウクライナによる反転攻勢に影響を与えるために、ロシアはさまざまなミサイルやドローンを使ってウクライナの司令部や弾薬や装備の供給ルートなどを中心に攻撃を仕掛けてきたが、格段と向上したウクライナの防空能力によって、大半のミサイルが迎撃されている。5月1日~20日の戦闘状況について、フリージャーナリストの木村正人氏がJBPressに寄せた記事で詳述している。ロシア軍虎の子の極超音速ミサイル「キンジャール」もパトリオットによって撃墜されたというニュースもある。(参照:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/75250

 第二に、ウクライナ側に立ってロシア軍と戦っているロシア人義勇軍の存在が注目を集めている。現在ウクライナ在住で、元ロシア下院議員だったイリヤ・ポノマリョフ氏は、義勇軍の規模は約4000名で、自由ロシア軍、ロシア義勇軍、国民共和国軍の三組織が存在していると述べている。また三組織は昨年8月に「ウクライナ軍と共闘して、プーチン政権を崩壊させる」という宣言に署名したという。(参照:産経、5月24日)なお、ウクライナ軍の情報当局は「彼らはロシア領内で自律的に活動していて、ウクライナ軍は関与していない。」と述べている。(参照:BBC News、5月26日)

 第三に、ロシア軍とワグネルの間の軋轢が深刻化している。民間軍事会社ワグネルを率いるエフゲニー・ブリゴジン氏は、今まで過激な発言で注目を集めてきた。4月14日には「プーチン政権は軍事作戦の終了を宣言すべき時だ」と述べ(参照:産経、4月15日)、5月5には極端な弾薬不足を理由にロシアの国防当局を非難した上で、「バフムートの戦闘からワグネルは離脱する」と表明した。(参照:BBC News、5月6日)

 さらに5月25日には「このままではロシア革命がまた起こる。まず兵士たちが立ち上がり、その家族たちが立ち上がる」と述べ、「我々はウクライナを非武装化しようとしたが、結果は逆に彼等を武装集団に変えてしまった。今のウクライナ軍は最強だ!」と述べた。(参照:FNNプライムオンライン、5月25日)

 第四に、ロシア政府は5月3日にクレムリンを狙った2機のドローンを撃墜したと発表した。「ウクライナがプーチン大統領を暗殺しようとした。」と非難したが、ウクライナは一切の関与を否定し、「ロシアがこれを口実に戦争の激化と拡大を図っている。」と反論した。(BBC News、5月5日)

 この事件については、①ウクライナ犯行説、②ロシア国内の反体制派による警告説、③ロシア政府の自作自演説などがあるが、現在に至るまで真相は明らかになっていない。しかしながら、深く考えるまでもなく①はあり得ない。害多く何も得るものがないばかりか、ウクライナ領内から直線距離で480km離れたクレムリン上空に到達するまで撃墜されずに無人機を飛ばすことは殆ど不可能と考えられるからだ。

 第五に、ロシアの首都モスクワで5月9日、第2次世界大戦の対独戦勝記念日を祝う式典が開かれたが異様ずくめだったようだ。例年なら第二次大戦でドイツ軍を打ち負かしたT34戦車の車列を先頭とし、その後に最新鋭の主力戦車や装甲車、ミサイルが連なる華々しいパレードが行われるが、今年は戦車はT34のみでしかもたった一両だったとジャーナリストの深川孝行氏がJBPressに書いている。これは最新鋭の戦車が既にウクライナ戦争で3000台も破壊されている現実と符合するものであり、ロシアの現状が戦勝を記念するどころではないことを物語っている。             (参照:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/75317

 以上述べてきたように、プーチン氏と習近平国家主席を除くアクター全員が広島に集結し、米国が仕掛けた対露中二正面戦争の一つであるウクライナ戦争の帰趨について方向性を確認し、基本的レベルで合意が形成されたことになる。こうして歴史が作られてゆく。