歴史はこうして作られる(2)

新ワシントン・コンセンサス

21世紀の戦争

 アメリカはロシアと中国に対し二正面の戦争を始めた。(「世界で進行中の事態(後編)」参照)但し、武器を使わない21世紀の戦争であり、20世紀の定義からすれば戦争とは呼ばれない。英語にWeaponizeという言葉がある。「武器化する」という意味だ。21世紀の戦争は武器以外の手段を動員する、経済も金融もサプライチェーンをも武器化して行う戦争である。

 今回対中戦争の強力な武器として用意されたのは「新しいワシントン・コンセンサス(新WC)」である。

 アメリカは1990年代以降およそ30年にわたって世界にグローバリゼーションを布教してきた。布教のバイブルとなったのが「ワシントン・コンセンサス(WC)」である。アメリカは「サプライチェーンをグローバルにし、規制を緩和して、競争を市場の知恵に委ねれば万事巧くいく」と信じていたのである。そして現在、安全保障面でも経済面でも中国から前例のない挑戦を受けて、今までのWCでは対抗できないことが明らかになった。

グローバリゼーションの軌跡

 現在まで運用されてきたWCは、アメリカが1980年代末に、国家の政治経済の運営に係る政策パッケージとして発表したものである。当時は債務に苦しんでいた南米諸国のための政策指針として提唱されたが、やがて「グローバリゼーション、規制緩和、市場の知恵」政策(以降「グローバリゼーション政策」)を推進するバイブルとなった。

 冷戦が終わると「歴史の終わり、フラットな世界」を象徴する「錦の旗」となった。アメリカはグローバリゼーションを推進し、中国のWTO加盟にも尽力した。そしてグローバリゼーションは世界の潮流となった。

 しかしながら21世紀になって、あたかも地球の磁極が反転するかのように、世界の風向きが変わり始めた。リーマンショック、パンデミック、気候変動、ウクライナ戦争が相次いで起き、グローバリゼーション政策の欠陥が次々に明らかになった。要約すれば次のとおりである。

 ①パンデミックとウクライナ戦争が起き、サプライチェーンの脆弱性のみならず、過渡の外国依存は安全保障上の危機を招くという認識が共有された。

 ②グローバリゼーションは結局、国際ルールを無視してきた中国の軍事的野心も、またロシアの軍事侵攻も止められなかった。結局両国はアメリカが期待した責任ある協力的なプレイヤーにはならなかった。

 ③グローバリゼーションの進展とともにアメリカ国内の産業基盤の空洞化が進み、中流階級の貧困化を招いた。

台頭した中国への対抗

 トランプ政権は、中国に対する宣戦布告と称されたペンス副大統領演説を転機とし、懲罰的な関税をかける措置を矢継ぎ早に講じた。バイデン政権はこの関税政策を継承すると同時に、輸出管理規定を厳格化して、半導体やスパコン等、アメリカ製の技術・ソフトウェア・機器などを使って製造した機器の中国への輸出を実質的に禁輸とした。(詳しくは「世界で進行中の事態(前編)」参照)

 バイデン政権はさらに、2021年にCHIPS法を成立させて米国内での半導体の開発製造に527億ドル(約7兆円)の助成金を支給することを決め、続いてインフレ抑制法(IRA法)を成立させて電気自動車や再生エネルギーの普及等に10年間で3910億ドル(約54兆円)を投入することを決めて、国内の産業基盤の再構築に乗り出した。

新しいワシントン・コンセンサス

 しかしながら、従来とってきた政策はパッチワーク的で中国に有効に対抗できていないと判断したバイデン政権は、経済・産業政策の基盤となってきたWC自体を刷新することを決めた。そしてサリバン大統領補佐官は、4月20日にブルッキングス研究所(the Brookings Institution)で新WCに関する講演を行った。講演の全文はホワイトハウスからダウンロードできる。(資料2参照)以下に要点を整理する。

 初めに現在アメリカが直面している四つの課題について定義している。

 第1に、アメリカの産業基盤が空洞化した。「市場の知恵に委ねれば巧くいく」と言っていたが、グローバリゼーションが進み企業も雇用も国外に出て行ってしまった。

 第2に、アメリカは中国からの地政学的・安全保障の脅威と同時に、重大な経済インパクトに直面している。グローバルな経済統合は幻想だった。

 第3に、加速する気候変動の危機に直面している。正しく、効率的なエネルギーの移行が待ったなしとなった。

 第4に、中国による不公平な挑戦が民主主義にダメージを与えている。

 以上のように課題を整理した上で、サリバン補佐官は対処方針について次のように述べている。

 「大事なことは造ることだ。キャパシティを造り、レジリエンスを造り、そして包括性を造ること。つまり強い物理的なインフラ、ディジタル・インフラ、クリーン・エネルギーのような公共財をこれまでにない規模で生産し革新し提供するキャパシティであり、自然災害や地政学的なショックに耐えるレジリエンスであり、強く活力のあるアメリカの中流階級と世界中の労働者に対しさらに大きな機会を保障する包括性である。それをまず国内で造り、次いでパートナーと協力して国外でも造る。」

 これは「中流階級のための外交政策」と呼んできたものの一つであり、次の4つのステップで推進するという。

 第1に、アメリカの新しい産業戦略として国内に基盤を造ること。第2に、パートナーに協力してキャパシティ、レジリエンス、包括性を造ることを確実にすること。第3に、革新的な国際経済協力体制を造ること。そして第4に、数兆ドルの資金を、今出現しつつある経済への投資としてかき集めること。

 ちなみに今日解決しなければならない問題は7つあり、それは、①多様性と耐力を備えたサプライチェーンの構築、②クリーン・エネルギーへの移行と持続的な経済成長のための官民による投資、③その過程での良質なジョブの創出、④公正で安全で透明性のあるディジタル・インフラの保証、⑤法人税の低減競争の停止、⑥雇用と環境のさらなる保護、そして⑦汚職の根絶である。

 究極の目的は、強力で耐力を備えた最先端の技術産業基盤にある。

中国への配慮

 要するに、WCを刷新する理由を俯瞰して言えば、「アメリカはおよそ30年間、グローバリゼーション政策を推進してきたが、その結果、中国が安全保障面でも経済面でもアメリカを脅かすモンスターになった。グローバリゼーション政策は失敗だった。」ことに集約される。

 このように新WCが中国への対抗手段であることは明明白白なのだが、サリバン氏は、次のように中国に対する配慮を加えている。

 1)中国との関係はデリスキング、多様化であってデカップリングではない。(we are for de-risking and diversifying, not decoupling.)

 2)中国に対する輸出規制は軍事バランスを崩す技術(technology that could tilt the military balance)に限定する。

 3)中国とは複数の領域で競争しているが、我々は敵対を望んではいない。責任をもって競争を管理することを追求するものであり、気候変動やマクロ経済の安定性、健康や食糧のセキュリティ等のグローバルな課題に対しては協力して対処すべきだと考える。

戦略に潜むナイーブさ

 アメリカは歴史的に戦略志向の国なのだが、どこかにナイーブさが同居している国でもある。第二次世界大戦では共産主義ソ連に憧憬を抱き、南下するソ連軍と戦ってきた日本とドイツを敵とした。真の敵が共産主義だったことは、その後の歴史が証明している。また建国後の中国に対し手厚い支援を行ってきたが、中国は今やアメリカの前に立ち塞がる史上最強のモンスターとなった。何れもアメリカの片思いに終わったのである。

 イエレン財務長官は「ワシントンは経済的なコストを伴うものであっても、中国との関係では安全保障を優先する。競争優位を堅牢にするのでも中国の近代化を抑制するのでもなく、米国は安全保障上の利益を防衛することに集中する。両国は健全な経済関係を構築すべきだ。中国の経済成長はアメリカの経済リーダーシップと競合する必要はない。我々は中国経済とのデカップリングを追求しない。両国経済の完全な切り離しは、両国に破滅をもたらすからだ。」と述べている。

 デカップリングをデリスキングと言い換えて、気候変動では協力して取り組みたいと言ったところで中国が態度を変えるとは思えない。グローバリゼーション政策の失敗を反省し、戦略を刷新する一方で環境問題等では中国の協力を期待するというところに、アメリカのナイーブさとそれ故の危うさが垣間見える。

異質なものが混在する新WC

 このように、新WCは安全保障面での中国対策と国内の産業戦略に、気候変動危機に対処するクリーン・エネルギー改革を加えたものを目指している。しかし、経済を含めた国家安全保障の問題と、気候変動とクリーン・エネルギー問題は本来別テーマであり、対策を統合するには無理がある。リベラルな政党であるアメリカ民主党故の勇み足に思える。

 グローバリゼーションが中国独り勝ちに終わったからと言って、グローバリゼーションは幻想だったから放棄するとなれば、世界に、特にグローバルサウスの国々に少なからぬ影響を及ぼすだろう。サマーズ元財務長官がこの点を指摘している。「安価な製品を輸入する重要性を強調しなかった点は失望だ。それはアメリカの生活水準と製造業の生産性を決める重要な部分だ。」と。先進国は難易度が高く付加価値が高い製品へシフトし、安価な日用品等はグローバルサウスから輸入するというウィンーウィンの関係を維持することが、世界経済の観点からグローバリゼーションが目指した狙いだった筈だ。

 また、気候変動とクリーン・エネルギーへの移行は本来グローバルな命題だが、地球温暖化対策に不熱心な中国と、化石燃料輸出大国のロシアの協力を得ることは困難という他ない。それどころか、アメリカ国内のレガシーの産業界からの賛同すら得られないだろう。既に全米自動車労働組合(UAW)がバイデン再選を支持しないことを宣言している。

欧州からの不協和音

 新WCに対しては欧州からも批判が相次いだ。イギリスのフィナンシャルタイムズは「旧WCは世界各国にとってプラスサムの世界標準であったが、新WCはある国が成長すれば他国が犠牲になるゼロサムだ。」と批判した。その通りだろう。何と言おうが、主目的が中国に対する安全保障上の対抗措置であり、新WCは世界標準から対中戦略としての国益最優先へのパラダイムシフトに他ならないからだ。

 4月に北京を訪問したマクロン仏大統領による、それ以降の一連の発言が「欧州は無制限にアメリカに追随しない」トーンとなっていることに注意が必要だ。欧州はウクライナ戦争が起きた結果、エネルギーのロシア依存からの離脱とウクライナ支援で疲弊している。台湾問題は欧州の問題ではなく、「ロシアに続き中国とのデカップリングは御免だ」という本音が見え隠れする。公然と異論を唱えているのはマクロン氏だけだが、今後欧州とアメリカの間で対中政策を巡る軋轢となる可能性がある。

「未来の歴史を造る」新WC

 新WCは間違いなく「未来の歴史」の方向性に影響を与えるものとなるだろう。問題は亀裂が入った国際秩序を再び縫合する貢献をするのか、それとも亀裂を拡大させて世界が多極化に向う原因となるのか、何れの道を辿るのだろうかにある。

 「世界で進行中の事態(後編)」で、「ディープ・ステートの代表者と言われるジョージ・ソロスは、2019年1月に開催されたダボス会議で中国に対する宣戦布告ととれる発言を行った。」ことを紹介した。サリバン講演には「グローバリゼーションは幻想だったから是正する」ということと、「中国に対抗する政策を総動員する」という、本来は異質な二つのメッセージが含まれている。

 冒頭述べたように、バイデン政権がロシアと中国に対し同時二正面戦争を仕掛けたことは事実である。「まずウクライナ戦争でロシアを弱体化させ、次に新WCによって中国を弱体化させる。」単刀直入に言えば、それが新WCの本質であると思われる。つまりソロス発言とサリバン講演は呼応しているのである。

 ここで一つの疑問が生じる。次の大統領選挙まで残り1年余という時点でバイデン政権はなぜ同時二正面戦争を仕掛けたのかということだ。

 世界情勢は現在混乱の極みにある。しかも経済情勢の悪化が同時に進行していて、アメリカの金融危機、中国の経済危機、欧州の不動産危機のどれがいつ発生してもおかしくない状況にある。しかも経済危機がどこかで起きれば、発生源がどこであれ、危機は連鎖し容易に世界同時不況に発展する危険性が高い。

 つまり現在は、台湾有事の前夜であるばかりか、2024年の米大統領選前夜でもあり、世界規模の経済危機の前夜でもあるのだ。パンデミックとウクライナ侵攻の後で次の有事の前夜というタイミングで、バイデン政権が同時二正面戦争を始め、新WCを提唱した背景には、計算された相当の理由があると考えられる。

日本との関係

 最後に日本との関係を考えておきたい。

 「年次改革要望書」というものがある。1994年~2008年まで、毎年アメリカ政府が日本政府に対して送り付けてきた、制度改革に関する要求リストである。その代表的事例は小泉政権が強行した「郵政民営化」である。そもそも郵政民営化が日本の国益にどう貢献したのかさえ疑問だが、日本にとってさらに重大な影響を与えたものは「財政規律」という縛りである。「プライマリー・バランス」という呪文は、デフレからの脱却に必要な財政出動を抑制したため、「失われた30年」の長期低迷を招いた原因の一つとなったことは間違いない。

 旧WCには、財政規律の維持、政府事業の民営化、税制改革、規制緩和、貿易自由化という項目が並んでいる。WCの項目と年次改革要望書の項目は見事に符合しており、年次改革要望書の根拠がWCだったことは明白である。

 WCの刷新は日本の政治を拘束してきたアメリカからの要求が一変することを意味している。

 折しもサリバン米大統領補佐官が来日して6月15日に、岸田総理を表敬訪問している。ブリンケン国務長官が18日から2日間北京を訪問する直前であり、新WCについて講演したばかりのサリバン補佐官が急遽来日した理由は何だったのだろうか。日本は既にアメリカが始めた同時二正面戦争にしっかりと組み込まれていることは確かだろう。地政学的に考えて、台湾有事と北朝鮮の核脅威の最前線に位置するのは日本なのだとの覚悟を新たにして、自律的に必要十分な対策を講じなければならない。

危機前夜にあって「東京コンセンサス」を示せ

 時間軸で現在位置を確認すると、今はパンデミックとウクライナ侵攻の後で、台湾有事、世界規模の経済危機の前夜にあり、しかもバイデン政権は残り1年余というタイミングにある。アメリカ自身が混乱の渦中にあり、次は共和党政権が誕生する可能性が高まっている。

 今まさにカオスのような世界情勢の中をどうやって生き延びるのかが問われているのである。風見鶏政権では国を危うくする。誰のための法案なのかも何故今なのかも全く分からないLGBT法案に賛成票を投じるような保守政党には、危機に対処する指導力は期待できないという他ない。

 有事に臨み何よりも重要なことは、「そのとき日本はどう動くべきか」を明文化する行動規範(Code of Conduct)を用意することである。それを例えば「東京コンセンサス」として明文化して、国民にかつ世界に対し宣言することが何よりも大事だと考える。バイデン政権が「グローバリゼーションは幻想だった。然るに外交・経済・産業政策の要であったWCを刷新する。」と宣言したように。

 そして「東京コンセンサス」の冒頭に明記すべきキーメッセージは、「強い国力を取り戻す」ことである。パンデミックやウクライナ戦争の教訓の一つは、有事を克服するために最も必要なものは国力であるという事実だ。「失われた30年」を「再び成長する日本」に大転換させる強い意思表明こそが、有事前夜の喫緊にして最大の命題である筈だ。国力を取り戻すことなくしては、防衛力増強も少子化対策も「財源をどうするのか」という一喝の前に画餅に終わるだろう。

 「未来の歴史」はリーダーの強い意思表明が切り開くものであることを強調しておきたい。

 6月15日から2日間開かれている日銀政策決定会合において、プリンストン大学の清滝信宏教授が、「金融緩和を当面継続する」と述べた植田総裁に対し、「1%以下の金利でなければ採算がとれないような投資を幾らしても、経済は成長しない。量的緩和による低金利は、生産性の低い投資を企業に促し、逆に収益体質を脆弱化している。量的緩和と低金利を続けてきたことが、30年間成長してこなかった日本低迷の根源だ」と厳しい指摘している。本質を突いた指摘だと思う。(資料3参照)

参照資料:

1)「世界経済の無法者中国に、とうとうアメリカが「本気の怒り」を見せ始めた」、長谷川幸洋、現代ビジネス、5/12

2)「Remarks by National Security Advisor Jake Sullivan on Renewing American Economic Leadership at the Brookings Institution」, the White House, 4/27

3)「ノーベル経済学賞候補が日銀植田総裁に嚙みついた!」、鷲尾香一、現代ビジネス、6/15

歴史はこうして作られる(1)

G7が方向づけたウクライナ戦争の帰趨

 歴史は初めに突発的な事件が起き、その上にアクターによる偶発的な行動が積み重ねられて作られてゆくものではないようだ。それが大きな事件であるほど、初めに誰かが用意したシナリオがあって、それに起因する最初の事件が起き、それ以降はアクター間の応答によって一つ一つ既成事実が積み上げられながら歴史が刻まれてゆく。無論、アクター間の応答の結果、思いもよらぬ方向に動くこともあるだろう。また最初の事件の震源地とその周辺地域を巻き込みながら、大きな事件に発展してゆくこともあるに違いない。

 しかし大筋では用意されたシナリオを軸に展開してゆき、そして変化はやがて不可逆な領域に入る。今まで歴史はそのように刻まれてきた。このことは二つの世界大戦の経緯が象徴している。もっとも今までは、シナリオの存在は後世になってから明らかになったのだが。

<不可逆な歴史となったウクライナ戦争>

 その視点からウクライナ戦争の経緯を振り返ると、ウクライナ戦争はバイデン大統領が挑発し、プーチン大統領が呼応して軍事侵攻を始めたことによって起きた。無論プーチン氏は短期間でキーウを制圧できると踏んで侵攻した筈だが、ゼレンスキー大統領の不屈のリーダーシップのもとにウクライナから強力な反攻を受けて、その目論見は完全に外れ戦争は長期化した。プーチン氏の読み間違いが戦争の長期化と拡大を招き、不可逆な歴史的大事件となった。

 さらに米欧日がロシアに科した強力な経済制裁と、NATOによる全面的な軍事支援によって戦争は世界規模の事件に拡大した。ロシア対ウクライナの地域戦闘から、NATO対ロシアの代理戦争へと拡大した。

 そして世界は米欧日対ロシアの二極と、行方を見守るグループを加えた三極に分裂した。世界経済の風向きは一変し、エネルギー危機と食料危機を併発して、世界不況とスタグフレーションの危険性が高まった。こうして国際秩序と世界経済の両面で不可逆な変化が始まった。

<ウクライナ戦争の転換点>

 反転攻勢を始めるにあたり、ゼレンスキー氏は精力的に世界を駆け回る外交攻勢を展開した。5月3日~5日にフィンランドを訪問して北欧諸国(フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)との首脳会談を行った。13日~15日にはイタリア、バチカン、ドイツ、フランス、イギリスを歴訪して相次いで首脳会談を行った。19日にはサウジアラビアを電撃訪問して、アラブ22か国首脳会議で演説を行った。演説では「ウクライナが戦争を選んだわけではない。軍事力による占領には誰も賛同しない。」と力説した。

 G7はウクライナの反転攻勢直前の絶好のタイミングで開催された。戦争の帰趨としてロシアの敗退を確定的なものとするために、外交攻勢の締めとしてゼレンスキー氏は20日に広島にやってきた。その強い意思を理解した岸田首相はゼレンスキー氏を受け入れ、その目論見を実現させる演出をやってみせた。

 ゼレンスキー氏は20日の内に各国首脳と精力的な会合を持ち、21日には開催されたG7拡大会合に満を持して参加した。拡大会合ではロシアによる侵略終結に向けた10項目の和平案への支持を求めた。「我々の領土にロシアの侵略者が居る限り、誰も交渉の席に着かない。」この宣言は安易な調停者の登場を拒否し、退路を断って反転攻勢を戦う意思を示したものとなった。これで中国が調停者となる道は閉ざされた。

 モディ首相との会談では「インドは、少なくとも個人的にはできることは何でもする」という発言を引き出した。こうして5月3日以降の、ゼレンスキー氏の一連の外交攻勢という演出によって、ウクライナ戦争におけるロシア敗戦の方向性が確実になった。

<ウクライナ戦争の方向を確認した広島>

 ゼレンスキー氏は「これから始める反転攻勢でウクライナは国土からロシア軍を追放し、敗戦を決定づける」決意を表明した。F16の供与も決まった。広島に集結したG7はじめ各国首脳は、ゼレンスキー氏の「共に協力してロシアをウクライナから追い出す」意思に賛意を表明した。戦争の当事者が満を持して決意表明したことに対し反対意見は出る筈もなかった。

 「あとは貴方が思う存分戦場で戦う番だ。」G7会合で参加国の首脳はそのように申し合わせたという事実が歴史に刻まれたことになる。呉越同舟というべき温度差があるにせよ、主要国首脳は大きな物語の筋書きで合意したのである。

 こうして「未来の歴史」が作られた。ロシアの敗戦とプーチン政権の崩壊、ロシアの弱体化が決まった。そう断言する理由は、G7合意が万一実現しない事態に陥れば、それは西側優位、アメリカ覇権体制の崩壊、国際秩序の崩壊を意味することになるからだ。そして武力を背景に国際法を無視する無法者国家が世界にはびこることになる。事態がそういう展開に向かうことは、西側諸国にとって代理戦争ではなく本格的な戦争を覚悟しなければならないことだ。それは第三次世界大戦の始まりを意味している。

 G7は「ウクライナ戦争の歴史」を作り込む舞台となった。脚本:岸田文雄、主演:ウォロディミル・ゼレンスキーのコンビが大成功を収めたドラマだった。そしてゼレンスキー氏は見事に主演を演じきった。アメリカとEUが軍事支援を担い、日本は議長国としてその舞台を提供し脚本を書き、G7にグローバルサウス主要国を引き寄せる役割を果たした。

<西側を再結束させたプーチン>

 元内閣官房副長官補だった兼原信克氏はG7の総括として、5月26日の産経新聞の正論に、「プーチンの野望は、崩れかかっていた西側を再度強固に結束させた。」と書いている。バイデン政権はロシアを挑発して戦争を起こさせ、ウクライナに対する米欧からの軍事支援をけん引してきたが、その一方で天然ガスパイプライン(ノルドストリーム)爆破等、西側に亀裂が生じかねない危険な工作を行った。アメリカにはついていけないという不協和音が西側に生じていたことは、北京でのマクロン大統領の発言から窺うことができる。

 この状況下で岸田総理がG7を見事にまとめ上げ、調整役を見事に果たしたのだが、これは日本にしかできない芸当だったといえよう。G7首脳はそのことを評価したから、異論を唱えなかったのだ。このことはG7の首脳の一人が言ったとされる「フミオの目論見どおりになったな!」という発言から窺い知れる。

<アメリカが仕掛けた二正面戦争>

 そもそもバイデン氏が執拗にプーチン氏を挑発した狙いは、中国と本格的に対峙する前にプーチン氏を失脚させロシアを弱体化させることにあったと思われる。そして今後の反転攻勢の成否にもよるが、既に述べたように、そのシナリオに従い新しい歴史が作られつつある。

 NATOが正しく「サラミ戦術」のように、ロシアを刺激し過ぎないよう情勢を判断しながらステップ・バイ・ステップでより高度な兵器を提供してきたことに加え、G7拡大会議の場で参加首脳から軍事支援とゼレンスキー氏の決意への合意を取り付けた以上、ウクライナが敗れる可能性はかなり低くなったと言える。

 バイデン政権が仕掛けた二正面戦争の舞台は三幕からなる。第一幕はロシア、第二幕は中国、そして第三幕はアメリカである。

<立ち位置を世界に明示した日本>

 日本はアメリカが仕掛けた二正面戦争の連合軍に加わり、G7では期待された役割を果たして日本の立ち位置を世界に明確に示した。今後もウクライナ戦争の終結に関与し、ウクライナの復興支援ではG7で最大級の役割を果たすことになるだろう。そして第二幕の対中戦争では、否応なしに日本は最前線に立つことになる。

<反転攻勢が始まった>

 メディアによれば、5月25日にウクライナのポドリャク大統領府長官顧問が、ロシア軍に対する大規模な反転攻勢を既に開始したことをツイッターへの投稿で明らかにした。それによると、「さまざまな方面で占領軍を破壊する数十の行動が反攻であり、敵の兵站を集中的に破壊することを含む。」という。

 また米軍トップのミリー統合参謀本部議長は、25日に「ロシア軍はキーウの占領に失敗したため、攻撃目標を東部ドネツク、ルガンスク両州の制圧に下方修正したが、軍事的見地から目標達成は不可能だ。」と述べた。さらに、「ウクライナは軍事的手段で領土を奪還できるが、戦闘は長期化する。」と指摘した。(参照:産経、5月27日)

<混迷を深めるロシア>

 最近になってロシア側に、今後のウクライナ戦争の行方を大きく左右する変化が現れてきた。以下に代表的な動きを要約する。

 第一に、ウクライナによる反転攻勢に影響を与えるために、ロシアはさまざまなミサイルやドローンを使ってウクライナの司令部や弾薬や装備の供給ルートなどを中心に攻撃を仕掛けてきたが、格段と向上したウクライナの防空能力によって、大半のミサイルが迎撃されている。5月1日~20日の戦闘状況について、フリージャーナリストの木村正人氏がJBPressに寄せた記事で詳述している。ロシア軍虎の子の極超音速ミサイル「キンジャール」もパトリオットによって撃墜されたというニュースもある。(参照:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/75250

 第二に、ウクライナ側に立ってロシア軍と戦っているロシア人義勇軍の存在が注目を集めている。現在ウクライナ在住で、元ロシア下院議員だったイリヤ・ポノマリョフ氏は、義勇軍の規模は約4000名で、自由ロシア軍、ロシア義勇軍、国民共和国軍の三組織が存在していると述べている。また三組織は昨年8月に「ウクライナ軍と共闘して、プーチン政権を崩壊させる」という宣言に署名したという。(参照:産経、5月24日)なお、ウクライナ軍の情報当局は「彼らはロシア領内で自律的に活動していて、ウクライナ軍は関与していない。」と述べている。(参照:BBC News、5月26日)

 第三に、ロシア軍とワグネルの間の軋轢が深刻化している。民間軍事会社ワグネルを率いるエフゲニー・ブリゴジン氏は、今まで過激な発言で注目を集めてきた。4月14日には「プーチン政権は軍事作戦の終了を宣言すべき時だ」と述べ(参照:産経、4月15日)、5月5には極端な弾薬不足を理由にロシアの国防当局を非難した上で、「バフムートの戦闘からワグネルは離脱する」と表明した。(参照:BBC News、5月6日)

 さらに5月25日には「このままではロシア革命がまた起こる。まず兵士たちが立ち上がり、その家族たちが立ち上がる」と述べ、「我々はウクライナを非武装化しようとしたが、結果は逆に彼等を武装集団に変えてしまった。今のウクライナ軍は最強だ!」と述べた。(参照:FNNプライムオンライン、5月25日)

 第四に、ロシア政府は5月3日にクレムリンを狙った2機のドローンを撃墜したと発表した。「ウクライナがプーチン大統領を暗殺しようとした。」と非難したが、ウクライナは一切の関与を否定し、「ロシアがこれを口実に戦争の激化と拡大を図っている。」と反論した。(BBC News、5月5日)

 この事件については、①ウクライナ犯行説、②ロシア国内の反体制派による警告説、③ロシア政府の自作自演説などがあるが、現在に至るまで真相は明らかになっていない。しかしながら、深く考えるまでもなく①はあり得ない。害多く何も得るものがないばかりか、ウクライナ領内から直線距離で480km離れたクレムリン上空に到達するまで撃墜されずに無人機を飛ばすことは殆ど不可能と考えられるからだ。

 第五に、ロシアの首都モスクワで5月9日、第2次世界大戦の対独戦勝記念日を祝う式典が開かれたが異様ずくめだったようだ。例年なら第二次大戦でドイツ軍を打ち負かしたT34戦車の車列を先頭とし、その後に最新鋭の主力戦車や装甲車、ミサイルが連なる華々しいパレードが行われるが、今年は戦車はT34のみでしかもたった一両だったとジャーナリストの深川孝行氏がJBPressに書いている。これは最新鋭の戦車が既にウクライナ戦争で3000台も破壊されている現実と符合するものであり、ロシアの現状が戦勝を記念するどころではないことを物語っている。             (参照:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/75317

 以上述べてきたように、プーチン氏と習近平国家主席を除くアクター全員が広島に集結し、米国が仕掛けた対露中二正面戦争の一つであるウクライナ戦争の帰趨について方向性を確認し、基本的レベルで合意が形成されたことになる。こうして歴史が作られてゆく。

世界で進行中の事態(後編)

 前編では何れもが歴史の転換点と呼ぶべき大事件を5つ取り上げて概観した。後編ではそれらを個別に眺めるのではなく、因果関係と相関関係について考え、事件の背景に潜む力の作用について考察を加えてみたい。

ロシアと中国に対する同時二正面戦争

 アメリカはウクライナ戦争でロシアに対し制裁を科す一方で、同時に中国に対する経済制裁を強化した。武器こそ使わないものの、これは露中両国に対し二正面の戦争を始めたことに他ならない。そのような無謀と思える戦争に何故踏み切ったのだろうか。

 一つはっきりしていることは、アメリカが2022年10月に発表した『国家安全保障戦略』に、「中国は国際秩序を再構築する意図と、それを実現する経済・外交・技術力を併せ持つ唯一の競争相手」と明記したことだ。中国の挑戦を退けることが最優先の命題になったと宣言したのである。

 しかし、もしロシアの力が温存された状態で対中戦争を仕掛ければ、中露が連携してアメリカと対峙する最悪の事態となる。それ故にバイデン大統領は執拗にプーチン大統領を挑発してウクライナへの軍事侵攻を起こさせ、ウクライナへの全面的な軍事支援と制裁によってロシアを先に疲弊させる戦法をとった。そしてその効果が現れてきた昨年末になってから中国に対する制裁を本格化させた。そういう解釈が成り立つのではないだろうか。

 それにしても、露中を相手に同時二正面戦争を始めること自体、幾ら何でも無謀と言わざるを得ない。それでも同時に遂行せざるを得ない事情があったということだ。考えられる理由はバイデン大統領の任期である。

 周知のように、2020年の大統領選挙ではなりふり構わず大規模な不正を行ってまでトランプ大統領の再選を阻止した。それはトランプ政権では、現在遂行中の戦争を「起こせなかった」からと考えれば辻褄があう。

 この原稿を書いている現在、トランプ前大統領が起訴されたというニュースが飛び込んできた。これは2024大統領選を睨んだ、政治的な起訴であることが明白だ。「34もの軽微な罪状」という組み立て自体が「なりふり構わず」の粗雑さを物語っている。果たしてトランプ氏が追い詰められるのか、それとも乱暴な手を打つことで逆に民主党陣営が自滅していくのかはまだ分からないが、起訴をキッカケにアメリカの分断が一層過激化し深刻化してゆくことは確実である。

 以上から「バイデン政権の任期は4年しかない」という認識に立って考えるならば、同時に二正面戦争を仕掛ける他なかったという考えに至るのである。

ブレジンスキーの予告

 ズビグネフ・ブレジンスキーは、ジョンソン政権で大統領顧問を務め、カーター政権では大統領補佐官を務めた政治学者である。元駐ウクライナ大使だった馬渕睦夫氏はブレジンスキーの著書『Second Chance(ブッシュが壊したアメリカ)』から氏の言葉を紹介している。(参照:資料6)

 ≪アメリカは東西冷戦後唯一の超大国になったにも拘わらず、ブッシュ親子、クリントンの三代の大統領はリーダーとして世界のグローバル市場化に成功しなかった。これで第一のチャンスを逃した。2008年に就任するオバマ大統領によるグローバル市場化が第二のチャンスとなる。もしオバマがこれに成功しなかったら、次の第三のチャンスはない。≫

 ブレジンスキーの予告に対して、馬渕氏は「これはもしオバマが失敗すれば、世界をグローバル市場化するにはもう戦争しかないと予言しているように思える。」と述べ、さらに「ディープステートはヒラリー・クリントンを使って第三次世界大戦を起こそうと画策していたが、ヒラリーがトランプに敗北したことでその危機が回避された。」と書いている。

 そして現実に、トランプ大統領の再選を阻止してバイデン政権を誕生させ、ウクライナ戦争から現在に至る一連の事件が起きた。これはブレジンスキーが予告した「第三のチャンス」が満を持して実行されたようにみえる。

ジョージ・ソロスの宣告

 バイデン政権の行動を理解する上でもう一つ重要なことがある。それはユダヤ系国際金融資本家の代表格というべきジョージ・ソロスが中国をどう見ているかという点である。国際関係アナリストの北野幸伯氏が著書の中で、次のように書いている。(参照:資料7)

 2019年1月に開催されたダボス会議でソロスがスピーチを行った。その中でソロスは「今夜、私はこの時間を、開かれた社会の存続を脅かすこれまでにない危険について、世界に警告するために使いたいと思う。・・・中国は、世界で唯一の独裁政権ではない。だが間違いなく最も経済的に豊かで、最も強く、機械学習や人工知能が最も発達した国だ。これが開かれた社会というコンセプトを信じる人々にとって、習近平を最も危険な敵にしている。」という演説を行った。

 ソロスが言う「開かれた社会」とは、ブレジンスキーがいう「グローバル市場化」と同義である。バイデン政権を強引に誕生させた勢力はユダヤ系の国際金融家集団であり、現代ではディープステートと呼ばれるが、ソロスはその代表的存在である。そう考えると、ダボス会議でのソロス発言は「ディープステートが習近平に対し宣戦布告した」と受けとめるべきだろう。

隠されているシナリオ

 資料6の中で馬渕睦夫氏はこうも述べている。「グローバリズム=国際主義とは、基本的に国を持たない離散ユダヤ人の発想である。・・・そもそも国連はグローバリズムを推進する機関であることに注意が必要である。」と。

 ちなみにソロスの発言はトランプ政権下のときであり、バイデン政権が発足したのは2021年1月だった。ウクライナ戦争が勃発したのが2022年2月で、バイデン政権が対中半導体禁輸措置を打ち出したのが2022年10月だった。このタイムラインの背後にはシナリオが隠されている可能性が高い。

 あくまでも大胆な仮説と断った上で言えば、つまりこういうことだ。まずユダヤの国際金融家がダボス会議で「世界のアジェンダ」を発表して、脱炭素やEV推進に象徴される大きな潮流を作る。次いで国連を動員して世界に浸透させ推進して、最後にそれに反対する勢力は軍事力や制裁によって攻撃するというシナリオが見え隠れするのである。

制裁は「諸刃の刃」

 それにしても、露中何れに対する制裁も「諸刃の刃」である。ロシアはエネルギー大国・軍事大国、中国は経済大国・軍事大国である。制裁は強力であるほど副作用も大きい。アメリカはロシアを国際銀行間金融通信協会(SWIFT)から追放し、世界に対しロシア産エネルギーを買わないように呼びかけた。ロシアの立場に立って考えれば、この制裁をできるだけ無力化する方策は、米欧以外の国々にエネルギーを安値で売り、しかもその決済にドルを使わないことだ。

 この結果、アメリカにとって容認し難い変化が進行する。第一に世界のPDS離れが進み、第二は欧州でエネルギー危機が深刻化し、そして第三にインド、トルコなどロシアとの結びつきが強い国々がアメリカ離れを起こす。中国に対する制裁にも同様の構図が成り立つ。

 さらに中露両国に対して同時に制裁を発動すれば、中露の同盟強化と、中露によるBRICSやグローバル・サウス諸国の取り込みを加速させることになる。この結果、制裁が長引くほど、アメリカ経済へのダメージとアメリカ覇権体制の弱体化が進む。正しく諸刃の刃なのだ。

国際秩序スキームV3.0

 ロシアにどのような言い分があろうとも、ウクライナへの軍事侵攻が安全保障理事会のあり方、常任理事国のあり方、さらには国際秩序のスキームの限界と矛盾を提起したことは否定できない。

 歴史を振り返ると、第一次世界大戦が終結した時に国際連盟が創設され、第二次世界大戦が終結した時に国際連合となった。安全保障理事会常任理事国は創設時には英、米、仏、ソ連、中華民国の5か国だったが、1971年10月に中華民国に代わって国連総会での討議を経て中華人民共和国が常任理事国となり、台湾は国連を脱退した。そしてソ連が崩壊した後の1992年に後継国としてロシアが常任理事国となったが、国連総会で継承の正統性は討議されていない。

 また国連憲章23条は安保理常任理事国を規定しているが、英米仏の他は、Republic of China(中華民国)とUnion of Soviet Socialist Republics(ソビエト社会主義共和国連邦)のままでこれも修正されていない。

 第二次世界大戦当時の独日伊三ヵ国に対するいわゆる「旧敵国条項」(憲章53条、77条、107条)も、1995年の国連総会において削除することが賛成多数で採択されたものの、未だに修正されていない。(出典:参議院)

 いずれにせよ、既に第三次世界大戦が始まっているという解釈も存在する中で、国際秩序の新たなスキームV3.0(国際連盟がV1.0、国際連合がV2.0と仮定)の再構築が焦眉の急となったことは確かだ。

多極化に向かう世界

 かつてオバマ大統領は「アメリカは世界の警察官ではない」と述べた。トランプ大統領は「アメリカ・ファースト」を叫んだ。民主党陣営の背後に陣取るユダヤ系国際資本家集団も、歴史において終始多極化を推進するオプションを選択してきた。さらにバイデン政権が露中に対して遂行中の二正面戦争は、長期化すればするほど露中と同時にアメリカの弱体化を促進してゆくため、ウクライナ戦争の終結がどうなろうとも、世界は多極化の方向に向かうと思われる。

 日本がそうであるように、各民族は独自の歴史と文化を持ち、固有な宗教観や死生観を持っている。いかなる国もそれを根底の基盤として、その上に近代国家の様式を構築してきた。従って、自由と民主主義が近代国家の価値観としてその他のものよりも優れているとしても、各国がそれを受け入れるために民族固有の基盤部分を放棄することはあり得ない。

 つまり世界各地で様々な軋轢を生みながら、長い時間をかけて世界は多極化へ向かってゆくことが予想されるが、ここで大事なことが二つある。一つは各民族が持っている歴史と文化、宗教と死生観の多様性を相互に認める上での多極化でなければならないこと、もう一つは多極化を前提とする国際秩序のスキーム3.0の整備が不可欠だということだ。

同時多発的で予測不能

 一つ一つが世界規模で重大な事件が、現在同時多発的に起きている。ただし個々の事件は単発的に起きているのではなく、特に政治や軍事的な事件には明快な因果関係が存在する。

 たとえば、米欧で連鎖した銀行破綻と中国の経済危機は、同時期に進行しているものの因果関係はないだろう。露中に対する経済制裁と銀行破綻の間にも因果関係はない。

 また銀行破綻が再燃して金融危機に発展する蓋然性は高いと思われるが、それがいつ起きるかを予測することは難しい。最悪の場合、制裁による副作用が深刻化してゆく最中に金融危機が起きる可能性も考えられるが、その場合リーマンショック以上の大惨事となることは間違いない。

 特に中国経済の現状は相当に深刻である。欧米で金融危機が起きる事態と、中国経済が崩落する事態と、何れが先に起きるのかは予測できない。もし中国経済崩落が先なら露中が共倒れとなり、欧米での金融危機が先なら米国覇権の衰退が加速するだろう。誠に一寸先は闇という他ない。

エピローグ

 4月3日の産経新聞正論に、日本大学の先崎彰容教授が現在の『東西デカップリング』の根底に潜む問題について、フランシス・フクヤマの見解を紹介している。興味深いので要点を引用介する。

 まず課題認識として、「世界が自由主義陣営と全体主義体制に分裂している中で、深刻な問題は自由主義陣営が自壊しつつあることだ。」とし、その原因は過激なリベラリズムの台頭にあると洞察している。アメリカ国内で激化している政治的分断の背景にも同じ構図がある。

 そして「本来のリベラリズムには宗教的多様性を認める寛容性があり、個人の自律を何よりも重んじるのに対して、現在のリベラリズムは過激な左右の言論によって本来の姿を失いつつある。」と問題の本質を指摘する。

 その上で、現状を打破するための着眼として「中庸とは自制心を意味し、また必要とする。極限までの感動や最大の達成を求めないように意識的な努力を必要とする。」として、中庸を取り戻すことの重要性を述べている。

 以上述べてきたように、あらゆる意味で世界は今大きな転換点に立っている。戦後最大の危機であり、この混乱を収めて再び秩序化させるプロセスは相当困難なものとなるに違いない。その時にフクヤマがいう「中庸」というキーワードが重要になるのではないだろうか。ここに日本が果たす役割があるように思うのである。

参照した文献:

・資料6:「ディープステート」、馬渕睦夫、WAC、2022.10.4

・資料7:「日本の地政学」、北野幸伯、育鵬社、2022.9.20

世界で進行中の事態(前編)

プロローグ

 ペンス副大統領が2018年10月にハドソン研究所で行った演説は中国に対する宣戦布告と言うべきものだった。それに前後してトランプ政権は2018年7月から2019年5月にかけて矢継ぎ早に関税を大幅に引き上げる制裁措置を実行した。

 2020年11月に行われたアメリカ大統領選挙では、「アメリカの民主主義は死んだ」と言われるほどの大規模な選挙不正が行われて、民主党陣営がトランプ大統領の再選を阻止した。2021年1月6日にはアメリカ連邦議会議事堂への暴徒乱入事件が起きた。そして2021年1月20日にバイデン政権が発足した。

 2022年2月にはロシアがウクライナに軍事侵攻し、ウクライナ戦争が勃発した。アメリカはウクライナに対する手厚い軍事支援を行う一方で、ロシアに対して過去に例がないほどの強力な制裁を科した。

 2022年10月にアメリカ商務省は半導体、スパコンを中心とする輸出規制を大幅に強化した。この措置は事実上の中国に対する半導体禁輸措置である。

 このように米国が露中の経済に大規模なダメージを与える強力な制裁を科したことによって、『東西デカップリング』が始まった。これは文明の衝突と呼ぶに相応しいもので、アメリカは今後も中国に対する経済制裁を強め、世界中の国々に東西何れの陣営に付くのかの二者択一を迫ってゆくことが予測される。

 一方、2023年3月13日に閉幕した全人代で習近平国家主席の三選が決まり、新執行部が発足した。それに先立つ3月10日には、中国が仲介してサウジアラビアとイランが和解した。さらに3月21日には習近平主席がモスクワを訪問してプーチン大統領と首脳会談を行った。

 今年3月には米国で複数の銀行破綻が相次ぎ、スイスの大手銀行にも飛び火した。

 以上、要点を整理してみたように、「2022年-23年は歴史上の大きな転換点であった」と歴史に記録されるような大事件が、現在同時多発的に起きている。

 本資料前編では、何れもが歴史的な転換点となるであろう5つの事件について巨視的に概観する。後編ではそれらを総合的に俯瞰して、現在世界で進行中の事態をどう理解すべきかについて考察する。

5つの重大事件

1.アメリカの対中国制裁

 トランプ大統領が登場して以降、アメリカは中国に対する政策を大転換した。そしてペンス副大統領演説を実質的な宣戦布告として、一気呵成に中国に対する制裁を発動した。トランプ大統領がまず行ったのは中国からの輸入に対し大幅な関税をかけることだった。2018年7月以降、第1弾~第4段に分けて概ね25%の関税をかける対象を段階的に拡大した。

 続いて2019年5月には、通信規格5G技術でリードするファーウェイ(華為技術)と関連会社を、商務省が行う輸出規制の制裁対象リスト(EL:Entity List)に加え、2020年5月から適用した。これはファーウェイに対する米国製の半導体やソフトウェアや技術を禁輸する措置だった。

 バイデン政権もまた対中制裁政策を継承し、むしろ強化した。ここでは経済評論家の渡邉哲也氏の著書を参照して、バイデン政権がとった制裁措置を時系列に整理する。(参照:資料1)

 2018年8月に、アメリカはそれまで輸出管理規定(EAR: Export Administration Regulations)に基づいて軍事転用が可能な輸出を管理してきたが、中国をデカップリングする法的規制として、より厳格化した輸出管理改革法(ECRA:Export Control Reform Act)を成立させた。

 2022年10月7日には、商務省の産業安全保障局(BIS)が、半導体、スパコン関連を中心とするEARを大幅に改正し、10月21日から施行した。これは2020年5月にファーウェイと関連企業に適用し、ウクライナ侵攻後にロシアとベラルーシを適用の対象に加え、今般中国向けの半導体とスパコンに適用を拡大したものである。この措置はアメリカ原産品目が25%以上含まれる品目や、アメリカ製の技術・ソフトウェア・機器などを使って製造した機器を第三国から中国に輸出する場合にはBISの許可を必要とすると規定した、実質的な禁輸である。

 2022年11月15日に議会の米中経済・安全保障調査委員会(USCC)が2022報告(2022 Report to Congress of the U.S.-China Economic and Security Review Commission)を発表した。この報告の中で、議会は国防総省に対し次のように指示している。

 「中国が関わる軍事紛争が発生する場合を想定し、中国に向かう海上輸送、特にマラッカ海峡を通過するエネルギー輸送を効果的に封鎖することの実現可能性と軍事的要件について機密の報告書を作成すること。備蓄、配給、陸上輸送、国境を通るパイプライン(計画中のものを含む)を考慮すること。」

(Congress direct the U.S. Department of Defense to produce a classified report on the feasibility of and the military requirements for an effective blockade of energy shipments bound for China in the event of military conflict involving China. ・・・)

2022年12月23日には、国防予算の大枠を決める国防権限法2023(National Defense Authorization Act for FY 2023)が施行された。台湾に対し今後5年間で最大100億ドルの軍事支援を行うことに加えて、アメリカ政府の調達企業に対し、下請け孫請け等を含めて中国製半導体を利用した製品の使用を禁止した。猶予期間を5年とした。

2.欧米の金融危機

 今年3月になって米欧で銀行の破綻が続いた。3月8日には米国のシルバーゲート銀行が、10日には米国のシリコンバレー銀行が、12日には米国のシグネチャー銀行が、そして14日にはスイスのクレディスイス銀行が、16日には米国のファースト・リパブリック銀行が相次いで経営困難に陥った。

 経営破綻した銀行の規模では、シリコンバレー銀行がリーマンショック以降で最大、シグネチャー銀行は三番目だった。そして、シルバーゲート銀行とシグネチャー銀行は共に仮想通貨(暗号資産)を扱う大手の銀行だった。

 金融危機に発展することを恐れた米欧の中央銀行が迅速かつ大胆に対応したことによって、金融不安が拡大する危険は一旦回避された。ただし原因が取り除かれた訳ではないので、やがて再燃することは容易に予測できる。

 今回の銀行破綻騒動には、もう一つ重要な要因があった。それは交流サイト(SNS)で信用不安情報が急速に拡散かつ増幅されたことが、取り付け騒ぎを煽ったことだ。これは今後大手銀行にとっても脅威となることを暗示している。

・欧州の不動産危機懸念

 経済産業研究所コンサルティングフェローの藤和彦氏は、「今進行中の米金融危機は余震に過ぎない。リーマンショックの悪夢を呼び覚ます本当の震源は、欧州の不動産市場にある」と警告する。その理由は、「FRBと欧州中銀は金利を急速に上げてきたが、最も深刻な影響が出るのは不動産市場だ。住宅ローン金利の高騰により不動産需要が激減するからだ。とりわけ欧州市場の金利は14年ぶりの高水準となっている。」ことにある。さらに、EUの金融リスク当局が「不動産市場が急速に悪化して金融市場にシステミックリスクを生じる恐れがある」と警告しているという。(参照:資料2)

 今回の危機はまだ収まっていない。3月19日にスイスの金融当局が「160億スイスフラン(約2.2兆円)に上るクレディスイスのAT1債が無価値となる」と発表した。AT1債というのは銀行が発行する債券の一つで、社債よりも利回り高い一方で弁済順位が低く、償還期限もない『永久劣後債』と呼ばれるものだ。この発表を受けて投資家の間では他行のAT1債を投げ売りする動きが広がり、利回りが急騰し債券価格が急落するという混乱をもたらした。ちなみにAT1債の市場規模は全世界で2750億ドル(約36兆円)に上るという。

・米国の金融危機懸念

 アメリカのイエレン財務長官は、シリコンバレー銀行と同じリスクに晒されている銀行が186行存在すると連邦議会上院で証言した。また銀行によるFRBからの借り入れは3月15日時点で約20兆円に急増したことを明らかにした。

 シリコンバレー銀行の破綻は、金融危機の前触れ現象である。2020年にパンデミックが起きて以降、欧米日は大規模な金融緩和政策を継続してきた。そして2022年にウクライナ戦争が起き、エネルギーと食料価格が高騰して急激にインフレが進んだために、米欧の中央銀行は急ピッチで金利を引き上げてきた。

 中央銀行が金融市場から資金を大急ぎで回収を始めたために、金融市場で資金の大規模な逆流が起きた。金利が上がれば債券価格は下落するので、債権を多く運用してきた銀行では損失が拡大する。この変化に耐えられない金融機関が今後淘汰されてゆく可能性がある。

3.中国の経済危機

 中国の産業発展促進会技術顧問で主席エコノミストに魏加寧という人物がいる。この人物が2022年12月24日に開催された中国金融安全論壇(フォーラム)」にオンラインで参加して講演を行った。その内容は実に衝撃的なものだった。要約すると、「中国経済はガタガタだ。中国経済では6つ(企業、市場、銀行、中央銀行、財政、政府)のゾンビ化が進行している。・・このゾンビ化を止めなければ中国経済の回復はありえない。そのためには、民衆の信用を取り戻し、民主的法治を中心とすることが必要だ。」と警告を発したのである。「民主的法治を中心とせよ」ということは習近平主席に対して「独裁を止めよ」と勧告していることに等しい。(参照:資料3、資料4)

 3月30日の産経新聞紙面で中国評論家の石平氏が、17日に中国政府が今年1-2月の国家財政に関するデータを公表した内容について紹介している。それによると、前年同期比で主要指標が軒並み激減している。財政収入は3.4%減、消費税は18%減、車両購置税(日本でいう自動車取得税)は33%減、関税収入は27%減、国有地使用権譲渡収入29%減、証券交易印紙税に至っては62%減と相当深刻である。

 平たく言えば、証券取引が6割、不動産開発と自動車販売が3割減少したということだ。不動産投資は中国経済の3割を担ってきたと言われており、土地の使用権売買が地方政府の財政の柱の一つとなっていたことを考えると、これは破滅的な状況だ。ちなみに地方政府が抱える借金は約7兆ドル(約930兆円)と言われる。

 そもそも中国経済成長のカラクリは、地方政府が本来タダ同然の土地の使用権を開発業者に与えてインフラ整備や不動産開発を促進させ、地方政府は使用権収入を得て、そのお金を中央政府に上納することで成り立ってきた。

 3月18日の産経新聞紙面で田村秀男氏はこう書いている。「政府の全財政収入に占める土地使用権収入の割合は、2021年が40%、2022年が29%に上った。不動産開発を中心とする固定資産投資はGDPの5割近くを占める。住宅など不動産投資は関連需要を含めGDPの約3割に上り、不動産開発、住宅ローンなど不動産がらみの融資は預金、さらなる融資という信用創造の連鎖となり、マネーを膨張させてきた。・・・この成長と膨張の方程式が昨年来の不動産市況の低迷で狂った。」と。

 不動産大手の中国恒大集団が33兆円といわれる負債を抱えて倒産したのは2021年だった。余りに巨額なため潰すことも救済することもできない。政府が売買を禁止したためバブルは崩壊していないが、経済の血流である資金の流れが止まれば機能の壊死が起こり、それが経済全体に拡大していくことになる。政府は膨大な資金を投入し激を飛ばしているが、「効果なし打つ手なし」の状態のようだ。

4.中東の緊張緩和

 2022年12月8日に習近平主席がサウジアラビアを訪問し、両国は『包括的戦略パートナーシップ協定』を締結した。そして今年3月10日に、中国の仲裁でサウジアラビアとイランが和解した。戦略家と呼ばれるエドワード・ルトワック氏は「これは米国が自ら引き起こした失敗であり、重大な外交的敗北だ。」と述べている。

 また国際アナリストの田中宇氏は、3月17日の自身の『国際ニュース解説』の中で次のように分析している。(参照:資料5)

 「サウジとイランは2016年から対立を続け、両国の首都にある大使館も閉鎖されていたが、今回は対立を解消して相互の大使館を2ヵ月以内に再開し、安全保障や防衛投資などの分野の協力も再開することを決め、両国の代表が北京で合意文に調印した。米国の支配下にあった中東で、中国がこれだけ大きな外交業績を挙げたのは画期的だ。」

 「サウジがイランと和解して非米側に転じることは、サウジとイランだけでなく中東全域と、中国とロシアの全員にとって利益になる。今後は、中国がアラブ諸国の全体とイランとの和解を仲裁していく方針で、今年中にアラブ諸国とイランの首脳が北京に集まって史上初のサミットを開く予定になっている。」

 3月21日には習近平主席がモスクワを訪問して中露首脳会談を行った。何が話されたのかは明らかになっていないが、中国がサウジとイランを和解させたことが話題の一つであったことは容易に想像できる。

 もしサウジとイランを中露陣営に取り込んだとなれば、これは今後地政学的な意味で重要な転換点となるだろう。そう考える理由は四つある。第一にドル覇権の重要な要件となってきた石油ドル決済システム(PDS)が崩壊に向かうこと、第二に両国の和解は中東アラブ世界に緊張緩和の波として伝播してゆくこと、第三に第一世界大戦以降に英国がこの地域に蒔いてきた紛争の種が順次消滅してゆくこと、そして第四に中東地域におけるアメリカのプレゼンスが徐々に低下してゆき、世界は多極的なものに転換してゆくことだ。

5.ウクライナ戦争

 『ウクライナ戦争の深層(三部作)』で、「ウクライナ戦争は三階層の構造を持っている。第一層はロシア対ウクライナの地上戦、第二層はロシア対NATOのエネルギーを含めた地政学を巡る戦争、そして第三層はロシア対アメリカの世界秩序の形態(多極化か米国1強体制の継続)を賭けた覇権戦争の三つである。」と書いた。(https://kobosikosaho.com/world/885/

 まず第一層を考えると、戦争終結の目途はどうなるだろうか。ウクライナ東部の州のロシアへの帰属を条件とするロシアと、ウクライナ戦争以前の状態への復帰と2014年にロシアに奪取されたクリミア半島の返還を条件とするウクライナとでは、隔たりが大きすぎて終結の目途は当面立ちそうにない。

 戦争が長期化すれば、ロシアの継戦能力、ウクライナの継戦能力とNATOの支援体力の何れが優勢になるかで結末は違ったものになるだろうが、軍事侵攻したロシアを無罪放免すれば国際秩序が崩壊することになるため、ウクライナもNATOもロシアよりも先にギブアップすることはないと考えられる。

 次に第二層を考えると、既に欧州はエネルギーの脱ロシア化を進めており、欧州とロシアのデカップリングが進んでいる。また4月4日にフィンランドのNATO加盟が正式に決定したが、今後ロシア周辺国のEU加盟やNATO加盟が増加してゆくことが予測される。一方でフィンランドはロシアの隣国であることから、ロシアとNATOの緊張は今後高まってゆくだろう。

 問題は第三層だが、ロシアの継戦能力とバイデン政権の寿命の時間勝負となるだろう。2024年の大統領選挙がどうなるかを予測することは時期尚早だが、さまざまな理由から共和党が政権を奪還する可能性が高まっている。基本的に民主党はグローバリスト、共和党はナショナリストであるから、共和党が政権を奪還すればバイデン政権の対露政策を修正して戦争は終結に向かうことが予測される。

 そう考えると、ウクライナ戦争の終結は、ロシアが先にギブアップするか、それとも2025年1月の米国共和党政権の登場を待つ他ないように思われる。

参照した文献:

・資料1:「経済封鎖される中国、アジアの盟主になる日本」、渡邉哲也、徳間書店、2023.1.31

・資料2:「米銀行破綻は大惨事の始まりに過ぎない」、藤和彦、現代ビジネス、2023.3.23

・資料3:「習近平に退陣要求・・・体制はエコノミストが政権批判!その深刻な中身と中国経済のヤバすぎる現実」、    福島香織、現代ビジネス、2023.1.12 (https://gendai.media/articles/-/104495

・資料4:「キョンシー化する中国経済、体制内部からの習近平討伐檄文」、林建良、台湾ボイス     (https://taiwan-voice.com/kyonshiization-china-economy/

・資料5:国際ニュース解説無料版、田中宇、2023.3.17

後編に続く

ウクライナ戦争の深層(3)

ノルドストリーム爆破事件

 2022年9月26日にバルト海の海底に敷設されていた、ロシアからドイツに天然ガスを供給するパイプライン4本の内3本が爆破される事件が起きた。犯人はウクライナ戦争当事者のロシアでもウクライナでもない。被害が甚大で何の得にもならないからだ。では誰が何のためにこんなことをしたのか?

 米国の著名なジャーナリストであるSeymour Hersh(以下、ハーシュ)が『米国はどうやってノルドストリームパイプラインを破壊したのか(How America took out the Nord Stream Pipeline)』という記事を2月8日の自身のブログに投稿した。

 ハーシュは、外交・軍事に関わる報道でピューリッツァー賞などを受賞した米国のジャーナリストで、ベトナム戦争のソンミ村虐殺事件、アブグレイブ刑務所における捕虜虐待事件、大韓航空機事件等のスクープ記事を書いている。

 第3部でははじめにハーシュ記事の要点を紹介し、分析を加える。論点を三つに分けてハーシュの記述を引用する。

そもそもバイデン政権はノルドストリームをどう認識していたのか

≪バイデンはNSを、プーチンが野望を実現するために天然ガスを兵器化する手段とみなしていた。≫

President Joseph Biden saw the pipelines as a vehicle for Vladimir Putin to weaponize natural gas for his political and territorial ambitions.

≪バイデン政権の外交政策チームである、国家安全保障補佐官ジェイク・サリバン(Jake Sullivan)、国務長官トニー・ブリンケン(Tony Blinken)、国務次官ビクトリア・ヌーランド(Victoria Nuland)は、当初からNS1は西洋優位に対する脅威(a threat to western dominance)となると認識していた。≫

≪NS1はNATOとワシントンにとって既に十分危険だった。2021年9月に完成したNS2が稼働すれば、ロシアは新たな収入源を獲得し、ドイツと西欧へ供給する低価格の天然ガスが倍増し、欧州のアメリカ依存が低下する。≫

≪バイデン政権は、安い天然ガスに依存するドイツや他の欧州諸国が、ウクライナに対し資金と武器を供給することを拒むことを恐れていた。≫

爆破作戦はどのように実行されたのか

≪2021年12月に、サリバンは統合参謀本部、CIA、国務省、財務省から新たに編成したタスクフォースを招集して、プーチンの差し迫った侵攻にどう対処するか提言を求めた。≫

≪やがてCIAメンバーはパナマシティの深海ダイバーを使ってパイプラインに極秘裏に爆発物を仕掛ける計画を提言した。≫

≪作戦計画を具体化する段階からアメリカはノルウェーと組んだ。そもそも現在NATOの最高司令官を務めるイェンス・ストルテンベルグ(Jens Stoltenberg)はノルウェーの首相を8年務めた人物である。地理と経験、能力などの点でもノルウェーは絶好のパートナーだった。さらにノルウェーには、アメリカがNSを破壊してくれれば、ノルウェー製の天然ガスを欧州に提供できるという目論見もあったろう。≫

≪ノルウェー海軍は、作戦実行のための重要な課題に対し、次々と的確なオプションを用意した。爆破に適した場所、周辺国に察知されないこと、爆破時期をいつにすべきかなどだ。周辺国からカモフラージュするために、アメリカ第6艦隊が主導して毎年実施しているBALTOP22(Baltic Operations 22)の中で爆薬をセットすることが決まった。そして6月にパナマシティの深海ダーバー達がパイプラインに高性能爆薬C4を設置した。≫

≪爆破のタイミングは犯人の特定を困難にするために、ワシントンが選択できるようにし、それまでに誤動作しないよう技術的な工夫がなされた。≫

≪2022年9月26日にノルウェーのP8偵察機が定期飛行を行い、ソナーブイを落下させた。2~3時間後に高性能爆薬C4が起爆され、4本のパイプラインの内3本が爆破された。≫

On September 26, 2022, a Norwegian Navy P8 surveillance plane made a seemingly routine flight and dropped a sonar buoy. A few hours later, the high-powered C4 explosives were triggered and three of the four pipelines were put out of commission.

アメリカ犯人説の根拠

≪ロシアがウクライナに軍事侵攻をする2週間ほど前の2月7日に、ドイツのショルツ新首相がホワイトハウスを訪問した。記者会見の席でバイデンは傲慢にもこう言った。「もしロシアが進行すればNS2はもうない。我々が終わりにする。」と。≫

Biden defiantly said, “If Russia invades . . . there will be no longer a Nord Stream 2. We will bring an end to it.”

≪その20日前には、国務省でのブリーフィングで、ヌーランド国務次官が少数のマスコミ関係者の前で、質問に答えてこう述べた。「はっきり言うと、ロシアがウクライナに侵攻すれば、何らかの方法によりNS2が前に進むことはなくなるでしょう。」≫

“I want to be very clear to you today,” she said in response to a question. “If Russia invades Ukraine, one way or another Nord Stream 2 will not move forward.”

≪バイデンとヌーランドが軽率な発言を行ったことにより、パイプライン爆破作戦がもはや秘密作戦ではなくなったとCIA高官は心に決めた。≫

≪爆破後、アメリカのメディアは不可解な謎だと扱った。ロシア犯人説も繰り返し浮上したが、ロシアにとって甚大な損失でしかないことに対する明確な動機を見つけられなかった。かつてバイデンとヌーランドが行ったパイプラインに対する脅威発言と結びつけて詮索しようとする大手新聞は現れなかった。≫

≪爆破後の9月30日の記者会見の場で、ブリンケン国務長官は次のように述べた。「西欧のロシアへのエネルギー従属を取り除き、プーチンにエネルギーの兵器化を断念させる上で、一度きりで絶好の機会が訪れた。西欧のさらに言えば世界の市民が重荷を背負わないために、これがもたらす全ての結果について、我々にできることは全て行うことを決意した。」≫

“It’s a tremendous opportunity to once and for all remove the dependence on Russian energy and thus to take away from Vladimir Putin the weaponization of energy as a means of advancing his imperial designs. That’s very significant and that offers tremendous strategic opportunity for the years to come, but meanwhile we’re determined to do everything we possibly can to make sure the consequences of all of this are not borne by citizens in our countries or, for that matter, around the world.”

≪2023年1月末に開かれた上院の外交関係委員会における証言で、ヌーランドはテッド・クルーズ上院議員に対し次のように述べた。「あなたと同じように、バイデン政権はNS2が今や海底で金属の塊と化したことに大変喜んでいる。」≫

“Like you, I am, and I think the Administration is, very gratified to know that Nord Stream 2 is now, as you like to say, a hunk of metal at the bottom of the sea.”

アメリカはなぜこのような暴挙を実行したのか

 NSが爆破されたのは9月26日だった。バイデン大統領がショルツ首相に「ロシアがウクライナに侵攻すればNSは終わりだ」と予告したのが9月7日で、ブリンケン国務長官が「爆破したことで欧州のロシア依存を終わらせ、ロシアのエネルギーの兵器化を阻止した」ことを宣言したのが9月30日だった。

 この事実を時系列に並べるだけでも、大統領が予告し国務長官が成果報告した形をとっており、実行したのがアメリカであることは疑う余地がない。

 しかし、ロシアのウクライナ軍事侵攻は国際法に違反する重大な犯罪であると非難する一方で、自らは他国が敷設したインフラを勝手に爆破する行動をどう解釈すればいいのだろうか。

 アメリカはウクライナ戦争を直接戦っている当事国ではないが、武器や情報の供与など間接的には深く関与している。またプーチンが避難したように、アメリカはイランのスレイマニ司令官をバクダット近郊で殺害している。アメリカの視点に立って考えれば、NS爆破は「世界の警察官」の行為として正当化されると考えているのだろう。

 今年2月21日に行われた年次教書演説で、プーチンは<だが我々の背後には全く別のシナリオが用意されていた。ドンバスでの平和を実現するという西側の指導者の約束は真っ赤な嘘だった。>と発言している。「全く別のシナリオ」とは、ロシアに軍事侵攻させてロシアを滅ぼす作戦を始めることを指していると解釈される。この視点に立って考えてみると、NS爆破はこのシナリオの一環として手順を踏んで実行された作戦だったことになる。プーチンを煽って軍事侵攻させ、それを理由に協力関係を強化しつつあった欧州-ロシア関係をリセットしたということだ。

 そう考えると、NS爆破はもはや秘密作戦ではなく、予告することによって全ての責任はプーチンにあると位置づけることにアメリカは成功したことになる。

 以下では、第1部及び第2部と上記爆破事件を踏まえて、ウクライナ戦争の深層について総括してみたい。

繰り返されたシナリオと工作

 第1部で、「世界の歴史には、意図的に戦争や革命を起こし世界を不安定化させて大きく儲けようとする集団が存在した。・・・第二次世界大戦からアラブの春に至る事件は、自然発生したのではなく巧妙に仕組まれ挑発された結果だった。」と書いた。

 今回のウクライナ戦争においても、英米は歴史上の事件と同様に巧妙なシナリオを用意し、さまざまな工作を行ったと考えるべきだろう。第2部で紹介したように、プーチン自身が「全く別のシナリオが用意されていた」と述べていることがその証左だ。推察するならば、そのシナリオとは「ロシアにウクライナへ軍事侵攻させておいて、それを口実にロシアを潰す」ことだったのだろう。そしてNSパイプライン爆破はそのための工作の一つとして実行されたのだった。

 また第2部で、「ウクライナ戦争は三階層の構造を持っている。第一層はロシア対ウクライナの地上戦、第二層はロシア対 NATOのエネルギーを含めた地政学を巡る戦争、そして第三層はロシア対アメリカの世界秩序の形態(多極化か米国1強体制の継続)を賭けた覇権戦争の三つである。」と書いた。

 バルダイ・クラブや年次教書演説の発言を文字どおりに受け止めれば、プーチンは第一層の戦争を始めたのであって、第二層及び第三層は視野の外だったことを告白している。それに対してアメリカはNS爆破作戦を実行してプーチンを第二層の戦争に引きずり込んだ。これがプーチンの言う「別のシナリオ」の意味だったと解釈される。

制裁は諸刃の刃

 アメリカはロシア潰しのシナリオの一環として、強力な経済制裁と金融制裁を実行した。しかしながら、プーチンがバルダイ・クラブで述べたことが虚勢でなければ、今のところアメリカが期待した顕著な効果は現れていないことになる。核兵器保有国でエネルギー資源大国というロシアは相当タフだからだ。

 そもそも対ロシア制裁は諸刃の刃だった。制裁が長期化するほどロシアは弱体化してゆくだろうが、制裁には強い副作用があり、ロシアをグローバル経済から締め出す一方で、ベラルーシやイラン、中国やインドなど制裁に加わらない国々とロシアの経済交流を活発化させるだろう。即ち制裁は世界経済のブロック化を推進するということだ。

 さらに金融制裁としてアメリカはロシアを国際銀行間金融通信協会(SWIFT)から締め出した。肉を切らせて骨を断つ手を打ったと言われるが、エネルギー取引という西側には封じ込めできないドアが開いているので、ロシア産石油や天然ガスのドルを使わない決済が拡大してゆくだろう。

 アメリカはドルの金兌換を停止したニクソンショック後に、キッシンジャーが画策して石油取引の決済をドルで行う「石油ドル本位制」(Petrodollar System, PDS)を確立した。ドル決済が減ればドル覇権体制の弱体化が進む。これはウクライナ戦争の長期化は、ロシア経済の弱体化とドル覇権体制の弱体化の何れが先に深刻化するかの体力勝負となることを意味する。

多極化かアメリカ1強体制の維持か(プーチンが提起した問題)

 プーチンは、我々は「多極化かアメリカ1強体制の存続か」という歴史上の分岐点に立っていると指摘した。

 ウクライナ侵略に対する国連の対露制裁決議が昨年3月2日~今年2月23日の間に6回行われている。その結果はロシアに対する制裁が厳しいほど反対や棄権が多く、6本の制裁決議の内、包括的で緩やかな決議4本では、賛成141~143ヵ国、反対5~7ヵ国、棄権32~38ヵ国だった。逆に具体的で厳しい制裁の決議2本では、賛成93~94ヵ国、反対14~24ヵ国、棄権58~73ヵ国だった。

 少々乱暴だが、賛成派は当面アメリカ1強体制の維持を支持し、反対派は多極化を支持し、棄権派は態度保留とみることができるだろう。ここで重要なのは、国連加盟国193ヵ国の7割を占めるグローバルサウスが「多極化かアメリカ1強体制維持か」の動向を左右することだ。

 かつてオバマ大統領が「アメリカは世界の警察官ではない」と発言したが、その背景にはアメリカの弱体化が進んでいる現実がある。ウクライナ戦争において、アメリカはロシアによるエネルギーの兵器化を阻止することに成功した一方で、自らはSWIFTからの追放を制裁手段として使った。これはアメリカのドル覇権を弱体化させる自殺行為でもある。

 もしロシアの弱体化が先に顕在化すれば、ウクライナ戦争は終結に近づくだろう。逆にもしドル覇権の弱体化が先に顕著になれば、アメリカの思惑とは逆に多極化が進むことになる。

 ここで一つ疑問がある。一体アメリカは1強体制を維持したいのか、それとも多極化を進めたいのか、アメリカの本音は何処にあるのだろうか。バイデン政権、民主党、ネオコンは1強体制の存続を志向し、一方金融資本家は世界が不安定化し多極化が進むことを志向していると思われる。アメリカは一枚岩ではないのだ。

岐路に立つアメリカ

 これまでにバイデン政権は、自殺行為になりかねない極めて乱暴な手段を実行してきた。一つは2020年の大統領選でなりふり構わず大規模な組織ぐるみの選挙データの改ざんを行って、大統領のポストを奪い取ったことだ。これはアメリカの民主主義を否定する暴挙だった。不正選挙を信じていない人も多いかもしれないが、この件については、第1部で引用した『謀略と捏造の200年戦争』の中で、渡辺惣樹が次のように端的に述べている。

 ≪前回の大統領選でバイデンは8100万票を獲得しました。トランプが7400万票です。(それ以前の選挙で)オバマでさえ6900万票、ヒラリー・クリントンでも6500万票しかない。何故人気のないバイデンが8100万票という歴代1位を得ることができたのか。(選挙不正を)陰謀論と批判するなら、この選挙結果を合理的に説明してほしい。≫

 2020年の大統領選挙の真相は、何が何でも民主党に政権を奪還させるシナリオを作り、実際に大規模な選挙データの改ざん工作を指揮し、資金提供したアクターが存在したことにある。バイデン自身は民主党候補の中で最も扱いやすい候補として選ばれた役者だった。そしてバイデンに8100万票もの得票を与えた勢力が民主党を担ぎバイデンを担いだのである。

 もう一つの乱暴な行為は、言うまでもなく強引にNSパイプラインを爆破して欧州とロシアの連携にピリオドを打ったことである。これはどう考えても「世界の警察官」が自ら犯罪の首謀者になる暴挙だったという他ない。

 そもそもアメリカは何故ロシアを潰すことを画策したのだろうか。完成したNS2が稼働すれば欧州とロシアはエネルギー調達を介して連携を強めることになり、相対的に欧州とアメリカの連携が弱まる懸念があったことは明白だ。加えて中国との全面衝突がカウントダウンとなり、その前にロシアを潰しておこうという計算が働いた可能性もある。

 もしロシアが弱体化しウクライナ戦争終結の目途が立てば、アメリカは次に中国に対するシナリオを全面的に発動させるだろう。但しその場合、アメリカは今回よりも数段タフな戦いを強いられるに違いない。何故なら中国は国力の点でロシアよりも遥かに規模が大きく、しかも中国は今回の事件から多くの教訓を学び取っており、さらにドル覇権は現在よりも確実に弱体化しているからである。

リアクション

 ここまで述べてきたように、バイデン政権は、アメリカ国内及び国際社会において、民主主義と国際秩序を自ら破壊する行動をとってきた。そうしなければバイデン政権は誕生しておらず、ロシアをここまで追い詰めることはできなかったのかもしれない。しかしアメリカ1強体制を強化する行動をとったようにみえて、結局は多極化を進める結果を招くことになるのではないだろうか。また短期的には見事に作戦が成功したように見えても、やがてその大きな代償を払わなければならない局面が確実にやってくるだろう。

 暴挙に対するアメリカ国内及び世界の世論からのリアクションを軽視すべきではない。その最初のリアクションが2024年の大統領選挙に向けてアメリカ国内で顕在化してくることは間違いない。そして2024年の大統領選挙では前回以上に民主党に対し強い逆風が吹くだろう。共和党は不正の再発防止策を講じるだろうし、もし再び民主党が同等の不正を行うようなことがあれば、国内の分断は危険水域を超えるだろう。

 ウクライナ戦争を歴史軸の中で捉え、当事者であるプーチンとバイデンの言動を踏まえて戦争の深層について考察してきた。過去の戦争や革命と同じように、今回も用意されたシナリオがあり、挑発されて起きたことが明らかになった。今回のウクライナ戦争で米国が用意したシナリオはロシアを潰すことを目的としたものであり、経済制裁、金融制裁に加えてNS爆破というかなり荒っぽい工作が次々に実行された。

 一つ解けていない謎があった。それはバイデンが何故このタイミングを選んだのかということだった。ここまで書いてきて気が付いた。それはバイデンの任期である。2020年の大統領選挙で相当荒っぽい不正選挙を敢行した勢力には、2024年の大統領選では相当のリアクションが起きて共和党が政権を奪い返す可能性が高いことを承知していた筈だ。そう考えると、バイデン政権の2年目の早い時期にウクライナ侵攻を起こさせ、手荒な工作を行ってでもロシアを潰す目途を付けておく必要があったということだ。

ウクライナ戦争の深層(2)

ワシントンサイドの視点・論点

 ウクライナ戦争が起きた原因について、米スタンフォード大学フーバー研究所のシニア・フェローであるラリー・ダイヤモンド教授は次のように述べている。(ダイヤモンド・オンライン、2023.2.16、https://diamond.jp/articles/-/317665)

<プーチンは国粋主義者だ。ウクライナを独立国家ではなくロシアの一部とみなしている。旧ソ連構成国を傘下におき、ロシア政府の意のままに従わせたいと考えている。そして、ロシアの偉大さを取り戻すためなら他国の犠牲も厭わない。>

<我々は第二次世界大戦後に築いた世界-主権や人権の尊重、国境不可侵-の中で生きている。ロシアによってそうした世界が侵害されているのを目の当たりにしながら、ただ手をこまねいている訳にはいかない。ロシアのウクライナ侵攻を看過すれば他の独裁国家がさらに憤慨に満ちた武力行使を行いかねない。だからこそ我々先進民主主義国家が団結したのだ。>

 これは典型的なワシントンサイドの見解だ。

 第1部で歴史を概観したように、歴史上の重大事件を評価するにあたっては、少なくとも次の二点を押さえる必要がある。第一は、重大事件は必ず歴史に綴られた因果関係の連鎖の物語の一幕として発生していることだ。そして第二は、重大事件においては裏舞台でアクターによる工作が行われた可能性が高いということだ。この二点を押さえずに断定すれば、プロパガンダ戦の一翼を担ってしまう可能性すらある。

 ラリー・ダイヤモンド教授はこうも述べている。

<プーチン大統領は、ロシアを再び世界の超大国にしたいという野心と欲望に取りつかれる一方、国内の課題を前に疑心暗鬼に陥った。そして、自国の独裁体制や汚職から国民の目をそらすべく、2014年にウクライナのクリミアを併合し、親ロ派を支援して東部ドンバス地方の大半を支配下に収め、2022年2月にはウクライナに破滅的な戦争を仕掛けるという、国際的な侵略行為と領土拡大に走ったのだ。>

 いかなる歴史があろうとも、ロシアが独立国の主権を侵害して軍事侵攻したことも、それを命令したのがプーチン大統領であることも否定できない事実である。独立国に対する武力行使は国際法違反であり、安全保障理事会の常任理事国のポストを放棄することに等しい蛮行であることは言うまでもない。

プーチンの視点・論点(バルダイ・クラブでの発言)

 2022年2月24日にロシア軍が軍事侵攻を開始する前に、バイデン大統領が執拗に「プーチンはウクライナに侵攻する」と述べていた。そしてキエフに向けて軍事侵攻を開始したロシア軍が初戦から躓いたのは、英米両国からの全面的な支援を得たウクライナ軍が待ち構えていたからであった。

 ロシア側は英米の動きについて十分に把握していたと考えられるが、問題はプーチン大統領がどのような認識と理解のもとに軍隊を動かしたのかにある。これを知る手掛かりは、プーチンが語った言葉の中に見つけることができる。

 2022年10月末にモスクワ近郊で『バルダイ国際討論クラブ(the Valdai International Discussion Club)』が開催された。今回で19回目の開催で4日間の日程で行われたという。今回のテーマは、『覇権主義後の世界、万人のための正義と安全保障(A Post-Hegemonic World: Justice and Security for Everyone)』だった。恒例に従い、会議の最終日にプーチン大統領が登壇して1時間を超える演説を行い、その後に2時間半にわたって会場との質疑応答に応じている。

 会議でプーチン大統領が語った内容については、以下のサイトから拾うことができるが、プーチン大統領による演説の全文と、質疑応答の全てを網羅しているサイトは見つからなかった。

資料1:「Vladimir Putin’s Vision of a Multipolar World」、Philip Giraldi、2022.11.29

https://www.unz.com/pgiraldi/vladimir-putins-vision-of-a-multipolar-world/

資料2:「プーチンの考える多極化する世界」、Alzhacker、2022.11.30

https://alzhacker.com/vladimir-putins-vision-of-a-multipolar-world/

資料3:「バルダイ討論クラブのプーチン、多極化世界における伝統的価値の尊重を語る」青山貞一、独立系メディア  E-wave Tokyo、2022.10.31、http://www.eri.co.jp/independent/Ukraine-war-situation-aow1823.htm

 資料1の著者フィリップ・ジラルディ(Philip Giraldi)は、米国の無党派のNPOである、the Council for the National Interest(国益を追求する評議会)の事務局長であり、それ以前はCIAのインテリジェンス・オフィサーという経歴の持ち主である。アメリカ人で元CIAの経歴ではあるが、プーチン演説を客観的に受け止めているように思われるので引用することとする。資料2は資料1を邦訳したものであり、資料3は会議終了直後に公表されたロシア語の文献を急きょ和訳したものである。

 以下は、プーチン大統領が語った言葉、あるいはジラルディの解説の中から、本記事の主題である「プーチンの視点・論点」に合致するものを選び、6つのテーマ毎に括り直して整理したものである。邦訳については資料②と③を参照し、その上で全体の文脈を考慮して直截簡明な和訳としたことをお断りしておきたい。

ソ連崩壊からウクライナ戦争に至る歴史

 以下は、プーチンの演説を踏まえたジラルディの総括的な意見である。

1)1991年、ソ連大統領だったゴルバチョフが、米国と同盟国からNATOを東に拡大しないとの口約束を得てソ連の解体に同意したことが、その後の紛争の種となった可能性がある。クリントン大統領はその公約をあっさり反故にして旧ユーゴスラビアに軍事介入した。それ以来、NATOはロシアの国家安全保障上の利益を無視して東に拡大を続けた。

2)1991年~1999年、ボリス・エリツィン大統領のときに主に欧米のオリガルヒによりロシアの天然資源が略奪された。無能で(酔っ払いだった)エリツィンは、米欧が干渉したロシア大統領選で誕生した傀儡だった。

3)1999年にウラジーミル・プーチンが登場し、首相として、そして後に大統領として、体制の立て直し(欧米が支援したオリガルヒの一掃等)を進めた。

4)やがてウクライナは紛争の焦点となった。米国はウクライナの政治に公然と介入し、タカ派のジョン・マケイン上院議員や、国務省の怪物ビクトリア・ヌーランドが頻繁に訪問し、50億ドルを投じてウクライナの政治情勢を不安定にさせた。そして親ロシア派のヤヌコーヴィチ政権を排除して、親米欧の政権交代を実現させた。(2014年のマイダン革命)

5)欧米は経済戦争、貿易戦争、制裁、カラー革命、あらゆる種類のクーデターを用意して(世界中で)実行してきた。マイダン革命はその一つだった。

 第1部で「ウクライナ戦争は単独に起きたのではなく、ソ連の崩壊、旧東欧諸国の独立とEU及びNATOへの加盟、マイダン革命という流れの延長線上で起きたことは明白である。」と書いた。上記ジラルディによる総括から、ソ連崩壊からウクライナ戦争に至るロシアの歴史をプーチンがどう認識しているのかを知ることができる。

アメリカ/西側が行ってきたこと

 次にソ連崩壊以降に1強体制を確立したアメリカが何をやってきたかについて、プーチンが手厳しい評価を加えている。

<中国との関係を台無しにし、ウクライナには数十億ドルもの武器を供給する等、一体彼らは正気なのか?このような行動は常識にも論理にも反していて、気違いじみている。>

<彼らは傲慢で何も恥じるところがない。彼らはイランの将軍であるスレイマニを殺した。スレイマニをどう扱おうが勝手だが、彼は他国の役人なのだ!>

<西側はいつも煽るようにプレイしている。ウクライナ戦争を煽り、台湾有事を挑発し、世界の食料・エネルギー市場を不安定化させている。もちろん後者は(ロシアが)意図的に行ったものではなく、欧米列強による多くのシステム上のミスによるものだ。そして我々は汎欧州のガスパイプライン(ノルドストリーム)の破壊も目の当たりにした。これはとんでもないことだ!>

<その昔ナチスは焚書を行った。今や欧米の「自由主義と進歩の擁護者」は、ドストエフスキーやチャイコフスキーを禁止するまでに落ちぶれた。そしてロシアから代替的な意見を提示すれば、それは「クレムリンの策謀だ」とされる。一体自分たちは万能なのか?>

 「西側はいつも煽るようにプレイしている」という指摘はその通りだろう。なかでも2020年1月3日(トランプ政権下)に車列を組んでバクダッド空港近傍を走行していたイランのソレイマニ司令官を、米軍が無人攻撃機で攻撃し殺害した事件については、アメリカ自身が公表しており、プーチンの指摘は正しい。

 ノルドストリーム爆破事件については、第3部で検証する。

アメリカの新自由主義的な世界秩序の危機

 アメリカがやってきたことに対するプーチンの批評が続く。

<今起きている事態はアメリカの新自由主義的な世界秩序モデルのシステム的というよりは教義的な危機である。彼らは創造や積極的な発展という考えを持たず、単に支配を維持することのみを世界に押し付けている。これに対してロシアは何世紀にもわたる伝統と価値観を大事にしてきた。(本来の国際秩序は)誰かに押し付けるものではなく、それぞれの国が何世紀にもわたって選択してきたものを大切にすることなのだ。>

<もし西側のエリートが、ジェンダーやゲイパレードのような、私からみれば奇妙な傾向を、国民や社会の意識に導入できると考えるなら、好きにすればいい。しかし彼らが絶対にやってはいけないことは、他の人たちに同じ方向に進むことを要求することだ。>

<1978年に行われたハーバード大学での演説で、ソルジェニーツィンは西洋について、「優越感の余韻の盲点」があると指摘した。それは今でも何も変わっていない。西側は自分たちの無謬性に自信を持ち、さらに踏み込んで、それを嫌う者を廃絶しようと考えている。>

<西側のイデオロギー論者は、国家システムとして彼らの自由主義モデルが唯一無二だと主張する。傲慢にも彼らは侮蔑的に他のバリエーションや形態を拒否してきた。しかも西洋が課したルールから自由になろうとする動きがあれば、すぐにそれを罰しようとする。このやり方は植民地時代から確立されたもので、自分たち以外は皆二流の人間とみなすものだ。>

<欧米が医薬品や食用作物の種を他国に売る場合、その国の医薬品や品種改良を殺すように命令して、機械や設備を供給し、地域のエンジニアリングを破壊してきた。ある商品群の市場を開放した途端、現地の生産者は「寝たきり」となり、市場や資源が奪われ、各国が技術的・科学的な潜在能力を奪われていく。これは奴隷化に他ならず、経済を原始的なレベルまで低下させるものだ。>

 ここでプーチンが指摘していることは、その通りなのだろうという他ない。

経済制裁下でのロシア経済について

 ここでは米英が科した経済・金融制裁下の、ロシア経済の現状と見通しについて述べている。

<ウクライナ戦争における米欧の目的はロシアをより脆弱にすることだ。ロシアを自国の地政学的目標を達成するための道具にすることだ。しかしそのようなシナリオはロシアに関しては巧くいかなかったし、これからも巧くいかないだろう。>

<金やユーロ・ドル建ての外貨準備の凍結など、多くの制裁措置がとられているが、欧米諸国による対ロシア経済制裁は失敗している。米国と欧米諸国はドルを武器として使い、国際通貨制度の信用を失墜させた。ドルやユーロ圏のインフレによって通貨を下落させ、ロシアの外貨準備を略奪した。今後ドル決済から自国通貨建て決済への移行が進むことはもはや避けられない。>

<経済制裁下で、我々は全てを生産できないことを理解している。しかし、ロシア経済は概ね経済制裁の状況に適応してきた。輸出入ともに新しいサプライチェーンを構築し、それに伴うコストを削減するためにやるべきことがたくさんあるが、一般的には困難のピークは過ぎた。今後はより安定し、より主権的なプラットフォームでさらに発展していくだろう。>

<モスクワは自分たちが存在し自由に未来を拓く権利を守ろうとしているだけで、新しい覇権になるつもりなどない。同時に、ロシアは独立した別個の文明として、自らを西側諸国の敵と考えたことはないし、考えてもいない。>

 経済に関する制裁の影響は長期化する程深刻さを増してゆくだろうから、プーチンの状況認識は「これまでのところは」と受け止めるのが適切だろう。日用品については隣国のベラルーシなどから調達できるだろうが、ミサイルや航空機やエネルギープラントなどで使われている西側のハイテク部品、特に半導体や素材は容易には代替できないものであり、1年が経過したこれから深刻化してゆくことが予測される。

 プーチンの発言の中で、制裁の結果決済手段としてドルを使わないエネルギー取引が増大しており、長期的展望に立てばドル覇権の弱体化が進むことを指摘している点は重要だ。

多極化世界への呼びかけ

 バルダイ・クラブにおいてプーチンが発信したメッセージの中で、ここが核心の部分である。「プーチンは一体誰と戦っているのか」という問いの答えがここにある。

 プーチンは、<米国が法の秩序を要求する一方で、それに従わない相手を力づくに威圧することは、もはやできない>として、多極化世界への移行(a transition to a multipolar world)に向けて結集を呼びかけた。

<我々は歴史的な分岐点に立っている。我々の前には、恐らくWW2以降最も危険で、予測不可能で、同時に重要な10年間が待っている。>

<我々には二つの選択肢がある。一つはやがて崩壊することが避けられない問題を、我々全員が今後も背負い続けてゆく道(すなわち米国への追随)であり、もう一つは協力して解を見つけて不完全ではあるが世界をより安全に安定にすることができるよう努力を続ける道(多極化の追求)だ。>

<私は常識の力を信じている。遅かれ早かれ、多極化した世界秩序の新しい中心地と西側諸国は、共通の将来について対等に話し合いを始めなければならないと確信している。>

 プーチンは多極化世界へ移行するための呼びかけを行っている。プーチンは<多極化世界における真の民主主義とは、いかなる国家や社会も、自らの社会政治システムとその進路を選択する能力を有することを意味する。>と強調した。

 今後世界が多極化に向かうのかどうかという問いは、これだけで大きなテーマであるに違いない。一方で、ソ連崩壊以降の歴史を概観すれば、中国やBRICSが台頭し、グローバルサウスの発言力が増大し、相対的にアメリカが弱体化しているという大きな動向は既に顕在化している。

年次教書演説での注目発言

 プーチン大統領は2月21日にモスクワで恒例の年次教書演説を行った。注目すべき箇所を以下に引用する。(産経新聞、2月22日)

<米欧がロシアを永遠に滅ぼそうとしている。ナチスと同じく、米欧はロシアへの攻撃を企図している。ウクライナを取り込み対露攻撃の手先にしようとした。>

 つまり(ロシアにウクライナ戦争に踏み切らせた)米欧の目的はロシアを滅ぼすことにあり、そのためにウクライナを利用した(戦場にした)。プーチンはそう認識している。

<軍事作戦の目的はウクライナから米欧の影響力を排除することだった。2014年の政変(マイダン革命)でウクライナに生まれたネオナチ政権がもたらした脅威を取り除き安全を確保するため、特別軍事作戦を実行した。2014年からドンバスの住民はロシアが助けに来てくれるのを待っていた。>

<だが我々の背後には全く別のシナリオが用意されていた。ドンバスでの平和を実現するという西側の指導者の約束は真っ赤な嘘だった。>

 この「約束」というのが何を指しているのかは不明だが、「全く別のシナリオ」とは、ロシアに軍事侵攻させてロシアを滅ぼす戦争を始めることを指していると解釈される。

<強調したいのは、軍事作戦前に既にキエフ政権と西側の間で、防空システムや戦闘機などの供与についての交渉が行われていたことだ。キエフは核兵器を受け取ろうとしたことも覚えている。西側によって奴隷にされたウクライナを、大きな戦争に向けて準備させた。私たちはウクライナの国民と戦っていない。彼らはキエフ政権と西側の飼い主の人質になった。ウクライナでの紛争がエスカレートした責任は西側諸国とキエフ政権にある。>

<西側はロシアに経済制裁を加えたが、何も得られなかった。2022年のGDP減少は20~25%と予想されたが、2.1%の減少に留まった。ロシアは経済のゆがみを回避して新たな成長サイクルに突入した。>

 プーチンの「我々の背後には全く別のシナリオが用意されていた。・・・米欧がロシアを永遠に滅ぼそうとしている。」という発言は、後述するようにとても重要である。なぜなら元KGB出身のプーチンであるから、「米欧が準備を整えてロシアがウクライナに軍事侵攻するのを待ち構えている」ことは当然把握していたと思われるが、それがロシアを滅ぼすシナリオの発動になることまでは読み切れていなかったと告白、あるいは言い訳しているからである。

プーチン大統領の視点・論点(まとめ)

 バルダイ・クラブにおいて、プーチンはウクライナ戦争について自らの認識を丁寧に語ったように思われる。資料を読む限り、全般にわたってトーンは客観的であり、資料3の青山貞一教授は、「深く民主的である」と評している。

 プーチンの認識として重要なポイントは三点に整理されるだろう。

 第一は、ゴルバチョフによるソ連解体も、エリツィン時代に行われたオリガルヒによるロシア天然資源の掠奪も、舞台裏ではアメリカによるシナリオがあり工作が行われていた。そしてアメリカによって弱体化されたロシアを自分が立て直してきたその過程で、2014年にマイダン革命が起きた。クーデターによって親露政権が倒されて現在の親米のゼレンスキー政権(ネオナチ政権)が登場した。

 第二は、軍事作戦の目的は2014年から待っていたドンバスのロシア系住民を救出し、ウクライナから米欧の影響力を排除することだったが、ここには全く別のシナリオが周到に用意されていた。すなわちロシアにウクライナへ軍事侵攻をさせておいて、それを名目としてロシアを滅ぼすシナリオを発動するというアメリカの深謀遠慮があった。

 そして第三は、大統領職に就任して以来、ロシアはアメリカの敵ではないと丁寧に説明してきたにも拘わらず、アメリカは自分たちの民主主義形態以外を認めず、自分たちが作るルールを国際秩序と位置付けて、それに従わない国を弾圧してきた。世界はこれからもアメリカ1強体制の中でアメリカが作るルールと圧力に屈して生きるのか、それとも各国の歴史と多様性を大事にする「多極化」の世界を作っていくのか、我々は歴史の分岐点に立っている。

 プーチンのこの認識を踏まえて、「プーチンは一体誰と戦っているのか」という問いを考えてみよう。既に明らかなように、ウクライナ戦争は三階層の構造を持っている。①ロシア対ウクライナの地上戦、②ロシア対 NATOのエネルギーを含めた地政学を巡る戦争、③ロシア対アメリカの世界秩序の形態(多極化か米国1強体制の継続)を賭けた覇権戦争の三つである。

 既に開戦から1年が経過した現在、1月までに各国が表明したウクライナへの軍事支援は総額で622億ユーロ(約8.9兆円)に上り、ロシアの2021年の軍事支出に匹敵するという。この支援が続く限り、ロシアが①の戦争で勝利を収めることは困難だと言わざるを得ない。なぜならウクライナ戦争は、ウクライナが戦場と兵を提供し、欧米が武器とインテリジェンスを提供して行われている、実質はNATOとロシアとの戦争であるからだ。

 そして、もし①でロシアが敗退すればウクライナを含む周辺国のロシア離れは加速し、ロシアが弱体化し、EUとNATOの拡大が再び進む結果、②の欧州を中心とした地政学の構図が大きく変わることになる。

 一方で、ノルドストリーム爆破がアメリカの作戦によって実行された可能性が濃厚であり、プーチンが言うようにアメリカの傲慢で何でもありの行動に対し、アメリカ離れが徐々に進行してゆけば、世界は自ずと多極化に向かうことになる。

 プーチンが「我々は歴史的な分岐点に立っている。我々の前には、おそらくWW2以降最も危険で、予測不可能で、同時に重要な10年間が待っている。」と述べた真意はここにあると思われる。

-第3部に続く-

ウクライナ戦争の深層(1)

世界の近代史を概観する

 ロシアがウクライナに軍事侵攻してから1年が経過した。20世紀の戦争と異なり、世界の監視網の中で行われた戦争であり、1年の間に膨大な情報がもたらされた。この結果、ウクライナ戦争が我々現代人に投げかけてきたメッセージは1年前とかなり様変わりしてきた。重要と思われる論点が二つある。

 第一は、「戦争の世紀」と言われた20世紀までに終わったと信じていた、砲弾が飛び交う戦争が再現されたことである。対テロ戦やゲリラ戦と異なり、国と国との戦争がライブで報道されたこと自体が驚愕であった。一方で、兵器の進歩は目覚ましく、衛星を使った情報戦争、メディアが繰り広げたプロパガンダ戦争、ドローン兵器によるハイテク戦闘が、20世紀の戦争の常識と概念を根底から変えたことを目の当たりにした。

 第二は、1年前の認識では一方的に軍事力を行使したロシアに100%の責任と非があると思い込んでいたものが、欧州の歴史に綴られた大きな物語の一幕としてウクライナ戦争を俯瞰すると、話はそう単純ではないことに気付かされたことである。

 ウクライナ戦争は今後どうなるのだろうか。ロシア、ウクライナ両国の継戦能力、アメリカとNATOによるウクライナ支援の継続性、ロシア経済の経済・金融制裁下での耐力は、今後どう変化してゆくだろうか。両国が受容できる停戦合意は存在するのだろうか。もしロシアの敗北が濃厚になればロシアは核兵器使用に踏み切るのだろうか。また戦争が拡大して第三次世界大戦(WW3)に拡大する可能性はどれほど高いのだろうか。ウクライナ戦争が世界経済とドル基軸通貨体制に与える影響はどこまで進むのだろうか。さらにはウクライナ戦争が根底から破壊してしまった世界秩序の再構築はどのように進むだろうか。

 これら多くの疑問に対して、現時点で確かなことは、今後の展望は容易には予測できないということだ。

 ウクライナ戦争の終結とその後の世界について考えるためには、複数の視点から多面的に、かつ歴史を踏まえた時間軸の変化として捉えることが最低限必要である。私は歴史家ではないことをお断りした上で、考察を加えてみようと思う。『ウクライナ戦争の深層』と題した記事を三部作で書くこととする。第1部では、ウクライナ戦争に至る因果関係を歴史から概観し、第2部ではプーチン大統領の視点・論点に立って考え、それを踏まえて第3部でウクライナ戦争の深層について考えるというステップで書くこととする。

 第1部では、近代以降の人類史を、欧州を中心に時間軸と空間軸の上に巨視的にプロットしてみる。その上で歴史が物語っていることを要約する。

 本記事を書くにあたり、馬渕睦夫氏と渡辺惣樹氏共著による『謀略と捏造の200年戦争』(徳間書店)を参照した。

 近代史を大きく俯瞰するため、まず時間軸では18世紀後半に起きたアメリカの独立戦争とフランス革命以降の重大事件に注目し、空間軸では近代史を綴ってきた主要6か国と1民族に注目することとする。6ヵ国とは、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、ロシアと日本である。

 欧州が舞台であることと、ウクライナ戦争への関与の大きさと深さを考えれば、日本を入れるのは適切ではないのだが、日露戦争と第二次世界大戦の当事国であったことと、ウクライナ戦争後の展開に否応なしに、かつ相当な危機を伴って巻き込まれてゆくことを考慮して、敢えて日本を入れて日本はどう行動すべきなのかを考える一助としたい。1民族は言うまでもなくユダヤである。

近代国家の起源

 近代国家の基本的形態として、欧米と日本に定着しているのは自由・民主主義と資本主義である。その起源はアメリカ独立戦争とフランス革命という、二つの市民革命(ブルジョア革命)に遡る。図1はアメリカ独立戦争から南北戦争までの重大事件をプロットしたものである。

 世界の近代史を振り返ると、戦争や革命等の重大事件の重要アクターとしてユダヤ人の存在があった。そして18世紀末にナポレオンが欧州各地にあったユダヤ人居住地ゲットー(Ghetto)に閉じ込められていたユダヤ人を解放したことが、彼らが世界の重大事件に関与するようになる起点となった。

 ゲットーの開放以降、才覚あるユダヤの金融資本家たちが欧州世界で活発な活動を始めた。その代表的存在がロスチャイルド(Rothschild)家である。マイアー・ロートシルト(Mayer Rothschild)はフランクフルトのゲットー出身のユダヤ人で、1760年に銀行業を確立した。その後5人の息子がフランクフルト、ウィーン、パリ、ロンドン、ナポリで銀行業を始めた。

 戦争や革命では当事者の双方が莫大な資金と武器を必要とする。ユダヤ人の金融資本家がそれを提供し、金利で儲ける活動を本格化させたのはフランス革命以降のことだった。彼らはナポレオン戦争、ウィーン会議、南北戦争、ロシア革命等の国際的事件で暗躍し、巨額の富を築き強大な力を獲得していった。

 ウィーン会議はフランス革命とナポレオン戦争で混乱した欧州の秩序を取り戻すために開かれた調停の場だった。ここで一つ重要なことは、ウィーン会議直後に、国際紛争が起きた時に政治的に圏外に立つために、スイスが永世中立国という選択をしたことだ。これは戦争が起きても安心して金融業を続ける拠点として好都合であり、金融資本家が活動の場として作ったことに注目する必要がある。

 1848年にはマルクスが『共産党宣言』を発表した。マルクスが目指したのはプロレタリア革命(資本主義を社会主義に転換する革命)であり、マルクスが提唱した共産主義を忠実に実現した国家は未だに登場していないものの、共産主義のイデオロギーが20世紀以降の世界史に大きな影響を与えたことは言うまでもない。

 アメリカ南北戦争において英仏両国は南部に加担し、ロシアは北部のリンカーンを支援した。ロスチャイルドはリンカーンに資金提供を申し出たが、リンカーンはそれを断り、政府の信用をもとに独自の紙幣を発行して危機を乗り切り、南北戦争に勝利した。そしてリンカーンは暗殺された。天下分け目の戦争が起きるとき、政治の裏舞台でロスチャイルド等の金融資本家の暗躍があったことは事実であり、それは現代においても変わっていない。

 欧州各国において銀行業として成功を収めた金融資本家が次に画策したのは、国立ではない民間銀行を株主とする中央銀行の設立だった。設立の狙いは、通貨発行権を持ち金融政策を担う中央銀行をコントロールすることで巨額の利益を得ることにあった。

 1860年代後半~70年代初頭は第二次産業革命と呼ばれ、ドイツ、フランス、アメリカの工業力が飛躍的に向上した時期である。中でもドイツの興隆は目覚ましく、1870年に普仏戦争でナポレオン三世率いるフランスを破ってパリに入城を果たしている。1871年にはヴィルヘルム1世がドイツ帝国を創設した。

戦争の世紀の始まり

 図2は20世紀初めに起きた重大事件をプロットしたものである。

 1902年に締結された日英同盟が、主に資金と物資と情報を獲得する上で、日露戦争の勝利に大きな貢献をしたことは事実である。一方、これを英国の視点から眺めると別の思惑が見えてくる。即ち、日英同盟はイギリスに代わって日本がロシアと戦う代理戦争のための布石であり、同時に欧州一の工業国として台頭したドイツに対し包囲網を形成する目論見があったことだ。日本は欧州に位置しないものの、欧州での戦争が世界レベルに拡大してゆく過程で、イギリスの戦略に組み込まれていったのだった。

 日本は日露戦争の資金として、ロスチャイルドやニューヨークの金融資本家から総額13億円(一般歳入の5倍)を調達している。ちなみに日露戦争の戦費総額は18.3億円(一般歳入の7倍)だった。

 1913年に設立されたアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)は、国立の日本銀行と異なり、ロスチャイルド、ロックフェラー他の金融資本家が設立した民間による中央銀行である。1930年にはスイスに国際決済銀行(BIS)が設置されており、金融資本家は世界規模で着実に活動の基盤を強化していったことが分かる。

 欧州の歴史は、長期に及ぶフランスとドイツによる覇権争いの歴史だった。第一次世界大戦(WW1)では、本来オーストリアとセルビア間の局地戦争だったものが、戦争直前にオーストリアはドイツの、セルビアはロシアの支援を取り付けていた。さらに当時ロシアとフランスは良好な関係にあり、欧州最強となったドイツに対し両国は早い時点から戦争を意図していた。このような背景の中で、僅か数日間で戦線が拡大し欧州大戦に発展したのだった。

 そしてドイツはシーパワーのイギリスと対峙することとなった。イギリスはフランス、ロシア、アメリカ、日本と個別の「協商」や「同盟」関係を結んでドイツ包囲網を形成し、WW1でドイツを破った。日英同盟はこの一環だったのである。

 WW1でも金融資本家が暗躍した。ロスチャイルドは英国の参戦を阻止しようとし、ロックフェラー等ニューヨークの金融資本家はアメリカを参戦させるべくウィルソン大統領の側近たちと共謀した。

 ロシア革命はロシアの少数民族だったユダヤ人を開放するために、国外に亡命していたユダヤ人がロンドンやニューヨークのユダヤ系金融資本家の支援を受けて起こしたユダヤ革命だった。マルクスが目指したプロレタリア革命とは無関係の権力闘争だった。レーニンは大戦中に起きたロシア革命に成功したものの、ドイツとの戦争では敗北した。ドイツも米軍が本格的に参戦した結果、敗北した。そして共産主義者が扇動したドイツ革命が起きドイツ帝国は崩壊した。

 以上が、「戦争の世紀」20世紀初頭に起きた戦争の大掴みな記録である。

第二次世界大戦からウクライナ戦争へ

 WW1の講和会議で採択されたヴェルサイユ条約において、英仏両国は返済が困難な賠償金をドイツに科した。これがヒトラー政権を誕生させ第二次世界大戦(WW2)の原因となった。

 図3はWW2以降の重大事件をプロットしたものである。

 ヒトラーはそもそも反ユダヤではなく強烈な反共産主義だった。ロシアにユダヤ人が多いため、次第に反ユダヤとなっていったのが真相であるらしい。イギリスもドイツに対しては宥和的でむしろロシアを警戒していた。

 これに対してアメリカのウィルソン大統領はロシア革命をブルジョア革命とみなして賛美し、革命政権に資金援助を行っている。さらにフランクリン・ルーズベルト大統領は反ヒトラーのユダヤ系スタッフに囲まれていて、ヒトラーに開戦させるためにポーランドに住むドイツ人の虐殺を仕組んだ。ドイツを全体主義国家とみなし、英仏に対してもドイツとの妥協や交渉を禁じた。共産主義ロシアは日本やドイツにとって脅威であり、欧州や日本が共産主義と戦っている中で、ルーズベルトはソ連を承認している。

 このように、ウィルソンとルーズベルトは共産主義ソ連(本来の脅威)を支援し、ドイツと日本(冷戦以降の同盟国)を戦争に追い込んで滅ぼすという、重大な誤りを犯したことになる。戦後の国際秩序から評価すれば、WW2を回避できた可能性を含めて、この二人はWW2における「真のA級戦犯」だったのではないだろうか。

 19世紀以降の歴史において、金融資本家と軍産複合体は戦争や革命を起こして双方に資金と兵器を提供することで儲けてきた。馬渕睦夫氏は、著書の中で「東西冷戦は国際金融勢力が自ら樹立したソ連という国家を使って、(強大になり過ぎた)アメリカを解体しようと狙ったものである。WW2後、アメリカは世界の富の半分を所有する程の超大国に躍り出た。このような軍事力や経済力を備え、かつ精神的にも健全なアメリカの一人勝ちは、世界支配を意図する金融資本家にとって邪魔な存在だった。」と書いている。この分析に立つと、アメリカが中国の建国を支援し、勝てる戦争だった朝鮮戦争やベトナム戦争で意図的に勝ちを放棄した歴史が説明できる。

 その後1980年代以降、新自由主義とグローバリズムが進展した結果、アメリカで貧困層が拡大し産業の空洞化と超格差社会が進んだ。結局、アメリカ自身が最大の犠牲者となり、中国が最大の受益者となったのだった。同時にソ連が崩壊し、旧東欧諸国が相次いで民主主義化してEUに参加していった。つまり、ソ連の解体とアメリカの弱体化、中国の急速な台頭という地政学的な大変化が同時に進行したことになる。世界が不安定化の方向に変化したのである。

 ソ連崩壊後の2000~05年に旧東欧諸国で民主化を掲げた『カラー革命』が起き、政権交代が相次いだ。2010年末にはチュニジアで『ジャスミン革命』が起きてアラブ世界に波及し、2010~12年にはいわゆる『アラブの春』が起きた。さらに、2014年にはウクライナで『マイダン革命』と呼ばれた騒乱が起きて、親露派のヤヌコーヴィッチ大統領がロシアへ亡命して暫定政権が誕生した。ロシアは暫定政権を否定し、ヤヌコーヴィッチ政権の崩壊をクーデターによるものとみなした。『カラー革命』から2014年の『マイダン革命』に至る旧共産国やアラブ世界で起きた一連の革命の背後には、ジョージソロスが設立したオープン・ソサエティ財団の支援や、アメリカによる工作があった可能性が濃厚である。

ウクライナ戦争、誰が誰と戦っているのか

 2022年にロシアがウクライナに軍事侵攻した。それ以降、欧米からの軍事支援を受けたウクライナはロシアと消耗戦を1年続けてきた。最近ではロシアの劣勢が鮮明になってきた感がある。ここで二つの問いを考えてみたい。最初の問いは「ゼレンスキーは誰と戦っているのか?」である。この答えは簡単で言うまでもないだろう。

 では次の問い「プーチンは一体誰と戦っているのか?」はどうだろうか。この問いに的確に答えるためには、ウクライナ 戦争の歴史と深層についての理解が必要である。

ウクライナ戦争に至る歴史が物語ること

 以上、アメリカ独立戦争からウクライナ戦争に至る近代史をザクっと概観してみた。この歴史が物語っていることを要約して、第1部を締め括ることとする。第2部ではプーチンの視点・論点について考察し、第3部では総括としてウクライナ戦争の深層について考察を加えて、ウクライナが起こした変化について考えてみたい。

(1)世界の歴史を紡ぐアクターは国だけではない。歴史では主要国に匹敵するパワーを持ったアクターが存在してきた。既にみてきたように、彼らはアメリカ独立戦争以降の戦争や革命において、大きな影響力を行使してきた。その最強の勢力はユダヤの金融資本家である。

(2)現代社会の国家の形態は、欧米と日本に代表される自由と民主主義・資本主義の形態と、「それ以外」の二つに大別されるだろう。二つの国家形態はアメリカ独立戦争とフランス革命、さらにはマルクスの共産党宣言を起源として生まれたものである。「それ以外」にはロシアや中国の形態が含まれるが、国家の形態の違いが現代の大きな対立を生んでいる原因となっていることは言うまでもない。

(3)戦争や革命は20世紀で終わることなく現代まで続いてきた。その理由は、第一に国家間の対立があるからであり、第二に意図的に戦争や革命を起こし、世界を不安定化させることによって大きく儲けようとする集団が今でも存在するからである。

(4)歴史を回顧すれば、ヒトラーがポーランドに軍事侵攻してWW2が始まったのも、日本が真珠湾を奇襲攻撃して大東亜戦争が始まったのも、ドイツや日本が自発的に起こしたものではなく、巧妙に仕組まれ挑発された結果だったことが既に明らかになっている。朝鮮戦争やベトナム戦争、イラク戦争にも同じ構図があった。またカラー革命もアラブの春も自然発生的な事件ではなく、仕組まれて起きた事件だった。そのような戦争や革命の大半を仕組んできたアクターは、米英両国と金融資本家だった可能性が高い。

(5)近代史をそのように概観するとき、ウクライナ戦争でも類似の工作が行われた事実に容易に気付かされる。少なくともウクライナ戦争は単独に起きたのではなく、ソ連の崩壊、旧東欧諸国の独立とEU及びNATOへの加盟、2014年のマイダン革命という流れの延長線上で起きたことは明白である。さらにプーチン大統領が軍事行動を起こすように、バイデン大統領が執拗に挑発してきたことも記憶に新しい。

 現代ビジネスの2月17日版に、長谷川幸洋氏が「バイデンのヤバい破壊工作が暴露された」という記事を書いている。米国の著名なジャーナリストであるシーモア・ハーシュ氏が「ロシアからドイツに天然ガスを供給するパイプライン『ノルドストリーム』を海底で爆破したのは米国の仕業だった」という記事(※)を紹介した記事である。

 シーモア・マイロ・ハーシュ(Seymour Myron “Sy” Hersh)の著書には、邦訳本が出版されているものでも、『目標は撃墜された-大韓航空機事件の真実』、『アメリカの秘密戦争-9.11からアブグレイブへの道』などがある。

(※)https://seymourhersh.substack.com/p/how-america-took-out-the-nord-stream

(第2部に続く)

演技かそれとも無知か

総理発言も官房長官答弁もデタラメ

1月24日、参院本会議での岸田首相答弁

 「国債は政府の負債であり国民の借金ではありませんが、国債の償還や利払いに当たっては、将来国民の皆様に対して、税金等でご負担頂くことなどが必要であり、また、将来仮に政府の債務管理について市場からの資金調達が困難となれば、経済社会や国民生活に甚大な影響を及ぼすことにもなります。」

2022年12月16日、「安保3文書」閣議決定に伴う記者会見での岸田総理答弁

 「防衛力を抜本的に強化するということは、戦闘機やミサイルを購入するということだ。これを借金で賄うことが本当に良いのか。やはり安定的な財源を確保すべきだと考えた。」

1月12日「60年ルール」の撤廃・延長に対する松野官房長官の記者会見

 「財政に対する市場の信認を損ねかねないなどの論点がある。」

上記3つの答弁には基本的な認識の誤りがある。以下に明記する。

 ≪国債の償還や利払いの国民負担≫について、正しい理解は次のとおりである。

(1)当たり前だが、国債が本当に政府の借金ならば返済するのは政府で、おカネを借りていない国民が返済の負担を強いられるの?(1月23日、三橋貴明ブログから引用)

(2)日銀券は日本銀行が発行した貨幣で日銀の負債であり、国債は政府が発行した貨幣で政府の負債である。何れも借金ではないので返済不要である。

 ≪将来、市場からの資金調達が困難となれば、経済社会や国民生活に甚大な影響を及ぼす≫に関する正しい理解は、1月19日に開催された自民党の「防衛増額に向け税以外の財源捻出を検討する特命委員会」(以下、特命委員会)における西田昌司副委員長と財務官僚の応答に尽くされている。詳細は後段で紹介するとして、要点を以下に述べる。

(3)政府が国債を発行して政策を行うことは財政出動であり、その分GDPが増え経済を活性化させる。民間からすれば国債を購入することは資産を増やすことである。

(4)民間側に十分な資金がある限り、資金調達が困難になることはない。何故なら民間からすれば銀行預金よりも高い利回りが得られ、株式よりも安全性が高いからだ。

 ≪防衛力を抜本的に強化するということは、戦闘機やミサイルを購入するということだ。これを借金で賄うことが本当に良いのか。安定的な財源を確保すべきだ。≫についての正しい理解は次のとおりである。

(5)(2)で述べたように、国債は政府が発行した貨幣で政府の負債である。日銀券が借金ではないように、国債も借金ではない。国債が借金だという間違った理解は、60年後に元本を返済しなければならないという、根拠のない「60年償還ルール」から来ていると思われる。

 国債の「60年ルール」の撤廃・延長について、≪「財政に対する市場の信認を損ねかねないなどの論点がある≫について、正しい理解は次のとおりである。

(6)官房長官の発言は財務省の代弁であることが明白だ。「60年償還ルール」はそもそも諸外国では廃れたルールであり、60年という年限にも特段の根拠はない。国債の償還については後段で詳しく論じる。

(7)かつて安倍政権のときに、平成26年に8%から10%への消費税引き上げ延期を決断する際に、財務省が今回と全く同じように「市場の信認」を理由に猛反対した。その時に安倍総理は次のように語ったという。「財務省は延期すれば日本は国際的信用を失い国債は暴落する。金利は手を付けられないぐらい上昇する。延期すれば財政健全化はできないと主張したが、そうした予測はことごとく外れた。永田町は財務省に引きずられているが財務省はずっと間違えてきた。彼らのストーリーに従う必要はない。」(1月26日、阿比留瑠比、産経紙面から引用)

 補足すれば、財務省は間違えたのではなく、政治家を脅迫してきたというのが真相だろう。

特命委員会での注目すべき応答

 特命委員会の副委員長(委員長は萩生田光一政調会長)を務める西田昌司参議院議員がユーチューブでビデオレターを発信している。1月19日に開催された第一回委員会における西田副委員長と財務省官僚の質疑応答は、政治家と財務官僚の迫真の応答であるので、是非、以下を視聴していただきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=ppDpmEgGKIk

 三橋貴明氏が1月23日の自身のブログ「どよめき~財務省が財政破綻論の嘘を認めた日~」で要点を解説している。国債の本質に関わる重要な応答なので、要点を引用する。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12785324669.html

西田:「財務省は防衛費増額について、増税(1兆円)に加えて剰余金や特別会計からカネをかき集めてきて賄うとなっているが、違うよね。国債で調達したおカネが余っているからそれでやるということでしょ?要するに国債でやるんでしょ?単に、新規国債発行をやりたくないから、意味不明な説明をしているんでしょ?」

財務官僚:「先生のおっしゃっている通りです。確かに特別会計から集めるとは言っても元々は国債発行でやっています」

西田:「国債発行が安定的にできているのは、民間金融資産がたくさんあるから。今後、高齢化等で民間預金が取り崩されれば国債を買い支えられなくなると言っているが嘘だよね。さらに、財務省は預貯金があるから国債が安定的に消化されていると言っているけど、そうじゃないよね。国債が1000兆円あるということは、その政府が財政支出したので、民間の預貯金が1000兆円増えたんだよね。逆に国債残高をゼロにすると、民間の預貯金が1000兆円減るよね?事実だよね、どうなんだ?」

財務官僚:「通貨の発行の仕組み上、西田先生のおっしゃる通りです。」

 この応答から、国債を巡る総理と官房長官の発言が如何に的外れかが明らかである。全てを承知の上で敢えて演じているのでなければ、お二人とも財務省のレクチャーを鵜呑みにしているということだ。

 財政に拘わらず政策に関して官僚は最強の専門家集団である。予算編成過程で政治家に情報と知見を提供するときに、国益よりも省益を優先して自省の利益を最大化しようと努めることは自然の行動だろう。従ってこの問題は政治家の方にある。政策を的確に遂行するためには、官僚が提供する情報と知見の真偽を見分ける眼が求められるのである。

 そのために必要な資質は物事を大局的に俯瞰することであり、その上で「国益と国力を最大化する」戦略と政策を組み立てる能力が、総理大臣を筆頭に閣僚には求められる。その資質と能力を持ち合わせない政治家は百戦錬磨の官僚に巧みに騙されることになる。

国債に関する正しい理解

 『防衛財源論争が炙り出した戦後レジーム』(https://kobosikosaho.com/daily/843/)で国債に関する記事を書いたので、そちらを参照していただきたい。今回は「国債の償還」について補足する。

 国債は満期を迎えると償還される。10年国債の場合、利息は10年間にわたって年2回支払われ、満期になると最後の利息と債権の額面が償還される。国債を保有していた個人や機関は国債の額面と利息を現金で受け取る。代わりに新たな1億円の国債が発行される。これを「借款債」と呼ぶ。こうして10年国債は10年目の満期に償還され消滅する。

 ところが実際の長期国債は10年満期であるにも拘わらず、一般会計において国債は60年で償還されることになっている。日本以外の諸外国は淡々と借り換えを繰り返しているだけで、「60年償還」などという意味不明のルールは存在しない。何故なら満期の時に償還済みだからだ。

 理解不能なのは、このようなGHQの恣意的な置き土産を、未だにバカ正直に運用しているのは何故かということだ。議員立法でも何でも、時代遅れで妥当性のないルールはさっさと改定することが政治家の役割ではないだろうか。

 もう一つ日銀による国債の購入について補足する。日銀が国債を買い取るという行為は、国債を日銀券に置き換えることを意味している。この場合、置き換えた時点で国債は消滅する。

 上記理解のもとに、我が国の政府と民間が保有する資産と負債を大局的に捉えると、次のとおりである。国債発行残高(普通国債)は1000兆円に迫り、日銀が買い取った国債はその1/2の500兆円を超えている。従って市中に残る国債残高は500兆円未満である。これに対して個人が保有する金融資産は2000兆円を超え、企業の内部留保は500兆円を超えている。一体何が問題だというのだろうか。

国力の最大化が最優先かつ最重要課題

 前の記事『防衛財源論争が炙り出した戦後レジーム』において、「政治家が議論すべき命題は防衛費の財源ではなく、国力の最大化である。国力の方程式が示すように、経済力と防衛力を同時に強化することが国家の命題である。」と書いた。

 では経済力と防衛力を同時に強化するためにどうすべきなのか。GDPの定義に戻って考えればその答えは明快である。

  GDP(国内総生産)=個人消費+民間投資+政府支出+純輸出

  GNP(国民総生産)=GDP+海外からの所得

 この式が明快に示す経済原理は、「個人がお金を消費し、企業が投資をし、政府が財政出動をすることがGDP、即ち経済規模を増大させる」ということである。経済成長とはより多くのおカネを使うことなのである。健全な経済は、収入が上昇しながら適度のインフレが進行してゆく状態をいう。

 それと真逆な状態がデフレである。デフレとは「個人が財布のひもを固く閉じ、企業が未来に向けた投資を渋り、政府が緊縮財政を優先して財政出動を抑制する」状態をいう。半導体産業が象徴するように、かつての日本の主力産業が衰退したのは、企業が未来への投資を怠った結果である。経営者と政治家が未来に対するビジョンを描かず、未来に向けた投資と財政出動を怠ってきた結果が「失われた30年」だったのである。

 GDPの定義が明示することは、政府が国債を発行して成長戦略を大胆に実行すれば、そのお金は民間に流れて経済を潤すという至極単純な道理である。民間の消費と企業の投資が充分でない局面では、つまりデフレ下において、国債発行はGDPを増やし経済を活発にする。逆に緊縮財政によって国債発行を絞ればGDPを減少させ経済を窒息させるのである。

岸田総理は何者か

 国際通貨基金(IMF)の経済見通しによると、2022年の名目GDP(予測値)は日本が3位で4.301兆ドル、ドイツが4位で4311兆ドルである。ドイツのGDPが約6.7%増えれば逆転するという。人口は日本が1億2千万人であるのに対してドイツは8千万人である。またドイツは2022年平均で物価上昇が8.7%とインフレ傾向が強い上に、時間あたりの労働生産性が日本よりも6割高いという。(1月23日、産経紙面から引用)

 ドイツの人口が日本の2/3であるにも拘らず、GDPで肩を並べるという現実は、日本経済が「失われた30年」で長期間低迷した結果である。しかも「失われた30年」は、デフレ下にあるにも拘わらず緊縮財政と消費税増税を繰り返してきた失政の結果であることは議論の余地がない。

 この事実を総括し、反省し、教訓を学び取った上で、政策を大胆に転換すべき時が今である。何故なら、不幸中の幸いといおうか、コロナ・パンデミックとウクライナ侵略戦争を契機にインフレが世界で進行しており、デフレで動かなかった日本経済も世界からの圧力に突き上げられる形でようやく大きく動こうとしているからだ。

 このタイミングで総理大臣の職にあるということは、岸田総理の使命は日本経済の再生に向けて政策を大胆に転換することにある筈だ。つまり防衛力と同時に経済力を増強する「国力の最大化」こそが政策目標である筈だ。それにも拘わらず、デフレから脱却できる好機が訪れているこのタイミングで、岸田首相は防衛力増強と子育て支援を理由に、再び増税を行う用意があることを繰り返し表明してきた。

 過去の失政に何も学ばずにまたぞろ増税を画策する岸田総理は、経済の基本原理すらも理解していない無知なのか、あるいは日本を弱体化しようとする勢力のパペットを演じているのか何れかだという他ない。

防衛財源論争が炙り出した戦後レジーム

プロローグ

 はじめに、岸田首相は歴代の首相ができなかった「戦後レジームの解体」を断行した。基盤的防衛力構想からの脱却、反撃能力の保有、防衛費の抜本的増強とGDP比2%の実現、それと自衛隊施設に建設国債を適用である。

 同時に岸田首相は、防衛費の財源として早々と増税を宣言した。これは、岸田首相にとって相応の反論を承知した上での確信犯的な一手だったと思われる。

 その結果、防衛費の財源問題を巡る岸田首相と自民党の対立が一気に高まった。同時に我が国の戦後政治に今も残る「戦後レジーム」の実態と限界を国民の前に曝け出すこととなった。本記事では防衛力増強の内容については触れず、財源問題に焦点を当てて考察を加える。

有識者会議の提言

 11月22日に、「防衛力強化に関する有識者会議」が開催され、提言案が首相に提出された。この提言書がその後の防衛費の財源を巡る政府・自民党間のバトルの淵源となった。

 提言書3章(2)に「財源の確保」という項がある。結論を先に言えば、この記述には三つの根本的な誤りがある。第一は財源の順序を①歳出改革、②いわゆる埋蔵金の活用、③不足分は増税としていること。第二は「国債発行が前提となることがあってはならない」とわざわざ断定していること。そして第三は三度行われた消費税増税が「失われた30年」の原因であったという教訓を無視していることである。

 財源の優先順序については後段で嘉悦大学教授高橋洋一氏の解説を、国債の理解については産経新聞編集委員兼論説委員の田村秀男氏の解説を、そして増税が如何に悪手かについては京都大学大学院教授藤井聡氏の解説を引用して説明する。

岸田首相のトップダウン

 岸田首相は11月28日に、鈴木俊一財務大臣と浜田靖一防衛大臣に対し、①5年以内に防衛力を緊急的に強化すること、②令和9年度に防衛費と補完する関連予算を合わせてGDP比2%に増額すること、③財源ありきではなく、さまざまな工夫をした上で防衛力を継続的に維持する議論を進めることを指示した。さらに12月5日に再び両大臣を呼び、防衛費として④5年で43兆円とするように指示した。

 これにより、従来の基盤的防衛力構想に決別すること、反撃能力を保有すること、5年後に防衛費をGDP比2%に引き上げることが決まった。「岸田政権において戦後レジームが解体された」と歴史に記録されることになるが、真の功労者は、「国家安全保障戦略」を策定して国際情勢を分析し、脅威を特定し有事のシナリオを想定して日本がとるべき対処を論理的に明確化した安倍元首相であることは言うまでもない。

 なお基盤的防衛力構想とは、日本の経済力が急成長していた昭和51年に三木内閣が打ち出したもので、「敵を想定しないで必要最小限の防衛力を整備する」構想だった。しかも防衛費を抑制する上限としてGDP比1%枠がこの時に決められた。

岸田首相の暴走

 そして12月8日に政府与党政策懇談会が開催された。この日の議題は、防衛3文書に関する国家安全保障戦略等についてのワーキングチームの協議状況だったが、経済安全保障を担当する高市早苗大臣と西村康稔大臣は呼ばれなかった。二大臣を欠席させた場で、岸田首相は唐突に「安定的な防衛力を維持するために、歳出改革や決算剰余金の活用、防衛力強化資金の創設に加えて、不足する1兆円超を増税で賄う。」ことを宣言したのである。

 この発言が衝撃波のように自民党内に伝搬し騒乱状態をもたらした。はじめに高市大臣が「企業が賃上げや投資をしたら、お金が回り、結果的に税収も増えます。再来年以降の防衛費財源なら、景況を見ながらじっくり考える時間はあります。賃上げマインドを冷やす発言を、このタイミングで発信された首相の真意が理解出来ません」とツイートした。

 続いて西村大臣も「今年の税収は過去最高の68兆円。今後5年間は大胆な投資・賃上げに集中し、成長軌道に乗せて税収増につなげるべき時。5年間が経済再生のラストチャンス。大変革期の中、バブル期に匹敵する企業の投資・賃上げ意欲の高まりに水を差すべきではない。」とツイートした。(以上、門田隆将、ZAKZAK、12月31日から引用)

 岸田首相判断の決定的な誤りは、国債を選択肢から除外して強引に増税路線を敷いた点にある。岸田首相は何故、高市・西村両大臣を欠席させて増税宣言を行ったのだろうか。

 そのヒントは、有識者会議の提言書の文面にある。提言書3章(2)「財源の確保」にわざわざ、「歴史を振り返れば、戦前、多額の国債が発行され、終戦直後にインフレが生じ、その過程で国債を保有していた国民の資産が犠牲になったという重い事実があった。第二次大戦後に、安定的な税制の確立を目指し税制改正がなされるなど国民の理解を得て歳入増の努力が重ねられてきたのはこうした歴史の教訓があったからだ。」という一文が挿入されているのだ。

 それにしても、有識者会議の提言書に何故こんな文言がわざわざ挿入されたのだろうか。「防衛力を抜本的に強化しなければならないが、先の大戦で軍部が暴走した二の舞を踏んではならない。」と警告しているようなものだ。有識者会議メンバーの中に、当時の軍備増強と今回の防衛力強化を重ねて考えるような時代錯誤の持ち主がいるとは思えない。

 田村秀男は12月3日の産経紙面で、以下のように述べている。「平和憲法とセットで施行された財政法は、財務省が増税や緊縮財政の法的根拠とするもので、第4条は国に歳出を税収などの範囲内に留めるよう求めている。これは、国債こそが戦争を引き起こす財源となると断じたGHQの指示に沿ったものである。一方で公共事業費の財源には国債発行を認める条項が付いている。建設国債がそれでインフラ整備という将来に向けた先行投資は国債発行で賄う。」

 想像の域を出ないが、有識者会議のメンバーを人選し報告書のドラフトを書いた官僚と、防衛力増強のあり方を議論した有識者の間に、いわゆる『官僚と御用学者の関係』があったことが疑われる。つまり予め報告書のドラフトは用意されていて、有識者が巧く利用された可能性が高い。しかも岸田首相は事前に官僚が用意したシナリオを読み上げるパペットを演じたことになる。暴走のドラマを演じるために、両大臣を外して異論反論が出ない舞台を設定したと考えられる。全ては財務省が用意した脚本に基づいて展開されたドラマだった可能性が高い。

噴出した異論反論

 12月9日には自民党内で政調全体会議が開催された。首相が表明した「防衛費を巡る1兆円強の増税について、自民党内から怒号が飛ぶほどの批判が噴出した。発言した50人強の内40人程度が反対意見を表明したという。安定財源を確保するため、年内に増税の道筋をつけることに理解を示したのは十数人だった。」とメディアは伝えている。

 異論反論の代表的なものを整理すると、概ね次のとおりである。

  ①党内の議論はこれからだというのにいきなり増税は乱暴極まりない(大塚拓政調副会長)

  ②7月の参院選公約には増税方針に触れていないので公約違反だ(世耕弘成参院幹事長)

  ③増税で突っ走るのなら、解散総選挙で国民の判断を求めるべき(萩生田光一政調会長)

  ④首相の発言に真正面から反対、防衛増税という考え方に反対(青山繁晴参院議員)

国債か、それとも増税か

 そもそも防衛費の財源として国債と増税と何れが正しいのだろうか?

 田村秀男は12月3日の産経新聞紙面で、「防衛国債が日本に相応しい」と述べ、次のようにその理由を説明している。「防衛国債(建設国債を想定)は有り余るカネを吸い上げ、防衛力増強を財源の呪縛から解放する。防衛関連投資を軸にした経済力挽回の起爆材になり得る。ハイテク技術は軍民両用であり、軍事技術開発がそのまま経済全体の活力へと波及する。防衛国債によってカネの憂いをなくしハイテクを中心に日本独自のイノベーションを沸き起こす物語が始まる。産業基盤が充実すれば経済成長をもたらし、企業は付加価値を高め、雇用を拡大し、国民所得が増える。防衛国債を赤字国債ではなく、建設国債と同等に位置づけるのは真っ当だ。」

 高橋洋一は12月6日のZAKZAK紙面で、財源を考える順序は一般論として、①他の歳出カット、②建設国債対象、③その他収入(埋蔵金)、④自然増収、⑤増税だとした上で、次のように説明している。②については「一般会計予算総則」で海上保安庁の船舶建造費が公共事業として認められていて、巡視船は建設国債で建造されている。(安倍元首相が生前語ったように、防衛費は消耗費ではなく次の世代に祖国を残していく予算と考えて)、防衛省予算を一般会計予算総則で規定するのも有力案だ。③は円安の結果、外為特会では巨額の儲けがあり40兆円位捻出できるという。④自然増収は最も真っ当な方法だ。円安でGDPが増えるので法人税、所得税はかなり増収になる。その後も経済成長を続け名目成長を4%程度にできれば、その自然増収で防衛費増をかなり賄うことができる。

 藤井聡は12月14日の「東スポWEB」の中で、「今の経済状況は極めて厳しい不況下にあり、岸田首相の防衛増税論は愚の骨頂だ」と指摘する。その理由を次のように指摘している。増税は短期的に税収を拡大するが、長期にわたって経済を疲弊させ、最終的に財政を縮小させる。増税をしても税収が増えるとは限らない。そうした増税による税収減リスクを無視して、軽々にこの不況状況下で増税を唱えることは無責任の極みだ。増税の結果税収が減れば国債発行額が増える結果となる。防衛増税を行えば、経済力が弱体化し防衛力が中長期的に弱体化することが決定的となる。「経済再生なくして財政健全化なし」というように、経済成長をまず達成しその後に財政を健全化すべきである。その順番を間違えてはならない。

 ここで国債か増税かという二者択一の議論は、二つの誤った前提に基づく議論であることを指摘しておきたい。第一は「今後も日本は失われた30年の延長線にあって、経済成長が望めず税収増が期待できない」という前提があること、第二は国債→赤字国債→未来からの借金という思い込みがあることである。

命題は国力の最大化

 永続的に防衛費増強を実現するためには、安定的な経済成長が絶対要件となる。この意味から、政治家が議論すべき命題は「防衛費の財源」ではなく、「国力の最大化」であるべきだ。レイ・クラインが考案した国力の方程式が示すように、経済力と軍事力を同時に増加させることこそが国家にとっての命題である筈だ。

   国力の方程式:国力=(人口・領土+経済力+軍事力)×(戦略目的+国家意思)

 そうであるならば、「国力を最大化」するためのベストは国債発行でも増税でもなく、自然増収によって賄うことである。経済成長を実現することが死活的に不可欠なのだ。

 さらに加えるならば、真に防衛力を強化するためには防衛費を増額するだけでは不十分で、防衛産業基盤を抜本的に強化し、ハイテク技術力を世界一級のレベルに引き上げることが不可欠だ。すなわち「国力最大化」の長期戦略は、経済力、防衛力、産業基盤、技術力を一体として強化するものでなければならないのだ。そのためには防衛省と経産省、産業界とアカデミアの連携を抜本的に再構築しなければならない。

 そう考えれば、「防衛費の財源は何か」という問いそのものが間違っていることになる。「我が国の国力を最大化するための戦略は何か」と命題を再設定して考えるならば、田村秀男が言うように、「防衛国債が日本に相応しい」という結論に至ることは明白である。

 日本は四半世紀にわたり緊縮財政路線をとってきたために、GDPは低迷し防衛費は据え置かれてきた。歴代政権は経済が上向いたときにいつも増税という悪手を打ってきた。日本の経済力を脆弱化させてきたのはデフレであり、デフレをもたらしたのは、1997年、2014年、2019年の三度にわたる消費税増税だったことを肝に銘じなければならない。

 それにしても、政治家は何故財務省に騙されるのだろうか。「国力の最大化」戦略の障害として立ち塞がる存在が二つある。防衛力増強を財源問題に矮小化して増税を仕組もうとする財務省と、「防衛に係る技術開発は行わない」とタンカを切る一方で、中国の軍事技術開発には協力する日本学術会議である。この二つの存在もまた戦後レジームに他ならない。

 岸田首相の増税発言に対して異論反論が続出したが、政治家は単に増税と戦うだけでは不十分である。GHQが作為的に日本の政策に打ち込んだ楔である「戦後レジーム」を一日も早く解体する責任があることを自覚してもらいたい。

税制の前に成長戦略を論ぜよ

 結局、自民党の税制調査会が12月18日に「与党税制改正大綱」を決定し、1兆円増税を盛り込んだ。その骨子は以下の二つである。①来年からの5カ年で防衛費を43兆円に増額し、毎年の防衛予算を5.2兆円から8.9兆円へ3.7兆円増額する。②この3.7兆円を税収増(決算剰余金)0.7兆円、外為特会からの繰り入れ等(防衛力強化資金)0.9兆円、厚労省・国交省・文科省・農水省などの予算カット(歳出改革)1兆円で賄い、不足分1.1兆円を増税で賄う。

 藤井聡は「税制大綱の方針が採用される限り、増税&予算カット枠が年々拡大し、経済はどんどん疲弊していく。岸田内閣は増税と予算カットを繰り返すので景気が悪くなり、税収が早晩減少していくことは確実だ。」と指摘する。さらに、次のように警告する。

 「国は外国や災害によって滅び去るというよりもむしろ、政治における愚かしさによって滅び去ることが往々にしてある。正に今の日本は政府の愚かしさによって滅び去る瀬戸際に立たされている。防衛増税を回避する最も真っ当な手立ては全額建設国債で賄うことだ。」と。

 日本企業が抱える内部留保は2021年度に516兆円余になり、過去最高を記録した。これを賃上げや投資に回せば経済が回り税収が増加することになる。経済成長を軌道に乗せるためには、政府がインフラ投資などで先陣を切ると同時に、産業界から大規模な投資を促進させる環境を整備することが重要な政策となる。

 防衛財源を巡る今回の騒動が物語っていることは、国家の財政を決めるときに、増税しか考えない財務省と、税のあり方しか考えない自民党の税制調査会が主導権を握っているという建付け自体が間違っていることだ。

国債償還という旧弊を正せ

 萩生田氏は「年明けから政調で議論を始める。増税以外にさまざまな財源があることを示す」と語り、萩生田、世耕の二人は「まずは国債償還ルールを見直して償還費の一部で賄うことなどを検討すべき」と語った。

 世界で唯一日本だけが、全く意味のない「60年償還ルール」を頑なに守り、元金償還を予算に計上している。それに対して諸外国は元金の借り換えを繰り返し、利払費だけを計上しているという。この違いはどこから来るのか。答えは日本だけが「国債は国の借金だから返さなければならない」と思い込んでいることにある。

 そもそも国債とは何だろうか。誰もが知っている言葉であるにも拘わらず、これ程正しく理解されていない概念はないだろう。国債に係る根本的に誤った理解が二つある。一つは、「国債は民間からの借金である」という誤解であり、もう一つは、「満期を迎えた国債は税によって返済しなければならない」という誤解である。

 第一に、国債とは税収だけでは不足する予算分を民間から資金調達するために発行する債券であるというのが正しい認識である。政府が国債を発行し銀行がそれを購入することにより、政府は調達した資金を使用することができる。銀行は国債を保有する間、利払いを受けるので利息分は儲けとなる。

 第二に、国債には満期がある。銀行が満期が到来した国債を日銀に持ち込むと、日銀は同額の現金を新たに発行して、銀行が日銀に保有する当座預金口座に振り込む。こうして銀行が国債を購入するために支払った元金は、満期の時に日銀が通貨発行権を行使して返済する。このように国債に係る一連のおカネの流れは、政府-銀行-日銀間の金融取引なのである。

 2022年9月末時点で、普通国債の残高は約994兆円あり、その内の53%に当たる約526兆円を日銀が保有している。日銀に対する利払いは必要ないので、日銀は市中から購入した国債を帳簿上債権として計上しているだけである。しかも正味の国債残高は市中で保有されている約468兆円だけである。現在でも「国の借金が1000兆円を超える」という記事を日本経済新聞が書いているが、これは国民に対する脅しでありプロパガンダである。

 日銀は満期を迎えた国債を償還するために、同額の借款債(実際には割引債)を政府に発行するよう依頼する。政府が借款債を発行すると銀行がそれを購入して、政府に支払う現金は公債金として特別会計の国債整理基金に計上される。そして銀行は購入した借款債を日銀に持ち込むと、日銀は国債整理基金から当座預金口座に額面の金額を振り込む。この一連の手続きによって国債は消滅して現金化される。(参照:https://shin-geki.com/2021/03/14)

 2022年度当初予算における国債費は24兆3393億円で、その内償還費が16兆733億円(66%)、利払費が8兆2660億円(34%)だった。2023年度予算案には26兆9886億円の国債費が計上されている。意味のない「国債の償還」という旧弊を撤廃するだけで、国債費の66%相当(岸田首相が宣言した増税分約1兆円の17倍に相当)を削減できる。

 国債に関してもっと根本的で重要なことがある。それは「プライマリーバランスの黒字化」である。上記の説明で、「国債は民間からの借金であり、満期を迎えた国債は税によって返済しなければならない」という認識が間違っていることを示した。この結果、国や地方自治体などの基礎的な財政収支を黒字化するという「プライマリー・バランス(PB)の黒字化」もまた、自らの首を絞めるだけの旧弊であることを指摘しておきたい。

エピローグ

 要点を箇条書きにし、提言に代えたい。

第一、少子高齢化が進み社会保障費が増加する日本が、未来の世代に安全で豊かな国を残すために最優先で取り組むべき命題は「国力の最大化」であり、具体的には短期的な防衛力強化と、中長期的な経済成長である。

第二、「国力の最大化」のための財源としては建設国債を戦略的に活用し、経済成長と共に税収の自然増を活用することが正解で、経済成長が軌道に乗るまで増税は絶対にやってはならない。

第三、国債に対する誤った理解を正し、経済成長を妨げる国債償還とPB黒字化という制約を撤廃する。

第四、増税しか考えない財務省と、税のあり方しか議論しない税制調査会が主導権を握っている現在の建付けを解体し、「国力最大化」を戦略として推進する建付けに作り変える。

第五、国力最大化の障害として立ち塞がる戦後レジーム(制度、慣習等)を解体する。

奇跡の物語「超圧縮地球生物全史」

プロローグ

 『超圧縮地球生物全史』という本が注目を集めている。この本は地球編、生物編、サピエンス編からなる「奇跡の物語」を綴ったものである。46億年に及ぶ地球環境の変化と、生物の進化・絶滅の歴史は、地球由来及び太陽由来のエネルギーの変動と生物による秩序形成の歴史である。

 物語の舞台は地球、登場するアクターは生物であり、そこには個体毎の物語、種としての物語、生物全体としての物語が輻輳して綴られている。シナリオもゴールもない、偶然の結果が織り重なって綴られた物語である。

地球の誕生

 今から46億年前、当時の太陽系の近傍で超新星爆発が起きた。爆発によって吹き飛ばされた物質は重力作用で再集結し、太陽と惑星系が誕生した。地球周辺には超新星爆発で作り出された元素を含む豊富な物質に満ちていた。

 月のクレーターがその証拠なのだが、原始地球には小惑星、彗星等が頻繁に衝突を繰り返していた。その中には火星ほどの大きさの惑星があり、それが地球に衝突し、吹き飛ばされた物質が再結合して月が形成されたという大事件もあった。

 超新星が星の一生の終末期に爆発する事件は、宇宙では無数に起きている。ここで「奇跡の物語」と呼ぶに相応しいのは、超新星爆発で吹き飛ばされたさまざまな元素が重力作用によって再び集結して、高温高圧の星を誕生させ、核分裂反応によって新しい恒星として再び輝き出すことにある。

 元素の周期律表で鉄(元素番号26)よりも重いある金(同79)、銀(同47)、ウラン(92)などは、太陽の核融合反応では作ることができず、超新星爆発などの超高温超高圧状態で作られたものだ。地球上の鉱物資源だけでなく、我々生物の体にも、超新星爆発によって宇宙に放出された物質が再利用されている事実は、正に「奇跡の物語」である。

生命の誕生

 地球創成期の大気には豊富な水や炭酸ガス、メタン等があり、しかも太陽光線が充分に照射されていた。まだ陸地はなくやがて海の深部で生命が誕生した。海底は高温高圧状態にあり原始生命が合成された実験室だったと考えられる。超新星が作り出した重金属を含む多彩な元素が海底から供給されて、高温高圧状態の中で生物の基となる有機物が形成された。

 地球誕生から生物の出現まで数億年に及ぶ充分な時間があったことを考えると、原始生命が誕生するのは時間の問題だったと考えるべきなのだろう。地球の誕生が46億年前、原始生命の誕生は40~38億年前のことだった。

 地球における生命の祖はシアノバクテリアである。バクテリアは、やがて太陽エネルギーを使って、炭素、水素、酸素の原子から糖やデンプンを作り出す「光合成」という生命の仕組みを作り出した。これはエネルギーを使って生命の組織という秩序を作るという意味で、エントロピー則(万物の混沌化)に逆らうメカニズムであり、「生命の創生」という画期的な発明だった。

 後に「生命の進化」をもたらすことに貢献した奇跡はまだ他にもある。一つは古細菌と呼ばれる小さなバクテリア細胞が植物や動物の細胞の内部に入り込んで葉緑体やミトコンドリアとなり、エネルギー生成に係る中核機能となったことだ。

 光合成、葉緑体、ミトコンドリアという、それまでには存在していなかった画期的な機能を、生物は一体どうやって作り出したのだろうか。これも数億年に及ぶ充分すぎる時間の中で、充分すぎる試行錯誤を重ねて成し遂げた偶然の積み重ねだったのだろう。

 もう一つはシアノバクテリアが光合成を地球規模で行った結果、20億年に及ぶ歳月の間に大気の組成を作り換えてしまい、その後の酸素呼吸を行う生物が登場する基盤を整備したことだ。この事件は「大酸化イベント」と呼ばれる。

超大陸の形成

 地球に初めて大陸が形成されたのがいつかは分かっていない。大陸形成以前の地球は全てが海だったからであり、局所的に陸地があったとしても、記録として残っていないからだ。最初に超大陸が形成されたのは、19億年前に出現したヌーナ大陸だった。その後にロディニア大陸が形成された。

 海底にあった岩石が大規模な造山活動などによって地表面に運ばれると、大気中の二酸化炭素を吸収して風化する。この結果温室効果ガスが減少して地球が寒冷化する。超大陸が形成された時期が氷河期と重なるのはそういう理由による。

カンブリア爆発

 超大陸ロディニアが分裂したのは8.3~7.3億年前で、超大陸規模の風化が進んだ結果、地球が氷河時代に突入したのは7.2~6.4億年前だった。動物が出現し始めたのは6.4億年前頃で、カンブリア爆発」と呼ばれる動物の爆発的多様化は5.4~5.3億年前に起きた。これは現存する動物の祖先の全てが出そろった事件だった。地球創成の激動期が終わり、大陸が形成され、地殻変動が落ち着いてきた頃に動物の陸地への進出が始まり、新天地で動植物の多様性が進んだと解釈される。

生物進化の意味

 生物進化の物語を、物語がどう展開してきたかという視点から俯瞰すると、生物はバクテリア→真核生物→多細胞生物→動物と植物→恐竜→哺乳類→類人猿→サピエンスと進化し主役交代してきた。単純に捉えても生物進化という物語は、8幕からなることがわかる。

 一方これを個々の生物の視点からみれば、進化の本質とは、生物の個体が「獲物を獲得しつつかつ自らが獲物とならない」ように必死に生きてきた結果だった。その小さな物語の積み重ねを生物全体として眺めると、進化として見えるということなのだろう。

 さらに全体の本質を考えると、生物進化とはエネルギーを使って新たな秩序、しかもより複雑でより高度な秩序を作り出してきた生物の営みだったのだと理解することができる。

陸上への進出

 生物の陸上への進出が本格的に始まったのは、約4.7億年前のオルドビス紀の中頃だった。「デボン紀には海は魚でごった返していたにも拘らず、危険を冒してまで陸地に進出した生命体は殆どいなかった。それは陸上での生活が厳しいからだ。陸上に進出した開拓者にとって、そこは何もない宇宙と同じくらい過酷な環境だった。」と著者はいう。

 そして3.4億年前、パンゲア大陸が最終形態に収束しつつあった頃、陸地を制覇する動物の一群が登場した。

地球環境の変動

 最終的には寒冷化・氷河期または温暖化に辿り着く、地球環境の激変をもたらしてきた要因は三つあった。第一は惑星や隕石が次々に衝突して地球の構造を形成した力、第二は地殻構造が形成されていく過程で起きたプレート活動の力、そして第三は地球の天体運動の揺らぎによる太陽の照射エネルギーの変動である。

 地球誕生以降、時間の経過とともに第一の力が収まり、第二の力が安定化しつつある頃に生物が出現している。

 第三の力は地球の天体運動に係るもので、公転軌道の離心率の周期10万年、地軸の傾きの周期4.1万年、地軸の歳差運動2.6万年の三つの周期がもたらす、太陽からの照射エネルギーの周期的変動である。照射エネルギーが周期的に変動する結果、地球には周期的に寒冷期が到来する。この力は現在も継続している。

 ちなみに46億年が経過した現在、地球環境の変動をもたらしている力は、ゆったりとした大陸移動と散発的に起きる大規模な火山噴火、照射エネルギーの周期的変動、それと忘れた頃に起きる天体衝突である。

五回起きた大量絶滅

 カンブリア爆発以降「ビッグファイブ」と呼ばれる大量絶滅が5回起きた。科学技術振興機構が公開しているScience Portal(2021.3.10)によると、東北大学などの研究グループが、5回の内、白亜紀末の絶滅を除く4回の原因が何れも大噴火だったことを突きとめたという。(https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20210310_n01/

 地殻変動とそれが原因で起きる二酸化炭素の増減、それによる温暖化または寒冷化・氷河期の到来に翻弄されながら、生物はしぶとく進化を繰り返して生き延びてきた。生物に進化を促進したのは、地球の地殻変動と太陽照射エネルギーの変動だったのだ。

 5回の大量絶滅の中で、最後の絶滅だけが天体衝突によるものだった。これは何を物語っているのだろうか。

 第一に地球環境を激変させる規模の火山の噴火は4回、平均すれば1.1億年に1回の頻度で起きている。最後の大噴火は約2億年前であり、今後も起きる可能性が高い。

 第二に天体衝突はカンブリア爆発以降では白亜紀末の1回のみだが、ヤンガー・ドリヤス期の寒冷化事件(後述)も隕石の衝突が原因で起きた可能性が高い。地球創成期と比べて頻度も衝突の規模も減少していると考えられるが、再来する可能性は確実にある。

寒冷化

 「3000万年前までにパンゲア大陸から分離した大陸が南に移動して南極大陸となった。この結果、南極大陸を周回する海流が生まれ、熱帯で暖められた海流の接近を拒んだ。北極海でも永続的な氷冠ができた。」と著者はいう。

 700万年前以降、寒冷化する気候がサルから類人猿へ、類人猿から人類への進化をもたらした。人類が何故二足歩行になったのは謎のままだが、木の上の生活からサバンナでの生活へ追い立てたのは寒冷化だったと思われる。

 カンブリア爆発以降長期にわたり地球環境を激変させてきた力は、地殻変動に由来するものが優勢だった。それが250万年前以降では太陽照射エネルギーの変動が優勢になったと著者はいう。当時、既に極地には氷が張っており、寒冷化は地球に一連の氷河期をもたらした。

 最近の寒冷化で最も寒かったのは2万6000年前で、北米や欧州の北部は氷床の下に埋もれていた。氷の中に海水が閉じ込められていたため、平均海水面は現代より120メートルも低かった。

 ヤンガー・ドリヤス期は、最終氷期が終わり温暖化が始まった状態から急激に寒冷化(15度低下)した時代である。寒冷化は1万2900~1万1500年前にかけて北半球の高緯度で起きた。変化が短期間で、ビッグファイブに匹敵する規模ではないものの、原因は隕石の衝突によるものだった可能性が高い。恐らく隕石の衝突が原因の生物の局所的絶滅という事件は、生物史の中ではかなりの頻度で起きていたと考えるべきだろう。

サピエンスの登場と出アフリカ

 サピエンスが登場したのは20万年前頃で、その頃は長期的な寒冷期だった。著者によれば、サピエンスは20万年前には南欧に、18~10万年前には中東のレバント地方に進出していたという。さらに著者は「出アフリカには全体的なパターンがある。それは地球の軌道周期、特に2万6000年周期の歳差運動が原因で起きる周期的な寒冷化の変動と共に脈動していた。」という。端的に言えば、出アフリカは少なくとも4回以上あって、その動機が寒冷化だった可能性が高いということだ。

 著者が指摘しているもう一つの重要な点は、サピエンスよりも古い時代にアフリカを出て、ユーラシア大陸に暮らしていたネアンデルタール人やデニソワ人が滅んだ原因は、集団規模が大きいサピエンスに取り込まれてしまったことにあるということだ。

 サピエンスが他のホモ属と異なる点として、著書は「長老」という階層の存在を挙げている。「長い進化の中で初めて、複数の世代に知識を伝えられる種が現れた。・・・人間は学ぶだけでなく、教えることができる唯一の動物であり、それを可能としたのが長老たちだ。抽象的な情報が、カロリーと同じくらい大切な生存のための価値ある通貨になった。」と。

 恐らく世代を超えた知識と経験の伝承は、他のホモ属との競争において優位な力として作用したと思われる。

サピエンス以降

 サピエンス以降の世界について、著者は幾つかの予測をしているので紹介する。

 「全ての生物のキャリアは絶滅で終わる。ホモ・サピエンスも例外ではない。また殆どの哺乳類は100万年程度で絶滅する。サピエンスはまだその半分以下しか経過していないが、特別な種であり今後何百年生き続けるかもしれないし、来週に絶滅してしまうかもしれない。」

 「現在サピエンスは、ビッグファイブに続く第六の大量絶滅を早めているという懸念があるが、地球はサピエンスが出現する46億年前から存在しており、サピエンスが居なくなった後もずっと存在し続ける大きすぎる存在なのだ。」

 「地球上の生命の物語は、そのドラマと未来を含め、最も大きなスケールで見ると、たった二つの事柄によって支配される。その一つは大気中の二酸化炭素の量がゆっくりと減少してゆくこと、もう一つは太陽の明るさが着実に増してゆくことだ。」

 「地球の大陸移動の原動力となった大きな対流熱機関は、核燃料によって支えられていた。超新星の最期の数秒間で作られたウランやトリウムのような元素がゆっくりと放射性崩壊し、遥か昔に地球の中心へと逃げ込んだ。そのような元素は殆どなくなってしまった。約8億年後に新たに新たな超大陸が形成されるが、地球史上最大のものとなる。それはまた、最後のものでもある。大陸の移動は生命の燃料であり、しばしばその宿敵でもあったが、遂に停止する時がやってきた。」

エピローグ

 著者のヘンリー・ジーはダイヤモンド・オンラインのインタビューに対し、次のように答えている。(https://diamond.jp/articles/-/314122

 「この本の執筆を通じて学んだことの一つは、ニュースや人間の生活サイクルの中で起こる殆どのことは、実はどうでもいいという事実です。なぜなら、地球はさまざまな時代に火の玉であったり、水に覆われた世界であったり、北極から南極までジャングルであったり、何キロメートルもの厚さの氷に覆われたりしてきたから。

 ですから、人々が「さあ、地球を守ろう」と言うとき、地球は気にしていません。地球はこれから何百万年ものあいだ、これまでと同じように生きていくでしょう。」

 さらに言う。「環境は私たちが好むと好まざるとにかかわらず、変化していくものです。私たちが救うべきは地球ではなく私たち自身なのです。つまり環境問題はほとんど美学なのです。しかし、私たちは地球へのダメージを自覚している唯一の種です。この本の精神は、最終的には何も問題にはならないけれど、一種の美学として、自分自身や家族、仲間の生物にとって快適で耐えられる生活を送るために最善を尽くす必要があるというものです。」

 『超圧縮地球生物全史』という著作は、地球と生物と人類が歩んできた壮大な歴史を1冊の書物に圧縮した傑作である。46億年というスケールの時間軸を、現代という断面で切り出し、さらに自分を中心とした誠に小さな半径の世界をあくせくと生きている現代人に、たまには視野を大きく拡大して、高い視座から時代と世界を俯瞰してみたらどうかと提案している本である。

 「環境問題は美学である」という看破は見事という他ない。敢えて一つ加えておきたい。それは環境問題は知恵者が次の巨大なビジネスとして作り出した物語であることを。経済というものが成長を前提としている以上、未来にビッグテーマを描いて挑戦することは悪いことではない。但し、飽くまでもビジネスのテーマなのだと理解した上で受け入れることが賢明である。

 サピエンスは、今のところだが、そして恐らく今後もそうなると思われるが、生物進化の物語において最後に登場したアクターである。しかし、生物進化の歴史においてサピエンスが特別に偉大なのは、この壮大な「奇跡の物語」の存在に気付き、それを読み解いたことにある。それこそが最大の「奇跡の物語」なのだと言っても過言ではない。

 著者は「もっと大きな視点で、時代を、世界を、そして人生を考えてみようよ」と提案しているように思える。